自分が学校を出て就職した頃には、まだバブルの匂いが色濃く残っていた。バブルの申し子のようなあるイベント会社に就職した自分は、イベントにあわせ日本各地を仕事で文字通り走り回っていた。その頃、まだ経費に余裕があったので車で行ってもビジネスホテルに泊まることができた。だが、周知のようにバブルは弾け、長いトンネルに入ることとなった。イベント何てまさにバブルによって生み出されたものだ。はっきり言ってしまえば無くても良いものなのだ。企業は派手な宣伝費を削り、さらに宣伝費自体を削るようになった。また、イベント会社に丸投げだったイベントも社員に企画運営させるようになった。会社の業績は当然右肩下がり一直線で人件費・経費削減を余儀なくされた。安ホテルに泊まれるならまだ増し、手当てはなくなり、宿泊費も数千円になってしまった。結果として車に泊まったりするわけだが、若いとはいえ、企画営業以外は基本的に肉体労働のため正直体が続かない。とにかく寝床だけは確保することにした。
正直サウナやカプセルには少々偏見を抱いていたが、ある日初めてカプセルホテルに泊まることにした。東海地方の大都市にあるチェーン店だった。そこでまさにカルチャーショックを受けた。蜂の巣のような狭い部屋といえない寝床にもだが、一番は風呂でのことだった。カプセルホテルは基本的に男性オンリーである。女性は食堂のお姉さん位なもので受け付けも男性だった。狭い寝床には閉口したが、男ばかりの気楽さは存外に居心地の良いものだった。
自分は少し休んで気分良く風呂に行くことにした。体を洗い広い湯船に浸かって堪能し、最後にシャワーを浴びようとした時だった。傍の入り口が開いたので何気なく目をやると目を疑う光景が現れた。何と入り口から女性が、しかも若くて、おそらく二十歳前後の女性が無言で入ってきたのである。こちらは何を隠していない状態でしばし固まってしまった。下らないことだが、人間は予想を超える事態が起きると本当に固まるものだ。若い女性が、それも少しかわいい女性が現れる理由がさっぱり理解できなかった。女性は固まる自分の横を文字通り横目で見ながら通り過ぎてしまった。女性は掃除の人、クリーニングスタッフだった。自分は逃げるように湯船に戻り、彼女と周りの反応を盗み見すると、彼女はテキパキと桶を集めたり働いており、周りの客も彼女の存在を全く気にしている様子は無かった。客も女性も極自然なことで、狼狽していたのは自分ひとりだけだった。何だか自分はひどく世間知らずのような気がした。彼女がチラリと自分を見たのはおそらく
「いい歳こいてこんなことで驚くなよ」
という軽蔑の目つきではないかと思った。まあ事実いい歳をした大人が驚愕することではないが。
さて、余談だが、この店の系列にその後泊まったが、風呂掃除は女性のスタッフで主に中高年の人が多いが、たまに若い人がいるようだ。自分はやはり中高年の方が良い。やはり若い人だと気取ってしまい、男ばかりの少し汚く、だから安心できるワールドが侵される気がするから。とりわけメタボ一歩前の自分はそうだ。ダイエットをすればよい話だが、この頃カプセルホテルの食堂も味が良くなり食が進んで困っている。嬉しい悲鳴だが。
実家はあるのだが、基本的に住所は日本の空の下住所不定の浮雲生活である。そんな自分にとってネットバンクは大変便利なものである。大金を持ち歩くわけにはいかない。かといって家が無からいつでも下ろせないと困ってしまう。ネットバンクはそんな自分にとって画期的だった。まず日本全国で出し入れが出来る。確かに郵貯もそうだが初めての場所ではやはり郵便局は目立たない。その点コンビ二は目立つからすぐ見つけられる。次に二十四時間出入金を確認できる。自分の仕事は請負だから報酬は後払いだ。日本全国取りに行くわけにはいかない。ネットバンクなら相手も振込みが簡単だし、こちらも簡単だ。セキュリティーの問題があるが、友人や他社にお邪魔した時一分ほどパソコンを貸してもらえば確認できる。自分にとっては大変便利なものだ。
ところで頭にくるのは某ネットバンクだ。基本的には出入金手数料無料を宣伝し口座開設を募っており、実際自分の友人もそれゆえに開設したものが多数いるが、手数料を取り始める。さらにとうとう口座間振込み無料さえも改悪してしまう。大体その理由は分かっている。これまた某ネット巨大企業が経営を継いだからだ。奴らにとっては金を落とさないのは客じゃないのだ。奴らには無料のサービスはないのだ。金を落とさない貧乏預金者の皆さん、これからは小銭を集めますよ、だ。
だが、商売と言うのは本来信頼を大事にするものだろ。たとえ経営が変わっても、大多数の口座開設理由を理解できたはずだ。ならば急にその売りを反故にするのは裏切りじゃないか。損して得取れはこの企業にとって死語なのか。例のマスクの件でもそうだが、自分には目の前の利益ばかりを拾っているように思える。自分は分かる限りこの企業を利用しないし、応援しない。蟻が象に噛み付くようだが。まあ蟻の自分はこの企業の経営方針とその後を高みの見物といこうか。
ローリターンのギャンブルTOTOだとか手数料を取るものだけ確実に儲かるFXとかカードローンとか(自分にとっては)いかがわしい宣伝ばかり毎日送ってくるこのネットバンクの利用をやめたのは自分だけではないはずだ。
2009年10月下旬
自分はもう随分長いことあちらこちらをうろうろとしているが、十年と言えば隔世の感で街も人の様子も変わって行く。人のファッション、アイテムなど最たるものだ。だが、変わらないアイテムがある。衰えるどころか増殖し続ける稀有なもの、携帯だ。今や老若男女を問わず誰もが携帯しているものといえば財布と携帯位の物だ。それにしても携帯が市民権を得て久しいが、これほど短期間で蔓延った物は珍しい。強力なウィルスでも及ばないほどだ。そして尚知らぬ間に、だが確実に増殖し続けている。
自分が学生時代のころは携帯など持っている奴はいなかった。就職してポケベルを持たされ、しばし経って携帯を持たされた。移動が仕事の自分たちにとって携帯は必携だった。だが、その時から携帯は便利なものではなく厄介なものだった。大体携帯が鳴るとロクなことがない。十中八九クレームだ。呼び出される。難題を突き付けられる。そして挙句の果てに叱られる。全く良いことがない。自分にとって携帯は目に見えない首輪のようなものだった。束縛するツールであっても便利なツールでないわけだ。
ところで今では電車でも待合室でも場所を問わず、老若男女を問わず、人々が携帯をいじっている。傍若無人、マナー違反の者たちは論外だが、それ以前にその姿はあまり見た目が好いものではない。メールとか必要な連絡もあるのだろう。暇潰しにはもってこいなのかもしれない。だが、掌に乗るほどの機械を真剣に操作する人を見ると何かに取り憑かれているのかと思ってしまう。小さな機械に操られているようで奇妙な光景だ。それを複数の人間が各々それぞれの場所で弄っているのだから冷静に観察するまでもなく不気味な光景だろう。「釣りバカ日誌」の映画で鈴さんが船上で携帯を使っていたが、実際にその光景を見たときには流石に驚いた。そもそも電波が入るのかと突っ込みを入れたかったが、沖の孤島で釣り糸を垂れている時に携帯をずっと弄っている人がいた。こんな所で何故必要なのか小一時間ほど考えてみたほどだ。まあ要らぬお世話だろうが。だが釣りに行ってもスキーに行っても温泉に浸かっても、風光明媚な景勝地であっても、何時でも何処でも携帯は活躍中だ。とりあえず携帯チェックなのだろうか。その心境を推し量るべくもない。人々の携帯依存度たるや今や他のものを遥かに圧倒するだろう。やはり実は頭(心?)に感染する新種のウィルスかもしれない。
時代は何でも携帯を前提に進んでいる。お財布携帯はもちろん。定期券代わり、「携帯にアクセス」はテレビ雑誌、自販機の懸賞などでは定番。今は地方の店でも普通に携帯で登録を求められる。地方の鄙びた旅館に泊まった時、携帯登録でサービスと来た時には興ざめを通り越し心地の悪い感慨を感じたものだ。携帯は現代に不可欠なツールであると言うことだ。だが、便利になればなるほど、依存度が上がれば上がるほど失うものがないだろうか。自由を選ぶか、便利さを選ぶか。携帯が知らぬ間に目に見えぬ首輪になって繋がれていることはないのか。まあそれはさておき、「携帯なしには生きられない」ウィルス感染者のパンデミックの昨今、携帯会社の笑いは止まらないだろう。天下を取る日も近い?ただし、情報管理は細心に頼みますよ。老婆心ながら。
ツールは使いこなしてツールの真価を発揮できる。時代遅れの自分は携帯の真価を知らないだけかもしれない。確実にいえること、それは自分が一生携帯を使いこなすことはないということだ。自分は新種のウィルスと共存できそうもない。
2009年12月初旬