故郷についてのこと

お好み焼き

 もう実に二十年以上前だが、高校時代の試験期間中、午前で終わるから街に行ってお好み焼きを食ってからゲーセンに通った。お袋から貰った昼食代五百円で、お好み焼き肉そば300円也払い、残りの金でテーブルゲームをして帰ったものだ。
 お好み焼きは「安い、美味い、量が多い」が揃ってこそお好み焼きである。
 もとより地元の人間は、観光客の行く何やら村には行かないだろうが、最近は地元の店でも千円近いお好み焼きがあると聞いて驚いている。お好み焼きは県人のソールフードと言う。そこまで言うならば、お好み焼きなら何でも良いのか?明言しよう。安くないお好み焼きはお好み焼きではない。「安い、美味い、量が多い」揃ってこそ、戦後一銭洋食から発展していったお好み焼きなのだ。発展と変革を否定しているのではない。切磋琢磨をし、研鑽を積み味を磨いていくのは料理人の道だろう。ますます美味くなることを望んでやまない。だが、牡蠣やら海老やらその他高級食材を入れるのは発展でも変革でもない。確かに美味いだろう。牡蠣や海老やら食材自体が。
 お好み焼きは、基本的に、そば(うどん)とキャベツと粉、そして肉や卵という安くてそれ自体安価で平凡な食材を組み合わせ、ソースをかけ、絶妙な味にしているのだ。だから、我々は誇りに思う、「安い、美味い、量が多い」と。お好み焼きを世界に誇る。「えっ、この値段で、こんなに美味しいの?」その驚きに我々は心底喜ぶ。「この値段で」と言うところが肝である。簡単に言えば、金を出せばお好み焼きより美味しいものなど星の数ほどあるだろう。そもそも金に糸目をつけなければ美味いものを作るなど然ほど困難ではない。
 もちろんお洒落で内装に金をかけた若者向けの店も観光客のためのお好み焼き屋を否定する気は毛頭もない。それぞれ存在意義はあるからだ。だが、戦後寡婦が家を改装した簡易の店舗で始まったお好み焼き、庶民の庶民による庶民のための食べ物。それがソールフードだ。「安い、美味い、量が多い」+ヘルシーが失われたとき、それはソールフードの死を意味する。

 観光客の方々、今でも市内には600円も出せば、肉玉そばを食べられる店「安い、美味い、量が多い」のお好み焼き屋は星の数ほどあり、それがメインです。縁があればその店を試してください。

 今はお亡くなりになっているだろう当時八十を優に超えるばあちゃんの作るお好み焼きは安くてボリュームがあった。浮雲生活の昨今、かのお好み焼きを無性に恋しく思う。

お好み焼き2

 先日東北地方の某都市の友人から「お前が自慢するお好み焼きはあまり美味くない」と言われた。聞き捨てならんとばかり何所で食ったのかと尋ねたら、屋台で食べたのこと。お好み焼きは焼きが大きなウエートを占める食べ物なのである。「それは少なくともお好み焼きの職人なのか」と聞いたら、どうもそうでない様子。もちろん屋台の店がまずいとは決して言わない。美味い店も多々あるだろう。だが、少なくとも鍛えた職人でないと味は保障できない。関西のお好み焼きは客が作る店が多々ある。だが、当地ではまず客に作らせる店はない。客は作れと言われても作れない。
 焼きに関してだが、仕上げに鉄板で押さえて焼く店、決して押さえず蒸し焼きにして仕上げる店などそれぞれ拘りを持っている主人も多い。店も焼きがさまざまで、客も各々の好みの店に行く。お好み焼きの主人は女性、平たく言えば、おばちゃんが多かった。だからもとはと言えば出発は素人の味だったかもしれない。だが、金は取らないが、家庭のプロである主婦の仕事である。お袋の味、各家庭のこだわりがあったのではないかと推測する。それ故、客の好みも千差万別、店もさまざまに発展して行ったのだろう。だから焼けば良い、作れば良いと言うわけにはいかないのだ。当然腕が悪い店は淘汰されていく。

 それにしても何でも本場で食べるのが一番だ。本場の味を堪能すること、それが浮雲生活の最大の喜びだ。
09年11月初旬

宝の持ち腐れ

 今から数年前のことである。友人と仕事で地元に戻り一緒に本通りを歩いた時、地方小都市出身の彼が、
「凄いなこの街は。あんなに外国人観光客がいるのに取り込まないのだから」と。
 なるほど観光客を呼び込むことに苦心惨憺している彼からしてみれば、黙っていても外国人観光客がやってくる本通りは垂涎の境遇にあるだろう。にもかかわらず、彼ら相手の商売を全くしないのだから羨ましいを通り越して呆れ果てているようだ。なるほど彼らを積極的に歓迎している雰囲気は全く見られない。むしろ歓迎よりも戸惑いを持って迎えているみたいだ。だが、この街で生まれ育った自分にとっては至極当然のことだった。そもそも本通りには黙っていても客が集まってきた。その客に比して外国人は僅かだろうし、ましてや言語という壁がある。外国人を相手にする必要性は皆無であった。だが時代は変わって行く。少子高齢化、人口減、海外旅行の容易さ。長期的視点の彼にとっては目の前の宝の価値に気付かない街の住人に驚きを隠さなかったのだろう。

 今年、件の本通によって驚いたことは、携帯ショップ、コンビニ、百円ショップなど何処にあっても良いような店が増えていたことだ。一等地でそんな店を出す意味が分からないが、成り立ちあまつさえ盛況と言うことは成功の証左であろう。結局わざわざ街中に来て近所にでもある店で買い物をする客が増えていると言うことだ。不況の影響だろうか、他の店の魅力の欠如か。そういえば、最近地元の友人が文句を言っていた。
「街の商売人どもは球場がなくなった変わりに賑い場を作れって行政に文句を言っているが馬鹿じゃないのか、自分の腕と才覚で道を開くのが商売人の気概じゃろうが。今まで地の利に胡坐かいといて何をいまさら言うとるんじゃ。世界遺産の直近にある商店街が寂れるんならその責任は誰にあるんかガキでも分かる話じゃ。人に頼る奴は潰れてしまえ。」
 彼の意見は聊か過激かもしれないが、利害関係のない一般市民の感覚とそんなにかけ離れていないだろう。魅力があれば人が集まり、なくなれば人は去っていく。極めて自然なことだ。球場がなくなり人が減るのならば結局その街はそれまでのこと。もっとも営業の経験がある自分からしてみれば別の視点もある。変革はリスクが伴う。イベントをやっても結果を出せるとは限らない。現状維持なら賭けはし辛いものだ。まして一等地はハイリスクハイリターン。老舗の店にとって地価の高騰は望まざる変化であったかもしれない。
 地方では多くの商店街が消えていき、シャッター街という言葉が聞かれるようになって久しい。旅人生活の自分は痛感することしきりだ。でも、残念ながら時代に取り残されたものが時代の間に消えていくのは世の流れ。地元の本通も例外ではないのである。街の近くで生まれ育ち、街育ちが密かな誇りだった自分にとって悲しい話だが。
09年11月初旬2


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