あの世と死後の世界

あの世と死後の世界

 僕はあの世はあると思います。しかし、死後の世界はないと思います。天国や地獄は存在すると思いますが、人の死後も存在する魂や輪廻転生はないと思います。あの世、天国や地獄は人間の作り出した物であり、従ってこの世に存在する人間の頭(心)にあるものだと考えているのです。だからこの世に人間が存在する以上あの世も存在すると思うのです。一方人間の死後の世界は、人間が死によって無になる以上存在し得ないと考えるのです。例えば宇宙が消滅しありとあらゆる生き物が絶滅した後、すなわちこの世がなくなった後も、死後の世界だけが存在するでしょうか。

 僕は今まで墓参りなど行ったことがありませんでした。しかし、両親の死後行くようになりました。それは死後の世界を信じたわけではありません。まして遺骨の残る墓に両親の魂が存在すると考えているわけではありません。この世の中で、僕の心の中で、あの世を作ることで墓を通して両親と語っているのです。もちろん家にいても何処にいても両親を思い出すことは出来ます。しかし、墓前に参るという行為を通して両親と語ることができるのです。僕は墓前で感謝をし、時に悲しみを和らげ、より良く生きることを誓っております。
 僕はあの世は死者のためではなく、この世の人のためにあると思うのです。この世の人がより良く生きるためにこそあの世の存在意義があると考えます。それ故祟りだとか、呪いとか信じません。増してや先祖が祟るだとか、呪うなどという考え方は哀しい考えだと思います。一体誰が自分の子孫に悪いことが起こることを望むでしょうか。もしその言葉を信じるとしたらその先祖はきっと寂しく思うでしょう。

 一方で僕は脳細胞が死滅して人として死を迎えた時、全てが終わりになることに安らぎを覚えます。全て無に戻ることに安堵を覚えます。僕にとって死後の世界は不要なものです。生まれる時生き物は差を持って生まれます。強弱、長短、大小、食う食われるなどなど。動物に生まれるのと植物に生まれるのは異なりますし、同じ動物でも然りです。人間の例を出すまでもなく、同じ動物に生まれても境遇が異なります。しかし、死んだ時は、動物にせよ、植物にせよ、単細胞生物であっても無になることは同じです。全ての生きとし生けるものが平等であるのです。それは僕にとって素晴らしいことに思えます。そして無になるからこそ、全ての有に意味があると思えるのです。生き物たちが輝いて見えるのです。僕は死後の世界がないからこそ、この世をより良いものにしたいと思います。そしてより良いこの世を次の世代に伝えて行けたらと考えます。
 蛇足的ですが、もちろんあくまでも僕の考えであって特定の宗教を否定するつもりはありません。


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