幽霊は今いずこ

幽霊は今いずこ

 さて、何故人は幽霊を怖がるのでしょう。よく聞かれる言葉に
 「存在しないものが存在するから怖いのだ。」
 なるほどもっともな意見ですね。この世に存在しないもの、幽霊が突然現れる。この恐怖。想像に難くないことです。しかし、これは正しい言葉ではないようです。存在しないものは存在しないし、存在するものは存在します。だから正しくは
 「存在しないと思っているものが存在するから怖いのだ。」でしょうね。
 このこともじっくり考えてみると当たり前の事実が浮かび上がってきます。
幽霊は存在するから見ることが出来る。幽霊は存在するのだ。テレビだったか、オカルト本だったか、判然としませんがこんな話を聞いたことがあります。
「二十歳までに幽霊を見なかったら一生幽霊を見ることはない。」
臆病者の子どもだった僕はその話を聞いて早く無事に二十歳にならないかなと願ったものです。その話が嘘か真か僕が知る由などあるはずがありません。ただ、今は興味深い話だと思います。もしかしてこの話は真実かもと思ったりします。僕はこう考えるのです。「幽霊が見える人」と「幽霊が見えない人」がいると。俗に言う霊能者や霊感が強い人は幽霊を見ることが出来る人。それ以外の人は幽霊を見ることが出来ない人。何だか当たり前のような気もしますがすなわちこうです。幽霊を見られる人にとっては幽霊は存在する。幽霊を見られない人には幽霊は存在しない。テレビなどで「幽霊が存在するか否か」と言う討論番組があります。肯定派は霊能者と自称する人々、否定派は科学者や知識人。でも周知のとおり平行線を辿りますよね。何度やっても、いつもそうです。また、所謂無党派層を別にして、どんなに議論を深めても、素晴らしい証明をしたところで肯定派は肯定するし、否定派は否定をしまう。その答えが先ほどにあるのです。幽霊が見える人には幽霊が存在し、幽霊が見えない人には幽霊が存在しない。だから平行線は自明の理なのです。肯定派と否定派に分かれることは。
 幽霊を見ない人は幽霊を見ないわけですから幽霊は人生において関係ないということになります。つまり幽霊を恐れる必要はないのです。だって幽霊を見ることがないのですから。勿論幽霊に会うこともないでしょう。また幽霊が見える人にとっても幽霊が存在するからその目で見えるだけであって至極当たり前のことです。
 今になって思えば子どもの頃あんなに幽霊を恐れていたのが馬鹿らしく感じます。もっとも、「怖いもの見たさ」と言う言葉がしますように、怖がるのも楽しみの一つなのかもしれませんね。


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