掌の上に乗る幸福



掌の上に乗る幸福

 昔遥か昔中学生の頃に変わった友人がいました。彼は余り人と付き合っていないようでした。とかく必要以上に群れたがる中学生にしては珍しい一匹狼みたいな人でした。僕としては友達のつもりでも彼からしてみれば別かもしれません。その彼はいつも窓の外を眺めておりました。遠くを見るような視線で。ぽっかりと浮かぶはぐれ雲のような人でした。その彼の口癖は、
「ああ、遊んで暮らしたいな」でした。
 そんな独り言を言う彼が何とも素敵に思えました。
どういう理由だったのでしょうか、正確に覚えていませんが、或る時、何かの縁で彼と遊ぶようになりました。人に興味がないのでしょうか。何事にも淡々としている彼は誰に対しても自分から話をしませんでした。勿論二人でいる時も自分から話すことは極めて稀でした。多分僕からでしょうが、将来の夢、と言うか、漠然と将来のことを話したことがありました。中学三年で恐らく受験を意識した時だったと思います。僕は昔も今も典型的な小市民でしたから、高校に入り、大学に行って普通に会社に入って、適当な人と結婚して子どもを生んで暮らしていればよいと話しました。彼は、いつもの調子で、
「そうだね、いいもんだろうね。それも。」と淡々と。それから続けて、
「掌の上に乗る幸福か。それもいいんだろうね。」と呟きました。

「掌の上に乗る幸福」

 僕は彼のその言葉に衝撃を受けました。何という素晴らしい言葉。美しい言葉。それこそ僕が求めるべき人生の目標だ。と平凡な僕は、衝撃を受けました。流石彼だなとうなったものです。

 彼は、遠い県外の高校に進学したと風の噂で聞きました。
 「ツッパリ」。今では完全な死語でしょうね。そんな言葉がまさにぴったりな同級生達が、学校中を暴れ回っていた時代でした。校内のガラスはところどころひび割れ、常に鳴らされる非常ボタンは切られ、トイレのドアは穴あきだらけ。アラフォー世代の方、公立出身の方、大なり小なり思い出されるあの時代です。殺伐、緊張感の漂う校内、教室…。そんな中で彼は一人だけ我関せずと言った風情で窓際に佇んでいました。教師からも、ツッパリからも、我々からも、誰からも彼は一人離れて浮いていました。そう、はぐれ雲のように。

 その後僕は病気になり、もっとも簡単と思えた普通の生活。「掌の上に乗る幸福」と言う夢をかなえることが出来ませんでした。その代わりと言うべきでしょうか。図らずも僕はその後僅かな資産を承継し、働かずに細々ですが、生活していける身分になってしまいました。彼の言う「遊んで暮らす生活」を手に入れたのです。でもやはり僕は彼にはなれそうにもありません。吸い込まれそうな秋空を眺めているといつも思うのです。 今も空を眺めながら呟いているのだろうか。

「ああ、遊んで暮らしたいな。」と。


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