バフィンそしてフリーガ




1971年のダグ・スコットの記事と写真を「岩と雪」31号(1973夏)で見たときから、いつの日かバフィン島のあの奇妙で巨大な岩壁を登りたいと思っていた。
あれから22年後の再び「岩と雪」、廃刊前の168号(1995・2月)に載ったバフィン島の壁の数々。これはもう行くしかないと思った。
そして結果的に私自身に限って言えば「幸せな楽しい遠征」だった。

この手の計画は生きて帰れる保証が無いので「こんな計画があるよ」とはいうけど、決してひとを誘ったりはしないことにしている。特にあまり自分と山行を共にしていない他の会の人にはまず声などかけない。
だが今回はヒマラヤなどとは違ってロッククライミングそのものの占める割合が半分くらいはあるし、高所(高山)ではないし氷雪の技術を必要とする所はあまりない、ということで三倉、帝釈の仲間の申し出を受け入れることにした。

しかしこれまで同地に遠征した人達から聞くところでも、あきらかにアルパインクライムの占める比率は80%以上であり、早い時期だと冬期登攀の世界にさえなるという。参加する隊員にもそのことは常々言ってきたつもりだが、フリークライムの一番下手な名越の言う事とあってかあまり理解していたとは思えない。特に計画に加わって以降のトレーニングについていえば、昨年ヨセミテの壁を登ってたしかに"ビッグウォール"のノウハウは身についたようだが、それに加えてグランドアップでルートを伸ばして行く"開拓力"を養ってほしかったと思う。

たしかに5.11以降がリード出来るようになればヨセミテの既成ルートはなんとかなったかもしれない。それで両粂以外のメンバーは勘違いをしたのだと思う「なんとかなる」と。だがヨセミテとバフィンは似て非なるものなのだ。バイアスロンで標的を撃つのと猟師が獲物を追いつめて撃つのとではまるで世界が違うのと同じように、誰も登ったことのない未知の自然を自分がリードしてルートを作っていこうと思えば当然それに会った技術と経験を身につける必要があり、そのためにはその為のトレーニングを積み重ねる必要がある。5.13を登ろうかという者が、力量は鍛練の積み重ねだということを知らないはずはないのに。
そうは言うものの、安全面に関するメンバー個々の意識と技量、用具を使いこなす技術にはさすがにクライミングに打ち込んだ歳月を感じさせるものがあった。私が言うべきことは殆ど無かった。



BC最後の夕べ



不完全燃焼の2峰メンバーにしても、ルートの殆どを両粂が拓いたとはいえその歴然たる力の差をはねかえして「私にももっとチャンスを!」と言えなかったのは、そう言えるトレーニングの裏付けが無いからに他ならない(まあそれほど気合の入った遠征でもなかったけど)。
「みんなそれぞれに思いっきり登攀を楽しもうぜ!」というのが我々のコンセンサスであったはずなのだが「とにかくルートを完成させなければ」と思い込んでしまった登攀リーダの両粂は結局自分が一番楽しんでしまった。ルートは完成しなくてもメンバーそれぞれが存分に楽しんでくれるのが私の希望だったのだが。

いっぽう1峰の方は(寒う〜!)ルートは完成しなかったけど私は十分満足した。少し甘かったところもちょっと焦りが出たこともあったが、日々に成長する若い仲間を見るのも気持ちいいものがあった。山本、宮重にしてみれば自分らの力を精一杯出せたと思う。出し切って敗退(終了なんて言い方もあるが)したのだから自分の力量以外に悔やむものはないと思う。これほどさっぱりしたことはない。いい意味で未来につながると思う。

2峰の方もそうはいうものの溝手を除く他のメンバーは、自分でそれなりの覚悟をして行ったことと得た結果には、満足はしないまでも納得はしているのではないかと思う。溝手も今回ちょっとあてが外れた感じになったが、まあこんなこともある。人生に全戦全勝などありえない、今回は生きて帰れたことを善しとしよう。次はきっといいことがある。

遠征という非日常の日々を過ごし極北の原始と未知の大岩壁で成した何かは、そのうち自分の中で他では得られない力"生きる自信のようなもの"になってくると思う。
みんないつかは分かってくるかもしれないが、私は山登り、とりわけ自分なりに人生を賭した山登りには結果はどうであれそこには「神の恵み(blessing)」があると思うのだ。