2005年2月
雪の中、献血車が職場の前にやって来ました。雪による渋滞で大変だったそうですが、せっかく来てくれたのだし、スギ花粉がひどくなったら私は薬漬けになるため、今の内にと仕事の合間に献血をしました。久しぶりです。いくつか持っているはずの献血手帳が見つかりません(手帳を忘れて、あとで合併ということでとりあえず作ってもらって、を何回かしてしまったのです)。やっと二冊見つけて持っていくと、ちょうど10回目、ということで記念品を頂きました。ガラス製の素敵なぐい飲みです。酒を飲まない私としては……一輪挿し(というか、切り花を浮かせるもの)にできそうですし置物にしても良さそうです。
しかし、献血車の看護師さん、どうしてあんなに刺すのが上手いんでしょう? あれほど太い注射針なのに、ちっとも痛くありません。プロの技、万歳!
【ただいま読書中】
『SFマガジン 2005年3月号』
早川書房、2005年、890円(税込み)
私がこの雑誌を定期購買し始めたのは、1973年か1974年だったはずです。買い始めてすぐに山田正紀がデビューして、「神狩り」とか「襲撃のメロディ」とか生きのいい作品を次々連載してくれていました。
それがいつのまにか「巨匠」になってしまったのでしょうか。昨年読んだ彼の『
ミステリ・オペラ』のなんとまあ文章の流れの悠々としたこと。連続密室殺人はまったくの些事のように扱われ、とにかく「昭和」を念入りに描くことに集中してみました、といった感じで、読み終わって「僕の知っている山田正紀じゃないやい」と言いたくなりましたっけ。
そして今月号、特集は「英米SF受賞作特集」ですが、おや、山田正紀の新連載も始まっています。タイトルが「イリュミナシオン 君よ、非情の川を下れ」……
「イリュミナシオン」はランボーの作品名だそうですが、副題を見て私が連想したのは『
君よ憤怒の河を渉れ』(西村寿行)でした。SF者なら
リバーワールド(フィリップ・ホセ・ファーマー)を思い出すかもしれませんし(「黒き流れ」(イアン・ワトスン)もありますが、こちらは未読なので思い出せません)、古いのが好きな人なら『
ボートの三人男』を主張しても良いかもしれません。ともあれ、今月号では話はまだ川には到達しませんので何が起きるのかはこれからのお楽しみ。
物語のオープニングで、「領事」がピアノを弾こうとしているのですが……『
ハイペリオン』(ダン・シモンズ)ですか? ページをめくると「巡礼」が集まって、身の上話を始めようとしているようです。
デカメロンですか? それともやっぱりハイペリオンですか?
結晶城という異形の城も登場しますが、こちらはご本人の『ミステリ・オペラ』の宿命城を連想しました。
過去の文学作品を取り上げて、現実が物語に浸食されていく過程を描くのは山田正紀の得意技ですが(『
エイダ』が好例)、今回はランボーです。ランボーとSFと言ったら私が思い出すのは『酔いどれ船』(コードウェイナー・スミス)ですし、詩人としてのランボーに対しては言葉を啄むような詩というイメージしか持っていませんが、さて、山田正紀がどのようにランボーを料理するのか、しばらく雑誌の発売日を楽しみにできそうです。
「個人情報の保護に関する法律」に伴って、医者が大嫌いな人には医者をひどい目に遭わせる(少なくとも不愉快な目に遭わせる)良い手がひとつ増えました。医者に向かって「ここではちっとも良くならない。他の病院に行くから紹介状を書け。でも、個人情報を漏らすことは許さない」と言うのです。
もし医者が紹介状を書けば、それは個人情報の漏洩ですから個人情報保護法違反です。この法律では個人情報を漏らすためには、本人の許可が必要ですから(緊急時は除く)。
もし医者が紹介状を書かなければ、それは、本人の「紹介状を書け」という依頼を無視した行為であり、また、自分の力が及ばない患者は紹介しろと義務づけた医師法違反です。
どちらに転んでも「悪徳医者だ、訴えてやる」と言えます。
もし裁判になった場合、最初の主張(書け、でも漏らすな)がそもそも矛盾している、と医者の側の弁護士に突かれる恐れがありますね。それに対しては……そうですね、最初の「紹介状を書け」で言葉を止めて、医者が「では個人情報を書きますが、よろしいですね」と許可を求めてきたらあらぬ方を向いて積極的には容認を与えないでおいて後から「OKとは言っていない」と主張する手かな。
【ただいま読書中】
出帆新社、2004年、2700円(税別)
目次
「インドネシアのアーユルヴェーダ・ジャムゥ」高橋澄子
「アーユルヴェーダの外科学」P.クトムビア
「シッダ医学概論」佐藤任
「モンゴル医薬学序説」徳力格爾
あまり知られていないアジアの伝統医学が取り上げられています。
インドネシアのジャムゥは、「専門家の不在」が特徴です。市場・行商・日本の喫茶店や居酒屋に当たる感じの店で市井の人達によって日常的にハーブが叩きつぶされ調合されています。ハーブの配合はすべて口伝で伝えられます。
中世西洋の医学では医療職にも身分があって、一番上が大学出の医師で診断をつけその指示に従って外科処置は二番目の身分の床屋外科が行ない、内科的な処方は一番下の薬種商が動いていました。インドネシアの伝統医学では、ちょうどその身分の一番と二番が欠落した形のように見えます。
モンゴルの伝統医学は、元々の伝承医学にアーユルヴェーダが影響を与え、12世紀にそこにさらに仏教と共にチベットからやって来たチベット医学が強い影響を与えて完成しました。すごいのは羊の臓器療法。畜殺したばかりの羊の新鮮な胃の内容物に、病変部をどっぷり漬けたり塗ったりする、という「療法」です。あるいは子どもの腹痛には生きた子羊のお腹をぴったり合わせて15分間放置、とか。子羊にはいい迷惑でしょうに。
「伝統医学」と聞いて「非科学的」「アヤシイ」「効果が不確実」といった感想を持つ人が多いのではないでしょうか。「科学の世紀」である21世紀に生きる人間としてはそれが当然の感想かもしれませんが……実はそれは「時代遅れ」かもしれません。
数年前に読んだ『
世界伝統医学大全』(責任編集:WHO/R.バンナーマン+J.バートン+陳文傑、津谷喜一郎訳、平凡社、1995年)には「世界各地の代替医療(漢方やユナニ医学といったメジャーなものだけではなくて、ローカルな薬草療法や呪い師も含む)を近代医学と組み合わせると、医療の有効率と患者の満足度が上がり、コストは下がる」とあって、私は「天下のWHOも伝統医学をきちんと評価しているのか」と感銘を受けました。「科学を無視して伝統医学だけで十分」というのは旧弊ですが、では「科学万歳、古いものはさっさと捨てよう」が進歩的か、というとちょっと疑問符が付く、ということのようです。むしろ一つの立場に凝り固まらずに、使えるものは何でも使う、というのが実戦的な立場でしょう。少なくとも医学は「直してなんぼ」の世界ですから、使える手段を無駄に捨てることができるほど余裕のある(限られた手持ちで十分対処ができると自信たっぷりの)人は医療の現場には数少ないはずです。
問題は評価システムですね。伝統医学の効能・効果・メカニズムを「正しく」評価できるシステムはなかなか構築困難なものでしょう(たとえば単一成分の解析を得意とする現代の薬理学の手法では、漢方薬の生体内での解析(多くの生薬成分が単独あるいは組み合わせで働き、さらに個人毎に代謝を受けて物質としても変化するのを追跡すること)はほとんど不可能なはずです)。といって、伝統医学や科学の仮面を被った口先だけの商魂たくましい健康食品なんかをつかまされるのはごめんこうむりたいものです。
そういえば、ヨーロッパにも伝統医学はあります。温泉療法・ハーブ療法・アロマセラピーなどが有名ですが、もっと素朴な薬草療法も家庭レベルではまだしっかり生き残っています。日本もあまり西洋医学一辺倒にならずに、自分の足もとを見直してみても良いんじゃないでしょうか。WHOを信じるなら伝統医学と近代医学の組み合わせが効果あるはずなのに、自分たちの伝統医学を捨てて西洋近代医学一辺倒になってしまったら、結局日本人はヨーロッパ以下の医療しか受けられないことになってしまいますから。
休日に家で過ごしていてピンポ〜ンが鳴ると、けっこうな確率で宗教の勧誘です。
私には不思議です。なんで戸別訪問で勧誘しなくちゃいけないんでしょう? 本当に優れているものだったら、放っておいても自然に人が引きつけられるものでしょうに。
私がすごいと思っている宗教人は、とりあえず釈迦とキリストなのですが、この二人は戸別訪問していましたっけ? 釈迦は、在家の人を大事にしてはいたけれど、無理な改宗は勧めていなかったはず。新約聖書ではキリストが仕事中の漁師の兄弟に「私についてきなさい」と声をかけたら二人は網を捨てて付き従った、という描写があったように記憶していますが(読んだのは数十年前のことなので、記憶の捏造かもしれませんけれど)、これは「勧誘」というにはずいぶん無造作で、こちらの玄関口で熱心にやってる人達とは差がありすぎるような気がします。
そうそう、釈迦とキリストは自著がない(語った言葉を弟子が残した本はある)、という点でも共通点がありますし、自分の出身母体(インド・ユダヤ民族)「以外」でその教えが拡がった、という点も共通です。
すると、せっせと本を書き、自分のテリトリーに営業部隊を派遣している「教祖様」たちは、釈迦やキリストとは相当違った生き方なんでしょうね。
【ただいま読書中】
ピーター・ブラウン著、宮島直機訳、刀水書房、2002年、2800円(税別)
ローマ帝国とキリスト教と古代ギリシアの古典、この関係の変化によって「古代」の終焉が生じた、と著者は述べます。
古代末期、ローマ帝国の西側は農業中心で貧しく、重税システムで富は一部に集中していました。それに対し、東側は商業が発達していたため西ほど富は偏在していなかった。さらに、古典教養(ギリシア語)が重視されていて地方の秀才たちが次々登用されるため、後のビザンツ帝国の安定の基礎がすでに準備されていました。
キリスト教は、はじめは都市の貧乏人に受け入れられますが、ヘレネス(ギリシア語圏の知識人でギリシア至上主義者)からは「キリスト教は野蛮人の神学」と呼ばれます。しかし、司教たちは少しずつ古典の「教養」を身につけて都市の新しい中間層に浮上し、伝統的な支配層と対立するようになります。(さらにそれはキリスト教の教義に変更をもたらします。神と人の間に「仲介者」が必要となったり、悪魔が重要視されたり)
古代末期、それまでの伝統重視・公共重視にかわって「個人の尊重」の風潮が生まれます。それは古典・伝統の軽視、外界と内面の断絶をもたらします。そして個人の内面世界が独自性を主張すると個人は孤独になります。その孤独を支えるために「大文字で書かれた神」が必要になる、ということでキリスト教は多神教に替わって勢力を伸ばします。(ローマ帝国で「富を使う目的」は、2世紀には公共のための施設建設でしたが4世紀には個人的なものを作るためになり、5世紀には罪を軽くするために教会に寄付、が主流となります)
無学な兵士上がりの皇帝、コンスタンチヌス一世は自分に教養があることを示すために司教たちに近づき利用しようとしてキリスト教を公認します(ただし、他の宗教との共存を許す、という形で)。コンスタンチヌス二世はその司教たちを特権階級に出世させます。
ローマ帝国の支配階層はギリシアの古典教養を支配の根拠としていたのですが、キリスト教の司教たちもギリシアの古典を学ぶことで支配階層に「出世」していったのでした。後には、かつての元老院議員と入れ替わった形で同じ特権と儀式での振る舞いを司教たちが演じることになります。
そこに「野蛮人」が登場します。西ゴート族やゲルマン人の「侵攻」(実際にはフン族の圧迫で移動したり、食い詰めて都市に流入しようとしたりした人達も多かった)に対して、教会は「野蛮」であるがゆえ「同化」を拒否します。ということで「野蛮人」は闘うことしか選択肢が残されなくなります。ローマのキリスト教徒たちもそうなるとのんびり教養を身につけることは許されません。実学が重要視されることになります。
メソポタミアの支配権をビザンツ帝国はペルシア帝国と争っていましたが、ペルシアにはネストリウス派のキリスト教徒が多くいました。7世紀にペルシアがビザンツに敗退した後に侵攻したのがイスラム教徒です。イスラム教徒たちはビザンツも攻めますが、教養を欠いた野蛮人にあきれたのか矛先を鈍らし、おかげでビザンツは生き延びることになりましたとさ。
キリスト教がギリシア古典の影響を受けて変質した(しかもそれまでのローマ帝国の支配層の構造と相同の関係で)、そしてそのまま旧来の支配層に置き換わった(相同関係だから置換も容易)、というのは面白い着眼点です。以前読んだグノーシスもギリシア古典の影響を感じましたが、古代ギリシアというのは本当に影響力の大きいものなんですねえ。
著者は古代中国も好きらしく、時々ローマと中国の比較が述べられます。たとえばキリスト教がまず下層民に拡がったのは、中国で仏教が下層民に拡がった(そして支配層は、ローマではヘレネスで中国では儒学を受け入れていた)のと同じ、とか。こういう視点を持った人、私は好きです。
今日の朝日新聞一面の右側、本日の主なニュースのタイトル一覧表のところに「北朝鮮戦、中田(英)は落選」とありますが……もしもーし、朝日新聞的には彼は前回のワールドカップで引退しているはずなんだから今回日本チームに選ばれないことは別に「ニュース」ではないはずでは?(「引退」した選手が選ばれたらビッグニュースでしょうけどね)
誤報の訂正記事って、ほとんどが隅っこに小さく載せて丹念に読まない読者は見逃すようになってますよね。これだと読者は最初に刷り込まれた第一印象が継続してしまいます。読んで影響を受けた人間の記憶を本当に「訂正」するためには、そもそもの「誤報」と同じ日数同じ位置に同じ大きさで訂正記事を載せるべきじゃないのかなあ。「ちゃんと訂正しました」と報道する側がいくら主張しても、読んだ人間の記憶が訂正されなければ、それはマス「コミ」の「コミュニケーション」が成立しているとは言えません。
【ただいま読書中】
黒岩重吾著、文藝春秋、1994年、1359円(税別)
七編の短編集ですが、はじめの六編はすべて壬申の乱での「日本書紀には書かれていない」エピソードです(最後の「捕鳥部万の死」は壬申の乱の約一世紀前、蘇我物部合戦でのお話)。大海人皇子の長子である高市皇子の舎人として近江朝側の侮辱に耐える坂上直国麻呂。亡命百済人の孤児で大海人皇子の間者となる鋭飛。父が大海人皇子、夫が大友皇子という難しい立場の十市皇女。こういった人達を主人公とした短編を積み重ねることで壬申の乱が周辺から立体的に描かれます。
大化改新後、中大兄皇子は天智天皇となり、その弟大海人皇子は皇太子として天智天皇の右腕となります(皇太弟と呼ばれました)。しかし、天智天皇に皇子が生まれ(大友皇子)、天智天皇は自分の息子に跡を継がせたくなり、邪魔にされた大海人皇子は吉野で隠棲しますがそこでも命の危険があったため(中大兄皇子が古人大兄皇子を吉野で攻め殺した前例あり)さらに美濃に移動してそこで挙兵。近江朝の軍勢を破り大友皇子は自害、大海人皇子は天武天皇となります。これが壬申の乱のアウトラインです。(その前に、白村江の戦いで大敗北したため、朝鮮からの侵攻を怖れた天智天皇は都を近江に遷都していたので、大海人皇子が攻めたのは近江です)
もちろんフィクションですから、これを「歴史」と勘違いしてはいけませんが、日本書紀を読んでいると作家がこんな話を書きたくなる気持ちが少しわかる気がします。なにしろ天皇の一代記をたった数十ページにまとめて書いてあるものですから(しかも天皇を大っぴらに批判することはできませんから、中国の史書とは違って遠慮した書き方が目立ちます)、内容が隙間だらけで「もっと書き込めよ」と言いたくなるんです。でまあ、無い物ねだりをするくらいなら自分が書いてしまえ、となるんでしょうね。
……おっと、これで【ただいま読書中】に『
日本書紀』が書きにくくなっちゃったな。これも机に積んであって(ソシュールの四冊隣)時々ぱらぱらめくって読んでいるんですけれど。
たまにTVで料理番組を見て、不思議に思うことがあります。画面で鍋の中が大写しになっているシーンがやたらと多いんです。アメリカの料理ショー番組のように、料理する人間があっちに走ったりこっちでジョークを飛ばしたり、をカメラが追いかけ回して見せろ、と言うわけではありませんが、鍋の中だけじっと見ていても面白くはありません。そもそも「料理」は鍋の中だけの現象ではないでしょう? 事前の段取り・加熱中にその脇で何ができるか・何か上手くいかなかったときにどうカバーするか、なども料理をやってるときには重要な情報だと思うので、鍋の外もなるべく撮して欲しいのですけれど。
大写しといえば、スポーツ番組での球のクローズアップ。これも何の意味があるのでしょう? ピッチャーの手を離れてストライクゾーンめがけて飛んでいく球をバッターがはじき返して、というのをずっと画面中央に捉えている……カメラマンの技術はすごい、と素直に私は感心しますが……私が見たいのは「プレイ」であって「球の大写し」ではありません。ゴルフ番組でもそうです。球のライによってプロが何を考えどうクラブを選択しその結果がどうなったか、は見たいし知りたいですが、ゴルフボールの大写しをずっと見ていて楽しいですか? サッカーのパスワーク、逆サイドにフリーの選手が切れ込んでいく、というのよりも、スパイクとボールの大写しを見つめていたいですか? 下手すれば酔いますよ。
繰り返します。私が見たいのは、カメラマンの技術ではなくて、スポーツなんです。
【ただいま読書中】
草上仁著、早川書房、1992年、2524円(税別)
10年くらい前に読んだはずなのですが、ぱらぱらめくってみたら全然覚えがなかったため「これならもう一回楽しめるぞ」と図書館から借りてきました。記憶力がアヤシイというのは、こういう時には利点です。同じ本を何回でも楽しめますから。
星がきれいな夜に空から襲って来て女の子だけを攫っていく怪物に許嫁を攫われた14歳の少年ウィクルが、許嫁探索の旅のガイドとして歴戦の女戦士シルヴァを雇うところから話は始まります。そこに女衒のサイや山賊のリクスなどが絡み、空を飛ぶ怪物にもソラノウマとカイヌースの二種類あることがわかり、話は火星への宇宙(そら)の旅と地球の空の旅とが絡み合いながら進行します。
生態系に無理があるとか、土蜘蛛の意味は?とか、飛ぶメカニズムは?とか、火星の洞窟はいくらなんでも無理があるとか、最後の「大集合」はよく再突入地点が事前にわかったわね、とか、「科学的」な疑問符はいくつもつきますが、冒険譚として、あるいは登場人物(たち)の成長物語としては楽しめる物語です。世間知らずのお坊ちゃんだったウィクルが運命とシルヴァに鍛えられて少しずつ一人前になっていく物語、のはずですが、う〜ん、まだなんだか甘いな。むしろシルヴァの成長(というか、変化)の方が大きいんじゃないでしょうか。
異形のものが跋扈する「地球」を旅して最後には宇宙へ、とくれば『
地球の長い午後』(ブライアン・W・オールディス)ですが、残念ながら草上仁はあそこまでの世界は構築してくれません。まあ、基本的に彼は短編作家なので、私はそこまでは望みはしないのですが……と言うと、やっぱり失礼でしょうか。
冬将軍がやっと北に退却を始めたようです。さすが立春。
昔の中国人は「春」を「暖かくなった季節」ではなくて「温度が最低になったところから少しずつ暖かくなる季節」と定義づけていました。つまり、一番寒いときが春の始まりです。だから旧正月は新春なんですね。
私には、古代中国人の発想は論理的で非常にわかりやすいものに感じられます(ただし、自分で新春を決定できるか、と言うと自信はありません)。むしろ、暖かくなってから「あ、春だ」と言うくせにこれからさらに寒くなる時期の年賀状に平気で「新春」「初春」「賀春」と書いてしまう現代人の感覚の方がちと不思議です(私もやってしまったことがあるので、あまりでかいことは言えませんけれど)。
【ただいま読書中】
ピーター・ハクソーゼン著、秋山信雄・神保雅博訳、原書房、2003年、1900円(税別)
昨日は空の話でしたから、こんどは海の話です。
キューバ危機というとかすかに記憶があります。
ディーゼルの弾道ミサイル潜水艦七隻をキューバの港に潜水配備してそれを恒久的な「ミサイル発射基地」とする、という構想だったそうですが、その数年前に「海軍なんか時代遅れだ」とフルシチョフが決定したために巡洋艦などは破棄されていて潜水艦は護衛無しで行動せざるを得ず、それを知ったフルシチョフは「自分はそんな決定を聞いた覚えはない」と激怒したそうです。……なんともはや。
この「カーマ作戦」は1962年10月1日に始まります。それで原題が「October Fury」なんですね。直訳したら「10月の嵐」でしょうか。世界中に影響を与えるとんでもない暴威ですけれど。
まずキューバに対する援助に偽装して物資が搬入され、アメリカ軍がキューバ侵攻の上陸地として選定していた地点に対空ミサイルなどが配備され始めます。同時に海域の安全を確かめるために四隻の潜水艦が先遣隊として派遣されますが、なんと一発ずつ核魚雷を搭載しており「アメリカ軍に攻撃されたら、艦長の判断で使用する許可」も与えられていました。つまり、アメリカ軍からの浮上を勧告するための単純な警告(手榴弾を音響信号として海に放り込む)でも、それを潜水艦の艦長が自分に対する攻撃と判断したら、そこで核戦争が勃発するわけです。政治家たちの思惑とは無関係に。
基地建設の情報をつかんだアメリカは、キューバの外側に封鎖線を敷き大西洋のパトロールを強化。潜水艦の探索をすると同時に商船隊の阻止も行なおうとしますが、ソ連は臨検は海賊行為なので行なわれたら潜水艦による攻撃をする、と警告します。そこに出動したアメリカ駆逐艦ブランディに乗っていた士官の一人がこの本の著者です。
著者は、自分の体験に、最近公開された両国の機密文書と実際に作戦に参加していた両国の軍人たちへのインタビューを加えて、事件をリアルに描写します。政治や外交の場面も書かれていますが、やはり海上(および海面下)の描写は、実際に現場を知る者にしか書けないものでしょう。
酸素は不足し摂氏65度にもなる潜水艦内で頭がぼーっとしながらも海上の駆逐艦の動きを読み、もしかしたら自分たちが知らないうちに外界ですでに戦争が起きているのではないかという疑念と闘うソ連の艦長たち。それでも核戦争一歩手前で戦争を起こさないために命令された範囲を超えて努力する軍人……命令を厳密に守るイデオロギーで頭が硬直化したソ連の軍人、というステレオタイプな見方はさっさと捨てるのが吉、です。
アメリカ駆逐艦の乗組員は何を見つけるのかの具体的な指示も無しにソ連船の臨検を命じられ相手からの反撃も想定して命をかける覚悟をしますが、政治家にとってはそれはただの相手国へのメッセージ(ただの政治的芝居)にすぎないという「真相」を知って激怒する艦長の気持ち……同情します。
訳者あとがきに「戦争を賛美するのは政治家だけで、(中略)軍人はたいてい戦争が嫌いだ」とあります。他人に向かって「行って死ね」と言う人はたいてい自分は死なない立場ですからねえ。
潜水艦でOctoberと言ったら私が思い出すのは『
レッド・オクトーバーを追え!』(トム・クランシー)です。そこではソ連には有能な潜水艦乗りがひどく不足していることが書かれていました。しかし『対潜海域』を読む限り、それは穏やかすぎる書き方ですね。ソ連海軍はぼろぼろの状態で艦を運用していたようです。ここで書かれている1961年のK−19(ソ連初の原子力弾道ミサイル潜水艦)の原子炉事故は読むだけでぞっとします(そういえば、この事故を扱った映画もありましたっけ)。最初の原子力潜水艦K−3も火災事故を起こしていますし、文字通り命がいくらあっても足りない状態だったようです。……なんともはや。
私は日本人ですが、その文化的なアイデンティティは、と考えると自信がぐらつきます。来ているのは洋服、食べるのは伝統的な日本食ではありません。寝るのはベッド、着るのはパジャマ……強いて「日本独特」と言えるのは……食事に味噌汁がついてそれを箸で食べる・日本語で考えしゃべる・毎朝神棚に二礼二拍手一礼をする……あと、何かありましたっけ? これで「私は日本人だ」と強力に主張できるのかしら。
そういえば「和服」というのに「呉服店」で売っているのはなぜなんでしょう? 呉(三国志時代の中国の国名の一つ。漢和辞典には漢音と呉音が記載されているのでお馴染みのはずです)の国の服地ですが……というのは『椅子と日本人のからだ』に書いてありました。
【ただいま読書中】
矢田部英正著、晶文社、2004年、1800円(税別)
著者は体操競技の経験者で、そこから身体の制御や姿勢の世界に入り、自ら椅子を作製したりしているそうです。そこで著者は、世間でもてはやされている人間工学に疑問を感じます。人間工学では「正しい」椅子でも体にストレスを与える物はいくらでもあるし逆に「正しい」とされなくても実際に坐れば快適な椅子がいくらでも西洋には存在していること、座禅の結跏趺坐が苦行であると同時にリラックスをもたらす健康法でもあること、など、世の中の「常識」にはどうもおかしなことがありそうなのです。
西洋人では古代ギリシア以来の伝統で直立姿勢が「正しい」姿勢とされます。そこで、坐ったときにも直立時の骨盤の向きを再現することが椅子の目的となります。その時腰椎の「自然な」彎曲が重要となり、その要の位置にある第3腰椎が注目されます。
それに対して、日本人の「正しい」姿勢は、床に座った姿勢です。座の姿勢時の呼吸で強調されるのは丹田で、その真裏にある第5腰椎が身体を支える中心となります(「腰の入った」「腰が抜けていない」状態)。(日本家屋の天井や鴨居や窓が低めに作られるのは、床に座った視線が基準となるからだ、という著者の指摘は頷けるものと思いました。雪見障子なんか、立ってたらただの隙間ですよね)
姿勢は静的なものではなくて動的なもの。従って「理想の姿勢を人に強制する椅子」は、坐って細かく体を動かすことには対応できず、また、坐っているうちに形が変わっていく体にも対応できないのです。著者の思想はまだ未成熟ですが、身体感覚を言葉で捉えようとする試みは大変興味深いものです。
そうそう、ここで紹介されているデンマークの文部大臣が言ったという言葉「いい椅子を使えば子どもたちの姿勢が良くなる。彼らは健康な大人へと成長する。そうすれば医療費の削減につながる。だから学校の椅子には予算を惜しまない」は気持ちの良い言葉です。広い世界を見ている人間が見ない人間にもわかるように使う言葉は、どうしてこんなに分かり易くて力があるのでしょう。言葉で書いてある以上の内容が伝わってきます。
少し前にラジオで言っていました。「思い通りにならないときに生じる感情が、怒り」だと。以来その言葉が私の心に残っています。
たしかに何かが自分の思い通りにならないと怒る人はいます。しかし、悲しむ人もいますし「これは自分に対する挑戦だな」とファイトを燃やす人もいます。喜ぶ人はあまりいないでしょうけれど、喜怒哀楽、どのような感情が生じるかは人によってそれぞれで、それがその人の性格なのでしょう。しかし、生じる感情に一定の傾向はありますが、完全に固定されたものではありません(どんなに怒りっぽい人でも「あらゆる」場合に「必ず」まず怒る、という人はあまりいないはず)。状況によって生じる感情がどれになるかの選択とその強さには変化が生じます。その揺らぎの集積が、個性なのでしょう。
「自分の思い通りにならないとき」の一つに「思いもよらない状況」があります。
「思いもよらぬ」状況……それはすなわち、論理が支配できない状況です。論理が支配できるなら「思い通り」あるいは「予想外ではあっても論理で納得できる」状況のはずですから。
すると、論理が尽きる境界線にオーバーラップして感情が励起される、ということになります。「感情的」という言葉は日本ではあまり良い意味に使われませんが、論理が使えない状況では上手く感情的になる(論理をツールとして使うのと同様に、感情をツールとして使う)ことは、けっこう大切なことのように思います。
【ただいま読書中】
辻由美著、新評論、2004年、2400円(税別)
18世紀。
科学が社会に浸透し、科学を論じることが社会的な運動あるいは一つのファッションとなった世紀。でも、科学と哲学がまだきちんと分離していなかった世紀。イギリスではニュートンの万有引力説、フランスではデカルトが真空の存在を否定して唱えた渦動説が宇宙を統べる法則として受け入れられていた世紀。貴族は一夫一婦制を固く守りつつ、夫婦共に愛人を取っ替え引っ替えすることが「常識」だった世紀。女性は学問の世界からは閉め出され、貴族の子女はレディになることが目的の教育を受け、知的な人はサロンの女主人を勤めるのがせいぜいだった世紀。フーコーによれば、医者が患者に「どうしたのですか?」と尋ねるのをやめて「どこが悪いのですか?」と尋ねるようになった世紀(『臨床医学の誕生』)。フランス革命によって派手に締めくくられた世紀。
そんな時代に生きたエミリは、当時の常識に反して数学・物理学・外国語などの教育を与えられ、それをしっかり自分のものにします。常識にも従ってしかるべき家に嫁ぎ子供を産んだ後は、またまた常識に従って愛人を次々作ります。その愛人の一人が文学者・思想家のヴォルテールでした。
昔のフランスの倫理観が現代とは相当違うことはたとえば19世紀フランスを舞台とした『
皇帝ナポレオン』(藤本ひとみ)にも生き生きと活写されています。一夫一婦の結婚制度と夫婦ともに次々愛人を取り替えることとが見事に両立している様は、なんといいますか……「常識」って何だ?と首を傾げて私はこの話題からは撤退します。
いろいろ事情があってパリを離れ国境付近のシレー城に閉じこもったエミリとヴォルテールは、二人で実験や思索に明け暮れる学究的な生活を行ないます。
エミリは、科学論文を発表したり『物理学教程』を書いたりするだけではなくて(アカデミーが女性に対しては閉じられていた状況を考えると、それだけで大したものですけれど)、ニュートンの『プリンキピア』をラテン語からフランス語に翻訳します。翻訳とはいっても、単純にラテン語をフランス語に置き換えるだけの作業ではなくて、ニュートンが使った新しい数学や古代ギリシア以来の学術書の記述法に対する理解が求められる、非常に難しい作業でしたが、エミリはそれをやり遂げます。
それは、若い世代の伝統への挑戦であり、男性社会への女性の挑戦でもありました。
ただ、この「伝記」、第一章は小説仕立てだったのが第二章から普通の伝記になり、さらに著者のエッセーがそこにちょくちょく侵入してきます。あまり構成が統一されているとは言えません。統一と言えば、主人公の呼び方も数段落ごとに「エミリ」と「シャトレ侯爵夫人」が入れ替わり、読んでいてどうも落ち着きません。会話の部分は色々あって良いでしょうけれど、地の部分は統一しておいて欲しかったなあ。
そうそう、つまらないことも気になりました。シャトレ侯爵夫人が寝るときにネグリジェを着ているという描写があるのですが、当時のフランス上流階級の女性は、裸かシュミーズで寝ていたんじゃなかったかな?(1月30日の日記に書いた『ねむり衣の文化誌』の記憶から)
親戚のお見舞いに、普段だと車で1時間半くらいの所に出かけてきました。
高速道路に乗って10分くらいで白いものがちらちらし始めたと思ったら、あっと言う間に周りは真っ白。「チェーン規制」「冬用タイヤ装着」「50km制限」などとヤな感じの文字列が視界をよぎります。とうとう「チェーン脱着場」と表示されたサービスエリアに強制的に誘導されました。係員がタイヤを一々チェックしていますが、私はかつて雪国に住んでいたときの習性で橋の凍結などにそなえて冬は必ず四輪ともスタッドレスタイヤにしていますから、問題なく通過します。気の毒なのはノーマルタイヤの車たち。路面にまだ雪はないのにチェーンを巻いてごんごん走っています。その脇を普段の速度で走ったら、結局ふだんと同じ時間でついてしまいました。
お見舞いの帰り、昼過ぎになったせいか、雪はやみ光は和らぎ空は明るく、行きは冬だったのが帰りは春です。車はしっかり汚れてしまいましたけれど。
車中で親父がぼつりと言いました。「自分は戦争を実体験として語れる最後の世代だろうが、今の政治家に戦争を語れる世代の者がもうほとんどいないのが気になる」 実体験がなくただのイメージとして語ったり机上の空論をもてあそぶだけでは、悲劇がまた起きるかもしれない、ということでしょうか。
親の世代が死ぬ前に、もう一度しっかり話を聞いておかなくてはいけない、と思いました。
【ただいま読書中】
山之口洋著、文藝春秋、2004年、1905円(税別)
1939年、満州国とモンゴル人民共和国の国境ノモンハンで、日本とソ連の軍隊が衝突します。本当は満州軍とモンゴル軍の衝突のはずですが、お互いに傀儡国家だったから日ソ両軍の衝突と書いて良いでしょう。
地上では日本軍はぼこぼこにやられますが、空ではむしろ日本の方が優勢でした。相手は二倍三倍あるいはそれ以上の物量を繰り出しますが、満州に配属されていた日本陸軍航空隊「稲妻戦隊」は制空権を一度も渡しませんでした。(稲妻戦隊だけで500機以上撃墜しています。その代償として19名を失っていますけれど)
稲妻戦隊の指揮官・野口雄二郎大佐(著者の祖父)は、第一次世界大戦では機関銃中隊に陸軍少尉として配属され青島攻略に参加しましたが、子ども時代からの空へのあこがれが捨てきれず、できたばかりの航空大隊に操縦学生として参加したという変わり種です。当時はまだ飛行機がどのように戦争で活用できるのかが誰にもわかっておらず、自分たちでいろいろ考えて実戦で試すしかない、というとんでもない時代でした。もちろん、地上戦と航空戦の連携という立体的な発想など軍の上層部は持っていません。機関銃中隊出身の野口にとって戦闘機は単なる「空飛ぶ機関銃」以上のものではありませんでした。(同様に、騎兵隊出身の人にとっては「空飛ぶ馬」だったりします)
稲妻戦隊は4つの飛行中隊から成りますが、一つの中隊の戦闘機は10〜13、4つ合わせて約50機です。ずいぶん少ないな、と思いましたが、整備や輜重や警備を入れたらあっと言う間に600人を越える所帯になってしまうわけですから、航空隊と言っても空だけ見ていてはいけないわけです。
それに対してソ連軍は、それこそ100機単位で次々新戦力をぶつけてきます。
圧倒的な物量のソ連軍に対して寡兵で立ち向かい、最大限の成果は上げるが少しずつすりつぶされるように仲間を失っていく……なんとも腹立たしい状況です。しかし、地上はもっと悲惨でした。6万人戦線に参加して2万人の損耗(その内死者は7700)です。日露戦争でさえ歩兵の損耗率は15%だったのに。
しかし、もっと腹立たしいのは、机上の空論としか言いようがない無茶苦茶な作戦を立て本国からの命令を偽造までして兵隊を越境させた参謀たちが出世し、現場の指揮官が「失敗」の責任を取らされた、ということです。口が上手いだけの人間が美味しい汁を吸い、そのツケが真面目に汗をかく人間に回されるシステムは、国益に反するんじゃないかなあ。
家内が突然サムゲタンを作りたいと言い出しました。ひな鳥の内蔵を抜いて、もち米と高麗人参と棗や松の実などを詰め込んで煮た料理です。以前ソウルで食ったときの美味さを思い出して一も二もなく賛成しましたが……材料をどう調達するか、で二人は考え込んでしまいました。東京や大阪なら韓国食材の専門店があるでしょうが、田舎はこういったとき不利です。
鶏は肉屋にあらかじめ言えば何とかなるでしょう。高麗人参は漢方薬局にあるだろうと問い合わせてみましたが、料理用の安いのはなくて(当然ですが)薬品用の立派なのしか扱っていない様子です。近くで手に入らないかとインターネットで検索したらあちこちの掲示板でそんな話題が見つかって、小さな韓国食材店が市内にいくつかあることはわかりました。早速偵察です。最初の店はがっかりするくらい小さかったのですが、そのそばにキムチ店があり、そこでいろいろ面白い食材(青唐辛子とか蕎麦豆腐)が手に入りました。でも、サムゲタンには一歩も近づけません。
3軒目の店が一番品揃えは良かったのですが、それでも高麗人参は適当なのがありませんでした(1500円以上は出したくないのです)。しかたありません。通販で買うか、今度上京したときに韓国広場(歌舞伎町、それとも大久保?)に迷い込むか、と考え中です。そうそう、松の実はスーパーでも売っているのですが、袋が大きすぎるんです。まったく、困ったものです。
【ただいま読書中】
篠田達明著、文藝春秋、1994年、1456円(税別)
北里柴三郎が福沢諭吉の援助の下、個人で細々と始めた伝染病研究所はその実績を認められて内務省管轄の国立研究所となりますが、そのとき北里は大きく育った研究所のすべてを国に寄付してそこの所長に任命されます。ところが北里には敵が多く、複雑な政治的な動きによって「行政整理」(今の言葉なら、行政改革とか構造改革かな)の名目の下、伝研は文部省管轄に無理矢理移管されます。それは野党政友会シンパである北里に対する、文部省・陸軍・与党同志会・帝大(北里に恥をかかされた学者たち)がタッグを組んでの大攻撃でした。それに対して北里は所長の職を辞し、新たに北里研究所を設立、そこに併設した医科は後の慶応大学医学部になります。(伝研は後の東大医科学研究所)
著者は、「正義の味方」北里柴三郎がいかに権力の迫害に耐えたか、という単純な物語にはしません。北里にも問題は多くあり、言葉の行き違いや思いこみや誤解や過去の怨念や単なる好悪によって人が複雑に絡んだ様を描こうとします。小説とはいえけっこう説得力があるなあ、と私は読みました、というか、小説だからこそここまで人を描くことができたのでしょう。
しかし、当時のマスコミの「大活躍」ぶりといい、明治政府の「行政整理」に対するホンネとタテマエの使い分けと言い、100年経っても、日本人は全然進歩していない、のかな?
この本にはもう一つ『正丸峠の帝王切開』という短編もあります。江戸時代末、村の蘭方医が日本で初めての帝王切開を試みる物語ですが……描写が妙にリアルなので、食前には読まれない方が良いと思います。
私は眼鏡と実に40年以上つき合っています。私が自意識に目覚めたとき、すでに眼鏡は顔にくっついていたと言って過言ではありません。
昔は無骨な黒縁しかありませんでしたが、最近はずいぶんファッショナブルになってます。ただ、お洒落なのは良いのですが、枠が小さいのが流行していることが気に入りません。私は視野が広い方が好きなのです。眼鏡の場合、枠によって視野が限定されるのですから、他人から見た私の顔のお洒落度よりも、私が見る世界の広さという機能の方が私にとっては重要なのです。人からまじまじと観てもらいたい、というほどの顔でもありませんしね。
メーカーさん、お願いです。昔タイプのでかい黒縁も在庫は残してください。昨年、目の老化にとうとう負けて、近見用の眼鏡を作りましたが、その店では気に入った枠が見つからなかったため、今まで使っていたのに新しいレンズをはめました(コストの節約、とも言います)。ところが枠が古くて、今まで金具を二回修理して、次回壊れたらもう修理不能の宣告を食らっているのです。車・バイクの運転用の眼鏡は運転が終わればはずすので好みじゃない枠でも我慢できるのですが、パソコンや読書用のはほとんどずっとかけているので、これが壊れたら私はとっても困るのです。
【ただいま読書中】
エスター・ランジェン/ショーン・ウッドワード著、前田祐子監訳、はる書房、1994年、1553円(税別)
1984年1月、イギリスBBC放送「ザッツ・ライフ」のオフィスに一つの電話が入りました。「ザッツ・ライフ」は視聴者の投書(毎週15000通!)から一つを選んでその人の物語を放送する人気番組です。そこに電話をしたのは、重症の胆道閉鎖症で肝臓移植を一刻も早く行なわなければいつ死ぬかわからない二歳の少年ベンの母親でした。
当時子どもの肝臓移植はイギリスでは行なわれていませんでした。アメリカでは実施されていましたしイギリスにもその技術を持った医者はいましたが、ドナーがいなかったのです。子どもの臓器移植のドナーは子どもです。そして、子どもを亡くしたばかりの親に対して「あなたの子どもの臓器を下さい」と言うことは、親の心をさらに傷つける許されざるべき行為と思われていました。
BBCで放送されたベンの姿はイギリス中に反響を呼びました。アメリカで手術を受けるための募金活動が始まりますが、それはまた別の反省を呼びます。「イギリスの人間がアメリカで手術を受けるということは、アメリカで手術を待っている人の順番を奪うことになる。それは許されるのか?」 手術をしない、という選択肢もあります。でもそれは、手術をすれば助かる可能性が高い人に向かって「お前は手術を受けずにさっさと死ね」と命令することになります。ではイギリスで手術を。では、誰がドナーを見つけるのでしょう? 誰が喜んでドナーになってくれるでしょう?
「実際に尋ねてみる」が回答でした。子どもを亡くしたばかりの親に、臓器を提供する意志があるかどうか、相手を傷つけないように注意を払いながら実際に尋ねてみたのです。そこにどんなドラマがあるか、それは本を読んでください。単純な想像や観念よりも現実の方がはるかに深いことがわかるかもしれません。
欧米人はもっとドライかと思っていましたが、じつはとっても感傷的なことが私には意外でした。ただ、日本人のように「それは良いことだ。自分以外の誰かがやってくれ」と逃げたり「自分は反対だけど、世間の風潮がそうならしかたない」と流されるのとは、ちょっと違った社会的な動き方をするのがイギリス人のようです。
そうそう、著者はBBCの人間のくせに、マスコミの人間を平気で「ハイエナ」と呼びます。これはどこの国でも同じなのかな。
内線電話が鳴りました。「おかださん、今から私はちょうど都合が良いので打ち合わせをしたいので、すぐ来てください」 そちらは都合が良くても私は手が離せない仕事中です。「だったら、何時だったら良いんですか!?」 現在進行中の会議や面談やあれやこれやが終わってからでしょうね。
私は電話を切って「無礼者」と心の中で呟きます。声には出しません。無礼者に無礼を指摘しても良い事は起きないと今までの経験で十分学んでいますし、プロとして働いている人間に期待するのは礼儀ではなくて仕事の結果ですから。きちんと指摘してあげないのは不親切? 私自身が「プロとして働いている社会人に躾をする」ために給料をもらっているのなら仕事としてやっても良いですけどね、普通躾は社会に出る前に完了しているべきなんじゃないかなあ。
こういった場合に私が電話をするとしたら、まず所属と名前を名乗る/用件を告げる/相手の都合を聞く/こちらの都合と摺り合わせる、という手順を踏むでしょう。その逆にはしません。それは相手の職階が自分より上でも下でもまったく同じです。
……おっと、私も礼儀は使ってません。ただのビジネス手順を踏んでいるだけです。
……すると私も無礼者ですね。礼が無いのですから。まあ、私は自分が無礼者であることは最初から知っていますし、それで自分が損をするのは甘受するしかないと覚悟を決めていますが、無礼者が他人に向かって「無礼者」と呟くのはおかしいですから、これからはやめましょう。「自分の都合が最優先で、他人がそれに合わせるべきだ」というのは「自分がとにかく楽をしたい」ということで、それはすなわちただの横着者ですから、「横着者」と心の中で呟くことにいたします。でも面倒だから表面上の応対は一切変えません。
……むう、もしかしたら私は横着者でもあるのかな?
【ただいま読書中】
唐澤平吉著、晶文社、1997年、2100円(税別)
偏屈で頑固ででも柔軟で一本も二本もしっかりスジが通っていて美的センスも文章センスも良くて時代や風潮を越えた真実に目を向けて理想だけではなくて現実も大事にしいい加減な仕事は許さず怒鳴りつける……こんなのが上司だったら部下はたまらないぞ、という凄い人が編集室でどのように振る舞い何を語っていたか、新人編集者として採用されて身近で数年間見続けた人の思い出話です。
『暮らしの手帖』のポリシーを作り上げ維持していた名物編集者花森安治の実像の一面が生き生きと書かれています。本一冊分でもたぶん本物の迫力の数百分の一だけがこちらに伝わっているだけなのでしょうけれど。
私は『暮らしの手帖』を、大学に入ってから買い始めました。「この世にこんな雑誌があったのか」と驚きながら隅から隅まで読んでいましたが、数年後に花森安治が亡くなり、それから数年後「どうもテイストが合わなくなったな」とは思いましたがそれでもさらに10年くらい買い続けて、いつの間にか買ったのに読まなくなったのに気がついて買うのをよしました。ただ、あの雑誌から学んだものは多かったと思います。
歴史の主体は生活者である、という思想を花森は持っていたのではないか、と私は想像していますが、私が歴史を見る場合常にそこではどんな生活が具体的に行なわれていたかを想像するのは、きっと花森が隅々まで目を光らせていた『暮らしの手帖』のおかげでしょう。生活の匂いを欠いたタテマエだけの歴史は、歴史の一番つまらないところだけを焼いて粉にして保存したような物です。そんなのをありがたがりたいとは思いません。
いつの間にか梅の季節です。この紅梅はまだちらほらですが、その隣の白梅はけっこう咲いています。私はひねくれ者ですので、今きれいな木ではなくてこれからきれいに咲きそうな木の方を写真に撮りました。雨模様だったせいもあって、ちっともきれいじゃありませんねえ。
【ただいま読書中】
香内三郎著、晶文社、2004年、4200円(税別)
私がこのタイトルで論文を書くとしたら、まずモノとヒトとコトに問題を切り分けるでしょう。モノはもちろん本です。手書き写本と活字印刷のモノとしての決定的な差違は何かを論じて、次はヒト。「読者」が存在するためには「文字が読める人」が存在しなければなりません。印刷による大量生産の本が社会で読まれるためには、識字率が上がりさらに本を購入し読む余裕が人になければなりません。そのためには教育システムと社会の豊かさが……ということで話はコトに。写本と印刷物にはモノとしての差以上に、社会における「存在」(量的なもののみならず質的なもの)に大きな差があるはずです。ヒトにも、ただ黙って他人が暗誦する「物語」を聞いていた人々がなぜ能動的に本を読み始めたのか、その心理の変化と社会的背景は何か、が重要です。それが私の言う「コト」です。
……短気な私が書いたら、あっと言う間に話が終わってしまいそうです。
この論文集は聖書の十戒について論じることから始まります。私と違って著者は悠々としています。出エジプト記の「あなたはいかなる像も造ってはならない。……あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」からキリスト教におけるイメージやイコンについて論じ、それからやっと聖書のテキスト(の解釈)について論じます。
この論文集は九編の論文からなりますが、うち四編が書き下ろしです。論文の中に起承転結があり、さらに論文集として各論文が起承転結を受け持っている構成のように私には見えました。なかなか力業です。
しかし、単にモノを論じればいい、とはいかないところが難しい話題です。17世紀の新聞は、いわばイエロージャーナリズムのような感じですが、それを何人も回し読みするのが普通だったので、発行部数だけでは読者の数はわからないし、手書きと印刷とではその「価値」に差があったり……もう、ややこしくてしかたありません。
しかし、対象が何であれ、「普及」と「質の低下」とは仲の良いお友達のようです。すると現在のお上品な(社会の木鐸である)新聞は、むしろ「不自然」な姿なのかもしれません。
#この本の最初で触れられている宗教改革では、それまで「(大文字の)神」そのものを論じていた旧教に対して「人にとっての神は何か」を論じる新教が生まれたわけですが……私は東洋びいきなので「そんなの3000年前に」と言いたくなります。古代中国周の時代、自然そのものを扱う先天易に対して、人間と自然の関係を扱う後天易が始まりました。視点が人の側にずれるという点で新教と同様ですが、私には後天易の方が新教よりももっと抽象的で形而上的と感じられます。東洋びいきが言うことなので信頼性は低いんですけれど。
刃物を準備して人を殺すことを目的に侵入してくる人間を、どうやったら防げるのでしょう? これは問題を一般化したら「固く決意した悪意を持った人間の意図を、どうやったらくじけるか」になるでしょう。
学校を刑務所のようにします? 高い塀を巡らし、入り口にはガードマン・金属探知器・身体検査……これも一つの有効な手でしょうけれど、なんだか学校にばかり責任を押しつけるのは、レイプされた女性に向かって「あんたに油断があったのが悪い」と責めて防衛訓練や機器の購入を強制するのと似たにおいが私には感じられます。襲われた女性と襲われた学校を同じに見てはいけないのかもしれませんけれど。
しかし犯人は「いじめを看過されたから恨みが」と理由づけをしているようですが……彼の行動は、「とにかく学校で人を殺したい」という目的があってその理由は後付けしたもののように私には感じられました。つまり「原因→結果」の因果関係ではなくて「目的→理由」の合理化(あるいは自己正当化)です。本当に恨みを晴らしたいのなら、恨みを持っている人を襲うんじゃないかなあ。無差別に襲ったって恨みは晴らせないでしょうに。
【ただいま読書中】
逢坂剛著、文藝春秋、2000年、1524円(税別)
逢坂剛著、文藝春秋、2002年、1619円(税別)
渋谷の刑事、禿富鷹秋(とくとみたかあき、通称禿鷹)を主人公としたシリーズです。軽いので休日の午後に二冊まとめて読みました。
一言で言ったら、新宿鮫の死神博士バージョン、かな。仕立ての良いスーツではなくて黒の長マントを着せたくなる悪徳刑事です。長身でなくて筋肉もりもりで格闘技が得意ですからマントは似合わないとは思いますけれど。
その悪徳ぶりと言ったら、つるんで動くヤクザでさえも酸っぱい物を無理矢理飲まされたような表情になる徹底ぶり。タブーとか卑怯とかお約束とか常識、などとはまったく無縁に生きています。計算高く冷酷で自己中心的で突発的に感情が爆発し、でもちらりと情が深いところも見せる……わけがわからない、とにかく身近にいたら困る、というか迷惑をこうむるばかりでしょう。
しかも困ったことに、作品中に主人公の心理描写がありません。下手すると、彼が一人の時の行動描写さえほとんどありません。主に描かれるのは禿鷹の行動に振り回される(そして時には死んでいく)人々の姿です。どんな奴なのか理解しようとしても無駄です。ヒントが与えられませんから。もっとも、ストーリーを追うのに忙しくて、心理に注意を払う暇はなかなか与えられません。
作中に謎解きもありますが、一応ちゃんと伏線は張られています。いや、いかにも伏線でござい、と書いてあるのが笑えるのですけれど、特に『禿鷹の夜』の若い女性のドライバーのシーン、あそこは映画では処理に困るでしょうね。
私が参加しているメーリングリストでたまたまこのイソップの話が出てきたのですが、もし私がイカロスだったら、太陽よりは北風の方がありがたいかもしれません。もちろん飛びたい方向にもよりますけれど。
【ただいま読書中】
佐藤正彦著、講談社、1995年、2524円(税別)
棟札とは、工事の内容・年月日・建築者・大工の名前などを書いて天井裏に釘で打ちつけた小さな板のことです。普通は上棟式のときに設置します。
日本で最古の棟札は中尊寺のもの(1122年)だそうで、記録では天平三年(731年)のものがあるそうですが、こちらはさすがに現物はありません。とにかく日本では古くから行なわれてきた風習で建築史の立場からは情報の宝庫ですが、学術的に注目されたことはあまりないようです。もっとも、学術が建築に熱心に口をはさむと、『木に学べ』だったと思いますが宮大工の西岡常一が「ヒノキだけなら千年もつのにせいぜい三百年しかもたないコンクリートを一緒に使え、と強制されるのには納得いかない」とか「解体復元するとき学者は色々的外れのことを言うけれど、大工だったら釘穴を合わせていけば一発でできる」とか反発を買うことになるのですけれど。
文化財の指定の際など、建立年や改築年とその内容などの情報が必要になり、そのために天井裏を調査する、というのはタテマエで、著者はどうもこういった現場の調査が好きで好きでたまらないのではないか、という雰囲気が行間からぷんぷん立ちのぼってきます。古い寺社や民家の天井裏は煤や埃で真っ黒。そこを天井板を踏み破らないように気をつけながら、同じく煤で真っ黒になった棟札や棟木などに直接墨書された記録を見つけだし、その真贋を判定する……苦労は多いでしょうが、たしかに面白そうです。
しかし、明治時代の神仏分離令を厳密に守った県(たとえば宮崎県)では、神社の棟札の仏教関係の文字が削ったり上から墨で消されているそうで、終戦後の教科書墨塗りといい、日本人は似たことを繰り返し続けているようです。
私が注目している梅の木、少し花が増えました。
【ただいま読書中】
ジリアン・テット著、武井楊一訳、日本経済新聞社、2004年、2000円(税別)
ライジング・サンやセイブ・マネーを思わせるタイトルですが、ここで救われるべきは沈みゆく太陽です。
1998年9月、リップルウッドのティム・コリンズは、ニューヨークから東京に向かう機内で通路を隔てた隣の席に座っているのが、日本で会いたいと望んでいた八城政基(シティコープ・ジャパンの元会長)その人であることに気がついて驚きます。その出会いが、破綻した長銀が外資に買い取られ新生銀行として再生する物語の第一ページでした。もっともこの物語にはその前に長いプロローグがあります。まずは黒船。そして戦後の日本復興。そこで長銀が発展し、そして破綻していく過程が物語られます。
著者は個人に焦点を合わせてこの物語を構成しますが、それは結局「日本」というシステムをあぶり出すことになります。このシステムの特徴は「内向きの和」を最重要視することです。企業間のネットワーク(系列、株の持ち合い、主力銀行、子会社……)は日本の内部を安定させることが最優先で構築され、企業の中では企業内部の人の和を重んじる人が出世します。その結果「波風を立てる」こと、たとえば大きな問題を表沙汰にする・破綻を避けるために大きな改革案を示す、などは嫌われます。その「嫌う」という行為さえ、表立たないように影でこそこそと行なわれます。その結果、解決よりもとりあえず表面を取り繕った上で問題は先送りされがちとなります。(その結果何が起きるかを、著者は皮肉っぽく書きます。たとえば「長銀の死の苦しみは、結局、日本の銀行業界の他の出来事同様、痛々しいまでに引き延ばされた。」とか) そこでは「契約」でさえも、「関係」を上手く維持するための補助具でしかなく、もし関係が上手くいかなくなりそうだったら契約もやり直せばいい、という意識で見られています。
もちろんそれは内だけ見ている限り、安定している限りは、上手くいきます。鎖国をした江戸時代のように。あるいは、規制でがんじがらめだったかつての日本のように。
そこに黒船のようなガイアツが生じたとき、初めて日本は大きく変わることができます。もっとも著者は、その変化を無条件に「良い」ものとしては描きません。実はアメリカの市場だって、外から見たらわけがわからないことが起きていることも描きます。
#単純に「良い悪い」を示そうとせず、日本にはもちろんアメリカにもちょっと距離を置いた書き方だと思って著者略歴を見ると、イギリス出身でケンブリッジで社会人類学を学んだ、とのこと。なるほど、と思いました。
人類学的な手法を他の分野に持ち込んで本を書くといえば、たとえば『
科学が作られているとき』(ブルーノ・ラトゥール)を思い出します。そういえばこの本は科学思想の世界ではけっこう物議を醸したそうですね。トーマス・クーンの「パラダイム」にさえまずは拒絶反応を示した科学思想界ですから、ましてラトゥールを受け入れないのは当然かもしれませんが……歴史のトーマス・クーン、人類学のブルーノ・ラトゥールからのガイアツが無いと変われない科学思想の世界、と図式的に表現することが可能かもしれません。
私の家の洗面台はシングルレバー混合水栓で、一本のレバーを上下したら水量の調節/左右で温度が変わる、となってます。これが便利なようで実は案外不便。いや、健康な成人は良いんですが、たとえば手先が不自由になった老人とか握力が弱い小児だと、なかなか思うような温度と水量に調節ができません。とりあえず出して「あ、温度が高すぎる」と温度を調節したら、今度は水量も変わってしまいます。なかなか思うところに一発で決められません。
さらに……私は真冬でも冷たい水で顔を洗う習慣ですから、前に使った人がお湯を使っていたらレバーをまず右一杯に押しやってから持ち上げます。右利きだから特に何も感じませんが、これがもし左利きだったらどうでしょう。試しにやってみましたが、手首が逆になってやりにくいったらありゃしません。
レバーは正中で、少々手が不自由でも軽く動くようにしてあって(でも思うところでぴたりと止まる)、温度調整は別のレバーかダイアルでワンタッチで好みの温度指定ができるようになっていたら楽なんでしょうけれど、今度は老眼の身にはダイアルを読むのが大変ですね。なかなか簡単な解決方法は思いつきません。
【ただいま読書中】
渡辺信一郎著、新潮社、2002年、1100円(税別)
雪隠や用便に関する古川柳を集めて、江戸のトイレ事情を明らかにしよう、という面白い本です。
お江戸では庶民は裏店の長屋に住んでいましたが、そこにあるのは共同トイレでした。板囲いで扉は半戸(腰の高さくらいまでの戸)です。中でしゃがめば姿は隠れるけれど、外から近づけば簡単に覗きこまれてしまいます。落ち着いて用が足せないのでは、と思いますし、実際女性が困った様子を詠んだ川柳も残されています。(ちなみに、京都大阪では半戸ではなくてちゃんと上までの戸でした)
そういえば米軍基地の公開日に入ったら、トイレでびっくりしたのを思い出しました。通路を挟んでずらりといわゆる個室が両側に並んでいるのですが、簡単なパーティションだけで扉は無いので用便中は向かいの人と目が合うのです。ちょっとこれは使いづらいな、と思いましたっけ。さらにそういえば、職場旅行で中国に行く前に「中国の共同トイレは仕切りが全然なくて溝が掘ってあるだけだった」と脅かされていたのですが、私が立ち回った先では日本と同じ水洗便所だけだったので助かりましたっけ。
さらにさらにそういえば、昔寒冷地に住んでいた頃のことです。当直明けで36時間ぶりくらいに帰ると、家の中で水道管が破裂して台所の流しから蛇口まで氷柱ががっちりできていたことがあるような環境でした。当然トイレも凍ります。昔懐かしい汲み取りトイレでしたが、冬の間少しずつ下から凍りついた富士山が成長してきてお尻を脅かされる思いでした。凍っているから臭くなくて良かったんですけどね。
女性の場合、野掛け(ピクニック)のときのトイレ探しも大変だったようです。首尾良く農家のトイレを借りることができた場合も、せいぜい大きな木樽を地中に埋めてその上に板を二枚渡しただけの粗末なものですから、使いにくくて仕方ありません。見られないように・落っこちないように、気を使って大変だったでしょう。
お尻を拭くのも、紙・浅草紙(再生紙)・藁・縄・木や竹のへら、と色々でしたが……しかし木片やへら? 痛そうです。しかも洗って再使用です。むううう。
そうそう、ある川柳の「なり」は助動詞の「なり」ではなくて「形(なり)」である、という指摘には、ぽんと手を打ってしまいました。川柳に限らず俳句や短歌でも「なり」にはそんな使い方があるかもしれませんね。
画面に向かってぶつぶつ言っていると家族に「あ、またWindowsに文句を言ってる」と笑われます。はいその通りです。画面に文句を言っても仕方ないのはわかっているのですが、ついつい言っちゃうんです。「また遅くなった」「なんでお前はそんなに不安定なんだ」と。
それでもXPになって文句の頻度はずいぶん減りました。10日〜2週間に一回くらいになったかな。95や98SEの時には確実に数日から1週間で動きがおかしくなるので再起動をかけていましたから、ずいぶん快適になりました。Me? そういえばそんなのもありましたねえ。ちょっと使ってすぐに98SEに戻したので、その存在は私の記憶からはデリートされております。なんで98SEに戻したかの理由ももう忘れました(というか、思い出したくありません)。
しかしWindowsはどうしてこんなに使っていていらいらさせられるのでしょう。頭の固い官僚窓口みたいです。
これをしろ「ちょっとお待ち下さい」「本当にこれをしたいのですか」これをしろと言ったでしょ?「本当にしたいのですか」「お待ち下さい」「お待ち下さい」「お待ち下さい」「不正な処理が行なわれました」ミスったのはお前やぁ!
考えてみたら私はどうしてWINを使っているんでしょう? 職場でMS-Officeを使っているからファイルの整合性を考えていたのですが、マックだってMS-Officeは動いています。愛用しているAirCraft(@nifty接続ソフト)はWIN専用ですが、もうすぐ@niftyがTTYを廃止して慣れたフォーラムやPATIOはなくなるのでそれを機会に私は@niftyをやめるかもしれません(メールアドレスを一つ残すかどうかは考え中)。インターネット接続にはIEではなくてOperaを使っています。強いて言うなら今使っているWIN用のエディタは捨てにくいくらいです。手になじんでいる筆記用具は変えたくありませんから。でも、新しいのでも良い製品ならきっと使い込めば慣れるでしょう。
なんだ。ぶつぶつ文句を言っているくらいなら、次のマシンを別のOSにすれば良いんじゃないですか。現在階下で数年前のiMacが「もうくたびれたよぉ」と悲鳴を上げているから、お金を貯めてMacOS-Xのマシンに買い換えかな。linuxを今から覚える気力もありませんので。おっと、MacOS-XはUNIXの一種でしたっけ。
【ただいま読書中】
『月刊アスキー 2005年3月号』
アスキー・コーポレーション、2005年、980円(税込み)
特集1 PCユーザーが欲しくなる 安くて遊べる Mac mini
特集2 「液晶」 激安液晶は買いか?新技術の買い時は?
付録 最新用語辞典2005
とりあえず最初に読んだのは、連載「 ってこんな仕事」。変なタイトルです。自称「語彙が少ないライター」山崎マキコが、毎回違った職場に一日お邪魔して密着取材をする、という企画です。体を張っています(たとえば牧場のときには本当に大変そうでした)。で、タイトルの頭の空いたところにそのとき取材した職場が入ります。今回は「たのみこむ」(企画を企業に持ち込んで商品化してくれるように頼み込む会社)だったので「たのみこむってこんな仕事」です。毎号タイトルが変わる連載です。
……昔、スポーツ雑誌のナンバーが「ナンバー1」「ナンバー2」と雑誌名を変えることをウリにしていたらお上から「雑誌名は固定すること」と指導が入って泣く泣く「ナンバー」を正式名称にしてその脇に号数をつける、というふつーの形にしたことを思い出してしまいました。
しかし今月のは、なんかまともに取材してまともに会社の仕事紹介をしているなあ。いつもだったらもっと力のこもった自虐が入るのに……山崎さん、調子が悪いのかしら?
今日も夫婦で映画に行きました。『
オペラ座の怪人』です。夫婦50割引でほくほくしながら入場したら、けっこう客が入っています。ずいぶん女性客が多いと思ったら、今日は女性デーで女性は最初から1000円なのね。これで映画館は儲かっているのかしら?
劇団四季の舞台で初めて観たときには(名古屋でした)クリスティーヌに感情移入してしまいましたが、その後
ガストン・ルルーの原作を読んだらこんどは怪人に感情移入するようになってしまい、二回目に舞台で観たときには(こんどは広島)もう心が乱れて最後は涙が止まらない。で、今回はどうなるかと思いましたが、いやあ良かった。(ほぼ)同じストーリー同じ楽曲なのに、映画ならではの表現が多く用いられています。クローズアップも効果的で、薔薇や指輪の存在が生きています。……しかし、普通は「今」がカラーで思い出の場面がセピア色になるでしょうに、ここでは「今」をセピア色にして思い出をカラーにしますか。いや、それが最後にまた効いてくるのが洒落てます。
しかし、オペラ座が舞台なのに典型的なオペラの発声(イタリア式かドイツ式かを聞き分ける耳は持っていません、と威張るおかだ)で歌うのは二人だけで、しかもそれを思いっきり下手に歌わされてるのですから(否定的な意味ではなくて)たまりません。「音楽の愉しみ」です。
ストーリーも冷静に考えたら無茶苦茶です。こんなことあり得るわけないです。でも、音楽の力で心はあっさりと流されていきます。アンドリュー・ロイド・ウェーバーは天才です。ラウルの姿から見ると、墓場のシーンはもうちょっと後に入れるつもりだったんだろうな、なんて妙に冷静に判断しちゃいますが、もうこうなったらそんなことはどうでもいいです。良い映画の激流は全てを押し流すのです。
クリスティーヌ役のエミー・ロッサムは初めて見ましたが、運命に翻弄されてでも自分を失わないところを表現する演技は上手いですね。歌も上手いしこれでまだ18歳? これからが気になる人です。
そうそう、パンフレットにも書いてありますが、劇中劇「ドンファン」の「ポイント・オブ・ノー・リターン」のシーン、エロいです(笑)。お子さまにはわからないでしょうけれど。
【ただいま読書中】
延広真治・山本進・川添裕編集、岩波書店、2003年、3000円(税別)
今はお笑いブームだそうで、たしかに若手の芸人がたくさん出てきています。私はドリフターズやコント55号で育ったので、熱演をTVで見ながら「今のも面白いけれど、まだまだだな」などといっぱしの口を利いていますが、それでも思わず爆笑することがよくあります。ただ。一人で勝負するピン芸人を見ていると「落語を聞きたいなあ」と思うこともしばしば。いや、瞬間的には面白い人が多いのですが、たとえば「1時間やれ」と言われて困らないピン芸人がどのくらいいるか、と思ってしまうんです。落語家だったら大ネタをかければいいんですけどね。もっともそれだとこんどはTV局が困りますね。CMが入れられませんから。
同じ噺を何回聞いても笑えるのに、違う人がやったら笑えないこともある……落語は不思議です。クラシック音楽に似てますね。同じ曲でも演奏家によって聴衆の反応が違います(何聞いても同じ反応しかできない奴は、劇場には来るな!)。そのへんのメカニズムを真面目に研究して立派な本を作った人には悪いのですが、私にとってやはり、落語は研究した結果を読むものではなくて、落語家が語るのを聞くもの(そして笑ったりほろりとするもの)です。もちろん、宗教に関して宗教家と宗教学者があるように、落語にも落語家と落語研究家が必要なことは否定しません。というか、記録はしっかり残しておかないといけないでしょう。話芸ですから一度失われたら取り返しが尽きませんので。
この本は主に「落語はなぜおもしろいのか」に焦点を絞っています。第2巻は『名人とは何か』、第3巻は『落語の空間』となっています。続刊を読むかどうかは考え中、というか、図書館がしばらく休館なのでどちらにしても借りに行けません。
昨日、1000番目の足あとを記録されたのは、ねずみさんでした。
友だち少ないしろくにおもてなしもせずにひたすら日記を書くだけという無愛想なページに、皆さんお越し下さってありがとうございます。これからもぼちぼちとマイペースで書いていきますので、よろしかったらこれからもおつきあい下さい>おーるm(._.)m。
25日(金)「風邪をうつされた」
今年はインフルエンザの出足が遅かったようですが、それでもちゃんと流行し始めたようですね。A型とB型が同時に流行したり、症状がずいぶん軽い人が多かったり「インフルエンザの特効薬」が効きにくかったり、なんだか妙な流行のようですけれど。
そういえばよく「風邪をうつされた」とこぼす人に出会います。たしかに誰かからうつされるから流行なのですが、さて、そういった人が目の前にいる人(たとえば私)に現在進行形でかぜを「うつしている」ことに対して何か特別な意識を持っているとは思えないのが多いのは、なぜでしょう? 人は「被害者」であると同時に「加害者」であることが可能です。これは風邪に限った話ではありませんけれど。で、その両方にちゃんと目配りをするのは、やっぱり困難なことなんでしょうね。
【ただいま読書中】
山田風太郎著、文藝春秋、平成七年(1995年)、1500円(税込み)
収録作品
室町の大予言
室町少年倶楽部
最初の『室町の大予言』は、嘉吉の乱(足利将軍義教を赤松満祐が殺害した事件)を扱っていますが、著者はなんとそれを本能寺の変と重ね合わせて描いています。どう重ねているかと言えば、それは読んでのお楽しみ。
『室町少年倶楽部』は、嘉吉の乱の数年後から応仁の乱前夜までを描いています。無邪気に遊んでいた10歳の将軍義政(幼名三春丸)と6歳の日野富子、それを見守る16歳の管領細川勝元と侍女のお今、それが数年後には……著者が作中で自ら書いていますが「人は変わる」のですねえ。それはしかたの無いことなのでしょうけれど、人間関係のこじれが結局天下の乱れをもたらしたのか、それとも天下の乱れが人間関係にも悪影響を与えたのか、どちらにしても巻き込まれる人々には迷惑な話です。
装丁(多田和博)がとてもきれいです。表紙は満開の桜の花が風に揺れているところをスローシャッターで撮影したようなイラストになっていて、表紙を開くとその裏側には金箔銀箔が散らされています(専門用語があるはずですが、無知なので固有名詞が書けません)。で、その間に風太郎の世界がサンドイッチされているという……ミスマッチなのかぴったりなのか、微妙です。
花は、咲きそして散ることで季節(とき)を知らせる時計のように私には思えます。ゆるやかに動く文字通りの「花時計」です。
桜は派手な時計ですね。どんと咲き誇ってさっと散る。1年で10日だけ仕事をしてそれで良い評判を維持しているのですから大したものです。
まあ、桜には桜の、梅には梅の、チューリップにはチューリップの良さと悪さがあるわけで、一つ一つ比較するのはやめましょう。
今日は朝方雪が舞いました。凛とした凍気を撮す術を持っていないのが残念ですが、写真の白いちらちらは、ホワイトノイズではなくて雪です。
【ただいま読書中】
藤木久志・宇田川竹久編、国立歴史民俗博物館監修、東洋書林、2002年、3200円(税別)
目次
第1部 戦いと表象
日本列島原始古代武器副葬の展開と社会的緒カテゴリーの形成 松本武彦
戦いの標識──日本中世の甲冑を中心として── 近藤好和
日ソ関係のなかのモンゴル民族 木村英亮
第2部 戦術の展開
古代山城と対外関係 安倍義平
城郭研究の行方 千田嘉博
高島流砲術から三兵戦術への展開 梶輝行
第3部 攻撃と防衛
戦国民衆の城籠り 藤木久志
牧畜民による農耕民への襲撃と略奪 福井勝義
沖縄戦における民衆と日本軍隊・アメリカ軍隊 池田榮史
付論
戦争の人類学的観察 坪井正五郎/佐原真解説
先史社会の戦い ゴードン=V=チャイルド(金関恕訳)/佐原真解説
このシリーズは歯ごたえがあります。TVや映画の合戦で両軍がすぐに太刀をかざしながら激突するのはリアルではない、というのは、このシリーズの3巻までのどこかで戦傷分析の論文を読んで私は初めて知りました(鉄砲伝来前は弓矢・投石、伝来後は鉄砲・弓矢の飛び道具で大きなダメージを与えておいて、それから刃物(それも刀より槍)の出番だったそうです)。また、鎌倉時代には合戦で「馬を射る」のは卑怯とされていましたが、そう言われるのは実際にする奴がたくさんいたから、というのもこのシリーズ中。戦争を語るのもなかなか大変です。(「する」のはもっと大変でしょうけれど)
で、3巻では話が終わらず「戦争と知識体系」というテーマで研究を続けた結果がこの本だそうです。話は古代から現代のエチオピア(第3部の福井勝義の論文)まで広がりをもっています。このように歴史的で学際的な研究は、私のストライクゾーンど真ん中です。
しかし、最後から二つ目の論文に紹介されている岡倉天心の「西洋人は、日本が平和な文芸に耽ってゐた間は、野蛮国と見倣してゐたものである。然るに満州の戦場に大々的殺戮を行なひ始めてから文明国と呼んでゐる」という言葉は、歴史を眺めると、まことに皮肉でしかも考えさせられるものです。
タイトルを見て私がまず想起したのは、墨家でした。春秋戦国時代、防衛のみに特化した思想と技術を売っていた集団です。その防衛力の高さは現在に「墨守」という言葉を残しています。当時は諸子百家の中では儒家と並ぶ有名度だったそうですが結局歴史の中に消え去っています。守るだけ、というのは人気がないのでしょうか?
墨家の次に想起したのはガンジーです。自分自身の尊厳を「不服従」という形で主張し、同時に「敵」の尊厳も「非暴力」で主張する……彼の思想を実践するのは少々の信念や覚悟では足りません。よほど強い人間でないと無理。
高校時代に「王制・貴族制・民主制、どれがベストか」と友人と議論したことをふと思い出しました。王は独裁になって貴族は集団無責任体制になって民主は衆愚になる、でしたっけ。民主主義絶対論者から見たら「敵」の独裁制でも「良い独裁者(『銀河英雄伝説』のラインハルトを例として挙げてみましょう)」だったら問題は少ないけれど逆だったら人々は不幸のどん底です。民主制でも、理想的に運用されたら一般市民は幸福でしょうけど衆愚政治になったら不幸な人がどかどか増えます。結局どの制度にも、利点もあれば欠点もあるわけです。それは制度に内蔵されている問題ではなくて、どんな政治制度でも、腐った運用をしたらそれは「悪い」制度、というか「悪い運用」をされている制度なのでしょう。
つまり、どれかの制度の熱狂的なファンには嫌われるかもしれませんが、私にとっては「どの制度か」よりも「政治がいかに運用されるか」の方が大きな問題、と思えるのです。
で、どんな運用が良いかというと……
封建制度でも民主主義でも独裁制でも、「思想の自由」「表現の自由」が保証されているのならそれは私にとっては「良い」制度(良い運用をされている政治制度)となります。あとは、基本的人権の保障(最低線は現在の日本国憲法にあるもので、さらにプライバシー権などを追加したいな)も入れたいけれど、あまり贅沢を言ってもしかたないのでこれくらいにしておきましょう。
そうそう、民主主義と一口に言いますが、たとえば日本のは封建制をベースにした社会主義的民主主義だし、アメリカのは期間限定独裁者を選択する民主主義と私には見えます。
【ただいま読書中】
小嵐九八郎著、実業之日本社、1999年、1900円(税別)
昔むかし、ドジなウサギが切り株にぶつかって目を回しました。それを見た農民は切り株のそばに座り込んで次のウサギを待ちました。有名な待ちぼうけのお話です。
この農民は宋の国人でした。それ以外にも、稲の苗を早く育てようと引っ張って枯らしてしまった宋の農民の話とか、宋襄の仁とか、宋には間抜けな人が揃っているようです。
宋にそれだけ間抜けな人が揃うには、理由があります。
話は約3000年前に遡ります。殷は周に滅ぼされましたが、当時の中国には「子孫が祀らない祖霊は祟る」という迷信がありました。そこで周は殷の王室の生き残りを僻地に封じそこで祖霊の祀りをするように命じました。その地が宋です。殷は悪逆非道ゆえに天から見放されて滅んだ、というのが周の公式見解ですから、宋の民は周囲から軽んじられ差別されます。それゆえ「宋人はアホである」という話が広く流布することになったのでした。
杞憂で有名な杞の国も同様の事情があるそうです。
#誰かに対する「悪口」「悪い噂」「良くない評判」を聞くと人はそういった言説の対象の方に注目します。「そんなことを言われるとは、きっとそれだけの理由があるに違いない」と。しかし、判断の根拠が明確に添付されている場合は別として、それらの言説の内容が真実かどうかは実はあまり重要なことではないのかもしれません。むしろそれを「語る側」が一体どんな立場にいてどんな考えを持っているか、がその言説によって多く物語られているのではないでしょうか。
それはさておき……
秦が勢力を増し、諸国が合従や連衡でそれに対抗しようとし、諸子百家が各地で活躍していた時代、宋に荘周(後の荘子)という人物がいました。この本では、荘周の義弟にして六番目の弟子である杜震の目を通して荘周の極めて人間くさい姿が生き生きと語られます。
愛と性に関してもしつこく語られますが、これはずいぶんモダンに処理されています。二千数百年前の人々の性愛感覚は再現不能でしょうし、もし再現できたとしてもこんどは読者の我々の方が共感不可能な可能性が強いので、モダンに処理するのは仕方ないことでしょうけれど。
そうそう、人肉食についても何回も触れられていますが、(『
大江戸死体考』(氏家幹人、平凡社新書)を信じるなら)日本人も江戸時代にはヒトの生き肝(胆嚢を陰干ししたもの)を日常的に薬として食っていたそうなので(飢饉の時にはまた別の話があったことでしょう)、「人を食う」ことに関してはあまり偉そうなことは言いません。
ただねえ、この本での老子の扱いは……いや、こういった設定もアリだとは思います。思うんですけど、やっぱり思想の色が違いすぎるような気が……