2005年3月
 
1日(火)イラク
 ひどいテロが続いていますが、いっそイラクは四分割したらどうでしょう? スンニ派・シーア派・クルド人の領土に分割して、でもそれだと経済的に全部が苦しいでしょうから、油田地帯はアメリカ領にするのです。これで皆はそれぞれの自治区が手にはいるし、アメリカは石油の利権が手に入るし、石油利権の上がりの一部は他の三地区に自動的に分配することにすれば、全員望みがかなうんじゃないかしら。本当はアメリカ領ではなくて国連統治にしたいところですが、それだとアメリカが黙ってはいないでしょうねえ。
 
【ただいま読書中】
「イチョウ精子発見」の検証──平瀬作五郎の生涯
本間健彦著、新泉社、2004年、2300円(税別)
 
 1996年東京大学安田講堂で「イチョウ精子発見百周年記念市民国際フォーラム」が開かれました。この催しがきっかけで著者は「イチョウが精子で受精する(多くの植物は、花粉管を伸ばして受精する)」「発見者は平瀬作五郎という日本人である」事実を知って驚くと同時に、なぜ自分がそのことを知らなかったのか、自分の周囲もそのことを知らないのはなぜか、という疑問を抱きます。著者は学校の教科書を時代別に並べて調べますが、生物の教科書にそれらの事実が記載されるのは1990年代からだそうです。では、なぜ100年前の大発見が、一般に対しては「封印」されていたのでしょうか?
 
 19世紀、精子による有性生殖を行なっているのはソウ類・コケ類・シダ類などの下等植物のみ、と思われていました。ただ、裸子植物の生殖器の特異性から、それらの中に精子で受精する種が存在するのではないか、と予想したのはドイツのホフマイスターです。その仮説を受け、イチョウを眺めて受精の瞬間を見極めてからギンナンをカミソリで切りまくって研究したのが、東京帝国大学理学部に画工として採用(待遇は助手)されていた平瀬でした。
 植物が花粉管で受精しようが鞭毛を持った精子で受精しようが、それは分類上の問題に過ぎないではないか、と素人には思えますが、進化の文脈で読むと別の意味が生じます。太古に海から上陸した植物がどのように陸の環境に適応していったかを解明する重要な手がかりになるからです。
 平瀬は1896年にイチョウの精子を発見し国際学会に報告します。当時やはり東京帝国大学に勤務していた牧野富太郎はのちに「平瀬の発見は犬も歩けば棒に当たる程度の素人の僥倖」と表現していますけれど、実は決して偶然の結果ではありません。イチョウに精子が存在することがわかっている現在でも「精子を顕微鏡で見るためには、バケツ三杯分くらいギンナンを切れば、やっと見ることができるかも」と言われているくらい難しい作業だそうです。
 しかし、平瀬の業績は、海外では高く評価されましたが、国内ではほとんど黙殺状態でした。
 そして1897年、平瀬は帝国大学を退職して滋賀県尋常中学校に就職(著者は「左遷」と表現しています)。一体日本国内では何が起きていたのか? 在野の研究者から帝大に採用された牧野富太郎は教授たちから露骨ないじめを受けていました。まして画工あがりの助手で本来は研究者でもなく学位もない平瀬が一級の業績を上げたら当時の権威主義の帝大でどのように扱われたか……
 
 1911年、島津製作所は技術誌「サイエンス」を刊行しますが、第一号から平瀬の「公孫樹の受精」という論文を連載します。当時平瀬は、海外では評価が高いが国内では都落ちしたただの中学教員です。その当時南方熊楠と共同研究はしていましたが、結局それは実を結んでいません。その人に顧問就任と論文執筆を依頼するとは……島津製作所はレントゲン博士がX線を発見して10ヶ月後には日本で初めてレントゲン写真を撮影しているし……百年前からそんなセンスを持った企業だったんですね。
 島津の「センス」が証明されたのは翌年です。平瀬に続いてソテツの精子を発見した帝国大学教授池野成一郎が1912年その業績によって恩賜賞の候補となったとき「平瀬が受賞しないのなら自分も受けない」と断ろうとしたため二人の同時受賞となりました(賞金は半分ずつ)。
 「人を見る目がある」人も、少数だけどちゃんと存在するのですね。それが救いです。
 
 
2日(水)らしさ
 昨日の日記を書いたあと、どこかで聞いた「男の嫉妬は実はすごい」というフレーズを思い出しました。平瀬が受けた仕打ちは「男の嫉妬」によるものだったのかもしれません。
 それとは別に、そのフレーズ中の「実は」の部分も気になります。「実は」が成立するためには、「男の実体は嫉妬深い」「しかしその嫉妬をタテマエとしては人前で出してはいけない」「だけど、条件が揃うと心の中に発生する」「だけどタテマエとしては出してはいけない」「だから表からは見えないように、陰にこもったどろどろした形で吐き出されてしまう」という条件が揃う必要があります。つまり、「男らしい」とか「男らしさ」は嫉妬などとは無縁のはずなんですが、実際の男はそんなに「男らしい」ものではないのです。
 
 ここまでは誰でも見えることでしょう。もう一歩考えてみます。
 
 「男」に「男らしさ」を求めるのはなぜでしょう? 「男のくせに」とか「男らしくない」という非難とか、社会は男に男らしさを求めているように私には見えます(現在完了形)。だけど、男に男らしさが本来備わった物なら、別に社会がそれをあらためて求める必要はないはず。求めなくてもあるのですから。
 ……すると、「無い」から求めなければならない、のでしょうか。
 本来は怯懦で優柔不断で感情的で嫉妬深い生き物を、なんとか男社会で活かすために社会で共有する幻想として「男らしさ」が強調あるいは強制された、というのが真実?
 
 では、もう一歩。
 
 ………………すると……「女らしさ」が強制される存在って本来は………
 ………なぜか悪い予感がするから考えるのはやめることにします。私は臆病者です。
 
【ただいま読書中】
『レントゲン回顧』
島津製作所医用機器事業部、平成六年(1994年)、非売品
 
 昨日の日記を書いていて「そうそう、こんな本があったっけ」と思い出して本棚を検索して見つけてきました。レントゲン発見100周年(1995年)を目前にして、それを記念して編纂された本です。
 
 1869年、チューリッヒ工業大学を卒業したレントゲンは、同大学のアウグスト・クント教授の下で空気の比熱の研究を始めます。以後ベンゾール・エチルエーテル・アルコールなどの圧縮率や水分子の研究をし、1893年ウルツブルグ大学総長に就任してから陰極線の研究に手をつけます。
 当時陰極線の研究を行っていたクルックスは陰極線を投影したガラス壁の写真を撮ろうとしましたが乾板がかぶってしまってどうしても成功しませんでした(1878年)。ヘルツは陰極線が薄い金属箔を透過することを発見しました(1892年)。レーナルトは陰極線をクルックス管から外に取り出すために真空管に金属箔の窓をつけたレーナルト管を作りました(1894年)。
 レントゲンはレーナルト管から陰極線が出ていることを確認するために、レーナルト管の側に置いた蛍光板が光ることを確認しました(これは多くの人がやっていたことの追試です)。次に、クルックス管から陰極線が出ていないとされていたのを確認するために蛍光板を設置しました。蛍光板は光りました。レーナルト管の場合は数センチの到達距離だったのにクルックス管の場合はもっと遠くまで。さらにクルックス管と蛍光板の間に挟んだノートや木片や手の透過像が蛍光板に写ります。レントゲンは陰極線とは違う不思議な放射線が出ている、と考えました。エックス線の発見です。1895年11月8日でした。
 
 翌年中に欧米で発明されたレントゲン関連の物品。
 増感紙、両面乳剤のフィルム、ターゲット角度45度のガス入りX線管、X線ブロマイド紙、透明フィルム、タングステンカルシウム蛍光板、X線立体写真・(立体写真を見るための)立体鏡……現代に通じるものが早くも1896年中に続々と登場しています。
 日本に「X線発見」のニュースが上陸したのは、1896年(明治29年)2月20日頃だったようです。東京帝大理科大学と第一高等学校のグループがその年中にX線撮影に成功します。それに対して関西では、当時京都には帝大は無く第三高等学校の教授が実験をしようとしますが設備も不十分だったため電源設備のある島津製作所で京都府立医学専門学校の教諭がドイツから持ち帰ったクルックス管を使って実験が行なわれ、10月10日に撮影に成功します。起電機を八分の一馬力のモーターで回して高電圧を得たそうですが、よくもまあそんな設備で(失礼)成功したものだと感心します。島津は1897年に教育用X線装置の製造販売を開始。1909年(明治42年)には国産初の医用X線装置を陸軍千葉国府台衛戌病院に納入します。
 ノーベル賞で妙に有名になってしまいましたけれど、こんな企業が日本にあることはもっとまともな形でも知られていいんじゃないかなあ。
 
 
3日(木)貧乏な豊か
 景気はなかなか回復しませんが、それでも日本は「豊か」な国のはずです。少なくとも、昔のことを思うと様々なものが豊富に身近に存在しています。
 昔は商店の入り口に傘立てがありましたが、今では細長いビニール袋に傘を包んで持ち込むようになりました。勝手に傘に袋をかぶせてくれる自動機械まであります。おお文明の進歩豊かな国、と言いたくなりますが、要するに表に置いておくと簡単に盗まれるのが問題なのでしょう。自転車も鍵一個では不安です。最低二個はつけたくなります。それでも盗まれるときには盗まれます。
 豊かだから物が溢れる、だから盗みのチャンスが増加する、なのかもしれませんが、本当に豊かだったら他人の物は勝手に持って行かないでしょう。すると日本は実は貧乏なのでしょうか?
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050224i305.htm には「経済産業省の2002年の全国調査によると、書店1店当たりの万引きの被害額は年間約210万円。防犯カメラ設置や警備員配置などの費用も書店経営の大きな負担となっている」とありました。
 「万引きくらい大目に見ろ」と言う人もいますが、とんでもないことです。「万引き」の語感が軽いのかもしれませんからきちんと「窃盗」と表現しましょう。窃盗は犯罪なのだからきちんと刑法で処理し賠償もさせましょう。書店の経営がこんなことで苦しくなるのは、本好きの人間にはたまりません。
 
 映画「自転車泥棒」の時代から、ずいぶん私たちは遠くに来ているようです。
 
【ただいま読書中】
消えた受賞作 直木賞編』(ダ・ヴィンチ特別編集7)
川口則弘編、メディアファクトリー、2004年、1500円(税別)
 
収録作品
天正女合戦 海音寺潮五郎(昭和11年上半期)
雲南守備兵 木村荘十(昭和16年上半期)
蛾と笹舟/山畠 森荘已池(昭和18年下半期)
ニューギニア山岳戦 岡田誠三(昭和19年上半期)
刺青/面 富田常雄(昭和24年上半期)
執行猶予 小山いと子(昭和25年上半期)
虹 藤井重夫(昭和40年上半期)
 
 ホームページ「直木賞のすべて」を運営する編者が、直木賞を受賞したにもかかわらず現在入手困難な作品ばかり集めた中・短編集です。なぜ「消え」てしまったかの事情の説明(推察)や「受賞作の総数、それは誰にもわからない」などのマメ知識も豊富に散りばめられています。これ一冊読むだけで直木賞については相当色々語れるようになるでしょう。
 
 作品を読んだ感想ですが……さすが直木賞素晴らしい作品揃い、と言いたいところですが……昔はこれくらいで賞が取れたのか、と思わず言ってしまいたくなった作品もあったのは、内緒です。
 ……すみません。学校の作文コンクールでも賞がもらえなかった人間が偉そうなことを言ってしまいました。
 
 
4日(金)陰謀
 「アメリカのアポロ計画による月着陸は嘘だ、すべてはアメリカの陰謀だ」という説があります。まるで映画の『カプリコン1』をそのまま真実として信じたような説ですが、その真偽に私はあまり興味は持てません。バーチャルとリアルを混同しているのか、それとも「……かもしれない」という可能性と「……である」の事実を混同しているのか、ともかくその説の信者が上げる「論拠」に説得力を感じないのです。将来また誰かが月に行って、そこでアポロの台船や足跡が確認できれば、何が「真実」かはその場でわかるでしょう。できたらそれが私がまだ生きている内であることを望みます。というか、「アポロが嘘かどうかを暴くツアー」というのをどなたか企画しませんかねえ。全世界から参加した「アポロは嘘だ」派と「真実だ」派が両者全財産を賭けてロケットを打ち上げて、最初に規定した地域を探索、最初に規定した証拠が見つかったら「真実だ」派が、見つからなかったら「嘘だ」派が全掛け金を取るのです。これだったら、すっきりしません?
 
 むしろ、私から見たらアポロの「突然の中断」の方がよほど不自然で陰謀説を唱えたくなります。あそこまでやっておいて、なんでやめちゃうんでしょう。次は月基地でしょうに。それがアポロ以後は月をまったく無視して、宇宙ステーションや火星や彗星の方に目を向けるのは、なぜなんでしょう? 「陰謀」がお好きな皆さんは、こちらの方がよほど面白い作品が作れると思いますよ。
 
【ただいま読書中】
遠き雪嶺
谷甲州著、角川書店、2002年、1800円(税別)
 
 大正12年、立教大学に山岳会(後の山岳部)が創設されました。少人数の部でしたが、冬の日本アルプスで次々めざましい実績を上げ「冬山の王者立教」と呼ばれるようになり、ついに彼らの目は海外に向きます。ヒマラヤ挑戦です。
 しかし、時代は暗くなっていました。昭和恐慌、満州事変……そして彼らが本格的にヒマラヤ挑戦のための活動を開始した昭和11年には2・26事件。どんどん濃くなる時代の暗さに追われるように、彼らは山を目指します。「東北では生活苦のため娘を売る人がいるのに、山なんかに登っていて良いのか」と自問しながら、「でも今やらなければ、『次』はないかもしれない」「何かを得るためには何かを捨てなければならない」と心の中で呟きながら。
 
 インドに到着した彼らを迎えたのは、異文化ととんでもない低賃金のポーターたち、そして山でした。それまで3000メートル級の山しか知らなかった彼らにとって、ヒマラヤの中でもまだ取っつきやすいと選択した6000メートル級の山は、それでもとんでもない別世界だったのです。
 
 私には登山の喜びはわかりません。大学時代、友人たちと富士山に一泊二日で登りましたが、夏なのにひどく寒かった記憶しか残っていません。そんな人間でもこの本を通して山に魅せられた人々の喜びと生きることの苦悩が少し受け取れたような気がします。
 
 
5日(土)作家の講演
 私は今までに100や200ではきかない数の講演を聞いているはずですが、演者が小説家だったのは(記憶にある限りは)二回だけです。一度は神戸の学会にゲストで来られた陳舜臣さん。古代中国の甲骨文字発見のエピソードから始まる中国のお話でした。もう一度は広島の学会の公開市民講座で聞いた村上春樹さん。オウム真理教の被害者に関するお話でした。
 小説家が自分のテリトリーの話をするのは聞いていて退屈しません。知識だけに関してもものすごい量で、本人の頭の中でネットワークを構成している知識を言葉で線状に表現していくのを聞くのはもどかしい作業ですが、私の頭の中にそれらの知識が入って私が持っているネットワークにつぎつぎ結合して新たなネットワークが再構成された瞬間、なんとも言いようのない快感が生まれます。
 それに作家独自の切り口が加わります。知識は勉強できます。文体は真似でき(ることもあり)ます。でも、独自の視点からの世界の見方の提示は、こちらに勇気を与えてくれます。世界はまだまだいろんな見方ができるんだ、と教えてくれますから。
 
 
【ただいま読書中】
曹操──魏の曹一族(上)
陳舜臣著、中央公論社、1998年、1500円(税別)
 
 三国志だと普通、善玉は蜀のメンバーで魏の曹操には悪役が割り振られます。呉は影が薄いのはなぜ?はともかくとして、歴史上の「善玉」「悪玉」というのは後世のイメージにすぎませんから、陳舜臣さんがわざわざ曹操を主人公にしたらどんな物語になるのか、読む前から興味が湧きました。
 時代は後漢末期、暗愚な皇帝の下、天下は乱れを増し宦官・士大夫・外戚の命をかけた権力闘争が盛んに行なわれています。
 その中で曹操は県令から議郎になり、黄巾の乱平定を経て反董卓連合軍に参加します。
 ここまでが上巻。
 
 「三国志」と言えば私にとっては「三国志演義」ですが、今の若い人は「三国無双」でしょうか。呂布とか貂蝉と言った人名をまるで知人のように話せる若者はまず無双経験者と私はにらんでいます。
 
 そうそう、昨年読んだ『青山一髪』は「これは私が知っている陳舜臣さんじゃないよう」と言いたくなりました。何と言うか、粘りが無いのです。さらりさらりと話が流れていって、これまでの歴史物で濃厚に味わえた「その時代の息吹」の味わいがずいぶん淡泊で、まるで解説本のよう。
 もしかして、10年くらい前(でしたっけ?)の脳梗塞(でしたよね?)の後遺症で、書き込む根気が続かないのでしょうか。あるいはそれくらい削ぎ落とさないと一冊(厳密には上下巻の二冊)にまとまらないくらい孫文の生涯が波瀾万丈だったのでしょうか。もっともこの本では孫文の前半生しか扱われていませんから、続編が出て欲しいものですが……
 おっと、『曹操』もこのペースだと、下巻の終わりまでかけても曹操の前半生で終わっちゃうんじゃないでしょうね。次の読書日記が「『曹操』の続編が早く出て欲しい」で終わっていないことを願います。
 
 
6日(日)白梅に囲まれた紅
 「自然に直線は存在しない」そうですが、自然にはフレームも存在しません。だらだらとすべてはつながっていますが、そこに人間が任意の枠を持ち込んで切り取って、たとえば写真や絵画として鑑賞するわけです。私が先月からのんびり鑑賞し続けている木と花も周りには様々なものがあるのですが、写真を撮るとき(そして肉眼で見ているときも)私は都合良くフレームで切り取ってその外側を無視しています。
 だらだらとつながっていると言えば、時間もそうですね。個人が自分の能力で見る範囲では、時間には始まりも終わりも明確になくだらだらとつながっています。もちろん個人の人生は誕生で始まり死で終わるのですが、そんなの確認できない……というか、確認できるのなら実はまだ終わってないことになります。ちょうど、映画や舞台が「終わっ」てもそれを見ていた私たちの人生はだらだらと続いているように。「つながっていること」「明確な『始まり』や『終わり』がないこと」が私たちの人生とドラマとを区別する大きな要素なのでしょう。
 
【ただいま読書中】
曹操──魏の曹一族(下)
陳舜臣著、中央公論社、1998年、1500円(税別)
 
 下巻に入り、いよいよ天下三分の計が始動し、時と共に曹操は地歩を固めます。
 後書きによると、著者は仏教の影響や異国人についても注目して描写した、とのことですが、私が注目したのは「詩人としての曹操」です。戦乱の世でなければ、彼はゆっくりと勉強をし試作に耽る生活をしたかったのではなかったのでしょうか。
 しかし、他国との戦争は続き、さらに国内でも問題はあります。各党派の勢力争いと後継者問題です。ゆっくり書をひもとく暇はありません。親子の情愛とは別に、それぞれ違う個性と才能を持つ息子たちの誰を後継者とすれば一番一族の未来のためになるかの冷徹な計算が曹操には必要になります。息子たちも、各々の情愛とは別に、自分たちを担ごうとする人々の思惑となかなか心中を明かさない父親の視線に挟まれて悩みます。
 そういった状況の中、曹操の息子曹植が兄である皇太子曹丕に「七歩歩む内に詩作せよ」と命じられて作ったという詩は、私の胸に迫ります。
 
   七歩の詩
豆を煮てもって羮(あつもの)となし
し(豆へんに支=発酵させた豆)を漉してもって汁となす
き(くさかんむりに其=まめがら)は釜の下に在りて泣く
もとはこれ根を同じくして生じたるに
相い煎ること何ぞはなはだしく急なる
 
 「豆を煮るにまめがらを燃やす」というこの詩を初めて読んだのはずいぶん前のことですが、その時には詩そのものには感心しましたがそれ以上の感慨は持ちませんでした。親子兄弟の複雑な運命と感情について、今この詩は、私の脳を素通りして涙腺を直撃します。
 
 曹操の死によってこの本は終わりますが、タイトルをよくよく見れば「魏の曹一族」がちゃんと入っているではありませんか。そもそも雑誌連載中は「魏の曹一族」が正式タイトルだったのです。とすると、ここでお話は終わりません。蜀との争い、そして司馬一族の台頭と簒奪……まだまだ語られるべきお話はたっぷり残っています。
 ……ということで、昨日の恐れは実現してしまいました。「『曹操』の続編が早く出て欲しい」ではなくて「『魏の曹一族』の続編が早く出て欲しい」ですけれど。
 
 
7日(月)撃たれた側の言い分
 イラクで拉致された後解放されたイタリア人女性記者が帰国しようと空港に向かう途上で米軍に狙撃されて、一人死亡、解放された記者が負傷する、という事件がありました。撃った側の言い分は「止まれと合図したのに車が検問を突破しようとしているように見えたから発砲した」で、撃たれた側の言い分は「検問と検問の間で突然撃たれた」。(TVニュースを聞いた記憶で書いてますので、厳密には違う表現だったかもしれません)
 撃った側と撃たれた側、どちらの言い分が正しいのかは私にはわかりませんが、それでもはっきりわかることが二つあります。
1)撃たれた側が生き残ったから話がニュースになった。
 もし撃たれた側が全滅していたら、撃った側の言い分が通った可能性があります。
2)撃たれたのがイタリア人だったから話が海外に広まり、私たちが知ることができた。
 撃たれたのがイラク人だったら、ニュースにはならなかった可能性があります。
 
 この1)2)を総合すると、現在のイラクではテロリストではないイラク市民が次々撃ち殺されていてそれが全然ニュースになっていない可能性がある、という推測が導かれます。さて、この推測はイラクの現実にどのくらい近いのでしょうか?
 
【ただいま読書中】
ゴジラ・自衛隊決戦史──われ、ゴジラと戦えり
藤川裕也著、光人社、2004年、1900円(税別)
 
 昭和29年のゴジラ日本初上陸以来、21世紀の今日まで延々と映画の中でゴジラをはじめとする怪獣たちと戦い続けてきた自衛隊(や防衛隊・Gフォース・防衛軍・Gグラスパー・特生自衛隊など)の戦いぶりを軍事面から一覧する本です。装備や作戦についての考察に深みを持たせるため、自衛隊OB(空将、陸自一佐、海自一佐)のコメントを所々に挟んでいますが、時々映画中の自衛隊の行動に関して説明に窮するのがご愛敬です。いや、軍事に詳しい人から見たら、映画の中での兵器の選択や作戦行動が非合理的だった場合、それをシナリオライターや監督の無知のせいにせずに、「何か事情があったんだろう」とその「裏事情」を少しでもスジが通るように映画の世界観に沿って説明しようとするのは本当に大変なようで。
 しかし、昭和の怪獣に対してはまったく無力だと思っていた自衛隊が、実はけっこう善戦していた(こともある)のは面白い発見でした。
 
 この手の本は、あまり厳密に考察をすると重箱の隅つつきになるし、といって何でもOKだと突っ込みの面白さが無くなるし、なかなかツッコミとボケの塩梅が難しいものです。特撮ものに対する考察本としては『空想科学読本』(柳田理科雄)がありますが、こちらはツッコミに偏してしかも科学を冠しているにもかかわらず非科学的なミスがあるため対象に対する愛が感じられない(著者の自己愛はたっぷり)というやや悲しい本でした。しかし『ゴジラ・自衛隊決戦史』はそのへんのバランスはなんとか上手く保てているように私には感じられました。自衛隊に対する様々な感情に配慮してか、自衛隊の存在そのものに関しては歯切れが悪いのが目立ちますが、まあそれは著者の個性と戦略と思います。断言が好きな人には物足りないかもしれませんが。
 
 
9日(水)確定申告
 私の場合厳密には還付申告ですが、締め切り一週間前になってやっと済ませてきました。
 計算自体は、単なる小学校レベルの算数ですからなんてことないのですが、問題はきれいに書くこと(私の悪筆は天下一品です)、間違いなく写すこと(緊張したらかえって桁を間違えてしまいがちです)、そして……準備段階で領収書をきちんと保管しておくこと。
 どれも問題だけど、最後のが特に大問題。項目別日付別に最初からちゃんと管理しておけば良いのですが、個人だとそれほどたくさん申告に必要な書類が発生するわけではありませんから、ついついまとめて放り込んでしまう……それも一箇所ならまだ問題はないのですが、その時の気分であちこちに。
 はい、今回は2年前と4年前の領収書が出てきました。小さかったら「まあ良いか」にするのですが、さすがに六桁の数字を見ると無視できません。一応5年間はOKのはずなので今年申告しました。税務署さん、ごめんなさい。お国のために税金はたくさん納めたいのですが、これを返してもらわないと春先の税金納付時期を我が家は乗り切れないのです。
 
〔本日の鑑賞〕
映画『きみに読む物語』 原題 The Notebook
 
 『オペラ座の怪人』を再見しようか、と思いましたが、タイトルに惹かれて夫婦で観に行きました。なんと、リピーターになったら次回は1000円だそうです。なんだか「定価」で観ると損をしたような気になるのが、コワイこのごろです。
 
※モロバレには書きませんが、映画の内容に触れます。何も知らずに鑑賞したい方は以下を読まないことをお勧めします。良い映画なので、最初はできたら予備知識無しで見た方が……と老婆心まで。
 
 老人施設にいるアルツハイマーの女性のところに、男性老人がやってきて一冊の物語を読む。それは何十年も前、アメリカ南部の田舎に避暑にやってきた金持ちのお嬢さんアリーと、その町の製材所で(時給40セントで)働く青年ノアの一夏の恋の物語。出会い、一目惚れから恋になり、二人の境遇のあまりの違いから別れが……「どこかで聞いたお話ね。早く結末が知りたいわ」と女性はせかす。男性は悠々と読み聞かせを続ける。
 戦争が起き終わる。アリーはお似合いの相手と婚約し、ノアは戦争未亡人を愛人とし自分の夢だった農園の再生をこつこつと続ける。そして……
 「二人はいつも喧嘩する。あまりに違いすぎるから仕方ない。だから僕は努力する。一生努力する」ノアの言葉のあまりの真っ直ぐさ。アリーがノアのもとに駆けつけたときの空の透明な青さ。白鳥の群。柔らかな音楽。
 多くのハリウッド映画とは一線を画した映画です。アクション場面は恋人の口喧嘩くらい。基本的に人が善意に基づいて行動する場面しか描かれていませんが、それは「甘さ」になっていません。むしろ、救いかな。
 ラスト近く、男性が持つ「本」が画面に映されたとき、私は絶句しました。そうです。読み聞かせの場面で「本」の背表紙などを見てなんとなく違和感を感じてはいたのですが……
 そして、ラスト。
 私は安易に死を描く映画は基本的に好きではないのですが……この場合は、むしろ「ハッピーエンド」ではないか、と感じました。これ以外の終わり方だと、もっと悲しいもの。
 
 この映画の中で「愛は奇跡をもたらすか」とありましたが、そしてたしかに奇跡がもたらされたように見えますが、私にはむしろ愛そのものが奇跡的な存在なのかもしれない、と思えてしかたありません。そして、タイトルの「きみ」とは「私」や「あなた」のことかもしれない、とも。
 
 イメージソングはCHEMISTRYの「ココロノドア」ですが、私的にはサイモンとガーファンクルのアルバム「ブックエンド」の方がぴったりくるような気がします。
 
 
10日(木)良い悪口
 悪口を言われるのは嬉しいものではありません。しかし、誰にも悪口を言われない生活って、無理ですよね。それなら、どんな人間から悪口を言われたくないか、どんな人間からの悪口ならOKか、を選択するのが人生、ではないでしょうか。
 ……たとえば、人として許せないようなことを平気でする連中からは、褒められるよりは悪口を言われる方がマシだと、私は思います。だってそんな連中の良い同類とは見なされたくないもの。何を聞いてもねじ曲げて捉える困ったちゃんにも、褒められるよりは悪口を言われた方が気が楽です。それによって自分の言っていることが正しいと確認できますもの。
 逆に、自分が尊敬する人には、褒められたり批判はされたいけれど悪口は言われたくありませんね。……おっと、私が尊敬する人は他人の悪口は言わないことが多いな。ということは、悪口が好きな連中に悪口を言われることは、尊敬する人に褒められるのと同等の価値があるということになるのかな。
 
 ということで「悪口を言われる」こと自体は大したことではなくて、誰に言われているかが重要である、というごく普通の結論が出てしまいました。
 
【ただいま読書中】
サギの手口
夏原武著、データハウス、1996年、1262年(税別)
 
 メールボックスを開けると、下らないメールの多さにげんなりすることがあります。ウイルスメールは論外ですが、まともなのからまともじゃないのまで商売目的のジャンクメールも山のようにやってきます。
 ジャンクと一口に言っても傾向はどんどん変わります。数年前はマルチ商法の「これはマルチではありません」メールが多かったように記憶していますが、これはいつの間にか激減しました。そのかわりと言って良いかどうか、最近増えているのが出会い系、特に逆援助の紹介メール。女の子とつきあえてしかもお金までもらえるという、男の性欲と金銭欲が同時に満足できるという夢のようなお誘いですが、もちろん現実ではなくて夢でしょう。
 この本には、その原型と言える「出張ホスト詐欺」が載っています。スケベな男に「美人の姉ちゃんとうはうは、しかもお金がもらえる」と思わせておいて「手数料」だけちゃっかり頂くという……気がつけよ、と言いたくなる手口ですが、持って行き方が上手いんでしょうねえ。
 
 この本では4〜5ページごとに一つの手口を紹介していますが、よくもまあこれだけサギの手口を考えつくものだと感心します(収集した著者もすごいですが)。9年前の本なので「おれおれ詐欺」「なりすまし詐欺」「フィッシング」などは当然載っていません。そういった点では「古い」本のわけですが、騙す側と騙される側の関係は全然変わっていないんだな、とつくづく思います。
 たとえば警察官になりすます手口もすごいですよ。今だと「警察です」と電話をかけるわけですが、この本で紹介されているのは、不良少年の家に目をつけておいて生活パターンを把握、その子が長時間不在の時を狙って「警察ですがお宅のお子さんを補導寸前……」と金を出せば許してやる悪徳警官を装おう手口です。当時は仕込みの手間をかけて顔も晒してやっていたんですね。携帯ですぐ連絡されてしまうから、今だとこの手口は使いにくいでしょうけれど。
 
 「騙すやつは悪党、騙されるのは馬鹿」とありますが、悪党にも馬鹿にもなりたくないなあ。
 結局欲があるから悪人につけ込まれるわけですが、誰だって多少の欲は持っているでしょうし、人を信じたいとも思っている。さらに、欲ではなくて善意につけ込む詐欺もあるから、困ったものです。募金詐欺なんて、腹が立ちます。
 しかし、こんなに頭を使って努力してお金をだまし取ることができる人は、その努力をまっとうに稼ぐ方向に使っても成功するんじゃないかなあ。
 
 
11日(金)人の噂も
 ノロウイルスのこと、みなさんまだ覚えています? そろそろ七十五日ですね。
 ……ところで、あれだけの大騒ぎ、結局「これまで放置されていた凶悪な微生物を押さえ込むために必要な処置」だったのか、それとも「聞き慣れない名前の普通の微生物に対するヒステリックな空騒ぎ」だったのか、総合的な評価は誰がいつやるんでしょう?
 
【ただいま読書中】
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ二
夢枕獏著、徳間書店、2004年、1800円(税別)
 
 巻ノ一で提示された様々な謎や怪奇現象は、楊貴妃に収斂していきます。始皇帝の兵馬俑が出てくるのはオマケでしょうか。それともこれも何かの伏線?
 空海たちが入唐したときより遡ること約50年、安禄山の乱で玄宗皇帝が長安を逃れる途上で兵たちに強要されて楊貴妃は殺されました。その一行に加わっていた(とされる)阿倍仲麻呂(遣唐使として唐に派遣され、科挙に合格して進士となり、玄宗に愛されて衛尉少卿(従三品)にまで登り詰めた人)が残した手紙によって、楊貴妃の死にはとんでもない「真相」があることがわかります。
 
 いやあ、夢枕獏さん、快調です。史実と史実の隙間に実に色々なものを書き込んでくれるので、あちこちに登場する幻術などただの小道具に見えるほどです。成熟した文化の唐の都に様々な国の人が入り乱れ、文化と宗教の坩堝となり……なんだかローマの全盛時代に似ていますね。周囲は戦乱で大変なんだけど中央は文化が爛熟、という状態が。
 しかし、空海は寄り道ばかりですが、いつになったら密教を学びに行くのでしょうか。史実では青龍寺に入って一年足らずで密の全てを授けられ寺の最高位に就任、翌年には帰国。中国では以後後継者が現れず密は衰退し、浄土教と座禅が隆盛を極ることになるはずです。だから後年、密教復興を志す中国人は密が保存されている日本にまでわざわざ学びに来たのではなかったかな。
 とにかく空海には時間が足りません。「締め切り」は目の前なのです。
 
 この本の中で白楽天が言っています。虞美人と項羽の物語にくらべて、玄宗と楊貴妃の物語はずいぶん違う……私の言葉を使うなら、そう、なんだか下品なのです。四面楚歌の状況で「虞や虞や汝をいかんせん」という項羽の血を吐くような叫びに比べて、兵たちに迫られて楊貴妃の首を絞めさせてそれで自分の延命を得る玄宗は……と思っていたのですが、この巻ノ二を読んでちょっとイメージが変わりました。項羽に比較したら玄宗は情けないと見えますが、それは項羽に比較するからで、玄宗は玄宗で頑張っていたんじゃないかな、と思えるようになったんです。だからといって玄宗のしたことに賛成はできませんけれど。
 
 
12日(土)白に包まれた紅
 桜に比べて梅は長く楽しめるなあ、とつくづく思います。梅の木に意識があったら、人間が自分たちをじっと見つめているのを、どう捉えているのでしょう? やっぱり気にしていないのかな。
 
【ただいま読書中】
インド 大地の讃歌 ──中世民衆文化とヒンディー文学
H.ドゥヴィヴェーディー著、坂田貞二・宮本啓一・橋本泰元訳、春秋社、1992年、3883円(税別)
 
 『遠き雪嶺』を読んだあとも、そこにあったインドの描写が残響のように私の心に残っています。
 インドと言って私がすぐに思い出すのは、映画の「ムトゥ 踊るマハラジャ」と
光の王』(ロジャー・ゼラズニイ)です。どっちもフィクション。ということで少し学術的な本を選んでみました。
 北インドのヒンディー語圏の文学を中世から丹念に追うことでインドの歴史を浮き彫りにしようとする本です。困ったことに著者は平気で「○○に関しては××という誤解がはびこっているが、実は……」と何回も書いてくれます。ところがこっちはもの知らずですから、そもそも誤解以前に○○も××も知りません。たとえば「好戦的とされるスィク教団の創設者は実は平和的な人だった(弟子に「自分を殴る人に対しては額ずきなさい」と教えている)」なんて言われても、「ふーん」と思うだけで、自分の常識はひっくり返らないのです。常識がないから。
 まったく、困ったものです。
 シーク教徒が、ムガールに対抗するために武器を持っていたとか、ターバンを巻いている、くらいはさすがに知ってましたけど、しょせん浅薄な知識でしかありません。
 
 ただ、非常に面白い記述もたくさんありました。たとえば「インドの民は、仏僧がやってくると喜んで喜捨をする。では彼らは敬虔な仏教徒かというと、バラモンがやってきてもやはり喜んで喜捨をする」なんての。インド人の行動を部分的に見ているだけでは全体像はつかめない、と言うことなんでしょう。
 そういえば「もともと豊かな国土で食うに困らないから(食糧自給率は100%以上!)、勤労は尊ばれず、むしろ富の分配、すなわち布施や喜捨が尊ばれるのだ」というのは『ヒンドゥー教──インドという〈謎〉』(講談社選書メチエ299、山下博司著)にありましたっけ。
 また、インドで重要なヨーガは座禅、バクティ(最高神への信愛・帰依)は浄土教の「南無」で私は理解してしまいましたが、これはあまりに仏教的な捉え方かな。仏陀もヒンドゥー教の神の一つ扱いですから、別にかまわないかもしれませんが。
 もう一つ面白かったのは「インド社会は、対立する様々な文化・信仰・ジャーティ(カースト)・行動規範・思考方法が存しているため、「統合」をなし得る人のみが民衆指導者になれる」という指摘です。統一貨幣のはずのお札にもいくつもの言葉が印刷されている国ですから、まとめるのは大変だろうとは思いますが……「統合」が指導のキーワードになるのは、たぶんインドに限ったことではないでしょう。そういった点では、インドを見ることは自分を見ることなのかもしれません。
 
 
13日(日)ベンチャー
 どの世界でも新参者は叩かれる傾向があるようですが、フジサンケイグループのやり口はまだまだ手ぬるいようです。昨夜読んだ『ヴァージン』では、新規参入のヴァージン・アトランティック航空に対してBA(英国航空)がどのようにえげつない手でヴァージン航空を倒産に追い込もうとしたかが具体的に書かれています。それは単なる机上の陰謀ではなくて、実際にレイカー航空、ダン・エアー、エアー・ヨーロッパなどはBAの妨害で倒産したのですが、ヴァージンは生き延びて逆に裁判で61万ポンドの和解金を勝ち取りました。「外資」とは、こういったシビアな戦いを生き延びた連中のことなんですね。
 ということで、フジサンケイグループがライブドアを叩きつぶすのなら、世界標準の汚い手を駆使し、しかもそれが表には絶対出ないように配慮する必要がありそうです。ライブドアは外資ではありませんが外資の論理(というか、資本主義の論理)を使ってますし、日本は社会主義の国から資本主義の国にこれからどんどん変わっていくのでしょうから。(国がやたらと企業活動に口をはさみ行政指導をし監督権限を振り回し護送船団方式が生きているのは、自由な資本主義の社会ではなくてむしろ社会主義、と私には見えてます)
 
【ただいま読書中】
ヴァージン ──僕は世界を変えていく
リチャード・ブランソン著、植山周一郎訳、TBSブリタニカ、1998年、1800円
 
 ヴァージングループ創設者の自伝です。前書きに曰く、この本は生まれてから43年間の「サバイバル」という一言に集約される人生とビジネスの記録で、自叙伝の第一巻だそうです(ということは第二巻もあるのでしょう)。気球で世界一周という冒険に失敗したときにこの本を書くことを思いついたそうですが、本を書くこと自体も彼にとってはチャレンジの一つなのかな、と感じます。
 「成功者」の自伝ですから、鼻持ちならない成功自慢か、さらに鼻持ちならない苦労自慢か、とちょっと期待しましたが、みごとに外されました。ここまで書いて良いのか(私が万が一自伝を書くとしても、ここまでは書けない)と言いたくなるくらい率直な筆致で自分と周囲の人についてあけすけに書きます。最初の結婚での双方の浮気については明らかに自分の方を罪が軽いように書いていますが、まあそれが読みとれる、つまりその分を割り引いて読めばいいのですから、他人には問題は少ないでしょう。親族はたまらない思いかもしれませんけれど。
 
 著者は1950年生まれ、日本だと全共闘世代ですね。難読症のため学業はほとんどアウト。運動は万能でしたが、膝を壊してこちらもアウト。ところが本人はくじけません。スチューデントパワー全盛の時代に乗るように、15歳で「スチューデント」という学生向け雑誌の企画を立て、高校卒業直後実際に出版し始めます。3年後には「スチューデント」を舞台にレコードのメールオーダーを開始、大当たりします。これがヴァージンレコードの始まりとなりました。
 ……「ヴァージン」という名前を選択する直前の最有力候補は「ぎっくり腰」だったそうですが……ぎっくり腰航空なんてのにあまり乗りたいとは思いませんねえ。命名は本当に大切です。
 
 ブランソンは次々仕事を広げ、とうとう航空会社を起業します。レコードの次が飛行機とはずいぶん唐突に見えますが、本人の中ではそれほどの断絶はなかったようです。
 彼は同時に冒険にも精を出します。船による大西洋横断記録への挑戦、熱気球での大西洋横断・太平洋横断、そして気球での世界一周……なんで「成功者」がわざわざ自分の命を賭けなければならないのかと思いますが、本人の生き方(ライフスタイル)がビジネス面では起業、趣味の面では冒険として表出しているだけなのでしょう。ある意味、表も裏も首尾一貫しているのです。
 仕事はベンチャー、趣味はアドベンチャーという駄洒落を狙ってやってるのかもしれませんが。
 
 
15日(火)私が鉄を打ったら
 「鉄は熱い内に打て」と言いますが、たとえば私が熱い鉄を打ったとしたら最終的に製品として得られるのは何の価値もない歪んだ鉄の塊でしょう。私は訓練を受けていませんから、作りたいイメージはあってもそれを実現する技術を持っていません。ですから、温度を何度まで熱してどのくらいの力でどこを何回打てばいいかを知りませんから、運任せで適当に殴るしかありません。しかし、修行を積んだ刀匠が鍛冶場でとんてんかんと打てば、立派な日本刀が得られるでしょう(それでも失敗作はあるでしょうが)。
 何が言いたいかというと、鉄をちゃんと打つにはそれなりの施設と正しい方法論と厳しい修行が必要で、しかしそれをすべてクリアしたとしても歩留まりが100%ではないことを覚悟して「鉄を打つ」必要がある、ということです。
 ハンマーで殴られた鉄は歪みます。その歪みを絶妙にコントロールして自分が思い描く姿に近づけていくのが刀匠の仕事でしょう。
 ……では、心は? 殴られたら心も歪みます。その歪みを絶妙にコントロールして自分が思い描く姿に近づけていくのが暴力で人を育てる人の仕事なのでしょうが、さて、そういった人はどんな方法論を持っていてどのくらい修行を積んでいて、そして一番大事なこと、歩留まり(成功率)はどのくらいなのでしょう? それと、失敗した場合の責任をどう取るのかな。
 
 ちなみに私は、子育ては、鉄を打つことよりも農業に似ていると考えています。環境を整え適切なときに適切な肥料を投入することを心がけ、あとは「どうか霜がおりませんように」「どうか台風が来ませんように」と天に祈る。そういった「人事を尽くして天命を待つ」スタイルの方が私には向いているようです。苗を早く伸ばそうと引っ張ったり気にくわない苗を罰したりするのは「人事」ではなくて「他害」かな。
 
【ただいま読書中】
銀弾の森 禿鷹III』
逢坂剛著、文藝春秋、2003年、1524円(税別)
 
 今回はあまり話が派手に動きません。読み手が(もしかしたら書き手も)禿鷹というキャラに慣れてしまって、少々のことでは驚かなくなったのかもしれません。言い方を変えれば、キャラが確立してしまい、禿鷹の行動の裏読みが主題になってしまった感があります。
 死体が持っていた携帯電話に残された二通のメールをめぐって、利害が対立する人々が「禿鷹の仕業か」「ならば禿鷹の目的は何だ」と様々に深読みをするのですが、深読みに忙しいせいか全体の行動がちょっと鈍くなってしまってます。
 
 そろそろ禿鷹に対する強力で魅力的なライバルが必要なのかもしれません。
 
 
16日(水)国内?問題
 「台湾の独立は許さない」と中国が決めたそうですが、それを聞いて私が連想したのは……ハンガリー動乱、プラハの春〜チェコ事件、チベットへの中国軍侵攻、カシミール紛争、クエートへのイラク軍侵攻、チェチェン戦争……一応どれも広義の「国内問題」ではあるわけです(ハンガリーとチェコは「国内」というにはちょっと(相当)苦しいかもしれませんけれど)。単純に「ここが欲しいのだ」と言って相手がよこさないと奪うために攻め込むのは19世紀より前のタイプの戦争でしょうから、文明が進歩した最近ではなんとか別の理屈(ドミノ理論とか)を付けて戦争を起こすわけですが、「これは国内問題である」というのも一応立派な理由ということになるのでしょう。しかし、最近のトレンドは「対テロ」ですから、「とにかくここが欲しいのだ、これは国内問題である」で攻め込むのはちょっと時代遅れなんじゃないかしら。
 
【ただいま読書中】
ブラヴォー・ツー・ゼロ ──SAS兵士が語る壮絶な湾岸戦記
アンディ・マクナブ著、伏見威蕃訳、早川書房、1995年
 
 『神の拳』(フレデリック・フォーサイス)は、SAS(「世界最強の特殊部隊」の異名をとるイギリス陸軍特殊空挺部隊)隊員が単身イラク占領下のクエートで対イラク軍テロ活動をした後今度はイラクに潜入して、という手に汗握る物語でした。事実をベースにしてはいますが、フィクションです。
 ところがこちらの本は、著者がSASの隊員そのもの。1991年、通信線とスカッドミサイルの破壊を目的としてイラクに潜入した八名のSASパトロール部隊の隊長を勤めたマクナブ軍曹が自身の体験を書いています。迫力が違います。何しろ実際に命を賭けていますから(八名の隊員の内、三名は戻りませんでした)。
 しかし、実戦というのはうまくいかないものです。フォーサイスの小説ほどスマートにことは進みません。「さあ出撃」とヘリに乗ったらわけのわからない理由で国境を越える前に引っ返してしまう。やっとイラクに侵入して、一人あたり95キログラムの装備を持ってよたよた歩こうとしたら、誰もいない荒野のはずなのにあちこちにイラク軍の陣地があってパトロールがぞろぞろ。「話が違うぞ」と連絡しようとしたら無線機は使えない(指定された周波数が間違っていたのでした)。やっと隠れ家を見つけてとりあえずほっとすると、のんびり歩いている羊飼いに見つかってしまう。
 任務を計画通り果たすどころではありません。その場その場のアドリブで何とか切り抜けるしかないのです。映画のようにばんばん発砲したらすぐ弾が無くなりますし、音を聞いた一個師団が一挙に襲いかかってきます。
 結局本の半ばでマクナブ軍曹は捕虜となり、後半は拷問の連続となります。読んでいるだけで体中が痛くなりました。しかし、著者の筆致は冷静です。痛烈に痛い場面でさえ静かなユーモアが漂います。周囲をじっと観察し自分の心身を分析し、その時その時で最善と思われる道を選ぼうとします。拷問をくらっている最中でさえ。それを著者は一言でまとめます。「自分は戦闘のプロだ」と。
 
 アンディ・マクナブの次作『SAS戦闘員 ──最強の対テロ・特殊部隊の極秘記録』の方を先に読んでいたのでいつか前作を読みたい、と思っていたのですが、やっと出会えました。たまには違う図書館を漁ってみるものですね。
 
 
17日(木)私は暴走族ではない
 昔オートバイで全国のあちこちをうろうろ旅行していた頃、オートバイの旅行者と暴走族の区別がつかない人との会話に疲れを感じたことがありますが(走り方が違うだろという以前に、ツナギ着てブーツ履いてヘルメットをきちんとかぶって旅行バッグをくくりつけたバイクに乗った恰好で一人ぽつんとしている暴走族が、いますか?)、同様にレースと暴走の区別がついていないとしか思えない記事を書く記者、というのもいましたっけ。
 私が初めて新聞でF1の記事を見たのは、1977年、富士スピードウェイで行なわれたF1日本グランプリでの「事故」でした。けっこう新聞にでかく取り上げられていた記憶があります。事故に巻き込まれた観客から死亡二名重軽傷九名が出たため「自動車レースは危険」という認識が日本に広まりましたが、実は現場は立入禁止区域となっており、そこに立ち入った観客のマナーに問題がある、ということはあまり問題にされませんでしたっけ。死んだ人はあくまで「被害者」で「死者にむち打つな」ということだったのかもしれませんが、あとでそういったことを知って「危ないから立入禁止なんだろ?」と私は釈然としない思いでした。(今でも釈然としません)
 
 人類が自動車を手に入れたとき、最初に買ったのは貴族たちですが、彼らが最初に始めた遊びはレースでした。レースをしたい、というのは人間の本能に近い部分なのかもしれません。
 もちろん遊び(趣味)の話の基本は好き嫌いですから、レースを嫌う人がいるのは当然ですが、誤解に基づいてバッシングするのは勘弁して欲しいなあ、と思います。
 
【ただいま読書中】
『SportGraphic Number 623』
文藝春秋、2005年3月24日号、520円(税込み)
 
 特集がF1だったので買ってきました。先々週開幕戦のオーストラリアグランプリがありましたが、今年もほぼ二週間毎にレースが行なわれるシーズンとなりました。時差がある地域のレースは日本では日曜の夜中に放送されるので、それをビデオに録って月曜のニュースには目と耳を塞いで月曜の夜にビデオをいそいそとセットする、という生活が始まりました。
 F1の「F」はFormula(規格)のFです。参加者(参加車)の条件をフェアにすることで公正な競争が行われるようにエンジンや車体だけではなくてドライバーが着るスーツにまで細かく規格が定められるのですが、最近のトレンドは「速度低下」です。危険なほど車が速くなりすぎたために、なんとかスピードを落とすように毎年規格が改訂されています。今年の規格の目玉は、レース中のタイヤ交換禁止とエンジンを2レース連続で使う義務です。初めて聞いたときには「そりゃ無茶や」と口走りましたが、しばらく考えて「それでもスピードは落ちないんじゃないかな」と思い直しました。オーストラリアグランプリを見る限り、私の(後の方の)予想は当たっていたようです。ただ、ドライバーが車をいたわって走るため、ぎんぎんのバトルがなくなってしまってレースの面白みは減少してしまいました。あんな「レース」が続くと、F1人気は落ちて行っちゃうぞ。
 
 Numberは久しぶりに買いましたが、相変わらず写真に気を使っている良い雑誌です。私はF1のニュースは主にインターネットで得ていますが、やっぱりたまにはきれいなでかい写真を眺めてニコニコしたいものです。
 
 
18日(金)四苦八苦
 四苦が生老病死であることは広く知られていますが、八苦が四苦に別の四つの苦しみを足したものであることを知っている人はけっこう少ないでしょうし、さらにその八苦を全部すらすら暗誦できる人はもっと少ないでしょう。ちなみに私は愛別離苦と、暗誦できませんが「イヤな奴と同席しなくちゃいけない苦しみ」があることは知ってます(なんの自慢にもなりませんが)。
 しかしお釈迦様のレトリックは凄いですね。老病死と並べることで「生」も実は苦であることを明確に示すとは。シンプルに「生は苦である」でも良いのでしょうが、これではインパクトが弱いですから、普通ネガティブな印象をまとっている「老病死」をくっつける。これだけで効果は256倍です。冷静に考えたら老病死もすべて生から派生しているものなんですけどねえ。
 
【ただいま読書中】
はじめての唯識
多川俊映著、春秋社、2001年、1800円(税別)
 
 十年くらい前ある本に「三島由紀夫の『豊饒の海』は唯識だ」と書いてあるのを見つけて、私は首を捻りました。『豊饒の海』は未読ですがそれはその内読めばよいとして、「唯識」がわからなかったのです。「唯○」と言って思いつくのは「唯名論」「唯我論」「唯脳論」くらいです(でした)。今とは違ってインターネットを気楽に使える環境でもなかったため、その頃常連となりつつあったNiftyServeのFPSY(心理学フォーラム)に素朴な質問「唯識って、何?」を上げました。思想や宗教系のフォーラムはなんだか怖かったし、当時のFPSYにはとんでもない物知りが揃っていましたので、きっと何かヒントがもらえると思ったのです。
 期待通り、詳しい回答がありました。
 私は二つの感慨を覚えました。
 一つは、「唯識」という仏教の思想のとんでもなさに対して。
 もう一つは、博識で素人にかみ砕いて説明できる技術を持っていて、しかも無償で説明しそれに対する再質問にも答えてくれるくらいの親切心を持っている、という、素晴らしい人がこの世に実在することに対して。
 コンピュータ通信を始めてしばらくの間のこういった濃密な経験が、私の人格に大きな影響を与えているのです……が、それはともかくとして、唯識です。
 
 唯識とは3〜4世紀ころにインドで起こった大乗思想です。今の言葉を使うなら「リアルだバーチャルだ、と言うが、人は感覚器で入力されて脳内で構成されたバーチャルな世界しか把握することができないのじゃないか? だったらリアルって、何だ?」とでもなる思想です。
 唯識は識を以下のように分類します。
五識=眼・耳・鼻・舌・身(五感です)
六識=五識プラス意識
第七・末那識(まなしき:自分に対する執着、「不変の自己」という錯覚の元)
第八・阿頼耶識(あらやしき:全ての感覚経験思考を保存している最も根底の無意識)
 
 六識の特徴は「途切れる」ことです。目を閉じたら視覚は中断します。眠れば意識は途切れます。それに対して七と八は途切れないことが特徴です。これこそが「自分」の根底です。
 外界から入力された情報はまず阿頼耶識の影響を受けます(初能変と言います)。阿頼耶識はその人の過去の全てを保存していますから、どこにフォーカスを合わしてどれを無視するかを無意識に決定してしまうのです(個性とか癖とかライフスタイルと言って良いでしょう)。さらにそこに末那識が第二能変を起こします。自分にとって都合がよいように・自分を正当化できるように、情報を変質させてしまうのです。
 つまり人は世界をそのまま見てはいないのです。人それぞれに違う世界を見ているのです。ではそこでどうすればいいのか、に対する仏教の回答の一つは「日常の行為行動を自覚すること」ですが……なぜそれが回答になるのかは、この本をきちんと読みさらに入門書を越えた本にまで手を出すしかないでしょう。私はこのレベルの入門書でも数日かかるヘタレですので(頭を中和するために違う傾向の本を平行して読んだのでますます時間がかかりました)、「次の本」はもうちょっと先にします。
 
 小松左京の短編だったと思いますが(タイトルは忘れました)、作中に中国の古文の引用の形で「心さえ豊かなら、一日山を見ていても、飽きない」という意味の文章がありましたっけ。これも唯識かな? 少なくとも私にとっては、三島よりこちらの方がしっくりきます。
 
 
19日(土)連休
 世間では三連休だそうですね。
 ……しかしTVで「今日から三連休です」と言っているアナウンサーの皆さんは、お仕事中なんですよねえ。
 
 就職して25年になりますが、実は私、これまで(土曜が祭日だった時を除いて)土日連休を味わったことがありません。就職した頃には世間はまだ土曜は半ドンでした。で、公務員を辞める頃には中途半端な週休二日制が導入されていましたが(「四週六休」と称して、隔週毎に土曜が半ドンと休日を繰り返す制度でした)、その時私は土曜を休めない立場でした(それどころか、土曜も半ドンどころかほとんどフルタイムで仕事をしていました)。民間に移ったらこちらは最初から完全週休二日の契約でしたが、「土曜・平日の半ドン二回プラス日曜」「平日と日曜の休日」ばかりで結局「土日の連休」というのは経験ありません。したがって最近登場した「ハッピーマンデー」も、「連休になるのは嬉しいけれど、三連休?何それ?」状態です。
 で、今回もカレンダーを見て日月の連休か、と思っていましたら……あらら、日曜に仕事が入っちゃいました。それも普段より一時間長く。やれやれ、せめて月曜日が休みだから良しとしましょう。
 
【ただいま読書中】
なぜ、これがアートなの?
アメリア・アレナス著、福のり子訳、淡交社、1998年、2500円(税別)
 
 現代アート作品を見たとき鑑賞者が抱く「何、これ?」という疑問に対して、何らかの回答を与えようとする試みの本です。ただし一般原則としての「方法論」は語られません。ポストモダンの世界では多様性が鍵であり、作品毎にそれぞれ違う世界を表現しているのですから。著者は、具体的にそれぞれの作品を鑑賞して得た印象を述べ、読者はそれを手がかりに自分でそれぞれの作品の前に行かなければなりません。過去百年のアートの歴史についても述べられますが、これはトリビアとしては有用でしょうがあまり博識ぶって知識を振り回すと鑑賞の妨げになるだけかもしれません。
 マルセル・デュシャンに「泉」という作品があります。男性用の小便器を逆さまにおいたものです。著者はこの作品を「我々を訓練してくれるもの」と捉えます。著者が捉えた「意味」を述べた後で著者は第1章の末尾にこう書き記します。
(ここから引用)
 「なぜ、これがアートなの」「どうしてこれが重要なの」あるいは「これが私となんの関係があるの」といった質問や疑問なしに、この便器を見ることは不可能だ。ところがこのような疑問は、通常レンブラントの絵を前にしては抱かない。ただしデュシャンの作品で訓練を受けた私たちは、レンブラントの絵も、同じような疑問をもって眺めることができるようになるかもしれない。
(引用終わり)
 「できるようになるかもしれない」ですよ。なんだかわくわくしてきません? 私はここを読んで現代美術館と「権威ある」伝統的な美術館の両方に行きたくなってきました。
 
 カンヴァスの上の絵の具の染み(絵画)や紙の上のインクの染み(書物)に人は何らかの意味や価値を見出します。唯識を応用するなら、ここで大切なのは、鑑賞されたアート作品の方ではなくて、識によって「見る主体」に取り込まれた世界なのだ、と主張することが可能でしょう。だとすると、あまり「これ何?」という疑問に執着せずに、無心に眺めて「それ」が自分の心の中に起こす波紋を愉しんだ方がお得です。別に「わかる」義務はないのですから。とりあえず「わから」なくても、愉しんだ経験を阿頼耶識に放り込んで、自分をますます豊かにすればOKなんじゃないでしょうか。
 あるいは、第7章に述べられているように、アート作品を「単語」とし、私たちがその単語を使って詩的な文章を作る作業がすなわち鑑賞である、という見方も面白いでしょう。ただ、この本では「詩的」と書かれていますが、私の場合はなんとか文章になったとしてもただの「私的」な文章にしかならないでしょうね。
 
 
21日(月)急がば出るな
 脇道から本線に出ようと一時停止しているとき鼻先を必要以上に突きだしている自動車を時々見かけます。少しでも早く合流したい、という意欲の表れなんでしょうが、あれは無益な行動ではないでしょうか。
 本線を走っている車から見たら、あまり横から突き出されると危なく感じてスピードを緩めてしまいます。と言って、停まると追突が怖いから結局通過することになります。鼻先を突き出していなければ通過車は減速することなくさっさと通り過ぎて車列の切れ目がやって来るでしょう。でも本線を走っている車が減速したらその分車の通過が遅れて合流も遅くなりますし、さらに、後ろにあった切れ目が消失してさらに合流が遅れるかもしれません。
 ということで、早く合流したかったら、他の車をさっさと通過させてしまうか、さもなければ、衝突覚悟で強引に割り込むか、なんでしょうね。
 ……でも、衝突したら、目的地に着くのはもっと遅れます。
 
【ただいま読書中】
人間はどこまで耐えられるのか』原題:THE SCIENCE OF SURVIVAL
フランセス・アッシュクロフト著、矢羽野薫訳、河出書房新社、2002年、2200円(税別)
 
目次
第1章 どのくらい高く登れるのか
第2章 どのくらい深く潜れるのか
第3章 どのくらいの暑さに耐えられるのか
第4章 どのくらいの寒さに耐えられるのか
第5章 どのくらい速く走れるのか
第6章 宇宙では生きていけるのか
第7章 生命はどこまで耐えられるのか
 
 極限状態で人間がどこまで耐えられるのか、生理学者の立場から述べた本です。キリマンジャロ登山やダイビングなど著者自身の体験も交えて話は進みますが、「人間生理学には結局人体実験が必要だが、一番手近にいるのは自分自身だから、生理学者は自分や家族で人体実験をする傾向がある」なんてことを平気でさらっと書いています。
 
 目次を見たら一目瞭然ですが、様々な謎が提起され科学的・生理学的に解説されます。たとえば……
○エベレスト頂上への無酸素登頂は、かつて理論的には肺胞の酸素分圧が足りないから不可能とされていた。それが実現されてしまったのはなぜか。
○アフリカの肉食獣の狩りが短距離走で持久走が無いのはなぜか。
○船が難破して氷山が浮かんでいるような冷たい水に投げ出されたとき「凍死しないためには熱が必要。したがって泳いで運動することで熱を発生させよう。服は泳ぐのに邪魔で溺死する原因になるから脱いだ方が良い」はみごとに間違っている、のはなぜか。
○冷たい水からヘリコプターで救助するとき、遭難者の体を縦に引き上げるのと横にして引き上げるのと、どちらの方が救命率が高いか。
○宇宙船から見られる一番美しい光景とトイレとの関係。
○高山病に関する最初の文献は何か……は正解を書いておきましょう。『前漢書』の紀元前一世紀の旅行記です。
 
 しかし、エベレストのてっぺんで、分析のために自分の肺胞気を採取している人の写真はインパクトがあります。科学者が本来は未知の領域への冒険者であることを思い出させてくれます。
 
 
22日(火)霊薬
 今から約2200年前、秦の始皇帝は不老不死の霊薬を求めて、様々な効能を謳う「霊薬」を服用し、東方の島国の霊峰に霊薬があると聞いて徐福という道士を日本に派遣したという伝説まで残っています。もっとも彼が服用した「薬」には、水銀や砒素なども含まれていたそうで、不老不死どころか聞くだけでこちらの健康が害されそうな代物だったようです。
 しかしこれを「昔の人間は非科学的なあほだなあ」と笑い飛ばすことはできないでしょう。その当時としては、手持ちの知的材料(経験や知識)の中で最善と思われる道を選択しようとしただけで、たとえば我々が当時生きていたとして手持ちの材料が同じだったら彼ら以上の道を示すことができたか、と言えば疑問ですから。
 現在の新聞の広告欄を見ると、真っ当で科学的な栄養学や生活習慣の本よりは、手っ取り早く「健康」が得られる方法や健康食品の広告の方が目立ちます。「決定打」があるならそれ以上の新製品は次々出現しないはずですが、いまだに新製品がどんどん登場するところを見ると、どれも決定打ではないということなのでしょう。それでも「これこそ最高」と宣伝が派手にされています。そういった点では秦の始皇帝に売り込まれた霊薬と紙一重、というか、今の時代の健康食品や健康法やサプリメントは、始皇帝の不老不死の霊薬の現代庶民用廉価版、といったところなのかもしれません。
 視線を逆転させてみましょう。
 今から2200年後の未来の人類が21世紀をどのように評しているかを想像してみます。「生活の基本をおろそかにしておきながら、『健康』になろうとして健康食品などに頼ろうとする非論理的な生活をしていた原始時代であった」と教科書に書かれているか、「我々のように厳密に各個人にベストな組み合わせの栄養処方をするかわりに、原始的なサプリメントなどをそのあたりで適当に入手して手当たり次第に摂取するという野蛮人だった」と書かれているか……そもそも人類が2200年後に生き残っているかな?
 
【ただいま読書中】
インド錬金術
佐藤任・小森田精子 訳著、東方出版、1989年、1942円(税別)
(論文の著者 ヴィジャヤ・デーシュパンデー、S・R・N・ムルティ 他)
 
 錬金術と言えば、私は長いこと詐欺師と混同していました。「ほらほら、こうしたら水銀から黄金が得られますよぉ」と手品よろしく黄金のタネを仕込んだ装置で中世の王侯貴族をたぶらかして大金をせしめる人、というイメージだったのです。ちょうど魔女狩りで特殊な針(ヨーロッパでは「魔女は針を刺しても血が出ない」と言われていたため、刺すと針先が引っ込んで傷をつけない仕掛けの針を使って、無実の人間を魔女として拷問/死刑/財産没収するというテクニックが広く用いられました)を使っていたのと「インチキ→大儲け」のイメージが重なっていたのです。
 しかし、アラビアから得た蒸留という技術(テクニック/テクノロジー)を駆使する近代錬金術はちょっと話が違います。特に16世紀前半に活躍したパラケルススは独自の医学理論と実績から「生薬ではなくて、人が化学的に変容させた物質を薬物として使用できる」という概念をヨーロッパ世界に広めたため、結果として「人体の支配者」が神から人に変わる、というパラダイムシフトを起こしてしまいました。神ではなくて人が人を治療する近代医学のご先祖様です。つまり錬金術は、単に卑金属を貴金属に原子変換する作業ではなくて、世界を変容させる哲学/思想体系でもあったのです(もちろん原子変換も、そのへんの実験室レベルで簡単に実現できたら凄いことではありますが……)。
 パラダイムシフトと言えばコペルニクスですが、彼の『天球の回転』が出版されたのが1543年。古代からヨーロッパ医学を支配していたガレノス医学の解剖学をひっくり返すヴェサリウスの解剖書『ファブリカ』も同じ年の出版(ガレノス医学の生理学をひっくり返すハーヴィの「血液循環説」は17世紀)。宗教改革も16世紀前半。なんだか皆がよってたかってパラダイムをひっくり返そうと努力をしていた時代だったんですねえ。
 
 さらに視野を広げると、秦の始皇帝に妖しげな霊薬を提供した練丹術の道士たちも錬金術師の仲間でしょうし、日本ではあまり知られていませんが古代インドにも錬金術は存在していました。水銀と金と卑金属から金を作り出すだけではなくて、そこに薬草も加えて万能薬を作り出す、という発想は、古代の各地で同時に発生したのかそれとも文化交流によって広まったのか。想像の翼を広げると楽しくなります。
 
 ということで、前置きが長くなりましたがやっと本文です。
 この本は、11世紀インドの化学書(錬金術書)とされている『ラサールナヴァカルパ』とその関連論文の翻訳と訳者の小論をまとめたものです。
 しかし、『ラサールナヴァカルパ』を読んでいると、まるでカレーのスパイス調合レシピを読んでいるような気になってしまいます。中世後期にインド錬金術から人体に有害なものは除かれてしまいましたが、もし水銀が人体に有害ではなかったら、今のインドカレーには水銀が含まれていたかもしれません(ちょっと想像しすぎかな?)。
 
 
23日(水)雨が降ると……
 春の季語はいろいろありますが、私にとっての筆頭は「杉花粉」です。これを私の鼻が感受すると「ああ、春だなあ」としみじみと……
 雨が降ったら、桶屋はどうかは知りませんが、私は花粉が減るので助かります。それでもしぶとく雨の隙間を抜けてやってくるやつがいるようで、ちょっと眼が痒いのは困りもの。
 
【ただいま読書中】
火星ダーク・バラード
上田早夕里著、角川春樹事務所、2003年、1800円
 
 火星で連続女性殺人事件の容疑者を逮捕護送中の火星管理治安局(地球の警察に相当する組織)の水島烈は、突然小型の恐竜たちに襲われて失神、気がつくと容疑者は消え同僚は射殺されていた。すべては幻覚なのか? 同僚を射殺したのはもしかして自分なのか? 果てしない疑惑に捉えられた水島の前に、超共感性を持ち事件の真相を知っていると言うアデリーンという少女が現れる。
 追われる立場となった水島とアデリーンは、追っ手に対してと同時に、少しずつ力を増していくアデリーンの能力にも恐れを感じるが、とうとうアデリーンの能力が暴走を始めて……
 
 文章は生硬で流れも悪く(前半部分では会話の部分が一番ストーリーが流れる、と感じてしまいました)、舞台が火星である必然性も見えず(たとえば谷甲州の場合は「なぜこの星が舞台なのか」は納得できる理由が必ず用意されています)、この本を手に取ったのは失敗だったかな、と思っていましたが、半ば過ぎ、第四章からぐいっと本の中に引きこまれます。人が持つ暴力性と人が持つ善性、宇宙への憧れ、プログレッシブという言葉の意味……そして舞台が火星であることの意味もきちんと明かされます。
 前半をもう少し圧縮して、水島とアデリーンの独立したエピソードをプロローグに入れて……悪役科学者の宇宙でのエピソードも一緒にプロローグに入れたらぐっと締まるかな、なんて、まるで編集者のような気分になってしまいました。私は一体何者?
 
 第4回小松左京賞を受賞した作品です。
 
 
24日(木)ながら勉強
 私は受験生時代、ラジオを聞きながら勉強をしていました。親にしばしば「それでよく集中できるなあ」と言われていましたが、それが普通だと思っていましたし「一応の成績は出しているんだから良いじゃないの」くらいに思っていました。たしかにラジオを切っていた方が集中できますけど、それだと机に向かう時間があまり長くは保たなかったんです。(大体、読書の誘惑に負けてました)
 それが今親の立場になって子どもの勉強態度を見ると……「それでよく集中できるなあ」と言いたくなるので、なるべく目を逸らすようにしています。自分が言われて愉快ではなかった言説は、他人に使いたくありませんから。
 しかし、考えてみたら今の子は大変です。我々の時には勉強の邪魔をするものは、本とマンガとTVとラジオと外遊びくらいでしたが、今はそれにプラスして、アニメとTVゲームとパソコンとインターネットと携帯と……あと、何がありましたっけ? これだけ全部こなそうとしたら勉強する時間が少しでもあるのが不思議なくらいです。いや、恰好だけでも勉強しているだけ大したものです。
 
 そういえば日本の学力は低下しているんですって? 息子も「どうせ僕らは学力低下の世代だから」と言ってましたが、ひねくれ者の私は言い返しました。「それはチャンスだね。皆がガリ勉だったら、頭角を現すためにそれ以上のガリ勉をしなくちゃいけないけれど、皆が勉強しないのだったら、そこそこの勉強で簡単に頭角を現すことができるんだから。昔に比べたら少しの努力で大きな成果じゃない?」 もちろん、使える時間のことは考慮しておりません。
 
【ただいま読書中】
騎士道物語 ──冒険とロマンスの時代』原題:THE REIGN OF CHIVALRY
リチャード・バーバー著、田口孝夫監訳、原書房、1996年、3107円(税別)
 
 騎士道で私がすぐ思い出すのはアーサー王と円卓の騎士ですが、伝説のモデルとなった王は9世紀頃の人で、伝説が成立したのは12世紀だったそうです。空海についての叙情詩を源平合戦まっさかりの時に作るような感じだったのでしょうか。あるいは、戦国時代に源平合戦について述べるようなもの?
 
 本著では中世の実際の騎士がどのようなものだったのかについて述べ、それから騎士道文学について筆を移します。
 古代から騎兵はいましたが、フランク王国時代まではまだ歩兵の方が主力でした。戦略や戦術が成熟するにつれ9〜10世紀頃騎兵は「馬にまたがった戦いのスペシャリスト」である騎士になります。
 騎士になるためには訓練が必要です。個人教授もありましたがトーナメントの方が有名です。たとえば12世紀のトーナメントは集団戦で、捕虜になれば名誉を失うと共に罰金もくらい、下手すれば命を落とす人まで出る荒っぽい実戦訓練でした。ここで鍛えられた若い騎士はその後実戦に赴くことになります。しかし、13世紀にはトーナメントは主に個人戦となり、実戦とは無関係なものになっていきました。
 15世紀には、騎士でも破壊できた投石機に替わって火縄銃や大砲が戦場の主役となり、騎士の出番はどんどんなくなってしまいました。
 
 騎士道の物語は12世紀頃から出現します。(アーサー王伝説もその中の一つです)
有能な詩人が騎士の領主への忠誠を恋人への誓いに置き換えることで一般人にも分かり易い構造とし、要するにウけるようにしたわけです。結局騎士道物語は、叙事詩/ロマンス/超自然的な冒険談/宮廷風恋愛、の四つの要素が複雑に溶けあって一つの物語になったものでした。
 
 リアル世界の騎士は、聖と俗の間でも変化します。十字軍やスペインのレコンキスタの中で、本来俗に属していた騎士は「戦う僧」としての騎士団(テンプル騎士団など)を形成します。十分の一税を免除されるなどの特権を持った聖なる騎士団は、それ自体が一つの権力として中世世界で権勢を振るいます。
 中世末期、世俗国家が確立する動きにつれて、世俗騎士団も姿を現します(ガーター騎士団など)。世俗騎士団は大流行し、全ての君主が騎士団を持つまでになりますが……何かが普及することはふつう「それ」の質の低下を意味します。騎士団も例外ではなく、結局彼らは国家の下僕になっていったのでした。
 
 日本で騎士道に相当するものは武士道でしょう。ただ、騎士と武士では性格は相当違いますし、騎士道文学に相当する文学ジャンルは……平家物語はやっぱり相当違いますよね。やはり全然別物とした方が良いのでしょうか。
 ただ、文明の中で生まれた暴力装置としての騎士や武士が、権力の中でその地位を向上させていったとき、洋の東西でどちらも「道」というシステムで自分たちを抑制し社会の中で居場所を見つけていったというのは、なかなか興味深いものです。
 
 
25日(金)トラブル
 愛知万博(愛・地球博)が今日開幕だそうですが……大阪万博の時に比べてなんだか盛り上がりが悪いですね。かくいう私も「会場で動いているロボットたちがきっと近い将来一般社会に入ってくるんだろうな」という感想は持ちますが、わざわざ見に行きたいかというと……あまり気は乗りません。
 
 そういえば会場への足であるリニモに「先頭車両に乗客が集中したため重さ検知装置が作動して発車できないトラブル」が発生したそうですが……これは本当にトラブルです? 「エレベーターに人が乗りすぎてブザーが鳴り扉が閉まらない」と同様の現象だと思うんですが、これを「エレベーターのトラブル」とは表現しませんよね。単に「安全装置が正常に作動した」現象にすぎないわけで、「安全装置が正常に作動しなかった」はニュースでしょうけれど、正常に作動したのまでニュースですか? なるほど。
 
【ただいま読書中】
ダーウィン教壇に立つ ──よみがえる大科学者たち』原題:Great Scientists Speak Again
リチャード・M・イーキン著、石館美枝子+石館康平訳、講談社、1994年、1748円(税別)
 
 カリフォルニア大学バークレー校で一般動物学の講義を行なう著者は、欠席が増え授業への集中を欠くようになった学生の興味と熱意を取り戻すために、大生物学者のいでたちとメイクアップをして彼らの発見・思想・哲学を語ろう、と思いつきます。著者が扮したのは、ダーウィン・メンデル・パスツール・シュペーマン・ハーヴェイ・ボーモントです。これらの「客員教授」による授業は大成功で、一回だけの特別講義に継続して行なわれる著者「自身」の講義の出席率も上昇するという副産物も生みました。
 
 第一章ダーウィンの講義はこのように始まります。
〔ダーウィン、長くて黒いケープを身にまとい、講堂に入ってくる。腕いっぱいに抱えてきた本を教卓の上に置く。ケープを脱ぐと、茶色のツイードのヴィクトリア朝風フロックコートが現れる。あごひげはふさふさしていて真っ白である。演壇に近づきマイクロホンをとりあげ、不思議そうに試す。そして沈んだ声でゆっくりと話しだす〕
 
 学問的な厳密さを言うなら講義の内容に関して「ここはちょっと違うだろ」と言いたくなる箇所もありますが(特にハーヴェイのところで)……著者に向かって「こうしろああしろ」と偉そうに指示できるのは、著者以上の講義を実際にやってのけた(あるいは、やろうと実際に努力した)人だけに限定されるかもしれません。私は、重箱の隅をつつくよりは、彼の授業を受けたいと思います。科学が人の営みであること。論理と観察と実験だけではなくて、熱意と感情の産物でもあること。成功は保障されず、成功した人でも自分の意が叶ったとは言えない場合があること。この授業で学べることは多岐に渡るでしょう。それは科学を学ぶ学生には大きな財産になるはずです。
 もし私がやるとしたら……杉田玄白に扮して解體新書についてだったらいろいろ言えるかもしれません。ただ、頭をきれいに剃らなくちゃいけないなあ……前野良沢の方が楽かな?
 
 しかし、教師が誰かに扮して授業をするのが効果的としても、全ての教師に演技の素養があるわけではありません。だったら、教師が脚本を書いてそれを役者が教室で演じるのはどうでしょう。やっぱり教育的な効果があるでしょうか?
 教育や演技について、ちょっと考えたくなりました。
 
 
26日(土)説得力
 説得力の源泉は何でしょう? 主張の正しさ? 喋るときの迫力? それともそれ以外のナニモノか?
 
 たとえば私が周囲の人に「ねえねえ、一足す一は二でしょ。で、二足す二は四なんだよ」と主張したら、この言説に説得力はあるでしょうか? まずありません。あっさりスルーされてしまうでしょう。おかしいですねえ。まったく正しいことを主張しているのに……
 私が暴力的な人間で(もちろん暴力の実績は十分)、「カラスは白い。俺の言うことを信じろ。信じないと殴るぞ」と拳を握って見せたら、私の言説に説得力はあるでしょうか? 私の主張はとりあえず反論されないかもしれませんが、それは私に説得力があったからではありませんよね。
 私が詐欺師だとして、私が詐欺師だと知っている人に対して「これを買ったら儲かるよ」と言ったら、私の言説に説得力はあるでしょうか? 「これ」が、買ったら本当に儲かる商品だったとしても、おそらく信じてはもらえないでしょう。でも、私が詐欺師だと知られていなかったら?
 私が泣きながら何かに対する思いを切々と語ったら、冷笑しながら「俺はこれが好きなんだよ」と言うよりも周りの人間は共感してくれないでしょうか。
 
 結局、主張そのものが「正しい」論かどうかはあまり重要ではなくて、むしろそれを主張する人の感情の使い方とかその人が信頼に価する人間と見なされるか、で主張に説得力が生じるのではないか、という結論になってしまいました。さて、この私の主張には、説得力はあるでしょうか?
 
【ただいま読書中】
R.U.R. ロボット』(カレル・チャペック戯曲集I)
カレル・チャペック著、栗栖継訳、十月社、1992年、2718円(税別)
 
 「『ロボット』という単語の初出はカレル・チャペックの『R.U.R.』である」はSF者にとってはお馴染みのトリビアです。しかし、その原典を読んだことのある人、舞台を見たことのある人は……たぶんとっても少ないでしょう。私は今回やっと読めましたが……驚きました。1920年の作ですって? ちっとも古くありません。細かい言葉遣いを調整すれば、今上演しても通じますよ。
 科学と技術の分離、技術と資本主義の関係、人の孤独、ロボットに魂は宿るのか、人に魂は宿っているのか、人は神になれるのか、ロボットの幸福とは、人の幸福とは、ユートピアは人間にとっての理想郷か……ロボットもののテーマはほとんど含まれていますし、ロボットの人類への反乱に対して「ロボットに人種を導入したら、仲間割れを起こして人間に対しての反乱が鎮まるだろう」という、バベルの塔かよ、と言いたくなるアイデアまで登場します。さらに、「巨人を作ったが脚がわけもなく破裂してしまう」なんてことまでさり気なくセリフで言われます(体重は身長の3乗に比例するが、骨の力や筋力は脚の断面積(つまりは身長の2乗)に比例するので、単純に人をそのまま拡大した形の巨人では脚が体の重さを支えきれない、という物理学のお話です。これ、理解できない人が案外多いの)。
 
 本著には、もう一つ『白疫病』という戯曲とチャペックのエッセーがいくつか収められています。300年の支配の後オーストリアからやっと独立し、東欧では珍しい民主主義/資本主義の国として発展したチェコ(とスロバキア)が、やがてナチスに支配されていく時代の中で、ナチスに抵抗していたチャペックの世界と人類に対する思いが本に満ちあふれているような気がします。
 
 
27日(日)手打ち蕎麦
 昨年末からしばらく手打ちをやっていないので、今日は蕎麦の手打ちをしました。おかだ家では蕎麦の手打ちは家族的イベントで、いざ始めると一家で大騒ぎです。
 やはり3ヶ月のブランク(?)は大きく、練り始めたら手加減が変です。頭の中で再計算をしたら……私が水加減を間違えました。加水率50%をどうやったら計算間違いできるのか自分でもわかりませんが、とにかく水が多すぎます。捨てるのはもったいないですから、さらに水を足して加水率200%として電子レンジに突っ込みました。簡易そばがきの作製です。表面から盛大に水蒸気が出るまで加熱して取り出します。初めてやってみたのですが、なかなかの出来です。そのままポン酢をかけてもいけましたが、小さく油で揚げたのに塩をぱらぱら(10年近く前に松本の蕎麦屋で食べたのを真似してみました)。これまたいけます。
 で、こんどはきちんと計量して子どもに練ってもらいます。それを受け継いでのそうとすると……やはり手触りが変です。玉を手でつぶしていくと、縁に盛大なひび割れが。「今日は失敗だ」と家族全員に宣言します。記録を見ると12月と室温湿度はほとんど変わっていませんから、他に違う条件と言ったら水温が低すぎたのかあるいは水が足りなかったのか、とにかく粘りが足りません。しかたないので(今日はこればっかり)、いつもの厚さ(1.5mm)の倍くらいでのすのをやめて田舎蕎麦風にすることにしました。せっかく封を切らずに保存していた新蕎麦の粉なので捨てるのはもったいない(本当に今日はこればっかり)。それでもなんとか食べられるものになりました。これが商売だったら許されないものでしょうが、ちゃんと食べてくれるのだから家族とは有り難いものです。
 しかし、そばがきに田舎蕎麦。もうお腹いっぱいです。
 
【ただいま読書中】
誰でも打てる十割そば ──水回し棒法・袋法・容器法でそば打ち革命
大久保裕弘著、農文協、2002年、1100円(税別)
 
 蕎麦打ちをこれからの趣味(の一つ)にしようと昨年決心してから、私は『初めてでもこれならできる そば打ち入門』(無名蕎麦の会編、主婦の友社)とDVD『達磨 そば打ち指南』(高橋邦弘)と『サライ 2004年9月2日号(特集:日本の名蕎麦、特別付録:蕎麦打ち入門)』(小学館)を買いましたが、家内が買ったのがこちらの本です。「十割蕎麦は難しいんだろ」と聞きかじりの知識を振り回してみましたが、この本に書いてある通り、木鉢ではなくてビニール袋(本当はビニールではなくてポリエチレン製)を使っても簡単にちゃんと手打ち蕎麦ができるのにはあきれました。ただ「手を使った」という満足感を得るためにはやはり木鉢に粉と水を放り込んでこねこねする方が良いのですが……プロと同じ過程を愉しむのが目的ではありませんから、結局どんな方法でも良いのです。伝統は大事にして、でも合理的な改革はやってみる、という著書の姿勢は、真似したいものだと思います。
 今日やってみた簡易そばがきの製法もこの本に載っています。それ以外にも蕎麦粉を使った料理が各種載っていて、その内にいろいろやってみたいと思わせてくれます。
 
#この本も含めて他のそば打ちの本やそば打ち関連のホームページに「最初の水回しでの水加減が難しい(グラム単位での調整が必要)」とありますが、今日はそれが身にしみました。打つたびに次回はどこを改善するかを考えて実行していますが、さて次回はどうしようかな。水の問題だとすると、ビニール袋法よりは、木鉢で水は少し少な目にして手でこねてその手触りで水を微妙に加える方が微調整が効くのですが、それだと息子に参加してもらいにくいし……
 
 
29日(火)シャンプーのCM
 TVでのシャンプーのCMは、髪が長く若い女性が半裸で登場する、が定番のようですが、何か決まりでもあるのでしょうか? 洗髪は、たぶん女性の方が熱心だとは思いますが、人類の半分である男だって洗いますよね。男をモデルに使っても良いように思うのですが……(昔はキムタクが出たこともあるそうですがこちらは未見です)
 立派なオッサンである私としては、画面に登場するのが半裸の男性よりは女性の方が嬉しいとは思いますが、女性の視聴者はどうなんでしょう? 「あんな髪になりたい」と思わせることができるからモデルはやはり女性の方が良い? そしてオッサンはムフフと喜ぶ。
 ……あら……「これでいいのだ」だったんだろうか。
 
【ただいま読書中】
お尻とその穴の文化史
ジャン・ゴルダン/オリヴィエ・マルティ著、藤田真利子訳、作品社、2003年、2400円(税別)
 
 「文化史」とあるので原始時代の芸術の話からでも始まるかと思っていましたら、お尻の解剖学・生理学から話が始まりました。そして次が浣腸の話。文明の黎明期から存在する「肉体と魂を浄化するために浣腸するのが良い」という迷信が現代にまでしぶとく生き残っていることを著者は面白がります(そういや日本でも「宿便を取る」をうたい文句にしているあれやこれやがありますね)。しかし、浣腸シーンの版画を売ったりおまるでの排泄シーンを写真にとって絵はがきにしたり……19世紀末のフランスもなかなかやるなあ。
 そして、アナルセックスの章ですが、北米の異性愛女性の25%がアナルセックスを経験しているって……これは多いのでしょうか少ないのでしょうか。さらに、旧約聖書・古代ギリシア・コーラン・古代インドや中国から日本にまで話は飛びます。日本の男色文化の伝統は、けっこう世界に知られているのかしら。しかし男同士のからみがいくつも描かれている古代ギリシアのゴブレット、これで酒を飲んだら美味いのかな。ちなみにアリストテレスは同性愛がお嫌いだったようです。
 次は高尚(?)な「芸術とアヌス」の章です。フランスでお尻がしっかり描かれた画が登場するのは18世紀初めで、その理由は何かが語られます。彫刻では、そして文学ではどうか(『ガルガンチュワとパンタグリュエル』が例に引かれます。引用もたっぷり)。中世から近代への変革は、お尻の描写にも現れているのでした。
 
 話はアヌスの健康と病気の章に突入します。著者は医者だけあって、ここは懇切丁寧に述べています。きわめて真面目な態度です。偏見と差別にまみれた人体の部分にきちんと光を当てようとしています。そして最後に、マリリン・モンローの死について驚愕の推論が……
 
 お尻の穴は人に見せるものではない、という文化的躾を私は受けて育ちました。だから扉のないトイレでは居心地悪く感じます。だけど、それを恥ずかしいとはしない文化もあるわけです(私から見たら異文化ですが)。
 ……すると、電車で堂々とお化粧している人を見て私が居心地悪く感じるのは、人前で排泄している人を見ているのと同じような感覚で見ているからかもしれません。「法律違反をしているわけじゃないし、こちらが目を逸らせばそれで良いんだろう。だけど、そんなことを堂々と人前でやるなよ、と言いたいなあ」といった感覚。やってる方からしたら「何が問題なの?」なんでしょうけれど。正しい/間違っている、ではなくて、恣意的な文化のお話です。
 
 
30日(水)ニッポニア・ニッポン
 私がこの言葉に初めて出会ったのは今から三十数年前、小松左京の短編『保護鳥』です。ヨーロッパを旅する青年が出会う人ごとに「ニッポンは元気か?」と問われてとまどうシーンから始まる小説です。結局この「ニッポン」はニッポニア・ニッポン(朱鷺の学名)で、その意外さゆえに記憶に強烈に刷り込まれましたが……あれれ、結末はどうだったっけ? ホラーだったのはなんとなく覚えているのですが内容はきれいに忘れています。
 当時から朱鷺は数が激減しており、それに対して、「絶滅しそうだ、保護しよう」と巣から追っ払ったり、「保護しよう、全鳥捕獲だ」とケージに閉じこめたら狭すぎて枠にぶつかって怪我して死んだり、結局人間が何かアクションを起こすたびに朱鷺は順調に数が減って、結局日本産の朱鷺は絶滅してしまった(人間が絶滅させた)わけです。あわてて中国からもらったので、現在日本にいるニッポニア・ニッポンは中国出身鳥です。
 本当に「保護」するのだったら、トキが自然に住める環境まるごとを「保護」しなければ意味がないと私は思うのです。「トキ」の保護なんだから「トキの体」だけを確保したらよい、と言葉の帳尻合わせをやればよいというものではないでしょう。もっとも自然環境を本当に保護するためには、人間の側に相当の覚悟が必要ですけれど。たとえば佐渡島にはこれ以上ビルも車も増やさない宅地開発は凍結、とか……無理でしょうね。
 
【ただいま読書中】
ニッポニアニッポン
阿部和重著、新潮社、2001年、1200円(税別)
 
 今の言葉だとニートになるのかな、他人と交わらずネット漬けの生活を過ごす少年、鴇谷(とうや)春生は、その名前(鴇=とき=朱鷺)のためか朱鷺に異様にこだわり、「ニッポニア・ニッポン問題の最終解決」計画を立てます。その選択肢は三つ、飼育/解放/密殺。
 計画立案・支援のために鴇谷はインターネットを活用します。文中にもネットからの引用が散りばめられます。ちょっと多すぎてうるさく感じるほど。
 ……私にとってネット利用は当たり前の現実生活の一部でしかありませんが、この作品が出版された当時には、常時接続やネット利用そのものがまだそれほど一般的とは言えない状態だったでしょうか(たった四年前のことなのに、すぐには思い出せません)。それだったらそういったネット世界描写の混入によって異化効果が生じるかもしれません。少なくともネットに無縁の人にはインパクトがあるでしょう。
 読みながら、20年近く前のことを思い出しました。ワープロ専用機が普及し始めた頃に、ワープロ使用経験そのものや誤変換の数々をネタにして書かれた小説やエッセーがけっこうたくさんありました。はじめは面白かったのですが、そのうちに「またかよ」と思うようになり、自分でもワープロを使うようになったころにはそんな作品は眼から直接忘却回路に流し込むようになってしまいました。
 「新しいこと」はその新奇性だけをネタにするのは限界があるのでしょう。テーマではなくて小道具として有効に使えたら、その作品は長持ちするでしょうが。
 
 閉じこめられている朱鷺と閉じこめられている(閉じこもっている)主人公の対比で話がずっと進んでいくのかと思っていたら、最後にとうとう主人公は計画実行のために佐渡島に渡ります。そして飼育センターに潜入し……むうう、この結末はなんだかショボンです。閉じるわけでもなければ開くわけでもない。宙ぶらりんで「なんとかしてくれ」と言いたくなります。まあ、それが人生なんでしょうけれど。
 
 そうそう、本文中では「ニッポニア・ニッポン」なのに、タイトルは「ニッポニアニッポン」。たかが中黒一つの有無ですが、意味が大きく変わってしまいません? これは著者の意図なのでしょうか? 意図だとしても私にはそれがちゃんと読めません。中黒が消えることによって鳥の学名ではなくてニッポン(日本)に関する表現になってしまったように感じるのですが、私の深読みかなあ。
 
 私は純文学と大衆文学の区分がさっぱりわからない人間なのですが、この『ニッポニアニッポン』は純文学なのでしょうか? 肯定も否定もできませんのでとりあえず純文学と仮決めします。私は、真面目なジャンルを読みたかったら専門書を読むし、愉しみたい場合はわくわくどきどきの娯楽作品を選択します。ということで「このジャンル」にはこれまで(そしてたぶんこれからも)あまり個人的需要を感じないんですが、本好きとしてはやはり問題のある態度かなあ。映画だったら「このジャンル」の作品は大好きなんですけどね。
(ここまで書いて「ニッポニアニッポン 芥川賞」で検索したら、125回芥川賞の候補になっているんですね。なるほど、これが純文学なのか、と納得(書く前に調べましょう))
 
 
31日(木)勝った負けた
 第二次世界大戦は、枢軸側(日独伊)と連合国側(米英仏ソ中など)の対戦で、結果は連合国側の勝利、と私は理解していました。しかしよく考えたら話は単純ではありません。
 
・フランスは連合国側です。しかし、第二次世界大戦勃発直後フランスはドイツに降伏し三分割されます(ドイツ占領地・ヴィシー政権管轄地・イタリア占領地)。ヴィシー政権はドイツに従うことをフランス国民に指令し、その結果仏領インドシナ(現在のベトナム)の植民地軍にも侵攻してきた日本軍に協力することが命令されます。喜んで従ったか嫌々従ったかレジスタンスをしたかはわかりませんが、形式的にはベトナムのフランス軍は日本軍の下請けになったわけです。すると、亡命政府とレジスタンス以外は、フランスは枢軸側である、ということになるのでしょうか。
・東欧各国は、ドイツとソ連によって「山分け」されました。すると、ソ連の側は連合国、ドイツの側は枢軸側、と単純に分けてよいのでしょうか。するとたとえば、ポーランドの半分は戦勝国で半分は敗戦国?
・タイは、何を思ったか、連合国に対して宣戦布告をしました。するとタイは敗戦国? 誰もタイをそんな風には呼びませんけれど。
・朝鮮は当時「日本」です。亡命政府をアメリカにでも作って独立運動をやったとかの実績があればフランスと同じ扱いにできるかもしれませんが、さて、そんな「実績」があるのでしょうか(無知ゆえ、確言しません)。
・イタリアは誰が何と言っても枢軸側……です。しかし、ドイツがポーランドに侵攻した時(1939年9月1日)イタリアは中立を守りました。イタリアが英米に宣戦布告したのは1940年6月10日です。そしてドイツと共に戦いましたが、1943年7月にはクーデターが起きてムッソリーニは逮捕(後にドイツによって救出される)、9月には休戦宣言。10月には対独宣戦布告。
 あれれ、いつの間にかイタリアは連合国側です。するとイタリアは戦勝国?
 
 「戦争に勝った」「負けた」というのは二者択一だと思っていたのですが、なかなか現実世界は複雑なようです。
 
#蛇足ですが、勝ち負けがなかなか複雑だからと言って、「敗戦」を「終戦」と言い換えるのは、私はあまり好みではありません。
 
【ただいま読書中】
ムッソリーニを逮捕せよ
木村裕主著、新潮社、1989年、1456円(税別)
 
 1942年2月5日、ジュゼッペ・カステッラーノ大佐はローマ参謀本部勤務を命じられます。49歳の准将となったわけですが、この若さで参謀本部付きはイタリア軍では初めてのことでした。
 勤務を続けるうち、外務大臣チアーノ(ムッソリーニの娘婿)や宮内大臣アックワローネがカステッラーノに謎めいた接触をしてきます。
 戦局は少しずつ悪化し、国内には反ファシズム反ナチの機運が高まってきます。しかし、政府高官が公然と反旗を翻せば粛正されます。カステッラーノおよびその上司である参謀総長アンブロージオは、まず戦局が悪いという事実をすべて隠さないことから始めました。そして、雰囲気によって国王の意を汲み、数少ない言葉のやり取りだけで数少ない同志がムッソリーニ逮捕計画を進行させていったのです。官邸警護の兵士、ファシスト軍団の私兵、ローマ駐留ナチ親衛隊やドイツ師団などに妨害されないように、危険な綱渡りが行なわれます。
 1943年7月連合軍がシチリア島上陸(史上最大の作戦として有名なノルマンディより大規模な作戦でした)。そしてローマに初の空襲。この空襲を実行したのは、東京初空襲を行なったドゥリトル少将の部隊で、ムッソリーニはショックを受け国民の厭戦気分は高まるのですが、同時にムッソリーニ逮捕を担当する予定だったアーゾン将軍が爆死し、反ムッソリーニ陣営にとっては大打撃となる事件でした。
 そしてついにムッソリーニを逮捕したカステッラーノは、連合国と交渉するために中立国とはいえ枢軸よりのためゲシュタポがうようよしているスペインに潜入します。
 
 ……ここまででやっと本の半分です。もうたまらん。書くのはやめて読む方に専念します。
 
 しかし、何かがうまくいかないときに、特定個人に責任を押しつけて解決を図る、というのはどこにでもあるやり方ですが、実際ムッソリーニはたしかに「責任者」ではありますが……連合国側もムッソリーニに全ての責任を押しつける形でイタリアにドイツから離れる口実を与えた、というのは、なかなか上手いやり方だったと言えるでしょう。だけどやっぱり個人の責任で、というのはなんだか釈然とはしません。