2005年11月
 
1日(火)足あと7777番目は
 論2さんでした。
 拍手(ぱちぱちぱち)。なんか良いことがありますように。
 
【ただいま読書中】
民営化される戦争 ──21世紀の民族紛争と企業
本山美彦著、ナカニシヤ出版、2004年、2000円(税別)
 
 「歴史は現場の証言である」と著者は述べます。同時に歴史は忘却によって作られる、とも。「歴史を記録する者」に都合の良いモノは記録され、都合が悪いモノは記録されないことによって忘却されるにまかされる。安部公房の「消しゴムで書く」をふっと思い出します。そういえば周の歴史の中で殷は悪逆非道で倫理や道徳など欠片もない非人道国家ですが(だからこそ周によって殷が滅ぼされた)、最近になって発掘された甲骨文字で読み解かれた殷の実態はけっこう「普通」の国家だった、ということも思い出します。「イラクの大量破壊兵器」は3000年後の歴史ではどう書かれているんだろう、ともふっと思います。
 
 本書は「銃を握った民間人が戦争業務を請け負っている」というだけの単純な本ではありません。もちろんかつての傭兵の流れを汲む軍事プロバイダー企業は、たとえばアメリカ軍や国連軍の下請けとして20世紀末から21世紀はじめの戦争(ソマリア・ボスニア・コソボ・アフガニスタン・イラクなど)で「活躍」してきました(「アメリカ軍を派遣するには危険すぎる地域」という理由でペンタゴンから民間軍事会社に「業務」が依託された例まであります)。しかし、直接戦闘を行わない軍事コンサルタント企業や後方支援の企業もぐんぐん成長しています。皮肉なことにその動きの後押しをしたのは「平和」です。20世紀末に大々的に行われた軍縮で整理されてしまった軍人たちが、個人であるいは部隊丸ごと企業に就職してそういった業務を請け負うようになっているのです。国としてもわざわざ素人を時間と金をかけて訓練してあっさり殺されるよりも、そういった専門家集団に下請けさせる方が、「国民の命」という点でもコスト面でも有利なのです。
 ちなみに、1990年代に米軍が民間会社に委託した業務は、兵員輸送・給食・清掃・洗濯・遺体の洗浄・通訳・武器のメンテナンス・情報分析などなど……ハイテク兵器の操作やメンテナンスも軍人よりはそれらを開発した会社の人間の方が詳しいから、会社のチームが丸ごと戦場に移動して戦争に参加することも珍しくないそうです。
 さらに、そういった業務や金の流れだけではなくて「回転ドア」と称される人事の問題も生じています。チェイニーは国防長官から1995年に天下りしてハリバートン社のCEOとなりました。2000年に副大統領になったため会社とは縁を切りましたが……イラクの油井消火の70億ドルものお仕事がハリバートン社に発注され、ペンタゴン出入り企業の中で発注額順位が37位から7位に大躍進しています。さて、政と財の癒着はあるのでしょうか無いのでしょうか?(正解は「あってはならない」でしょうね)
 
 かつて「シビリアン・コントロール」とは、暴走しがちな軍人にブレーキをかけるために文官がコントロールすること、のはずでした。しかし現在のアメリカでは、軍事に関する民間会社の人間が政府の要職につくことで「戦争を嫌がる軍人(だって、大切な兵器は壊れるし自分たちの命も危ないんだもの)を文官が叱咤して戦場に駆り出す」ものに変質してしまっているそうです。(「シビリアン」は本当は市民のこと、はちょっと脇に置いておきます)
 
 イラク復興も独占的にアメリカ企業が請け負いました。企業は破壊でもうけ、復興でも儲けるわけです。どこぞのODAが金を出した国の企業に発注されるお話は、なんだかのどかなものに見えてきます。
 第四章では、戦費をまかなうためにイラク国民歴史博物館の遺物をウォルマートがネット・オークションにかけ、最初に出てきた金の皿をラムズフェルドが500万ドルで落札したことが記されています。ついでに著者はこの章丸ごと使ってウォルマートに対する批判を書きますが、何か恨みでもあるのかな? 「将来イラクが裕福になったら買い戻せば良いんですよ」というセリフで国の財宝を勝手に売り飛ばされたイラク国民が怒るのだったらわかるんですけどね。
 著者は、反米/反グローバリズムの立場を鮮明に打ち出しますが、私はそれを見るとちょっと引いてしまいます。大量の資料を精密に組み立ててみせることに注力して、その価値判断は読者に任せてくれたら良かったのになあ、と思ってしまうのです。「小泉はブッシュのポチだ」と言われると「小泉さんだって日本の国益くらい少しは考えているでしょうに」と思わず小泉さんの弁護をしたくなってしまう……私は天の邪鬼です。
 
 ついで話は巨大企業戦争に流れていきます。たしかに巨大企業は阿漕なことをいろいろやっていることはわかりましたが、これは戦争と言うよりは経済のお話だよね、と読んでいると、最後の章、世界各地の民族紛争にいかに民間企業が絡んでいるか、が示されます。元ベルギー領コンゴをめぐる紛争なんか、読んでいて頭が痛くなります。
 単に軍事産業だけが戦争に関係しているのではなくて、政治と癒着した複合巨大企業の一部門がたまたま軍事を扱っているだけ、ということなのかもしれません。これは考えてみたらおそろしいことです。企業の目的は(アメリカでは)株主に配当を行うこと。そのために戦争が適当な手段と言うことになったら、当然企業は「それ」を選択するでしょう。「こんどはこの辺で戦争を起こしたらどうだろう?」「儲けの総額はどのくらい見込める? それと投資の回収にはどのくらいかかるかな」「リスクは? 人員の損耗が多いようなら外注しよう」「じゃあ、ちょっと政府に行って進言してくる」……これで戦争発生……良いのか? ただの陰謀論ではなくて、根拠が様々挙げられた上でこう話が組み立てられると、とってもいや〜んな気分です。
 
 
2日(水)蜂蜜
 子どもの頃、私は蜂蜜があまり好きではありませんでした。いえ、あの甘さと香りは好きだったのですが、扱いが苦手だったのです。スプーンですくうとタラタラ流れ続ける糸がいつまでも切れずなかなかスプーンを瓶の外に出せません。あせって動かすとこぼれて回り中べたべたします。早く取り出したいのに取り出せない。だんだん苛々してきます。いっそ口を瓶の上に持っていってスプーンをそのまま口にねじ込んでやろうかとも思います。
 今にして思うと、なんであんなに焦っていたんでしょう。子どもには現在にも未来にもあんなに時間がたっぷりあったのに。
 今朝食卓にセージの花の蜂蜜の小瓶が置いてありました。昨年お歳暮に頂いた詰め合わせの最後の一本です。サイモンとガーファンクルの「スカボロ・フェア」が脳裏に響きます。スプーンですくうとつーーーっと垂れる細い糸。やがて、ぽとんとしずくになります。この一滴を花から集めるのにどのくらいのミツバチがどのくらいお仕事をしてくれたのでしょうか。
 
【ただいま読書中】
精神科医がうつ病になった ──ある精神科医のうつ病体験記
泉基樹著、廣済堂出版、2002年、1500円(税別)
 
 「医者の闘病記」はそれだけで一つのジャンルにまとめられるかもしれません。私が初めてその系統を読んだのはおそらく『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』でしょう。古い時代の本で医者が闘う自らの病は慢性腎炎や結核が多いようですが、最近は癌系統が多いように感じます。
 で、これはうつ病。ちょっと毛色が変わっています。肉体の疾病なら、罹患したのが医療職だろうが非医療職だろうが、その進行に大きな差はありません。「患者」があらかじめ持っている知識が違うから、当人が医者だと絶望や希望の度合いが素人よりは大きいかもしれませんけれど。しかし精神病だと、その知識の差によって病気の進行そのものも影響を受ける可能性があります。「病は気から」と言いますが、なまじっか自分がそれに対する専門知識を持っていると、「気」も「病」も大きな影響を受けてしまいそうです。
 
 著者は、父親と上手くいかないことなどからぎくしゃくした学生生活を送っていました。尾崎豊を夢中になって聞いた世代です。高校で出会った唯一の親友の影響で医学部に進学しますが、先に卒業して就職した親友は仕事のストレスなどから重度のうつ病になってしまいます。それを知って著者は初めて精神科の勉強を真剣に始めますが、半年後に親友は自殺してしまいます。自分は親友を救えなかった。自責の念から著者は精神科を志します。しかし生来真面目で手を抜くことを知らず、さらに目の前の患者にすべて親友の姿を投影するあまり、著者は少しずつ追いつめられ不眠となります。初期研修がすみうつ病棟に配属された著者はそこで難治の患者の治療に苦しみ、疲れとプレッシャーとストレスと、祖父母の他界と運命の出会いとも思えた彼女との別れとが重なり……とうとう重度のうつ病になってしまいます。しかし著者は自分が担当する患者への責任感から、極量を越える抗うつ剤を服用しながら仕事を続けます。もちろんそれはうつ病をさらに悪くすることでしかありませんでした。とうとう著者は、自分には精神科医の資格がないと思い詰め、医者をやめるかそれとも自殺するしかない、と思います(このように悲観的に、柔軟さを欠いた思考をするのも病気の影響で、著者は自分でも「これは症状だ」と自分に言い聞かせますが、そういった思考のループからの脱出は自力ではできないのです)。
 別れたはずの彼女が心配して付き添ってくれ、とうとう著者は仕事を続けることをあきらめて休職をします。これは(当時の)彼にとっては敗北宣言だったかもしれませんが、実は病気の回復の始まりでした。
 しかし「困った患者」です。主治医に現在飲んでいる薬を聞かれて極量を越えていることをごまかそうと嘘を言うのですから。これでは治療がスムーズにいかないでしょうに。実際はじめの薬は効きませんでした。間違った情報に基づいた作戦は上手くいかないのです。これは戦争でも医療でも経済でも同じこと。
 幸い次の薬が効果を示し始め、著者はそれまでモノトーンだった風景に少しずつ色がついてくるのを感じます。でも実はその時期が危ない。疲弊しきった状態では自殺したくても身体が動きませんが、回復過程では身体が動くようになってきますから、実はその時期の自殺が危険なのです。まったく困った病気です。
 「リハビリ」として精神科のデイケアに非常勤で勤め始め、そこで著者はそれまで自分がやっていた治療が「自分が救えなかった親友を救おうとする努力」であったことを自覚します。目の前の患者ではなくて、自分の過去を救おうとしていたのです。だから常に全力以上を発揮しなければならなかったし、いくらやっても満足感がなかったのです。そうではなくて目の前の患者そのものに一期一会の覚悟で対峙することに心を決めたとき、著者はまた白衣を着て現場に復帰する決心ができました。
 
 著者は言います。「うつ病は心の風邪」という言い方があるが、本当は「うつ病は心の肺炎」。適切な治療を受けないと、命を落とす、と。
 プロフィールを見るとまだ若いドクターです。これからも落ち込んだりうつ病が再発することがあるでしょうが、その人生に幸多かれと祈ります。
 
 
3日(木)30人31脚
 TVの中で小学生が必死に走っています。その姿を見るだけでなぜかこちらは目が潤みます。
 地方予選決勝3チームのうち2チームは同じ小学校の隣同士のクラス。先生も生徒も複雑な表情です。
 しかし、嘘かほんとか、「このクラスには、一人だと50メートルを10秒以上かかって走る子もいる。だけど30人だったら10秒切れるんだ。みんなでがんばろう」って……で、本当にそんな記録で走っちゃうんだから……集団の力って不思議です。
 
【ただいま読書中】
象を飼う ──中古住宅で暮らす法
村松伸著、浅川敏(写真)、晶文社、2004年、1800円(税別)
 
 アジア建築史家の著者は、国立市で画廊オーナーのために建てられた一軒の住宅に一目惚れします。建築家林雅子設計の「ギャラリーを持つ家」が、バブル崩壊のあおりで売りに出されていたのです。5年間放置されていたため、無数にヒビの入ったコンクリート・部屋の中にキノコが生えているくらいのすさまじい湿気・雨漏りなどの難点はありますが、プロとしての目で判断しさらに住宅のプロの友人の評価とアドバイスも得て、著者は購入を決心します。しかし物件は抵当権が複数設定されており、さらにほぼ同時に購入希望者が別に現れ、とうとう話は調停に持ち込まれます。半年間の調停で売り主との人間関係もこじれ、やっと契約できたときに著者が得たのは、半年分さらにぼろぼろになった家とその中に残された4トンのゴミでした。
 著者一家はそのゴミを自分たちで分別します。アルバムなど前所有者の思い出の品々……それを一つ一つ処理することはその家に残された前の家族の記憶に対する「供養」だ、と著者は述べます。そしてその供養の過程が重荷になるから日本では中古住宅の流通が欧米ほど盛んではないのではないか、とも。
 新規に住宅を建築するとき斜面などの環境を活かして建物を設計するように、中古住宅の場合は土地/建物を一体の「与えられた環境」として、その上に新しい(そこに住む人たちのための)生活空間を再構築することが中古住宅のリノベーションだ、というのが著者の考え方です。しかし先立つものがありません。学者夫婦二人の将来30年分の稼ぎを購入のために全部つぎ込んでしまったのですから。膨らむ夢とボロボロの家という現実と薄い財布のバランスをどう取るか、それも著者に依頼された建築家の腕の見せ所になるのです。しかも林雅子さんはモダンリビングの申し子。「その家族」のためのオーダーメイド設計です。それをいかに新しい住み手に使い勝手がよくなるようにするか……
 著者は中古住宅のリノベーションを人体治療になぞらえます。まず現状を診断しそして治療するのです。根本的な治療ができない場合は、日々のまめな手入れ(養生)で対応することになります。その手間の大変さを著者夫婦は「象を飼うくらいの手間」と言います。その象使いの苦労を楽しむことも生活の一部だと。
 
 南面全面をおおうはめ殺しの大きな窓は通風も悪く夏には炎熱地獄を生みますが、秋から冬には気持ちの良いサンルームです。一階のギャラリーは現在はもったいない空き空間ですが、それがあるからこそ心のゆとりが生まれます。何か「悪いこと」の裏返しは何か「良いこと」、それを見つけて家を飼い慣らし、同時に家に影響を受けて著者は生き方を変化させていきます。その「生活」は、家の中だけに留まらず、家の外側、自転車で行ける範囲内でも自分は生きていることを著者は感じます。そして仕事でアジアの各都市をフィールドワークするときのように著者は国立の街をゆっくり探索していきます。
 
 著者にとって、家は「家族の幸せを入れる器」なんだな、と感じます。いや、それは著者に限ったことではないのですが。
 
 
4日(金)あしあと7890番目
 先日7777番を発表したばかりですが、やはり四桁最後の上り連番も記念しておこうと思いました。
 ぱんぱかぱーん。Martinさんです。おめでとうございます。
 さて、次は8888ね。八八八八と書くとなんか笑ってるみたいだ。
 
 
4日(金)医者が足りない
 朝日新聞の一面トップの記事が「医師の偏在・不足で、地方が独自の優遇制度」です。朝日は医者を叩くのが社の基本方針ですから、ここで問題にしたいのは「偏在」と「優遇」なのでしょう(「偏在するのは医者の我が儘だ」「医者を優遇するとはけしからん」)。ついでに「不足」に関しては政府を叩けば良いと思っているのでしょうが、回り中なんでも叩けばいい、というのは、お気楽な態度だなあ。
 そういえば20年くらい前になりますか、「薬価差益廃止運動」を朝日が熱心にやってましたっけ。「医者の儲けを少しでも減らしてやる」という固い決心で、結局医薬分業が行われ患者は院外薬局で薬をもらうことになりましたが、その結果患者の自己負担が増えたのは皆さんご存じなのかな? 独立した薬局を維持する費用が新しく発生しますから、その分医療費はふくらみ、したがって患者の自己負担も増える、という仕組みです。これで誰が幸せになったんだろう?
 そもそも「薬価差益」も変なことばです。商品を卸値で買って小売値で売ることを許さない、というのですから。小売値で買って小売値で売ったら、人件費や設備費はどこから出るんです? 棚卸しの時の在庫に発生するコストはどこで吸収するの? さらに、卸業者から納入されるときには消費税が発生しますが、健康保険では患者に売るときには消費税を取ってはいけないことになっています。消費税分医療機関は丸損です(つまり薬価差益ゼロとは卸値よりも安く小売りしろ、という主張だったわけ)。
 なんというか、ケイザイの基礎も知らない人が制度に口をはさむとろくなことにならない見本、という気がしますが、まあこれはすんだ話。今の問題は医者不足の方ですね。
 
 夜中や休日に自分や子どもが急病になった人なら「日本には医者が溢れている」とは言わないでしょうが、政府はそうは考えていないようです。もう何年前になるかな、日本の医学部の定員を10%減らす政策を採っています。それでもまだ削減が足りないようで、さらに医学部そのものを間引きする提言も行っていましたっけ(具体的に、各地方(中国とか東北とか)で一つ医学部を廃止する、と言われて、旧帝大は「自分の所は大丈夫」と言いつつ心配し、新設や旧二期校はものすごい危機感を持っていました)。
 だけど http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/02/txt/s0225-1.txt を読むと以前の委員会でも「医者が余っている」とは言われていなかったようです。あれれ、じゃあなぜ医学生を減らしたんだろう?
 
 本当に医者あまりが生じるのなら、国家試験を厳しくすれば良いんです。そうすれば、人数は絞れるし医者のレベルは高くなるし、一石二鳥でしょう。ついでに不良医者(それこそ薬価差益に頼って患者を薬漬けにするような連中)はどんどん免許を剥奪すればいい。医師会に自浄能力を期待してもどうせ無理ですから(というか、日本で充分な自浄能力を持った団体ってあるのかな?)、外部の公正な委員会で審査すれば、少なくとも「余っている悪徳医者」の整理はできそうに思いますが。
 
【ただいま読書中】
『SFマガジン 11月号』
早川書房、2005年、890円(税込み)
 
 先々月末に発売されたのを、約一ヶ月遅れでやっと今頃読んでいます。
 今月号、もとい、先月号、表記は11月号だからやっぱり「今月」号?は「地球環境問題SF特集」。マイクル・クライトンが2003年にコモンウェルスクラブ・オブ・カリフォルニアで行なった挑発的な講演がトップです。エセ科学虚説を平気で主張する「科学者」、それを面白おかしく垂れ流すマスコミ、俗説を自分のために利用する政治家や官僚、トンデモを鵜呑みする「善意の人々」、虚説で金儲けをする商人……それらをまとめて切って捨てます。「環境保護主義」を「宗教」である、と断言するのです。彼の論旨は明快です。「事実」と「論理」を無視して、思いこみに基づいた主張を繰り返し続けるのは宗教でしかない、と。もちろんクライトンは環境問題が存在することは重々承知です。その上でこのように断言するには相当の勇気が必要でしょう。困ったチャンの活動は結局環境問題の真の解決を遅らせるだけだからそれを何とかしなければ、という危機感からのことばでしょうが……これを真っ向から受け止めるには、科学的な知識と論理的な思考と冷静な判断力がたっぷり必要そうです。
 初っ端の短編は『エリカの海』(G・デイヴィッド・ノードリイ)。環境保護のために捕鯨船の邪魔をする船に乗り込んでいるエリカは、深海から信じられないメッセージを受けます。鯨が補食している大王イカに実は知性があり、捕鯨禁止で増えたマッコウクジラによって絶滅の危機に瀕していると彼らが直に訴えてきたのです。
 「知性ある動物を殺すことは許さない」と行動してきたエリカは、ではイカはどうなのか、と自らの主張によって板挟みになってしまいます。そこでエリカが選択した行動は……
 動物を殺すのに知性の有無を問題にするのは、結局ナチスがやった夜と霧の焼き直しになってしまう可能性があるから、今さらそんな主張をしている人はいないと思いますけどね。でも単純に善悪を論じることができない刺激的な作品です。
 そして『ベアーズ・ベイビー』(ジュディス・モフィット)。地球を征服した異星人によって過激な人口抑制と環境保護を強制されている地球人の物語です。これまた読んでいて苦い思いがします。
 
 地球環境問題をここまで真っ向から論じた作品を読むことができるのは、SF者の特権?
 
 
5日(土)叙勲
 秋の叙勲のニュースが目に留まりました。「ああ、また役人が元役人を内輪褒めする季節か」と思っていましたら、最近は叙勲者に役人の占める率が減少しているそうで、思いこみをあまりいつまでも強固に持っていると時代に遅れてしまうんだな、とも思いました。もっとも、同じ仕事をしていても就職先が国立だったら叙勲アリで、民間企業だったら叙勲ナシってのは、よくわかりませんが。役人から見たら「お国のために尽くした」という感覚なのでしょうが、民間企業だって結果としてはお国のために尽くしていません?(たとえば税金は同じことをやっている国立の施設より納めてます)
 
 遠い親戚が叙勲を受けたときにお祝いを述べたら「驚いたよ。叙勲の知らせとほぼ同時に業者がお祝いパーティーやら記念品の案内をしてきた」と笑いながら言われたのを思い出しました。今だったら「役所内での個人情報の管理はどうなっている!」と言われるんじゃないかな。それともめでたさに免じてOK?
 
【ただいま読書中】
『プレジデント 2005年10月31日号』
プレジデント社、650円(税込み)
 
 初めて買ってみた雑誌です。特集が「大学と出世」。表紙に躍る文字は「人事部の証言『役に立つ大学、期待はずれの大学』」「『出世力』ランキング一挙公開!」「100大学の『就職力』ランキング」「全国・高校の『進学・地頭力』格付け」「トップが本音で語った『学歴と採用・昇進』」「初公開!28業種『学閥コネクション』一覧」
 ……いやあ、表紙を見るだけでそそられます。日本がいかに学歴社会であるか、一目瞭然ですね。
 頁をめくると、たとえば一部・二部・地方上場会社の社長や役員の出身大学のランクづけが載っています。どこの大学を出た人が多いか、の比較です。社長と役員の絶対数の比較だけではなくて、それぞれ大学学部の学生数で補正をしたデータまであります(マンモス学部と少数精鋭の学部を社長になった数だけで単純に比較したら統計としてはアテになりませんから)。東大京大がランクの上にいるのは予想通りですが、慶應が善戦しているのが(こう言っては関係者には失礼な発言になってしまいますが)意外でした。慶應は本来反体制ではなかったのかなあ。
 このランクで上位の大学(学部)に行ったからと言って社長や役員になれる保証があるわけではありませんが、日本の一応の傾向は見て取れる、というわけです。予備校などにある偏差値による大学ランキングとはまた違った視点が興味深いものです。ある意味「実用的」です。あと「女性が社長・役員になりやすい大学ランキング」「プラチナ資格(国家公務員1種、司法試験、公認会計士など)を取りやすいランキング」「ベンチャー企業の社長・役員になりやすいランキング」などもあります。
 座談会ではけっこうシビアな意見も出てます。「東大出はたしかに優秀だが、それは1/3。1/3は普通で、残りは人としての何かが欠落したような人。たぶん厳しい受験戦争で人間性をすり減らしてしまったのだろうが、そんな人は企業に入っても使い物にはならない」なんてのも。「東大」というレッテルも今では丸ごと信じない方がよいようです。
 
 ただ、このような雑誌を読んで「一流企業に就職するにはこの大学だ」と選択してその結果うまく一流企業に就職できたとしても、それがすなわち「勝ち組」になったことを意味するのではないのですから人生は難しい。だって歴史を見る限り、「現代の花形産業」は「20年後の斜陽産業」なのですから。
 
 
6日(日)同等の扱い
 何年前だったかなあ、職場の飲み会で「子どもは全員同じように育てている」という人に意地悪くツッコミを入れたことを、なんのはずみかふっと思い出しました。
 その人は、5歳6歳半8歳だったか5歳6歳7歳だったかの年齢が等間隔の男の子3人兄弟の親をやっていました。「たとえば長男さんが5歳のとき『お兄ちゃんなんだからもう自分でやりなさい』って言ってませんでした?」「うんうん」「で、今5歳の末のお子さんにも同じように『全部自分でやりなさい』と言ってます? それとも『まだ小さいんだからできなくて仕方ない』と思ってます?」が私のツッコミでしたが、偶然みごとにツボを突いたようで……「あっら〜、たしかに差をつけているわ」という反応を引き出してしまいました。
 
 なんでこんなことを思い出したんだろう?
 
【ただいま読書中】
史料が語る太平洋戦争下の放送
竹山昭子著、世界思想社、2005年、1900円(税別)
 
 太平洋戦争下の放送といって私の脳裏に浮かぶのは、「○○軍管区発表」の空襲警報と8月15日の玉音放送です。でも実際の放送とその舞台裏はどんなものだったのでしょうか。本書は残された数少ない史料によって、実際の放送がどのように行われたのか、そしてそれを国民がどのように捉えていたのかを明らかにしようとします。
 1940年に設置された内閣情報局が、マスメディア全般の統制を行いました。そのうちラジオに関する規定が「大東亜戦争放送しるべ」(のち「大東亜戦争放送指針彙報」)で、その第14集(1942年7月)から第41集(1944年11月)までがほとんど現存しています。
 
 戦争は、ラジオに苦難を与えると共にその発展も促しました。
 たとえば電波管制と資材不足で雑音や周波数の変動などで聴取不良地域が増大しました(東京地区では出力150キロワットを昼間10キロワット夜間500ワットに減力したため、横浜でさえ聴取不良となってしまいます。軍は敵機による電波探知を防止するために電波管制を高圧的に要求しますが、逓信省・日本放送協会は国民に情報を届ける責務がありますからなんとか技術的に解決しようとしました。電波管制によってぴーぴーがーがーざわめく雑音と周波数変動の中で、なんとか聞こえるニュース(命に関わる空襲警報など)を国民に伝えるために。そういった努力が戦後にせめてもの財産として残されることになります。
 もともとラジオのニュース原稿は同盟通信社から配信される新聞用の原稿を口語にリライトして使っていました。しかし臨時ニュースや大本営発表が直にラジオで行われるようになったことからラジオは新聞から自由になりました。
 戦時放送の柱は、ニュースと講演です。時局を知らせることと挙国一致体制の維持が目的でした。アナウンサーがニュースを読む口調は戦前は淡々としたものでしたが、戦時は雄叫び調になりました。本書にもありますが、現在の北朝鮮のニュース口調を連想します。息抜きはたとえば「ラジオ太郎」です。番組と番組の間の空き時間に「防空演習」「貯蓄の奨励」といった国策宣伝をユーモラスに語る時間で、アナウンサーがいかに親しく語りかけるか自分で工夫したそうです。音楽放送も国民の士気高揚を目的として勇壮なものが中心に選ばれました。
 戦争によってラジオは不偏不党のメディアから、輿論を形成し国民を指導するものへと変貌したのです。
 
 雑誌「放送」や新聞に対する聴取者からの投書は、はじめは賞賛が多く批判は少なく要望はほとんど無し、というものでした(ただしこれは掲載分なので、実際の投書の傾向がどうだったかは確定できませんが、軍の意向で動いていることが明らかな放送局に「もっと別の番組を」という要望はまずなかっただろう、とは思えます)。戦局が悪くなると「玉砕のニュースのあとに演芸番組を流すとはなにごとだ」「空襲警報下で慰安放送(音楽など)を流すとはなにごとだ」という非難も出てきます。これらもラジオへの不満と言うより戦局への苛立ちの表明と捉えた方がわかりやすいと思います。さらに大戦末期になると「勝った勝ったばかりではなくて負けたときには負けた、と言え」といった「大本営発表」に対する批判まで投書されるようになります。
 しかし朝日新聞1944年1月23日の「ラジオはもつと面白くならぬか」はなんとも面白くて皮肉な記事(記者が評論家や一般の人からラジオへの要望を聞いてまとめたもの)です。「批判性の欠乏は世間全般の流れだが、特にラジオにはなはだしい。ラジオの報道だけをきいてをれば戦争はとつくに日本が勝つてゐなければならぬことになるではないか」という意見がその中にあるのだそうですが……よく検閲を通りましたねえ。ラジオに対する批判に見せていますが、これはラジオを統制している内閣情報局、さらにはその上の軍部・政府に対する立派な批判です。ふうん、ちょっと朝日新聞を見直したぞ。手足も口も縛られていても、これくらいは言えるんだ。
 
 
7日(月)パラダイムシフト
 パラダイムについては6月15日にも書きましたが
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=21643316&owner_id=235184
しつこくもう一回。
 
 世の中を眺めていると「パラダイム」ということばはけっこう気楽に使われています。「今こそ新しいパラダイムを」とか「パラダイムの変革が望まれる」とかね。
 だけど、パラダイムシフトはそんなに気楽にできるものでしたっけ? トーマス・クーンの定義に従うと、世の中の常識の基盤/学問の基礎的概念で学校などで教育されることで継続性を持っているものがパラダイムです。ちょっと新しいことを思いついた、程度ではシフトしません。だってそれは世の中がひっくり返ることなのですから。
 
 天動説をひっくり返したコペルニクスは、もともと忠実な天動説論者です。それがとことんプトレマイオスの宇宙観を研究した結果「宇宙の中心を地球から太陽に移せば、観測結果がもっと合理的に説明できる」と言っただけ。アインシュタインにしても、マイケルソン=モーリーの実験(どう観測しても光速度が一定)を説明するために登場したローレンツ変換(宇宙空間にはエーテルが存在することを前提としていた)を「エーテルが存在しなくても、空間そのものが伸縮すると考えれば説明できる」とさらっと言っただけ。つまりパラダイム変換を起こす人は、革命家というよりは良き保守主義者(であろうとしてなりきれなかった人)と言った方が実態に近いように私は感じるのです。過去の学問体系を徹底的に研究してそのすべてに通じる、ってのは「保守主義者」でしょ? ただ、あまりに優秀な保守主義者だったから過去のシステムの瑕疵が見えて、誰も思いつかなかったユニークな視点からの改善方法も思いついて、それを提唱する勇気も持っていた……で、その結果としてパラダイムがシフトする。つまりパラダイムシフトは「目的」ではなくて「結果」に過ぎないのです。
 過去の有名人にケチをつけて安直に「否定」するだけで世の中が動くとか自分が有名になれると思ったら、甘い甘い。
 
【ただいま読書中】
図説 宇宙科学発展史 ──アリストテレスからホーキングまで
本田成親著、工学図書、2003年、1600円(税別)
 
 中高生から上を対象とした本です。見開き右側1ページに解説、左側に図説、の構成となっています。図があるおかげでずいぶんわかりやすいのですが、図があるおかげで解説が圧迫されて駆け足になっています。この本で興味を持った人は次のレベルの本を読めばいいのでしょう……って、参考図書が挙げてありません。ぶう。こういった本では、索引と参考図書リストは必須だと思うんですけどねえ。
 
 解説は短くても中身は手を抜いていません。ニュートンの業績と彼の説が成り立つための前提(絶対空間と絶対時間)が、エーテル説実証の「努力」によって揺らいでしまいアインシュタイン登場につながる流れなど、わかりやすく書かれています。
 さらにビッグバン仮説が登場し、それによって宇宙研究が素粒子研究とつながります。夜空を見上げて極大の話をしていたはずなのにそれが突然極小の話になってしまうのですから、お釈迦様もびっくり。このへんの感覚が「科学の面白さ」の一つですが、それをいかに上手く伝えられるかが科学ガイドブックのキモです。単なる偉人伝や業績の羅列なら論文の適確なサマリーを羅列してもらった方がマシですが、その点で本書は合格ラインを越えていると言えるでしょう。
 そして「ビッグバンで宇宙が始まる前はどうだったのか」という根源的な問い。これに対するピレンキンの「『前』などない。なぜなら『無』だから」という「回答」とホーキングの「実時間はない。あるのは虚時間(だから『前』だの『後』などを論じるのは無意味)」という無境界化説。わ〜い、頭がねじれます。
 「宇宙のトンネル効果」「インフレーション理論」「真空の相転移」「3度K(絶対温度)宇宙背景輻射」「宇宙の晴れ上がり」「ダークマター」などなど、宇宙論には魅力的なことばが溢れています。
 
 こうしてあらためてみると、宇宙論は壮大華麗な仮説体系です。そのどこかにとんでもない瑕疵があったら、それは仮説体系から妄想体系に移行してしまうのですが……天動説論者は「太陽が昇る(沈む)」「星が空をめぐる」「地球は動いていない(動いていると感じられない)」という「事実」から綿密な仮説体系を構築しました。(「仮説」ではなくて「真実」としたところにも問題はありますが、その体系内部では証拠も論理もちゃんと完結していました) それとほぼ同様に「この宇宙が存在する」「この宇宙はこのように観測される」という「事実」から我々は現在の宇宙論を得ています。まだわからないこと/説明不能なことはありますが、ともかく現在の所では最善の結果、と言って良いでしょう。でも、もしかしたらかつて天動説に起きたのと同じことが将来宇宙論にも起きるかもしれません。さて、その時まっとうな科学者だったら「宗教裁判所」を作るよりも新しい仮説を検証し議論し、そしてその結果が妥当なものなら喜んで受け入れるでしょう……喜んで受け入れるはずです。科学は宗教ではないのですから。
 
 
8日(火)太った半月
 手ぶれのせいか半月がちょっと太ってしまいました。
 電線を五線譜に月を音符に見立ててみたかったのですが……残念ながらそうは見えませんね。
 
【ただいま読書中】
江戸の生薬屋(えどのきぐすりや)
吉岡信著、青蛙房、1994年、2500円(税別)
 
 天正十八年(1590)、徳川家康は江戸城に入りました。その時小田原の薬種商・益田友嘉が江戸本町四丁目の掘っ立て小屋に「眼薬五霊香」を並べたのが江戸薬店の始まりとされています。他の本で読んだ知識では当時江戸では砂埃のせいで眼病が流行していたので、五霊香はとぶように売れたことでしょう。その後薬店の数が増えたため、幕府は本町三丁目を薬種問屋の町に指定します。
 当時薬の処方は「秘法」とされていました。しかし自らも熱心な薬マニアだった家康は処方の公開にも熱心でした。そのため幕府は薬の製造流通に熱心で、それまでの「施薬」が「売薬」に変化していきます。
 江戸時代はセルフメディケーション(病気になったら自分でなおす)が常識です。いきおい、薬屋が繁盛します。庶民の場合「医者にかかる」はファースト・チョイスではありません。怪しげな民間療法も多かったことでしょうが、「病気になったら医者に行く」が一般市民の常識になったのは戦後健康保険法が施行されてからのことですから、その「常識」は半世紀の寿命しかまだ持っていないのです。
 
 商人は株仲間を作りますが、それは薬種商も例外ではありませんでした。幕府は株仲間に市場独占の特権を与え、そのかわり冥加金を求めます。問屋組合には生薬の品質保証や流通ルートの整備も幕府によって求められました。民活ですね。
 
 江戸で売薬していた階層は以下の5つに分類できます。武家、寺院、医家、生薬屋、香具師・行商人。
 寺院はわかります。日本の歴史で最初に「医者」の名に値する行動を集団で取ったのは僧医(特に密教)ですから。(それ以前の律令時代にも制度として医学制度は定められていましたが(医疾令)、実態はどうもお寒いものだったようです)
 「医師、生薬屋、香具師・行商人」は中世ヨーロッパの「医師(大学出)、床屋外科(徒弟制度)、薬剤師」とどことなく構造が似ています。ただヨーロッパの階級制と日本の身分制との違いはありますが。
 武家はよくわかりません。幕府や大名家が独自の薬を持っているのですが、なんだか適切なイメージが湧かないんです。「打ち身の薬が欲しいから、松平紀伊守殿のお屋敷に買いに行く」なんて馬琴の日記も本書に紹介されているのですが……
 
 京屋伝蔵(山東京伝)は絵師や黄表紙の執筆活動のかたわら煙草入れの店をやり、そこでさらに薬も売っていました。記憶力アップ・ぶらぶら病が治る・心労が癒えるが売り文句の「読書丸」です。自分の黄表紙にちゃっかり自分の店やそこで売っている薬などの宣伝も載せていますが、CMのはしりですね。
 滝沢馬琴も一家総出で売薬作りをしていました。奇応丸や神女湯が主力商品です。
 式亭三馬も、つぶれかけた生薬屋を買い取って、江戸中の女性に売れたという「江戸の水」(おしろいがはげぬ薬)で一山当てました。彼のベストセラー『浮世風呂』にもちゃんと自分の店や商品のCMを出しています。
 当時の原稿料がお話にならないくらい安かったから副業をせざるを得なかった、というのが通説ですが、収入は薬の方がはるかに多いのですから経済的には執筆の方が副業です。著者は、「作家」は身分外の存在だから身分制度の「中」に入るために「副業」を持たざるを得なかったのではないか、という仮説も紹介しています。うん、こちらも納得できます。
 
 
9日(水)チョコレート工場
 家内の誕生日の前夜祭……じゃなくて大体一週間くらい前祭(って、なんだ?)で評判の映画「チャーリーとチョコレート工場」を一緒に観てきました。もうやっている映画館も少ないから遠慮なく内容について書きますので、リバイバルなりビデオなりを何も知らずに楽しみたい人は以下を読まない方が吉です。
 
 警告しましたからね。
 
 しかし「悪役」の子どもたち、いかにも現代の子どもたち風で良い味出してます。で、その「悪徳」が「大食い」「貪欲」「驕慢」「傲慢」って……聖書の七つの大罪(の子ども版)ですか? 彼らは自らが犯している大罪によって、チョコレートの表面に自らの墓穴を掘って沈み込んでいくように我々の目の前から消えていきます。結果として残ったのはチャーリーだけ。
 ではチャーリーはそういった「七つの大罪(の子ども版)」を犯さなかったから、ウォンカさんの言うことをおとなしく聞く「よい子」だったから「ご褒美」をもらえたのでしょうか。そうではないでしょう。印象的なのは、チャーリーがゴールドチケットを最初の二枚のチョコレートでは得られなかったことと、願いが叶いそうになったとき「ノー」と2回言った(チケットを手に入れたときには売ろうとしたし、ウォンカさんの工場譲渡の申し入れも最初は断った)こととの呼応です。チャーリーは決して何でも受け入れる「よい子」ではありません。彼は「チョコレート工場への愛」と「家族への愛」との間で引き裂かれそうになり、そして自分で決断をしました。
 そういったチャーリーの行動(と姿)がウォンカさんにとっては初めて見る「鏡」だったのでしょう。映画の最後に「ウォンカさんは『家族』を得たのです」と語られますが、決してウォンカさんはチャーリーから家族というプレゼントをもらったわけではありません。彼も自分で決断をしたのです。映画のラストシーンにウォンカさんのお父さんはいませんでした。和解したのなら一緒に住んでも良いでしょうに……子どもは親から自立し、一人で生きる、あるいは「自分の家族」と生きるもの、というのがウォンカさんの選択だったのでしょう。
 チャーリーが行なったのは、ウォンカさんが否認していたものをふたたび彼が選択できるように目に見える形にして提示したことです。いや、ウォンカさんはチャーリーを「鏡」として、自分の姿を見ることができるようになっただけとも言えます。それはウォンカさんに「見る眼」があったからこそ可能だったのですが。
 ウォンカさんの人生を選択するのはウォンカさん、チャーリーの人生を選択するのはチャーリーだけです。他の誰もその選択を肩代わりしてはいけませんしできません。
 
 しかし、一番活躍したのはあのウンパ・ルンパ族のおっさん(?)たち? 映画を通して最後まで一番目立っていたような気がします。ウォンカさん、あなたは本当はとってもハンサムでしょ? そして、クリストファー・リーさん、「ロード・オブ・ザ・リング」に続いてこんなところでお会いできるとは……そしてティム・バートン監督ぅ、いろんな映画などから引用してくれてそれらも楽しめましたが、まさか自分の映画「シザー・ハンズ」(ウォンカさん、もとい、ジョニー・デップが主演してます)からも引用してくれるとは……これは反則ですよぉ。
 
 映画が楽しかったので、本日の【ただいま読書中】はお休みです。
 
 
10日(木)へとへと
 「行ってきまーす」と家を出て二つめのカーブを曲がったとき、バイクの挙動が変なことに気づきました。後輪のパンクです。一瞬迷います。時間に余裕はありますからこのまま坂道を下ってバイク屋に飛び込んで修理をするか、それとも自宅に引き返すか。朝のこの時間、バイク屋はまだやっていないかもしれません。その場合空き地にでも置いて電車で出勤し帰りに修理ということは可能ですが……何を問題にしているかというと、1キロ以上(最悪の場合2キロ以上)を押して下ることと数百メートルを登ることを比較しているのです。パンクしたまま長距離走ると、タイヤだけではなくてホイールも壊れますから降りて押さなくちゃいけませんが、下りは楽で登りはしんどい。結局Uターンをしました。楽な方を選んで長い距離を移動してそこでにっちもさっちもいかなくなるのはごめん、というのが私の判断です。
 重い。さすがに100キログラムを越えるバイクを坂道を押して上がるのは、肩と腰と手首と足にキます。段々胸も苦しくなります。普段の運動不足が明らかです(決して加齢による筋力低下とは認めません)。息も絶え絶え状態で帰宅して、さて、もう一回「行ってきまーす」。一日の仕事はまだ始まっていません。
 
【ただいま読書中】
キス・キス』異色作家短編集(1)
ロアルド・ダール著、開高健訳、早川書房、2005年、2000円(税別)
 
 昨日観た映画「チャーリーとチョコレート工場」の原作者の短編集です。映画から帰ったところにペリカン便で届きました。シンクロニティと言うほどのことではありませんが、ちょっと幸せです。
 異色作家短編集のシリーズを読んだのは……中学の時だったか高校の時だったか、学校の図書室で見つけてずらりとむさぼり読みましたが……本書の解説で阿刀田高さんが書いていますが、本当に「目から鱗の落ちる思い」でした。短編ってこんなにすごいんだと感じたのです。内容についてはもう記憶は残ってません。おかげでもう一回新鮮に楽しめます。
 
 「女主人」……著者の淡々とした記述を読者が勝手に補完してもう一つのストーリーを紡ぎ出してしまう作品ですが、それが完成したときにはもう手遅れなのです。本当に短いこの短編が本書の冒頭で読者をロアルド・ダールの世界に引きずり込んでしまいます。
 「ウィリアムとメアリー」……肉眼で見えるのは一見『ドウエル教授の首』の過激版(ちょっとグロ)なのですが、話の眼目はそこにはありません。それはタイトルが示しています。コワイお話です。
 「天国への登り道」……これまたこわいよぉ、こわいよぉ。話がストレートにしゃんしゃん進んでいくのですが、無駄な記述がありません。ラスト、フォスター夫人のうっすらと浮かんだ「満足の笑み」がこわいよぉ。
 「牧師の楽しみ」……骨董をめぐる滑稽譚(?)です。日本での「なぜかこの鉢を猫の餌入れに使っていたら、子猫がよくもらわれていくんだよ」を思い起こしますが、こちらはもっとシビアな結果です。話の途中から結末は予想できますが、著者はゆうゆうと読者を筆に乗せて気持ちよく運んでくれます。おかげで最後に「ほーら、やっぱり、自業自得だよん」と言うのが快感になってしまうのですから、著者は曲者です。短編小説がアイデアだけでは成立しないことがよくわかります。
 「ビクスビイ夫人と大佐のコート」……「著者が文字として書いていない物語」や「登場人物が口に出せないこと」が大きな役割を果たしています。ビクスビイ夫人のジレンマがお気の毒。
 「ローヤルゼリー」……こく普通(?)の静かなホラーですが、今から半世紀前にこのような「科学的(またはエセ科学的)」な小説を書いたことは評価に値すると思います。
 
 これで半分。いやあ、楽しい愉しい楽しい愉しい。
 
 そういえば本書には『キス・キス』という作品はありません。なんでだろう。ただ「キスはとってもおそろしいもの」と思わせる作品だったらあるのですが……
 
 
11日(金)キムチの味の変化
 家内が漬け始めて3日目はまだ落ち着いてなくて、白菜にまぶした唐辛子を食っているような感触でした。口の中がきんきん痛いのです。だけど1週間になると白菜がしんなりしてきて同時に味がまろやかになってきています。辛いことは辛いんですけどね、3日目のより唐辛子の尖り具合が丸くなってきた感じ。食べているときの汗の出から見ると(私は辛さによる味覚性発汗が敏感なのです)、「辛さの絶対量」に変化はないようなのですが、それをカバーする成分が出現してきているのでしょう。もう少し白菜がしんなりしているのが私は好きなので、もう一週間か10日先のできが楽しみです。
 
【ただいま読書中】
アメリカ海兵隊の太平洋上陸作戦(上)
河津幸英著、アリアドネ企画、2003年、2400円(税別)
 
 水陸両用作戦(Amphibious Operations)に関する著作です。「アンフィビアス」には「水陸両用」と「揚陸」の日本語訳がありますが、著者は、陸に上がってからの作戦が主体の海兵隊用語の場合は「水陸両用」、陸上では戦わない海軍用語は「揚陸」で使い分けています。
 水陸両用作戦のコンセプトは、1921年エリス海軍少佐の「近い将来日米が太平洋で戦うが、それは島の争奪戦になる。海兵隊の最も重要な任務は、島の警備ではなくて、日本軍が待ち伏せる島を武力で攻略する敵前強襲上陸になる」という研究論文をレジューン少将が計画として承認したことに始まります。
 それまでの上陸作戦は、敵守備が手薄な海岸に夜陰奇襲上陸するものでした。しかしエリスは敵が最も固めているところに昼間強襲することを主張したのです。味方の損害も大きくなりますが、そこを一挙に破ればあとの掃討は短時間に終了するので結果としては「お得」という発想です。そのための作戦(偵察・掃海や支援砲撃)や新しい武器(上陸用舟艇など)も開発が行われ、海兵隊は水陸両用作戦部隊としての性格付けをされました。
 日本軍が飛行場を建設中だったガダルカナル島に対しては「普通」の上陸作戦が行われましたが、その後新兵器が次々現場に投入されます。キャタピラに水かきを付けた水陸両用輸送車、歩兵用から戦車用まで様々なサイズの上陸用舟艇(この基本アイデアが実は日本の大発だったというのも皮肉な話です)などが開発され現場で試されることになります。
 最初の強襲上陸戦となったタラワで、米軍は総兵力18000の内戦死1000負傷2100という大損害を出しています(日本軍は4800(うち軍属1500)のほとんどが死亡。特に兵員は99%の死亡率ですが自決があるにしてもこれはあまりに高すぎるので、著者は米軍兵士による負傷者の虐殺を疑っています)。米軍は、指揮統制・艦砲射撃支援・航空支援・上陸機動・海岸堡の確保・兵站すべての面にわたって欠陥・能力不足があると総括し次からの損害を減らすために大幅な改善を行いました。陸軍主力はニューギニアからフィリピンに向かいますが、海軍は太平洋の諸島群を一つ一つ潰していかなければならないのです。
 マーシャル群島、サイパンとサンゴ礁の島々を米軍は一つずつ落としていきます。その戦いを通じて軍事テクノロジーはシステム化されます。サイパンではバズーカが大量に投入され、テニアンではナパームが実戦投入されます。海兵隊は進化していったのです。
 
 なんというか……島々に数千人ずつ守備隊を配備したらそれが順々に各個撃破されていくのですから大本営としては悪夢だったでしょう。といって一箇所に集中配備したら他が手薄になって好き放題されてしまいますし……攻撃も大変ですが守備は(戦略が不適切だと)もっと大変なことになってしまうんですね。
 
 
12日(土)握りにくい回しにくい
 そのへんにいくらでも転がっている金属製のドアノブやドライバーの柄は、どうしてあんなに握りにくくて回しにくいんでしょう。握力が落ちた人・指や手首の動きが不自由な人・皮膚が乾燥したりして滑りやすい人に対して、わざと使いにくいように作ってあるのか、と思ってしまいます。
 
【ただいま読書中】
全員反対! だから売れる
吉村克己著、新潮社、2004年、1300円(税別)
 
 本書で取りあげられているのは、エクセーヌ・IC電卓・音楽CD・オートフォーカスカメラ・自動包あん機・産業ロボット・カローラ・胃カメラ・アナログレコードプレーヤーの開発者たちです。彼らの共通点は「すでに老境にあること」と「新製品の提案を会社の会議などで全否定をされたのに、それに逆らって開発を進め成功した」ことです。本による「プロジェクトX」ですね。
 エクセーヌがアメリカのセールスマンの意見で裏表をひっくり返したらヒットが大ヒットになったとか、包あん機(饅頭の皮とあんを合体させて自動的に包む機械)が世界中に受け入れられて大ヒット、というのは意外でした。いや、世界中で饅頭が作られるようになったわけではありませんよ。詳しくは本書を読んでください。
 
 笑っちゃうエピソードがあります。IC電卓開発のために新しい半導体開発を依頼した日本メーカーはすべてにべもなく拒絶したため開発者は渡米します。ここでも軒並み断られるのですがやっと一社だけ製造を受けてくれて、結果として大ヒット商品になり日本の他の家電メーカーからもその米半導体メーカーに注文が殺到します。ものすごい売り上げです。すると日本の半導体メーカーの幹部が「貴重な外貨を海外に流出させる国賊だ」と開発者を非難するのです。自分に先見の明がなくて儲け損なった鬱憤晴らしをしようというのでしょうが、見苦しいことこの上ないですね。だったら最初に断らないで自分が引き受けて開発をすれば良かったのです。長銀を立て直すのに入札に参加しないでおいて後になって「貴重な財産を外資に売り渡した」と非難した人がいたのを思い出します。
 失敗のリスクを取らずに、新企画が成功した「後」になってからごちゃごちゃ言うのは、それだけで経営者としては失格だと思うんですけどねえ(「私はかつて経営判断を大間違いして儲け損ないました」と白状しているわけですから)。リスクを取らずに安全策に徹するのならそれはそれでけっこうです。リスクを取って失敗する人をあざ笑っていれば良い。だけど、自分が回避したリスクを冒して成功した人の悪口を言うのは経営者としてというより人としてみっともない。黙ってほぞをかんでいればいいのです。
 社内でも、「成功させた」人は結果としてそれで褒められるわけですが、その足を引っ張った人もその行為をちゃんと「後」から評価されるべきではないかなあ。安全なところから「自分は多数派である」ことだけを判断の拠り所にして先駆者の邪魔をする連中は、「間違った判断」をしていた場合には厳しく評価されるべきではないでしょうか。先駆者も失敗だった場合にはその責を自分で負うわけですから。
 ……もちろん新しいことを始めるときの会議は紛糾するべきだとは思います。全会一致というのは失敗の序曲でしょうから。
 
 本書冒頭で紹介されている「障子全盛の時代にガラスを発明したら、『重い』『割れる』『障子紙のように巻けない』など障子の利点の裏返しはすべて欠点として全否定されるでしょう。しかし、ガラスの良さが一度理解されたらそれらはすべてプラス評価になるのです」という意味のことばが通奏低音として本書には鳴り響き続けています。
 
 そうそう、本書の登場人物の多くにはもう一つ共通点があります。「戦争体験の大きさ」です。人によって表現することばはちがいますが、戦争体験が個人の思想や感情にどのくらい大きな影響を与えたことか。そういったものを持たない私は、何を拠り所にしているのかなあ。
 本書に載っているのは「成功例」だけです。だけどその陰には物凄く多くの「失敗例」も眠っているでしょう。多くは失敗するべくして失敗したものでしょうが、中には見る眼がない上司などによって殺されてしまったアイデアも多いはずです。南無。
 しかし「成功というのは一つの結果に過ぎない」とか「成功することが目的ではなかった」とかさらっと言えるのは、成功したからこそなのか、それともそういったことが言えるくらい広い視野を持っているからこそ結果として成功してしまったのか……一度さらっと言ってみたいとは思いますけど……
 
 
13日(日)タイヤ交換
 パンクしたバイクの後輪はもうつるつるになっていたために、交換となりました。そういえば最近ちょっと後輪がずるりと滑ることがあったなあ、と今さらのように思います。キケンです。こんどから気をつけます。
 バイク屋からの電話は「タイヤは8000円くらい。お届けだとさらに1200円かかります」「取りに行きます」即答です。タイヤの取り寄せに1日かかり翌日は雨だったため昨日職場からの帰りは電車に乗ってバイク屋のある町に寄りました。いやあ、久しぶりですが電車からの視点は新鮮です。土曜の夕方でもけっこう学校帰りや仕事帰りの人がいるんですね……って、私もその一人か。
 税込みで8400円払いましたが、これちゃんと技術料込みなんでしょうね。もし「タイヤの値段」だけだったら、技術者の端っこに位置する者としてはちと悲しいぞ。モノよりは技術を売りたいものですから。それと、本人確認もありませんでした。もし他人が「おかだです」と名乗ったら、8400円で中古のバイクが1台入手できることになります。……むう。
 ノイズ・キャンセラー機能付きのヘッドホンを買おうかと迷っていたのですが、この出費で自動的に延期になりました。お小遣いがピンチです……むうむうむう。えっ、奥さん、バイクの修理費は家計費から出ますか? わぁい。
 
【ただいま読書中】
スリランカの悪魔祓い ──イメージと癒しのコスモロジー
上田紀行著、徳間書店、1990年、1650円(税別)
 
 大学の用務員の案内で著者は悪魔祓いの現場に向かいます。患者は、10日前にひとりで川で洗濯中に悪魔に襲われ、以後口をきかず(筆談は可能)ものも食べなくなった女性で一週間前に呪術師がみて悪魔の名前とどうすれば立ち去ってくれるかがわかり、今夜悪魔祓いの儀式が行われるのです。日没後、呪術師は悪魔を呼び出し踊り始めます。患者も(というか、その中の悪魔も)一緒に踊ります。やがて悪魔との問答が始まります。呪術師によってブッダなどの権威を持ち出されやがて悪魔は立ち去る時間を予告します(今回は午前3時20分)。体力の限界に来ているはずの患者はそれでも激しく踊り続けます。このままだと死んでしまうぞ、と言いたくなるくらいの勢いで。そして約束の時刻、悪魔は立ち去ります。周囲で見守っていた(あるいは患者の家族のもてなしにあずかっていた)村人たちはそこからお笑い演芸会を始めます。題材はもちろん悪魔。ダジャレや下ネタ満載の演芸に村人たちだけではなくてさっきまで悪魔に憑かれていた患者も笑い転げるのです。
 文化人類学者の著者は悪魔祓いをもっと研究しようと、悪魔祓い師が多く住む村に住み込むことにします。徹夜で悪魔祓いにつき合い、昼は暑すぎて寝られず、それでも次の夜もまた悪魔祓いに一緒に出かける……著者もいつしか悪魔に「憑かれた」ような生活になっていきます。
 「悪魔」を著者は単純な神経症や心身症としては片付けません。患者は環境の中にはめ込まれた存在であり、「悪魔」は患者本人だけではなくて患者とその周囲との関係の上にも存在していると見ているからです。また、呪術師の「お客」は、まず病院に行ってそこで直らなかった人が主です。つまり単純に西洋文化や近代医学の文脈だけで判断すると間違いを起こす可能性があるのです(だからこそ文化人類学者の出番なのですが)。
 以前何で読んだのだったか、WHOのトップまで登り詰めた最初のアフリカ出身の医者が(名前は失念)、アフリカで精神科の治療をするのに病院ではなくて地域の村に患者を預けてそこで民間医療や呪術を受けさせたら病院と治癒率は変わらなかった経験を述べていたのを思い出しました。病気には病原体ではなくて環境や文化によって起きるものもあって、後者の「治療」には患者独自の環境や文化を用いなければならないのかもしれません。そしてその時必要なのはドクターではなくてアーティストです。スリランカの呪術師の多くが「太鼓叩きのカースト」に属している(そしてドラマーとダンサーの分業を行なう)のも、そういった理由に依るのでしょう。
 
 イギリス統治下のスリランカでは、仏教も西洋型ナショナリズムの影響を受け、キリスト教に対抗できるよう「近代化」しました。しかし、田舎では在来型の民族仏教が生き残っていたのです。「都会の仏教」は「田舎の仏教」を否定しその存在も無視しようとします。したがって悪魔祓いを知ろうとしたら、学会や文献をアテにせずに実際に現地に行くしかありません。この本の著者のように。しかし、都会と田舎の対立に加えて、人口の70%を占めるシンハラ人と20%のタミル人との対立があり、対タミル政策の「生ぬるさ」を責める極左シンハラナショナリストのJVP(人民解放戦線)のゲリラ活動が激化します。著者は調査を中断します。
 
 「悪魔祓い」は確かに存在しそして確実に効果が示します。しかしそれは「悪魔の実在」を証明するものではない、と著者は述べます。直感的には私もその意見に賛成です。いや、悪魔祓いを見たことはありませんが、それでもそう感じるのです。学問的な根拠を示せとか証明しろとか言われたら困るんですけどね。著者は「イメージ」と「リアル」をキーワードにそこに切り込みます。この部分については、私は楽に読めましたけれど、「近代科学原理主義」の信奉者は拒絶反応を示すかもしれません。そしてもう一つのキーワードが「孤独」(または「つながり」)です。
 久しぶりに日本に帰国した著者は感じます。日本全体にも「ナニモノカ」が憑いている、と。そして、日本の「癒しブーム」の欠陥(個人にばかり焦点が合っていて「つながり」が欠如している)をするどく指摘します。そして最後に「『悪魔』は本当に『悪』なのか?」と問いかけます。スリランカの悪魔祓いは、悪魔にプレゼントして最後には友だちになり自分の世界に帰ってもらうのです。その世界観はナニモノカに憑かれ「癒し」を求める日本人にとっても大きなヒントになるはずです。
 
 
14日(月)ことばの罪
 これを言うと怒る人がいるかもしれませんが、私は「気ちがい」「狂気」ということばをプラス評価しています。現在日本で広く使われているのは「精神障害者」ですが(根拠となる法律も「精神障害者保健福祉法」)、「障害」は私にとっては固定的で直らないものというイメージが強いのです。だけど「気が違っている」「狂っている」のならそれがある日ひょいと正されて「正気」に戻る可能性が感じられます。ただ単にことばに託したイメージのお話ですけどね。(感情的な高ぶりから狂気にいたる、は、自分にもその可能性があることになりますが、「障害者」だったら「自分は障害者じゃないもんね」と定義づけたら「それ」は「自分の問題」ではない、となってしまうのも気にくわないのです。「自分は『正気の世界』の住人でそこから一歩も出る可能性はない」なんて保証はないでしょう?)
 
 「やーい、気ちがい」と差別的に罵る人は、そのことばが言い換えられても結局たとえば「やーい、精神障害者」とか罵るだけでしょう。するとこんどは「精神障害者」を差別用語として使っていけないことになるのでしょうか。また差別の手あかが付いていない次のことばを探しますか? そういった差別好きのおかげで堂々と使えることばが減っていくのは、どうにも困ったものだと思います。
 ……プラス評価しているからと言って、では人前で大声で述べるか、といえばそんなことはしません。私はヘタレだから、じゃなくって、すでにそのことばは多くの人によって汚され「有罪」とされているからです。でも、その「罪」は、ことばそのものが本来持っているのではなくて、それを汚す方向に使った人々の側にあるんですけどねえ。
 
【ただいま読書中】
わたしが子どもだったころ』 原題 ALS ICH EIN KLEINER JUNGE WAR
エーリヒ・ケストナー著、高橋健二訳、岩波書店、1962年初版(1990年27刷)、1408円(税別)
 
 「わたしが小さい男の子だったのは、五十年もまえのことである」とケストナーは前書きで述べます。その瞬間、私も自分が小さな男の子だった四十数年前(残念! 年数でケストナーには勝てませんでした)に思いを馳せました。ケストナーが石油ランプを語れば私はシンプルな笠をかぶった白熱電球を思い出します。ドイツ最後の皇帝のところでは昭和天皇の姿が浮かびます。前書きでこの有様では、読み終えるまでに私は「もう一冊の本」を頭の中に丸々浮かべなければならないのでしょうか。
 十六世紀のご先祖様から話は始まります。(もちろん私も自分のご先祖様のことを思い浮かべますが、もう私のことは省略しましょう) でもご先祖様のことは1章で駆け抜けて2章ではケストナーの大切な大切なお母さんのこと。息子のために完璧な母親であろうとしてそれに見事に成功した(そしてその重圧に負けてときに精神的な発作を起こし自分がそのために生きている肝心の息子を死ぬほど心配させてしまった)人。腕は良いが商売のセンスはゼロの皮職人だった父親は母親によって地下室に追いやられてしまいます。それがまたクリスマスイブでケストナーの心痛の原因となります。テーブルの両方にきっぱり分かれて息子のための精一杯のプレゼントを用意した両親の両方に、どちらにも「相手の方がたくさん感謝されている」と感じさせないようにバランス良く感謝のことばと注目と微笑みを分配するように心を砕く小さな男の子。せめてテーブルの中央に二人が寄り添っていてくれよ、と思います。それだったらケストナーは左右交互に首を振らずにすんだでしょうに。純粋にプレゼントを喜べたでしょうに。
 体罰が厳しい先生の話も悲しいものです。個人的にはとてもいい人で、仕事にも熱心な良い教師なのに、教育のための方法論の手持ちが「体罰」しかないため「一週間に一本の鞭を折る、は半分だけ当たっていた。一週間に二本の鞭を折るのだ」という激しい「教育」をしなくちゃいけない教師。ケストナーは、こういった自由や個人を軽んじて体制に従うことだけを求める「教育」が、のちのナチス台頭を生む素地になったと考えているようです。
 これは今から約一世紀前の子どものお話です。でも、これは現在にも通じるお話です。
 
 
15日(火)蜘蛛の糸
 今朝は職場に一番乗りでした。私以外誰もいない部屋でロッカーを開けて準備をしていたら、誰もいないはずなのに後ろに生き物の気配があります。ロッカー脇のブラインドにぱしんとぶつかってごそごそしているのを見たら、キスズメバチでした(だと思います。私は理科には疎いので100%の確信はありませんが)。どこから入ってきたのでしょうか。もしかしたら一晩この部屋で過ごしていた?
 ブラインドをやっとこさくぐり抜けてガラス窓の縁にしがみつきます。刺されたらたまらないので何か叩くものはないかと思っていましたが、見ているとどうも動きが鈍い。寒さで弱っているのか空腹なのか……窓のロックを外してハチからなるべく離れた場所を押して窓を少し開けてやりました。さあ、2センチ動けば君は自由の身です。ところがアルミサッシはハチにとってはつかまるだけでやっとの環境のようでなかなか外に飛び出せません。しばらくもがいていましたが、一度ブラインドに飛び移ってそれからやっと外に飛んでいきました。
 さて、これで将来地獄に堕ちたとき、私は上からするすると蜘蛛の糸がおろされてくることを期待できるのかな?
 
【ただいま読書中】
さあ気ちがいになりなさい』異色作家短編集(2)
フレデリック・ブラウン著、星新一訳、早川書房、2005年、2000円(税別)
 
 著者について多くを語る必要はないでしょう。知っている人には説明は不要ですし、知らない人は……読んで損のない作家です、とひとことだけ(『スポンサーから一言』を真似ているわけではありませんが)。
 
 『ぶっそうなやつら』……SFではありません。きわめて論理的に組み立てられているのに、本当に奇妙な味の短編です。著者がミステリもものしていることを知らなければ読後ニヤリとするよりもぼうぜんとするかもしれません。
 『おそるべき坊や』……35年くらい前、これを初めて読んだときには二重のひねりに震えました。基本アイデアだけでも十分なのに、それをさらにひねって主人公に皮肉な結末を迎えさせるのですから、おそるべきストーリーテラーです。
 『ノック』……「地球上で最後に残った男が、ただひとり部屋のなかにすわっていた。すると、ドアにノックの音が……」 この文章が作中3回繰り返されます。文章はまったく同じなのに文脈はまったくちがうのです。これ以上何を言ってもネタバレになってしまいます。
 『沈黙と叫び』……これもSFではありません。「聞いている者が一人もいない所で木が倒れた場合、音がしたことになるのだろうか」「木が倒れたときそばにいた男の耳が聞こえなければ……」「その男の耳が聞こえるのか聞こえないのかわからない場合は……」 意味論ということばを覚えてひとつ利口になった気がした作品です。私が子どもの時には意味論の方に注意が向いていましたが、年を経て再読すると、ここに書かれている人間ドラマの方に心が動きます。原題の「Cry Silence」もよくよく見たらコワイなあ。
 『さあ、気ちがいになりなさい』……精神病院に患者のふりをして潜入する新聞記者。彼が扮するのは自分がナポレオンだと信じている偏執狂。しかし、彼は本当にナポレオンだったのです。
 
 フレデリック・ブラウンも名作だけを書くわけではありません。これはちょっと、という出来のものも混じっています。でも、私は小さな声で言いたい。フレデリック・ブラウンを知らない人は人生の何%かを損している、と。一度だけ読んでわかった気になっている人も人生の何%かを損している、と。読みましょう。しばらく経ったら再読しましょう。その時その時でとっても良い味がしますよ。
 
 
16日(水)記憶
 最近どうもメモリーが不調なんです。記憶装置のどこかに小さな故障があるのでしょうか? それとも記憶制御プログラムのバグ? それともハードウエアもソフトウエアも両方劣化してきているのかな。
 パソコンの話ではありません。私の頭蓋骨の中身の話です。
 
【ただいま読書中】
シーザーの晩餐 ──西洋古代飲食奇譚
塚田孝男著、時事通信社、1991年、2913円(税別)
 
 古代ローマ人は鰻が好きでした。胡椒がきいた甘いタレで食べていたそうです(蒲焼きのような感じ?)。マグロも好きでした。マグロの成長の度合いに応じてちがう名前をつけていました(出世魚?)。牡蛎の養殖や生食も行なっていました。しょっつるのような魚醤も愛用していました。
 こんな記述に出会うと、古代ローマ人に急に親近感を持ってしまいます。「似たところを見つけて嬉しくなる」のはつまりは「実は全然違う」ことの裏返しなんですが、人間の感情とは不思議なものです。
 
 ローマの夜はうるさかったか静かだったか、市民は寝るときに寝間着を着たか、朝起きてから洗面をしたか、歯磨きや歯の治療は……著者はそういった「細部」を追及します。著者は博覧強記です。古代ローマの文献を読みまくっています。ポンペイの壁画や発掘品のデータも駆使します。それでもわからないことはあるようで……たとえば、宴会の前菜では熱い灰に転がした半熟のゆで卵がまず出され(「卵から初めてリンゴに終わる」が宴会の常識でした)、客は銀のスプーンで卵の先端を割って中身をすくって食べたのですが、卵の尖った方から割ったのか丸い方を割ったのかがわからないのです。「古典をいくら探しても見つからなかった」と著者は残念がります。「ゆで卵置き器」は発掘されていないのかな?
 肉はまず茹でてから焼いたそうです。動物は屠殺すると死後硬直が来ます。それを熟成させると筋肉は柔らかくなって美味しくなるのですが、冷蔵庫がない時代ですから熟成は腐敗と紙一重。そこでしかたなくなるべく新鮮な内に食べます。つまり死後硬直で固い時期に当たる可能性が高いわけ。それで一度茹でて柔らかくして、それから風味を付けるために焼く、という手間をかけたのではないか、と著者は考察しています。ちなみにローマ人に好まれたのは牛よりは豚です。生産効率が良くて入手しやすかったからでしょうか。
 ……う〜ん、牧畜民族がそんなに肉の食い時の判断を迷うものでしょうか。単なる嗜好とか宗教的な理由とか、「美味しく食べる」以外の理由が調理に影響を与えていたのではないか、と私は感じるのですが……
 
 本書は単なる「古代ローマの晩餐のメニュー解説」ではありません。貿易にも注目し、遠くは当時の中国まで視野に収めています。ローマの前、古代ギリシアの食事についての考察も忘れません。庶民や奴隷の食事は記録が残りにくいため本書でも深くは触れませんが、そのかわり兵士の食事については具体的に詳しく述べています。
 
 そうそう、動物ネタも多く含まれています。面白かったのは……
 ローマ人はヤマネが大好きで、牧場(?)も作っていました。そこでふだんは自由に運動させているのですが、出荷前には大きなツボの中に閉じこめて上に目張りをして暗くします。そこにドングリなどのエサをたくさん入れてもりもり食って太ったところで「いただきまーす」。
 ローマ人の好物である干しイチジクを作るためにござに並べておくと、ハリネズミがやって来てごろごろ転がり針に刺さったイチジクを巣穴に持って帰る、という話がクラウディウス・アエリアヌスの『動物の特性について』に紹介されているそうです。誰かその現場を見たのか? 誰かが盗み食いをして減った分の言い訳にハリネズミに罪をなすりつけたんじゃないかなあ。干しイチジクは美味しいですからねえ。
 
 
18日(金)ミュージカルの基準
 私の人生を劇的に変化させたモノはいろいろありますが、中学のとき観たミュージカル映画「ウエストサイド物語」もそのうちの一つです。あれはショックでした。自分よりほんの少し年上の連中が、あんなにシビアな「大人の人生」を送っている。それが画面に活写され、歌と踊りがそれを彩る……喧嘩やバスケットボールのシーンまでダンスで表現されていて、ファッションはかっこよかったし……「あれ」以前と以後で、思春期の私のものの見方やとらえ方は明らかに変化しました。
 それから30年以上経ってリバイバルで観たときには、こんどは「大人の視点」って言うのでしょうか、トニーとマリアの行動が未熟に見え
て「それじゃダメだよぉ」と映画館で言いたくなって、そういう自分の変化にまた驚いてしまいました。中学の時は劇的なショックでしたが、こっちは静かなショックとでも言えばいいのかな。
 
 ウエストサイドのサウンドトラックはもちろんLPで持っています。当然iPodにも入れたくなったのでアップルのiTMSで探してみたら……ここはサウンドトラックの品揃えが非常に悪いのです。やっと見つけた「Bernstein: West Side Story: The Original Score」はアルバム1枚が900円とずいぶんお安いのですが、記憶にある歌手と声色が違いますし、楽団の演奏そのものも映画と微妙に編曲が違います。確認はしていませんが、映画になる前の舞台の録音なのかな。
 
 「違います」と言ってから「……『何』と違う?」と自問しました。「私の記憶と違う」……私の記憶はすべての「基準」でしょうか? 「映画と違う」……映画がすべての基準でしょうか? たしかに私にとっての「ウエストサイド」は「映画のウエストサイド」なのですが、それはあくまで「おかだ」にとってであって、「他のウエストサイド」も存在しているわけです。そもそも舞台だと「毎日毎日が違う」のです。
 そうそう、20年くらい前の劇団四季の舞台では、踊りの振り付けも曲の順番も映画版のウエストサイドとは全然違っていて「ああ、これが演出というものか。僕が経験した映画が『絶対的な基準』ではないんだ」と、劇場の客席で舞台を観ることで得る感動とは別の感慨を重ねて持ちましたっけ。この日記を書いていて思い出しました。なんでこんな大切なことをけろっと忘れちゃうかなあ。ああ、また舞台を観たいなあ、映画も観たいなあ(レーザーディスクは持っているのですが、やはり大画面で観たいのです。うちのTV、20インチだもん)。
 
 さて、次は何をダウンロードしましょうか。iTMSのサウンドトラックのところを目視検索していて見つけた「コヤニスカッティ」の念仏みたいな音楽をダウンロードしようかしら。
 
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アンドロメダ病原体
マイクル・クライトン著、浅倉久志訳、早川書房(ハヤカワ文庫SF208)、1976年(1997年22刷)、760円(税別)
 
 スクープ計画(地球近傍で未知の微生物を回収する)の衛星がアリゾナ州の田舎町ピードモント(人口48人)近くに着陸。その夜町は全滅しますが、アル中の老人(胃潰瘍から出血中)と泣きわめく赤ん坊だけが生き残っていました。人々を殺したのは何か。なぜ対照的な二人だけが生き残ったのか。その謎を解くためにワイルドファイア計画が発動します。地球外生命体の謎を解くための秘密プロジェクトです。チームの科学者たちは地下の基地に潜って研究を始めます。検出されたのは蛋白質を全く含まない新種の微生物。ところが気密が破れて研究室は生物学的汚染を受け、自爆用の核爆弾が起動します。核爆発を止めるために残されたのは3分間。
 ある大事件を後日取材して書かれたルポ、といった体裁の作品のため、関係者が生き残っていることは最初から明らかなのですが、それでもはらはらさせられるストーリー展開です。
 
 映画「アンドロメダ…」は未知の生物汚染に対するパニック映画でしたが、小説は「ファーストコンタクト」ものだったんですね。最初の頃に出てくる「メリックの論文」にそれは明記されています。きれいさっぱり忘れていました、というか、初めて読んだときには「オッドマン仮説」の方に目が奪われていたのです。厳密に計画され選抜されたメンバーの中に一人異色の人材を混ぜておくとチームがうまく機能し、そしてその人が(文字通りの)キーマンとなる。この理論は初めて読んだときには印象的でした。(だから後日アニメ版の「攻殻機動隊」で「均質なメンバーで構成された組織はもろい」という意味のセリフを聞いたとき「当然じゃないか」と思ってしまいましたっけ)
 
 コンピュータのタイムシェアリング・光ファイバー・コンピュータが描いた地図・自動診断装置・詳細な血液データなど、ハイテクな小道具がてんこ盛りで雰囲気を盛り上げます。今からみると当たり前の(というかもう古い)ツールですが、それらが満ちている世界を30年前にさらりと書いた著者はやはりすごいと思います。キャラの造形が弱いのは、「ルポ」の取材者が人間より事件に注目していたから、とすれば問題ないでしょう。
 
 そうそう、「ワシントン政界のパーティーでは、コニャック抜きのコーヒー2杯目が帰宅を促す合図になっている」って、本当なんでしょうか? まるで「京都のぶぶづけ」の世界ですけど。
 
 
19日(土)人身事故
 塾に行っている長男からの「今から電車に乗るから駅まで迎えに来てちょーだいコール」に応えて出かけました。電車が到着する予定ぴったりの時間に駅に到着したらホームに電車がもう入っています。「をを、絶妙のタイミング」と喜んで車を送迎用スペースに停めたら……何だか様子が変です。普通だったら電車からどわっと人が降りてきてそれに混じって長男が走ってくるのに、改札口あたりに少し人が集まっているだけで誰も外に向かって動いていません。長男の姿もありません。
 これは変だ、と駐車スペースに車を止めてから改札口に向かいます。改札口のすぐ外に「人身事故のため現在ダイヤが乱れています」の表示がありました。事故発生現場はここから3駅先、発生時刻は3時間前になってます。おやおや。ホームの電車はまだ止まったままです。察するところ電車の渋滞が発生していて、先頭の電車が一つ前に行くたびに次の電車がそろりそろりとその空間に進む、を繰り返しているのでしょう。しかし、3時間も経っているのに?
 メールをやり取りして、そのまま待機することにします(両方ともそろそろ電池が危なくて、きわめて圧縮したメールのやり取りになってしまったのはご愛敬)。結局30分遅れで長男の電車は到着しました。もっともその電車そのものが本来何分着だったのかは不明ですけど。
 
 東京だと中央線が人身事故の名所でしたっけ? たぶん迅速に処理が行われて3時間経ってもまだダイヤがぼろぼろということはないのでしょうね。ただ、きわめて迅速に処理が行われるくらい慣れている、というのはそれはそれで悲しいものがあるような気がしますけれど。
 
 P.S.1 「人身事故」(自殺)と本当の事故はどうやって区別するんでしょう。自殺は自殺で良いんじゃないかなあ。
 P.S.2 人に迷惑をかけたら、償わなきゃいけませんよねえ。私の失われた30分間、誰かが償ってくれるんです?
 
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食品の殺菌 ──その科学と技術
高野光男・横山理雄著、幸書房、1998年、7200円(税別)
 
 この世は微生物の天下です。ウイルス・細菌・酵母・カビ・微細藻類・原生動物(トキソプラズマ・アメーバなど)が、そのへんにも、ほら、このへんにもウヨウヨと。
 食品に付いた微生物を放置していたら食中毒のもとですからそいつらを死滅させなければなりません。しかし、たとえば火炎放射器で焼き払ったら、微生物は死にますが食品は炭か煙になってて食べられません。人体に有害な殺菌剤をじゃばじゃば振りかけるのも同じことです。ではどのようにしたら、殺菌はできて食品は食べられるようにできるのか。さらにコストの問題とコトが食品ですから栄養や風味をいかに損なわないか、も重要です。本書はそのへんの研究の集大成で、著者によると「食品の殺菌に関しては、長い歴史はあるが、これといった成書は少なく内外の文献も分散している」そうですから、実はすごい本なのかもしれません。
 
 食品は基本的に微生物に「汚染」されていると言って良いでしょう。(微生物の立場からは「自分たちは本来いるべき場所にいるだけだ」と言いたいでしょうけれど) 肉だろうが野菜だろうが、例外はほぼありません。ではそれらを全滅させなければならないでしょうか。いいえ、発病するのに必要な菌量(普通の細菌で100万個)以下に落とせば(そして以後の増殖を抑制できれば)とりあえずの目的は達成です。数個でも発病する菌はそれなりに厳重な手続きが必要ですが。
 一番ポピュラーなやり方は加熱です。たとえばボツリヌス菌は、120度だと4分で死にますが135度だと10秒で死滅します。それ以外にも殺菌法として冷殺菌(紫外線・放射線・化学的殺菌))、振動磁場法、閃光パルス法、高圧処理、高電圧パルス放電殺菌法、紫外線、電離放射線、燻煙(アルデヒドやケトンで抗菌)、塩蔵、乳酸発酵、植物抽出液の抗菌剤などの「自然」なものや化学的合成殺菌剤……などなどなどなど。さらに缶詰かレトルトかなど食品の形態によって使う器具も違います。こんなの覚えきれません……って、最初から覚えるために読んでいるわけではないのですが、その道のプロはこのへんを常識として知っているんでしょうね。すごいなあ。
 
 ときどき「冷蔵庫に入れたから安心」と言う人がいますが、これは危険でしょう。低温でも増殖する微生物はいくらでもいます。あれは単なる冷却器であって殺菌機ではないのですから、封を切ったものは(あるいは保存料が入っていないものは)さっさと食べた方が吉です。
 
 「御馳走」と言いますが、人が自分の足で走り回って集めた材料で料理してそれをすぐに食べてしまうのなら、調理の技術だけで充分で別に殺菌を改めて行う必要はありません。遠いところに流通させようと思うから殺菌しなければならないのです。文明を維持するのは大変です。
 
 本書では難しいお話が続きます。生物学や物理学や化学が次々読者を襲います。ちっとも理解できません(おひ)。でも何だか楽しいのです。子どもの時、親父の本を広げて「絵がないなあ」「読めない漢字ばっかり」とぶつぶつ思いながら、それでもページをめくるのが楽しかったのを思い出します。
 
 
20日(日)ドラフト会議の光と影
 今年の高校生と大学・社会人を分離した日本プロ野球の変則ドラフト会議で合計96人の指名がありました。全員が指名を受諾するとは限りませんがそれでもほとんどは入団するでしょうから90人以上の新人選手が誕生するわけです。となると、当然同じ数だけの人が退団して場所を空けなければなりません。
 球団支配下選手は現在一球団最大65人のはずですから、「私はプロ野球選手です」と自称できるのは(四国リーグを除けば)日本中で最大780人。つまり1割以上が入れ替わることになります。するとプロ野球選手の平均寿命は10年以下……ドラフトが華やかに見えれば見えるほど、厳しい世界だとわかります。
 
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ヒトはなぜペットを食べないか』(文春新書439)
山内昶著、文藝春秋、2005年、680円(税別)
 
 天武四年(675年)の殺生禁断令では「四月朔(1日)〜九月卅日(30日)の期間は牛馬犬猿鶏を食べてはならない」と定められました。私も手持ちの『日本書紀』(岩波文庫)で原文を確認しましたが、まるでサマータイムですね。暦の話はともかく……「食べてはならない」と言わなければならないということは「食べていた」わけです。犬や猿も。以後もこの類の禁令は形を変えながら何回も出されています。(新しいところでは、たとえば藤堂家では寛文6年と7年(1666、1667年)立て続けに「犬殺しの禁令」が出されています。立て続けに、ということは……) 昭和の初めまで肉屋や漢方薬局には「犬肉あります」の張り紙があったそうで(著者の目撃談でしょう)、「日本人は犬肉を食ってきた」方が「食わない」よりも歴史的には「正しい」ことになりそうです。
 犬はもともと家畜で、牧羊犬や猟犬として有用であると同時に食肉用でもあったということのようです。(そういえば『項羽と劉邦』にもハンカイ(字がすぐ出てこない)という犬殺しが重要な役割を持って登場しますし、韓信の「狡兎死して良狗煮らる」という有名なことばもあります) しかし六朝時代に犬肉は薬膳にだけ生き残り、元の時代にはほとんど食べられなくなります。著者は中国の征服王朝(遊牧民=犬を大切にする)が中国人(漢民族)の犬食好きにプレッシャーをかけたのではないか、と唱えます。(フビライ汗の祖父チンギス汗は「草原の蒼き狼」ですから、そのトーテムの流れを汲む犬を食っちゃまずいでしょう)
 西洋でも犬は食われています。ヒポクラテスは薬として犬肉を用い、厳格な菜食主義者エピカリデス(ピュタゴラス派)は「命のあるものは食べない。しかし死んだ犬は命がないから食べても良い」と理屈をこねて犬を食べてました。しかし、異教の神の従者であることが多い犬はキリスト教からは目の敵にされ、また猟犬は王侯貴族の身分の象徴でもあり、食品としては中世には人気が落ちます。
 ただし、文字を知らない(=記録に残りにくい)人々の生活の実態がどのようなものであったのかは、誰にも保証できません。
 犬に比較して猫はあまり食われていないようです。古代エジプト〜ローマでは神聖なもので、中世は魔女の使いですから、食欲がわかなかったのでしょうか。しかし近世以降ぼちぼち猫食いのレシピが登場します。中国・日本でも猫は食べられていませんでしたが実は「狸」と表記して中身は「猫」ということがけっこうあったらしい、と著者は述べます(たとえば『和漢三才図絵』には「狸の異名は野猫、猫の別名は家狸」とあるそうで、中世までは猫と狸の混同があったようです)。すると「狸汁」の何パーセントかは実は「猫汁」だった可能性も……
 
 「食べていた歴史」の次に著者は「Pet Lover」「Petting」ということばから「動物と人間の性愛」を取りあげます。有り体に言うなら獣姦ですな。さらに動物と人間の変身についての考察が続きます。人間が動物に変身する話は日本昔話集では42話、グリム童話では67話ですが、その逆、動物が人間に変身するのは日本昔話は92話、グリムは6話なのです。つまり西洋では「人間>動物」のヒエラルキー障壁があるが(だから動物は人間に変身しづらい)、日本では動物と人間がつながっている、とするのです。
 そしてついにペット食の問題。これは現代の「タブー」である、と著者は主張します。近親相姦や食人と同じジャンルである、と。ペットはかつては「動物(=ヒトとは厳然と区別されている存在)」でした。しかし今その境界は揺らぎ、ペットは「ヒトもどき」の扱いを受けるようになっています。「ヒトもどき」だから、食人と同じくタブーとして食べてはいけないのです。
 しかしこの状態はペットに(そして人間に)とって幸福なのでしょうか? 動物がヒトに近づきすぎたとき、ヒトがそれまで動物に感じていた聖性(自然の超越性)は消滅しました。ハレとケの区別がなくなってしまったのです。さらに現代の巨大な経済システムがペットを商品化します。著者が目撃した、バカンス時期にフランスの高速道路に沿って並ぶペットの死骸の列(長期間ペットホテルに預けるのはコストがかかるし、でもバカンス先でもペット可のところに入れない場合、ペットを連れて出て途中で車の窓からポイ)が象徴するように、ペットは「使い捨ての商品」にもなっています。
 
 著者も自分で言っていますが、本書はなかなか刺激的な「料理」です。「どうしてペットを食べないのか」に対して即座に「当たり前だろう、とんでもない」と返すヒトが多いからこそ「どうして『当たり前』『とんでもない』なの?」という問いかけが可能なのですが、タブーへの問いかけは下手すると逆ギレされることがありますから、ちょっとコワイんじゃないかなあ。著者は勇気があります。
 
 
21日(月)長いクリスマス
 いつ頃からか「12月になったら街はクリスマス気分」だったはずですが、最近は11月からもうクリスマス商戦が始まっているんですね。一ヶ月以上クリスマス気分というのはちょっと長すぎるように思うのですが、やる人にはやる人の事情があるのでしょう。おかげで、師走でもないのになんだかせわしない気分になってしまいます。私は影響されやすいのです。しかし、たった3ヶ月前には「暑いねえ」と夏気分真っ盛りで、2ヶ月前には「残暑が厳しいなあ」だったのに今はもう冬の気分にならなきゃいけないのですから……秋はどこに行ったの?
 
 こちらの街の中央でもクリスマスイルミネーションが始まりました。昨年12月にmixiに参加してすぐの日記(12月19日)にそのイルミネーションを見に行ったことを書いていますが、昨年より始まるのが早くなったのかな?
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=5194166&owner_id=235184
 昨年印象的だった、でっかい木のてっぺんから円錐状に青白い光を垂らしたイルミネーション、今年はその下にメリーゴーラウンドが設置されていると聞いたので覗いてみると……たしかに馬が四頭いますが、回らないのです。考えてみれば、中心部に木があるからモーターの設置が困難でしょうが、ただ子どもを乗せて記念撮影をするためだけのスペースになってしまっています。残念。動けばいいのになあ。
 
【ただいま読書中】
科学の最前線で研究者は何を見ているのか
瀬名秀明(対談)、日本経済新聞社、2004年、1600円(税別)
 
 18人の研究者との対談集ですが、大きく4部に分けられています。第1部は「ヒトが来た道、向かう道」で人類学・老化研究・人類遺伝学・環境考古学。第2部「私たちの心に潜む謎」はロボット工学・言語学・認知心理学・脳科学。第3部「ミクロのパワーが世界を変える」はナノマシン研究・ウイルス学・量子情報科学・マイクロ流体デバイス。第4部「時間と空間を越える旅」は宇宙物理学・地質学・恐竜研究・地球シミュレータ・宇宙論。各分野の最前線で実際にバリバリ活動している研究者たちが、なぜそこにいるのか、これからどの方向を目指しているのか、を瀬名さんが聞きます。
 
 『日経サイエンス』連載のための対談のため、ボリューム不足は否めません。ただ、寸鉄ではありませんが、刺激的な対談がけっこうあります。
 第4回「環境がつくった文明と科学」。科学に必要なのは物語だ、とここまで明確に断言されると痛快です。私も「君の論文は物語だ」と批判された人間ですので。対談後の「アニメの『世界観』は日本独特」という指摘も興味深いものです。
 第5回「ロボットが人間を越える日」では、ロボットに言語を学習させるためには、言語学研究だけではだめで「人が言語を使う」ことをきちんと把握しなければならない、と語られます。
 第10回「微生物に組み込まれたナノマシン」では、鞭毛モーターが実際に回っている(波動が回転に見えるのではない)ことを証明するために鞭毛を固定したら細菌本体がくるくる回った実験が紹介されます。生体部品だけでモーターを作って『ハイウェイ惑星』も本当に実現可能?
 第15回「石が伝える地球と生命の物語」では、30年前の四万十の地層調査で、一億三千万年前に赤道海域でつくられた岩が高知県で堆積した砂岩や泥岩と混合していることがわかり、プレートテクトニクス理論の実証を世界で初めてやってしまった話が出ます。ぐちゃぐちゃでわけがわからない地層が「プレートの移動」を取り込むことで「なぜぐちゃぐちゃか」のわけがわかるようになったのです。さらに「生命の発生を知るには、当時の地球環境(元素の流れなど)を知らなければならない」という指摘もあります。
 第17回「未来を設計する巨大コンピュータ」ではデカルトが登場します。まさか地球シミュレータの話題に『方法序説』が登場するとは思いませんでした。
 
 本書に登場する多くの人に共通するのは、「科学の面白さ」を知っていること、専門馬鹿ではないこと、道具を自分で工夫すること、「静かな情熱」を持っていること、そして日本を意識していることでしょう。科学は西洋的な発想で組み立てられていますが本当にインターナショナルな仕事をする人は逆に自分がどんな文化的基盤を持っているかを意識せざるを得ないようです。「インターナショナル」という言葉の意味が問われているようで、面白いものです。
 
 
22日(火)早い安い脆い
 構造計算書の偽造で耐震性能が足りないマンションやホテルの話題が盛んに取りあげられていますが、私は例によって「そこだけに注目してて良いのかな」「これからどうする」をのんびり考えています。
1)書類を偽造したのはあの設計事務所だけか?
 多くの建築士は真面目に仕事をしていると思います。でも、あそこが「唯一の例外」でしょうか? 他にも、犯罪的な意図を持って、あるいは単純なミスで欠陥計算書を出している事務所があるのかないのか、チェックはできているのでしょうか。
2)書類が万全でも、実際の工事がその通り行われている保証は?
 手抜き工事や施行時のミスで耐震性能が設計通り出ていない建物はないのでしょうか? どんなことでも、最初のプランが100%実現することはあまりない、というのが私の認識なのです。
 ということで、必要なのはダブルチェックでしょう。意図しようとするまいと、人はミスをする動物ですから、独立した機関二つ以上が図面の監理をし、さらに現物の検査も別の機関が行えば、こういった事件は起きにくくなると私は考えます(それでも想定外の大地震では壊れるかもしれませんが)。
 しかし、そうすると別の問題が起きます。
3)監理コストは誰が負担する?
 きちんと監理するためには、お金と時間がかかります。このコスト、誰が払います? いくらまでなら払えます? 「早い安い脆い」を単純に裏返して「遅い高い強い」にするか、それとも「(まあまあ)早い(まあまあ)安い(それなりに)強い」にするのか、どちらが望ましい?
 
 「そこにだけ注目?」に関してついでにニュースネタをもう一つ。
 先日高橋尚子さんがマラソン大会に優勝したことを「痛みに耐えて夢をかなえた」と書いてあるニュースがありました。でも高橋さんに夢を潰された人もいるわけで、そういった人々の夢はどうでもいいことなのかなあ(大会前から高橋さんにだけ注目していたら、もし別の人が優勝したら、その人が「高橋さんの夢を潰した」ことにされるのかな)。
 大会前から一人にだけ注目するのは、ニュースを「作る」手法としては当たり前なのかもしれませんが、「作る」だけあってなんだか作為的でフェアではないように私は感じます。それはニュースではなくて物語でしょう。別に高橋さんのファンでもアンチでもない立場ですから気楽に言ってしまいますが。
 
【ただいま読書中】
一角獣・多角獣』異色作家短編集(3)
シオドア・スタージョン著、小笠原豊樹訳、早川書房、2005年、2000円(税別)
 
 私にとってのスタージョンは(最初に出会った)『ゆるやかな彫刻』です(最近出た『時間のかかる彫刻』はタイトルになんだか違和感が……)。盆栽をSFの重要な小道具に使うという発想、ゆるやかで唄うような魅力的な文体、男女の心理の機微、そして……「君の名前は?」。いやあ、高校生には重かった。重すぎました。
 私がスタージョンを一言で表現すると「異」(Strange)です。異質・異色・異界・異文化・異人・異物・異形・異能……それらをすべて一度抽象化してかき回し、そのドロドロをインクとして紙の上に書き記すことで具象化した小説世界、それが私にとってのスタージョン。
 今回久しぶりにスタージョンに出会って、「触」に対するこだわりもあるように感じました。「触覚」と「(人の)触れあい」の両方です。その究極の形が「シジジイ」でしょう。この単語が登場する作品は本書には二つ。『めぐりあい』と『反対側のセックス』ですが、どちらもこちらの皮膚にぞわぞわする感覚を残してくれます。
 
 『一角獣の泉』……「処女だけが一角獣をその胸に捕えることができる」という伝説をスタージョンが料理したらこんなになっちゃいました。昔読んだエロ小説で「処女だけど口淫とアナルセックスのベテラン」てな登場人物がいて「これは本当に『処女』なのか?」とツッコミを入れたくなったのを思い出しました。スタージョンに比較して、私の発想は下品です。
 『孤独の円盤』……『ゆるやかな彫刻』の系統に属する作品です。不器用なボーイミーツガール。実は最初からネタバレになっているのですが、それに気がつくのは本作を読み終えたときです。著者は手練れです。
 『考え方』……女が男に扇風機を投げつけたら、その仕返しにその男は「女」を扇風機に投げつけた。そんな男の弟がブードゥー教の人形の呪いで殺されてしまった。その復讐に男が選んだやり方は……
 
 
23日(水)エリザベスタウン
 先日家内の誕生日だったのでそれを記念して二人で映画に行きました(ちょっと前のことだったのですが、書くのを忘れていて日記のアップが遅れました)。見たのはタイトルの「エリザベスタウン」。
 新鋭デザイナーのドリューが自信を持って開発し会社が全力で発売した新製品が、こけました。返品の山で会社にはなんと10億ドルの損失。ドリューはクビです。すべてを失ったと自殺を考えるドリューに電話が入ります。妹から「訪ねていた親戚の家で父親が急死した」と。遺体を引き取るために自殺は一時延期。ドリューは父が育った町、エリザベスタウンに赴きます。
 
 ここまでは映画のホームページにも書いてある情報です。ここからはネタバレになりますので……以下は前にも書いたので省略。詳しく知りたくない人には、警告しましたからね。
 
 アメリカ映画にしては(と言うと失礼かもしれませんが)ちょっと複雑です。物語を支える柱が何本かあるのですが、その主要な一本が「父と息子」(と私には見えます)。でも、主人公のドリューの父親はすでに死んでいます。だけど存在感が抜群なのです。それに絡んでドリューのいとこジェシーとその息子の関係、さらにジェシーとその父との関係も展開します。自分が知らなかった父親と故郷の人々との物語、自分が知らなかった父親と母親の物語。さらにドリューと偶然出会った客室乗務員クレアとの恋愛模様が色を添えます。
 そして、私が好きな「死と再生」の物語も。葬式と結婚式が文字通り同時進行しているのにはもう笑っちゃうしかありません。そして告別式での母親(「まあ、私は未亡人になったのね!」)のタップダンス。こんなに下手くそでこんなに心にしみいるタップダンスを私はこれまで見たことがありません。キャメロン・クロウ監督はタダモノではありません。
 昔東京のエレベーターで出会った二人の男女。一人は(おそらく)ベトナム帰りの大尉で女性がなぜ東京にいたのかは語られません。二人はすぐに恋に落ち、でも二人にはそれぞれ婚約者がいたのです。故郷にはいられなくなって二人はカリフォルニアに出て行きます。そういった物語が、詳しく語られなかったドリューの両親の物語が、お母さんのタップダンスを見ているうちに私の脳裏を駆け抜けます。
 
 あと、感想の断片列挙を……
 とにかく「あり得ない物語」です。ちょっと常識はずれのクレアの強引さ。新製品が一つこけただけで倒産する会社(経営計画はどうなってるんでしょう? 「一つのバスケットにすべての卵を入れるな」という格言を社長は知らなかったのか?)。自殺しようとしたら父親が急死する「偶然」。でも、あり得ないからこそ素敵な物語になるんですよね。あり得ることはこちとらの身の回りにいくらでもあるんだもの。
 父親の死体と対面する場面で流れるエルトン・ジョンの「Father's Gun」。歌詞は良く聴き取れませんでしたが(はい、私は英語の聞き取りは(聞き取りも)苦手です)、どうも戦争(パンフレットを見ると南北戦争)にからんでの歌のようです。どんな意味なんでしょう。気になります。
 最後の「旅」は、「アメリカへの愛」の発露と、父の遺灰を撒きながらのドリューの再生の物語になっているようです。そういえば、助手席でベルトを締められて鎮座している父親の小さな骨壺……子ども時代の思い出(大きな父親と助手席の小さなドリュー)と見事な対象性を示しています。そのことに気づいたとき、こみ上げてくるものがありました。
 「最後の視線」は実はドリュー本人が発しているのかもしれません。人は見るように見られるのでしょう。
 赤い帽子の女を探して、こちらもきょろきょろしてしまいます。
 まるでドリューの心理状態もこれからの行動もすべてを見通しているかのようなクレアも実は全知全能ではありません。まるで女神のようにドリューの人生に降臨してこづき回しているのに、最後のシーン、落ち着かなくあたりを見回す仕草で私は「ああ、彼女も不安だったんだ」と安心(?)しました。
 ラストが近づくにつれてちょっと不安になりました。もしかして一発逆転(こけたはずの新製品が実は大ブレイクになった、とかのディズニー的なハッピーエンド)でも起こされるのではないか、という予感がちらっと脳裏をよぎったのです。幸い(?)杞憂でしたけれど。
 
 映画の中で「ローマの休日」の一シーンが印象的に使われています。映画館で思わず笑っちゃいました。偶然ですが、家内への誕生日プレゼントも「ローマの休日」のDVDだったのです。こんどは二人でこのDVDをゆっくり見ます。
 
 
24日(木)乗り換え
 東京の地下鉄の複雑さは、何回乗っても慣れることができないのでが、それでも最近は乗り換えを教えてくれる検索ソフトやネットサービスがあるおかげでずいぶん楽になりました。
 先日ふと思いついた「新宿」→「後楽園」で検索をかけてみましたら……
 
1)四谷で乗り換え
 a)JR中央線で四谷まで。そこからメトロ南北線 310円、18分
 b)メトロ丸ノ内線で四谷まで、そこから南北線  190円、18分
2)都営新宿線で市ヶ谷まで、そこから南北線   260円、15分
3)JR中央線で御茶ノ水まで、そこからメトロ丸ノ内線 320円、18分
4)JR埼京線で池袋まで、そこからメトロ丸ノ内線   310円、20分
 
以上の5つが候補として上がってきました。
使ったのは「駅から時刻表」 http://ekikara.jp/ です。
あとは駒込まで行って南北線、というのも考えられますが明らかに遠回りなので自動的に却下です。なお所要時間は乗り換えを含んでいますので出発時刻や電車の運行スケジュールによっては数分前後することがあるでしょう。
 私が驚いたのは値段の差です。190円〜320円って、近い距離なのにこの差は大きくないです? JRがからむと高くつくようですが、通勤や通学の場合には相当研究しないといけませんね(私には関係ない話ですけど)。
 
【ただいま読書中】
暦のはなし十二ヵ月』新装版
内田正男著、雄山閣、1991年初版(2004年新装版)、2000円(税別)
 
 一年の初めである元日は、なぜ今「あの位置」にあるのでしょうか? 話はぐっと遡ります。ユリウス暦が公式に採用された西暦325年に春分は3月21日でした。キリスト教で最も重要な復活祭は春分によって規定されています(春分または春分後の最初の満月の後の日曜日)。そこで「春分は3月21日」と人為的に決定されて以後キリスト教会はずっとそれでやってきました。しかしユリウス暦は誤差があり、少しずつそれが貯まることで「3月21日」と「実際の(天文学的)春分」はずれていきました。16世紀にはそれが10日にもなっており「このままでは復活祭が夏になる」と囁かれるようになったのです。そこで1582年グレゴリウス暦(現在の太陽暦)が採用されました。同時に春分が「本来」の3月21日になるように10月から10日間が取り除かれました(曜日の連続性はそのまま保存)。明治5年に日本が太陰太陽暦から太陽暦に移行したときにも12月2日の次の日を新年元旦としてあっさり移行していますが、東西とも「人を支配する」とはこういうことも含むんですね。(明治政府の官吏には12月分の給料は出ませんでした。ついでに、翌年は閏月がある年だったのですが、当然その分の月給もありません)
 ともかく、こういった次第で「元日」は今の位置に定まったのです。春分が定まったからそこから逆算で自動的に決まったわけ。
 
 ところで冒頭の「話はぐっと遡ります」の「遡」ですが……
 新月は朔(さく)とも言い、満月(=望)と合わせて「朔望月(さくぼうげつ)」ということばがあります。望は確認しやすいのですが、朔はなかなか確認困難です(「見えないこと」を確認するわけですから)。しかし三日月(朏)だったら宵の口にはっきり見えます。そこで三日月を確認して、そこから二日さかのぼって「実はあの日が新月だったのだ」と決定することが可能となります。その行為から「遡」という文字が生まれたのだそうですが……著者もちょっと言葉を濁していますが、本当なんだろうか?
 そうそう、イラストなどで妙に太い三日月が描かれていることがありますが、三日目の月(本来の三日月)は糸のように細いもので、はっきり鎌のようになっているのは五〜六日月だ、と著者は苦言を呈しています(ついでに比較写真まで載せています)。ついでに「深夜の空に三日月が描いてあってはいけない」とも。(宵の口に西の空なんですから、深夜には三日月は地平線の下です)
 新月と言えば、日蝕は新月の時に起きますが(したがって旧暦だと一月の日蝕は必ず元旦)、2012年5月21日には、九州・四国の南半分〜東海・関東で金環食が見られるそうです。東京では、日の出が4時32分、日蝕の始まりが6時19分、金環食の始まりが7時32分だそうで……見られる地域に旅行を組みたくなってきました。月蝕は見たことがありますが日蝕はまだ未体験なものですから。
 
 方違えは、古文の時間に習うので言葉はポピュラーですが、その実体はほとんど知られていません(暦と密接な関係があるそうですが、私も何も知りませんでしたし「自分が知らない」ということさえ認識していませんでした)。日本での研究はほとんど行われておらず、フランスのベルナール・フランク『方忌みと方違え』がほぼ唯一の詳細な研究書、という奇妙な現象が起きているそうです。
 西洋とは違って中国の暦は当時が基準でした。冬至を確定し次の冬至までの「一年」を24で割ったものを二十四節気としました。ところが日本ではそれに太陽の動きを加味したものですから季節によって節気の間隔が動きます。まるで不定時法です。ややこしいですねえ。
 もちろん不定時法の話も載っています。「松尾芭蕉が、鹿沼を辰の上刻(午前7時半〜8時頃)に出発、七里離れた日光に午の刻(正午)着。これは足が速すぎる」という一般の解説書に対して「元禄二年三月二十九日の日の出は3時58分ころ、したがって辰の上刻は5時15分頃。正午まで6時間半以上あるのだから当時の足が達者な人が七里歩いても不思議ではない。松尾芭蕉は足が速いから忍者だ、なんて誰が言った?」と明快です。
 
 こうして睦月から師走まで、西洋も東洋も、旧暦も新暦も、まとめた本書を楽しむには、ある程度暦についての基礎知識があった方が良いでしょう。なくてもそれなりに読めますけど。
 
 
25日(金)エコ
 「エコ」でGoogle検索をかけると3,490,000件も引っ掛かりました。こんなものまでエコなのか、と言いたくなるようなものまで含む様々な商品が列挙されています。検索語を「エコロジー」にしたら一割くらい数は減りますがやはり300万以上です。
 ところが「エルンスト・ヘッケル」(1834〜1919、エコロジーという言葉を作ったドイツの生物学者)で検索をかけたら803件です。さらに絞って「エルンスト・ヘッケル and エコロジー」だとわずか60件。「エコ」との検索結果のあまりの落差の大きさに驚きます。
 
 私が尊敬する古生物学者のJ・G・グールドが科学エッセイ集『ダーウィン以来』(早川書房)の14章でエコロジーという言葉に関してこのように書いています。「それはあまりにもさまざまな意味に使われすぎてインフレ現象を起こし、本来の意味を失ってしまっている。今ふつうに使われている意味では、この言葉は、都会から遠く離れたところで起こっている何かすばらしいことや、人工添加物の入っていない食品などの代名詞にされてしまいそうになっている。しかしながら、もっと限定された専門的な意味では、生態学とは、生物の多様性の研究を指している」
 グールドはこの本に収められたエッセイ群を1974年〜77年の間に発表しているのですが、30年経って彼が指摘した状況はさらに進展しているようです。
 ……なんだか「エコロジー」の「エコ」ではなくて「エコノミー」の「エコ」みたい。
 
【ただいま読書中】
続 農薬に対する誤解と偏見
福田秀夫著、化学工業日報社、2004年、2500円(税別)
 
・「農薬には毒性がある」……LD50(実験動物の50%が死亡する量)を決定するために毒性が出るまでどんどん増量して動物実験をするのだから「毒性がある」のは当たり前。大切なのは野菜に残留する量が安全な範囲内かどうか。ところであなたは農薬「以外」の物質でそんな検査をされているものをどのくらいご存じ? ビタミンAだって大量に食べたら催奇形性があります。
・「有機リン系のパラチオンはもともとナチスドイツが開発した毒ガス兵器である」……パラチオンがドイツで開発されたのは1944年末で毒ガスとしての使用例はない。大量生産されパラチオンと命名されたのは1947年のアメリカ。
 
 といった感じで、農薬を一方的な悪者とする「誤解」「思いこみ」「知ったかぶり」「捏造」「扇情」に対する反論を書いた『農薬に対する誤解と偏見』(2000年)の続編です。多勢に無勢の状況でも言うべきことは言わなければ、という姿勢は私の好みに合いますが、いくら科学的なことを述べても感情論には勝てないんだなあ、ということもわかります。著者もわかっているんじゃないかしら。それでも「急性毒性と長期毒性」「催奇形性」「基準値」「発ガン性」などについて少しでも正しい知識を広めようと著者は奮戦します。
 「ダイオキシンは猛毒である」……ダイオキシン類の中で最も毒性が強いとされるTCDDは、たしかにモルモットに対するLD50は1μg/kgで青酸ナトリウムの64,000倍の毒性です。ここから「ダイオキシンは1グラムで何千人も殺せる」という表現が生まれたのですが、実は(当たり前と言えば当たり前ですが)ヒトに対するLD50はわかっていません。工場の事故などでの不幸な「人体実験」でも、皮膚の変化(塩素座瘡)は確実ですがその他(死亡や発ガン)については意見が分かれているようです。
 1998年に「内分泌攪乱作用を有すると言われる化学物質」(俗に言う環境ホルモン)67種類(うち44種類が農薬)のリストが環境庁(当時)から発表されました。今でも思い出せますが、大騒ぎでしたね。このリストに含まれる物質を含む物が次から次へと「これも環境ホルモン」「あれも環境ホルモン」と槍玉に挙げられて、まるで魔女狩りのような感じでした。ところが当時著者が「このリストの選定根拠は?」と問うと、誰も答えられなかったそうです。根拠無しの選定って……
 結局昨年末(本書出版の後)に環境省のサイトからはこのリストは削除されちゃいました。結局あの騒ぎは何だったんでしょう?
 
 私も「農薬まみれの野菜」を食べたいか、と問われたら答はノーですが、では「農薬無しの農業が日本で成り立つのか」と自問したら……成り立つかもしれませんが自分がそこで生き残れるかどうかは自信がありません。今の日本は江戸時代より耕地面積は少ないでしょう? そこに江戸時代と同様の無農薬農業をやったら生産技術は向上しているにしても江戸時代と比較してどのくらい多くの人口を養えるんだろう、と思ってしまうんです。最低限以上の収量は確保できる程度に農薬は使っても良いけど、残留農薬は基準以下にしてね、が私の言い分かな。
 
 
26日(土)カイカク
 「改革」「改革」とうるさいくらいですが、私が日本の「改革」で思い出すのは享保の改革・寛政の改革・天保の改革です。教室で「をを、手鎖の刑だ」「そんな荒っぽい改鋳をやったらインフレ必至だろう」とかお気楽な感想を持ちましたっけ。
 で現在の「平成の改革」(と私は呼んでいます)ですが、今から千年後の日本史の教科書ではどう書かれるんでしょうねえ。もし日本が継続しているとしても、政権担当者が江戸を見る明治みたいな過去否定の立場だったら、けちょんけちょんに書かれるんじゃないかなあ。
 
【ただいま読書中】
丁髷とらいすかれい ──誰も知らなかったにっぽんカレー物語
金田尚丸著、遊タイム出版、1994年、1456円(税別)
 
 日本人とカレーの最初の出会いがいつか、それはわかっていません。西暦736年に遣唐使船で日本に渡来したバラモン僧・菩提僊那(ぼだいせんな、ボーディセーナ:752年の東大寺大仏開眼式で導師をつとめる)が日本の記録に残る最初のインド人ですが、さて、菩提僊那がカレーを食べていたかどうか?
 咸臨丸の使節には、カレーの記録はありません(アイスクリームやビールに驚いた記録はあるそうです)。その四年後、1864年幕府遣欧池田使節団に参加した三宅復一(またいち)16歳が、途中で乗り合わせたインド人たちが「飯の上にトウガラシ細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にてかきまわして手づかみで食す。至って汚き物なり」と日誌に書いたのが、記録に残る日本人とライスカレーの初めての出会いです。
 それからさらに四年後、戊辰戦争で会津城に籠った山川健次郎15歳は、敗戦後謹慎所から藩命により脱走、長州藩士奥平謙輔を頼り開拓使の国費留学生として渡米します。その船上で食べたライスカレーが、「日本人が初めて食べたカレー」でした。もっとも「西洋料理は臭い」と船医が差し入れてくれた杏の砂糖漬けをおかずにもっぱら米の部分だけ食べたそうですが。ちなみに山川健次郎と同じく会津城に籠った末妹捨松は12歳でアメリカ留学をしています。
 明治五年(1872)『西洋料理通』(仮名垣魯文)に「カリド・ウイル・ヲル・フアウル」という料理のレシピが載りました。肉・葱・林檎・カリー粉・小麦粉・水(または米のとぎ汁)を四時間半煮てから柚子の露を混じ、米飯を皿に輪になるように盛る、という料理です。同年『西洋料理指南』(敬学堂主人)の「カレー」は、葱・生姜・ニンニク・バター・鶏・海老・鯛・牡蛎・赤蛙・カレー粉・塩・小麦粉、という材料で作る物です。後年この「蛙カレー」を実際に作って食べた人もいたそうですが……当時「カレー粉」なんてあったんだろうか? あったとしてもそれは今のと似ていたんだろうか?
 
 著者は楽しそうに話を進めます、というか、脱線だらけでなかなか進みません。黒田清隆が渡米したら即座に追いかけて、米国からケプロン(アメリカ農務局長官)らを招聘して北海道開拓を始めたところを述べます。理由は追々わかります。ケプロンらが日本に導入した西洋野菜(ジャガイモ・人参・タマネギなど)が現在のカレーにとって重要な野菜だからです。(ジャガイモは江戸時代に入ってきていましたが、観賞用でした)
 マサチューセッツ州立農大学長だったクラークはレンタル移籍(10ヶ月間)で札幌農学校校長として来日します(明治政府の書面は教頭扱い)。学生に生涯禁酒の誓いを立てさせ授業前には賛美歌を歌わせる謹厳な清教徒のクラーク規則(口伝)の一つが「生徒は米飯を食するべからず。ただし、らいすかれいはこの限りにあらず」。ここで著者は「クラーク博士とらいすかれいを讃える詩」を口走りますが、もしかしたららいすかれいを札幌農学校に導入したのはクラークの前任ケプロンかもしれない(ケプロンはイギリス式の家庭に育ち、当時のイギリスではカレーはポピュラーな料理だった)という説もちゃんと紹介してくれます。
 大航海時代、ヨーロッパ列強は盛んにアジア貿易を行いましたが、それは「アジアが豊かだったから」(アジアにはヨーロッパが欲しい物産が豊富。逆にヨーロッパにはアジアが欲しい物はあまりありません。だからイギリスは自国の物産ではなくて新大陸の銀を支払いにあてていました(アヘン戦争の遠因です)。ヨーロッパが「豊か」になったのは産業革命よりあとのことです)。その時アジアから流入した物の中に「カレー粉」もありました。
 明治17年東京大学予備門に入学した同期生に正岡子規と夏目金之助(漱石)と南方熊楠がいます。成績は、116人中夏目は上から27番、南方は下から8番と対照的。ところがこの二人はのちにロンドンで学ぶことになります。南方はアメリカを転々としてからの渡英、夏目は官費留学とやはり対照的ですし、1900年にちょうど入れ替わる形だったのでロンドンで顔を合わせていませんが。当時のロンドンでの「有名人」の筆頭はシャーロック・ホームズです。下宿のハドソン夫人がホームズとワトソンのために作った料理を集めた『シャーロック・ホームズ家の料理読本』には、カレー料理がスープ・魚・肉・臓物と様々載っています。では夏目や南方はカレーを食べたのか? 著者の想像はどんどん膨らみます。
 
 西洋での「カレー」は(肉や魚にかける)「カレーソース」で米はそのつけ合わせです。しかし日本では印度料理でも西洋料理でもなくて、洋食(ご飯を美味しく食べるためのおかず)なのです。
 といった感じで、「ライスカレー」を切り口に、江戸から明治時代(〜大正昭和まで)の日本と世界をめっぽう面白く語ってくれる本です。尊皇攘夷だ開国だ、というだけではない明治維新、カレーの臭いがする維新の物語をお一ついかが?
 
 
28日(月)熟年離婚
 家内が「面白いと評判だから一緒に見よう」とビデオに撮っておいてくれたので、久しぶりに日本のTVドラマを見ました。をを、渡哲也がホームドラマに出演している! 松坂慶子が……ちょっと太った? 第何回なんでしょう、まあ途中から見ても大体筋はわかります。夫が定年退職の日、再就職を断ってこれからは夫婦でのんびり、と思って帰宅したら妻から離婚を切り出され、そこに夫の母親の同居や三人の子どもたちのそれぞれのトラブルが絡んで、夫はただおろおろとするばかり、というお話なんですね。おやおや、「男らしくあれ」と息子を叱咤激励していたお母さんは山梨に帰っちゃいました。
 
 う〜ん、これはシットコムでやった方が良かったんじゃないかなあ。どうせ舞台は数カ所に限定されていますし、撮影はほとんどがバストサイズか数人が一画面に入っているかのどちらかだし、そのまま上手く料理したら極めて上質のシットコムになったと思います。惜しいなあ(あくまで私の嗜好による判断ですけれど)。
 おっと、脚本の言葉遣いにはちと気になる点が散見。たとえば一回の放送の中で「○○さん(離婚を言い出した妻の役名)が選んだ食器は本当にセンスが良いですね」というセリフがしばらく間をおいて2回出てくるのですが、なんだか不自然。一回目は「食器」じゃなくてその時皆で見ている「皿」なり「カップ」を評価して、二回目では単にセンスを褒めるのが自然じゃないかなあ。
 
 ところで奥さん、これを一緒に見ようって……まさか?……まさか!
 まだ熟年じゃないから大丈夫よね(そんな問題じゃないって??)。
 
【ただいま読書中】
季節の花図鑑
鈴木路子監修、日本文芸社、2004年、1600円(税別)
 
 360ページにわたって花の写真とデータがぎっしりの本です。本体部分は咲く季節ごとに分類されていますが、目次は花色で引けるようになっており、索引は「名称」「花の大きさ別」の二種類ある、と、「秋に大きめな白い花が咲くのは何?」とかいう要望に取りあえず応えてくれる便利な本です。
 問題は、私に花心がないことです。本書も入手したらさっさと家内にプレゼントしてしまいました(決して押しつけたわけではありません)。「あの本、どこにやった?」と聞いたら食品だなから出てきたのは謎ですけれど。
 ぱらっとめくって出てきたのは……「ペンタス」「ポーチュラカ」「ボタン」「ボリジ」「ボローニア」……こんなふうに並べられるとボタンが牡丹とすぐに頭の中で変換できません。ふーん、ボタンは植え替えを嫌うんですか。また別のページを開くと……サクラはせん定を嫌う……あ、これは聞いたことがあります。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」だったかな。
 広い庭があったらガーデニングも趣味としては面白そうだな、と思わせてくれる本です。季節によってどのような色の配合にするか、多年草と一年草をどう組み合わせるか、土作りをどうするか……私の場合その前に花の名前を覚える段階で挫折しそうですけれど。
 
 某マイミクさんの日記で「花の本をちらちら見ている」なんて記述を見かけて、そういえばこちらにもあったっけ、と思い出したのは公然の秘密です。
 
 
28日(月)キリ番8888は
 一昨日は大学同窓会(県人会)の忘年会。今日は今から職場の。
 ……まだ11月だよね? 今から今年を忘れちゃっていいのかな。
 
 末広がりでかつ首を横にしたら∞が並んでいるラッキーなキリ番は、ばるた3さんが踏まれました。おめでとうございます。
 
 
29日(火)カイカク(2)
 政治改革とは言いますが、政治改良・政治改正・政治改善とは言わないですね。とにかく革(あらた)めればOK? 良く変えなくてもいいの?
 
【ただいま読書中】
テロリスト・ハンター
匿名著、鈴木主悦・中島由華訳、アスペクト、2004年、2300円(税別)
 
 著者は裕福な商人の娘としてバスラに生まれ育ったユダヤ人です。1967年の六日戦争で損害を受けたイラクは翌年バスラ党のクーデターによってサダム・フセインが政権につくと恐怖政治を始め、特にユダヤ人に対する弾圧を始めました。著者の父もスパイとして逮捕され死刑になります。財産は没収され残された家族の命の危険もあるため、一家はイラン経由でイラクを脱出します。やっと落ち着いたイスラエルも著者にとっては安住の地ではなく、アメリカに移住。新聞広告で見つけた「アラビア語とヘブライ語に堪能な人」を求める中東調査機関に職を求めます。そこで偶然見かけた募金団体のパンフレットからそこがハマスのダミー機関であることを見抜いた著者は、アメリカで活動するテロリストたちの正体を暴く仕事に没入していきます。
 別にスパイとして潜入しなくても、公表されている情報を丁寧に分析するだけで驚くほど詳しいことがわかる、と著者は具体例をいくつもあげます(1999年に公文書だけを分析することでアメリカ国内におけるアルカイダの活動をあぶり出したりしています)。しかし著者は「安楽椅子の探偵」では満足しません。ムスリム女性に変装して、あやしい集会に出かけ、実際にそこでどのような演説が行われるのか、現場を確認します。でもそういった情報を国務省やFBIに上げても無視されるだけでした、「9.11」が起きるまで。
 いや、「9.11」が起きた後も、「自分が持っている情報は自分のものだから、誰にも見せてやらない」というお役所の態度は変わっていない、と著者は(これまた豊富な実例付きで)語ります。著者が向ける矛先の鋭さは、テロリスト・テロ支援団体に対しても、無能な政府機関(特にFBI)に対してもそれほど変わりません。著者には「無能な捜査機関」は「消極的なテロ支援」に見えるのでしょう。
 著者は法人組織や慈善団体をいくつも複雑に組み合わせてマネーロンダリングを行っているネットワークを解きほぐしにかかります。書類上は年間18億ドルの寄付金を受け取っていることになっている(でも寄付者は不明な)「SAAR」という団体が、著者のメインターゲットです。著者はやがてその団体の背後にサウジアラビアが存在することを突き止めます。ところがそれに対する政府の「報償」は、FBIとCIAによる身辺捜査でした。「政府の機密情報を盗んだのではないか」「捜査情報を容疑者に流すのではないか」「外交関係を悪くするのではないか」というのですが……ほとんど言いがかりですね。
 
 ……著者はイラクで父を殺され自らも命の危険を感じたのですから、ムスリムのテロリストとためらいなく呼びます。自分たちは「善の立場である」と。だけど、パレスチナに生まれイスラエルの兵士に親を殺されたイスラムの子どもはその逆を主張するでしょう。結局このままでは終わりのない憎悪の応酬と報復の連鎖だけ。一体なにをどうすれば良いんでしょうねえ。
 
 
30日(水)少し違うとっても違う
 mixiのコミュニティ「好ましい日本語」への書き込みを考えていて「身籠もる」と「身罷る」を並べて書いてみました。じっと見ていると、だんだんどちらがどちらかわからなくなってきました。特に「も」を除いてしまうと、「身籠る」と「身罷る」でしょ。似てない?
 
【ただいま読書中】
箸のはなし ──はしと食の文化誌
阿部正路著、ほるぷ出版、1993年、1500円(税込)
 
 『古事記』には伊邪那美命(いざなみのみこと)が火之神を出産したショックで死亡して比婆山(現在の広島県北部)に埋葬されたことが書かれています。この話をマクラに本書は始まります。第一章では日本人の食文化にとって特別な意味があるものとして、米・塩・鮭・鰻・酒・蕎麦が列挙されその根拠が述べられます。
 
 『魏志倭人伝』には「(倭人は)手食す」とあります(その前の文には「身体に朱丹を塗るが、中国で粉を用いるが如き」とあるので、邪馬台国と中国との異同が魏の人には印象的だったのでしょう)。すると、その頃(紀元3世紀)あるいはそれ以後に箸が大陸からもたらされたのでしょうか。
 
 箸は呪術的な力を持つと信じられていました。「箸を地面に植えたら育って木になった」という伝説が各地にあります。
 岩手には「箸は八寸、串は九寸」と言って作る地方があるのだそうですが、ただの語呂ではなくて「八」という数字の特別な意味(八岐大蛇・八雲・八心などの「数多い」あるいは「無限大」を示す意味)を「箸」に重ねたものだ、と著者は言います。ついでに、箸二本で「八」が簡単に作れるし、と言うのですが、これはどこまで信じたらいいのでしょう?
 野山で食事をした後使った箸を折って捨てる風習が各地にあり「箸折」という地名として残されています。使った箸には妖怪が取り憑くという俗信もありますが、使った箸は自分のものであって他のいかなる人のためのものでもない、という思想が根底にあるのではないか、と著者は述べます。
 「食べる」とは「生命(のもと)を口に入れる」作業です。「死の穢れ」を嫌う日本人が、動物や植物の死体を自らの口に運ぶとき、箸に穢れを祓う呪術的な効果を期待したとしても不思議ではないでしょう(だから骨揚げにも箸を使う?)。おっと、手で食べることが常識のものもありますね。おむすび、餅菓子、にぎり鮨……米はそれだけで神聖な存在だからいいのかな。……焼き芋……う〜む、もう一回考え直してみます。