2005年12月
11月30日の朝日新聞に「アメリカでは手描きのアニメがなくなってCGばかりになった。最後の砦は宮崎駿か」という記事が載りました。で、これからは手描きよりもリアルで繊細で技術的に進んだCGがファンに好まれて主流になるだろう、というのです。
……しかし「ハリウッドが売りたい」のがCGであることは間違いありませんが、「ファンが見たいの」のがCGである、ということは間違いないのでしょうか? ファンが見たいのは「進んだ技術」だと言わんばかりですが、本当にそれで間違いない?
おかしいなあ。技術的にまったく時代遅れの、カラーでさえない、音さえ入っていない映画でも、私には好きなものはありますけど。たとえばチャップリンとか。それと同様に……そうだなあ、たとえば「鉄腕アトム」、これをCGで作り直したらそちらの方に無条件で飛びつくかと言われたら……作品のでき次第です。私が見たいのは「技術」の先進性ではありません。作品です。私が感じたいのは技術の驚異ではありません。作品が与えてくれる感動です。
こんなファンは、もう時代遅れ?
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本書ではグアム、ペリリュー、硫黄島が取りあげられます。さらに、硫黄島とからめてサイドストーリー的に、東京爆撃をめぐる陸軍航空隊と高速空母機動部隊との軋轢も取りあげられます。陸軍B29の戦略爆撃と艦載機の精密爆撃の違いが明確にされ、市街地への戦略爆撃が中心となって軍需工場への爆撃が不十分だったためにのちの沖縄戦で使われた特攻機が大量に生産されてしまったと著者は述べます。
アメリカ海兵隊の強行上陸作戦は完成の域に達したように見えます。上陸用舟艇の新製品が投入されたり戦車がM3からM4シャーマンにグレードアップした、という派手なもの以外でも、歩兵用の武器のM1カービンやブローニング自動小銃が増やされ火炎放射器やバズーカが大量配備されるという地味な増強もぬかりなく行われています。
サイパンに続くグアム上陸作戦ではまずガダルカナルで実弾を使ったフルリハーサルを入念に行い、上陸前に13日間もの砲爆撃を加えることで日本側の水際陣地は壊滅状態となります。コリノー提督はサイパンから得た教訓から、上陸前の砲爆撃で重火器を潰しておかなければ上陸部隊が大損害を受けることを学び、システマティック・ボンバードメント(系統的砲爆撃)を推進したのです。ここで重要視されたのは「何万発打ち込んだか」ではなくて「実際にどのくらい効果があったか」です。攻撃をし、偵察写真を撮って損害評価を行い、その上で翌日の攻撃目標を決定するのです。やられる方はたまりません。ただ日本側も教訓は得ており、陣地をコンクリートで補強したり自然の洞窟を活かして重砲を配置、歩兵は縦深配備をして生き残りを計りました。
事前の準備爆撃で投下された爆弾は3日で1,131トン、艦砲射撃は13日で28,764発。結果、水際の日本軍陣地の9割は破壊されました。
ところがペリリューでは日本軍は戦略を転換します。大本営は相変わらず「一兵たりとも上陸させない」水際作戦に固執していましたが(「なお一層奮励努力せよ」)、現地指揮官中川大佐は隠蔽陣地からの十字砲火でできる限りの損害を水際で与えたあと島内に引きずり込んでそこで混戦に持ち込む、としたのです。陣地造営に大本営は横やりを入れていろいろ変更させますが、米軍がペリリューにせまった頃にはさすがにそれまでの玉砕続きから何かを感じたのか、持久戦を容認する方針を出します。水際に兵力を集中して爆撃砲撃で大損害→海兵隊が易々と上陸→その夜万歳アタック→夜襲を待ちかまえていた米軍の掃射を受けて大損害→あとは各個撃破、という定番のストーリーを大本営もやっと変える気になったのでした。
米軍にはペリリューでも新兵器の投入がありました。自走式長距離火炎放射機です(火炎放射器付きの装甲車のようなもの)。従来の3倍、150ヤード先まで炎が届き、日本軍のトーチカや洞窟陣地に絶大の効果を示しました。ただ、直前にパラオ本島からペリリューに目標が変更され、戦車の数も上陸部隊の訓練も不足し、さらに事前の艦砲射撃も3日しか行わない、という「不足」だらけの上陸作戦だったため、日本の方針変更と合わせて海兵隊の損害は大きく、上陸中および後の戦闘による損耗の激しさから最後は陸軍部隊と交替することになってしまいます。
損害の大きさに驚いた米軍司令部は、台湾・ミンダナオ島・廈門への上陸はやめて飛び石作戦を採ることにします。次の目標に選ばれたのは硫黄島。はじめは父島も考慮されましたが、日本本土に近く日本からの爆撃などがあり得ると200km以上南の硫黄島が選択されたのです。しかしそこには、それまでで最も密度の高い砲列が米海兵隊を待っていました。
しかし、日本軍はけっこう軍規が緩かったんですね。「夜間の切り込み突撃をするな」という司令官の命令を無視して万歳アタックをして全滅をする。「上陸用舟艇を十分引きつけてから射撃開始」の指令を無視して敵艦影が見えた瞬間個別に打ち始めて隠蔽水平砲台の位置を露呈する(当然それを待っていた艦砲射撃を食らってすぐに沈黙させられる)。そのへんはもう少し厳しい軍隊かと思っていたのに、ちょっと意外でした。
2〜3日前から両膝の裏側がときどきぴりっと痛むのでさわってみるとがさがさしています。鏡で見ると引っ掻いたように筋状に赤くなっていますが、引っ掻いた覚えはありません。よくよくみると一部が小さな水ぶくれのようになっています。……帯状疱疹です。
http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec17/ch198/ch198e.html
(メルクマニュアルの家庭版は、とりあえず便利です)
十数年前に肋間神経(だったと思います。もう記憶は薄いのですが)の帯状疱疹で痛い思いをしたのでもう免疫を獲得しているはずなのに、またですか。再発率はWeb上の情報源によって1〜5%とばらつきがありますが、ともかく私の免疫ブロックは強くない少数派だったようです。そういや、B型肝炎ワクチンも打ったけれど無駄だったしなあ。スギ花粉症の方で化学伝達物質を無駄遣いしているんだろうか?
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河津幸英著、アリアドネ企画、2003年、2600円(税別)
太平洋戦争ではよく「日本はアメリカの物量作戦にやられた」と言われますが、硫黄島はその例外です。2万の日本軍に対して7万の米軍ですからたしかに数ではアメリカが優っていますが、重火器の種類と数に関しては日本軍もたっぷり用意していましたし、籠っているのは水際ー主陣地ー山中の地下陣地の三段構えの要塞です。いくら大量の砲爆撃をしても地下に籠る日本兵には効かず、米軍兵士は剥き出しの地表にいてトーチカなどで足止めをくらっているところに日本軍後方からの砲撃をくらうのです。地形の関係でトーチカに対して最も有効なシャーマン戦車も使いづらく、結果、日本軍2万の損害に対して米軍は2万3千人以上の死傷を強いられることになってしまいました。
次の沖縄戦でアメリカ(とイギリス)が用意したのは陸・海・海兵総勢55万人の大軍勢です(そのうち半数が上陸部隊)。10万人の日本軍だけではなくて、台湾や日本本土から米艦隊を襲撃する航空機や水上部隊に対応するためにも手厚く準備をしておかなければならなかったからここまで膨れあがったのですが、それでてんてこ舞いになったのは兵站部門です。遠くアメリカ本土からでも要求された物資を120日以内に沖縄海域まで届けなければならないのですから(事務処理に30日、物資集積と積み込みに60日、太平洋横断に30日)。
日本側もばたばたしています。台湾からレイテに第10師団を転用した穴埋めに、歴戦の第9師団が台湾に引き抜かれ、上層の人事異動も行われ、米軍上陸を前に戦術の転換が行われ徹底した持久戦を行うことになりました。これまで大切にしていた飛行場さえ、守備は放棄です(開けているのでまともにぶつかったら兵力がすぐに消耗してしまうから)。日本軍が頼りにしたのは重砲兵団(口径10センチ以上の大口径火砲は82門)と首里の地下要塞でした。トーチカなどで敵を足止めしてそこを自軍の背後から地下壕に隠した砲兵がたたく作戦です。それに対して米軍も、広い沖縄本島で運用するためにこれまでで最大の重砲兵軍団を送り込んできました(155ミリを越える重砲が264門、100ミリ以上だと540門)。事前に慶良間を占領してそこにも支援砲台を築きます。
強襲上陸そのものは、結局ほとんど無血でした。日本軍はついに水際防御を放棄し、要塞などに籠っていたのです。海岸沿いの道路に沿って米軍はどんどん展開しますが、そこから山岳地帯に踏み込んだ瞬間、血みどろの戦いが始まったのでした。
三冊を通して水陸両用作戦が実戦を通して進化していった有様がよくわかります。沖縄で住民が戦闘に巻き込まれたことについては本書では詳しくは触れられませんが、こういったタイプの戦争ではただですむわけがないこともわかります。
……グアムやサイパンではどうだったんでしょう。あそこにも当然住民がいましたよね。
「マンホールの蓋はなぜ丸いのか」というクイズやそのものずばりのタイトルの本もありますが、その話ではありません。
日本の都市の公道はほとんどがその下に何かが走っています。大都会なら地下鉄、地下鉄がない街でもライフライン関係が埋めてあります。その点検のためにマンホールが設置されますが、その蓋が問題なんです。交差点やカーブを曲がるとき、二輪車が「このラインを通りたい」というところを狙ったかのようにマンホールの蓋が置いてあるのです。晴れているときはあまり気になりません。だけど雨の時、濡れた鉄の蓋は滑るのです。コーナーリングの最中、遠心力に負けないように内側に身体を倒してバランスを取っている二輪にとって、タイヤが横滑りするのは嬉しくありません。四輪だったら一輪が滑っても他の三輪が踏ん張っていれば普通は大事にはいたりませんし二輪が滑ってもスピンするくらいです。でも二輪車だと命に関わります。一輪がどんと滑ったら転倒ですから。
蓋を避けようと地面を見つめていたら、今度は遠くが見えません。それでなくてもコーナーリングの最中は先の見通しが悪いから横断歩道を渡る人や違法駐車や進路変更する車などをなるべく早く見つけなければならないのに、どうして地面を見つめていなければならないのでしょう。
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橋本毅彦・栗山茂久編著、三元社、2001年、3800円(税別)
幕末〜明治初期のお雇い外国人が日本人に対して感じた苛立ちの一つが「きちんと時間を守らない」ことだったそうです。明治五年まで日本人は不定時法で生きていましたから、昼と夜で時間の流れが違います。そこに「明朝7時に集合」「なんで10分も遅刻するんだ」なんて言われても日本人にはちんぷんかんぷんだったのです。
本書では、そういった日本人の実体はどうだったのか、それがなぜ今のようになったのか、昔のヨーロッパはどうだったのか、を明らかにしようとする論文集です。
まず取りあげられるのは鉄道運行システムです。欧米では定時法の定着・全国標準時の設定に鉄道が大きな役割を果たしたことについての研究があります。では日本はどうなのでしょう。
明治五年の鉄道(品川〜横浜)の規則には「出発時刻15分前にはステイションに来て切手を買い入れること。5分前にはステイションの戸を閉める」とあります。「時間厳守」の始まりです。明治十年には「時間厳守の励行」は規則から外され、かわりに鉄道標準時の伝達方法や時計の斉正方法が具体的に規定されます。精神論から技術論への移行ですね。
(ついでですが全国標準時は明治12年(1879)に設定されます)
しかし、1890年頃は30分くらいの遅延は当たり前でしたし、1900年頃でも「汽車の10〜20分の遅延は問題ない」と職員は思っていました。その認識に訂正をせまったのは社会の側です。鉄道網が発展し長距離運送が盛んになると、少しの遅延が次の連絡線との接続を困難にすることから、定時運行への圧力が高まります。
1903年日本鉄道会社は「定刻に少しでも遅れたものは『遅参』とする」と規則を改正します。それまでの「遅参」は「定刻に1時間以上出勤が遅れたもの」でしたから大変革です。
1906年「鉄道国有法」が公布され、全国的な統一運賃が採用されます。それにともない国民は「運賃と時間」を意識するようになります。かくして「遅れるのが当たり前」の汽車に「定時運行」という概念が生まれます。1910年代は労働強化によって定時運行が確保され、1920年代は新技術(大型機関車、自動連結器、エア・ブレーキなど)が導入され、とうとう1930年代には山手線がそれまでより6分短縮して一周1時間きっちりで走るようになりました。(当時の品川駅長は「従業員は、停車時間の12秒をも(駅はほぼ三十駅もありませう)争はねばならない訳です」と表現しています)
……定時運行に「分」ではなくて「秒」が登場したのです。
昔「お寺の鐘」が時を知らせる機能を持っていたことはよく知られていますが(「夕焼け小焼け」にも「山のお寺の鐘が鳴る」とありますね)、萩藩では17世紀後半に村々に時鐘が設置されました。時と火事の知らせが普段の機能ですが、幕末には藩士の非常呼集にも用いられたそうです。時の基準は萩城下の時鐘でした。江戸時代の人間は時計も持たないのに「今なんどきだい?」と平気で会話をしていましたが、そういった時間感覚は統一的な時鐘システムによって支えられていたのでしょう。
明治末期から工場の労働者や事務職に対して「科学的管理法」が導入されます。勤務時間・休憩時間・勤務態度などを規律として管理するのですが(遅刻・欠勤・怠慢を許さない)、それはたとえば面会者との面会時間の制限など、対人関係にも影響を与える文化的なものでした。
「時間厳守」は当然学校にも取り入れられます。明治六年(1873)「小学生徒心得」(文部省)に「第二条 毎日参校ハ受業時限十分前タルベシ」とあります。ただし時計を持たない当時の日本中の生徒や親(や教師)がどうやって「十分前」を知ったのかは謎です。
校内で時間を知らせるのに板木・太鼓を用いた所もありますが音が小さく聞こえにくいため多くは鐘や振鈴が用いられました。今のチャイムのご先祖様ですね。
国定教科書にも「時は金なり」が取りあげられます。毎日少しずつでも時間を惜しんで勤勉を積み重ねることで立身出世の道が開ける、とするのですが、ここで論者は「金は蓄積したら貯まるが、時間は貯まるのか?」という疑問提起を行います。そう、「時は金なり」ではありますが、「時=金」ではないんですよねえ。
家庭においても「時=金」の概念が登場します。『家庭之友』(『婦人之友』の前身)の創刊者、羽仁もと子は「予算を配分するように、主婦の時間を配分する」ことを提唱しました。明治36年(1903)のことです。主婦の時間割と呼ばれました。
最後は「時は金なり」に関する考察です。普通これはフランクリンの言葉とされていますが、ギリシアの格言に似たものが存在しているそうです(OED)。ただ、テオフラストスの用法では「時も金も、どちらも貴重なもので、どちらも費やされてしまうものだ」という類似性を述べているのに対し、フランクリンは両者をイコールで結んでいる点が違います。これは貨幣経済の中で時間を捉えている態度です。
「早し良し、ちょうどよし危うし、遅し悪し」で育てられた私は時間を守ることが大好きです。う〜む、やはりたいむいずまねーの奴隷なのだろうか。
AさんがBさんを怒鳴りつけているのが聞こえました。
「あんたは元気だから、病気の人間の気持ちがわからないんだよ」
怒鳴られたBさんはしょんぼりしています。
……私はたまたま知っているのですが、Bさんは以前大病を患ってそれを克服し、今も別の病気があるのだけどそれと共存しながら生きている人です。でも、Bさんがそれを自分で言わないのでしたら、私がしゃしゃり出てそれを言うわけにはいきません。個人のプライバシーですから。それに、たとえそれを言ったところで「それだどうした。俺の方がもっと大変な病気なんだ」と論点がずらされるだけだと予測できます。
Aさんが不幸であること(あるいは、他人と比較して自分は不幸だと思い込んでいること)はよくわかりました。でも、Bさんのことを「元気だから病気の人間の気持ちがわからない」と決めつけても自分が幸福になる助けにはなりません。
むしろそんなことを元気一杯断言できる人こそ「病気の人間の気持ちがわからない人」なんじゃないかなあ。いや、病気かどうかは無関係ですね。「他人の気持ちがわからない人」です。で、Aさんの言葉と行動を素直に取ると、「自分は他人の気持ちをわかるつもりはない」「でも他人は自分の気持ちをわかるべきだ」と主張していることになるのですが……
……やれやれ……
【ただいま読書中】
田中芳樹著、らいとすたっふ編、徳間書店、1997年、1359円(税別)
『銀河英雄伝説』を私はTVアニメではたぶんほとんど全部見ていますが、活字で読んだことは『SFアドヴェンチャー』に載った外伝以外ほとんどありませんでした。ですから本書の表紙に踊る「単行本未収録作品一挙掲載! 『ダゴン星域会戦記』『白銀の谷』『朝の夢、夜の歌』『汚名』」を目にしても別に心が躍るわけではありません。(本書はこの四つの外伝にプラスして、アニメ化に伴ういろいろな雑誌でのインタビューなどをまとめたものです)
作者本人が言っているようにこれは「歴史物」です。「昔々、遠い銀河の果てで……」で始まるスペースオペラ平家物語。べべんべん。したがって視点は自由に行き来し、銀河帝国側にも自由惑星同盟側にも作者は一方的には肩入れしません。
しかし、地の文を読む限り本書の語り手は権力の腐敗を非常に嫌っていますが、どんな社会に生きていて過去を振り返っている、という設定なんでしょう?
面白いのは、銀河に回廊があったり「艦隊が足を止める」と平気で書かれること。我々が住む宇宙とは別の物理法則が支配する宇宙のようですが、まあ最初からそのような設定ならしかたありません。谷甲州の宇宙ではあり得ないことですが、そのかわり谷甲州では出会えない魅力的な群像が(英雄も下らない人間もたっぷり)描写されるので、そちらでお腹いっぱいになります。
日曜の朝、急に寒くなったので天気予報をじっくり見ると下手すると雪が降るかもしれない・凍結するかもしれない、とのこと。昨年は雪が降ってから車のタイヤ交換をばたばたとしたので今年はその前に、とイエローハットに車を持っていくと「五時間待ちです」。いや、自分でやったら無料なのですが、岡山の講演会に今から行くのです。しかたないので家内に後を託しました。たっぷり3時間半楽しんで帰ってきて駅から家に電話したら「今さっき電話があって、そろそろ順番だから車を持ってきてくれ、だって」だって。何はともあれ、これで冬の支度が一つはできました。さあ雪さん、いつでもいらっしゃい。この前の忘年会では、中国山地の山里(複数)ではカメムシが大発生だそうで、そういったところの言い伝えでは「カメムシが多いと、その冬は大雪」なんだそうです。さて、その言い伝えの真偽はいかに?
で、今は月曜の朝。わはは、雪です。車がしっかり雪に埋もれています。走らせるためにはまず車の雪払いをしなくては。わーん、手が冷たいよ。
【ただいま読書中】
赤瀬川原平著、筑摩書房、1998年、1500円(税別)
年を取って物忘れが激しくなり「あれ、ほら、あれだよ」「うんうん、あれ、あれだよな……って、何だったっけ?」という会話をするようになったのを、マイナスに捉えるのではなくて「老人力がついた」とポジティブに言おう、という運動の張本人の本です。そもそも「路上観察学会」の活動中にその力が発見されたのですが、第一発見者は藤森照信さんと南伸坊さん。で、「発見物」が著者。つまり著者が示しているボケを「老人力」と呼ぼう、とサークルで提唱したらそれがいつの間にか定着してしまった、ということのようです。
忘却力とか溜息とか、老人力にも色々あるようですが、著者愛用のライカの動きが鈍ってきたのも「ライカにも老人力がついた」と表現しているのには笑ってしまいました。こんな言い方をしたら腹も立たないでしょうね。ほのかに明るい人生です。
読んでいるうちに「空席力」とか「新聞記事の懐石料理仕立て」なんてのが出てくるのには、脱帽です。老人力は応用範囲が広いのです。でも著者は安易なポジティブシンキングには否定的な立場のようで「年を取ったけれども老人力でがんばろう」なんて言い方は嫌っています。
私もそろそろ老人力がついてきて時に困ることもあるのですが(これまで散々書いてきた固有名詞などがペンを動かそうとした瞬間急に出なくなることがあります。「ほら、あれ、あれなんだよ」状態)、そんなときにはあわてず騒がず参考図書をめくって正しい名前を探して何とかしています。でもその内に「たぶんコレだよな」と確認せずに別の名前を書いたりするのではないか、と、忘れることよりも忘れたことに対して間違った対処をしてしまう可能性があることに恐怖を感じてしまいます。いや、ケアレスミスなら誰にでもあることですが、それが連発になると非常にまずいものですから。本書で著者が言うとおり、変に休ませたりせずにずっと同じように使い続けて調子を保った方が良いのでしょうが、この脳味噌、あとどのくらいそれなりに動いてくれるのかなあ。
ニュースを見る限り「タミフルが足りない」と世界中で大騒ぎになっているそうです。「このままの状態でもし新型インフルエンザが出現したらどうなるんだ」と、話が始まる前からパニック気味の人もいるようですが、パニックを起こしても冷静を保っても、起きるものは起きるし起きないものは起きないのですから、さて……
私が現在感じている疑問は三つです。
1)なぜタミフルだけ備蓄?
タミフルと同等の効果を持つリレンザ、タミフル・リレンザより使いにくいけれど(A型インフルエンザにしか効かない・耐性ウイルスが出やすい・副作用の面、などで)抗インフルエンザウイルス作用を持つシンメトレル、西洋薬ほどじゃないけど一定の効果を持つ麻黄湯、などは世界的に黙殺されているようですが、一体なぜ? 本当に戦う気なら使える武器は全部使う準備をしておいた方が良いのではないでしょうか。
2)タミフルだけで十分?
逆に、タミフルの備蓄が十分以上になったらそれで新型インフルエンザに対しては安心、なのでしょうか。タミフルはそのへんのウイルスを次々破壊してくれるわけではありません。身体に侵入したインフルエンザウイルスが増殖を始めた「後」に効果を示します。早期服用だと予防効果があるようですが、予防のために一冬あるいは(かつてのスペイン風邪のように新型が季節に関係ないタイプだったら)一年中タミフルを飲み続けますか? また、新型インフルエンザに対してタミフルを使ったら、どのくらい死亡率が下がると予測されているのでしょうか。具体的な数字や論拠は広く公表されていましたっけ?
3)タミフルは本当に足りない?
今回はたぶん本当に「足りない」のでしょうけれど、「足りない」で私は反射的に以下のことを思い出します。
・昭和48年(1973)オイルショックのあおりでなぜかトイレットペーパーが店頭から姿を消し、すぐにティッシュペーパー・洗剤なども品不足で買いにくくなりました(ここまでは私の目撃および体験記憶。あと、砂糖や醤油までなくなった店(地域)もあるそうです)。実際に足りなかったわけではなくて、異常な買いだめによる流通在庫不足だったのですが。
・平成5年(1993)、前年の不作をうけて米不足騒動が起きました。それまでは「古米」「古々米」「生産調整」「休耕田」などと言われていたのが一転「国産米がない」ですから、私は驚きました。で、その情報が出た瞬間、米屋の店先から米が消えました。
「足りない」「足りない」と言われていましたが、たとえばタイ米だけで半年命をつないだ人って日本にどのくらいいます? 我が家もブレンド米(インディカ米とジャポニカ米の長所を両方殺す愚策)を一回か二回は買ったと思いますが、あとは結局ジャポニカ米が手に入っていたように記憶しています。そういや、結局輸入したタイ米を大量に捨てたりしていませんでしたっけ?
・2年前でしたか、「インフルエンザワクチンが足りない」と大騒ぎになりました。この時も「足りない」という噂が出た瞬間ワクチンはみごとに姿を消しました。ところがシーズン「後」、あちこちの医療機関から大量返品の山。「足りない」→「確保」→「必要以上に確保したから使わない」→「残りは返しておこう」、です。(こんな医療機関は名前を公表するべきだと私は思っているのですが、問屋も商売上の問題があるから情報提供はできないでしょうね)
ともかく予言しておきましょう、万が一今シーズン新型インフルエンザが世界のどこかに出現したなら、タミフルは一瞬であっさり我々の目の前から姿を消すでしょう。たとえ何万人分何十万人分備蓄があったとしてもね。
【ただいま読書中】
ローズマリ・サトクリフ著、山本史郎訳、原書房、2004年、1800円(税別)
「ロビン・フッドって、誰だっけ?」「森に籠った弓の名人で」「ふむふむ」「頭の上の林檎を」「それはウィリアム・テル!」
そこで笑った人、ではロビン・フッドって誰?何をした人?いつの人?
実は私はそんなことは何も知りません。知っているのは名前だけ、と言って良いでしょう。それなのに本書を手に取ったのは、著者の名前を信用したからです。絶対面白いはずだ、って。
12世紀のイギリス、バークンカー村生まれのヨーマン(独立農民)ロバート(愛称ロビン)は、彼を憎む修道院長の悪だくみでお尋ね者にされてしまいます。ロビンは森に逃げ込みそこに同じように悪辣な教会や代官の手から逃げてきた仲間たちが集結します。「正直者や抑圧されたものからは奪わない」それがロビンたち「無法者」の掟です。
リトル・ジョン、修道士タック、リーのリチャード卿、ジャグラーのピーターキンなど魅力的なキャラが次々登場します。そしてヒロインのマリアン。意に沿わぬ結婚を強いられそうになったマリアンは、自ら逃げだし、そこに駆けつけたロビンとともに森に住むことになります。
ロビンの噂はついに国王の耳にまで達し、獅子心王リチャードは自らロビンの人となりを確認した上で恩赦を与えます。しかしその後を襲ったジョン王は悪逆で、ついにマグナ・カルタの調印とイギリスの内乱が……
「イチイの長弓」と言って私がすぐ思い出すのは百年戦争ですが、長弓そのものはその前の時代、そう、ロビン・フッドの時代からあったわけです。イチイははじめイギリスでは入手が難しくて輸入が多かったはずですから無法者が簡単に入手できたのかなあとか思いますが、まあそういった細かいことは抜きにして、当時の時代と生活のにおいが感じられるような描写には引き込まれます。これが著者のデビュー作だったとは恐れ入りました。
昨日新型インフルエンザのことを書いてから、私の妄想連想機構が働きました。
老人医療費の増加を目の敵にしている人たちが日本にはいます。老人医療費の数字だけ見て、「その老人」が家庭で社会でどのような存在なのかは見ない人(大切な人かけがえのない人であることを無視する人)のことを私は陰で「金の亡者」と呼んでいます。人の存在や命よりもお金の方が大切な人ですから。そういった人が自分の親を大切にしないのは本人の勝手ですが、だからといって他人が自分の親を大切にしたいのを邪魔する権利があるのかなあ。
そういった人たちは、(意識的にか無意識的にかは別として)実は新型インフルエンザを待望しているのではないでしょうか。新型インフルエンザが大流行したら一番死ぬのは弱者です。つまり、弱い老人もばたばた死ぬはずです。すると、一時的に医療費が膨らみますが、その翌年から慢性疾患にかかる医療費が激減することが期待できます。病気がちの老人が一掃されてしまうのですから。金をけちるために健康保険システムをいじくりまわしてその結果医療保健サービスが低下して平均寿命が短くなったら政策決定者の責任が問われますが(問われますよね?(強気) 問われないかな(疑問) 問われて欲しいなあ(はかない願望) 現場(最先端の医療機関や施設)の責任が問われるだけかな(絶望))、インフルエンザだったら「不幸なことになって遺憾です(世界中で流行したんだから仕方ないよね)」と頭を下げればそれでおしまいです。責任逃れが大好きな人には見過ごせない好機でしょう。犠牲のヤギやら羊やらが大好きな人にも好機でしょう。
「一時的に医療費が膨らむ」と書きましたが、これも何とかなるかもしれません。レセプトの査定を厳しくして、インフルエンザの老人を救おうと熱心に診療した施設を「過剰請求」「不正請求」と支払いを削りまくるのです。こうすればお上の意向に逆らう施設を経済的に罰することもできますし医療費の膨らみも圧縮できて、一石二鳥です。いや、老人減らしも推進できるしマスコミにたたくネタも提供できるから、一石四鳥。
【ただいま読書中】
リチャード・マシスン著、吉田誠一訳、早川書房、2005年、2000円(税別)
たまたま本書と平行して読んでいた『SFマガジン 2006年1月号』が「レイ・ブラッドベリ特集」でして、そこの解説に「『火星年代記』のTVシリーズの脚本を担当したのが、リチャード・マシスン」とありました。「ふーん、なるほど」と私はうなずきました。ただし、何がふーんで何がなるほどなのか、と真剣に問われると困ります。特に意味はないただの雰囲気作りですが、本を読むとき雰囲気って大事ですからね。
タイトル通りショッキングな短編が13編缶詰のように詰め込まれています。作品そのものの構造はどちらかというと単純でストーリーは一直線に進みます。ただし、その「直線」が乗っている平面が私たちの「世界」と重なってはいるけれどもずれているのです。だから作品の終盤で到達した地点は私たちの「現実」とはずれてねじれて、でも全く別世界のものとも言い難いもので、複雑なショックをこちらの心に与えてくれます。
簡単にネタバレになっちゃうのでなかなか作品紹介がしづらいのですが……
『レミング』……わずか3頁の掌編で、最初の数行を読んだら結末は読めますが、それでも読み終えて「やられた」と呟いてしまいました。
『顔』……児童虐待のニュースは珍しくなくなりました(昨日も18歳の娘を学校にもずっとやらずに閉じこめて虐待していた人のニュースが……)が、それの「予言」と言っても通る作品です。本作中での手口は「まさか、そんな」と言いたくなるものですが、でも「『それ』をおこなう人の心性」はおそらく人類共通のものでしょう。それを思うと暗澹たる気持ちになります。
『人生モンタージュ』……「フェイドアウト」で始まり「フェイドアウト」で終わります。その間に挟まれた「人生」は……
『天衣無縫』……ある日突然ウォーキングディクショナリーならぬ、ウォーキングライブラリーになってしまった男の物語です。大学の教室にはいるとその教室で行われる授業が(過去にまで遡って)全部頭に入ってしまうのです。いろんな教室に入る度に知識はどんどん増え続け、とうとうある日大学の図書館に入ってしまうと人類の知識の奔流が……いや、力ずくのオチですが、もう笑っちゃうしかありません。人間って、ショックを受けても笑うんですね。
仕事先から帰ろうとしてふと空を見上げると、天頂から西に向かう飛行機が見えました。どんな気象条件なのか飛行機雲ができるはしから消えていっているようで、飛行機の数倍程度の長さの短い飛行機雲が飛行機本体にくっついて移動しているように見えますが、ちょうど夕日がそれを照らして暮れなずむ空を背景にとっても小さな二筋の夕焼け雲です。写真に撮ろうと携帯を取り出しましたが……小さすぎて以前撮った満月程度の大きさにしか画面上は見えません。結局撮影は断念しました。望遠レンズ付きのカメラと三脚があれば面白い写真になったでしょうに。
しかし、iPodの物欲がやっと静まったというのに、また別の物欲でしょうか? 困ったものです。どうどうどう、たとえカメラを入手しても、被写体はもう存在しないのよ>私の物欲。
【ただいま読書中】
渡辺洋二著、文春文庫、2001年、590円(税別)
※『本土防空戦』(朝日ソノラマ、1997)に加筆訂正の上文庫化されたものです。
日本は「海」という外堀があるため、「国土防衛」という発想が陸海共に貧弱だった、と著者は説きます。両方に振り向ける装備の絶対量が不足していることもありますが、「先手必勝」「攻撃は最大の防御」で攻撃と防御のアンバランスが目立つ(長期戦には耐えられない)状態だったのです。それでも航空機の発達と共に防空意識は芽生え、早くも大正11年には東京・大阪に防衛司令部が高射砲や照空灯部隊を指揮する計画が作られましたが……計画だけでした。昭和になって防衛司令部はやっと軍隊化されますが、日華事変勃発当時高射砲は28門だけ、飛行機はゼロでした。昭和12年、中国の爆撃機が台湾を爆撃、また九州に数機が侵入してビラを撒きます。しかし軍部の対応は鈍く、昭和16年に入っても高射砲配備は100門だけでした。
1942年、ドゥーリトル隊による日本本土爆撃が行われます。計画では夜間奇襲のはずが空母が哨戒艇に発見されたため昼間の強襲爆撃に切り替えられましたが、日本側は「まさか」「よく確認してから」で対応が後手に回り、東京に空襲警報が出されたのは爆弾投下後のことでした。これでやっと防空体制の整備が本気で行われるようになります。たとえば防空監視哨に双眼鏡が配布され、レーダーの開発も行われます。
日本戦闘機の戦法は伝統的にチームプレイではなくて一対一の格闘戦でした。ですから新機種開発においても軽快な取り回しを軍は求めましたが……すごいですね、敵爆撃機と格闘戦をやるつもりだったんだ。それに対して「傾斜銃」「一撃離脱の戦法」などが提案されますが軍の対応は鈍いものでした。さらに問題はエンジンです。防空戦闘機用のエンジンがないため、大馬力を求めて爆撃機のエンジンを積んだ戦闘機はエンジンの太さのために視界が悪い、という欠点を持っていました。
そこにB−29が登場します。1940年に仕様が確定してからアメリカでは苦闘の開発が続けられていましたが、1944年に配備が始まります。B−17も確実に落とせない日本軍にとって、B−29の登場はとんでもないことでした。爆撃機のくせに日本の戦闘機よりも速く高く飛ぶのですから。高度1万mに上がるのがやっとの日本機にとって、その上を悠々と巡航するB−29に対抗するために選択した手段は、武器も防弾板もはずして軽量化することでさらに高度を稼いでから体当たりをすることでした。(ただし、攻撃後に可能なら不時着したり落下傘で生還したりしたのが艦船に対する神風特攻隊とは違います)
手遅れになってからいろいろ模索した日本軍は、防空の一部を陸海混成の独立空軍にまかせることにします。なるほど。タイトルにある「日本空軍」です。イギリス・イタリア・ドイツなどには負けますが、アメリカよりは早く空軍を作ったんですね(「空軍」とは呼んでいませんけれど)。飛行機も大増産されます。昭和19年度には約26,000機と前年の1.7倍の生産でした(ただしそれでもアメリカの1/4)。空中勤務者が足りず学生を速成教育しますが、訓練のための教官も燃料も足りず、熟練工不足で満足な性能を出す機も足りず、サツマイモからのアルコールや松根油(松の根を蒸して得た油)も用います。
日本防空隊を避けて高々度から工場への精密爆撃をしていた米軍は、どうしても精度が出ないため焼夷弾による都市の戦略爆撃に方針を切り替えます。これなら精度はそれほど求められませんから。こうして昭和20年には東京・名古屋・大阪と基地にある焼夷弾の在庫を空っぽにするまで連続して爆撃が行われました。ついで硫黄島から出撃したP−51(当時最新鋭の戦闘機)を護衛に低高度爆撃を各地に行います。日本軍が得意とした高度で得意とした格闘戦がやっとできる状況になったのですが、そのときには日本機(とパイロット)はほとんどすりつぶされていました。
囲碁や将棋で「攻めることばかり考えて防御はおろそか」は、よほどの実力差がある場合(手合い違い)か、ザル碁・ヘボ将棋です。「守る」を捨てるのだったら、せめて攻勢終結点をきちんと設定しておくべきですが、ただずるずると勢いに任せて攻め続けたら痛い反撃を食らうのは当然。そういった戦略的な観点から過去を眺めることができる本です。
最近出版された本には、執筆時に参考にしたインターネットサイトのURLが載っていることがあります。だけど、それを一々手打ちして見に行くのは大変です。ネットをうろうろしていてそこに書かれたURLをクリックしたらひゅんと目的地に跳んでいってくれることのありがたみがこんな時よくわかります。
だったら出版社の方で、「この本の参考URLリンク集」とでもいうものを作ってもらえないでしょうか。そのサイトへの最初の一回は手打ちする必要がありますが、そのページにさえたどり着けばあとはクリックだけで用がすみます(あるいはその出版社の公式ページからリンクされた形にすれば、手でぽちぽち打つ必要さえなくなります。出版社のサイトも検索サイトで探せばいいのですから)。本を読みながら要所要所ではコンピュータ画面を見つめて記載の根拠を確認することができれば、理解が立体的に深まって読者には良いものだと思うんです。ただ、作る側には大変な負担でしょうね。作るのも大変ですが、更新がもっと大変ですから。
【ただいま読書中】
『YAMAHA 21世紀への挑戦 ──感動を目指す自由闊達な企業風土』
小林茂著、日本工業新聞社、1997年、1600円(税別)
トヨタだと経営戦略とかカンバン方式に関係してたくさんの書籍を書店で目撃しますし、ホンダだと本田宗一郎さんとかF1関係でやはりたくさん本が出ています。では、ヤマハは……あまり記憶がありません。私自身がバイクに関してはホンダ党なので最初からそういった「偏見」があるからかもしれませんが。(私がバイクに乗り始めた頃、50ccの原付で4サイクルエンジンを積んでいるのはホンダだけだったので、当時2サイクルの音が好きでなかった私は自動的にホンダに乗ることになったのでした)
本書は日本工業新聞の連載(平成8年2月〜4月に41回連載した「企業ドキュメント」)をまとめたものです。オートバイやモーターボートだけではなくて、スノーモービル・ゴルフカート・産業ロボット・ガスヒートエアコンなどまったくの異業種分野に新規参入して短期間の内にブランドを確立した企業の原動力にせまろうとする本ですが……さて、提灯持ちの本なのかそれとも厳しく現実に迫る本なのか、まずは読んでみましょう。
ヤマハのキーワードは「チャレンジ精神」と「自由闊達」だそうです。だからこそ次々新しい分野に挑戦できるしそこでもすぐに成功する。人事でも、途中採用は当然、特に海外青年協力隊経験者からの採用が多いそうです。ヤマハの社風に合っている人材が多い上に、長期ブランクがたたって他の企業ではなかなか採ってもらえないそうで、両者の利害が一致しているようです。ソフトもハードも共に扱う点では、パッソルを売るときに免許教室も同時に開催したことや、海外で船外機を売るのに沿岸漁業の技術紹介もセットで行ったことが紹介されています。
F1の話題はなつかしいものでした。そうそう、本書が出版された頃ヤマハはティレルチームにエンジン供給を行っていて、平成九年からはアロウズに供給することになっていたんでしたっけ。ファンの間では「トヨタがF1に参戦する前の偵察ではないか(トヨタ本体がいきなり出てきて全然通用しなかったりホンダに惨敗するようなら企業イメージがダメージを受けるから)」ともっぱらの噂でしたっけ。
ただ、読みにくい文章です。新聞連載だけあって一回当たりの文量が少ないのは仕方ないでしょうが、ほとんど一文(せいぜい二文)で段落替えが入るのは非常にリズムが悪く感じます。さらに読点がやたらと多く主語が不明瞭。例として50頁から引用します。
(((引用開始)))
この点からも「もっとピュアなオートバイを出せば、まだまだ伸びる」とオートバイを受け入れる素地の厚さを語る。
「見えや恰好だけでなく、無理せず、自分の体力、体型にあったものを購入する」とベース需要の確かさも強調する。
最近では、イタリアで、マジェスティがコンスタントに年間五千台売れるなど、スペインやフランスなどラテン諸国で、生活の足として、スクーターブームが起きている。
(((引用終了)))
……ちといらつきを感じます。
あとがきで言い訳がしてありますが、過去に対する突っ込みが浅く総花的で、会社のカタログから写真を抜いてすべて言葉で説明しようとした本のようにも見えます。ふと思いついてぱらぱらめくってみたら、隅っこに「ヤマハ発動機株式会社 寄贈」とあります。なるほど、ヤマハが買って図書館に寄贈したんだな。
なぜか今思い出したのですが、何年前だったかな、同窓会で懐かしく話をしていたら近くで「名医と評判なのに実はひどいヤブ医者が」という話が始まりました。周辺は食いつきます。そんな医者にかかったらたまりませんから情報は集めておかなければなりません。もうみんな病気自慢に花を咲かせるお年頃なのです。
ところがよくよく聞いていると……十年くらい前から生活の不摂生で複数の生活習慣病になり、でもなかなか良い医者に会えなくて病院を転々としていたのですが、ずいぶん遠くですが名医と評判のところを教えられて行ったのだそうです。ところがちっとも薬を出してくれない。「まず生活を見直せ」と言われる。
「名医だったら特効薬を出してさっさと治せばいいのに出し惜しんでお説教ばっかりしやがって。あれは名医じゃなくて評判倒れのヤブだよ」
……生活習慣病を「特効薬」でさっさと治せ? 病院を転々としたわけがわかるような気がします。
一言で言うなら、飲み過ぎ食べ過ぎ運動不足で十年かけて悪くした身体を一日で治せ、という要求を医者にしているわけです。それはどんな名医でも無理でしょう。医者は打ち出の小槌も玉手箱も持っていないのですから。家のリフォームでも、土台が腐っていたらまず土台の手入れからしないと、いくら上物に凝っても無意味ですよね。それとも、そんなことを思う私の方がおかしいのかな?
【ただいま読書中】
ニコラス・フレイザー、マリサ・ナヴァーロ共著、阿尾正子訳、原書房、1997年、1553円(税別)
「エビータ」に私が初めて触れたのは、20年以上前に日生劇場で観た劇団四季のミュージカルです。全体に傾斜したいかにも踊りにくそうな舞台でも平気で歌い踊る人たちの熱気に当てられ、同時にそこで語られるエビータ像の生々しさにも驚きました。アルゼンチンの国母的存在をまるで男を取っ替え引っ替えしてのし上がっていった女のように描いて良いのかな、って。
マドンナ主演の映画では、そのへんはさらりと流されていましたが、これはハリウッドが世界中で(アルゼンチンでも)売らなくちゃいけないから、戦略上のことかな、とも思いました(それでもアルゼンチンでは相当な反感を持たれたらしいのですが)。
本書では「悪い伝説」(エビータは天性の娼婦で、男を取り替えることで成り上がった)と「良い伝説」(エビータは聖女で、アルゼンチンのために命を捧げた)のどちらからも距離を取ります。たとえば彼女が15才でブエノスアイレスに出たときのエピソードを「悪い伝説」は、エビータの育ったフニンにツアーで来たタンゴ歌手オーガスティン・マガルディの列車のコンパートメントにエバ(エビータ)が押しかけ、そのまま愛人になってブエノスアイレスに連れて行ってもらった、となっていますが、実際にはマガルディは常に妻を同行しており、またブエノスアイレスへはエバの母フアナが同行していたことを記述します。
ただ、首都で一人暮らしをする女優志願の少女が2年でなんとか女優になったのですから、まったく純真無垢のままでそういった成功を手に入れることができたか、というと……
1944年、サンファンの大地震(死者6000人)の救済基金とチャリティショーを企画する労働者大臣のペロン大佐と、ラジオドラマのスターエビータが出会います。ペロンをファシストとして警戒するラミレツ大統領は逆にペロンに追放され、後釜はペロンの上司ファレル将軍となります。ペロンは、労働組合の結成・最低賃金・有給休暇・医療保健制度などをつぎつぎ打ち出し「労働者の大佐」と呼ばれます。エビータはラジオ(当時のマスコミで一番影響力が強いもの)を通じてペロンの政策支持を訴え続けます。1945年ドイツの降伏と時を同じくしてペロンはナチと呼ばれ失脚・逮捕されます。しかし、労働者が次々ストをうち、首都は周辺から終結した20万人の労働者に占拠され、結局ペロンは釈放されます。それどころか、翌年の大統領選挙では勝利、ペロンは大統領になってしまいます。ペロンの支持母体は軍隊と労働者……普通だったら共通の利害を持っていません。そこで政治に関してペロンからトレーニングを受けたエビータの登場です。労働省にデスクを得てエビータが「アルゼンチンの労働者のために」活動を開始したのです。軍はペロン/労働者はエビータ、というみごとな二人三脚です。
1947年からエビータが主に行なったのは女性ペロン党(女性参政権の獲得など)とエバ・ペロン財団の活動(貧困者への慈善活動)です。大戦中中立を保ったアルゼンチンの好景気がその経済的後押しをしましたが、財団の強引な寄付集めもいくつも紹介されています。(こわいですよ。財団からの「寄付」を断ると、政府から工場の操業中止を命令されたりするのですから)
生命を削るように精力的に党と財団の活動にのめり込んだエビータは、子宮癌に冒され死亡します。エビータの死体は防腐処置を受けますが、その3年後ペロンは失脚、亡命します。国民のシンボルとして使われることを怖れる反ペロン派とペロン派の戦いの中、エビータの死体は数奇な運命を辿ります。
貧しい家庭の私生児が国のほぼトップまで登り詰めたストーリーは、それだけでドラマですが、特に財団での貧乏人に対して慈善を施す場面はドラマチックです。本人の仕事への取り組みも、周囲の本人への扱いも。「聖女」は生まれや育ちではなくて、ふさわしいときにふさわしい心でふさわしい行いをするかどうかで決まるのかな、と私は感じます。その点で、「あの時代」エビータは「聖女」と自称する/他称されるにふさわしい存在になっていたのでしょう。反ペロン派からはそれはただの偽善でしかないでしょうが、偽善でも善は善ですよね。
この葉っぱが落ちても、私は死にまっしぇ〜ん。
【ただいま読書中】
阿刀田高・小池真理子・鈴木光司・高橋克彦・乃南アサ・宮部みゆき・夢枕獏 著、新潮社、1998年、1500円(税別)
何が狙いで編まれたアンソロジーか私にはわかりませんが、日本的怪談の短編集です。
『迷路』(阿刀田高)……冷やしておいたスイカも、落ちてしまったお人形のような少女も、落とした悪い女も、みんなかき消えてしまう不思議な井戸。そこに最後に落とされた○○は、でもいつまでも消えないのです。
『布団部屋』(宮部みゆき)……代々の主がすべて短命な酒屋「兼子屋」は、奉公人がすべてまじめで勤勉であることでも知られていました。そこに奉公に上がっていたおさとが急死したためその後におさとの妹おゆうが奉公に上がることになります。おさとの四十九日が明けた日、おゆうは女中頭お光から布団部屋で一晩過ごすよう命じられます。
『空に浮かぶ棺』(鈴木光司)……見た者は一週間後に死ぬ「呪いのビデオテープ」を見た女子大生高野舞はいつのまにか自分の腹が臨月になっていることに気がつきます。そして産まれてきたのは……
『康平の背中』(小池真理子)……恋人を交通事故で失った「私」は今度は金持ちのじいさまに高級料亭で言い寄られています。そこに異変が……と言いたいところですが、本作で一番怖いのは「私」の他人に向ける視線の冷たさでしょう。おかげで最後のオチの一言が、私にとっては恐怖ではなくて失笑をもたらす効果を示してくれました。
今この手のアンソロジーを編むとしたら『ぼっけえ、きょうてえ』の岩井志麻子さんは外せないでしょう。あとは誰を入れたいかなあ。京極夏彦さんと……筒井康隆さんも怖い短編を書いてくれそうな気がします。
私はここ数年ほとんどCDを買わなくなっていましたが、iPodを買ってから購入意欲が出てきました。持ち歩けるというのはやはり大きいのです。ただし、iPodに入らないCD(コピーコントロールされているもの)は買う気になれません。また、iTunesミュージックショップ(iTMS)に登録されていない曲は最初からiPod用に購入できません。ということで、少なくとも私に関しては、「オンラインでは曲を売らない」「CDはコンピュータにコピーされたくない」という主張のメーカーはビジネスチャンスを逸している(私が払う金を受け取れない)ことになります。買いたい曲はいろいろあるのに、残念です。メーカーがそのような姿勢になるのは不正使用ユーザーがいるからなんでしょうが……不正をする奴らのおかげでメーカーと消費者の両方が損をする……困ったものですねえ。
【ただいま読書中】
ジョゼフ・モレラ/パトリシア・バーレイ共著、福島英美香訳、音楽之友社、1993年、2330円(税別)
本書の冒頭にあるように「活動したのはわずか五年間、アルバムも六枚をリリースしたにすぎなかった」デュオですが、その存在は大きなものでした。
ポール・サイモンとアート・ガーファンクル、二人は同じ小学校の同級生でした。二人は共通の趣味(音楽と野球)を持っていることから友人になります。時はロックンロールの時代、二人はヒット曲に夢中になりますが、ポールはリズム&ブルース(特にエルヴィス)、アートはヴォーカル・ハーモニーを大切にしたグループに惹かれます。また二人はアカペラのドゥーワップのきめ細かいハーモニーや複雑なリズムにも大きな影響を受け、ハーモニーの練習を繰り返します(同じ発音をするために、二人の舌が口の中で同じ位置にあるようにする練習までしたそうです)。高校にはいると二人は音楽会社に売り込みを開始します。一年半が無駄に過ぎた後、デモ用に新曲を録音しているスタジオの外に偶然いたレコード・プロデューサーが契約を持ちかけ「ヘイ・スクールガール」で二人はデビューします。新デュオ「トム・アンド・ジェリー」の誕生です。曲はスマッシュヒットし二人は一挙に人気者になります。ところがそこでポールは別名でエルヴィスもどきのソロシングルを出しますがこれは市場からは無視されました。アートは裏切られたと感じ、その心の傷は以後ずっとアートを苦しめることになります。最初の一曲だけであとはヒットしなかったため二人は大学に進学します。冷静に判断して、音楽の世界で失敗した場合の保険として学位を取っておく必要があると判断したのです。二人とも音楽の世界でパートタイムの仕事は続けていましたが、この時代にポールがキャロル・クライン(のちのキャロル・キング)と組んで曲作りをしていたとは私は知りませんでした。
時代は変わろうとしていました。公民権運動やベトナム戦争、音楽の世界ではプロテストソングとしてのフォークソングの復興です。ボブ・ディランの荒々しいフォークとは違って、知的で繊細なデュオがとうとう誕生します。サイモンとガーファンクルです。しかしデビューアルバム「
水曜の朝、午前3時」は話題にもならず、ポールは自分をまだ好意的に扱ってくれるイギリスに渡り、アートは大学に戻ります。しかし1年後、あるラジオ曲のDJがお気に入りでかけ続けた「サウンド・オブ・サイレンス」に火がつき、プロデューサーはロック調のアレンジを加えてフォーク・ロックとして大々的に売り出します。「サイモンとガーファンクル」が世界で知られるようになったのでした。
「詞と曲は二人がどう分担して書いているんですか」という質問が二人を共に苦しめていたとは、驚きでした。アートは「自分は作詞も作曲もしていない」と答えなきゃならない(「でも、レコーディングの時には対等に意見を出し合ってアレンジのレベルを高めているし、なにより二人のハーモニーの魅力は自分に負う部分が大きい」という自負は持っているのにそれは言えない)から欲求不満がつのるし、ポールはポールで「自分が作詞作曲をしていることは公表されているのに、なんでそれが認められずにいつまでもこんな質問を受けなきゃいけないんだ」と苛立ちを感じ続けるのです。
協力と対立、愛と憎しみ、昂揚と傷心……相反するものが渦巻きながら二人の音楽人生は流れていきます。本書は、音楽グループがなぜ上手くいくのかなぜ壊れるのか、について二人の生い立ちや内面にまで踏み込んだ優れたレポートです。それと同時に、歌についての解釈も興味深いものです。アルバム「
明日に架ける橋」になぜ建築家(日本では帝国ホテルの設計者として有名な)フランク・ロイド・ライトの歌(それも別れを告げる歌)があるのか(アートは建築家志望だった)、孤独な「ニューヨークの少年」の歌がなぜあるのか(当時アートは映画「
キャッチ22」に出演のためメキシコ湾のロケ地にいてポールはニューヨークに取り残されていた)、そして「明日に架ける橋」はポールの当時の恋人への愛の歌であると同時にアートへの愛と壊れてしまった関係修復の願いの歌だった、というのです。しかし、アルバム一枚使って親友に「これまで上手くやれて来たじゃないか、これで別れるの? なんとかもう一回やりなおせないか」というメッセージを送るとは、ある意味贅沢な話です。でも残念ながらアートにはそのメッセージは上手く伝わらなかったのですが。ソングライターであるポールにとっては自分の心から生み出されたメッセージですが、他人にとってそれは「作品」でしかなかった、ということなのでしょうか。
高校時代、私はサイモンとガーファンクルを夢中になって聞きましたが、当時はLPのジャケット以外の情報がほとんど入手できませんでした。だからそこまで深い解釈はできませんでしたが、たしかに「なぜここに建築家の歌?」と不思議に思ったことは覚えています。(ついでに、この歌で「so long」がさよならであることを知って、それまで嫌っていた英語が少し好きになったのでしたっけ。さらについでですが、歌詞の中で「so long」と「so soon」が見事に対比して使われているのを私はいまでも覚えています。高校時代のこういった記憶って一生残るのかな?)
映画での活動と音楽では自分の長所であるヴォーカル・アレンジを活かした方向に進みたいアートと、もっと異なる音楽スタイルで冒険したいポールとは、創作活動での共通の目標を失っていました。そしてついにデュオの解散の日が来ます。二人はそれぞれ苦闘しながら一人行く道を見つけていきますが、それぞれの運命についのて本書の後半部分を読むとあらためてそれぞれのソロアルバムを聴きたくなりますし、それぞれが出演した映画もまた観たくなってきました。
「たしか一年前に」と思い出して確認したら、私がmixi日記を書き始めたのは昨年12月9日でした。ふうむ、この一年(プラス数日)間、我ながらよくもせっせと書いた(読んだ)ものです。読んだ本は一年で三百数十冊? ほとんど覚えていませんけれど。まあ覚えていなくても良いですよね。酒飲みだって毎日空けるグラスの一杯一杯を全部覚えてはいないでしょ?
【ただいま読書中】
池田まき子著、無明舎出版、2005年、1200円(税別)
最初に花火の十号玉(直径が一尺)のデータが載っています。重さは約八キログラム、打ち上げ高度は300メートル以上、開いた花火の直径は320メートル。一尺玉でこれだと三尺玉だとどこまで上がるんだろう、と思います。
花火の先祖は烽火(のろし)だそうです。秦の始皇帝は騎馬民族の侵入に備えて長城を築くと同時に烽火台を設けて信号を送ることにしました(昼は烽火をあげ、夜は薪を燃やす)。そのとき薪に硝石(強力な酸化剤)を加えて特異な燃え方をさせました。日本でもその制度を真似て防人が烽火を使っていましたが、『和漢三才図絵』には狼の糞を混ぜると煙が濃くなると記されています。それで日本ではのろしを狼煙とも書くのだそうです。
黒色火薬は唐の時代にはすでに記録があります。日本への伝来は1543年の火縄銃の伝来と共に、とされていますが、その17年後に三河で神社の祭りで手筒花火が上げられたのが日本での花火の始まりとされています。1582年には大分でポルトガル人宣教師が花火を見せ、1613年には駿府城の徳川家康にイギリス人が花火を献上しているので、当時のヨーロッパの花火が日本に影響を与えていたはずですが、鎖国によって日本の花火は独自の道を歩むことになります。江戸時代には「大川端以外では花火をしてはならない」という禁令が繰り返し出されていますが、それはつまり花火が庶民に根づいていた(そして火事の原因にもなっていた)ということなのでしょう。
打ち上げ花火の魅力は、色と音です。色は炎色剤(化学の実験でやりましたね)を用いますが、音は発音剤(主に過塩素酸カリウム)が使われるそうです。大きさは国内では「寸」(だから尺玉が10号になる)、輸出用はインチで表現するのですが……メートル法はどこに行ったのでしょう? 打ち上げ方法も「単打ち」(一発ずつ)、「早打ち」(一つの筒に次々花火を放り込んで打ち上げる)、「スターマイン」(多数の筒をあらかじめ揃えて次々打ち上げる)とあります。
打ち上げ花火は基本的にて作業で作られます。薬品の配合・造粒・玉詰め・玉貼りと根気強く熟練を要する作業が行われます。何かをするたびに乾燥工程がはいるので大変です。一瞬の楽しみのためにここまで労力とアイデアが注ぎ込まれているとは、これからは花火見物もちょっと心して楽しみたいと感じました。
本書の最後は「大曲の花火大会」です。平成四年から毎年三月に「新作花火コレクション」を行い、八月には「全国花火競技大会」(こちらは明治四十三年から)です。夕方からの第一部は全国唯一「昼花火の部」で第二部が「夜花火の部」。「丸くない花火」(創造花火)も昭和三十八年にここで初めて打ち上げられました。
昨年は七十万人の観客が集まり(旧大曲市の人口は四万人)、ゴミは百トン出たそうです。(ちなみに会場では「ゴミの持ち帰り禁止!」です。持ち帰らずに会場に捨てていけ、というのですが、持ち帰る途中で闇に紛れてあちこちに捨てられるより会場でまとめた方が処理が楽だから、という理由だそうです) あと「七夕花火」「クリスマス花火」なども行われているそうです。花火の町ですね(大曲市は今春の合併で大仙市大曲になりましたが、花火大会の名称は変更されていません) 大曲には名物として「花火ラーメン」があるそうですが、さて、皆さんはどんなラーメンを想像します?
そうそう、線香花火は安い中国産に押されて日本産は一度絶滅しましたが、ファンの声によって最近復活したそうです。横手市では昨年「全国線香花火大会」が行われ三千人が集まったそうです。これはこれで風情がありますね。
※増税・減税
家計には増税・企業減税は続行、が政府の来年の方針のようですね。でも企業も安心はできませんよ。家計が苦しくなると買わなくなるから売り上げは落ちるでしょうし、「減税を続けてやったんだから」と見返り(政治献金・天下りのポストなど)を期待されている可能性がありますし。
※人を見る目
高知の公立高校の2年に、生徒による担任選択制が導入されるそうです。大学でゼミを選択するのと似た感じかな。
……さて、選ぶのは良いですが、生徒に「人を見る目」がどのくらいあるのでしょう? わかりやすい暴力教師やセクハラ教師のあぶり出しには役に立ちそうに思いますが、「一見強面実はじっくり味わうと良い教師」が排除されて表面的な「愛想の良い教師」が跋扈する世の中にならなきゃいいけど。
ただ、生徒にとって高校のクラス担任のもつ重みってどのくらいなんでしょう? 成績は各科の教師がつけるし内申書は昔ほどの意味はないし進路指導は塾でみっちりやってくれるし……修学旅行やHRが気持ちよく過ごせるかどうか?
※新型インフルエンザ
「医療機関に患者が殺到するだろうが、時間を延長したりして対応できる」って……流行期に医療機関が全部フル稼動できてると思っているのかしら。そこに勤務する人も当然新型インフルエンザが流行ったらばたばた倒れるんですよ。店を開けられない開業医や、大病院でも外来が歯抜けになってるところはいくらでも生じると思うんですが。
……医療従事者には根性でがんばらせればいい? 皆さんは新型インフルエンザでげほげほ咳をしている医者に診察してもらいたいですか?
※悪魔
広島で小学一年生を殺したペルー国籍の容疑者(本名は結局何?)は「悪魔がさせた」と言っているようですが、悪事を為すときにはパートタイムの悪魔が憑いて善行をするときには神が降りるのかしら。だったら彼にとって「行動の主体としての自分」って、何?
彼の言葉は「魔がさした」という日本語に翻訳する方が正確なんじゃないか、というのが私の直感です。
【ただいま読書中】
R・A・ラファティ著、伊藤典夫/浅倉久志 訳、早川書房(ハヤカワ文庫SF1165)、1996年、680円(税別)
ラファティは異色というより奇想という言葉を冠した方が向いている作家だと私は思います。ラファティと初めて会ったのは1970年代のどこかで読んだのは『九百人のお祖母さん』だったはずですが、ここで吹かれるおおぼらにはもう腰を抜かしたまま笑い転げるしかありませんでしたっけ。
『レインバード』……18世紀から19世紀にかけて、発電機・蒸気自動車・内燃機関・石油産業・宇宙旅行・核エネルギー技術などを発明し、最後には時間遡行機まで発明した大発明家がなぜその発明もろとも歴史から葬り去られたのか、の物語です。実はこれはネタバレではなくて、本作の冒頭2ページで提示される謎なのです。
『つぎの岩につづく』……不思議な古墳を発掘している考古学者の一行は不思議な石版を掘り出します。そこには時空を越えたメッセージが刻まれており、最後の一文は「つぎの岩につづく」。そして別の時代に属する石版につぎのメッセージが刻まれており、最後の一文は「つぎの岩につづく」。そして……
『テキサス州ソドムとゴモラ』……国勢調査員に任命されたマヌエルが山にすむ人間以外の「小さな人」も名簿に書き込もう(何しろ一人につき25セントもらえるのですから)と思いついたことから悲劇が始まります。それから三日後、35年分年を取って身長が3フィートに縮んだマヌエルが町に帰ってくると、人口7313のハイ・プレインズは一挙に100万人の人口増加を見、そして一瞬でほぼゼロになります。
『超絶の虎』……早熟なカーナディンは七才の誕生日に「精霊」から赤い帽子を贈られます。それからアメリカ大陸は、直径2マイルの穴(深さは測定不能)がぼこぼこぼこぼこ開くという大災害に見舞われます。(小松左京の『物体O(オー)』を思い出しますが……って、ネタバレぎりぎりだ)
全16編、紹介を読むより現物を読む方が早いし美味いです。
※米国産の牛肉が早くも輸入されたそうですね。気が逸っていますねえ。まだ輸入再開が発表されて四日でしょ。
……さて、日本の抜き取り検査で将来もし「異常プリオンが検出された」となったとき、某関係者がどんなステキな言い訳(あるいは対応)をしてくれるのか、それに私は興味あります。裁判で陪審員に対して特定の印象づけを行うように検査の信頼性を疑ってみせるか、検査した人(あるいはその上司)に圧力をかけるか、あるいはあるいは……とにかく素直に引くわけがない、というのは私の愚かな思いこみでしょうか。
※仰木さんが亡くなりました(バッファローも牛、ということで)
オリックスバッファローズができたとき「このチームは仰木さんにしかまとめられない」と説得されて監督に就任された、と私は記憶しています。ご本人がその仕事で満足して逝かれたのならいいのですが、もしそうではなかったのなら、収拾がつかないような事態を引き起こしておいてその責任を自分で負わず他人(仰木さん)に押しつけて肺癌の人の寿命を削った連中がいる、ということを私は覚えておこうと思います。
※おまけ
昨日階段で粗忽をして小さな怪我をしました。右手人差し指の第二関節伸側(関節を曲げたら伸びる部分)が直径五ミリくらい皮膚が削げました。傷は小さいのですが、困ったことに血が止まりません。見ると赤色がずいぶん薄いので、リンパ液がじゅくじゅく出てそれで血が薄まって止血できないようです。ならば圧迫止血、と押さえると痛いのです(触らなければ痛くも何ともない)。せっかくある程度固まっても指を動かしたらすぐかさぶたがはげます。この指、使わないわけにはいかないし、まったく困ったものです。
【ただいま読書中】
井上京子著、大修館書店、1998年、1500円(税別)
私たちは「そこを右に曲がって」「一番左側の木」などと平気で言いますが、世の中には「右」「左」が語彙として存在しない言語があります(本書には、全世界の言語の1/3くらいはそうでないか、という推定がされています)。ではそういった言語ではどう言うかというと「北に向かってから東へ」「一番西側の木」などと表現するのです。
人の空間認識は、まず重力によって上下を区別します(ここまでは全人類に共通)。次いで水平面の区別ですが、そこで「右」「左」を持ち出すのを「相対的指示枠」(述べる自分が中心ですから自分が向きを変えたら左右は動く)と著者は呼びます。それに対して東西南北などの絶対的な座標を用いて表現するのは「絶対的指示枠」です。(もう一つ「固有的指示枠」もありますが、面倒くさいのでここでは省略します) 表現する言語が違えば、当然その前の空間認知の部分も違います。オーストラリア西砂漠で絶対的指示枠を使う民族での実験では、居住地から遠くへ(ハイキングやドライブで)連れ出してから本人が良く知っている(でも地平線の向こうで見えない)場所を指さしてもらうと、方向の誤差は平均13.9度でした。つまり移動中でも彼らの頭の中では常に絶対的な地図が展開していて(だから車での移動での方が誤差が大きくなる)、さらに行った先での東西南北も把握できるのです。対照としてオランダで似た実験をやったら誤差は90度だったそうです。
日本語はどうかというと、基本的には西洋の言語と同じく相対的指示枠の言語ですが、絶対的指示枠も混在しているそうです。たとえば平安時代の方忌みは絶対的指示枠を用いなければ成立しないものですが、もしかしたら日本人は「右」「左」を使わなくても空間認知/言語表現ができる民族なのかもしれません。
言語が異なれば「その言語を用いた世界認識」も異なります。さらに本書では「認識をする人間」の身体部位語彙に話が進みます。人類はどの人種どの部族でも「身体そのもの」は共通ですからそれに対する認識は共通であるはずという「語彙的普遍性」仮説があり、それは相当程度確認されています。ところが例外も多いのです。すごいのでは「身体」ということばを欠いた言語さえあるそうです(たとえばパプア語族のグナウ語)。
「地図の中を移動する自分」として世界を認識するか「自分が見る映画のスクリーンに映ったようなもの」として世界を認識するかが大きく異なり、さらに「自分」がどのようなものかに対する認識も言語ごとに異なっている……「世界」や「現実」って、一体どんなものなのでしょうか。1969年バーリンとケイの「色彩基礎用語の研究」(色のスペクトルを各言語がどのように切り分けているか、の研究)によって、認知科学/言語学/心理学/人類学が出会い、それによってルーシーは「現実」とは「言語構造と機能の相互作用によって組み立てられている解釈である」という言語相対論的結論を導いたそうですが……ふうむ、面白い。
本書が「言語人類学への招待」なら、私は招待されてしまいましょう。
人体では……総毛立つ・目立つ・腹が立つ・朝立ち……なんかジャンル違いが混じったかな。ただ、「腹が立つ」をきちんと他国言語人に説明するのは、なかなか難しそうです。
【ただいま読書中】
円地文子著、集英社、1985年、1398円(税別)
かつて円地さんが口語訳をされた『源氏物語』全十巻を主に若い人が読むために三巻本にまとめ直したものです。本書には「桐壺」から「蓬生・関屋」までが収められています。あらすじではなくて要約で読む名作、ですが、要約にしてはずいぶん読み応えがあります。
ストーリーの紹介は……不必要ですね。身分は天皇の息子(ただし臣籍)、信じられないくらいの美貌と才能、という男から見たら「それで何か不満があるのか?」と言いたくなる光源氏が、自らの心の空洞を埋めるために女遍歴、もとい、ロマンスの追及を行う、という物語です。一度契ったことのある人妻の寝所に忍び込んだらうまく逃げられて、そのかわりそこに寝ていたその女性の継娘と契ってしまう(「空蝉」)、なんて外道なこともなんだかとっても美しく書かれているのですが……良いのか?本当にコレで良いのか? 自分の生母桐壺の面影を持つ義母藤壺(だから父帝が娶った)にも言い寄って妊娠させちゃいます。良いのか?本当にコレで良いのか? お相手の最年少はおそらく紫の上(14才くらい)(出会ったその場で名前も知らずに、という例もあるので(「花宴」)本当の最年少は確言できません)、最年長は源の典侍(60才くらい)………………いくらセックスが本書のメインテーマではないとはいえ(メインは平安朝貴族のロマンスですよね?)、ちょっとやりすぎ相当無茶苦茶、世界のどこかにいる一夫一婦制論者から盛大なクレームつけられてもしりませんぞ。
私は男なので、ついつい光源氏の心の空洞や彼の女性への憧れの方に目が行ってしまいますが、読者が女性だとどの辺に注目されるんでしょう? そもそも原作者は女性ですが、一体何を原動力に本作を書いたんでしょう。そのへんを描いていそうな本は……あらら『紫式部物語』というのが見つかりましたが
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334761550/
これって、著者が外国人ですね。方違えの研究も外国人でしたっけ。日本人もがんばれ。
しかし、何か悪いことがあったら物の怪で、病気になったら薬師ではなくて加持祈祷……やっぱり平安文化は私にとっては異文化だなあ。
高校三年生の時古文の授業は延々と源氏物語でした。実際には他の作品もやっていたはずですが、とにかく私の記憶では来る日も来る日も光源氏。読んでも読んでも光源氏。ところが色っぽいシーンの記憶が全然ありません。教科書(あるいは副読本)からは削除されていたのかしら。ひどいなあ。
20日(火)昨夜のニュースショーから二題(年齢つながり)
※女王ちゃん
先日の女子フィギュアスケートで金メダルを取った浅田さんにTVでロングインタビューをしていたのですが、インタビューアーの人を小馬鹿にした態度(悪ふざけ、ちゃんづけ、幼児っぽい言葉遣い、など)が鼻につきました。
金メダルを一回取ったから「世界の女王」というのは持ち上げすぎだと思いますが(金を取り続けて他の追随を許さなければそのとき「女王」と呼ぶにふさわしいでしょう)、それと同時に「真央ちゃん」とちゃんづけです。女王として持ち上げているのか子どもとして見下しているのかわかりません。それとも、15才だから/スポーツ選手だから見下しても良い、という内規がマスコミにはあるのかな?
極端な例ですが、たとえばこれがノーベル賞でもやはりインタビューアーは「真央ちゃ〜ん、ノーベル賞おめでと〜う。すごいね〜え。おじちゃんびっくりしちゃった〜」とカメラの前で言うのでしょうか? ノーベルスポーツ賞ってのはないけどさ。
※更生
マンションで姉妹二人を殺した容疑者が自供を始めたそうですね。なんでも16歳の時に母親を撲殺した前科があるそうで。驚いたのはニュースで紹介された家裁の決定です。「16才だから矯正可能、だから少年院へ送致」って……たとえば「16才だから矯正可能、61才は矯正不可能」、そんなデータがあるのでしょうか(あるいは発表されているのでしょうか)、それともただの年齢差別?(これはタメにする反語ではなくて、純粋な疑問形です) 犯罪の種類/状況、犯人の性格、周囲の環境、再犯防止プログラムの有効性/実施状況/事後の評価などによって再犯率は大きく変動するでしょうが、そこで「年齢」は優先順位第一位の要因?
「16才だから矯正可能」「社会復帰させてもOK」と判断した人は、あのマンションの前に行って「あなた達は死ぬべきではなかった」とでも呟いてください。
【ただいま読書中】
伊藤敏樹著、講談社(講談社選書メチエ298)、2004年、1600円(税別)
タイトルで私はまずひっかかります。「西欧」? 13世紀のキリスト教国家vs.イスラムだったらたしかに十字軍の主力は西欧からですからまあ良いでしょうが、モンゴル軍が蹂躙した「ヨーロッパ」は主に東欧です。ぎりぎりオーストリアが入るかな。もしかしたら著者の軸足は「西欧」に主に乗せられているのではないか、という予感がします。それを確認するためには「アレキサンダー」「シーザー」「チンギス・ハン」の三者に対する扱いが同じか大きく違うかで一番簡単に判定できるのですが……
というところでページを開きます。
チンギス・ハンの軍勢の西進の噂は「タタールの侵略」としてヨーロッパにも伝えられましたが、プレスター・ジョン(伝説の東方のキリスト教王)が宿敵イスラムを攻撃しているのだ、という都合の良い解釈もありました(敵の敵は味方、という理屈です)。しかしチンギス没後1231年のクリルタイ(大会議)でペルシア以西への遠征が、1235年にはロシア遠征も決定されハンガリーやポーランドが蹂躙されて避難民が西ヨーロッパに流れ込んでくる(あるいは武力で侵犯する)ようになると西欧も「このままではパリがタタールに侵略される」と本気になります。1248年ルイ九世は十字軍を率いて地中海を東に向かいますが、そこにモンゴルから使者が訪れ「目標をエジプトにすること」を提案します。モンゴルの狙いは、十字軍との直接対決を避けることでした(ついでに、次に狙っているエジプトをフランスに叩かせて力を削ろうという狙いもありました)。ルイ王は逆にエジプトを植民地にしてモンゴルに対する強力な抵抗線を作ろうと目論みます。どちらにしてもエジプトには大迷惑な話です。
おっと、モンゴルの住民虐殺は「残酷」「むごい」と本書では表現しているのに、キリスト教徒によるエジプト住民虐殺は「西洋騎士は剣や斧が巧みなあまり、敵方に度を超えた被害を与えた」ですか。なるほどなるほど。
ルイ王は結局エジプトで敗北し、モンゴルは単独でイスラム制覇を目指します。1258年バグダッド陥落。有名な大虐殺(本書では40日で80万人、とされています)が行われます。助かったのはキリスト教徒だけ。なぜならここでのモンゴルによる殺戮の先兵はキリスト教国のグルジア兵だったからです。シリアでは、スンニ派をやっつけるためにシーア派がモンゴルにつくという現象も生じます。これまた「敵の敵は味方」?
「キリスト教の守護者」フラグ汗の逝去と時を同じくして、エジプトのバイバルスが猛攻をかけてきます。バイバルスはモンゴル勢を破り次いで聖地のキリスト教徒たちを迫害します。モンゴルはフランス王と教皇に対イスラムの連携申し入れをします。ルイ王はエジプトを挟み撃ちにするためにチュニスに出兵しますが敗北し病死します。後を襲った王弟シャルルはシチリア王としてチュニスからは年貢を受け取る臣従関係を結んでおりさらにバイバルスと友好関係を保っていたため、難しい立場になります。
大きくは三つどもえの争いですが、細かくはそれぞれ内紛を抱えていて(キリスト教:カソリック・ギリシア正教・ネストリウス派などの対立、イスラム:シーア派とスンニ派、さらにそれぞれの部族・民族・国家の対立、モンゴル:各宗教(キリスト教/イスラム/仏教)と兄弟親戚間の権力闘争)武力と外交と陰謀が渦巻く「世界大戦」です。殺される側にはたまらない話ですが、こうして歴史的に眺めると非常にダイナミックで面白いものです。二者の対立だと一つの敗戦で一方的に勢力が傾くことがありますが、そこに第三勢力がからむとかえって安定してしまうことがあるということなのです。まるで時と場所を変えた三国志です。
今年のイルミネーションは青白い光が流行りだと聞いていましたが、本当に見事に青白いのが多いですねえ。いや、きれいだとは思いますが、どこもかしこも青白だと根性曲がりの私は「流行りに乗ればそれで良いのか」とぶつくさ言いたくなります。ライフスタイルとか私らしさとかはどこに行ったの、とね。
【ただいま読書中】
フレッド・ホイル著、荒井喬訳、みすず書房、1983年、1500円(税別)
著者は定常宇宙論で知られる理論天文学者ですが、私にとってはSF作家のフレッド・ホイルです(彼のSF作品は読んだことがありますが、論文は読んだことがありませんので)。なんでも自分の論文の参考文献に自著のSFを紛れ込ませていた、という豪傑らしいのですが、本当なんでしょうか?
ストーンヘンジの写真を見たことがある人は多いのではないでしょうか。どのバージョンだったか、Windowsのデスクトップにこの写真が用意されていたこともあったはずです。一時「古代ケルト族のドルイド教徒が建造した」と言われていましたが(J.G.バラードの短編だったかな、そういう記述を見た覚えがあります)、ドルイド教徒は紀元前500年頃イギリスに入りましたが、ストーンヘンジはその1000年以上前に完成していたそうです。
岩の産地が300キロメートル以上離れていることはわかっています。つまり新石器時代に、重さ5トンの岩数十個を300キロメートル以上輸送して、固い白亜の大地を鹿の角で掘り(その破片がたくさん発掘されている)狙った位置に立てているのです。なんのために?
ストーンヘンジの内側の石は馬蹄形に並べられ、馬蹄の軸は夏至の日の出の方向に向いています。偶然? ルーマニアにもサルミゼゲッツァというストーンヘンジに似た巨石遺跡があるのですが、そこの馬蹄の軸は当時の日の出の方向を向いています。これも偶然?
さらに巨石群を囲む巨大な円周には等間隔に56個の穴(オーブリー穴)が開けられています。アメリカの天文学者ホーキンズはストーンヘンジが様々な天文学的に意味のある方向を指し示しており、さらにオーブリー穴の数が月の交点周期18.61年の約3倍であることから古代人はストーンヘンジを「計算機」として使って「食(月食や日食)」を予言していた、と主張しました。
著者はホーキンズの主張を受けて、実際に古代人がどのように計算をしていたのかを示します(ややこしくて、一回読んだだけでは私には他人に説明できるほどの理解は得られませんでした)。太陽は太陽のリズムで天空を移動します。月は月のリズムで天空を移動します。しかし長い期間(たとえば一世紀くらい)精密に観察をしたら、そこには両者のハーモニーが見えてくるはずです。両者のリズムの最大公約数の期間ごとに同じ現象が再現されるのです。その一つが「食」です。著者はオーブリー穴をカウントに用いることで月の軌道を計算し、避けられない誤差は夏至や冬至に太陽を観察することで修正していたと主張します。実際それで上手くいきそうです。
では、なぜストーンヘンジでの天体観測は中断してしまったのでしょうか。それはストーンヘンジがうまく機能してしまったからです。きちんと予知ができるようになれば、もう観測は不必要です。一度月食が観測されたら、それと同じ位置関係での同じ月食は6585.3日後に「必ず」起きるのです。したがって巨石もオーブリー穴も不必要になるのです。
しかし、そういった観測や計算や予知を、新石器時代人がやっていた? 今私たちが、計算機も百科事典もGoogleも捨てて裸で月と太陽に向き合って、さて、冬至(明日でしたっけ?)の判定さえちゃんとできるでしょうか。「原始人」に負けて、口惜しいぞ。
最近のイギリスファンタジーでは『ハリー・ポッター』が評判ですが、正直言って、ファンの人には悪いのですが、私はあのシリーズを高く評価はしていません。もちろん駄作ではありませんが、ファンタジーの枠組みを物語の舞台装置として使うだけで生かし切れていないと感じるので点が辛くなります。登場人物たちはファンタジーの舞台の「上」でいろいろやっていますが、ファンタジーの世界の「中」で生きているように見えないんです(「上」と「中」の大きな違いは、本で描写されていないところでも描写されていない人々が勝手に生きていると感じられるかどうか、です)。あ、読みもしないで批判しているわけではありません。三冊目までは買いましたし四冊目までは読みました。けれどそれ以上金と時間をかける必要がないと判断したのでそこでストップ。
もうちょっと読み応えのある作品はないものか、となんとなく探していたら……ありましたありました。1995年に発表されたイギリスファンタジーですが「ガーディアン・チルドレン賞」「チルドレンズ・フィクション・プライズ」「カーネギー賞」などを受賞したシリーズだそうです。「賞を受けているからといって、私が好きかどうかの保証にはならないんだけどね」といつもの偏屈発言をして手に取ってみます。
【ただいま読書中】
フィリップ・プルマン著、大久保寛訳、新潮社、1999年、2400円(税別)
時代はおそらく20世紀中葉。両親を失ってオックスフォード大学ジョーダン学寮で育てられているお転婆娘ライラは、伯父で後見人の有力者アスリエル卿(北極探検家)が学寮長によって暗殺されようとするのを偶然阻止することになります。
ライラが生きているのは不思議な世界です。素粒子研究が行われニュートリノの存在も知られているのに照明はランプ、移動手段は汽車や飛行船、写真は白黒です。教会が大きな権威を持っていますが、実験神学なんてものがあります。東ではタタール族が暴れまくっているという噂がイギリスには流れています。なにより(私たちから見て)変わっているのは、すべての人がダイモンと呼ばれる守護精霊を持っていることです。ダイモンは子ども時代には自由に変身可能ですが思春期を過ぎるとその人の本性を表す動物の形に固定されます。ダイモンと人は霊的に密接につながっており、どちらかが傷つけばもう片方も傷つき、一方が死ねば他方も死ぬのです。また、両者はあまり遠くに離れることができないため、たとえばダイモンがイルカになった人は海から離れることができなくなるのです。もちろん聖書にもちゃんとダイモンのことは書かれています。
やがてあちこちで子どもの神隠し事件が起きるようになります。「犯人はゴブラー」と街の噂で囁かれますが、誰もゴブラーの正体も子どもを攫う目的も知りません。とうとうオックスフォードでも子どもが何人も消えるようになった日、ライラは突然現れたコールター夫人(なぜかゴブラーが現れる都市には必ず見かけられている人)に預けられることになります。学寮長は苦渋の表情を見せながらライラに、世界で6つしか存在しない「真理計」を渡します。コールター夫人にはこれを持っていることを絶対内緒にするように約束させて。
アスリエル卿が北に幽閉されているという情報が流れ、ついで攫われた子どもたちも北に運ばれていることがわかります。ライラは子どもたちを奪還しようとする人々と共にオーロラが輝く北国に向けて出帆します。
様々な人や存在が様々なものを失うことが述べられる物語です。子どもたちを攫われた家族。鎧をだまし取られたクマ。男を失い続ける魔女。「切り裂かれた」子ども(半分の少年)。幼なじみを攫われた少女。そして、未来を失おうとしている世界。苦痛と疲労と悲しみと恐怖と死が描かれ、物語は不安と危険と謎の間をさ迷います。でも、ただ暗いだけの物語ではありません。暗いからこそ、その暗闇を照らすランプやオーロラの輝きが増すのです。
三巻本の第一巻しかまだ読んでいませんが、良質のファンタジーを読みたい人には力を込めてお勧めしましょう。
夢を見ていました。これは夢だ、とわかって見る夢です。
なんだかとっても面白い話なのでこれを短編小説にしたら受けるぞ、と思うのですが、夢だから忘れちゃうこともわかっています。だからなんとか忘れないように、と何回もそのあらすじやキーワードを唱えて覚えようとがんばりました。
目が覚めました。「忘れたくない」という思いだけ覚えていました。あ、キーワードもいくつか。「二年間」「お婆ちゃん」「虐殺」……なんの三題噺だ、こりゃ?
【ただいま読書中】
吉野正敏著、学生社、1997年、2200円(税別)
本書では「気候」は「長い年月についてのある土地の大気の状態」、「気象(天気)」は「ある時刻における大気現象」と定義づけられています。そして「気候地名の研究」の最終目標は「自然地名の一部の「気候」が表記または内に込められた地名を研究すること」となっています。そのため著者は日本中の地図(主に20万分の1)を読み、外国に行ったら現地の地図と電話帳をひたすら読み続けます。
私にとって一見意外ですが説明を聞いて納得、は、「東風泊(はえどまり)」が西岸にあることでした。東風を避けて船が避難する港だからです。
日本で多い気候地名を分類すると、一番多いのは「日」を含むもの(1141)、次いで風(214)吹(139)雲(125)雨(119)影(95)となります。「日向」は中部や東北に多く「雨」を含む地名は降雨量が少ない地域に多く見られます。
季節に関しては、日本では「春」「秋」が多いのですが、ドイツやオーストリアでは「冬」「夏」が多く春・秋はほとんど見られません。人名についても各国で相違があります。
気候地名や人名について、まだ研究は十分行われているとは言えません。それを各国できちんと行いそれをさらに国際的に比較することで文化の比較に発展できるのではないか、と著者は現状を残念がっています。
そういえば平成の大合併で古い地名が次々破壊されています。
そんなに簡単に古い地名を破壊するのだったら、そんな人たちが今新しく立てた地名も古くなったら簡単に破棄しても良いですよね? 「自分は古い地名を壊すが、自分がつけた地名は古くなっても大事にしろ」なんて要求は却下です。
図書館が年内のいつまでやっているのか、最終日に仕事の後で行けるのかどうか、それが私の年末に関する最大の関心事です。市立と県立で日程が微妙にずれているのでなかなか悩ましい。ちゃんと年末年始の間に読む本を確保できるだろうか。できなかったらどうしましょう。どきどき。とりあえず明日二つとも行って10冊は確保しておくつもりですが、たったそれだけで正月明けまで保つかしら?
……あ、明日は長男の学校の三者面談だ。むうう、スケジュール調整が……
【ただいま読書中】
ロバート・シルヴァーバーグ編、小尾芙佐・他訳、早川書房(ハヤカワ文庫)、2000年、880円(税別)
既存の人気シリーズの外伝をすべて新作で、というおそろしい企画のアンソロジーです。(1)に含まれているのは……
『古い音楽と女奴隷たち』ハイニッシュ・ユニヴァース(アーシュラ・K・ル・グィン)
『もうひとつの戦い』終わりなき戦い(ジョー・ホールドマン)、
『投資顧問』エンダー(オースン・スコット・カード)
『誘惑』知性化宇宙(デイヴィッド・ブリン)
『皇帝の姿がわかってきて』永遠なるローマ(ロバート・シルヴァーバーグ)
『眠る犬』無眠人(ナンシー・クレス)
すべてに著者の一言がついています。(あとがきまでつけている作者もいます) おかげで新発見もあります。
たとえばホールドマン。『終わりなき戦い』と『終わりなき平和』は作品としては結びついていないのになぜかシリーズになっているという油断のならない作者ではありますが、実は『終わりなき戦い』はハッピーエンドではない、と言っているのです。あれ? その説明を読んで……ひええ。『もうひとつの戦い』は、惑星ヘブンでウィリアムと別れたメアリゲイがウィリアムと再会するまでの物語ですが、それは同時に新しい長編の予告編にもなっているのだそうです。たしかにホールドマンの一言と本作の内容からすると、絶対もう一つ長編が必要です。ハッピーエンド(という錯覚)で終わらせておいてくれよぉ。
『投資顧問』も、カードの一言で私は唸ってしまいました。元々私は『
エンダーのゲーム』は長編よりもそのもとになった短編の方を好んでいたのですが、カードが言うには、構想段階で『
死者の代弁者』の主人公がエンダーでなければならない、とわかったため、そのために『エンダーのゲーム』(短編)を長編化しなければならなくなったのだそうです。そんな事情、知りませんがな。これはもう一回読み直さなきゃいけないのかな。
本作ではエンダーとジェインの出会い、そしてエンダーがなぜ死者の代弁を自らの「商売」とするようになったのか、の事情が描かれます。単独で読んでも魅力的な作品です。
『投資顧問』に限らず、本書ではどの作品も単独で読んでも十分面白いものが揃っています。それは私が保証します。さらにどの作者かあるいはシリーズにか思い入れがあれば、二重に楽しめます。それも私は保証します。
『古い音楽と女奴隷たち』は『
闇の左手』と同じ宇宙の物語、なんだそうですが、私は肝心の『闇の左手』をきれいに忘れています。困ったなあ、これも読み直さなきゃいけないんだろうか。
……ったく、シルヴァーバーグもとんでもないアンソロジーを作ってくれたものです。素直に言いましょう。「ありがとう」。
いつの間にか忘れていますが「あれは結局なんだったんだ」「最後はどうなったの?」と言いたくなる事件がいくつもありますよね。私が今すぐ思い出せるのは「白装束の集団(電磁波を怖れる、でしたっけ?)」「タマちゃん」「ドンキホーテの放火事件の顛末」……一時熱狂してすぐ忘れるマスコミを責めるより、それを望む視聴者や読者の方を問題視した方が良いのかな。でもそれをやると自分も痛いし敵が増えそうです。
【ただいま読書中】
フィリップ・プルマン著、大久保寛訳、新潮社、2000年、2100円(税別)
本作は「われわれ自身の世界」から始まります。行方不明の父、その行方を追う謎の男たち、狂気に捕えられた母……少年ウィルは母を守り父を捜そうとして……謎の男の一人を偶発的に殺してしまいます。オックスフォードに逃走したウィルは異世界(仮に「間の世界」とします)への入り口を見つけ、そこでやはり自分の世界から「間の世界」に迷い込んだライラと出会います。「彼は何者?」ライラは真理計に尋ねます。「人殺しだ」真理計は答えます。それを聞いてライラは、ウィルは仲間にするに値する、と判断します。真理計は別のこともライラに言います。「ライラの使命は、ウィルが父親を捜す手伝いをすること」と。
間の世界にはスペクターと呼ばれる怪物(?)が跋扈していました。スペクターに襲われると大人は魂を抜かれたようになってしまうのです。ところが子どもは襲われません。
ライラの世界では、「ダスト」は大人に集中し、ダイモン(守護精霊)は子ども時代には変化しますが大人になると固定します。「大人と子ども」これが何か重要なキーワードのようです。
われわれの世界では、実験神学の替わりに科学が行われており、そこでのダーク・マター研究がライラの世界でのダスト研究に相当することをライラは知ります。信じがたいことにダーク・マターは意思や感情を持っており、それが真理計の原動力にもなっていたのです。
ウィルは「神秘の短剣」と呼ばれる短剣を手に入れます。その代償は左手の指二本。短剣はあらゆるものを(原子さえも)切り裂くことができ、さらには異世界との境界を切り取って入り口(出口)を作ることさえできるのです。ライラの真理計、ウィルの神秘の短剣、その両方を狙って、本来どちらも持つ資格のない連中が二人を追います。ライラは真理計を奪われ、ウィルの助けで取り返します。二人は逃亡します。
そのころいくつもの世界にまたがる戦争が起きようとしていました。アスリエル卿は人間や天使や魔女まで集めて神に対する戦争を起こそうとしていたのです。ウィルはアスリエル卿の砦を目指しますが、その途上、今度はライラが攫われてしまいます。天使はウィルをアスリエル卿のところへとせっつきます。そこでウィルは……
本書では3つの世界での出来事が同時進行で描かれ、さらに登場人物がそれらの世界を行きつ戻りつするので、だんだん頭が混乱してきます。謎はまだ一つも解けていません。それなのにばたばたと人(と人にあらざるもの)は死んでいきます。こんなもやもやした気分のままではいやですから、このまま第三巻に突入しなくちゃいけません。図書館の棚でみたところ分厚いんですけどね。600ページはあるんじゃなかろうか。
今帰ってきました。目分量はけっこう正しくて、第三巻『琥珀の望遠鏡』は670ページ。首尾良く借りられたのでぼちぼち読み始めるつもりです。
クリスマスに若手漫才芸で大笑いでした。私は芸NO人は嫌いですが、芸人は大好きなのです。
今回驚いたのは品川庄司。今までとは一味違う熱演で、もう少しで一皮剥けそうなのが楽しみです。個人的にはチュートリアルが決勝を勝ち抜いて最後の三組に残って欲しかったなあ。もう一つ違うネタを見たかった。南海キャンディーズはちょっと気の毒でした。場の雰囲気がグランプリだけあって熱演の競演を求めるものになってしまっていて、ほのぼのと不条理ネタをやっても場違いになってしまってました。出番がトップかトリだったらまた違った結果になったのかもしれませんが、これはしかたないでしょう。
最終決戦で麒麟はなんだか手を抜いた、というと言い過ぎでしょうが、手慣れて冒険のないファッションショーネタをやっていましたが、新作を練り込む時間がなかったのかな。まさか勝ちを譲った、ということはないでしょうが……
グランプリを受賞したブラックマヨネーズは私はこれまであまり見たことがなかったのですが、面白いことは面白かったのですが二つめのネタは一つめと基本パターンを変えて欲しかったように思います。漫才ではなくてコントOKのルールだったらもっと別の側面が見られたのかもしれませんが。笑い飯はそろそろ優勝してさっさと別の世界に行ってもらいたいものですが、マリリン・モンローで2分保たせたのはちょっと長すぎました。惜しい。
何はともあれ、楽しい二時間でした。笑いすぎて涙が出るし喉が痛い。いやあ、メモを取りながら真面目に点を付ける審査員は大変だ。私にはできません。あんなにタイプが違う連中を同一基準で点を付けられないもの。無責任に笑っていられる観客であることがありがたいと感じます。
そうそう、コンピュータのトラブルもあったりしたのにちゃんと生番組が時間通り終了したのには感心しました。
【ただいま読書中】
葛野浩昭著、河合出版、1990年、1456円(税別)
私にとってトナカイとは、「真っ赤なお鼻の〜♪」とクリスマスに歌うものです。しかしラップランドの先住民にとってはその放牧が主要産業です。本書はフィンランドで行われているトナカイ放牧の観察記録です。白夜の夏と長い夜の冬という極端な環境に人類がいかに適応したか、そして北方の少数民族(ラップランドの先住民族サミ人)が政府の定住化政策でどう変わったか(トナカイ遊牧がトナカイ放牧に移行した)、に関して、そこで共に暮らした日本人が詳細に描きます。
他の動物の放牧とは違って、トナカイでは乳はあまり得られません。つまり殺さないと収穫がないのです。それがトナカイ放牧の一つの特徴です。夏の高温(20度)とツンドラ蚊を避けてトナカイは夏に高所または北部に移動する習性があります。人間はそれについて移動します。秋の追い込みまで群れの移動に干渉はしません(できません)。ある程度トナカイまかせの放牧、それも特徴の一つです。
著者が取材したカルドアイヴ組合は約2500平方キロメートルの(日本で6番目に小さい佐賀県より大きい)放牧地でトナカイを放牧しています。秋にはバラバラになっているトナカイを追い込んで群れにし、その中でその年の春に産まれた子トナカイを新規登録します。楕円形になって走り回る群れの中でペアになっている母子を見つけ、その母トナカイの所有者の印を子トナカイの耳に刻むのがトナカイ所有者の重大な仕事です。
トナカイを繁殖させてその肉を得ることが彼らの生計の道ですが、トナカイは勝手に走り回り、組合員は、100頭以上を所有する有力放牧者だけで28人もいるので、どのトナカイが誰のものやら慣れない人間にはわけがわからない混乱状態なのです。当然他人の子トナカイの耳に自分の印を刻む、というトナカイ盗みも発生します。本来自分のものであるトナカイを他人に盗まれるのは、「そのトナカイの肉」だけではなくて(もし雌なら)「そのトナカイが産むであろう将来のトナカイ」も盗まれることになるので、放牧者たちは必死です。
しかし、小さな県くらいの放牧地に散らばる1万頭のトナカイをかり集める……なんともスケールのでかい話です。日本語ではこの状況を的確に表現するのは困難ではないか、という気がします。
サミ人はトナカイを非常に細かく区別します。たとえばトナカイの色による識別語は22種類、それぞれに固有名詞があります。自分が密接に関係しているものを細かく分類し表現するのはどの言語体系でもあることですが、サミ人にとってトナカイがいかに重要なものであるかが言葉を見ただけでわかります。
サミ人は現在伝統衣装(トナカイの毛皮のコート)は着ません。現代の防寒着の方が防寒性能が優秀だからです。しかし靴は伝統的なトナカイ毛皮の靴(ヌトゥック)を履きます。現代の防寒靴より性能が優秀だからです。
最後に。チェルノブイリ事件の後、フィンランドの雑誌にドイツ在住の日本人から「放射能に無知な先住民が、知らずに放射能汚染された肉やベリーを食べているのかと思うと、いてもたってもいられない」という投書があったのを著者は読みました。著者は憤ります。「いてもたってもいられない、のはご本人の勝手だが、サミ人が無知蒙昧、と決めつけるのはいかかがなものか」と。実際にはラップランドのトナカイ放牧組合では(放射能汚染されていたら肉の売り上げに影響が出ますから)事態を憂慮し対策を協議していたのです。「先住民は無知でかわいそう」という感覚から出た同情は、それ自体は善意の産物にせよその根底には差別意識がしっかり働いているわけで、あまり感心できないものだ、という著者の感想に私は同意します。同情しているから善意を持っているから自分は正義の側に立っている、なんて安心はしない方が良いでしょう。
日頃のご愛顧を感謝いたします、って何だか企業広告みたいですが、mixiに参加し日記を書き始めて一年(プラスα)でついに足あとが10,000に到達しました。別に足あと稼ぎのためにやっているわけではありませんが、やっぱり嬉しいものです。
記念の足あとをつけられたのは ねひつじ さんです。おめでとうございます&お越し頂いてありがとうございます。えっと、フランソワ人間失格さん経由でのご来訪ですね。これからもよろしく。
なお「前後賞」は、Martin さんと シングルモルト さんでした。惜しかったですね。次回の健闘を祈ります。
日の出日の入り
冬至を過ぎて少しずつ昼間が長くなってきているはずです。たしかに日没は明らかに遅くなってきていますが、日の出もやはり遅くなってきているように感じます。私は大体同じ時間に起きるのですが「やうやう白くなりゆく山際」を見ているとそう感じるのです(実際には白と言うより赤っぽいし季節も違いますけど)。差し引きしたら昼が長くなっているのでしょうが、なんだか釈然としません。調べれば正確な日昇時刻や日没時刻はわかるでしょうが、あくまで私は自分の感覚を信じてこう書いちゃいます。
【ただいま読書中】
L・M・ボストン著、亀井俊介訳、評論社、昭和47年初版(昭和62年6刷)、1200円(税別)
先日の私の日記へ本作についてコメントを頂いたばかりですが、思い立ったが吉日で、早速図書館から借りてきました。
両親(父親と継母)がビルマに行っているトーズランド(七才の少年、愛称はトーリー)は亡くなった実母の祖母(オールドノウ夫人)の家(グリーン・ノア)で冬の休暇を過ごすことになります。石造りでお城のような家で、トーリーの部屋に自由に出入りするヒワ・ゆうれい馬の話となくなる角砂糖など、不思議なことが満ちています。やがてもっと不思議なことが次々起きます。子どもたちの囁き声や歌声、いないはずの馬のいななき、鏡の中にうつる子どもの姿、そして何かを隠している様子のオールドノウ夫人……
やがてトーリーは、子どもたちが数百年前に生きていた(そしてペストの流行で死んだ)三人兄弟であることを知ります。悪戯好きで生き生きとしていて、でももう死んでいる子どもたち。トーリーは、昼は子どもたちと遊び夜はオールドノウ夫人の語る昔話を聞きます。四百年前のイギリスでは、食卓ではフォークなどは使われず手づかみだったとか、クリスマスツリーはなかった、などもさり気なく紹介されますが、お話の主人公は過去の三人兄弟たち。そしてトーリーはかつてのグリーン・ノウがどうして今はグリーン・ノアと呼ばれているのかの由来を知ります。それは呪いのせいだったのです。そしてクリスマスの前夜に事件が……
著者がこの作品を発表したときには62才だったそうです。こんなに人生の深みと瑞々しさの両方を感じさせる作品を生み出すためにはどのような人生を送ればいいのか、と思ってしまいました。いや、私自身最近奇妙な衝動を感じるのですが、どうもこれが創作意欲のようなので、そっちに気が回ってしまうのです。
北九州に行ってきました。軽い気持ちで応募したらスペースワールド駅前のいのちのたび博物館でやっている「恐竜博2005」の入場券二人分が当たったのです。次男は券をみるなり「行く」と即決です。はいはい、お供しましょう。
出し物の目玉はティラノサウルス(愛称はスー)の全身骨格復元標本と、恐竜から鳥類への進化の流れの表示です。少し前まで「もしかしたら鳥類は恐竜の子孫かもしれない」と言われていたはずなのに最近はけっこう強気でこの主張がされるようになったんですね。
ティラノサウルスは10年くらい前に長男を連れて行った大坂での展示会で見たので(こちらの愛称はたしか「ブラック・ビューティー」だったはず)それほどインパクトはありませんでしたが、骨格からティラノサウルスの歩行を再現したCGは力作でした。歩く姿から中の骨を逆に想像してしまいました。始祖鳥の再現模型もありましたが、意外に小ぶりで手のひらに載せられそうな大きさでした。なんとなくもっとふてぶてしく大きいかと思っていたんですけどね。
はいはい、往復時間が四時間、交通費だけでにまんえん飛びました。私のお財布は泣いています。えーんえーん。紙片が減って丸い金属片が増えて重たくなったのに、何が悲しいのでしょうか?
【ただいま読書中】
カール・セーガン著、滋賀陽子・松田良一訳、新潮社、2004年、1900円(税別)
著者の絶筆といえるだろう科学エッセイ集です。巨大数をめぐる話題で軽快に巻は始まります。この世を理解し変えていくためには定量的に物事を理解することが必要、というのが著者の主張です。現代社会ではスポーツが戦争の代理として行われているからフランチャイズ制のチームプレイに人気があるが、古代ギリシアのオリンピックではチーム戦はなくて個人戦だけだったことも指摘されます。その理由は「チーム」が国家そのものだったからです。
もちろん著者お得意の天文学や地球の環境問題なども取りあげられていますが、巻末あたりで突然自身の病気について触れる章が登場し、そしてその次の「エピローグ」は著者の奥さんが書かれています。ある意味つらい本です。
私にとっての「科学エッセイ」の基準はS・J・グールドです。あの知的で博覧強記で重厚で屈折した文章に比較したら、カール・セーガンの文章は軽快で直接的で、その分人の心にストレートに訴える力が強いように見えます。もっとたくさん書いておいて欲しかった。惜しい人をなくしたものです。
あとがきで著者を「文理を越えた知のジェネラリスト」と訳者は評していますが、「文理」にこだわる必要はないのではないか、と私は感じています。
1)純粋な「文」「理」は存在するのでしょうか? たとえば原子物理学は純粋に近い「理」でしょうが、その研究をするためには予算の獲得や人事や論文執筆など「文」が関わってきますし、逆に純粋な「文」に近いだろう文学にも本書のような科学エッセイが存在するしそもそも科学に全く無知な文系人間というものが存在し得るのか、とも思います。
2)「文理」とは日本ローカルの判断基準ではないのか、という疑いを私は持っています。
3)学校レベルだと、単に「数学(と理科)が苦手(得意)」と言うのを別の表現で行ったのが「文理」ではないか、と私は感じています。また卒後レベルだとある領域のことに手を出さないための言い訳として「文理」を持ち出しているのではないか、とも。
もし「文理」が存在するとしても、何かを深く広く論じようとしたら「文理」などにはこだわれなくなる地点があるはずです。そこで「ぼくは理(文)系だから」と引き返していくか、それともそこを踏み越えて自分にとって未知の領域に入っていくか、人はそのどちらかに分類されるのかもしれません(それ以前に、その地点に到達できない人の方が多いのかもしれませんけれど)。
かつての子どもはこのナイフを持って木や竹を削ったり鉛筆を削ったりしていたのですが、良識ある大人の「子どもには危ないものを持たせない」運動のおかげで生活からは消えてしまいました。私はナイフに習熟する前に取りあげられてしまった世代です。で何年かしたら「最近の子どもは不器用で、ナイフで鉛筆も削れない。下手すると生卵も上手に割れない」と「今どきの子ども」を馬鹿にする運動が始まりました。あんたら大人が子どもからナイフを取りあげたんでしょう。取りあげたら使えなくなるのは当たり前なのに、取りあげておいてから「使えない」と揶揄するの? 大人になった今でも、あの時の悔しさは忘れられないのです。
【ただいま読書中】
木村凌二著、講談社、2004年、2000円(税別)
紀元62年、ヴェスヴィオ火山の噴火でポンペイは火山灰と火山礫によって埋もれました。以後小規模な盗掘はありましたがほとんどポンペイは忘れられ、本格的な発掘が始まったのは18世紀になってからです。はじめは王侯貴族のために古代美術品を得ることが目的で「王の発掘」と呼ばれました(したがって「値打ちある」美術品以外は捨てられるかまたはあっさり破壊されました)。ちなみに、ポルティチ王宮の博物館にポンペイの美術品は収蔵されましたが手狭になったためにナポリに移され、それがナポリ国立博物館に成長します。オーストリア、スペイン、フランスとナポリ一帯の支配者は替わり、19世紀にイタリアは解放と統一を遂げます。新国王のもと、発掘は学術的で系統立ったものになります。単なる美術品の宝庫ではなくて、経済・社会・文化の総体として理解しようとするようになったのです。本書はその中で「落書き」「(壁に書かれた)広告」に注目して、ポンペイの古代社会を理解しようとする試みです。
公職選挙は立候補ではなくて推薦によって候補が決まりました。そのために白漆喰の家の壁に目立つ赤字で「○○を××委員として推薦する」などとでかでかと書かれました。推薦するのはただの「隣人」、あるいは同業組合・宗教団体・ゲーム愛好団体・飲み仲間など多彩です。選挙権のない女性・男性未成年者も選挙に関して意見広告を出します。時には推薦者の名前が上から漆喰を塗って隠されている例もあります。その推薦者が誰かにとって不都合だったのでしょう。そういった「ポスター」の中に、それを書いた業者がちゃっかり「○○がこの文章を一人で書いた」などと自分の名前を入れてPRをしているのもなかなかほほえましく感じます。
「パンと見せ物」はローマ皇帝の義務だったはずですが、ポンペイでは地元の名望家が剣闘士の試合や人と野獣の対決を自費で興行していました(公共事業(劇場・神殿などの建設)も彼らが自費で行っていました。その「見返り」が公職への選出です)。
落書きによると安いワインは一杯1アス高級銘柄ワインは一杯4アスですが、売春婦の安いのは2アスから……どんな価格体系なんでしょう? 恋を告白したり恋敵を貶める落書きもありますし、子どもたちはアルファベットそのものやイソップ寓話の書き出しを練習がわりに書いたりします。なんと「EDEMOIDIOSARAPATAPARASOIDIOMEDE(ディオメデよ、それはもはや私にとって貴方からのゼウス神の欺瞞ではないだろうか)」という回文まであります。それもご丁寧にギリシア語とラテン語の両方で書いてあるという、なんとも教養のある落書きです(ギリシア語の方は読み書きできませんので、ここへの紹介は省略します)。回文って、日本語でないと難しいとなんとなく思っていたのですが、やる人はやるんですねえ。
当時の皇帝ネロに対する悪口もたくさん書かれています。ところが歴史ではネロはそういった落書きには反応していないそうで……知らなかったのか、寛容だったのか……
剣闘士にからんだ落書きにはしばしばイラストがつけられています。公式の記録では出身養成所や家系などが重要視されますが、庶民の落書きではもっと別の卑近なこと(左利きかどうか、とか)に関心が向いていたことがわかります。
売春宿の落書きでは……いやいや、なかなかあけっぴろげなものがございます。しかし、主語を明確にしちゃってて良いのかなあ……中には男二人で売春宿に泊まった、なんてのもありますが、これはどんな状況なんだろう?(想像をたくましくしている おかだ)
都市が落書きに満ちていたのは別にポンペイだけの特徴ではないそうです。ただポンペイは火山灰に埋まったおかげでしっかり「現状」が保存されてしまっただけ。それは歴史あるいは文化人類学の見地からは興味深いものです。さて、過去の落書きに相当して現在の社会に満ちあふれているのは、インターネットでの書き込みでしょうか。もし今のがうっかり後世まで伝えられたら、未来の学者たちはどんな解釈をしてくれるんでしょう。それもまた興味深いものです。
壁に小さな虹を見つけました。窓際におかれたガラスの花瓶がうまく太陽光線をプリズムのように屈折させて壁に投影しているのです。レインボウのボウではなくて真っ直ぐで幅広の、まるでガムテープを切って張りつけたようなサイズの虹ですけど、それでもきれいなものです。観察すると私には青・緑・黄・赤の四色に見えます。といってもよく見るときっちり別れているわけではなくて、青の帯は紫から青にゆるやかに移行しており、緑は青〜黄緑に、黄はほとんど黄に見えますが赤はオレンジ〜赤です。
「虹は七色」と言いますが、12月17日の日記に書いた『もし「右」や「左」がなかったら ──言語人類学への招待』に「虹は七色、は人類共通の認識ではない」ことがちらっと触れられていました。実は空の虹、私には五色だったり六色だったりするのですがきちんと七色に見えたことはないのです。
太陽光はすべての可視光を含んでいるのですからそれをプリズムで分離したらそれは「紫外線から赤外線の間のすべての可視光の連続体」のはずです。土星の輪のすきま(代表がカッシーニの間隙)のようなものできっちり帯が分けられていたらわかりやすいのですが、虹は連続体です。人がそれを恣意的に「○色」でいくつかに分けているだけです。
「色」をデジタルで表現したら、私は16色とか256色とか言いたくなるのですが(いつの時代の話だ? ……私がデジタルに関して物心がついた時代の話です)、今では16ビットとか32ビットとか表現しますね。ということで、もし目立ちたかったら「僕には虹は16色に見える」「それはオールドタイプですね。現代的な私には32,000色に見える」などと主張するのも一興でしょう。
【ただいま読書中】
アルブレヒト・ボイテルスパッヒャー著、石井志保子訳、日本評論社、2004年、2500円(税別)
パーティーでせっかく素敵な女性に会ったのに自己紹介で「実はぼくは数学者なんです」と言った途端さっと引かれてしまう、という悲しい経験がたっぷりの数学者が、数学の楽しさ・美しさを数学が苦手な人に伝えようと書いた本です(少なくとも著者はそう主張しています)。
本書のはじめのあたりで「『奇数の二乗(3なら9、7なら49)は8で割ると1余る』はすべての奇数で正しいか」という問題が出されます。とりあえず1から9まで暗算でやってみると正しそうです。でも11を越えると暗算では苦しい。では「すべての奇数」でなり立つかどうかはどうやったら確かめられるでしょうか? 私は「奇数を2n+1とおいてその二乗を計算する」と「ある奇数(x)で『8で割ると1余る』が成立するなら、その次の奇数(x+2)の二乗でも同じく『8で割ると1余る』が成立する。以下同様に……」という二つの証明法を思いつきましたが、どちらにしても他人に教えてもらわずに自分で結論を導き出せたときの快感は「人は論理だけで動いているのではない」ことを思い出させるものでした。問題が解けて「エウレカ!」「アハ!」と叫ぶとき、人は「学」を用いただけではなくて、感情や感覚を解放しているのでしょう。「数学は数楽だ」と言って良いかもしれません。問題が解けなかったら「数が苦」ですけど。
数学では「美」(エレガントな解法とか美しい定理とか)もけっこう評価されますが、ペンローズは「数学では美はシンプルさと密接な関係があるが、単なるシンプルさではなくて、予期しないシンプルさこそが美しい」と主張しています。たしかに一見複雑な現象が単純な公式で表現されると、そのシンプルさは美しく感じます。なぜ美しく感じるのかは謎ですけれど。
本書の中程には論理の問題がいくつか紹介されています。「ある島には、まったくの正直者とまったくの嘘つきが合計100人住んでいた。よそから来た人が『この島には何人嘘つきがいますか?』と尋ねると、最初の人は『少なくとも嘘つきが一人いる』と答え、二人目は『少なくとも二人』、三人目は『少なくとも三人』……99人目は『少なくとも嘘つきは99人いる』100人目は『100人いる』と答えた。さて、嘘つきは何人?」
正解とその根拠が即答できますか?
数学者4人がタクシーに相乗りしたら割り勘が上手くできない、とか、数学者はπの暗誦は苦手、とか、数学者の分類とか(これが抱腹絶倒)、少しでも数学に親しみを持ってもらおうと著者はあれこれ工夫を凝らしています。「数楽」「数が苦」で書いたように、数学は「学」(ロゴス)だけで成立しているものではないのですから(「数学」そのものはロゴスの塊でしょうけれど、数学者の動機づけにはロゴス以外のものが大きいはずです)、そこのところをもっと強調しても良かったんじゃないか、と感じました。