2006年2月
土日は泣きたくなるくらいの腰痛でしたが、少しおさまったのかそれとも慣れたのか、動ける範囲が広がってきました。寝返りはなんとかできるようになってきましたし歩行スピードも明らかにアップしていますし階段も手すりを使わずに移動できるようになってきました。でも、医者の言いつけを守ってとにかく良い子で寝ています。仕事は気になるけど、無理して出て2時間くらいして「やっぱり駄目だ、帰ります」だとかえって迷惑をかけるから、がまんがまん。
しかし寝てばかりだと体調が変になります。あちこち筋肉痛というか体全体が妙に凝ってきています。内臓も変です。筋肉を使わないから血流が五臓六腑に集中しているのでしょう。尿量が増えてるしとにかくやたらと腹が減ります。家内の顔を見るたびに「腹減った」「それ以外に言うことないの?」心温まる夫婦の会話です。
腎や胃腸が大喜びで活動しているのでしょう。そのためか便の量が減ってこのままだと便秘が出現しそうです。腰と右肩以外は支障がないのですから、ベッド上でもなにかできる運動がないかなあ。ということで今こうしてせめて指先をぽちぽち運動しているのです。さて、このファイルを書いて、何カロリーくらい消費できたかしら。(寝室にLAN配線をしていたことを思い出して、ノートブックを移転したのです。マウスが使えないのが残念ですが、パッドで何とかなるものです)
しかし、ずっと鎮痛消炎剤を飲み続け、腰に湿布を貼り続けているせいでしょうか、足先が冷たくていけません。これが冷え性? 腰痛のせいかな。それとも薬の副作用かしら。鎮痛消炎剤は解熱剤でもありますから、体が冷えても不思議ではないのですが、それにしても炬燵が欲しくなる冷え方です。ぶるぶる。夫婦の会話ももう少し暖かいものにするように何か努力しなくては。
【ただいま読書中】
ハンプトン・サイズ著、山本光伸訳、光文社、2003年、2200円(税別)
「アイ・シャル・リターン」から約3年、マッカーサーはフィリピンに戻ってきました。米軍を迎えたゲリラがカバナツアン収容所の情報を伝えます。バターン半島とコレヒドール島陥落での米軍捕虜(ほとんどはバターン死の行進の生き残り)の500人(健康状態が悪いため「バターンの幽霊」と自称)が収容されているのですが、日本軍によって皆殺しにされる可能性がある、というのです。実際パラワン島では侵攻直前に収容されていた150人のうち140人の捕虜が殺されていました。クルーガー将軍は捕虜奪還を決定し、ジャングル戦の専門家、第6レンジャー大隊C中隊(とF中隊から一個小隊)120名がその任務に充てられます。中隊を指揮するのは「リトル・マッカーサー」と呼ばれるミューシー中佐と「クール」というあだ名のプリンス大尉。
レンジャー部隊にとってこれは初陣でした。味方にさえ作戦を秘匿して部隊は進み、3年間日本軍と戦っていた現地のゲリラ部隊数十名と合流します。これで捕虜収容所およびその周辺の数千の日本軍と戦うのです。
1942年、バターン半島の米軍とフィリピン軍10万人は降伏しましたが、その目と鼻の先のコレヒドール島の要塞は降伏していませんでした。マニラ湾を使えるようにするためにはコレヒドール島が邪魔です。そこを攻撃するにはバターン半島から砲撃しなければなりません。そのためにはそこにいる捕虜を移動させなければなりません。ということで、負傷していなくても飢餓と病気で半死半生状態の捕虜に対して「死の行進」が命じられました。75マイルの移動は遅々として進みません。そもそもその計画は4万人の健康な捕虜を移動させることを前提として組まれていたのですから。食糧不足(米軍だけではなくて日本軍も実は飢えていました)、ガソリンが貴重な日本陸軍は徒歩による長距離行進は当然/米軍はトラックなどでの移動が当たり前、という「文化」の違い、現場の状況を具申して計画変更を申し出るのは上官の無能を指摘することになり無理な計画で定められた刻限を守らなければ「命令違反」になるという日本兵士のジレンマと恐怖……結果として落伍者は次々殺され、その総数は五千人以上となりました。やっとたどり着いたオードネル収容所は、地獄でした。伝染病と害虫と栄養失調で十人に一人が死亡します(フィリピン人15,000人アメリカ人1,500人以上が死亡したとされています)。
レンジャー部隊の最終キャンプ地に偵察隊が帰ってきます。収容所の回りは見通しのよい草原で、1マイル離れた川向こうに200人の部隊が駐屯しており、反対方向に4マイルのカバナツアン市には7000人の日本兵。さらに収容所には日本軍武装兵が100人以上で所在が不明な戦車が4台。気が滅入るような報告ばかりです。そこにゲリラのリーダーパホータが、襲撃予定時刻にカバナツアン市の日本部隊が収容所前の道路を使って移動する予定であることを知らせます。パホータは襲撃の延期と同時に解放された捕虜の移送手段を提案します。
「襲撃と捕虜奪還」というアクションドラマと「捕虜収容所での生活」という陰鬱な人間ドラマ、この二つが交互に描かれることで本書は巻末に向かって盛り上がっていきます。しかし本書中で引用されている「収容所に入れば、その社会の成熟度がわかる」(ドストエフスキー『死の家の記録』)には……「入れば」であって「見れば」でないところが、なんともこちらの感覚に堪えます。
なんともお寒い内容の法律ですが、私は水俣病の時の「救済処置」をなんとなく思い出していました。あの時も(私の記憶では)行政の対応は鈍く、はじめは患者をほとんど仮病扱いして、つぎにお涙金で「解決」しようとして、やっと法律に基づいた救済が始まったらこんどは行政認定を厳しくしてなかなかたくさん患者がいることを認めようとしなかったのが裁判を起こされて判決が確定したらやっとしぶしぶ対応する、という徹底的に弱者に冷たいものでした。自分たちの天下り先の確保のためや公益法人設立と維持のためには大盤振る舞いを平気でする態度とは対照的です。
しかし、1970年代にすでに政府は石綿が問題であることを把握していたんですね。たしかに私も石綿と中皮腫の関係を知ったのは1980年前後でしたし、役所の庁舎だったか小学校の校舎だったかの取り壊し時に石綿が使ってあることがわかってシートできっちり覆って密閉して水を撒きながら作業員も特別なマスクをして作業しているのをTVのローカルニュースで見たのが……十数年前だったかなあ。ともかく行政は情報を把握していたわけです。
薬害エイズ、狂牛病のときと同じ構図です。すべてに共通しているのは「先送り」と「これは自分のせいじゃないもんね」という無責任体制です。まったく、ここまでの行政の怠慢は少し罰しても良いんじゃないかなあ。少なくとも当時は誰が担当だったのか、くらいは公表しても良いんじゃないかしら。もしそういった連中がすでに円満退職して勲章でも受けているのなら、剥奪してやりたいなあ。(もちろん本人に反論の機会は与えた上で、ですけど)
【ただいま読書中】
L・M・ボストン著、亀井俊介訳、評論社、1968年初版(1987年8刷)、1200円
物語はコンゴのジャングルで始まります。幸せに暮らしていたゴリラの一家が人間に襲われ、捕らえられた雄の子どもゴリラ(ハンノーと名付けられます)はロンドンの動物園に送られます。そこを訪れたのが、第三巻に登場した難民少年ピンです。ピンは、故郷から切り離されてコンクリートと鉄棒に閉じこめられているハンノーの姿に自分の境遇を重ね合わせます。第三巻でピンと川の冒険をしたアイダから手紙が来ます。ピンがグリーン・ノウでこの夏を過ごせるように、オールドノウ夫人に頼んでくれたのです。トーリーがこの夏はビルマから帰ってきた父親と一緒に過ごすと聞いてがっかりしていた夫人は、喜んでピンを招待します。そのとき、ハンノーは動物園を脱走します。グリーン・ノウの森でピンとハンノーは再会します。ピンはハンノーを匿うことを決心します。1日10キログラムの果物や野菜を食べるハンノーのためにピンは食料集めに奔走します。しかし、ハンノーを捜索する手は迫ってきます。
相変わらずグリーン・ノウの自然は豊かに人(とゴリラ)を包みます。でも、そこは無限の楽園ではありません。そして本書で読者は「孤独」という苦みを味わう必要があります。孤独と死と別れとまわりに理解されないつらさ……児童文学にここまで書き込んでよいのか、とも思いますが、本来のグリム童話などを見てもわかるように、子どものためのお話はそういったものをすべて含んでいたはずです。柔らかいものだけ食べていたら歯が駄目になるように、毒にも薬にもならないふやけた物語だけ与えられることが健全な魂の生育に役に立つかどうかは怪しいと私は思います。
……もしかして著者も、そういった「孤独」などを十分味わっていて、でもそれにスポイルされずに回りに暖かさを与えることができる人なのもしれません。でなければ、ここまで厳しくて優しい物語は書けないでしょう。
日本はかつては「一億総中流」だったのがいまは「下流社会」なんだそうで。それだけ日本は不景気で貧乏になったのか、という語感ですが、実際はどうなんでしょう。小泉総理は「較差が広がったとは一概に言えない」という立場らしいですが……私は小泉さんとは意見が合わないことが多いのですが、珍しくも今回は近い意見です。
かつての「中流」は、要するに「特上・上・並」の「並」である、と私は認識していました。それを単に言い方を変えて「上・並・下」と言うようになったから「中流」が「下流」と表現されるようになっただけではないでしょうか。実体は実は変化していないわけ。どう呼んだって一番下は一番下です。
「上流・中流・下流」の定義づけで私が納得しているのは「下流:生きるために働く必要がある 中流:働かなくても生きられる 上流:遊んでいても財産が増えてしかたない」。もう一つの定義はヴィクトリア朝時代の「中流階級では住み込みの使用人を何人かおいている」というものです。どちらにしても私は昔も今もしっかり下流階級の住人です。はい、疑いもなく。
【ただいま読書中】
『ネルソン・マンデラ伝 ──こぶしは希望より高く』原題;HIGHER THAN HOPE
ファティマ・ミーア著、楠瀬佳子・神野明・砂野幸稔・前田礼・峯陽一・元木淳子 訳、明石書店、1990年、3641円(税別)
本書にはマンデラ夫人の前書きがついています。その日付は1988年。ネルソン・マンデラが釈放される2年前です。伝記の内容にも興味をひかれますが、なぜこの時期にネルソン・マンデラの伝記が、それも家族の友人によって書かれたのか、それも興味深いものです。伝記の内容によってはまた新しい弾圧が行われる可能性があったのですから。
著者がネルソンから伝記執筆を依頼されたのは1970年代はじめのことです。釈放された囚人からの伝言でした。しかし活動禁止処分を受けたり刑務所に拘禁されたりで1984年にやっと著者は活動を開始します。最大の難点は、マンデラ本人へのインタビューがほとんどできないことでした。著者はその「欠陥」を素直に認め「ロング・インタビューに基づく新しい伝記、あるいは自叙伝の登場を待つ」と言っています。(実際長い自伝がのちに出版されています)
早くに父を亡くしたネルソンは一族の援助で大学に進みます。そこで彼は部族の枠を越えたアフリカニストの視点を得、さらに国際的な人道主義の道に進みます。インド人は不服従運動を始め、白人は分割統治(アフリカ人の不満をインド人にぶつけさせる)を行おうとし、そこに共産党もからんで、政治的な混乱状態です。ネルソンは学生の時から青年同盟の書記長となり、インド人との共闘を進めます。それに対して国民党政府は、活動家に対する活動制限・逮捕・強制労働・むち打ち、有色人種に対するパス携帯・強制移住などで運動を押さえ込もうとします。弁護士になっていたネルソンは、離婚(ネルソンの女癖が原因)ー再婚、路線対立でもめる反アパルトヘイト団体の調整に奔走、と公私ともに多忙でしたが、反逆罪で終身刑を言い渡されます。夫人も、度重なる家宅捜索・逮捕・活動禁止処分を食らい続けます。
アフリカ系学生へのアフリカーンス語の強制(それまでは英語とズールー語で授業が行われていた)に対する子どもたちの抗議運動が行われ、警察は発砲します。血まみれの子どもの死体の写真が、国際社会にショックを与えます。
こうして、内戦状態を収拾すること・人種差別政策をやめること・マンデラを釈放することが、国際的にも求められるようになります。ネルソン・マンデラは一つのシンボルになっていたのでした。
そういや日本人は「名誉白人」とか呼ばれて喜んでいたんでしたね。恥ずかしい過去です。
ネルソン・マンデラが大切にしたのは、政治信条と家族です。人を傷つけること以外の方法で自分の主張を遠そうとしているように見える点で、ネルソン・マンデラは私の心ではマハトマ・ガンジーやキング牧師と同じステージに立っています。
報道によりますと、退職した議員の親睦団体に地方自治体がお小遣いをあげていたのを中止するようになったり、永年勤続の議員への記念品のバッチに宝石をつけていたのを中止したりするようになってきているそうです。議員(または元議員)から見たら既得権の侵害のように思えるでしょうけれど、選挙の時にあれだけ「お願いします」「お願いします」と頭を下げていたんでしょ? 自分がやりたいからやってたことを、長くやったからとかやめたんだからとかの理由で「褒美を寄こせ」はないんじゃないでしょうか。
いや、有権者の方が「お願いします、どうか議員をやってください」と頭を下げて無理矢理議員をやってもらったのだったら、退職したときや永年表彰で「ありがとうございました」とまた頭を下げるのが当然ですけど、やりたい人がやっていたのだったらその「やりたいことがやれた」ことだけで十分報酬になっていると思うんですけどねえ。それとも選挙カーでの「お願いします」は、「本当はやりたくないんだけど、お前らがどうしても、と頼むんだったらやっても良いぞ。お願いします」なの?
【ただいま読書中】
B.I.ワイリー著、三浦進訳、南雲堂、1976年初版(1990年4刷)、3883円(税別)
「アメリカ南部の田舎育ち」の著者は日本人へのシンパシーを序文で示します。日本人も南部人も、大戦争に敗れ軍事占領を経験し、苦難に耐えて再建をし、農業経済から工業経済へ農村社会から都市社会への変革を経験し、その過程で前の時代の礼儀正しさをあまり失わなかった点で共通点がある、というのです。序文からも見えるとおり、本書は「南部」に立脚して書かれた本です。
1861年1月21日、メキシコ戦争の英雄で陸軍長官の経験も持っている上院議員ジェファソン・デイヴァスはミシシッピー州の連邦からの分離を宣言する演説を上院で行います。郷里に帰ったデイヴァスは南部連合国の大統領に選出されます。本人は軍事面での指導者を希望していたので、不本意な人事だったようですし、またデイヴァスの資質は行政官向けのものではありませんでした。正直者ではあるが、些事にこだわって大局的な視点を欠き、人を惹きつけるカリスマ性もない、とさんざんな言われようです。異論を許さず論理的整合性に拘泥し、自分に対する反対者はどんなに有能でも排除する、ということを続けていたら、たしかに政府は弱体化するでしょう。さらに、一度自分が気に入って任命した将軍(たとえばブラッグ将軍)はたとえ戦闘で無能であることがわかっても交替させないというのは……おそらく「自分の決定がミスだったことを認めたくない」という無意識の動機からでしょうけれど、戦争の遂行に個人の面子を持ち込むのは致命的です。自分の感情を国の運命に優先させていいのかなあ。家柄も教養も経歴も申し分ないデイヴァスですが、本人の希望通り大統領よりは軍の司令官をやっていた方が、本人のためにも南部のためにもよかったのかもしれません。
緒戦の優勢は南部の士気を高めます。しかしその後の連敗や徴兵制の施行により、南部の国民の士気はみるみる下がり始めます。東部戦線での反攻にともなって一時士気は上がりますが、戦線での敗北と生活の困窮(秩序の崩壊、働き手の喪失、インフレ、物資不足)にともないまた士気は下がり始めます。南部の士気に決定的だったのはリンカーンの大統領再選です。北部で平和運動が高まっていたのに南部は期待を持っていたのですが、リンカーンの再選は「戦争はもう4年やるぞ」というメッセージに受け取られたのです。
南部はなぜ負けたのでしょうか。北部がモノとヒトで優位だったから(北部は工業地帯で人口2200万、南部は農業地帯で人口900万(うち奴隷が350万))。でもそれだけでしょうか。北部が「勝つ」ためには南部を征服しなければなりませんが、南部はただ防衛だけしていればよかったのですから、その点では南部の方が圧倒的に有利だったはずです。では、なぜ南部は負けたのでしょうか。著者は最大の敗因を「不和」とします。大統領と閣僚、大統領と将軍たち、大統領と州知事たち、大統領と新聞、将軍同士、将軍たちと州知事たち……よくまあ、これで戦争が遂行できるものだと思えるくらい、対人関係のトラブルだらけです。これは南部の風土が生んだ個人主義によると著者は推測しています。奴隷制度によるプランテーションは一国一城の主を大量に生み出しました。そういった「小君主」が自分の意地と名誉をかけて隊列を組んで戦おうとしていたのです。さらに、奴隷制に対する潜在的な罪悪感が南部人をますます論争好きにしていった、と著者は推定しています。見たくない現実から目を逸らすためには口を動かす(特に他人を責める)のが一番よい手ですから。
さらに、北部の連邦政府に効果的に対抗するためには、南部も中央集権的に統一される必要があります。ところが、まさにその「中央集権」に反対して南部は連邦から分離したわけです。ここに大義と方法論の乖離が生まれます。地方が中央から独立するために南部は分離しました。ところが北部と戦うためには各州は自身の権限を南部政府に移譲しなければなりません。これは地方の独立?(ということで、大統領と知事の争いが生じます) さらに国民への情報伝達はほとんど行われませんでした。意思を問う機会も与えられませんでした。
新聞は敗北も勝利と報じ、結果として人々の政府と新聞に対する信頼を損ないます。そしてそれは政府の指導力の低下を招きます。さらに、綿に頼る諸外国が早期に介入してくるに違いない、という国際情勢の読み間違いも南部の首を絞めます。
よくゲティスバーグの戦いが南北戦争では注目されますが、実はその前に戦争の転機は訪れていた(南部の敗北は決定されていた)というのが著者の主張です。
南北戦争は、近代兵器の多くが登場した戦いであると同時に、それまで職業軍人と傭兵と志願兵で戦われていた戦場に市民が登場した戦いでもありました。また、異なる政治体制がそれぞれ正義を主張し体制の生死を賭けて戦う戦争でもありました。戦争の原因・経過・結果についてはほんとうに様々な解釈や学説が登場していて、本書にもそれらの文献のほんの一部だけが紹介されています。(学説自体も論者の立場またそれが登場する時代の影響を受けて変化します。まったくややこしいことです)
アメリカ大統領選挙の時に、民主党と共和党が東部と南部でみごとに色分けされるのを以前から不思議に思っていたのですが、南北戦争(以前)からの伝統、ということなのでしょうか。もしそうなら、歴史とはおそろしいものです。
「これは一体なんだ?」という質問に「これは○○と言って……」と説明を始めると「○○ぅ? なんだそりゃ。そんなの聞いたことがない。いい加減なことを言うな」と「却下」されたことがあります。
いや、あなたは聞いたことがないでしょうが私は聞いたことがある、というか、教科書にもしっかり載っていることばなわけでそのことを説明しようとしたら「まだごちゃごちゃわけのわからないことを言うのか! いい加減にしろ!」で「完全却下」です(「いい加減なことを言うな」と「いい加減にしろ」の両立は難しいなあ、というのはまた別のお話ですね)。
説明を聞いた「後」でわからないと言ってくれるのなら、相手の理解度に合わせて説明のやり方を変えるとかの工夫ができるのですが、説明を聞く前に耳を塞がれると「だったら最初から質問するなよ」と言いたくなります。言いませんけど。
「世の中のことをすべて知っている人」が「そんなの聞いたことがない」と断言するのでしたら「あれれ、こちらが間違えて覚えていたかな」と思うのですが(実際、自慢ではありませんが、私は自分の記憶力に自信がありませんから間違いの指摘は大変ありがたいのです)、「単語」レベルで「そんなの聞いたことがない」と断言できるとは、すごい自信家だとしか思えません。そのへんの国語辞典や英和辞典をぱらぱらめくっても、その人には未知の単語は一つも出現しないんでしょうねえ。試してみたいものです。やりませんけど。
「寡聞にして知らず」はいつの間にか死語になってしまったのかしら?
【ただいま読書中】
ニコラス・スパークス著、雨沢泰訳、アーティストハウス、2004年、1400円(税別)
17歳と15歳で出会って恋に落ちた二人が、14年後に再会してまた恋に落ち、そしてそれから49年後にまたまた恋に……でもその時片方はアルツハイマーになっていて相手が誰かもわからなくなっていたのでした。ただし本書は老人性認知症(痴呆)がメインテーマではなくて、「愛の奇跡」の物語です。運命の出会いとか愛の奇跡というと、今ではもう陳腐に聞こえますが、陳腐だからといってそのテーマの価値が減じるものではありません。たしかにこのテーマの映画や本はいくらでもあるわけですけど、本書で特筆すべきは、まずその恋の息の長さです。80歳と78歳の恋ですよ。
タイムスパンでいうとその対極に、「
コールド・マウンテン 」とか「
タイタニック 」のように、出会って種付けがすんだら男はあっさりこの世から退場、という「お前らはカマキリの生まれ変わりか」と言いたくなるのもありますけど(ファンの人には、こんな言い方で、ごめん。あ、カマキリにもごめん。クモやコオロギにもそんな習性を持ったのがいたはずだから)……二人とも退場だと「
ロミオとジュリエット 」があるので、あとは全部これの変奏曲と言えるのかな……まあともかく、瞬間的で劇的な愛のドラマではなくて、一生かけて日々新たに愛し続けるという奇跡というか覚悟を読者につきつける作品です。
映画 を先に観ているので、私にとって本書はその原作という扱いになるのですが、みごとに料理の手口が違っていて感心します。小説は静かで簡潔な文章で過剰な情緒を排しています。これが恋愛小説の文体か、と思うくらい素っ気ない描写の積み重ねです。それに対して映画の方は、念入りにゆったり細かい描写が続けられます。どちらも捨てがたく、比較したら、原作者も脚本家(と監督)もタダモノではない、と言えます。時間(と描写のやり方)の関係で、映画では原作の重要なエピソード(たとえば、ノアがアリーに詩の朗読をすることの重要性……これがデュークが朗読をすることの重要性に直接つながります)がいくつも落ちていますが、それはあまり気になりません。
ただ、アリーにとっての絵を描くことの意味を映画ではもっともっと強調して欲しかったとは思います。だって二人を本当に結びつけたのは、二人の中に燃えている芸術家の魂がお互いに共鳴したことだったのですから。ノアの中の詩人の魂が、詩作にではなくて、詩集を朗読することと手紙を書くことに発露されていただけにしても。
恋愛に限らず、自分の人生はどこからか丸ごと与えられるのを待つものではなくて、自分で努力してあとは「奇跡」を待つものなのかなあ、と感じさせられます。それともすでに奇跡には出会っているのに、それに気がついていないだけなのかしら。
やっと身動きができるようになったので、本日から職場に復帰しました。
寝てばかりだと、いけません。腰痛はどんどん楽になるのですが、腰周囲や肩のコリが増します。筋肉が緩んで骨密度は低下したような気もします。さらにいけないのが、精神面。はじめはいつもと同じ時間にしゃっきり目覚めていたのが、五日目くらいからだんだん起きにくくなってきたのです。起きている間もなんだか眠たくてぼんやりしています。明らかに精神面がたるみ始めてます。
ということで本日から……なのですが、朝から雪です。ありがたいことに家内が車で送ってくれましたが(さすがに腰と雪とで、バイク通勤は却下でした)、職住が近いのがこんなにもありがたいものだとは。
一週間分の貯まった仕事を片付け(ようと努力し)ていると、時間がどんどん経ちます。じっと寝ていると時間が経つのが遅かったのに、この差はなんでしょう。
【ただいま読書中】
ローズマリ・サトクリフ著、猪熊葉子訳、岩波書店、1972年初版(1987年第5刷)、1700円
ローマの百人隊長マーカスはブリテンで司令官として初仕事を始めます。任地での戦闘で負傷し、療養のために叔父の家に居候となったマーカスは闘技場で助命をしたエスカを個人用の奴隷として買います。マーカスの父は10年前に第九軍団を率いてブリテンを北進しましたが、軍団は丸ごと消息を絶っていました。その軍団の象徴であるワシの像が第九軍団を殲滅した氏族の祭壇に飾られておりローマへの反逆のシンボルとして使われる、という噂を聞き、マーカスは噂の真偽を確かめもしその噂が真実ならワシを奪還しようとする旅に出ます。それは「ローマのワシ」を異民族に利用されないという大義よりも、マーカスにとっては父の行方を探索する個人的な旅でした。奴隷から解放したエスカを供に、ニセ目医者になりすましたマーカスは防壁を越えて異民族が支配する北方への探索の旅に出ます。そこで偶然第九軍団の生き残りに出会ったマークスは父の死を知ります。そこからさらに北に入ったマークスとエスカはついにワシを目撃するのですが……
古代のにおいがぷんぷんする優れた冒険小説であると同時に、「行きて帰りし物語」です。狼のチビは原野に放されますが家に帰ってきます。マークスとエスカは北方に向かい帰ってきます。「第九軍団のワシ」は北に向かい、ぼろぼろになって帰ってきます。ドルイド僧はどこからともなくやってきては帰って行きます。ローマはイギリスにやってきて、将来は帰って行きます。そもそもマークスがイギリスに来たのはそこで手柄を立ててローマに帰るためでした。ではマークスとエスカは、最後にどこに「帰」ればいいのでしょうか?
古代ローマがイギリスにまで版図を広げていたということは、知らない人がけっこう多いんじゃないでしょうか。で、この『第九軍団のワシ』から300年くらいあとにはローマはとうとうイギリスから撤退し、その直後の苦難の日々を描いたのがサトクリフの『落日の剣』になるわけです。私は『落日の剣』からサトクリフに入ったので、今回「サトクリフのイギリス年代史」が立体的になって嬉しく思っています。
……そういえば、『落日の剣』にはイルカの指輪が出てこなかったっけ? あ、知っている人は私に教えないでください。自分で探します(あるいは思い出します)から。
ひさしぶりに懐かしい歌を聴いていて、あらためて昔の歌の難しさに驚きました。たとえば「早春賦」の一番は「春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず」ですよ。私が初めてこれを歌ったのは小学生のときですが、意味わかっていたのかな? 最初の一節くらいはなんとかわかったでしょうけれどね。で、次に聴いた「村の鍛冶屋」もすごい。「暫時(しばし)もやまずに 槌うつ響 飛び散る火の花 はしる湯玉 鞴(ふいご)の風さえ 息をもつがず 仕事に 精出す 村の鍛冶屋」が原歌詞でそれが文部省唱歌になっても「しばしも休まず つち打つひびき 飛び散る火花よ はしる湯玉 ふいごの風さえ 息をもつかず 仕事に 精出す 村のかじ屋」ふひゃあ、手加減無しですか。今だったら「現代語訳せよ」と中学校の国語のテストに出せるかもしれません。
【ただいま読書中】
高橋展子著、東京書籍、1985年、1200円(税別)
著者が日本初の女性大使としてデンマークの大使館に足を踏み入れた瞬間、大平内閣不信任が国会を通過したというニュースが飛び込んできました。そういえばそんなことがあったなあ、と懐かしく思います。
しかし外交はややこしいものですねえ。大使は任国の元首(デンマークなら女王)に信任状奉呈の儀式を終わらなければ「一切の」公的活動ができません。ところが赴任してもすぐにその儀式が行われるとは限りません。下手すると一ヶ月以上待たされることもあります。ところがちょうどその時期に日本の「ナショナルデー」である天皇誕生日があり、大使は任国の政府高官や外交団、在留法人代表などを招待して祝賀レセプションを開くお仕事があります。それまでに信任状奉呈が行われるかどうか……ということで前の大使がナショナルデーを(自分の送別パーティーも兼ねて)取り仕切り、その後に著者が赴任する、という手順となりました。赴任の日時一つ取ってもこの騒ぎです。
私は本書に、デンマークというあまり知らない国の紹介と初の「女性」大使という珍しさを期待し、同時に外交と外務省という異文化の紹介も期待して読み始めました。期待は裏切られませんでした。
デンマークは、当時北欧理事会とNATOとECのすべてに加盟している唯一の国でした。東西緊張と南北対立のはざまに位置し、さらに国内は完全比例代表制による小党分立で政権は複雑です。そういった情勢の中で大使は、フォーマルにあるいはインフォーマルに人々の意見をすくい取り自分たちの宣伝を行っているのです。
デンマークから大量の豚肉が日本に輸入されていますが、1982年口蹄疫の発生によって禁輸となります。結局1年半後に輸入解禁となりますが、そのときの騒動(デンマークは「もう大丈夫だから輸出を許可してくれ」日本の業者も「よい豚肉が必要だから輸入させてくれ」とおおさわぎ)を読んでいると、今のアメリカ牛の輸入のことを思います。
デンマークに住む日本人女性から帰国できないという訴えが大使館にありました。女性はデンマーク人の夫と死別、9歳の息子と日本に帰りたいが、住んでいる市当局が許可しないというのです。女性は「仕事もあるし社会保障も充実しているから生活に不安はないが、先行きのことを考えたら日本に帰りたい」と言い、市当局の言い分は「デンマーク国籍の子どもは国が成人するまで保護する義務がある。日本のような社会保障水準の低い国には出せない」です。結局日本大使館が女性の親族が受け入れることと日本の社会保障の説明をして当局を説得しましたが、すると折れた当局は「では帰りの航空運賃を支給しましょう」 ……日本でそのような母子がいたとしたら、さて日本の当局はどんなことを言いどんな扱いをするでしょうか?
ただ、手厚い社会保障は重税によってなり立っています。付加価値税が22%、物品税は自動車で200%!
日本公式訪問を終えたデンマークの外務大臣が帰国したのを出迎えに著者が空港に出向くと、外務大臣の運転手以外誰も出迎えがいません。大臣は自分で荷物を取ってくると「すまないけど、途中で一緒になった大蔵大臣を家まで送ってくれると助かるんですが」。ちなみにこの大蔵大臣はふだん自転車で通勤しているんだそうです。
首相が日本を訪問するときには、夫人(教師をやってるそうです)の休暇の関係で日程が8月になりました。
日本の記者たちがやってきたのでデンマークの記者たちとの懇談会が行われました。デンマーク側がまず自己紹介。「○紙、保守党系です」「×紙、急進自由党系です」「△紙、社民党系です」……日本側「我々はみな不偏不党、中立です」……デンマーク側は目を丸くします。
グリーンランドはデンマークの一つの県ですが、国全体の面積の98%を占めています。
1953年のデンマーク憲法改正で、女系の王位継承権が認められました。13歳のマルガレーテ王女は女王になる運命を決められ泣いて叫んだそうです。「私は普通の女の子でいたい。そして普通の結婚をして普通に暮らしたい」
デンマークについてはチボリ公園とアンデルセンと酪農くらいしか知りませんでしたが、ずいぶん魅力的な書きようで、行ってみたくなりました(すぐその気になる奴です、はい)。しかし、デンマークの国会議員の25%は女性なのは、政治家がやくざな商売とは国民に受け取られていないからだ、という著者の考察には笑ってしまいました。すると女性政治家が少ない日本は……あ、合ってますね。
子どもが持っている本のスケッチやフィギュアを見ると、恐竜にはなんだか地味な色が塗られています。だけど古生物の本には大抵「恐竜の模様や色はわかっていない」と書かれています。それは当然で、皮膚がそのまま保存されているのならともかく普通は骨の化石しかないわけですから、皮膚の情報は生痕化石(泥に体表が押しつけられたものがそのまま化石になったもの)くらいしか今のところはないわけです。もしかしたらティラノサウルスは派手なピンクだったかもしれませんし、水玉模様だったかもしれません。
今から数千万年後、そのときの地球の支配種族(人類じゃないかもしれません)が発掘調査で今のライオンと虎と豹の化石を発見したとします。さて、彼らはそれぞれの動物の外見(模様)を正確に再現できるでしょうか? ライオンのたてがみも虎の縞模様も豹の水玉も、再現はまず無理じゃないかなあ。すべて猫科には分類してくれるでしょうけれどね。
もし体表の情報を再現できるとしたら、どんな手がかりからでしょう。遺伝子?
なんでこんな夢想をしているかといいますと、暇だから、じゃなくて、虎と豹の模様の区別が技術的につくとしたら、その技術を応用することで恐竜の模様がわかるんじゃないか、と思ったからなんです。問題は、恐竜の体表に関する遺伝子がどこに存在するのかをどうやって確定するか、と、その遺伝子をどこから見つけるか、なんですけど。
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スヴェン・オルトリ/ニコラ・ヴィトゥコフスキー 著、深川洋一訳、丸善株式会社、1999年、1900円(税別)
「ニュートンのリンゴ」「舌を出したアインシュタイン」「アルキメデスが叫びながら風呂から飛び出す」「レオナルド・ダ・ヴィンチは万能」「ブラジルでチョウがはばたくとテキサスで竜巻が起きる」……科学の世界には様々な神話があります。それはそれぞれの時代/文化に特有なものですが、ではなぜそのような神話が生まれるのか、神話はどのような機能を果たしているのか、著者は基本的に真面目にかつユーモラスに、時には皮肉を込めて考察します。本書は面白おかしいエピソード集ではなくて、我々が科学をどのように捉えているか、についての考察でもあります。
「万能の人、ダ・ヴィンチ」は言われるほど万能だったのか、と著者はその原稿を検証します。すると意外にも……どうもルネサンスを明・中世を暗とするために必要以上にダ・ヴィンチを持ち上げていたのではないか、というのが著者の主張です。そういえばダ・ヴィンチの解剖図も子宮回りの靱帯があまりに美的(つまりは真実とはかけ離れている)なのはけっこう有名なお話でしたっけ。
「ニュートンのリンゴ」は有名なエピソードです。落ちるリンゴの向こうに落ちない月がある、なぜだ。ところが「落ちない月」の考察は1666年。しかるに「落ちるリンゴ」の話は1726年(ニュートン死の前年)です。
「フランケンシュタイン」は、怪談でも科学フィクションでもない、と著者は述べます。そもそもフランケンシュタインは怪物の名前ではなくてそれを作った学生(マッド・サイエンティストではありません)の名前です(これは知っている人が多いでしょうね)。このお話は「自伝」なのです。物語の作者メアリー・シェリーの夫シェリーの良き部分がフランケンシュタイン、悪い部分のシェリーとバイロン卿が怪物。この三人の、死と疎外と不幸と愛の物語をフィクション化したものが「フランケンシュタイン」なのです。ところが世間は、たった一つの語「フランケンシュタイン」と一つの教訓「科学者を警戒せよ」だけを神話として語り継ぎました。
科学について「知っていること」と「知っていると思っていること」の間が大きいほど科学に関する神話は育つように思えます。もっともその両方とも「科学の真実」とは無関係だったりするので油断がならないのですが。巻末あたりにあるレヴィ=ストロースの「驚くべきことに、神話的な考え方を改めて現代的な意義のあるものにするのは、科学との対話である」……なかなか含蓄のある言葉です。
本書と関連した話になりますが、私は太陽系をイメージするときには、ニュートンよりはアインシュタインの方が好みです。ニュートンだと太陽も地球も質点(質量はあるけれど大きさがない点)です。そうしなければ計算が狂うのはわかりますが、空虚な空間に点が万有引力によってぐるぐる引かれ合って回っている、なんてのは寂しい宇宙です。それに対してアインシュタインだと、時空間はたとえばゴムの平板にたとえられます。そこに太陽をどんと置くと重さでゴムがぐにゃりと下に引っ張られてくぼみができ、そこに地球を勢いよく放り込むとくぼみの斜面をぐるぐる回り始めます。これは私にとってニュートンの宇宙よりよほど心が落ち着く「光景(イメージ)」なんです。徹底的な抽象化をしたニュートンをすごいとは思いますけどね。
皇室典範改正問題で「愛子さんは天皇にふさわしい」「いや、愛子さんは天皇にふさわしくない」と議論している人たちは、要するに愛子さんよりエライんでしょうね。その人の人生をこづき回す(天皇になれるかなれないか決定してあげる)権利があるわけですから(フツウこづき回す人がこづき回される人よりエライんでしょ?)。しかし「天皇にふさわしいかどうか」が「その人の資質」ではなくて「特定のY染色体があるかないか」のみで論じられるのは……「愛子さんは天皇にふさわしくない」と論じる人の中には単純な男性優位論者(女に頭なんか下げられるか/女は次の天皇を生めばそれで良いんだ)も混じっているはずで、それ以外の文化的な意味を論じたい人にはそういった女性差別論者はむしろ邪魔なんじゃないかなあ。天皇制が日本人の心情にどのようなものなのか/日本文化でどのような意味を持つのか/政治と宗教での位置づけは、ということから改めて考えても良いような気がします。
ついでですが、紀子さんご懐妊のニュースで年齢なんかの個人情報もばんばん公表されていますが、これ、本人の許可は不必要なのかな? 皇族は憲法で基本的人権が保障される国民じゃないから何しても良い?(そういえば奴隷にも人権はなかったけれど、奴隷をどう扱うかで扱う人の人間性はわかりましたよね)
「検討は先延ばし」と主張している人たち、もし流産だったら/もし女の子だったら/男の子でもし障害持ちだったら、そこでどんな主張をするつもりなんだろう? (私は、Y染色体の有無や障害の有無にかかわらずその運命にある人が天皇をやって良いと思っているので、特に何かを強く主張するつもりはありません……あ、天皇に限りませんよ。この世のどんな商売でも、です。もちろん物理的に就業が不可能で稼げない(本人が自立できない)ものは無理ですが、天皇だったらサポートをたくさんつけたら何とかならない?)
そうそう、マーク・トウェインは言っています。「その存在を正当づける理由が少なければ少ないほど、その慣習は撤廃が難しい」(『トム・ソーヤーの冒険』)
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マーク・トウェイン著、大久保博訳、角川書店、2005年、667円(税別)
『トム・ソーヤー』と『ハックルベリー・フィンの冒険』だけを読んでマーク・トウェインを論じるのは、『吾輩は猫である』と『坊ちゃん』だけ読んで夏目漱石を論じるようなものでしょう。私のように作品を楽しむだけで作家を論じる気がない人間は平気ですけど。(夏目漱石はそれ以外も一応読んでますが、小学校〜中学の時期だったからちゃんと読んでいるとは言えません)
怒られるときだけトーマスと呼ばれるトムは、学校はさぼる・悪戯はする・喧嘩はする・寝る前のお祈りは忘れる・教会では悪ふざけ、と何拍子も揃った悪たれ小僧です。想像力が豊かで迷信深くてしょっちゅうとんでもないことを思いつきます。ところが、一目でトムの心を捉えた転校生のベッキーに出会ったことと、夜中にハックルベリー・フィンと出かけた墓場で殺人を目撃したことで、トムの生活に激変が訪れます。
読んだ人には(もしかしたら、読んでない人にも)お馴染みのお話でしょう。ただ、四十年ぶりに読んで「すげえ」と何回も唸りました。子どもの生活(特に私が感心したのは会話)が活写されていること。子どもたちの「見せびらかし」の様子と想像力豊かなこどもの心理描写の的確さ(「そうだよなあ、わかるわかる」と何回頷いたことか)。19世紀の生活の「リアル」さ。そうそう、トムを叱ったり罰する大人たちの心理描写も著者は忘れません。
私が子どもの時に本書を読んでいて「大人は自分が子どもだったことがあるくせに、なんて子どもを見る目がないんだろう」と感じたことを思い出しました。たとえば誰かが悪戯をしたら、いくらトムが「自分じゃない」と否定をしても教師はトムを罰します。ふだんやってるから今回もトムが犯人だ、というわけ。何を言っても信じてもらえないから、トムは自分がやったことでもまず否定する癖がつきます。ところがトムが他人の罪をかぶって「オレがやりました」と言ったら、ふだんはトムの言葉を絶対信じないくせに、この時だけはトムの言葉をすぐに信じて教師はトムを罰します。ふだんと違う行動には何かわけがある、と考えようともせずに。真実の追究よりもとにかく誰かに罰を与えたいという欲求が満足されたら良い、というわけです。小説の場合は、読者はいわば「神の視点」から見ているからこういった大人の行動の不合理性がよくわかるのですが、「神の視点」があることを覚えておくと「人の視点」からしか見られない実生活にも応用が利く……こともあるんですよね……あると信じたい。
たまたまMTVにチャンネルを合わせるとラップをやってました。私はラップが好きではありません。それでなくても英語の聞き取りは苦手なのにラップだとわけわかんない。それでは、と言葉がわかる日本人のラッパーを聞くと……つまんない。
ところがその日画面に出てきたラッパーはすごく上手いのです。「ラップの演技力」という言葉があるのかどうか知りませんが、ともかくその力がすごくて場面転換のたびに別人になります。はじめは字幕を読んでいましたが、そのうちそちらはどうでも良くなりました。画面を見て意味の取れない英語のシャワーを浴びているだけで快感を感じるのです。言葉の緩急と言葉にこもる力で彼の世界に巻き込まれていきます。
ビデオが終わったところで「EMINEM」と出ました。ふーん、これがあのエミネムか、と私はつぶやきました。まともに聴いたのは初めてだったのですが、彼に人気があるわけがちょっとわかったような気がしました。
「歌の演技力」を私が初めて意識したのは、映画「ジーザス・クライスト・スーパー・スター」のピラト総督の歌ででした。決して上手い歌い手とは言えませんでしたが、楽譜通りに歌ってます、じゃなくて、彼が演じるピラトの心がこちらに伝わってくるような歌い方だったのです。それまで私にとって、音符をはずさないか声量が豊かか歌詞を間違えないか、などが歌のうまさの判断基準でしたが、以来ちょっと違った見方(聞き方)をしています。世間一般には通用しないかもしれませんけれど、私は世間のために好き嫌いを感じているのではないから、これでいいのだ。
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マルク・ルブラン著、北浦春香訳、白水社、2005年、951円(税別)
「インターポールの銭形です」これで私のインターポール観は形作られました(半分本当です)。では実際のインターポールとはどこにあるどんな組織で何をやっているのか。それを紹介しようとする本です。
19世紀にほとんどの国は刑事警察機構を整えましたが、犯罪の国際化には無力でした。そこで20世紀初めから各国の警察の協力が始まり、1911年にヨーロッパ数国の国際警察組織が作られます(公用語はエスペラント)。第一次大戦後オランダ憲兵隊のヴァン・ホーテン大尉はインターポールの構想を各国に説き、それに賛同したオーストリア警察長官・ウィーン警視総監ヨハン・ショーバーは1923年17ヶ国の国際会議を開きそこで国際刑事警察委員会(ICPC)が設立されます。オーストリア=ハンガリー帝国の解体で生まれた国々がオーストリアが持つ旧帝国の犯罪情報が欲しかった、というのも会議の成功の遠因といわれています。ICPCはオーストリアを中心に活動し実績を上げていきます。1934年にはフランス警察とドイツ警察が協力して、ヒトラー暗殺計画を阻止します。いやあ、こんなこともあったんですね。しかしオーストリアのドイツ併合の結果ICPC本部はベルリンに移転しナチス警察の諜報機関とされますが、戦時中でも犯罪者は犯罪者、占領地であってもなぜかやすやすと移動します。したがって戦争中であってもICPCの必要性はかわりませんでした。戦後本部はフランスに移され、組織や犯罪者データベースの再構築が行われます。インターポール(International Police の略)という言葉もこの頃から使われるようになりました。1956年にICPCは新たな憲章を採択しICPOとなります。
インターポールが扱うのは「政治・宗教・人種・軍事にかかわる事件以外」の犯罪、つまり一般犯罪です。しかしその線引きが難しい場合がいくらでも起きます。たとえばナチスの戦争犯罪人引き渡し。これはどう見ても政治絡みですが、国連ではそれは政治犯罪とは扱わないという採択が行われていました。うう、ややこしい。
殺人は目立ちますが、国際的に扱われることは意外に少ないものです。人権に関する犯罪は増加しています。人身売買やポルノ(特に幼児性愛が子どもの売買に結びつきます)がその代表です。物に対する犯罪は種類が豊富です。経済・金融犯罪は、動く金が莫大で犯罪者は知恵を絞り国ごとに禁止の程度にばらつきがある点で、警察の対応は困難に直面しています。さらに最近のコンピュータ犯罪とマネーロンダリング。おっと、麻薬を書き忘れていました。1980年代に世界各地で麻薬が大量に発見されるようになると、それまでICPOに加盟していなかった国の警察もICPOに加盟したり協力して、麻薬と資金の流れを断ちきろうとするようになりました(1990年にソ連がICPOに加盟したのも国際麻薬取引が主因です)。さらにテロリズム。第二次世界大戦前からインターポールはテロと戦い続けています。ただし「政治活動」による犯罪は扱わない、という決まりがインターポールを縛っていました(さらに、加盟国の中には、テロに理解を示す国やテロ支援国家も含まれています)。1987年にやっとテロ対策部門が稼動し始め、まずは抵抗の少ない民間機ハイジャックから取り扱いを始めました。現在ICPOの活動は、情報の取り次ぎだけではなくて刑事的な追跡と国際犯罪の予防に重点を置いています。
ICPOの運営は、直接民主主義と代表制民主主義の混淆のようですが、加盟国を追いつめて脱退に追い込まないように(そこが犯罪者の温室にならないように)細心の注意を払っているように見えます。だからこそイラン・イラク戦争の間でも両者が(総会では間にギニア代表が入ったにしても)席を並べて麻薬取引について議論できたのでしょう。
著者は「犯罪は個人ではなくて社会の属性である」と述べます。すると社会が国際化したら犯罪も自動的に国際化します(実際国際化しました)。ならば国境に縛られた警察をつなぐ組織であるインターポールの発生は必然でしょう。これからもその必要性が減じることはないはずです。
http://portal.nifty.com/special05/02/05/index.htm
どのくらいのマウス捌きができるのか、クリック・ドラッグ・ドラッグ&ドロップなどの項目で判定してくれます。
私は……409点で4級でした。むう、微妙にくやしい。特に素早いドラッグが苦手なのは……現在五十肩の最中であるせいにしておきましょう。
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阿部よしき監修、地球丸、2005年、1400円(税別)
自動車/バイク/自転車の小さな修理と整備を自力で行うためのガイドブックです。
ところが最初が「自動車のボディがへこんだ」で、耐水ペーパーでアシ付けをしてからパテ盛りとパテ削り……これ、最初に紹介する課題としては難易度が高すぎません? そもそも耐水ペーパーの使い方を知らない人はけっこう多いはず。特にパテ削りをするときに回り中に傷をつけてしまいそうです。
これが最初だとあとはどんなのが出てくるのか、と心配していると、ガラスの油膜取りとかドアのヒンジへのグリス塗りとかが出てきてほっとします。特にグリスと潤滑剤の使い分け(特に一緒に用いてはいけないこと)といった重要なことはきちんと噛んで含めるように書いてあるのには安心しました。
中学の技術の授業で、自転車と小さなエンジンを一台完全にばらして再組み立てしたことを思い出しました。ボールベアリングの球まで確認してからグリスアップして組み立てていって最後にちゃんと元通りになったときにはとても嬉しい思いをしましたが、あの時の経験が今でも私には生きています。と言っても、もう自転車の分解はできません。パンク修理くらいだったら……修理キットがあればやれますが。
自動車・バイクのオイル交換は、やること自体は単純作業ですが、問題は汚れたオイルの処理です。自分でオイル処理するのはけっこう大変ですから、私は業者任せの方を喜んで選択します。車のボディのへこみや傷は……なるべく目を逸らすようにしているので忘れていましたが、我が家の車は傷とへこみだらけ。コンパウンドはどこかに転がっているはずだから、パテとグリスを仕入れてきて修理に挑戦してみようかな。
……「修理」する前よりひどい状態になったりして……
古いニュースを見ていたら「郵便法違反:ポストにアイス投げ入れた男逮捕 埼玉・狭山」というのを見つけました。2月3日に42才の男性が郵便局前の郵便ポストに棒状のチョコレートアイスクリームを投げ入れ、郵便物を汚そうとした疑いで逮捕された、とのことです。なんでも現場周辺では先月から計4回、アイスや液体石けんでポスト内が汚されているそうです。逮捕された容疑者は「仕事がうまくいかず、うさ晴らししたかった」と供述しているとのことですが……仕事がうまくいかないから郵便ポストにアイスを突っ込んでうさ晴らし……その程度のことで晴れる「うさ」って、どの程度のうさなのかしら。そもそもこんなことをする奴だから最初から仕事が上手くいかないんじゃないかしら。ったく、それで大事な郵便物を汚されたらたまりません。
そうそう、この前知ったのですが、最近の箱形のポストの入り口には火のついたマッチとか煙草くらいだったら中に落ちないようにトラップが仕掛けてあるんです。郵便を差し入れたらかちゃって音がするでしょ? そこに金具がつけられてます。昔の寸胴タイプのポストはぽっかりと口が開いているからときに放火されたりしていましたけれど、今はハイテク(?)になっているんですね。
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ジョルジュ・ランジュラン著、稲葉明雄訳、早川書房、2006年、2000円(税別)
『蠅』……映画の「ザ・フライ」や「蝿男の恐怖」の原作となった短編ですが、なんともオソロシイお話です。物質転送機を研究していた弟の妻から深夜に急な電話。警察と駆けつけると、スチームハンマーの下で頭と右手を潰された弟の死体が。ハンマーのスイッチを入れたのは妻、しかし、弟は自ら望んでハンマーの下に身を置いた様子です。妻はハンマーを一回作動させたと証言しますが、夜警はハンマーの音を二回聞いています。そして弟の妻と二人の息子が見せる「頭が白い蠅」へのこだわり。そして猫……猫?
映画では恐怖の対象は蝿男ですが、本作では恐怖の対象はそれほど単純ではありません。だって蝿男はフランケンシュタインとはまったく違った「怪物」なのですから。
『奇跡』……鉄道事故に遭ったジャダン氏は、下半身麻痺を偽装して保険金を受け取ります。そこでやめておけばよかったのに悪のりをしたジャダン氏は……最後に思わず「立った立った、クララが立った」と呟いた私はあまり品がよろしくないのでしょうね。
『安楽椅子探偵』……いや、文字通り安楽椅子の探偵なのですが、こんな探偵は珍しい。何を言ってもネタバレになるから、ここでおしまい。解説を先に読まないことをお勧めします。
『考えるロボット』……友人の墓を暴くと棺は空っぽ。ところが彼の婚約者はそのことをあらかじめ知っていたようです。主人公は二人でチェスを指すロボットを見物に出かけるのですが……
アドラーって誰?アドラー心理学って何? がほとんどの人の反応でしょう。
20世紀初頭の心理学の巨頭と言えばフロイトとユングがすぐに上がるでしょうが、その間にアドラーがいたことはあまり有名ではないようです。フロイトははじめ優秀なアドラーを跡継ぎにと思っていたようですが、自分に逆らって独自の主張をするものですから、ちょうどその頃入ってきた有望な新人ユングに乗り換えてアドラーと縁を切りました。結局ユングもそのあとフロイトと仲が悪くなって縁を切ることになるのは、歴史の皮肉ですけど。さらに言うと、アドラーの弟子だったポパーがアドラーの言動に反発して「反証可能性」を言い出して科学哲学者として一家を為したのも、歴史的に見てなかなかおもしろいものです。この世ではいろんなものがつながっているんですね。
極めて単純化すると、人の心理は論理的・科学的・構造的に表現でき、それは過去の体験の積み重ねと性的なリビドーによって形成され動機づけられている、がフロイト/人の心は文化や歴史から大きな影響を受けている、がユング/社会と個人の関係によって個人の心理が動く、がアドラー、で良いかな。
日本にもアドラー心理学の信奉者はそれなりにいますが、私が知る限りでは、アドレリアンの野田さんなどの信奉者が多くて、きちんとアドラーの著作を読んだり研究したりする人は少数派のようです。『人生の意味の心理学』なんかめちゃ難しい日本語なので(ほとんど意味がわからずに翻訳したのではないか、と私は疑っています)普通に読んでもタメにはならないかもしれませんけどね。
古い本では「アードラー」と表記されていることが多いので、フロイトやユングの書簡集などの読者ならそちらの方でなじんでいるかもしれません。
そうそう、「アードラー」ならシャーロキアンなら『ボヘミアの醜聞』でホームズにいっぱいくわせた歌手のアイリーン(イレーネ)・アードラーを連想するかな。案外こちらの方が日本では(世界的にも)有名だったりして。
おまけですが、昨日読んだ『蠅(はえ)』(ジョルジュ・ランジュラン)に収載されている短編『忘却への墜落』にはちゃんと「フロイト・アードラー・ユング」と三者がこの順番で並べられているのには感心しました。
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エドワード・ホフマン著、岸見一郎訳、金子書房、2005年、7400円(税別)
19世紀後半オーストリア=ハンガリー帝国では憲法改正によりユダヤ人も(タテマエでは)平等に扱われるようになっていました。アルフレッド・アドラーは、ユダヤ教の影響はあまり受けずに育ちます(のちにプロテスタントに改宗)。身体が弱かったアドラーは医師を志し、ギムナジウムからウィーン大学に進学します。第一次世界大戦後教育改革を主張したことから見ると、当時彼が受けた教育は本人には満足がいくものではなかったようです。(臨床で役に立つ)開業医を志すアドラーにとって、診断学最優先(治療は二の次)の医学部カリキュラムも不満足なものでした。国家主義的な反ユダヤ運動と社会主義運動とが盛んになり、アドラーは社会主義に影響を受けます(当時の世俗ユダヤ人は、ユダヤ教か社会主義にしか行き場所がなかった、とも言えます)。中下層ユダヤ人が多いプラーター(映画「第三の男」で有名な遊園地(あの観覧車!)のある地区)で開業したアドラーは、後に彼が「器官劣等性」と呼ぶものへの考察を深めます。ウィーンではキリスト教社会党が実権を握り、若きヒトラーに影響を与えます。アドラーは医師の機能として、臨床現場での力と社会改革とを重要視し、ドイツのフィルヒョウ(医師/政治家)を高く評価します。
1902年、フロイトの仕事に興味を持つ数人の医師が勉強会を始めます。その一人がアドラーでした。(フロイトは後の著作で「弟子と崇拝者の集まり」と表現しますが、アドラーを集まりに招待したのは学問の世界で孤立している状況を変えたいフロイト自身でした) 水曜心理学協会(のちのウィーン精神分析協会)は順調に発展し、そこでアドラーは最初の重要な発表を行います。神経症と性的早熟の原因に器官劣等性があり人は社会適応をするために先天的な弱さを克服しようとする(「補償」)が、そこでしばしば過補償が生じる、というものです。そうそう、「劣等感」という言葉と概念をこのときアドラーが言い出した、というのも世間ではあまり知られていない事実でしょう。
次にアドラーは人の攻撃性に注目しますが、のちにそれを放棄・発展させて「心的両性具有現象(人は男性性と女性性を持っている)」とします。フロイトはそれを拒絶しますが、残虐行為が散々行われた第一次世界大戦後(リビドーと結合させた形で)攻撃性を自身の理論に取り入れます。協会代表になっていたアドラーはフロイトの弟子たちから「フロイトの学説からの逸脱」を攻撃され、とうとう協会から脱退します。
従軍したアドラーは、目撃した残虐行為や戦争神経症患者、そして敗戦国の(特に子どもたちの)悲惨な状況から、文明に必要なのは「共同体感覚」であると主張し始めます。個人心理学が確立し始めたのです。まず児童心理学や教育改革において、有用で実用的な指導をすることから、国際的にアドラーの名前は知られるようになっていきます。アメリカへの講演旅行は大成功でした。しかし……
人の思想は、その生い立ちと社会的状況に大きな影響を受ける、という点で、アドラーの生涯はその思想を証明する過程だった、と言えるかもしれません。近親者の証言では思想と日常とに乖離がなかったそうですから。
日本語版への序文で、日本文化は共同体感覚に近いものをあらかじめ持っていると著者は日本を持ち上げますが、さて、これはどうなんでしょう。日本での「共同体」はせいぜい地域までの大きさで、国とか人類レベルではないでしょうし、「感覚」ではなくて「決まり」ではないか、と私は感じます。しかもそれはどんどん西欧化しています。むしろ「万物みな仏性を有する」を使った方が日本人には理解しやすいかもしれません。
自称フェミニストの人が「嫁」「婦」の字に対して「女は家で帚(ほうき)を使えばいい、とは女性蔑視も甚だしい」と文句を書いているのを読んだことがありますが……天の邪鬼の私としては、この意見に素直に賛成する気になれません。
まず「嫁」。「嫁」は「いえにいるおんな」なのでしょうか? 私は「おんなへんとカ」と見たいのです。左側がカテゴリーで右がシニフィアン、というのが漢字の成り立ちの一つです。たとえば「十」「汁」「什」とか「令」「冷」「伶」「鈴」「苓」とかを並べたら「漢字の一部がその言葉のカテゴリーを担当し、別の部位が発音(シニフィアン)を担当する。カテゴリーとシニフィアンが確定した瞬間その漢字のシニフィエ(意味)が確定する」という漢字の構成がよく見えます。つまり「嫁」に関しては「おんな」と「いえ」とは私は読みません。
ではつぎに「帚」。「婦」は「フ」であって「ソウ」ではありません。ということでこの漢字は前述とは違う成り立ちのようです。では「婦」が「帚を持っている女性」だとして、「女性は差別されているから帚を持っている」……帚を持っていることは蔑まれるべきことですか? そんなことを平気で主張する人は、その人の清掃業者に対する差別意識を発露しているだけに私には見えます。他人を堂々と差別する人が自分は差別されたくないって……なんか変。さらに、もう一回言います。箒を持っていることは蔑まれるべきことですか? 掃除だったか炊飯だったかの家事を担当していた禅寺の老僧が「そんな雑事はそろそろ若手に任せて」と若手の修行僧に言われたとき「つまらないことではない。これは自分にとってとても大切な修行で、私は座禅ではなくてこれを通して悟りに至るのだ」と諭したエピソードがあります。出家している禅寺の坊さんは世間離れしているから彼の主張は一般人の参考にはならないかもしれませんが、どんなものであれ「それ」が自分にとって価値あるものかつまらないものかを決めるのは自分です。で、何かがつまらないものと決めつけるのは個人の勝手ですが、その個人的な意見に世界中が従うべきだと主張するのは、自分の勝手……でいいのかな? それは差別大好き人間と同じ傲慢なにおいがします。それに、雑用(とまとめて言っちゃうけど)を馬鹿にする人間は人生そのものを馬鹿にしているんじゃないかしら。
清掃業を差別する人が(今も昔も)この世に実在することはもちろん私は承知しています。で、「差別はよくない」とか「差別はやめましょう」と主張しても、好きな人は好きだしやるひとはやる。だったらそんな差別が大好きな人間に対しては、単に軽蔑をしてあげればいいと私は思っています。差別意識をホンネで持ちながらタテマエで「差別はよくない」と声高に言う人の偽善性に対してもね。
……私? 私は自分が差別意識を持っていることを否定しません。なるべくそれが表出しないようにあるいは自分の行動の動機づけにならないように気をつけているつもりですが、うっかり発露しちゃった場合は、建設的に指摘するか、さもなければ黙って軽蔑してください。
【ただいま読書中】
松岡大悟著、河出書房新社、2004年、1200円(税別)
日本に初めて回転寿司が登場したのは1958年、創業者が工場のベルトコンベアにヒントを得て始めました。1978年「廻る元禄寿司」の特許が切れてどっと新規参入が始まり回転寿司はブームとなります。バブルの時期に一時ブームは沈静化しますがバブルがはじけるとともに第二次ブームになり現在に至ります。本書は「これさえ知っていれば、もっとお得に美味しく回転寿司を利用できる」ポイントを列挙しています。いささか怪しげなネタも混じってはいますが、気軽に楽しむ回転寿司にふさわしく、本書も気軽に楽しめば良いのでしょう。しかめつらしく寿司を論じるのなら、「おまかせ」とか「時価」のお店に行けばよいのですから。
まずは店選びから。どんな店が望ましいか。その理由は。
次に席選び。店のタイプによってベストの席がどこか。
食前の準備のあれこれ。
さて、やっと食べられます。そこで問題になるのが板前への注文。これにも作法があるのです。
流れてくるネタにも、回転寿司ならではのいろいろな蘊蓄があります。しかし、店とものによっては一皿3000円って……その値段で回転寿司と言って良いのかな?
そうそう、ほとんどの店で寿司コンベア機のレーンが客から見て右から左に流れる理由はご存じ?(ついでに、レーンの速さは平均分速4.5メートルだそうです。ほんとかなあ。どなたかストップウォッチ片手に測ってみてくれません?)
また、回転ではない普通の寿司屋を「立ち寿司」というそうです。これは寿司の発祥(屋台のファーストフード)から来た言葉なんでしょうね。
先週から仕事を再開しましたが、どうも腰が重いのです。しばらく動いていると腰のやや上、左右にどよんと張りが生じます。
私は基本的にエレベーターを使わない主義なのですが、今は変節しています。1F〜8Fの移動とB2F〜4Fの移動が必要なビル二つ(プラスα)から成る立体的な職場をかつては階段だけ使って走り回っていたのですが、今はとにかく移動はエレベーターにお願いしてます。ところが以前の癖が出て昨日ついうっかり階段を使ってしまいました。ふだんは忍び足なのが、ずいぶん足音が響くなあ・下半身の角度とかケリの力加減とかが微妙に狂ってるんだなあ、とかのんびり思っていたら、そのあとからてきめん、腰に来ました。反省してまたエレベーターに頼ってますが、加速ショックや減速ショックを腰に感じます。やれやれ。
整形外科医は「ああ、変性が来始めましたね。腰痛バンドを使って支えてれば鎮痛剤の使用が減らせます」
ということで今日から腰の回りに何かがしがみついてます。重たくはないんですが、変な感じ。
【ただいま読書中】
L・M・ボストン著、亀井俊介訳、評論社、1962年初版(92年9刷)、1359円(税別)
トーリーとピンが海辺のキャンプ旅行から一緒に帰ってきました。いつのまにかピンはオールドノウ夫人の養子になっています。夫人へのお土産は「魔法の石」。オールドノウ夫人が二人に話す最初の話は、魔法使い(または錬金術師)フォーゲルのお話です。なるほど、本書のテーマは魔法、それもほんものの魔法ですね。
フォーゲルが焼いてしまった蔵書の行方を求めて、ミス・パワーズと名乗る学者がグリーン・ノウを訪れます。これがまた、露骨に怪しい人(?)なのです。ミス・パワーズはグリーン・ノウを売却するようオールドノウ夫人に「催眠術」をかけ、それに失敗すると、グリーン・ノウは、ウジ虫に襲われます。それが鳥たちに退けられると次は猫が鳥を襲い始めます。猫をピンが退けると次は蛇。グリーン・ノウの危機です。そして日食のとき……
巻末、それまで大活躍していた鏡が映したもの……良いですねえ。「ほんとうにそのとおりだった。」って、こんなにシンプルで素敵な締めくくりの文章はなかなかありません。
よく使う自動車専用道路、合流がちょっと難しい設計になっています。本線ががらがらだと問題ないし、逆に渋滞だと(東京ではチャック式と言うんでしたっけ)脇道と本線と交互に車が合流できるのですが(ときには「意地でも入れてやるもんか」と本線上で意地悪をする車もありますが……)、問題は本線が二車線ともスムーズに流れているとき。車間距離が適度に空いていればそこに進入できますが、車が適度に詰まってしかも勢いよく走っているときにはなかなか上手く進入のタイミングがつかめず結局脇道に車の列ができてしまいます。
先日もそんな状況でした。私の前に3台止まっていて本線は機嫌良く流れています。見通しは良いのでずっと後ろをながめるとしばらく車列は切れそうにありません。
そこにクラクション。「なんだ?」ときょろきょろしましたが別になにも起きていません。またクラクション。前の前の車です。なんだかいらいらとその前の車にじりじり近づいています。合点がいきました。「ぐずのろま。さっさと本線に入らないか!」と怒っているのです。怒ったって無理に突入したら事故になってかえって皆が遅くなります。今の状況では自然に空間が空くかあるいは親切な車が減速して場所を作ってくれるまで待つしかありません。大体クラクションは「危険を知らせるもの」であって呼び鈴でも怒りの表明機でもありません。目的外使用です。
やがて切れ目がやってきました。私が見るところ、一台だったら滑り込めそうです。先頭の車がすっと入りました。すると、その後ろで苛々していた車も無理矢理ついて入っていきました。割り込まれた車が急ブレーキを踏みます。幸い事故にはなりませんでしたが、あの車、自分では「前のトロイ車とは違って、自分は隙を見逃さない素早く上手な運転をしている」と自己評価しているかもしれませんが、私から見たら「他人に急ブレーキを強制しているだけのあぶない運転」です。割り込まれた車のドライバーもそう思っているんじゃないかな。
【ただいま読書中】
L・M・ボストン著、亀井俊介訳、評論社、1981年初版(85年2刷)、1200円
12世紀、イギリスの征服者がフランス語を、被征服者が英語を話していた時代、マナーの地に珍しい石造りの立派な建物が建築され始めました。その地を支配する貴族の次男ロジャーは、自分が相続するはずのこの地と館が将来どうなるか気になります。
いばらの茂みの中に忘れられていた「お石さま」を偶然発見したロジャーは、不思議な力で540年後の世界を訪問します。そこにいたのは、トービーとリネットとアレクサンダー……『グリーン・ノウの子どもたち』に幽霊として登場した子どもたちです。そこからさらに140年後の世界ではスーザンとジェイコブに出会いますが、館がひどい扱いを受けていることにロジャーは心を痛めます。そして1970年頃の世界のトーリーとオールドノウ夫人とも。館が自分の予想以上に長く建ち続け自分の子孫がそこで暮らしていることをロジャーは知りますが、同時に館が常に幸福に満ちているわけではないこともロジャーは理解します。
最後に子どもたちは全員集合してパーティーを開きます。そこにはスペシャルゲストも一人現れるのですが、それが誰かは秘密にしておきましょう。読んでのお楽しみです。
さて、これで大団円かと思いきや、最後に世界の残酷さが子どもたちの世界に侵入します。それに対してトーリーもロジャーも無力です。でも希望の灯火も……
ロジャーはきっと成長して良い領主になるでしょう。そしてロジャーがグリーン・ノウに住んだ最初の子どもで、そして良い領主になったからこそ、彼に続く子孫たちがおおむね幸せな生活をこの館で送れたのではないか、だからこそこの館が長く保存されたのではないか、と私は想像します。そして同じことがトーリーにも起きることを願います。
かつてアメリカにはWWFというプロレス団体がありました。ところが同じ略称を持つ世界自然保護基金 World Wide Fund for Nature から「同じ略称だと間違える人が多くて迷惑だから、改名しろ」という訴訟が起こされてプロレスの方が敗訴。結局今はWWEと名乗っています。
だけど、(私の記憶では)「WWF」を名乗ったのはプロレスの方が先だったはずなんですけどねえ。ああいうものは先着順じゃなかったの? それをあとからやってきて「プロレスのくせに自然保護という高尚なことをやっているこちらと同じ名前とは生意気だ。さっさと変えろ。何ぃ、変えないだとぉ。なら訴えてやる」ってのは……で、その訴えが認められるのは……私はなんだか釈然としません。大体自然保護の方は厳密には「WWF」じゃなくて「WWFN」じゃないの?
そういえば当時あるプロレスラーが言ったそうです。「パンダとレスラーを間違える奴がいるか?」
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ベルンハルト・シュリンク著、松永美穂訳、新潮社、2000年、1800円(税別)
カバーには「胸を締めつけられる残酷な愛の物語」とあります。でも、それだけではありません。敗戦国の国民として、避けては通れない微妙な話題がありますが、それは、戦争の勝ち負けを越えて、心が柔らかい人にはすべて響くはずのテーマです。
「ぼく」ミヒャエル、学生、15才。「彼女」ハンナ、市電の車掌、36才。
「ぼく」が学校の帰りに病気で気分が悪くなったときに偶然彼女が通りかかって世話をしてくれ、長く寝ついて回復してきたときにお礼を言いに彼女のアパートを訪問したことで二人は恋に落ちます。ハンナの勤務とミヒャエルのギムナジウムの都合で、逢い引きは大体夕方。ハンナはミヒャエルが勉強をちゃんとすることにこだわります。そしていつしか逢い引きの時間は、二人がベッドに入る前にまずミヒャエルがテキストをハンナに朗読することから始まるようになりました。ハンナは良い聴き手でしたが、なぜか自分では読もうとしません。感情も起伏が激しく、ちょっとしたことで突然怒り出し、感情面ではミヒャエルに対して支配的です。
そしてミヒャエルが16才になった夏休み、ハンナは突然姿を消します。ミヒャエルは心に空虚を抱え、大学の法学部に進学しますが、何ものにも心を動かされない人間であるかのように振る舞うようになります。そして戦争犯罪ゼミの課題で裁判を検討しているとき、ミヒャエルはハンナに再会します。
二人の年齢差は、セックスするカップルとしての面白さを狙って設定されたものではなくて(いや、それもあるかもしれませんが)、「戦争」体験の有無も重要と私は最初ににらみました。最初に物語の背景になっているのは、日本では「もはや戦後ではない」と宣言して復興ではなくて成長を目指していた時代です。本書の主人公は当然戦争を直接は知りません。しかしハンナは自分で「21才でジーメンスから転職して軍隊に勤務」と言っています。その「謎」は、第1部では二人の恋愛とミヒャエルの変化(成長?)によって読者からはカバーされていますが、第2部で……
無感動に、まるで強制収容所に収容された人のように世界を眺めていたミヒャエルは、「頭の中の書き割りを現実に置き換える」ために旅に出ます。愛した人を理解することは裁くことに通じるのですが、ミヒャエルはハンナを裁きたくないのです。では、どうしたいのでしょうか?
やがてミヒャエルは朗読を再開します。まず『オデュッセイア』から始めて、いくつもの作品を何年もかけてテープに入れます。ハンナのために、そして自分のために。やがてハンナからの手紙が届き始めます。筆跡は少しずつ変化し……いかん、ここで私は一度本を閉じます。少しインターバルを置かなくては、読み続けることができません。いくつものテーマ(戦争、犯罪、断罪、虐待、愛……)が浮き彫りにされからみあい、読者を一種の迷宮に誘います。
「あなただったら、どうしましたか?」ハンナの重い問いかけが響き続けます。
ハンナを「許」せる存在がいるとしたら……あまり気楽に使いたい言葉ではないのですがやはりこの場合は、「神」ではないでしょうか。ハンナ自身はもはや自分を許せないのですから。
毎回オリンピックの前には「日本はいくつメダルが取れるか」という予想が行われます。
本気で当てようと思ったら、日本選手の実力と現在の体調と予選・決勝の戦略とを知った上で、こんどはライバルとの比較を行わなきゃいけません。世界トップクラス全員の技術と体力と体調を把握して誰が勝つかの確率を計算したら、つぎにおのおのが失敗する確率計算も必要です。
そこまで真面目に考えなくても、お祭りだから景気よく適当に数を水増しして言えば良い? 私は真面目なので当てる競技はつい真剣に当てたくなるんですよ。性分です。でも、無責任でただの言いっぱなしなのだったら、そう宣言しておいてほしいなあ。選手に対するインタビューでも「これは無責任な言いっぱなしですから気にしないでくださいね。メダルを期待しています」と。それとも公開の(あるいは非公開の)場で選手にプレッシャーをかけた方が良い結果になる? でもそれはプレッシャーが糧になる人をちゃんと選んだ方が良いですよね。プレッシャーをかけるのが好きな人、ちゃんと相手を選んでます?
そうそう、もう少し経ったらプロ野球の優勝予想のシーズンです。セリーグ限定ですが、1)昨年の優勝チーム、2)読売ジャイアンツ、3)自分の出身チーム のどれかを述べるだけの怠け者の「評論家」はなんとか淘汰できないものでしょうか。10年くらい統計を取って、打率(優勝チームを当てる率)が5割以下は給料カットとか、できない? それともあれもただの無責任な言いっぱなし? それだったらそのへんの素人が酒場なんかでやってるのと同じ。それで生活ができるとは、うらやましいうらやましい。
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日本経済新聞運動部 編、日本経済新聞社、1999年、1500円(税別)
勝者に注目するのは普通ですが、敗者に注目するのは(心優しい人には)つらい作業です。人の心の傷を刺激することがありますから。
野村克也さんは「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言ったそうです。ヘミングウェイの短編集には"Winner take nothing"もあるそうで、敗者に注目することも必要だろう、ということで、1998年、バブル破裂後の回顧が始まっていた時代風潮に後押しされるように、日本経済新聞で本書のタイトルの連載が始まりました。
盛りだくさんの内容ですが、「江夏の21球」では江夏よりもマニエルを右翼で使ったことが問題だったとか、ロス五輪で瀬古が「夏のマラソン」であっけなく負けたのは夏対策をやりすぎたこと、とか興味深い指摘があります。
そうそう、オリンピックに関連して、本書には「国民が注目する人気種目、しかも個人競技で優勝候補の大本命とされ、国内に有力なライバルもなく期待を一身に担う形になった日本選手は、ほとんどのケースであっけなく敗れ去っている」という記述があります。なるほどね、と思います。本書にもいろいろ実例が挙げられていますが……「国民」ってこの場合何でしょう? 少なくとも私は選手に何か言ったことはありません。すると私は日本国民ではない?はともかく、敗因を分析するには、本人の原因だけではなく、選手の回りにいる関係者やマスコミに注目した方が良さそうです。マスコミが潰している優勝候補って、けっこう多いんじゃない?
本書にもいろいろなマスコミ人が登場しますが、オリンピックの有力選手にストーカーのようにまとわりついて「金メダルを取ります」と本人の口から言わせるまで延々延々と質問を続けるマスコミの記者とか、あるいは練習の邪魔になる取材を断ると「我々は国民の代表である。その我々を拒否するというのか」と選手を脅す記者も登場します(おや、ここにも「国民」が)。選手や関係者はマスコミ報道から何らかの利益が得られると思うからがまん(あるいは利用)するのでしょうが、度を過ぎたのは罰してやっても良いんじゃないでしょうか。たとえば、選手は顔写真と実名入りで報道されるんだから、記者の方も顔写真と実名を流す……今だったらインターネットで簡単ですね。インタビュー場面を選手も録音・録画しておいてそれをそのままアップできます。著作権とかで何か問題かな?
ボクサーの柴田国明は「勝った試合はミスもなかなか無いし、たまたま勝ったというイメージ。でも負けには全部原因がある。僕はミスの話ができるのがすごくうれしい」と述べ、実際に自分の敗戦についての講演を全国で行っています。もう一つ、ジャック・ニクラウスの「ベストを尽くしたさ。ただ、それ以上にベストを尽くした人間が、ひとりいただけである」ということばも深いものです。敗戦を前向きに受け止め、そこから立ち直る勇気を持っている人が存在する、それは他の人にも勇気を与えます。
敗戦から教訓を汲む優れた敗者もいますが、汚辱に満ちた負け犬もいます。「王貞治の55号」(ホームランの日本記録)を越えそうになった阪神タイガースのランディ・バースは54号まで行ったところで最後の二試合が当の王が率いる読売ジャイアンツでした。バースと勝負したのは最初の試合に先発した江川だけ。江川をリリーフした投手と二試合目の投手はホームランを打たれないために全員ストライクを一球も投げずにみっともなく逃げ回りました。まったく情けない負け犬です。でもこの場合「負け犬」はジャイアンツの投手だけではありません。それを許す(させる)球団、許すファン、きちんと批判しないクズスポーツマスゴミ、すべて負け犬でしょう。
と訴える人にときどき出会います。「誰も」と言う以上その話を聞かされる おかだ もその一員なんですよね。はい、私にもあなたのことはわかりません。生まれてからずっと一緒に過ごしているわけではないしテレパシーもありませんので。つまり、情報の入力は不十分ですし、情報の処理は不完全です。さらにいうと、情報提供自体も不十分なんじゃないです?
だけど、それが普通なんじゃないです? それとも人間には他人のことを本当にわかることができるのでしょうか? たとえば「誰も私のことをわかってくれない」と主張している人、あなたは誰のことを本当にすべてわかっています?
人間は他人のことがわからない、人は孤独な存在、でもだからこそ社会で一緒に暮らす意味と価値があるんじゃないかなあ。
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ローズマリ・サトクリフ著、猪熊葉子訳、岩波書店、1994年、2330円(税別)
イギリスでカロウシウスがブリテン皇帝として支配権をほぼ確立した時代、ジャスティンという若い軍医がユダヤからイギリスに転属します。そこで出会った百人隊長フラビウスはイルカの紋章のついた指輪を持っており、ジャスティンといとこであることがわかります。二人は親友となります。狩りに出かけた二人はカロウシウスに対するローマ人の裏切り者と異民族とが組んだ陰謀を知りますが、陰謀暴露は失敗、二人は北方の砦にとばされます。しかしそこでもまた皇帝に対する別の陰謀を知り、命をかけた直訴の旅に出かけるのですが、その途中でカロウシウスが殺されたことを知ります。二人はローマへの脱出を計画しますが、その途中失われたはずの「第九軍団のワシ」を発見し、またもや計画変更。さて、二人とブリテンとローマの運命は……
今作では『
第九軍団のワシ 』で感じた重厚さはずいぶん軽くなりました。わりと素直で読みやすい冒険時代小説です。だからといって、レベルが下がっているわけではありませんけれど。さて、次は三部作の最後です。しかし、良い作家に出会えて幸せだなあ、と思っていたら、あとがきに作者の急死の話が……やめてくれえ。
日本ではこの漢字は「愛する」と使うよりも「愛でる」と使う方が文化の雰囲気にしっくりきていたんじゃないか、と私は思っています。西欧的な「愛」(の中でも対人関係の愛)が成立するためには「独立した個人」が存在することが前提でしょうが、日本では「個人」という概念は最近までなかったはずですから。(今でもあるのかどうかは疑問ですが)
そういえば「愛娘」とは言うけれど「愛息子」とは言わないのは、やっぱり男女差別?
(「愛息」は他人の息子に関してのことばですから「愛娘」と非対称です)
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ローズマリ・サトクリフ著、猪熊葉子訳、岩波書店、1969年初版(87年10刷)、1900円
『銀の枝』から150年、北方からピクト人が、海岸には「海のオオカミ」(サクソン人)が侵入を繰り返すブリテンには、ローマ地方軍団だけが残されています。軍団では、ブリトン人はローマ化し、ローマ人はブリトン化していました。ブリテン王ボーティガンは「毒をもって毒を制す」ためにサクソン人を北方に定着させてピクト人からの防衛をさせ、ローマ軍団は海岸防備に集中することにしますが、ブリテンを包囲して繰り返される蛮族の侵入によってブリテンから文明のともしびが消えようとしていました。
「あの」農場に休暇で帰ってきていたアクイラは、急に砦に呼び戻されます。ローマを守るために地方軍団に属州からの撤退命令が出たのです。アクイラは、ローマへの忠誠心とブリテンへの忠誠心との間で心が引き裂かれます。とうとうアクイラは軍隊を脱走しますが、サクソン人に捕まえられ奴隷となります。そこで心に大きな傷を負ったアクイラはなんとか脱走し、ブリテンを守ろうとするアンブロシウスの軍に身を投じます。
アクイラの引き裂かれた忠誠心、および彼と家族との関係は読んでいてつらくなります。しかし、はじまりのところで妹と賭けた「赤いスリッパ」が一体どうなるのかと思っていたら、まさかこんな展開になるとは……いや、ネタを割るのはやめておきましょう。未読の人は素直に読んで涙してください。
異民族が接触・衝突し、そして混じり合う。その歴史のプロセスをこんなに身近に感じられるように生き生きと描く著者の力量には、もう敬服するしかありません。アクイラだけではなくてその家族や「敵」でさえ、彼らの心理などを特に精密に描写しているわけではないのに「わかる」気がするのです。辛さも悲しさも、そしてかすかな喜びも。
そうそう、本書には「クマの子アルトス」が登場します。別の本での主人公ですが、ここではしっかり少年〜若者をやっています。彼がこの次の時代で……これもネタを割るのはやめておきましょう。
腰痛バンドをするようになってから一週間、鎮痛剤は飲まずにすんでます。湿布も皮膚がかぶれるようになってきたので一時中止。鎮痛剤入りクリームを朝晩マッサージを兼ねて塗り込んでいます。激しい痛みはないのですが、うっかり体を捻ったり変な恰好をするとぐきっと制限がかかります。それが大抵右手で何かしようとしているときなので連鎖反応で右の五十肩にもぐきりと。さらに花粉症がもやもやと鼻と喉のあたりを漂っているので、三十秒、もとい、三重病。
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今井博著、岩波書店、1985年(89年9刷)、476円(税別)
毎日新聞特派員だった著者が1978年冬にモスクワに到着した日から本書は始まります。はじめの章が「二千日のはじまり」とありますが、「モスクワの二千日か、北京の五十五日より長いな」と思ったのは我ながら連想の方向がずれています。
当時のソ連は、ブレジネフ書記長、コスイギン首相、グロムイコ外相の時代です。それ以前より自由化が進んでいたとはいえ、まだまだ外国人には不便な国でした。たとえばモスクワ市で外国人が自由に動けるのは大環状線の内側だけ、モスクワ州では8本の幹線道路と開放都市(30以下)だけ。モスクワ州外ではもっと移動制限がきつくて、さらに移動するには48時間以上前に届け出が必要。「モスクワから国内の他地域に行くより、国外に行く方が簡単」と言われていました。
で、「移動が楽」な東欧に行って「全く違う社会主義」に著者は出会います。当時私は「東欧はソ連の衛星国」という紋切り型のイメージを持っていましたが、著者は「東欧はソ連よりヨーロッパだった。東欧にソ連の戦車で社会主義が導入される前に、ロシアより進んだ資本主義や民主主義を経験していた」からソ連とはちがう社会主義になるのは当たり前、と述べます。カソリック教の国ポーランド、ソ連に対する反発を完全には隠そうとしないルーマニアなど、著者が見た東欧の内情はばらばらです。
ばらばらなのはソ連内部も同じです。公式にはスターリン批判が行われていても、スターリンが生まれたグルジア共和国ゴリでは「地元の英雄」スターリン生誕祭が盛大に行われていました。それに対してモスクワの住人は反発を隠しません。
1979年アフガニスタン侵攻では文字通り「灯台下暗し」。ソ連当局からはごくわずかの公式発表だけで、モスクワの特派員はアフガニスタン関連のソ連情報を他国から仕入れなければなりません。著者は苛つきますが、実はソ連国民もほぼ同じ状況であることにも気づきます。ただ、ソ連当局の「本音」は、講演会で示されることが多いのです。著者はそれに気づいて、外国人に対する冷たい目に耐えながら取材をします。
1980年ポーランドの「連帯」が全国的な運動となり、著者は取材にとびます……が、ポーランドのビザが全然取れません。政府がソ連に遠慮して発給制限をかけているのか、とあちこち聞いて訪れたブダペストであっさりビザが下ります。ポーランド政府は、ソ連に遠慮すると同時に自国の開放度を外国にアピールしたいのだ、と著者は想像します。
1981年ワルシャワに戒厳令が敷かれたとき、著者はちょうどワルシャワに滞在中。ところが外に情報が流せません。やっと西側通信社のテレックスが空いた時間を借りて第一報を日本に流すことができましたが翌日にはもう線は切られていました。デモを取材に行った著者は、国歌と賛美歌を歌いながら機動隊と渡り合う若者たちの姿に感銘を受けます。
街に掲示された政治指導者の肖像画からキリレンコ氏の姿が消えている、とロイター通信が報じます。著者は現物を確認してキリレンコ氏の失脚を確信しますが、実はそれはブレジネフ書記長死亡の数日前のことでした。ブレジネフ氏の死去がもう少し早ければキリレンコ氏にも後継者争いの目があったはずで、内部で一体何があったのか推測(憶測?)が飛び交います。さらに葬儀委員長にはブレジネフ側近ナンバー1のチェルネンコ氏ではなくてアンドロポフ氏が就任したことから、こんどは後継者争いについても噂が飛び交います。
そういえばソ連政府内の序列が公表されないため、赤の広場での軍事パレードのときにバルコニーに並んだ閣僚の順番でいろいろ推測する「ゲーム」がかつて行われていましたっけ。あれ、ソ連の側もわかっていて、わざと微妙に並び方を変えたりしていたんじゃないか、と思うんですけど、違うのかな?
本書は「スターリンを知らない世代」であるゴルバチョフが登場したところで終わります。著者は時代とソ連が変革を迎える予感を書いていますが、たしかにその通りでしたね。
氷上のおはじきですが、なんだか面白いスポーツです。淡々と静かにゲームは進むのになぜか妙に興奮します。長野五輪で初めて見て「けったいなスポーツだなあ」と興味は持ちましたが、今回もしかして私はファンになったかもしれません。
スポーツはどんなものでも頭脳と肉体のバランスが重要ですが(脳味噌まで筋肉になっている人間は想定外の状況では力が発揮できず惨敗します)、カーリングではその「頭脳」面がきわめてわかりやすく表に出てきているように私には見えます。もちろん肉体も重要で、いかに綿密な作戦を立ててもその通りストーンを投げられなければいけないわけで(下手すると40メートル向こうの1センチメートルが問題になります)、チェスよりは肉体面が重要です。あ、チェスも立派なスポーツです。国際チェス連盟FIDEはIOCとUNESCOから国際スポーツ組織として承認を受けているそうです。
ストーンの初期配置からそのエンドで点を取るか取らないか、取るなら何点かの戦術を立てますが、状況は誰にも丸見えなんですよね。その点は、チェス・囲碁・将棋などと共通。先攻の方が不利ですが、そのかわりそのエンドの流れ(高得点ゲームにするか、一点ゲームにするか)を決めることができます(ストーンの配置に失敗しなければ)。そしてエンドを繰り返し、最終エンドでいかに上手い状況で後攻を取るかの戦略も必要です。いやあ、先の先を考えつつ今に集中する。まったく面白いゲームを考えた人がいるものです。ちょっとやってみたくなりました。
新素材を使えば氷が無くてもカーリングもどきはできるでしょうが、ただ、「お掃除」の面白さはなくなりますね。残念。
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杉沢秀博・西三郎・山崎親雄 編、日本評論社、2005年、3500円(税別)
人工透析者は、1990年に約10万人(平均年齢54.5歳)、それが2003年には23万人以上(平均年齢62.8歳)となっています。数の増加と高齢化の原因は、糖尿病などの患者数の増加と技術の進歩(患者が早く死ななくなった)でしょう。
本書では「透析患者」と「透析者」を使い分けています。患者というと病気や医療機関と関連した文脈で扱われますが、彼らには医療機関で過ごす以外の時間の方が長いのですから、本書でそちらを扱う場合は「透析者」なのだそうです。
透析者の生活はストレスフルです。週に2〜3回、一回3〜4時間機械につながれなければ生きていけません。さらに透析の合間には水分制限や栄養制限を守らなければなりません。旅行するにも行き先に透析機関があるかどうかが問題となります。そして将来の展望は……ありません。(腎移植をすれば透析からは解放されますが、透析者の中で「移植を希望しない」人の割合は「増加」してきています)
就業もシビアです。全年齢で非透析者より明らかに就業率が下回っています。「障害者の雇用促進等に関する法律」によって企業がある一定以上の障害者を雇用しないと国への納付金が生じますが、企業から見ると金を払っても障害者を雇わない方が得、という勘定が成立しているようです。体力面で問題があり、週に何回かは早引けをする、あるいは夜間透析をする場合には残業ができない、出張も日程や行き先によって制限がある、というのはたしかにこき使いにくい人材ではありますが、普通にだったら使えるわけで、さて、なんとかならないものか、と思います。
「患者」が持っているのは「病気」だけではなくて、「人格」も「くらし」も持っていることを忘れている人が多いのですが、彼らが銭を稼ぐことは、社会に貢献するだけではなくて本人や家族の満足度も上げていることを忘れてはいけないはずです。
ターミナル(終末期)の話題もシビアです。本書ではインフォームド・コンセントに基づいて自己決定を、ときれいに書かれていますが、では自己決定ができない人の透析中止の決定を誰がどう下すか、これはきつい話です。
たとえば重度痴呆で寝たきり状態の人に延々と透析を続けますか? 「透析中止は死の宣告なのだから、とんでもない!」 なるほど、人権問題ですよね。ではその人が透析中にわあわあ騒いで針を抜く人だったらどうしましょう。やっぱり手を縛らないといけませんよね? 「人を縛るとはとんでもない。人権問題だ!」 あららら、この場合透析をやめてもやっても人権問題です。(ちなみに紐で縛らずに手で押さえつけたり鎮静剤を使うのも、手で縛るあるいは薬で縛ることなので紐で縛るのと同質です)
医療の社会資源は有限です。それでなくても「医療費がかかりすぎている」と騒ぐ声でこの社会は満ちています。では「社会の役に立たない人間」の透析はやめちゃいますか? それともそういった「選別」は優性思想の再来だから、とにかく全員の透析を無制限に続けますか? その場合、あなたは無制限に経済的な負担(健康保険や税金の支払い)をする覚悟がありますか? 透析者のために何か貢献をする用意がありますか?
きっちり問題に向き合ってなんらかの結論を持ったら、そのことに対して責任が生じます。それがイヤだから多くの人は知らんぷりを続けているのでしょうが、明日は我が身、自分と家族のことについてくらいはあらかじめ考えておいた方が良いように私は思います。
そうそう、本書では自ら「比較の視点が弱い」(17ページ)と述べていますが、たしかにたとえば高齢透析者について研究するなら、対照として、健康な高齢者・(透析以外の)病気持ちの高齢者・若年透析者との比較研究が最低必要でしょう。しかし日本では「高齢者」に関してでも、みなが納得する定義がありましたっけ?
昔(二十数年前)よりパソコンのマニュアルはずいぶんわかりやすく(ついでに分厚く)なったように思います。でも、まるっきりのど素人がそれ一冊読めばばりばり使えるようになるか(そもそもマニュアルを読む気になるか)といったら、やはり無理みたいなのは以前と同じ。どうしてパソコンのマニュアルってあんなに難しいんでしょう? 私の推量では「専門家が書くから」が結論です。いや、もちろん専門家でないと書けません。素人にマニュアルが書けるわけはないのですから。ところが、素人が何をわかっていないかどこを間違えるか専門家の言葉のどれを理解できないかどれをどう誤解するか、を専門家がわかっていないことが問題なのです。しかし素人は自分が何をわかっていないかもわかっていない。これでまともなコミュニケーション(本を介しての情報のやり取り)が成立するわけがありません。わかっていない者同士なのですから。(専門家はかつては素人だったはずですが、一度「パラダイム」を獲得するとそれ以前のことを忘れてしまうんですよねえ)
だったら専門家と素人が直接あるいはコーディネーターを介してコミュニケーションしながらマニュアル作りをしないと、結局紙の無駄遣いが続くだけじゃないのかなあ。
【ただいま読書中】
山田真哉著、光文社(光文社新書191)、2005年、700円(税別)
著者は、あまりにわかりにくい会計学の入門書を、日常の疑問からはじめ・専門用語を極力使わず・読んだら生活に役立つように、という縛りをかけて書いてみることにしました。私は会計には素人で、資金のショートとかキャッシュ・フローくらいのことばはわかりますが、資産がどうのこうのと言われた瞬間お手上げになりますのでちょっと期待して読み始めました。まあ会計について詳しくなれなくても「さおだけ屋がなぜ潰れないのか」の疑問が解消されるだけでも読んだ甲斐があるだろう、と自分に言い聞かせます。その知識一つに七百円(+税)の価値(コスト・パフォーマンス)があるかどうかはわかりませんけれど。
第一章でさっそくさおだけ屋の登場です。ここでのキーワードは「ゴーイング・コンサーン」(企業が存続し続けること)。そして「利益を増やすには、売り上げを増やすか経費を減らすか、のどちらかしかない」。なんか、あったりまえのことですけど、「真実」は実は基本に宿るんですね。
第二章は、ベッドタウンにあってちっとも流行っていない高級フランス料理店がなぜ潰れないのか、の謎です。こちらでは、連結決算とローリスク・ハイリターンについて述べられます。
客はほとんど入っていない在庫でいっぱいの自然食品店がなぜ潰れないのか、では、在庫の意味や手形の説明、そして会計版「捨てる技術」が述べられます。
そして「数字のセンス」。たとえば「お買い上げ五十人に一人は購入額全額をキャッシュ・バック」というキャンペーン広告は広告主の立場から「(たった)2%の値引き」と読み替えろ、とか。このセンスを養うのに大きな役割を果たした著者の「師匠」は学習塾の経営者だったそうですが、「塾の経営に成功するためにいちばん大事な要素は?」と著者が尋ねたらその人は「生徒の安全」と答えたそうです。これが「良いセンス」なんですね。
会計って、人間でいうなら健康診断みたいなものか、と思いました。紙を広げたらいろんな数字が並んでいて見たらうんざりしますが、それぞれに意味があり、さらに重要度にも差がありますから、それをうまく判断材料にして人間(企業)がどんな状態かを判断し将来を予測する。なるほど、なんだか会計が少し身近になったような気がします。
県立図書館が十日くらいのお休み中です。困ります。休みに入る前日に制限一杯借りてはありますが、もうすぐ読み切ってしまいます。もちろん市内に図書館は別にもあります。私が普段使うのは隣の区の区立図書館ですが(自分の区のより近いのです)、予備として別の区の図書館もさらに三つ利用可能です。でもやっぱり一番本の並びが自分にしっくり来る図書館が使えないのは痛い痛い。普段は十日〜二週間ごとに県立と区立の二つの図書館をはしごするのが私のルーチンなのですが、そのリズムが狂うのもイヤンな気持ちです。
そういえば先日、区立図書館のカウンターで「どうして区立図書館の休みは、図書館によって違うんだ」と職員に文句をだらだら言っている人がいました。定期休館日や月末の整理日は共通ですが、長期休館の日程が区によってずれることを言っているのでしょうが、でも何が問題なんでしょう? ずれてくれた方がどこかが空いているから本当に本を読みたい人は助かります。利用券は市内は共通でどこでも借りられどこでも返せるのですから。さらに、カウンターで文句を言っても何も解決しません。本当に「改善」の提案をしたいのでしたら、市に言わなくちゃ。市役所に投書するなり、以前市の広報でやってた「図書館に対する提言募集」に応募するなり、末端ではなくてシステムを変更する権限を持っていそうな人の耳に自分の意見を吹き込まなければなりません。ともかく、さっさとどいてよね。本を借りる手続きができないじゃないの。
【ただいま読書中】
ベルンハルト・シュリンク&ヴァルター・ポップ著、岩淵達治 他 訳、小学館、2002年、1900円(税別)
1995年の『朗読者』が世界的ベストセラーとなったベルンハルト・シュリンクが、1987年に共著で発表したのが本書です。この時点で著者は二人とも法律家です。有能な人間って、他の分野でも有能(なことがある)の?
68歳の私立探偵ゼルプは、高校以来の親友コルテン(大企業ライン化工の会長)から社内のコンピュータシステムをハッキングした犯人捜しを依頼されます。コンピュータシステムについては専門家に任せ、ゼルプは勘と尾行という古典的な手法で犯人を追いつめます。最後の決め手は、なぜかテニスの勝負。
みごと犯人を突き止めギリシアで長いバカンスを過ごして帰宅したゼルプを迎えたのは、その犯人が「事故」で死亡した、という知らせでした。その謎を解こうとするゼルプは、ライン化工が戦争中にユダヤ人強制労働をさせていたというドイツ国民としては思い出したくない過去、および、封じていたはずの戦争中ナチスの検事だった自分の過去と向き合うことになります。戦争中ゼルプが検事として予備調査を担当していた事件の一つは、ライン化工における国家反逆罪で、被告の一人は死刑(一人は逃亡)となっていました。しかしその事件は、実は証人のユダヤ人を脅迫して偽証させたでっちあげだったのです。それを知ったゼルプはその事件の奥の闇に迫ろうとします。
……ドイツにも「一億総懺悔」と表現したい感情があるとは思っていましたが、やはりドイツ人にはそういった複雑でネガティブな感情があるようです。自分は「無罪」ではない・でも自分は「主犯」ではない・責任は取りたい・取らなければいけないと思う・でも自分が破滅するような責任は取りたくない……とりあえずナチスを戦犯としてすべての責任を押しつけて「解決」と(表面上は)していますが、でもそれで一般国民が全部納得しているかというとそうではないわけなのでしょう。
日本でも同様でしょう。いや、「ナチス」がいない分話がややこしい。「誰が悪いのか」と言ったらA級戦犯しか出てこないのですから。
解説では、ゼルプ(や『朗読者』のミヒャエル)の「責任の取り方」がお気に召さないようですが、さて、たとえば私が同じ状況に身を置いたら、「世間全部を敵に回」したりあるいは責任を取るために彼ら以上の身の処し方ができるだろうか、と考えてしまいます(いや、本書でのゼルプの行動を無条件に支持するわけではありませんが)。
私にちゃんと行動できるだけの勇気の在庫があるだろうか? 今ないものはいざというときには使えませんからねえ。
日本は「二十世紀でもっとも成功した社会主義国家」ですが、二十一世紀の今でも医療には強い国家統制が行われています。健康保険では全国一律で銭単位の薬の値段や診療の値段が定められています。
で、自分で値段を決めておいて「医療費がかかりすぎている」から下げなきゃいけない、と国が言っています(年金と同じく、かつてはものすごい黒字が出ていたのに、その黒字は一体誰がどこへ無駄遣いしてすっからかんにしたのか、というのはここでは置いておきます)。この春にもまた医療費の値下げが行われますが……私は首を傾げてしまいました。医療費を決める議論の中で「病院から診療所へ患者を誘導するために、病院の初診料を下げよう」と言っていた人がいたのです。たしかに風邪や小さな切り傷程度で大病院を受けるのは無駄と言って良いでしょう。大病院より診療所を活用した方が「3時間待って3分診療」は解消されるし、大規模な検査も病院よりは診療所の方が少ないでしょうから、医療費はおそらく下がるでしょう。でも初診料を下げたら病院の患者数が減るの? 消費者として考えたら内容が同じなら「安い方に行く」のが当然の行動です。病院の初診料を下げる、は厚生労働省のタテマエ「病院から診療所へ」に反した結果をもたらすだけじゃないかな。
結局「診療所の初診料はダウン、病院の初診料はアップで同額に」という結論に今年はなったようですが、まったくお国は何を考えているんでしょう?
薬価についても、厳しい国家統制が敷かれています。なんだか、天下りの多い企業の薬は高めの値段設定だなあ、という印象を私は持っていますがそれはともかく……薬は先発品とジェネリックとで薬価に差がつけられています。先発品は高くジェネリックは安くなっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%99%BA%E5%8C%BB%E8%96%AC%E5%93%81
http://www.okusuri110.com/yaka/about_yaka.html
ですから医療費削減のために「先発品からジェネリックへの誘導」が行われるわけですが、なんでそんなややこしいことをする必要があるんでしょう? 高いものと安いものがあったら、まったく同じならふつうは安い方が選択されるでしょうが、この場合にはまったく同じではないから安い方がなかなか選択されないわけ(「まったく同じ」は試験管の中だけの話です)。だったら、値段をまったく同じにして、その上でどれを選択するか自由にすれば(国家統制から放せば)いいじゃないですか。値段が下がれば先発品メーカーの利益が減る? でもジェネリックが出たら売り上げが食われるんですよ。長い目で見たら同じじゃない?
それとも国家統制をやめたくない? なるほど。国家統制をやめたくない本音の理由は何?
【ただいま読書中】
『
世界の合言葉は森 』原題 THE WORD FOR WORLD IS FOREST / THE EYE OF THE HERON
アーシュラ・K・ル・グィン著、小尾芙佐・小池美佐子 訳、早川書房(ハヤカワ文庫SF869)、1990年、524円(税別)
ヒューゴー賞を受賞した『世界の合言葉は森』ともう一つ中編『アオサギの眼』が収められています。
木材資源を失ってしまった地球で「金よりも貴重」となった木材を輸出するために森と大洋の惑星ニュー・タヒチでは乱開発が行われていました。現住種族アスシー人は住んでいた森を追われ奴隷として地球人に使われていました。アスシー人は身長1メートルくらい、全身が緑色の毛に覆われていて動作は鈍く日中は白昼夢を見ていて、地球人から見たら「対等の相手」には見えなかったのです。
しかし、地球流の弱い相手を虐待し搾取する手法を、本来平和的種族だったアスシー人が学んだとき、暴力による衝突が起きます。「弱い」から自分に反撃できず安心して殴れるはずの対象から反撃された地球人は驚き「自分を守る」ために相手に対する暴力をますます拡大させます。妻を強姦され殺されたアスシー人のセルバーは、最初に地球人に対して暴力をふるい、そして「神(=通訳)」となり地球人の基地に対する襲撃の指揮を執るようになります。
いやあ、『世界の合言葉は森』での「マッチョな地球人」vs.「文化的(異文化的)な異星人」の構図を見ていると、たとえば「セクハラを無自覚無反省に繰り返す奴」を思い出してしまいます。もしかして、セクハラは文化構造の産物?(違います) 本書ではフェミニズムの臭いはそれほど強くありませんから「フェミニズム大嫌い人間」でもたぶん安心して読むことができるでしょう。
日本中大騒ぎですね。もちろんめでたいことでケチをつける気はありませんが……ありませんが……私のあまのじゃくの血が騒ぎます(別に騒がなくてもいいのにね)。
ネット上のあちこちでも書かれていますが、オリンピック前に彼女はそんなに注目されてましたっけ? なんか、別の選手の話題の方がよほど多かったような記憶があるのですが、金メダリストに群がっている人たち、オリンピック前からずっとそこにいました?
日本女性もスタイルが良くなりました。欧米人に混じって遜色ない体格とプロポーションです。ちょっと前の選手は……いえ、何でもありません。衣装も以前の素っ気ないものと比べたらほとんど舞台衣装のように見えます。お金がかかっているんでしょうねえ。化粧も舞台の化粧です。そういえば「『スポーツ選手』が装身具を身につけている。化粧をしている」でびっくりしたのはどのオリンピックだったかなあ。
そうそう、特集で見たTV、演技中アップで追うのはやめてくれ〜。アップにするのならせめて常に画面中央に彼女の顔を置いてくれ。やたらと揺れるから酔いそうです。それに複雑なステップをやってるときに足じゃなくて顔のアップを映すことにどんな意味があると思ってやってるんだろう。
トリノオリンピックで印象に残ったのは……フィギュアの中国ペア、男子アルペン回転での日本人二人入賞(陸上の高野がファイナリストに残ったときも強い印象が残りましたが、今回は個人ではなくて複数ですから、この先が本当に楽しみです)、カーリング……あれ、金がない。
【ただいま読書中】
千住博・野地秩嘉 著、光文社(光文社新書225)、2005年、700円(税別)
「芸術とはコミュニケーションだ」と著者の一人は述べます。「絵から50センチのところに立とう。その絵を描いた画家もその距離に立っていたはず。そこで画家の身になって想像してみよう」とも。もし自分が画家だったら、この絵のどこから描き始めるか、この線はどう引くか、などを想像したら、絵の鑑賞(画面を「読む」過程)が楽しめるはず、と言うのです。
読者はまずメトロポリタン美術館に案内されます。そこで注目するのは、壁と照明。良い美術館はそこから違うのです。
ゴッホの絵を見ます。著者は「絵の具」と「塗り」と「大きさ」にまず注目します。詳しくは本書を読んでいただくとして、たとえばゴッホの絵に大作がないのは、彼が実際にその場で絵を描いたから(アトリエにこもって想像力で描くことができなかったから)キャンバスがすべて手で運べる大きさでなければならなかったからだ、と言うのです。また、ゴッホはよく「狂気の画家」と言われますが、使用している絵の具の品質・色の選択などからきわめて正常な判断力を持っている、というのが著者の結論です。また、ゴッホはミレーを尊敬し模写をいくつも残していますがそれを比較すると、ミレーは多神教的・ゴッホは一神教的であることが読み取れるのだそうです。
そう、お偉い美術評論家のご託宣に基づく教養主義ではなくて、実際に絵の前に行って「画面を読む」ことを著者は読者に勧めます。答は作品の中にある、と。もちろん読み取るには力と知識が必要ですが、たとえばそのための一つの手段として「人物画の耳」を見ることが勧められています。なぜ耳? いや、なかなか説得力のある理由が挙げられていますよ。
つぎに案内されるのは、MoMA。現代アートは難解ですが、たとえば日本の伝統である「見立て」を使うと理解しやすい言われると「そうだな」と思ってしまいます。また、ジャコメッティの「細長い彫刻」は、その周囲にどのくらいの空間を意識できるか想像してみよう、と「魚の骨」が例に挙げられます。たしかにこれだとわかりやすい。
著者が挙げる手法や例は、別に「正解」ではありません。画家がそれまでの全人生をぶつけた作品を、見る者がやはり自分の人生で受け止める、それが著者の言う美術の鑑賞のようです。ということは、鑑賞のしかたは各人それぞれ全部違うはず。評論家の言うことをそのまま受け入れる必要はありません。ただ、手がかりがないと素人は途方に暮れます。そのためには本書で挙げられている数々のヒントを活かして、美術館でまず「楽しむ」こと、それが重要なのでしょう。
そういえば正月休みに暇があったので次男を連れて現代美術館に行ったら、小学生がきゃあきゃあ言って楽しめる作品がありました。べつに小難しい理屈を言わなくても、とりあえずあれで良いんだよね。こんどは市立美術館に連れて行って印象派の作品を見せてみるかな。
「十九世紀型の戦争」は、要するに「トロフィー獲得」が目的です。賠償金・領土の割譲や租借・港の開港・通行権などを勝者が敗者に要求し獲得することで1ラウンドが終了します。
二十世紀になるくらいから事情が変わります。国と国のつながり(同盟とか連合国)が重要になってきていたのです。そこにはそれまでの単純な「トロフィー」はありません。たとえば三国干渉やポーツマス条約で賠償金がなかったことなどがその先駆例と言えるでしょう。一国と一国の戦争ではトロフィーのやり取りが成立しますが、国が集団になったらことはそれほど簡単ではありません。「敵」が損をするのはけっこうなことですが「味方」が得をしすぎて将来敵になったら困るのです。第一次世界大戦ではまだ十九世紀の尻尾を引きずっていて賠償金が発生しましたが、第二次世界大戦の終戦処理では領土を寄こせとか賠償金の話は二の次とされました。
二十世紀末にまた事情は変わっているようですが、ともかく単純な「領土を寄こせ」戦争は成立しづらくなっています(クェートに攻め込んだイラクがどんな目にあったかを思いましょう)。湾岸戦争やイラク戦争での多国籍軍は、大坂の陣で諸大名がこぞって徳川方として参戦したことを思い起こさせますが、要するに国と国との関係と「将軍」への忠誠心が問われる世界です。
となると、二十一世紀型の戦争は、「テロとの戦い」が中心になると同時に「内戦」が重要になるはずです。他の国々に口出しされないようなしょうもない理由での内戦だったら堂々と遂行可能です。ということは、正面きっての宣戦布告ではなくて、「敵」の国を内戦状態に持ち込む軍略がこれからは重要視されるのかもしれません。
【ただいま読書中】
清水美和著、講談社、2005年、1700円(税別)
日露戦争のポーツマス条約で賠償金も領土も取れず、それどころか全部を占領していた樺太も北半分はロシアに返還することになったため、「勝ったのになぜ譲らなきゃいけないんだ」と不満に思ったマスコミと国民が大騒ぎを演じ日比谷焼き討ち事件まで起きました。実際には日本にはもうそれ以上戦う余力は無かったのですが。ポーツマスでは、交渉の最中に新聞記者に向かって「日本は領土割譲や賠償金を求めるべきではない」と流暢な英語で主張する日本人(ダートマス大学の講師)が日本マスコミによって国益を損なう売国奴扱いされます。その日本人が本書の主人公、朝河貫一です。
ポーツマス条約は、講和の舞台となったアメリカが対外政策で掲げる「門戸開放・機会均等」「領土保全」という理想を文章化したものでした。
朝河寛一は1904年の『日露衝突』という外交論の本で日露戦争の予言とその分析を行いさらにその講和条件として賠償金や領土割譲を「しない」ことを提言しました。日露戦争の最中にすでに講和の条件がイェール大学の学者二人によって検討されていますが、その一人は『日露衝突』に序文を書いた東洋史のウィリアムス助教授でした。その案はセオドア・ルーズベルト大統領と日本政府に伝えられ、ほぼそのまま採用されています。
では朝河はなぜ賠償金や領土割譲を否定したのでしょうか。それには彼の生い立ちが深く関わっています。
戊辰戦争で二本松藩は奥羽越列藩同盟の雄藩として政府軍と戦いました。会津藩の白虎隊のような少年兵もつぎ込みましたが結果は無惨な敗戦。その数年後藩士の子として生まれた貫一は、「敗戦国の人間」であり、かつサムライとして育てられました。彼にとって武士道とは「犠牲の精神」であり、やはり犠牲を尊ぶキリスト教に共感を覚え洗礼を受けます(明治初期にはそんな武士が多かったそうです)。そしてその縁でアメリカのダートマス大学に留学。学年でたった一人の日本人として、日本や日本人に対する無知や差別を実感しながら「日本の真の姿を知らしめたい」と朝河は頑張ります。そこで彼は「人種差別をされたからと言って、ただ反発して戦うのは、いわば相手の土俵で戦っているだけ。もっと大きな視野で考えなければ」と考えるようになります。日露の対立も「白人対黄色人種」ではなくて「古い勢力(ロシア)vs.新しい勢力(日本)」で考えようとしたのです。それはつまり、古いナショナリズムからの脱却でした。
日露戦争後の1909年、朝河は『日本之禍機』を著し、そこで「日本が清国・米国と争えば日本国運の危機となる」と述べます。数十年後を見通した「予言」でした。しかし「勝った勝った」の日本人は朝河の言葉と存在を黙殺します。朝河はのちにイェール大学の教授となり、近代日本の萌芽は江戸時代にあることを指摘して日本史が世界史の一部として扱えることを示しますが、これも日本ではほとんど黙殺されました。
少年兵も犠牲にした敗戦国……会津藩や二本松藩は第二次世界大戦後の日本に重なります。本来は国の未来を託すべき世代を殺し、敗戦後は勝者のシステムの中で生きざるを得ないわけで、いろんなものを引きずっていくことになります。その環境に人はどのように適応するのでしょう。
そうそう、熱狂している人にとって、熱も狂も共有せずに冷静に問題点を指摘する人は目障りです。でも、一体どちらが「愛国者」なのかな?
公立病院の赤字はよく問題視されます。もちろん放漫経営だったら税金の無駄遣いですから大問題ですが、単純に「公立病院の赤字」はそれだけで許されない問題です? たとえば民間医療機関がない地域に公立の医療機関を設置する、これは反社会的な行為でしょうか。あるいは、民間ではできない高度で先進的な医療を行う。これは困ったことですか? まあ、困ったことですよね。今例に挙げた二つとも、とても黒字になることは期待できませんから。じゃあ、やめます?
ところで、公立病院の赤字はよく問題視されますが、公立の施設で「黒字」のところはどのくらいあるのでしょうか? 支出(建物建築費や維持費、人件費など)と見合った現金収入があるところはどのくらいなのかなあ。すべての公立施設で赤字が許されないのなら、公民館や図書館で入場料を取ることになる? 国道や県道の関所を設けて管理事務所に関銭をおさめてそれで道路の補修と人件費を出す? いや、それは税金でやるんですよね。だけど公立病院に税金を出すのは許せない……その差はなんでしょう。
そうそう、現金の収支だけ見たら、税務署は「収入」の方が多いですね。黒字であることを讃えて表彰しましょうか。
……税務署と言えば、確定申告をまだしてなかったのを思い出しました。書類を確認して計算を始めなきゃ。還付申告だから気は楽なんですけどね。
【ただいま読書中】
神山典士著、講談社、2005年、1800円(税別)
「日本に西洋料理が本当に根づいたのは、大坂万博が契機ではないか」著者はこの仮説を証明しようと有名シェフを尋ね歩きます。そこで彼らのうちの多くの人がサリー・ワイルという料理人の世話になっていることを知ります。しかし彼についての資料はほとんど残されていません。そこで著者は八十年前のことから掘り起こそうと動き始めます。
1927年(昭和2年)横浜にホテルニューグランドが開業しました。関東大震災で東京市よりもひどい打撃を受けた横浜の復興のシンボルでした。フランス料理部門の料理長はフランスから招聘された30歳のスイス人サリー・ワイル。彼の出す料理は「本物」で横浜の外国人たちにも好評でした。さらに彼は、コース一辺倒で堅苦しいホテルの食堂に、アラカルトを導入しました(今から見たら当たり前のことですが、当時としては革命的だったそうです)。さらに料理人をローテーションで様々な部署に回して修行させます。これも当時の日本としては画期的なことでした。本物の西洋料理を求める客だけではなくて料理人も横浜を目指すようになります。
ついでですが、当時の見習いコックの月給は8円、本採用になって20円の時代に、ニューグランドのディナーコースは2円50銭だったそうです。
戦争が始まり1944年(昭和19年)2万人の外国人が敵味方中立まとめて軽井沢に軟禁されます。ワイルもその中の一人で、国際赤十字のジュノー博士(広島の話を聞いて、戦後すぐに貨車いっぱいの医薬品を届けて治療を行い、広島の人間に感謝の念を持ってその名を語られる医師)の下で物資買い付けに奔走します。すべての財産を失い、軽井沢の厳冬やきびしい食糧事情などで健康を害し、ワイルは1946年スイスに帰国します。コックの多くは召集され、ホテルは接収され、料理の材料は入手困難で、日本の西洋料理界は関東大震災以来二度目の挫折を経験していました。
スイスで食品会社の営業をやっていたワイルは、「もはや戦後ではない」と言われた日本に再びやって来ました。日本中で活躍していたワイルの弟子たちの招待でした。「人情」に触れたワイルは、帰国後日本人の若いシェフの修行に力をかすことを決心します。海外渡航の自由化は昭和39年(1964)・外貨持ちだし制限額が500ドルの時代の何年も前から、日本からやって来る若手の身元保証や職場探しや労働許可証の取得手続きをワイルが手伝ってくれました。生活の面倒もあれこれみてくれます。日本の料理人たちは続々とスイスに渡るようになりました。そこで修行して学ぶのは、新しい料理やメニュー、そして世界のどこでも通用する精神力と自立心。そして彼らはこんどはヨーロッパ全体を武者修行あるいはキャリア・アップして回るのです。そのように若者たちを鍛えるのが、ワイルの狙いでした。いつしか留学生たちはワイルを「スイス・パパ」と呼ぶようになります。
1970年頃から、育った若者たちが続々日本に帰ってきます。こうして日本で本格的な西洋料理の花が開き根づいたのでした。
今、彼の業績は彼が育てたあるいは世話した料理人たちが作る皿の上に、そして名前は洋菓子店「エス・ワイル」に残されています。この店でのシンクロニティと言える出会い、これがなければ本書は成立しなかったことでしょう。このような出会いを見ると、私は運命という言葉を信じたくなります。