2006年4月
日本のプロ野球にも広島カープにも興味がない人にはまったく無関係なローカルネタです。失礼。
広島カープには二人目の外国人監督(一人目は初優勝時のルーツさん)であるブラウンさんですが、ビジョンの提示が上手いと感じます。「○○のためには××が必要である。そのためには選手は□□をしなければならない」と目標とそれをクリアするための基準とそれに必要な実技レベルや方法をとにかく明確に喋ります。そしてそれを自分でも実行し選手にも実行することを求めます。練習のための練習とか精神論は語りません。
それで良いんです。幸い(?)チームはどん底ですから、もし新しいことに対する拒否反応があっても「それでチームがどん底になったわけですよね」と言えばいいのですから。
長男は、2シーズン前に「将来のクリーンナップはこの3人で組みたい」と盛んに言っていた組み合わせが今シーズン実現してしまい、ご機嫌です。私は昨日の開幕戦で、無失点だった黒田投手を予定通りあっさり交替させ、しかしチャンスで倉捕手に代打を出さなかった、というブラウン采配を見て、ご機嫌です(昨年までならまったく逆だったでしょう)。日々の結果は良いことも悪いこともあるでしょうが、一喜一憂してもしかたありません。監督の決断とその根拠に納得できれば、とりあえずはOKです(もちろん結果がついてくる方が良いのですが、それは相手があり確率があることですから100%は望みません)。
勝利のための采配とプレイが、一イニングごとに楽しめ、一試合を通して監督と読みの勝負ができ、同時にシーズン全体を通しての予想も楽しめ、さらには数年後に今の若手がどのように育つかも試合を通して読むことができる……つまりはプロ野球の戦いの過程が楽しめるようになったことが、昨年までと今年との大きな違い、と感じます。昨日の開幕戦、たった一試合だけでこんなことを言って良いか、とも思いますが、私は今シーズンは、広島カープの勝利も敗北も楽しめそうです。昨年前は、勝ち試合でもぶつぶつ文句を言っていたのですが……
そうそう、昨日の実況(Jスポーツ)のアナウンサーは、守備を非常に重要視し、かつ特定チームに肩入れをしない「プロ」の放送でした。私は好感を持ちました。ホームランや三振にしか注目しないありきたりの実況や解説ではなくて、こういったレベルの高い放送がもっと増えてくれればなあ、と望みます。
【ただいま読書中】
B・アルムグレン 編、蔵持不三也 訳、原書房、1990年、3689円(税別)
「ヴァイキングは、農耕の民である」と本書は始まります。あれれ、海賊じゃなかったのか、と私は思いますが、北欧での考古学的な調査結果がこちらに突きつけられます。ただし環境の問題があります。北欧は農業に最適の地とは言えません。さらに、デンマークは(ユトランド半島以外は)数百の島から成り、ノルウェーは深いフィヨルド沿いにしか農耕民は定着できず、スウェーデンは湖沼と河川が多くさらにバルト海の島を通過することで簡単にロシアに行ける、という条件から、農耕民も船舶による通行を盛んに行うことになります。また、農業が可能な土地もそれほど多くはないため、過剰になった人口は外に向かうしかありません。平和的に移動するならそれは移民です(ノルマンジーの「ノルマン」は「北の民」で、彼らが作った都市が起源だそうです)。しかし、行き先でトラブルがあれば移民は兵士となります。はい、やっと「ヴァイキング」のイメージ通りのお話となりました。9世紀にはフランス沿岸からセーヌ川に沿っての侵攻、イギリス沿岸ほぼ全体での侵攻、ハンガリーへは騎兵として。地中海へも入り、第一回十字軍では大きな役割を果たしています。
西への移民も大々的です。スカンジナヴィアからアイスランドへ移民を行い、11世紀にそこに住む住民は約6万人となっていました。それは当時の農業技術で養える限界の人口です。そこで10世紀末には「赤毛のエリック」がグリーンランドへの移民を強行します。しかしグリーンランドは人が住むに向いている土地とは言えません。そこでさらに西へ探検の手が伸び、ヴィンランド・マルクランドという新天地が発見されます。しかしそこにはすでに先住民がおり、移民の定着は失敗しました。現在ではそこはラブラドル半島やニューファンドランド諸島と言われています。コロンブスより早く、ヴァイキングによって「新大陸」は発見されていたんですね。
ヴァイキングの宗教や文化、社会、船の構造の特徴などが網羅的に紹介され、興味深い本です。ヨーロッパの歴史が、地図上の国境線だけにらんでいたら大切なものを見逃してしまうこともよくわかります。
我が家の風呂は普通のユニットバスですが、蓋にカビが生えて汚くなったので買い換えることにしました。量販店でまたプラスチックの普通の蓋を買って数年ごとに買い換えるかと思っていましたが、通信販売で木の蓋を見つけたので衆議一致(と言っても二人だけですけど)、さっそく注文しました。届いたのを見ると幅が3センチくらいのヒバ板を紐でつないだものです。板の感じでは間伐材を使ったものなのでしょうか。新鮮な板の香りがぷんぷんします。家の半分くらいがその香りで満たされて、新築木造住宅にでも住んでいる気分です。さすがに一日経ったら香りはがくんと減りましたが、それでもしばらくは入浴時に森の気分が楽しめそうです。そういえば森の香りはフィトンチッドと言うんでしたっけ? 何か効能があったかな。
【ただいま読書中】
ローズマリ・サトクリフ著、山本史郎/山本泰子 訳、原書房、2002年、2200円(税別)
『
ともしびをかかげて』の続編と位置づけることができる作品です。ただし本書は児童文学ではありません。むしろR-12くらいにしても良いかもしれません。殺戮だけではなくて、拷問や強姦殺人や近親相姦や不倫もけっこう具体的に書かれますから。
仔熊は“大熊”アルトスに成長し、アンブロシウスは戴冠し、奴隷の首輪の傷跡を残すアクイラは年老いてその子どもが活躍する時代です。イギリス南部の統治はアンブロシウスにまかせ、アルトスは遊撃部隊として騎兵隊でその周辺地域で活動することにします。その準備のため、アルトスたちはフランスへ軍用馬を買い付けに行きます。そこで出会った悍馬とそれを乗りこなす竪琴弾きの少年ベドウィル。この出会いがのちにアルトスに大きな運命の揺れをもたらすことになります。
アルトスは、自身に忠誠を誓う300人の重騎兵を中核とする騎兵隊を組織し、ブリテン各地で蛮族と闘います。しかし、戦争だけすればいいのではありません。ブリテンは幾つもの小国に分裂しており、それを束ねて蛮族に対抗するための政治力も必要です。守られるためのコストの支払いを渋る領主や教会から人や物を調達しなければなりません。南からの「海の狼」・北からのスコット族とどう闘うかの戦略も重要ですし、敵の歩兵だと動ける春も騎兵は動き出せるのが一ヶ月遅れる(馬が食べる草が生えるまで待たなければならない)というタイムラグも計算に入れて戦争をする必要があります。「アーサー王」をやるのも大変です。本書がきわめてリアルに感じられるのは、こういった細々したことをすべてゆるがせにしていないからでしょう。
しかし、アルトス自身がアンブロシウスとも議論しますが、一体何のための戦いなのでしょうか。ローマ軍は撤退し「守るべきもの」は明確ではありません。ローマが残した文明のともしび? しかしアルトス自身が、半分はローマ人ですが半分はブリテン人です。「蛮族」との戦いの大義はどこにあるのでしょう。もしブリテンが「蛮族」のものになる運命なら、それに逆らうことに意味はないのですから。それでも、おとなしく滅びることを拒否し、守るべきもののためにアルトスは戦い続けます。
アルトスが35歳になったとき、族長の娘グエンフマラと結婚します。政治的な愛のない結婚ですがアルトスもグエンフマラもそこに愛を見つけます。しかしそのことによって、アルトスと騎士団の間に初めて小さなひび割れが生じ、またアルトスとグエンフマラの間も決してしっくりいっているわけではなく、滅びの予兆が見えます。もちろんアーサー王伝説を知っている者にとってはこの結婚の末路がどうなるのかは自明のことですが、「アルトス」にとってはどうなるのか、それは下巻でのお楽しみ。
映画を観てきました。次男は祖母に連れられて日本語吹き替え版に行ったものですからおかだ家の残存部隊は字幕版へ。混んでいると思って早めに行ったらがらがらで予想が外れましたが、劇場のど真ん中を指定できてラッキーでした。
初っぱな、ロンドン爆撃のシーンであれれと思わされてそのまま一気呵成にナルニアの世界に観客は連れ込まれます。(爆撃のシーンがのちに形を変えて繰り返されるのはご愛敬) 子役のイメージとかどこに焦点を絞るか(映画では末っ子のルーシーが焦点ですが、私だったら次男のエドマンドにするだろうな)とか、個人の好みの問題はあるでしょうが、それでも本の映像化という点では高い評価を与えて良いのではないでしょうか。最後の戦争のシーンはずいぶんさらっと流していますが、これはディズニーゆえの制約もあるでしょうしあまり求めすぎると「ロード・オブ・ザ・リング」と区別がつかなくなってしまうから、あんなものでしょう。
私が感心したのは、音です。音楽にもずいぶん気を使っているし(隠れんぼのシーンなんか、最高)、なにより意表を突かれたのがガス灯のしゅーっという音。これは私が脳内に持っている作品世界には存在しないものでした。言い訳をするなら、ガス灯を見たことがない者が本を読んだだけではその音は付加できないのです。
そうそう、子ども時代にイギリス児童文学を読むたびうらやましく感じていた「チョコレートをお飲み」というセリフがちゃんと登場していたのも嬉しく思いました(字幕ではココアになっていましたけれど)。
隠れんぼで洋服ダンスや押し入れに隠れたとき、奥に別の世界が見えたらどうしよう。イギリス人ならそのまま踏み出せるだろうけれど僕は日本人で靴を履いてないからますますどうしたらいいんだろう、と真剣に考えた日々のことを思い出しました。原作を知っている者にも知らない者にも楽しめる映画です。難癖をつけるなら、あまりに原作に忠実すぎて「もっと激しくびっくりさせて欲しい」という要望はかなえられなかったことでしょうか(本当に、ただの難癖です。映像化が充分にできている、ということなのですから)。
隣の区のスーパー銭湯に家族で行ってきました。銭湯に行くのは久しぶりです。独身のとき風呂のガス釜が壊れて行ったとき以来かな。一応温泉ということになっていますが、普通にカルキ臭のするお風呂でした。あ、カルキは法律で決められているからしかたないんでしたっけ? でもやっぱり、カルキ臭の温泉って、風情がありません。まあ、スーパー銭湯に風情を求めてはいけないのでしょうけれど。
露天に打たせ湯と白濁した浴槽があったので、「この白濁は入浴剤でも溶かしてあるのかな」と思いながらつかると下半身がびりびり。おや、と表示を見たら低周波風呂でした。おっほ、これは良い。整形外科に行って物療をしたら、腰の電気とホットパックで320円ですが、こちらは全身を温めてびりびりをかけて550円。さらにサウナもございます。コストパフォーマンスで不満はありません。しばらくしたらまた行ってみようと思っています。
【ただいま読書中】
ローズマリ・サトクリフ著、山本史郎/山本泰子 訳、原書房、
アルトスとグエンフマラの仲はしっくりいきません。砦が全滅する寸前までいった厳しい冬に、一時二人の間の氷が溶けて娘ができますが、それさえもまた二人の新しいすれ違いの原因となります。娘が病気で死んだ夜、罪と憎しみの子メドラウトがアルトスの前に現れます。国王アンブロシウスは癌の末期で、その後継者が問題となります。アルトスは庶子でしかも教会を敵に回しており、元老院での指名は勝ち取れないのです。アルトスは、もしかしたら解決できたかもしれない、でも実際には解決困難な問題に絡めとられていきます。
絶頂に達しようとする騎士団に対抗するため、海の狼たちは協力を覚えます。ブリテンの軍勢5000に対して海の狼は8000。その戦いに勝った夜アルトスは兵士たちによって皇帝に指名されます。
和睦の席でともに遊ぶ二つの部族の子どもたちの姿を見て、アルトスは自分の戦いの意義を見つけます。多民族の共存による新しいブリテンの姿です。それはアルトスが生きているうちには達成不可能な目標ですが、優れた後継者に託すことさえできれば……皮肉なことにその優れた人物は「敵」の側に存在するのでした。さらに皮肉なことに、多民族の協力を達成して見せたのは「敵」の方でした。ブリテンには裏切り者が続出し、(それぞれの目的は異なるにせよ)蛮族と協力してブリテン軍に対抗するのです。そしてついに騎士団内部からも裏切り者が。アルトスの軍は圧倒的に優勢な敵に向かって最後の突撃をします。
私は数年前に本作でローズマリ・サトクリフを知りました。その時には著者の他の著作を知らないためアーサー王伝説を重ね合わせながら読んでいましたが、今回はローマ・ブリテンシリーズを読んだ後ですので、アーサー王よりはローマ・ブリテンを重ねながらの読書となりました。おそろしいことにどちらで読んでもちゃんと読めます。人の想像力を喚起する著者の力量は素晴らしいものです。
昨年の冬の初めにはずいぶん「新型インフルエンザが起きたらどうする」という騒ぎがありましたが、どうやら大したこともなくこのシーズンは終了できそうです(もちろんまだ油断はできませんが)。で「よかったよかった」で終わっちゃいけませんよね。だって新型インフルエンザは必ずいつかは発生するのですから。ノストラダムスの予言とは違って、今年が過ぎたからと言ってそこで「なかったこと」にしてはいけません。この夏に南半球で新型インフルエンザが発生したらどうするか、(北半球での)この夏が終わった後新型インフルエンザが発生したらどうするか、行動計画を考えておく必要があるでしょう。何をするのか、何をしないのか、何ができるのか、考えることと備蓄に最低限の労力を割いておく価値はあるように思います。また半年後に刹那的なパニックを煽ろうとする人がいたら、笑ってやりましょう。
【ただいま読書中】
矢野憲一著、法政大学出版局、1998年、2800円(税別)
オイディプスに登場するスフィンクスの謎に杖が登場しますし、古事記で黄泉の国から生還したイザナギノミコトが禊ぎ祓いを行うとき最初に投げ捨てるのが杖です。昔から杖は人とともにありましたが、実はその研究はあまり行われていません。そこが著者の目の付け所です。
私にとっての杖は、ファッション・歩行の補助・武器・儀礼・刑罰(杖刑)・スポーツ(ホッケーのスティック・ゴルフのクラブ・スキーのストック)、くらいしか目的を思いつけませんし、個人的に杖を使ったのは、足を痛めたときの松葉杖と富士山登山のときの金剛杖(っていうんですかね、背丈くらい長い木製の杖)だけです。どちらも歩行の補助目的ですが、杖無しではその時期を乗り切ることはできなかったでしょう。
日本では神の依代として様々な物がありますが、その一つが杖です。樹木(特に大樹)や柱も依代ですから、その系統(天(神)に向かって伸びるもの・植物の生命力の象徴)に含まれると理解したら良いのでしょうか。仏教でも錫杖は法具の一つです。明治39年に陸軍測量部が立山連峰の剣岳にアタックするも失敗、翌年やっと成功したら山頂で古い錫杖(奈良時代末期〜平安初期のもの)を発見してびっくり、というエピソードがあるそうです。
ギリシア神話の医神アスクレピオスは蛇が絡まった杖を持っていました。蛇は善悪両方の象徴であり(脱皮することから若返りや復活を示す)、杖は生命や権威の象徴と扱えるそうです。アスクレピオスの杖に絡みつく蛇は一匹ですが、二匹の蛇が絡みついているのがヘルメスの杖です。さらに翼までついています。こちらは「使節の杖」なのですが、時々アスクレピオスの杖と混同されることがあるそうです。もし医学系のマークで杖に二匹の蛇がからんでいたり翼(あるいは鳥)がくっついていたら「あ、間違ってる」と言って良いそうです。
王笏も杖です。イギリスの戴冠式では、王の力と正義のしるしとして十字架笏が大主教から王の右手に、公正と慈悲のしるしとして鳩笏が左手に渡されます。ついでですが、十字架笏にはめられているのが「アフリカの巨星」と呼ばれる530カラットのダイヤモンドです。
さらについでですが、鳩はノアの箱船の故事から平和の象徴でもありますが、ヨハネ伝のキリスト受洗から神の恵みの象徴でもあります。それが中国や日本での鳩杖になると、鳩は餌でむせないから老人もむせないように、という願いになります。文化の違いは面白いものです。
杖を立てるとそれが芽吹いて大木になったとか、泉や温泉が湧いた、という伝説は日本各地にあります。柳田国男によれば全国で千以上ある、とのこと。かつての日本では、杖は日常と異界とをつなぐ聖なる物だったのかもしれません。それを「実用」に使っちゃって良いのか、とも感じますが、庶民が求めるのはささやかな奇跡なのかもしれませんね。
『礼記』には50歳を過ぎたら杖が許されるとありますが、「古希」という言葉があるくらい長寿が珍しい時代には、「杖をつくくらいの年齢になれた」ことを祝うために杖を贈る風習もありました。実用ではなくて(実用かもしれませんが)祝いなので必ず杖袋を添えるそうです。
音楽関係の話題では、バイオリンが仕込まれた杖なんてのが紹介されています。写真が載っていますが、たしかに弦が張ってあります。現物は浜松市楽器博物館にあるそうなので、興味のある方はそちらへどうぞ。そうそう、指揮者はもともと指揮杖を上下に振って使っていたのが、フランスのリュリ(1632〜87)がこの杖で足を怪我して破傷風で死んだため、以後短いタクトに変わった、という故事もあるそうです。そういえばブラスバンドの行進では指揮者が短い杖(バトン?)を上下に振りますね。これは中世の名残なのかな。
本書では後半に、杖の選び方(サイズは身長の半分が目安、とか)や使い方・歩き方・マナーが書かれています。私ももう少しで杖が必要な年齢になりますが、さて、どんな杖を選ぶかなあ。
昨日は近所の中学の入学式だったらしく、盛装した人たちがぞろぞろと登校路を歩いていました。もちろんぴかぴかの一年生もいるのですが、一人小柄な男の子が目につきました。いや、上着が大きすぎるの。どう見ても2サイズは大きいのを着ています。成長の期待をこめているのかもしれませんが、せめて1サイズにできなかったかなあ。私も中学入学時には一番小さいグループだったけれど、それでもあそこまでぶかぶかの制服ではなかったように思います。制服って、いわば子どものフォーマルウェアですから、着崩すのもあまりにぶかぶかなのもよろしくないんじゃないかなあ。
そうそう、やはり昨日ですが、指の怪我から糸を抜きました。公約(?)通り自分で糸を切りましたが、手が足りなかったので写真は撮れませんでした。指を曲げるたびに糸に皮膚が引っ張られて痛かったのですが、針穴が炎症で赤くなっていて、黒い糸と対照的できれいだったのに、惜しいことをしました。
【ただいま読書中】
森村誠一著、小学館、1994年、1553円(税別)
平氏も源氏もともに遠祖は天皇ですが、平忠常の反乱が源頼信によって平定されて以来平氏は源氏の下に膝を屈していました。永久六年(1118)一月一八日、平忠盛に嫡男が生まれたときはそのような時代でした。生母は白河法皇から忠盛に下げ渡された女御で、忠盛はその胤が法皇ではないかと疑っていましたが、祖父正盛は法皇の落とし種である方が平氏が源氏に逆転するためにはむしろ望ましいと思っていました。生まれたばかりの平太(のちの清盛)を迎えたのはそのような人々の思惑でした。
武家の中での勢力争いとは別に、公家の中でも勢力争いがあります。また、武家と公家の対立もあります。平氏を重用することで公家を押さえようとしていた白河法皇崩御後、平氏は生き残りのため鳥羽上皇に近づき、忠盛はついに内裏昇殿の許しを得ます。海賊退治の院宣を得た平氏は、それを利用して(降る者は部下にし、瀬戸内海の島を自分の領地化することで)勢力を拡大します。それは都への西日本からの物資の流通路を支配下に置くことでした。さらに日宋貿易も支配下にし、平氏の勢いは増します。
叡山の強訴を武力で退けた清盛の行為をめぐって、普段反目している公家と武家が結束することで朝廷側はまとまり、逆に宗門側は延暦寺の地位低下を喜ぶ寺社があって結束は乱れます。結果、清盛の武名は高まりました。
天皇をめぐる権力争いで上皇と摂関家(藤原氏)は反目していましたが、近衛天皇の崩御による後継者争いで、平氏はほとんどが後白河天皇側につき、源氏はほとんどが崇徳上皇に、それに公家がそれぞれの思惑によってどちらかについたり二股をかけたりして、保元の乱になだれ込みます。結果は後白河天皇側の勝利。平氏の統領となっていた清盛は上皇についた叔父を切ることで範を示し、源氏の主立った人間をほとんど死罪にすることに成功します。
乱の後、政治の実権を握った信西入道と組んでいる清盛に対して、反信西派の公家と源氏の生き残り義朝が組んで反乱を起こします。平治の乱です。保元の乱では源氏も平家も分裂してお互いに戦いましたが、今回は源氏と平家の正面切っての対決となりました。
平安時代の権力ゲームは「天皇の威をいかに借りるか」を競うものでした。外戚となって天皇を自由に操るか、それとも上皇となって「天皇ゆえの制約」から離れて自由に腕をふるうか。しかし武士の出現によって「武力による権力奪取」が生じます。そして、本来は公家によって使われる「道具」としての武士が、自らの意思を持って動き出したとき時代は変革されるのです。
一昨日から平家の物語を読んでいる関係で、独裁者について考えてます。
権力を集中させるためには「旗印」が必要です。それは特定個人でも良いですし特定の概念でもかまいません。そして、それを囲む少人数の集団が、権力を行使するための装置として必要です。さらにそれを取り囲む「信者」がいなければなりません。「あの人は独裁者としてふさわしい」とか「今の制度は最高だ」と、根拠無く信じてくれる(信仰心を持ってくれる)人々でこの社会のほとんどの部分が構成されていなければ、「権力」は機能しません。ただし「権力のうまみ」は一般信者には与えられません。それを享受するのは、権力装置の少数の人間か、その中心の独裁者です。
ということは、独裁者になるには、たとえば「クラスの人気者」以上のカリスマが必要です。本当に孤独な者は(世界中を圧倒できるくらいの武力を持っている場合は別として)、自分の意思を世界に押しつけるための権力装置を持てませんから、独裁者にはなれません。ところが、あまり優秀な人材が周りに揃ってしまうと、権力が集中せず独裁者になれません。権力を確立し、独占するのはけっこう大変です。なんとか権力装置をうまく構築できたとしても、それがあまりにうまく機能してしまうと、独裁者と信者の間の緩衝物となってしまって、独裁者は結局孤立してしまいます。これは独裁の長期維持のためには上手くありません。さらに「敵」も必要です。「味方」が結束せざるを得なくなるくらい適度に強くて、でもこちらの存続の脅威にはならないくらいに適度に弱い敵がいてくれないと、独裁制度を長期に存続させることが難しいはずです。
やれやれ、独裁って、大変ですね。なかなか一人の人間の思うようにはならないものみたい。
【ただいま読書中】
森村誠一著、小学館、1994年、1553円(税別)
平治の乱によって清盛は京の実権を握ります。武士が、走狗ではなくて権力そのものになったのです。それは同時に、平氏一族が、それまでの昇殿を許されない卑しい地下人(じげにん)から堂上人に変質することも意味していました。
源氏の統領義朝は尾張で裏切りによって殺されます。落ち武者狩りも一段落して、戦後処理は源氏の統領に連なる子どもたちを生かすか殺すかに焦点が絞られました。後顧の憂いを断つためには全員殺すべきですが、最年少の牛若はわずか一歳。清盛の決断が下されます。
後白河上皇は二条天皇と対立し、清盛を味方として重用します。それは清盛にとっても都合の良い関係でした。そのうち、滋子(清盛の妻の異母妹)が後白河の皇子(憲仁=後の高倉天皇)を生みます。皇統についに平氏の血が入ったのです。
仁安二年(1167)、清盛は太政大臣となりますが、翌年病を得ます。まるでマラリアのような熱の発作ですが、高倉天皇即位と前後して病は癒えます。
後白河上皇は、強くなりすぎた平氏を牽制して自分に権力を取り戻すため、叡山の僧兵を利用しようとしたりしますが、腹心の公家と摂津源氏とが組んで京を制圧する計画が洩れます(鹿が谷の陰謀)。首謀者は鬼界ヶ島(現在の硫黄島)に流され、ほとんどの側近を失った後白河上皇ですが、くじけません。こんどは伊豆に配流されている頼朝に目をつけます。
まったく、自分自身は力を持たなくても、番犬同士をにらみ合わさせてそのバランスの上に自分の権力構造を構築しようとする後白河上皇は大したものです。後には源氏をも手玉にとって同じことをやり続けようとするのですから。「遊びをせんとや生まれけむ」と言った後白河上皇が、実は平家物語の主人公なのではないか、とも思ってしまいます。しかし、本書での現時点では清盛の方が力が上です。武力で京を支配しており、後白河上皇にはもうほとんど力は残っていません。
しかし治承三年(1179)、絶頂を極めた平氏にも翳りが生じます。清盛の暴走に冷静にブレーキをかけてきていた嫡男重盛の死去です。奥州に逃げていた義経は京に入り平氏打倒を画策します。また、反平氏の寺門も、それまでの対立から連合を組んで平氏に対抗しようとし始めます。武力によって邪魔な公家などを排除することで頂点に登り詰めた平氏に対し、こんどは別の勢力がやはり同じ手を使って平氏を排除しようとし始めたのでした。
病院への支払い滞納が急増しているそうです。朝日新聞によると、全国の公立病院合計で80億円の未収があるそうな。すごい金額ですねえ。これに私立病院の未収が加わったらはたして総額はどれくらいになるのでしょうか?
http://www.asahi.com/life/update/0409/001.html
新聞によると、厚生労働省のお役人の言い分は「患者はちゃんと払え。病院は徴収に努力しろ」。……あのう、そう言うだけで全てが解決するのなら、最初からこんな問題は発生しないのですが……
記事にくっついている日本福祉大学の近藤教授の話では、「患者のモラル低下や病院経営の甘さだけでは説明できない増加だ」「背景には貧困層の拡大があるから、厳しく取り立てても未収金はなくならないだろう」……おやおや、お役所と分析が全然違ってます。で、私は近藤教授の方を支持したいな。たしかにモラルのない患者(と家族)も一定数はいるでしょうが、近年になってその割合が急に増加するとは思えません。
日本の医療費は、GDPで補正したり一人当たりに換算すると先進国では最低レベル/自己負担は最高レベル、という特徴を持っています。つまりは経済的には政府が楽していたわけ(ヨーロッパでは自己負担はゼロ、というのはけっこう普通です(外国人もその恩恵にあずかることができるのは珍しくありません)。そのかわり重税ですけど。アメリカ合衆国のとんでもない医療費は、一応例外としておきましょう)。ところが近年自己負担はどんどん増やされてきました。これからも増やされるでしょう。となると「払わない患者が悪い」「ちゃんと取り立てない病院が悪い」と主張している誰かさんが一番責任を感じるべきではないのかなあ。
【ただいま読書中】
後藤正治著、講談社、1998年、1800円(税別)
広島カープ(後に大洋、オリックスなど)の伝説のスカウト木庭教を中心としたプロ野球のスカウトの物語です。
広島商業で野球に夢中だった木庭少年は、開戦とともに野球どころではなくなり、被爆をし、戦後は父親の郷里の岡山に住んでいました。たまたま広商時代に教師で戦後創設された広島カープのマネージャーになっていた久森と出会うことで、木庭はカープのスカウトとしての人生を始めます。
当時のカープはとんでもない貧乏球団で、企業に借りていた合宿所の支払いができないため選手が追い出され、カープファンの経営する旅館を合宿所とするもやはり支払いはできず、そこの女主人が自腹を切って選手を食わせてくれた、とか、後援会が球場で募金をした(樽募金)、とか、選手の給料が払えず当日の入場金から払っていたがそれが税務署に差し押さえられて大騒ぎになったとか、貧乏の逸話には欠きません。
したがって、新人獲得の場合も、金持ち球団とは違って契約金の金額勝負とか裏金工作とかはできませんでした。しかし、高騰する契約金や二重契約が社会問題となって、1965年に日本野球にもドラフト制度が導入されます。広島カープが新人獲得で他球団に対等に勝負することができるようになったのはそれ以後のことでした。
……しかし、本書にも書いてありますが、1950〜60年代、日本は貧しくどの家庭もたいてい金に困っていた時代には「金以外の誠意」が通用していたのに、日本が豊かになるにつれて「誠意=金」となってしまいます。なぜなのでしょう?
ただ、「金が潤沢に使えない」というハンディが、木庭を目利きのスカウトに育てていきます。評判になっていない(他の球団が知らない)逸材を自分の目で見つけ出しその将来性を見抜いて安く入団させるのです。
スカウトの日常はとにかく見て回ることに尽きます。実際に見て現在の能力と将来性を見抜いてふるいにかけ、さらに他球団もその選手の存在を知っているかどうかでドラフト会議の順位を決定します。他の球団にとられそうなら早めの順位にするし、他の球団がノーマークなら遅くするのです。ドラフト会議が公正に開催されたら、ほぼ5年〜10年に1回はどのチームにも優勝のチャンスが訪れますが、スカウトの目がその確率を高くも低くもできるのです。ただし、日本のドラフトは公正ではありませんのでスカウトが本当の意味でプロの腕を発揮できている状況にあるとは言えません。
日本中の球場や野球校を見て回っている木庭にとって、たとえば高橋慶彦との出会いは本当に一瞬の人生の交錯でした。ふだんなら観ない試合を観戦していて、注目に値しない投手であった高橋が本塁に突入してアウトになったプレイを見たとき、「この選手は、投手としては駄目だが、野手としてなら使える」とピンときてドラフトで指名したのです。他の球団はまったくのノーマークでした。高橋は猛練習の末、好守の遊撃手で左右両打ちでヒットを量産する一番バッターとして大成します(デビューした頃には守備は本当に下手くそでしたが、どんどん成長しました)。同時に彼は広島カープに猛練習の伝統を築いたと言って良いでしょう。
こういった人生の交錯、それによって生まれるドラマは、野球場で花開く(あるいは残念ながら開かない)のですが、単に「勝った、負けた」「打った、打たれた」だけを見るのではなくて、そういったドラマを楽しめるようになったら、野球がもう一段深く味わえるようになるのでしょう。
セカンドレイプをする人間は、きっと善意に満ちあふれているんでしょうねえ。「相手も悪いだろうが、お前にも過失があったはずだ」と指摘することで、再発予防のアドバイスを無償で与えられるし、さらに美味しいことに、そういった指摘ができることで自分の優秀さや公正さも証明できます。
……ところで過失を責めることは再発予防になるのかしら? 実現可能で具体的な手段を提示しないと意味がないように思うのですが。
……それとも、もしかして、過失を責めることは再発予防とは無関係? もしかしてもしかして、やってる側の自己満足で、やられている側はそのためのただの材料?
たまたま某所でセカンドレイプに近い状況を見てしまったものですから、ちょっとだけ感想を。
【ただいま読書中】
ジュール・ベルヌ著、那須辰造訳、金斗鉉絵、講談社、1990年、573円(税別)
私がジュール・ベルヌ全集をわくわくしながら読んだのは、小学生の三年か四年のころです。深海から月世界まで気持ちよく連れ回されることで、「読書の楽しさ(愉しさ)の世界」に私はジュール・ベルヌによって導かれたのかもしれません。それ以来しばらくご無沙汰していましたが、図書館で本書と目が合ったものですから懐かしくて借りてきました。
子ども時代の記憶では「ヴェルヌ」となっているのですが、ここでは本書の記載に従います。
時は1860年、ところはニュージーランド。名門の寄宿学校チェアマン学園の生徒たちが夏休みにスクーナー(百トンくらいの帆船)で船旅に出ようとしているとき、事故によって子どもだけで外海に流されてしまいます。折悪しく暴風雨となり、船はどんどん漂流して無人島に漂着します。さて、少年たちは島で生き延びることができるのでしょうか。
フランス人の少年がヒーロー役、アメリカ人が長老(?)、悪役がイギリス人……って、これは著者の国際感覚? 知恵を出し合いサバイバルを続ける少年たちですが、理想的な共同生活ではありません。内部での権力闘争が続き、とうとう少年たちは二つのグループに分裂してしまいます。しかしそこに、難破した犯罪者たちが漂着します。少年たちはこんどは厳しい自然ではなくて悪人どもと戦わなければならないのです。彼らは生き抜けるのか。島から脱出することはできるのか。
子ども時代と同じ、ハラハラドキドキの物語でした。いやいや、満足。
Canonさんからいただいたバトン「本」です。
Q1.パソコンまたは本棚に入っている「本」は?
本棚に本はたっぷり入っております。本棚からはみ出た方がはるかに多いですけど。
パソコンにも青空文庫からのダウンロードがどっちゃり……あ、これは前のパソコンからこちらに移動させるのを忘れてました。言い直します。こちらのパソコンにも少しは青空文庫からのダウンロードがあります。ダウンロード日付が最新のは、寺田寅彦の『科学者と芸術家』。
Q2.今妄想している「本」は?
新人賞を獲れるような作品を本として出したい、という妄想なら持っております。きちんと形になっていないところが、妄想の妄想たるゆえんなのですが。
そもそも順序が逆ですね。新人賞をコンクールで獲ってからそれを出版するのですから。わははは、やっぱり妄想だ。
Q3.最初に出会った「本」は?
幼児期に毎晩母親に読んでもらった様々な本。自分で読んだ最初の記憶は幼稚園の時の『桃太郎』や『金太郎』。風邪と麻疹と水疱瘡で一ヶ月寝込んだときに寝床の中で繰り返し読んでいて、おかげで目を悪くしました。
Q4.特別な思い入れのある「本」は?
古本屋で買った『解體新書』。もちろん江戸時代の本物ではなくて、昭和の復刻版ですけど。実は一度だけ本物に素手で触れたことがありますが、至福の時間でした。
Q5.最後にバトンを回したい人5人&指定単語
「孤独」「星」「嵐」「ペット」「バナナの皮」
回答者は指定しませんので、我と思わん勇士の方はお好きなバトンを拾っていってください。早い者勝ちです。
【ただいま読書中】
ロアルド・ダール著、柳瀬尚紀訳、評論社、2005年、1200円(税別)
巨大なチョコレート工場のある町はずれのあばら屋に住むチャーリー一家。とんでもない貧乏のため、朝はマーガリンをつけたパン、昼はゆでジャガイモとゆでキャベツ、夜はキャベツの煮汁、という食生活です。いつもひもじいチャーリーの楽しみは、一年に一回、誕生日にもらえるチョコレート。
チョコレート工場のオーナーであるワンカ氏が、突然重大発表を行います。「全世界から、五人の子どもを工場に招待します。一生分のチョコレートのお土産付き」
チョコレートに隠されている招待券(黄金のチケット)を手に入れようと全世界で大騒動が起きます。自分の娘のために板チョコを何十万枚も買い占めて自分の工場で包装紙を剥かせた工場主もいたそうな。でもチャーリーにはそんな騒動は無縁です。チョコは一年に一枚しか買ってもらえないのですから。でも……でも、チャーリーの誕生日がやってきました。プレゼントにもらったチョコの紙を慎重にはがすチャーリーの姿を家族たちは祈りながら見つめます。こんなよい子なんだから、幸運に恵まれますように、と。でも、出てきたのはチョコレート。チョコレートだけでした。
ジョウおじいちゃんは、孫のために「これでチョコを一枚買っておいで」となけなしのへそくりをはたきます。喜んで出かけたチャーリーがジョウおじいちゃんの前で紙を剥くと……出てきたのはチョコレートだけ。
映画と違って、チョコレートの匂いがぷんぷんする本です(この文章をそのまま本気にして本屋で本をくんくん嗅がないように。匂いがぷんぷんしている場所は私の脳内ですから)。あれだけ巨大な工場なのですから、町中にチョコレートの匂いが充満しているのは当たり前のことですよねえ。チョコの甘い匂いとカカオに含まれているテオブロミン(カフェインの親戚みたいなもの)に駆り立てられるように、物語は急流を流れていきます。しかしチョコレートの川の急流下り、一度経験してみたいものです。一度限りで良いですけど。
テレビ室のエピソードの後でウンパッパ・ルンパッパ人たちが歌う歌は「テレビを捨てよう、本を読もう」という主張ですが、「書を捨てよ、街に出よう」と言っていた人がこれを聞いたら、なんて言うかしら。
そういえば、イギリスだったかな、ベッドが普及し始めたころには、一家に一台しかベッドが無くて、家族も使用人も全員がそのベッド(巨大だったそうな)で雑魚寝をする、なんて時代もあったそうです。その点では、おじいちゃんとおばあちゃん四人が一台のベッドにもぐり込んでいるチャーリーの家は「伝統」に忠実なのだ、と言えるのでしょう(言えるのか?)。
ドアホンが鳴りました。私が出ると若い男性が立っています。
「先日ポストに入れた案内を読んでもらえましたか?」
「どの案内ですか?」
「私が入れた案内です」
「……さて、最近入っていたのは、家庭教師・探偵・ペットの美容室・ペット預かり・クリーニング・寿司の宅配・宗教……」
「それ、それです。私は○○教会の……」
「あのねえ、私には夕飯時に判じ物をやる趣味はありません。さようなら」
あなたが入れた案内が何かは入れたあなたにはわかるでしょうけれど、私にはあなたが入れたのがどれかなんて金輪際わかりませんってば。
……もうちょっと愛想良くした方が良かった? それとも「判じ物」なんて言わずに「イエスノークイズ」とでも言えば良かった?
【ただいま読書中】
二葉幾久 文・写真、アサヒビール株式会社、2004年、1500円(税別)
ASAHI ECO BOOKS の第10巻です。
著者は企業の提灯持ちになることを防ごうと、アポ無し取材(事前に取材の予約を取らず、一般見学者を装っての工場見学)を行います。たまたまボランティア清掃日(アサヒ社員や関連社員や社のOBが休日を使って工場近くを清掃)だったのですが、清掃を終えた人たちが楽しそうに懇親会で盛り上がっている雰囲気を見て、著者はアサヒの環境への取り組みが付け焼き刃ではないことを確信します。
アサヒビールは一時停滞していましたが、スーパードライのヒットで息を吹き返します。そのとき企業の価値を高める一つの方法として「環境」が出てきます。当時の瀬戸社長は1996年1月に「まず茨城工場で1年以内に廃棄物再資源化100%(通称「ゴミゼロ作戦」)達成を」と指示します。すでに茨城工場では再資源化率は98.5%でしたが、複合資材や雑ゴミやプライベートなゴミの分別が難物でした。分別容器をいくら細かく置いても結局「その他」のところに分別がむずかしいものがどっさり入れられてしまいます。そこでごみ箱の「その他」を廃止し、工場のラインを定期的に止めて全体集会を行い、ゴミを引き取っていく処理業者がきちんと処理しているかどうか抜き打ち検査を行い、といった努力でその年の11月に100%を達しています。
面白いことにこれは企業にとってもお得でした。CMによって見学が殺到し、企業イメージは上がり、(初期投資は必要でしたが)廃棄物処理のランニングコストが25%削減できたのです。社員の意識も変わり、家庭でのごみの分別も熱心に行うようになったそうです。
1997年には名古屋工場のノンフロン化です。製造工程のノンフロン化はすでに吹田工場で行われていましたが、名古屋ではクーラー・冷蔵庫・自動販売機まで含めて工場内の「すべて」からフロンを追放しよう、というのです。技術的な困難だけではなくて、コストや契約面(自動販売機はアサヒ飲料のもので、グループ企業とはいっても別会社ですからきちんと契約をやり直さなければなりません)、さらには政治にまで話は及びます。フロンのかわりに使うアンモニアは「安全」なフロントは違って可燃性毒性ガスですから「高圧ガス保安法」が関係してくるのです。特にアンモニアスクリュー冷凍機は前例がなかったため愛知県の基準を新しく作る必要があり、設置までに時間がかかりました。ゴミゼロとは違ってこちらはあまり評判にはなりませんでしたが、将来代替フロンも禁止になったときにはこのアサヒの経験が大きく評価されることになるでしょう。
たんにきれいごとで「環境」を言い立てるのではなくて、製造コストの削減、社会とのつながり(近隣の清掃、敷地内に古墳がある工場ではそれを保全・公開することで地域と密着)、事業の見直し(パイプの設計を見直すことで、タンクやパイプの洗浄水の使用料を大幅に節約)など企業自身にメリットのある形で環境に取り組んでいる姿勢には感心します。
企業が損をする形で環境に取り組まざるを得ない状況ではどうなるか、は、その企業だけではなくてその周辺もいっしょに考えて行動しなければならないのでしょう。「誰かやってくれ。俺は動かない。身銭も切らない」では環境は良くならないでしょうから。
皮肉な見方ですが、業績が右肩上がりで好調だったら、ここまでの取り組みはなかったかもしれません。「どんどん製造しろ、どんどん売りまくれ」でおしまいでしょうから。それが「どうも思うように売れない。なにか良い手はないか」と考え自分の足元を見つめて工夫をしようとしたとき、その視点が「社会(共同体)」にまで広げられたら良い知恵が見つかった、ということなのだろう、と私は捉えています。私はビールは飲みませんからアサヒには貢献していませんが、アサヒからは少し恩恵をこうむっているのですね。
昨日アサヒビールの本を読んだばかりですが、今日の新聞には「キリン、ビールで首位奪還」とあります。「あれあれ、キリンが首位って……」
私がビールを飲んでいた頃にはキリンがダントツの首位でアサヒがだいぶ離されて二位、そこからまたずっと下にサントリー、と記憶しています。それがスーパードライのヒットで今世紀に入ってからアサヒがビールでは逆転していたんですね。いやあ、ちょっと油断すると世の中はころころ変わりますから油断ができません。記憶に頼って思いこみで話すととんでもない恥をかきそうです……あ、私の記憶は頼れるものだったっけ?
【ただいま読書中】
淀川長治著、近代映画社、1999年、1800円(税別)
著者を見たら本書の内容はもう見当がつきます。ではこれでサヨナラサヨナラサヨナラ(右手にぎにぎ)……というわけにはいきませんね。
明治四十二年、映画……もとい、活動写真好きの一家がいつものように小屋に出かけていたらお母さんが産気づいて人力車で急遽帰宅。それでもお父さんは一緒に帰らずに活動を見続けていて、翌日生まれたのが著者……が本書のオープニングです。もちろんその子はそのまま映画好きに育ちます。
白黒サイレントで、弁士は現代劇(新派)は一人、時代劇(旧劇)は数人が声優のように役を分担してしゃべっていたそうです。伴奏はもちろん生演奏で、子役がいる場合は弁士にも子どもが準備されていたそうな。著者の子ども時代は神戸ですからそれくらいの人間は用意できたのでしょうが、田舎だとどうだったんでしょう? 新派も旧劇も弁士は一人で間に合わせていたんじゃないかと私は思うのですが……
やがて映画に音が付き(1923年(大正12年)トーキーの発明)、俳優の演技そのものも変化します。(ここで私が思い出すのは「雨に唄えば」です。ジーン・ケリーの歌と踊りにどうしても目が行ってしまいますが、あれはサイレントで育って次のステップに進めない俳優の悲劇の物語でもあるんですよね) トーキーが「科学実験」から「映画」になり成熟したとき(1930年代)、観客は「演技」を見つめていました(現在のほとんどのハリウッド映画からは失われてしまったものです)。著者は1990年代に映画がかつての演技中心の「クラシック」を取り戻そうとしている、と喜ばしく書いています。著者は個々の映画の悪口をあまり言いませんが、演技を欠いて技術だけを前面に出したりジェットコースター式ではらはらどきどきさせるだけだったりヒットをあざとく狙うだけの映画には、飽き飽きしていたのでしょう。(ここで良いものの例に挙げられている映画の一つの「シザー・ハンズ」は私も大好きなものなので、ちょっと嬉しく思います)
音の次は色。そして新興勢力テレビに対抗するために大画面(シネラマ、シネスコープ)、と映画は変わっていきます。「映画とテレビの結婚」が1953年から始まったオスカー授賞式のテレビ中継です。そのとき著者は、衣装と美術がノミネートされた「羅生門」が当選した場合の受賞者として会場にいました。結果はどちらも「悪人と美女」にさらわれてしまったのですが。
さまざまなスターの逸話、イタリアにはなぜかミュージカル映画がほとんどないこと、美女・美男・美とは遠い男女・美少年……あれ、なぜか美少女の話題が出てきません。見落としたかな?
あとがきに「淀川さんの映画の話は、実際の映画より面白い」とありますが、本当に映画に対する愛を感じる文章です。「私は映画を愛している」なんて一言も言っていないのにね。そして「お前たちは映画を愛するべきだ」なんてことも一言も言っていないのに、著者の語り口のうまさに私は映画に惹かれていきます(以前から映画は好きですが、本書を読んで特に古い映画を観たくなりました)。
こんな感じで自分が好きなものを(私の場合はやはり本でしょう)勧めて他人を「その気」にさせることができるような気持ちと文章力とを持ちたい(あるいは持ち続けたい)ものです。
「ミスは絶対に許さない」というのは一種の抑止力は持つでしょうがそれで社会を維持するのは大変です。人間は必ずミスをするものですし(「どんなテストでも100点以外を取ったことがない」なんて人がいます?)、状況に応じて最善を尽くしても結果がはかばかしくないこともあります。結果が良くなかった場合にそのすべてを「ミスだ」と罰していったら、社会から人がいなくなります。
罰を決める裁判官もおちおちできませんよ。明らかな誤審は論外ですが、たとえば一審と二審で判決が食い違ったときには、どちらか(あるいは両方)が「ミス」なのですから、最低どちらかの裁判官は罰せられなければなりません。それから、無罪になったら検察官が無実の者を起訴したという「ミス」を犯したのですからやはり罰せられなければなりません(弁護士についてはややこしいのでここでは触れません)。
……おやおや、裁判をするたびに法曹界から人が減っていきました。大丈夫かなあ。
【ただいま読書中】
サマセット・モーム著、中野好夫訳、新潮社(新潮文庫)、1959年初版(87年52刷)、320円
お財布を開けたら、六ペンスのかわりになぜかお月さんが中で輝いていてあらびっくり、という物語ではありません。ゴーギャンの伝記の小説化です。
主人公の「僕」はロンドンで売り出し中の作家。偶然チャールズ・ストリックランドと知り合います。ストリックランドは40歳の株式仲買人で、成功しているのでしょう、王室弁護士や下院議員を呼んで退屈なホーム・パーティーを開催したりしています。しかしある日ストリックランドは家族を捨てて姿をくらまします。女とパリに逃げた、という噂が立ちます。「僕」は夫人に頼まれてパリに向かいます。真相を知るためとロンドンに帰るよう説得するためです。彼の答は「絵が描きたくなった。パリでだったらできそうに思う。だからすべてを捨てた」とシンプルです。
5年後、「僕」はパリでストリックランドと再会します。彼は全然売れない画家になっていましたが、「僕」が信頼する画家ストルーヴはストリックランドの絵に美と天才を見出していました。ところが生命の恩人であるストルーヴに対してストリックランドは、ストルーヴ夫人を我がものとしそして自殺させることで応えます。
やがてストリックランドはタヒチに渡りやはり売れない画家をやり、のびのびと描きたいものを描き、そして死にます。彼の作品は死後になってから評価されるようになりますが……
本書の特徴は「シニシズム」だそうです。「利口な男なら、立派な女なんぞと結婚するはずないじゃないの?」とか「正義の憤慨という奴に、かんじんの当の悪人を直接懲らすだけの腕力が伴っていない場合ほど、実際見ていてみじめなものはないからである」とか、シニカルな言葉が最初から並んでいます。
もう一つの特徴は、断片の集積。一連なりのストーリー展開とか心理描写とか起承転結とかはありません。ロンドンとパリはまだ良いです。「僕」が芯になってなんとかストリックランドに関する断片をまとめることができています。しかしタヒチでは著者はそういった見せかけの努力でさえ放棄し、紙面はただの証言集となってしまいます。
こんな破綻した「小説」がどうしてベストセラーになったんでしょう? もしかして読者は「一般人にはとても理解できない芸術の創造者は、なるほどこんなに理解できない行動をする人物なのか」と読んで安心していたのでしょうか? それとも、手のひらの六ペンスの向こうに自分の手ではコントロールできない月を見つめていたのでしょうか。落ちるリンゴの向こうに落ちない月を見つめていたニュートンのように、両者からは違いと共通点とを見つけることができるのですが、そのどちらを読者は見ていたのかな?
今の私にとってキーボードとはパソコンのそれですが、かつては楽器の一部のことでした。
私は幼稚園でオルガン、小学校でピアノを習っていたのでキーボードを触るのは私にとっては日常生活の一部でした。中学で楽器とは縁が切れたと思っていましたら、お袋が懸賞で当てたものですから、高校でギターを始めました。独学で意外と弾けるようになったのは、五線譜を読めたことと、キーボードの練習で左手がけっこう強かったことが大きいのではないか、と思っています。同級生たちが苦労していたセーハ(左の人差し指で六本の弦を一挙に押さえる)もすんなりできましたから。
キーボードとの再会は大学時代。英語のレポートをタイプで提出することが義務だったため安売りのタイプライターを買ってぽちぽち打ってました。ホームポジションを覚えるまでは苦労でしたが、特定の単語を素早く打てるようになったときには嬉しかったなあ。
ここまで来たらパソコンのキーボードを使うのにはなんの問題もありません。なんだか遠回りしたような気もしますが、人生にはそれほど無駄なものはないという実例かもしれません。
【ただいま読書中】
秋元道雄著、ショパン、2002年、1800円(税別)
私が初めてパイプオルガンの演奏を生で聴いたのはたしか1980年代前半、マリ=クレール・アランの演奏会でした。何も知らずに出かけたのですが、彼女は世界的なオルガニストだったんですね。音楽大学の小さな会場だったのですが、空間を満たして鳴り響く「トッカータとフーガ」の迫力には痺れました。
紀元前265年、エジプトのアレキサンドリアで床屋職人だったクテシビウスが、水力で空気を送ってパイプを鳴らす楽器(水オルガン)を発明しました。やがてそれはふいごで空気を送る空気オルガンとなります。
中世の教会音楽は声楽が中心で(だからバッハの壮大な音楽に対する教会からの批判もあります。楽器が威張ってて歌が入る余地がない曲はいかがなものか、と言うの)、オルガンはそれほど広まっていなかったようです。吟遊詩人などは携帯用のオルガンを使用していましたが、多くのパイプをそなえた大型のオルガン「大オルガン」が14世紀頃から欧州の各地で発達します。
ルネサンス期には、鍵盤の小型化と音域の拡大・ストップ装置(音色や音量を選択できるスイッチ)・足鍵盤などの工夫が行われます。バロック期には、宗教改革の影響が大きく見られます。オランダでは合唱団を廃止し、オルガンによってリードされた会衆が歌う方式となりました。さらに礼拝の進行を司る役目も負うようになりました。音楽の使われ方や社会の音楽趣味などによって、パイプオルガンは各国でユニークな発達をします。パイプをどのように設計するかによって音色が変化し、さらにそれらを合成することで様々な音色のバリエーションが作り出せます。その特殊性を活かしてパイプオルガンの音楽は形成されてきました。
また、オルガンが設置される建物も重要です。バロック期の楽器はバロックあるいはルネサンス建築ではよく響きますが、ロマン派以降の建築では耳障りな響きとなるそうです。
オルガンのハードウェアについても書いてありますが、ここでは省略。
演奏技法のところでは「ピアノが弾けるからパイプオルガンが弾ける、と思ったら大間違い」とあります。あれれ、キーボードは似たようなものじゃないか、と思いますが、たたくのではなくて撫で押すようなタッチが重要だそうです。パイプオルガンはピアノと違って音が減衰しません。キーを押し続けたら永遠(!)に音は続きます。その特性を活かす奏法があるのです。その一つがグリッサンド奏法……あれれ、これってヴァイオリンやトロンボーンの奏法じゃなかったっけ? パイプオルガンでのグリッサンドは、指先を(たとえば黒鍵から白鍵に)滑走させて演奏するのだそうです。なんだか面白そうです。
ちなみに、オルガニストは日常の練習はタッチが似ているクラヴィコードで行うそうです。エレガントな練習風景のような気がします。
ひどく神経質な人は周囲の人間に対しては無神経に振る舞うけれど、無神経な人は自分自身に対しても無神経に振る舞うところが違います。だけど、ときどき、その差は紙一重じゃないかと思えるときもあります。
そうそう、無邪気と無神経も紙一重ですね。
【ただいま読書中】
大峽儷三著、PHP研究所、1998年、1381円(税別)
鬼は陰の世界の生き物である、と本書では述べられます。だから鬼ごっこの場合、「鬼」に目隠しをすることで闇の住人であることを示すのです。つかまった人が鬼になるのは、陰と陽の循環(交代)を意味しているのです。
鬼については3月9日の日記に書いた『絵で見て不思議! 鬼ともののけの文化史』に詳しかったので、陰陽だけで鬼を読み解こうとするとこうなるのかな、と思いながら私は読みました。
かごめかごめの歌詞も、後半部分(夜明けの晩に〜以降)はたしかに陰陽で理解できると思いますが、前半部分は違うんじゃないかなあ。
英語ではRightには権利とか正しいという意味がありますし、日本語にも「左遷」「左前」など左<右を示す言葉があります。しかし公的(?)には左大臣が右大臣より上であるように左>右が日本の伝統でした。
陰陽では、天子は北極星ですから北に位置して南面します。すると星は天子の左手から昇り右手に沈みます。これが左上位の根拠です。ただし中国の歴史ではどちらが優位かは揺れています。戦国時代〜漢の時代は右上位です。隋・唐の時代に左上位となりそれは宋まで続きました。この時日本に輸入された中国文化が日本文化の基礎となっています(つまり左上位)。元ではまた右上位となり(この時代は日本と交流は少ないから影響なし)、明でまた左上位となります。
食卓で米飯は左側・汁は右側ですが、日本人にとって大切な米を優位な左側に置くのだそうです。
和服は右前が基本です。しかし埴輪では右前も左前もありますし、法隆寺の塑像も両方あります。右前が基本となったのは、養老三年『続日本紀』「初メテ天下ノ百姓ヲシテ襟ヲ右ニ令ム」と定められてからです。これにも陰陽によってめんどくさい根拠が与えられています。
おひな様の左右(女雛と男雛をどう並べるか)は、人々は江戸時代にはあまりこだわっていませんでした。こだわりが生じたのは明治になってからです。明治天皇夫妻の並びを、当時の国際標準に合わせて「男が向かって左/女が向かって右」とするようにしてから、おひな様もそれに合わせる風潮が(特に東京で)生まれたそうです。
正直言って、この左右の問題はどうにでもなるものじゃないか、と思います。別に左右のどちらが偉いわけでもないし、人為的にどちらかを偉い、と決めても都合が悪くなったら簡単に変えられますから(「右ではなくて実は向かって右だったのだ」とか言ったら変更をいくらでも正当化できます)。
左右の次は上下です。「お手を拝借」の場合手のひらは上(陽)を向きますが、「静かに」の場合は下(陰)を向きます。これを逆さまにやって笑わせてくれたのは落語家の……誰だったかなあ。喧嘩を鎮めようとして手を上に向けて却って煽ってしまうの。
ものをやり取りする場合も、手のひらの向きで相手との上下関係を明らかにします。目上の人にはこちらの手のひらを上に向けて(文字通り)さし上げます。目下の人にはものを上から持って下げ渡します。目上/目下に陽(天・上)/陰(地・下)が見えるわけです。
神社の狛犬、どちらがオスでどちらがメスでしょうか。向かって右(神様から見て左)の口を開けている阿(あ)形が陽ですから牡、向かって左の口を閉じている吽(うん)形が陰ですから牝です。(ちなみに、中尊寺の弁慶を祀った社は、狛犬の左右が逆になっているそうです) ついでですが、山門の仁王像も阿吽ですが、これはたぶんどちらも男でしょうね。
贈答に関して、室町時代〜江戸時代に礼法緒流派が様々な形式を編み出しました。その多くの根拠となったのが陰陽です。たとえばお金を包む場合、天が先・左が先、という原則があります。紙幣を乗せた紙の左角をまず折り、ついで天地の順で折り、最後に右に折りながら巻いていくのが小笠原流。伊勢流は天地が先でそれから左、となります。香典の時には逆になります。水引の結び方も……ああ、ややこしい。
「日本人の宗教は希薄」と言う人がいるそうですが、普段は意識していなくても実は生活そのものが隅々まで宗教的だったからこそ明らかな宗教活動(たとえば日曜礼拝のようなもの)をあらためて行う必要が無かっただけなのかもしれません。陰陽を、思想(陰と陽は対等)ではなくて宗教(陰と陽に価値をつけそれを人間社会に投影する)とすれば、そんな考え方も成立するのではないか、と思えてしまいます。ただ現代日本では陰陽と言ってもすでにちんぷんかんぷんでしょうから、そういった点では日本は宗教の形式だけ部分的に保存された無宗教国家になってしまった、と言えるのかもしれません。
個人的には、男尊女卑思想や迷信の根拠となった宗教としての陰陽は捨てても良いとは思いますが、本来の思想としての陰陽を捨てるのはもったいないと思っています。社会にはなんらかの枠組みとしての礼法などが必要でしょうから、そこに古い文化の香りを残すことはできないかなあ。
近くの踏切のすぐそばに大きな桜の木があって、現在満開です。遮断機が下りて電車の通過を待っている歩行者は桜に見とれてますが、車のドライバーは真剣に遮断機をにらみつけています。あの人、きっとご自分が満開の桜の雰囲気に包まれていることに気がついていないんでしょうね。もったいないなあ。
【ただいま読書中】
森村誠一著、小学館、1994年、1553円(税別)
後白河法皇の皇子でありながら主流からはずれた以仁(もちひと)と、朝廷と清盛に忠実であった摂津源氏の統領頼政が組んで平氏に対する反乱を起こします。以仁の令旨は反平氏の各地の源氏と僧門に届けられますが、ことはあっさり露見し以仁と頼政は討ち取られ、圓城寺は焼かれ僧兵は全員殺されます。この徹底した殺戮は、平氏に対する恐怖心を徹底させますが、同時に世間の支持を失わせました。
反乱鎮圧によって、軍事面は知盛、政治面は宗盛という分業体制が確立します。嗣子の重盛を病気で失いましたが、平氏は安泰のように見えました。見えるのですが、清盛は不安にさいなまれます。かつて自分が堂上貴族を引きずり下ろしたように、別の誰かが貴族化した平氏を討とうとするのではないか、と。清盛は、政治を一新し旧陋を断ちきるため、福原遷都を宣言します。都人だけではなくて、京に根を下ろした平氏一門もこの決定には不服でした。しかし表だって不服を言い立てることはできません。そして猶予期間は七日間! 無茶です。とんでもない大混乱が起きます。なんの整備もできていない土地に突然都が押しかけるのですから。そして、平氏に対する世間の支持はますます失われました。
後白河の院宣を受け、頼朝が伊豆で挙兵します。監視役だったはずの北条時政が協力しますが寡兵でしかも周り中平氏の勢力下です。
しかし、後白河も巧妙です。清盛が後白河の名義を使って頼朝を伊豆に押し込めているのを逆用して、自分名義の院宣では勅勘を解くだけにし、平氏追討は以仁名義の令旨で行わせるのですから。
頼朝は敗れ安房に逃れますが、木曽で源義仲・甲斐で武田信義が蜂起します。頼朝はその情勢をにらみ、兵力を集めながら安房から動き始めます。旗揚げの時には百旗に満たなかった軍勢が鎌倉に迫る頃には三万に膨れあがっていました。清盛は維盛・忠教という平氏の傍流の二人に頼朝討伐を命じます。二万の大軍が福原を進発しました。途中で兵隊を加えて七万になります。それを迎え撃つ源氏軍は、十万。ただし寄せ集めで夜盗山賊のたぐいまで混じっています。富士川をはさんで対陣する両者は、お互いの腹を探りながら戦いの糸口を求めますが、そこで有名な「水鳥の羽音」が生じます。
その直後義経が合流し、その言をいれて頼朝はさっさと鎌倉に引き返します。木曽とぶつかることを避け、兵を養うのです。福原と違い鎌倉は新都として急激に発展します。清盛は各地で勃興する源氏の勢力に対抗するために、まずは都を京に戻します。福原が都だったのはわずか半年間でした。さらに清盛は、幽閉していた後白河に再び政を任せる工作を行います。まるで自分の死後の準備をするかのように。
そして『平家物語』の一つの山場、清盛の死ですが、著者はそこは軽く流します。さて、清盛亡き後の平氏は全源氏が協力すれば簡単に勝てるはずですが、源氏の中も一枚岩ではありません。頼朝の兄義平は義仲にとっての父を討った仇ですから協力などもってのほか、行家は自分こそ源氏の統領になるべきと思っています。義経はその才を頼朝に警戒されています。そのおかげで平氏の寿命はもう少し延びるのでした。
西を向くのは小の月ですが、よく泣くのは……平家物語です。息子に指摘されて、改めて気がつきました(子どもの時からそれが自然だと思っていたものですから)。考えてみたら、侍が泣かない(笑わない)、なんてのは江戸時代の武士道からでしょうか。陰陽の立場だと、「落涙」は水が下に向かうので完全に「陰」ですから、陽である男が泣いてはおかしい、となるのですが……
戦国時代でも、たとえば山中鹿之助だって泣いてますよね。平家物語にも、はらはらと涙を落とす/感涙にむせぶ/感泣する、侍が満ち満ちています。だとすると「男は泣かない」というのは、日本の伝統に反しているの?
【ただいま読書中】
森村誠一著、小学館、1995年、1553円(税別)
義仲は北陸を切り取り、京への侵攻の機会を窺います。義仲が気にしているのは平氏だけではありません。父の仇の頼朝も敵です。そこで頼朝と義経の間を裂く工作を考えます。義経は、義仲を警戒しつつ、京に「平氏に裏切り者が」という噂を流させ平氏の勢力を削ぐ手を打ちます。後白河は、自分から実権を奪った平氏を源氏にやっつけさせ、源氏を今度は自分の番犬として飼いならそうと画策します。平氏の中でも清盛亡き後蚊帳の外に置かれてしまった清盛の忠臣団は、西国に一時撤退してわざと義仲に京に侵攻させ、それに焦って上京する頼朝と義仲をかみ合わせることを進言しますが、平氏の上層部には一顧だにされません。貴族化した平氏にとって、都から離れることは「考えられないこと」だったのです。(ここで私は、一度九州に落ちた足利尊氏が瀬戸内海を東上してくるのを迎え撃つ楠木正成が「京を空っぽにしてもっと守りやすいところへ」と勧めたのを「天皇の御動座など考えられない」と貴族たちに一蹴されたのを思い出します。戦略よりも面子の方が大事な人が戦いに口をはさむと、それは負け戦へ一直線なのですね。有利な場所を捨てて自分が不利な場所での戦いを味方に強いられるのですから)
……しかし、ここで描かれている平氏一門の言動(簡単に驕り高ぶる、根拠無く相手を見くびる、根拠無く自分に過剰な自信を持っている、失敗体験に耐えられない、失敗から学ばない……)って、最近問題にされているどこぞの若者の行動と似ていません? いや、似ています。
さて、平氏と木曽義仲の決戦は、有名な倶利伽羅峠です。しかし牛の角にくくりつけた松明って……絵にはなりますが、誰が火をつけるんです? 命がけの仕事ですし群れの全部に火をつけるまで猛牛がおとなしく待ってくれるかしら? そういや映画「PROMISE 無極」でも牛の群れを使う攻撃が出てきましたが、CGの牛でも松明に火をつけるのは難しそうです。
京を逃れた平氏は屋島に籠り、京に入った義仲は結局後白河に踊らされて頼朝軍(義経は搦め手の大将)に敗れます。後白河はこんどは、平氏と頼朝と義経のパワーバランスの上に自分の政権を置こうとします。さて「飼い犬に手を噛まれる」になるか、それとも「狡兎死して走狗煮らるる」になるか、お話の結末や、いかに……って、皆さんご存じですよね。
本書の巻末でいよいよ屋島と鵯越の始まりです。
日記に書き忘れていましたが、一昨日のNHK「クローズアップ現代」で「飲酒運転が厳罰化されて、ひき逃げが増えた」という特集をやっていました。
ずっと前のひき逃げでは逮捕された人の「こわくなって逃げた」という主張がよく報道されていました。「まったく、一時の感情にまかせずに『逃げても逃げ切れないし、早く救助したら致死が致傷ですむかもしれない』と計算しろよ」と思ったものでしたが、今は「あ、轢いちゃった。今110番や119番を呼ぶと逮捕されて危険致死傷で下手すると20年の懲役。逃げて酔いを覚ましてから出頭したら、たとえ被害者が死んだとしても酒酔い運転が取れてただの業務上過失致死だから数年。う〜ん、どっちが得だろう」と瀕死の人の前で計算して、その結果逃げる人が多くなったわけです。突発事に感情にまかせず冷静に判断できるのは文明人の証拠と言えそうですが、やってることは野蛮人以下では?
【ただいま読書中】
森村誠一著、小学館、1995年、1553円(税別)
一ノ谷・屋島・壇ノ浦と平氏の滅亡の旅が続きます。追うのは義経。しかし彼を取り巻く状況は複雑です。義経が勝つたびに頼朝は猜疑心を募らせます。常勝の義経が自分を上回る人気と勢力を得て自分にとってかわるのではないか、と。実はこの猜疑心は完全なる妄想ではありません。義経にはその気がなくても、後白河はもろにそれを狙っているのですから。後白河は、鎌倉から動かない頼朝が、権力構造に組み込めたこれまでの武士とは異質であることを感じ、それに対抗する自分の手兵として義経を用いようと画策しているのです。
義経は目の前の敵を滅ぼすので必死です。倒さなければ自分が殺されます。でも……壇ノ浦で平氏が滅亡した後、こんどは自分が狙われていることにどうしても気がつかざるを得ません。平氏を倒しても倒さなくても、結局我が身の滅亡……なんて悲劇でしょうか。
都人の心情も複雑です。平氏の生首や虜囚が都に送られてきます。しかし、彼らは多くの都人の血族や姻族なのです。いくら逆賊との院宣が出ているからといって、諸手を挙げて快哉を叫ぶわけにはいきません。
本書では弁慶が頼朝の器量と考えを見抜いて、なんとか義経にそれを気づかせようと努力する役回りとなっています。結局義経の兄弟愛の前にその説得は失敗するのですが、ここでもうちょっとマクロな視点を導入して、たとえば「兄のために、ではなくて、もっと大きな源氏のために、あるいは日本全体のために、いやいや、宇宙のために」とか言って煙に巻いたら成功しなかったかなあ、などと妄想を抱いてしまいます。
義経がもっと勉強をしていて韓信の故事を知っていたら(股くぐりじゃなくて、狡兎の方)平氏にあそこまで徹底的には勝たなかったかもしれません。いやあ、お勉強は大切です。
仏でさえ三度までですよ。私は仏じゃなくて普通の人間なので、二度で十分です。それとも私は、仏と同等あるいはそれ以上を要求されているんでしょうか? 私は普通の人間ですってばぁ。
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R.J.ウィルソン著、熊原啓作訳、シュプリンガー・フェアラーク東京、2003年、2400円(税別)
数学史を切手を通して述べよう、という異色作です。
マイミクの副館長さんがご自身の日記で、切手という窓を通して世界を眺める、といった意味のことを述べられていた記憶がありますが、こういった「自分の窓」を持っている人はちょっと(相当)うらやましく思います。
しかし、いろんな数学切手があるものです。(中には本当にこれが数学?と思うものも混じっていますが……) 初期の数学を示すジャンルでは、「指数え」の切手、シュメールの計算盤、ストーンヘンジなどが紹介されています。数学の偉人・道具(クロノメーターなど)・数学的な娯楽・絵画・数学教育・式そのもの……
式と言えば、ニカラグアで発行された「世界を変えた十大数学公式」は特に面白く感じました。一体何を思ってこんなシリーズを発行する気になったのかは知りませんが、とにかく美しいのです。公式とそれにまつわる図柄とがきれいにレイアウトされています。一番古いのが古代エジプトの人物像に「1+1=2」が添えられたもの。もちろん、マックスウェルやアインシュタインの公式もシリーズに含まれています。
私にとっては意外な人物も紹介されています。たとえばナポレオン・ボナパルト。幾何学の分野で「ナポレオンの定理」を二つ(円と三角形と)持っているのだそうです。あるいはフローレンス・ナイティンゲール。優れた統計学者でクリミアの死者のデータを極図表で表しましたがそれは円グラフ(パイ・グラフ)の先がけだそうです。
もちろん「普通」の数学者の紹介もたっぷりあります。ただ、切手の写真を見てその説明(せいぜい数行)を読んで「はい次、はい次」とやられると、「もっと詳しく知りたい」と騒ぎたくなります。本書は、書かれた部分より、原稿から削除された部分を読みたくなる本でもあります。数学は面白いぞ、と全身で主張している本ですね。
各国の紹介もあります。日本は「中国と日本」で、関孝和(ライプニッツより早く行列を研究)と浮世絵のそろばん、そして武士が将棋(本書では数学ゲームに分類されています)を指している場面の切手……武士がずいぶんバタ臭い(?)顔をしていると思ったら、マリで発行された切手なんですね。なんでまた、マリで将棋の切手?
本書で私が特に気に入ったのは、フェルマーの最終定理の切手です。左辺の「xのn乗+yのn乗」と右辺の「zのn乗」を結ぶ等号に入る斜線が赤でよく見るとその中に「ANDREW WILES 1995」と証明者の名前が入っています。センスが良いなあ。
行きすぎたコストダウンで設計・建築したものだから、地震が来たらダウンするマンションが次々建設されて取り壊しが必要となり、住人はローンを抱えた難民となり、結局会社もダウンするわけです。結局一番喜んだのは、誰? 誰かが浮いたコストを懐に入れているんでしょ?
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森村誠一著、小学館、1996年、1553円(税別)
義経は頼朝の疑いを晴らそうと鎌倉に出かけますが、鎌倉に入ることを拒まれ京に引き返します。京では反鎌倉の四つの勢力が生まれていました。義経・後白河・平時忠・新宮行家(頼朝・義経の叔父で、はじめは鎌倉に属し、のちに義仲に同心、しかし京に入ってからは義仲と喧嘩別れした人)を中心とするそれぞれの勢力ですが、いずれも単独では鎌倉方に対抗できるだけの兵力を持っていません。
ついに頼朝は義経討伐の軍を動かし、兵が集まらない義経は都を落ちます。頼朝は自身の行動を正当化するために後白河に義経追捕の院宣を出させます。さらにその院宣を実行するためと称して、全国に守護・地頭制度を整備します。これは表向きは警察制度ですが、その活動のために兵糧米を徴収する権利を持っていたことから、武力を伴う土地支配となり、武家政権の確立へとつながります。しかし後白河はその流れを阻止できません。こうして幕府は全国を支配することができました。
義経は(すでに手遅れですが)頼朝との正面対決を決意し、平泉を目指します。頼朝に対抗できそうなまとまった兵を持っているのは奥州藤原氏だけだったからです。で、有名な安宅の関。
藤原秀衡は義経を暖かく迎えますが、その子どもたちは自分の後継の権利が義経にさらわれるのではないかと警戒します。そして、弁慶の立ち往生です。
しかし皮肉なものです。武家政権が確立したら、政権は文治化し、結局実権は頼朝の手から逃げていきます。ちょうど天皇が摂関家や上皇に実権を制されていたのと同様に。そんなことになるのだったら、頼朝は義経をさっさと始末せずに、後白河との間を裂いてうまくバランスを取るように操縦した方が良かったかもしれません。あるいは、本書のあとがきにもあるように、足利尊氏にとっての南朝のように、脅威ではないが目障りな敵を残しておいてつねに軍事的緊張を保つようにしたら良かったのかもしれません。そうすれば「武家」による武家政権のコントロールが継続できたでしょう。まあ「たら」と「れば」を言っても何の役にも立ちませんけれど。
「黙って権威に従う」ことを教え込まれた人は、他の権威に出会うと前の権威をあっさり捨ててそれに従います。なぜならその人にとって大切なのは「権威の内容」ではなくて「黙って従う」ことの方ですから。だから自分の権威を維持したい人は、信奉者が「文句を言いながらも自発的に従う」ようにした方が良いでしょう。
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ウルリック・ストラウス著、吹浦忠正 監訳、中央公論新社、2000円(税別)
著者によると、太平洋戦争で日本兵捕虜があったと聞いた多くの米国人は驚くそうです。カミカゼや玉砕で全員死んでいる、というイメージを持っている人が多いそうで……たしかに戦争中の捕虜の数は、ドイツ軍の94万、イタリア軍の49万に比較したら日本軍の3万5千はひどく少なく感じますが、それでも存在はしていたのです。本書は本来、そういった思いこみを持っている米国人のために書かれた本です。また、本書で対象とされるのは、戦争中に西側諸国に捕虜になった日本兵です。戦後および中国やソ連での捕虜は、様相がまったく異なるからです。
日露戦争では、日本は自軍の捕虜が生じたことを事実として受容しましたし、第一次世界大戦では捕虜にしたドイツ軍人を丁重に扱いました。しかし戦後〜1930年代にかけて少しずつ捕虜に関する日本の風潮は変わっていきます。「日本兵は(強いから)捕虜にはならない」というのです。修身の時間に軍事教育が行われるようになり、やがて中学校で現役(あるいは退役)軍人による軍事教練が行われるようになります。それにしたがい社会にも変化が生まれました。たとえば戦死者の家族に対する挨拶が「ご愁傷様です」から「名誉の戦死、おめでとうございます」になったのです。やがて「生きて虜囚の辱めを受けず」で有名な『戦陣訓』が1941年、陸軍大臣東条英機によって公布されます。
戦陣訓により、「名誉の戦死」と「自殺」の区別が消滅しました。徴兵されるまでに受けた「死は鴻毛より軽い」という教育と、「捕虜になったら『恥』は家族に及ぶ」というプレッシャーとによって、日本兵は生存本能に逆らって「死」へと追い込まれていったのです。(その「恥」の対極が、名誉=「靖国神社に祀られる」ことです)
もともと日本文化には(特に若い人の)自殺や心中を「特別なもの」とロマンチックに見る伝統がありました。その文化的伝統が、戦場での戦死も自殺も友軍による死(敵に捕まったり殺されるくらいならいっそ自分が殺してやる)もすべて「死」という一点のみで無差別化されるという硬直化した死生観を生み出したのです。
さらに「日本兵は捕虜にならない。国際協定は相互主義を前提とする。したがって捕虜に関するジュネーブ協定は片務的である。したがって日本はジュネーブ協定を批准しない」という主張が行われます。ジュネーブ協定に対する無知と「弱いから捕虜になったのだ」という軽蔑とから、捕虜に対する虐待が行われます。(ただし著者は、連合軍による日本兵(捕虜)に対する残虐行為についても省略はしません) ジュネーブ協定に対する無知は皮肉な結果も生みます。捕虜には黙秘の権利がありますが、それを知らない日本兵は重大な軍事機密に関してもぺらぺら喋ってしまったのです。その結果、日本軍はいくつかの大損害を受けています。
「相手に対する無知と偏見」は日米双方に深く存在していました。通訳や捕虜収容所での勤務に就いていた日系二世たちは、連合国兵士による日本人に対する差別をも受けなければなりませんでした(ひどい場合は「日本兵と間違えて」背後から撃たれた例もあるそうです)。
現代の日本で戦陣訓を持ち出しても、おそらく受け入れられないでしょう。でも、戦陣訓はあくまで「結果(最終仕上げ)」であって、その本体はその前の教育と社会の変化の方にあります。さて、今の日本で「軍靴の響き」が聞こえるのかな? ちょっと社会を注意深く観察する必要があるかもしれません。もっとも少子化が深刻な社会で人命を使い捨てにする戦術が採れるとは思えませんけれど。
私は素直なので「鮒」は「ふ」と読みたくなるのです(「付」は「ふ」でしょ?)。でもそうなると「な」はどこに行ってしまったのでしょう?
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森下典子著、世界文化社、2006年、1400円(税別)
行間から美味しそうなにおいが立ちのぼるエッセー集です。著者が描いた挿絵も、本当に美味しそう。
登場するのは、カゴメトマトケチャップ・サッポロ一番みそラーメン・松翁軒のカステラ・ブルドックソース・塩鮭の皮とカマ・水羊羹・どん兵衛きつねうどん……ラインナップで一目瞭然ですが、いわゆるグルメの本ではありません。子ども時代の思い出や人への思いなどが「『それ』を食べること」とともに語られます。その語り口が絶妙なんです。
たとえば「アントニオ・バンデラスは食べ物で言えばくさやだ」って……くさや? 一瞬あれれと思いますが、読んでいるうちに納得です……というか、むりやり納得させられます。著者の食べ物への愛しさが私を納得させてしまうのです。味覚だけではなくて、視覚も嗅覚も聴覚も触覚も、そして記憶まで総動員して著者はその愛しさを語ります。著者にとって「いとしい」のは「たべもの」単独ではなくて、その食べ物を含む生活や人生そのものなのでしょう。
著者と私はほぼ同世代で同じような環境で育っているようです。「オムライスは、冷やご飯で作ってケチャップをかけるのが正統。ドミグラスソースやホワイトソースをかけるのは『私のオムライス』ではない」と潔く断言されると、思わず「うんうん」と深くうなずいてしまいます。トマトケチャップで味をつけたライスを薄焼き卵にくるんでさらにケチャップ(それもカゴメ)をかけたオムライスって、私にとってもたしかに特別な御馳走でした。お袋はフライパンではなくて吉岡鍋の蓋で作っていたような記憶もあるのですが、さて、この記憶は本当なのかな? おやおや、私も著者と同じような作業をやっているようです。しばし追憶にふけることにしましょうか。
感覚と感情と、そして隠し味の理屈とが、絶妙の味のハーモニーを作っている本です。是非一度ご賞味あれ。
我が家の洗濯機をしげしげ眺めていて、点字表記があるのに気がつきました。たしかに点字表記もあると便利でしょう。スイッチの位置を全部記憶しなくちゃいけないという負担を目が見えない人にかけずにすみますから。でも……駅の券売機などにある点字を見るたびに、目が見えない人が「ここに点字がある」とどうやって知ることができるのかが私にとって以前からの疑問なのですが、それはともかくとして……「ほほう、脱水とすすぎと水位で共通のこの文字は『す』だな」などと思っていましたが、ちょっと気になることが。字が読める人間は「水位」を「すいい」と読んで意味を簡単に取ることができます。水に関係することは一目瞭然ですから。でも、点字の利用者たちは「すいい」と読んでそれを簡単に「水位」に脳内で変換できるのでしょうか? むしろ(長くなっちゃいますが)「水の量」とかの方がわかりやすいのでは?
点字を読むということは……たとえばかんごまじりのぶんしょうをぜんぶそのままかんじぬきでよむことをきょうせいされることとどうようでいらつきませんか? ソレダッタラブンショウソノモノノコウセイヲクフウシテカンジヌキデモリカイシヤスイヨウニサイショカラブンショウヲコウセイシタホウガシンセツデス。もちろん点字使用者が脳内に点字漢字変換システムを装備していて文章をちゃっちゃと理解できている、というのでしたら、私のこの心配は杞憂ということになります。それだったら良いんですけどね。
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飯塚哲夫・明原三太郎、愛育社、2006年、1400円(税別)
「全世界のほとんどの歯科医師が齲蝕(むし歯)と歯周病の二大疾患をほとんど治せないのが現状なのです」とショッキングな話で本書は始まります。もちろんこの発言には仕掛けがあって「治す」という言葉の定義が問題なのですが(「治す」と「直す」は違う)、その説明の前に一度話は過去に戻り、医学の歴史と歯学の成り立ちについての説明があります。歯科が外科から発生したこと、伝統的に外科は内科の下に置かれていたこと、その結果歯科医はドクターであるよりデンティスト(修理屋)であることの方が多い、と本書では述べられます。意外なことに、歯科医師には大学卒業後の臨床研修制度もないそうな。ええ? つまり卒業翌日から開業することも可能なのですね。
歯周病に関しての一般書も書名を具体的に挙げて批判がされています。「一般読者に深刻な誤解を与える」「時代錯誤」「歯科医学界の常識に異論があるなら、一般書を出す前に科学的な根拠を挙げた論文を出すべき」と。わあ、これは新●社に対する営業妨害?
「先進国」であるアメリカも実は歯周病やむし歯に関してはお寒い実情だそうで、歯周病を治せる専門医periodontistは全歯科医の2.7%、アメリカ歯周病学会誌2002年8月号には「歯周病は治る」という論文が麗々しく載る(つまり学会の「常識」は「治らない」「治せない」)のが現実だそうです。
そうそう、本書では「プラーク・コントロール」という言葉にもかみつきます。plaqueなのだからプラックと言うべきで、だから本書では「プラック・コントロールが重要」なんだそうです。それも医学的なプラック・コントロールは「完全」なものでなくても良くて、プラックに巣食う細菌の力がその人の免疫力よりも下になるようにコントロールすれば充分、なんだそうです。なるほど、と思います。あと、歯髄を抜くのは痛みの原因となっている歯髄炎の治療をせずに歯を殺しているだけ、と言ったり、最近流行のインプラントに対してもきわめて批判的だったり、なかなか刺激的な文章が並んでいます。
たしかに歯に対しては私は無知ですし、むし歯になったら削って埋めてもらえばいいや、くらいにしか思っていませんでした。ふーむ、「歯も身のうち」としてもうちょっと大事にしないといけないですね。
今広島の野球ファンの間での話題の一つが、広島市民球場の建て替えです。現在の球場は市の中心の便利な場所にあるのですが、なにしろ手狭。グラウンドも狭いが座席も狭い。とても快適に観戦、とはいきません。
ところが建て替えには大きな問題が。まずお金。それでなくても貧乏球団ですから「どこにそんな金がある?」状態です。もう一つは企業です。設計案のコンペをやろうとしたら、談合問題で辞退者、もとい、辞退社続出で、結局応募したのはジョイントベンチャー一つだけでした。これではコンペになりません。しかもその案、内野席がどかんと増えて外野席は小さな芝生席だけ、というものです。設計者は市民球場で観戦したことがないようですね。あそこの私設応援団は基本的に外野席志向です。さらに応援スタイルは「スクワット」と呼ばれる、たとえば「かっとばせ〜、前田! 前田! 前田!」と応援する場合、「前田」で立ち(同時にメガホンを振る)、次の「前田」で座り、次の「前田」で立つ……というハードなもの。でもこれ、芝生席ではできません。設計者は応援団の人間に対して「外野席から内野席に移れ、外野席に入るのならスクワット応援はやめろ」と主張しているわけです。まあ、なんて偉そうな。
【ただいま読書中】
柴野拓美 編、河出書房新社(河出文庫)、1987年、500円
収録作品
『終末局面に骰子を投げ入れて』 山田正紀
『COPPELIA』 宮武一貴
『地球はプレインヨーグルト』 梶尾真治
『猫の交差点』 久米康之
『プラズマ育ち』 新井桃江
『終末局面に骰子を投げ入れて』……タイトルも素敵だし、謎が謎を呼ぶ魅力的なオープニングなんですが、もうちょっと主人公に葛藤があっても良いんじゃないかなあ、などと思っていたら、これが著者のデビュー作なんですね。う〜む、やっぱり山田正紀は最初から山田正紀だったのか。
『COPPELIA』……『雪風』を思い出しながら読んでいました。無人機同士の戦闘のすごさが際だって、破局はおまけの雰囲気です。ただ、ラストはもうちょっとひねれなかったかな。
『地球はプレインヨーグルト』……これは何も書く必要がないですね。そう、地球はプレインヨーグルトなのです。
SFの歴史の中で、今までに人類は何回もいろんなパターンで絶滅しています。ABC兵器といった「オーソドックス」なものから「こんなので滅びちゃっていいのか?」と言いたくなるのまで、人間(作家)の想像力は限界まで駆使されて、さすがにもう新しい滅ぼし方はそうは見つからなくなってしまったようです。それでも作家は工夫をするもので、本書にも様々な破局(あるいはその亜型)が並んでいます。
私にとって、冷戦時代には「人類滅亡」は「実際にあり得る明日の話」でした。事件で、あるいは事故で、ICBMが飛び交い、原子力潜水艦からミサイルが発射され、B−52がソ連に侵入し……それはいつ起きてもおかしくない事態だったのです。
その冷戦が溶けたと思ったら、核事故、そして国際テロ。やはり人類絶滅の火種は残されたままです。そんなのはせめてフィクションの世界だけに限定されてくれないかなあ。
「男は40を過ぎたら自分の顔に責任を持たなければならない」と言ったのは誰でしたっけ(ケネディ元大統領?)。これは内面が外面に反映する、という主張ですね。
「人を見かけによらない」。これは文字通りですね。外面に惑わされて内面を見通す努力を忘れてはならないという主張です。
おやおや、どちらが本当なのでしょう?
そういえば、ばりばりの不良スタイルの青年が美少女に声をかけたら頭から敬遠されたのに対して「人を見かけで判断するのかよ」と訴えたら「世の中はそういうものよ」と返される、というジョークがあったのを思い出しました。この場合は外見が一種の「記号」として機能しているわけです。たとえば典型的なヤクザや不良少年。この人たちが外見をいかにもカタギのように見せかけていたら、ぶつかった人は困ります。きっと本人も困るでしょう。だから努力してあのように典型的な恰好を作ってくれているわけ、という解釈です。
「美や真実は、外見ではなくて心に存在する」。うん、それは正しいでしょう、たぶん。でも「心が外見に反映する」。うん、これも正しいでしょう、たぶん。
……でも、心とは無関係な外見だったら? 外見に対して本人にはまったく責任がない場合には、その見かけは一体どのような意味なのでしょう? 「人を見る目」がある人にとってはまったく問題はないでしょうが、「人を見る目」がない(あやしい)人にとっては重大問題です。
ということは、「Aさんの見かけ」は、Aさんの問題であると同時に、それを見る私の側の問題でもあるわけです。むむむ、あの人の外見は、見かけなのだろうか見せかけなのだろうかそれともまったくそういったものとは無関係なものなのだろうか私の脳内だけの姿なのだろうか……むむむ。
【ただいま読書中】
トム・ホールマン・ジュニア著、鈴木彩織訳、学習研究社、2003年、1800円(税別)
巻頭に本書の主人公「サム」の写真が載っています。一目見て……そう、私が連想したのは、正直に言います、ギャグマンガによく出てくる極端にデフォルメされた顔でした。三頭身や四頭身の体型でとても人間のものとは思えない形の頭の登場人物。そこに小さめの顔を張りつけたものです。ただし本書は、漫画ではなくて実話です。本文ではサムの顔はこのように描写されます。「顔の左側から、巨大な肉の塊がふくらんでいる。組織の中心部には青い血管が浮かび、耳の下から顎までが半球形に腫れあがっている。左目は塊に圧迫されて細い切れこみのようになり、口は半月を反転させたようないびつな形に変形している。まるで、まとまった量の粘土を顔面にたたきつけられたようだ。こびりついた粘土が、少年の姿を隠してしまっている。」
サムは妊娠中の超音波検査で「脳が頭から流れ出ている」という診断をされました。しかし実際には頭の左半分に巨大な腫瘍がへばりついていたのです。血管とリンパ管の形成異常でした。「マーブルケーキのチョコレートとバニラのように、神経と血管と骨が混ざり合っている」と本書では表現されます。このままでは死亡するため、生まれて三日後に、頚部の腫瘍を手術して除去、さらに数日後には腫瘍が気管を圧迫するため喉に呼吸用の穴を開けます。顔面の腫瘍には手がつけられませんでした。血管の塊にメスを入れたら出血死すると考えられたからです。実際4歳の時の手術では、出血が止まらずサムは死にかけています。
サムの人生は、ネガティブに注目される人生でした。じっと見つめられる、面と向かって笑われる、怯えられる、目を背けられる、あざけられる……サムは望みます。誰にも注目されない普通の少年としての人生を生きたい、と。そして両親は、彼を普通の少年として扱いました。特別な問題を持った普通の少年として。
ハイスクールに進学する直前(人がもしかしたら一生で一番外見を気にする時期)に、手術をしてくれる医師が見つかります。ボストンでの手術(腫瘍を取って顔面を少しでも正常に近づける)はなんとか無事終わり、次の手術(腫瘍で変形した頭蓋骨を形成する)まで待つ間サムはポートランドに帰ります。ところが数週間後、サムは倒れます。水頭症でした。ポートランドの医師はとりあえずシャント手術(脳の余分な水分を腹に流し出す)を行ってから水頭症の原因を調べます。脳幹と小脳に大量の出血が見つかります。はじめは腫瘍が脳に浸潤したものと思われましたがボストンの写真ではそれは見えません。おそらく腫瘍を摘出したため周辺の血流動態が変化し、その結果脳で出血したものと考えられました。サムは出血によって脳幹を圧迫され、自分で呼吸することもできなくなります。脳の出血に対する手術は、首の後ろに例の腫瘍(メスを入れたらすごい出血)があるためできません。ほとんどの人間は、サムはもう助からない(助かっても閉じ込め症候群(意識はあるが、途中の神経が切れているため、せいぜい瞬きでしか意思を伝えられない状態)になるだけ)と考えます。しかしそう考えない人もいました。主治医と両親です。彼らは希望を捨てず、サムが自力で「こちら」に戻ってくる日を待ちます。
そして、数ヶ月後……
人間の強さとは、順調なときに自分の力を誇ることではなくて、逆境で絶望に負けない力のことでしょう。さらにその生き方そのもので、周りの人間に勇気を与えること。その点で、サムは強い人間です。少なくとも私よりは強いのは間違いないでしょう。