2006年5月
日本も米国も、国内の格差解消には熱心ではないですが、在日米軍の思いやり予算とかグアム移転費の日本負担とかの議論を見ていると、日米の「較差」解消にはずいぶん熱心だな、と思えます。
【ただいま読書中】
足立正生 著、山口猛 監修、愛育社、2005年、3200円(税別)
1997年、レバノンに潜伏中の日本赤軍のメンバー(とその周囲の人々)が一斉に逮捕されました。容疑は偽造ビザの使用。日本赤軍の5人のうち、男4人はベイルートのルミエ中央刑務所に送られます。著者は「レバノンに敵対せず最近は武力闘争も放棄している我々を逮捕したのは、おそらく日本政府とレバノン政府との密約に基づく陰謀だ」と考えますが、裁判の結果は三年の禁固刑・刑の執行後は国外追放、という、「微罪」にしては重すぎる罰でした。
著者たちが放り込まれた刑務所は、配給される食事は一日一回、収容人員が多すぎて独房に五人も六人も、三人収容の雑居房には下手すると十人も押し込まれている、というひどい状況でした。
そこは、300人の看守で3000人の囚人をコントロールするため拷問と密告制度が確立し、牢名主が幅をきかせ、そしてアラブ特有の人間関係によって動かされる世界でした。いや、刑務所での日々の生活を読んでいると、アラブの常識が東洋とも西洋とも大きく異なることをかいま見ることができます。
やがて、強硬派でなる副所長が赴任し囚人を強権的に扱ったことから刑務所全体を巻き込んだ暴動が起きます。囚人委員会は政府に対して民主化を求める32条の要求を出しますが、そのうちの一つは「われわれの食事を、せめて犬並みに改善せよ」でした。う〜む、これは突っぱねにくい要求ですね。
その後著者は獄中結婚をし、そして国外追放されます。
日本赤軍といって私が思い出すのは、人名だと岡本公三と重信房子、事件だとよど号ハイジャックと浅間山荘(これは「日本赤軍」ではなくて厳密には「赤軍派」または「連合赤軍」でしょうけれど)、そしてテルアビブのロッド空港乱射事件です。私は、どんなに立派なことを口にしてもその行動が他人を害することが大好きな連中、には何のシンパシーも感じませんが、彼らの行動(と存在)を受け入れる社会がこの世に存在することも忘れてはいけない、とは思いました。本書の監修者も「岡本公三はアラブ社会では『特別な存在』である」という著者の言い分をプラフと思っていたそうですが、ベイルートに行って実際に現地の雰囲気を知って考えを変えたそうです。アラブの人にとって、イスラエルと戦って生還したオカモトは英雄なのです。(ちなみに、ロッド空港乱射事件を著者(たち)は「リッダ闘争」と呼んでいます。「敵」に対する軍事行動なんですね……殺された人のほとんどがキリスト教の巡礼者だったとしても)
著者の持つ自信や確信に触れると、抑圧されたパレスチナ人のために対イスラエル闘争を行う、という「大義」のこわさを感じます。さらに著者の言動を見ると、二言目には「政治(問題)」が出てきますが、「政治」「大義」といった言葉に自分の心を預けてしまうことの危うさを感じます。これは政治の右でも左でも宗教でも同じことでしょうけれど。
ただねえ、本書で扱われる日本赤軍の行動は、最近のものばかり。日本にいた頃何を考え何をしたかについては全然触れられないんですよ。まさか、無視? それとも忘れた?
そうそう、校正が甘いことも気になりました。「静か起こす」(「に」が抜けている)、「間接炎」(もちろん関節炎)、同じ一行の中に「はず」と「筈」が混在、などちょっと真剣に読んだらわかる間違い(や問題点)がそのままになっています。編集者も著者もご多忙だったのかな?
私はごみの分別をわりと真面目にする方ですが、困るのが複合物です。たとえば郵便物。封筒はプラスチックでラベルが紙、というのが多くありますが、素直にラベルが剥がせるものは少数派です。もちろん簡単に剥げたら不着事故が増えて困るのはわかるのですが、「絶対離れないぞ」と封筒にしがみつかれると処置に困ります。そんなしがみつき君に対して、現在私はラベルの部分を鋏で切り取って紙(プラスその裏のプラスチック部分)を燃えるゴミに、残りの部分をプラスチックゴミに出しています。あと、ペットボトルなんかもばらしにくいですね。これももっと簡単にならないものかしら。
エコとか環境とか大々的に言う必要はありませんから、さりげなく「捨てるときに分別しやすいよ」という商品がもっと広まって欲しいし、そういったものが売れる世の中になって欲しいなあ。けっこうセールスポイントになると思うんですけどねえ。
【ただいま読書中】
橘みのり著、草思社、1999年、1500円(税別)
トマトは「新大陸」から旧世界にもたらされました。メキシコのアステカに侵入したコルテスはトマトを目撃しています。ただし、これは「トマトゥル(食用ホオズキ)」であった可能性もあります。本当はどちらだったのか、現場をちゃんと見るためにタイムマシンが欲しくなりますね。
コルテス一行の誰か、あるいはコルテスに続いてメキシコに入った誰かが持ち帰ったらしく、1592年スペインで出版された『庭園の農業』には「リンゴの四分の一ほどの赤い実をつけるポマテス」の記載があるそうです。現代のミニトマトをイメージすればいいのかな? もっともヨーロッパで最初にトマトを栽培し食べたのは、当時スペイン占領下のナポリ王国(1540年ころ)、というのが定説のようです。
日本では寛文八年(1668)、狩野探幽の『草花写生図巻』に「唐なすび」として登場します(ナス科であることがわかっていたんですね、感心)。帆船時代にも人とものは世界中を行き来していたのです。そういや梅毒も江戸時代に大流行でしたっけ。
ヨーロッパでは、トマトは毒草扱いでした。同じナス科のマンドラゴラの仲間として扱われていました。もっとも、平気で食べている人がいることを無視もできなかったらしく、16世紀の本には「毒を消せば食べられる」「食べると害がある」「栄養はない」などと自己正当化の言葉が並んでいます。
逆にトマトを薬草扱いする人もいました。痛風や座骨神経痛の妙薬扱いする人もいます。現在トマトのリコピンが注目されていますけれど、それのはしり……なのかな? まあ、パラケルススの言葉ではありませんが「すべての薬物は毒物である」ですけれど。(蛇足ですが、本書ではパラケルススは「中世の薬学者」となっていますが、実際には、錬金術師/医者/薬学者/思想家、としないと実態からは相当遠ざかってしまうような気がします)
ヨーロッパで、トマトが毒草(または観賞用)から野菜になったのは18世紀。18世紀初頭から毎年発行されていたフランスの食物年鑑『ヴィルモラン=アンドリュー』の1760年版には、トマトは「一年生の観賞用植物」となっています。しかし1778年版では「食用野菜」に。ただし、盛んに食べられていたのは南フランスで、パリではまだトマトは食べるものではなかったようです。事情が変わったのはフランス革命。フランス南部からパリに集まった義勇兵によって、たとえばマルセイユの兵隊が歌っていた軍歌が「ラ・マルセイエーズ」になったように、トマトを食べる習慣もパリに持ち込まれたのです。
そうそう、トマトケチャップは「トマトで作ったケチャップ」だということは皆さんご存知でした? ケチャップとは本来保存用の調味料で(そのルーツは魚醤だそうです。魚醤というと東南アジアのものやしょっつるを思い出しますが、ヨーロッパでも古代ローマ時代からありますから、ヨーロッパの人間にとっては珍しいものではなかったはずです)、アンチョビやマッシュルーム、木の実などから作られました。そして、本来その場で作る新鮮なトマトソースを保存できるようにしたものがトマトケチャップの原形となったのだそうです。
子ども時代の夏の日、田舎の畑でもいだばかりのトマトをかじったときの青臭さ。
やはり子ども時代、病気が治りかけて食欲が出てきたときに、塩をふってかじったトマトの美味かったこと。
あるいは大学時代、トマトを湯むきして煮崩すことを覚えてなんとなくハイカラな気分になっていたらトマトの缶詰がスーパーの棚に並んでいることに気づいてなんとなく口惜しかったこと。私にとって、トマトは常に身近に普通に存在する野菜でした。おそらくこれからもずっと身近に感じる野菜でしょう。最近のずいぶん甘くなった、まるで果物のようなトマトには、ちょっと抵抗を感じますけど。
この二週間ばかり、私の日記はちょっと短めになったり読んだ本の数がいつもより減少していました。
実は先々週家内が突然入院し、昨日やっと退院できました。その間、普段家内に任せていた子どものことや家事に病院通いがプラスされて、使える時間ががくんと減っていたのです。でも、ご近所からの差し入れや親兄弟からのヘルプと(これを忘れちゃいけない)子どもたちの協力で、なんとか乗り切れました。母子家庭や父子家庭の人から見たら「それは普通の生活だ」と言われてしまいそうですが、普段ぬくぬくと暮らしていた者にとってはその落差だけで大きなストレスになるんですねえ。いやあ、家内と家族の有り難みを痛感いたしました。
しかし、なんとかでっち上げた料理を子どもが「これ美味しい」とお代わりをしてくれたときに感じたほのぼのとした幸福感は、あれは本当に「お金では買えない」貴重なものでした。
とりあえず「全快」というお墨付きはもらえたので、早速こきつかってや……うそうそ、彼女の体力が落ちていますから、しばらくは病後の療養ということで二人三脚でぼちぼち生活をしていけば、と思っています。抜けるところは全部手抜きじゃ。
ということで、現在完了進行形の近況報告でした。
人前で泣くのだったら、先に泣いた方が有利。
【ただいま読書中】
ライマン・フランク・ボーム著、佐藤高子訳、早川書房(ハヤカワ文庫NV81)、1974年初版(86年18刷)、320円
本書のタイトルを見て私が想起するのは、ジュディ・ガーランドやマイケル・ジャクソンです。なんで映画ばかり? 実は本書も「タイトルや内容は知っているけれど、実際には読んだことがない本」だったのです。お恥ずかしい。そこでちゃんと読むことにしました。
カンサスの大草原に住む少女ドロシーは愛犬トトとともに竜巻に家ごと吹き飛ばされ不思議な国にやって来ます。そこは東西南北は四人の魔女、中央はオズという大魔法使いが支配する世界でした。偶然悪い東の魔女をやっつけてしまったドロシーは、カンサスに帰してくれと頼むためにオズに会おうと黄色い道を進みます。旅の途中でドロシーと出会って道連れになるのが、脳味噌を欲しがっているかかし、心臓(心)を欲しがっているブリキの木こり、そして勇気を欲しがる臆病者のライオンでした。しかし幾多の困難を乗り越えてやっとオズに会えたドロシーたちに課せられたのは次なる無理難題でした。さて、ドロシーは無事我が家に帰れるのか、そして三人(体?個?匹?)のお連れは、それぞれの望みが叶うのか、そしてオズの正体は……
実際読んで、その内容がけっこう血なまぐさいのには驚きました。桃太郎の鬼退治以上かもしれません。特に西の悪い魔女の領地に侵攻する過程で、魔女の眷属を次々首チョンパして死体の山を築くシーン、これを具体的にイメージしたら(現代の常識では)あまりお子様向けとは言えないんじゃないでしょうか。まあ、グリムだってもともとはひどく残酷な童話だったそうですし、100年前のアメリカではこの程度はお子様向けだった、ということなのでしょう。でも、グリムで大量虐殺はあったっけ? やっぱり「アメリカ風の童話」なのかしら。
そうそう……
「きみ、脳ミソはあるのかい?」かかしがたずねました。
「あると思うよ。まだたしかめたことはないけどね」ライオンが答えました。
という会話を読んで、私は『
攻殻機動隊』を思い出して大笑いをしてしまいました。著者がそんな私を見たら「なんでここで笑うんだ?」と不思議に思うことでしょう。
私がはじめて「自分の時計」を持ったのは中学入学のとき、親父が自分の腕時計を譲ってくれました。毎日ネジを巻かなきゃいけないし、年に一回は分解掃除に出さなきゃいけないし、そんな手間がかかるのに誤差は一日数十秒という、今の時計のレベルから考えると「それでいいのか」と言いたくなるものではありましたが、でも嬉しかったなあ。親戚からは目覚まし時計をもらったし、「これからは自分の時間は自分できちんと管理できるよね」と言われているような気がして、大人に一歩近づいた自覚が持てたのです。
就職してから腕時計はしない習慣になってしまいましたが(腕にものがあると商売の邪魔になる環境だったのです)、今でも外出や出張の時などに腕時計をはめるとそれだけでちょっと良い気分になれます。
【ただいま読書中】
有澤隆 著、河出書房新社、2006年、1800円(税別)
本書では「機械式時計」に焦点が絞ってあります。水時計や日時計は古くからありましたが、それと機械式時計との大きな違いは「脱進機があるかどうか」だそうです。
13世紀の教会の塔には錘時計が設置されました。錘が重力に引かれて降りるのを動力とする時計ですが、錘が下降する速度を制御し一定の速度で時計を動かすためのメカニズムが脱進機です。1581年に「振り子の周期は重さや振幅によらない」という振り子の等時性が発見され(クイズ:発見者は誰でしょう?)、振り子の往復運動を規則的な歯車の回転に変換するバージ脱進機が組み込まれた振り子時計が発明されました(発明者は、土星の輪の発見でも知られるホイヘンスで1656年のこと)。この発明によって、時計の誤差はそれ以前の一日一時間から10分にまで向上したそうです。
1654年にはフック(のちに顕微鏡で細胞を発見)が、ひげゼンマイも振り子と同様一定周期で震動することを発見します(フックの法則)。この発見を受けて1674年、またまたホイヘンスがひげゼンマイを調速装置に使用した懐中時計を作り出しました。
大航海時代となり海上での位置を知ることが重要となります。特定天体の水平線からの角度を六分儀や八分儀で測定することで緯度はわかりますが、経度を知るためには正確な時計が必要です(その天体(たとえば太陽)が南中する時刻がグリニッジ標準時とどのくらい差があるかわかればグリニッジとの経度の差が計算できるのです)。一日に2秒しか誤差がないマリンクロノメーターの登場です。「位置を知るために時計が必要」というと、一瞬「あれ?」と思うかもしれませんが、現代のGPSも衛星に積んだ原子時計(に相対論的補正をかけたもの)を参照して現在位置を知るシステムでしたね。「昔から人間は似たようなことをやっている」とまとめたらおおざっぱすぎますか?
時計の誤差が一日数分以内になったとき、画期的な変化が時計に起きました。分針の登場です。それまでは時針だけだった時計に独立した分針が取り付けられたのです。さらに16世紀後半から17世紀前半のドイツでは、自動人形時計が盛んに作られました。時計は当時のハイテク商品だったのです。
産業革命で「時間を守る」ことが重要となり時計の需要が貴族から一般人へと広がります。同時に分業によって時計の大量生産が可能となりました。アメリカでは鉄道網の発達でさらに時計が重要となり、時計は「工房で職人が作るもの」から「工場で大量生産されるもの」へと変化しました。
航空機の発達は時計に別の発達を促します。初期のパイロットは懐中時計を見やすくするために腕に縛りつけていましたが、それが腕時計になっていったのです。さらに第一次世界大戦によって、腕時計には小型化・耐久性・耐水性・時間計測機能(クロノグラフ)などが求められるようになりました。その新しい流れに乗って成功したメーカーがロレックスです。
そうそう、「水晶の結晶に電圧を加えると正確な振動を起こす」ことが発見されたのは1880年、ピエール・キュリー(妻のマリーとともにノーベル物理学賞を受賞した人)とその弟ジャック・キュリーによってでした。その原理を応用して1970年代からクオーツムーブメントが大量生産されるようになりましたが、それまで時計世界を支配していたスイス時計業界は新しい流れに乗り損ない、危機を迎えることになりました。スイスが立ち直るのは1980年代半ば以降のことです。
本書では触れられていませんが、機械式時計から私が連想するのは人体機械論です。このことばの言い出しっぺは『
人間機械論』を書いた18世紀のフランス人ド・ラ・メトリで「人体は時計だ」と言っているはず(伝聞)。ただ、現在有名なのはデカルトの方かもしれません。この発想自体は新しいものではなくて、たとえばプラトンも「人体は(魂が宿って精密に動く)道具のようなものだ」と言っていたはずです。もしプラトンの時代に精密な機械式時計があったらプラトンも「人体は時計だ」と言ったかもしれません。
「人体は時計」というのは現代の我々には違和感がありますが、メカニズムが見えないが精密に組み立てられてちゃんと動くもの(人体)を、当時のハイテクの極致にたとえただけでしょう。現代だったら、たとえば我々が進歩したコンピュータのハードとソフトを人間の身体と魂のメタファーとして使うような感覚に近いんじゃないかと思います。大切なのはメタファーの対象物そのものではなくて、メタファーを用いるという行為の方でしょう。
なんだかマスコミ(の一部)には二大政党待望論のようなものがあるようですが、二大政党って、本当に日本に必要なんです?
そもそも「政党」は、辞書的には「政治上の主義・主張を共有する人たちの集合体」のはずですが、その定義にきちんと当てはまりそうな日本の政党は……共産党と……えっと……えっと……あれ?
それと、なぜ「二大」? 一般化することは細かい差違を捨てることではありますが、「一般化・普遍化」することがすなわち「二つに絞る」こととまったく同義ではないはずです。何でもかんでも二分して決断を迫るのは、わかりやすくはありますが大切なものをボロボロ捨てることになりませんか? そうやって均質化していった結果は、たしかに「同じ主張を持っている」ことにはなるでしょうが、「今の私は本来の私ではない」と悩んでしまいそうです。
たとえば「巨人大鵬玉子焼き」という死語がありますが、「巨人と大鵬は好きだが卵焼きは嫌い」と「巨人と卵焼きは好きだけど大鵬は嫌い」と「大鵬と玉子焼きは好きだけど巨人は嫌い」は、全員「巨人大鵬玉子焼き」党に属するべき? それとも「反・巨人大鵬玉子焼き」党に属するの?
【ただいま読書中】
ロアルド・ダール著、田村隆一訳、評論社、1978年初版(91年6刷)、1262円(税別)
前作『チョコレート工場の秘密』で工場を譲り受けることになったチャーリーは、一家で引っ越すことにしました。使うのはガラスのエレベーター。映画「チャーリーのチョコレート工場」でも後半大活躍していましたね。ところが家族全員(とお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが寝ていたダブルベッド)を詰め込んだエレベーターは、なんと宇宙に飛び出してしまいます。偶然本日はアメリカが誇る宇宙ホテルの開店日。チャーリーたちはホテルに入ってしまいます。しかしそこはおそろしい異星人に占拠されていたのです。
やっとのことで工場に戻った一行を待ち受けていたのは、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんたちが若返ってしまうというトラブルでした。いや、若返るだけなら問題ないのですが、ジョージナお祖母ちゃんは若返りすぎて「マイナス人(マイナスの年齢の人)」になってしまったのです。チャーリーとワンカさんは地中深くのマイナスの国にエレベーターで突入します。ジョージナお祖母ちゃんを救うために。(ついでですが、マイナスの国ではマイナス人は横たわっています。それはなぜでしょう?(ヒント:マイナスの記号は?)
いや、たった一日のことなのに、宇宙から地底世界まで、目の回るような大冒険です。映画の最後でも本書でのエレベーターの雰囲気が活かされていましたね。で、最後にはみんなでヘリコプターに乗って……
私はラストの三行でにやりとします。
「チャーリーや」と、ジョーじいさん。「ほんとうに目のまわるような一日だったね」
「まだ、おわってはいませんよ」と、チャーリーが声をあげて笑いながらいいました。「はじまってさえ、いないんだから」
さあ、こんどは○○○○○○○での大冒険が始まるのでしょう。どんなどたばたなんだろう、と楽しく空想が膨らみます。
今日の朝日新聞によると、地方は沈没しているのだそうです。たしかに人口も経済もどんどん沈下しているようですが、ではその分大都市の人は幸せが上昇しているのかな? いや、これは大都市を羨んで言っているのではなくて、「意識して誰かを不幸にしているのなら、せめてその分別の誰かは幸福になってくれ」と思って言っているのです。それとも大都市の住民も幸福度は増していない? もしそうなら、今の政策の目的は、何?
先の大戦では、国民の大多数は不幸な生活でしたが、軍需産業とか権力の手先は幸せでしたよね。それと同様に今の日本でこっそりと幸せがどんどん増しているのは、誰?
【ただいま読書中】
飯塚 訓 著、講談社、1998年、1500円(税別)
あの事故からもう20年以上経つんですね。本書は当時現場で警察官として涙混じりで苦闘した人が体験したことの記録です。
1985年8月12日夜、高崎署で刑事官(警視相当のポジションだそうです)として仕事中の著者はTVニュースで日航ジャンボ機の墜落を知ります。推定墜落地点は群馬と長野の県境付近。23時に県警本部から出動命令があり、著者は高崎署からの派遣部隊の指揮官としてただちに出動します。現地で与えられた任務は、身元確認班長。検屍がすんだ遺体を家族に引き渡す部署です。場所は藤岡市市民体育館。
このような大事故では、自衛隊や警察が注目されがちですが、著者はその「後方」から寄せ集めの警察官たち・日赤の看護婦・歯科医師・医師・ボランティアなどの活動に高い評価を与えます。
13日には遺体搬出のために現地に臨時ヘリポートが作られました。その間も著者は大忙しです。520人の検屍と身元確認ができるよう会場をセッティングし人の手配をし、調書がばらばらにならないように用語の統一を行います。このような場合のマニュアルなどありませんから大変です。寝る間もなく14日から遺体が続々と運ばれてきます。まず看護婦が洗浄・おおまかに復元してサラシや三角布を巻き、医師が縫合し警察官が写真を撮り調書を作成していく、という流れなのですが……「完全遺体」(一見して人体と判別可能な状態)の場合でも頭が潰されて脳が脱出していたりシートベルトで体がちぎれていたり周りの人の体(の一部)が体内にめり込んでいたり(たとえば「目が三つある頭」が見つかったのですが、それは隣の人の頭がその人の頭の中にめり込んでいたのでした)……現場は人々の想像を超えた状況でした。
体育館の回り中からカメラが狙っているため窓という窓に暗幕を引き、採光も通風もなく、日中は40度となり死臭と線香と脱臭剤とホルマリンとクレゾールの匂いがたちこめる環境でした。さらに16日頃から蛆が大量に湧いた遺体が運び込まれるようになります。蛆を殺し洗い流す作業が追加されます。当時働いていた人たちで、鶏肉弁当が食べられなくなった、という人が何人もいるそうです。鶏肉が死体と似ていて、米粒が蛆に見えるのだそうで……死臭が体に染みついたため、帰宅したら家の玄関先で服をすべて脱がされ(その服は捨てられる)そのまま風呂に直行、となっていた人もいたそうです。
完全遺体はなくなってバラバラになった遺体だけとなり、さらに腐敗ガスによる変化も加わり、17日以降は面接による身元確認は不可能となります。遺留品と歯牙と骨のレントゲンが決め手となりますが、そこで活躍したのが法歯学の歯科医でした。ただ、アメリカ帰りで骨の日本名を知らないため、捜査員も英語の骨名に詳しくなってしまいます。
こういっては語弊がありますが、著者はあまり警察官くさくない警察官のようです。涙もろいし、活動を始める前の隊員への訓辞でも「遺族の感情を理解し我慢に徹すること」と言っていますし、各国での宗教観の違いにも目配りがあります。また、8月24日(未確認遺体が53人)からは、遺族の心のケアも考慮して捜査員をマンツーマン方式で各遺族に2〜3人ずつ専従で張りつける方式にしています。「自分の担当はここまで」と行く先々でたらい回しにされることに比較したら遺族の心的負担は相当軽くなっているはずです。もしも、現場の人間たちを悩ませていた本庁(警察庁)の「すべての情報を上げろ」「書類は完全に作れ」「許可はすべて本庁が出すから、現場では判断するな」といった杓子定規な官僚主義を著者が現場でやっていたら、現場での不幸は倍加していたことでしょう。
正直、万人に勧められる本ではありません。読んでいて涙が滲むつらい本です。自分や家族や友人が大事故にあった経験を持つ人は心の傷がえぐられるかもしれません。ただ、大事故の場合、普通の人の想像を超えた範囲まで「当事者」が存在していることを知るには良い本です。
昨日は広島カープのブラウン監督が一塁ベースを投げて退場処分となりました。この行為だけを見たらとんでもない監督ということになりますが、実は監督は(長州小力のネタではありませんが)「切れてないですよ」だったのです。退場処分を食らった直後の冷静な行動を見たらそれがわかります。
問題になった場面での審判は、判定に私情をはさむと以前から一部では有名な審判で、その行為に対する不満がベンチと選手にたまっていてそれが爆発した(爆発したように見せた)のではないか、と私は見ています。監督がやったことは褒められませんが、気持ちはわかる、というところです。
もちろん審判も人間ですから、判定に誤差が出るのはしかたありません。それも含めての野球です。しかし、特定球団に限っては必ずプラスの誤差、別の特定球団に限っては必ずマイナスの誤差、と決まっているのなら、それは誤差ではありません。そんなスポーツマンシップに欠ける審判に対して「退場!」って言うことはできないのかなあ。審判にだってフェアプレイを重んじるスポーツマンシップは必要でしょ?
【ただいま読書中】
戸田佳子著、暁印書館、2001年、4800円(税別)
1975年、ベトナム戦争の終結直前に共産党政権を恐れる南ベトナム関係者は約1〜1.5万人が脱出したと言われています。さらにその後、100万人以上のベトナム人が難民として国外に脱出したと言われています。1975年5月、洋上で外国船に救助された18人のベトナム人が日本に上陸します。しかし日本政府は一時滞在は認めましたが、難民受け入れは認めない方針でした。難民受け入れを始めたのは1978年からのことです。1999年末の時点で、日本に定住者(または永住者)として住んでいるベトナム人は約1万人、一時滞在(出張や留学)が約4500人です。特に多くの人が住んでいるのが、定住促進センターがあった神奈川県(特に横浜市)と兵庫県(特に神戸市)です。(だから阪神淡路大震災のときに、避難所に行かず公園にテントを張るベトナム人たちのことがニュースになったんですね。数が多いから目立ったんだな)
本書は、著者が震災ボランティアとしてベトナム人コミュニティに関り以後も参与観察した結果を博士論文にまとめたものに加筆したものです。
日本のベトナム人は、出身地域(北部か南部か)・宗教(カトリックか非カトリックか)・民族(中国系か非中国系か)、で集まる地域が異なります。「ベトナム人」と一言でまとめることは難しいのです。
その中で、カトリック教会はベトナム政府に対する抵抗運動を行おうとしていました。「政教一致」です。しかし、経済がその活動に水を差します。
1987年、ベトナム政府は海外のベトナム人に対し「一時帰国」を許可します。日本で廃品回収業を営んでいたベトナム人たちは、その許可を活かして日本とベトナム(さらには周辺諸国)を飛び回って中古品貿易を行い大成功します。彼らは「マイレージ商人」と呼ばれます。マイレージ商人の出現は、在日ベトナム人に複雑な影響を与えます。故郷を捨てたはずのベトナム人が故郷に錦を飾っているのですから。また、日本ではベトナム人であることはハンディキャップですが、ベトナムとの貿易では強みです。しかしこのように人々が自由に行き来することは「一致団結してベトナム政府に抵抗しよう」にはマイナス要因でした。
本書の特徴は、在日ベトナム人コミュニティを、政治組織と宗教組織が交錯する世界と捉えている点でしょう。初期には日本のベ平連(懐かしい言葉です)も絡んでいますし、宗教でも日本のキリスト教教会や仏教系の団体が絡んで、話は複雑になっています。
ここまででも十分話はややこしいのに、そこに阪神淡路大震災が襲います。当時の長田区では「日本語が不自由な外国人」としては、ベトナム人が最大人数のグループでした。(日本で生まれ育った二世はともかく、一世は日本語がほとんど駄目だったのです)日本社会からの援助が本格化するまでの二週間、ベトナム人たちは公園にテント村を作りそこで同胞からの援助を受けながら自立の努力をしました。結局公園のテント村は約2年間存続しました。
著者によれば、震災という「非日常」によって在日ベトナム人のコミュニティという「日常」がむしろよく見えるようになったのだそうです。子どもの教育・隣人関係・仕事など様々な理由で元住んでいたところから離れたくなかったベトナム人たちですが、震災によってやってきたボランティアなどの日本人と新しい人間関係を築くことができたことは、これからの日越関係にもなにか良い影響が出るかもしれません。
そういえば、昔々の日本には「渡来人」(私は「帰化人」と学校で習ったんですけどね)が続々とやって来ていたんでしたよね。そんなに日本って昔は魅力がある国だったのかな? そして今、魅力がある国なのかな?
怠けていたことへの言い訳を口が熱心に語っている間、手は相変わらず怠け続けていますね。
【ただいま読書中】
『アスキービジネス ITスキルアップ 2006年6月号』
株式会社アスキー、2006年、1050円
※緊急特集は「なぜ起きる? ウイルスによる情報漏えい」です。たしかに今年に入ってから「Winnyによる情報流出」報道が続いていますから「一体何が起きたんだ」と思う人も多いことでしょう(恥ずかしながら私もその一人)。どこだったか、「Winny使用禁止令」まで出されたことまでニュースになりましたっけ。
本特集でWinny環境で「あるキーワードで検索したソフト」287個を調べたところ、そのうちの201個がマルウェア(悪意あるソフトウェア)だったそうです。で、そのうちの87個が「キンタマウイルス」(今マスコミをにぎわせている、「Winnyで情報が流出した」の原因ウイルス)。悪意を持った人間にはいろんなことがやりやすい環境が整備されてしまった、ということなのでしょうか(善意の人間もいろいろやりやすくはなっているのでしょうけれど)。
本書によると「Winny環境はマルウェアの実験場」で「ウイルス対策ソフトでは検出できない新種のマルウェアが飛び交う危険地帯」なんだそうです。参加するのなら、知識と実践力と覚悟が必要、ということなのかな。
一昔前「怪しい人からのメールは開かない」「添付ファイルは実行しない」でウイルスを予防していた(つもりになっていた)時代が牧歌的に思えます。
静的に防御するだけではなくて、公衆衛生的にワクチンソフトをネットワークに流して動的にウイルスソフトを無害にする、ということができないか、と思いましたが、これはこれで「副作用」がこわそうです。コピーエラーなどで「正義の味方ソフト」が変異したら最強のウイルスになることだってありそうですから。
※こちらはちょっと柔らかな特集、「ビジネスに活かす ニンテンドーDS & PSP」。
TVコマーシャルでやってた「脳を鍛える」シリーズや語学トレーニングのゲーム(教育ソフト?)、PDAのようにも使えるしDSにはATOKが搭載されて手書き文字認識も可能、無線LANにワンセグ……わあ、面白そう。
ただ、ここまで色々書かれると、「大人がポータブルゲーム機を持つこと」を正当化するための理論武装にも見えます。素直に「ゲームを(も?)したいんだ」ではやっぱりビジネスマン用の雑誌としては駄目なのかな。
嘘か本当か、イギリスでの「インテリの定義」は、「1)シェークスピアを読んでいる(引用できる) 2)熱力学の第二法則が説明できる の両方を満たしている者」と聞いたことがあります。なんとなく納得なのですが、これは世界を文系と理系に分断したがる日本人の創作かもしれないな、とも思います。
私は……シェークスピアは引用できないし熱力学の第二法則は「エントロピーがもごもご」レベルですから、立派にインテリではありません。
【ただいま読書中】
シェークスピア著、福田恒存訳、新潮社(新潮文庫)、1973年初版(88年32刷)、240円
ヴェニスとトルコとの戦争の最中、ヴェニスは有能なオセロー将軍がいなければどうしようもない状況です。ところがオセローはまさに出陣の直前に、ヴェニスの議官ブラバンショーの娘デズデモーナと父親の反対を押し切って結婚しようとしていました。
オセローは、イタリアでは異人種でしかも奴隷出身の軍人……上流階級の人から見たら明らかに「異物」です。しかし本書では人種差別的言動はありません。肌の色についても見た目が明らかに違うから違う、と事実を言っているだけです。
登場人物はほとんどが「善人」です。ただ一人、オセローの部下イアーゴーは、オセローの前では忠実な旗手を演じていますが、陰では「あのムーア人め」と罵る「わかりやすい悪党」です。このイアーゴーが陰謀をめぐらし、副官キャシオーがデズデモーナとできている、とオセローに吹き込んで悲劇をおこすのですが……
オセローに限ったことではありませんが「人を疑うことを知らない善人が悪党にだまされる」とまとめてしまうと、ちょっと違和感があります。だってオセローは、イアーゴーの言葉(耳に吹き込まれた毒のしずく)は確かに信じますが、デズデモーナやキャシオーやエミリア(イアーゴーの妻)の言葉は疑って信じません。つまりオセローは「人を疑うことを知らない」のではなくて「どの人の言葉を信じるかを(間違って)選択している」だけなのです。回り中の人間が結託してオセローを騙そうとしていたわけではないのです。つまり「悲劇の原因」は、イアーゴーではなくてオセローだった、ということもできるわけ。むう。
『
ヴェニスの商人』は視点をずらせばシャイロックの悲劇です。そういえば『
ハムレット』でも脇役の若い二人に焦点を合わせた映画「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」なんてものがありましたっけ。ならばオセローも視点をずらすと……(別にずらす必然性はないのですが)……これは「イアーゴーの悲劇」と読むこともできそうです。本当は尊敬しているオセロー将軍には、口では「信頼している」とは言われるが重用はされず、自分が軽んじているキャシオーが副官に任じられて出世の望みが絶たれる。さらに、美人で聡明で優しいデズデモーナに対して抱いた恋心もデズデモーナはオセローにべったりで全然気づいてもらえない。どうして自分だけ! こうなったら自分を踏みつけにする連中皆に復讐してやる! ところがその「復讐」が成功しかけたところであろうことか自分の妻に裏切られてしまう。ああ、なんたることだ。
ほら、立派な「イアーゴーの悲劇」です。
胃透視検査……不味くて白いドロドロを飲むと腹は重たくもたれるし発泡剤で胃が膨れてくるのにげっぷをすると叱られるし、愉快な検査ではありませんが、さらに検査後、バリウムがなかなか出なくて苦労した、という話も良く聞きます。
私の体質は基本的に「貯め込まずにさっさと流す」ものらしく、バリウム通過の最短時間は3時間ですが(朝バリウムを飲んで昼食時にはもう白い便が出てくる)、それでも全部出きらずに残ったものが一晩経つとかちんかちんの固いものに化けます。こうなると大変。便秘の人は日常的にこんなに力んだりして苦労しているんだな、としみじみ同情してしまいます。
今は最初から内視鏡を選択する人も多いんでしょうね。私は、鼻を通すと痛かったし、喉を通すと吐き気の嵐で、内視鏡は苦手です。
【ただいま読書中】
マイケル・ボンド著、木村博江訳、東京創元社、1998年、1600円(税別)
パリ警視庁を中途退職したあと現在はグルメガイドの覆面調査員となっているパンプルムース氏とその愛犬ポムフリット(英語だとグレープフルーツ氏とその愛犬フライドポテト)が料理の評価のためにサン・カスティーユの町を訪れます。目的のホテル・レストランはたまたまパンプルムース氏の以前からの定宿でもあるのですが、今宵はただならぬ気配が立ちこめています。まずパンプルムース氏の定席を無理矢理取ろうとするカップルが現れます。それも男なら思わず目を奪われることが必定の肉感的な美女と、両手とも鉄の鉤というユニークな特徴を有する若い男の組み合わせ。料理の味はいつもより落ちています。いつもなら挨拶に顔を出すシェフが出てこず、ウェイターはなぜかおどおどしています。そしてパンプルムース氏の前に出された特別料理は……人間の生首でした。さらにパンプルムース氏は、狙撃され、狙撃未遂をされ、歩いているところを車に襲われ、スピード違反で検挙され(これは自業自得ですが)、ホテルの自室で爆発事故が起き……
あわてて書き添えますが、本書はおどろおどろしいミステリーではありません。謎解きはたしかにありますがそれは添え物で、メインは笑いと食欲、彩りにお色気、のユーモア(グルメ)ミステリーです。じゃあ皿の上の生首はどうするのかって? それは読んでのお楽しみ。ちゃんときれいに料理されていますから。(「ちゃんときれいに料理されている」というのは、文字通り生首がきれいに料理されているのではなくて、いや、料理されることはされているのですが、私が言いたいのは、お話としてきれいに料理されているということで、ですから生首はちゃんときれいに料理されているのです。……あれ?)
本書は、設定段階で成功が約束された本、と言って良いかもしれません。主人公の前職と現職と性格と悪妻、相棒のポムフリット(元警察犬で主人に忠実で(数学以外では)頭が良く、しかもグルメ……ワインだってちゃんと判定してしまいます)の性格づけだけでもきわめて魅力的です。謎解きは……ちょっと強引……いや、相当強引です。でもまあそれは前記したようにお皿の添え物、肉の脇のパセリですから、無理に味わう必要はございません。食べたらもちろん美味しいパセリですけど。
TVで見る謝罪会見で聞く謝罪の言葉がどうも空疎に響くのは、謝っているのが本当の責任者ではなくて、単にお仕事として謝る係「責められる任にある者」だからなのかもしれません。
【ただいま読書中】
稲葉修著、冬青社、1998年、1800円(税別)
木の枝で歯を磨く習慣はインド(お釈迦様が木の枝で歯を磨いた、という話が残っているそうですし、「アーユル・ヴェーダ」には体質によってどの歯木を用いるべきかが細かく規定されています)から中国に入り、そこで楊(やなぎ)の枝が使われたので「楊枝」と書かれるようになりました。で、それを爪先でつまむから「爪楊枝」です。楊枝を使う習慣は、別に東洋限定ではありません。西洋にも楊枝はありますが、東洋(特に日本人)から見たら不思議な感じです。まず材質は、象牙・鼈甲・金・銀……宝飾品ですか?と言いたくなりますが、実際に真珠が飾られていたりブローチやペンダント型の楊枝入れに挿してアクセサリーとして所持したりしていたそうです。当然持つのは貴族階級の人々です。晩餐の席で食後にちょちょいと歯の掃除をして使った楊枝はまた大切に楊枝入れに戻して後日再利用。耳かきと一体になったものもあるのですが、これは「顔の穴の掃除」という共通項からまとめられたのでしょう。木製で使い捨てが当然の日本とは、相当発想が違います。
日本には仏教伝来と共に楊枝も伝えられました。はじめ用いていたのは僧ですが、やがて貴族も使うようになりました。庶民に広がったのは室町時代。田植え歌にも楊枝が登場します。江戸時代には房楊枝(房の部分で歯の掃除、反対側の尖った部分が楊枝、真ん中は平たくして舌の掃除に使う)が広く売られ、特に浅草寺境内に楊枝店がたくさんあったそうです。
他にも楊枝として用いられたものは、水鳥の羽根(羽根ペンを思い出してください)、ヤマアラシの針、マグロやカツオの尾びれ、獣骨、葦の穂……世界中のあちこちで様々なものを使って人類は歯の掃除をしてきました。
そうそう、日本では「正しい楊枝の使い方」をしていないそうです。そもそも丸い楊枝は料理用で、突き刺すには便利ですが先が歯の隙間には入りにくい形をしています。丸い楊枝を無理に歯間に入れると歯や歯茎を痛めます。歯間の掃除をするためには、平たい形の先端(平楊枝)でないといけないのだそうです。ここで本書は、楊枝が口腔清掃用具として重要であることを述べはじめます。
著者は楊枝製造を家業とする家に生まれ、現在会社の中に「つまようじ資料室」を作って世界中から資料を集めて展示しているそうですが、一度医ってみたくなりました。小さな小さな爪楊枝からでも歴史と世界を見ることができるんですね。
頂き物の手作りチョコレートケーキ、家内の快気祝いとして家族で少しずついただきました。立ちのぼるチョコレートの香り、ゆるやかな口溶け……甘党の私には至福の時です。しかし、口に入れて飲み込むまでは一瞬ですが、「これ」ができるまでにどのくらいの手間がかかったのかを考えると、素直に「ごちそうさま」と頭を下げたくなります。なんだか私もケーキ作りを習いたくなってきましたが、これ以上趣味を増やすのもなんだかなあ、です。蕎麦も最近打ってないし……(これは腰痛が理由にできますけど)
【ただいま読書中】
ルーシー・モード・モンゴメリ著、村岡花子訳、ポプラ社、1978年初版(87年15刷)、650円(税別)
『赤毛のアン』と『
にんじん』(ルナール)とが私の頭の中では混じり合っています。雰囲気は全然違うし赤毛とそばかす以外に共通点はないのに、どうして混ざっちゃうかなあ。アンが作中で「にんじん」とかわかわれているからかしら。
カナダ、プリンス・エドワード島に住むマシュウとマリラの兄妹は、農園の手伝いのために孤児院から男の子を引き取ることにします。ところがやってきたのは、やせっぽちで自分の赤毛に劣等感を持っていて夢見がちでやたらとおしゃべりな女の子、アン。マシュウとマリラはアンを孤児院に送り返そうと思いますが、話をしているうちにアンに惹かれていきます。
やっと「我が家」を手に入れたアンですが、次々トラブルに見舞われます。近所の詮索好きおばさんとの口喧嘩・せっかく親友となったダイアナにイチゴ水と間違えてワインを飲ませる・学校でのトラブル・ケーキにバニラのかわりに痛み止めを入れてしまう・屋根から落っこちる・赤毛が緑色になる……
アンの影響か、人嫌いのマシュウが少しずつ他人との交際を増やしていき、また、マリラが少しずつ口数が増えていき発言内容が変容していくのが笑えます。マリラ(や他の大人たち)の心の中で凍りついていた「子どもの時の心」がアンのことばによって少しずつ解凍されていったのかもしれません。心の変容が言葉の変容をもたらし、言葉の変容がこんどは心の変容をもたらしているのが見えます。
しかしアンは、おしゃべりではありますが、それと同時に非常に豊かな感情を持っています。こんこんと湧き出る泉のように感情が心の中に湧き出でてそしてすぐにあふれ出す。単に心の底が浅いために感情がすぐ溢れる(ネガティブな意味での)「感情的」な人間とは違って、アンの心の容器はとても大きいのにそれを上回った感情の大量湧出があるものですからすぐにあふれ出てしまうのです。ボキャブラリの豊かさを見てもアンに良質の知性が宿っていることがわかりますが、豊かな(複雑で人に実りをもたらししかも管理可能な)感情を持つには、ある程度以上の知性の裏付けが必要なのではないだろうか、とも思えます。
……表面的には(見る目がない人間には)ネガティブな感情的な人間も良質な感情豊かな人間も同じように見えてしまうのが難点ですが。
まあ、こんなややこしい分析をしなくても、アンのおしゃべりを聞いているだけで楽しく一冊を読み終えることができます。子ども時代に読んだことがある人には再読をお勧めします。子どもの時とは違った発見があることを保証します。まだ読んだことがない?
それは幸せなことです。黙って本を手に取りましょう。
というメールがmixiから届きました。キリ番を踏まれたのは 副館長 さんです。おめでとうございます。私がmixiに来ていなかったら絶対に知り合うことはなかったはずですが、人の縁とはほんと不思議なものですねえ。
最近は大体「3日で100の足あと」ペースで落ち着いていますので何日も前から15000達成は大体今日くらい、と見当はついていましたがやはりその日を迎えると嬉しいものです。定期的にご来訪の皆様、ありがとうございます。
さて、次は20000にすると、約5ヵ月くらいあとですか。その時私はどこで何をしているのかな。今と全く同じだと、ちょっと寂しいかも。
たとえば十階建てのビルでエレベーターを使おうとしたとします。あなたがいるのは一階。呼び出しボタンを押すと、エレベーターのかごはここからいちばん遠い十階にいます。さて、これは運が悪い(「ちぇっ、よりにもよってここからいちばん遠いところにいる」)のでしょうか、それともそれほど運は悪くないと考えられるのでしょうか?
私はほどほど、と考えます。一番待たされるのは、私が使おうとする直前に一階からエレベーターが上に出発してしまって、しかも各停で十階までゆっくり昇ってそこからまた各停で下に降りてくる、という状況でしょう。その「最悪の状況」に比較したら、十階にエレベーターがいるのは、最長でも待ち時間は半分、もし直行で降りてきてくれたら数分の一の待ち時間ですむのですから。
もっとも、どう考えようと、待ち時間が短くなるわけでも長くなるわけでもありません。
本当に急いでいるのだったら、階段を駆け上がれば良いだけですよね。あ、腰がうずく。私が階段を駆け上がるのは、腰が直ってからにします(<軟弱者)。
【ただいま読書中】
後藤寿一著、同文書院、一九九五年、1359円(税別)
「義経は梶原景時の讒言で頼朝の信頼を失った」「家康は信長によって妻の築山と長男信康を殺さざるを得なかった」などという歴史上の「定説」があります。著者はその定説の矛盾や無理を指摘し、実はこうではなかったのか、という説を展開します。
第四章「源義経は、何故頼朝に逐われたのか」では、まず「義経が本物かどうかの確証がなかった」ことを問題としています。頼朝から見たら、義経と自称する人物には偽物の可能性があり、その場合には奥州藤原氏の間者かあるいは平氏の間者かどちらかわかりません。だから鎌倉に3年もおいて様子を見た、とします。そして「使える人材」ということで起用しても、疑いは完全には晴れません。
義経の「密告者」梶原景時は、戦後すぐに一ノ谷の勝因を分析して「鵯越はなだらかな丘陵で、崖を逆落としというのは誇張」「当日平氏は清盛の三回忌の法事を執り行っていて、そこを攻められたので大混乱になった」と急使で報告しました。著者は地図を拡げて「たしかに鵯越に急峻な崖はない」と述べています。あれれ、本当? 現地を確認しないと断言できませんが、もし本当なら「ロマン」が一つ壊れてしまいます。
第七章「徳川家康は、何故最愛の妻と子を殺したのか」。信康に嫁いだ信長の五女徳姫の密告によって家康は自分の妻と長男を泣く泣く殺した、というのが定説ですが、著者はこれにも異論を唱えます。徳姫の書状にある信康の非行は荒唐無稽・武田との内通があるとして、あの家康がそのことに全く気づいていなかったということがあるか・「徳姫の書状」は実は良質な歴史史料には残されていない・内憂外患をかかえている織田家に、徳川を敵に回すリスクを冒す必要があったか……などなど。で、導き出される結論は……なんというか、わりと平凡ですが、でも「その方が自然かな」と思うものです。
あとは、崇峻天皇暗殺事件・有間皇子の謀反・菅原道真の配流・後醍醐天皇の挫折・武田義信の破滅・石田三成と加藤清正の確執・由井正雪の乱・坂本龍馬の暗殺、が取りあげられています。「密告」という視点から日本史を眺めるのも、なかなか興味深いものです。
王制は独裁になり、民主主義は衆愚政治になる、とか言いますが(貴族制は何になるんでしたっけ?)、しかし「衆愚政治」と平気で言う人はきっと「自分は愚かではない(自分はその衆愚の一員ではない)」と信じているのでしょうね。
【ただいま読書中】
森けい(谿の左半分+維の右半分)二 著、羽生善治 監修、日本文芸社、2003年、1400円(税別)
日曜昼前の教育テレビで将棋をやっていますが、何年前だったか羽生さんの対局を流していました。見ていると解説の人(誰だったかは忘れました。もちろん高段棋士です)が「そろそろ難解な終盤に突入ですね」と言った瞬間羽生さんが持ち駒の銀をぽんと敵陣深くに放り込みました。敵王とは離れた場所でまったくのただ捨てです。解説者は一瞬絶句し、数秒考え、そして「これはすごい」と絞り出すように言いました。この銀を取ると今から攻められる王の逃げ道が塞がれてしまうのです。でも取らないと王が逃げて行くのに銀の効きがあるからそこに近づけません。取っても駄目、取らなくても駄目。絶妙の一手でした。
結局「難解な終盤戦」にはならずに、短時間後に終局となりました。
プロさえ仰天させる読みを俗に「羽生マジック」と呼びます。本書は平成11年〜13年の羽生さんの実戦譜から羽生さんが勝ちを決めた場面を「次の一手」として100局まとめたものです。いやあ、濃い一冊です。
かろうじて何局かは正解を当てることができましたが、あとは「へー」「ほー」「わあ」の連続です。やっぱり羽生さんはすごいや。
けっこう今日は降っています。そういえば受験で上京したとき、急な雨で仕方なしに店で雨傘を購入したとき「今日はあいにくの天気で……」と言ったら店の人の反応が微妙だったのを思い出しました。今にして思うとそれはそうです。雨傘を売る人の立場に立ってみたら「良い天気」は雨天のことでしょうから。
【ただいま読書中】
マイケル・ボンド著、木村博江訳、東京創元社、1999年、1800円(税別)
パンプルムース氏はグルメ・ガイドブック「ル・ギード」の覆面調査員ですが、今日は編集長自らから秘密任務を授けられました。編集長の叔母さんがやっているレストランがとてもとてもひどい料理を出すので、その立て直しに協力してほしい、との要請(実際には命令)です。ところがその地区を担当している調査員が偵察のために味見に出かけたのに、その帰途不可解な不祥事(それも色事がらみ)を起こしているのです。まるで媚薬でももられたように。パンプルムース氏には嫌な予感がします。
実際に味わった料理とサービスはお話にならないものでした。しかしなぜかワインは逸品ぞろいです。そしてパンプルムース氏には別に異状は(少なくとも色事の異状は)発生しません。発生したのは氏の愛犬ポムフリットの方です。なんと一晩に13……いえ、なんでもありません。詳しくは本書をどうぞ。パンプルムース氏は、頭をバケットで殴られ、尾行され、トイレの自動洗浄装置で全身を洗われ、浴槽で殺されかけ……あ、そうそう、色事がらみもありましたっけ。白昼堂々公衆の面前で欲望に駆り立てられた6〜17歳の鼓笛隊の少女の集団(なんと40人以上)にパンプルムース氏は襲われるのです。悪夢ですね。
もちろん事件は最後には「解決」するのですが、前作『パンプルムース氏のおすすめ料理』と同様、ミステリーは付け足しです。「解決しないと気持ち悪いでしょうから、とりあえずやっときますね」と著者に言われたような気分。まあそれでもかまいません。楽しく1時間くらいを過ごすには良い本です。
「宇宙開発が何の役に立つ」という意見がありますが、私はその意見に反対です。
古代から、人は地だけではなくて天を見つめ続けてきました。西洋では星座の神話があり肉眼だけの観測できわめて精密に天動説が構成されました。陰陽五行では、地を精密に分類する五行と世界を大きく天と地に分類する陰陽とが合体して人間を取り巻く世界を把握しています。
しかし、もし「天」を見つめることをやめてしまったら、人が見るのは地に掘った自分の墓穴だけになってしまいます。そんな世界観は、私は好みじゃありません。
【ただいま読書中】
武田英子著、ドメス出版、1987年、1500円
先の大戦中、瀬戸内海の大久野島で毒ガスが製造されていたことを知っている人は意外に少ないでしょう。そして現在でもその後遺症に苦しんでいる人がいることを知っている人はさらに少ないでしょう。
日清戦争当時、呉の軍港を清の海軍から防衛するための一環として大久野島は要塞化されました。第一次世界大戦後の軍縮で要塞は廃止され、そのかわりのように陸軍の軍需工場が建設されました。地元民はこれで不況で沈滞した地域が活性化されると喜びましたが、その工場で何が製造されるかは知りませんでした。島には軍機保護法が敷かれ島民は島外に出されます。危険な工場だから東京からはなるべく遠く(関東大震災の記憶はまだ新しい時代です)、秘密を守るために隔絶された環境で(島が最適)、しかも労働力が得やすい(対岸に町がある)、という条件で大久野島が選択されたのでした。
「平和産業」もありました。殺虫剤のサイロームです。青酸化合物を赤土に吸収させた缶詰で、みかんの木に覆いを掛けてその中にサイロームを撒くと青酸が気化して他のやり方では駆除困難なカイガラ虫に有効でした。船・倉庫・病院などでの殺虫用にも用いられたそうです。
1930年、台湾のセーダッカ族の日本に対する蜂起に対して焼夷弾とガス弾攻撃が行われます。国会では催涙弾であると答弁されましたが、実際には青酸・ホスゲン・ルイサイトも使われたようです。その「実験」の結果、1931年に陸軍はホスゲン・三塩化砒素・イペリット・ルイサイトなどを制式化します。
作業に当たったのは、軍属の職員と工員、および勤労奉仕で動員された一般人でした。彼らは換気も不十分な環境でノルマに逐われ、防毒面や防毒服の隙間から吸い込んだり直接ゴムを浸透してくる毒液によって急性毒性による傷害を受けたり死亡します。さらに、島全体に漂う微量のガスによる慢性障害も受けます。1942年に国の体力テストが施行されたとき、イペリットを担当していた徴用工は誰も100メートルを完走できなかったそうです。
製造されたガスは、関東軍に送られました。生物兵器の七三一部隊は有名ですが毒ガス実験を行ったのは五一六部隊でした。
戦局が悪くなるのに伴い、資材不足もあって大久野島での毒ガス製造は下火になります。そのかわりに製造したのが、発煙筒と風船爆弾でした。
そして戦後処理。アメリカ軍は毒ガス製造のノウハウを聴取し、そして東京裁判では免責します。毒物処理を請け負った帝国人絹株式会社三原工場は残された大量の薬物を引き取りました。
1952年、広島医科大学(現広島大学医学部)の医師たちが大久野島に注目、検診を始めます。特に若年者の肺癌が医師の注目を惹きました。しかし国は「国際法違反の毒ガスに関わったと国として認めるわけにはいかない」と救護法は立法せず、「ガス障害者救済のための特別措置要綱」を通達します(1954年)。「毒」の字が抜けていること、「傷害」ではなくて「障害」であることにご注目。さらに「ガス障害者」であることを認定してもらうためには認定委員会の厳しいハードルを越えなければなりません。このへんは大量に病気や傷害が生じた場合に日本政府が必ず行う「日本の伝統」ですね。さらに元所長が「危険物を取り扱うのには細心の注意を払っていたのだから、後遺障害など生じるはずがない」と横やりを入れます。
「国際法には違反するべきではない」「後遺障害など生じるはずがない」……頭が窮屈で論理的な人は、目の前に息が絶え絶えの人がいても無視できるんですね。「そんなものは存在してはならない」と。
大久野島は、1938年から1947年まで、国土地理院の地図から姿を消していました。でも、人為的に地図から消しても、現実としての島は存在していました。その事実と、事実を隠そうとする人の存在は語り継いでいかなくては、と思います。
自由になるためには他人から離れて一人になるのが手っ取り早いようですが……でもそれは孤独になるだけで、実はちっとも自由にはなっていないようにも見えます。どうすりゃ良いんでしょう?
【ただいま読書中】
ロバート・シェクリイ著、宇野利泰訳、早川書房、2006年、2000円(税別)
さあ、異色作家短編集もそろそろ折り返し地点に近づいてきました。全20巻の第9巻はシェクリイです。この作家の名前を見ただけでわくわくします。でも本編はちょいとおいて、解説は……清水義範さん。へえ、ブラウンとシェクリイが彼の発想の原点ですが……なるほどねえ。私の記憶力はぼろぼろで(だからこそ昔読んだ本の再読もまるで初めてのように楽しめるのですが)シェクリイはちょっと特別なのか、40年近く前に読んだ『ひる』はしっかり覚えていました。それでもやはり楽しめたので「やはり人生は生きるに値する」と呟いてしまいました(ちょっと大げさ)。
『風起こる』……同じ強風でも『狂風世界』(J.G.バラード)とはずいぶん趣が違います(作者のカラーが違うから当たり前ですけど)。私がもし風をテーマに小説を書くとしたらどんな風になるだろう、と思いながら読みました。で、このオチ。……ふう。
『給餌の時間』……グリフォンの飼い方のお話ですが、厳密にはグリフォンの飼い方の本のお話ですが、さらに厳密にはグリフォンの飼い方の本を手に入れた男のお話ですが……読み終えて清水さんではないけれどキョトンとする快感が味わえます。よくもまあ、こんな変な話を思いつけるものだ。
他にも、アメリカ式の自由恋愛をおちょくった『グレイのフラノを身につけて』、人種差別をひねった『乗船拒否』、白人至上主義を皮肉った『先住民問題』……いやあ、キョトンとしたりニヤリとしたり、読者は忙しい思いをさせられます。ただシェクリイの短編には、古き良き時代の香り、とでも言う雰囲気が漂っているように思います。たしかに異色ではあるのですが、どことなく礼儀正しい作品たちです。読んでいるとバックに4ビートのジャズでもかけたくなる、と言ったら言い過ぎかな。
あちこちの見聞(主にコマーシャル)では、「ン」のところが「三」だったり「四」だったり「五」だったり、結局中国の歴史は本当は何千年なんだ、と言いたくなることもあります。
中国の歴史の基本文献は司馬遷の『
史記』(紀元前一世紀、前漢の時代)です。この本では、漢の前の秦(始皇帝で有名、紀元前三世紀)、その前の春秋戦国時代(紀元前八世紀〜秦まで)、その前の西周(紀元前十一世紀〜)については明確に述べられていましたが、その前の殷(商)、さらにその前の夏、さらにその前の伝説の皇帝時代についてはあまり歯切れ良くは書かれていなかったため、二十世紀になるまで「西周からあとは歴史だが、殷より前はただの伝説」が定説でした。つまり今から百年前は「中国三千年の歴史」だったわけです。しかし二十世紀になってから、殷墟の発掘や甲骨文の解読で「殷の実在」が確認できました。この時点で中国の歴史は「三千年」から「四千年」に昇格したわけです。(殷の建国は紀元前千六百年とされているので、四捨五入してしまいましょう) ところが最近になってさらに「その前」についても詳しいことがわかってきました。それが確定すればいよいよ中国歴史のカウンターは四千年から五千年にアップするのです。
「一挙に千年も歴史が変わって良いのか」とも言いたくなりますが、比較的「新しい」(といっても紀元前ですが)戦国時代でさえ、二十世紀後半に馬王堆漢墓が発掘調査されることでそれまでわかっていなかった当時の人々の生活について具体的に詳しいことが新たに判明した例もありますし、ましてや「その前」と言ったら新しい知見(あるいは新たな解釈)によって旧来の考え方ががらりと変わるのもしかたないでしょう。我々にとっての歴史とは「過去がいかなるものであったか」の事実というより、「我々が過去について何をどの程度知っているか」の表明だったり「我々が過去をどのように思っているか」の解釈だったりすることの方が多いのですから。
そうそう、「日本の国としての歴史」で文献的に一番古くに遡れるのは、(日本では)有名な邪馬台国ですが、これは魏志倭人伝ですから紀元三世紀よりあとの話です(魏は三国志に出てくる国の一つで、三国志は後漢のあと)。「日本二千年の歴史」だとなんとなくちょっとくやしいなあ。
【ただいま読書中】
岳南 著、朱建栄・加藤優子 訳、柏書房、2005年、2800円(税別)
1995年、中国で国家的事業として「夏・商・周年代確定プロジェクト」が始動しました。それまでばらばらに活動していた、歴史学・文献学・文字学・考古学・科学的年代測定・天文暦法などを総合的にまとめて確定的な中国古代の歴史年表を作ろうというビッグプロジェクトです。
「各分野の協力」というと当然のことのように私には思えますが、それまで古典の文献研究が最重要視されていた中国の人にとって、このような態度は画期的なものだったようです。それでも「発表された論文によって歴史の隙間が埋められた」などとついつい文献重視の態度が表出するところが目立ってはいますが。
そうそう、文献重視の態度は、たとえば「夏文化が存在する」という前提に基づいて、実際に発掘されたものを「これは夏の時代のどこに当てはめるか」と決定しようとする態度にも見て取れます。白紙の状態でとにかく情報を集めてその上でその遺跡を「夏(の一部)」と呼ぶかどうかを決めるのではなくて、「これは後期夏文化と呼んで良いだろう。するとこっちは前期か」ととにかくまず「夏」という物差しに当てようとするのです。何かを決定するにはもちろん「基準」が必要ですが、基準(物差し)にこだわりすぎると大切なものを見逃してしまうのではないか、と感じます。中国人は文化大革命でそれを痛い教訓として学んでいるはずなのになあ……なんて偉そうなことは言えません。日本人もイデオロギー論争で(今でも)けっこう変なことをやっていますから。
文化大革命の影響(学者が迫害されたり、発掘された資料が破壊されそうになった)について、さらりと書かれていますが、きっと現場は大変だったことでしょう。また、科学技術が西洋から導入されたことにもある種のこだわりがあるようですが、これは中華思想の名残かな?
殷の紂王が周の武王によって滅ぼされた年の決定に関しても詳しい研究が行われています。何それ?と言う人が多いかもしれませんが、日本にもその名残はあるんですよ。たとえば武王の軍師は太公望です。この名前はご存知の人は多いはず。それから岐阜。武王の父文王が殷を討つときに置いた都が岐(岐山)で、信長はその史実をふまえて天下布武の心意気を示すために岐阜と命名しています。
単に遺物を並べて科学的解析を加えれば歴史が語れるというものではありません。「物語」それも(可能なら)個人や地名などの固有名詞がくっついた人の営為の物語がそれらのモノの上に展開されることが人の「歴史」を成立させるために必要です。この「人の匂い」が「歴史」にまとわりつくことを好むか好まないか、そこが理系と文系の差かもしれないと思います(もちろん、「理系と文系には差がある」が前提ですが、「中国の歴史を好む人」と「恐竜の進化史を好む人」には大きな差があるような気がします)。
今日の朝日新聞の一面は「訪問看護師のレベルが低い」という記事でした。読むと「人工呼吸器の使い方がわからない人がいる」……もしも〜し、人工呼吸器って家庭でばりばり使うものなんですか? 訪問看護師なら全員が人工呼吸器をちゃきちゃき使えないといけないんですか? いや、人工呼吸器が必要な状態でも病気の状態と本人の体力によっては在宅で過ごせる人がいることくらいは知っていますが(そして、病院よりは自宅で過ごしたいという希望を持っている人がたくさんいることも知っていますが)、なんかこの記事を読むと「そんな患者は病院からどんどん在宅に移せ。その世話は訪問看護師がやればいいんだ。何?できない奴がいるんだってぇ?」と怒って言っているように見えるのです。
もし本当に入院から在宅にそのような人を移したいのでしたら、必要なのは「誰か個人(この場合は訪問看護師)に責任を押しつける」態度ではなくて、「システム(病院・地域のかかりつけ医・訪問看護師・家庭が有機的に一体となったもの)がいかにその患者をケアするか」の検討ではないでしょうか。日本では話を個人レベル(の頑張り)に矮小化することが人気ですが、私はそんな態度は好みません。だってそれは「誰かが頑張れ、私ゃ知らん」という無責任な意見の表明でしかないのですから。
……だけど無理でしょうね。システムを養成して維持するのにはビジョンと(金銭的・人的・時間的)コストがかかりますから。ビジョンもコストも、日本では冷たくあしらわれることが多いですからねえ。特に「訪問看護の充実」の目的が、「在宅患者のレベルアップ」ではなくて「医療費の削減」である限り、攻撃されやすい人が攻撃されるだけで、必要だけどコストがかかることは後回しにされるだけではないかしら。
【ただいま読書中】
ヘミングウェイ著、福田恆存訳、新潮社、1966年初版(88年65刷)、280円
本書の内容はきれいに忘れていて、孤独な老人と大魚の戦いとそれに次ぐ老人と鮫の壮絶な戦い、というイメージを持って本を開きました。しかし実際には老人と少年のテンポ良く暖かい会話から話は始まります。
解説では「ハードボイルド・リアリズム」と「ストイシズム」が本書の特徴としてあげられてますが、難しいことがわからない私は、本書では「会話」に気を取られていました。84日間の不運(不漁)のあと、老人はついに大物に巡り会うのですが、その間ずっと老人は「会話」をしています。少年がそばにいるときには少年と、一人で海に出てからは、鳥、魚、そして自分自身と。孤独な老人の割には、ずいぶんおしゃべりです。
いつものように食料も持たずに出漁した老人は、キューバの沖でとんでもない大物(自分が乗っている小舟より大きな、見たところ1500ポンドは超える大物)を鉤にひっかけます。綱を切られないように不眠不休で魚をあやしながら船を漂流させ、三日目にやっとトドメをさして船に獲物を縛りつけますが、そこに血の臭いをかぎつけた鮫が群れをなして襲ってきます。老人がやっとの思いで釣り上げた大物は、鮫によって一口一口と削られていきます。そして最後には……
老人はなぜ戦い続けたのでしょう。自分のことを「運に見放された老いぼれ」と馬鹿にしている世間を見返すため? 自分自身がまだ「終わり」ではないことを証明するため? それともそれが彼の「仕事」だから? 回答は与えられません。ただ、老人の体力が回復したらまた彼が海に出るだろうことはわかります。おそらくこんどは少年とともに。話しかけたら返事をしてくれる相手とともに。そう予想できることが、本書の救いです。
連日、社会と医療のネタです。
厚生労働省は、精神病院と老人療養病棟とを大幅に潰す気です。「社会的入院(病気は落ち着いているのに家庭の事情などで入院を続けている)」が多すぎて医療費を増やしているのだから、その温床となっている病院を減らせば医療費は削減できる・そもそも家庭でみるべき患者を施設に預けるとはけしからん、という発想のようですが……「社会的入院」とはつまり「社会」の側の要因が働いている入院です。で、患者の「受け取り拒否」をやっている社会の側に、潰れた病院から追い出された人を受け止める能力と余裕はあるのでしょうか? 社会とはつまりは私やあなたのことですが、私やあなたはこれから社会に出てくる何万人あるいは何十万人の精神障害者と老人を面倒みることはできます? 「自分はしないけど誰かがするべきだ」はナシよ。
【ただいま読書中】
杉山友之著、祥伝社、2006年、1600円(税別)
かつての「メイド・イン・ジャパン」は、安かろう悪かろうの代名詞でした。それが高度成長期以降「良いもの」の代名詞に変わりました。そして今、日本が世界に一番売り込めるのは……マンガやアニメなどのポップカルチャーです。欧米の子どもたちは日本製のアニメをTVで繰り返し見て育ち(アメリカでは「アストロボーイ(鉄腕アトム)」が人気で、著者が知り合ったMITの学生の多くが「マッハGO!GO!GO!」のファンで、フランスでは「めぞん一刻」が大人気)、日本語がそのままどんどんその国の言語に取り入れられているのだそうです。私は古い人間なので、何だか違和感を感じます。日本のアニメが「クール・ジャパン」と人気? 私が育った時代とは(文字通り)隔世の感があります。
私は子ども時代に社会科で「日本の貿易収支は大きな黒字、貿易外収支はもっと大きな赤字」と習いましたが、デジタルコンテンツ産業をモノではなくて権利ビジネスと捉えたら、今の日本はかつての逆の方向に「進化」していこうとしている、と言えるのかもしれません。
国内の数字ですが、マンガ本体は5000億円の売り上げなのに対して、その「周辺産業」であるキャラクタービジネスは2兆円なんだそうです。これはたしかにでかい商売です。
ただ、本書で「クール・ジャパンの代表がポケモン映画」と言われると、「ゲーム脳の原因となる『ゲーム』の代表はテトリス」と言われたときのように私の脳内には「?」がたくさん舞います。私としてはジャパニメーションに「攻殻機動隊」は入りますがポケモンは別物、という認識なんですけど、根拠として売り上げの数字を見せられたら「はは〜」と頭を下げるしかありません(「ゲーム脳」の方には頭を下げません。念のため)。
「おまけ」としてのコンテンツ(たとえば携帯に載せられたゲーム)が本体の売り上げを左右することがあり得ます。しかしここで勘違いをしてはいけないのはソフトとしてのコンテンツだけを見ても駄目、ということです。ユーザーは、本体に機能や価格でそれほど決定的な差がない場合にはコンテンツの差によって機種を選択することがありますが、大切なのは「本体の機能や価格に決定的な差がない」ことです。(衣食住が満ち足りた国で初めてデジタルコンテンツがまともな商売になる、というのと構造が似ている気がします)
さらにおかしいのは、オタクの性向が日本人の基本的な性格と似ているという分析です。基本的に真面目でコツコツと完全癖を発揮しながらモノやデータの収集を行い、かつクオリティの高さなどへの「こだわり」を発揮する。カイゼン運動や日本で発売されているジャズ全集を例にとって、著者はいかに日本人全体がオタク的かを力説します。さらに島田雅彦さんの「『わび・さび・萌え』は日本文化の『三点セット』」を嬉しそうに紹介してくれて、「そこまで言わなくても」と私は思ってしまいます。いや、別に反対したいわけでもないのですが。
それからCG制作についてです。ここでも著者は熱く語ります。特に、理系の秀才がもっともっと欲しい、というところは切実感が溢れています。そりゃ、物理法則に従ったプログラミングができなければ、たとえば真空中と水中での爆発シーンの違いをきちんと表現できませんものねえ。
最後は、日本と世界。話がでかくなります。でも、日本のオタク文化を世界に広めることは、経済的にも意味がありますが日本の地位向上と世界平和のためにも役立つかもしれません。おっと、私も話をでかくしすぎたかな。
『
ライオンと魔女』がこの2ヵ月ほど図書館の書棚からずっと出払って姿を拝むことができないでいましたが、やっとブームが沈静化したのか久しぶりに書棚に戻ってきたので借りてきました。
いやあ、懐かしい。懐かしすぎてまずはノスタルジーの涙が滲みます。しかしことば使いが古風です。こんな難しい言い回しの文章を、昔の子どもは平気で読んでいたのでしょうか……おっと、昔の子どもって、私のことだ。
言い回しは難しくても、脳内に構築される世界は確固たるものです。子ども時代に私の脳内に築かれた「ナルニア国」が、今でもちゃんと保存されていることがその証明です。
矛盾した言い方になるかもしれませんが本書は「リアルなファンタジー」です。我が家でも「いしょだんす」を通りぬけたら本当にそんな世界があるかもしれない、と思わされるだけの存在感を持った「世界」が読者の中に作られます。
唯識の概念を借りてくると、人は世界をまずことばや感覚情報に「翻訳」し次いでその情報を脳内で「自分が認識している世界」に再構築していると言えます。世界を「正しく」認識するためには、ことばの豊富さ・鋭敏な感覚・得られた情報を再構築する力、を持っている必要があります。「得られた情報を再構築する力」には論理や知識や想像力が重要な役割を持っていると私は思います。そして想像力のトレーニングに、ファンタジーを読むことは良い手段でしょう。さらに、豊かな言語で構成されている作品だったら語彙を増やすことにも役立ちます。
ファンタジーと現実は、実はシニフィエとシニフィアンのように、別ではあるけれど分離不可能な存在なのかもしれません。
【ただいま読書中】
C.S.ルイス著、瀬田貞二訳、岩波書店、1966年初版(87年26刷)、1500円
ドイツ軍のロンドン空襲から疎開した四人兄弟は、古い古いお屋敷に預けられます。そこにあった衣装箪笥に入り込んだ末っ子ルーシーは、箪笥の奥に他の世界があることを発見します。そこは、フォーンや人間のことばをしゃべるビーバーや魔女が住んでいる不思議な魔法の国ナルニアでした。アスランと名乗る不思議な力を持つライオンとともに四人は、ナルニアを支配する魔女に対抗して戦いを始めます。サンタクロースにもらった武器を使って。
……う〜む、こうして文章にすると、なんだこの話は、と言いたくなりますね。あらすじでは本書の魅力はすくい取れない、ということなんでしょう(私の文章力が無いから、ということは言わないでおきます)。
そうそう、
映画を観ていて、エドマンドが「ターキッシュ・ディライト」を食べるシーンで「なんか違う」と思っていましたが、本では日本人に馴染みのある「プリン」と訳されていたんですね。「プリン」というのは忘れていましたが、「ターキッシュ・ディライトなんて知らないぞ」というのは私は覚えていたのです。
本書が出版された頃、我が家でも母親がプリンやシャービック(たしかどちらもハウス食品だったはず)を自宅でよく作ってくれていました(シャービックの場合「作る」と言って良いのかどうかは微妙なところですが)。当時としてはお洒落な響きを持つお菓子だったのですが、冬の戸外でプリンを美味そうに食べる……やっぱりちょっと無理があるような気がします。いっそ明治時代だったら大福餅くらいに翻訳できたのでしょうけれど、それはそれでまたニュアンスが変わってしまいますね。異文化の翻訳は難しい。
とか切腹!で売れていたギター侍、最近TVで見かけないのですがどうしたんでしょう? 何かおちょくってはいけないものを斬ってしまって干されている?
【ただいま読書中】
郡司良夫・藤野幸雄 著、勉誠出版、2001年、2500円(税別)
人によって違うでしょうが、私が長期滞在をして連日じっくり鑑賞したい美術館や博物館は……スミソニアン・大英博物館・ルーブル……そしてエルミタージュです。このリストアップは瞬間的に浮かぶものだけで、じっくり考えたらリストはいくらでも長くなりそうですが、かなえられないリストを長くしても欲求不満が貯まるだけなのでこれ以上考えないことにします。
「エルミタージュ」とはフランス語で「隠者の庵」を意味するそうです。17世紀にはヨーロッパ各地の君主たちが公務を離れて家族と私的にくつろぐ「離宮」を意味していました。このことばが17世紀後半ロシアに外来語として取り入れられます。
ロシアはロマノフ王朝ピョートル一世(治世1682〜1725)時代に国が統一され、皇帝の名前を取ったペテルブルグが建設されました。ピョートル大帝はロシアの近代化・西欧化を目指し、軍事と文化に力を入れました。ピョートルが始めたコレクションは代々充実していきます。たとえばエリザヴェータ女帝のときにイランアフシャール朝の創始者ナディル・シャーからムガール王朝に伝わる宝石のコレクションが贈られます。これによってエルミタージュの宝石コレクションは世界的な逸品ぞろいとなりました。十一代ロマノフ皇帝となったエカテリーナ二世によって、学問的・系統的・網羅的なコレクションが行われます。プロイセンのフリードリヒも支払えなかったゴツコウスキ・コレクション(イタリア・オランダ・フランドルの傑作絵画コレクション)もあっさり買い取っています。もちろんその他のコレクションも次から次へと。膨張するコレクションの展示のためにエカテリーナは新しい建物も建築します。現在「旧エルミタージュ」と呼ばれている展示館です。
エカテリーナの息子パーヴェルが行った欧州旅行(お忍びのグランドツアー?)もまたコレクション充実の旅でした。ヴェネツィアのファルゼッティ・コレクション、セーヴルの磁器工場(所有者はルイ十六世)からは膨大な量の磁器、パリでは様々な家具……エカテリーナの跡を継いだパーヴェルはあまりに性急に「改革」(見方によっては母親の業績の単純な否定)を行ったためクーデターで殺されます。その息子アレクサンドルは、改革を国民に期待されつつナポレオンとも対峙しなければなりませんでした。アレクサンドル一世はエルミタージュを皇帝の個人コレクションから博物館へと転換させます。ナポレオンが全欧から収集した美術品はパリに入城したアレクサンドルによってもとの持ち主に戻されましたが、行き先不明のものの相当な部分がロシアに流れていったようです。さらに戦後の混乱の中でアレクサンドルはせっせとコレクションを買い付けました。こうしてエルミタージュのコレクションはますます大きくなっていったのです。
十九世紀のニコライ一世によって、美術品の種類別展示が始まります。(ということはそれまではごちゃ混ぜだったのですね) その頃考古学は「宝探し」から科学アカデミーが行う学問的な発掘となりエルミタージュの古代美術も他国の博物館とは比較にならないくらい充実します。
そして「血の日曜日」「十月革命」……エルミタージュに隣接した冬宮は戦場となります。ドイツとの戦火がエルミタージュに及ぶことを恐れた館員たちはコレクションをモスクワに避難させようと荷造りをします。しかし発送の当日、革命が勃発したのです。
ソ連になって、個人コレクションは国家管理となります。貴族たちや個人博物館のコレクションが続々集められます。スターリン時代の初期、エルミタージュは「革命に貢献」していました。美術品を売ることで国家財政に寄与したのです。著者はその行為を「国家的犯罪」と言います。国外へ美術品の流れをストップしたのは、世界的な不況と忍び寄る第二次世界大戦でした。
ナチスドイツ軍はレニングラードを900日も包囲します。市民の1/3は死亡し(その半数は餓死だったそうです)、エルミタージュは砲火を浴び続けますが博物館の建物の破壊はわずかでした。コレクションはオルベリ館長の決断で開戦と同時に150万点はウラルへ疎開ができましたが残りは建物の中に残されました。(「ナポレオン戦争の時の皇帝と同じく、スターリンはモスクワで頭を抱えているだけでレニングラードには援助の手を差し伸べなかった」と著者は皮肉たっぷりに書いています)
戦後問題になったのは「美術戦利品」です(ソ連軍がドイツから持ち込んだ美術品、総計250万点と言われています)。そしてソ連の崩壊。エルミタージュの運命や、いかに。
一つ一つの美術作品がエルミタージュに収集されるいきさつだけでそれぞれが一つの物語です。さらに収集された作品がどのような運命を辿るかもまた別の物語です。それらの物語の総体がエルミタージュそのものなのですから、「エルミタージュを見る」のは一筋縄ではいきません。う〜む、老後の楽しみ、と思っていましたが、心身が達者なうちに訪れないと駄目かも。
子どもの家事参加を目論んで、我が家では試験的にポイント制度を導入しました。家族全員、デューティーではない家事労働を何かやったら1ポイントです(ものによっては2または3ポイントのものもあります)。ポイントが貯まったら「決定権」がもらえます。休日にどこに行くか、とか、外食するのにどこに行くか、とかが決まらなかったときに最終決定を下すことができるのです。
ユニークなのは「ありがとう」制度かな。何か予期せぬことをしてくれて「ありがとう」という発語があったら、言われた人は3ポイント・言った人は1ポイントの加点です。なれ合いを防ぐために「ありがとうは一回限り(たとえば「ありがとうと言ってくれて嬉しかった。ありがとう」はポイントの対象外)としていますが、それでも家族全員に一挙に「ありがとう」と言われたら10点(1点+3×3)の荒稼ぎができます。アピールやスタンドプレイにこだわるという弊害が出るようになったら制度は変えますが、しばらく私は子どもの行動に細かく目を配って「ありがとう」ということでポイント稼ぎかな。
正直言うと、ポイントなんてどうでもいいんです。家庭生活がいかに細々した「雑事」で構成されているのか、そのことを(私も含めて)普段家事をしない人間が認識できれば良いと思うものですから。認識の変容は行動の変容をもたらすはずで、将来自活するであろう人間にはとりあえずこの認識だけでも持っておいてもらいたいものですから。
【ただいま読書中】
築山明徳著、商業界、2005年、1200円(税別)
囲碁や将棋には定石(定跡)があります。プロ同士の対局ではまず定石に従って戦いが始まりますが、中盤から後は実力と研究の勝負となります。本書は「売れる売り場」を作るための定石(基本的な考え方と技術)を述べた本なんだそうです。
商品の販売は、店舗販売と無店舗販売に分けられ、店舗販売はセルフサービス/セルフセレクション/対面販売に分けられ、それぞれに長所と短所がある、と基本的なことから本書は語り起こされます。基本的とは言っても私はまったくの素人なので「ほー、そう言うのか」とことばで感心しているレベルですが。
売り場のレイアウトも科学的に設定する必要があるそうです。著者は「レイアウトとは店内に入ったお客が店をくまなく(しかも楽しく)歩くための技術である」と述べます。通路や階段の幅、柱と通路の関係、駐車場と店の出入り口の関係など、著者は実戦的に述べます。
次は陳列。「お客と商品が一体となって感動が生まれるようなものでなければならない」のだそうです。前進立体陳列・カラーストライプ陳列など聞き慣れないことばが次から次に出てきます。
最後は掃除の重要性。それに関連して「整理」と「整頓」の違いについても著者は言及しますが、なるほど、このことについては納得です。私は整理は好きだけど整頓は嫌いなんだな。
隣の区に、食料品を中心とした品揃えで値段が思いっきり安いので有名な店があるのですが、実はあまりそこに私は行きたいと強く思いません。自分でもその理由がわからなかったのですが、本書を読んで少し自分の心理が理解できたように思いました。その店は、商品が天井まで積んであって圧迫感があり通路は狭く体を横にしないと向こうから来た人とすれ違えないのです。店舗は倉庫ではないのですから、通路を拡げ商品の補充をマメにしたら、人件費はかかるでしょうがそれ以上に売り上げが増えるのではないかな、と思いました。少なくともそうなってくれたら私はその店に通う頻度は高まりそうです。
「買い物」って、物を買うだけではなくて感情(お得感、満足感など)も購入する行為なのでしょう。だから、同じものを買うのなら少しでも自分の感情面でプラスが多い店の方に足が向かうのでしょうね。
「少しでも売り上げを増やしたい」と本書を読んで小手先の技術に走る店はやはり駄目な店でしょう。本書は「定石の本」と自称していますが、実は店の姿勢と覚悟を厳しく問う本のように見えます。おかげで、買う側の人間として、良い店と駄目な店の見分け方が少しわかった気がします。
喫煙家が(文字通り)煙たがられるご時世ですが(新職員の採用条件に「煙草を吸わないこと」がある企業も私は知っています)、「喫煙はニコチン依存症だから治療が必要な病気である」という概念も少しずつ市民権を得ているようですね。なにやら紆余曲折はありましたが、禁煙指導が健康保険の適用を受けられるようになったそうです。
ところで……未成年の禁煙は勧めてもいいのでしょうか? どうせ禁煙をするのなら若いうちの方が(その人の人生にも周囲の人にも)良い効果があると思うのですが、法律では未成年の喫煙は違法です。ということは、未成年の人に禁煙を勧める行為は「未成年の喫煙を容認している」ことになるから、法律的にはアウト?
【ただいま読書中】
福井静夫著、阿部安雄・戸高一成 編集、光人社、1993年、2136円(税別)
航空機の軍事利用が行われると、それを海上でも使いたくなるのは当然でしょう。1910年には米海軍で軍艦で飛行機(もちろん陸上機)の発着実験が行われます。ついで英仏海軍でも様々な実験が行われました。もちろんこれですぐに「空母」が登場したわけではなくて、はじめは水上機を軍艦に搭載する(発着は機を海面に降ろして行う)スタイルでした。
第一次世界大戦で英海軍は行動半径の短い飛行機を使って独海岸を偵察する必要があり、英仏海峡の高速連絡船を改造して水上機母艦にしました。水上機にしても陸上機にしても、問題になるのは離着艦です。1917年、英軍は建造中だった大型重巡フェーリアスを改造して艦橋前後を飛行甲板とした「空母」とします(飛行甲板が艦橋で完全に二つに分かれていて、着艦は命がけですし、飛行機の運用もものすごくやりづらそうです)。翌年には艦橋も煙突もない全通飛行甲板のアーガスが完成します。そして1918年起工のハーミーズで近代的な空母の原形が完成します。わずか数年で新しい軍艦が完成するとは驚くべき速度です。空母に関してはワシントン軍縮条約まではイギリスが世界をリードしていましたが以後は日米が最先端を行くことになります。
日本は1914年8月23日(対独宣戦布告の日)に若宮丸(翌年軍籍に編入し艦名を若宮に変更)への飛行機搭載施設を完成させ実戦に投入しました。世界初の水上機母艦です。また、空母を中心とした機動艦隊の概念を世界に先がけて現実化させました。しかし日本のリードはそこまで。アメリカは第二次世界大戦中にエセックス型空母(2万7000トン規模)を16隻、軽空母(巡洋艦の船体利用)を9隻、商船利用の護衛空母を115隻完成させていますが、日本は正規大型空母は1隻だけ(「大鳳」)で客船改造の護衛空母も7隻だけだと書かれているのですが……あれれ、信濃は数えないのかな? 沈没時にはまだ「完成前」ということかしら。
第二次大戦後、空母の役割は変わります。冷戦によって艦隊決戦の可能性が低くなり、ジェット機はプロペラ機よりも大きく重いため、甲板・カタパルト・エレベーター・格納庫、すべてを改造する必要があるため空母の重要性は減じたように見られました。さらに運用面でも、ヘリコプターへの対応や対潜哨戒が求められます。ところが、原水爆に対しては「強い」ことが認められ(高速で移動する点で地上基地より有利)、原子力機関の搭載で機動力が増し内部の空間も広がったことから(燃料タンクや煙突がいらない)、空母の再評価が行われました。
そうそう、本書にはずいぶん変わった空母も紹介されています。世界最小の空母はおそらく第二次世界大戦中に用いられた、上陸用舟艇に飛行甲板をつけたもの(どんな運用をしたんでしょう?)。世界最大の空母は、人工の氷山で造られた排水量なんと170万トンの「空母」ハバクック……残念ながら1943年に1000トンの実験模型艦が造られただけで計画が中止になってしまいましたが、どんなものだか、見たかったなあ。
著者は生粋の技術屋らしく(造船中尉で入隊、昭和19年には技術少佐)、飛行甲板や格納庫、エレベーター、煙突の引き回しなどについていろいろな思いを吐露されますが、私には猫に小判・豚に真珠・馬の耳に念仏です(……最後のは違うか?)。ただ空母というものが突然登場し歴史を変えたことはよくわかりました。
先日新聞に15歳の少女の投稿がありました。「愛を永続させることができない人間は、財産や肩書きが目的で人生最大の決断をしたのでは?」って言うのですが……おーい、そこまで言っちゃいますか? この思考過程はちょっと人生を単純化しすぎているのではないか、と思えます。
もしかしたら投稿者の周囲に、カップルに関して「良いモデル」が無いのかもしれません。まさかこの投書者のまわりにはお宮貫一しかいない、ということはないと思うのですが……それとも単に今つき合っている人が信頼できないのかな。本人も投書の後半では永続するものなど無い、とも言っているから「この世に変わらないものなどない。でも変わらない愛を信じたい」というアンビバレンツの中にいるのでしょうが……「15歳の女性」は私にとっては謎の存在ですが(というか、人間はすべて謎の存在ですが少女というのは特にわけがわからない)、いろいろ「推理」することができて楽しい投書欄でした。
【ただいま読書中】
ダフネ・デュ・モーリア著、吉田誠一訳、早川書房、2006年、2000円(税別)
著者はヒッチコックの映画で有名な「レベッカ」「鳥」の原作を書いた人だそうです。と言われても、原作のどちらも読んでいない身としては素直に白紙で本に入っていくしかありません。
本書のCopyrightは1959年、ということは収載されている短編はそれより前に書かれているはずですが、たとえば巻頭の『アリバイ』など、現代のロンドンを舞台にしていると言われても違和感がない内容です。突然人生の啓示を得てしまった男フェントン。裏町にひっそりと住む薄幸の外国人母子。はじめはこの母子を殺すつもりだったフェントンですが、なぜか二人(と自分)の絵を描く生活が始まります。
ここで「脇役」として登場するマダム・カウフマンとその息子ジョニーの生活が、本当に「現代的」なのです。ソ連崩壊後に東欧からイギリスに流れてきた一家、と言っても不自然ではありません。具体的にかつ一般的に生活と心情を描写する著者の腕前は大したものです。
『青いレンズ』……難しい目の手術が成功して暫定的に青いレンズを入れられたマーダ・ウェストは、「あるがまま」にものを見ることができるようになります。しかしそれは悪夢の世界でした。人の内心がすべて動物の表象として見えるのです。何も信じられなくなったマーダは病院から脱走しますが……伏線もちゃんと張ってあったし、一応予想の範囲内ではありましたがそれでもラストで背筋が一瞬凍ります。
『美少年』……こちらはラストで一瞬あきれます。まるで『ヴェニスに死す』のような状況で話は進むのですが、美少年はモーターボートのスクリューにまきこまれ、そしてラストで……ああ、ラストで……(ネタバレしません)。
しかし、『美少年』にしても『あおがい』にしても、主人公の行動と独白を見ていて「おいおい」と言いたくなるのですが、他人の無意識と本音は自身にはわからなくてもわきからはよく見える、ということなんでしょうか。ちょっと自省。
ベトナム戦争が終わってからもう30年以上経つんですねえ。
小学生のときに読んでいた新聞にはいつも「解放戦線」「政府軍」「北爆」といった文字が常に並んでいました。私にとっては海の向こうの遠い戦争でしたが、その情報が常に私の目の前にあるのはなんだか不思議な感覚でした。
友だちが貸してくれた子ども向けの本(タイトルは……『ぼくのベトナム戦争』だったかな。もう40年前のことだから記憶はあやふやです)によって、ベトナム戦争には長い「過去」があることを初めて私は知りました。過去の積み重ねがあるからこそ、なかなか現状が変更できないことも。でも、だからと言って戦争をだらだらと継続して良い理由にはならないことも。
【ただいま読書中】
阿奈井文彦著、文藝春秋、2000年、710円(税別)
1967年10月、空母イントレピッドから四人の米兵が脱走し、ベ平連の手助けを得てモスクワ経由でスウェーデンに出国しました。それからの約二年で計16人の米兵がJATEC(ベ平連の裏組織)の支援を受けてスウェーデンに出国します。
著者はその中の数人と、隠れ家から隠れ家へともに行動し国外への脱出を支援します。
脱走米兵の隠れ家として使われたのは、一般市民の家、病院(中には産婦人科病院も)、山岸会の農場、ヒッピーのコミューン、元ライ患者のための宿泊施設……
ベ平連は市民運動としての反戦団体ですが、脱走米兵は実は「反戦」ではありませんでした(おそらく反戦の人は徴兵時に拒否をしていたでしょう)。何も知らない若者がベトナムの戦場に送り込まれてそこで初めて過酷な現実に出会ってそのショックで「厭戦」になった兵士たちが軍の隙を見て脱走したのです。この「反戦」と「厭戦」のすれ違いは現場ではけっこう深刻な問題を生んでいたのではないかと私は想像しますが、著者はさらりと流します。
家に閉じこもって周囲に気取られないように気配を消し続けることに疲れて、とうとうアル中になってしまう人。日本を移動中に出会った若い女性に「自分は脱走米兵だ」とあっけらかんと喋ったり列車の窓から遠くの農民を「バンバン」と撃つまねをする人。様々な脱走米兵とともに過ごした時間を著者は具体的に語ります。
脱走行為は、米軍法ではもちろん違法ですが、米兵は日米安保条約の地位協定によって出入国管理令や外国人登録法の規制を受けないことになっていたため、たとえ「脱走兵」でも日本国の法規では取り締まれなかったそうです(もちろん警察が米軍の依頼を受けた場合は話が別です)。それでも「官憲の目」をかいくぐっての逃走劇は、それはスリルがあったことでしょう。彼らは別にスリルを味わうために行動していたわけではないのですが。
著者は、大学を中退して廃品回収業に「就職」し、偶然立ち上げたばかりのベ平連事務局に出入りするようになります。このあたりのお話は私には初めてで、なかなか興味深いものでした。
本書には「日本初の心臓移植」「ソ連軍とワルシャワ条約軍のチェコ侵攻」など、懐かしいことばが散りばめられています。そういやあの頃はミニスカートの第一次ブームでもありましたっけ。しかし当時流行した「ヒッピー」や「フーテン」になったり憧れていた人(今だと50代後半から上?)は、今「ニート」ということばを見てどう思っているんでしょうねえ。「けしからん」と怒っていたりして。
本書の最後は、ベトナムに残留していた旧日本兵が50年ぶりに帰郷した話です。二つの戦後(ベトナム戦争の戦後と、太平洋戦争の戦後)が重なるこのエピソードは、複雑な感慨を私に抱かせます。
社保庁の長官宛てに現場の人間が抗議の辞任とファックス送付を行った、というニュースをYVでやっていました。なぜかファックスの文面そのものが画面に出ていたのですが……上の人間は「そんなこと(違法行為)をしろとは指示していない」という認識のようですが、現場の人間は「手段は選ばずノルマを達成せよと無茶苦茶な圧力をかけられた」という認識のようです。そういや暴力団の鉄砲玉(ヒットマン)に対して親玉は「あいつを殺せ」と言ったら殺人教唆だから法廷に提出される証拠にならないように「あいつが邪魔だなあ。誰か何とかしろ」とか言うんでしたよね(映画の見すぎ?)。
……「未納者を減らせ」という指示ではなくて「未納率を下げろ」という指示が出ているところに注目したら「ホンネ」がどんなものかは大体見当がつきますが……もちろん法廷に提出できる証拠ではありませんけれど。
【ただいま読書中】
アーサー・ランサム著、神宮輝夫訳、岩波書店、1967年初版(87年15刷)、2100円
この全集を子ども時代に読んだときには『
ツバメ号とアマゾン号』や『
オオバンクラブの無法者』に惹かれましたが(本の中の情景が夢に登場するくらいでした)、大人になってから再読したときには『海に出るつもりじゃなかった』が一押しに変わっていました(再読のきっかけになった@nifty時代の無限壁には今でも感謝しています)。そのとき感情移入する対象が主人公の子どもたちではなくて大人になっているのには自分でも驚きましたっけ。今回さらに再読して、著者の群像描写のうまさと自然描写の豊かさ、そして船の操作の細々としたリアルさをたっぷり堪能できました。いやあ、良い作品は何歳で読んでも良い作品です。
今回初めて気がつきましたが、オープニングから数十ページの間に「夜間航海」「海に出てはならない」「オランダに向かう蒸気船」「おとうさんが帰ってくる」「帆が一番大事」などと伏線はきちんと張られているんですね。まったく、著者は無駄なことを書きません。登場人物にも余計な人は一人もいません。すべての人間とものとことにはそこにいるべき(あるべき)理由があるのです。本書に水はたっぷり登場しますが、内容には水増しは一切無いのです、なんちゃって。
シリーズでお馴染みのメンバー、ジョン・スーザン・ロジャ・ティティの兄弟姉妹が偶然知り合った「鬼号」の船長に連れられて航海をしていたら、まったくの事故のために子どもたちだけ乗った状態で船は港外に出てしまいます。霧・雨・強風に船は翻弄されどんどん陸から離れていってしまいます。さらに夜がやってきます。長男のジョンは、初めて乗る大きな船をいかに操るかの技術的な問題とともに、兄弟たちの安全をいかに確保するかの心配と責任、さらに次々決断を下さなければならない重圧と辛さに苦しめられます。
そして船は、外洋に出てどんどんイギリスから離れていってしまいます。彼らの運命は、そしておとうさんとおかあさんは……
物語として、「人の成長」と「帆船」って、なにか相性が良いのでしょうか。子どもたちが手本にする両親や鬼号の船長ジムは子どもが帆船によって成長した「結果」ですし、本書一冊の中でも子どもたちはぐんぐん成長します。子どもの時にはここまでは読み取れなかったことを思うと、私も成長して良かったと思います(たぶん成長していますよね?)。
そうそう、学生時代に読んだホーンブロワーシリーズもやはり「帆船」と「成長」という共通のキーワードを持っています。もっともこちらの「成長」は人の一生を通じてのものですから
アーサー・ランサム全集のとはちょっとニュアンスが違いますが。ホーンブロワーにも帆船用語が容赦なく登場しますが、子ども時代にアーサー・ランサムでそういった単語群に出会っていたおかげか、全然問題なく作品世界に没入できたのはラッキーだったと思います。
……ホーンブロワーはどこにしまったっけ?