2006年8月
 
1日(火)五感
 色には名前がついています。科学的には電磁波の周波数で表現することもできるでしょう。
 音も科学的に表現することが可能です。音色はちょっと「科学的」には難しいでしょうけれど。
 触覚は……どの感覚(痛痒触……)が生じたかを表現すると同時にタッチの強さを定量的に表現することは可能でしょう。でも「5グラム/平方センチの圧力を秒速1センチの割で加えられた」と言われても、ただ単にこすられているのか愛撫なのかはわかりません。こんな表現はそれこそ隔靴掻痒かも。
 味覚と嗅覚……これは難しそうです。ガスクロマトグラフィーで「その分子の存在」を記述することはできるでしょうが、人間にとってそれはあまり意味のあるものにはならないでしょう。さらに、味も臭いも単体で味わうことは普通ありません。ほとんどの場合複合体でやって来ます。そのハーモニーを的確に表現する言葉は、人が論理構造(言語構造)を「それ」用に再編成しないと見つからないのではないか、と私は思います。あ、複合体の難しさという点では音もそうか。和音(または不協和音)そのものあるいはそれが人にもたらす効果を論理的に表現するのは今の言語ではとっても難しいことですから。
 
【ただいま読書中】
フランス香水の旅 ──香りを創る男たち
松井孝司著、日本放送出版協会、1993年、2427円(税別)
 
 フランスには「ネ(nez)」(鼻)と呼ばれる人がいます。一流のパーフューマー(本書では創香師と訳されています)のことです。シラノ・ド・ベルジュラックにとって鼻は劣等感の象徴でしたが、「ネ」は親しみと尊敬の言葉です。創香師は香りのドラマの演出者です。トップ・ノート(つけて5分から10分の「先立ち」)、ミドル・ノート(つけて30分頃の「中立ち」)、ラスト・ノート(「残香」「後立ち」、体臭と混じった2〜3時間後の残り香)のシナリオを作る芸術家なのです。
 13〜14世紀の「ハンガリー水」と呼ばれるアルコール性化粧水が現代香水の始まりとされています(それまでは香油)。16世紀にはフランスで盛んに香料が製造されるようになりますが、その中心となったのが南仏のグラースでした。もともとは皮産業の町でしたが、皮の匂い消しに香料を使ったのが大ヒットし、皮産業が衰退した後も香料産業が残りました。近代的な香料工場の一角に「伝統」が残っています。ヨーロッパでももうグラースにしか残っていないチュベローズの畑で手摘みされた花をアンフルラージュ法(冷吸収法=花を並べその上に脂を塗ったガラス板をかぶせて一輪につき三日かけて脂に香りを吸収させる)で香りをとっていくのです。チュベローズは高熱処理ができないからこうするしかないそうな。
 花から集められた香りの素はコンクリートと呼ばれる大きな缶詰になります。バラの花1トンから2キログラムのコンクリートができるのだそうです。ジャスミンのコンクリートは1キロ作るのに花が350キロ必要。さらにそれを精製して花由来のロウ成分を取り除くと量はさらに半減してしまうそうです。
 
 「ネ」は鼻だけの存在ではありません。調香をする場合、美しいものへの理解力・想像力・創造力などが欠かせません。特に創香は処方箋を書くまでは完全に頭の中で行われる作業なので、その人の感性と人間性のすべてが投入されます。単に「鼻が良い」だけでは勤まりません。……つまりは芸術家ですね。さらに努力も。たとえばシャネル社の主任調香師は、「シャネルNo.5」のレシピ通りの花が咲いているかどうか畑まで確認に行きます。同じ香水を作り続けることも、ネの大切な仕事なのです。
 
 創香師学校のカリキュラムです。
第一段階:400種類の香りを覚える。同時に二つだけ混ぜ合わされた香りの成分と割合を判断できるようになる。
第二段階:ミックスされてバランスの取れた香りをかぎ分ける。
第三段階:20種類くらい混ぜ合わされた香料を嗅いでコピーする(様々な香料を混ぜ合わせて同じものを再現する)。
第四段階:古典的な香水をコピーする。
 ちなみに、市場に出ている香水で多いものでは200種類の香料が混じっているそうです。
 
 私のような朴念仁が香水の本を読んでどうするんだ、とも思いますが、それなりに思うところが多い本でした。畑で手摘みされた花が香料となり、ネによって創香され調香されて香水となり、それを買った人が自らの一部として受け入れる。これはフランス文化なのでしょう。自然を一度イメージ化し、重層的な香りの中にそのイメージを解き放つという文化的な手続きは、明らかに日本の自然愛好とは異なっています。それと、本書中で紹介されているゲランの言葉「良い香水をつけていたらどんな女性も闇の中では美しくなれる」「(香水の哲学は)ありません。美の哲学があるでしょうか。ないと思います。美があるのみです。哲学は無用です」もなかなか……美についてはあまりぺちゃくちゃおしゃべりしなくても良いんですね。
 しかし「ある匂いがその人にとって良いか悪いかは、その匂いがその人の個人的体験のどれ(良いものあるいは悪いもの)と結びついているかによって決定される」とは……そういえば創香師候補者は香りを自分の個人的体験と結びつけて連想的に覚えていました。ということは、香水が大きな地位を占めている文化は、個人的体験の豊かさを求める文化ということになるのでしょうか。さらに「その香り」をつける人はプライベートな主張をしているわけですから、他の人のプライベートな主張や感受を邪魔しないように100メートルも向こうまで届くような香水のつけ方はしなくなることでしょう。やっぱり日本文化とは異質だな。日本だとせいぜい香合わせや香道ですし、今の町ではものすごく控えめではない香りの主張をする人にしょっちゅう出会いますから。
 
 
3日(木)イスカンダル
 ……どうでもいいことですが、「イスカンダル」って「アレキサンドロス(アレキサンダー)」のアラビア語・ペルシア語読みなんですって。宇宙戦艦ヤマトとマケドニアに関係があるとは知らなかったなあ。
 
【ただいま読書中】
ナポレオン戦争全史
松村劭 著、原書房、2006年、2800円(税別)
 
 ナポレオンが行った戦争の一つ一つを読み解くことによって、ナポレオンの戦争の特徴をまとめ、なぜ彼が勝ったのか、そしてなぜ彼が負けたのかを、フランス革命まで遡ってヨーロッパ全体を俯瞰しつつ論じた本です。
 ナポレオンの戦術の特徴はいくつもありますが、私の印象に残ったのは「機動」「弱点の利用」「兵站の活用」です。機動と弱点は実はつながっています。機動によって有利な状況を作り出すとともに相手の弱点をあぶり出す。あるいは自分が動くことで弱点をさらけ出して敵がそこにつけ込もうとした瞬間に生じた敵の弱点を隠しておいた主力で集中的にたたいてから混乱した敵軍を各個撃破する。こういった「次の一手」を常に考え準備しておいたことがナポレオンの勝因だったと言えそうです。流動的で混乱している戦場で全体を俯瞰して「ここが敵の弱点だ」「今そこをつくべきだ」と判断できる人に対しては、(あまり軽々しくこの言葉を使いたくはありませんが)「天才」の称号を贈るしかないのではないかと思います。
 しかし、敵が連合軍の場合にはその「連合」ゆえの弱点を的確につき各個撃破していったナポレオンが、ロシア遠征では自分が連合軍を率いる立場になりそしてどんどん兵力が減じていくのを眺めているしかなかったのは皮肉です。さらに、兵站に関しても、ロシア遠征軍はあまりに大軍だったためそれでなくても兵站が追いつかないのに、ロシア国内の道路網が未整備で大量輸送がやりにくかった、というのも兵站の天才にとってはこれまた皮肉な結果でした。
 また、海洋国家(イギリス)と大陸国家の戦略の違いも大きなものでした。たとえば英仏海峡は、ナポレオンにとっては「でかい川」で「越えるべき障害物」だったのですが、イギリス軍にとっては「戦場」でした。スペインなどでの戦い方での基本的な態度にも大きな差があります。やはり「敵を知り己を知る」ことがなければ、局所的な戦闘には勝つことができたとしても戦争に勝ちきることは困難、ということなのでしょう。
 
 機動力と戦力の集中で私が想起するのはアレキサンドロス王です。重装歩兵と騎兵隊による「鎚と鉄床」作戦で知られますが、竜騎兵や軽装歩兵を活用した点でナポレオンと同じ匂いがする用兵家でしょう。ナポレオンも軽歩兵(不正規歩兵)を活用していましたが、柔軟な発想をする人は柔軟に使えるツールを好む、ということなのかな。
 
 
5日(土)未納
 社会保険庁はなんともいい加減なことをやるお役所、というイメージが私個人には定着してしまいました。最近話題の「勝手に免除」事件での、「納付率を上げる」ために分子(年金をきちんと納める人)を増やすのではなくて分母(年金を収めるべき人)を減らす、は「さすが机上の空論の名人の発想」と感心するしかありません。
 ところがその逆のことも同時にやっているのですからわけがわからない。「きちんと年金を納めているのに、記録では納めた事実がこっぽり抜け落ちていて未納扱い。文句を言うと『納めた証拠(領収証)を持ってこい』と木で鼻をくくったような返事」という事態がどうも全国で多発しているようなのです(推定形なのは、気がつかずに問い合わせをしない人の場合は表面化しないのと、社会保険庁が「きちんと調査する気はない」とTVの取材には答えていることから数が確定できないから)。
 おかしいですねえ。私の場合、転職のはざまで年金が「一日分」未納になってしまったことが一回あったのですが、それでも「未納になっているぞ」と呼び出しがかかりましたよ。はい、納めに行きましたとも。それが(おそらくは転記時のミスで)数ヶ月とか数年未納になっているのをそのまま放置、ですか? 納付率を上げるために血眼になっているお役所の態度ではありませんね。不思議です。
 
 不思議といったら、年金原資は大黒字のはずなのに、どうしてあんなにお役所は「足りない足りない」と言うんでしょう? 高度成長期、納める人はがんがん納めてそれを使う人は少なかったのですから、どかんと残っているはずでしょう? どうして足りなくなるのだろう。もしかして誰かが使い込んだ? もしそうなら、その「責任」は、今納めている人が負うべきではなくて、原資を減資してしまった人が負うべきだと思いますよ。違うかな?
 
【ただいま読書中】
日本霊異記(中)』(にほんりょういき)
景戒 著、中田祝夫 訳注、講談社(講談社学術文庫)、1979年初版(88年8版)、580円
 
 日本最古の説話集『日本国現報善悪霊異記』の中巻(の全訳本)です。原文(読み下し)・現代語訳・語注・解説、と並んでいて非常に読みやすくなっています。……と言いつつ、私が上巻を読んだのは今年の3月ですから、やっぱり古文は取っつきが悪い……というのは日本人として忸怩たるものがあります。でも苦手なものは苦手なんだよなあ。
 
 著者は日本仏教における聖武天皇の功績を大変大きく評価していて、本書では聖武天皇の代の説話が巻のほとんどを占めます(上巻は雄略天皇から聖武天皇の前まで、下巻は聖武以後から嵯峨天皇の代まで)。
 
 第二話「烏の邪淫を見て世を厭い、善を修せし縁」……巣を守っていた雌烏が雄が食物を求めて出ている間に他の雄と浮気をして一緒に飛び立ってしまい、帰ってきた雄が途方に暮れて雛とともに死んでしまったのを見た和泉の国の郡長が、世をはかなんで出家したお話です。烏の発情期は?と聞くのは野暮なんでしょうね。動物に仮託した寓話なんでしょう。ただ、いい加減な烏もいれば、裏切られた悲しさに死んでしまう純情な烏もいる、と見るとこの話の趣もちょっと変わってくるのですが……
 第三話「悪逆の子の、妻を愛みて母を殺さむと謀り、現報に悪死を被りし縁」……防人を3年もやった火麻呂が従者としてついてきた母親を殺してその喪に服することを口実として妻が待つ故郷に帰ろうとしますが、文字通り地獄に落とされます。当時の規定では親の喪に服するのは防人の義務が明けた後だったことも思うと、二重に情けないお話です。
 第七話「智者の変化の聖人を誹り妬みて、現に閻魔の闕(みかど)に至り地獄の苦を受けし縁」……優れた僧であった智光と行基との説話です。行基の評判を妬んだ智光が一度地獄に落とされて九日間もの苦しみを得た上で生き返ります。
 第十話「常に鳥の卵を煮て食ひ、以て現に悪死の報を得し縁」……因果を信じなくて鳥の卵を食ってばかりいた若者が、ある日見知らぬ兵士に麦畑に放り込まれます。若者は「熱い熱い、足が痛い」と泣きわめきながら走り回りますが畑から出ることができません。里人がやっと連れ出したところ、若者の足は焼けただれていました。
 
 殺生とか邪淫、僧に対する乱暴に対しては仏罰が下るぞよ、というお話が多いようです。逆に言えば「そのような行為」が当時の世には満ちていたのでしょう。……「当時」だけではありませんね。おそらくはその前も、おそらくはその後も、そして現在も「そのような行為」は満ち満ちているようです。
 今の視点からは、収録されているものは話としてはひねりがあまりなく、構造としてはシンプルです。ただし、時代が下るにつれてその内容は少しずつ豊かになってきます。たとえば第二十四話「閻魔王の使の鬼の、召さるる人の賄を得て免しし縁」や第二十五話「閻魔王の使の鬼の、召さるる人の饗を受けて、恩を報いし縁」では、あの世への使いとしてやって来た鬼が賄を受けることで他の人をあの世に連れて行ってしまいます。第二十五話ではそのときの行き違いで生じた「魂だけの女」と「肉体だけの女」が合体(ではありませんね、魂と肉体の合併)してしまいます。いや、奇妙奇天烈、霊異記の名に恥じぬお話です。セックス関連では獣姦・近親相姦も(はては仏像に対する性行為まで)登場しますし、「新婚初夜で『痛い痛い』と女が言うのを他の部屋で聞いた親が『初めてだから仕方ないだろう』とか言っていたら実は化け物に食われている瞬間だった」なんてのもありますし、本書が単純で良識的な仏教説話集と思ったら大間違い。さすが、後の今昔物語などの説話集の近いご先祖様で、落語の遠いご先祖様です。
 
 
6日(日)一桁一万円
 小松左京さんが『日本沈没』を書いたとき、なんとか日本を沈めるためにマントルの流れなどを計算しようと電卓を買ったら「一桁一万円」だった、とエッセーに書いていたのを読んだことがあります。『日本沈没』を読んで2年後に私が電卓を買ったときには、8桁でたしか14,000円くらいでした。当時の私の財布にはそれでも大打撃でしたが、実験結果を集計したりするのに活躍してくれたので元は取れたと思います。
 ……今の電卓の値段? 知りません。知りたくもありません。
 
【ただいま読書中】
日本沈没 第二部
小松左京・谷甲州 著、小学館、2006年、1800円(税別)
 
 日本が沈没した「異変」から25年、日本海溝に滑り落ちた「日本」はかつての白山頂上が岩礁としてかろうじて波間に顔を出すだけの存在で、なんとか脱出できた約8000万人の日本人は世界中に難民として散らばっていました。「異変」を知らない若者も増え、「血」だけではなくて文化も現地と混じることによって日本人のアイデンティティが失われつつあると「異変」前の世代には危機感を持つ者もいました。前作で生き残った主要な登場人物も、国連職員・日本国首相・カザフスタンでの反政府ゲリラリーダーなどとばらばらの人生を送っています。
 国土を持たない政府はそういった現状を憂え、「地球シミュレーション」と「メガフロート」に「日本」の活路を見出そうとします。しかし地球シミュレーションがはじき出した「地球」の未来は「氷期が到来し、何もしなければ地球人口は半減、最悪の場合人類絶滅」という暗いシナリオでした。日本が沈んだ影響で地球の自転軸に小さなふらつきが生じ、それに大量に噴き上げられた火山灰などによる「火山の冬」が加わって本格的な氷期がやってくると言うのです。
 ……『第四間氷期』(安部公房)を読んだときのショックを思い出しました。現在は間氷期だから温暖化しているのは「普通」ですが、それが永遠に続くものではなくていつかはまた氷河期になる、というのは思春期の私には暗い未来にしか思えなかったのです。
 さらに、日本の活動を自国に対する脅威と認識する中国や、地球シミュレーションの結果を自国に都合良く利用したい米国などの外向的思惑がからみ、日本は最初目指したのとは違う方向に「漂流」していきます。
 
 そうそう、パプア・ニューギニアでの篠原の活動描写は、『パンドラ』(谷甲州)に出てきたマレーシア(だったと記憶しています)で研究活動をする日本人を連想しました。「海外の現場で活動する日本人」にはどうしても谷甲州さんの個人的経験が投影されてしまうのでしょうか。
 日本人が「日本」人として生きるために大切なのは、パトリオティズム(愛国主義)・ナショナリズム・コスモポリタニズムのどれなのか、作中では静かな議論ですが考えさせられてしまいます。「自分にとって大切なもの」と「自分たちにとって大切なもの」と「回りの人に尊重されるために大切なもの」とはもしかしたらそれぞれ違うのかもしれません。
 
 ……しかし、本巻のラストはA・C・クラークの「××の×」のラストをもろに思わせますね。
 
 
7日(月)万歩計
 一時期ベルトに付けていた時期もあったのですが、あまりに数字が稼げないのでいつしか付けるのをやめてしまいました。はい、それは万歩計の罪ではありません。わかってます。
 そういや、一秒間に二歩歩くとしたら、一万歩分足を動かすためには5000秒(=約83分)必要です。時間を節約するために一秒に三歩にしましょうか。それでも約55分は歩かなきゃいけません。……もしかして私は、一日の内でそれだけの時間を歩くどころか立ってさえいないかもしれません。うわあ……「一日一万歩」は健康のための免罪符ではないでしょうけれど、いくらなんでもここまで運動不足というより運動皆無の生活では今にどこか壊れるかも……あ、腰はもう壊れていた。
 
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墜落 第一部 驚愕の真実
加藤寛一郎著、講談社、2001年、1600円(税別)
 
 欧米を中心とする1950年代後半からの航空機事故を分類した上で、事故報告書を元にその事故を再構成・解説をしたシリーズです。第一巻では「予想を超える原因」による事故が4つ取りあげられています。
 事故の数は膨大で原因も多岐にわたります。さらに「原因」も複合的な場合が多く、単純な分類は不可能です。しかし著者は敢えてそこに「興味ある事故」という主観と恣意性を武器として切り込み、全十巻の本シリーズを書き上げました。事故の選択は主観的ですが、記述内容に関して著者は主観をできるだけ排しています。著者の「主張」は、シリーズにどのような事故が選択されたか・どの事故が排除されたか、その事故がどこに分類されているか、から読者が読み取るものなのでしょう。
 第一章は「酔っ払い運転」です。1977年日本航空の貨物便(生きた牛を輸送していた)がアンカレッジ空港で離陸に失敗して墜落した事故ですが、機長を空港に運んだタクシーの運転手から「酔った乗員を運んだ」との通報があり、墜落後の調査で機長のアルコール血中濃度は210ミリグラム(1デシリットル中)でした(アラスカ州の法律では、血中濃度100で酩酊運転となります)。悪いことに翼には氷が付きやすい状況で翼の性能は落ち失速しやすくなっていました。機長は離陸前に滑走路を間違え離陸操作を少し強く行い失速に対して迅速に対応できませんでした。興味深いのは、機長を普段から良く知っている人は「酔っていなかった」と証言し、良く知らなかった人は「酔っていた」と証言していることです。また、コックピット内での人間関係(機長はベテランのアメリカ人、副操縦士と航空機関士は中堅の日本人)によって機長の権限への異議申し立てが円滑に行われなかった疑いがあります。さて、この場合、どうすればこういったタイプの事故予防ができるのでしょう?
 第二章「操縦中の夫が病死」……1984年、飛行中の小型単発プロペラ機パイパー・チェロキー・ウォーリアの操縦者が心臓発作で意識を失いました。同乗していた操縦者の妻は61歳、操縦経験はありません。緊急連絡を受けた管制官は当該機の操縦経験があったためオートパイロットの確認と簡単な旋回を教え燃料タンクの切り替えを行わせると同時に、死亡した操縦者に飛行を教えた教官(夫人とも知り合い)に別の飛行機で近くを飛んでもらいます。管制官と教官の誘導で強行着陸したウォーリアは前輪を壊しただけで無事停止できました。
 映画で似たストーリーがありましたっけ。タイトルは忘れましたが、たしか事故で操縦士を失った大型ジェット旅客機を操縦経験の無いキャビン・アテンダントが操縦して、というものです。ジェットの方が失速しやすいので素人の手に負えるのかなあ、とは思いますが、第二章のような「実例」があると心強いですね。自分が乗っている飛行機で突然「お客さまの中に飛行機を操縦したことがある人はおられませんか」と機内放送がかかったとしても「素人だけど大丈夫かも」なんて言える……わけはありません。どうかそんな目に遭わずにすみますように。
 第三章「迷走三〇分、御巣鷹山に墜落」……尻もち事故の修理ミスから後部圧力隔壁に疲労亀裂が生じついに破壊、垂直尾翼が倒壊、四系統の油圧系がすべて破壊されたため油圧による操縦が不能、が本件の原因とされています。著者は「修理ミスをチェックするシステムが用意されていなかったこと」がこの事故の本質的原因としています。その結果JAL123便は姿勢制御の手段をほとんど失い「下手に投げられた紙ヒコーキ状態」で迷走することになりました。フゴイド運動(上下への揺さぶり)やダッチ・ロール(機体の横の傾きと機首の左右振りが同時に連続する)、スパイラル・モード(傾いたまま放置された飛行機が大きな半径の旋回にはいる)の組み合わせです。読んだだけで乗り物酔いになりそうです。さらに録音の解析から乗務員が低酸素症によって能力低下をきたしていた可能性も指摘されています。
 私は「山に墜落するくらいならせめて海上不時着はできなかったのか」とはじめは思っていましたが、これは「飛ばすだけで精一杯」だったんですね。さらに後日の事故機のシミュレーションでは、接水時には対気速度が時速370キロ以上(しかも車輪が下りてしまった状態)ですから……生還可能性はほとんどゼロです。
 第四章「制御不能機、奇跡の着陸」……こちらは1989年、飛行中に尾部の第2エンジン爆発で3系統の油圧がすべて死んでしまったDC−10の例です。こちらではJAL123便とは違って垂直尾翼は保存されていました。しかし、危機的状況であることには違いがありません。客室にいたDC−10の訓練審査官が応援にかけつけ、スロットル操作を担当します(これによって機長と副操縦士は飛行制御操作に専念できることになりました)。油圧無しでエンジン推力操作だけでの操縦は20〜40秒のタイムラグを伴います。なんとか空港にたどり着いたDC−10ですが、着陸寸前に機体が傾き、それを修正する前にタッチダウン、右翼端、次いで右主脚が接地したのち機体は裏返しになり炎上しました。296名の内生還は185名(ただし、無傷だったのは13名だけ)。ただしこの数字は、「111人も死んでしまった」ではなくて「185人も生き残った」と捉えるべきでしょう。乗員が示したのは「論理的予想を遙かに超える能力」(事故報告書)だったのです。エンジン推力のバランスだけで飛ばすだけでも大変なのに、事故機は普通の着陸速度の5割増し(時速約400キロ)で滑走路に突っ込むしかなかったのです。
 事故の原因は、エンジンファンディスクの空洞でした。そこから発生した亀裂が見逃され成長し、ファンブレード一枚の破損を想定して設置されている封じ込めリングも破断してエンジンの外に飛び出してしまいました。ちなみに、後日のシミュレーター試験では、あまりに状況が不規則すぎて油圧ゼロ状況の訓練は無意味、という結論になったそうです。
 
 
8日(火)アシモフ再買
 なぜか長男が急にアシモフに興味を持ち始めたので「できたら、シリーズが統合される前から、年代順に読んだ方が良いよ。最初はロボットシリーズかファウンデーションかな」と言ったおかげで急にファウンデーションを再読したくなりました。ファウンデーションで重要な「心理歴史学者」は、『宇宙船ビーグル号の冒険』( A・E・ヴァン・ヴォークト)の「総合科学者」と同じく、中学〜高校時代の私にとっては「憧れの職業」だったのです。
 
 で、気がついたらアマゾンのボタンを押していました。ファウンデーションの(1)(2)(3)をぽちっとな。そうしたらその直後「父ちゃん、本棚にあったよ」と長男が…… え゛、買ってたの? いつ?誰が?どこで?なぜ?(さて、5W1Hの残りは何でしょう?)
 ……まあいいや、見つかったものとは翻訳者が違うからまた違う発見があるかもしれません……明らかに負け惜しみですね。買っていたことさえ忘れている人間が過去に読んだ文章をきちんと覚えているわけありませんから。とりあえず古いセットは長男の物になりました。
 
 ……ビーグル号も読みたくなったのですが……これも買った覚えがかすかにあるんです。どこかにしまってあるんだろうなあ。長男を有能な捜索部隊長として本棚に派遣しようかしら。
 
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ファウンデーション』銀河帝国興亡史1
アイザック・アシモフ著、岡部宏之訳、早川書房(ハヤカワ文庫SF555)、1984年初版(2004年20刷)、680円(税別)
 
 絶頂を極めた銀河帝国に滅亡の危機が迫っていました。それを予見、いや、科学的に予想した心理歴史学者ハリ・セルダンは、滅亡を防止するためにではなくて科学文明滅亡後の野蛮な暗黒時代を予想される3万年から1000年に短縮するために人類の英知をすべて集めた銀河百科辞典の編纂を始めます。セルダンと彼に同心した人々が皇帝に追放されたのは銀河の僻地ターミナス。しかしそれもセルダンの計算内でした。
 セルダンはターミナスへの移民が始まる頃にはすでに死亡し、10万人の人がターミナスで百科辞典編纂を始めて50年。銀河辺境では太守たちが次々帝国に反逆を始めていました。ターミナスの近くでも4つの「王国」ができていましたが、その一つ、アナクレオンがターミナスに侵略の手を伸ばしてきます。すでに文明は退化をはじめ、アナクレオンも原子力を失って内燃機関のレベルになっていました。しかし帝国にはアナクレオンを止める意思も力もなく、ターミナスの自由は風前の灯火でした。そのとき、50周年記念としてセルダンの霊廟が開きます。立体映像で蘇ったセルダンは驚くべき「予言」を述べ始めます。ターミナスに設置された百科辞典を編纂するための財団(ファウンデーション)は、実は欺瞞だったと言うのです。セルダン(の映像)は言います。「今の状況で解決方法は、わかりきっている」と。ファウンデーションの方針に反対をしていた市長のハーディンは「わかりきっている」方法を採ります。
 それから30年後、科学は宗教になり、アナクレオンの王を神とする絶対専制君主制を強力に支えるツールとなっています。アナクレオンだけではなくてファウンデーション周囲の4王国はすべてファウンデーションによって「宗教的」にコントロールされる存在になっていました。アナクレオン王は科学の結実をもっと得て他の諸国に対して優位に立つためにターミナス侵攻を考えます。ときはファウンデーション設立80周年。ファウンデーション内部では政治的危機も発生していました。内と外の二重の危機。またもや記念すべき日にファウンデーションは大きな危機(セルダン危機)を迎えたのでした。
 そして75年後、ファウンデーションの人々は貿易商として宇宙を飛び回っていました。売り歩くのはすでに銀河辺縁部では失われてしまった原子力機械。またもやファウンデーション内部の政治的危機と外部の危機(貿易商の船の不可解な連続失踪=原子力の秘密が外部に漏れた疑い)が生じます。スパイとして現地に飛んだ貿易商人マロウは、どこからか復興したらしい帝国のマークを見つけます。マロウは、ファウンデーションの不文律「科学と宗教を抱き合わせで売り込め」に反して……
 
 いろいろと印象深い記述がてんこもりです。私が高校の時には「有能な外交官が何日もかけて喋ったことばから無意味な表現をすべて取り除いていったら結局後に何も残らなかったこと」がしっかり記憶に残りました。言葉が使い方によって「無意味」を伝える手段になることがあるとは意外だったのです。
 また、何回も繰り返される「暴力は無能力者の最後の避難所である」。と言いつつ、ファウンデーションの歴史で戦争は何回も繰り返されるのですが。
 
 
9日(水)夏の風物詩
 「そろそろ暑くなってきたなあ」と思う頃に必ず報じられるのが「パチンコ屋の駐車場で子供が車内でゆだって死亡」のニュースです。夏の風物詩ですか?
 で、本当に暑くなったら必ず報じられるのが「戦争」「原爆」「平和」……これも風物詩ですか? 本当に大切な話題なら年中行事にしましょうよ。
 ……おっと、これはどちらも去年の夏の日記にも書いた覚えが……もしかしたら来年の夏の日記にも……
 
【ただいま読書中】
潜る人 ──ジャック・マイヨールと大崎映晋
佐藤嘉尚著、文藝春秋、2006年、1571円(税別)
 
 1920年(大正九年)生まれの大崎映晋は河童少年で、八歳の時海洋冒険映画(「ロビンソン・クルーソー漂流記」と「海底二万哩」)を見たときあまりの感動で三日も熱を出して寝込むくらいの潜水好きでした。
 1927年、上海のフランス租界でジャック・マイヨールが生まれます。マイヨール一家は夏休みを唐津で過ごし、ジャックはそこで泳ぎと素潜りを覚えます。戦争が近づきフランスに帰ったマイヨール一家ですが、ジャックは食料調達も兼ねてマルセイユの海に潜り続け、素潜りの能力を伸ばします。
 自活を始めた大崎は、トレジャー・ダイビングの先駆者片岡弓八に弟子入りします。大崎はそれから50年かけて『世界水中考古学事典』の執筆を始めます。ちなみにこの事典の原稿は400字詰め原稿用紙で約36,700枚分だそうです。海軍特別技術生徒を最優秀で修了し海軍機室に採用され、海図づくりをすると同時に中央大学で経済学の勉強、クラブは3つ(クラシック音楽愛好会、バレーボール、山岳部)……マルチ人間です。終戦で捕虜となったら、コミュニケーション能力の高さをかわれてきちんと英語を学んでいないのに通訳に任命されています。写真家名取洋之助に弟子入りした大崎は、写真器具を自作して水中写真で世界に名を知られるようになります。一体どのくらい才能があるのでしょう?
 放浪癖のあるジャックは、カナダの水族館でイルカの調教を引き受けます。そこで彼はイルカから泳ぎを教わります。そして、素潜りでの世界記録への挑戦を始めます。
 大崎は様々な人(財界人や政治家)の私的顧問となりますが、その中でも讀賣新聞の正力松太郎との出会いは想像を絶する事実の連鎖によるもので、下手な小説以上です。また、パール・バックとの交際も印象的です。もしかしたら、本書の主題ジャック・マイヨールとの交際よりも。
 そして1969年、イタリアボルケーノ島でのブルー・オリンピック(世界水中狩猟選手権大会)で、二人は出会います。話が進み、大崎がスポンサーを手配し、伊豆でジャックが世界記録に挑戦することになります。ジャックは精神統一の手段として座禅を学び始めます。決行まであと二週間のとき、オグニマでエンゾ・マイオルカが74メートルの世界記録を出します。そしてジャックが挑戦……
 映画「グラン・ブルー」はリュック・ベッソンの佳作ですが、そこに登場するジャックもエンゾも、現実の人とは全然似ていないそうです。あまりに似ていないのでエンゾが訴訟を起こしてイタリアでは上映禁止になったそうです。
 
 本書には「大崎映晋の名を知る人はいなかった」とあります。私も知りませんでした。本書には日本の海女の生活も紹介されています。これについても私は知りませんでした。私は何も知らない人間であることを思い知らされます。さらに大崎の「日本は海洋国家ではない。国土はたしかに海洋に取り巻かれているが、人は海に背を向けている」という言葉も耳に痛い思いです。
 本書は、ひょんなことから著者が大崎に出会ってその人に惚れこむことで生まれました。たぶんものすごく魅力的な人なのでしょう。本書のカバーは、大崎が撮影した海女の写真です。リアルな写真のはずなのに、シュールで幻想的です。海にも海女にもジャック・マイヨールにも大崎映晋にも興味が湧かなくても、この写真は見るに値するものだと思います。
 
 
10日(木)学生
 卒業してこの年になってしみじみ思います。「学生時代は良かった。勉強だけすれば良かったのだから」と。もし今私が学生に戻れたら、卒業後の学問の進歩した部分、学生時代にきちんと理解できなかった基礎的な部分、専門外でも自分の興味を持つ様々な分野、などを熱心に勉強できることでしょうし、おそらく理解度は、頭が老化した分落ちてはいるでしょうが、知識のネットワークが成熟した分深いところまで理解できるようになっているでしょう。トータルしたら、同じレベルの授業を受けたとしても学びとるものは昔の私をはるかに超えているはずです。
 ……でもね、学生のときには、なぜか学業「以外」をやりたくてしかたなかったんですよ。不思議ですねえ。
 
【ただいま読書中】
サスケ 1 猿飛の巻』小学館叢書
白土三平作、小学館、1990年初版(95年6刷)、1165円(税別)
 
 次男の付き添いで行ったはずなのに、見かけた瞬間懐かしさに負けてまんが図書館から借りてきました。
 TVアニメは「光あるところに影がある」という味のあるナレーションで始まってました。子ども時代にはわくわくしながら……と言いたいところですが、残念ながら放映当時私はもう中学生……惜しいなあ、これは小学生のときに見ておきたかった。それでも原作は……今でも楽しめます。ノスタルジーだけではなくて、わくわくと面白いのです。
 
 徳川と豊臣の戦いの中、真田忍者の猿飛佐助が徳川の忍者群に追われます。超人的な活躍で次々敵を倒していった猿飛ですが、ついに力尽き自爆します(忍者は死ぬときに正体を隠すために顔を傷つけるか自爆するのです)。ほっとした徳川方ですが、意外にもその前にまた猿飛が現れます。それを倒すとまた次の猿飛が……そしてさらにまた別の猿飛が……
 そこに登場するのが少年忍者サスケです。子どもながら大人の忍者より強く、サバイバル能力は抜群、兵器開発さえ自分でやってしまいます。小さなスーパーヒーローです。だけど弱点は「母ちゃん」。……いやあ、男の子ども心をくすぐるキャラクターです。
 
 白土マンガの特徴は「科学」でしょう。たとえば「微塵隠れの術」には詳細な科学的解説が付きます(それも一回ではありません)。マンガですから当然図解入りです。「それ」が本当に可能なのかそれとも荒唐無稽なのか、読者はじっくり考え込む余裕はありません。だって絶体絶命のサスケがどうなるのか気になって気になってすぐ次のページをめくりたいのですから。
 
 
11日(金)二酸化炭素
 「原発は二酸化炭素を発生しない」という記述を読んだことがあります。たしかに原子炉だけ見たらウランもプルトニウムも二酸化炭素は発生しません。でも「原子力発電」全体をシステムとして見たらどうでしょう?
 まず原子力発電所には補助ボイラーとかディーゼル発電機が必ず設置されています。これがなかったら原子炉の稼動はできないはず。そこで燃やすのは重油ですから、原子力発電所を運転したら二酸化炭素は発生します。
 それからウランの濃縮。これも遠心分離法だろうとガス拡散法だろうと、その工程で必ず二酸化炭素が発生するはずです。……いや、ウラン濃縮のために使うエネルギーはすべて原子力発電所の電気でまかなう、とするのなら……えっと、一応二酸化炭素はあまり発生しない、としていいのですが……
 燃料輸送に関しての二酸化炭素発生は、他の燃料(石油や石炭)よりははるかに少ないでしょう。ウラン鉱石を掘り出す過程での二酸化炭素発生も、単位エネルギーあたりで見たら石油や石炭に比較したら無視できる程度でしょう。
 そして燃料の再処理や廃棄処理。この辺に私は詳しくないのですが、いくらかは二酸化炭素が発生するのではないでしょうか。
 ということで、私が原発と二酸化炭素に関して発言するとしたら「火力発電に比較したら原発の方が非常に少ない」と言うでしょう。
 水力発電との比較は……稼動状態だけ見たら水力は二酸化炭素を発生しませんが、ダム建設にかかわる環境コストやダムの維持(汚泥などをどうするのか)や廃ダムの処理コストがちゃんと計上されないと比較が難しいですね。太陽光発電も同じです。これまた発電過程では二酸化炭素は出ませんが、太陽電池の製作や廃棄の環境コストはトータルでどうなるんでしょう?
 あまり重箱の隅ばかりつついていると問題が解決する前に重箱に穴が開いちゃうかもしれませんが、今計上できるコストは無視せずに積み上げて比較しないと、比較自体がまるっきり無意味な行為になってしまうと思うのです。
 
【ただいま読書中】
悲劇の原子力船「むつ」 ──いま明かす漂流事件の真相
田村鉄男著、実業之日本社、1994年、1942円(税別)
 
 著者は日本原子力船開発事業団の技術部長(日本原子力研究所からの出向)で「むつ」出力上昇試験総括責任者として「むつ」船上にいました。当時「むつ」叩きに奔走したマスコミとは対極の立場にいる人と言えますが、そのバイアスを受け入れれば非常に面白そうな本に思えたので図書館から借りてきました。
 
 日本初の原子力船「むつ」は、出航前から政治的なトラブル続きでした。東京は「出航せよ」と何回も指示してきます。しかし現地では「外部条件」(地元との調整)が整わないうちに強行出航はできないのです。東京の本部と現場との乖離に著者は苛立ちを隠しません。結果としてその指令は何回も取り消されました。東京からは現地の状況はちっとも見えていなかったのです。
 お役所は通達や通知が大好きですが、文書一本ですべてが解決するわけはありません。たとえば「待機」と言われても、どのくらいの時間待機する予定かで原子力プラントの点検業務一つ一つが影響が受けます。人員の確保と配置も大変です。日本原子力船開発事業団は時限立法によって「むつ」の実験航海が修了した後解散されるもののため正規の職員はあまりいません。多くは民間からの協力や役所からの出向です。「出航準備指令」「取り消し」が繰り返されるのはそういった「助っ人」にも大きな負担を強います。
 やっと出港しようとしたら海上デモです。漁船が大挙して「むつ」を取り囲み、出港を阻止しています。強硬手段を採ると事故が起きる可能性があるため、船長は深夜になるまで待ってからそっと出港しました。
 太平洋に設定された試験海域で、「むつ」の初臨界は成功します。しかし原子炉真上のガンマ線モニターが異常(ピークで0.1ミリレントゲン毎時)を示します。調べると中性子(それも速い中性子)が検出されました。これは変です。「むつ」の原子炉は加圧水型で炉の上には大量の水があります。したがって「上」に出る中性子は水で減速されているはずなのです。技術者たちは水の層が薄い炉心の「横」に出た中性子が、格納容器と一次遮蔽体の隙間を通って出てきた(ストリーミング)と考えました。著者は明言しませんが(システムで仕事をしているのだから個人を責めても仕方ない、というポリシーによるものでしょう)どうも遮蔽体に関する明らかな設計ミスだったようです。
 それが「むつで放射能漏れ」と報じられ、「むつ」は帰港できず太平洋上を漂流することになります。著者は「放射能」ではないし「漏れ」でもない、と言いますが、もちろんその意見はマスコミでは報じられません。
 
 随伴船として契約していたタグボート「ヘラクレス」は、漂流海域から800kmを往復して買い出し・水の補給・人の送迎などを行いました。ところが食料買い出しの函館では陰湿な妨害に遭ったそうです。重油補給もチャーターした船が「外部」の圧力によって契約破棄となり補給が遅れましたが、自分に賛成しない人に対してこういった陰険な行為をする人間は、たとえ言うことがどんなに立派でも、私は友だちになりたいとは思いません。ついでですが、私は現在、核兵器には反対・原子力発電には懐疑的、という立場です。
 
 「放射線/放射能」「被曝/被爆」の区別もきちんとできないのが一般人の多く(とマスコミのある一定以上)でしょうが、賛成するにしても反対するにしても、せめてこのへんの基礎用語は知っておかないとそして正しく使わないと、その意見の信憑性は下手すれば無くなってしまいます。
 
 著者は、マスコミの無知と傲岸さにもあきれてますが、同時に政府にもあきれかえっています。事故調査報告に現れている無責任さ・空理空論に対して、著者は言葉を押さえて……というか「開いた口がふさがらない」が正解でしょう。詳しくは本書をご一読を。
 
 結局「むつ」の「漂流」は何のために必要だったのでしょうか? 著者も言っていますが、原子炉を停止したら「漏れ」は無いのですから「むつ」には何の危険もありません。帰港させないことに何の意味があるのでしょう。で、もしもそのときの「むつ」が危険なのだとしたら、乗組員たちの健康についても気遣うべきではなかったでしょうか。それとも、懲罰? 日本では法によらない懲罰がいつから認められるようになったのかなあ。
 
 
12日(土)月
 追いかけても追いかけても追いつけないのはどうしてなんでしょう。それなのに、ときどき無性に追いかけたくなるのは、どうしてなんでしょう。
 
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モロー博士の島
H・G・ウェルズ著、雨沢泰訳、偕成社(偕成社文庫3214)、1996年、680円(税別)
 
 船が難破して漂流していた「私」は、帆船イペカキュアナ号に救助されます。その船は、いつも酔いどれている船長に「やぶ医者」とののしられるモントゴメリーによってチャーターされ、様々な動物を満載して「島」に運ぶ途中でした。モントゴメリーに敵意を持つ船長によって「私」は強引に「島」に降ろされます。「私」を出迎えたのは動物に対する生体実験を責められてイギリスを追放されたモロー博士。島人たちは奇怪で不格好で奇妙な関節を持ち、中にはとがった耳が生えているものまでいました。言葉も不自由で知的に問題も持っている様子です。モロー博士は、動物を手術して人間の形を与え、催眠術によって知能の向上まで行っていたのでした。「おきて」によってモロー博士は動物人間たちの行動を抑制しようとしていましたが、ついに本能に負けた動物人間によって、モロー博士もモントゴメリーも殺されてしまいます。「私」は「おきて」をフルに活用することで一種の教祖のような立場に立って身の安全を図りますが、動物人間たちは少しずつ退化を始めます。
 
 なんとも奇っ怪な話です。動物を手術してつぎはぎした上に知能まで与えるとは、まるでフランケンシュタインの怪物の動物版です。中にはハイエナ・ブタ人間のような二種類の動物のハイブリッドまでいます。生きたままつながるとは思えません。ただ、「科学的にあり得ない」で片付けるのには勿体ない本です。
 本書が発表された1896年は、比較解剖学やダーウィンの進化論によって「医学的な視線」が人間を越えて生物全般にまで及ぼうとしていた時代でした。さらに催眠術や輸血といった「新しい技術」が科学的な医学の地平線を新たに切り開こうとしている時代です。それらの「新しい技術」に当時の人が注ぐ期待と熱意は、ちょうど我々が……そうですね、たとえば移植やES細胞に感じるものとほぼ同等だったのではないでしょうか。肯定するにしても否定するにしても。
 さらに著者は様々なテーマをてんこ盛りにしています。
 人間性と動物性の関係。宗教(神と人の関係のカリカチュアが本作での人(主と呼ばれます)と動物人間との関係です)。あるいは人と動物人間の関係を、西欧人と植民地人との関係と捉えることも可能でしょう。科学の非人間性。進化と退化。絶海の孤島での人間関係……それらのテーマを深く追及するのも良し、頭を空っぽにして不気味な島のホラーを楽しむも良し、どう楽しむのも読者の自由です。自由って、良いですね。
 
 
13日(日)こんなに謝っているじゃないか。どうして
 「私が嫌いな言葉ランキング表」でけっこう上の方に位置している言葉です。
 
 そもそも「謝罪」の意味はなんでしょう? 謝罪が必要なのは、多くは「何らかの行為(ミス)によって損害が発生している」状況です。その場合、原因を作った人にまず必要なのは「自分が生じさせた損害の回復」でしょう(逃げる/他人のせいにする、なんてのも選択肢としてあるでしょうが、私はそんなことをする人を……(略))。物が壊れたのなら、修理する/代替品を手配する/弁償する。人が壊れたのなら、えっと、「自分で修理する」は難しいから自然治癒力をアテにすることにしてその修理期間に発生する新たな損害をプラスして何らかの弁償を行う。(「損害の回復」が不可能な場合については、話を簡単にするために今回はパスします)(ついでですが、「刑罰」は「損害の回復」とも「謝罪」とも無関係と私は考えます) で、「損害の回復」ができたらそれにプラスして相手の感情の回復を願って謝罪をする。つまり、謝罪はメインディッシュのオマケです。相手の感情が傷ついていなければ不必要。(実際に私は「謝る暇があったら、早く直してください」という意味のことばを発することがけっこうあります)
 
 で、話は最初に戻ります。「こんなに謝っているじゃないか。どうして許してくれないんだ」……このことばには「これだけ謝れば相手は許してくれるべきだ」という考えが根底にあるわけです。ところが意に反して相手は許してくれない。「謝るのに費やしたコスト」が最初に目論んだ「結果」に見合っていないわけですから文句を言いたくなるのでしょう。でも、これは功利的な計算ずくの謝罪です。それって「謝罪」なの? それとも「取引」? 謝罪の言葉(および行為)は取引条件の提示でしたっけ?
 
 ついでですが、相手に対して謝罪を強制することばも、上記の私の嫌いリストのやはり上位に位置しています。その理由は……(略)
 
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サスケ 2 分身の巻
白土三平作、小学館、1990年初版(93年3刷)、1165円(税別)
 
 サスケの従兄弟たち(四つ子)はなぜかサスケと顔がそっくりで、全員がいっぺんに分身の術(初歩的な四つ身=四人への分身)を行うと「サスケが二十人」というとんでもない事態になります。
 ……無理でしょう。高速度で移動して残像効果で自分がたくさんいるように見せる、と言われたら一瞬信じそうになりますが、たとえば飛行機や新幹線はたくさんには見えません。つまり単純な高速移動だけでは分身の術は使えないのです。高速で移動して瞬間的に停止してまた高速で移動、だったらいくつもの残像を生じさせることは可能かな、とは思いますが、さて、そんな急加速と急停止に人体が耐えられるのかな? というか、それだけ高速で動けるのなら、目くらましをしていないでさっさと死角から攻撃をしちゃえよ、などと私は思うのです。……浪漫のかけらもない発言です。
 
 第一巻での徳川方との抗争は一段落し、サスケ(と父親の大猿)はこんどは九鬼一族と事を構えることになります。倒しても倒しても同じ顔の敵が現れます。そして最後には謎の美少女が……
 
 血がたっぷりと流れ、死体もごろごろしているマンガですが、サスケはなぜか明るく素直です。まあ、子どもマンガで人生哲学を語ってくれても困るのですが。
 
 
14日(月)20年
 昨夜家族で行った新しくできたレストラン、名前がなぜか懐かしい。家内も同じ思いで、二人で記憶を探ったら、新婚の頃気に入って何回か行ったことのある小さなレストランの名前が出てきました。場所もわりと近くです。安くて美味くて当時は珍しかった生きロブスターが置いてあってサービス精神豊かでいつ行っても空いていて……だから儲からなくてすぐにつぶれてしまったのです。最後の頃店外で偶然出会ったマスターが「実は転職するんです。サラリーマンになります」と言っていたのを今でも覚えています。
 あれから20年。もしあのマスターがずっと頑張っていて、また自分の店を持ったのだったら嬉しいことだなあ、と思いましたが……店の雰囲気は全然違うし、マスターは……20年で面変わりはしているでしょうが……それでもやはり別人でした。別人だと思います。
 メニューにはロブスターがありました。肉を食べる気で行ったのですが、おもわず半匹のグリルを頼んでしまいました。懐かしい味がしました。
 
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サウンド・オブ・ミュージック ──アメリカ編
マリア・フォン・トラップ著、谷口由美子訳、文溪堂、1998年、2000円(税別)
 
 表紙のカバー写真に味があります。古いボンネットバスの前にフォン・トラップ・ファミリーが集合しているのですが、バスとバックの建物には着色してあるのに人はすべてモノクロです。みんな良い表情をしています。
 
 1938年、オーストリアを無事脱出できた一家は渡米します。マリアは妊娠7ヵ月。船上で一家は船客たちから英語を教わります。クイーンズ・イングリッシュもアメリカの俗語もたっぷりと。アメリカのフォークソングも習います。アメリカ公演の前渡し金で船賃は出せましたが、アメリカ到着時の所持金は……4ドル。
 一家はツアーをこなし、とうとうニューヨークのタウン・ホールでコンサートを開きます。歌うのは、難曲のマドリガル3つとバッハのモテット。もっと一般受けするものの方が、と思いますし、実際観客は演奏中にぞろぞろ帰ってしまいますが、新聞の批評は絶賛でした。しかし一挙に人気沸騰とは行かず、一家はオーディションを受け新しいマネージャーを得、「トラップ・ファミリー聖歌隊」から「トラップ・ファミリー合唱団」に生まれ変わります。
 アメリカ流の生活にとまどうことが多い一家でしたが、「フレンド」にめぐまれ、なんとか彼らは順応していきます。ただ、出産に関してはマリアは妥協しませんでした。「病院で産むなんて、とんでもない。赤ん坊は自宅で家族に祝福されながら生まれるものです」だそうです。それと、一家が着るのはずっとオーストリアの民族衣装です。
 
 ついに戦争が始まり、一家は敵性外国人として扱われます。アメリカは不思議な国です。「敵性外国人」でも行動の自由はあり、農場を購入したり合唱のツアーは平気でできるのです。さらに一家の長男と次男は徴兵されます。……半年更新のビザで滞在している人ですよ。
 
 とうとう合唱団の人気が爆発し、シカゴのジョーダン・ホールでは溢れた観客が舞台上もほとんど占領しています(写真が残っています)。廃された軍のキャンプを譲り受け、一家は夏のミュージック・キャンプを開催します。戦後はオーストリアを救援するための活動も行います。
 こうして要約すると、順風満帆のサクセスストーリーのようですが……そんな単純なものではありません。「ホーム」がなくてアメリカとヨーロッパをさ迷い、資本主義の世界で自分たちが貧乏であることを思い知らされるたびにプライドが傷つけられ、やっと成功しかけたら息子が二人とも徴兵され、1947年にはゲオルク(「トラップ艦長」)が病死し、著者は腎障害で流産と尿毒症、子どもたちも心身の病や大怪我……でも著者はそれらを明るく書き綴ります。彼らのバックボーンは神への信頼ですが、それだけで彼らの「強さ」の説明はできないと私は感じます。家族愛・オーストリアへの愛・友情と友への信頼……それらがあるから彼らは生き残ることができ、そして「成功」したのでしょう。
 ……もし私が同じ立場になったなら……家族と日本と異国の友……これは大切にしなければ……それも計算ずくではなくて自らの人間性に基づいたものとして。
 
 
16日(水)花火
 昨日の花火大会、なんでも13,000発が打ち上げられたそうで、時間で割ると1分間に平均150発くらいになります。いや、もう、御馳走さん、でした。私は単発の打ち上げ花火で育ったもので、連発は花火大会最後の最後だけ、が身に染みついているのです。ちょっと貧乏たらしい? だけど数打ってこれでもかこれでもかこれでもかと夜空が暗くなる暇もないくらい「豪勢」なのもちょっとやり過ぎのように感じるのです。実際昨日は、スポンサーの名前を読み上げるのも時間が惜しい、といった感じで、豪勢だけどせわしない印象でした。たしか日本一の花火大会は数がもう一桁多いと聞きましたが、空をすべて使って打ち上げるのかしら?
 今年の流行は、多色の色混じりと動きの面白さでしょうか。特に一度飛び散った様々な色の子玉がひょろひょろとあちこちに動き回るのは楽しめました。どうやって動かしているんだろう? あれが進化したら、そのうち爆発のかわりに爆縮も表現できるかもしれません。今回は打ち上げ地点から300メートルくらいのところにシートが敷けたのでナイアガラも寝っ転がってゆっくり楽しめました。
 携帯のカメラで、絞りに限界がある上にシャッターラグがあり、どうも上手く撮れません。なんとか見られるのを上げておきます。
 
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ラ・ロシュフーコー公爵傳説
堀田善衛著、集英社、1998年、2940円(税込み)
 
 ラ・ロシュフーコーは「箴言」で知られています。有名なのは「太陽も死もじっと見つめることはできない」でしょう。本書では「箴言」ではなくてラ・ロシュフーコー公爵の本の原題「マキシム」をそのまま採用しています。
 
 話はまず千年期の終わりの混乱(「もう人類は滅亡するのだ〜」)から始まります。「現代だけが時代ではない」のだそうです。そして、黒死病の恐怖、英仏の対立(たとえば百年戦争)、王と諸侯の対立、カソリックとプロテスタントの対立(サン・バルテルミーの大虐殺、宗教戦争など)……などなど、西欧の歴史と絡み合わされながら少しずつラ・ロシュフーコーの先祖について物語られます。そして本人の歴史も。「思想は天から降りてくるものではない」から過去について述べられるのです。「ルイ13世とリシュリュウ」対「王母と王妃」の対立によってラ・ロシュフーコー(当時はカルシヤック公子)も流謫生活を送ることになります。
 ラ・ロシュフーコー公爵はもともと武人で、スペインとの戦争や内戦で戦い続け、生命にかかわる負傷もしています。武功は立てますが王には評価されず(王軍に館を焼かれたことさえあります)、経済的にも恵まれず苦労をし続けていたようです。
 ラ・ロシュフーコー公爵だけではなくて、17世紀は「フランス」にとっても動乱の世紀でした。内戦が続き同時にスペインとの戦争も断続的に続きます。しかし1659年ピレネー条約で国境が確定し、絶対王制が登場し、文化的には各地方の方言の集合体であったものが「フランス語」になります。つまり「フランスという国家」がきちんと成立したのです。そして公爵は「フランス語」を用いて回想録やマキシムを書き始めます。痛風の痛みを抱えながら。
 彼のマキシムは、単に言葉を器用に操って気の利いたことを書き記したものではなくて、彼の人生から生まれた血と肉が言語化したものだ、と著者は主張しているようです。読者は短い文字列を読みそれを自分の人生に照らし合わせて「意味」を得ます。そのときマキシムを書いた人の人生は無視されます。つまりマキシムの読解はほとんど読者に任されてしまうのです。すると、マキシムに対する共感も反論も、実は「鏡に向かって感想を述べている」にすぎないのかもしれません。マキシムに関する限り、それは「鏡」であり、読者が見ているのは「鏡に映っているもの」すなわち己自身の姿なのです。
 
 
17日(木)十(そ)
 十路(そじ……みそじ・よそじ・いそじなど)・三十一文字(みそひともじ)・十河(そごう)など「十」を「そ」と読む例はいくつかあります。しかしなぜ「十」が「そ」なんだろう?と長男と話していたら「もしかして昔は本当に「そ」と読んでいたのでは?」と長男が言い出しました。なるほど。たしかに「と」と「そ」は違うようで実は似ています。たとえば「th」の発音のような感じで「と」と「そ」の中間の発音にすることが可能でしょう。で、かつてはそのように発音されていたのが、時代が下るにつれてほとんどは「と」になってしまい、ほんの一部だけがなぜか「そ」で固定された、と考えるのはありそうな仮説に見えます。。
 「一部の語では『と』がなまって『そ』になった」と片付けるよりこちらの方がはるかに面白そうです。実際に昔はどのように発音していたのか……誰か私が生きている内にタイムマシンを発明して聞きに行ってその結果を教えてください。
 
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ファウンデーション対帝国』銀河帝国興亡史2
アイザック・アシモフ著、岡部宏之訳、早川書房(ハヤカワ文庫)、1984年初版(2005年16刷)、680円(税別)
 
 銀河帝国は少しずつ衰退しています。反乱(と鎮圧)が相次ぎ、新しい技術開発は停滞し、宮廷は権力闘争と陰謀の巣になっています。そこに「先祖返り」の将軍が登場します。将軍はファウンデーションの情報を得て目を外に向けます。銀河の辺縁で地歩を固めつつある新勢力を帝国に対する脅威と認識したのです。将軍は艦隊を率いファウンデーションを目指します。一方、その情報を得たファウンデーションはスパイを放ちます。スパイは将軍に捕えられ、脱出して帝国の首都とトランターを目指します。目的は皇帝との謁見。
 
 ……しかし「これが本当に危機なら、セルダンが予期していたはずだ。ならばセルダンはそこから脱出できる道も用意しているはずだ」という「理屈」は、ちょっと危険な香りがします。ただし「すべては運命ぢゃよ」と諦観するのではなくて「個人個人が最善を尽くしたらその総体としての結果(複雑すぎて個人レベルでは予見不可能なもの=セルダンの心理歴史学では予見可能なもの)が『ファウンデーションの勝利』になる」わけですから、危機に際しては各個人がとにかく頑張るしかない、というのがアシモフの巧妙なところです。状況の単純化(そうでないと、セルダンでも計算できない)と様々な個人の活動がまた別の個人に影響を与えそれがさらに別の個人に……という複雑さ。小説にするにはある意味理想的な状況です。登場人物の一人一人に深く感情移入する読み方を適用するには向いていませんけれど。
 
 そしていよいよミュールの登場です。
 帝国はほぼ滅亡し、セルダンが予測した暗黒時代が到来します。ファウンデーションは巨大化し帝国化し(「市長」が世襲制度になり、自由貿易商人が弾圧されています)「これはファウンデーションの危機だ」と考える勢力が意識的に「セルダン危機」を招来できないかと画策を始めます。そこに惑星カルガンをあっという間に占領したミュールの噂が……自由貿易商人たちはミュールの情報を求めてある新婚カップルをカルガンに送り込みます。ミュールの艦隊はファウンデーションの艦隊を簡単に撃破しますが自由貿易商人の艦隊には苦戦し、ある惑星は簡単に降伏させますが他の惑星では苦戦し……どうも戦い方にムラがあります。「困ったときのセルダン頼み」で霊廟に詰めかけたファウンデーションの人たちの前にセルダンの録画が登場しますが、彼はファウンデーションの帝国化と内乱については述べますが、ミュールの存在についてはまったく触れません。ミュールは心理歴史学の想定外だったのです。ではファウンデーションはむざむざ敗北してしまうのか。ファウンデーションが負けたら取りあえずミュールの帝国が銀河帝国のかわりとなります。しかしミュールは突然変異、彼が死んだらまた銀河全体が暗黒と混乱になります。しかもこんどはファウンデーション抜きで。そこで希望の星となるのが第二ファウンデーションです。ファウンデーションから見て「銀河の反対側」に存在する謎の組織は、ファウンデーションが物理学を得意とすることから見るとおそらく心理歴史学者のものと思われます。ならばミュールによって起こされた問題を解決できる可能性があります。ファウンデーションが、そしてミュールが、第二ファウンデーションの探索を開始します。
 
 
18日(金)二輪
 若い頃「趣味でオートバイに乗っている」と言ったら「なんだ、暴走族か」と吐き捨てるように言われたことがあります。はあ、オートバイ乗り=暴走族ですか。私はがっかりしました。たしかに暴走族の中にはオートバイに乗っている者がいます。しかし暴走族の全員がオートバイに乗っているわけではありません。また、オートバイに乗っている者のすべてが暴走族でもありません。この人は集合の概念が無い、あるいは、「私」という人間が暴走行為をするタイプの人間かどうかを判断する気がない(=人を見る目がない)タイプの人なんだな、と判断できたのでそれ以上会話を続ける気がなくなりました。まあ相手の方も「暴走族」と会話はしたくなかったようですから双方の利害が一致してめでたしめでたしだったのですが。
 そこでたとえば「どんなオートバイ?」と聞けば、トライアル(足をつかずに岩を乗り越えたり一本橋を渡ったり静かにバランスを競う)かモトクロス(非舗装地を走り回る)かオンロード(舗装道路を走る)かレーサー(競技場で競争)か……オートバイにもいろんな世界があることが話せて、とりあえず暇つぶしにはなったと思うんですけどねえ。
 
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選ばれしGPライダー ──世界チャンピオンの告白
富樫ヨーコ著、講談社、1999年(2000年二刷)、2400円(税別)
 
 ずっと前ですが、TVコマーシャルで「自動車タイヤの接地面積はハガキ一枚」とかやっていたことがあります。一トン以上の物体がたったそれだけの面積で地面とつながっているから注意が必要、ということですが、では二輪だとどうなるでしょう。四輪と二輪ではタイヤの断面が全然違います。二輪はコーナーで遠心力に抗するために車体をコーナーの内側に傾けます。したがってタイヤの断面は丸っぽくなっており、四輪に比較して接地面積はさらに少なくなっています。そこに外乱が加わったりアクセル操作と体重移動のバランスがちょっとでも狂ったら、四輪ならスピンですむところが、二輪はあっさり転倒してしまいます。それでもグランプリライダーは時速100キロ以上あるいは200キロ以上でコーナーに突入していきます、体を風にさらしながら。
 本書には7人のグランプリライダーが登場します。ウェイン・レイニー、ミック・ドゥーハン、阿部典史、原田哲也、坂田和人、青木治親、岡田忠之……著者が日本人だから選択にバイアスがかかっているでしょうが、それでも日本人が二輪の世界でこんなに頑張っていること、皆さんご存知でした?
 
 著者は各ライダーにインタビューするとき、必ず生い立ちと自身のモチベーションと、そしてレースの危険について聞きます。特に最後の質問は微妙なものです。「自分は死なない」と信じている猛者でも、身近にレースで死んだり怪我をした人が必ずいます。レイニーは自分自身が下半身麻痺になってますし、青木治親はお兄さんが下半身麻痺、そしてほとんどの人は骨折や指の切断といった傷を負っています。そういった危険をどう認識しているのか、という質問は、著者にもライダーにも緊張を強います。
 
 ライダーは様々なものと戦っています。他のライダー、走らないマシン、チーム内の不和、物わかりの悪い監督やスポンサー、時間と集中力を奪い自分が語ったことをねじ曲げて報道するマスコミ、運、お金、そして友の死、自分の死……
 
 著者はレーサーのモチベーションは何だろう、と読者に問いかけます。「勝ちたい」。 では一勝したら? 「世界チャンピオン」。 そうなったら? 「最高」を手に入れた人は、ではこんどは何を求めればいいのでしょう? 最高以上? そのようなものがこの世にあるのでしょうか。レイニーは「それ」が存在しないことを知り、それでも極限に挑み、そして脊髄損傷という大怪我をしてしまいました。
 レーシングスーツを着て集中しているときには殺気さえ漂わせるドゥーハンに対するマスコミの評判は良くありません。気楽にインタビューに応じてくれないから。しかしドゥーハンにはドゥーハンの言い分があります。自分に「価値」があるのは一流のライダーだからで、一流であり続けるためにはトレーニングや直前のコンセントレーションを100%行わなければならない。それが邪魔されたら一流の走りはできなくなるから、結局マスコミでの「価値」もなくなるぞ、と。……ディターミネーションとかコンセントレーションがただの「ことば」でしかない連中には、こんな主張もただの「わがまま」でしかないでしょうけれど。
 レイニーとシュワンツは本当に好敵手でした。レイニーが怪我で引退した翌年、シュワンツも「ライバルがいないと走れない」と引退してしまったほどに。ところがドゥーハンにはライバルがいませんでした。どうしてそんな状況で頑張り続けて5年連続世界チャンピオンになれたのか、著者はいぶかります。ライバルがいなければ楽勝……ではありません。ちょっとでも気が緩んだらそこに待っているのは事故です。全力を尽くして極限状態でバランスを取らなければ転倒するだけなのです。ディターミネーションを年間通していや、何年も維持するにはどうすればいいのか……著者はその解答を見つけられません。個人の資質か、育った環境か、人間関係か、ライダーとしての境遇か……それが簡単にわからないから著者は二輪レースの世界から離れられないのかもしれません。
 
 
19日(土)浴衣
 夏祭りや花火大会などで浴衣姿の人を多く見ます。男性は……少ないですね。これは私がすけべおじさんで女性にしか目が行かないから、ではなくて、どう見ても絶対数でなぜか女性が圧倒的。やっぱり日本の夏に浴衣は合うなあ、と思うのですが……どうも感心しない姿も……
 さすがに左前で堂々と歩いている人はほとんどいませんが(少なくとも今年は目撃していません)、暑さのせいか腕まくりをしている人(それならたすきがけをするか最初から短パンTシャツになさい)や着崩れて下着がちょろりとのぞいている人(色っぽいというよりだらしないと私は感じます)やくわえ煙草で闊歩している人(これは個人的な好き嫌い)を見ると、どんな美人でもどんなに素敵な浴衣でも「浴衣が可哀想」と思うのです。でも、あまり堅苦しいことを言うと、ノリを付けすぎた浴衣でぎくしゃくと動け、と言うことになりかねないからこのへんでやめておきます。
 
【ただいま読書中】
中国茶 風雅の裏側 ──スーパーブランドのからくり』(文藝新書299)
平野久美子著、文藝春秋、2003年、700円(税別)
 
 かつて中国の茶は、薬としての効能によって珍重され、皇帝に献上されることでハクがつきました。皇帝は貴重なお茶を自分たちで飲むだけではなくて、下賜したり周辺諸国に贈ったり政治的にも利用していました。宋の時代、上流階級に喫茶の習慣が広がり(団茶(固形のお茶)を叩いて粉にしたものにお湯を加えてかき混ぜる)、結納にもお茶がつきものとなります(「茶」は百八(くさかんむりが十十、その下に八十八)だから長寿、というこじつけです)。お茶を飲み比べる闘茶という風雅な遊びも流行しました。粉にしたお茶を入れる作法や闘茶で用いた天目茶碗が、日本の茶道に影響を与えています。茶が一般に普及すると茶税も重税化され、宋では一時国家収入の2〜3割が茶税となります。当然次は茶の専売化です。どうもお茶は政治の近くに存在することが多いようです。たとえば、千利休・ボストンティーパーティー事件(そうそう、紅茶に対する税金に反対したアメリカ人ですが、1899年(明治32年)には日本からの輸入茶に50%もの関税をかけたのは、なんとも皮肉なお話です)。明の太宗は貧農出身のため、農民に重労働を課す団茶を禁止しました。その結果釜炒り緑茶が普及します。結局種まき時期にお茶摘みをしなくちゃいけないのは同じなので、貧農の暮らしは楽にはならなかったのですが。
 日本での中国茶の流行も微妙に政治と関係しています。1972年に日中国交回復。73年に缶入り紅茶発売。74年輸入茶の関税軽減。70年代後半にはコンビニが台頭し、ダイエットや健康志向の風潮が高まります。そして1979年ピンクレディーが「私たちウーロン茶でダイエットしてます」と発表。これでブームが起こり、81年には缶入りウーロン茶の発売。もう勢いは止まりません。大々的なブームとなります。
 しかし、ブームは困った現象も起こします。偽物の横行です。安かろう悪かろうならまだ良いのですが(本当は良くありませんが)、高級品を騙って値段の高さで有り難がらせようとする高価なものまで横行したのです。さらに、残留農薬問題、産地の問題(産地の偽装)、偽ブランド、でっち上げブランド……台湾では標高の高いところのお茶が妙にもてはやされたため、無理矢理茶畑開発をしたことによる環境破壊や高度が高すぎてきちんと生育や製造ができずウーロン茶ではなくて緑茶もどきになってしまうという現象が見られます。プーアール茶も、陳年茶(何年も何十年も保存されていたもの)が珍重されたため、人工的にカビを付けてインスタントに陳年茶をでっちあげるなどの行為があるそうです。
 著者は、理性と感性と経験で自分が飲むお茶を選べ、と忠告してくれます。ま、ブランドだけ有り難がって飲むのは「風雅」ではありませんからねえ。
 
 
20日(日)天才の数
 天才の数は少ないはずです。価値があるものは最初から少ないのか少ないから価値があるのかは知りませんが、とにかく天才の数は少ないのです。分野にもよりますがたとえば「10万人に一人レベルの天才」だったら十分希少価値があると言えるでしょう。すると現在日本にそのレベルの天才は1,200人くらい存在していることになります。世界の総人口はたしか現在約65億人ですから「10万人に一人」天才は約65,000人……(計算合っているかな?) けっこう多いですね。まあ、まだ幼児以下などの理由で才能を発揮できていない人やすでに現役活動からリタイアした人を除けば何割かは目減りするでしょうけれど。
 さらに過去も勘定に入れてみましょうか。人類の歴史が始まってからの総人口は……わかりません(そういえば「魂の数」に上限があってそのために……というショートショートがありましたね)。過去のある時点の人口は現在のものより確実に少ないでしょうが、それに人類が文明化してからの数千年をかけると……さて、どのくらいになるでしょう? 100億?200億? で、その中で「10万人に一人」は……10万人20万人……で、それだけの天才が過去にさんざんおつむを絞って様々なことを考察・工夫・製作をしているわけです。なにか「これからの天才」のために残されたものがあるんでしょうか……と思うのが凡人の証拠なんでしょうね。
 
【ただいま読書中】
第二ファウンデーション』 銀河帝国興亡史3 
アイザック・アシモフ著、岡部宏之訳、早川書房(ハヤカワ文庫)、1984年(2005年14刷)、680円(税別)
 
 ファウンデーションを打ち破ったミュールにとって、残る脅威は第二ファウンデーションだけでした。ミュールは自分の部下たちの心に対する第二ファウンデーションの干渉を発見し、早急にその位置を発見し滅ぼさなければならないと決定します。ヒントはセルダンの残した「ファウンデーションから見て銀河の反対側」という言葉。
 その頃第二ファウンデーションでも、セルダンプランを破壊する確率が高いミュールにいかに対抗するかの策が練られていました。物理学に特化した第一ファウンデーションとは対照的に第二ファウンデーションは精神科学に特化していました。逆に言えば第二は物理的な攻撃には弱いのです。さらに、教育と訓練によって心を操れるようになった第二ファウンデーションの人々に対してミュールは生得のミュータントで、個々に対抗することは困難なのです。
 ミュールに第二ファウンデーション捜索を命令されたプリッチャーとチャニスは、あやしい星系を見つけ裏付け捜査を始めます。しかし……
 
 ミュールの死後、ファウンデーションはミュールの支配下から逃れ、こんどはファウンデーションが第二ファウンデーションの捜索を始めます。ミュールが失敗したのは第二ファウンデーションの干渉の結果ではないか、との疑いもあります。さらにファウンデーションでの脳科学の進歩によって、人の心への干渉の客観的な証拠も見つかり始めます。やはり第二ファウンデーションは存在するのです。ではどこに? その目的は?
 14歳の少女アーカディアは第二ファウンデーション捜索のために惑星カルガンに向かい、そこからかつての銀河帝国の首都(現在は農業惑星)トランターに這々の体で逃げこみます。結局第二ファウンデーションはどこにあるのか。最後に明かされる衝撃の真実とは……
 
 今読んでもやはりわくわくする展開です。中短編で次々発表されたという形式も、未来史シリーズという内容には合っていたのではないでしょうか。ただ、訳文が硬いのが気に触ることがあります。第一巻第二巻でも気にはなりましたが、本巻では特にそれが増えています。直訳調はそれなりに味があって良いのですが……それとカバーの宇宙船、どう見てもエンジンの推線が船の重心を外れているように見えるのです。これだと船はとんぼ返りをうつだけで前に進めないんじゃないかしら。
 
 
21日小さな声大きな声
 良心は決して大声を出しません。たとえかぼそい小さな声でもその真実性のゆえに心に響き渡るのですから、声を大きくすることにエネルギーを使う必要がないのです。しかし悲しいことに人間の耳には限界があり、大きな雑音でマスクされているとたとえ良心の声であってもそれを聞き取ることは困難になります。だから人は、自分にとって都合が悪いときには大声をずっと張り上げ続けます。相手の声も自分自身の良心の声も聞かずにすませるために。
 
【ただいま読書中】
ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ
上田一生著、岩波書店、2006年、2900円(税別)
 
 ペンギンはかつて「資源」でした。卵と肉は食料。脂肪層からは脂。皮はマント。クチバシはアクセサリーやトーテム。糞さえもグアノ(肥料として用いられた糞化石。カツオドリやウミウが有名ですがフンボルトペンギンのもあります)として。なにより、こん棒一本で殴り殺せる簡便さが愛されました。大航海時代、航海者たちは過酷な環境で出会ったペンギンを何千羽何万羽、あるいはトンの単位で塩漬け肉にして自らの命をつないでいました。探検家たちは「未知の南方大陸」を求めてどんどん南下し、それとともに多くのペンギンと会うようになりいつしかペンギンは南極大陸と結びつけられて考えられるようになります。資源からイメージへの昇格です。
 ただし、資源としても現役のままです。毛皮目的でビーバーが狩られつくし、欧米人はラッコやオットセイに目をつけました。アザラシは毛皮ではなくて油目的に狩られました。船団が「資源」を採り尽くすと次に目がつけられたのが鯨です。アメリカ式の捕鯨で太平洋のマッコウクジラがほぼ絶滅したら次はノルウェー式捕鯨で南極海での捕鯨です。そういった船団がペンギンのコロニーを見つけたら放置するわけがありません。こうして「ペンギン・オイル」も一大産業となりました。もちろん卵や肉も採集されましたが、商業的に一番重要だったのはオイルだったのです。皮を剥ぎ内臓を抜いたペンギンは脂肪が多くてそのまま燃えるので、それを燃料にペンギンオイルを抽出したのです。かくしてペンギンのコロニーは大打撃を受けました。
 18世紀、西欧は啓蒙の世紀で、その中心が博物学でした。それは「神によって創造された自然」を詳細に知り分類し、その結果神の偉大さを確認する科学と宗教が一体化したものでした(だから19世紀にダーウィンが登場して神の不在、または、人が神に特別に選ばれた存在ではないことをほのめかして大騒ぎになります)。ペンギンも世界の一部として学術の対象になりました。博物学によって環境保全運動が起き(絶滅させたら人の手では再現はできない)、また動物愛護運動も盛んとなり、結果としてペンギン保護運動が起きます。
 さらに19世紀後半には、動物園に生きたペンギンが登場します。はじめは「大英帝国の威信を示すため」にロンドン動物園に運ばれていましたが、すぐに他の国も負けじとペンギン展示を始めました。1896年にはハンブルグのサーカスで「北極パノラマ」が公開されました。氷山に見せるために白く塗った石とコンクリートで展示スペースを作り、ペンギンとアシカとホッキョクグマを展示したのです。ペンギンが北極? しかもそのペンギンはケープペンギン(南アフリカに生息する温帯ペンギン)ですから二重に間違いなのですが、ともかくここから「極地」と「ペンギン」のイメージ連携強化が始まります。
 
 「ペンギンは可愛い」が日本での世間一般のイメージのようです。著者はそれに対して異議を申し立てます。「可愛い」の正体は何だろう? そもそもペンギン大国(100近い動物園や水族館で、世界一の2400羽以上が飼育されている)の日本人は「ペンギン」は知っていても「フンボルトペンギン」や「キガシラペンギン」は知っているのだろうか?と。
 ペンギンは海中を飛ぶように泳ぎます、というか、あの姿は「飛んでいる」と言ってよいでしょう。地上でのよちよち歩き(しかもすぐ転ぶ)と、海中での優雅でダイナミックな「飛翔」との対比はあまりにギャップが大きくて、どちらがペンギンの本性なのか、と思ってしまいます(もちろんどちらも彼らの本性なのですが)。だから私にとってペンギンは「可愛い」存在ではありません。過酷な自然に適応した、逞しくて愛すべき存在かな。……おっと、私も「可愛いペンギン」に頭の一部は汚染されているようです。
 
 
22日(火)入浴嫌い
 14世紀に黒死病が大流行したとき、ヨーロッパでは「黒死病は汚染された空気によって伝染する」と囁かれました(他にも、ユダヤ人の陰謀とか呪いとかいろんなことも言われました)。そのため屋外から屋内への空気の流通を遮断するために窓に綴れ織りをかけることが(富裕階層で)流行し、綴れ織りはおかげで一大産業になりました。「汚染された空気」が原因なら、それに無防備に体をさらすことは危険です。裸になって(衣服による「防御」抜きに)空気に全身をさらすので、入浴も黒死病感染の機会が増える、と嫌われるようになりました。
 16世紀には(古代ローマ時代の)公衆浴場がヨーロッパに復活しました。これはおそらくルネサンスのおかげでしょう。しかし、不幸なことに、その時期は梅毒の大流行と重なっていました。公衆浴場と梅毒は関連づけて語られ、またもや入浴は危険とされるようになりました。とうとうそれは確固たる伝説となり、19世紀になっても首までお湯につかるのは危険、と信じられていたそうです。
 ということでヨーロッパでは入浴はあまり好まないのが「伝統」なんだそうです。きれいな水が大量に使えない環境がベースにあるとは思いますが……逆に向こうから見たら日本人の風呂好きは異様に見えるかもしれません。ま、異文化を「異」と見るのは、お互い様かな。
 
【ただいま読書中】
西洋温泉事情
池内紀 編著、鹿島出版会、1989年、2987円(税別)
 
 前書きによると、ヨーロッパをうろうろした人たちの温泉報告をまとめたものだそうです。ただしただの紀行文集ではありません。著者たちは歴史と地理をひもとき、話は簡単に中世や古代に飛んでいきます。載せられている図版も、浴場や風景の写真、あたりの地図、そして浴場の設計図……日本の普通の温泉紹介本とは一味違います。
 
 古代ローマではギリシア式入浴が流行するまで、市民は市が立つ日(9日に1日)にだけ台所の隅で体をそそくさと洗うだけでした。紀元前2世紀に風呂屋が登場。紀元前1世紀に入浴は娯楽になります。スーパー銭湯よろしく、様々な温度の浴室が用意され、ローマ市民は長時間の入浴とそこでの他の人との交流を楽しむようになりました。巨大浴場は当時の最先端技術の結晶であり、建築家たちは(神殿などとは違って)制約抜きで腕を競うことができました。ローマ建築の粋は、実は浴場に見ることができるのです。
 スイスの湯治町バーデンへ、本書は鉄道利用を勧めます。近代化と同時に2000年の歴史を保存できたバーデンは、温泉都市でありながら温泉に依存しない都市構造を持っています。散策者はそこに古代ローマ時代の香りをかぎ取ります。
 そして「トルコ風呂」。かつて日本中にあって今はなくなった(名前を変えた)お風呂ですが、本来の姿はもちろん全然違います。寄稿者はトルコ風呂(現地の呼び名はハマム)で温もり汗をかき手荒いマッサージと垢すりを経験します。イスタンブールにハマムが登場したのは4世紀。18世紀には14,536箇所のハマムがあったそうです(ちなみにイスタンブールの当時の人口は80万人)。
 イスラムでは一日五回の祈りの前に体を浄める義務がありしたがってオスマントルコは国の責務として豊富な水を用意しました。そういえばユダヤ教も体の清潔にうるさかったはず。同じ神を信仰するキリスト教も聖水や洗礼で水に対するこだわりは見せているのにどうして他の二つに比較して清潔の面が弱いのか不思議です。
 
 19世紀に「海水浴」が発明されます。海水のミネラル分の医学的効用が謳われ一大ブームになったのです。海のないオーストリアのザルツカンマーグートは塩鉱があちこちにあり塩水が豊富でした。海に行かなくても塩水につかれるではないか!ということでこの地のバート・イシュルが19世紀初めに製塩の寒村から一大保養地に発展します。
 イタリアでも19世紀前半に神経痛や骨炎の患者のための温泉保養所がサルソマッジョーレに作られます。イタリアだけではなくてヨーロッパ各地にこの時代「科学的に検証された」温泉効能を謳う温泉都市がいくつも出現しました。20世紀にそれらの都市は大衆化されることで生き残りを図ります。そこで重要なのは交通網と大規模宿泊施設です。
 20世紀の西洋史で一番有名な温泉地は、ヴィシーでしょう。炭酸泉で古来知られた地ですが、第二次世界大戦中ペタン将軍のヴィシー政権で不名誉に有名になってしまいました。
 
 チェコスロヴァキアの温泉町カルロヴィ・ヴァリにもムシェネーにも共同浴場はありません。ここでは温泉は「飲むもの」です。体(健康)に良いミネラル分を皮膚ではなくて口を通して体内に取り込むのです。著者はそこから「ミネラル・ウォーター」は「温泉成分を含んだ冷水」ではないか、と考察します。だからヨーロッパでミネラル・ウォーターの人気があるのだ、と。さらに「ルルドの泉」は「ミネラル・ウォーター」信仰にマリア信仰が加わってできたものではないか、と考えるのですが……さて、これはどこまで本気で主張しているのでしょうか。いや、なかなか面白いものに思えるのですが……
 
 
23日(水)超特急
 「夢の超特急」はもう死語でしょうか。東京オリンピックに間に合わせろと突貫工事で作られた東海道新幹線は、本当にオリンピック開会式ぎりぎりに開通しました。たしか歌まで作られました(というか、当時はすぐ歌になってました。オリンピックも万博も)。はじめは東京=大阪が4時間でスタートして、すぐに3時間10分になったはずです。それも1時間に1本のペースでした。今だと東京を出て3時間10分で……のぞみだと岡山手前まで行けるんですね。4時間だと広島。技術文明はどんどん加速するんだなあ。
 今の子どもたちにとって「夢の超特急」があるとしたらおそらくリニアモーターカーでしょうが、さて、こちらはいつごろ開業してどことどこを何時間で結ぶのでしょうか。
 
【ただいま読書中】
新幹線保線ものがたり
仁杉巌 監修、深澤義朗 編著、山海堂、2006年、2500円(税別)
 
 明治5年日本に鉄道が敷設され始めたとき、国土は狭く複雑な地形であるという理由から国際的な標準軌(線路が1435mm幅)ではなくてイギリスの植民地などで使われていた狭軌(1067mm幅)が採用されました。タテマエはともかくホンネは「こちらのほうが安上がり」ではなかったか、と私は勘ぐっています。SL時代に狭軌の最高許容速度は時速95km(標準軌は160km)で、大量高速輸送のために狭軌を標準軌に改めるべしという論争ははやくも明治20年頃から始まり、結局「今あるのを捨てるのは勿体ない」「今あるのを上手く使えばよい」ということで大正年間に狭軌のままでいくことで政治的な論争は決着します。しかしあきらめきれない陣営は何度も話を蒸し返します。たとえば明治40年の東京=大阪を6時間で結ぶ電車構想、昭和15年の弾丸列車構想(東京から満州鉄道(標準軌)までをつなぐ「新幹線」。東京=静岡は電車、あとはSLで下関まで9時間。帝国議会で決定されるも戦争で中止)、昭和21年には東京=福岡10時間(東京=大阪は4時間)の計画が発表されます。このような構想がいわば肥料となって、昭和39年東海道新幹線に結実します。(ついでですが、その同じ年に山陽本線は全線電化されました)
 
 重たいものが通れば路面に轍が掘られます。したがって(現在の技術では)重くて高速の交通機関には線路が必要です。線路は枕木で連結されその下に砂利(バラスト)が敷かれることで荷重を分散して受け止めさせます(「軌道力学」と称されます)。列車が通過するたびに線路は少しずつ変形破壊され同時に沈下します。線路の形と位置を補正するのが保線作業です。具体的には、線路を削ったり交換し、バラストを枕木の下にたたき込むことでミリ単位で持ち上げます。さらに保線作業は、日常業務と災害時とに分けられます。こうした文字通りの「縁の下の力持ち」である保線集団について、本書では紹介されます。
 
 レールはつなぎ目が力学的な弱点となります。溶接によってロングレールとしたら軌道としては強くなりますが、温度変化による伸縮が大きく出ることになります。枕木によってレールは拘束されていますが、伸縮でたまった力がある時点で急に放出され線路は変形・破断します。これを座屈と言います。
 東海道新幹線開業時、さかんに「ロングレール」が喧伝されました。まるで新技術のように当時の私は刷り込まれましたが、本書では昭和12年に仙山隧道での4.2キロ(トンネル内だから温度変化が少なくて座屈が発生しにくい)、広島鉄道管理局が行った昭和28年小郡駅構内の505m、昭和29年西条〜八本松間の510mが紹介され、本書では広島式が高く評価されています。
 私にとってまったく未知の世界の様々なことが紹介されていますが、特に印象的だったのは、列車乗務員と保線との協力です。「ここで衝撃を感じた」という列車からの報告(「動感」と言うそうです)から現場に急行しはいつくばるようにしてレールをチェックして1mmほどの出っ張りを見つけたエピソードが紹介されていますが、新幹線がシステムで動いていることがよくわかります。
 
 しかし絵に描いたような「突貫作業」です。基本設計は昭和33年から3年間。軌道関係の設計は昭和35年4月から2年間で行われ、昭和37年3月に起工式。最初の試運転は昭和39年4月、全線試運転は7月。運輸省令「新幹線鉄道建設規則」が公布されたのは昭和39年9月30日(なんと新幹線開業前日)……世界に前例がないものを建設しながらルールを決めていった、ということでしょうが、あまりにタイトなスケジュールです。。
 突貫工事によって作られた盛り土は、開業後ずるずると沈下しました。それも10cm50cm1mと。これはそれまでミリ単位で仕事をしていた保線屋には大事件でした。またロングレールの溶接部にも急ぎすぎによる不良が大量に発生し、さらに昭和40年代は集中豪雨が多く、開業後10年間は保線業務はてんてこ舞いだったそうです。さらに仕事のルール化も明確ではない部分が多く、そのため東海道新幹線開業後5年間で、保線作業中の殉職は22名を数えました。……合掌。
 私はこれから新幹線を利用するときには、ちょっと「縁の下」のことも意識することにします。
 
 
24日(木)社会を維持するために
 人、ことば、食糧・水の確保、生存に必要な技術体系の構築と伝承(教育や訓練)、政治機構、権力行使機関(警察や税務署)、経済のシステム、宗教(神話)、医術、芸術……どんなに「原始的」な社会でも、最低これだけはないと社会を維持するのは難しそうです。
 けっこういろんなものが必要なんですね。まだあるかな? あるいは、無しでも問題なくやっていけるものもあるかな?
 
【ただいま読書中】
偽装されたインドの神々 ──ヴェーダに隠された謎
佐藤任 著、出帆新社、1996年、2913円(税別)
 
 「神々」には何らかの根拠があるのではないか、が本書の出発点です。たとえば、医術・薬術・冶金術・窯業などの技術を「魔法」として神々の背後に秘密の知識として隠されていたのではないか、著者は考え、インドの神々を分析することから逆にその「秘密」に迫ろうとします。すなわち、ヴェーダや大日経を「錬金術や冶金術の本」と定義づけ、その定義に基づいて読み解けば、インド神話の神々はまた別の姿を現し、インド古代史は新しい解釈ができるようになるのだ、ということだそうです。
 ということで、ヴェーディ(祭壇、火壇)は冶金炉となり、ソーマ(神々の飲み物)は金と銀の合金ということになります。ブラフマンは造金者でアーチャーリヤは冶金師……
 
 発想は面白いと思います。「ヴェーダは神秘的で宗教的なありがたーい書物」という先入観を捨てて「現代の我々にはそう見えるけれども、当時の人にはまた別の読み方ができる本だったのではないか」とする発想自体は私は好きです。近代の小説でも論文でも読んでいて「なんだこのかったるさは」と感じることはしばしばです。当時としてはそれが作法だった本の書き方や読み方がほんの数百年で大きく変わったから私がそう感じるわけですが、それが千年とか二千年になったら読めるだけでも大したものなのかもしれません。
 ただ、問題(と私が感じるもの)は、著者が読み解く視点が「現代」にあることです。なるべく過去に身を置こうとしている努力は認めますが、どうしても「現代の技術」「現代の人間が持っている常識」がちらちら姿を現して私が読む邪魔をしてくれます。
 
 インド神話と科学技術と言えば私がまず想起するのは『光の王』(ロジャー・ゼラズニイ)です。ギリシア神話とはまたちょっと違った意味できわめて人間くさいインド神話の神々が小説の中に現出し、科学技術によって神話と同じ神秘的・超人的な「力」をふるいお互いに殺し合います。本書とは逆の方向性ですが、「神々」と「科学・技術」という結びつきは共通です。
 そうそう、インド神話の神々が中国経由で日本に来たとき名前をいろいろ変えて意外な神様になっている、という情報を私が仕入れたのは『七福神殺人事件』(高木彬光)だったかな。こちらの方もある意味で「インドの神々の偽装」と言えそうです。
 
 
26日(土)村八分
 「火事と葬式以外には一切の交際をしない」が本来の意味ですが、今の「村」で村八分ができるほど余裕があるところは減少しているようです。島根県中山間地域研究センターの研究では、「限界的集落(自治機能が低下して社会生活の維持が困難=高齢化率50%以上で19世帯以下が目安)」が中国地方の中山間地域で1929カ所(全体の14.3%)になるそうです。集落が衰退すると、イベント開催・農業・祭り・常会の順に機能が停止し、最後に葬式が出せなくなり、そして無住化するそうです。ただし、人口密集地から30分以内だと人口は減っても世帯数は増加する傾向があるそうで……通勤とかいざというときの救急車とかの便を考えると、到達時間30分が一つの限界なのでしょう。ということは集落を滅亡させないためには道路工事が有効なのか。
 
 ともかく今の日本では、日本全体から「田舎」が「村八分」にされようとしているのかもしれません。「完全に縁を切るわけにはいかないから二分のつき合いだけはしてやるけど、できるだけさっさと滅びてくれ」と。
 
【ただいま読書中】
ゾウを消せ ──天才マジシャンたちの黄金時代
ジム・ステインメイヤー著、飯泉恵美子訳、河出書房新社、2006年、2400円(税別)
 
 20世紀初め、フーディーニというマジシャンが脱出を売り物に名声を博していました。がんじがらめに縛られたり特製の手錠や足かせをかけられたりミルク缶や箱や棺や水槽に閉じ込められて「絶体絶命」という状況からみごとに脱出してみせることで拍手喝采を浴びていました。
 1918年フーディーニはニューヨーク演芸場で「ゾウを消すマジック」を演じます。舞台上で巨大なキャビネットに入れられたゾウが一瞬で姿を消したのです。しかし観客の拍手はまばらでした。著者はこう言います。「フーディーニは、マジックが下手だった」。フーディーニの死後、彼の技術はほとんど他の人に伝えられましたが、ただ一つ「ゾウを消すマジック」だけが謎として残りました。
 著者はそのマジックを再現しようとしますが、読者はまず19世紀に戻されます。
 19世紀半ばに「ゴースト・マジック」が生まれました。現在SFXで「幽霊」は画面上に自由に登場しますが、19世紀には特殊な幻灯機で、舞台上に実体のない幽霊を登場させ生身の俳優と共演させることが可能となったのです(ちなみにその幻灯機の子孫がヘッドアップディスプレイです)。「ないもの」をあるように見せることができるようになれば、次は「(舞台上に)あるもの」をないように見せるテクニックの開発です。鏡を使ったキャビネットや檻でそれが可能になりました。また当時盛んだった降霊術もマジックに関係してきます。「人間がやっているのではない」ことを証明するために霊媒は縛られることがあったのですが、その縄抜けのテクニックがフーディーニに伝授されました(もっともそれを教えたダヴェンポートは自身が霊媒であると主張したことはなかったのですが)。
 マジシャンは様々なマジックを開発しますが、本当に優れたものはほんの一握りでした。醜い争いも起きます。アイデアの盗用、阿漕な宣伝、秘密を暴く、特許を調べてちょっとだけ改変、特許を調べて「自分の方が先にそのアイデアを」と主張する、道具を盗む、スタッフを買収して秘密を聞き出す、嫉妬から中傷本を書く……マジックも人が為す技(業)である以上、様々な人がいるのは当たり前ですが、このへんを読むとちょっとげんなりします。様々なマジックがあり、様々な考え方をするマジシャンがいます。ひたすら技術を見せびらかす人(曲芸師)、科学的な設備に傾倒する人、客を楽しませることに無上の喜びを感じる人、マジックを演劇の一部として扱う人……「手品」には、スライハンドやイリュージョンがある、程度の知識しかなかった私にとっては、ある意味衝撃的な本でした。
 著者はフーディーニのマジックを調査し、他のマジシャンの「ロバを消すマジック」に出会います。そして1995年、本来マジック・ショーの企画が本業である著者は舞台に立ちます。調教されたロバとともに。
 
 
27日(日)習性
 スクーターでとことこ走っていると、犬を散歩させている人とすれ違いました。ちょうど犬は排便をした直後らしく、飼い主は袋の始末をしている最中です。感心です。空の袋をぶら下げて犬の散歩をしている飼い主は多く見ますが中身入りを持っている人は非常に少なく、路上に放置された犬の糞はけっこう多いのですから。
 で、犬は、後ろ足でさかんにアスファルトをひっかいています。ああ、砂かけをしようとしているんだな、と思いました。でも、砂をかけて隠すべき糞は袋の中。そしてかけるべき砂は路上にはありません。二重に虚しい動作なのですが、それでも犬は熱心に足を動かしています。
 ちょっと犬が哀れになりました。都会は本来の彼らの住み場所ではないのでしょう。
 
【ただいま読書中】
指紋を発見した男 ──ヘンリー・フォールズと犯罪科学捜査の夜明け
コリン・ビーヴァン著、茂木健 訳、主婦の友社、2005年、1600円(税別)
 
 裁判はかつて神明裁判でした。神はすべてを知るのですから、不完全な人間があれこれ事件をこねくり回しても意味がありません。最初から神意を聞けばいいのです。日本では探湯(くかたち)が有名ですが、古代〜中世ヨーロッパでもまったく同じことが行われていました。1215年ローマ教皇インノケンティウス三世によって聖職者が神明裁判に参加することが禁止され「神」が裁判から手を引いてから、「証言」が重んじられるようになります。もっともこれまた「嘘吐きは地獄へ」という「保証」に基づくもので、確信犯的な偽証者を止める手段はありませんでした。1812年フランスで保安隊が創設されます。(本書では「世界初のプロの刑事たち」と言っていますが、日本の奉行所を無視して欲しくないなあ) 保安隊に入れるのは「犯罪歴を持つ者」だけでした。「犯罪を知るものだけが犯罪を捜査できる」が創始者ヴィドックの信念だったのです(もちろんヴィドック自身も、傷害・文書偽造・脱獄・海賊……の派手な経歴を持っています)。ヴィドックは犯罪者を追いつめる過程で証拠主義を確立します(彼は有名となり、たとえば「ああ無情」のモデルになります)。
 一方指紋は別の道を歩んでいました。17世紀に原始的な顕微鏡が発明され、植物学者グルーは自分の指先の模様を研究・出版しました。18世紀にマイヤーズが指紋が個人認証に役立つことを発見します。1823年にはポーランドのプルキニェが指紋が分類可能であることを指摘します。しかしそれらはあくまで学術の世界でのお話でした。1858年英領インドのベンガル州の地区統治官ハーシェルは、契約不履行を平気でする現地人との契約のカタに手形を用います。手形はやがて指先だけ押捺となりますが、ハーシェルは集まったパターンが個人個人で異なることに注目します。やがて知事となったハーシェルは、年金受給などに指紋システムを導入します。
 1843年にスコットランドで生まれたヘンリー・フォールズは、敬虔なキリスト教徒として育てられましたが同時に科学教育を受けた医師でもありました。信仰と科学のはざまで引き裂かれる悩みは彼に一生ついて回りますが、それはともかく、1874年(明治7年)医療宣教師として来日します。日本でフォールズが見たのは、拇印や爪印をする日本人の姿でした。同じ時期に日本にいたモースは日本人相手に進化論を講義し神は不要としますが、フォールズは進化論は神の道具とし、公開討論会を開きます。二人の議論は日本人には人気を呼びますが、二人は友だちとなります。モースの発掘作業に参加したフォールズは、縄文土器の表面の指紋に気がつきます。医学的な分類が可能かもしれないと思ったフォールズはせっせと周囲の人間の指紋を収集します。指紋は個人識別に有用だと直感したフォールズですが、解決するべき問題が二つありました。指紋が一生変わらないことと、同じ指紋を持つ人間が二人いないこと、これが保証されなければ指紋による個人の特定はできません。研究でこの二つが間違いないと確信を持ったフォールズは、1880年「ネイチャー」に投稿します。「指紋は犯罪者の特定に役立つ」と。しかしその論文は各国警察に無視されました。(ついでですが、フォールズが用いた指紋のパターン分類法は、漢和辞典の漢字分類をヒントにしているそうです) さらに著名な学者ゴールトン(ダーウィンの従弟)が自身の優生学研究に用いるためにハーシェルと組んでフォールズから指紋研究の功績を盗もうと行動し成功します。
 世界は動いていました。フランスは人体の各部の計測で、インドや南米は指紋によって犯罪者の特定ができるようになっていました。イギリスのスコットランド・ヤードもとうとう指紋システムを採用します。ただしフォールズの業績も彼が改めて提案した確実な分類法も無視して。フォールズはスコットランド・ヤードの「敵」になります。制度の不備を指摘し、裁判では被告側の証人となるのです。ただし「敵」も「味方」も目的は一致していました。当時やたらと多かった冤罪を防止すること。イギリス政府とスコットランド・ヤードに無視あるいは敵視されたまま淋しく死んだフォールズですが、1987年アメリカ人指紋検査官が共同墓地でフォールズの墓石を発見します。自分たちの仕事の由来を調べていて歴史から隠されたフォールズの仕事を知った彼らは先駆者に敬意を表するために墓を建て直し献辞を刻みます。死後57年、フォールズはやっと正当な評価と敬意を得たのです。
 ……科学者に必要なのは、まずプレゼンテーションの能力なのか? なんだかそんな「誤解」をしてしまいそうなお話です。
 
 
28日(月)黒とモスグリーン
 今朝通勤中に通り過ぎたバス停にできた短い列の最初と最後の人がどちらも、黒っぽいスカートにモスグリーンのブラウスでした。なんとなく「ふーん」と思いながら走っていたら次の停留所に一人立っている女性の服装もまた同じ色の取り合わせ。もしかして世間はもう秋の気分なのでしょうか。
 わずか例数3で「世間」を論じるのは無謀?
 
【ただいま読書中】
ボール犬ミッキー
室積光 文、福岡耕造 写真、幻冬舎、2006年、1400円(税別)
 
 ボール犬は日本ではまだポピュラーな存在ではないでしょう。
 野球場に存在するのは選手だけではありません。審判・グラウンドキーパー・ウグイス嬢・スコアボードの表示・清掃・切符の係など本当にたくさんの裏方が仕事をしてくれるからこそ野球という興行が成立します。そしてその裏方の一人がボールボーイ(ボールガール)です。主審がグラウンドの球をコントロールしますが(ファールなどで球がいなくなったらすぐ次の球をピッチャーに渡す)、主審のポケットの球が少なくなったとき球をいくつか抱えて補充に行く係です。球だけではなくて選手が投げ散らかしたバットを回収したりもします。そのボールボーイの役を犬にさせて人気を博した球団がアメリカ大リーグにありますが、「日本初」が意外と多い広島カープが(そもそも市民球団が日本初で、スピードガンの採用や背番号「0」も)、ボール犬(名前はミッキー)を日本で初めて採用したのが2005年でした。一年に数試合、こわごわとやらせてみたらこれが意外に好評で観客がその試合はどんと増え、さらにミッキーも喜んでいる様子だったため、今年も契約を延長しています。
 
 本書は、広島カープの背番号111番(ワンワンワン)を背負ったボール犬ミッキー(ゴールデン・リトリバー、9歳)と二軍の選手坂本篤史との往復書簡の体裁を取ったフォト・ストーリー・ブックです。
 坂本?……こんなピッチャーいたっけ?と思わず広島カープのサイトを探してしまいました。覚えがなかったもので。で、気がつきました。これはフィクションなんだ、と。
 そりゃそうです。犬と人間の往復書簡なんですから、最初からフィクションなのは明らかです。でも……肘を壊した坂本選手とミッキーとの「会話」は妙に「リアル」です。単に「ミッキー、可愛い!」と言うだけの本ではありません(いや、写真のミッキーはやっぱり可愛いのですが)。
 ミッキーは人間が好きで「お仕事」が好きですが、ベンチ裏の暗い通路が苦手です。お仕事のときに服を着せられるのも好きではありません。
 坂本は、肘を壊して試合には出られず、父親が病気で倒れ、目の前が真っ暗になっています。
 その一匹と一人の「対話」は、かみ合ったりかみ合わなかったりを繰り返しながら、シーズンは少しずつ進んでいきます。
 その「対話」からほんの一部だけところどころ抜粋します。
坂「まっすぐに生きたい。まっすぐに」
ミ「まっすぐに生きることはぼくらにはむずかしいことじゃないよ」
坂「僕はいったいどうすればいいんだ?」
ミ「逃げられないよ。変えられない。おにいさんのやるべきことをやり続けることだと思う。
 犬に言われたくないかい?」
坂「僕はこれまで贅沢な不幸を嘆いていたに過ぎない……父さんは母さんに会えただろうか」
ミ「悲しみが人間を強くするんだね。優しくするんだね。
 それを思うと、ぼくら犬の死も、人間に悲しみだけを残しているわけじゃないんだな」
 
 ……まったく、犬にこんなことをしみじみ言われたくはないな。人間として、ちょっと口惜しい思いです。
 
 「野球は人生の縮図だ」という言葉に対して、坂本は「スポーツにたとえるほど人生が軽いものだとはとても思えない」と返します。だけど、私から見たら、人生が投影できるスポーツはすべてすばらしい存在です。だから人はスポーツに熱狂するんじゃないでしょうか。
 二軍選手は、ある意味で「裏方」です。表舞台である一軍の試合には登場しないのですから。でもだからといってそういった人たちは、つまらないものでもないし無視して良いものでもないでしょう。「裏方」抜きに舞台は成り立たないのですから。日本中に大勢いるであろう「坂本」の明日が、誰かを幸せにできるものでありますように。
 
 
29日(火)誤審
 最近日本のプロ野球で「誤審」に対する異議申し立てが多くなったような気がします。で、そんなとき良く言われるのが「誤審も含めてのスポーツが、野球だ」「大リーグでは審判の権威が確立している」……
 たしかに野球にはそのような側面もありますが……ふだんきっちりやっていてたまにミスが出るのならそれこそ「誤差の範囲内」ということでそれほど問題にはならないでしょう。だけど実際はどうなのでしょう。「誤差」ではなくて「氷山の一角」なのでは? つまり、ふだんいい加減なジャッジがあまりに多すぎて、そのことによって貯まりに貯まった現場の不満が「誰がどう見ても明らかな誤審」のときに一挙に噴き出しているのではないでしょうか。
 
 誤審にはいくつかの種類があると私は思います。事故のようにまったく仕方ない場合。審判の技術が未熟な場合。そして一番問題なのは、故意による誤審。
 「故意の誤審」とは、たとえば「王ボール」「長嶋ボール」「ジャンパイア」「ハンパイア」といったことばに示される、特定個人や特定球団に対してだけ特別な肩入れをするジャッジのことです。読売ジャイアンツの原監督もご自分のブログで「ジャイアンツに有利な判定は確かにあった」と認めています(ただし過去の話で現在はない、とされていますが)。
 そんな審判が試合をコントロールしていて「たまにミスったのだから、それは『試合に折り込み済み』として受け入れろ。俺には審判としての権威があるのだ」と主張してもそれは噴飯ものでしかないでしょう。
 そもそも「審判の権威」は本人や「エライ人」によって上から現場に押しつけられるものではなくて、審判が現場で自分の力で確立するべきものです。そのとき評価されるべきは「確実な技術」と「フェアプレーの精神」でしょう。逆に言えば、素晴らしい審判ばかりだったら放っておいても審判の権威は確立します。それを強制しなければならない、と考えるのは、よほど審判に自信がないかあるいは審判をバカにした態度じゃないかな。
 
 技術の評価およびフェアネスの客観評価は簡単です。ビデオなど機械評価を取り入れればよろしい。機械にストライク/ボールの判定をさせようというのではありません。ストライクゾーンが外にずれているとか個人の癖があったとしても、それが試合の最初から最後までどちらのチームにもまったく同じ判定が続いているのだったらなんの問題もありません。特定のチームの攻撃中だけストライクゾーンが狭くなる、なんてことがあったら……私としては事実を公表の上その審判は即刻馘首して欲しいなあ。判定がバラバラ(技術が未熟)なのは、二軍か三軍で研修ね。というか、日本のプロ野球で審判の研修と技術の判定はちゃんとやってるかしら?
 
【ただいま読書中】
ファンタジイの殿堂 伝説は永遠に(1)』 原題:LEGENDS
ロバート・シルヴァーバーグ編、風間賢二 他 訳、早川書房(ハヤカワ文庫FT)、2000年、740円(税別)
 
 本書の序でシルヴァーバーグは「ファンタジイは想像力から生まれた文学の最も古い支流である──人間の想像力自体と同じほど古い」と断言します。そして手際よくファンタジーの歴史と系譜を解説してくれます。特に20世紀最後の四半世紀にアメリカでファンタジイが商業的に成功していく過程の描写はなかなか興味深いものでした。
 「SFとは何か」の定義をめぐる論争は古くからあり、その中に「FはファンタジイのF」というものまであります。しかし本書でシルヴァーバーグはある程度明確にSFとファンタジイを区分して見せます。ただしちょっと口ごもりつつ。なぜなら……「吸血鬼が出てくるのはファンタジイ、タイムマシンが出てきたらSF」と分けたとしてもたとえば「吸血鬼の支配する世界でタイムマシンが発明されて……」という小説はファンタジイなのかSFなのか、という難しい問題はすぐに出てくるのですから。分類をきちんとするのは大変です。
 本書に集められたのは、ファンタジイ小説の中でも人気のサーガ、その外伝となる書き下ろし中短編です。あまりに分厚くてアメリカでペーパーバックになるときに三分冊となったのに倣って、こちらの文庫本も三分冊で発行されましたが、これだけの作家を口説き落としてこれだけの本を編んだシルヴァーバーグの編者としての力量には、ただただ驚嘆するしかありません。
 
目次
〈暗黒の塔〉『エルーリアの修道女』スティーブン・キング
〈マジプール〉『第七の神殿』ロバート・シルヴァーバーグ
〈アルヴィン・メイカー〉『笑う男』オースン・スコット・カード
〈リフト・ウォー・サーガ〉『薪運びの少年』レイモンド・E・フィースト
 
 私はここに挙げられているサーガはどれも未読なのですが、ここの「外伝」はどれもひどく魅力的です。異世界なのに「リアル」……矛盾した形容ですが、手練れの作者たちの細かい描写(あるいはわざと書かないテクニック)によって、読者の中に「その世界」が感覚的にしっかりと構築されてしまいます。一度世界が確立したら、あとはその舞台上で演じられる物語を楽しむだけです。
 これらの優れた外伝を入り口に、ちょっと本編を読んでみようか、という気にさせられました。
 なお、マキャフリイやル・グィンもこのあとに控えています。
 
 
30日(水)イヤし
 「癒し」と入力しようとしたらATOKが「イヤし」と変換してくれました。私は自分の辞書をどんな鍛え方をしてきたのでしょう。まったく、困ったものです。
 今日の読書日記用に読んでいた本に、『世界がもし100人の村だったら』の発行元に寄せられた感想文の中に「自分の悩みなど世界の現状に比較したら小さなものだと知って、癒された」というのが多く混じっていた話が紹介されていました。で、著者は「そんな人は、自分の町の公園や駅の野宿者を見ても『あの人たちに比べれば』と『癒される』のだろうか」と皮肉っていますが、たしかにそんな「他人の不幸で癒される」なんて「癒し」は「イヤし」に私も感じます。「癒し」というより、強いて言うなら、自己満足?
 
【ただいま読書中】
〈野宿者襲撃〉論
生田武志著、人文書院、2005年、1800円(税別)
 
 「日本の若者はおそらく世界一人を殺さない若者だ」と本書は始まります。「最近の若者の犯罪の凶悪化」を声高に言うマスコミもありますが、統計を見る限り日本の(特に若者の)殺人は第二次世界大戦後がくんと減少しています。しかしその「人を殺さない若者」に限って行われる凶悪な犯罪が「ホームレス襲撃」です。(著者は「ホームレス」ではなくて「野宿者」という言葉を使うようにしているそうです。欧米では災害で家を失った人もホームレスだし、夜は公共のシェルターで過ごす人が多いので、同じ言葉は用いない方がよい、とのことでした) 1983年横浜での「浮浪者襲撃事件」(14〜16歳の少年10人が野宿者を次々襲って3名が死亡、十数名が重軽傷)が社会問題化しましたが、横浜ではその8年前から十代の少年による「襲撃」は常態化していました。
 社会の反応は常識的です。「生命の大事さ」を説こうとするのです。それに対して「当事者」の少年たちの反応は防衛的なものでした。その典型が酒鬼薔薇事件の後のある高校生による「人を殺しちゃいけない理由がわからない」です。
 著者は「命の大事さ」を説くのは迂遠で欺瞞を含み、自分が内部に抱える野宿者に対する差別感情を隠蔽しているものかもしれない、と指摘します。「命は大事だ」の前に「たとえ野宿者といえども」が隠れていたら、ですが。
 
 著者は問題をいくつかに切り分けます。
○野宿者:世間でよく言われる「怠け者」「努力が足りない」という言葉ではどうしようもない実態を著者は野宿者支援を行う過程で知り、それを詳しく紹介します。「転落」は一段ずつです。失業する・病気で働けない→収入を失う→貯金もなくなる→家賃が払えなくなる→野宿者となる、といったルートですが、ではそれを逆転させようとするとこんどはすべての過程を一挙に解決しないと元には戻れません。それでは福祉に頼ろうとすると、生活保護を受けようにも役所では「まず仕事をしろ」と門前払いか「住所がないと手続きできない」と拒絶されるか、がやたらと多いのです。
 そうそう、野宿者が生計の途としている段ボール集めや空き缶集め、段ボールは1キロ5円、アルミの空き缶は1キロ100円(大体2缶で3円)です(2005年)。10時間くらい集めてやっと1000円いくかどうか。集めやすい夜間それだけ働くと疲れますから(段ボールで1000円稼ぐには200キロ運ばなければなりません)昼間はぐったり寝ていると、それを見た人は「ホームレスは昼間っからぐうたらしている」と評します。(野宿者自身が「こんな時給100円の仕事ではなくて他にあればそちらをやりたい」そうです)
○少年:素手で殺人を行うには相当の覚悟が必要です。それを「狩り」とか称して日常的に行うのには、何らかの強力な心理的圧力があるはず、と著者は考えます。しかし、実際に逮捕された少年たちの供述やインタビューからはっきりしたものは見えません。著者は主に宮台真司の論考(+キルケゴール)を使い、さらに自身がいろいろな学校で行っている野宿者に関する出張講義での生徒たちの反応から考察を進めます。そこで見えてくるのは、そういった少年の存在自体が社会に組み込まれている事実です。個人の問題ではないのです。
○社会:良識的な大人たちは「命は大切だ」と説きます。それはタテマエです。ホンネでは「ホームレスは、きたない、くさい、公共の場所を占拠して迷惑、不気味、こわい、野宿者になるのは自業自得・自己責任、いやだったら家に戻ればいい、仕事をすればいい、本当に困っているのなら社会保障を使えばいい、ただの怠け者だ、努力が足りない……」。そのホンネを知っている少年たちは、野宿者襲撃を「裏の正義」として行っているのです。そして少年たちが置かれている家庭環境・学校……
 
 さらに「集団」も一つのキーワードとなります。一人で孤独に殴ったり石を投げつけたり服や段ボールハウスに火をつけたりナイフで目を突いたりの夜の「狩り」を楽しむ少年、はいなかったのです。ここで著者は「仲間」には異常に優しいが「仲間でないもの」には冷酷な「(経済的)成功者たち」の姿を連想します。私は学生時代に私を(だけではなくて他の者も)いじめていた連中が各個撃破をしたらひどくもろかったことを思い出しました。
 また、著者は「少年たちは野宿者を襲撃する。では、少女たちは?」と疑問を挙げます。野宿者問題を講演したときに特に敏感に反応する少女たちが抱えている問題、そしてその延長線上に位置しているように見えるのがリストカットです。
 
 「野宿者はいざとなったら救急車を呼べばいいから気楽だ」と言われたり、『バカの壁』では「日本はホームレスになっても生きていける豊かな国」と書かれたりしているそうですが、「国境なき医師団」の報告では「日本の野宿者の置かれている医療状況は、(海外紛争地の)難民キャンプでもかなり悪いものに相当する」のだそうです。ついでに、健康保険証を持っていない人は全額自費ですから(アメリカでまともな医療保険に入っていない人と同様に)きちんとした医療は期待できません。
 まずは現実を知り、さらに「自分の問題」として考えないとどうしようもないようです。私だって明日ホームレスにならないとも限らないわけですし……
 
 
31日(木)国を束ねる
 昨日読んだ『〈野宿者襲撃〉論』に、こんな意味の記述がありました。「『子どもは公立じゃなくて私立学校に行かせないと』『警察はアテにならないから民間警備会社を使う』『年金がアテにならないから個人年金に入っておこう』……こういった形ですでにこの国の『民営化』は着実に進行している。そして政府は現在社会保障から少しずつ手を引こうとしている。それは『愛国心』『国旗・国歌』という動きと連動している」
 
 「民営化」によって(あるいはそれ以外の要因によっても)国が少しずつばらけようとしてしているからこそ、別の方法で国を結束させなければならない、ということなのでしょう。だけど皮肉です。民営化によって利益を享受するのは金持ちです。貧乏人は警察や国民年金や公立学校以外の選択肢を持ちません。しかし「愛国心」などが向かうのは金持ちよりもむしろ貧乏人の方なのです。
 
【ただいま読書中】
世界の大学 ──知をめぐる巡礼の旅
高橋史郎著、丸善(丸善ブックス)、2003年、2300円(税別)
 
 本書カバーにはこうあります。「ある日ナショナリズムの象徴として国威発揚を喧伝していた大学が、その翌日には反体制的な自由と解放のシンボルとなり……」 たしかに日本に限定しても、大学は「国のためのエリートを育成する場」であると同時に「反体制の砦」でもありました。(昭和40年代を私は思い出してます) 「知」は人を自由にすると同時に不自由にもします。
 しかし、本書にもありますが、ただの「知識」はクリックでいくらでも入手可能な時代(*)に大学はどう生きるべきなのでしょう。本書では、「智慧」で、あるいはMBA取得などの「実学」で、とありますが、意外にこれからは「人脈作り」がメインになったりするのではないでしょうか。人脈はやはり実際に会うのが一番ですから(これももう古い発想かしら?)
 
*)本当に価値のある情報は、そう簡単に数クリックでは手に入らないぞ、と感じる私は、もう旧弊な存在なんでしょうね。
 
 目次を見ると著者は世界中の大学を回っていますが、その割にはずいぶん薄い本です。一体どんな「知の巡礼」なんだろうと思っていますと……著者は自身を「旅師」と称します。泊まるのは基本的に安宿(ユースホステル・民宿・ドミトリー・駅寝……)で、移動はバスやヒッチハイクです。そして目的地で(基本的に)早稲田大学と何らかの関係がある大学を訪れるのですが……著述のメインはその「旅」であり、大学を取り巻く環境や情勢です。大学については、所在地・創立年・組織・ホームページなどが一覧表にまとめられるだけでほとんど素通りされます。ただ、その「回り」の話がなかなか興味深い。プノンペン王立大学(カンボジア)の項では、著者が訪れた小学校で四交代授業が行われていることが紹介されます。朝から夜にかけて、生徒が四交代するのです。それは教員が絶望的に足りないからなのですが、なぜカンボジアでそんな状況になっているのかは、皆さんご存知ですよね? 国際大学センター(クロアチア)の建物には砲撃の跡が残されています。西蔵大学(チベット)に行こうとしたら、外国人入域制限のため著者は書類偽造までします。ところがチベットに入ってみたら外国人がうようよ……3歳の息子との二人旅でも貧乏旅行のため息子は(機内食などの)食料を見たら必ず自分のリュックにその一部を保存しておくように習慣がついた話とか、アラブ首長国連邦では人口の80%が外国人だとか……「大学」とか「知」という言葉から普通連想するのとはちょっと違った話が詰まった本ですが、もしかしてこれが「ソフトな知」なのかしら?