2006年10月
日本での「社会保障」や「社会福祉」は、まだ悲田院やお救い小屋程度の認識なのかなあ、と思うことがあります。自分自身もその構成員の一員である「社会」がお互いに支え合うものではなくて、「可哀想な人」に慈悲あるいは慈善として「施してあげる」ものレベル。
つまり、「社会」(口も手も出す。責任も取る)ではなくて「世間」(口は出す、手は気が向いたら出す。責任は取らない)が日本ではまだ主流なのかもしれません。
「施し」ではなくて「自立の手伝い」だったら、いつかは「福祉の対象者」が自立して金を稼いで税金を納めるようになる、つまり社会の経済だけから見てもずっとお得なコースが期待できると思うんですけどねえ。でもそのためには「保障」や「福祉」の制度をいじくるよりも「社会」をもっと成熟させるほうが、回り道に見えて結局早道なのかもしれません。ではそのためにはどうすればいいのか……
【ただいま読書中】
北山エイト著、日本文学館、2006年、952円(税別)
岐阜県に生まれ中日ファンだった著者は、小六の時に本当にひょんなことから広島カープファンになります。著者がファンになってからの十数年間はちょうどカープの黄金期でした(1975年から17年間に優勝が6回)が、1998年からはBクラス(セリーグの4位以下)に沈み続けています。そういった現状に歯がみをしつつ「またかつての強いカープになってくれ」と言うファンの声が本書には充満しています。
懐かしい試合、懐かしい選手が次々登場します。そうそうヨシヒコは高校では投手だったんだ、とか、正田はとんでもない努力の人だった、とか、池谷のフォームはダイナミックだった、とか、津田が脳腫瘍にならなければどんな大記録を残していただろうか、とか。
「カープを強くするためにどこを補強すればいいのか」と著者はカープだけではなくてセリーグの他のチームも含めて分析を始めます。それによると、チーム成績(リーグの順位)と本塁打数は相関がない、防御率は強い相関がある、盗塁数(の多さ)と失策数(の少なさ)は弱い相関がある、ということになるそうです(少なくとも示されているデータからは、私も同じ結論に達します)。ということは、チームの成績を上げたければ、ホームランバッターを育てる(よそから取ってくる)よりも投手力と野手の守備・走力を向上させた方が良い、ということになります。もともとカープの持ち味は機動力野球(走攻守のバランス重視)ですから、「基本」に帰ればいい、ということですね。
私は「セリーグのお荷物」といわれ続けていた「弱小カープ」を知っていて、そしてそれが強くなったときの感激も知っています。1975年10月15日、授業が終わってそわそわしながらTVの前に駆けつけたら、読売ジャイアンツの柴田がレフトフライを打ち上げてそれでカープの初優勝が決定しました。あの時の感動は私の人生の宝です。そして黄金期が終わってまた弱くなってしまいましたが、「またいつかは強くなってくれる。今は『あの時』より遙かにマシなんだから」と信じて今に至っています。
昨日、カープの「赤ハンカチ王子」斉藤が初先発初勝利(高卒ルーキーでこの記録はチーム初だそうです)をあげましたが、クローザーの永川が記念のウイニングボールを渡そうとしたら斉藤は何か遠慮している風で永川と少ししゃべってからボールを嬉しそうに受け取ってポケットにしまっていました。何を言っていたかわかりませんが(私は読唇術はできないのです)、普通だったら「ありがとうございます」の一言でいそいそと受け取るものでしょう? 何をあんなにしゃべることがあったんだろう? もしかしたら永川のセーブ記録更新の記念ボールでもあるので遠慮していたのかもしれません。チームが個人をもり立て、個人は自分のことだけにかまけるのではなくて他の人のことをも忘れない、こんな雰囲気があるのならカープはチームとして今からぐんぐん伸びていく期待が十分持てる、と私は感じました。ブラウン監督のきわめて合理的でしかも人情味豊かな采配も見ていて面白いですし。
プランターに植わった状態で頂きましたが、すくすくと育ってとうとう花が咲きました。顔を近づけるとかすかにさわやかな香りがしますが、それほど「良い香り」とは言えません。生だからかな。家内によると葉を全部つんでソースにするそうです。楽しみです。
【ただいま読書中】
磯淵猛著、同文書院、1994年、
単一テーマのエッセー集で、私が重視するのは「本を貫く軸」です。「まるで何かの自慢のように、手当たり次第蘊蓄を書き散らしてある」なんて本は高く評価しません。いや、雑学を得たいときにそんな本は重宝ですが、読書を楽しみたいときに他人の自慢話を読んでも嬉しくありませんから。一本軸がしゃんと通っていて、いろんなテーマがそのまわりにまるで木になった果実のようにたわわに実っている、そんな本が私は好きです。
本書は紅茶に関する短いエッセーを、大きく四章にわけてあります。最初の「春」の部分では、まあ普通のエッセー集かな、と思いました。ところが「夏」になって驚きました。生活の中の紅茶、日本人にとっての紅茶、人生の中の紅茶……著者にとって、そして著者の周りの人々にとって紅茶がいかに大切なものかがこちらにびんびん伝わってくるのです。もちろん紅茶に関する蘊蓄も得られますが、それよりも紅茶の回りの物語、これが魅力的です。「これはお得な本だ」と私はつぶやきます。
レモンティーの話の後にオレンジペコが続き、スリランカで訪れた家で欠けた紅茶茶碗で振る舞われたティーに著者は感動します(客にわざわざ欠けた茶碗を出す、実はそこに「物語」があるのです)。梅干し、布団の打ち直し、夏の湘南海岸でスリランカに行きたいと夢みる少女、客の心に響くホテルのもてなし……それらのすべてに紅茶がからみます。著者の人生に紅茶が深く根を下ろしているから、著者が何を語っても紅茶が顔を出すのかもしれませんが、これはこれで素敵な生き方だな、と思います。翻って私の人生を鑑みたとき、私はそこに何か「軸」を見いだせるのかしら?
美を創造できる人がいます。美を理解できる人もいます。美を破壊する人もいます。
問題は、どの人も「私にとって美は喜びだ」と心から言えることです。その喜びが、創造することの喜びか鑑賞することの喜びか破壊することの喜びかはまったく違うのですが。
【ただいま読書中】
朽木ゆり子著、新潮社、2000年、1300円(税別)
フェルメールの絵は世界中に三十数点しか残っていないそうですが、今までに五回の盗難事件が知られています(うち、アイルランドの「手紙を書く女と召使い」は二回盗まれました)。
「なぜ絵画を盗むのか」の動機について、本書では八つに分類するやり方が紹介されています。金銭目的(身代金、保険金)や「欲しい(自分の家に飾りたい)から盗む」などの分かり易い例の他に、テロリストによる政治的要求があります。政治的要求のための絵画盗難は今までに五件知られていますが、実にそのうちの三件がフェルメールの絵でした。なぜフェルメール?
1974年ロンドンで盗まれた「ギターを弾く女」もアイルランドでの「手紙を書く女と召使い」も、盗んだのはIRAまたはそのシンパでした。捕らえられたIRAのメンバーの移送(と金)を要求する目的でしたが、結局失敗でした。1986年の「手紙を書く女と召使い」の二度目の盗難は闇市場での売却が目的でしたが、結局売れずに困った犯人はIRAに売り込もうとします。しかしIRAに拒絶されこんどはIRAの敵プロテスタントのテロ集団UVFに接近、結局犯人はIRAに殺されてしまいました。
美術品の泥棒というと、映画ならたとえば「おしゃれ泥棒」や新しいところでは「エントラップメント」を思い出しますが、現実はあんなに「きれい」なものではありません。1971年に盗まれた「恋文」は、木枠からナイフでキャンバスが切り取られ乱暴に丸めて持ち出されました。300年前の油絵にそんな扱いをしたら、絵の具がぼろぼろに剥げると思いませんか? 泥棒はそんなことは気にしなかったようです。大切なのは難民への食料寄付だったようで。
名画が盗まれるのは「社会的価値」があるからですが、その価値を無くしてしまう行為をしたら意味がないとは思わないのかな?
サイドストーリーですが、美術品の保険もなかなかややこしい問題を起こすことがあります。犯人が保険会社と裏取引をしたり、保険金が支払われた後で絵が発見された場合の所有権でトラブルが発生したり(元の所有者が保険金(プラス利息)を支払えば絵は手元に戻りますが、絵が損傷を受けていた場合とか、絵の価値が盗まれたときと発見時で大きく変わっていた場合、絵よりも金をめぐっていろいろ醜い争いが起きるのです)、赤字の美術館(や低予算の国)では最初から保険がかけられなかったり、保険をかけたらかけたで保険会社が警備体制に口をはさみますから結局もっとお金がかかったり……
ちなみに、盗まれた絵画が元の持ち主の手に戻る確率は10%、有名な絵画だと50%だそうです。
日本で初めて臓器売買が摘発されました。日本では初めてですが、外国では臓器移植ブローカーなんてのも実在しているそうで、需要があれば供給がある、表が駄目なら裏がある、ということなのでしょう。
SFでは「売買」どころか、臓器を摘出する目的での誘拐・人身(丸ごと)売買、犯罪者への刑罰としての臓器摘出、なんてものも描かれています。いつかそれが「普通」になる時代がくるのでしょうか。
かつて日本でも、臓器の売買は行われていました。「売血」です。血液も臓器の一つで「輸血」も臓器移植の一種と私は認識していますから、かつての売血を私は臓器売買として捉えています。(日本における「売血」を知らない人は、「ライシャワー」「黄色い血」をキーワードにネット検索をかけて見てください。余談ですが、「日本人に襲われた外国要人」で有名なのは大津事件のニコライ皇太子です。私の記憶ではニコライさんも輸血後肝炎で苦しんだことになっているのですが、さて、これは真実なのかそれとも何かと記憶が混同しているのか。まあ病気をもらったにせよもらわなかったにせよ、皇太子が殺されかけたことがロシアの対日感情悪化の原因の一つではないか、と私は想像しています。「気にくわない外国人を襲う」という「短気な愛国者」がいかに国益を損じるかは、他にもたとえば日清戦争講和条約での……って、キリがないのでここで余談は終了)
昔の日本の血液銀行では、売買がないにしても「血液を返す」ことが求められました。たとえば自分の家族が輸血を受けたら、それと同量の血液を自分たち家族や友人知人が献血して「返す」必要があったのです(型は問われませんでした)。ある村の出身者が大量に輸血を受けたときに、家族が交通費を持ち謝礼を払って村人をごっそり町に運んでそこで献血をしてもらった、という話を聞いたことがあります。
……一回限りならまだ良いのです。たとえば白血病とか、そうですね、昭和天皇の末期のような感じで、何回も何回も輸血が必要な場合、家族は地獄を見ることになります。血液の切れ目が命の切れ目になるのですから。
現在の日本では、売血はないし血液を返す必要もありません。弱者を不必要にいたぶることがない点では、昔よりは良い時代と言えるのでしょう。
そうそう、どうでも良いことですが、TVのインタビューに答える執刀医師の受け答えの態度を見ていると、昔懐かしいパターナリズムの匂いがぷんぷんして、私とはあまり相性が良くないタイプだろうな、という感想を持ちました。
【ただいま読書中】
北本俊二著、裳華房、1998年、1400円(税別)
恒星(たとえば太陽)は、自らの重力によってどんどん小さくなろうとしています。しかし中心で圧力が十分高くなるとそこでは核融合が始まります。たとえば水素が融合してヘリウムになります。これが太陽の輝きの元です。核融合のエネルギーによって恒星は膨らもうとします。この、「小さくなろう」と「大きくなろう」のバランスが取れた状態が現在の恒星の状態です。しかし、いつか核融合の燃料は尽きます。すると恒星はどんどん小さくなり、とうとう原子同士が「これ以上近づけない」限界まで密集します。それを「白色矮星」と呼びます。たとえば太陽程度の大きさの恒星は半径1万km程度の白色矮星になります(地球より一回り大きいだけ)。密度は1立方cmあたり約6トン。
太陽よりもっと大きい(質量が多い)恒星は原子が壊れて陽子と電子が強引に結合させられ中性子になり、中性子同士が密集します。これが「中性子星」です。もし太陽が中性子星になったら、半径は10km、密度は1立方cmあたり7億トンになるそうです。
もっとも白色矮星も中性子星も、あまり中心の圧力が高くなると核融合反応の火がついてしまって大爆発を起こします。これが超新星です。
さらに大きな恒星の場合、中性子さえ潰れてしまいます。あまりの重力の強さのため、通りかかった光さえ引き寄せられ、ある限界を超えて近づきすぎたものは(光も)もう二度とそこから出ることができません。光が出てこないのですから我々には見ることもできません。それを「ブラックホール」と呼びます。
ではどうやってブラックホールの存在を我々は知ることができるのでしょうか。
星の中には「連星系」と呼ばれるものがあります。二つの星がペアになって共通の重心の回りをくるりくるりと回っているのです。そして、白色矮星・中性子星・ブラックホールにも連星系があります。重たい星と普通の恒星のペアです。連れの恒星は不幸です。だって圧倒的に重たい星がすぐそばにあるから、自分の身から次々物質がはぎ取られていくのです。飛び出した物質は重たい星を目指します。ところが二つの星はくるくる回っています。たとえば中性子星を目指したとしても、「そこ」に到着したときに中性子星はもう移動しています。で、方向転換してまた目指しますが……ということを繰り返している内に物質は中性子星の周回軌道に乗ってしまいます。次々補充される物質によって中性子星の回りにドーナッツ上の雲のようなものが形成されます。これを「降着円盤」と呼びます。白色矮星でもブラックホールでも話は同様です。降着円盤の中で物質はぶつかり合い、内側のものはどんどん中心に落ちていきます。ぶつかり合うことで温度が上がります。中性子星の場合、降着円盤の中心部は1000万度になります。X線が発生するのに十分です。中性子星の表面は、次々ぶつかる物質のために2000万度になります(中性子星が自転したり磁場があるとまた話は変わるそうです)。こうして「1000万度と2000万度のX線」が観測できたら「そこ」は中性子星(の連星系)である可能性が高い、と判断されます。ブラックホールの場合は「表面」がありませんから「1000万度のX線」だけです。
そういったX線は地球の大気を通過できません。したがって宇宙で観測する必要があります。日本では今までに4機のX線観測衛星を打ち上げています(1997年現在稼動しているのは最後の一台「あすか」だけ)
「銀河の核には超巨大ブラックホールが」という概念に、ラリー・ニーヴンの「
ノウンスペースシリーズ」で私は初めて出会いましたが、本書でもそのことが(根拠付きで)載っています。あと「宇宙ジェット」とか壮大なイメージには心が躍ります。この宇宙、どのくらい大きくてどのくらい謎があるのか、夜空を見ながら考えてみませんか。今夜はちょうどお月見で、満月で夜空は明るい上に雲が多くて星は見づらいのですけれど。
私が小学校に入学した頃、道路にはまだ自動車は溢れておらず、小学校の前の広い舗装道路にはときどき馬車が通っていました。数年後学校の前に信号が設置され、そしてそれからしばらくしたら「渋滞」というものが日常的に発生するようになりました。
ちょうどその頃日本中で路面電車に対する風当たりが強くなりました。自動車よりはるかに遅いくせに道路の中央の良い場所を車線一本分占領しているのですから。車の走行の邪魔でしかないように見えたのです。結局あちこちで路面電車は廃止され軌道は撤去されてそのあとは舗装道路になりました。で、結局そこも自動車が充満して渋滞になるだけでした。
しかし広島では事情が違いました。電車を撤去するのではなくて、警察は軌道上から自動車を排除したのです。タクシー以外は走行禁止として路面電車の定時運行を確保しました。交差点では右折車も軌道の手前で停車します。
自家用車(やバス)は渋滞に引っかかりますが、路面電車はすいすいと走ります。結局電車の方が早くつく、ということで電車の人気は盛り返し、広電は黒字となりました。
渋滞している道で、もし自動車をすべて魔法で消去して人だけを道路上に残したら、「人口密度」は意外に少ないことがわかるでしょう。一台にせいぜい一人か二人乗っているだけですから。その点満員電車はたっぷり人が詰まっています。線路を潰してその空間に自動車を充満させても道路が渋滞していたら、実は電車の方が運べる人の数では優っているでしょう。で、渋滞していなかったら、電車を廃止する必要はありません。車がすいすい流れているのですから。
一見のろのろしている電車の方が実は効率的。私はこんな電車が好きです。
【ただいま読書中】
小川裕夫 編著、城戸久枝・和気惇 共著、平凡社(平凡社新書275)、2005年、840円(税別)
北は札幌から南は鹿児島まで、全国13箇所の路面電車が紹介されています。私が実際に乗ったことのある町(たとえば、熊本・長崎・松山)の記事は、乗った当時のことを思い出して懐かしく読みました。京都や名古屋・仙台は、昔乗ったことがありますが今は廃止されているんですね。なんだか残念な気持ちです。
「路面電車」と一口に言いますが、法律的には二種類になるそうです。鉄道事業法で管理されるのは専用線(道路に線路を敷設してはいけない)もの。軌道法で管轄されるのは道路に線路を敷設しなければならないもの。たとえば江ノ電は鉄道事業法の方です。ところが例外規定もあって話はややこしいのです。ですから本書ではあまり法律のことにはこだわらず、見た感じ(乗った感じ)が路面電車なら路面電車として扱っています。
一番力を入れて書いてあるのは、日本最大の路線数・車両数・乗降客数を誇る広島電鉄です。なるほどね「二つの世界遺産をつなぐ」とは、言われてみたら確かにそうです。原爆ドームと宮島をつないでいますから。
「電車に乗る」を目的にするもよし、「電車から見える風景を楽しむ」もよし、「電車に乗って沿線のあちこちを訪ねる」もよし、なんでも良いからのんびり「路面電車の旅」をしたくなりました。
100年後や1000年後の人間が過去をふりかえって「ああ、昔々の平成は良い時代だったんだな。できるならあんな時代に住みたかったなあ」と思ってくれる時代だとしたら、今は「良い時代」と言えるのでしょう。
【ただいま読書中】
ダン・シモンズ著、酒井昭伸訳、早川書房、2006年、3000円(税別)
本書の外伝というか前日譚である中編『アヴの月、九日』を今年のSFマガジン9月号で読んで本書を購入する気になりましたが、届いたのを見てびっくり。二段組で760ページ以上あります。しかもこれで二部作の第一編なんですって。よくもまあ、これだけたくさん字が書けるものだと思います。しかも内容がこちらの想像力の限界に挑戦するものであり、かつ西洋の文学的教養をどのくらい持っているかを問うものでもあります(たぶん問われているのだと思います。私は『イーリアス』もシェークスピアもプルーストもろくに知らないので、何を問われているのかも理解不可能な状態ですけれど)。『ロビンソン・クルーソー』や『指輪物語』や『タイムマシン』はわかりやすいのですが、映画のハエ男がちょろっと見えるのには笑ってしまいます。
本書では3つの物語が同時進行します。
1)紀元前1200年の地球。ホメロスの長編叙事詩『イーリアス』で詠われたイリアム(トロイア)の攻防戦です(トロイの木馬が有名ですね)。『イーリアス』と細かいところで相違もありますが、おおむね叙述されたとおりに「事実」が進行していきます。神々さえもホメロスが描いたとおり登場するのです。人間の前に突然現れて託宣をしたり、空を飛ぶ古代戦車に乗って神の雷を地上にばらまき自分のお気に入りの側を有利にしようとしたり、いろいろ勝手をする神々をまとめるためにゼウスが怒ったり…… しかしホメロスが描かなかった“異物”も戦いに混じっています。『イーリアス』を専門にしていた人々があの世から呼び戻されて、「学師」と呼ばれ、神々の命の下、戦いを観察し記録をしているのです。
2)今から数千年後の地球。ポストヒューマンが立ち去ったあとの地球では、わずか百万人の古典的人類が、下僕に仕えられながら優雅な生活を送っています。20年ごとに若返り100年が定命です。ファックス(機械によるテレポート)などの超科学を駆使しているのにその原理は理解できず、地球が球形であることも字を読むことも知りません。ポスト文字文化に生きる彼らが唯一持っている「物語」は、「トリノの聖布」(オデュッセウスに言わせれば「トリノ雑巾」)が見せるドラマ(トロイア戦争の活劇)です。
3)今から数千年後(2と同じ時代)。外惑星系には、人類が作った人工知性の遠い子孫たちが繁栄していました。普段内惑星系にはまったく興味を持たない彼らですが、火星での危険なレベルでの量子活動を発見して、探検隊を送り込むことにします。木星系から太陽の反対側の火星めがけて宇宙船は3000Gで射出されます。目的は「情報を火星から送り出すこと」……「情報を持ち帰ること」ではありません。しかし火星近くで宇宙船は、神が操る空飛ぶ古代戦車によって撃墜されてしまいます。
木星系の探検隊は気球に乗ってオリュンポス山に乗り込もうとし、地球にはオデュッセウスが登場して人々に軍事教練を施し、とうとう人々は神に対する戦いを開始し……三つの話は少しずつつながりはじめどんどん加速していきます。「巻置く能わざる面白さ」なのですが、時々置かないと手が疲れます。
『イーリアス』はたしか『オデュッセイア』と対になっていたはずです。後者はオデュッセウスの放浪を扱っていたはずですが(「はず」というのは私が未読だから)、本書でも「放浪するオデュッセウス」が登場します。ただしその「放浪」に関しては詳しく語られません。それはおそらく続巻に属する物語なのでしょう。
よくよく考えてみると、本書で提示された謎はほとんど解決していません。盛大に拡げられた風呂敷にいくつもの折り目は見えますが、さて、著者はどうやってこの大風呂敷を畳むつもりなのかしら。楽しみです。
女性はお肌のお手入れが大好きですね。少なくとも身近で見る女性を見ていると、明らかに男性よりは熱心に行っています。
ところで体中の皮膚で一番きれいなのは、皮肉なことに、一番お手入れをしてもらえないお尻じゃないかと思います。一番動きが少なくてほとんど常に衣服に覆われていて紫外線対策もばっちりだからでしょうが……しかし、私のこの仮説を検証するためには、統計学的に意味のある人数にパンツを下ろしてもらわなければなりません。個人で立証するのは、ちと気が進みません。
【ただいま読書中】
織田一朗著、草思社、1994年、1456円(税別)
自称「時の研究家」の著者ですが、その肩書きは実は「ときどき時の研究を行う者」が「時々研究家」となりさらに変化してこうなったんだそうです。「時計」ももともとは「土圭」(日時計の影のこと)だったそうですし、「時」はうつろうものなんですね。
「時は12進法で数えられる」ことは有名です。古代世界ではなぜか東西とも、半日または一日を12分割することがけっこう普通に行われていました。だから今のシステムで全世界がすんなり動いているわけです。しかし本書はそこで留まりません。「秒以上は12進法。しかし秒以下は10進法で数えられるが、そのことに誰も違和感を抱いていない不思議」を著者は指摘します。……言われてみれば確かにその通り。でも、今さら秒以下を12進法で数えるのも大変ですし(オリンピック記録を換算するのも大ごと)、逆に、かつてのフランスのように完全10進法で時間を数えるのも、すべての時計を交換しなければならないし慣れるのが大変でしょう。
時計の針が右回りなのは、日時計の影の動きが元だから、というのが通説だそうです。もし人類の文明が南半球優位だったら、時計は反時計回りになったのかもしれません。そうそう、人がトラックを走るのは左回りですが、これは単純に「その方が速いから」のようです。いつかTVでも素人を集めて実験していましたが、明らかに左回りの方が右回りより速かったのには驚きました。野球の走塁方向はかつては適当だったようですが、左回りの方が早いことと、野手に右利きの方が多いことから、今の左回りに定着したのでしょう。
そうそう、時計の文字盤のローマ数字、「ゼロ」がないわけ、「4」が「IV」ではなくて「IIII」になっているわけ、さて、それはなぜでしょう?(知りたい方は本書をどうぞ)
(ストップウォッチによる)「記録の計測」は、スポーツのあり方自体に影響を与えました。「競うべき相手」は目の前のライバルだけではなくて「世界の他の場所の競技者」「別の時代の記録」になったのです。時計も進歩し記録方法も変化しました。フライングの計測もシビアになり、陸上・水泳の1/100秒、自転車・スキーの1/1000秒の計測は、現在では必要充分な精度と言えます。実際「ひゃくぶんのにびょう、勝った」と言われてもぴんときませんよね。ところでプールのタッチ板、人のタッチと水のうねりをどう区別しているのでしょうか? 正解は本書を……
本書を読んでいると読んでいると「時々」どころか立派な「時の研究家」ではないか、と思えます。時計および時の計測について読んでのんびりと時を過ごすには良い本です。
専門家が「専門家である」ことの核に実は「非常識」があるのではないか、と私は感じます。
たとえば「お金を取り扱う専門家」は「部屋いっぱいの札束」を見ても顔色も変えないでしょう。そんなの私から見たら非常識です。私は札束一つでも手が震えるのですから(まあ、縁はありませんから安心ですけれど)。あるいは医療職。平気で人を刺したり(注射)切ったり(手術)します。そんなの病院の外では「非常識」な行為です。
そういった「非常識さ」はこの世のほとんどすべての専門職には存在しているはずで、その「非常識さ」だけをあげつらって「そんな非常識なことをしているのか」と責めても、そういった「非常識」を責める行為自体が非常識、と言えるでしょう。だってその「非常識」をなくしたらその人の専門性は消失してしまうのですから。
で、この世はそういった各種の「専門家」がわんさか集まって構成されています。するとこの世の「常識」って、どのくらい確かなものなんでしょう?
【ただいま読書中】
ジャネット・マルカム著、小林宏明訳、白水社、1992年、1650円(税別)
ノンフィクションの製作過程では複雑な「ゲーム」が行われています。インタビューする人とされる人の間に深い人間関係ができたとしても、話をする人は自分が書いて欲しい物語を語ろうとしますし、書く人は自分が書きたい物語を聞きだそうとします。両者の願いが一致することはまれです。結果として、できあがった本を見て「こんなはずではなかった」と話した人は傷つき、時には訴訟沙汰になることさえあります。
1979年、妻と二人の子どもを殺したと訴えられたマクドナルドは、自分の立場を世の中に訴えようとノンフィクション作家マギニスに声をかけます。マギニスは弁護団に加わり、いわば「身内」の立場で裁判を見まもります。マギニスはマクドナルドに迎合し協力する態度を取り無罪を信じるふりをし、そして出版された本『フェイタル・ヴィジョン』ではマクドナルドに対して冷酷な扱いをしました(“有名になりたがっている男”“女たらし”“潜在的ホモセクシュアル”だから有罪になるのは当然)。
マクドナルドはマギニスに対する訴訟を起こし、原告弁護人ポストウィックはジャーナリストの手法とそっくりの手段をマギニスに対して用います。ジャーナリストが、相手がぺらぺらとうっかりしゃべってしまった迂闊な発言から物語を紡ぎ出すように、マギニスがマクドナルドに出した手紙を材料に、マギニスの「不誠実さ」「友人の冷たい裏切り」を陪審員に印象づけたのです。「友だちだ」「味方だ」と信じさせておいて得た材料を元に「こいつはサイコの殺人者野郎だ」という本を書いたのは、倫理にもとるまるで詐欺のような行為だ、と。
著者もまたジャーナリストです。ジャーナリストがジャーナリストに取材するわけで、両者はなかなか複雑な立場に置かれます。そこで著者は「素っ気ないほど正直なリポーター」として振る舞い、マギニスにはインタビューを断られます。しかし、ポストウィックには受け入れられます。
人はなぜ「ジャーナリストの善意」を狂信的に信じるのか、と著者は問います。書かれる本によって有名になることは、それほど魅力的なのでしょうか。それとも人には、ジャーナリストに対する信仰心でもあるのでしょうか。あまりに無防備に質問に答える人々を見て著者は不思議に思います。
同時に、ジャーナリストから見た現実世界の人間が、いかに「魅力」に乏しいかについても著者は言及します。小説のように生きている人間なんてほとんどいません。しかし、小説とは違って、ジャーナリストはそういった「つまらない現実」から物語を紡がなければならないのです。
なんともシニカルな見方です。
取材と執筆の間には冷たい乖離があります。インタビューで、ジャーナリストは様々な人を相手に心を開き傾聴し本の材料を集めます。「一つの立場」を強要する態度では大した材料は集まりません。しかし執筆は孤独な作業です。独力で、「自分の視点」をよりどころに作業を行わなければなりません。そして時には自分自身も耐えられないような内容の本が作者の目の前に登場します。ことのはじめには作者が書こうとは思っていなかった内容が。
この「乖離」の存在……これを単純に「裏と表を使い分ける」と「倫理的」に責めることができるのでしょうか。著者は自分自身にも問いかけます。そしてその問いかけは、実はジャーナリズム全体に、そして本書を読む読者にも突きつけられているのです。
日本人のファッションは「一色に染まる」のが大好きなように私には見えます。たとえばサラリーマンのネクタイ姿。40年くらい前には女性はほぼ全員ミニスカート姿でした。そして10年前の女学生はルーズソックス。数年前には茶髪。
天の邪鬼の私は「似合うかどうかではなくて流行っているかどうかで選択されるファッションは、その人自身にもファッション自体にも不幸なのではないか」と思っています。公言はしませんけれど。
「オリンピックで日本がもっとメダルを取るためには、高校野球人気を何とかしないと」という意見を聞いたことがあります。高校野球に人気がありすぎて、スポーツの才能がある人間がほとんどそこに集中してしまうため、本来ならたとえば陸上や他の球技やマイナーなスポーツで世界レベルの選手になったかもしれない学生も全部野球の世界に囲い込まれて競技人生を無駄にしてしまっている、という主張でした。
オリンピックでもっとメダルが必要かどうか、は別の議論ですが、たしかに日本の「野球偏重」は目立ちます。高校生の夏の大きな大会と言えば高校総体ですが、そこで全国一を決めた結果より、野球の地方大会の方が新聞やTVでの扱いがでかいのですから。それを見たら、少しでも頭が働くスポーツ少年なら野球を選択するのが当然です。日本一になっても無視されるのと、日本一でなくても全国的な人気者になれる可能性があるのと、二つの道があるけどどうする、という選択肢なのですから。だけど「自分に向いているかどうか」ではなくて「人気があるかどうか」で選択されるスポーツ(と将来の人生)とは、はたして幸福な選択なのでしょうか。
英語についても同じようなことを私は感じます。「インターナショナルな人間になるために」「子どもの才能を伸ばすために」「インターネットやビジネスで役立つ」とか大義名分はいろいろついていますが、民間も公儀も結局勧めているのは「英語を学べ」というただ一つの「選択肢」です。それを選ばなかったらまるで人生の敗残者のよう。だけど、たとえば「インターナショナル」になるためには外国語を学ばなければならない(それ以外の選択肢は存在しない)のでしょうか。もしそうだとしても、ではその「外国語」は「英語」だけなのでしょうか? 大バッハを「ジョン・バック」と呼びそうな言語を私はあまり好きになれないのですが……(本当にそう呼ぶかどうかは知りません。ただ、ある映画で聖ヨハネを「ジョン」と呼んでいるのを聞いたことからの想像です)
「あれかこれかそれ以外か」のいろいろな選択肢の中からの選択ではなくて、「あれかこれか」の二者択一でさえなくて、「これかそれともゼロか」のハンディキャップつきの「選択」しか許されないのが日本の特徴?
天の邪鬼の私は、首を傾げています。
【ただいま読書中】
読売新聞編集局、中央公論新社、2000年、1700円(税別)
1999年9月30日(木)午前10時35分、東海村のJCO(住友金属鉱山の子会社)で臨界事故が発生しました。ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料(MOX)の原料として発注されたウラン235濃度18.8%のウラン溶液(普通の軽水炉だと濃度は3〜5%)を沈殿槽に注ぐ作業中、作業員は「青い光」を見ました。水中を高速の荷電粒子が通過するときのチェレンコフ光です。同時に部屋の三人は、広島・長崎の爆心地から数百メートルに匹敵する放射線(推定値ですが、それぞれ17シーベルト・10シーベルト・3シーベルト。ちなみに普通の人が一年であびる自然放射線は1ミリシーベルト)を一気に浴びたのでした。
あり得ないはずの臨界事故に、JCO・住友金属鉱山・村・県・政府・科学技術庁・マスコミは混乱し情報は錯綜します。しかしその間、いや、それから20時間、沈殿槽は「裸の原子炉」となって中性子線とガンマ線を発生し続けたのです。
原因は人為的「ミス」でした。もともとJOCでは、科学技術庁に認可された手順とは違う「裏マニュアル」(違法です)を使っていましたが、現場ではその裏マニュアルにさらに現場が便利なように「工夫」を加えていたのです。当時「バケツでウラン」という言葉が有名になりましたが、そんなのは本質的なことではありません。バケツでもひしゃくでもウラン溶液は扱えます。問題は、作業に当たった人たちが「自分たちが何を扱っているのか」「何をしてはいけないのか」を認識していなかったことです。普段より濃い濃度のウラン溶液は普段より簡単に臨界に達してしまう、だから作業手順はわざと一度にたくさんのウランが扱えないように指定されていました。でもそれでは何度も同じことを繰り返さなければならず「不便」です。だからたくさんウラン溶液を貯められる沈殿槽にじゃばじゃば溶液を注ぎ込んだら臨界の量に達してしまった。
彼らがもっと従順な「奴隷」だったら、マニュアル通り動いていて事故はこの日には起きなかったでしょう。もっと教育をちゃんと受けていたら、この事故はずっと起きなかったでしょう。
風評被害もひどいものでした。どこの国の選手だったか、京都だったか大阪で大会に来ていた選手が茨城の臨界を恐れて帰国した、と聞いて私は「ちょっと心配性すぎない?」と感じましたが……茨城産の農産物や魚までもが値崩れ・引き取り拒否をされ、翌年の偕楽園の梅見のための宿泊予約も大量キャンセルされたとは、もうあきれるしかありません。一体何が心配なのでしょう。
もちろん「放射能漏れはなかったし、放射線がもう出ていないのだから安心」とは言えません。たとえば中性子線をあびたナトリウム原子は放射性同位元素であるNa24となってガンマ線を発生します。ですから二次被曝の問題は看過できません。ただ、それはガンマ線を測定すれば良いことです。実際現地では細かく放射線が測定されました。ですから「茨城の畑」「茨城の海」が安全であることは一目瞭然だったのです。
知識無しで作業する職員・知識無しで騒ぐ人々……どちらにも必要なのは、知識とそれを使う機会なのでしょう。
レジ袋から出します。包装紙を剥きます。箱を開けます。大きな透明なプラスチック袋を破ります。最後に個別包装を破ります。剥いても剥いても剥いても剥いてもまた包装です。ラッキョウを剥くお猿になった気がします。
【ただいま読書中】
小菅正夫・岩野俊郎 著、島泰三 編、中央公論新社、2006年、800円(税別)
閉園間際まで行った旭山の園長と、実際に閉園しそして復活させた到津の園長の共著です(ちなみに、二人は同い年で共に獣医で同じ時期に園長に就任した親友だそうです)。一点集中突破の小菅(趣味は柔道のみ)、多芸多趣味の岩野、全然タイプの違う二人で目指す動物園の姿も全然違います。しかし、両者および両方の動物園には共通したものもたくさんあるそうです。
冬の旭山名物「ペンギンの散歩」(行ったことのない私でも聞いたことがあります)が、最初は「冬は客がいない。餌取りに長時間歩行する習性のペンギンが外に出たがっている。じゃあ、出してやろうよ」で始まったというのには爆笑でした。
ハードだけに注目したら動物園はわからない、と著者は言います。旭山のぺんぎん館は水中を貫く透明なチューブを客が歩けることが特徴の一つですが、透明なアクリルに藻がつかないようにする「ソフト」が伴わなければ意味がないのです。
入場者減少と赤字が旭山動物園に逆風となっていたさなか、1994年にはエキノコッカスによってゴリラとワオキツネザルが死亡しました。旭川市は臨時休園とし、そして議会は閉園に傾きます。しかし小菅園長は「負けない柔道」のようにねばり強く動き続け、とうとう市長を味方につけて園の再生を始めます。ある議員に「動物園に金をやるのはドブに捨てるのと同じ」とまで言われながら、「なぜ動物園が人間社会に必要なのか」「では『必要な動物園』とはどのようなものか」「それを現実化するにはどうすればいいのか」をきちんと説明し続け、アイデアマンの副園長の優れたアイデアを形にし、できたハードを活かすためのソフトの工夫を続けていったのです。結果として旭山動物園は全国に名が知られる動物園になりました。
天平時代にまで遡る歴史と古い森、そして市民のバックアップが到津の特徴です。1937年からずっと続けられていた夏の林間学校(数日間小学生が泊まり込んで動物園や公園で遊び学ぶ)は、家庭によっては親子孫の三代が経験者となっており、市民は強い愛着を持っていました。年間三億円の赤字に耐えかねて西鉄が動物園の廃止を決めたとき、北九州市「全体」に存続運動が起き、集まった署名は26万・募金は2000万円で、存続が決まったあとも毎年3000万〜4000万の募金が集まり市民ボランティアが大きな活動を続けています。「市民球団」ならぬ「市民動物園」です。
「戦い」と言っても、時代や社会や議員や赤字との戦いだけが書かれているわけではありません。たとえば重要なのは、野生動物と動物園との戦いです。野生動物は家畜ではありません。また、家畜を展示してもそれは動物園とは呼べません(だから旭山で子どもが動物に触れることができるコーナーは「子ども牧場(いるのは家畜)」であって「子ども動物園」ではないのです)。では「人間には簡単には飼われないぞ(人間の都合を押しつけたらすぐ死んでやるぞ)」という野生動物と「動物の自由にさせるわけにはいかない」動物園(人間の都合)の間で、どこで折り合いをつけるか。それが動物園で毎日行われている「戦い」です。
強烈な表現があちこちに散りばめられています。「そもそも、まともな大人が『動物園が好き』と言うほうがおかしい。狭い檻のなかを右往左往する神経症のクマを見て、憂鬱にならないとしたら、その大人の感性はすりつぶされている。羽を切られた鳥が浮かんでいる池を見て、心がなごむとしたら、その人の心は正常だろうか?」「レジャー、遊び、うさ晴らし、暇つぶしなどなどに意味がないとは言わない。狂いやすい人の心にとっては、そういう軽いことがどうしても必要な場合がある。だが、それはただ浮き流れる泡沫にすぎず、ほんとうのところがないとそこで生きている意味がない。少なくとも動物園を意味あるものにしなくては生きていけないと感じる男たちがいた。彼らは命の輝きを感じる人間だったから、そのすごさを知ってしまった人間だから、それを伝える場は動物園しかない、と思いこんだから、レジャー施設のひと言で片付けられたくはなかったのだった」「人は風景を記憶する。懐かしい思い出は、その風景のなかにある。建物は風景のなかにある。多くの思いをこめて維持され、次の世代に伝えられる風景こそは、伝統文化そのものである」「社会的動物と呼ばれている動物たちは、『社会をもってやっていける』のではなく『社会的にしか生きられない』。その社会が高度であればあるほど、その社会的動物の子どもは、密な社会的関係なしには正常に育たない。この場合の『正常に』とは『社会的に正常に』ということだけではない。『生理的に正常に』ということさえ含む。あるいは『心理的に正常に』ということも」
「人のそばには野生動物が必要だ」という小菅の確信を詳しく見るためには、もう一冊本を読む必要がありそうです。でも、私の直感は、小菅の主張は正しい、と言っています。
……一度この二つの動物園を訪れる必要がありそうです。いや、一度では足りないでしょう。何度でも何度でも行かないと、動物園の「本質」は私には理解できないのではないか、と思います。
韓国では「太陽政策」に対する批判の声が大きくなっている、とニュースで言っていました。「甘やかしたからつけあがったんだ。甘やかした奴が悪い」ということなんでしょう。
「失敗」した政策をあとから非難するのは簡単ですが、ここで私が考えたいことは二つあります。一つは核実験に関して「北風」は「太陽」より有効なのか(北風だったら核実験を中止していたのか)。もう一つは「北風」が有効ではなかった場合、どのような「批判」が起きるのか。
「北風政策」を採っていたら北朝鮮は核実験に走らなかったのでしょうか? いやいや、北風でも太陽でも、北朝鮮は結局やることはやったんじゃないか、というのが私の予想です。むしろ北風の方が実施時期はもっと早かったかもしれません。そしてその場合、北風推進派(太陽批判派)は北風を批判するのではなくて「まだ北風の強さが足りなかったのだ」と主張するのじゃないか、というのが私の推定です。(あるいは「太陽政策を主張する人間が足を引っ張ったから北風が失敗した。責任は太陽にある」という主張をするかも)
過去に遡って両方やってみるわけにはいかないのが、歯痒いところではありますけれど。
……ところで「あれ」は本当に核実験だったんです?
【ただいま読書中】
千葉達朗 編、技術評論社、2006年、1880円(税別)
地図から立体的に地形を読み取るための一番オーソドックスな手段は等高線です。しかし等高線を読むには慣れが必要です。そこで陰影図(太陽光線が斜めに当たったように影をつけて表現)・斜度図(地形の傾斜が急なほど暗く表現する)・高度段彩図(高度ごとに色を割り当てる)などの工夫が行われています。本書では、斜度図の欠点(凸凹の区別がつかない)を改良した赤色立体地図によって様々な地形を読み解いていきます。
赤色立体地図では、まず傾斜が急なほど赤く表現します。これで細かな地形は見えやすくなりますが凸凹の違いが表現できません。そこで、高い場所ほど明るく低い場所は暗くなるように明度を調整します。なぜ「赤」かと言えば、人間の目が赤に敏感に反応するからだそうです。本書にも同じ地図を赤色と青色とで表現したものが並べてありますが、明らかに赤の方が青より立体的に見えます。
航空レーザー測量で得られた数値地図を加工して「傾斜」を強調してあるため、航空写真では植生に隠されてわからない細かい起伏も一目瞭然です。面白いのは、なだらかな火山はこの地図上ではほとんど彩色されず一面ぺたんと見えてしまうことです。富士山も、本体は宝永火口より上部はかすかに彩色されていますが、それよりも愛鷹山の方がはるかに目立ちます。青木ヶ原の樹海の拡大図は……うえっ、なんだか気持ち悪い「光景」です。これは実際に見てもらうのが一番でしょう。航空写真や普通の地図では見られないものが楽しめます。
日本には活火山が108あります。(「活火山」は2003年に「おおむね過去1万年以内に噴火した火山および現在活発な噴気活動のある火山」と定義されました。私が子どもの頃覚えた「活火山・休火山・死火山」はもう使わないんですね) ちなみに日本には地球上の活火山総数の約1割があるそうです。日本の火山は何本かの線に沿うように分布していますが、それは「火山フロント」と呼ばれます。活断層は約2000。その内主要なものは「積極的調査観測の対象活断層」とされて国が調査を進めています。本書で見ると日本中が火山と活断層に覆われているようで、ちょっとぞっとします。
プレートテクトニクスや火山についての豆知識も豊富で、日本列島そのものについても思いが広がる、良いヴィジュアルブックです。
シャーロック・ホームズの『踊る人形』では人形(の絵文字)が踊っていましたが、これをリアルでやることはできないか、と思いました。ダンスのことに関しては無知ですが、特定の手の振りとかスピンのしかたとかをすべて一対一の文字対応にしておいてそれで文章を綴るのです。こうすれば一見ダンスのように見えて見る人が見たらメッセージ……って、どこで使うんだ? 小説のネタにしても使い道が限られそうです。いやあ、踊ってもいない人間が阿呆なことを言っています。
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ソリー・ガノール著、大谷堅志郎 訳、講談社、1997年、2800円(税別)
1939年ドイツがポーランドに侵攻、ユダヤ人難民がリトアニアに流れ込んできました。そのとき著者はリトアニアに住む11歳のユダヤ人少年でした。著者は日本人領事代理と偶然出会います。杉原千畝です(現地でのニックネームは「センポ」)。杉原は一家にリトアニア脱出を勧めます。著者の父親はアメリカビザを持っていましたが、事業の売却ができず、さらに独ソ不可侵条約を信じたことから決断が遅れます。致命的な遅れでした。1940年、ナチスはオランダとフランスに侵攻。パリ陥落翌日ソ連軍がリトアニアを占領します。「ナチスよりまし」と思ったのもつかの間、リトアニア人のシベリアへの大量強制移住が始まります。リトアニアから(すなわちソ連から)脱出するルートはまさにそのソ連を通るものしか残っていません。ユダヤ人たちは、ソ連を通過できそうなトランジット・ビザを発券できるのは日本領事館だけと結論を出します。日本政府はビザ発行を拒否していましたが、「人道的義務は政府のポリシーに優先する」と杉原はビザを発行します。杉原は三週間で6000ものビザにサインをしました。著者が聞いた噂では新しい任地ベルリンに発つ列車の窓からもサインをしてビザを手渡していたそうです。
そしてついにドイツの対ソ連電撃作戦の開始。著者一家、そして多くのユダヤ人は逃げ遅れました。ドイツ軍に占領されたリトアニアでは「ショーリアイ(愛国者)」と呼ばれる人たち(親独反ソ反ユダヤ)とナチスによるユダヤ人虐殺が始まりました。ナチス軍政施行によってその狂乱は一時静まりますが、今度は組織的な大虐殺が始まります。
著者はカウナス市郊外のスラボトケ・ゲットー(ゲットー:一定の地区を鉄条網などで遮断してユダヤ人を強制移住させたもの。武装蜂起したワルシャワ・ゲットーが有名です)に収容されます。ちょうどその頃、日本軍の真珠湾攻撃が行われました。アメリカ西海岸では日系人が国籍(日本かアメリカか)に関係なく強制収容所に送られます。米国籍を持っている二世たちは「祖国への忠誠心」を示すため二世部隊を編成しヨーロッパ戦線で勇猛に戦います。その損耗率は他のアメリカ人部隊を遙かに凌駕するものでした。その中にクラレンス・マツムラという青年がいました。
ソ連軍の反攻が迫り、ナチスはユダヤ人たちをドイツに移します。著者が最後に入れられたのはダッハウの強制収容所でした。そしてベルリン陥落が迫ったとき、ナチスはチロル山地に最後の防衛戦を建設しようとユダヤ人たちを徒歩でダッハウからチロル目指して行進させます。後に「ダッハウ死の行進」として知られる行進です。道の両脇にはユダヤ人の死体が並びました。
そこに追いついた米軍は信じられない状況に目を疑います。著者を救ったのは、先遣偵察隊として派遣されていたマツムラの分隊でした。家族が強制収容所に入れられている日系アメリカ人が、強制収容所のユダヤ人を救ったのです。
「強制収容所の運用」という視点からは、アメリカの方がドイツよりはるかに上手だと言えるでしょう。ドイツは餓死寸前の奴隷と歴史的悪評を得たのに対して、アメリカは「家族を人質に取られている」「愛国心を証明して見せなければならない」という強力な動機を持つ勇猛果敢な兵士と戦争の勝利を得たのですから。いやあ、上手いなあ。
意外なのは、著者だけではなくてマツムラたちも戦後沈黙を守ったことです。あまりに辛い体験から著者が心を閉ざすのはまだわかるような気がしますが、なぜ助けた人間までも? 「実際に体験したものでなければ絶対理解できない(だからしゃべるのは無駄)」という、一種の諦念が彼らに沈黙を強いていたようです。
1992年、二人は再会します。そのとき、初めて著者は自らの体験を語ることができるようになりました(その結果が本書です)。マツムラは、著者を「解放」したのです。1945年には肉体を。そして1992年には心を。
「フーコーの振り子」のことをぼんやり考えていて「地球の回転」が気になりました。地球の周囲は約4万キロメートル。するとたとえば地球の赤道に立っている人は地球の自転軸の回りを時速1,666キロメートルで移動していることになります。すごい高速です。
でもそれで驚いていてはいけません。地球は太陽の回りを公転しています。地球の公転軌道半径を1.496x10^11m、公転周期を365.25日としたら、地球は時速107,280キロメートルで太陽の回りを移動していることになります。時速じゅうまんきろめーとる……ものすごい高速です。(もちろん、光の秒速40万キロに比較したら「遅い」のですが)
普段感じることはありませんが、実は自分はそんなとんでもない速度で移動中だと思うと、ちょっと目が回るように感じませんか?
【ただいま読書中】
岡島裕史 著、講談社(BLUE BACKS)、2006年、860円(税別)
セキュリティに関して、まず「基本理論>運用>技術」という価値の重みづけを著者は行います。世の中ではセキュリティというとついつい技術偏重の話になってしまいますが、技術の最先端ばかり追いかけてもしかたなくて、迂遠に見えても基本理論をしっかり押さえておくことが大切だ、というのが著者の主張です。
話はずれますが、ものごとを三階層にわけて考えるのは、けっこう便利です。たとえば心理学も「テクニック/理論/思想」に三分できるでしょう。人の心を操作する具体的な「テクニック」は一見派手ですが、「テクニックだけ持っている人間」に私は自分の心をいじってもらいたいとは思いません。テクニックがなぜ機能するかの理論を理解し、さらに倫理観を含む思想がしっかりした人だけが心理学のプロを名乗って良い、と思うのです。そしてそれは心理学だけのお話ではないはずです。閑話休題。
「セキュリティ」のゴールは「安全」ですが、それではあまりに漠然としているので、「リスク」を設定します。「セキュリティを高める」手段として「リスクを低減する」わけです。
リスクを評価するためには、「守らなければならないもの(資産)」は何か、を明確にすることがまず必要です。そうしたら「それ」に対する「脅威」が具体的に見えます。「お金」だったら「泥棒」、「会社のイメージ」だったら「悪い評判」というように。こうして守るべきものとそれに対する脅威がわかれば、対策です。漠然と「セキュリティを高めなければ」と思っているだけでは、意味のある対策は立てられません。
対策は「脆弱性」(脅威に対応したこちら側の弱点)に対して立てられます。資産も脅威もなくすことはできませんから、こちらが動けるのは脆弱性に対してだけなのです。
「なぜ破られるのか」の理由については本書のカバーに書いてあります。
3つの原則
1 完全な防御ラインは現実的には作れない
2 防御ラインの内側の異分子には勝てない
3 セキュリティを考える上で最弱のパーツは人間である
たしかにこの3つはどうしようもないでしょう。ではどうすればいいのか、その考え方と具体的な方法については本書をどうぞ。
しかし「10年使える」とありますが……技術は日進月歩で、本書も今年6月発行なのに、もうすでにちょっと古く感じられる部分があります。しかし、「来年はもう使えない本か」と言えばそうではないでしょう。基本をしっかり押さえたらあとは応用ですからそれについては具体的なハウツー本を読めば良い。大切なのはそれを学ぶ主体がきちんとした足場に立っているかどうかでしょう。セキュリティに限らず、何を学ぶにしても大切なものは変わらない、私はそう思います。
介護保険の認定はどんどん厳しくなり老人の医療保険の自己負担はこの10月からさらに増えました。医療費・食費にプラスして光熱費も自己負担だそうです。(でも、その分病院の収入が増えるわけじゃありませんよね。お上の支出が減るだけです) さらに再来年には後期高齢者医療制度が作られます。年金支給に関してもきなくさい噂が流れています。
どうやらお上は本気で「穏やかな老後」「豊かな老後」を死語辞典に追いやるつもりのようです。まあ、これまでも「それ」が実在したのかどうかは怪しいとは言え、意識的に滅ぼすとは穏やかではありません。公務員は、「明日は我が身」という言葉を知らないのかな?
【ただいま読書中】
川端康成 著、新潮社(新潮文庫)、1967年(2005年59刷)、400円(税別)
中学高校時代、私にとっての川端康成は「ノーベル文学賞? ふーん。掌の小説はそれなりに面白いけれど、『伊豆の踊子』に出てくる“学生さん”よりは北杜夫の『どくとるマンボウ』シリーズに出てくる旧制高校のバンカラ学生たちの方が親近感が持てるな」程度の作家でした。今読み返してみると……古風で饒舌で柔らかくてしんとした美しい文章を読むのはそれなりに快感ですが、やはり違和感を感じます。形式的な話になりますが、たとえばカタカナ単語が非常に少ない。数ページに一つ登場するかどうかでしょう。「深紅のびろうどのかあてん」なんて表現がてんこ盛りなのでたまに「ダブルの電気毛布のスイッチ」なんて言われると、かえってどきりとします。カタカナ言葉は、角が尖っています。
本書には『眠れる美女』『片腕』『散りぬるを』が収載されています。この組み合わせ、覚えがあります。私はこの本(の何十刷か前の版)を若い頃に確かに読んでます。そのときどんな感想を持ったのかは覚えていませんけれど。
で、表題作の『眠れる美女』ですが……江口老人(といっても67歳でまだ「現役」)は知人に紹介された秘密の娼館を訪れます。薬で眠らされた若い美女に添い寝ができる、「わるいこと」はしてはならない、がルールです。江口老人はそこの「娼婦」が処女膜を持っていることを確認したりしていますが……おいおい、「わるいこと」はしてはならないんじゃなかったっけ?
死んだように眠る裸の美女・死が間近に迫った老人……本作から「死」と表裏一体となった「性」のイメージを読み取ることは簡単ですが、私が面白く思ったのは、「眠れる美女」によって展開されるエロティシズムの世界が江口老人の記憶や想念の世界であることです。女の体についての描写は克明ですが、それはエロティシズムの触媒に過ぎません。過去に関係を持った女性たちだけではなくて、彼の娘や母親までそこには登場します。決して近親相姦が明示されているわけではありませんがちょっとどきりとします。
さらに重要なことがあります。江口老人のエロティシズムが記憶や想念の世界である以上、目の前の美女を相手に性行為を行ったとしてもそのエロは完結しません。彼の欲望は目の前の現実をスイッチとして励起された仮想世界のものなのですから。だからこそ本作では具体的な性行為は描かれません。描かれる必要がありません。江口老人の想念の世界はすわなち読者の想念の世界でもあるのですから。だからこそ「美女」は眠っていなければならないのです。生々しい現実が想念に侵入してこないように。
どう考えても不自然で、でも生々しくおそろしい設定です。どうやったらこんなおそろしくて哀しい設定を思いつけるのか不思議です。文学者の頭の中は一体どうなっているのでしょう?
ただ、最後になまの形で死が登場するのは不必要だったと私は感じます。現実と想念の世界が微妙に接触しているハラハラ感が最後に壊れてしまいました。小説を完結させるためには必要だったのかもしれませんが、中途半端に投げてしまっても良かったんじゃないかなあ。夢オチにしろ、とまでは言いませんが。
「他人の言うことに耳を貸さない」人は、他人の言い分を聞きたくないのではなくて、他人が言い分を持っていることに最初から気がついていない(あるいは気がつきたくない)のかもしれません。一度確認してみないといけませんね。「あなたは、他人が自分の意見を持っていることを、ご存知ですか?」と。
【ただいま読書中】
ブルー・バリエット著、ブレット・ヘルキスト絵、種田紫訳、ソニー・マガジンズ、2005年、1600円(税別)
本著ではペントミノというパズルが重要な役割を果たします。小さな正方形を5つ集めたものを一つのピースとした(多くはプラスチックの)小片からなるパズルです。ピースは、たとえば「I」の様な一直線や「L」のような形、あるいは「X」の形など、全部で12種類の違った形となります。それを全部組み合わせて特定の形(たとえば長方形)にするのがパズルの遊び方です。
シカゴ大学付属実験校で学ぶ11歳のコールダーとペトラは、授業で与えられたテーマ「手紙」や「アート」について調べているうちに友だちとなり、フェルメールに出会います。コールダーはフェルメールの絵にあちこちで出会い、ペトラはフェルメールの「手紙を書く女」そっくりの女性を夢の中で見たのです。偶然の一致なのかそれとも違うのか、二人は自分たちがパズルを解こうとしているのか、パズルの中に飲み込まれているのか、わからなくなります。そのとき、シカゴでの展覧会のためにワシントンから輸送中のフェルメール作「手紙を書く女」が、忽然と消えます。絵を盗んだ犯人は新聞に手紙を出します。「フェルメールの絵と伝えられているものには偽物が混ざっている。それを世界中の美術館が取り除いたら、『手紙を書く女』は返却する」。やがて要求はエスカレートします。「ぐずぐずしていたら絵は焼いてしまうぞ」と。
本書では様々なものがペントミノのピースのように組み合わされます。ことば、人の名前、数、特定の動物……それを「偶然」と呼ぶか、それとも別の名前で呼ぶか、それによって物語は別の展開をするのでしょう。
本書のはじめのあたりで黒板に書かれた「手紙は死んだ」ということばや、ハッセー先生が紹介したピカソの言葉「芸術とは、真実を教えてくれる嘘である」……これが最後に効いてきます。読む人はどうぞ最後までお忘れなく。
本文中にも単純ではありますが暗号がありますし、挿絵の中に隠された暗号も探さなければなりません。もちろんどちらにも意味があります。解読に忙しい忙しい。しかし……挿絵の暗号、ちょっと難しすぎます。少なくとも私には。
今回ちょっとネット検索をかけてみたら、フェルメール愛好家は(作品数の割には)ずいぶん多いんですね。今月5日の日記に書いた『盗まれたフェルメール』に紹介されていたフェルメール行脚(世界中のフェルメールの作品を見て回る)をする人がいるわけもわかります、というか、私もなんだかフェルメールの魅力に少しずつ取りつかれてきているようです。まずいなあ、今「本物」を見たら完全に取り込まれて「フェルメール行脚をする」と騒ぎ出すかもしれません。
朝日新聞によると、温泉の「品質」を確認するために温泉認可後も定期的に再検査することを環境省の懇談会で検討するのだそうですが……むしろ再検査を今までしていなかったことの方が不思議です。工場で生産するものでさえ品質管理は大変なのに、自然が、人間に都合良く一定品質のものを常に提供してくれるとは期待できない、と思うのは不自然ではないでしょう。
どうせやるのでしたら、自己申告や書類提出で済ませるのではなくて、ちゃんと監督者が源泉と浴槽からサンプルを採取して分析するのが良いでしょう。それも予告抜きのぬきうち検査で。
たしかミシュランのレストランガイドも覆面調査員が定期的に実際のサービスをみて格付けにふさわしいレベルを維持しているかどうか厳しくチェックしていると聞きました。民間企業でさえ評価する側もされる側も努力をするのです。監督官庁が「適当にやっといてくれ、まかした」と言っていた今までが異常だっただけでしょう。
そうそう、温泉検査が適正に行われているかどうかのチェックも必要ですね。「豪華な接待をしたら許してやる」が横行したらいけませんから。
【ただいま読書中】
松田公太著、新潮社、2002年、1300円(税別)
タリーズコーヒージャパンを設立し3年で株式を上場した人の半生記です。「山の頂上を極めた(成功した)人の物語は人の参考になるだろうが、自分のように山の一合目にさしかかったところの人にしか書けない物語もあるはずだ」と著者は言います。
1995年に高校の後輩の結婚式でボストンを訪れた著者は、一杯3ドルもするテイクアウトのコーヒー店に行列ができているのを見て驚きます。「スペシャリティコーヒー」と呼ばれるそれを口にしてまた驚きます。著者がそれまで飲んでいたコーヒーとは別物だったのです。著者はスペシャリティコーヒー発祥の地シアトルで著者はコーヒーを飲み続けます。一日で50店舗を回って、その中で最高だったのが、タリーズコーヒーでした。著者はタリーズと交渉を始め、勤務していた銀行を退職します。背水の陣です。
著者は「単なる突撃野郎」と自称しますが、いやあ、まったくの成算なしの突撃ではありませんが、それでも「うわあ、すげえ」と言える人生態度です。ついにタリーズの会長を口説き落とし、一年限りではありますが日本での契約を結びます。
コーヒーに関してまったくの素人だった著者ですが、「突撃」を繰り返すことでついに銀座に一号店を開きます。7000万円の借金を背負って、まったく何の保障もない未来へ突撃していったのです。はじめは当然のように赤字でしたが、やがて名前が浸透し人が育ち、チェーン展開ができるようになります。
タリーズジャパンでは、「従業員」ではなくて全員が「フェロー(仲間)」と呼ばれるそうです。で、お互いをファーストネームで呼びあう。興味深いのは、アルバイトフェローでも研修で経営理念について学ぶこと。技術的なことだけではなくて理念も知らなければ、きちんとした仕事はできない、が著者の信念だそうです。マニュアル通りに動けばいいという「お気楽」な稼業ではなさそうです。何しろ著者は「お客さまを好きになれ。フェロー同士もお互いを好きになれ」と求めるのですから。これは著者が「自分が成功したのは“人との出会い”のおかげ」と感じているからかもしれません。単に商売が上手いだけでは、小さな成功は得られても大きな成功は無理だと著者は考えているようです。
事業を拡大する過程で著者は様々なネガティブなことに出会いそのたびに日本の行く末を心配します。いや、本当に日本はこのままで大丈夫なのか、と私も思うことがありますので、著者の思いに一部共感いたします。もっとも私は偏屈なので、著者がすべてをさらけ出したかどうかは判断を保留します。理念に基づいて事業を拡大していく過程でも、やはり表に出せないことはあるんじゃないか、と意地悪に思うのです。でも、そういったものがあっても、ともかく理念を掲げそれを現実化するための方法論を実践し、そして結果を出している著者の態度に私は賛同します。こんど首都圏に行ってタリーズコーヒーを見つけたら、一杯コーヒーを飲んでみます。私は影響されやすいのです。
「笑い」についての研究結果や本はたくさん出ていると思いますが、あえてそういったものを一切読まずに自分でその考察に挑戦してみます。我ながら、無謀です。
※まずは辞書で「〜笑」を拾い出してみます。
一笑・艶笑・歓笑・嬉笑・戯笑・嬌笑・苦笑・痙笑・言笑・高笑・哄笑・嗤笑・失笑・窃笑・絶笑・大笑・談笑・嘲笑・諂笑・破顔一笑・爆笑・微苦笑・微笑・媚笑・憫笑・放笑・目笑・冷笑・朗笑……あるもんですねえ。恥ずかしながら、意味や読みがわからない単語がちらほらと。ときどきこうやってことばを書きだしてみると、いかに日本語が豊かな言葉か(そして自分がいかに無知か)を改めて実感します。
ちなみに売笑ってことばもありますが、これは「笑い」ではないのでここでは省きます。
では分類に取りかかりましょう。
※まずは状況やカテゴリーによる分類です。
知的な笑い
感情的な笑い
感覚的な笑い
その他(儀礼や習慣としての笑い、分類困難なもの)
大体こんなところでしょうか。
※次は程度。
大爆笑から微笑や目笑まで、笑いの「大きさ」は様々です。
※そして性質。
上品〜下品まで、この分類を明確にするのは困難ですが、やはり下卑た笑いと気品高い笑いは明らかに別物だと思います。
で、以上がすべて組み合わされるとその「笑い」が表現できるはず……なのですが、これで何かがわかったつもりになってニヤリとするのは、野暮なのでしょう。
……あれれ、「野暮な笑い」って分類してなかったな。どこに入れましょうか。
【ただいま読書中】
P・L・トラヴァース著、林容吉 訳、岩波書店(岩波少年文庫)、1954年(88年39刷)、550円
ジュリー・アンドリュース主演の映画「メリー・ポピンズ」が私には強い印象を残していますが、本書でも前半の「メアリー・ポピンズの登場」「公園での散歩」「笑いガスのウィッグおじさん」「犬のアンドリューと会話するメアリー・ポピンズ」、それと映画で私が一番好きなエピソード「鳥の餌売りのおばあさん」あたりはなかなか上手に映画化されていると思います。
しかし、映画化されていない「星を探す赤牛」「決して忘れないと誓う赤ちゃんと悪態をつくムクドリ」あたりは、楽しい中に苦みと悲しみが忍び込ませてあって、こちらの心に何かが浸みてくるのがわかります。クールで暖かい、と言うとみごとに矛盾ですが、でもそのようにしか形容ができないメアリー・ポピンズとその物語、落ち着いてゆったりと楽しみたいお話です。
最近(と言ってももう20年以上前から)のファンタジーブームは、ハリウッド的というか北アメリカ大陸的というか、スケールの大きさや話の加速度などがウリのようで、それはそれでもちろん楽しいのですが、私は子ども時代になじんだイギリス的なファンタジーが大好きです。日常とつながった異世界、あるいはこの世界そのものの中にひそんでいる異質さ。そこにスポットライトがあてられそして消えていきます。それらの多くは子どもの視点から描かれますが、だからといってそれら優れたファンタジーの作者たちは「どうせ子ども向け」と手を抜いたりしません。大人が読んでも十分その価値がわかります。いや、むしろ大人が読んだ方がもっと楽しめるかもしれません。同時に、「成長によって自分は何を失ってしまったんだろう」と不安を感じてしまうかもしれませんけれど。
昨日とそれほど代わりばえがしない今日
昨日までずっと流れてきたように昨日から今日へと時は流れる
そして明日からも同じように時は流れていくだろうと人は期待する
何の根拠もなく
いつも同じようで、だからあらためて感謝もされない
でも、失われたときにその大切さは気かれる
失って初めて、人は気づく
【ただいま読書中】
新人物往来社 編、1994年、2427円(税別)
日本全国の個性的な美術館162館を紹介した本です。近く上京するのでまずは目次で東京を見ると、わずか二つ(永瀬義郎資料室、光が丘美術館)だけとは意外ですが、おそらく前著『日帰りでみるユニーク美術館』で多く取りあげられたのでこちらでは少なくなったのだろうと私は想像しています。
本書は26名の共著ですが、全体を貫く軸は「自分で行って考えたこと」「女性の目で感じたこと」だそうです。一館あたり見開き2ページの限られたボリュームですが、かけられた手間の膨大さには頭が下がります。
ぱらぱらページをめくると「へえ、こんな美術館があるのか」「あ、ここ、行ったことがある」「ここには行ってみたいなあ」と様々な感想を持ちます。
自分が行ったことがあって好きな美術館(たとえば、徳川美術館(名古屋)、東洋陶磁美術館(大坂)や大原美術館(倉敷))の項を見ると……大体こんな感じだろうな、と思えますが、大原では美術館の来歴に大きなスペースが割かれています。もちろんこれも重要な情報ですが、それが単独で放り投げてあるのではなくて(たとえば広島市現代美術館の項のように)美術館の周辺の描写と結びつくと紹介された世界がぐっと広がるはずです。限られたスペースの有効利用はなかなか難しいものです。
しかし、各地に本当に様々な美術館があるものです。おそらく本書に取りあげられていなくても、ユニークなものは日本中にもっともっとあることでしょう。ある日ある作品に出会って購入することでコレクターとなり、集めたものを人に見せたいという思いから美術館を作ってしまった、という「人生が変わりました」の話を読むと、美術品だけではなくて人も本来ユニークな存在なんだ、と思います。だったら、ユニークな人が作るユニークな作品が集まる美術館もそれぞれユニークなものにならざるを得ないでしょう。それが必然の結果です。どこにでもありそうな平凡な美術館って、存在価値は無い、と断言したら言い過ぎかな?
18日のNHK「クローズアップ現代」は「救急医療」。救急室で「防ぎ得た死」がある、というショッキングなオープニングに続いて、「防ぎ得た死」の実例・救急医療の現状の分析・「防ぎ得た死」を防ぐには具体的にどうすればいいのか、と盛りだくさんの内容でした。特に日本の救急医療には構造的な欠陥がある、という指摘はものすごく重たいものです。
現場で頑張っている実例として、チーム医療・救急専門医・分業(ERの採用)の三つの方法が紹介されました。ただ、「どれが最善か」を軽々に決めるのではなくて「その病院」「その地域」「その国」にどれが最善かを考えなければ、結局救急医療の改善は得られないだろうと思います。それと、コスト。どれを採用するにしても、医療コストは上昇します。チームや分業では人や設備を重点的に配備しなければなりません。専門医は訓練するためにコストがかかります。日本では医療費は「多すぎる」んですよね。だったら救急医療に関しても医療費は削るんでしょうか。
【ただいま読書中】
ロバート・カーソン著、上野元美訳、早川書房、2005年、2200円(税別)
すご腕のディープレックダイバー(ディープとは18メートル以上深く潜ることで、レックは沈没船(を探検すること))だったビル・ネイグルは、ダイバーのためのチャーター船の船長をやっていました。アル中となり深海へのダイブもできなくなっていたネイグルですが1991年にニュージャージー沖で70メートルの海底に撃沈されたUボートを発見します。ディープレックダイバーにとっては活動できる限界ぎりぎりですが、「宝の山」です。ところがどこを探してもこの潜水艦に関する記録が発見されません。このUボートは何者で一体何が起きたのでしょうか。
しかし、その謎を解く前に、深海の過酷さ・潜水に伴う危険がこれでもかと読者に示されます。60メートルの海底に太陽光線はほとんど届きません。沈没船の内部は真っ暗です。ダイバーはいわば「影」に向かって潜っていくのです。「窒素酔い」の危険もあります。水圧(10メートルごとに1気圧)に抵抗するためにダイバーは水圧に合わせて加圧された空気を吸いますが、そのために窒素が過剰に体液に溶け込んで、酩酊・麻酔作用がでます。視野は狭くなり判断力は低下し感情は過敏になりダイバーは容易にパニックになります(おそらく高圧の酸素毒性も加わっていることでしょう)。さらにこわいのは「減圧症」。過剰に溶けた窒素は圧が下がると(海面に向かってダイバーが上昇すると)気泡となり下手するとあちこちに詰まります(空気塞栓)。したがって、たとえば水深60メートルで25分過ごしたダイバーは、浮上するために1時間をかけなければなりません。もしもパニックや窒素酔いや事故でこの手続きを怠って一挙に浮上したら、永久的な障害、あるいは下手すると命を失う危険があるのです。
そういった「非常識」な世界では、たとえば普通のダイビングでは当然とされるバディシステム(危険を避けるため・非常時にそなえて単独では潜らない)も実は「常識」ではないのです。
図書館や資料館で資料をあさり、潜水艦の内部を調べればすぐに正体がわかると思っていたダイバーたちですが、いくら調査しても手がかりがありません。かれらは謎の潜水艦をU-WHOと呼びます。やがて、犠牲者が出始めます(巻頭の写真の中にも犠牲者のものが混じっています)。それでも、潜水艦の中に眠る死者に親近感を抱くようになったダイバーは、自分を危険にさらしながら潜り続けます。さらにダイビングに向かないオフシーズンにはアメリカの公文書館だけではなくてドイツにまで調査に出かけます。まるで海中に眠る死者たちにとりつかれでもしたかのように。沈没した潜水艦は内部に何人もの遺体を入れた墓標であり、同じ「海中の男」としてダイバーはその墓標にきちんと名前をつけ死者たちの家族に「あなたの息子さんは、ここに眠っています」と伝えたいと願ったのです。
調査の過程で「歴史の捏造」がいくつも明らかになります。公文書に記載された「ある特定のUボートはこの地点で撃沈された」という「明らかな事実」だったものが、調べていくと深海の影のようにゆらいでいくのです。
深海の影に向かって潜るダイバーたちは、歴史の影にも潜り始め、そして自分自身の心と人生の影にも潜り始めます。その過程で、スタイルの違いから憎み合っていたとも言えるチャタトンとコーラーは親友となり支え合うようになります。「おれたちはあきらめない」と言い交わすシーンは、そのまま映画にしたいほどです。
1997年、ついにU-WHOは艦名が特定されました。コーラーはドイツへ、遺族を訪ねる旅に出ます。
人が成長し、あるいはどんなにその装いを変えて生きていても、その人の影の色は変化しません。
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P・L・トラヴァース著、林容吉訳、岩波書店、1963年(75年分冊第1刷、87年分冊第11刷)、2000円
前作で「風が変わった」ためにふいとバンクス家から消えてしまったメアリー・ポピンズですが、突然思わぬ方向から戻ってきます。「もう二度といなくならないで」と懇願する子どもたちにメアリー・ポピンズはある約束をします。
前作と同じく、一切の説明をせず、苦々しく「ふん!」と言い、「自分は確かに不思議なものを見た」と主張してもあっさり否定し、不思議な知り合いが多いメアリー・ポピンズですが、この物語には「人生の真実」のかけらが散りばめられています。たとえば「不思議なものを見た」にしても、「見えている」のか「見えていると思っているだけ」なのか、メアリー・ポピンズの前では子どもは自分で決定しなければならないのです。風船を選ぶときには、自分で自分にぴったりのものを選ばなければならないのです(たとえ40年かかっても)。
と言っても、読んだ人はご承知でしょうが、硬い教訓譚集ではありません。きれいでファンタスティックなエピソードもたんとあります。
前作で登場したムクドリが再登場します。前作では双子に「裏切られ」て悲しい思いをしましたが、今回は生まれたての赤ちゃんに期待をつなぎます。赤ちゃんは素敵な話をムクドリに物語ります。でもまたムクドリは「裏切られ」ます。「ノアの箱船」と春の到来のお話も最後の回転木馬のお話も私は好きです。
メアリー・ポピンズに子ども時代に出会えたことを、私は自分の幸福の一つと数えます。その幸福を誰かに分けたいと思うのですが、私は誰かのメアリー・ポピンズになれるのでしょうか。
衆院補選の結果を「次回総選挙への影響を占う」とか言ってる人を見ますが、この「占い」、当たるんです? いや、総選挙の時に「直近の補選では○○だったから、その結果今回の総選挙は××になると考えられる」という文言をあまり目撃した経験がないものですから。枕詞や決まり文句じゃあるまいし、「『補選』→『占う』(あるいは、『政局への影響』)」と口ずさんでいるだけじゃないでしょうね。決まり文句で済むのなら、頭を使わなくて楽でしょうが、少なくともそれはプロの仕事ではありませぬ。
【ただいま読書中】
コリン・ブルース著、布施由紀子訳、角川書店、1999年、2000円(税別)
ホームズやワトソンはヴィクトリア時代後期の住人ですが、彼らが当時の最先端の科学的知識を用いて事件の解決に当たったらどうなるか、というパスティーシュです。実際には19世紀の科学だけではなくて、ちょっとズル(?)をして20世紀の科学知識も少しずつ登場してきます。物理学入門書としても使えそうです。数式も最低限しか登場しませんから私のような素人でも安心して読めます。
はじめはわりとシンプルです。たとえば当時「ものが燃える」ことに関して、「フロギストン説(物質に含まれているフロギストン(燃素)の放出過程が燃焼)」と「エネルギー説」が論争をしていました。「原子論」に関しても大論争です(「原子」というものが存在するや否や)。それらが本作では重要な「脇役」として登場します。ある程度科学史を知っている者には楽しくてしかたありません。
不思議な殺人事件や殺猫事件や事故に対して、ホームズとワトスン(とその他の人々)が、理論物理学を使って謎の解明を行う、という趣向です。登場人物も凝っています。アインシュタインのかわりに相対性理論を語るのが、マイクロフト(ホームズの兄)にチャレンジャー博士やサマリー博士。いやあ、楽しいなあ。さらに「光は粒子か波か」の論争から量子論まで登場します。いや、たしかにプランクはホームズと「同時代」ですから量子論が出てきても良いんですけど……でも、核爆発が登場するのはちょっとやりすぎでは? さらに、シュレディンガーの猫あたりの話題から話は認識論や決定論になっていき、事件は、というか、本書そのものが迷宮に入っていく趣になります。最後の超光速の話は、著者がいうとおり「これはSFだ」の世界です。頭の体操としては面白いのですが。
「何が正しいか(昔の人は間違っていた)」ではなくて科学史の立場から「19世紀の科学」と「20世紀の科学」を両方理解し、それにプラスしてコナン・ドイルの著作群のファンである、という条件を満たした人は本書をフルに楽しむことができるでしょう。逆に、19世紀の科学も理解していない人/コナン・ドイルって何者?の人には、無意味な本でしょう。評価はきれいに分かれると思います。
たとえば相対性理論がどこからともなく突然登場した新理論なのではなくて、19世紀の物理学の「集大成」として登場したことも本書から読み取れます。だからこそ、相対性理論があれほど「非常識」でへんてこりんなことを主張しているにもかかわらず、それを理解し支持する人がすぐに現れたわけですけれど。
そうそう、著者はコナン・ドイルの遺族にホームズやワトスンなどの名前の使用許諾を得ているそうです。細かいことかもしれませんが、こういった手続きをおろそかにしない人には好感が持てます。
おだてられて木に登った豚は、落ちた猿より立派かもしれません。最後の最後で落っこちなければ、ですが。それでも少なくとも、尻を上げずに地面で口だけ動かしているものよりは立派と言って良いでしょう。
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毛利衛著、朝日新聞社、1992年、1262円(税別)
1963年7月21日、高校生だった著者は授業をさぼって網走に出かけます。日の出直後の皆既日食を見るために前夜は野宿。そのとき見た体験が著者には大きなものとなったようです。
8人兄弟の末っ子だった著者の青春時代は、米ソの宇宙開発競争の時代でもありました。大学を卒業して国家公務員試験を受けますが、二次試験の日がアポロの月着陸と重なります。著者は受験を放棄してTVにかじりつきます。結局著者は大学院に進学し核融合を研究します。
1982年、北大の助教授になった年に、著者はちょっと変わった「研究」をしています。「車粉塵」です。スパイクタイヤで道路表面が削られていることを明らかにし、粉塵と腫瘍発生の関係を調べ、非スパイクタイヤの安全性を科学的に検証します。結局この仕事によってスタッドレスタイヤの開発が進み、大気成分分析でも新しい赤外線分析装置で大気中の粉塵と土砂を容易に区別する方法が開発されました。実験室にこもるだけではなくて著者は科学と環境の関係にも著者は興味を持ちます。
1983年、日本人宇宙飛行士公募が報道されます。その記事を読んだ瞬間著者は応募を決意します。応募したのは533人。笑っちゃうのはラマーズ法のエピソードです。選抜試験の時期にちょうど著者には3人目の子どもが産まれましたが、そのことで著者はラマーズ法の呼吸法を練習していました。候補が32人にまで絞られて第三次選抜試験で著者が乗せられたのが回転椅子。宇宙環境適応試験で、ぐるぐる回りながら指定の方向に首を振るのです。てきめん酔います。そこで著者はラマーズ法の呼吸を必死にやって最後まで耐え抜いたのでした(ほとんどの人は途中でギブアップでした)。人生で何が役に立つかはわかりません。7人の候補者は渡米しそしてついに著者は最後の3人に選ばれます。しかし、そこからが大変です。スペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発(しかもそれは著者の母親の訃報が届いた数時間後)。3人は宙ぶらりんの状態に放置されてしまいます。著者は自分の研究者としての「鮮度」を落とさないためにアラバマ大学に客員教授として入り、少しでも宇宙に近づこうと、同じ地にあるマーシャル宇宙飛行センターにもぐり込んで研究をします。
著者がペイロードスペシャリストとして宇宙に出てからの話ももちろん興味深いものですが、私は「その前」の方に心が惹かれました。スペースシャトルの窓から宇宙や地球を見つめたときに、そこに「何を見るか」は「それまでの自分」によって大きく規定されるのですから。
著者自身も「候補になってから実際に飛行するまでの宙ぶらりんの7年間が飛行した8日間に凝縮しているのではなくて、その前の30年間が凝縮していた」と語っています。
著者は「主体である自分を強く持つこと」「協調性を発揮すること」の、一見矛盾する二つの要素が自分にとって重要だったと考えています。運や人とのつながりも重要でしょうが、たしかに上記の二つは、宇宙飛行士に限らず、厳しい環境でぎりぎりの仕事を集団で行う場所では、どこでも重要な要素でしょう。その点で、著者の資質はまさに「ライトスタッフ」だったのではないでしょうか。
初の日本人宇宙飛行士選抜試験を近くで見ていた人が、当時のエッセーに「日本に、頭脳・身体・性格がここまでずば抜けて優れた人々がこんなにいて、しかも何の保障もない宇宙に挑戦しようと集まってくれるとは思わなかった」ととても嬉しそうに書いていたのを読んだことがあります。そんなすごい人がもっと増えて、しかもそういった人が居心地良く過ごせる国になってくれたら良いのですが。
「じゃ、○○で13時28分32秒に」と待ち合わせないのは、なぜでしょう? 「13時半に」と約束したって、13時30分00秒ぴったりに会うことなんてまずないのですから、適当にずらしても結果は同じことじゃないかと思うのですが。
……一度試してみようかな。妙に緊張して遅刻者が減ったりして。
【ただいま読書中】
村松秀 著、中央公論新社(中公新書ラクレ226)、2006年、860円(税別)
本書はNHK番組が書籍化されたものです。
2000年7月、国際合成金属科学会議で画期的な発表が行われます。高温超伝導でブレイクスルーがあったのです。実験の中心となったのはベル研究所の若干29歳のシェーン。彼は恐るべき速度で超伝導が可能になる温度をどんどん上げていき、論文を量産します。足かけ3年で、「サイエンス」に9本、「ネイチャー」に7本の論文が載りました。シェーンはあっという間の科学界の寵児となり、近い将来のノーベル賞受賞者と目されます。
※高温超伝導:工学系では超電導、物理の分野では超伝導と表記するそうです。絶対温度数度で電気抵抗がゼロになる現象を、それより高い温度(と言っても零下200度以下なんですが)で実現しようという研究です。
※ベル研究所:1998年までにノーベル賞受賞者が11名というとんでもない研究所です。ちなみに日本の科学分野でのノーベル賞受賞者は9人。
※「サイエンス」「ネイチャー」:科学者なら「一生に一本でも良いから論文が掲載されたらなあ」と願う科学雑誌の最高峰。
シェーンの方法は「有機物の上に薄い酸化アルミニウムの膜をつけ電圧をかける」という、トランジスタの有機物版のアイデアでした。世界中で(もちろん日本でも)追試が行われます。しかし追試はことごとく失敗します。有機物の専門家は酸化アルミには素人で、超伝導の専門家は有機物にも酸化アルミについても詳しくなく、学者たちは「自分の手技のどこが悪いんだろう」と頭を抱えます。世界中で、お金と時間と若い研究者たちのキャリアが消費されていきます。
シェーンの実験を目撃した人はいません。実験ノートはありません。試料はすべて捨ててしまったとシェーンは主張します。論文のグラフは異常にきれいです。しかし、「ベル研究所(および直属上司が超伝導の世界的権威であること)」や「論文がネイチャーやサイエンスに載った」という「権威」によって一度確立した「信頼」は揺らぎません。「確証バイアス」(心理学用語。自分が正しいと信じたことは、反例や反証が目の前に現れても、自分の中で理屈をつけて「これは正しい」と信じ続けること)によってシェーンは「スター科学者」「カリスマ」であり続けたのです。
それでも疑惑の声が少しずつ高まります。しかしそれは大きな声にはなりません。実験方法やデータへの疑問ではなくて論文そのものを否定することは、確証もないのに行えることではありませんし、下手したらベル研究所と訴訟沙汰です。さらに物理学の世界には、論文の内容に対して疑義を申し立てるシステムが存在しませんでした。
シェーンは「有機物に微量の異物を加えた上でアルミ膜を乗せる」方法で絶対温度117度(零下マイナス156度)を達成したと発表します。そこに有機物の専門家が疑問をもちます。有機物(ここではフラーレン)にそのような添加を行うと、結晶が安定しないはず、と直感したのです。さらにグラフの使い回しが発覚します。論文の量産が破綻を招いたのです。ついに調査委員会が作られます。論文は捏造と判定され、シェーンはベル研究所を解雇され論文は撤回されます。
私にはこれは「特定個人の問題」ではなくて「構造的なもの」に見えます(もちろん個人と環境(この場合は、ITバブル崩壊でベル研究所が「成果」を強く求めて過大なプレッシャーを研究者にかけていた)の要素も大きく関係してはいるでしょうけれど)。20世紀後半のアメリカ型(資本主義と成果主義に基づく)ビッグ・サイエンスは、「正直」「信頼」「同僚やライバルによる再現性チェック」に基づくかつての善良な科学とは変容しています。現在の科学のシステム(学会や論文審査)はその変容に対応し切れていません。「経済による科学の汚染」と言っても良いでしょうが、「問題」が存在するのは「経済」でも「科学」でもなくて両者の「関係」の中でしょう。そして、そういった科学を「汚染」するものには他に「国威発揚」なんてものも考えられます。
科学であれ他のものであれ、それを進めるのが人間である以上「正しいものだけで構成された世界」は望めないでしょう。だから「ミスに対して寛容である」ことは必要でしょう(実際、科学の大発見には「ミス」を追究することからもたらされたものが多くあります)。大切なのは、ミスと不正を峻別することでしょうが……さて、それが簡単にできたら良いんですけどねえ。
今回の高校での「必修科目をとってない」騒ぎですが、ちょっと前の耐震偽装問題と似ていますね。少なくとも以下の三点はそっくりです。
・厳しい決まりがあるが監督官庁は書類だけ整っていれば現場の実態には無関心。
・あとからあとから出てくる。
・問題の中心は偽装(芸術の授業をしていないのに、成績だけ与えられていた。必修科目(世界史)の単位が足りないのに卒業させようとしていた(させていた))。
解決方法は……やっぱり補習は必要でしょう。でないと「やり得」を認めることになっちゃいます。ただ、今するのではなくて、入試後にたとえばフルに1週間朝から晩まで世界史の授業(教師が不足するようなら、教員資格を持っている塾の講師などの臨時採用はできないのかな)。で、形だけでも簡単な試験をして合格したら卒業資格を与えるの。
しかし、「受験に無関係な授業はいらない」はかつて生徒のさぼる(あるいは内職をする)口実でした。それを学校が言っちゃっていいのかね。
【ただいま読書中】
今田節子 著、成山堂書店、2003年、1600円(税別)
子ども時代に、定期的に卓袱台の真ん中にヒジキと油揚げの炒め煮が主菜としてでんと置かれてうんざりした記憶があります。大皿に山盛りになった真っ黒な「物体」は、視覚的にはどうも美味しそうになかったもので。どこだったか、日を決めてヒジキを食べていた地域がある、と聞いたことがあるのですが、これはヨードの補充だったかな。
本書では「海藻」と「海草」は区別されています。前者は「隠花植物/葉状植物」で後者は「顕花植物/茎葉植物」。で、海藻は日本でよく食べられるが海草はあまり食用にはされないんだそうです。
日本周辺には1500種類の海藻が生えており、地域によって様々な採り方や使われ方がされています(いました)。食用としても、日常食や行事食、非常食(救荒食)がありますし、その他、貨幣の代用(物々交換)、贈答品、糊、トリートメント(髪のつや出し)、肥料、薬品などとして海藻は用いられていました。
著者は、日本の伝統食は昭和前半で破壊されたと考えているようです。一度は戦争で。戦後の高度成長期には「もっと美味いものを食べたい」という欲望と消費行動によって。結果、かつては様々な利用をされていた海藻は、今ではほんの一握りのものだけが食べられるだけになってしまいました。
コンブは中世には「若狭召昆布(わかさめしこんぶ)」と呼ばれ「高貴な方が召し上がるもの」でした。松前の昆布を若狭で加工していたのだそうです。江戸時代には祝いものに使う習慣ができ、明治から庶民にも利用が広がります。
ワカメは昆布と違って西日本に広く分布しているため、昔から日常的に食べられていました。
ヒジキはもっと庶民的です。細かく切ってご飯の増量剤など、日常的に利用されていました。
ノリは、天然物は採取に手間がかかるため、昔は貴重品でした。ですから、もう一つの貴重品である米と組み合わせた巻き寿司はハレの日の御馳走だったのです。
テングサは平安時代には「凝海藻 コルモハ 俗に心太(こころぶと)」と呼ばれていました。江戸時代のレシピでは、煮て流し固めたものを、生姜酢、醤(ひしお)汁、酢、砂糖、豆粉など様々なもので和えて食べていました。あるいは、醤、糟、梅しそ汁につけ込む調理法もあったそうで、江戸時代の人間はバラエティに富んだ味を楽しんでいたんですね。
「組み合わせ」も重要です。
コンブのグルタミン酸は鰹節のイノシン酸と組み合わされると旨味の相乗効果が出ます。50%ずつの混合で旨味はなんと7.5倍になるそうです。
大豆にはヨードの吸収を阻害する成分が含まれているそうです。そこで、ヒジキに大豆を組み合わせることで、蛋白質を摂取すると同時にヨード欠乏を予防する……というのは「先人の知恵」に対する科学の後付け理論ですね。そこまで精密に先人が理論を組み立てていたとは思えませんから。
現代は、ミネラルやビタミン、抗ガン作用、整腸作用などを求めて海藻を評価する向きもあるようですが、短期的な効用だけを求めるいびつな「ブーム」ではなくて、「海の環境」「海藻を食べる我々の現在の食生活」まで視野に入れて考えた方が、海藻も私たちも幸せになれるのではないでしょうか。
制服を改造して示すのは、個性ではなくて差異。
同じ制服を着て同じ髪型で並んでいても「あ、あの人は他の人とは違う」と示すのが個性。
【ただいま読書中】
欠田誠 著、晶文社、2002年、1900円(税別)
本書を読むと、様々な人が「マネキン」に関与していることがわかります。マネキン作家、モデル、ファッション・デザイナー(時にはある特定のマネキンを想定して服のデザインをする)、ディスプレイ・デザイナー(服の有無に関係なくマネキンをディスプレイする)、デコレーター(着付けの専門家)、メークする人(メークする人をメーカーとは言わないんですね。それはそうです、元々はメークアップだもの……一人漫才か?)。
島津製作所の標本部は、フランスから輸入されたろう製のマネキン修理を行っていました。大正14年(1925)「島津マネキン」が起こります。島津良蔵(島津製作所創業者の長男)は東京美術学校(現・東京芸大)を卒業してこの道に入ります。当時マネキンは「芸術」でした。1928年島津マネキンは京人形の作り方を参考に国産初のファイバー製マネキンを完成させます。現在のFRP樹脂製のマネキンが1959年に登場するまで、胡粉を塗っては紙ヤスリで磨く作業を何回も繰り返す職人芸によってマネキンは作られていました。一体一体手作業で仕上げられるマネキン人形……そのディスプレイは一体どんなものだったのでしょうか。
そうそう、数行上に京人形の話が出ましたが、最近の紙が素材のマネキンにはダルマの製法をヒントに作られたものもあるそうです。技術は使い回しが効くんですね。
1950年代はイージーオーダーの時代で、マネキンに着せた服を展示し客の注文で仕立て直していました。当然マネキンは大量に必要ですが、サイズはそれほどうるさいことを言われませんでした。それがプレタポルテ(既製服)の時代になると、マネキンは「既製服の標準サイズを着こなすこと」が条件となります。それによって劇的に変化したのがウエストサイズです。それまで50センチ以下だったのが一挙に10センチ太くなりました。1965年にミニスカートが発表され、こんどはマネキンの「膝」が注目されるようになります。
なお、現代の標準的な女性マネキンの身長は(ハイヒールを履いた状態で)167〜168cm、9号の服がきれいにフィットするプロポーションに作られているそうです。ちなみに足は23センチ(市販されている靴で一番たくさん出るサイズ)。マネキンが日本のどこの売り場に行っても靴に困らないようになっています。
1970年には、人間を「丸ごと」型取りする技術が出現します。数分でゴム状に固まる液体(海草から作られているそうです)を人間が入っている小さなプールに流し込むのです。この技術によって「その人そっくりで目を開けた状態のマネキン」が作られるようになりました(マネキンにとって目は重要なのです。義眼を入れているマネキンもあるそうです)。ファッションモデルや市中の普通の人がモデルとなり、とうとうそういった「リアルなマネキン」を集めた展覧会まで開かれました。著者が述べるとおり、マネキンは大衆的なアートなのです。二科展会員だった著者が彫刻を断念してまでマネキンに入れこんだ魅力が、本書を読んで(そして写真を見て)少しだけですがわかったような気がしました。これから街を歩くときには、マネキンにも注目してみようかな。
「憲法はアメリカからの押しつけだから拒否する」と「日米同盟は堅持するべき」が両立できるのはどうしてなんでしょう? 反米と頼米(アメリカ頼り)とが両立しています。と言うと「問題が別だから、是々非々だ」と言われそうですが、それって、親に頼って生きていながら口だけは達者に親を批判している子どもと似ています。
そういや「日本は十二歳」はマッカーサーでした(実際にはこれは部分引用の典型で、マッカーサーは日本の将来を楽しみにしているというニュアンスを含めていたそうです)が、日本は今でも「十二歳の民主主義」なんでしょうか。
ついでですが、私は日本憲法の改正には賛成です。ただしそれは「押しつけだから」ではなくて「今の世界情勢と将来の展望と憲法の内容を検討した上で」です。
【ただいま読書中】
マーティン・C・アロステギ著、平賀秀明 訳、朝日新聞社、1998年、2300円(税別)
第二次世界大戦中、各国は特殊な任務を機動的に果たす少人数の部隊を戦場で試しました。たとえばイギリスのSASは1941年に創設され、北アフリカ戦線でとんでもない作戦(30ノットの風の中を降下し砂漠を50マイル行軍)で「デビュー」します。62名降下して集合できたのはわずかに22名。しかし彼らが地上で破壊したドイツ軍機の総数は、同じ時期に空中で撃墜されたものを上回っていました。アメリカでは「乱暴な作戦なんだから乱暴者を集めよう」と軍の刑務所でリクルートが行われます(そんな映画もありましたね)。
戦後は冷戦の中で、テロとゲリラ戦が行われます。アメリカはベトナム戦争でグリーン・ベレーを活用しようとしました。さらにミュンヘンオリンピックでの惨劇が、各国での対テロ特殊部隊への熱意をかき立てます。SASはIRAとの「戦争」を行い、アメリカはSASを手本にデルタ・フォースを創設します。
各国の特殊部隊はまったく同じではありません。実際に戦う相手や主に戦う環境(都市か山岳か極地か……)で違った性格を持ちます。さらに人命に対する考え方も一律ではなくて、「テロリストはさっさと殺す」部隊もあれば「人命尊重、テロリストであってもまず(可能なら)肩を撃つ」部隊もあります。しかし、テロが国際的になるにつれて(ハイジャックがその代表)各国部隊は連携をするようになり、逆にテロリストの側も特殊部隊に対抗するための訓練や新しいテロ手段の開発を行います。その過程で、特殊部隊が用いる手段がテロリストとそっくりになってしまう皮肉な現象も見られました。
湾岸戦争では、特殊部隊と航空機/武装ヘリとの連携が大きな効果を上げました。イラクに潜入した特殊部隊が砂漠に巧妙に隠されたスカッドミサイルを発見し爆撃を正確に誘導することで、イスラエルへのミサイル攻撃は激減したのです。しかし、こういった「立体的な視点」を欠いた作戦では、悲劇が起きました。『ブラヴォー・ツー・ゼロ』(アンディー・マクナブ)はその一例です。
著者は訓練に同行し多くの部隊員にインタビューして、本書に臨場感と現実性を持たせています。SAS選抜試験で隊員が問われる「隠密作戦中に民間人に発見されてしまった。どうする?」という設問に対してどう答えるのが「正解」なのか(「さっさと殺す」と答えた人は落第、答え方によっては精神科に送られます)、そして現実にそういった場面に遭遇したときどう行動するか。湾岸戦争でもそういった場面があり「我々はSASであってSSではない」と見逃した部隊は、イラク軍に通報されて苦境に陥りました。しかし、それでも「無用の殺人はしない」(単なる殺戮マシンではない)が、少なくともSASの誇りではあるようです。
さらに「サッチャーが一緒に戦っている」も印象的でした。SASの実弾を使った訓練に政府高官もたとえば人質役で参加するのだそうです。マクナブの別の本だったかな、アメリカではそんなことはしないのか(政府高官と部隊の一体感がないのか)、とあきれたように書いてありましたっけ。
こうして、内なる誇りと過酷な訓練と実感できる形での上からの支援とが揃ったら、そこに登場するのは最強の特殊部隊、なのでしょう。逆にどれかを欠いたら、弱い部隊か強いけれど暴走しがちなならず者集団。それは困ります。欲しいのは戦果であって殺戮数ではないのですから。
私の知り合い(オンラインもリアルにも)にはなぜか障害者とその家族がけっこう高率に(おそらく世間一般の人の平均よりは多く)います。で、最近聞いたのが「障害を持つ子どもが成人になったのだが、これからどうなるんだろう」という話でした。
ちょっとだけですが情報収集をしたら、気持ちは暗澹としてきました。今の政府の方針は結局「重度の人は施設へ」「軽度は家族が面倒見ろ」のようです。しかし、障害によっては集団になじめないものもあります。家族と言っても……たとえば、あなたは就職したばかりの新入社員です。二人兄弟で兄(あるいは弟)が障害(施設に入所するほどの重度ではないが普段目を離すこともできない状態)を持っています。両親が突然亡くなりました。さて、あなたは兄弟の面倒を一生みられますか?
「在宅」で生活の場となる「家族」にだって、社会的強者もいれば弱者もいるのですが(財産・使える時間・コネ・健康状態などで社会的な強弱は変動すると私は考えています)、それを十把一絡げにして、何が解決するのでしょう?
「誰かが面倒見ればいいのだ(俺は知らない)」という大所高所からの一方的な押しつけは結局現場を不幸にするだけです。「じゃあお前がやれ(俺は知らない)」は無責任な放言です。「俺は知らない」をごみ箱に捨てることはできないのでしょうか。
現在の法律は「障害者の自立支援」という大義名分を掲げながら実態は家族への押しつけなのですが、少なくとも社会的弱者に押しつけるのだったら法律の内容を「障害者の家族支援」にするべきではないかなあ。障害を直す知恵を私は持っていませんが、家族を支援する知恵だったらいろいろ絞り出せそうな気がしますから。
【ただいま読書中】
上野正彦 著、角川書店、1999年、1300円(税別)
元東京都監察医務院長の肩書きを持つ人の著作です。
オープニングは「和歌山カレー事件」です。はじめは食中毒、ついで青酸中毒と発表されて、最後にやっと混入されたのが亜砒酸と確定できたのは事件から8日後のことでした。「カレーを食べた人が次々倒れた」ことから最初は食中毒を疑うも、そんなに早く食中毒が出るのか?という疑いから毒物が調べられましたが、そこで青酸反応が出たのが話を混乱させました。現場で行った青酸予備検査は青酸以外のものでも陽性を示すこと(偽陽性)がやたらと多いのです(だから続いての本試験が重要)。また「砒素による殺人」が近代日本ではほとんど知られていなかったことも検査確定を遅らせた要因でしょう(著者はいろいろ調べて、明治時代の一例(1896年横浜でベルギー公使夫人が夫を毒殺)をやっと見つけただけでした)。
現場を責めるのは簡単ですが、疑うためにはその知識がいるし、検査する場合もまず可能性が高いものからやるでしょうから(警察の捜査も医者の診断も、卑近な例なら迷子捜しも同じプロセスで進むと思います)、その場で直後に「砒素による毒殺」と決定できなかったことを私はあまり軽々に責めようとは思いません。
砒素・青酸・農薬・睡眠剤・一酸化炭素・トリカブト……著者が経験した事例が生々しく次々紹介されますが、私が感銘を受けたのは、毒殺ではなくて、ホテル・ニュー・ジャパンの火事の話です。著者らが検死をしたのは32体ですが、それぞれの死体がどんな状態で火事に遭いどんな死に方をしたのかを著者は詳細に読み解きます。そして、やっと一段落したかと思った翌朝、こんどは羽田沖での日航機墜落事故(24名死亡)です。その事故処理をしているところに、ホテルで焼死した人の家族が台湾からやって来て「遺族の承諾無しに解剖したのは許せない」と訴えます。さて、著者は遺族をどうやって納得させたか、は本書をどうぞ。
様々な毒殺事件だけではなくて、日本の検死制度が抱える問題も著者は鋭く提起します。何より行政がやる気がないのがいけない、と言っているようです。変死であってもきちんと調べられずに、本来は事件だったものがそのままうやむやになっていることが多いのではないか、それを防ぐことは死者の権利を守ることなのだから、年間1500万円くらいの予算を地方自治体はけちるんじゃない、と著者は言いたそうです。
「生徒に対する暴力はいかん」と言っている高野連が「暴力ではない、指導だ」という指導者に困惑しているそうです。
さて、どちらの主張が正しいのでしょう? その「正しさ」を科学的に評価する方法としては、対照群をおいての調査が良いでしょう。統計的に意味のある数のサンプルを二つのグループに分けて、一つは暴力あり、もう一つは暴力無し、で比較対照するわけです。調査項目は……なにしろ高校野球は「野球を通しての人間形成」だそうですから、野球の強さ・学業成績・近所の評判などが妥当でしょうか。(もしできたら、平手/拳/鞭/棒/ハンマー、くらいの比較検討もしてほしい)
次に倫理面の検討です。私はガチガチの「暴力反対」派ではないので(たとえば正当防衛としての暴力は肯定しています)、暴力の単純な否定はしません。ゆっくり検討をしてみましょう。
私は二枚舌は非倫理的な態度だと考えています。で、相手によって主張を都合良く使い分ける態度に乗っかった主張はそれだけでアヤシイ、とします。では「『上』の人間が『指導』するためなら殴って良い」という主張が正しいかどうかの検証です。もしこの主張が正しいのなら、この主張をする人のさらに「上」の人間から「お前の主張(暴力肯定)は気にくわない。態度を改めさせるために、殴るぞ」と言われたら「はい、どうぞ」とその「指導(殴られること)」を甘受しなければならないはずです(二枚舌を使わない限り)。しかし、監督や部長が高野連の人に殴られることを甘受するでしょうか? 私にはとてもそうなるとは思えません。
さらに、「鉄拳制裁をしてはならない」と鉄拳制裁をするのは、明らかな矛盾です。
ということで、倫理面で「野球の暴力指導」には大きな問題がある、が私の結論です。
鉄拳で理想的な高校球児が大量生産されるのなら、個人的には「無理が通れば道理が引っ込む」と呟きながら引っ込みますけど。
そうそう、新聞に時々「虐待ではなくてしつけだ」と言って幼児や乳児を殴り殺す人が登場しますが、筋骨隆々たる人々が「じゃあお前を躾けてやる」と握り拳を誇示しながらその人の回りをぐるりと取り囲んだら「ありがとうございます」とお礼を言うのかな?
【ただいま読書中】
小宮山博仁 著、農文協、1992年、1553円(税別)
四十年以上前、私の小学校では、塾に行っている生徒は本当に一握りでした。教室で彼らは「あ、これは塾で習った」「これも塾で習った」と言っていましたが、テストになるとあまりできないのが私には不思議でした(わははは、塾に行けなかった私は意地悪なのです)。
著者は塾を四つに分類します。進学塾(進学が目的)・補習塾(学校の授業を補習)・総合塾(進学も補習もする)・救済塾(落ちこぼれた子が対象)。世間で目立つのは駅前の大きな進学塾ですが、実は「それ以外」も多いのです。
塾のタイプ、地方による差、生徒のタイプなど、著者は詳しく論じますが、私が面白く感じたのは受験に関する「有名大学に行くなら都立よりは私立高校」「高校の受験戦争は激化してきている」「チラシの合格者数が多い塾は優秀」といった世間の「常識」は根拠を欠いている場合がある、と実例をあげてあるいは数学的に分析しているところでした。また、進学塾は(1991年に数の上では)2割であることも私にはオドロキでした。大手が多いので生徒数ではまた話が違ってくるでしょうが、進学だけを目的としない地元密着型の塾は意外に多いのです。
中学受験が激化した理由は、「有名大学に合格者が多い学校」の多くが中高一貫にしているからです。そこに小学校の成績上位者が集中するため、少しでも差をつけるために「大学生でも解けない問題」が中学入試で出されるようになり、進学塾での「訓練」が行われるようになりました。また、公教育への不信や、エスカレーター式に大学に入れることも受験の動機となっています。
1970年と1991年を比較すると、小学校の教科書は薄く内容は易しくなっていますが、中学入試問題のレベルは上がっています。つまり、小学校の教育内容と中学受験問題のギャップが拡大しているのです。これが「進学塾が流行る理由」だと著者は指摘します。
塾の選択で重要なのは、行く目的・本人の学力・性格(と塾との相性)です。そのどれがミスマッチでも本人が不幸になりますが、著者が「塾で学力が伸びる」ために一番重要と考えているのは「性格」です。また、学校の授業をおろそかにする生徒は成績が伸びません。さらに親の心構えも重要です。
しかし、塾経営に関するあけすけな話を読んでいると「ここまで書くのか」というか「ここに書けないのはもっとすごい話なんだろうな」というか、胸中は複雑になってしまいます。
本書はまだ文部省が塾(進学塾)を目の敵にしていた時代に書かれたので、学校と塾の「敵対関係」に関する記載があちこちに登場します。しかし本書の出版後、文部科学省は塾を「目の敵」にするのをやめるように方針変更をしたはずです(私の記憶によれば)。それどころか、最近の報道のように、あちこちの高校が進学塾のような授業になってしまいつつあるわけで……このままだと「学校では教えてくれない、豊かな人間性」のための塾が登場するのも近い将来の話かも。
しかし、社団法人全国学習塾協会を管轄するのは文部省ではなくて通産省(1991年当時)だというのは……今はどうなっているんでしょう?