07年01月
 
1日(月)今年の抱負(小さな野望)
 あけましておめでとうございます。
 大それた望みは持っていませんが、今年も読書日記は続けたいと思っています。もしできることなら「この図書館にはもう読みたい本がほとんど無い」と言えるくらい図書館をしゃぶり尽くしたいな。
 
【ただいま読書中】
たのしいムーミン一家』(ムーミン全集2)トーベ・ヤンソン著、山室静訳、講談社、1990年、1456円(税別)
 
 ムーミン谷の住民たちが冬眠を始めるところから本書は始まります。で、春。目覚めてさっそく探検に出かけたムーミンたちは、不思議なシルクハットを見つけます。クロヒョウにまたがり「ルビーの王様」を探して太陽系中を飛び回っている飛行おにが落っことしたもので、中に入ったものを全然違う形に変えてしまう魔法の帽子だったのです。一家はそんなことは知りませんから、屑籠にしてごみを捨てたり、隠れんぼでムーミンが中に入ってしまったり、とんでもない騒動が起きます。(しかし、ジャコウネズミの入れ歯は、一体何に変身したのやら……)
 夏には帆船で冒険に出かけます。ついたのはニョロニョロの島。嵐に襲われ、雷でニョロニョロは光り、そしてスノークのお嬢さんは自慢の前髪をなくします。スノークは金鉱を発見しますが、ムーミンママは言います。「小さいのは貧弱だから大きいのだけ花壇のふちかざりに使ったらいいと思うの」。きっと輝くようにきれいな花壇になるでしょうね。
 小さなトフスランとビフスランの夫婦が大きなスーツケースを持ってムーミン谷にやってきます。あたりを凍らせる化け物モランが二人の後を追跡してきます。モランはスーツケースの中身が自分のものだと主張します。スノークは裁判を開き、そして上手い解決法が見つかります。
 スナフキンが旅立ちます。「ひとりだけでやる、さびしい」計画を実行するためです。物を所有しようと思わず孤独を愛するスナフキンが「自分らしい生活」に嬉しそうに向かうのをムーミンは止められません。寂しそうにしているムーミンを慰めようとトフスランとビフスランはスーツケースの中身を見せます。それはルビーの王様でした。
 月面で探査中だった飛行おにがルビーの王様の輝きを見つけてムーミン谷にやってきます。他人の願いなら何でも叶えてやれる魔法の力を持っているのに、自分のためには変身能力しか使えない飛行おには、トフスランとビフスランから無理矢理ルビーの王様を取り上げようとはしません。トフスランとビフスランはルビーの王様を手放したいとは思いません。ではどうしたら良いのでしょうか。
 
 季節は秋、もうすぐ冬になります。
 
 不思議な味わいの、良い話です。深読みをしたらいくらでもできそうです(文明論、社会学、心理学などの論文のネタにいくらでもなりそうです)。だけど、私は最後に、登場したすべての存在とともに、ただニコニコしていたいな。
 
 
2日(火)二酸化炭素
 かつて私は温泉をバカにしていましたが、実際にいろいろつかってみるとたしかに温泉によって効果に差があります。ただ、同じ温泉につかっても違う効果が出ることがあるので(前回はものすごく体が温もったけれど今日はすごい空腹感、とか)、どこまで客観的な評価が可能かにはまだ懐疑的です。
 で、今興味を持っているのが炭酸泉。二酸化炭素の泡がぶくぶく出る温泉につかってみたいのです。市販の入浴剤でもバブなどがありますが、天然物とはたぶん違うだろうと根拠無く思ってます。で、私が解明したいのは、もし炭酸泉が効能を持っているのなら「何」が効いているのか、です。「二酸化炭素」が効くのなら、それは泡の形でなのか、あるいは重炭酸塩のような形で溶けていても効くのか、「泡」が効くのなら二酸化炭素以外の、たとえば酸素の泡でも効くのか。そのへんの比較試験だったらけっこう科学的にできそうに思います。どこかで研究してくれないかなあ。被験者にだったら、喜んでなりますよ。
 
【ただいま読書中】
ピタゴラ装置 DVDブック(1)』 NHKエデュケーショナル 企画・制作、慶應義塾大学佐藤雅彦研究室+ユーフラテス 編集・執筆、小学館、2006年、2800円(税別)
 
 マイミクのぺんさんがレビューされているのを読んで興味を持ちました。ただ、19分のDVDと薄い本にしては値段が高いと思っていたのですが、Amazonで約600円のディスカウント。数日悩んで注文ボタンを押しました。その数日の遅れのせいか、宅配便が届いたのが元旦の午前中。すみません、正月早々お仕事をさせてしまって。
 
 NHK教育テレビの幼児番組「ピタゴラスイッチ」で流されている「ピタゴラ装置」だけを集めたDVDブックです。たとえば机の上から出発した小さなボールが、様々な試練や妨害を乗り越え、あるいは別のボールに使命を託し、とうとうゴールにたどり着く、という映像です。
 昔のアメリカのアニメ(たとえばディズニーのTV用のとか、「トムとジェリー」とか)で、目覚まし時計を一つ鳴らすために部屋中にはりめぐらした装置が次々連動して稼働するようなばかばかしいものがよく登場していましたが、まさかそれを実際に作るとは、というのが正直な感想です。でも、よく考えられています。一つの装置の稼動時間は一分もないものばかりですが、アイデア出しから試作・製作・微調整に、ものすごい手間と時間がかかっていることでしょう。
 実際に使われているのは、そのへんで手に入りそうな日用品や文房具やおもちゃです。これだったら自分でも作れるかも、と思ってしまいます(実際に、精度を落としたものだったらできそうの思えます)。
 
 映像を流し始めると、ぼーっと見入ってしまいます。なんだか妙な魅力があります。精密に設定された装置がきちんと次々動くのに見入るのは一種の快感です。それと同時に「音」が重要なことに気がつきます。ボールが転がる音、何かにぶつかる音、それらがすべてきちんと聞こえます。洗濯ばさみにボールがぶつかるときに、洗濯ばさみの材質によって音が違います。ボールの動きだけではなくて、この音でも十分遊べそうです。
 カメラマンの腕の良さもよくわかります。ボールの旅にはストーリーがあるのですが、それを過不足なくしかもネタバレしないようにきちんとピントを外さずに撮影しているのは、やはりプロの技でしょう。少なくとも私にはできません。
 
 そうそう、私が一番気に入ったのは「矢文」です。出発地点にぴゅっと戻るあの「転」と「結」がたまりません。
 
 
3日(水)お風呂
 大草原の小さな家に、お風呂はあったんでしょうか? もしお風呂があったとしたらどのくらいの頻度で入浴していたのでしょう? 水道はないから水を入れるのもお湯を沸かすのも大変ですよね。顔もちゃんと毎日洗っていたのかな。
 私の親は、井戸水を汲んで薪で焚く生活を知っていますが、それはそれは大変だったそうです。今の私がそれをやれと言われたら、入浴頻度を極端に落とすことで対応しそう。垢で人は死なないけど、筋肉痛では死ぬから(死なないかな?)。
 
【ただいま読書中】
清潔文化の誕生』スーエレン・ホイ著、椎名美智訳、紀伊國屋書店、1999年、3000円(税別)
 
 アメリカの中流階級以上の家庭で目立つのは清潔に対する固執です。ぴかぴかに磨きあげられた家の中、真っ白なタオルとシーツ、きれいに磨かれた歯…… しかし、19世紀初めにアメリカを旅したイギリス人は「人々は垢にまみれ獣のような生活をしている」と描写しました。悪臭が漂い蚤しらみ南京虫がうようよする環境に人々は暮らし、石鹸は使わず顔は洗わずシーツも取り替えない生活だったのです。その「不潔な国民」がどうして今のような「清潔志向」に変わったのか、本書ではその歴史を追います。
 
 「1850年」がキーワードとして登場します(この前読んだ『塩の世界史』でもこの年が象徴的に扱われていましたっけ。西洋世界が大きく動いた年なのでしょうか)。この頃「衛生」をターゲットとする社会改革運動家が出現し、それまで「天罰」とされていたコレラなど流行病を「不衛生が原因の病気」に認識を改めさせつつありました。クリミア戦争(1854〜57)でナイチンゲールが病院の衛生環境を改善することで兵隊の死傷率を劇的に改善したことがアメリカでも評判となります。そして1861年南北戦争の勃発。クリミア戦争を参考として、アメリカ衛生委員会が活動を始めます。衛生概念など欠片もない義勇兵たちにそれをたたき込もうというのです。自分のテントのすぐ脇で排便し一年間入浴しないのが普通で着た切り雀だった新兵たちは少しずつ“教育”されていきます。そして戦争後、復員兵たちは自分たちの故郷で「衛生」を実践するようになりました。
 1893年の万博を機会に、シカゴでは街ぐるみでの衛生運動が行われます。道路は清掃され放置されていたゴミは回収され焼却されるようになりました。万博会場にはなんと3000カ所も水洗便所が設置されました(1889年パリ万博では250カ所)。いつのまにか「衛生」は、病気に対する自衛のための“戦い”から、社会運動あるいは一種のイデオロギーへと性質を変えていきます。
 「衛生」は中流階級以上では現実的でしたが、貧困層では「贅沢」でした。風呂や水洗便所どころか、石鹸さえ買えない生活だったのです。貧困層の一大勢力、移民はまだマシでした。努力して地位が向上したら新しい地区の衛生設備のあるアパートに移動できたのですから(移民は、白人中流階層の清潔習慣を受け入れることによって、自分をアメリカに受け入れてもらおうとしました)。しかしアフリカ系アメリカ人は俗にブラックベルトと呼ばれる貧民街から移動することができませんでした。
 20世紀初め、衛生教育は学校だけではなくて企業でも(労働倫理と抱き合わせて)行われました。こうして「清潔」はビッグビジネスにもなりました。商品広告だけではなく、「襟がきれいな人間は出世できる」というフレーズが社会で喧伝されます。もちろん、大量生産された衛生製品(石鹸など)を大量販売するためです。いつしか「清潔」は強迫観念にもなっていきました(たとえば「口臭恐怖」)。個人が健康になるためではなくてこの社会(中流以上の人々で構成された社会)に受け入れてもらうために「清潔」が必需品となろうとしていたのです。そしてそのうねりは、都会から田舎に波及していきます。
 しかし……「清潔は快適で必要なものだが、清潔であらねばならないと強迫的に思うのはビョーキと紙一重」と著者は述べますし、私も同感です。
 
 本書には面白い指摘が豊富にあります。たとえば、18世紀のアメリカでは「汚さこそが健康のしるし」と本気で信じられていた(元気な子は外で汚れ放題で遊んでいる、がその根拠)/「白」が清潔のシンボルとなってしまったため「黒」は不潔の象徴となり、それが人種差別を強化する一因になった/社会運動としての「衛生」は環境美化運動から「国を清潔にする」思想となり、『沈黙の春』(レイチェル・カーソン、1962年)によって環境保護運動が燃え上がった/アメリカの歴史では女性の果たした役割が常に過小評価されてきた……
 題材も切り口も他とは一味違うアメリカ史です。
 
 
4日(木)蚊帳の作法
 昨日の日記へのコメント(五右衛門風呂)から、私は、思いっきり季節はずれですが、蚊帳を思い出しました。昔の家には網戸なんか無いですから、人間が網の中に閉じこもって寝ていたんです。で、入り方にコツがありました。めくって悠々と入ると虫も一緒に入りますから、ぱんぱんとたたいてとまっている蚊が「なんだなんだ」とびっくりして逃げ出した隙にすばやく体を蚊帳の中に入れるのです。それでも上手く中に紛れ込んだ蚊がぶーーんと飛ぶ音が耳についたり、寝相が悪くて体が蚊帳にくっついたり外にはみ出たらてきめん食われたりしましたっけ。ブタの容器に蚊取り線香を焚いていましたが、あれはどこまで効果があったのやら。
 
【ただいま読書中】
わっ、ゴキブリだ!』盛口満 著、どうぶつ社、2005年、1200円(税別)
 
 あまり普通ではない(蝶やトンボには興味がなかった)昆虫少年だった著者は、ゴキブリが大嫌いな人々(普通に存在していますね)とゴキブリ大好き人間との出会いによって日本のゴキブリに興味を持ちます。
 
 ではここでクイズ。「ゴキブリ、ダンゴムシ、カニ、クモ、ムカデ、サソリを4つのグループに分けよ」 ヒント:この6種類の生物はすべて節足動物です。で、甲殻類・多足類・蝶形類・昆虫類の4つに分類されます。正解はこの日記の末尾に。
 ちなみにゴキブリは古生代石炭紀(3億年前)に出現してます。そして日本に住みついているゴキブリは52種類(ついでですがイギリスは8種類。寒いところは苦手な虫だからかな)。さらについでですが、世界中ではゴキブリは約3700種類で、その内屋内性のものは十数種類。他はすべて野外に住んでいます。日本でも屋内性のものは10種類くらいです。著者は屋内性を家ゴキ、野外性を野ゴキと勝手に分類していますが、著者にとってゴキブリは「家に住むこともある野生動物」です。
 沖縄に住むようになった著者は、沖縄がゴキブリ天国であることを発見します。なんと24種類ものゴキブリが発見されているのです。著者はゴキブリ大好き青年のスギモト君と共に「一日でどれだけのゴキブリを発見できるか」プロジェクトを開始します。生息環境(都市部、耕作地、森林)と発見しやすい時間とを組み合わせて、アヤシイ二人は活動を開始します。いや、普通の昆虫採集なんですけどね、対象がゴキブリだとどうして「アヤシ」くなってしまうのでしょうか? 朝から晩まで活動して、二人は結局18種類のゴキブリを採集します。大成果です。
 ゴキブリにも天敵がいます。アシダカグモとヤモリです。ところがアシダカグモはヤモリに食われるので、この食物連鎖はちょっと複雑です。また、ゴキブリの卵に寄生するゴキブリヤセバチもいます。さらに冬虫夏草も。これは昆虫に寄生して殺してその養分で成長するキノコ(取りつく虫によって種類が違い、世界で400種類くらい知られています)ですが、中にはゴキブリにつく冬虫夏草もあるのです。ヒュウガゴキブリタケと仮称されていますが、それをきちんと学会報告するために冬虫夏草専門家によるサーベイが行われ、著者はそこに参加します。これも何だかアヤシイ探検隊です。森林や沢筋をたどって朽ち木を見つけたらそこでゴキブリの死体を探すのですから(ヒュウガゴキブリタケは朽ち木を食べるゴキブリに寄生するのです)。
 昆虫にカビが生えることはよくありますが、たとえば家ゴキの代表であるワモンゴキブリは、パラ・クレゾールとパラ・エチルフェノール(つまりは消毒薬)を分泌するので菌がつきにくいのだそうです。家ゴキを退治するために冬虫夏草の胞子をばらまくのは、まだ有効な手段とは言えないようです。
 もちろん「ゴキブリを食べる」話も登場しますが、「普通の虫の味」だそうです。「普通の虫の味」って??? 私は長野の蜂の子とか、味つけした虫しか食べたことがないので、素焼きの「普通の味」を知らないのです。どんなんだろ?
 
 地域によって住んでいるゴキブリは異なっていますし、家によっても住んでいるゴキブリは違います。どんなゴキブリと一緒に暮らすかは人間が選択することが(一緒に住まない、という選択も)可能です。ただ、著者に言わせれば「ゴキブリは人間が共存できる最後の“自然”」で、自然を完全に排除した生活が人間にとって“自然”なのかどうかは、ちょっと立ち止まって考えても良いかもしれません。
 
 ……しかし、「普通」って、何? ゴキブリを嫌悪するのが「普通」ですよね。それが本書を読んでいるとちょっと(ちょっとだけですが)疑問に思えてきます。
 
*クイズの答:(ゴキブリ)(ダンゴムシ・カニ)(クモ・サソリ)(ムカデ)の4グループです。ダンゴムシが甲殻類というのはちょっと納得いかないんですけどね。
 
 
5日(金)管理
 「好ましい日本語」コミュニティの副管理人になりました。昔NiftyServeで3つのフォーラムで管理スタッフをやっててその内2つではSubSysOp(つまりは副管理人)だった経験があるのでそれほど緊張はしませんが、NiftyServeとmixi(インターネット掲示板)では技術的には相当違いますから、経験が役に立つのはあくまで精神的な部分にだけです。大きなコミュニティなので荒れたらえらいことになりますから気は抜けません。
 
 「管理」って、するのもされるのも幸福とは縁遠いですよね(する側にもされる側にも管理が大好きな人が大勢いることも知っていますが、そういった人が幸福そうな顔をしているとは私には見えないのです)。人の首に縄をつける作業も時と場合によって必要ですが、その場合でもできるだけその縄は長くしておきたい(動ける自由度を多く確保したい)、が私の人生の基本態度で、これまでそうやってきたし、たぶんこれからもそうやっていくだろうと思っています。もちろん、明らかな規約違反発言にぬるい態度を取る気はありませんけどね。
 
 
二二二二二
 mixiからメールが来ました。
「記念すべき22222アクセス目の訪問者は ぷとり さんでした!」
 こいつぁ春から縁起が良いや、ですね。
 
 こんどから「ふふふふふぷとり さん」と呼んであげましょうか?(^_^;)
 
 
6日(土)寂しいクリスマス
 昨年末ネットをうろうろしていると「寂しいクリスマス。なんとかしなきゃ」といった表現があちこちで見受けられました。クリスマスに行事を無理に入れてにぎやかに過ごしたとかね。でも大丈夫ですよ。寂しいのはクリスマスだけじゃなくてその前後もなんですから……って、これじゃ慰めにも根本的な解決にはならなかったですね。
 
【ただいま読書中】
『スカイ・マスターズ 』デイル・ブラウン著、伏見威蕃 訳、早川書房、1993年、1748円(税別)(上下巻とも)
 
 本書は執筆当時(1990年頃)から見た近未来(1994年)を想定しています。
 南シナ海の南沙諸島は周辺六ヶ国(中国、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、台湾)が領有を主張しており「アジアの火薬庫」の別名を持っています。その中立地帯で中国軍とフィリピン軍の衝突が起きます。アメリカ軍がフィリピンから完全に引き揚げて軍事的な“空白地帯”が生じた直後のことでした。
 アメリカでは、衛星からの支援を受けるステルス(レーダーで見つけにくい)爆撃機Bー2と電子管制や対空防御機能を持つよう改造されたBー52爆撃機との組み合わせで空軍の変革が起きようとしていました。著者の処女作『オールド・ドッグ出撃せよ』で登場した人たちが新兵器の開発に従事しています。
 南沙諸島での衝突は拡大し、ついに核爆発が起き、中国軍が「フィリピン政府の要請」によってフィリピンに駐留します。どさくさでフィリピン大統領は暗殺され、アメリカは中国に撤退せよと強硬に迫ります。中国は核爆発はアメリカの陰謀と返し、ASEANの対応はまとまりません。
 
 と、ここで私の視線は一瞬立ち止まります。大統領とそのブレーンたち、ASEAN各国の対応……あまりに単純すぎません? 著者の意図が「ものすごいハイテク兵器が大活躍するストーリー展開」であることは明らかですから、“そうなる”ようにストーリーを組み立てるのは当然としても、ちょっとこれでは話が平板すぎます。もうちょっと矛盾や葛藤や妄想で引き裂かれる人が登場しても良いんじゃないかなあ。そのかわりでしょうか、兵器についてはまことに詳細に書き分けられていますけど。いや、人を書き分ける努力を著者がしていることはわかるのですが、それがストーリー展開に効いているとは言えないのが残念なのです。『オールド・ドッグ』よりは人のバラエティが増しているとは言えるでしょうけれど。
 
 で、また話に戻ります。フィリピンでは反政府ゲリラをやっていた共産主義者が中国軍進駐によって我が家の春を謳歌し、かつてマルコス政権にレジスタンスをやっていたイスラム教ゲリラたちが「正統フィリピン」の旗を掲げてレジスタンスを展開します。そして手をこまねいていたアメリカに絶好の“口実”が与えられます。中国軍から逃げていた第二副大統領(イスラム系)から救援要請が来たのです。フィリピン近海でアメリカ軍と中国軍の衝突が始まります。
 一番近い陸上基地は沖縄かグアム、空母は諸般の事情でフィリピンに近づけない、となりますので、著者の要望通り空軍が活躍するしかありません(潜水艦はどうなったのか、とは聞かないでください)。B−52戦略爆撃機が囮として中国軍を揺動し、別のB−52の編隊、あるいはステルスのB−2(やB−1)がその隙をつきます。戦術も面白いですね。リアルタイムで戦略マップを得てそのデータによって巡航ミサイルを発射(目標はでかい艦船です)。同時に爆撃機から対艦ミサイルも多数発射。さらに対レーダーミサイルも混ぜます。巡航ミサイルや対艦ミサイルを撃ち落とすためにはレーダーで目標をロックオンしなければなりませんが、そうすると対レーダーミサイルの餌食です。これまたタチが悪いことに、対レーダーミサイルは二種類あって、一つは超音速で真っ直ぐに突っ込んでくるので回避がほとんど不可能です。それを避けるためにレーダーを封止するとこんどは対艦ミサイルなどの餌食になります。では、たまにレーダーを使ってすぐに停止、としようとすると、こんどは二種類目の対レーダーミサイルが出てきます。こいつは「最後にレーダーが発信された地点」の近くをしばらく低速(亜音速)でうろうろしていて次にレーダーが発信されたらそこにロックオンする、という困った奴です。つまり中国軍艦はレーダーを使っても使わなくてもミサイルの脅威にさらされるのです。あと残された手段は、目視などでミサイルを見つけて撃ち落とすか、機関銃弾を周囲全天にばらまいてミサイルに命中することを祈るか、です。ところがアメリカ軍は機動機雷とでも言うのでしょうか、船の移動を感知して発射する魚雷ポッドも海にばらまきます(戦後に掃海が大変でしょうねえ)。
 劣勢に立った中国軍司令官は、アメリカ軍の攻撃が続くなら核を使用すると脅しをかけます。それに対してアメリカ軍は……
 
 頭を空っぽにして新兵器の大活躍を楽しむには良い小説です。「戦争はゲームとは違う」はちゃんと作中にも明言されていますから私は改めてそのことには触れないことにしましょう。
 
 
7日(日)天使の階段
 昨年のいつだったか、図書館をうろうろしていて、月着陸はなかった、という主張の本をたまたま手に取りました(借りなかったし以後本棚で見かけないのでタイトルは失念)。ぱらっと開けてみてあまりに下らないのですぐ書棚に戻しましたが、その最初あたりに載っていた「月着陸はなかった」証拠写真が「二人の宇宙飛行士の影が平行になっていない」ものでした。「太陽光線は平行光線だから、影は平行になるはず。二人の影の角度が違うのは複数の光源があるからで、それはつまりスタジオ撮影の証拠」が著者の主張なのですが……
 著者は「天使の階段」を見たことがないのかな、が私の感想です。
 ご存じの方には不要な説明ですが、「天使の階段」は雲間からサーチライトのように太陽光線が地上に到達している光景で、複数の“サーチライト”がある場合それは明らかに平行には見えません。その画像はたとえば……
http://tigaku.com/kisyou/syasinkan/kaidan.html
 古代エジプト人はこの天使の階段からピラミッドを構想したのではないか、という説もあるそうですが、とにかく「三次元を二次元に投影して人の視線にさらしたら、平行なものも平行ではないように見えることがある」わけです。もっと身近な例なら、踏切の途中で直線線路の間に体を置いたら、遠近法で線路は遠くで交わる(平行ではない)ように見えますよね。
 身近なものをきちんと観察する人間にとっては噴飯ものの主張を平然とする人がこの世にいる(そしてそれを真に受ける人もいる)、ということは覚えておかなきゃ、と思います。できたらその本を見つけてここできちんと感想を書きたくなったので、図書館の書棚のサーチは継続します(わざわざ身銭を切って買う気にはなれません)が、「またつまらぬものを切ってしまった」になるのもトホホなんですよねえ。
 おっと、もう一つ。「影が平行でないのは複数の光源があるから」が本当なら、影も複数生じるはずです。この本ではもちろんそのことに関しては無視(あるいはわかっていても口をつぐんでいる態度)でした。なんだか不誠実な匂いがぷんぷんと。ぷんぷん。
 
【ただいま読書中】
ムーン・ショット ──月をめざした男たち』アラン・シェパード/ディーク・スレイトン 著、菊谷匡祐 訳、集英社、1994年、2816円(税別)
 
 1957年ソ連は人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功しました。アメリカはショックを受けます。科学技術に関して二流国とみなしていたソ連が自分の上を行ったことでメンツがつぶされたと同時に、ソ連がアメリカ本土を攻撃する手段(大陸間のミサイル)を手に入れたことを知って恐怖も感じたのです。地上からスプートニクを複雑な思いで見上げる人の中に、アラン・シェパード(海軍大学の学生)とディーク・スレイトン(優秀なテストパイロット)が含まれていました。
 ドイツ敗戦後アメリカに渡ったものの冷遇されていたフォン・ブラウン博士たちのチームにやっと活動の場が与えられました。アメリカ最初の人工衛星が打ち上げられ、そして最初の宇宙飛行士候補が7人選ばれます。その中にシェパードとスレイトンもいました。アメリカは熱狂の渦に呑み込まれます。彼ら7人は宇宙に飛び出す前から“ヒーロー”であり、マスコミは彼らと彼らの家族に向かって大波となって押し寄せます。「人は宇宙空間に肉体的・心理的に耐えられるのか」が大いに議論されていた時代です。「宇宙に行く」は人の想像を超えた大冒険でした。
 ソ連は人類初の有人宇宙船でガガーリンを打ち上げ地球を一周させます。アメリカは後追いでシェパードをマーキュリーで打ち上げますが、これは弾道飛行で大気圏外の飛行は5分間だけでした。業を煮やしたケネディ大統領は有名な「1960年代のうちに月に着陸し地球に戻す」演説を行います。スレイトンは不整脈が見つかり、飛行には問題ないと医学的には判断されますが政治的な判断で現役から外されます。ケネディが暗殺されますがジェミニ計画は進められます。月着陸のための予行演習(ランデブー、ドッキング、長時間飛行、宇宙遊泳、など)をすべてまず地球軌道上で行わなければならないのです。それは未知と自分の限界への挑戦であると共にソ連との競争でもありました。
 ジェミニ1号の船長に選ばれたシェパードは訓練中にメニエル病が発症し飛行任務から外されます。スレイトンもシェパードもNASAを辞めることを考えますが、不本意なデスクワーク(宇宙飛行士の管理業務)を担当することで宇宙と縁を切らないようにし、将来病が癒えて再び宇宙に出られる日が来る可能性に賭けることにします。ここから本書の主題の一つ「挫折を乗り越え宇宙をめざす二人の男の戦い」が始まります。
 ソ連との競争よりも国内での「政治家との戦い」の方がシビアなのには局外者は笑うしかありません。宇宙にも現場にも全く無知なのに現場に関する決定権を持った高官たちは平気で理不尽で無神経な口出しをしますが、彼らを怒らせたり面子を失わせると現場の誰かが犠牲者になります。と言って、高官の好きにさせると現場が失調し結局目標は達成できなくなります(これはおそらく日本でも、多くの組織で見られる現象でしょう)。「現場の知識や問題解決能力を持たない人間が最終決定権を持つ」のは明らかにシステムとして間違っている、とは思いますが、ピラミッド型組織ではどうしてもそうなりがちで、ではそこでどうやって“解決”をするのか……結局地道に一つ一つ解決していくしかないんですよね。
 もちろん技術的なトラブルも満載です。小は尿意(秒読みの延期で、排尿装置のない宇宙服を着込んだシェパードが見舞われました)から大はアポロ1の火災(3名の飛行士が焼死)まで、これでもかと言わんばかりに事故の神様は毎回意地悪をし続けます。(アポロ1の悲劇から3ヵ月後、ソ連でもソユーズが墜落してコマロフが死亡します)
 そしてアポロ11号の月面着陸成功。(そのときの月着陸船が「イーグル」ですから「(月面に)鷲は舞い降りた」だったんですね)
 「経費削減」のためアポロ計画は(20号まで計画されていたのに)17号で終了とされます。シェパードは手術を受けてメニエルを克服します。そしてスレイトンは、偶然大量に飲んだビタミン剤の影響か不整脈が出なくなります。シェパードは宇宙に復帰します。はじめはアポロ13の船長を予定されますが上の口出しで14号に変更になります。彼の月への飛行を地上から見つめていたスレイトンは……
 
 NASAのプロジェクトが「膨大な部品を精密に組み立ててボタンを押せばあとはコンピューターが勝手にやってくれるもの」ではない、ことがよくわかる本です。本書の“主人公”は人間の努力と事故の神様の気まぐれかな。
 
 
8日(月)オンエア
 衛星放送でもケーブルテレビでも、やっぱり「on air」と言うのでしょうか?
 
【ただいま読書中】
ふだん着で戦場へ ──最前線からニュースを伝えて』原題:THE KINDNESS OF STRANGERS
 ケイト・エイディ著、加藤洋子訳、清流出版、2006年、2400円(税別)
 
 終戦後に生まれた著者にとって、戦争とは「自宅の庭で温室が爆撃された跡」でした。しかしドイツ(それもベルリン)の大学に留学して“戦争(修復されないままの爆撃の生々しい跡、目の前を行進する戦車の列、旅行者に暴力的な東の兵隊たち)”を目撃します。著者は怒りを感じます。普通の人々が屈辱と恐怖を味わわされながら唯々諾々としていることに対する怒り、それらのことに無知だった自分への怒りを。
 BBC系列の地方のラジオ局から地方のテレビ局に著者は職場を異動します。ここでの珍騒動だけで本二冊は書けるかもしれませんが、贅沢にも本書ではただのイントロです。そして全国放送のニュース編集室へ著者は滑り込みます。著者はジャーナリストとしての訓練を受けたことはなく、素人と女性という二重のハンディキャップを負っていました。それでも自分なりのルールに従い著者はBBCで地歩を固めていきます。
 1980年イラン大使館事件、1982年フォークランド紛争、北アイルランド……そして(なぜか)王室担当。ベイルート(レバノン内戦)、トルコ(アンカラでのエジプト大使館占拠事件)、チュニジア(アラファトとのインタビュー)、アフガニスタン(対ソ連戦争)、ルーマニア(チャウシェスク政権崩壊)……本人は明記しませんが(きっとシャイなのでしょう)、著者は戦場を駆けめぐる花形記者(あるいは名物記者)になっていきます。旧ユーゴスラビア(内戦)、リビア(米軍(と英軍)の爆撃)、中国(天安門事件)、湾岸戦争。「現場にいた人」にしか書けない、冷酷な現実が、ユーモアを交えて描写されます。
 そう、本書の特徴の一つはユーモアですね。本書ではユーモラスで皮肉たっぷりでしかも真摯な表現が連発されます。
「危機が起きたら最初に途絶えるのは真実、次が電気」「(記者は)歴史の顔にとまる特権を持った蚊、大小さまざまな出来事の一端を担っている。秘密を探り出し、雰囲気を嗅ぎ分け、感情の波を感じ取る。ピシャリとやられることも日常茶飯」「折り紙つきの基本的なジャーナリズムを侮辱する人は、心の中で視聴者を侮辱している」「王室を見物するのは、王室を見物する人たちを見物することほどおもしろくはない」「暴動は不思議なことに、ある程度までは、やっていて楽しいのだ」「葬儀というのは複雑な儀式で、その人が育った文化の展示場だ」「この仕事をしていると、よく涙を流す。だが、カメラの前では流さない。邪魔なものだし、視聴者に自分の感情を押しつけることになって、彼らがどう感じたいのか自分で決めることを妨げてしまうからだ。感情ではなく言葉こそが、記者が用いる手段なのである」
 全部引用していたら本を丸々写すことになってしまいそうです。
 そして最後に著者は、BBCが商業主義によって変わってしまったこと、BBCだけではなくて世界中のジャーナリズムが「視聴者におもねる」ことによってかえって視聴者を尊重しない形に変わってしまったことを、悲しみます。
 
 しかし、イギリス人の自伝はどうしてこんなに面白いのでしょうか。この2年間に限定しても(というか、この2年しかリストに検索がかけられないのですが)、リチャード・ブランソン(ヴァージンレコード創始者)、アンディ・マクナブ(SAS兵士)、シルヴィア・アンダーソン(サンダーバード製作者の一人)、クリストファー・ロビンの自伝を思い出しますが、みごとにハズレがありません。
 
 あ、原題は、世界各地の見知らぬ人たちが(時には自分の命を危険にさらしてまで)著者に示してくれた手助けや暖かさのことです。ちなみにこれは『欲望という名の電車』の主人公が最後に言うセリフの一部でもあるそうです。
 
 
9日(火)原始人
 文明人は原始人より優秀なんでしょうか? いや、たとえばサバイバルをやってみろと裸一貫で荒野に放り出されたら、私がいくら口を動かしたって生存の役には立たないと思うんです。原始人は自分でなんとかしようと体を動かし始めるでしょうけれどね。
 荒野ではなくて文明社会でも、私は普段お世話になっている文明の産物のほとんどが自分では生産も修理もできません。つまり私は、文明に“ただ乗り”をしているだけで、原始人に対して「おれは文明人だぞ、恐れ入ったか」なんてことを言える“資格”を持っていないんじゃないかな。
 
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神秘の島 完訳版 第一部』偕成社文庫3132
ジュール・ヴェルヌ著、大友徳明訳、偕成社、2004年、700円(税別)
 
 南北戦争のさなか、南軍に占領されたリッチモンドから気球で脱出した5人(と犬一匹)はハリケーンに翻弄され、南太平洋の島に漂着します。『ロビンソン・クルーソー』や著者の『15少年漂流記(原題は「二年間の休暇」)』とは違って、ガスが抜ける気球を浮かばせるためにゴンドラまで切り捨てたためほとんど無一物な分だけ条件は不利です。ただし、博物学に造詣の深い人と当時の最新の科学知識を豊富に持つ人と物作りの技術を持っている人がそろっている分はロビンソン・クルーソーよりはるかに有利です。時計一つ(アメリカ時間)で島の緯度経度を割り出し、煉瓦を焼いてかまどを作りそれで陶器を焼き、石炭と鉄鉱石から鉄器を作り出します。石器土器で我慢できないのかな、と私は思いますが、当時の「科学」が大文字で社会の上に輝いていた風潮の反映なんでしょうね。彼らはとうとうニトログリセリンまで合成してしまいますが、目的は土木工事です。決して戦争のためではありません。
 まるで人類の科学技術史のおさらいをやっているような雰囲気で、漂着者たちは開拓者として島での生活を快適なものにしていきます。百科辞典的な科学知識があるだけではなくて現地にあるもので間に合わせる応用力も持つ技師サイラス・スミスがいるおかげで、島は原初の状態からあっという間に19世紀の文明世界へと変貌していきます。「そのうち汽車も走らせることができるぞ」ですからねえ。
 しかし、この島には何か秘密があります。五人はサバイバルと同時にその秘密を探ろうとします。
 
神秘の島 完訳版 第二部』偕成社文庫3133 書誌情報は第一部と同じ
 
 カヌーを作って島を探検していた一行は、海岸に漂着していた(文字通りの)宝箱を発見します。中には道具類・武器・計器類・衣類・台所用品・本……同じ重さの黄金やダイヤよりも無人島での生存に役立つ品々です。
 さらに、240キロほど離れたところの島から救助を求める通信文が瓶に詰められて流れ着きます。小さな船を造って三人が救助(兼探検)に向かいます。見つけたのは正気を失って野生に退行している一人の男でした。
 腑に落ちないことが続いて首を傾げている一行ですが、そこに水平線の向こうから船が一艘現れます。
 新登場人物によって本書は『グラント船長の子どもたち』とリンクします。
 
 私が驚いたのは、人類が石炭を掘り尽くした後の「未来のエネルギー」として著者が「水素」を上げていることです。19世紀に、20世紀の石油を通り過ぎて21世紀を予言していたわけです。さすがに燃料電池ではなくて(おそらくガス灯からの連想でしょう)、気体をボンベに詰めてから燃焼させて利用する形態を考えていたようですが、たとえば私が「22世紀のエネルギーについて考えてみろ」と言われて、未来の現実に少しでもかする予想が言えるかどうか……
 
神秘の島 完訳版 第三部』偕成社文庫3134 書誌情報は第一部と同じ
 
 船は海賊船でした。居留地は襲われますが、謎の機雷で海賊船は轟沈。
 しかし、ここまでの2年間、特にひどい病気も怪我も無しで過ごせてきた一行から出た最初の重傷者が銃撃によるものとは……サバイバルにとって最悪の“敵”は、人間?
 本書でも意外な新登場人物がありこんどは『海底二万マイル』とのリンクが完成します。
 島は一種のユートピア(文明と自然の理想的な調和)と化しますが、そこで島の火山が活動を開始します。第一部から折に触れて述べられていた島の地質学的な特徴がついに意味を持って動き出します。人々は脱出のための船の建造を始めますがとても間に合いそうもありません。
 
 ……しかし、ヘンテコなこともけっこう書かれています。マラリアがキニーネの一服で治ってしまったり、居留地を小川で囲んだらそれが堀として機能して猛獣が襲ってこなかったり(野生動物は、特に腹ぺこの猛獣は、エサが目の前にあったら泳ぎますよね)。ジュール・ヴェルヌも万能ではなかったと言うことでしょう。それと、誰も家族を懐かしんだりホームシックにならないんですよねえ。強いのか、鈍いのか。
 
 そうそう、「むかしの家庭がそうしていたように、年に四回しか洗濯をしなかった」と、3日の『清潔文化の誕生』が喜びそうな記述があります。これが当時の“常識”だったのかな。
 
 
 
10日(水)変な踏切
 それほど頻繁に電車が通るわけではない線路、私が横切ろうとするときわめて高い確率で遮断機が通せんぼをしてくれます。すっと通れたことが少ないくらいです。ところがその踏切のすぐそばの駅から電車に乗ろうとすると、それほど電車が頻繁に通らないからでしょう、ずいぶんホームで待たされます。ホームから見ていると、あの踏切の遮断機はずっと開いたままで、人も自転車も車もすいすい通り続けています。
 
 ……なんで?
 
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レベル4 致死性ウイルス』原題 LEVEL 4 : VIRUS HUNTERS OF THE CDC
ジョーゼフ・B・マコーミック&スーザン・フィッシャー=ホウク 著、武者圭子 訳、早川書房、1998年、2200円(税別)
 
 ウイルスの研究施設は、その厳重度でP1からP4まで分類されます。一番危険なウイルスを取り扱うのがP4(まったくの密閉環境で、研究者は「宇宙服」を着て作業をする)ですが、本書はそういった危険なウイルスを追跡し治療と予防をしようとしているCDC(米国疾病予防管理センター)の二人の医師の物語です。
 
 ジョーゼフ・B・マコーミック(以下Jと略)は平和部隊のボランティアでアフリカ滞在中公衆衛生に興味を持ちアメリカの医学部に進学、卒後CDCで働きます。1976年ラッサ熱の研究のためにシェラレオネに派遣されたJに「ザイールで未知のウイルスによる出血熱のアウトブレイク(突発的流行)」の連絡が来ます。後にエボラ出血熱と呼ばれる同じ病気が全然人的交流のないスーダンでもほぼ同時に発生したことを知った著者は現地調査を行います。ラッサ熱はネズミが“健康保菌者”だったのですが、それと同様になにか動物がこの新しい病気を媒介しているのではないか、と著者は疑います。
 スーザン・フィッシャー=ホウク(以下Sと略)は、27歳(既婚、子ども一人)で医師を志し進学します。ウイルス学に興味を持ったSがイギリスでエボラに取り組み始めた頃、Jはエイズの研究を始めていました。エイズの原因がウイルスとはまだわかっていなかった時代です。当時アメリカではエイズは男性同性愛者の病気、とされていましたが、Jはザイールの性習慣と患者の調査結果からそういった世間の考え方に疑問をもちます。もっとも「ゲイの伝染病」を否定するJたちの論文をレーガン政権が受け入れるのには1年かかりましたけれど。(「公衆衛生をイデオロギーで汚染することを拒否する」公衆衛生局長官が就任するまで、Jの話は政府に門前払いされていました)
 
 現場での話は当然リアルです。サバイバルの世界です。そういったアフリカのタフな環境で著者が助けられた小道具はいろいろありますが、特にメーカー名が明記されているのが、いすゞのトラック・ホンダの小型発電機……日本人としてはちょっと嬉しくなりました。
 
 この手の本で印象的だったのは、『熱病 ──殺人ウイルスとの1700日の死闘』です。と言ってもなにせ30年くらい前に読んだ本ですので、ここで扱われていたのがラッサ熱だったかどうかも確信は持てないのですが、ともかく、未知のウイルスによる致命的な伝染病に翻弄されながらも使えるものをすべて使って立ち向かう人々の姿をリアルに描いていましたっけ。
 
 おそろしいのは、医療が感染の手助けをする場合があることです。著者二人がパキスタンで見つけたC型肝炎の“流行”(ある町の人口の7%、ある村では60%が感染)などはその好例でしょう。ウイルス性出血熱感染者の手術、注射針の使い回し、医療従事者自身が感染源となる……
 さらにJはきついことも言います。ウイルスの立場からしたら、人間に感染したくはないはず、なぜなら人はすぐに死んでしまってウイルスが子孫を残すチャンスをむしろ減らしてしまう(死なずに保菌者になってくれたら、子孫を残すチャンスは増大する)のですから。ではなぜそういった“危険な感染”が発生するのか。それは、ウイルスが本来の宿主と平和に暮らしている環境に人間が侵入するからです。つまり、ウイルスから見たら“悪者”は人間です。(たとえば、サルのヘルペスBウイルスはサルにはせいぜい口のぶつぶつを起こすくらいですが、ヒトには狂犬病に似た症状となり致命的です)
 もちろん“交流”があるのが世界のありかたですから、野生のウイルスと人間の接触や感染が生じるのはいわば「事故」として扱って良いでしょう(アフリカの奥地では、出血熱やエイズは“風土病”として細々と昔から発生し続けていた、とJは考えています)。しかし、そこで西洋医学を間違った使い方をしてアウトブレイクを引き起こすのは、これは人間の側の問題になります。ウイルスに対する標準的な予防策をきちんと用いていれば、感染拡大の確率はゼロに近づけることができるのですから。ただ、Jは「病院がちゃんとすればいいのだ」とか「治療薬が開発されたらいいのだ」なんてことは言いません。彼は“現場”をよく知っています。エボラやクリミア・コンゴのような死に至る出血熱が猖獗する奥地の生活を逃れて都会に出てきた遊牧民たちが、不潔と汚染に満ちあふれた都会でエイズに出会うのを見て、「彼らも、そしてわたしたちも、対立しあう二つの世界の間で身動きがとれないでいる」と嘆きます。
 
 本書に簡単な“解決策”の提示はありません。「じゃあどうすれば良いんだ」と思う人は自分で世界を眺め自分で考える必要がありそうです。
 
 
11日(木)ルネサンスの三大発明
 私は昔々の世界史の授業で「活版印刷術、羅針盤、火薬はルネサンスの三大発明」と習いました。(今は変わっているようですが) 習った当時もちろん内心で突っ込みましたとも。全部中国で発明されたものばかりじゃないか、と(活版印刷(木活字・金属活字とも)や方位磁針はすでに中国(や朝鮮)で使われていたし、火薬も、たとえば元寇で炸裂弾を日本の武士が浴びているでしょ)。よそから伝わってきたものを「自分が発明した」なんて平気で言うのは厚顔無恥です。昔だから交流がなかった? それは嘘ですね。マルコ・ポーロはどこに旅しました? 古代ローマでさえシルクは中国から入ってきていましたよ。そもそも西洋が誇るアレキサンダーがいつどこまで行ったのか、もうみんな忘れているのかしら?
 「東西には交流はなくて、それぞれ独立して発明されたのだ」と主張する手はあるでしょうが、その証明は大変でしょうね。
 
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グーテンベルクの時代 ──印刷術が変えた世界』原題 THE GUTENBERG REVOLUTION ジョン・マン著、田村勝省 訳、原書房、2006年、2800円(税別)
 
 「グーテンベルク」は人の名字ではない、ということから本書は始まります。それは家の名前なのです(「緑色の切り妻屋のアン」(『赤毛のアン』の原題)が本書では例示されていますが、私は日本の屋号(私の先祖がいた村では、少なくとも昭和初期までは名字ではなくて屋号で人は区別されていました)を思い出しました)。それも遡れば「ユーデンベルク(ユダヤ人の丘)」だったそうですが、おそらく黒死病の流行に伴うユダヤ人虐殺で改名されたのでしょう。つまり私たちが知っている「グーテンベルク」は「『グーテンベルク邸』のヨハネス(ヨーハン)・ゲンスフライシュ」なのです。父親は造幣所の勲爵士で、グーテンベルクは子どもの時から貨幣製造(鋼鉄に彫刻刀で模様を刻んだパンチ(型押し機)で金型を作ってそこに金や銀を流し込む)になじんでいました。
 15世紀半ば、ドイツでは国王と教会だけではなくてギルドも各地の小都市で権力を握りつつありました。元手があれば大儲けも可能な時代です。ある程度裕福ではあるが充分な元手のないグーテンベルクは出資者を集めます。しかし、どんな“良い”商品でも大量に売れなければ儲けは生じません。グーテンベルクがはじめ何を売ろうとしていたのか(印刷したものを売るのか、印刷技術そのものを売るのか)は私にはわかりませんが、キリスト教界のイザコザがグーテンベルクに追い風となります。当時ローマ教皇は(コンスタンティノーブルとの対立は別格として)、反教皇派・皇帝・軍閥・枢機卿会議・フス派などと対立していました。そこに統一性を重んじる神学者(哲学者)ニコラウス・クザーヌ
スが登場します。ニコラウスとグーテンベルクが出会うことで「統一性のある聖書の普及」というアイデアが生まれたのではないか、と著者は楽しそうに想像しています。筆写によって異同が拡大していく聖書ではなくて、統一された唯一の聖書。これは当時の人には心躍るアイデアだったことでしょう。特に、全ヨーロッパに対する支配力を渇望する教皇には。
 グーテンベルクの“前”にほとんどの技術は揃っていました。彼はそこに「ハンド・モールド」という活字鋳型という発明を加えて「活版印刷術」を完成させました。パンチ(父型)で作られた母型を差し込んで活字を鋳造する装置ですが、その説明は本書の図をご覧ください。紙・インク・プレス機の開発も必要です。(フレデリック・ブラウンがショートショートによく登場させるライノタイプ(キーボードを叩いて一行分の活字を一挙に鋳造する機械)のことを知ったら、グーテンベルクは大満足でしょうね)
 1448年グーテンベルクは生まれ故郷のマインツに帰ってきます。まず印刷したのは『アルス・グラマティカ』(通称『ドナトゥス』)というラテン語の文法書でした。ついで暦・免罪符そしてついに聖書。著者は、植字工六人・印刷工十二人・プレス工二人のチームが猛烈に働けば、180部の聖書が二年で完成したはず、としています(47セットが現存しており、その内一つは慶應大学にあります)。聖書は評判を呼びます。しかしそこでスポンサーのフストが債権要求の裁判を起こし、グーテンベルクの工場と聖書と一番弟子シュッファーはフストのものになります。(このあたりから「誰が印刷したか」を証明する奥付が本につくようになります) グーテンベルクは歴史の舞台の裏に追いやられそうになりますが、各国からグーテンベルクに教えを請う人は多くやってきていました。ヨーロッパ中に印刷所が増殖し、本の値段は急落します。しかしマインツの町ではグーテンベルクは忘れ去られていました。ナポレオンの軍隊に占領されてフランス人にグーテンベルクの偉大さを指摘されるまで。
 しかし皮肉なものです。マルティン・ルターが攻撃したのはグーテンベルクが印刷して儲けの種としていた免罪符です。グーテンベルクが聖書(ラテン語)を印刷したのは、世界を変革するためではなくて世界を結束させ(ついでに儲け)るためでした。もしグーテンベルクが「あなたは世界を変革した」と言われたら、きっととまどうことでしょう。そしてそれはルターに関しても同様のようです。ルターは自身を教会の敬虔な息子と思っており、キリスト教国を分裂させるためではなくて統一するために活動をしていたのですから。ルターとローマの論争が盛り上がるにつれて、ドイツ語で書かれたルターの著作は史上初の“ベストセラー”になります。そしてついにルターによるドイツ語訳聖書の“出版”。ここでキーになるのは「聖書」と「ドイツ語」です。「ドイツ」という「国」が成立する過程と宗教改革とが共鳴していたのです。
 
 印刷によって当時の持てる者と持たざる者の間の圧倒的な情報格差は縮小しました。「情報」は、いわば一子相伝で後生大事に秘密裏に伝えられるものから、公表され使い捨てられるものになったのです。その結果西洋世界は大きく変革されました。では、現在のインターネットによる情報格差の破壊は、一体何を世界にもたらすのでしょうか。楽しみのような不安のような……
 
 
12日(金)日の出
 東の雲があかね色に染まっています。山の縁が輝き空が少しずつ明るくなるのに反比例して山体はその黒みを深めぎざぎざの額縁に変容します。空の明るさが少しずつ一点に集中していき、朝日が顔を出します。灼熱した黄金の円盤がみるみるその姿を空中に浮かばせると、あたりに散らばっていた光のかけらはすべて太陽に集中し、輝いていた空と薄墨色の雲はそれまでの色を失って、青空と白雲になります。
 痛くなった目を私は朝日から逸らします。ここより西の地域では、今この瞬間に「もうすぐ朝日が昇る」とわくわくしながら空を眺めている人もいるんだろうな、と思いながら。
 
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カミナリさまはなぜヘソをねらうのか』吉野裕子 著、サンマーク出版、2000年、1600円(税別)
 
 著者の名前を見た瞬間、大体本書の内容の見当はつきますが、それでもうまいタイトルだと感心します。日本の民族学に対する陰陽五行の影響を強く主張し続けている著者がこんどはどんな切り口を示してくれるのか、期待しつつ私はページを開きます。
 
 まずは相生説と相克説の簡単な解説があります。私はそこはさっと飛ばします。
 稲荷信仰は中国から渡来しましたが、そこに「狐は黄色だからめでたい」とあります。黄色は五行では「土」。したがってお稲荷様は「土の徳」の象徴としてまず農村で広まりました。五行の相生説では「土から金が生じる」ので商人の間にもその信仰は広まります。また相克説では「土は水に克つ」から海上安全・豊漁をもたらすとされ、海辺にもお稲荷さんの祠が祀られるようになります。油揚げも「黄色」だからそなえられるのだろう、と著者は推定しています。また相生説では「火から土が生じる」。したがって火の色である「赤」もお稲荷様では尊ばれ、鳥居も幟も赤いし、油揚げと共に赤飯もよく供えられるのです。
 カミナリは「天上で震動する」=「木(=春=万物が始動する)」、と著者は述べます。う〜ん、本当? で、ヘソは人体の中央だから「土」。相克で「木克土」だから、木であるカミナリから土のヘソを隠さなきゃいけない。さらに蚊帳は釣り手に真鍮の輪があるから「金」。相克で「金克木」だから「カミナリが鳴ったら蚊帳にとびこむ」。昔の庶民の生活では金網のケージなんかないでしょうから蚊帳で代用していたわけ……なんだかだんだん著者に説得されてきました。スジが通っているように聞こえます。
 死体の話がいくつか続いて、こんどは桃太郎。桃は中国では「金果」、つまり五行では「金」です。サル・キジ・イヌは「申・酉・戌」ですべて五行の「金」に属しています。キビ団子は黄色いから「土」です。「土生金」ですから、お供は全員キビ団子をもらうことで勇気百倍となるわけです。で、最後に財宝(金)を得て帰って、めでたしめでたし。
 鏡餅の項も面白いことが書いてあります。普通は「めでたい鏡」の形をしたお餅、とされていますが、著者はそこに蛇信仰を持ち出します。蛇の古語は「ハハ」「カカ」「ウカ」などで(ヤマカガシはその古語が残っている例)、蛇がとぐろを巻いた形に餅を作ってそれに蛇の古語「カカ」を当てたのではないか、と言うのです(カカの身の餅→カガミ餅)。古代日本では蛇信仰があり、さらに田畑や穀物倉庫を荒らすネズミの天敵ですから、たしかにお正月に蛇を拝んでも良いとは思いますが……どこかに鏡餅を、ひも状に伸ばした餅をとぐろを巻くように巻いていって作るところがあれば傍証として扱えるかとは思いますが……う〜む、本当かなあ。(本書にはありませんが、巳は火で火の生数は「二」です。だから鏡餅は二枚重ねが原則なのかもしれません)
 節分の豆まき。著者は「豆」に注目します。豆は小さくて固いから「金」。立春は「木の始まり」ですから「金克木」で「金」は敵となります。そこで節分には「金」の代表である豆をいじめる(火あぶりにして、あちこちにぶつけて、最後にぼりぼり食べてしまう)行事、それが節分の豆まきだと言うのです。著者にかかっては「鬼」はただの付け足しです。でも、たしかに鬼に対してだけではなくて「福は内」と言いながら中にも豆をまきますよね。となると「鬼」も「福」も豆をまくための口実なのかもしれません。
 葵祭やねぶた祭りも五行を使うと意外な解釈が登場します。
 そして「三合の法則」。古代中国人は季節を長期的に捉えていて、たとえば冬(亥・子・丑)はそこだけが冬なのではなくて、その兆しはそのもっと前「申」(旧7月)に生まれており、「子」(旧11月)に最高潮に達し、「辰」(旧3月)に死ぬ、としたのです。言葉で書くとわけがわかりませんが図示したら正三角形がきれいに描けてすぐわかります。そして著者はこの三合の法則を用いてカッパや座敷童を読み解きます。
 
 「どんなものも自分の理論を適用したら読み解ける。それは現実の背後にすべて自分の理論で説明できる筋道が隠れているからだ」というのは、ある意味危険です。ポパーがそれは指摘していましたね。ただ、日本に陰陽五行が伝えられ日本文化に深く影響を与えたことは確かですから「ほら、ここにも陰陽五行が、あら、ここにも陰陽五行が」というのはあながち間違いではないように私は思っています。ただ、私がそうする場合に注目したいのは、本来の陰陽五行とは微妙に異なっている点です。それは受け入れた側の誤解や誤用や時代の変化であるかもしれませんが、もしかしたら古代日本文化が中国に対して「これだけは譲れない」と言った“主張”の残渣かもしれません。そういった点を集めてみるのも面白いのではないかな、とも思います。
 
 
13日(土)好き
 相手が無生物だったら「私は○○が好きだ」で文章は完結しているでしょうが、相手が生き物だったら「私は○○が好きだ」のあとに「○○も私のことが好きだ」が欲しいと思いませんか? (「生き物」にはもちろん人間を含みます。微生物は……どうしましょう?)
 
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ホット・ゾーン 上巻』リチャード・プレストン著、高見浩 訳、飛鳥新社、1994年、1650円(税別)
 
 導入部が素晴らしい。読者はページを一枚めくるごとにP4施設の奥に少しずつ入っていきます。そして最後に宇宙服を着用してレベル4のウイルスを扱う「ホット・ゾーン」に入るのです。(ついでですが、微生物危険レベルは1234ではなくて0234に設定されています)
 先に言っておきますが、本書では「“ホット”なウイルスによって人体が破壊されていく過程」が詳述されます(臨終の場面では“炸裂”という表現が使われます)。「血」に弱い方には読むことを無理にはお勧めしません。まるでミクロサイズの肉食獣のように、出血熱のウイルスは臓器を次々食い尽くしていくのです。それに対して、医者ができることはほとんどありませんでした。そういった人の無力感から目を逸らしたい人にも本書はお薦めしません。
 
 1980年、ケニアのナイロビをめざす国内航空の機内で一人の男が吐血をしました。ナイロビ病院で彼は全身からの爆発的な出血で死亡。それから一週間後、救急室で彼の血を浴びた医師が同じ病気を発症します。ウイルス検査をした南アフリカの研究所から「マールブルグ・ウイルスを検出した」と報告がきます。幸い流行は拡大せず、医師も瀕死にはなりましたが助かりました。
 1月10日の日記に書いた『レベル4 致死性ウイルス』にもこのウイルスは登場していました。患者は感染後一週間で発症、頭痛・高熱・血栓・脳障害・激しい出血・ショックと坂を転げ落ちるように状態が悪化し、死亡率は25%。(それまで「致死的なウイルス疾患」と言われていた黄熱は死亡率が5%です) このウイルスはフィロウイルス科に属しますが、同じ科にはエボラ・スーダンとエボラ・ザイール(死亡率90%)がいます。(その後もう一種類が加わりました)
 1983年、アメリカ陸軍伝染病医学研究所(P4)でエボラウイルス研究をしていた獣医ナンシー・ジャックス少佐は、バイオハザード宇宙服の手袋が裂けてエボラウイルスに汚染されますが、内側の手袋一枚が無事だったおかげで発病を免れます。
 
 1987年に発見されたマールブルグウイルス(カーディナル株)は、人間・猿・モルモットをあっさり殺しました。逆に言えば、このウイルスの本来の宿主はそれ以外の動物です。1980年との接点は、キタム洞窟。米陸軍のために働いている民間のウイルスハンター、ユージーン・ジョンスンはナイロビに飛びます。キタム洞窟を調査するために、野外にレベル4の概念が持ち込まれます。宇宙服を着込んで調査に入った一行ですが、洞窟の中は小鳥やコウモリ、齧歯類と昆虫でいっぱいでした。(洞窟に出入りする象や豹の採血はしなかった(できなかった)そうです) しかし、調査は空振りでした。どの動物からもマールブルグウイルスは発見できなかったのです。
 
 1989年ヴァージニア州レストンの霊長類検疫所で、フィリピンから輸入されたばかりのカニクイザルが大量に死に始めます。獣医はウイルス疾患を疑い陸軍伝染病研究所にサンプルを送ります。電子顕微鏡で見えたのは、フィロウイルスの姿でした。写真ではマールブルグウイルスに見えたのですが、試薬検査ではエボラ・ザイールの反応が出ます。首都ワシントンから10マイルの所でエボラが発生していたのです。
 
 『レベル4 致死性ウイルス』と重なる部分もありますが、やはり著者の視点の違いでしょうか、ずいぶん異なった味わいになっています。宇宙服の着用手順や電子顕微鏡の操作手順を詳しく書くのはこちらの著者の趣味かもしれませんが、同じエピソードでも向こうでは詳しく書かれていたことがこちらではさらっと流されたり、あるいはその逆のことがあったりして、両方読むと“ホット”なウイルスとそれに対処した人々の活動についての理解がぐんと深まるでしょう。舞台も、『レベル4 致死性ウイルス』ではアフリカが大きく扱われていましたが、本書はこれから下巻にかけて合衆国が主要な舞台となります。
 
 
14日(日)心
 「心」という漢字、もちろん「こころ」と読みますが、これは「心臓」の「しん」でもあります。面白いことにドイツ語の Hertz や英語の heart も漢字の「心」と同じく「こころ」と「しんぞう」の二つの意味を同時に持っています。不思議ですねえ。
 
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ホット・ゾーン 下巻』リチャード・プレストン著、高見浩 訳、飛鳥新社、1994年、1650円(税別)
 
 上巻で登場したナンシーは中佐に昇進していました。彼女は夫ジェリー・ジャックス中佐とともにレストンで見つかったエボラウイルス(と思われる新種の微生物)に対するバイオ・ハザード作戦に従事することになります。そこで政治的な問題が生じます。ラッセル将軍はこう言います。「わが陸軍にはこの非常事態を掌握すべき法定上の責任はない。が、われわれにはその能力がある。CDCには権限があって能力がない。となると、この先かなり熾烈なつばぜり合いが起こることは間違いないな」 まずチームの編成、関係各局への通知、金策……将軍の仕事は大変です。そして編制されたチームは、とにかく動きながら考えることになります。
 『レベル4 致死性ウイルス』ではCDCが主役で陸軍の出番はありませんでしたが、本書では陸軍が主役でCDCは脇役扱いです。連続殺人事件のルポでも警察とFBIが管轄争いをよくやってますが、たとえ「人類の危機」を眼前にしていても権力闘争をしたくなるのは、これは人間の性なのでしょうか。結局「モンキーハウスは陸軍、人が発病したらCDC」と守備範囲が定められます。
 上巻の最後でキタム洞窟の調査に使われた機材が再登場します。備えあれば憂いなし。しかし、陸軍チームが最初にしたのは、サルの虐殺です。モンキーハウスにいる450匹以上のサルはすべてウイルスに感染しているものとして例外なく安楽死です。愉快な作業ではありません。そして検屍解剖。これまた不愉快な作業です。
 宇宙服とはいってもソフトな素材で、暴れるサルの牙・注射針・メス・ガラスの破片などで穴は簡単に開きます。もしそんな事態になったらエボラウイルスは確実に自分を餌食にするでしょう。そういった恐怖と空腹に耐え汗で曇るフェイスプレート越しに世界を眺めながら兵士たちは黙々と作業を進め、モンキーハウスは完全に滅菌消毒されます。
 結局、サルは殺すが人間は殺さない新種のウイルスとわかり、エボラ・レストンと名付けられました。人類にとっては幸運でした。もしそれがエボラ・ザイールで、もしワシントンに野放しにされていたら……
 モンキーハウスが再開されて一ヵ月後、再びエボラ・レストンが持ち込まれます。明らかに空気感染によって病気は広まりサルは全滅。そして、飼育係4人は全員エボラの感染を受けました。前回無かったサルから人への空気感染が起きたのです。しかし、発病はなく、ウイルスは彼らの体内で増殖し、そして消滅しました。これは不気味でおそろしい事実です。エボラウイルスは「人に致命的でしかも空気感染するウイルス」に突然変異する可能性が示唆されたのですから。(もしそういったウイルスを発見(あるいは誘導)してエアロゾルの形で保存できたら、おそらく最凶の生物兵器になることでしょう)
 しかし、謎が残ります。エボラウイルスは、どうやってフィリピンにやって来たのか? 実はその謎はまだ解明されていません。
 
 本書で登場する機材では宇宙服が目立ちますが、意外に重要な小道具が粘着テープです。扉や容器の密閉にも用いられますし、陽圧でぱんぱんに膨らんでいる宇宙服に小さな穴が開いたとき、そこからウイルスが侵入することを防止するために穴にテープを貼って応急処置をします。はえ取り紙のように、空中のウイルスを集めてくれる粘着テープがあればいいのにね。
 
 エボラウイルスなんて、海の向こうのことで日本にいる自分には関係ないもんね、とタカをくくるわけにはいきません。SARSのときの大騒ぎを覚えていますか? それと、日本にもエボラが持ち込まれたことがあるのを、ご存知ですか?
 真実にせまるという点で文字通り「迫真」の物語であり、かつ、「小説より奇」な事実の本です。
 
 
15日(月)タクシー
 先日変わった形のタクシーが目の前をふいっと横切っていきました。「何だ?」と追跡してしげしげ眺めたらトヨタのプリウスの個人タクシー。目撃したのは初めてですが「ハイブリッドタクシー」で検索したらけっこう各地で走っているんですね。荷物をたくさん積めそうにはありませんが、小型タクシーとしては充分な大きさでしょうし、燃費の良さは使う側にも魅力でしょう。初期投資は大きいでしょうが、宣伝さえうまくできれば売り込みやすいでしょうし、利用する側も環境意識がくすぐられるでしょうし、なかなか良いことが多いタクシーのようです。
 さすがにホンダのインサイト(ハイブリッドだけど二人乗り)ではタクシーの営業は難しいでしょうね。シビック・ハイブリッドだったら可能かな?
 
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バイク爺さん北米をゆく ──大陸横断8500キロ』河添佑之助 著、三心堂出版社、1998年、1600円(税別)
 
 30歳で脱サラして水道産業新聞社を興し(初代編集長は黒岩重吾)猛烈に働いていた著者は、52歳でスキューバを始め、さまざまなスポーツにも挑戦するようになります。58歳で出会ったのがオートバイ。著者は鈴鹿で二泊三日の合宿に参加し熟年ライダーとなります。国内で走り回っていた著者は、いつしかアメリカ横断の夢を見始めます。仕事から少しずつ手を引き、古希の記念に渡米しようと計画しますが、その年の1月に阪神大震災(著者は西宮に住んでいました)。家の修理や町の復興が大体終わった1年後、著者はついに旅に出ます。大きすぎる夢、下手すれば死んでしまうかもしれない計画、でも、今やらなければ夢を失ったままの人生を生きることになる。著者は、自分の不安と周囲の反対を押さえて出発します。しかし行きの飛行機の中でガイドブックを置き忘れ。著者は自分の記憶力に不安を持ちましたが、旅の途中でその不安は現実化します。次から次に忘れ物が……(私が一番笑ったのは、7月14日に忘れられた「○れ○」でした)。
 30年ぶりのニューヨークで250ccのバイクを購入。著者に対するアメリカの“歓迎”は、人情と親切と応援と口に合わない食事(たとえば甘納豆より甘い菓子パン・無茶苦茶分厚いローストビーフ)でした(……う〜ん、ローストビーフはあまり薄いよりある程度厚みがある方が美味いと私は思うんですけどねえ。肉質にもよるでしょうけれど)。ナンバーを取り保険に入り、いざ出発。まずは南下です。フリーウエイを時速を90キロに抑えて、1日に200キロから400キロくらい走って早めに宿に入り、もし時間と体力と気力が残っていたらその町を見物。こちらから見たらゆったりした旅行に見えますが、本人はひたすら先を急ぐ旅をしているつもりですし、実際著者の年齢を考えたらそのペースが体力ぎりぎりの所でしょう。
 ジョージア州サヴァナまで海岸を南下したところで著者は西に転じます。治安の悪さに怯え、食欲はなく、著者は少しずつ消耗していきます(日記を見ても明らかに栄養が不足しています)。オリンピックの二週間前に通過したアトランタ(著者の耳にはアランツ)も著者にとっては悪夢を見た町でした。ただ、田舎料理は著者の舌に合っていたようでこちらもほっとします。あるいは、著者がアメリカの味に慣れてきたのかもしれません。ともかく下痢もおさまり著者はペースをつかんできます。しかし、燃費が1キロメートル当たり1円とは……ガソリンは安いしずっと経済速度で走っているからでしょうけれど、日本では(今のところ)あり得ないことですね。
 5日かけても横断できないテキサス州の西で道はロッキー山脈にさしかかります。テキサスの荒野にはまだサボテンや灌木が生えていますが、アリゾナの荒野は岩と砂だけです。ネバダの荒野は灼熱地獄でした。そういえばネバダの中心地ラスベガスは砂漠の真ん中でしたっけ。カリフォルニアも荒野で始まりますが、少しずつ緑が出てきます。そして、太平洋。著者はついに北米大陸を横断したのです。しかし、サンフランシスコ手前で、これまで快調に走ってきたオートバイについにトラブルが発生。そして、ニューヨークを出てから41日、5347マイルを走って、著者の旅は終わります。
 
 しかし、本書の最後に「いつか私も、英語圏ではない地方をひとり旅してみようと考えている」って……この「バイク爺さん」の“冒険”はまだまだ続きそうです。
 
 
16日(火)人工渋滞発生装置
 最近よく使うようになった道で、いつも渋滞する地点があります。不思議に思ってよくよく観察したら……私が走っている県道が川を渡って堤防の細い道とクロスする交差点(甲とします)とそこから数十メートル先の国道とクロスする交差点(乙とします)、この連続した二つの信号の赤と青がみごとに逆なのです。甲が赤の時には乙が青、甲が青の時には乙が赤。これは渋滞するわけです。せっかく乙の信号機が青になっても交差点を渡れるのは甲と乙の間にいた数台だけ。で、やっと甲が青になって「さあ、行くぞ」と思ったら乙が赤ですからそこでストップです。甲と乙を連続してすっと通過することが絶対できないようになっています。したがって、甲と乙の間に入る以上の台数の自動車が県道を走ったら、自動的に甲の手前にどんどん渋滞の列が伸びるのです。
 国道から県道へ右折や左折で入る車が多いからわざとそうしているのか、と思いましたが、反対車線眺めても乙の交差点の向こうを眺めても車が大量にスムーズに流れているわけではありません。
 
 札幌だったかな、タクシーの運転手さんに、碁盤目の町だけど暴走族対策でわざと信号機を連動させないようにしている、と聞いたことがありますが、このあたりで暴走族が盛んに活動しているという話は聞きません。よほど頭が悪いか無神経な人が信号のタイミングを決めているのかなあ。
 
【ただいま読書中】
バスの文化史』中川浩一 著、筑摩書房、1986年、1900円
 
 1662年、世界初の乗合馬車がパリで走り始めます。考案者は「人間は考える葦である」のパスカルで乗車料金は5スー(当時の職人の日当が20スーくらい)。19世紀にオムニバスOmnibus(ラテン語で「みんなのもの」)と名付けられる乗り物の誕生ですが20年くらいで一時消滅します。。
 もともと貴族は自前の交通手段を持ち、貧民は歩いていました。しかし19世紀には都市が拡大し中産階級が出現します。通勤距離は伸び「オムニバス」はパリでもロンドンでも発展し、略称「バス」が定着します。
 機械動力はもちろんバスにもすぐに導入されます。蒸気・電気を経てガソリンエンジンが定着する自動車の歴史はそのままバスにも当てはまります。
 夏目漱石はバス(乗合馬車)に乗った経験を書き残していますが、その中に二階建て馬車もあります。本書には、二頭立ての二階建てバスの写真がありますが、満員になったらあの重さは馬には酷と見えます。夏目漱石はロンドン留学当初は「使い方もわからないしどこに連れて行かれるかわからないから、乗り物は何も利用できない」と言っていますが、気持ちはわかります。私もたとえば東京で地下鉄はなんとか使えますがバスは怖くて乗れませんから。前乗りか後ろ乗りか、先払いか後払いか、路線はどうなっているか、知らない町に突然行ったら全然わからないんですもの。(そうそう、漱石の時代のロンドン地下鉄は蒸気機関車だった、は以前書きましたね)
 第一次世界大戦で民間バスは兵員輸送用に大量に徴発されます。イギリスから大陸に1300台以上が輸送されて使用されました。ロンドンの戦争博物館(第一次世界大戦中の1917年に設置が政府決定され開館は1920年)には当時西部戦線で使われた二階建てバスも展示されているそうです。
 
 日本でのバスも最初は乗合馬車で始まりました。今の意味での「バス」(乗合自動車)が登場したのは明治36年(1903)現在の広島市横川から太田川に沿って北の可部まで約15キロの路線です。もっとも乗合馬車ともめてすぐに廃業。京都のバスも人力車組合と激しくもめてますし、新規参入はいつの時代も大変なんですね。
 そして、儲かるとなると業者が乱立して厳しい競争になるのは東西とも同じです。本書では、昭和三年栃木県の関東自動車と野洲自動車の攻防が描かれていますが、まあ何というか、政治家や暴力団まで持ち出すのね。結局この対立は後を引き、昭和11年の地域統合でも野洲が関東との合併を拒否して(関東自動車のライバル)東武に行ってしまいます。しかし、苦労して他社を排除して獲得したバス路線も、儲かるとなると鉄道省が出てきてかっさらっていくのですから……暴力団まで動員して日常的に乱闘を繰り広げる民間企業のはるか上を行くのがお役所、なのかな。
 大正八年(1919)東京市街自動車株式会社が営業を開始します。会社の悩みは、少年車掌による料金ネコババ。それを独身女性の車掌にしたところ、客の受けは良くネコババはなくなりしかも安い労働力で結婚したらやめる(使い捨てにできる)と、会社にとっては良いことばかりでした。女性の洋装が珍しかった時代です。デパートであつらえた制服を着た颯爽とした女性車掌は職業婦人の花形的存在となっていきます。
 関東大震災で電車が大きな被害を受け復旧も遅れたため、政府はバスの輸入で取りあえず乗り切ろうとします。「円太郎」と呼ばれるようになった小さなバスは、市民の利用は盛んでしたが評判は高くありませんでした。小さくてワンマンで乗り心地が悪かったのです。
 
 本書では単にバスの歴史を外形的になぞるだけではありません。バス各社の社史を比較したり(関東自動車の社史では東武との“抗争”が大きく扱われているのに、東武の社史では軽く片付けられているのは、会社の規模が違いすぎたからでしょう)、夏目漱石・田山花袋・川端康成・獅子文六・太宰治などの文学作品に登場するバスを見つけて実際に現地に行ってみたり、著者は楽しそうにバスの“旅”を行っています。
 
 私にとっての「バス」は、子ども時代に乗っていた市内線のボンネットバス(ウインカーが腕木式)。田舎に行くときに一人で乗った長距離バス。そして、トトロの猫バスです。そういえば最近あまりバスに乗っていないなあ。
 
 
17日(水)12年
 今日は休みなので寝坊をするつもりでしたが、5時過ぎにふっと目が開きました。12年前、がくんと揺すぶられて「震度3かな、4かな。P波とS波の時差からみると、これは震源地ではでかいぞ」と思ってそれ以後寝られなかったのを思い出しました。
 「地震は天災だが、それが都市災害になるのは人災だ」は誰の言葉でしたっけ。
 亡くなられた方の冥福と、生き残った方の悲しみが少しでも癒えていることと、人災の再発防止が少しでも進んでいることを祈っています。
 
17日(水)共和制
 古代ギリシアや古代ローマの共和制は、「市民」による合議制の政治でした。一見今の民主制と似ているようにも思えますが、実は全然違います。「市民による自治」と言っても、ギリシアのポリスだったら市民と奴隷、ローマだったら市民と非市民と奴隷がいて、建前としても万民平等ではなかったのですから。(女性と未成年者についてはここでは省略します)
 
 で、今の日本を眺めると……二世三世の政治家がぞろぞろ存在している状況は、民主主義と言うよりは共和制、それも、民主的共和制よりは貴族的共和制の様相ですね。政治家はタテマエとしては選挙で選ばれた市民の代表ですが、実態は世襲制の貴族ですから(「民主社会に“貴族”なんか存在しない」と主張する人はおられるでしょうが、私が述べているのは呼称の問題ではなくて実態です)。となると、今の日本の「民主制」は、古代ローマの政治制度の直系の子孫と言って良いのかもしれません。
 世襲ではない政治家ももちろんいますが……でも彼らは「使い捨て」されるんですよね(元首相がそう“保証”していましたから間違いないでしょう)。
 
 「主権は民に在る」……これが日本の現実であると本気で主張できる人、います?
 
【ただいま読書中】
ルビコン ──共和政ローマ崩壊への物語』トム・ホランド著、小林朋則 訳、本村凌二 監修、中央公論新社、2006年、3300円(税別)
 
 「ルビコン川を渡る」は有名なフレーズですが、それが実際にはどのような状況だったのか、その結果歴史がどう変わったのか、について詳しく述べることができる人は意外に少ないのではないでしょうか(有名なフレーズとはそういうものなのかもしれませんが)。
 
 紀元前509年、無血クーデターでタルクィニウス王を追放し、「ローマ」は共和制を採用しました(首謀者の名前は本書のあとで出てきます。重要なネタなのでこの日記には書きません)。王の権力は任期一年の執政官二人に等分されます。しかしそれは過去からの完全な断絶を意味するものではありませんでした。執政官はつまりは任期限定の王であり、彼らは国が難局を迎えたときには王から受けついだ予言書を参照していたのです(『ファウンデーション』(アシモフ)を私は連想しました)。
 ローマ市民は権力志向を社会における基本態度としています。地位の上昇こそ“善”なのです。そのために大切なのは人気や評判です。執政官(貴族のトップ)も護民官(平民のトップ)も選挙で選ばれるのですから。したがって「パンとサーカス(と賄賂)」が重要となります。ところが「独裁は禁止」。そして異常な出世は嫉妬に燃料を注ぎ選挙で足を掬われます。まったく難儀な競争社会です。しかしそれをエネルギーとして、ローマは版図を拡大していきました。手柄を立てれば出世できるのですから、みな頑張るのです。戦争ははじめは略奪や賠償金目当てでしたが、やがて占領して税金を搾り取るためのものになります。かくして二重の同心円構造ができます。ローマ/属州/従属国、そしてローマ社会は、貴族や平民からの成り上がり/貧民/奴隷。「ローマ」は内でも外でも「ローマ」だったのです。
 
 スペインでの功績で執政官となったカエサルは次にガリア(現在のフランス)を征服しますが、実はこれは“違法行為”でした(ついでですが、カエサルによるガリア征服で、100万人が死亡・100万人が奴隷になり800の街が陥落したそうです。(ローマにとっては)“偉業”です)。ローマで内乱が起き、ついにカエサルは“ルビコン川を渡”ります。ポンペイウスとの決戦に勝ったカエサルはエジプト(クレオパトラ)に寄り道をしてから、凱旋します。ローマはカエサルに、10年間の独裁官、後に終身独裁官の地位を与えました。「カエサルは王になろうとしている(共和制が死のうとしている)」という噂が流れ、そして「ブルートゥスよ、お前もか」の日が来ます。
 本書を読むと、もしかしたらカエサルは「王」ではなくて「神」になりたかったのかもしれないと思います。(そういえば織田信長もそんな感じでしたね) だからこそ、畏怖や尊敬も強いが反発はもっと強かったのかな。
 
 当時凱旋行進以外で軍隊がローマに入ることは重大なタブーでした。共和制は暴力ではなくて政治によってことが決するのです。だから「ルビコン川」(超えてはいけない一つの境界線)に意味がありました。しかし、実はカエサルの前に先例があります。BC88年のスッラです。彼は軍によって政敵マリウスを逃亡させました。東方遠征中にマリウスがこんどはローマに侵攻。スッラ派を粛正するとスッラはまた軍勢を引きつれてローマに侵攻します。スッラは独裁官となります。しかし彼らは、共和制そのものを壊そうとは思っていませんでした。政敵に勝つために(非常事態だからと言い訳しつつ)共和制の枠組みの中で行動しているつもりだったのです(ですからスッラは政界から引退したとき“後継者”は作りませんでした)。しかし人々の意識は変化しました。軍によって簡単に政治体制が変わることを目撃したのですから。
 「ルビコン川」は実は「軍をローマに入れる」だけの意味ではなくて、「旧来のローマの大義を破壊する」意味があったようです。「共和政」という大義を。
 結局「共和政」ローマは以後「ローマ帝国」になりました。その結果、かつて「ローマ」が他民族に味わわせていた感情を、こんどはローマ市民が独裁者から味わわされることになりましたとさ。
 
 著者は本書を執筆していて現代アメリカとの類似点が見えて見えてしかたなかったそうですが、私は現代日本を連想していました。すべての先例はすでにローマに存在しているのかもしれません。だからローマ史は面白いのでしょう。
 
 くだけた口調の文体ですが、安っぽい内容ではありません。たとえば、適当にぱらっと本を開いてみたら……「名門の出であることは、この長ったらしくて格調高い名前からも分かる。もっとも、メテルス・スキピオ本人は身を持ち崩したつまらない男で、取り柄と言えばポルノ・ショーの演出ぐらいしかなかったけれど、そんなことはどうでもいい。大事なのは、彼がメテルス家の家長で、何人もの大貴族と近い親戚であり、ハンニバルを破ってカルタゴを攻略したスキピオ家の血を引いているという点である」
 続きを読みたいと思いませんか?
 
 
18日(木)朝三暮四
 もしこれで喜んだら、サルのことが笑えません。
 だけど、サービス残業が増えたり常勤が減らされたり消費税が増えたり、で、ちゃんと「元」は取られるんでしょうね(消費税はもちろん選挙の後に)。
 
■残業代の割増率引き上げ、与党が法案提出を要求へ(読売新聞 - 01月17日 21:21)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=145765&media_id=20
 
18日(木)髭剃り
 休日の父親のほっぺたはざらざらしていて、くすぐったいより痛いものでした。髭を剃るときにまるで儀式のように、真っ白な陶器でシャボンを慎重に泡立てたりしているのを見て「いつかは僕もあんな風に髭を剃りたい」と子ども心に思いましたっけ。
 大学時代、風呂で顔を洗うとき石鹸を流す前に二枚刃の安全カミソリで私は髭を剃っていましたが、私の面の皮は意外にも薄かったらしく、カミソリ負けをするようになりだんだんそれがひどくなりました。かかった皮膚科の医者に「電気カミソリを使いなさい」と宣告されてしまって私の「髭剃り儀式の夢」は消滅。
 以後は、コマーシャルで安全カミソリがどんどん進歩しているのを指をくわえてみているだけです。もちろん電気カミソリも進歩してはいますが、やはりカミソリの深剃りの感覚は電気では味わえませんから、残念だなあ。
 
【ただいま読書中】
カミソリ史記 ──貝殻から二枚刃まで』竹内康起 著、日本マンパワー出版、1994年、1748円(税別)
 
 先史時代の洞窟壁画には、髭のある男と無い男の両方が描かれているそうです。すると
その頃から男は髭を剃っていたということになります。使われたのは、石器・貝殻の縁を鋭く磨いたもの・鮫の歯。青銅器時代、3500年前のエジプトで使われていた棒状のカミソリが出土していますし、第18王朝(紀元前14世紀)にはすでに折りたたみ式のカミソリが作られていました(現在のレザーのご先祖様です)。
 鉄製のカミソリの登場は、ヨーロッパでは意外に遅く、19世紀になってからです。わが国では戦国時代には刀鍛冶が、江戸時代にはカミソリ鍛冶がカミソリを作っていましたから、鉄製カミソリに関しては日本の方が先進国ということになります。
 
 古代ローマでは、髭は男らしさの象徴でした。例外は兵士で、戦闘でつかまれたら不利になるから髭を剃っていたそうです。それが紀元前二世紀には「男は髭を剃る」が一般化し理髪店のご先祖、髭剃り職人が出現します。ちなみにラテン語のBarba(髭)がBarber(理髪店)の語源だそうです。
 中国では髭は愛好されていましたが、これはもしかしたら宦官と区別するためだったかもしれません(宦官は髭がはえません)。
 古代日本では、『神代記』にヒゲは「秀毛」と書かれ、『古事記』ではスサノオノミコトが罰としてヒゲを切られることから、ヒゲは良いもの、とされていたようです(ついでですが『日本書紀』ではスサノオノミコトは髪を切られます)。その伝統はずっと続いていたようですが、江戸時代にはなぜか「ヒゲ禁止令」が出されています。それも寛文十年(1670)と貞享三年(1686)の二回も。江戸幕府って「犬を食うな」の禁令も出したりしてますが、生活に干渉するのが大好きだったのかな、はともかくとして、結果、武士は四日ごと、武士以外は七日ごとに髭を剃ることが一般的となりました。
 
 安全カミソリは、1762年にフランスで誕生しています。木片をガードに使ったものでした。1847年にはイギリスでT字型カミソリが誕生(替刃式ではなくて、刃を外して研いでいました)。1904年、アメリカのジレットが使い捨て両刃安全カミソリを発売します。はじめは売れませんでしたが、第一次世界大戦で兵士用として大量発注を受け、以後一般に普及します。1921年には退役大佐シックが片刃で連発式に替刃が交換できるインジェクターを考案。彼は同時に電気カミソリも発明しています(戦場で冷水で髭を剃るのが苦痛だった、が発明の動機だそうです)。
 1952年に替刃の素材はカーボン(炭素鋼)からステンレスに変わります。以後の進歩(競争)はすごいですね。カートリッジ式二枚刃・首振りヘッド・小型ヘッド・上下左右への首振り・スライド式首振りヘッド(二枚の刃が独立して動く)・顔のカーブに合わせて曲がるスリムな二枚刃……確か今は3枚刃か4枚刃になっているんじゃありませんか?
 
 著者の会社三宝商事は、シック・ジレット・フェザーのすべての販売代理店であり、日本のカミソリ市場のシェア80%を持っているそうです(1994年現在)。つまりは日本のカミソリのほとんどは輸入品で、そのほとんどを著者の会社が取り扱っているわけ。すごいですねえ。もちろんライバル会社の製品を同時に扱うことの難しさはあるでしょうが、それについては著者はぐっと呑み込んでいます(といっても、時々ちらちらと不満というか批判というか、本音の一部が見え隠れはしますが)。
 1990年代半ばの日本のカミソリ界ではシックのひとり勝ち状態だということはわかりました。では現在はどうなのか、世界ではどうなのか、にも興味がひかれます。
 
 
19日(金)ない
 私は空を飛べない
 私は水1トンを一気飲みできない
 私は完璧な記憶力を持っていない
 私はワンマンオーケストラができない
 私は他人の気持ちを完全にわかることはできない
 
 「……ない」「……ない」「……ない」「……ない」……ないないばかりを数えていないで、できることを数えた方が面白いんじゃないかな。
 
【ただいま読書中】
フォレスト・ガンプ』ウィンストン・グルーム著、小川敏子 訳、講談社、1994年、1500円(税別)
 
 「知能指数が70に少し足りない」と自称するフォレスト・ガンプは、バカにされいじめられて育ちますが、思春期に成長した体をコーチに見そめられて高校フットボールで花形選手になります。(大学では「198センチ110キロが100ヤードを9.5秒で走る」と表現されます)
 ガンプには他の才能もありました。中間光の方程式はすらすら解けるし、ハーモニカもステージで稼げるくらいうまく吹けます。ドクターは「イディオサヴァン」と言いますが、そう面と向かって言われてガンプは不愉快な気持ちになります。「イディオサヴァン」にも自尊心や感情があるのです。「ちゃんとしたことを考えているのに、それを喋ったり書いたりしようとすると、ゼリーみたいになってしまう」と本人は表現します。
 ガンプは徴兵されベトナムに向かいます。負傷し病院で卓球を覚え英雄的行為に大統領から名誉勲章が授与され……ガンプは病院で出会った将校に教わった哲学から「これもきっと、ものごとの自然の流れというものなのだろう」と思います。
 復員後にガンプが聴講した「世界の文学における道化の役割」のシーンで、本書のメタ構造がちらりと顔を見せます。日本なら「狂言回し」という便利な言葉がありますが、英語にはそれにぴったりの言葉がないのかな?
 毛沢東を救助・反戦デモ・精神病院・宇宙船・人食い人種の村・レスリング・チェス……ガンプが「はい」と言うたびに「人生の転機」が訪れます。エビ養殖の事業。ワシントンの政界を目指して、そして「トイレに行きたい」。
 
 そうそう、上院議員候補の所や大学フットボールの試合でコーチが「なりたいというなら、アメリカの大統領にでもなんでもこの私がしてやろう」と言うシーンで、私は映画「チャンス」(ピーター・セラーズの遺作)を思い出しましてクスクス笑ってしまいました。本書ではさまざまな社会で高い評価を得ている人たちに対する風刺がありますが、ここでの皮肉が一番きついかもしれません。
 
 知能の低さはその人の一つの「属性」です。でも愚かな決断や行動をするかどうかは知能指数とは直接の関係はないでしょう。だって、ジェニーが言うように、「人間はみな、愚かなもの」なのですから。人がその愚かさから救われるためには、フォレスト・ガンプの行動指針から学んだほうが良いかもしれません。
 本書は、1960年代から1970年代のアメリカ史の入門書としても使えます。また、「人ができないこと」ではなくて「できること」に注目したらそしてそれがもしもみごとに上手くいくことができたらなあ、という“大人の童話”でもあります。
 
 
20日(土)ことばの定義
 「いじめ」の定義ねえ……
 お役人は「他人に見せることのできる書類がちゃんとできてファイルできたらすべてOK」という発想なんでしょうが、私は「その行動の結果、本当にいじめが減るのか」の方に興味があります。「言葉の定義」もガクモン的には大切でしょうが、「理想の提示と実態の把握と行動の評価と検証」の方が世の中を良くするためには有効なんじゃないの?
 
 「耐震基準を紙上で決めたらそれだけで地震の被害者が減る」とか「『虐待』の定義を決めたら不幸な子どもが減る」なんて主張を本気でする人はいないと思いますが、この記事を読んでなんだかそれと同じような感想を持ってしまいました。
 
■「仲間外れ」はいじめ、文科省が定義を見直し(読売新聞 - 01月19日 23:41)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=147003&media_id=20
 
20日(土)(2)だそうです好景気
 今はずいぶんロングランの景気拡大が続いているんだそうです。いざなぎ景気をもう超えているんだそうです。だから企業減税をするんだそうです。実感はないけれどお偉い人がそう断言しているのでそうなんでしょう。
 常勤になれずに、あるいは常勤になれても苦労しながら働き続けている人たちからは違った感想があるでしょう。個人消費の低迷にあえいでいる業界も違った感想を持っているかもしれません。
 ……政府も実は違う感想を持っているのではないでしょうか。「景気が回復してきたから」と日銀が金利を上げようとしたら、「日銀法を改正してでも阻止する」と自民党が頑張っていましたからねえ。
 
 もしかしたらこれは政府の深慮遠謀かもしれない、とふっと思いました。現在日本の大きな問題は少子高齢化です。それに対して、子どもの数を増やすための政策として「貧乏人の子だくさん」を政府は“実践”しようとしているのではないでしょうか。経済的に不幸な人を増やせば、一時的には個人消費は落ち込みますが、この言い回しがちゃんと機能したら子どもが増えて結果としては(少なくとも国は)万歳になるわけなのです。
 
 ……ちょっと深読み?
 
【ただいま読書中】
フォレスト・ガンプ2』原題 Gump&Co. ウィンストン・グルーム著、小川敏子 訳、講談社、1996年、1456円(税別)
 
 前作では大成功したガンプですが、本作の冒頭、エビ会社は倒産し、ガンプはストリップ酒場の掃除人になってます。そこでいろいろあって、「クソのような味の清涼飲料水の新製品(商品名を書いちゃっていいのかな、ニューコークです)」の味を良くするためにアトランタに招聘されます。ジェニー(とガンプ)の子ども、リトル・フォレストのために金が必要なのでガンプは頑張ろうとしますし、死んだはずのジェニーがガンプに助言をしてくれます。しかしこのジェニー、前作ではガンプのそばにいるときよりもいないときの方が存在感がありましたが、今作では最初からいないのです。だけど、この世に存在しないからでしょうか、最初から最後までやたらと存在感があります。
 炭坑に詰め込まれた豚の糞は爆発して町を覆い、イラン・コントラ事件でガンプは重要な交渉をまとめてまた刑務所に入ります。その“高潔な精神”をかった実業家にスカウトされて配属された先はインサイダー取引部門。年俸25万ドル、5番街に高級アパート、仕事は内容がわからない書類にとにかくサインをすることだけ。露骨にアヤシイ商売です。で、たまたま行った高級レストランで出会ったのがトム・ハンクス。彼はガンプの生涯に興味を持ちます。
 例によってまたまた逮捕されてしまったガンプですが、こんどは“正しい選択”をして刑務所入りを免れ……ることはできませんでした。結局またまた刑務所入り、そして陸軍に逆戻り。アラスカでは原油流出事故に絡み、ドイツでは蹴ったボールがベルリンの壁を越えてまた一騒動(この場面は、映画「勝利への脱出」以上のスペクタクル(?)です)。そして湾岸戦争。
 1980年から1990年代をガンプはゆっくりと走り抜けます。前作と同様、走馬燈のようにガンプを狂言回しとして「時代」が生き生きと描写されますが、それと絡むのが、ガンプとリトル・フォレストの関係です。「チチオヤ」だけど「父親」ではなかったガンプが、どうやってリトル・フォレストの「父親」になろうと苦闘するか、それが本書を貫く“もう一つの物語”になっています。また、ジェニーと同様“通奏低音”として響いているのは「ダンのオイスター」ですが、これが最後に意外な展開を見せます。
 
 『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)では、知能が低い主人公が知能を上昇させる処置を受けることで物語が動き始めました。しかし本書では、主人公の知能は上昇しません。「変わらないガンプ」の回りで、世界がただひたすら流れ変化し、それによって物語がダイナミックに動いているようにも見えます。まるで、その中に立っている大きな岩の回りに川の水がひたすら泡立ちながら流れていくのを見ているようです。
 
 ということでガンプは苦々しく呟きます。
「だれがなんといっても、自分のことを映画なんかに撮らせるものじゃない」
……きっとそうでしょうね。
 
 
21日(日)リスニング不具合
 センター試験、英語リスニングで今年もトラブルがあった様子ですが、コストや機器の故障率については昨年の日記に書いたので、省略。ただ、各新聞の見出しはどこも昨年より微妙になってますね。なんだか「機器の不具合」と「操作の不具合」と「聞き取りの不具合」が混じっているような印象を与える文言が選ばれているように見えます。
 
 私の大学受験は30年以上前ですが、ある学校では当時としては珍しくリスニングがありました。教官が教卓にどんとテープレコーダーを置いて「では始めます」……へえ、ここではリスニングがあるんだ……って、知らなかったんですよ。いやあ、明らかに準備不足です。スピーカーからの位置での有利不利なんて言ってる余裕はありません。他の受験生からも「自分は音が聞き取りにくいから席を前に変えてくれ」なんて要望はありませんでした。
 結局そこは合格だったからいろいろうそぶくことができますが、もし不合格だったら「リスニング試験にはさまざまな問題が……」と一生言い続けていたかもしれません。
 
21日(2)進化といじめ
 ダーウィンの進化論を信じるなら、環境の変化に適応できない個体は死亡して子孫を残せず適応できない種は絶滅します。集団がある程度の変異を含んでいたら、環境の変化に適応できる部分は生き延びます。つまり、「均一な集団」は絶滅しやすいのです。たとえ今は良くても「絶対変化しない環境」なんて無いはずですから。
 変異は環境変化に対する一種の「保険」として効くと言えます。ということは「あいつは集団から外れている」と集団の“主流”からはずれた存在をいじめて排除するのはその集団の(長い目で見た)生存能力を落とすことになります。
 おっと、すると逆に「いじめっ子」も保存しなければならないことになりますね。「いじめっ子」でなければ生き抜けない環境変化もあり得るわけですから。ただ、この場合難しいのは、いじめっ子がいじめっ子であり続けるためにはいじめる(いじめられる)対象も生き延びてくれないといけない、ということです。だってそうでしょう? いじめる対象を失ったいじめっ子って、茶碗のないお茶みたいなもので、自らの存在を保つことができません。おやおや、これは困りましたねえ。自分のことだけ考えていたら“損”ですよぉ。
 
【ただいま読書中】
長くつ下のピッピ ──世界一つよい女の子』(リンドグレーン作品集1) アストリッド・リンドグレーン著、大塚勇三 訳、岩波書店、1964年初版(86年30刷)、1500円
 
 スウェーデンの小さい町のはずれ、ごたごた荘に9才のピッピ・ナガクツシタは一人で住んでいました。厳密には一人ではありません。サルのニルソン氏と馬も一緒です。ごたごた荘のとなりには、トミーとアンニカというよい子が住んでいました。三人は「もの発見家」になって「もの」を探します。ピッピは「かしなしブリキ箱」を見つけ五人のいじめっ子とけんかになりトミーとアンニカはすてきなものを発見します。
 「自分のしたい通りにしている女の子がいる」ことは町の噂になり、施設に収容して学校に行かせるためにお巡りさんがごたごた荘にやってきます。ピッピが大好きな鬼ごっこの始まりです。でもピッピは学校に行くことにします。一人で家にいたらクリスマス休みがもらえないのに、学校に行ったらクリスマス休みがもらえるのですから。もちろん学校では大騒動がおきます。
 
 しかしピッピが楽しそうに次から次へと繰り出すホラ話は途方もないスケールで、聞いていて飽きません。で、ちゃんと直後に「もちろん、これはうそよ」と言ってくれるのでこちらも“安心”できます。そしてとうとうサーカスへ。ああ、ここは覚えています。ずっと昔に読んだとき(本書の初版時のころ)、腹を抱えて笑った覚えが。
 火事の現場でもピッピは“大活躍”です。ついでにサーカスでの情景がここでも登場します。いやあ、ピッピはヒーロー……いや、女の子だからヒロイン……違うなあ、やっぱりヒーローです。
 
 子どもは、大人が思っている以上に我慢を強いられていると思います。で、その我慢をわっと解放しているのが、ピッピ。バーチャルの世界ででものびのびできないと、子どもなんてやってられませんよね。
 わくわくどきどきのお話が最後の一文でちゃんとオチてくれます。まるで上出来な落語を聞いたときのような気分になれます。子どもにはオススメ。子どもの心を忘れていない大人にも、オススメ。大人になりきれていない子どもにも、オススメ。
 
 
22日(月)鳥の雛
 サバイバル能力をほとんど欠いたあんなに無力な存在でも、親がエサを持って帰ったら大口を開けて「エサをくれエサをくれ」と同胞を押しのけて力一杯努力しています。
 立派な人間様が、ただ座り込んで「自分のために誰か何かしてくれるべきだ」なんて言っていたら、鳥の雛に対して恥ずかしいぞ。
 
【ただいま読書中】
怪人二十面相』江戸川乱歩 著、ポプラ社、2005年、600円(税別)
 
 「今夜12時、秘蔵のお宝を頂戴する」と予告状を寄こし、どんなに厳重に警戒しても、それを嘲笑うかのようにまんまと盗み出してしまう怪盗二十面相。羽柴家では名探偵と名高い明智小五郎に事件解決を依頼することにします。あいにく明智は不在で小林という助手がやってくることになりますが、実際に現れたのは少年でした。
 
 このあたりから私は、「ぼ、ぼ、ぼくらはしょうねんたんていだん」と歌いたくなります。
 
 小林少年は首尾良く二十面相の身柄を押さえますが、逆襲を食らい囚われの身になります。しかし再逆転、ついに二十面相は逮捕された……はずだったのですが……
 明智探偵の帰国に合わせたように二十面相から新たな挑戦状が届きます。国立博物館の所蔵品をすべて盗み出す、というのです。指定された日時は9日後。一体どのようにしてすべての所蔵品を盗み出すというのでしょうか。明智探偵が活動を始めますが、二十面相はなんとその明智探偵を拉致監禁してしまいます。明智さえいなければ、警察などものの数ではない、という自信でしょう。そして当日、警察による厳重な警戒をされた国立博物館では……
 
 オープニングの広い庭園で怪盗が忽然と消える、はルパンの『奇巌城』からでしょう。それから少年探偵団はもちろん、ベーカー・ストリート・イレギュラーズ(ホームズ少年探偵団)。ただ、こちらはいかにも日本的。あまりイレギュラーなことはやりません。しかし、変装が自由自在というのは“反則”ですよねえ。後日「スパイ大作戦」や「ルパン三世」での変装をすんなり受け入れることができたのは、私の場合ここで下地が作られていたからかもしれません。
 
 そうそう、子どもに対して尊大な口を普段きいているくせに、二十面相に翻弄されドジを踏むのは大人たちです。対して快挙は(明智探偵と)子どもたち。これは少年読者が拍手喝采するわけです。
 
 二十面相に対して感じる不気味さには「都市の不気味さ(不安)」もあるのではないでしょうか。小さなコミュニティだったら誰が誰かはすべてわかっています。たとえ変装して声色を使ってもちょっと動きを見ていたら「変だ」と気がつきます。田舎での「隣は何をする人ぞ」は「誰」がそこにいるかちゃんとわかっているからこそ安心して言えるわけ。しかし、都会ではそうはいきません。相手が「私は○○です」と名乗ってくれても、それが本当かどうか、「○○」が本当だとしても名乗った人が本当に本人かどうか、確認が難しいのです。「隣は、何者?」の世界です。二十面相はそれを利用して動いています。二十面相という存在の無名性がこのシリーズの……な〜んて難しいことを言ってないで、逆転逆転また逆転をはらはらどきどきしながら楽しめばいいのです。軍による圧迫が厳しくなった時勢に、こんな素敵な作品を書いてくれた著者に、大きく感謝。
 
 
23日(火)ビスマルク
 約四半世紀前、自力で初めて買ったパソコンであるAPPLE][のソフトカタログを眺めていて、「Bismarck」のタイトルが気になりました。説明を苦労しながら読み解くと(まだ日本語のカタログがなかったのです)プレイヤーはイギリス軍の司令官となって、北大西洋をひそかに移動する戦艦ビスマルクを発見しそして戦いを挑んで勝利する、というもののようでした。今だったら別にどうということはないゲームですが、あの頃にはそんなタイプのゲームは知りませんでした。サイコロを振ってボードで行う戦争ゲームが世間で話題になっていた時代です。それが、ボードでは表現しにくい「どこにいるかわからない」戦艦をパソコンが操ってくれてしかもサイコロも振ってくれる、これは買いだ、と早速注文しました。
 もちろん画面表示も説明書も英語でした。私はまず泣きました。泣いていても何も起きないのがわかったので、翻訳に取りかかりました。翻訳がある程度できた頃には、エネルギーを使い果たしてしまって、とうとうゲームではほとんど遊べませんでした。やれやれ。今だったら「とりあえず起動だ」と5インチフロッピーディスクをブートするでしょうね。あの頃の私は“真面目”だったんだなあ。
 
【ただいま読書中】
巨大戦艦ビスマルク ──独・英艦隊、最後の大海戦』ブルカント・フォン・ミュレンハイム=レッヒベルク 著、 佐和誠 訳、早川書房、1994年、2200円(税別)
 
 1940年アルジェリアで英艦隊と仏艦隊の間の海戦が行われ、仏は壊滅的打撃を受けました。ナチスに降伏したフランス海軍をイギリス艦隊(主力は、巡洋戦艦フッドと空母アークロイヤル)が襲ったのです。30歳の海軍少佐だった著者はちょうどそのとき戦艦ビスマルクへの転属命令を受領したところでした(名前にフォンがついているのでただ者ではないことはわかりますが、イギリスでは「男爵」と呼びかけられています)。著者は後部射撃指揮所担当をリンデマン艦長に命じられます。艦長はビスマルクを男性形で呼ぶことにこだわります(当時ドイツでは船は女性形で呼ばれるのが通例でした。つまりふつうなら die Bismarck となるのを der Bismarck と呼んだ、ということでしょう)。
 第二次世界大戦開戦時、ドイツ海軍はイギリスより遙かに劣勢で、使える港も北海の南東だけでした。だからノルウェーとフランスの占領が急がれたのでしょう。弱い海軍を効果的に使う戦略、それは通商破壊でした。巡洋戦艦による作戦の結果、イギリスは各船団に軍艦一隻は張りつけざるを得なくなります。そこでドイツは、機動艦隊を投入してその軍艦(と商船)をやっつけようとします。したがってビスマルクの実戦配備が注目されます。ドイツは期待を持って。イギリスは重大な懸念をもって。
 ついにビスマルクは重巡プリンツ・オイゲンと出撃します。なるべく戦力を温存し、難敵とは戦わず、しかしできるだけ敵船団に損害を与えること、という難しい命令の下に。しかし出撃前の補給でビスマルクは燃料を満タンにすることができませんでした。途中でホースが破裂したのです。そして、ビスマルク出航の知らせはスウェーデン情報機関やノルウェーの抵抗組織からイギリスにただちに知らされます。
 ビスマルクはノルウェーを離れて北上し、グリーンランドとアイスランドの間のデンマーク海峡から大西洋に侵入しようとしましたが、そこには巡洋艦サフォークとノーフォークが待ちかまえていました。二隻はレーダーで遠距離から追尾を開始します。そこにかけつけた巡洋戦艦フッドと戦艦プリンス・オブ・ウェールズとの間で、アイスランド沖海戦の火蓋が切られます。数分後にフッドは爆沈。プリンス・オブ・ウェールズも損害を受けて撤退します。プリンツ・オイゲンは無傷でしたが、ビスマルクは3発の命中弾によって燃料タンクなどに損害を受けます。緒戦は勝利でしたが、本命の作戦である奇襲による通商破壊は不可能になりました。優秀なレーダーで追尾する巡洋艦は健在で新たな敵を呼んでいるはずです。艦隊司令リュッチェンスはプリンツ・オイゲンと別れてフランスの港を目指すことにします。ついでに“エスコート”してくる敵艦を待ち受けるUボート網に誘導することにしますが、そこに空母ヴィクトリアスを発進したソードフィッシュ雷撃機(複葉機!)の編隊が襲来します。
 イギリス海軍省は、北大西洋で船団護衛などに就いていた軍艦をかき集めてビスマルクを追いつめることにします。戦艦4、巡洋戦艦2、空母2、重巡3、軽巡10、駆逐艦21による追跡作戦です。さらに航空機による偵察を繰り返し、一度見失ったビスマルクを発見します。空母アーク・ロイヤルを発進したソードフィッシュの編隊が雷撃、一本の魚雷が艦尾に命中し舵を壊します。ビスマルクはぐるぐる回ることしかできなくなり、そこにイギリス戦隊が。左舷寄りに傾き足が止まったビスマルクは回りから袋だたき状態となり、ついに沈没します。そのとき艦長がとった行動は……
 
 作戦の節目節目で、ビスマルク艦長リンデマンと艦隊司令リュッチェンスの間で意見の対立があったことが述べられます。著者は公平に判断しようと努めつつも心情的には艦長の肩を持ちますが、これは著者が着任時に臨時の副官になったりして艦長に心服していたことや、「ビスマルクを沈没させた」ことで艦隊司令を“有罪”と思っていることが強く影響しているのかもしれません。
 
 結局ビスマルクはゴーテンハーフェンを出港して8日目、1941年5月27日に沈没。2200名以上の乗組員の内救助されたのはわずか115名でした。
 
 
24日(水)不調
 昨日の帰宅時、郵便ポストの前にバイクを止めて投函をすませてまたバイクにまたがってスタータボタンを押したら、ついさっきまで快調に走っていたのに、いつもの1/10くらいの音量で「キュルルルルルン……」としかセルモーターが反応せずエンジンがかからなくなりました。一応セルは回ってるけれど音が小さい……これはバッテリーかな。とりあえず、5年前にこのバイクを買ってから初めてキックスタートでエンジンをかけました。そうか、5年も使ってればバッテリーも上がりますよね。
 一応今日はちゃんとセルはかかったのですが、今悩み中です。前輪も溝がなくなってきているからそろそろ交換しなきゃいけないのですが、一挙にやってしまうか、さもなければ交換はタイヤだけにして、もしセルがまた使えなくなったらキックスタートでしのぐか。もちろんお財布の事情が大きいのです。どうしよう。
 
【ただいま読書中】
だれも知らない小さな国・そこなし森の話 ほか2編』(佐藤さとる全集8) 佐藤さとる 著、講談社、1974年(86年7刷)、1500円
 
 私が読んだ「コロボックル」は、小学校の図書室だったか児童図書館で借りたものでしたが、『だれも知らない小さな国』とたしかもう一つ別のコロボックルの物語だったはずです。当時の記憶を探ってみると、今とは相当違う読み方をしています(あるいは、そう変質した記憶が残っています)。子どもの私はコロボックルの存在自体に魅了されていました。ストーリーなどどうでもよかったのです。不思議なものがこの世に存在しているかもしれない、そこから生じるわくわく感で私の心は満たされていました。
 しかし今回は、まず「戦争の影」に気づきます。敗戦から復興しつつある日本で、無一物で生活に追われる主人公。しかし彼は子ども時代の夢を忘れません。子どもの時に迷い込んだ不思議な山、周囲からは鬼門山と呼ばれて忌避されている空間の不思議な魅力に取りつかれた彼は、いつかその山を買い取る夢をあきらめません。
 敗戦ですべてを失った人たちに、この物語がどのくらい勇気を与えただろうか、と私は思います。今の私にさえ勇気を与えてくれるのですから、当時はもっとすごいインパクトがあったのではないでしょうか。何もかも失った。その日食べるものさえない。でも、希望と夢と思いは持っているぞ、これを頼りに自分は生きていけるぞ、とこの物語は人に思わせてくれたでしょうから。
 
 道路工事が始まろうとするところで私は不安で一杯になってしまいます。子ども時代にはここはさらっと流してしまいましたが、大人になるとどうしても成田だのダムだのの強制収用のイメージがかぶさってくるものですから。
 田や山をつぶして建設される予定の有料道路に対して、主人公やコロボックルたちが取った対抗策は、不確実だけれどいかにも夢のあるものでした(いまここの「夢のある」でくすっと笑えた人、ちゃんと読んだ記憶が残っていますね)。主人公が来るまでコロボックルたちが身を守るために使っていた手段は、ある意味破壊的なものでした。それが人間の影響でこのような平和的な手段を採れるようになったとは、人間も捨てたものではない、と思わせてくれます。
 
 本書はコロボックルは『だれも知らない小さな国』だけであとの3編はコロボックル以外の短編で構成されています。
 巻末の短編『名なしの童子』は、短いながら強烈な作品です(少なくとも、「日常」に流されがちな私にとっては)。なんでもそこそここなせるのだけれど、ちょっと油断すると頭に「かすみ」が拡がってしまってそちらに気を取られ、傍から見たらぼーっとしているだけのように見られてしまうタロウ。しかしある日そのかすみがタロウの目の前で、一人の童子(中国風の雰囲気)と彼が引く馬、そして馬上の美女の形に実体化します。それを見たタロウは山奥のダム建設現場に赴任する決心をします。そしてそこで出会ったのは……
 自分が本当に何を求めているのかがはっきり自覚することが、いかに人の人生に力を与えるか、を読者に語りかけてくれるファンタジーです。
 
25日(木)システム
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=149155&media_id=4
給食費未納報道であきれたこと二つ。
 
・「払えない」より「払わない」の方が多い
 
 たとえば虐待でろくに飯を食わせてもらえない子どもは、給食が命綱かもしれません。でもそんな親はきっと給食費は滞納するだろうなあ(ただの想像ですけど)。
 
・未納金を集めに回るのは担任教師
 
 ということは、校長や教頭(今は副校長?)に「あんたのクラスに給食費を払わんやつがいるやないか」と責められるのはクラス担任…… この場合クラス担任は個人として責任を問われるべき人ではないでしょう? 学校がシステムとして対応するべきではないかしら。
 
25日(2)言行
 有言実行であろうと不言実行であろうと、問題になるのは「実行」の方でしょう。言が問題になるとしたら、有言実行で言行不一致の場合くらいかな。
 
【ただいま読書中】
ダウン症療育のパイオニア ──ジョン・ラングドン・ダウンの生涯』オコナー・ワード 著、 安藤忠 監訳、あいり出版、2006年、3800円(税別)
 
 ジョン・ラングドン・ダウンは1828年に食料雑貨商兼薬局の末っ子として生まれました。14才で学校をやめて家業を手伝うようになったジョンは、1846年に知的障害の少女と出会います。その日から彼は医学を志します。薬種商たちが医学と薬学を分離して専門家としての薬剤師の地位を確立しようとしていた時代で、そのための薬剤師教育コースにダウンは選抜されます。薬剤師としてダウン薬局を発展させたダウンは、1853年ロンドン医学校に入学します。ギリシア語やラテン語の素養がないため苦労しますが(当時の医学教育ではこの二つは必須教養でした。学生の課題としてラテン語の内科学書を翻訳すること、なんてのがあった時代です)、ダウンは最優秀の成績を上げ1858年に王立アールズウッド知的障害者施設の病院長に抜擢されます。そこでダウンが見たのは悲惨な状況でした。「精神障害者は刑務所へ」「売春婦や貧乏人が行くべきは刑務所か精神病院か」なんてやってた名残がたっぷりあった時代です。ダウンは、不潔さを改善し無能な職員を整理し体罰を禁止します。(「求められるのは暴力行為ではなくて、教師の機転」とダウンは理事会に報告しています) また、マスコミ(新聞)対策をし医学研究(死亡者の解剖)も精力的に行います。学校出たての新米医者には重すぎる仕事ですが、1865年には収容者は207人から418人になり、教室で学力に応じての公教育が行われるようになり、作業所や農場が稼動して施設は自給自足ができるようになります(もちろん金持ちの寄付や王室の後援があってのことですが)。ダウンは同時に、優秀な職員を高給で確保する戦術を採ります(「無能な職員二人を安く雇うより、その倍の給料で有能な職員一人を雇う方が、仕事はたくさん片付き、食事は一人分ですむ」という計算だそうです)。
 しかしやがてダウンと評議会は経営方針を巡ってぎくしゃくするようになり、ついにダウンは辞職し、ノーマンズフィールドに土地を購入して施設を作ります。初年度の入所者は、脳性麻痺・(今で言う)学習障害・てんかん発作そしてダウン症候群と後に呼ばれる人々でした。ダウンは言います。「原始時代には知的障害児は粛清された。ほんの50年前には隔離された(たとえば精神病院などに不適切に)。知的障害児の取り扱いは文明の尺度である」
 
 ダウンが生きたヴィクトリア時代は、ひと言で表現するなら「進歩の時代」です。しかし知的障害者はその「進歩」とは無縁のものとして疎外されていました。そこにダウンは時代のもう一つのキーワード「科学」を持ち込んで形態学的な特徴で分類をしようとします(肉体へのこだわりは、たとえばダウンの施設での療育でもっとも重視されるのが肉体的快適さであることにもあらわれているように私には見えます)。頭蓋のさまざまな特徴を数値化し、口蓋や舌を観察し、ダウンは「蒙古人型重度知的障害」と呼ぶものがあることを示します。これは当時の人たちにとっては衝撃的な知見でした。当時はそもそも知的障害者と精神病者の区別さえ明確にされていませんでした。ダウンはその区別を行うと同時に知的障害の中にサブタイプがあることを示したのです。
 ダウンの子どもたちも父親の研究や施設の運営を引き継ぎ、たとえば息子のレジナルドはダウン症が高齢出産に多いことや手掌紋の特徴を報告しています。
 
 私が見るところ、ダウンの行動の原則は博愛や正義や理想といった“立派な言葉”で表現するべきものではありません。常に家族の経済や自分の社会的地位なども考慮し、学術的にも正しくあろうとする、ある意味功利的な行動に見えます。スタッフの待遇を改善するのはその方が優秀な人材が集まるからだし、知的障害児の環境を改善するのはその方が本人に良い結果が得られるからです。といって、冷徹で計算高いだけではありません。非常に高い社会的良心を見せます。事業としての医療と高い道徳との両立、ダウンが目指したのはこの難しい道のようです(「実践的な理想主義者」ということばが本書では使われています)。もちろんダウンが述べた言葉自体にはおかしいこともたくさんあります。染色体どころか、感染症という概念もまだ確定されておらず心臓手術など夢のまた夢の時代です。病気や障害の原因や治療に関して今の医学水準からは明らかに“間違った”ことも言っています。彼が述べる「進化(退化)」や「人種」という言葉や概念に関しても時代の制約があります。しかし、彼が時代の制約の中でいかに時代を変えていったかの価値がそれで減じるものではありません。
 
 脇道ですが、ラングドン・ダウンの子どもたちの写真を見ると、4歳の長男がスカートをはいています。写真の説明では「少年たちは、少なくとも5歳になるまでは、ズボンをはかなかった」そうで……19世紀のイギリスにも袴着のようなものがあったのかな?
 
 訳文はかたく、全体的に昔懐かしい直訳調です。原文も堅苦しいものだったのだろうと想像はできますが、関係代名詞の所などはもうすこし砕いてもよかったんじゃないかなあ。私は難しい文章は苦手なのです。
 
 
26日(金)うまくいっている民主主義
 今日の読書日記で扱った本の中に「民主主義の顕著な特徴として『発言の意欲の減退』がある」という意味の記述がありました。全体主義はもちろん特定のプロパガンダ以外の発言はできないでしょうが、民主主義では自由な論争ができるはず、と思っていたので意外でした。ただ、外からの働きかけがないと政治に興味を持てない人が多くいる、ということかもしれません。また、民主主義がうまく機能していたら、一般大衆は「必死に発言しなきゃ」とは思わなくなるでしょう。
 
 ということは、多くの人は沈黙を守り、一部の人間が2ちゃんなどで大騒ぎをしている状況は、つまり日本の民主主義は現時点ではとりあえずうまく機能している、ということなのかも。もしかしたら全然違うかもしれませんが。
 
【ただいま読書中】
ベルリン 廃墟の日々』原題 Berlin Days 1946-1947
ジョージ・クレア著、兼武進 訳、新潮社、1994年、2136円(税別)
 
 ドイツとオーストリアが合邦した1938年、ウィーン育ちのユダヤ人だった(ただし、ユダヤ文化よりはドイツ文化の影響下に育った)17歳の著者はアイルランドに脱出します。終戦時イギリス軍にいた著者は、「詩人と思索家の国」がなぜ「裁判官と死刑執行人の国」になってさらに自分の両親まで殺したのかを知りたいと、ベルリンへの転属を願い出ます。(この段落の部分は著者の自伝第一作『ウィーン 最後のワルツ』にくわしく書かれているそうです)
 勝者の服(イギリス軍服)を着ていますが、著者は“勝者”としてはベルリンに入りません。憎しみでもなく、憐憫や同情でもなく、もっと複雑な気持ちです。なにしろドイツ語は著者にとっては「母語」であり、ベルリンはかつては憧れの国際都市であると同時にアイルランドへのビザ発給を待っているときに「水晶の夜」の暴力の嵐が著者の家族のすぐそばを通り過ぎていった都市でもあるのです。
 ベルリンでイギリス軍にさまざまな許可を求めてくるドイツ人には、当然さまざまな人が混じっています。小狡い者、危険な者、高潔な者……自らの“罪”を認める人・認めない人……著者はそれらの人々とすれ違いあるいは深く関わります。
 
 終戦前後の数週間、ドイツに進入したソ連軍兵士は略奪・強姦などの乱暴狼藉を尽くしました。強姦の前に使われた言葉「女、来い(フラウ コム)」が本書では象徴的に取りあげられています。そして、ドイツでは、300年前の三十年戦争でのある事件が今でも子守歌で広く歌われている、という“事実”も。
 他国によって組織的な“被害”を受けた人々はそれを長く語り継ぐものでしょう。独ソに関しては最初に侵略したのはドイツですが、赤軍兵士に強姦・輪姦されたドイツ女性(とその家族)にとってはそれは“当然の報い”ではなくて“被害”でしょう。すると私たちはそれをどう“評価”できるのでしょう。事態は複雑です。
 
 著者がかかわった大きな事例は、フルトヴェングラーの非ナチ化です。当時は誰も非ナチ化審査部で“無罪”を得ない限り公的生活はできませんでした。フルトヴェングラーはナチスではありませんでしたが、ナチスに与えられた肩書きは特権を伴うものでしたし、さらにその芸術を利用しようとするソ連が熱心に後援しようとしています。したがってアメリカは彼を「ナチスの操り人形」から「ソ連の操り人形」になった人間と見なしていました。
 ちなみにフルトヴェングラーに対する“論争”は1933年に始まってます。このとき彼を批判していたのはナチスでした。そして彼が亡命しなかったことが(国内でユダヤ人を助けナチスに非協力的態度を取っていたにもかかわらず)戦後こんどは連合国側からナチスに消極的に協力したと問題にされたのです。(同じく亡命しなかったケストナーが、ナチスに迫害されると同時に連合国側からも批判されたのを私は思い出します) “殉教者”にならずに生き延びるためには絶対権力者に対して“妥協”することも必要でしょう。それを安全な外側から簡単に批判・非難してよいのか……この判断は微妙です。「黒」と「白」の間には「灰色」があるのです。そして、「勇気が必要な妥協」をしている人に関しては、その灰色がまだらになっているのです。
 
 連合国側も一枚岩ではありません。お互いの政治的駆け引きもあるし、内部事情もさまざまです。たとえばフランスでは、ドイツ占領下で、「心ならずも」から「喜んで」まで、ナチスに協力した人は大量にいます。(そういえば『鷲は舞い降りた』でも、イギリス内部でのナチス協力者が登場していましたね) さて、そういった人々がドイツ人を「お前は黒だ」「お前は白だ」と簡単に決めつけることができるのか……
 
 本書はユダヤとドイツを引き摺りながらオーストリア人からイギリス人になった数奇な人生を生きた個人の自伝ですが、同時に、当時のドイツやイギリスの、そして「時代の構造」ともいうべきものの“自伝”でもあります。民主制だったドイツがなぜあんなに“簡単”に全体主義になったのかの現場からの考察は読み応えがあります。また、「公平」(機械的な公平ではなくて、イギリス的な公平)の精神に関する記述は、一読の価値があるでしょう。
 
 
27日(土)温泉にて
 私の前の人が受付の若い女性に今手渡されたばかりの鍵を見て大声を出しています。「これはベンチの近くなんだろうな」「いえ……お近くがよろしいですか?」「当たり前だろう。何言ってるんだ」「申し訳ありません、お取り替えします」で、新しく渡されたロッカーのキーを持って「これはベンチの近くなんだろうな」「はい、間違いありません」「気をつけろよ」
……私だったら、まず最初に「ベンチの近くにして下さい」と言うでしょうね。この十数文字の発語で、上記の100文字くらいのやり取りはせずにすむはずです。
 しかし、無言で手を突き出して自分が特殊なリクエストを持っていることを察するべきだ、とは、この人は他人にテレパシーを要求しているのかしら。でも、相手がテレパシーを持っていたら、いやですよ。こちらの考えているあーんなことやこーんなことが全部知られてしまうんですから。私はテレパシーより言葉による情報伝達の方を重視したいなあ。
 もう一つ、「しかし」があります。この人は、着替えの時にベンチが必要なほど足腰が弱いようには見えなかったのです。玄関で私を押しのけて我先にはいるし、下駄箱でもたもたしているから受け付けに向かうときにはまた私が先になってしまうとカウンターの直前でまた私を押しのけて列に並ぶくらい元気なのに。
 受け付けも大変ですねえ。私にはこんな変な人を一日愛想良く相手するなんて、とてもできないな。
 
【ただいま読書中】
社長をだせ! ──実録 クレームとの死闘』川田茂雄 著、 宝島社、2003年、1400円(税別)
 
 著者は、あるカメラメーカーで苦情担当係をずっとやっていた人だそうです。当然“経験”は豊富で、一般には考えられないような「製品にクレームをつけるお客さま」とたくさん出会ってきました。本書ではその一部が具体的に紹介されます。
 しかし冒頭の例は、「海外旅行で写真が上手く撮れていなかった」→「カメラが故障したからだ」→「償いとして旅行費用を全部出せ」 ……すごい“三段論法”です。
 
 豊富な体験から著者は「クレームをつける人」をいくつかの類型に分類します。「ごね得型」「プライド回復型」「神経質型」「思い込み型」「新興宗教型」「特待要求型」「自己実現型」「真理追究型」「愉快犯型」……いやあ、あるある。私も今までにいろんな人に出会ってきましたが、たしかにここに登場するようなタイプの人はたしかにいます。
 
 意外なのは、著者が「泣き寝入り型(文句を言わない人)」を「クレーマー」の分類の最後に登場させていることです。文句を言わないからクレームではない、と捉えてはいけないのだそうです。誰でも故障や不具合があれば愉快な気持ちにはなれません。でもその気持ちを呑み込んで修理の列に並ぶ人が多いわけで、「文句を言われないからあれは“良い”お客」と思ってしまったら、製品の進歩も企業の成長も止まってしまう、と著者は述べます。そんな真面目なとらえかたができるのは優良企業でしょうね。となるとユーザーも「自分の損害は損害だが、これをきっかけにひいきの企業が成長してくれれば」と思えるようだったら、お互いに“得”になる可能性が出てきます。最低“徳”は積めるかも。
 
 そして、最近のインターネットによってクレームの形態が変わったことにもちゃんと著者は目を配っています(もう退職して、関係なくなっているのに)。
 ネットと言えば、最近いろんな企業の苦情担当係が、自分が経験したとんでもない事例をネットで公開していますが、読んでいるとたしかに「こんなことで文句を言うのか」「こんなとんでもない文句のつけ方をするのか」と驚きます。ただ、一方の言い分だけでは“真実”はわからないだろうな、とも私は思います。「クレーマー」扱いされている人でも、窓口での最初の対応が違ったらまったく違った結果になっていた人もいるのではないか、と思うのです。もちろんその逆もあるでしょう。
 そういえばもう何年前になるでしょうか、××クレーマー事件というのがありました。企業にクレームをつけ続けた人が「あんたみたいなのを、クレーマーって言うんだよ」と電話で言われた音声ファイルをネットで公開して、マスコミがそれに飛びついて大騒ぎになりました。本書でもそのことは触れられていて、テレビで副社長が謝罪したことも書かれていますが……当時NiftyServeの片隅では「被害者って言ってるけど、あれは○○(ハンドルネーム)だよ」「なんだ、○○か。それだったら納得」なんて会話がさりげなく行われていました。聞いてみると相当強力な前歴がある人で、個人としては「企業としてはあんなことまでされたらクレーマーって言いたくもなるだろうなあ」と同情したくなりましたっけ。もちろん“お客さま”に対してあんなことを言った時点でメーカー側の“負け”なのですが、「客」だからといって店に何を言っても良いというものでもないでしょう。金は商品に払っているのであって、何を言っても良い特権が売りに出ているわけではないのですから。ないですよね?
 
28日(日)出産する機械・装置
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=150946&media_id=2
 「15歳で出産して良い」と大臣が認めた、と解釈して良いですか?(^_^;) それと、少子化対策は「女だけの問題」ともとれるのですが、それって男の責任逃れでは?(私、男だけど釈然としません)
 
 まあ「失言」の部類なんでしょうが、私の辞書では「失言とは、ついもらしてしまったホンネ」となってます。
 
28日(2)息の白さ
 今冬は暖冬ですね。昨冬と比較して息の白さが半分くらいです。ということは寒さの厳しさも半分……ではないのでしょうが、バイクで走る身としては暖冬はありがたいことです。昨冬は10分くらいで指先は感覚がなくなるし顔が凍ったようにつっぱって辛い思いをしましたが、今年は本当に楽に運転できますから。と思ったら、最近少しずつ息の白さが増してきたような気もします。
 そういえば高校の頃、さかんに白い息を吐いていた生徒が「教師の前で煙草を吸うとはなにごとだ」と殴られた、という噂が流れてきました。そんな教師がいない学校に通っている身を感謝しつつ、その教師は殴る前になぜ確認しなかったのだろう?とも思いました。単にそそっかしいのか、それともまさか誰かをとにかく殴りたくて理由を探していたのか……
 
【ただいま読書中】
壁抜け男』異色作家短編集17
マルセル・エイメ著、早川書房、2007年、2000円(税別)
 
 モンマルトルに住み登記庁に勤めるデュチユールは、壁を通りぬけられる才能を持っていました。彼は怪盗「狼男」としてパリを騒がせますが、ある日恋に落ちます。嫉妬深い夫に厳重に閉じ込められているブロンド美人ですが、もちろん塀も鍵も「狼男」の前には障害ではありません。しかしある日彼に頭痛が……(『壁抜け男』)
 本当に奇妙な味の短編ですが、これは戯曲になってます(劇団四季がやっているのを、広告で見たことがあります。残念ながら舞台は未見)。この奇妙でストレートなお話を、どうやって舞台に持っていったのか、そちらにも興味がひかれます。
 
 食糧不足から「社会的無用者」に対する生存の制限が始まります。殺すのではなくて一ヶ月で生存できる日数が制限されるのです。売春婦や老人は7日、ユダヤ人は2週間、農民はほとんど制限無し。そして本作の主人公である作家は半月。チケットを使い切ったらその人は翌月まで「非存在」になります。やがて生存チケットの闇市場ができそこで余分なチケットを購入して5月を36日間生きたと主張する人が現れます。(『カード』)
 
 見ただけでお腹が一杯になる絵が描ける絵描き(『よい絵』)、同時存在(つまりは分身の術?)ができる女性(『サビーヌたち』)、ぶどう酒嫌いのぶどう作りとぶどう酒好きだが飲めない男(『パリのぶどう酒』)など、ヘンテコな人がまず登場し、でもその後の展開はきわめて“まっとう”という短編が続きます。だけど、最後の『七里の靴』。これは、もしブラッドベリが戦争中のパリにいたら書いたかもしれない、といった雰囲気の作品です。金を持っている家庭の子どもたちはその靴が手に入らないのに、貧乏なシングルマザーの子どもはその靴を履き、地球の果てで太陽の光をつかんで乙女座の糸で結わえる……このリリカルな光景を見た後で最後の一文を読むと、不思議で静かな感動がわき上がります。
 
 本書に収載されている七作はどれも1943年または1947年に発表された作品ですが……いやあ、ドイツによる占領や食糧不足が、このような形に“昇華”させられるとは、マルセル・エイメはまったくただ者ではありません。
 
 
29日(月)売ればいくら
 親の代からの切手収集家が学生の時私に自慢そうにコレクションを見せて「これは○円、こっちは○円」と値段ばかり言ってくれたことがあります。で、当然のように私の天の邪鬼虫が発動。「すごいねえ。で、売る気なの?」「え?」「いや、値段ってのは店に持って行かなきゃつかないだろ。で、さっきから値段ばっかり言ってるから、売るのかと思ったんだけど、これなんか発行年度から見たらお父さんのコレクションだろ。お父さんが収集して大切に保存していたのを、売る気なの?」
 値段を言わなくたって、すごいコレクションはすごいコレクションなんですから、それを素直に讃えれば良いんです。おかだは値段を言わなきゃ感心してくれない奴、とでも思われたのかしら。それはそれで悔しいな。いや、たしかに切手の“価値”なんかわからない朴念仁ではありますが。
 
【ただいま読書中】
ビードロ・写楽の時代 ──グリコのオマケが切手だった頃 1952-1960
内藤陽介 著、 日本郵趣出版、2004年、2000円(税別)
 
 「解説・戦後記念切手」の第2巻です。これは記念切手から社会を読み解く、というシリーズで、なんと日本学術振興会・科学研究費推奨研究の成果の一部だそうです。
 この時代、私は生きてはいましたがまだ小さくて記憶はほとんど残っていないので、一読「なつかし〜」とは言えませんでした。残念。雰囲気はとっても懐かしいんですけどね。
 当時葉書やラムネは5円、10円で封書やサイダー、牛乳は一合瓶が12円だったかな(飲んだらガラス瓶は返します)。
 
 本書最初の記念切手は1952年の「日本赤十字創立七十五年」。日本赤十字は、西南戦争の傷病者救援のために創立された博愛社がルーツだそうです。この切手は、サンフランシスコ講和条約で日本が独立して初の切手、という点でも「記念」になる切手だそうです。
 次は「東京大学創立七十五年」。原画作成や印刷の苦労話は興味深いものですが、私が特に興味をひかれたのは、収集家からの声です。75年は中途半端・同じ75年の早稲田をなぜ無視する・こんなに次々新切手を発行されてはたまらない、という批判の声や悲鳴は、切手が実に人間くさいものであることを示しています。
 皇太子関連(立太子、外遊、ご成婚)の記念切手に関する話も面白い。特に宮内庁の“虎の威を借る”姿勢には失笑が洩れます(当事者は笑うどころではなかったでしょうけれど)。自分たちの値打ちが下がらないように皇室の“商品価値”を高めておこうと熱心なだけに見えますが、しょせん同じ平民じゃないですか。何をそんなに偉そうにできるんだろう。
 宮内庁の横車に煮え湯を飲まされ続けた郵政省もやはりお役人体質で、明らかにおかしいデザイン(たとえばかみ合わない歯車、裏返しの電信符号、など)について決して誤りを認めようとしません。切手発行の専門家は「切手発行」の専門家であって森羅万象に詳しいわけではないから、変なデザインになることもあるでしょう(それは、記者が「記事を書くことの専門家」ではあっても「記事の内容の専門家」ではないのと似ています)。だったら原稿段階でその分野の専門家にアドバイスを頼めば、本当の専門家だったらもったいぶったりせずに喜んでアドバイスをくれるはずです。それとも他人に頭を下げるのは沽券にかかわるとでも思っている? 変な沽券だ。
 グリコのオマケに切手があったことは知りませんでした(少なくとも、私が集めていた時代は木製の乗り物が多かったような)。ただ、昭和30年代にどこかの懸賞に当たって使用済みの外国切手が小さな袋一杯送られてきたときにはとても嬉しかったのを覚えています。ああいったもので切手コレクターへの道を歩み始めた子どももけっこういたんじゃないかな。
 
 国体記念切手は毎年発行されています。それを読むと、当時は東京がやたらと勝っていることと、国体廃止論議があったことがわかります。廃止しようとする理由は、コスト。今とは国体を取り巻く雰囲気がずいぶん違っています。その結果、1957年の静岡国体から今のようなシステムになり、ついでに開催地の静岡が優勝。政治は55年体制ですが、国体は57年体制なんですね。
 佐久間ダム・東海道線電化・原子炉・関門トンネルとインフラも整備されていきます。日本がこうしてどんどん変わっていくのを「切手」から覗いた昭和史の本ですが、私には切手発行を巡って紹介される発行者・収集家の世界での昭和史が大変面白く読めました。
 不満は、図版の部分です。もう少し大きくてカラーだったら良かったのになあ。コストやスペースの関係だとは思いますが、文字だけではなくて図を“読む”ことによって本書の魅力がさらにアップしただろうに、と残念です。
 
 
30日(火)公正・中立なマスコミ
マスコミがするべきは……
 
1)特定の立場(支持政党・宗教・社会的意見……)に基づいて「正しい」主張をする。
2)意見が割れている問題については「意見が割れている」と報道して、その背景情報を提示する。
3)意見が割れている問題について「神の視点」から(あるいはハードボイルドに登場する私立探偵の行動によって)「真実」を提示する。
 
 この3つのうちのどれをマスコミがするべきか、という意見によって、東京高裁の判決に対する評価は割れるでしょうね。
 
■番組改編訴訟、NHKの賠償責任も認める…東京高裁(読売新聞 - 01月29日 19:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=151648&media_id=20
 
30日(火)レイプ防止
 女性のためには自衛の講習が必要でしょうが、男性にもレイプ防止の教育が必要でしょう。片一方だけではこの犯罪の激減は無理だと私は考えますが、現状はその片一方さえまだ不十分です。
 道徳教育? それで解決するのならこの世の犯罪のほとんどは最初から発生しません。
 
【ただいま読書中】
ゴッドウルフの行方』ロバート・B・パーカー著、菊池光 訳、 1984年(87年4版)、1300円(税別)
 
 本書は、スペンサーシリーズの第一作を改訳したものです。
 元ヘビー級のボクサーだった私立探偵スペンサーは、ボストンの大学から盗まれた中世の「ゴッドウルフの彩色写本」を取り戻すよう依頼されます。大学の中をうろつき始めたスペンサーは、事情を聞いた学生たちが関係した奇妙な殺人に巻き込まれます。犯人にされそうになった女子学生テリイの無罪を証明するようスペンサーは金持ちの親から依頼をされますが、大学の中に麻薬の密売グループがある、左翼的な反政府運動グループに教授が絡んでいる……さまざまな噂がスペンサーに集まってきます。さらにギャングの親玉がスペンサーを脅そうとします。スペンサーの行動の何かが誰かのどこかを刺激したようです。
 そしてテリイは犯人に“決め”られ、捜査していた警部補は担当を外されます。同時に写本は大学に戻されます。ギャングも大学も警察も、よけいな手出しをするな、と言います。スペンサーは当然それに素直に従う気はありません。「なぜ知りたいの?」と尋ねられてスペンサーは「わからないからだ」と返します。一度依頼を受けたから、コケにされるのは気に入らないから、わからないから、スペンサーは動き続けるのでしょう。そしてバラバラだった事実と推測が結びつき、「わかっていて立証できること。わかっていて立証できないこと。それと、わからないこと」があることがわかります。
 
 スペンサーはあまり長い文章を喋りません(基本的には3〜4秒以内)。しかもやたらとひねった言い回しをします。その言葉はけっこう真実をついているので、腹に一物ある人間・秘密を隠している人間には、その言葉(あるいは語られなかった部分)がトゲのように刺さったり皮肉やほのめかしをされているように感じられます。敵がどんどん増えます。スペンサーに嫌がらせをする者、「お前を殺してやる」と脅す奴、本当に撃ってくる敵。トレーニングや料理をしながら、スペンサーは動き続けます。
 
 本書には、一見洒落ていてしかし苦痛に満ちた言い回しが充満しています。たとえば……
○私は玄関から、白い死の世界のような夜の中に出て行き、車に乗り、町に戻った。
○「秩序は離れて見る場合にのみ存在する。そばへ寄ると何事も汚らしい」(スペンサーと会話していたある黒人女性のことば)
○「“わたしは命令に従う”という文句を一般に広めたのは、かの有名なアドルフ・アイヒマンじゃなかったかな?」(byスペンサー) 
○洗濯機で洗われ、しぼられ、洋服掛けで干されている気分だった。
 苦痛が満ちているのは本書の中だけではなくて、スペンサーが生きている、そして私たちが生きているこの世界もなのでしょう。
 
 
31日(水)明日は我が身
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=152092&media_id=2
 
 たしかに「早期帰国」は当時としては不可能だったでしょう。国交もなかったし中国の中は無茶苦茶だったし。でも、「自立支援は不充分とは言えない」には異議あり。もしかして「障害者自立支援法」と同じ意味で「自立支援」という言葉を使っているのかな。あちらは単に「コスト削減」の言い換えで、「自立して稼いで所得税を納めてもらおう」なんてことは意味してないでしょ。それとも生活保護をすることが自立支援? 「生活保護をしてくれ」と“帰国” してきたわけではないと思うのですが。
 
 ナチスに関して、ユダヤ人・共産主義者・カソリック、と少しずつ迫害されていくのを「自分のことじゃないから」と看過していたらいつのまにか自分の番がきた、という詩(?)がありましたが、それと同じように、こうやって“弱者”を少しずつ切り捨てていくのを看過していたら、いつか「自分の番」が来るんじゃないか、と漠然とした不安を感じます(被害妄想だったら良いんですけどね)。
 
 ああいった「法律的には正しいが、不人情な判決」を見ると情けなくなります。「不人情」なんだから「情けない」のが当たり前? 確かに。でも、法律は法律のために存在しているものであって、人のために存在しているものではない、ということ?
 
31日(2)知性の要素
 「天才は1%の霊感と99%の汗」はエジソンですが、これを見て「なんだ、努力の方が重要なんだ」と思うのは早とちりでしょう。だって「(たった)1%の霊感」とありますが、エジソンの“それ”は私の“それ”の何倍何十倍何百倍もあるのですから。で、さらにその99倍もの努力が加わります(いや、加算ではなくてかけ算かもしれません)。凡人は努力してもせいぜい自分の天分の数倍程度のはずです(自分基準)。出発地点が違いすぎる人がさらにとんでもない努力をしてくれたら、こちらには敵う術がありません。くやしいですけどね。
 
 悔し紛れに話をずらします。天才ではなくて、知的な人間に必要だと私が思う要素を列挙してみましょう。
理想、体力、知力、知識、良識、勇気、ユーモア、好奇心、ささやかな幸運、良き友人。
あらあら、エジソンの言葉のシンプルさに比較して、なんともまとまりが悪いこと。10個もあったら、短期記憶におさまりません。でも、知的であるためにはこのどれ一つを欠いてもいけないと思うんです。
 ……私はこれらの要素がたくさん欠落しておりますから、安心です。
 
【ただいま読書中】
オシムの言葉 ──フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦 著、 集英社インターナショナル、2005年、1600円(税別)
 
 2003年にサッカーJ1ジェフユナイテッド市原にやってきた新監督は、独創的な猛練習を選手に強い、回りが驚く選手起用を行い、その結果ジェフはそれまでぱっとしないチームだったのが優勝争いをするレベルになってしまいます。スポーツ記者たちが特に注目したのはオシム独特の発言でした。記者会見の場を爆笑の渦に巻き込むかと思えば緊張感を漂わせながら説得力のある論理展開をする。記者も“油断”ができないのです。
 
 オシムは1941年にサラエボに生まれ、そこで育ちました。大学では数学を専攻する優秀な学生でしたが貧乏だったためサッカーチームに入団。東京五輪ではユーゴ代表として日本から2得点を上げています。12年の現役生活で特筆すべきは、イエローカードが1枚もないこと。フランスからユーゴに帰ったオシムは監督として地方の球団を大躍進させて注目を浴び、ユーゴ代表チームのスタッフとして招聘されます。効果はすぐに出ました。84年のロス五輪でユーゴは銅メダルを獲得します。86年にオシムは代表監督になりますが、中盤から前線の選手が“大豊作”となります。ユーゴでは各民族への“政治的配慮”が重要でしたが、オシムは敢えてそれを無視します。マスコミはオシムを叩きますが、結局当時の関係者はどの国どの民族の人もオシムを最高の指導者と認めているそうです。90年のイタリアW杯、その年はユーゴ崩壊が始まった年でもありました。記者は自分の民族出身選手だけをひいきし、ひどい場合はピッチで監督に直接「○○を引っ込めて××を出せ」などと指図するのです。予選初戦の西ドイツ戦でオシムは記者の“リクエスト”通りの布陣を取り、敗北します。しかし次のコロンビア戦ではオシムの考え通りの布陣で快勝。マスコミは沈黙します。UAE戦はさらにシステムを変更してこれも快勝。しかし準々決勝のアルゼンチン戦ではPK戦まで行って敗北。92年、おそらく当時世界最強だったユーゴチームが欧州選手権に向けて快進撃をするのとシンクロするように内戦が激化します。オシムの妻アシマは包囲されたサラエボから脱出できず、オシムの家族は音信不通のまま2年半ばらばらになります。ユーゴ代表監督に関しては、圧力をかける政治家・薄汚れた民族主義者・プロパガンダにばかり興じるメディア・バルカン権益を狙うビジネスマンたちがオシムをやめさせようとしますが、選手たちは(どの民族の選手も)オシムが去ることを拒絶します。
 移ったギリシアでもオーストリアでもチームを躍進させたオシムは、ビッグクラブからの誘いを断って極東のJリーグで年間予算が最低のチームからのオファーを受けます。「システムは選手から自由を奪うためにあるのではない。選手がシステムを作っていくべきだ。それは国家でも同じ」と考えるオシムにとって、制限の多いビッグクラブよりも一から作り直す権限が持てる中堅クラブの方が仕事がやりやすいのでしょう。オシムは選手とボールに「常に動き続けること」を求めますが、オシムも自分自身に「自分が動き続けること」「人を動かし続けること」を求めているのかもしれません。
 
*「権限」とは、人とものと金と時間を(ある程度)自由に動かすことができる力を意味する、と私は考えています。いくら立派な“地位”であっても、上記の4つを動かすことができなかったらそれはただの兵隊ごっこの大将でしかありません。そして「責任者」とはその「権限」の結果に対して責任を取る人のことでしょう。
 
 オシムの理想は「美しいサッカー」のようです。ただし、単に理想を選手に強制したりしません。現実を直視し、それに働きかけることで実践的に何かを作り出していき、その結果として美しいサッカーが生まれことを目指しています。その現実とは、目の前の選手たちと敵チームとスタジアムのサポーターたち、そしてスタジアムを取り囲む社会の状況です。
 「目の前の選手たち」をオシムは平等に扱います。スターでも新人でも「今何ができるか」「試合で状況が動いたとき何ができるか」で判断されます。でも、これは機械的な平等ではありません。オシムは言います。「選手を平等に見ると言うことは、自分をフラットにするということでもある」。これはコワイ言葉です。自分に相当厳しくないと、そしてその「自分」が人間に対する深い愛情に裏打ちされていないとこんなことは言えません。
 
 オフト監督のときでしたっけ、「アイ・コンタクト」「トライアングル」といった基本的なことが日本代表選手に要求されていましたが、今はこんなすごい監督が日本代表の指揮を執ってくれる時代になりました。これは選手も少しずつレベルアップしてきたからでもあるでしょう。私は期待に震えながら「オシムの言葉」が日本中に満ちる日を待っています。
 
 ちなみに「オシム監督語録」は、ジェフ千葉の公式ホームページで読むことができます(2007年1月30日現在)。面白いのは、オシムの言葉を訳し続けた通訳の人までもが“変化(あるいは成長)”したことです。このことについては、本書をどうぞ。