2007年4月
 
1日(日)ことば
 まるでアルコールで固定された標本を解剖するような手つきで、ゴム手袋はめてピンセットで臓器をつまむような態度で「ことば」を論じる人がいます。たしかに「学術的」なのでしょうが、私はあまり“それ”は好みではありません。「ことば」ではなくて「ことばじり」を論じるのには適した態度だとは思いますから無下に否定はしませんけれど。
 ことばは生き物、が私の考え方です。暖かくて流動的で一部だけを取りだしてもその“いのち”は見ることができないものです。大切なのは、シニフィアンとかシニフィエを単独で見ることではなくて、その両者の関係を見ること、そしてその両者が人の心とどうつながっているか、をじっと見つめることだ、と思うのです。単語の意味は辞書を見てもわかりますが、“本当の意味”は単語が存在する文脈に依存するのです(たとえば慇懃無礼などはその好例でしょう)。その「意味」と「本当の意味」のずれこそが、現実に使われている言葉のあいまいさであり面白さでしょう。さらにコミュニケーションとなると、言葉以外の部分(ノンバーバルコミュニケーション)が重要な働きをします。
 ですから、今使っている言葉を殺してからその死体をいくら精密に論じても面白くないし“正解”からは遠くなる、大体その論者の目は生き生きしてないから好きになれない、と決めつけるのはやり過ぎでしょうか。
 
【ただいま読書中】
京のわる口』秦恒平 著、 平凡社、1986年、1400円
 
 「京」のわる口(京に対する悪口雑言)ではありません。京で日常的に使われているわる口(批評語)をいくつも取りあげてみました、という趣向の本です。すると、あるわあるわ、次から次へと出てきます。それに対して相手を素直に褒める言葉の少ないこと。もしかしたら京都の人は……おっと、これでは「京の人」のわる口になってしまう……という趣向の“きわどい”本です。
 
 「うるさい」「ぐつわるい」「えらい、えらそぅに」「もっさり」「かなん」「よぅ言わんわ」「お気張りやす」「じじむさい」「どん」「しんきくさい」「気色わるい」「いやらしい」……いやあ、本当に出るわ出るわ。そんなに細かい使い分けをしているのか、と感心する言葉もあります。こうしてみると私の慣れ親しんだ方言は、他人を批評する面ではまだまだ細やかさが不足していると言って良いでしょう。
 
 東京だったら「お前には負けるよ(負けたよ)」と言われる場面で、京都では「勝てんは、あんたには……」と言われます。「負けた」と「勝てん」。似ているようで、違います。「負けた」には、本当に負けになる前に「いいさ負けといてやろう」という軽い放棄の態度がうかがえますが、「勝てん」には「まだ負けてへんで」という粘りがあります。つまり京都の人は負けず嫌い。そしてそれが顕著に現れるのが、ものを買うときです。「負けてぇな」が連発され、とうとう売り手に「勝てんわ…」と言わせるのです。人の顔を見るなり「負けてぇな」とは、ああ、なんて社会だ、と著者は京都から東京に逃げ出したのです。
 ただし、京都の人は誰にでも「負けてぇな」というわけではありません。むしろ店の方が最初から「勉強させてもらいまひょ」と言ってくれる人間関係を築けるかどうか、が重要なのです。
 
 著者は言います。「言葉は物事の輪郭や関係を「はっきり」させる役目のものと、常識のように誰にもどこででも思いこまれているみたいであるが、必ずしも、そうでない。京ことばの真実の特徴は、むしろ物事の輪郭や関係をなるべくおぼめかしながら、意図だけは正確に伝えるという、「もってまわった」言いまわしの技術にこそある。ひょっとして日本語のこれこそ本来の特徴なのだとさえ、私は言いたいくらいである。」
 うわあ、ここまで言いますか?
 そして最後には源氏物語・枕草子・大鏡(のほんの一部)の京言葉による現代語訳が登場します。これが面白い。京言葉が内在する「位取り」機能によって、“雅な世界”で盛んに行われていた位取り行為がまざまざとあぶり出される……そうです。ネイティブな京言葉使いでない私にとっては、細かいニュアンスはとんでしまうのが残念ですが、それでも共通語での現代語訳よりはたしかに面白さが増しているようには感じられます。ことばって、つくづく面白いものですねえ。
 
 
2日(月)地名変更
 私が小学生のとき、住居表示変更によって育った町の地名が大きく変更されました。もともと埋め立て地で歴史的に由緒のある地名というわけではありませんが、それでも明治からずっとその地名で呼ばれていたところです。地元民の感情的な抵抗は大きかったようですが、「今のままでは郵便が配りにくい」という理由で街はみごとに縦割り横割りされて規則正しい名称と丁目と番地が割り振られました。
 人間の記憶や感情って、あんなに規則的に区分できるものではないでしょうし、地名というのは過去からの人間の記憶や感情の蓄積でもあると思うのですが、管理する側には別のものの見方があるのでしょうね。
 
【ただいま読書中】
消えた駅名 ──駅名改称の裏に隠された謎と秘密』今尾恵介 著、 東京堂出版、2004年、1800円(税別)
 
 駅の名称は地名と同じくいつまでも同じではありません。しかしその事情は様々です。本書では日本各地で「消えた駅名」の事情を列挙し、それによって日本の鉄道事情だけではなくて、駅名(地名)を日本人がどのように扱ってきたか、もいつの間にか浮き彫りにしてくれます。
 
 戦争に伴い、軍の施設や重要な施設を駅名に持つもの(たとえば横須賀軍港駅など)は改称を軍に命じられました。西武鉄道の「村山貯水池際」も「村山」に変えられ、現在は「西武球場前」になっています(ついでですが「村山貯水池」は現在「西武遊園地」)。もちろん貯水池も重要な施設です。スパイに破壊活動をされたら大ごとです。……たしかにそうですが、駅名を変えたら重要度が隠蔽できるんです? さらに駅名変更は昭和15〜16年。私が日本の敵なら、それ以前から日本地図を継続的に入手してどこに何があるかはチェックしておきますし、駅の名前が「○○軍港駅」かどうかよりも実際にその港がどう使われているか(造船所や補給施設との関係など)の方を重要視するでしょう。「最新の地図では問題になりそうな地名が見えません」ってのは、結局「うるさい上役」に文句を言われないためだけのものだったのではないかしら。それで“由緒”ある駅名を変えられる側は、たまらない思いだったんじゃないかなあ。
 国鉄の私鉄の“綱引き”で駅名が変遷する例もあります。旧・京成千葉駅など、国鉄との絡みで名前どころか位置まで動かされています。さらに、国鉄が現・千葉駅を新設するとそのすぐ脇を通過していた京成も新駅を造ることになり「国鉄千葉駅前」と名付けられます。そして国鉄がJRになると「京成千葉」に(で、そのときの「京成千葉駅」は「千葉中央」に)。玉突きをやっているんじゃないんですけど……
 地下鉄銀座線の「青山六丁目」(昭和13年開業)は、翌年「神宮前」と改称しました。ところが千代田線の「明治神宮前駅」の方が神宮に近いものですから昭和47年に「表参道」に改称しています。これはわかりやすいし納得のできる事情です。あるいは、小学校の裏だから「学校裏」という駅名だったのが、大正年間に小学校が移転してしまい、それでも馴染みの駅名だと昭和36年までがんばって、とうとう「平和島」に改称した、という例もあります。
 「イメージが悪い」というのも有力な理由です。ゴルフ場の前なのに「膝折」(現在「朝霞」)、墓地の前だから「多摩墓地前」だったのが、付近の宅地化で「多磨駅」に……ところがその南に「北多磨駅」があるものだから、そちらも「白糸台」に改称……このへんまでは良いのですが、「蛇窪」の「蛇」も「窪」もイメージが悪い、というのにはちょっと賛成しがたいものが。
 
 全国の国鉄・私鉄・市電からピックアップされているので知らない駅がほとんどですが、「あ、ここで降りたことがある」「ここの近くに住んでいたことがある」なんて駅もいくつかあります。読んでいてちょっと悲しい思いをしたのは、企業の都合や観光目的での改称でした。これを簡単に許しちゃうと、世間の情勢が変わったらまた簡単に改称しなければならなくなっちゃうでしょ。それって、地元民にとっては嬉しいことには思えないのです。
 
 
3日(火)娯楽小説
 恋愛小説は人(男女の組み合わせはもちろんいろいろ)の間の心の機微や運命のイタズラをゲームとして楽しむもの言えそうです。歴史小説は歴史そのものを大きなゲームとして、あるいは歴史をゲームの枠組みとして使ってその中での物語を楽しむ小説と言えそう。つまり、娯楽小説の(すべてとは言えないでしょうが)多くは「ゲーム」を楽しむ小説、と言うことができるかもしれません。
 すると推理小説は、犯罪(特に殺人)をゲームとして扱った小説となります。「犯罪をゲーム感覚で、とは不謹慎だ」と怒る人もいるかもしれませんが、でもたとえば殺人でもない限り「密室の謎」なんてものを真面目に解こうという気にはならないわけです。ここで重要なのは「謎」の方であって、犯罪はその謎の存在を支えるために必要な条件。小説の作者も読者も犯罪を楽しんでいるわけではないのです。
 
【ただいま読書中】
密室殺人コレクション』二階堂黎人・森英俊 共編、原書房、2001年、2400円(税別)
 
 ほとんどが本邦初訳の短編を集めた密室殺人集です。もともとは「かつての名作が今では読めなくなってしまった。だったら古いアンソロジーから良い短編を集めてアンソロジーを組もう」という意図で始められた企画だそうです。
 
『つなわたりの密室』(ジョエル・タウンズリー・ロジャース)
 高級アパートの4階の部屋で、大金持ちが惨殺されます。しかし玄関ドアには施錠(+ドアチェーン)、裏窓も内側から施錠。さらに同じアパートの住人である女性の死体も同時に見つかり、警察官と共にアパートに飛び込んだ第一発見者は頭を殴られて失神。ところがそれから数秒後に現場に到着した警官隊は犯人がすでに密室から姿を消していることを発見します。謎を解く鍵を握っているのは、路地を挟んだ裏のアパートで現場の真向かいに位置する部屋の作家。しかし彼は難聴である上に仕事に熱中すると世界との接触を断ってしまう性癖を持っています。さて、誰が犯人なのか。女性の死体の意味は? そして密室トリックの謎はどう解かれるのか。そして著者がほのめかす「路地裏に転がる第三の死体」とは誰のことなのか。密室トリックそのものは素直なものですが、アメリカならではのちょっと複雑な人間関係が絡んで作品に深みを与えています。それと“探偵”役の人の性格的な面白さも際だっています。
 
『消失の密室』(マックス・アフォード)
 古い屋敷の地下室。閂をかけて閉じ込められた人が、扉を開いてみると消失している、という伝説があるのだそうです。それをジョークのネタに使おうとした人が、本当に扉を閉めてからまた開けると、わずか1分足らずの間に消失しています。それも二人連続で。石造りの壁はひたすら冷ややかに人の探索を拒絶します。人の思惑が交錯し、事態は複雑になります。
 
『カスタネット、カナリア、それと殺人』(ジョゼフ・カミングス)
 映画の撮影現場、カメラが映しているその場で殺人が起きます。しかし、犯人は写っていません。「映像は嘘をつかない」のです。するといわば衆人環視の開かれた密室での殺人です。さて、犯人は誰で、どのような手段を用いたのでしょうか……って、ちょっとこれは無理がありますねえ。
 しかし、主演女優、良い味を出してます。
 
『ガラスの橋』(ロバート・アーサー)
 「私は殺されるかもしれない」と言い置いて作家の別荘を訪ねた女性が行方不明になります。回りは雪に覆われ、残された足あとはその女性が別荘にはいるときのものだけ。6月になって女性の死体が見つかります。家から1/4マイル向こうで凍死して。作家は心臓が弱く死体を運ぶことはできません。運ぶ手段も別荘には見あたりません。
 この作品は、密室ものであると同時に安楽探偵ものでもあります(つまり読者も探偵と平等な条件のはずです)。ただ……このやり方だと絶対跡が残ると思うんですけどねえ……
 
『インドダイヤの謎』(アーサー・ポージズ)
 インドダイヤを盗んだ泥棒を銃撃戦の結果やっと逮捕したイースト警部ですが、ダイヤは消えていました。そこに現れたのがアメリカの素人探偵セラリー。そして謎のダイイングメッセージ「イースト、鉛を取り出せ(米俗語で「さっさとやれ」)」。これはイギリスを舞台にしたから面白さが増していますが、アメリカ人がイギリス(とフランス)をコケにした作品、とも読めます。
 
『飛んできた死』(サミュエル・ホプキンズ・アダムズ)
 崖のふもとの砂浜で刺殺されたばかりの死体が発見されます。回りにあるのは被害者の足あとだけ。あとは大きな鳥の足あとが…… ところがその足あとを見た学者は「それはプテラノドンの足あとだ」と主張します。そして次の被害者が出ます。そしてさらに次の……本当にプテラノドンが人を突き刺して殺しているのでしょうか。
 
 手練れの読み手にはそれほど難しい「密室トリック」はありませんが、よくもまあこんな「密室」を考えつけるものだ、と感心できる短編集です。
 
 
4日(水)ハンダゴテ
 私が自分のハンダゴテを持ったのは中学の時、技術の時間で使うようになったときでした。友達に技術系が多くて、学校帰りに一緒に電器店に行ってジャンク品(中古の電子部品)をあさったりしていました。もし近くに一昔前の秋葉原のような街があったら、きっと人生の“道”を踏み外していたことでしょう。……いや、その方が今よりはまともな人生だったかな?
 当時はまだ真空管が現役で、私も「これ使えるかな?」とつまんだ真空管をためつすがめつしていましたが、裏切られることが多かったのはむしろ地味な抵抗やコンデンサーの方にでした。結局3球ラジオまでは作りましたが、私が好きだったのはむしろ鉱石ラジオです。構造が単純でしかも電源が要らない。バリコンを慎重に操作していて耳にねじ込んだイヤホンから放送が聞こえた瞬間の達成感は、なんとも他では得難いものでした。
 “それ”系の少年たちは、今はもしかして最初からパソコンの自作を始めるのかな?
 
【ただいま読書中】
はじめてのはんだ付け技術』(ビギナーズブック27) 菅沼克昭 著、 工業調査会、2002年、1950円(税別)
 
 はんだ付けは紀元前3500年頃のペルシアですでに行われていました。当時のはんだは「錫ー銅」または「錫ー銀」の合金で、つまりは最新のトレンド「鉛フリーはんだ」なのです。メソポタミア・エジプトと時代は移り、ローマ時代の水道(鉛配管)には現在オーソドックスに用いられる「錫ー鉛」はんだが残されています。
 日本でのはんだ使用に関して詳しい研究がありませんが、平安時代の「倭名類聚抄」(日本初の百科事典)には奈良の大仏に「白鑞」(錫ー鉛合金)が用いられたとあるそうです。また、江戸時代の貝原益軒は松脂を用いる「鑞付け」について書き残しています。
 
 最近環境問題(家電廃棄物による環境汚染)の観点から鉛を含まないはんだが求められています(北欧の一部でははんだだけではなくて電子部品自体への鉛使用禁止も言われています)。ところが「錫-鉛」はんだ(融点183度)を超える扱いやすくて安価なはんだはなかなかありません。錫-銀-銅系統のはんだは融点が217度で、電子部品や薄くなる一方の基盤への温度影響が心配です。しかし他にいくつも錫合金の候補がありますし、導電性接着剤の研究も進んでいます。濡れ性、強度や伸び、導電性など、クリアするべき問題はいろいろありますが、こうしてみると、古代ローマ時代にすでにはんだが“完成”していたのは、人類にとって良かったのか悪かったのか……
 
 現在の「Sn-Pb系はんだ」(錫-鉛)は、共晶はんだ・高温はんだ(Pbが多め)・低温はんだ(Biなどを多量に含む)に大きく分類され、JISで細かく規定されています。各合金の電顕写真も本書にはたくさん掲載されていますが、私にとっては猫に小判豚に真珠馬耳東風(笑)……でも結晶の写真って、きれいですね。
 
 溶けたはんだが金属にのせられると「ぬれ」が生じます。これはぬれ性試験で評価されますが、温度・表面張力・はんだ表面の酸化膜・金属表面の酸化膜・反応層での反応のし易さなどによってぬれ性は上下し、さらにフラックス(松ヤニなどで酸化膜を除去する)を使用するかどうかでも影響を受けます。ぬれたら次は界面反応です。ほとんどのはんだでは界面で金属間結合が生じています。金属が何か、メッキがしてあるかどうか、で話はいくらでも複雑になります。
 また、室温ははんだにとっては“高温”(絶対温度で言えば、融点にきわめて近い温度)のため、室温でも拡散やクリープが生じ、それがはんだの信頼性に影響を与えます。(ということは、電子機器を使用する場合に発生する熱も、はんだにとっては大きな問題ですね)
 精密部品に熱をかけたくない場合、運転時に高温になる場所(たとえば自動車のエンジンルーム)などでははんだが使いにくいため、そういったところでは導電接着剤の出番です。しかし、現在のエポキシ-Agは、高価なことと銀資源が有限(下手するとあと20〜30年で掘り尽くしてしまう)ことが大きな問題です。
 
 タイトルから「はんだごての上手な使い方」を期待したら大間違いですが、これはまた面白い本でした。そうそう、「錫ペスト」なんておそろしい“病気”も本書には登場します。そう、あのペストなんです。(と書いたところで私の脳の配線のはんだがはずれたようです。ではここでおしまい)
 
 
5日(木)土筆
 一日ネット接続が不自由な環境にいたので、とりあえず昨日の日記アップです。
 昨日、次男が河川敷で遊ぶというのでついていきました。風が冷たい。花冷えと言うより寒の戻り、ほとんど真冬です。ひとしきり遊んでからさあ帰ろう、と土手をよじ登っていたら、あら、土筆発見。きょろきょろすると周囲にもぱらぱらと生えています。穂がもう開いているものも多いけれど、ちょうど良いものもあるので早速土筆摘みです。気がつくと夕日は傾き手はかじかんでいます。カラスが鳴くからか〜えろ、と帰りました。
 
 
6日(金)科学と魔法
 最近のSFだと、たとえば「ナノテク」と「量子」を散りばめれば、ほとんどのことは可能になります。「死者の再生」だって「DNA情報をもとに肉体をナノテクで再生して量子保存してある記憶をそこにダウンロードすれば」可能なわけ。死者の再生は魔法の世界の出来事のはずですが、その「魔法」を進歩した「科学」で説明・再現している、とも言えるわけで、当然私は「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない」(アーサー・C・クラーク)を思い出すわけです。というか、現在レベルの科学でさえ実はちゃんと理解せずに“魔法レベル”で受け入れている部分はけっこう多いのではないか、とも思えるのですが……違うかな?
 
【ただいま読書中】
オリュンポス 上』ダン・シモンズ 著、 酒井昭伸 訳、 早川書房、2007年、2200円(税別)
 
 昨年の10月8日の読書日記に書いた『イリアム』の続編です。イリアムの分厚さにもまいりましたが、こんどは500ページの上下巻。いやあ、じっくり楽しめそうです。
 
 ギリシア神話の世界(トロイア戦争)を再現した“神々”に対して、その神話の英雄たちと外惑星から火星を訪れたモラヴェックが戦いを挑むのが『イリアム』のストーリーでした。それから数ヶ月……
 アポロンに殺されたパリスの葬儀の朝、神々によってイリアムが空襲されるシーンから本書は始まります。イリアムは防御シールドに守られ、神々はQT爆弾を量子移相でシールドの内側に送り込もうとします。それに対して防空砲台からはコヒーレント・ビームや対空ミサイルが……ギリシア神話世界の驚くべき変貌です。葬儀に参列したメネラオス(ヘレネをパリスに奪われた元夫。トロイア戦争の“原因”の一人)は復讐のためヘレネを殺すことだけを考えています。その結果、神々に対するアカイアとトロイアの同盟が崩れようとも。生贄の動物たちが祭壇に捧げられ、最後に登場したのは……一柱の神ディオニュソス。神でさえばらばらにされて生贄にされるのです。カッサンドラは予言します。メネラオスがヘレネを襲う。それを防ぐのはパリスの妻、と。ヘレネは「私が私を救う? どうやって?」と混乱します。(本書ではこの「予言」の難しさ(事前には意味がわからなくて、あとになって「ああ、そういうことだったのか」と納得する、という予言が“役に立たない”こと)が何回も登場します)
 神々を超える「神(または「彼」)」の存在が暗示され、『イリアム』で神々への戦いのきっかけを作った学師ホッケンベリーは、未来の地球へ向かうことになります。こうして前作で提示された「過去の地球」「未来の地球」「未来の火星」「未来の外惑星」が結合し始めます。話は大きくなる一方です。
 ハイテクの恩恵を突然失った未来の地球では、古典的人類がサバイバル生活で苦闘しています。機械にかしずかれて優雅に遊びほうけていたのが、それまで知らなかった「文字」や「道具」を自ら使う生活になったのです。さらにそれまで人類を助けていた機械生命体ヴォイニックスが人類を襲い始めます。人類の拠点はヴォイニックスに包囲されます。まるでアカイア軍に包囲されたイリアムのように。暗合は続きます。古典的人類にサバイバルに関して貴重な智恵を提供していた老オデュッセウスはヴォイニックスによって瀕死の重傷を負います。ホッケンベリーはイリアムでヘレネに心臓をえぐられ、やはり瀕死です。火星から地球を目指す宇宙船にはオデュッセウスが同乗しています。でも地球では老オデュッセウスが死にかけているのです。あれれ、オデュッセウスが二人? このへんで著者の仕掛けた罠が少し見えてきますが……
 著者の『エンディミオン』でも、分断された時間と空間を読者は引きづり回されましたが、あちらはまだストーリーが“一本道”でした。こちらではストーリーが複々線で、あちこちでまた分岐してくれます(たとえばアキレウスとアマゾンの女王ペンテシレイアとの“恋物語”(アキレウスがペンテシレイアを殺した“後”になって恋に落ちる))。ジグソーパズルで「これはあそこにはまる」とピースをつかんだらぷるんとそいつが手の中で二つに分裂してくれるような感覚を味わえます。
 
 「神に対する戦い」と言えば、『神狩り』(山田正紀)や『サイボーグ009』(石森章太郎)の「天使編」を私は思い出します(天使編は中断されたまま石森さんはあの世に行ってしまいましたけれど)。神の能力は人から見たら超能力、そもそも戦いになるわけはないのですが、それをなんとか良い勝負に持ち込めるようにするのが作家の腕の見せ所なんでしょうね。『オリュンポス』はみごとにそれに成功しています。
 
 
7日(土)ファンタジー
 凧が、地上で糸の端をしっかり持ってくれる人がいるから空で遊べるのと同様に、現実にしっかり足をつけている人だけが十分愉しめるもの。
 
【ただいま読書中】
オリュンポス 下』ダン・シモンズ 著、 酒井昭伸 訳、 早川書房、2007年、2200円(税別)
 
 さあ、大きく大きく広げた風呂敷を、著者はたたみにかかります。ここまで広げてしまって、たった本一冊で上手くたたむことができるのか、と私は危ぶみます。
 
 古典的人類の一人ハーマンは孤独な旅に送り出されます。チョモランマの頂上で彼に与えられた試練は、図書館一館分の本の内容を数十分で吸収すること。無茶苦茶です。
 ゼウスの不在によって、オリュンポスは大混乱です。ゼウスによって押さえつけられてきた神々はそれぞれ自由に行動し、そのためトロイア戦争の趨勢は不安定となります。ゼウスがかつて閉じ込めたはずの巨神たちも登場しますが、このあたりはギリシア神話のアウトラインでも少し知っておいた方が楽しめるかもしれません。
 「眠れる美女」も登場します。しかし、彼女を起こす方法は“王子様のキス”なんて生やさしいものではありません。お子様はここは読まない方がよいです。そこと対応する、“究極の眠り”についたゼウスを起こす方法もなかなか破天荒。さらに、シャネルならぬ「アフロディーテのNo.9」なんて香油まで登場するのですから……著者は細かく遊んでくれます。物語の中核をなす“大きな嘘”を隠すためにその周囲に様々な引用(シェークスピア・プルースト・キーツから『オズの魔法使い』まで)やフィクションや遊びを散りばめるのです。そしていつしか物語の“構造”は対をなします。古典的人類は全滅の危機です/宇宙も滅びようとしています。アカイア勢はトロイア勢に包囲されて全滅寸前です/古典的人類のコミュニティ、アーディスは数万のヴォイニックスに包囲されて全滅寸前です。オデュッセウスは時空を超えて放浪します/ハーマンは、ロープウェイでユーラシアを横断した後は、徒歩で大西洋を西に向かいます(このゴンドラでの旅で、エベレスト(チョモランマ)の頂上に造られた霊廟とゴンドラのケーブル塔として使われるエッフェル塔は……クラークの『楽園の泉』へのオマージュでしょうか? それと大西洋の旅では『復活の日』(小松左京)で、吉住がワシントンから南極を目指して徒歩で南下するシーンを私は想起します。なんだか涙が出そうなくらい懐かしい思いがします)。アキレウスは自分が殺したペンテシレイアを蘇らせるために本来神々のためのものである蘇生槽を使おうととんでもないことをします/古典的人類のアーダは急性放射線障害で瀕死の夫ハーマンを助けようと軌道上の蘇生槽を使おうとします。
 そして最後にまた予言。「ノーマンの棺はノーマンの棺」。……もう、ミスリードはやめてくれい、と言いたくなります。予言だったらわかるように言ってくれよ、と。
 とうとうイリアムは“墜ち”ます。そして、パリ・クレーターに巣食うセテボス(この宇宙出身ではない“神”……形は『宇宙の戦士』(ハインライン)に出てくるブレインの巨大版に無数の目や手をくっつけたもの、かな? 好物は人が大量に死んだ場所に残された怨念、という不気味な奴)を急襲するために、モラヴェックの部隊が動き始めます。
 ……しかし、「トロイの木馬」が出てこないなあ、忘れられた?と思っていたら、最後の最後で……いや、これは笑っちゃいます。
 
 ここまで“でかい”物語だと、往々にして登場人物はストーリーを進行させるためのただの“操り人形”になり易いのですが、本書では登場人物(少なくとも人間)は、食事をしトイレを必要とし、愛と性欲の区別がつかなくなり、そのときそのときの状況に応じて独自の考えで行動しようとする人たちです。こういったきわめて“人間くさい”部分を忘れずに描写してくれる点で、ダン・シモンズは信頼できる作家と私は思っています。
 ホメロスの『イリアス』では、名もなく死んでいく者が一人もいないそうです。どの人が死ぬときにも読者にその人の背景情報が与えられるのだそうです。大量に死んでいく場面でも、一人一人の死は、つまり命は、重い。本書でもそれに倣っているようで、それも本書が分厚くなった理由の一つでしょう。名のある人々の物語がからみあってそこに浮かび上がる別の大きな物語を楽しむ、そんな“贅沢”が楽しめます。
 
 
8日(日)○1
 J1、K-1、M-1といろいろな「○1」があって「そのうちアルファベットを使い切っちゃうぞ」と言いたくなりますが、私にとっての「アルファベット + 1」は「F1」です。「F」はFirstでもFastでもなくて「Formula」で「1」は「トップ」の意味。国際自動車連盟(FIA)が定める規格(Formula)に従った、単座式でタイヤがむき出しのスポーツカーで、エンジンが最大のものがF1です。かつてはその下にF2、F3と整然とカテゴリーが並んでいたのですが、F2は1985年にF3000になり、今はGP2と呼ばれるんですね。なんだかわかりにくいなあ。
 私がF1に興味を持ったのは、ケケ・ロズベルグやジル・ビルヌーヴはすでに“神話”となり、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アラン・“プロフェッサー”・プロストなどのベテラン(おっさん)に混じって、若々しいアイルトン・セナがぐんぐんトップへと駆け上がっていく時期でした。ホンダの第二期参戦時代と重なります。
 
 あの頃は「F1に翼を付けたら離陸する」と言われており、当時の映画でちょっとバランスを崩したF1カーが宙返りをするシーンを見て恐怖したことを思い出します。実際に、40年前には葉巻型だったF1カーは次の世代ではウイングカーと言って、飛行機の翼を切り取ったような形になりました。ただし、飛行機の翼とは逆の空力を働かせて、地面に車体を押しつけるようになっていましたけれど(飛んで行っちゃったら困りますから)。
 そういえば飛行機とF1とはまるっきり無関係ではありません。たとえば飛行機用語がF1でも使われます。ドライバーが入るのはコックピットだし、そもそもドライバーはF1パイロットとも呼ばれます。また、フライ・バイ・ワイヤー(油圧を使わずに飛行機を操縦するシステム)をもじったドライブ・バイ・ワイヤーということばも一時期流行していました。
 
 F1は本当に不平等なスポーツです。契約や人間関係などによって、“速いドライバー”が“速い車”に乗れるとは限りません。「本当はあの車だったら自分は優勝できるのに」と思っても、戦闘力が落ちる車に乗っている限りその人に優勝の目はありません。事故・天候の急変・故障などのせいで、“速いドライバー”が“速い車”を操縦していても勝てるとは限りません。さらに“常勝チーム”ができると、FIAはさっさとレギュレーションを変更して、トップチームの足を引っ張ります。「ドライバーの安全を確保するため」などと大義名分はついていますが、ホンネは「はらはらどきどきのレースを展開するため」です。努力が報われるという保証はなく、でも最大限の努力をしなければチームは転落する一方です。成績がふるわなければスポンサーが逃げ、スポンサーが逃げたら資金は枯渇しチームの戦闘力が落ちてさらに成績が落ちます。
 しかし、それでも、“速いドライバー(の一部)”は必ずのし上がってきます。「レースで誰が勝つか」は一つのドラマですが、どのドライバーがのし上がってくるか(そして誰が消えていくか)もまた一つのドラマなのです。
 
 さて、今日はマレーシアグランプリの決勝。どんな展開になるのでしょうか。
 
【ただいま読書中】
F-1ドライバーってこんなヤツ全集2006 ──高密度バトルの主役たち』フットワーク出版社編集部 編著、フットワーク出版社、2006年、1400円(税別)
 
 本来なら1年前のこの時期に読んでおくべき本でかもしれません。「現役ドライバー列伝」に上げられているドライバーには現時点ですでに引退した人もいればチームを変わった人もいます。ただ、本書では親切なことに、テストドライバーや引退したドライバーも取りあげていてくれているので、「2006年のシーズン中にだけ役立つ本」ではありません。
 ぱらぱらとめくっていると、それぞれのドライバーのそれぞれの人生の物語が紹介されています。たとえば“青きマタドール”アロンソが、意外に苦労人だったこととか(ミナルディが資金難からベネトンにアロンソをテストドライバーとして契約を“売り”、才能を認めたベネトンがレギュラードライバーとしてまたミナルディにレンタルしたので弱い車で戦って評価を上げ、2年後にルノーチームとテストドライバーとして契約、翌年念願のレギュラードライバーのシートを獲得)、“ターミネーター”シューマッハは成績だけみてもすごいドライバーだ(1991年シーズン途中でF1デビューして、92年から2005年まで毎年最低1勝(最高11勝)上げている)とか……
 ミハエル・シューマッハのすごさは、車の運転の速さだけではなくて、沈没しかけていた“かつての名門”フェラーリを組織として蘇らせたことにもある、と私は思っていますが、今年からフェラーリをドライブするライコネンとマッサがどこまでシューマッハの跡を継げるのか、それもまた興味深いことではあります。
 
 
9日(月)辞書
 以前にも書いたことがあるかもしれませんが、私がいつか所有したいと夢みている辞書は、日本国語大辞典とOED(オックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー)です。どちらも大部で“権威”ある辞書ですが、私が惹かれるのはどちらも「用例」重視である点です。ことばは使われるからこそことばです。辞書のページの上で編者の解釈や定義をただ示すのではなくて、そのことばが使われた現場(=用例)をもってそのことばの“意味”を語らしむること、その“態度”こそがことばに対する適切な方法論と私には思えるのです。
 天井までの作りつけの本棚にぎっしりと並んだ日本国語大辞典とOED……ああ、うっとり。でも、夢ってかなわないものなんですよねえ。夢みるだけで実現のための努力をしない限り。今のところは必要なときには図書館に行って見る程度で十分間に合っていますから、個人でわざわざ購入する意味は無いのですが……
 OEDはすでにオンラインで利用できますし、日本国語大辞典もこの夏にはオンラインで公開される予定ですから、そのお値段を見てまた考えようかしら。
 オンラインと言えば、青空文庫やWikipediaのようなシステムで、ネット上のボランティアが篤志協力者として資料の精読や入力を行い、基本方針の維持や質の保証のために専門家チームが編集を行う、という形で、これから新しいタイプの「巨大辞書」が編纂できるかもしれません。なんだか楽しみです。
 
【ただいま読書中】
博士と狂人 ──世界最高の辞書OEDの誕生秘話』原題:THE PROFESSOR AND THE MADMAN サイモン・ウィンチェスター 著、 鈴木主税 訳、 早川書房、1999年、1800円(税別)
 
 W・C・マイナーはセイロンに生まれ、エール大学で医学を学び、南北戦争の末期に北軍の軍医になります。そこで精神病を発症。退役し転地のためイギリスに渡ります。しかしそこで症状は悪化。ついに通りすがりの男を射殺してしまいます(ヴィクトリア時代のイギリスで射殺事件は大変珍しかったため、当時としてこれは“大事件”でした)。
 マレーは高等教育は受けられず、しかしその才能を認められ言語協会の会員となります。言語学協会で問題になっていたのは「信頼できる英語辞書」でした。(そもそも「辞書で調べる」という言いまわし(と概念)が登場したのは1692年のことです。それまでラテン語辞書はありましたが英語辞書は存在しなかったのです。……そういえば日本語ではどうなんでしょう。日本国語大辞典で「辞書」がどうなっているのかな?) 「信頼できる英語辞書」を作成することはすなわち「世界に冠たる大英帝国の言語が何であるか(=英語の標準)」を厳密に定めることを意味します。言語学的メートル原器の作成ですね。もっとも、マレーの一世紀前にその難題に取り組んだジョンソンは、言語を“固定”することは不可能と思っていたようです。ジョンソンは150年分の文献を渉猟し用例を厳選して1755年に辞典を出版しています。
 1857年、英語の“すべて”のことばを収録する大辞典編纂の計画が発表されます。使用されたすべての英単語の“意味”を載せるだけではなくて“意味の歴史”を載せるという、とんでもない大冒険の企画です。提唱者のトレンチはさらに驚くべき提案をします。「チーム」です。専門家がチームを作って編集にあたり、アマチュアは篤志協力者として無給で働くシステムです。これは当時としては革命的な考え方でしたがそれ以外の方法では辞書が完成しないだろうことで衆議は一致します。しかしあまりに膨大な作業量のため計画は少しずつ消滅への道を歩み始めていました。そこにマレーが登場します。1879年、マレーは編集主幹に就任し、計画は再出発します。
 篤志協力者の仕事は「単語カード」の作成です。「指定された年代の文献を精読して単語を抜き出し、その出典と用例をカードに記載して編集者に送付する」 ことばで書けば簡単ですが、実際の仕事は大変です。知性と注意深さと根気(ほとんど執念?)が必要です。そして、篤志協力者の中でも特に傑出した存在だったのが、精神病院の独房の中で、深まる妄想に苦しめられながらも思索と学問の点では進歩し続けていたマイナーでした。マイナーにとってこの作業は、知的な挑戦と刺激であると同時に、自分が社会とつながっており役に立つ存在であることの証明でもあったのです。マイナーは、他の協力者とは違って、単語カードを作るだけではなくてその索引まで独自に作成しました。そして、辞書編纂者が現在作業中のことばの部分についての単語リストを索引と用例つきでどんと大量に送付したのです。マレーのスタッフの人生は、急に容易になりました。(ただし、マイナーの“協力”は20年間続きますし、マレーが第一分冊を発行してから最終巻が出版されるまで44年かかっています。すべての文献のすべての単語を調査するのは、大変な作業なのです)
 
 本書では、各章の扉にOEDからの引用があります。各章の内容に関係ありそうな単語ですが(たとえば、Bedlam や Poor など、ここを読むだけでも退屈しません)、ことばが用例(文脈)の中で“生きて”いることを示すだけではなくて、人もまたその人に貼りつけられたレッテルだけの存在ではなくて人生の中で“生きて”いるものである、と思わせてくれます。そして本書の最後あたりでは、OEDからの引用そのものが、私に静かな感動を与えてくれるようになります。聖職者が神に仕えるように、かつてことばに仕えた人々がいた、その物語が単語の一つ一つから読み取れるような気がするのです。
 
 そうそう、「プロジェクトチームによる辞書の編纂」で私が連想するのは、杉田玄白や前野良沢らによる『解體新書』翻訳プロジェクトです。鎖国下の日本人も世界的にみて結構先進的なことをやっていたようです。
 
 
10日(火)セルフサービス
 店の入り口の自動販売機で食券を買って、それをカウンターに持っていって商品と交換するセルフサービスの食堂でのお話です。奥のテーブル席からおじさんがビールの空ジョッキを持って厨房に向かいました。「お代わり!」 厨房のおばさんが「食券を買ってください」「食券? なんだそりゃ」「入り口の自動販売機です」「販売機ぃ? あ、金がない」おじさんはテーブルにとって返します。財布を持って販売機に向かうかと思ったら、また厨房に行って「ビール!」「入り口の自動販売機に……」おばさんはじれて、とうとう厨房から出てきておじさんを販売機まで案内します。「ここで食券を買って持ってきてください」「目がよく見えんなあ。ちょっとやってくれ」お金を渡しています。とうとうおばさんに食券を買わせてそれを厨房に持って行かせてそれでビールを手に入れました。
 あのおじさん、自宅でもああなんでしょうね。「おい」でお茶、「おい」で灰皿、「おい」でビール……
 
 ……あれれ、最初のビールはどうやって手に入れたんだろう?
 
【ただいま読書中】
女流棋士』高橋和 著、 講談社、2002年、1500円(税別)
 
 プロの将棋は女性には厳しい世界らしく、奨励会(プロの卵を集めて切磋琢磨する会)を突破してプロになった女性はまだいません。そこで女性だけ土俵を別にして、女流リーグが作られています(それでも棋士を目指す女性にとっては狭き門ですけれど)。囲碁の方にも女流棋士はいますが、こちらは男女混合でちゃんとプロになった女性もいることから、まだ女性には向いている世界なのかもしれません(といっても、日本では大きなタイトル獲得どころか挑戦者になれた女性もいないのが現状ではありますが)。
 で、『ヒカルの碁』の将棋少女版の話でも読めるのかな、と思って巻を開くと……初っぱなが交通事故です。4歳の少女がトラックに左足をひきつぶされてしまいます。骨は折れ筋肉はそぎ取られ「もしかしたら足の切断が必要になるかも」と両親は宣告されます。繰り返される手術、リハビリ、装具……右足から筋肉の移植をすることで左足は救え歩くことも可能になりましたが、成長の遅れはどうしようもありません。ケロイドの跡も残っています。それでも彼女は活発な幼稚園児、そして活発な小学生に育っていきます。
 小学一年生の時、父親が兄に将棋を教えようとします。しかし、熱心にそれを学んだのは妹の方でした。やがて彼女は町道場に出かけ、プロの指導を受けるようになります。そして小学六年生になった四月、彼女、著者はアマチュア二段となり女流育成会(日本将棋連盟参加の女性プロ養成機関)に入会します。1年間のリーグ戦を行い、上位二名がプロになれるシステムです。結果は……3位。翌年は……また3位。プロになれずに意気消沈する著者ですが「可愛い少女(それも中学生!)がプロ棋士を目指している」と将棋雑誌が大きく取り上げ、著者がいうところの「かわい子ちゃん狂想曲」が始まります。「かわいさ」だけに注目して大騒ぎして本業の邪魔をすることが、プロ(志願者)にとって、いや、人間にとって失礼なことである、とは思わない人がこの世には多いようです。
 中学校三年生でついに育成会を突破、著者はプロ二級になります。世間では「かわい子ちゃん狂想曲」がさらに音量を増しました。
 
 いやあ、やたらと表面だけちやほやする人もうんざりするものですが、「ちょっと可愛いと思って、生意気だ」と悪口を言う人も出てきます。……可愛くなかったらどう言うのかな? 態度がでかい? 低姿勢だったら……八方美人で信用できない、かな。まあ、他人の悪口を言うぞと決心している人は、相手がどんな人間でも悪口を言う口実には困らないものですからねえ。いや、完全な人間はいませんから、たしかに彼女には何かの欠点があったのだろうとは思います(欠点のない人っていませんよね?)。でも、そういった欠点に気がつくことと、それについて悪口を大声で言って回ることとは、別のこと。それは悪口を言われる側ではなくて言う側の品性の問題だろうね、とひと言呟いて、私は黙ります。
 
 事故から14年、家を出て独立しようと決心した著者に、母親は昔の日記を渡します。14年前、事故の時の日記を。それを読んで著者は初めて、当時親が何を感じ何を考えていたのかを理解します。本書は実は、娘から家族、特に母親へのラブレターだったのかもしれません。現在著者は現役棋士を引退していますが、家族との関係は暖かいままじゃないかな(であってほしい)と私は想像します。
 
 
11日(水)カラヤンとベーム
 休みがたっぷりあると普段できないこともできるわけで、階段下収納の整理なんぞをやっていたら存在を忘れていたCDがどさっと出てきました。ブラームスの交響曲第1番なんぞ2枚もあります。一つはカラヤン指揮のウィーンフィルハーモニー、もう一枚はベーム指揮で、おや、やっぱりウィーンフィル。これは聞き比べるしかないでしょう。私はクラシックにはまったくの素人で語るべき語彙の持ち合わせは何もありませんが、同じオーケストラで同じ曲を違う指揮者が振ったらどんなに違う演奏になるのか(あるいは違わないのか)には興味があります。(録音は、カラヤンが1959年でベームが1975年ですから、“同じ”オーケストラとは言えないでしょうけれど)
 録音時間は、第2楽章だけは、カラヤンが9分13秒なのに対してベームが10分34秒と明らかに差がありますが、他の楽章はほとんど秒差です。
 結論ですが、明らかに違います。専門用語は使えませんが、カラヤンが明るく鮮明なのに対して、ベームは落ち着いてたっぷり鳴っている印象です。第1楽章のテンポは科学的にはほとんど同じはずなのに、ベームの方がゆったり聞こえます。
 これって……「こんな音楽を表現したいんだ」と明確なものを持っていてそれを楽団員に伝えることができる指揮者も、それをちゃんと受け止めてきちんと表現するオーケストラの方も、どちらもすごい、というしかないんでしょうね。いやあ、クラシックは奥が深い。うっかりはまると大変そうですから、私は表面をちょっとなめたくらいの所で足を止めることにします。
 
【ただいま読書中】
ムーミン谷の冬』(ムーミン童話全集5) トーベ・ヤンソン 著・絵、山室静 訳、 講談社、1990年、1456円(税別)
 
 お日様がいなくなった北欧の長い長い冬(白夜の反対は、なんて言うのでしょう?)の真ん中で、冬眠中のムーミントロールはふと目覚めてしまいます。あたりは一面の雪。しんと静まりかえっています。でもよく見たら、死の世界ではありません。家の流しの下には正体を見せない輝く目があります。ムーミン家の水浴び小屋には、おしゃまさんと姿が透明なとんがりねずみたちが住み込んでいます。凍りついた海の上をモランがさまよっています。
 ムーミントロールはふらふらするばかりですが、りすに起こされたちびのミイは元気一杯です。そこに氷姫がやってきて、うっかり外に出ていたリスを凍らせてしまいます。太陽が戻ってくる日がやっと訪れ、ムーミントロールはご先祖様と出会います。「冬にしか見られない住人」とつき合っている内に、近在の住人たちもムーミン谷に集まってきますが、陽気なヘムレンさんはどうも皆から浮いています。それを心配するサロメちゃん。でもヘムレンさんはサロメちゃんに気がつきません。サロメちゃんにだけではありません。ヘムレンさんは他の誰の心の動きにも無頓着なのです。
 とうとう春がやってきます。でもそれは、ムーミントロールが期待したような「冬の終わり(冬の否定)」ではありませんでした。「冬の続き」だったのです。冬眠をせずに冬を経験したムーミントロールには、そのことがよくわかります。冬は少しずつ春になり、春は少しずつ夏になるのです。不思議なのは、眠っていたはずのムーミンママもそのことがわかっている様子なことです。どうしてわかるのでしょう?
 
 子どもの時、自分が寝ているときに世界がどうなっているのか、私は不思議でした。自分が知らない生き物が跳梁跋扈しているのではないか、とか、大人は子どもが寝ている間にいろいろ楽しいことをこっそりとしているのではないか、とか、思っていました。そういった“自分がそこにいるのに、自分がそのことについて何も知らない世界”を少し見せてくれる、そんな楽しい本です。
 
 
12日(木)あはれな人
 他人を憐れまないと生きていけない人のこと。
 
【ただいま読書中】
お札になった偉人』童門冬二 著、 池田書店、2005年、1200円(税別)
 
 日本でお札に登場した歴史上の人物は全部で18人。それぞれについて著者は、お札が登場した当時の社会・政治状況を簡単にまとめ、各偉人がしたこと(事績)についてもまとめ、その関連について推論を述べます。もちろん「なぜこの人がこの時期にお札に採用されたのか」は詳しいことが公表されていませんから、著者の推論は当たっているかもしれませんが大外れかもしれません。ただ、明治から平成にかけての近代史をお札を通して眺めると、日本の神代の時代まで見えてくる、という重層的な構成はなかなか巧みです。童門冬二の目を通すと歴史はこのように見えるんだ、となかなか新鮮な発見もあります。
 
 トップバッターは神功皇后(じんぐうこうごう)です。登場は明治14年の一円券。平成12年の紫式部(二千円券)まであとはずっとお札になるのは男であることを思うと、逆になぜあの時期に「女をお札にしよう」と決断できたのか(誰が決断したのか)、不思議です。しかし現代の日本で神功皇后が何をした人か、知っている人はどのくらいいるんでしょう?
 藤原鎌足(明治24年発行百円券等)にからめて、内村鑑三の不敬事件が語られます。教育勅語に対する礼拝が日本中で強制されましたが、それを拒否して国立学校の教職にはふさわしくないと追放された事件です。新渡戸稲造(昭和59年五千円券)のところで内村鑑三はまた登場します。札幌農学校で同期(二期生)だった、という縁ですが、当時の日本でエリートの名に値する人は本当に少数で(そもそもエリートは最初から少数の存在なのでしょうけれど)、何かと言えば特定の人がひょこりと顔を出す印象です。そうそう、昭和59年の新札で、福沢諭吉・新渡戸稲造・夏目漱石の共通点が「英語」「西洋との文化的交流」というのは、著者に言われるまで忘れていました。だったら南方熊楠もお札にしてくれないかしら。
 
 「かつての中国の中華思想(自分だけが文明人で四囲は全部野蛮人と見下す姿勢)が、現在の日本では東京に濃厚に残されている」という指摘は、読んで笑っちゃいました。威張るのが大好きな都知事さん、地方に対して朝貢貿易はしてくれないのかな。
 
 聖徳太子は昭和5年の百円券から登場しています。私にとって「聖徳太子」はお札の代名詞だったのですが、私の親の時代からの歴史があるんですねえ。
 昭和26年にお札になったのは、高橋是清(五十円券)と岩倉具視(五百円券)です。敗戦後の混乱が少しおさまりかけてはいるものの、まだまだ国民生活は苦しく、GHQは日本の民主化から復興(と再軍備)に方針を変換し、前年に朝鮮戦争が始まって朝鮮特需というものが生まれた、そんな時期です。高橋是清は「不況の時にはこの人を大蔵大臣にしろ」と言われた人ですし、岩倉具視はもちろん明治維新で大活躍した公家です。いわば“時代にマッチした”人たちと言って良いようです。
 
 子ども時代に「お札になる人は、偽造防止のために髭がないといけない」と聞いたことがあります。髭を一本一本彫るのは大変で、たしかに簡単に偽造はできないようですが、こうしてお札になった人の一覧を眺めると髭がない人も結構います。女性はもちろん、日本武尊・二宮尊徳・岩倉具視など髭がありません。私は子ども時代に岩倉具視の五百円札の現物を見ているのに、どうしてこの「髭説」を信じていたのか、自分でも不思議です。「どんなにもっともらしいことばでも、現実でチェックする必要があるのだ」ともっともらしくうなずいておきましょう。
 
13日(金)今さら と やはり
 今朝の新聞によると「厚労省が公立小中高を調査したらアレルギーの子が多かった(気管支喘息が5.7%、アトピーが5.5%)」そうです。
 私がまず注目したのは「初めて調査した」点です。「アレルギーが増えている」ことが社会的に問題になってもう……10年?20年? その間、厚労省(と厚生省)は、全然子どもの調査をしていなかったということ? 厚労省(と厚生省)は国民の健康に興味がないのかな。それとも「とりあえず成り行き任せで放置して、どうしようもなくなってからしぶしぶ動き出す」態度?(エイズの時も狂牛病の時もそうでしたよね)
 そうそう、大きな問題に明らかに乗り遅れた人間で「自分が責められたら困る」と思うと他人を責めてごまかそうとする人が多くいます(例:親の介護を放置しておいて、たまに親の元を訪れて「こんなに弱っているとは知らなかった。お前たちは一体何を世話しているのだ」と介護している人たちを責める ← だったらしょっちゅう様子を見に来なさい/自分で介護しなさい)。で、この記事にもやはり厚労省の「学校側の対応は十分ではない」という主張が。
 ……安全なところで書類だけにらんで、戦略や戦術も明確に示さず現場への補給も不充分なまま「戦果が出ないとはたるんでいる」と血みどろの現場を責める参謀様を私は連想します。
 
 現場に、金と人をもっと配分する気がお役所にあるのかな? ことばではなくてそういった行動で「厚労省が本気で対応しようとしている」かどうかが判断できるんじゃないかしら。
 
 
14日(土)平和主義
 これは単純な弱腰の反暴力主義とは違うでしょう(もちろん、そんな人もいるのでしょうが)。仏心鬼手ということばもありますし、たとえむき出しの暴力を使わないにしても、非暴力不服従というとっても“強い”態度もあります。
 「平和」って、ヘタレが主張するにはちょっとアブナイ単語かも……というか、ヘタレは暴力を主張しても平和を主張してもアブナイのでしょうが。
 
【ただいま読書中】
イングランド海軍の歴史』小林幸雄 著、 原書房、2007年、3800円(税別)
 
 著者が本書の構想を得たのは、階級の呼称に関する疑問からでした。日本だと「大佐、中佐、少佐」あるいは「一等海佐、二等海佐、三等海佐」とわかりやすいのに、英海軍は「キャプテン、コマンダー、レフナント・コマンダー」……ちっとも理路整然としていません。それはなぜか?と調べると、答はあっさり見つかりました。「そういう歴史だから」です。階級だけではありません。「アドミラルティ」は500年にわたって変遷してきたのにずっと同じ呼び方をされてきたため、日本では訳語に困っているそうです(一応「海軍本部」と訳されますが、それはアドミラルティの一部だけ)。これも「そういう歴史だから」としか言えません。著者は「そういう歴史」とはいかなるものかを、主に近代から(ときに中世まで遡って)探ります。
 「地理上の発見時代」(日本では「大航海時代」)に、海に関してイギリスは主役ではありませんでした。それが海の支配者になったのには、何らかの理由があるはずです。
 近代初期、イングランドの「王」は、単に貴族や豪族の代表に過ぎませんでした。だから外国に戦争を仕掛けるのも“王の私戦”であって、他の貴族が“協力”するのは見返り(多くはなんらかの特権)があるからでした。艦隊を編成するのに船が足りなければ、民間から雇入もします(費用は払うが、損害に対する補償はふつう無し)。エリザベス一世が対スペイン・アルマダ艦隊戦で編成した艦隊は197隻ですが、うち王室艦艇は34隻で残りは個人の商船を雇入したものでした。(民間と言っても馬鹿にはできません。私掠船といって、国王の特許状を得て、敵国の商船(当然武装している)に対して私戦(要するに、海賊行為)を行う船が、海上をうようよしていたのです)
 17世紀半ばに、艦隊戦術の準則が制定されます(代表的なのが単縦陣)。また、それまで配置主義だった乗組員に「階級」の概念が取り入れられます(もっともイングランドは現実主義で、トラファルガーの時のネルソンは将官序列は74番目でした。序列は序列、でも勝利の方が大事、ということなのでしょう)。
 教育も、最初は徒弟制度でした。1733年に最初の海軍兵学校が設立されますが、不評のため100年後に閉鎖されます。また徒弟制度が復活し兵学校がカレッジになったのは20世紀になってからです。近代的な“教育”は意外に歴史が浅いようです。
 
 チャールズ一世によって「王の財産」ではなくて「国民の金(船舶税)」で「国の常備艦隊」が作られ、それはそのままクロムウェルの共和制艦隊に引き継がれます。こうして「イギリス」が国としてのシステムを完成させていくのと平行して、17〜19世紀に艦隊・海運・植民地が一体となった「シーパワー」がイギリスに富と権力をもたらしたのです。
 しかし、戦術ができたら、一糸乱れぬ集団戦で優位に立つという利点だけではなくて、突発事に対応する柔軟性が失われるという欠点が見つかるし(さらに、準則を盾に自分の行動(多くは臆病者の行動)を正当化しようとする人間が次々出現する)、管理組織を作ったらそこが腐敗してかえって軍が弱くなることがあったりして……なかなか世の中はままならぬものです。
 海戦は単に軍艦と軍艦が砲火を交えるだけの現象ではありません。その背景には、各国の社会情勢・外交・政治・経済があり、艦隊の行動の基盤には戦略と戦術があり、各艦の振る舞いには天候や艦長の決断や乗組員の練度やミスが大きな影響を与えます。この“大きなこと”から“小さなこと”にまで目を配ろうとする著者の態度に私は好感を持ちます。
 
 英海軍は、外からはヴァイキング・スペイン・オランダ・フランスなどの“外圧”に“鍛えら”れ、実戦を通じて成長した“後”からシステムを作り上げた歴史を持っていますし、中からはイングランドという“国”ができあがるのに応じてその形を整えてきた、と言えます。だからイングランド海軍を論じるのは、中世〜近代ヨーロッパの長い長い“戦国時代”を論じることに等しい作業になってしまうんでしょうね。
 
 著者は数々の海戦を、実に楽しそうに解説してくれます。私はここで『ホーンブロワー』と『ボライソー』のシリーズを思い出します。風の音と波しぶきの塩辛さが感じられるような気がします。
 
 
15日(日)筆を選ぶ
 弘法さんなら、たしかに筆を選ばずに書いても立派な文字でしょう。「その紙と墨と天候条件に適していない筆」で書いた文字であっても素人は自分の文字と引き比べて「さすが名人」と感心するでしょうが、弘法大師さん自身はどう思っているんでしょう。「ちゃんと適した筆を使えたら、もっと思ったとおりに書けるのだが」とプロとしての不満を持ってはいないでしょうか。「与えられた環境で最善を尽くす」のはプロとして当然のことです。だけど、たとえば弘法大師に依頼した人が不満足な筆を与えて「これで書け」と強要した場合、「適した環境を与えない」側が「さすが、弘法は筆を選ばず、だなあ」と言ったら、それは自分の努力不足を自己正当化してさらに(立派な文字を書かないのは弘法大師の責任、と)弘法大師に責任転嫁をする態度なので、人として感心しないなあ。
 
【ただいま読書中】
英雄アルキビアデスの物語 上』原題:THE FLOWERS OF ADONIS ローズマリ・サトクリフ 著、 山本史郎 訳、 原書房、2005年、1800円(税別)
 
 タイトル(特に原題)と著者名に惹かれて、内容は知りませんがとにかく図書館から借りてきました。
 ソクラテスが「若者をたぶらかしている」と噂されるアテナイ。シュラクサイ遠征の兵士が出陣しようとした日、全市で神を冒涜する行為が行われます。人々は噂します。これはきっと遠征隊の将軍で一番若くて美しくて傲慢なアルキビアデスの仕業だ、と。
 本当に短い第1章「アドニスを悼む嘆きの日に」で、アテナイを取り巻く政治・軍事状況、アテナイ内部の政治的対立と世代の断絶がみごとに描き出されます。読者はあっさり古代ギリシアの世界に連れ込まれ、そのままアルキビアデスとともに旅立つのです。
 
 本書は、語り手が次々リレーをしていく形式を取っています。語られるのはもちろんアルキビアデスのこと。語るのは、足の障害のため兵役につけない市民・兵士・船乗り(航海長)……そして、死者。アルキビアデスの軍旅に従う者、従わない者、その周囲で動く者、それぞれが視線をひたとアルキビアデスに向けて、それぞれの物語を語ります。その積み重ねによって「英雄アルキビアデスの物語」が構築されていくのです。
 祖国アテナイ(の政敵)に裏切られたアルキビアデスはスパルタに亡命します。そこで彼は、結果としてアテナイを滅亡へと導く演説を行います。アテナイと戦うために出陣するスパルタ王アギスは、王妃ティメアを自分のものにしたくないのに(アギスは少年の方が好きだったようです)自分のものであると周りの人間に見せびらかします。それが“王の役目”だから。アルキビアデスは、“自分のもの”であるアテナイを、愛するがゆえに滅ぼそうとします。自分はアテナイに裏切られたのだから復讐する権利がある、と信じているから。そして、王妃もアルキビアデスも、スパルタの“囚人”です。そして、当然のように、二人は恋に落ち……
 アルキビアデスは、アテナイと同様スパルタでも“成功”しすぎ、ここでも死刑宣告を受けます。アルキビアデスはまた亡命し、こんどは、アテナイに対抗するために彼自身が尽力したペルシアとスパルタとの同盟に、こんどはヒビを入れようと努力を始めます。アテナイがあっさり滅びては困るのです。ペルシアへの影響力を見せつけた上で、アルキビアデスはアテナイに通告します。「助けて欲しかったら、自分を迎え入れろ。ついては、自分を陥れた民主主義体制を転覆させること」
 滅亡寸前で、アルキビアデス以外には何の希望もないアテナイは、彼の要求を入れることを決議します。民主主義的に。
 
 相変わらず著者の描写は精密です。古代の日常生活の匂いがページから立ちこめてきます。たとえば「ワインを水で割るかどうか」かについて作中何回か言及されますが、それぞれの場面でその“意味”が違っているのは、さすがです。(そういえば日本でも、江戸時代の日本酒は水で割って飲んでいたんじゃありませんでしたっけ?)
 それと、愛の残酷さについても、著者は雄弁です。アルキビアデスはアテナイを愛し、そしてアテナイの人々、いや、アテナイ以外の人々もアルキビアデスを愛します。愛しながら憎みます。そしてアルキビアデスは、他者からの愛には無頓着です。彼が愛し愛されたいのはアテナイそのもので、人ではないのですから(内面描写はありませんが、少なくとも、彼の言動からはそう見えます)。原題がアドニスで、スパルタの場面ではヒアシンスが効果的に使われていることから、ギリシア神話を重ねて複雑に読むのも面白そうです。
 
 
16日(月)入社
 本日新しい職場に初出勤でした。
 考えてみたら、社会人になってから私が昨日までに勤務した職場は……
1)常勤としては、8つ。(同じ住所地内での異動は除く)
2)1)のかたわら、長期出張(給料は親元から)・短期レンタル(給料は出先から)・兼任で非常勤、の職場は7つ。
 
ただし、1)の中には同じ所に再度勤務、が2ヶ所。2)として行っていたらそこに後日1)としてが2ヶ所と、期間を置いて2回兼任したところが1ヶ所あるので、トータルは15ではなくて……10ヶ所かな。ぎりぎり指が足りました。我ながら多いですねえ。1)には、公務員時代に民間に長期レンタルされたのも2回含まれていますから、内容はなかなか変則的で豊富です。いろいろな経験をしたことが、結局無駄にはなっていないので、ありがたいことですけれど。
 朝礼での新任の挨拶で「1分半で自己紹介します」と言っておいて、実際には2分喋ってしまいました。おしゃべりだと思われたかしら。笑いも3回は取りたかったのに1回だけだったし……残念。
 
【ただいま読書中】
英雄アルキビアデスの物語 下』原題:THE FLOWERS OF ADONIS ローズマリ・サトクリフ 著、 山本史郎 訳、 原書房、2005年、1800円(税別)
 
 アテナイでは、急進派と穏健派、民主派と寡頭派が対立します。内部で争いながら外部の敵とも戦わなければならないのですから、大変です。
 アルキビアデスはアテナイ艦隊を率いてスパルタ艦隊を打ち破ります。アテナイの北方領土も回復します(もともとそれはアルキビアデス自身がスパルタに“進呈”したようなものだったのですが)。アルキビアデスはアテナイ帝国再建の戦いを続けます。そしてついに歓呼の声に迎えられてのアテナイへの帰還。潜主になるチャンスは目の前に転がっていますが、アルキビアデスはそれを取ろうとはしません。上巻冒頭で濡れ衣を着せられたとき、全軍を指揮すれば反乱を容易に起こせアテナイの掌握も簡単だったにもかかわらずそれをしなかったことを私は思い出します。彼はどうも、自分の意図を無理矢理相手に押しつけるよりも、相手から自分の意図を“自発的”に引き出す方が好みのようです。
 
 アルキビアデスはスパルタとの戦いに出航します。港に見送りに来たソクラテスは呟きます。「彼が負ければ、我らは彼を捨てるじゃろう……」 勝つことだけが期待されている将軍は、負けたら用なしなのです。そして、負けそうもない将軍が目障りでなんとかしたい人たちもいるのでした。
 陰謀の匂いが漂い始めます。そして、不自然な敗戦。国外追放となったアルキビアデスの中で何かが死にます。砦に引きこもり静かにすごそうとするのですが、兵士たちはそれを許しません。彼は私兵を引きつれ馬賊になってしまいます。しかしアテナイはスパルタに降伏し、アルキビアデスの“居場所”はなくなってしまいます。そして、アドニスの祭りの日がまたやってきます。神に愛されすぎたために死んだアドニスを悼んでアテナイの女たちが血の色の花をあたりに撒く日です。でも、そこにアルキビアデスはいません。
 
 社会の中で、人と人はいろいろな形で結合しています。その“接着剤”として機能するのは、たとえば、利益(経済的、社会的、軍事的……)・形式や慣例、そして感情。感情の中でももっとも強力な接着作用があるのが、愛と憎しみ。過剰な憎しみが人を殺すように、過剰な愛も人を殺すと著者は述べます。
 アルキビアデスを殺したのは、結局何だったのでしょうか。
 
*「アルキビアデス」に聞き覚えがあったのでネット検索をしてみたら、プラトンの対話篇『饗宴』に政治家として出てきているんですね。私は『饗宴』と言ったら『饗宴──ソクラテス最後の事件』(柳 広司)の方しか思い出せない俗物ですが、どこでこの名前を聞いたんだろう?
 
 
17日(火)前世の不思議
 「前世で自分はエライ人だった」と主張する人が時々いますが、不思議に思うことがあります。たとえば「ブッダの生まれ変わり」と主張する人が複数いること。魂って、コピーとか分割可能だったの? それとも異なる世界線からの輸入もの?
 そうそう、「前世は昆虫だった」と大声で主張する人がいないことも不思議です。動物の数から言ったら前世は昆虫、が一番確率が高いと思うんですけどねえ。(微生物には魂は無いもの、と一応しておきます……もしかして、あったりして……)
 
【ただいま読書中】
浦島伝説に見る古代日本人の信仰』増田早苗 著、 知泉書館、2006年、4000円(税別)
 
 浦島伝説には3つのバージョンがあります。最古は『丹後国風土記』(八世紀はじめ)、主人公は筒川村の嶼子(しまこ)。浦(港町)の有力者です。嶼子は海に釣りに出ますが三日三晩釣果が無く、やっと五色の亀を釣り上げます。亀は神女に変じ、嶼子を海中に誘います。嶼子と神女は夫婦になりますが嶼子は地上を懐かしみます。で、玉手箱、ではなくて、玉匣(たまくしげ)を手に村に帰ってみたらあまりの様変わり。うっかり玉匣を開けてそこから天に昇っていく香気を見た嶼子は、もう神女の元に戻れないことを悟ります。
 次は『日本書紀』(720年)。瑞江浦嶋子(みずのえうらしまこ)が釣った大亀が女に変じ、そのまま一緒に海中へ、という物語です。玉手箱は出てきません。そして浦嶋子は海中に行ったきりです。
 そして『万葉集』長歌一七四〇に「水江の浦嶋子を詠む一首」があります。こちらでは、亀が登場せず、せっかく手に入れた幸せを自ら捨てて地上に戻ってしまった嶋子がしわくちゃになって死んでしまいます。嶋子が出会うのは「海若神之女(わたつみのかみのをとめ」(わた=海、つ=連帯助詞で「の」、み=霊」)。ついでですが、本来ワタツミに性別はないそうです。(関係ないですけれど「わたつみ」を変換すると候補に「海神」がちゃんと出てきますね。知らなかった)
 
 ……おやあ、私が知っている「浦島太郎」とは、似ているようですべて違います。どこでどうなってしまったのでしょうか。ここで私の興味は、この古代の浦島神話(伝説)がどのような過程で今伝わっている形になったのか、に向かいますが、著者は違います。なぜこれだけ違ったテキストが残されているのか、その違いは何によるものか、に著者の興味は向かうのです。そんなの考えてわかるのか、と素人は思いますが、さすがプロ、数少ない手がかりから様々なことがわかるようです。
 
 著者は「丹後国風土記」バージョンに、丹後地方の明星信仰を見ます。海中で二人を出迎えるのは、鯛や平目ではなくて星です(そういえば天も海もアマですね)。海に生きる民には遠距離航海をする場合の方位の指標として星は重要なものでした。海の守り神である住吉神社にも星の宮があります。つまりこの物語は、丹後地方の土着信仰が色濃く投影されているもののようです。
 それに対して、日本書紀では態度が違います。女は神女ではありません。亀ももともと亀卜に使われる神聖なものだったのが、ここではただの大亀です。つまり日本書紀は、神話をただの昔話に変換してしまったのです。
 万葉集では女は神性を持っていますが、亀は不在で、嶋子は最後にしわくちゃになって死んでしまいます。ただし著者はここで、「神性」を丹後国風土記の豊受大神ではなくて住吉大神のものであると推定しています。
 
 古代人は、金星の動きを重要視していました。著者は、惑星直列のようなメカニズムを古代人が信じていたのではないか、と推定しています(あくまで「科学」で解釈したら、ということでしょうが)。特に新月前後には、明けの明星・宵の明星は太陽および月の近くで非常に目立ちます(金星が地球から見える位置にあれば)。古代人がその星に何らかの重要な意味を付与したとしてもそれは不自然なことではないでしょう(本当に“惑星直列”を言うのなら、金星が“見えない”時の方が直列に近いはずではありますが……)。
 そういった“一地方の神”は、大和政権からは公認することができないものだったでしょう。だから「神話」から神性を剥奪した、と著者は推定しています。そしてその“かわり”が住吉大神。しかし豪族はそれに抵抗します。そのせめぎ合いがいくつかの異なるバージョンが存在する「浦島伝説」から読み取れる、というわけで……これは面白いなあ。著者は聖書学から出発したそうですが、そんな態度で「異なるバージョンの聖書」を読み解くのも、当時の世界を生々しく知ることができそうで、とても面白そうです。単に「正統の書」と「偽書」に分けてしまうのはもったいないですからね。
 
 
18日(水)スパイクとスタッド
 スパイクタイヤとスノータイヤが売られていた頃に私はスパイクの乗り心地が嫌いだったのでもっぱら車ではスノータイヤを履いて走っていました。なんでスパイクレスタイヤと言わないのか、と不思議に思いながら。
 その内スパイクが禁止され、新しくスタッドレスタイヤが発売されました。私はもちろんそれを履いて走りました。なんでスパイクレスタイヤと言わないのか、と不思議に思いながら。
 
 今日のあまりの寒さに、バイクに上で震えながらこんなことを思い出しました。
 
 
19日(木)何を語るか
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=196603&media_id=4
 久間防衛相発言(共産党が市長になってしまう)が野党などから批判されているそうです。私も不謹慎とは思いますが、別の角度から見ると……
 何について語るにしても、その対象に感情移入したりせずに「“これ”をいかに自分の政治意図に利用できるか」の観点からことばを選ぶのがプロの政治家でしょう。ということは、久間さんはプロの政治家としては当然のことをやろうとしただけで、ただそれがあまりに露骨すぎて一般国民の感情からは乖離していただけ、なんでしょうね。そういった点ではプロとして脇が甘かった。もちろん、批判する側も、自分はプロの政治家だという自覚の上にことばを選んでいるはずですから、政治的意図の分は割り引いて受け取る必要がありそうです。
 
 私は幸い、政治的意図なぞとは無縁の人間なので、素直に哀悼の意を表します。暴力団なんか、この世から消えちゃえ。
 
19日(2)医療費改革
 私が就職した頃、日本では老人と健康保険本人は自己負担がゼロでした。今からは考えられない“太っ腹”なんですが、それから「抜本的改革」「医療改革」が叫ばれるたびに様々な名目で自己負担は増えていきました。
 ところで、先進諸国でここまで自己負担が多い国って、あまり無いんですよね。北欧だったかな、自分のところの国民どころか外国人旅行者でも無料で医療が受けられたりするんですけど。
 結局日本での「医療改革」は「医療費改革」でしかなかったってことなのかしら。そういや「教育改革」は中身ではなくて「教育制度改革」でしかなかったしなあ……まあ、「改革」の「改」の字も「か」の字も実現しなかった「政治改革」よりはマシなのかもしれませんが。
 
 日本の医療費は多すぎる、と政府とマスコミ(とその信奉者)は言っていますが、実はそうでもないそうです(先進諸国での国民一人当たり医療費の対GDP比では少ない方です)。あれれ、個人ではたくさん窓口で払うのに医療費は実はそう多くない国……誰がその“差額”を“着服”しているのかしら?
 
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医療制度改革の国際比較』田中滋・二木立 編著、勁草書房、2007年、2600円(税別)
 
 国際的に医療制度を論じるのは、難事です。それぞれの国にはそれぞれの事情とその制度が存在する理由があります。歴史・風土(疾病の構造)・人口ピラミッドの形・貧富の差(国内および国際的)・政治・経済・文化・生死観・未来への展望(を国民が共有できているか)……
 経済的な観点から見るだけでも、医療制度はいくつかに分類できます。
1)自由主義:自己責任の世界です。近代以前の世界は基本的に全部これです。国としての決まりはないから、患者と医者の直取引で医療の内容とお値段が決まります。私が知っているので面白いのは、中世イタリアの都市国家かな。ここでは「契約」が重要でした。「到達目標(病気を治す、とか、歩けるようにする、とか)」が明確に決められ、それができたら契約の金額が医者に支払われるのです。患者の立場からはなかなか良いものに見えます。しかし、契約が成立しないと治療が始まりません。「今すぐ何とかして」と言っても「契約してからです」…… それと「契約」ですから当然患者の側にも違約条項が入ってきます。たとえば契約書に「ワインを飲んではいけない」とあって、それにうっかり違反したら、病気が治らなくても違約金です。
2)税金:国が税金で医療を運営します。旧ソ連とか今だったらイギリスが代表でしょう。良いところもたくさんありますが、欠点は「予算主義」。予算を使い切ったらその年の“事業”はお終いです。さらにこのシステムでは医者に自由にかかることが制限されます(無制限にしたら予算がどんどん消費されるから)。医者は原則として給料制ですので、給料をけちったら“安い医者”だけになります。
3)保険:日本では国、アメリカでは民間企業が、医療保険を運営しています。この日米を比較するだけで何冊も本が書かれているくらいなので、ここでは詳細は省略。
 
 もちろん、それぞれのシステムが純粋に単独で動いているわけではなくて、2)の補完に3)や1)が採用されていたり3)をベースに1)2)が加味されたり、国によっていろいろです。
 イギリスは税金方式(国営医療)です。医者は一般医(開業医)と専門医(病院勤務)に分けられ、患者はまずあらかじめ登録しておいた一般医の診察を受けなければ専門医を受診できません(救急は除きます)。サービスは無料なのですが問題はアクセスの悪さ(かかりたい医者にすぐかかれない)と待機リスト。入院がすぐできずずっと待たされるのだそうです(聞いた話ですが「子宮癌です。手術しますか? だったら病室と手術室が確保できるのは……2年後です」なんて例もあったそうな……本当なんだろうか)。
 ドイツは公的医療保険制度ですが、無保険者が10%もいます(といっても、アメリカに比較したら少ないのですが)。病院は外来をせず、患者は自由に選べる開業医からの紹介で入院できます。ちなみにドイツの伝統は医薬分業だそうです。
 スウェーデンは税を財源とする公共サービスですが、地方政府が大きな役割を持っています(市が病院を運営する責任があり、医者は公務員)。スウェーデンでは伝統的に病院重視で、開業医はきわめて少ない人数です。
 アメリカは先進国では唯一全国民を対象とした公的医療保険のない国です(老人・障害者を対象としたメディケアと、貧困層が対象のメディケイドはあります)。基本的に国民が選べるのは、民間保険会社の保険か、無保険。小泉さんの医療改革の議長はたしかオリックスの会長だったと私は記憶してますが、彼はアメリカがうらやましくてしかたないでしょうね。もし日本の健康保険を自分の所が請け負えたら、莫大な利益が見込めるでしょうから。
 
 「グローバル化」について本書では『グローバル化の社会学』(ウルリヒ・ベック、国文社、2005年)から「グローバル化」「グローバリティ」「グローバリズム」を区別することが重要とする面白い引用がされています。軽薄なグローバリゼーション信奉者は、この本を読んでから再考した方がいいかも……って、私もまだ未読なんだから偉そうなことは言えませんけれど。
 
 日本の医療制度を論じるのも、実は難事です。日本には日本の事情と今の制度が存在する理由があります。それをきちんと知った上で議論をしなければ、地に足が付いた議論はできません。それと、「未来への展望」も。我々はどんな未来への展望を共有しているのでしょうか?
 
 
20日(金)弾圧と貢献
寛政の改革で弾圧した松平定信と弾圧された歌麿、どちらが結局「日本」に貢献したのでしょう。そういや「不倫」をテーマにベストセラーを書く作家(たとえば渡辺淳一)は「美しい国」にふさわしくない、とそのうち手鎖の刑を言い渡されるのかな。いや、mixiニュースでの日記とか首相発言を読むと、不倫とかシングルマザーに対して厳しい意見を持つ人がずいぶん多いようなので……
 
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フェッセンデンの宇宙』エドモンド・ハミルトン 著、 中村融 編訳、河出書房新社、2004年、1900円(税別)
 
 思わず「懐かしい」と呟いて手に取りましたが、解説によると1972年に出版された同名短編集の再版ではなく新たに編まれたものだそうです(1972年バージョンと重複している短編は4つだけ、とのこと)。ちなみに著者は1904年生まれ。当然書いたのは“古い”SFです。著者で知られているのは「キャプテン・フューチャー」シリーズですが、そういったスペースオペラとは違った趣の短編集です。
 
「フェッセンデンの宇宙」……私は子どもの時、原子構造と太陽系の構造が似ているように思って、では宇宙とは太陽系を「原子」とする世界(あるいは生命体)ではないか、と考えたことがあります。ハミルトンはそういったありふれた着想を本作でさらに発展させました。よくいる(?)マッドサイエンティストが、部屋の中の実験装置の中に微小宇宙を丸ごと作り込んでしまいます。小さくキラキラ光っているのが一つの太陽。そして拡大装置で見ると、その回りには微小惑星も回っていて、中には生命が発生したり文明ができている星もあります。ところがそこにフェッセンデンは面白半分に干渉します。力場発生装置で星の軌道をずらしたり惑星の環境を激変させたりの“実験”を行うのです。はい、もうわかりますね、ここで“実験”と言われているのはみごとに(西洋人にとっての)“神”の役割を暗示しています。
 ……しかし本作の主人公、自分が一人の人間と一つの宇宙の“死”に責任があるはずなのに、そのことにはまったく無頓着なのは解せません。“正義漢”ではなかったっけ?
「風の子供」……生きている風の物語です。風の子どもたち、お母さんの風、そしてそこにまぎれ込んだ異物。いやあ、なんとも静かなホラー(?)です。いつだったか、本作を日本的に翻案したラジオドラマを聞いた記憶がありますが、最後の風の音がとっても怖かったっけ。
「向こうはどんなところだい?」……事故・疫病・反乱……悲劇に終わった火星探検隊の生き残りが、死んだ仲間の故郷を訪問します。一風変わった孤独な“ヒーロー”の物語です。
「帰ってきた男」……棺の中で蘇生したウッドフォードは、途方に暮れます。いや、棺から脱出はできたのです。できたのですが「自分は蘇った男である」という“状況”からの脱出が困難なのです。それはなぜか……最後になんとも皮肉な笑いがもれます。いや、もうちょっと違う結末を私は想像していたものですから。
「凶運の彗星」……1910年にハレー彗星が地球に大接近したとき、彗星の尾に青酸ガスが含まれていることがわかって「彗星の尾が地球大気に触れたら青酸ガスで地球の生物は全滅する」と大騒ぎになりました(他に「地球の空気が数分間消滅する」なんて噂もあり、それを信じた金持ちは自転車のチューブを空気保存容器として買い占めました)。本作はそれらのどたばたを下敷きに話を始めます。しかし素直には行きません。地球侵略・惑星移動・サイボーグ、とアイデアがてんこ盛りです。とても1928年の作品とは思えない“モダン”な作品です。
 他にも、異世界のSF作家、有翼人類、水星の昼の面(当時水星は同じ面をずっと太陽に向けていると信じられていました)で探検隊員が犯された既得権、保険会社のサラリーマンとしての平凡な生活と砂漠の王子としての冒険の両立……魅力的な作品がいろいろ収載されています。
 特に私のお気に入りは「太陽の炎」。まるでパンドラの箱が開いた後の「希望」のような抒情的なラストには私の心は揺さぶられます。そう、「事実」は受け入れ、そしてそれでも進まなければならないときはあるのですよね。
 
 
22日(日)恨みを晴らす
 恨みって、本当に晴れることがあるんでしょうか? いや、「これくらいでは恨みは晴れない」と言う人はけっこう見るけれど、「これだけやっつけたから、気がすんだ。もう私はOKさ」と晴れ晴れとした顔をしている例はとっても少ないと感じるもので。
 
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かたき討ち ──復讐の作法』氏家幹人 著、 中公新書1883、2007年、820円(税別)
 
 著者名に覚えがあると思ったら『大江戸死体考』というばつぐんに面白い本を書いた人でした。これは期待できるかも、と本を開きます。
 まず「女の復讐」が取りあげられます。室町時代(あるいはそれ以前の11世紀頃)から行われていた「後妻打(あるいは、うわなり打ち)」です。これは離縁された先妻が仲間をかたらって後妻のところに討ち入る風習です。江戸時代初期には日付を約束して壊すのも台所の道具だけ、と形式的な“ガス抜き”行為になりましたが、初期には相当派手なことをやっていたようです。昔の女性は強かったのです。
 次が、武士の復讐である「さし腹(差腹、指腹)」。恨みに思った相手を指名しておいてから切腹すると、指名された相手も否応なく切腹しなければならない、という風習です。これは一時藩によって奨励されました(なにしろ家ごとの喧嘩や大乱闘にならないから“犠牲者”の数が最小ですみます)が、だんだん“濫用”されるようになり「自分は貧乏なのにあいつは裕福なのが気に入らない」なんて理由でのさし腹まで出てくるにいたって各藩は続々禁止、17世紀にはこの風習は下火になりました。著者によるとそれが大々的に復活したのが「赤穂浪士」。この事件を「喧嘩両成敗」と見るとそもそも喧嘩ではない(一方的な斬りかかり)ですし、「敵討ち」と見ると浅野の殿様の“敵(かたき)”は上野介ではなくて幕府ですが、「さし腹」だったら話の筋が通ります。もちろん浅野内匠頭はきちんと指名をしてはいませんが状況証拠から「指名」があったとし、「腹を切るべき」上野介が切らないから手伝ってあげる、という大義名分が立つのです。いや、もちろん無理筋ではありますが、もともと「復讐」は無理なものでしょう?(無理でない行為だったら、最初から苦労して復讐をする必要さえありません)
 
 テレビドラマで「貴様に殺された○○の一子、一太郎」「同じく妻の花子」と名乗った親子がむさ苦しい浪人に斬りかかるとき、なぜか女性は逆手に懐剣を握っていたりするのですが、これって無茶ですよね。懐剣は相手が非武装だったら有効でしょうが浪人は腰に長刀を手挟んでいるわけでリーチが違いすぎます。せめて脇差し、長さ重視なら薙刀を用いるべきでしょう。というか、本書に紹介されている古文書での実例では大体そんな得物を用いています。後ろから斬りかかる、闇討ちやだまし討ち、人数にものを言わせてのなぶり殺しもアリです。要は“成功”すればいいのです。逆に討たれる側も、みごと返り討ちにしたらこれまた絶賛されます。要は“成功”すればいいのです。
 
 江戸時代前期には、敵持ち(敵として狙われている人)を匿うことが大好きな殿様があちこちにいました。理由はよくわかりませんが、「窮鳥懐に入れば」だったのかもしれませんし、敵持ちはすなわち人を殺めた経験があることでそれは武士としての“実績”として評価したのかもしれません。しかしこの行為にはリスクがあります。警護にはコストがかかりますし、もし保護している人間が討たれてしまったら匿った側の面目丸潰れです。そのせいか、江戸中期からはそんな奇特な殿様は激減しました。というか、武士の敵討ちそのものも減少しています。かわりに増えたのが庶民の敵討ち。これもみごと成功したら殿様からご褒美が下賜されました。
 江戸時代前期にはまだ戦国の気風が残っていて武士は「武」を重んじていたのが、中期からは官僚化してしまいなるべくリスクを取らないように「武士道」を確立した、つまり「“武”から“士”への武士の変容」が起きた、ということなのでしょうか。だから幕末には、新撰組とか奇兵隊とか、純粋な「武士」以外の者が活躍したのかな。
 
 そうそう、「妻敵討(めがたきうち、女敵討とも書きます)」というものもあります。これは「夫を殺された妻がする敵討ち」ではなくて「妻に浮気された夫が、姦婦姦夫を殺すこと」です。幕府は、心中に対しては厳罰で臨みましたが、妻敵討に対しては腰が引けています。内済(示談)を奨励していますが、これは本当に浮気があったかどちらが言い寄ったかなどの真相究明が困難なことと、あまりに事例が多すぎて一々かまっていられなかった、という事情によるようです。昔の日本の性風俗は「大らか」が基本ですからねえ。そういえば江戸時代の川柳には間男を扱ったものがやたらと多いし、正式な名称は忘れましたが「間男料」(浮気がばれたときに間男が夫に差し出すわび料)の相場もちゃんと決まっていたそうです(たしか五両)。
 儒学の見地からは「孝」「忠」が絶対価値だから敵討ちをしなければならない、とカタイことを言うのも日本なら、妻の浮気に対して本来なら殺すべきをわび料で堪忍してやると柔らかいことを言うのも日本。素敵な国です。
 
 
23日(月)鉄条網
 回りに鉄条網が巻きつけてあるようなことばを吐き散らかす人がいます。そんなものをぶつけられた方は痛くてたまりませんが、その言葉を発する人も口の中はずたずたになっているんじゃないかしら。
 
【ただいま読書中】
ヴァテル ──謎の男、そして美食の誕生』ドミニク・ミッシェル 著、 藤田真利子 訳、パトリック・ランブール(巻末のレシピ)、東京創元社、2001年、2700円(税別)
 
 “太陽王”ルイ14世がシャンティイのコンデ公を訪問した1671年4月。予定外の客が増えたため夕食のローストが不足したのを気に病んでいたコンデの執事ヴァテルは、「肉なし日」の翌朝港からの海産物が到着しないのを知り、絶望から剣で心臓を突いて自殺します。悲劇です。しかし本当の悲劇は、ヴァテルの死の直後に港から海の幸が続々到着したことでした。現在伝えられている話では、ルイ14世と15世が混同されたり、ヴァテルを料理人として扱ったりしていますし、ヴァテルの行為も毀誉褒貶が定まっていません。
 
 やったことはショッキングですが、ヴァテルは決して執事として無能だったわけではありません。当時の執事は(下級)貴族の仕事でした。品と格と能力が必要だったのです。富農の息子であるヴァテルが一級の執事を務めていたのは、ただ者ではないからだったでしょう。
 ヴァテルはコンデ公の前に財務卿フーケに仕えていましたが、有能な執事としての腕を買われて他の貴族に貸し出しをされたりしていました。当時の貴族の重要なお仕事はコネ作り。そのための手段としてパーティーが必須でしたが、その演出者および管理者として有能な執事は貴重だったのです。さらにヴァテルはフーケの下で支出の管理も行っていました。そして、王の接待。屋敷を訪れた王(とその随行者6000人!)を豪華な園遊会と宴会で立派にもてなしたのです。……ちょっと立派すぎました。国家財政が厳しいと言われて思うような贅沢ができないと不満をためていた王は、財務卿の立派な屋敷と蓄財の噂に不審の目を向けており、さらに(王を満足させるために)あまりに立派に整えられたパーティーの様子を見て「フーケは国庫からかすめ取っているに違いない」と確信したのです。パーティーの翌日、フーケは逮捕され投獄。ヴァテルは逮捕されませんでしたが失職し国外逃亡。ほとぼりが冷めた頃帰国してコンデに仕えることになったのでした。
 実はコンデも一時王の寵愛を失っており、シャンティイでの祝宴は王の愛を確認するという非常に重要な意味を持っていました。フーケの時とは違って、こんどの訪問者は2000人ですが、三日連続の祝宴です(しかも、誰がいつ来るかは確定していません)。庭園の整備と屋敷の装飾、演し物と演出、お客の宿泊と宴会の手配、楽員などの宿泊と食事、馬の世話……やることは山ほどあり、ヴァテルは一週間以上ほとんど不眠不休でした。そのプレッシャーが彼に異常な行動をとらせたのかもしれません。
 
 17世紀に西洋料理は大きく変わりました。そこにヴァテルはいろいろ名を残しているのだそうです。
 ブイヨンをとる技法が確立し、出汁と濃いスープから19世紀の様々なフォンが生まれました。とろみをつけるための「つなぎ」や煮詰める技法、ミンチの普及、東洋の香辛料のかわりに自国の香草が多く用いられるようになった、アジアやアメリカからの新しい食材の採用、野菜料理が“(地面に近い)庶民のためのもの”から貴族も食べるものになったこと(各種のサラダがこの時期に登場しました)、果物が“有害なもの”から“効用があるもの”に昇格した、様々なワインが楽しまれるようになってきた、取り皿やフォークの普及、調理場で「清潔」が強調されるようになった……様々な“変革”がこの時期に行われたのです。そういった歴史の記述に合わせて著者は実に楽しそうに当時のレシピを紹介します。それと様々な逸話も。
 ルイ14世はフォークが嫌いで指で食べていました。それどころか、同席者にもそれを強制していました。
 「フランス式サービス」では、一度にいくつもの大皿がテーブルに乗せられました。客はその中から自分が好きな料理を選択して自分で“コース”を組んでいました。そしてある程度食べたら皿を全部引いて次の皿の群れがまたどさどさ乗せられるのです(当然先程とは別の料理。この料理の組み合わせやディスプレイを考えたり、出したり引いたりのタイミングを見るのも、執事の重要な仕事でした)。テーブルはお皿に占領されていますからグラスはテーブルに置かない習慣でした。ワインが飲みたければ給仕に合図して持ってこさせます。置くところがありませんから一気飲みして空のグラスを返します。お上品にワインを楽しむ、という雰囲気ではありませんね。
 貴族の屋敷には人が多くいます。1692年には独身貴族の屋敷で最低36人は使用人が働いていました。貴族が結婚したり子供ができたら、その人数はどんどん増えます。当然彼らは飯を食います。主人ほど豪華ではないにしても、当時の庶民よりははるかにきちんとした食事を。これらの人々が将来のレストランのお客として、フランスの食事情を変化させていったのだ、と著者は言います。
 
 本書の第3部では、当時のレシピを現代風に再現したものを、両方のレシピを対照して載せています。是非食べたいか、と言われたら……微妙な反応を返してしまいそうです(笑)。
 
 
24日(火)税金
納める側から見たら不当な請求のように感じますが、納めさせる方からは「社会の使用料」なのかもしれません。社会に生きていなければ「その収入」「その利用」は生じなかったのですから。問題は「納めさせる側」が「その社会を構築するのにお前は本当に貢献したのか?」の疑問に答えてくれないことかな。
 
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アーミッシュの贈り物』ジョセフ・リー・ダンクル 著、 主婦の友社、1995年、1262円(税別)
 
 映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」で、ハリソン・フォードは事件を目撃したアーミッシュの子供を保護する刑事を演じていました。私はこの映画は予告編しか観ていませんが、そこで瞬間的に紹介されたアーミッシュの生活ぶりが印象的でした。文明の利器を否定して電気もガスも使わず馬車に乗り、服装は黒っぽい独特なものを着て……なんだかとっても不思議な人たち、と感じましたっけ。
 
 本書では、ペンシルバニア・ダッチ・カントリーに住むアーミッシュの人々の生活が紹介されています。ダッチは「オランダ人」ではなくて「ドイッチェ(ドイツの)」を「ダッチ」と聞き間違えたのが定着したもので、つまりドイツからの移民の裔の町です。(ついでですが、彼らを呼び寄せたこの地への最初の入植者ウィリアム・ペンにちなんでこの州名はつけられています(ペンの森(シルヴィ))。
 宗教改革後、聖書の解釈などでキリスト教の宗派は細かく分かれました。スイスの再洗礼派から分かれたメノナイト派からさらに近代文明を否定する立場で分かれたのがアーミッシュ派です。現在ダッチカントリー(人口42万人)のうち、アーミッシュは17000人で、特に孤立したコミュニティを作らず、他の人たちに混じって生活をしています。
 従事するのは主に農業。馬と人手で耕すため耕作面積はアメリカの一般に比較して狭い(平均7〜9万坪)のですが、きわめて優秀な農場主として知られているそうです。子供は学校へ行く前にも学校から帰ってからも農場の仕事を手伝います。だから学校はアーミッシュの子供には宿題を出しません。使うのは「ペンシルバニア・ドイツ語」と呼ばれる独特のことば(と英語)です。学校で宗教教育はしません。宗教は家庭で教えるべき、という考え方からです。教会もありません。各家庭が信仰の場なのです。「アーミッシュになるかどうか」の決断は、10代後半〜20代前半の時期に各人が行います(90%くらいがアーミッシュを選択するそうです)。アーミッシュは自動車の運転はしませんが、“アーミッシュにまだなっていない人(=若者)”はOKです。だからティーンエージャーは友人の車を運転させてもらったり飲酒や映画やデートなど、大いに羽目を外すそうです。(逆に、それだけ世俗的な楽しみを味わった後でもアーミッシュになる選択をする人が多いことに、私は興味を覚えます)
 服装は、飾りを一切排することが基本です。ボタンでさえ使いません。アーリー・アメリカンの服装をそのまま残した雰囲気だそうです。洗濯は、井戸から水を汲み鍋で湯を沸かし洗濯板でごしごし、干した後は鉄製のアイロンをオーブンで焼いてアイロンがけ……
 なんだか、『大草原の小さな家』を思い出します。といって、まるっきり文明を拒絶しているわけではありません。州の法律で馬車にも方向指示器が必要なため、風車や水車で発電して蓄電池に充電もします。
 本書では、アンティークの家具や昔の調理用具なども絵とともに紹介されていて、雰囲気を盛り上げています。本書を読んでから『大草原の小さな家』を読むと、細部に関して具体的なイメージが捉えやすくなることでしょう。
 
 「マディソン郡の橋」はアイオワ州ですが、ペンシルバニア州にもそういった屋根つきの橋(カバー・ブリッジ)が230も残っていて、独特の雰囲気だそうです。本書ではアーミッシュのみに限定せずに、著者の故郷であるダッチカントリー(とペンシルバニア州)の四季をゆったりと紹介してくれます。春の母の日や父の日・バーベキュー、夏のヤードセール・ポピュラーな夏の飲料メドウティー、秋のリンゴ・ハロウィーン、冬はもちろんクリスマス(ただしアーミッシュには、ツリーもサンタも豪華なプレゼントもありません。神聖な日を家族親戚が集まって質素に祝います)・お正月(アーミッシュの正月料理はソーセージとザワークラウト)。
 
 様々な料理のレシピも載っていますが、思わず微笑んだのは「手作り粘土のレシピ」。食品だけで作られるので「食べても安心」だそうです。生の小麦粉が健康によいかどうかはわかりませんけれど。あるいは「良い子供の調理法(How to cook good children)」なんてのも。このレシピに必要な「材料」は、広い野原・子供6人・子犬3匹・小石のいっぱいある小川・太陽・青空・草花、だそうで……「調理法」はもうわかりますね? そして「良き人生の調理法」。材料は「愛情カップ1、やさしさカップ1/2、感謝の気持ちカップ1、楽しい仲間カップ3、賞賛小さじ3、厳選された忠告小さじ1、喜びカップ1、悲しみひとつまみ」。ちなみにこの材料を清潔なハートで混ぜて焼いた後、社会に出すことが必要だそうです。
 
 
25日(水)覚え
 「腕に覚えのある人」が多い方が良いのに、そうではなくて「身に覚えのある人」の方が多いのは、組織としては困ったものです。
 
【ただいま読書中】
自殺が減ったまち ──秋田県の挑戦』本橋豊 著、 岩波書店、2006年、1900円(税別)
 
 日本での自殺は年間三万人。都道府県別では自殺率上位ワーストテンは多い順に、秋田・青森・岩手・山形・富山・宮崎・高知・新潟・長崎・福島(2005年厚生労働省死亡統計)、です。
 著者は秋田県で自殺予防事業に取り組んでいましたが、公衆衛生の立場から「自殺は個人決定の問題である(だから行政や他人が介入できる(するべき)問題ではない)」は固定観念だ、と言います。「自殺対策基本法」(2006年)でも、社会として個人の自殺に取り組むことを法の理念としています。(「できる」かどうかは技術的な問題で、「するべき」かどうかは倫理の問題かな。ここは分けて考えた方が良さそうです)
 自殺が個人ではなくて社会で取り組むべき(取り組むことができる)問題であると認識されるようになったのには以下の三つの点が大きく作用しています。自殺とうつ病との深い関係があきらかになってきたこと、交通事故と同じように「避けられる死」という発想が出てきたこと(各国では自殺を減らす数値目標をあげています)、「自殺の増加そのものが社会問題である」という認識が広まったこと。
 ついでですが、9月10日は「世界自殺予防デー」で世界中で様々なイベントが行われているそうです。
 
 我々がよくやりがちな、「原因を特定しそれに対して対策を立てる発想」では、自殺を予防することは困難です。自殺の「原因」は多い順に「健康」「経済・生活」「家庭」「勤務」「男女」「学校」……と様々なので、それぞれについて完璧な対策……それは無理な注文です。ではどうするか。著者は公衆衛生の発想を紹介します。原因が特定できなくてもとりあえず良さそうな方法を試してみるやり方です(昔コレラの原因(コレラ菌)がまだわからない時代に、下水を整備することでコレラの流行を押さえた事例が紹介されています)。
 秋田県は自殺率日本一の県です。「どうして秋田が?」の質問はあまり意味がありません。いろいろな原因があるからです。「ではどうしますか?」の方が意味があります(「私に何ができますか?}の方がもっと有用でしょう)。秋田県は「地域作りとしての自殺予防」を始めました。2000年に「健康日本21」の地方版である「健康秋田21」で「自殺を三割減らす」という数値目標を掲げ、そのための手段として「啓発・相談体制の充実・うつ病対策・予防事業・研究」を打ちだし、まず六つの町でモデル事業を始めました。
 住民が傾聴の講習を受けて「ふれあい相談員」となり、うつ病などの早期発見と話し相手になるシステムは合川町の保健師の提案から生まれました。藤里町では住民団体の「心といのちを考える会」が立ち上がり、役場の施策に(決定プロセスから)参加することになりました。2006年からは新しい総合相談所が藤里に作られました。それまでバラバラだった医療・保健/福祉/法律、なんでも相談できる窓口です。
 面白いのは、自殺予防キャンペーンに反対意見があったことです。「自殺」ということばが大々的に使われることによって“寝た子を起こす”ことになるのではないか、という意見です。たしかに著名人の自殺報道の後で自殺が増える現象は知られています。そこで細心の注意を払ってキャンペーンが行われました。その結果、「自殺」という話題を避けていた住民が、話題にするようになった/真剣に考えるようになった、という変化が生まれました。
 数年後、モデル事業の行われた町では自殺率は47%の減少となりました。ただし、人口規模が小さいため単独の町で見ると統計的に有意の差があるとは言えません。しかし6つの町をまとめた上、周辺の町村を対照としておくと、明らかに自殺率は減少したと言えます。(本当はランダム化比較対照試験が必要でしょうが、公衆衛生的な施策でそこまで求めるのは困難でしょう)
 秋田県の取り組みで特徴的なのは、うつ病対策とともに強力な一次予防(自殺予防のための健康教育や啓発活動)が行われたことでした。他の町の事例では、一次予防だけでも自殺率減少に効果があることがわかりました。
 
 多重債務と連帯保証制度について、本書の最後で簡単に触れられています。どちらも自殺の原因として機能しているからです。特に連帯保証が日本独特の制度だと聞くと「それ無しで何とかならないのか?」と私は思います。もちろん「契約」ですから、「ハンコをついた人」の自己決断と自己責任である、と言い切っておしまいにする手もあるでしょうが、日本はご存知の通りまだまだ義理と人情が幅をきかしています。「断り切れない」こともあるわけ。で、義理で縛っておいて結果が出たら契約を言い立てるのは……むごい話ではあります、というか、それで自殺が発生するのはむごい話そのものなのです。金を貸す側も安易に他人の財布に頼らずに、企業努力をする必要(自己責任)があるんじゃないかしら。
 
 タブーが多い社会は窮屈です。「自殺」も、話題にすることさえ避けなければならない“タブー”である地域があります。でも、なぜタブーなんでしょう? タブーでなくしてはいけませんか? 私たちを縛るタブーが一つでも減れば、少しだけ生きやすくなるかもしれません。そう、自殺をすぐにしなくてもすむように。
 
 
27日(金)七味
 大学の時、同級生がしばらくネパールへボランティアに行っていたことがあります。帰ってきた彼が一番変わったなと感じたのは、学生食堂のカレーライスに表面全体が真っ赤になるまで七味をかけるようになったことでした。「日本のカレーは味が薄い」のだそうです。
 そういえば、就職してしばらくしてからのこと。四川省から来ていた中国人と一緒に飯を食っていたら「日本のサラダには味がない」と七味をどっさりかけているのにも私は目を丸くしました。もっとも、そんな彼をインドカレーの店に連れて行って「あんなに辛いものを食べているのだから大丈夫だろう」とふだん私が食べているのより一段階だけ辛いカレーを注文すると「インドの辛さは中国の辛さとは質が違う」とふうふう悩み(?)ながら食べているのですから、「辛さ」といっても一筋縄ではいかないようです。
 でも、どちらにも対応できていた七味唐辛子は“偉大”だなあ。
 
【ただいま読書中】
ネパール王制解体 ──国王と民衆の確執が生んだマオイスト』小倉清子 著、 NHKブックス1075、2007年、1160円(税別)
 
 1960年にネパール国王マヘンドラは、ネパールで最初に行われた民主選挙で選ばれた首相を罷免、1962年には政党政治を禁止して国王の直接統治を始めました。1990年、民主化運動が起きますが警官隊が群衆に発砲、外出禁止令が布かれます。ビレンドラ国王は政党リーダーとの対話を行い、複数政党制度の復活を宣言しました。著者はその夜、カトマンズにたまたまいました。
 総選挙で多数派与党となったネパール会議派のコイララ政権は、5年の任期を全うできませんでした。内部での権力争いと少数派の弾圧が原因です。以後ネパールの政治は、権力と私腹を肥やすことを求める政治家たちによって醜い軌跡をたどります。
 もともとネパールでは共産党は大きな勢力でした。1991年の総選挙では、下院に議席を獲得した8つの政党の内4つが共産党系で、205議席中82議席を占めていました。こういった“表”の政党とは別に、地下活動をメインとするネパール共産党エカタ・ケンドラは議会政治を否定し武装闘争を始めます。1995年3月、エカタ・ケンドラに他の勢力が加わってネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が生まれました。彼らは山岳の農村部から人民闘争を始めます。まずは「敵」とみなす、与党の支持者・金貸し・警察の協力者への襲撃です。警察から武器を、銀行から金を奪います。政府は襲撃された地区の警察官を引き揚げ、それに伴い銀行や(保健所・郵便局以外の)政府施設も閉鎖されました。マオイストはそこに人民委員会を設置します。
 2001年、ネパール王室がほぼ全員殺されるという「ナラヤンヒティ王宮事件」が起きます。“運良く”生き残ったのは、それまで悪評紛々の王子だけ。マオイストはこの事件を陰謀であると断じ、国民に不人気な新国王に対して対決姿勢を鮮明にします。マオイストは順調に支配地域を拡大させますが、「9.11」で風向きが変わります。周辺国はマオイストに警戒を強め、ネパール王室は国軍を投入します。凄惨な殺し合いがあちこちで起きました。
 
 もともとネパールには、王制が抱える問題だけではなくて、カースト制度・極端な貧富の差・少数民族の問題・インドとの複雑な関係(民族的なものと、繰り返されるインドからの政治的な介入)などがあり、「国民の不満」は何かを育てる養分として準備されていたと言えるでしょう。だからこそヒンドゥー国家なのに共産主義が根を張っていたのでしょう。
 2005年2月1日、クーデターが起きます。国軍と武装警察を使って国王が絶対王制を実現したのです。“敵”はマオイストと政党政治家(とその支持者)でした。首都カトマンズで噴出した国民の不満(ゼネストや大規模なデモ)に押されて4月には国王は「民主的選挙」を約束します。そのとき、マオイストはネパールの面積にして八割を支配していました。政府が支配するのは、首都周辺と郡庁所在地あたりだけ。これではまともな選挙は困難です。しかし政府がなんとか機能して憲法を改正、国王の特権をほとんど停止させました。これは「四月革命」と呼ばれ、著者は非武装の市民がこの「革命」を起こしたことを高く評価しています。マオイストは「国王制度を廃止しないということは、存続のために憲法を改正してごまかしただけ」と厳しい評価のようですが、武装闘争だけでは限界があると思ったのか、少なくとも話し合いのテーブルにはつくことに合意しました。
 この先はまだまだ長く苦しい道が続きそうですが、著者はネパールの地からそれを見続けていくそうです。
 
 本書では、ネパールとインドの関係についてはわりと詳しく書いてありましたが、中国があまり登場しませんでした。中国がまったく無関係ということはないでしょうけど、影でどんなことをしていたのか、ちょっと気にはなります。
 
 
28日(土)火の記憶
 私が子供の時、ごみを焼くのは私の仕事でした。紙くずを焼却炉に放り込んでマッチでただ火をつけるのは面白くありませんから、鉛筆削りから出た削りカスを導火線のように並べて端から火をつけてみたり、ゴミの並べ方を工夫してなるべく炎が長持ちするようにしたり、たかがごみ焼き一つで遊びの種には不自由しませんでした。お袋は新婚時代に薪で風呂を沸かしていたそうで、それはさすがに遊びながら、というわけにはいかなかったでしょうね(水もたしか井戸だったはずですし)。
 今の家はオール電化で、次男はとんど焼き(どんど、左義長)とか花火の時にしか「火」を見たことがありません。これは文明人としては幸福なのかな。
 
【ただいま読書中】
それいけズッコケ三人組』那須正幹 著、 前川かずお 絵、ポプラ社、1978年(98年74刷)、1000円(税別)
 
 私の日記の読者にはこの本のタイトルを見て「なつかしい!」という人もいるでしょうが、私は残念ながら子供時代にはこの本に出会えませんでした。長男が小学校で借りてきて読んでいるのを横目で眺めていたくらい。今回ひょんなことで借りてきましたら、次男が「あ、この本知ってる」「僕はまだ読んでいる最中なんだから内容を喋ったらいけないよ」「わかってるよ。えっとね、ここからモーちゃんが……」こらこら。
 地方のミドリ市花山第二小学校(モデルは著者が育ち通った広島市西区の己斐(こい)小学校)六年一組のハカセ(読書家。百科辞典や電話帳まで読むが、トイレの外ではその知識がなかなか活かせない)・ハチベエ(とにかくせっかち。身体を動かすことが大好き)・モーちゃん(でかい身体、スローモーだからモーちゃん)の三人組が次々巻き込まれる(巻き起こす?)“愛と涙の冒険”物語です。
 まずは本屋で万引きする少女たちを発見した三人がいかにその犯罪を防止していたいけな少女を悪の道から救うか。ついでヤナギ池での怪談。クラスで評判の二人の美少女を脅かそうと三人はトリックを仕掛けるのですが……いやいや、「タスケテー、タスケテー、タスケテー」の怖いことと言ったら……
 ハイキングを兼ねた貝塚掘りも、ハチベエがただ地面をほじくることに飽きて宝探しをしようとしたことから意外な展開を見せます。子供にとってだけではなくて大人にとってもハラハラドキドキとなるのですが、まさか戦争中の話が登場するとは思いませんでしたが、こんな“過去(悲劇)”はあちこちの地域にまだたくさん埋もれているはずです。戦前生まれの人がまだ生きている内に、こういった話はできるだけ発掘しておいた方が良いんじゃないかなあ。そして最後のゴールデンクイズ。まあこれはオマケのような感じですが、ここで「ズッコケ」のタイトルの意味がわかるわけですから重要な章とも言えるでしょう。
 
 本書は三人組登場!の巻ですが、シリーズとして成功した(50巻まで行ったそうです)わけがわかる魅力にあふれています。私は自分の子供時代を思い出しながら一気に読みましたが、子どもたちにとってはもっと身近に感じられる生き生きした本でしょう。
 
 
29日(日)入ってる
 かつて「インテル入ってる」キャンペーンがありました。英語は“Intel In It”。そのころ欧米では“Intel Inside”で「日本ではinsideということばはイメージが悪い(「インサイダー取引」がポピュラーになりつつある時期でした)から、使いたくないのだ」とコンピュータ雑誌に書いてあったのを「ほう、そういうものか」と読んだ覚えがありますが、数年後には日本のパソコンに貼ってあるシールも “Intel Inside”になったので、その雑誌の主張はちょっとアヤシイということになりそうです。ちなみに私が今つかっているノートブックパソコンには IntelではなくてAMDのシールが貼ってあります。
 私はかつてIntel社に不信感を持っていたので(386SXと386DXのときの記憶がまだ鮮明なのです)、自分のパソコンにIntelが入っていないのは別にかまわないのですが、昔「反Intel」だったアップル社製のパソコンにもし今買い換えたら「インテル入ってる」マシンになってしまうわけで、なんとも不思議な気分です。
 
【ただいま読書中】
インサイド・インテル 上』ティム・ジャクソン 著、 渡辺了介・弓削徹 共訳、翔泳社、1997年、1600円(税別)
 
 “Intel Inside”をただひっくり返しただけのタイトルで独特の効果を出しています。上手いキャッチコピーと感じます。本書ではタイトル通り、Intel社の内部にいる人たちにインタビューして情報を集めているのだそうです。
 
 1959年、ジャック・キルビーが集積回路で特許を取ります。そのとき実験室の技術を大量生産できるようにしたのがロバート・ノイスでした。ノイスとその部下ゴードン・ムーアはフェアチャイルド・セミコンダクター社を大きく発展させますが、やがて会社は混迷、1968年に二人は社をやめて新しくインテル社を起こします。製造管理責任者として採用されたのはアンディ・グローヴ。ナチス支配下のハンガリーで地下に潜ってホロコーストを免れた1956 年ハンガリー動乱でアメリカに亡命したユダヤ人です。このグローヴのパーソナリティが以後のインテル社の“生き方”を規定することになります。
 インテル社は、当時主流だった磁気コアメモリーに変わる半導体デバイスの開発を目指しました。当時それを目指す会社は多くあったのですが、インテルはいち早くDRAMの開発に成功、急成長をします。日本のビジコンから電卓用チップを受注し、1971年に4004マイクロプロセッサーを開発します。わずか4ビットのチップですが、25年前のENIAC(世界最初の真空管コンピュータ。真空管を1万8千本使ってました)と同じ性能をマッチ箱より小さいチップで実現しました。4004の特徴は「汎用性」です。それまでのチップはそれぞれの用途に合わせて開発されていましたが、4004はプログラム次第で何にでも使えるのです。ところが市場がありません。「何にでも使える」と言われてもユーザーは何に使っていいのかわからないのです。インテル社は困惑しますがともかくマイクロプロセッサーの登場です。そして書き換え可能なROMであるEPROM。インテルは新製品を次々生み出します。
 ヴェンチャー企業はいつのまにか大企業になっていましたが、同時に“大企業病(規律と組織化が最優先)”も発生していました。それを嫌ってインテルからスピンオフした人たちが作ったザイログZ80はインテル8080と互換可能な上、使いやすく高性能でしかも安価。モトローラが出した6800も 8080よりいくつかの点(特に電源)で上回っていました。さらに16ビットプロセッサーZ8000とモトローラ68000が出荷予定です。インテルは追いつかれ追い越されないためにしゃにむに仕事を続けます。その“仕事”には、非倫理的なものも含まれていました。
 
 しかし、インテルに9ヵ月遅れたAMD社の立ち上げにインテル創設者のノイスが協力していたのは意外でした。世の中のつながりはいろいろ複雑なんですねえ。
 それと、アメリカ人はオープンな議論が大好きな民族なのかと思っていましたが、意外にそれを好まない人がけっこういることも意外でした。たとえば対人関係でどんな態度を是とするかは文化が規定するものですが、人の心(性向)は案外それほど民族差はないのかもしれません。明るくてオープンで活発な人生を生きているように見えるアメリカ人でも、実はそれを負担に思っている人が多いから、あれだけ精神分析医が繁盛しているのかな。
 
 
30日(月)スモーキング・ブギ
 先日ヴァイキング形式の店に行ったときのこと。ちょっと離れたテーブルにすわっていたカップルですが、そこだけ霞んでいました。しばらく観察すると、食中の一服です。私が最初に注目したとき、女性がビールを飲みながらタバコを吸ってました。男性は黙々と食っています。で、タバコを吸い終わった女性が食べ始めると今度は男がタバコに火をつけます。男が吸い終えてまた食べ始めると女性が料理を取りに行きました。ただしその前にタバコに火をつけて灰皿の上に置いてから。タバコは虚しくのろしを上げ続けています。料理を取ってきた女性がそれをもみ消してまた新しく一本を灰にしてからまた食べ始めるとこんどは男性がタバコに火を。つまり、二人どちらかが吸っているか、吸っていないときにはのろしが上がっていて、煙の切れ間がないのです。
 「食後の一服」はありますが、食中の一服、それも二人で分担して途切れなく、ってのは初めて見ました。口に箸かタバコかどちらかを咥えていないと安心できないのかな、とか、あの二人はセックスの最中にもどちらかはタバコを吸っているのかな、とかいろいろ下品なことを考えて楽しんでしまいました。それとも重度のニコチン中毒なのかな。だったらニコチン水溶液を点滴しながら食事をしたら……って、よい子はやっちゃいけません。ニコチンは毒物ですから。
 で、帰宅したら、離れていたのに服がたばこ臭い。……むう。
 
【ただいま読書中】
インサイド・インテル 下』ティム・ジャクソン 著、 渡辺了介・弓削徹 共訳、翔泳社、1997年、1600円(税別)
 
 著者が描くのはインテル社の性悪説に基づく偏執的な態度です。それは従業員に対しても厳しいものですが(遅刻は許さないとか、直属上司の機嫌を損ねたらあっさりクビ、とか)、市場で自分の地位を脅かす可能性がある存在(ライバル社だけではなくて、インテルをやめていった有能な人)に対してもインテルは手を緩めません。
 そのための手段として、たとえば訴訟があります(インテル法務部の「事業計画」には、年に何件訴訟を起こすか、なんてのもあったそうですが……)。新興ヴェンチャー企業が魅力的でインテルのシェアを奪いそうな新製品を発売したら「インテルの○○を犯している可能性がある」と訴訟です。○○の所はなんでもかまいません。それで裁判所から差し止め命令が取れれば新製品の出荷が止められます。たとえ裁判に負けたとしても、年商数百万ドルの企業に100万ドルの訴訟費用を負担させ、数少ない経営役員を最低一人裁判所に一年間張りつけさせるだけでも“大きな成果”です。自分がもっと良いものを開発するよりもはるかに安いコストでライバルの新製品を判決が出るまで市場から閉め出すことができるのですから。別に裁判に勝つ必要はないのです。
 それは個人に対しても同じことです。後ろ足で砂をかけてやめるようなことをした人に対しては、インテルから「機密情報を持ち出した」と訴訟を起こすことで、評判を落とし辱め心を傷つけることができ、新しい商売(多くはインテルのライバルになる可能性大)の立ち上げを妨害できます。さらに社内で独立を考えている人に対する牽制にもなります、(実際にその“被害者”が何人も本書には登場します。著者がインタビューに行なったら「インテルから圧力があって……」と内実を話すことを拒否した人はさらにたくさん)。
 
 こうして「独占」を達成したインテルが発見したのは新しいライバル、マイクロソフト社でした。「顧客からの1ドル」をもしマイクロソフトが取ればインテルはゼロ、その逆もしかり、なのです。かくしてwintelはお互いに依存しかつ足を引っ張り合う複雑な関係となったのです。残念ながらこちらについては詳細は描かれていません。それは本書発行後の別の本が担当するべき事柄でしょう。
 
 1994年ペンティアムの“欠陥”がインターネットで、ついでマスコミで大騒ぎとなります(これは覚えている人が多いんじゃないでしょうか)。いや、マイクロプロセッサーにある程度バグがあるのは当然なのですが、問題とされたのはインテルの“態度”でした。バグがあることを知っていながら「大したことではない」と出荷し、それを指摘した人には木で鼻をくくったような態度を取り、騒ぎになると「うるさい奴だけ交換してやるが、交換が本当に必要かどうかはインテルが判断する」……最後にはとうとう社長が謝罪して全面交換となって“騒ぎ”を鎮めましたが、インテルとしては心外なことだったでしょうね。今まで攻める(責める)だけだったのが、攻められる(責められる)立場になってしまったのですから。
 
 著者はインテル社に対して不公正な書き方をしているわけではなくて、たとえばアップル社の“問題”なども的確に描写していることからも著者の態度は信頼できるものと私は判断しました。インテル社が独占的大企業になったのには、「製品の優秀性」もさることながらマーケティングの手法が非常に大きかったことがよくわかりますし、そのための具体的な手段として、非倫理的・法律すれすれ、そして時には違法な手段さえ用いていたわけです。そこまでするのか、とため息をつく私は、アメリカ的世界では金持ちにはなれないということですな。