mixi日記07年5月
アメリカのレーガン大統領のナンシー夫人がお抱えの星占い師に相談をしていた、という“スキャンダル”をふと思い出しました。これは二つの点で問題にされたはずです。一つは「占い」によってアメリカ(ひいては全世界)の運命が影響を受けて良いのか、という点。もう一つは夫人を通じて(占い師であろうがなかろうが)一個人がアメリカ(ひいては全世界)の運命に影響を与えて良いのか、という点。当時のマスコミの論調は「星占い」に焦点を絞っていたように感じましたが、私はむしろ「特定個人」の方に問題を感じましたっけ。
昔読んだショートショートで、インチキ商売屋が今の世界に不満を持っている人を「平行世界に転送してやる」と騙す話がありました。で客の多くが選択するのがなぜか「近い将来滅亡する世界」。商売人はふと不安に思います。“顧客”の中には政府の要人や軍人もいて、かれらは「ここは滅亡する世界だ」と思いこんでいるのだから、政策決定や行動にその思いこみが影響を与えるのではないか、と。
人は自分が信じるものを実現するように、意識的にあるいは無意識的に行動する傾向が強いはずです。だとすると、公的な人間が占いであれ信念であれイデオロギーであれ何を信じるかは自由ですが、“その人”が“何”を信じているのかがある程度公開されていないとまずい場合もありそうです。
【ただいま読書中】
那須正幹 著、 ポプラ社、2006年、1000円(税別)
成長したズッコケ三人組。中学校教師のハカセ、コンビニ店長のハチベエ、大阪の工場が倒産してミドリ市に帰ってきて内装の仕事をしているモーちゃん、みな立派(?)に男の大厄(かぞえで42歳)を迎えています。気になるのは衰えていく親・生活・子供・メタボ。そこに六年一組で学級委員をやっていた新庄則夫(現在開業医)が、かつて花山第二小学校で2ヵ月だけ同級生だった真智子が評判のカリスマ占い師になっていてミドリ市に講演にやってくるが特別に彼女と会えるという話を持ち込みます。モーちゃんにとっては初恋の人ですから再会して心が震えるのは当然ですが、他の人間も同じように心が震えます。彼女は各人に気になる占いをしてくれます。真智子に話したこともない悩みがずばずば指摘され、そしてそのことに何をするべきかが語られるのです。
しかしその直後、週刊誌に「真智子の占いはインチキ」の活字が踊ります。あらかじめ秘書が情報を集めてそれをもとにそれらしいことを喋っているだけ、というのです。別の弟子はそれは秘書のでっち上げと主張します。本人は行方不明。“標的”を失ったマスコミの矛先はむしろ占いに頼って重大な決定をしていた政界や会社の責任ある地位の人々に向かいます。
真智子を追っていたフリーライターは、過去に全然こだわらない真智子が、小学六年の二ヶ月しかいなかったミドリ市にはなぜか懐かしい思いを持っているらしいことに注目します。なぜなのでしょう。それはズッコケ中年三人組にも不思議なことです。借金取りに追われているのを国際スパイ団に追われていると嘘をついていた美少女を、修学旅行の最中に“脱出”させて親戚の家まで送った派手な思い出はありますが、だからと言ってそれが彼女にとってそんなに大切な思い出であるとも思えません。しかし真智子はミドリ市にまた現れます。
結局彼女の占いは、三人組に少し“変化”を与えました。モーちゃんは体重が少し減ってメタボの発現から少し遠ざかったし、ハチベエは夫婦の関係を改めて注意深く見るようになりました。そしてハカセは……これは微妙です。一年以内に現れるはずの運命の女性は本当に存在するのか……次作『ズッコケ中年三人組 age 42』を待たなければならないのかな。
プロ野球の中継で四連続ヒットを食らって呆然あるいは憮然としたピッチャーを映した画面でアナウンサーが「まったく信じられないことが起きました」と言ってました。
……あのう、たとえば三割バッターが4人並んでいたら、単純計算で四連打が出現する確率は約1%あるんですけど……(約0.3の4乗) 「1%」はたしかに「可能性が高い」とは言いづらいけれど「信じられない現象」と言えるほど低い数字でもないでしょう。数試合に一回は出現しておかしくない現象ですから、私はその存在を信じますよ、というか、目の前で見てるから信じるしかないのですが。
……一割バッターが4人だったら四連打が出る確率は0.01%だからこれならなかなか「ないこと」でしょうけれど、それ以前に「一割バッターが4人並んだ打線」がプロ野球ではまずあり得ないことですね。
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エコロジー(生態学)の世界には、微生物も含まれています。おそらくすべての動物は微生物と“共存”してこの世界に生きているのです。病気を起こす細菌に対しては抗生物質が使えます(多剤耐性菌が増えましたけれど)。だけどそんな手段が使えないのがウイルスです。
天然痘ウイルスは「人にしか感染しない(他の動物に“避難”できない)」「変異しない(ウイルスがよく効く)」という“弱点”を持っていたため、人類に押さえ込まれてしまいました(WHOの天然痘絶滅計画によって、最後の発症者は1977年です)。しかしこの世にいるのはそんなに(人にとって)都合の良いウイルスばかりではありません。
20世紀後半、新しいウイルス病が次々発生しました。マールブルグ病・ラッサ熱・エボラ出血熱・デング性ショック症候群・アポロ病・ATL・SARS・エイズ……
なぜこういった“新しい病気”が次々登場するのか野原因については、交通の発達(“風土病”が簡単に全世界に伝播する)・自然破壊による動物からの感染機会の増大が考えられます。動物の世界で新しいウイルスが誕生している(だから新病が増える)と考えている人もいます。エイズは、アフリカミドリザルの常駐していたウイルスが突然変異して人への感染性を獲得・その後さらに突然変異して人の免疫機構を破壊する能力を獲得・そしてその“風土病”がたとえばハイチを経由してアメリカに侵入、という仮説が有力だそうです。
鳥インフルエンザも問題です。2003年からアジア各地に広がっていますが、たとえばベトナムでは2006年7月までに93人が感染し42人が死亡……すごい死亡率です。もしこのウイルスが人→人の感染性を獲得したら、かつてのスペイン風邪の再来になるかもしれません。
本書には動物由来とは無関係なウイルスの話題もたくさん盛り込まれていますが、その中に「日本は麻疹後進国」という表現がありました。日本ではワクチン接種が十分行われていないため麻疹(はしか)の流行が多い点で国際的に下のランクに位置するのです。たかがはしかですが、下手すれば死ぬ病気ですからワクチンは打っておいた方が得策と思うんですけどねえ。無防備状態で野生株に好き放題されるより死ぬ確率は減ると思うんですが。
ちなみに、現在関東では麻疹が大流行で、創価大学やその他の学校で学校閉鎖が行われているそうな。国立感染症研究所 http://idsc.nih.go.jp/index-j.html や東京都感染症情報センター http://idsc.tokyo-eiken.go.jp/topics/index.html でも麻疹警報を出していますね。
日本では「○○国に旅行する場合には、××病が流行しているから水や生ものに気をつけること」といった注意がされることがありますが、近い将来「日本への旅行者は麻疹に注意」と諸外国で言われるようになったりして……
ウイルスの突然変異とはつまりは遺伝子の転写エラーです。個人としての人にとって細胞の「転写エラー」は嬉しいことではありません。望んだ細胞が望んだ場所を埋めてくれないわけですし、下手すれば癌のもとです。しかしウイルスはエラーを利点にしています。同じ現象なのにまったく違った価値が与えられるのは、なかなか面白いものです。最終的にはどちらが“進化の勝者”と判定されるのでしょう?
人生の転機のせいもあって、ある都市銀行と地方銀行と、新しく口座を作ることになりました。で、都市銀行の方のカードが届きません。じれて電話をすると「3週間から4週間でお届けします」……って、もう4週間を過ぎているから電話しているんですけど。だけど、謝罪もなければいつ届けるかの見通しの提示もありません。マニュアルを読んでいるだけの木で鼻をくくったような反応です。この銀行とのつき合いはあまり深めない方が賢明だな、と私は判断しました。
地方銀行の方は、一週間かからずにカードが届きました。この差は、何?
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終戦後父親の会社で著者は木製モデルの開発を始めました。しかしアメリカからプラスチックモデルが入ってきます。プラモデルに転換しますが、経営は苦しく、著者は一発逆転を狙って模型ファンである小松崎茂さん(その筋では有名な画家・イラストレーター)に直接頼み込んで箱絵を描いてもらいます。小松崎さんは絵だけではなくて人材も紹介してくれ、会社は立ち直っていきます。問題は金型です。納期は守らず金は法外にふっかける。著者はとうとう金型の内製化を考えます。職人をスカウトし若手を他の工場で修行させるのです。
木からプラスチックへの転換、金型の内製化、重大な決断の連続です。決断ができず、あるいは決断してもうまくやり抜くことができなかった会社は、淘汰されていきます。
模型好きと競争好きはけっこう重なる部分が大きいのかもしれません。昭和36年末、タミヤが戦車の模型(電池を入れて自走可能)をヒットさせると、ファンが集まってやったのは競争でした。障害物コースのようなものを作ってそこを自慢の戦車で走破レースです。そして昭和38年のスロットカーブーム。直線重視のアメリカ製に対抗して田宮ではコーナーリングで勝負することにします。結果は圧勝。著者は意気揚々とアメリカに乗り込みますが「メイド・イン・ジャパン(安かろう悪かろう)」というだけで相手にしてもらえません。しかしヨーロッパにはタミヤのファンが育っていました。著者は日本一ではなくて世界一になることを目指します。しかし日本でのスロットカーブームは5年で終焉を迎えます。学校で“盛り場”への出入りが禁止されたこと・急激なマニア化(ハンドメイドのシャシーや改造モーターなど)による“勝てるマシン”の値段の高騰……これはタミヤに“教訓”を残します。
アメリカのアバディーン戦車博物館、イギリスのボービントン戦車博物館で著者は実物の戦車に(文字通り)直に触れ、そこから模型の型を起こします。次は共産圏。当時は鉄のカーテンが強固で著者の依頼はあっさりはねつけられますが、著者はイスラエルに飛びます。1967年の中東戦争でソ連製戦車がイスラエルに大量に捕獲されたのです。
タミヤの組み立て説明書に載っている戦車のエピソードやタミヤニュースによってミリタリーマニアが育ちます。彼らの要望は具体的です。それに応える新製品はヒットします。企業とユーザーの正の循環です。
そして“動かない模型”がヒットし始めます。昭和40年代からのジオラマブームです。ファンは軍用車両だけではなくて人形の模型も改造し、自らの物語を一枚の写真で現実化しました。ファンが成熟してきたのです。しかし著者は“ブーム”を危惧します。あまりに大作が増えすぎていて、金をかけないと勝てなくなったスロットカーブームがあっという間に消滅したことを思い出させるのです。そこである模型見本市で小さなジオラマを著者は展示します。大作ではない“小作”のジオラマは人気を博し、それによって初心者も参入しやすいようにジオラマの裾野は広げられました。
初心者を大切にする著者の姿勢は、戦争中に竹ひご一本を大事に大事に炙って曲げた自分の体験によるものかもしれません。単に金をかけることではなくて、自分の手で工作をすること、そして腕がだんだん上達する喜びを感じること、それが大事だと著者は信じているのではないかな。
昭和42年インターナショナル・トイフェアに初参加したタミヤのブースで評判を呼んだのはホンダF1のモデルでした。ついでヒットしたのがポルシェの電動リモコンカー(実はこれもある失敗作が下敷きになっているのですが、それについては本書をどうぞ)。
1982年にミニ四駆が誕生しました。最初は実車のモデルで不整地を力強く走るイメージでしたが、売れませんでした。しかし子どもに人気のリモコンカーをスケールダウンしたモデルを、さらに速度重視で発売すると大人気。そのへんでのレースが勝手に始まり、とうとうタミヤはコースも発売します。子どもたちはてんでに改造をし、それをタミヤが商品化します。そういえば我が家の長男も夢中になって改造していましたっけ。メーカー主導のブームかと思っていたのですが、実は子供が主役だったんですね。だからブームが長続きしたんだな。
ホテルの朝食のバイキング、なんだかどこで食べても同じような気がしてきました。ちょっとリッチに、サンドイッチバイキングなんてのをどこかがやってくれないかなあ。料金は(少しなら)上乗せしても良いです。シンプルなのから豪華なのまで、もしできるなら自分で手作り、なんてのも含めて、パンや具のバラエティーが豊富なラインナップを揃えてくれたらとっても嬉しいんですけどねえ。ただ、準備する方はいそがしい思いになるでしょうし、食べる方もついつい取りすぎて困ったことになるかも。
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松本修著、太田出版、1993年、1748円(税別)
朝日放送の人気番組「探偵! ナイトスクープ」で行われた「東京のバカと大阪のアホの間には名古屋のタワケがはさまり、タワケとアホの境界は関ヶ原」という報告から話は始まります。いかにも面白そうなネタなのに「アホとバカの研究なんかあほらしくて学者はしていない」わけで(著者のチームは国立国語研究所に問い合わせて裏を取っています)、TVの特性を活かし視聴者を巻き込んでの“大研究”が始まります。
著者は方言周圏論を採用します。柳田國男が『蝸牛考』で述べた、全国調査をしたら「蝸牛」の呼び方が全国でことばが五重の同心円を描いていた、それは京で生まれた新しい言葉が年速約1kmで四方に広がって古い言葉を追いかけていくので同心円が描けたのだ、という仮説です。しかし柳田國男自身は晩年「蝸牛」以上に有力な証拠がなかったことから方言周圏論に自信を失っていたようです。
結論から言うと、方言周圏論は正しい考え方だったようです。巻末の「アホバカ分布図」では、著者たちが収集した罵倒語23種類が京を中心にして日本列島にきれいな同心円を描いているのが一目でわかります。
もちろん単純な拡散ではありません。古代のクニの境界、人の動き(北前船、瀬戸内海航路など)、地形の影響(半島では古いものが保存されやすい)、異常な人口の移動(江戸や北海道への移住)など様々な要因が関係します。しかしこの地図を見ていると、かつて日本の中心は京であり、そこで言葉が生まれそれが周辺に影響を与えまた新しい言葉が生まれてそれが他の地域に伝播され……という、地理・歴史・文化のダイナミックな動きが日本にあったことがよくわかるのです。
視聴者を相手のアンケート・全国“すべて”の市町村の教育委員会を対象にした大アンケート・学会での発表・論文執筆・特別番組の製作……著者は精力的に動きます。たかが「アホバカ」、されど「アホバカ」。その過程で著者は、学会および世間の常識を覆す“発見”をいくつかすることになります。
たとえば沖縄方言フリムンの従来の解釈への異論も、最初は著者の強引な思いこみに見えた仮説が根拠を得ることで段々説得力を増していく過程は、一種感動的とも言えます。
南九州の「ホがねー」と東北の「ホンジなし」がつながったときの知的快感も大きなものです。これも単に「音が似ている」レベルのプリミティブな“指摘”ではなくて、ちゃんと学としての立論がされているから意味があります。著者がもともと持っているセンスが徳川博士などの真摯な学究的態度で磨かれたからこそなのでしょうが、それをわかりやすく(そう、まざまざと目に見えるように)描けるのは、著者がTV業界の人間だからかもしれません。TVは「絵」を視聴者に示すことですから。
そうそう、本書ではTV番組製作の裏側をかいま見ることもできます。
鎌倉時代には日本にはアホもバカもなくてヲコ(おこがましいのおこ)が用いられていました。つまり現在日本で用いられているアホバカ表現は中世(鎌倉〜戦国時代)に京都から次々に広がったもので、同心円の最周縁(東北や九州)には京都の古語が“保存”されていると言えるのです。ところで分布を見るとアホの方がバカより新しい表現と言えることになります。ところが文献では(日本国語大辞典によると)バカよりアハウ(アホのご先祖)が1世紀も早く登場しています。どちらが“本当”なのでしょうか。徳川宗賢阪大教授は「もし柳田先生がこの地図をご覧になったら、きっとお喜びになったことだろうと思います」(文献より分布図を信じろ)と言います。
罵倒語を扱うのはある意味“危険”なことですが、本書はさわやかなできあがりになっています。それは著者が持っている“日本語(つまりは日本人)への信頼”が本書のベースにあるからでしょう。
私は共通語(標準語)の功罪も感じました。共通語(とメディアの影響)によって方言はどんどん消滅しつつあります。しかし、共通語という“物差し”があるからこそ、方言を同じ土俵で比較研究することもできるわけです(「共通語での○○を、こちらの方言では何と言いますか?」という質問が成立する)。
ここまででやっと半分。本書はここからさらに面白くなります。
「馬鹿の語源」として広く知られているのは、権勢を誇る宦官趙高が秦の二世皇帝に鹿を献上してこれは馬であると言い立て群臣もそれに口を合わせた、という『史記』のエピソードです。しかし「バカ」が古くは「バカ者」であったことに注目する立場からはこの故事は内容が不明瞭だし、そもそもそれなら「馬鹿」は重箱読みの「バカ」ではなくて「バロク」であるべき、と著者は述べます。そして柳田國男と新村出とのバカの語源に関する論争が紹介されます。(ちなみに、バカが莫迦と書かれるのはここで登場する梵語説が根拠です) ではバカとアホの語源はなにか。著者はねばり強くそのテーマを追い続けます。その結果読者に示される仮説(ヒントは「香爐峰の雪」)は……私は十分納得しました。興味を持たれた方は、ご自分で本書をじっくりと読み、判断をしてください。読んで損はしないことを保証します。
しかし、自分が使う方言は、つまりは小さいときに自分に語りかけてくれた人の思い出そのものって(あとがき)……ここで私は不覚にも目頭が熱くなりました。本書は危険な本です。
本当に怖いと思っていたら、本人に向かっては「あなたは怖い人だ」なんてことさえ言えないんじゃないでしょうか。
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1997年、VAIO発売の年、著者はソニーに入社します。配属されたのは企画部。コンピュータ設計者たちのプロデューサー的役割です。
VAIOのコンセプトは「パソコン(デジタル)とAV(アナログ)の融合」でした。現在たとえば「動画をパソコンに取り込みDVDに焼く」作業は家庭でできるものですが、10年前にはそれは“プロの仕事”だったのです。なにしろCD-Rが一枚1000円、CPUは遅くパソコンに搭載できるHDDは数GB、使えるWINDOWS系のOSは非力で不安定なWIN-95や98です。しかしVAIO開発の現場では、多士済々のメンバーが“無謀”な試み(業務用のボードを改造して民生機に組み込もうとしたり)を平気でやっていました。そこに放り込まれた新人(著者)はまごまごするばかりですが、そこで505のサブ担当を命じられます。
当時パソコンは水平分業(各パーツを各企業が作り、“製造企業”はそれを集めて組み立てるだけ)が進行していました。組み立てられた製品にそれほどの差はありません。差が出るのは、営業努力による値段の差と独自のコンセプトの提示です。VAIOでは「ネットワーク上での動画や音楽のやり取り」という時代を少し先取りしたものがどんどん現実化されていきました。モノは水平分業でも、ヒトは垂直統合だった、と著者は述べます。
1994年にソニーはカンパニー制を導入していました。これは各事業部を人事面でも予算面でも独立させて別会社のように扱う制度です。独立採算制度は、経営的には非常にわかりやすいものです。“成果”も(少なくとも金額ベースでは)比較しやすく、競争が激しくなります。上手くいけば企業全体の活力が上昇します(というか、それを狙ってのカンパニー制度だったはずです)。問題は研究開発部門です。ここは“金食い虫”で短期的には成果が出ません。当然のように研究開発部門はどのカンパニーでも縮小されていきました。しかしVAIOの“成功”がカンパニー制度の欠陥を隠してしまいます。「やればできるじゃないか」というわけ。そして“成功したブランド”VAIOは「ユニークなコンセプトがウける製品」よりも「売れる商品」であることが求められるようになります。結果は無難な普及品が続々発売されることに(当時のFシリーズ、私もお世話になりました。たしかにVAIOだけど安かったし普通のパソコンとして使ってました)。しかしコンセプトよりも「その機能は本当に売れるのか」「開発するのにいくらかかるんだ」といった銭勘定が幅をきかすようになり……「激安のソニー」なんて自己否定でしかありません。結局VAIOは失速します。他社は次々新モデルを出すのにVAIOは進化を止めるのですから、マーケティングをよほど上手くやらなければ抜かれるのは当然、そしてソニーはマーケティングはそれほど上手くなかったようです。
上からのプレッシャーだけを感じているマネジメントは責任を回避し、したがって新しくて冒険的な企画はすべて否定されます。そしてかつては激論をしていた志のある人間が、集まると愚痴をこぼすようになり、最後には会ったら回想にふけるようになる……この過程はリアルで読んでいて哀しくなります。どこからでも同じようなパソコン部品が調達できるのと同様に、企業の従業員もどこから調達しても同じ、という意識を持った人が会社の管理部門にいたら何が起きるか、がよくわかるストーリーです。
ソニーの標榜する人事の特徴「実力主義」「学歴不問」が実はウソであることも書かれていますが、こういったお題目を丸々信じて入社する人ってそもそもどのくらいいるんですかねえ。
そして、失速した時代の社長が負わされていたのが、前任者が作った1兆5000億の負債。うわあ、これは「貧すれば鈍する」になるのも無理はないか。ただ、こういった“経済的分析”よりも本書の前半の現場からのレポートの方が私にとっては魅力的です。私はやっぱり“現場の人間”なのかもしれません。
かつて「ソニーが開発し松下が売る」「松下ではなくてマネシタ」ということばがありました。実際に、トランジスタラジオ・ウォークマン(携帯型音楽プレイヤー)・ハンディビデオカメラ・平面大画面テレビなど、ソニーが先行し松下が後追い、はすぐにいくつでも思い出せます。しかしいつの間にかソニーは失速し、松下の方が先行する事例が増えたのを私は不思議な思いで見まもっていました(特に大画面テレビの液晶をソニーがサムソンから調達、には唖然としました)。そのわけが本書でわかったような気がします。
本書ではアップルが何回も引き合いに出されます。企業の生き方は相当違いますが、やはりソニーの“ライバル”はアップルだったのでしょうか。私は現在ふつうのWIN機を使っていますが、次のマシンではアップルに戻ろうかな。貯金しなきゃ。
最近卒業した大学の後輩たちと話していて、私が大学を卒業したとき彼らはまだ生まれていなかったことがわかりました。ショックを受けた私は説教じじいと化し、大いに人生を騙って、もとい、語ってしまいました。人生は思い通りにはならない・選択とは捨てることでもある・どんな経験でも無駄にはならない・自分自身は最初になりたいと思っていたのとは違う道を選んでしまった……なんともありがちなことばかり喋っていたのですが、それを通じて自分の人生の選択の基本パターンが見えたような気がしました。言語化はあいまいなイメージを具現化する作用もあるんですね。
「何をするか」の観点から、「人生の選択」は以下の3つの要素のどれを重要視するかから成っていると見なせます。
1)自分がしたいこと
2)自分ができること
3)他人が自分にやってほしいと期待していること
この1)2)3)すべてが一致していればある意味理想的な人生でしょうが、現実はなかなかそうはいきません。
では一つだけ選ぼうとすると……1)だけだと我が儘です。天才(あるいはそれと紙一重)の人生と呼んでも良いでしょう。2)だけだと発展性がありません。堅実ではありますが。3)だけだとちょっと悲しい人生です。主体性を欠いています。
選択とは、何かを選び取り、同時に他の何かを捨てる作業です。上記の例だと「一つだけ選択する」はつまり「二つ捨てる」ことです。捨てるものの方が多いのが問題なのかもしれません。では「二つ選ぶ」のはどうでしょう。この場合も「一つは捨てる」わけですが、それでも二つ捨てるよりは捨てるものが少ないわけ。で、この場合も“選択肢”は3つあります。1)2)を選んで3)を捨てる/2)3)を選んで1)を捨てる/1)3)を選んで2)を捨てる。もちろん“部分点”があります。丸々捨てるのではなくて部分的に捨てる。丸々選択するのではなくて部分的に選択する。ただし、すべてを中途半端に選択しすべてを中途半端に捨てるのは、結局中途半端な人生ができあがるだけです。選択する以上ある程度の覚悟を持たなければならないでしょう。少なくとも、その選択の結果を自分が受け入れる、という覚悟を。
で、私のこれまでの人生の選択はどうだったかって? それは秘密です。
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『
ドリトル先生航海記 』ヒュー・ロフティング 著、 井伏鱒二 訳、 岩波少年文庫1022、1960年(88年17刷)、600円
お話の始まりは1839年、世間で評判の博物学者はダーウィンですが、本書では当然一番優秀な博物学者はドリトル先生となっています。9歳のトミー・スタビンズは傷ついたリスの治療が縁でドリトル先生の住み込み助手になることになります。動物語の勉強と人間の言葉の勉強(それまで学校に行っていなかったのです)とドリトル先生の仕事の手伝い、トビーは目が回るような忙しさです……がドリトル先生の家では時間は悠々としか流れないようです。そこにアフリカからオウムのポリネシアとサルのチーチーが帰ってきます。
ポリネシアからトミーは動物語を教わりますが、ドリトル先生は貝の言葉を学ぶのに夢中ですが、行き詰まってしまったため、南アメリカの知られざる博物学者ロング・アローを訪ねる航海に出かけることにします。ところが出航したら密航者が、一人、二人、三人、四人……「
冷たい方程式 」の世界だったら全滅ですね。乗組員より密航者の方が多いのですから。先生のお財布も食料庫もあっという間に空っぽになってしまいます。
ドリトル先生が闘牛をやったり途中で英語を喋る魚に出会ったり、いろいろ“事件”がありましたが、やっとこ目的地のクモサル島に近づいたとき、暴風で船は難破、それでも異常に運の良いドリトル先生のおかげで一行はなんとか島に上陸します。そこで、半年間行方不明の(言葉が通じるあらゆる生物の目から見えなくなっていた)ロング・アローの手がかりを一行はつかみます。でまたいろいろあって、とうとうドリトル先生は島の王様になってしまいます。王様は楽で良い商売? とんでもない。良心的で真面目な王様は、奴隷とそれほど変わらない境遇なのです。そこに現れたのが何万年も生きているという伝説の大ガラス海カタツムリ。『
ドリトル先生アフリカゆき 』のオシツオサレツも奇妙奇天烈でしたが、こちらは奇妙キテレツのスケールがもっと大きくなっています。なにしろ海底旅行の乗り物にもなってしまうのですから。
いやあ、波瀾万丈の物語です。しかし大ガラス海カタツムリの出番がずいぶん少なく感じたのですが、また別の巻に登場したんでしたっけ? 記憶が曖昧なのですが、これはシリーズを再読していけば少しずつ思い出せる(あるいは再会できる)ことでしょう。
小学校か中学校の地理の時間に「フランスではワインが水より安い」と教わって内心「うっそだー」と思っていましたが、最近のスーパーなどでは「水より安いワイン(ワインより高い水)」を本当に売っていますね。21世紀の日本はやっと20世紀までのフランスに追いついたのです。めでたいめでたい……のか?
そういや古代人はワインを水で割って飲んでいたそうですが、この場合値段はどうなるんでしょう。水で割った分だけ高くなる?
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メキシコから割譲された“何もない土地”カリフォルニアで金が発見されたのは1848年、そのニュースがUSA全国(あるいは世界)に熱狂を起こしたのは49年のことでした。
サンフランシスコのアメリカン・フットボールのプロチームは「サンフランシスコ(SF)49ers」と呼ばれます。「フォーティーナイナーズ」とは一体何だ、と初めて見たときに私は思いましたが、ゴールドラッシュで西部に押し寄せた人々(49年野郎)のことです。ただし「アメリカンドリームをかなえた幸運な人」ではなくて「一攫千金を夢みてやって来たものの、見ると聞くとは大違い、でも艱難辛苦に耐えて頑張り続けたガッツのある人たち」の意味である、と私は聞きました。
合衆国ではない「周辺」にまず押し寄せたのは、食い詰め者よりも紳士階級でした。旅費が出せる人しか東部から西部への大旅行はできなかったのです。ところが彼らが集まったのは「辺境」です。USAがメキシコから奪い取ったばかりで、法の整備も権利関係の構築も何もされていない土地、そこに“開放された欲望”が大挙集結したわけで「アナーキー」を絵に描いたような状況が出来します。ただし、ゴールドラッシュ初期は治安は良かったそうです。集まったのが主に紳士階級であることと、皆が希望を持っていたからでしょう。しかし人がどんどん集まり希望は失われ、急速に治安は悪化します。女性が少なすぎることも状況を悪化させたでしょう。
1848〜57年に採掘された金は当時の価格で5億8300万ドル。驚くことにすべて無税でした(税金をかけようにも税務署も警察もありません)。トラブルが起きたら「鉱夫の掟」によって即決で判決が出されました。ただの私刑(リンチ)にも見えますが、司法組織が存在しない以上自分たちでなんとかするしかなかったともいえます。しかし、金を目当てに集まってきた外国人を排除するために「外国人鉱夫税法」(ターゲットは主にメキシコ人)やカリフォルニア州議会を作って連邦に入ることでこの「アナーキー体制」は消滅します(本書には「カリフォルニアをメキシコから奪ったのは合衆国だが、そこをメキシコ人から奪ったのはアメリカ人鉱夫だった」と表現されています)。
オーストラリアでは事情は逆でした。こちらも金発見でゴールドラッシュが起きますが「体制内でのゴールドラッシュ」で、鉱夫税が最初からかけられていました。中国人鉱夫にはさらに外国人用の税金もかけられます。著者は、オーストラリアのゴールドラッシュあとの町には中国人(アジア人種)差別が露骨に残っているのにアメリカではそれが少ないのはなぜ、と不思議がっていますが、白豪主義の影響、で片付けてはいけないのでしょうか。あるいはアメリカ“民主主義”が成熟してタテマエを重んじるようになっているから、かも。
結局一番儲けたのは、ごくごく一部のラッキーな鉱夫、そして自分では掘らずに日用品や採掘用具を法外な値段で売りつけて鉱夫から金を搾り取った人々でした(その一例がリーバイス)。そして大規模採掘へと時代は移行していきます。たとえば「ジャイアント」と呼ばれる大砲のような筒先から水を噴きだして山を削る水力採鉱法で尾根が数キロメートルにわたって消滅するといった自然破壊が行われました。もっともこの水力の技術が後日カリフォルニアの水利を良くして農業を盛んにした、という副産物も生んだのですが。
しかしちょっと落ち着きのない文体です。自分が感じたことは細大漏らさず記載しておこうといった感じで、私の好みからは刈り込みたい部分が多くありました。単語を本の中のあちこちにリンクさせてネット構造を形成しようという意図も見えますが、残念ながらそれほど成功していません。あれだけアジア人差別(自分がされる差別)にこだわるのなら、もうちょっと中国人鉱夫の悲劇について深く触れても良かったんじゃないかなあ。
「倫理倫理と鈴でもあるまいに……」は誰が言ったんでしたっけ?…はともかく、倫理学が存在するのは大学です。お偉い学者の頭の中に存在しています。でも市井の個人が持つのは“学”ではなくて倫理観です(難しい問題で倫理的判断を迫られたとき「ソクラテスやプラトンはなんと言ってたっけ?」なんて思う人はあまりいないはず)。
その人の倫理観は各人の人生観・死生観・宗教観・価値観・差別感・正義感などと密接に関連したもので、学(論理)よりも感情や感覚や直感の方が大きな位置を占めているように私は感じます。その証拠に、倫理的な問題に関しては、論理的な説得よりも感情的な働きかけの方が有効でしょう?
【ただいま読書中】
無愛想な本です。見開き二ページを使って古い囲碁の本一冊の、表紙の写真・中のページの写真二枚・書誌情報を紹介するだけ。それが延々と続きます。囲碁にも古書にも江戸時代にも興味がない人にはまったく意味が感じられない本でしょう。(表紙がなくなって替え表紙がついている本の表紙の写真はたしかにあまり意味があるとは言えませんけれど)
トップバッターは、わが国初の版本碁経『算砂 本因坊定石作物(さんさ ほんいんぼうじょうせきつくりもの)』です。著者は初代本因坊算砂で発行年は慶長十二年(西暦1607)、詰め碁155図が収められています。詰め碁はシンプルな構図なのですが……難しい。下の方の級の人間には歯が立ちません。
いかし、詰め碁はともかく、昔の棋譜は読みにくいものです。新聞の囲碁将棋欄を開いてみてください。囲碁の石の中に数字が入っていますね。これはその石が第何手目に打たれたものかを意味しているのですが、江戸時代の棋譜ではその数字が(当然ですが)すべて漢数字です。見ていて違和感がありますし、三桁の所は数字がぎゅうぎゅうで石からこぼれそうです。……よくよく見たら、読みにくいのではなくて、慣れていない、の方が大きいのかもしれません。
江戸時代の本は当時の照明事情のもとでちゃんと読めるように印刷してあるそうで(実験した人の話を読んだ覚えがあります)、蝋燭や行灯を灯してそこで火が燃えるかすかな音を聞きながらぱちりぱちりと棋譜を並べるのは、ある意味優雅な生活かもしれません。私の実力でかろうじて読み取れる星の定石も、あまりぎりぎりの所に踏み込まずゆったりとした打ち回しです。文化はその時代のテンポを反映している(あるいは、文化がその時代のリズムを規定している)のでしょう。
本書を製作するのは大変な作業だったと思います。日本棋院の資料室にある81冊の古書をめくって内容を確認し書誌情報を書き出し異本の有無を確認する……普通の根気ではできない仕事でしょう。だけど放置したら散逸する「文化遺産」をこうやって記録にとどめる作業は、過去・現在・未来の人々のために必要な作業です。こちらはほこりまみれにもならずにその成果を楽しむことができるのですから、ありがたいことだと感謝の意を捧げます。
プロレスを見ていると時々「逆水平(チョップ)」という言葉が出てきます。使うのが右手なら右手を、居合い抜きの抜刀のように左側から振り出して手の小指側の側面を刀で切るように相手の体(主に胸)に打ち込みます。上手い人がやるとスパーンととても良い音が響きます。そのときの手刀の軌道は水平に近いから「水平」はわかります。でも「逆」? 逆があるなら「順」もありそうなものですが、実は「順水平」というわざはありません。やってやれないことはないでしょうが、右手を右側から水平に振って相手の体にぶつけると、手首か肘を痛めそうです(ちょうど肘を極める角度になっちゃいますから)。となると「逆」は「何かの逆」ではなくて「逆手」の「逆」ですね。
そういえば力道山(古い?)の空手チョップは、順手の場合は斜め上からの袈裟懸け斬りでした(真上からの脳天チョップもあったかな)。外国人レスラー(ブラッシーだったかな)相手に大迫力の空手チョップの猛ラッシュをしていたのをぼんやりと覚えています。もちろん逆手の水平打ちもあったはずですが、当時は「逆水平」と言っていたのかな?
……今日は「かな」が多いですね。セピア色の記憶が相手なのでしかたないの、かな。
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本書の魅力を言葉で伝えるのは難事です。明治三十年代から昭和初期まで、乗りものに焦点を絞って絵はがきを集めた構成で、当然、乗りものだけではなくて当時の街並みがそのまま写っています。これが良い雰囲気なんです。セピア色の写真(中には彩色のものも)を眺めていると、時間旅行をしたような気がしてきます。
乗りものにでかい煙突がついていたり、帆柱が林立する港の風景は、やはりどこか異質です。そこに登場する人たちも、日本人であることは確かなのに、私たちとは違った人種に見えます。
ぱらぱらめくっていくと、駕籠が人力車にかわり、それがこんどは自転車に(自転車も初期には高価な乗りものだったそうです)。そしてやがて自動車がどんどん増えます。線路の上では、軽便鉄道や馬車鉄道が大きな汽車に置き換わっていきます。今の“普通”の街並みも記念に写真に撮っておけば数十年後数百年後には「なんてレトロな風景」と言えるものになるんでしょうね。
記念スタンプが押してあるものがいくつかありますが、京都四条通り裏の絵はがきでは、貮銭切手(と消印)が絵の側にあります。消印の日付は「12.5.09」(明治45年5月9日?)。この頃には切手は葉書の表裏どちらに貼ってもOKだったのかな。
大正13年(1924年)、アメリカ陸軍の飛行機隊が世界一周に挑戦しました。(「翼よ、あれがパリの灯だ」のちょっと前のことです) 4機で出発して帰還できたのは2機、175日もかかっています。日本に立ち寄ったときの写真で見ると、小さな単発複葉機です。ヨットでの太平洋単独横断をやってのけた堀江さんのマーメイド号の写真を初めて見たときにも「こんな小さいので」と驚きましたが、この飛行機の小ささも尋常ではありません。冒険に使う乗りものの大きさと肝っ玉の大きさとは逆比例の関係にあるのかしら。
「言うは易く行うは難し」の一例でしょう。もしかしたら数秒だったら可能かもしれません。だけど、自分でやるより人がやっているのを観察した方がわかりやすいのですが、人間は実はゆらゆらしています。難しい言葉を使うなら、動的に平衡をとっているのです。もしこれが陶器のお人形みたいに完全に直立不動だったら、何かでバランスを崩したらそのまま倒れてしまうでしょうね。
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日本作業療法士協会 監修、ミネルヴァ書房、2006年改訂(2000年初版)、1500円(税別)
「医学」とひと言で言いますが、実はその中身はいくつにも分類可能です。もっともおおざっぱな分類が「治療医学/予防医学/健康増進/リハビリテーション医学」でしょう。うろ覚えですがこれはWHOあたりの医療の定義だったはずです。「医者は病気を治す人」とか「リハビリは後遺症の訓練」といった“理解”はもう時代遅れになっているのかもしれません。
本書はリハビリテーション医学で重要な役割を担う作業療法士(OT)についての親切なガイドです。「リハビリ」と聞いて一般人がまず思うのは「麻痺した手足を曲げたり伸ばしたりの運動」ではないでしょうか。それを担当するのは理学療法士(PT)です。そしてその不自由な手足を使って日常生活や社会での動作や作業をする訓練がOTのお仕事。と言っても、オーバーラップしていておそらく両者に明確な境界線は引けないはずです(本書ではあまり触れられていませんが、言語聴覚士(ST)や心理療法士やソーシャルケースワーカーなどもリハビリの現場では重要な仕事をしています)。
作業療法は、古代ギリシアで行われた精神療法の一環としての農園作業や土木作業まで遡ることができるそうです。日本で作業療法が医学に取り入れられたのは1901年、精神病院でした。現在の専門学校のカリキュラムでもOTはPTよりも精神分野についての授業が多くなっているそうです。実際にやっているかどうかは知りませんが、たとえば日常生活場面での作業療法は、行動療法と相性が良さそうにも思えます。
本書では実際の現場(医療、保健福祉、教育など)から何人か選んでルポをしています。実在のOTに具体的に登場してもらえば、イメージがつかみやすい、ということでしょう。手工芸・軽スポーツ・料理・家屋の改造・遊び(小児が対象の場合)……OTの業務内容は多彩です。
ちなみに収入は、1999年の老人保健施設での調査では、PT・OTの初任給は月に22〜23万円。国家資格だしこの時には売り手市場だったので少し高めになっている、と本書では分析しています。ただ、養成学校が急増しているのでいつ買い手市場になるかはわかりません。現在でも施設によっては雀の涙ということもありそうです。公務員は俸給表のとおりです。非常勤だと、時給が800円〜3500円……ずいぶん差があります。自分の時間優先の生活設計だったらこちらの方が暮らしやすいかもしれませんが。
本書は学生(あるいは社会人で転職を考えている人)がターゲットのようで、受験準備や就職活動についてはきわめて具体的に書いてあります。巻末の学校一覧も役に立つでしょう。読んだだけで私でも受験できそうな気がしてきました。
リハビリテーションは、急性期・回復期・維持期に大別されます。「180日以上のリハビリは無意味」なんて決めるお役人はリハビリのことがわかっていないのでしょう(わかっていない人間がどうして現場に対して権力を振るえるのか、謎ですけど、きっと「自分(家族)は病気にならない」と思っている国民がそれを望んでいるんでしょうね)。
ついでですが、癌やメタボリック症候群のリハビリもあります。機能回復だけではなくて、廃用症候群の予防のためにも、リハビリはもうちょっと増進(資本投下や人材育成を)しておいた方がこの国のためになると私は思うんですけどねえ。
バイオエタノール生産の影響で、マヨネーズが値上げだそうです。おやおや。
ちょっと調べてみると、バイオというのに製造過程で(材料を煮たり、最終産物を濃縮したりするのに)けっこう石油を燃やしていますね。古典的な日本酒製造(まず麹でデンプンを糖に変換し、ついで酵母で糖をアルコールに変換)をお手本にして、それこそバイオの力で繊維質をデンプンまたは糖に変換、それから酵母を投入、というやり方だと、藁でもそのへんの雑草でもおが屑でも(もしかしたら紙くずも?)アルコールに変換できそうです。シロアリのお腹の中にいる菌が使えないかな、などと素人は簡単に思うわけですが……
もちろん工場で石油燃やして作るのに比べたら時間はかかりますが、大切なのは時間か環境か、どちらなんでしょう? それと、食い物も大切だよ。
ニュース「食料事情、大きく悪化の懸念」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=205711&media_id=2
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『
毒味役 』ピーター・エルブリング 著、 鈴木主悦 訳、 早川書房、2002年、1900円(税別)
ひょんなことで入手した16世紀イタリアの『毒味役 ウーゴ・ディフォンテの手記』の原稿を著者が翻訳したもの、というふれこみの小説です。ペストと飢餓に追いつめられていた貧農ウーゴは、コルソーリの領主フェデリーコの気まぐれからたった一人の家族である娘ミランダ(初潮を迎えたばかり)と城に連れてこられます。与えられた(押しつけられた)仕事は毒味役。回り中の者から憎まれているフェデリーコは常に毒殺される危険があったのです(どちらかというと被害妄想だったのかもしれませんが、とにかくフェデリーコはその危険に本気で対処する態度でした)。ウーゴが連れてこられた晩餐会はこれまで見たこともない山海の珍味に満たされていますが、当然毒味役は楽しめません。自分が死ぬ危険があるのですから。でも“仕事”をしなければフェデリーコに殺されます。「どうか毒が入っていませんように」と祈りながら口に入れ、味わう暇もなく呑み込むのです。
ウーゴは毒の勉強を始めます。敵を知れば対抗策も見つかるだろう、というわけです。しかし、毒の研究をしていることがフェデリーコに知れたら「自分を殺すためだな」と自分がすぐ殺されることは間違いありません(ウーゴの前任者は、指が汚い→食物を汚染して自分を殺す気だ、でフェデリーコに刺殺されてます)。城の中にはフェデリーコが殺されても悲しむ人は一人もいませんがスパイはいます。誰を信じたらよいのかわかりません。その中でウーゴは自分(と自分が守りたいもの)を守るために、きわどい綱渡りを始めます。そんな環境でも“出会い”はあるのですが、愛する者をまた失ったウーゴの興味は、料理に向かいます。ついで、少女から女になった娘に教えられて文字も覚えます。
毒殺はフェデリーコの被害妄想ではなくて、ときには実在するものになりました。ウーゴは、フェデリーコが(つまりは自分が)毒殺される危険を(幸運と状況に対する判断力と食べ物や毒物に対する知識を使って)きわどくかわし続けますが、ペストの流行が始まります。全人口の何割かが死ぬ悲惨な状況です。
きわめて具体的に描写される、厨房の少年たち・洗濯室の女たち・廷臣たちなどの生活はみじめです。屋根の下で眠れることと胃袋におさまるものを与えてもらえるだけで感謝しなくてはいけません。それに対して領主の生活は豪奢です。当時としては珍しい痛風になることができるくらいに。宴会での御馳走は、紙面のこちら側にまで匂いが漂ってくるような描写です(「白鳥の皮を上手に剥いで料理した後また皮をかぶせてまるで生きているように見せる料理」って、どんな外観でどんな匂いがしたのでしょう)。しかし同時にこちらに届くのは、あたりにたまった汚物の悪臭・風呂に入らず手も洗わず歯も磨かない人たちの体臭・あたりかまわぬ放屁や排泄物からの悪臭・ペスト流行時にはそのへんに放置されている死体からの死臭、そして城中にしみついている恐怖の臭い……
ウーゴは娘を領主に見そめられ、しかも、側女ではなくて正式の后にされそうになるという“悪運”に見舞われます。そしてウーゴは自分自身に毒を盛ることで、結果としてハッピーエンドを迎えることになります。そう、なんとも悲惨な物語ですが、ハッピーエンドです。現代の読者がそれを素直に喜べるかどうかはまた別の問題ですが。
ツタンカーメン王についてはよく知っているのに馬王堆漢墓について無知なのは、アジア人なのでしょうか、それとも西洋人?
日本語よりも英語が流暢になることの方が大切だと信じている人は、何国人?
西洋料理でのナイフとフォークの使い方が上手いくせに、人前でくしゃみや咳を手放しでやってる人って、本当に礼儀正しいの? それとも、日本人じゃない?
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1959年国連アジア極東経済委員会(ECAFE)は20世紀のシルクロードとしてアジアハイウェイを提唱します。2003年には日本も参加を表明、1号線は東京からトルコまで2万キロ、1号から87号線までが32ヶ国で15万キロというとんでもないハイウェイ網の計画となっています。この計画は既存道路網の拡張を基本として、未開通部分だけ新設するものですから、政治的な壁(北朝鮮やタイとミャンマーの国境)以外は今でも“走行”可能です。著者は1号線走破を夢み、「とりあえずできることをやってみよう」と2006年5月にバンコクを出発します。まず向かうのは、世界遺産のアユタヤ。1350年に開かれたアユタヤ王朝は35代410年間続きました。シャム軍はカンボジアに侵攻、(アンコールワットが有名な)アンコール王朝を1431年に滅ぼしています。山田長政の登場はその180年後。それらの遺跡がタイにはたくさん残されています……って、本書は歴史観光案内ですか?
なぜ“この人”が“ここ”を旅しているのか、それ(旅の動機)が明確に見えるか見えないかで旅行記の骨格が定まります。旅の途中での見聞はその肉付けです。その点で本書は骨格が不明瞭です。もしかしたら著者にとってはこれまで書き続けた数々のルポルタージュの“続編”なのかもしれませんが、それなら過去の記述を次々蘇らせてモザイクのようにはめ込めばいいのにそれもありません。私にとっては本書は一期一会、下手すると著者とはこの人生でこの一回限りの出会いなのかもしれませんから、本書一冊である程度完結した世界を提示してもらいたいと思うのですが、どうもそれは無理な期待のようです。
「道」は、著者の今回の旅そのものと本書の縦糸です。では横糸は何かが、私には見えないのです。タイでは世界遺産、カンボジアではポル・ポトに関する悪感情、ベトナムではベトナム戦争……各国それぞれに「まあそこからその国を見るだろうな」という“テーマ”は提示されますが、それを国ごとに積み重ねて読んでいくと“整合性”が見えないのです。
私がもしこういった旅をするとして、何の主テーマも思いつかなければ、とりあえず対向車の状況と交通マナーと道路標識と舗装の状態と道路脇の電柱……つまりは「道路」そのものの記録は全部するでしょうね。観光地ではなくて道路を見る旅、なんてものも一つの旅の形としてあり得ますから。そんな旅行記が売れるかどうかは知りませんが。
「1971年の銀座」と答えられる人はマクドナルドのオールドファンですね(日本での第一号店)。ちょっとひねって「1970年の大阪万博」は、アメリカ館でのケンタッキー・フライド・チキン。
「○歳のときに□□で食べた××が初めて」は自分の思い出から発掘できそうですが、生まれたときから周囲にファーストフードがすでに“存在”していた人は「あるのが当たり前」だからそんな思い出は特別には持っていないかもしれません。
で、「江戸時代のファーストフード」を思い出す人もいるでしょう。江戸市中で盛んに商売されていた屋台のスシや麺類などです。吉野家の牛丼や回転寿司も、その正統な子孫ですね。
【ただいま読書中】
著者は日本マクドナルドがまだ店舗数4の時代に、出版社からマクドナルドのマーケティング部長に転職しました。その後ケンタッキー・フライド・チキンに移っていますので、日本のファーストフード創生期を見つめていた人です。
アメリカからは様々なファーストフードが日本に入ってきました。日本ではアメリカ流をどんどん日本流に変えてしまいます。というか、変えなければ売れない場合が多いのです。ミスタードーナツやデニーズは、本国では退潮しましたが日本ではまだ元気に生き残っています。
逆の例もあります。日本のケンタッキーはオリジナルのレシピを頑固に守り続けていたため、カーネル・サンダースが来日したとき「日本のが世界で一番美味しい」と言ったそうです。アメリカでは技術革新をどんどん取り入れて、サンダースおじさんのレシピを変えてしまい、発言権を失っていたおじさんはそれに対して不満を持っていたようです。
また、日本独自のファーストフードチェーンとして、モスバーガーや吉野家などが上げられています。
著者はファーストフードを「フード・サービス」という概念のマーケティングである、と言います。これは「フード・マーケティング」と「サービス・マーケティング」のどちらかに単純化できるものではないのですが、どちらかというと「サービス・マーケティング」に近いものだそうです。モノではなくてサービスを売っているわけ。(サービス・マーケティングの代表が、ディズニー・ランドです)
顧客満足度は「サービス・プロフィット・チェーン(サービスの利益の連鎖)」の概念の中で理解するべき、と著者は言います。サービス業では、従業員の満足度・サービス価値・顧客満足度・プライオリティ・店舗の売り上げ、がすべて連鎖していてぐるぐる動的に回っている、というものですが、日本では概念に対する誤解と縦割り組織のおかげで、顧客満足度(SC)も従業員満足度(ES)も企業内では別々に単独で扱われてしまい、連携させて企業全体に活かせたものは少なかったようです。(まあ、「リストラ」をクビ切りと解釈するお国ですからねえ)
外食市場は拡大しますが、1980年代後半からそのトップを走っていたマクドナルドの方針は、質的向上を目指すのか、低価格路線を徹底するのか、この二つの路線の間で揺れ動きます。低価格を打ち出すと同時に、新商品の投入も行われ、現場は混乱しました。消費者も混乱しました。この頃から私はモスバーガーの方が好きになったように思います。ただ、どちらの路線を選択するにしても決断は大変です。消費者の動向・従業員の動き・日本経済の動向(デフレ不況がどのくらい続くかの読み)・企業のビジネスモデルの見直し……たんにメニューの値札を貼り替えるだけではないのです。
さらに市場の成熟(ファミリー・レストランがどこに行っても同じようになった)やコンビニやスーパーの中食が(外食のテイクアウトのライバルとして)成長してきます。スターバックスなどの新業種も参入してきます。市場は拡大しましたがライバルはそれ以上に増加し、さらにスローフードが登場します(思い返せば、この時も「スローフード運動」に対する誤解が蔓延していましたっけ。今は、ロハス?)。
「ファーストライフをしながら昼食だけ“スローフード”を食べても無意味。我々にできるとしたらせいぜいオンとオフの生活でファーストとスローの切り替えを行うことくらい。しかし、たとえば引退後にスローライフを送りたければ現役の時には頑張ってファーストライフをしなければならない」という著者の指摘は、なんとも悲しい響きを伴います。
しかし、1974年の外食売上トップ企業は日本食堂(国鉄関連)で300億円です。それが1980年には460億円に増やしているのに3位に転落して、1位が小僧寿し(627億)、2位が日本マクドナルド(500億)……今世紀に入った頃外食費は30兆円だったそうですから、そのパイの奪い合いはさらに熾烈になっているんでしょうね。
著者は、ファーストやスローの争いではなくて、どちらでも「本物か偽物か」の争いが続き結局は本物が勝つだろう、と予測していますが、さて、これから我々が食べる物はどんな風になっていくんでしょう?
今日、外食をしましたか?
お葬式だと「故人が好きだったので」と言えばたいていの歌は使えそうです(たとえば軽快なマーチはちょっとどうかな、とは思いますけれど禁忌とまでは言えないでしょう)。でも、結婚式だとやっぱりまずい歌ってのがあるでしょうね。最近のヒット曲なら「千の風になって」とか、ちょっと古いけど太田裕美の「木綿のハンカチーフ」やシュガーの「ウェディング・ベル」とか、私の好きなフォーレの「レクイエム」とか。そんな歌って、他にもたくさんありそう。
いや、もちろん「理屈と膏薬は何にでもくっつく」ですから、「歌える理由」をひねり出すことはできるでしょうが、いろいろ無理をしなくちゃいけなさそうです。
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『
ドリトル先生の郵便局 』ヒュー・ロフティング 著、 井伏鱒二 訳、 岩波少年文庫1023、1952年(88年24刷)、600円
オシツオサレツがホームシックになったため一時アフリカに船旅をしたドリトル先生一行の帰途での物語です。奴隷商人を追跡して商売の邪魔をした一行は、つぎにファンティポ国の郵便制度の改革に乗り出します。なにしろ「切手を貼ってポストに入れておけば、魔法で配達される」と国王が思っていたわけで……って、手放しでは笑えません。日本でも「電信線に(配達を期待して)風呂敷包みを結びつける」なんて笑い話があったのですから。イギリスでも郵便制度の初期にはいろいろな笑い話があったに違いないのです(決めつけモード)。本書が発行された20世紀初めにはそういった記憶がまだイギリス社会に残されていて、読者はそちらも思い出しながら本書を楽しんでいたのではないでしょうか。
ドリトル先生は、ファンティポの郵便だけではなくて、鳥の渡りを使って国際郵便特急便のシステムまで構築してしまいます。アフリカ奴隷海岸からアメリカのアラバマまで一晩で往復って……それはいくらなんでも速すぎますよ。マッハ鳥なんていないのですから。
ちなみにドリトル先生がこの「ツバメ郵便」を作ったのは、人のためだけではなくて動物のためにもなると考えたからです。情報から隔絶されているがゆえに惨めな状況にある存在に対して、郵便(情報流通システム)は状況改善のための“力”になる、がドリトル先生の信念のようです。
郵便が上手くいくようになったら次は海洋気象台です。海の気象に最も詳しい存在、といえばベテランの海鳥。ドリトル先生は年寄りのアホウドリ、カタカタメから海の気象に関して詳しい講義を受けて、異様に精度の高い天気予報を始めます。アフリカにいてもイギリスの正確な天気予報をするのですから、タダモノではありません(……ドリトル先生は最初からタダモノではありませんでしたね、はい)。
ブタのガブガブがイギリスの野菜を恋しがったのがきっかけで、こんどは小包郵便が始まります。おかげでまたまたいくつも騒動が起きるのですが、「ノアの大洪水のときから生きている」という触れ込みの亀ドロンコが登場してこの物語は大団円を迎えます。いやあ、ここまで話を広げてどうやって風呂敷をたたむのか、他人事ながらちょっと心配しちゃいました。
人の不安や心配につけ込む商売はいろいろあります。私が特にその中で嫌いなのは、宗教系。「たたりが〜」とか言って「霊験あらたかな××」を売り込む輩です。教育関係でも「このままではお子さんの将来が大変なことに」と親の不安を煽って教材を売り込む手口に時々(我が家の玄関口でも)お目にかかります。健康系だと自分の将来の(健康上の)不安が商売のネタになります。財産・老後の介護……そのほかにも心配のネタはいくらでもあり、それらはすべて不安を煽るのが好きな人のエサになります。(もちろんすべての領域で良心的な商売をしている人の方が多いのですが)
「将来に対する不安」を持つのは、動物の中ではおそらく人間だけでしょうが、そういった特権的(?)あるいは健康的な不安を病的な不安に変換してそれで自分の財布を太らせようとする人って、頭の中に悪賢い蜘蛛が巣でも張っているのかな。祓って、いや、払ってあげたい。でもお金は払いたくありません。
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保険会社が、ミスにせよ意図的にせよ、契約約款にある支払いをちゃんとしてくれないのは大問題ですが、もちろん契約約款に書いてあっても、最初から払ってもらえない場合もあります。たとえば告知義務違反。病気があるのを隠して生命保険に入るのは最初から契約違反ですから支払いは×です。
では最近CMで良くみる「告知が不必要な保険」だったら「年を取っていても病気を持っていても無条件で安心して入れる」かというと、会社も商売ですからそこは上手く作ってあります。ふつうの保険は第一回目の支払いをして会社が承諾をしたら契約はその時点で成立ですが、こういった告知の不必要な無選択型医療保険は待機期間(契約成立から一定期間、たとえば90日経たないと入院保険の支払いは無し)とか入院期間の制限とかが厳しく設定されています(待機期間の設定は「体調が悪いから、まず保険に入ってから病院に検査に行こう」という人をはじくため、だそうです)。「三大疾病」を売り物にしている保険でも、たとえば急性心筋梗塞には「60日以上重症」脳卒中には「60日以上後遺障害」なんて条件があって、病気になったからといって即座に支払いを受けられない場合があります。
火災保険の場合、資産価値に応じて見直しをこまめにしておかないと、いざというときにちゃんと保険金が下りても建て替えにはとても足りない、なんてこともあります。火災保険をかけるのは多くの人は新築や購入のときでたいていは長期の契約を選択しますが(大体店にはそれを勧められますし、保険金が割引になりますから)、その後もこまめに保険のメンテナンスをする必要がありそうです。落雷で火災になったらもちろん火災保険の守備範囲ですが、落雷で電気機器が故障した場合も保険がおります(証明(写真を撮ったりして証拠を残す)と保険請求は自分でしなければなりません)。また、水漏れ事故でもその“火災”保険が住宅総合保険なら保険金が受け取れます。しかし水害の場合は、住宅総合保険でも保険金は70%までです。なお新型火災保険では水害でも100%保証というのもあるそうです。面白いのは、泥棒が入って何も盗むものがなくて腹いせに部屋の中を滅茶苦茶にされた場合も、その破損に対して火災保険が下りることです。まあ、そんな“災害”は無いに越したことはないのですが。
大切なのは、漫然と保険に入るのではなくて、ちゃんとその内容を知っておくことと、自分の人生設計で何を重点にカバーするかを選択しておくことでしょう(リスクの有無とリスクの大きさの評価、です)。保険はお守りではなくて“商品”ですからそれを“買う”場合に「それがどんな品なのか」に無頓着であるのは利口な消費者とは言えない、ということですよね(自戒モード)。平成18年には日本の世帯平均で保険金の支払いは約53万円でした。20年間で1000万円です。保険の入り方によっては貯金した方がはるかにマシ、ということも考えられるのです。
だからこそ、貯蓄型の保険、と私は考えます。これだったら貯蓄もできる上に保障も得られます。しかし「掛け捨ては損・貯蓄型は得」と一概には言えません。かけるコストとそれによって得られる利益は、結局“取引き”なのですから。(もし貯蓄優先で考えるのなら、ちょちょいと電卓を叩いて定期預金との差を計算してみろ、と著者は言います。案外その差額でもっと有利な掛け捨て保険に入れるかもしれません) なお著者は「特約はなるべく整理しろ」と言っています。あまりに複雑だと、無駄な重複や請求漏れが生じやすくなるからだそうです。おまけに目がくらんで本体が見えなくなるのはよろしくない、ということですね。
「なんとなく安心」と我が家もいろいろ保険に入っていますが、去年家族が入院したときに見直してみたら、けっこう“無駄”なものがありました。そういえば最近は「保険会社の不払い」がいろいろばれて問題になっているようですね。「“悪者”の保険会社が、不払いや支払い漏れをしないようにしっかり監視しなくては」というのも一案ですが、その前に契約約款をじっくり読むことと、自分の生活の将来設計(リスクの評価)をきっちりやっておいた方が良さそうです。
一昨日の日記の続編の話題です。たとえば金婚式や銀婚式の記念式をするとして、そこに流すのに特に向いている歌ってなんでしょう?
……そういや私たち夫婦の銀婚式まで、あと3年か……(背後から声あり。「それまで一緒だったらね」)
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『
ドリトル先生のサーカス 』ヒュー・ロフティング 著、 井伏鱒二 訳、 岩波少年文庫1024、1952年(88年25刷)、600円(税別)
アフリカからやっと懐かしの「沼のほとりのパルドビー」に戻ってきたドリトル先生たちは、一文無しのためサーカスでお金儲けをすることにします。(なんでサーカスかと言えば、第一巻で「サーカスをした」と書いてあったからなのです) “目玉商品”はもちろんオシツオサレツです。
オシツオサレツは大人気となりますが、参加したサーカスで目撃した動物たちへのひどい扱いにドリトル先生は心を痛めます。動物たちの待遇改善を団長に断られたドリトル先生はサーカスをやめることを決心します。お金よりも理想の方が大切なのです。しかしそこで年老いた馬が「わたしたちには先生がたった一つの望みです。一度にすべてを変えることはできません」と説得します。
本書での動物たちは“大人”です。
哀れなオットセイを脱走させるための大冒険が本書中盤の見せ場です。女装させていたオットセイを海に放り込んだのを目撃されて「女を殺した」と牢獄に放り込まれるドリトル先生。さあ、どうなる。で、一転場面は狐狩りへ。ドリトル先生は狐狩り廃止運動にもいそがしいのです。
やっとサーカスに戻ったドリトル先生は、ついに“改革”に乗り出します。まずは不正直者を追放し、ついで動物の待遇改善です。もちろん団長には“鞭”だけではなくて“飴”を与えます。「もの言う馬」の素晴らしい演し物です。普通は馬は調教師の合図で決められた動作をするのですが、この場合ドリトル先生という“通訳”がいるのですからほとんど無敵です。馬は自由自在に動きます。おかげでサーカスは大評判で大繁盛。ドリトル先生は儲けた26ポンドを、本来は船の借金を払うのにあてるべきなのに、それを頭金として(つまりはさらに借金を背負って)牧場を買ってしまいます。引退した馬車馬のための休養牧場です。「もの言う馬」は引退して牧場に行ってしまいましたので、マンチェスターの興行主は別の演し物を求めます。そこで「動物による演劇」の始まり始まり〜。見物人はもちろん動物の言葉がわかりませんから、パントマイムです。大劇場は大入り満員、大金が転がり込んできますが、ドリトル先生が素直に金持ちになれるわけがありません。サーカス団長が金に目がくらんで持ち逃げしてしまいます。残された団員たちは「ドリトル・サーカス」として再出発することにします。
で、話はぷつんと終わります。ここまでで本が十分分厚くなったので、編集者がストップをかけたのかな?
「サーカス』とはいいますが、力自慢や蛇女がいるしオシツオサレツがスターで最後は芝居ですから、まるで見世物小屋です。どこか一角には『オペラ座の怪人』や『エレファント・マン』もいたかもしれません。日本でも見世物小屋はさかんでした。洋の東西を問わず、人の好奇心は“商売”になるわけですが、しかし、(現代の)サーカスや寄席と見世物小屋では、同じ“見世物”なのにその“淫靡さ”に雲泥の差があるのはなぜなんでしょう。(だから『何かが道をやって来る』では“何か”が不気味にやって来るわけですね)
そういえば9年前の大阪の通り抜けオフで見世物小屋がかかっているのを横目で見ながら通過してしまったのが、今となっては心残りです。今でもどこかでやっているのでしょうか。
昨夜の大雨が嘘のように晴れあがった空の下をバイクで走りました。空気はまだじっとりしていますが、ぴかぴかの朝日に背中を温められながら気持ちよく自分の影を追います。はじめは水たまりがあちこちにあった道も、15分も走るとどんどん乾いて白っぽくなっていきました。せっかく地上にやってきた水が、大急ぎで天に戻って行こうとしているのです。
さっさと水蒸気になれなかった水たちは、川に流れ込んでいくのでしょう。川から海に流れて行って、天に帰る日がやってくるのをじっと待つのかな。
【ただいま読書中】
『
天の弓 那須与一 』那須義定 著、 船坂弘 武道監修、叢文社、1993年、2525円(税別)
那須与一は平家物語の屋島で突如登場して扇をみごと射たらさっさと姿を隠したイメージを私は持っています。「那須与一は戦いの後出家して子孫はいない」が定説でしたが、著者はねばり強い研究で那須与一の“その後”を明らかにし、自分はその子孫であると主張しています。
那須与一はもともと梶原景時軍に配属されていましたが、一ノ谷でこっそり抜けて義経の軍に合流し荒れる海を四国に渡っていました。梶原景時は“自分の部下”が勝手な行動をしたことで機嫌を損ね、やむなく義経は那須与一に謹慎を申し渡したため、屋島以降の戦いでは与一は表に登場しなくなった、と著者は推理しています。
ちなみに屋島で与一が使ったのは蟇目(ひきめ)の術で、特殊な鏑矢(八世紀に那須家が作った矢が正倉院に保存されていますが、それと同じ矢)を使ったと言われます。面白いのは、それがモンゴルのものとそっくりなことです。ちなみに日本の長弓はアッシリアのものと(それと「弓は王が持つもの」という思想も)よく似ているそうです(その間の中国やモンゴルのものとは違っていて、竹の長弓という点ではむしろ南方のものが類似しているそうな)。
蛇足ですが、那須与一の愛馬鵜黒は源平合戦がすんで与一が那須に帰ってすぐに死に、馬頭観音として那須高原に祀られているそうです。
屋島の功で、那須領は八万石から十万石に加増されましたが、扇のあとに、与一のわざのあまりのみごとさに感服した平家の武士が船上で踊るのを義経の命によって射た功に対して阿波の国高橋郷が与えられたことはあまり知られていないそうです(というか、私は全然全くこれっぽっちも知りませんでした)。現在その中心地中島には与一神社が残されているそうです。
鎌倉幕府の奥州攻めの時、小山氏と宇都宮氏は参加していますが那須氏は参加した記録がありません。鎌倉軍は明らかに那須の領地を通過しているのにもかかわらず、です。もともと那須一族は奥州藤原氏と結びつきが強く、個人としての那須与一は義経との結びつきが強いものでした。しかし那須一族で、与一の兄たち九人は平家方に参加していました。与一の立場は微妙です(うっかり頼朝の機嫌を損ねたら一族がどうなるかわかりません)。ところが幕府から見たら、屋島の英雄ですからこちらとしても扱いが難しい。
で、その微妙なときに那須与一は越後に配流されてしまいました。これが双方の立場を失わせない“政治的配慮”というやつだった、と著者は推定しています。「那須与一が奥州攻めに参加しないための“大義名分”」というやつです。越後で与一は三人の子をなし、それが越後那須氏の起こりとなります(下野那須氏は、与一の異母弟が祖)。与一が許されて帰国したのは、頼朝の死後に梶原景時が討伐されたあとのことでした。
その後法然上人に入門し、西国で源平の将士を弔う旅を続け、約三十年後に死亡しています。
那須家は古代にまで遡れる名家だそうで、著者は魏志倭人伝に出てくる奴国と関連があるのではないか、と推理しています。奴ーなー那ー那須、という連関ですが、那須地方には前方後円墳ではなくて前方後方墳が集中していると聞くと、たしかに大和より前の時代にまで遡っていろいろ考えたくはなります。
「政治には金がかかる」と言いますが、それって「そういう主張をする人が、金がかかる政治を選択している」だけではないの? たとえばナントカ還元水も「金がかかる政治」の一部ではないかなあ。つまり「政治」ではなくて「政治家」に金がかかっているわけ。
だとすると、「政治資金」ではなくて「政治家資金」と名前を変えたら良いのです。
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「金権」という言葉が政界に登場したのは、明治36年(1903年)第8回総選挙のことでした。横浜で立候補した島田三郎が、自分は「正義派」で対立候補の加藤高明は「金権派」と演説し、圧勝したのです。10円以上の国税を納める25歳以上の男子だけが有権者の選挙で「金権派」って何だろう、と思いますが、結果は島田の圧勝でした。(「円」は、大体5000〜10000をかければ今の価値になるはずです)
日清戦争後、対ロシアの戦争のために政府は戦費調達に苦心します。まず酒税を上げましたが焼け石に水。そこで歴代内閣が失敗している地租引き上げに手をつけます。地租2.5%を3.7にするかわりに3.3に“値下げ”し、さらに議員歳費を800円から2000円にして反対派を切り崩します。さらにさらに、宮内省から96万円を引き出してそれで反対派の議員を買収……うわあ。そこで得られた2億円以上で帝国海軍が整備されたのです。そこで「シーメンス事件」が発覚します。軍艦建造に伴う海軍高官への収賄事件です。手口はある意味単純で、造船の予算を水増し(英国だと1トンにつき82〜83ポンドのところを、日本は100ポンドを計上)して、その差額をコミッションとして海軍高官が自分のポケットに入れる、というものです。あまりに皆が大っぴらにやったものですから、大正時代にはもう隠匿不可能になってしまったのでしょう。海軍は「軍機を盾にできる」「軍人の犯罪は一般司法では裁けない(軍法会議で裁く)」とタカをくくっていました(江戸の町奉行が、侍に手が出せない、を思い出します)。山本権兵衛首相(元海軍大臣)は海軍の捜査を許可しますが、その結果明らかになったあまりの醜聞(巡洋戦艦金剛をイギリスで建造するのに、仲介の三井物産のコミッションは115万円、そのうち40万円(今だと20億円くらい)が発注権限を持つ松本中将に)で内閣は倒れます。大騒ぎです。
さらに、後継首相選びで様々な思惑が交錯します。たとえば山県有朋は原敬の政友会を潰す好機と思っていました。山本は海軍のドンですから海軍大臣の人事を通じて内閣に影響を与えます。政友会からは内通者白川が現れ「票をまとめるから」と4万円を要求します。陸軍はどさくさに紛れて二個師団の増設を画策します。そして解散総選挙。政府与党の同志会のスポンサーは三菱、野党の政友会のスポンサーは三井でしたが、三井は与党にも多額の献金をします。警察は露骨な選挙干渉。結果として政友会は大敗でした。大隈内閣は、スポンサーと元老たちの異見を取り入れて対華21ヶ条の要求を行いますが、袁世凱が英米を味方につけたため7ヶ条は撤回せざるを得なくなります。そこへ、白川への機密費支出が司法問題となります。内閣は検事局に圧力をかけ、山県までかげで動きますが、検事総長や法相が巧妙に動き、結局内相が引責辞任で決着します。
藩閥と財閥は密接に関係していましたが、そのリンクとなっていたのが井上馨でした。井上の死によって情勢が動きます。
藩閥の代表が元老です。憲法や法律には何の根拠も持っていない元老たちが天皇に次期首相を諮問すればそれが自動的に認められていたのですが(そして、政党の基盤を持たない内閣に国会が不信任を出せば、内閣は解散で応える)、大隈はそれを政党政治(国会によって首相が決められる)に変えようとしていました。その頃、政党の政治家は何かと言えば待合(芸妓を呼んで遊興する茶屋)に集まる待合政治となっており、味方を増やすために供応と買収が横行し、「政治には金がかかる」ようになっていました。主義主張よりも集金能力の方が重要になってきたのです。アヤシイ使途にまっとうな金は使えませんから、アヤシイ金が必要となります。かくして…… (著者は、待合政治のルーツを、幕末の勤王志士が料亭で密談したことに求めます。となると、現在の料亭政治は幕末からの正当な日本の伝統文化ということに……)
シベリア出兵・米騒動と日本は揺れます。米価は高騰し、シベリア出兵は陸軍が米国の要請を上回る規模の師団を要請範囲を超えた地域にまで出してしまいます。米国の対日感情は硬化します。そこに「(爵位を持たない)平民宰相」原敬の登場です。国民は喝采しますが、国内外に難問山積の上に、またまた巨額の汚い金の問題が吹き出てきます。
……やれやれ。で、次は満鉄での不明朗な取引……やれやれ。原は超多忙です。首相って、雑務の後始末係?
新聞に仏壇のチラシが入っていたので見ると、2万数千円から百万円超まで写真が並んでいました。店に行ったらもっと高いのもあるのではないかと思いますが……もしブッダが蘇ってそれを見たら「一体これは誰の教えだ?」と言うのではないかしら。
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「パンデミック」とは世界的な大流行のことです。近い将来発生すると確実視されている新型インフルエンザのパンデミックに対して、本書では「インフルエンザ」「鳥インフルエンザ」「新型インフルエンザ」の区別を説明した上でどのように対処するべきかを書いてあります。
A型インフルエンザウイルスの表面には二種類の蛋白質がスパイク上に並んでします。一つはウイルスが細胞内に侵入するときに働くHA(赤血球凝集素)、もう一つはウイルスが細胞から出るときに働くNA(ノイラミニダーゼ)。HAには16種類、NAには9種類あり、その組み合わせでウイルスの型が表現されます。たとえば現在の鳥インフルエンザウイルスは、H5N1(HAが5番目、NAが1番目の亜型)です。
20世紀に新型インフルエンザの大流行は3回ありました。1918年のスペインかぜ(H1N1)、57年のアジアかぜ(H2N2)、68年の香港かぜ(H3N2)。スペインかぜでは当時の世界人口の2〜4%の4000万〜8000万人が死亡しているそうです。日本でもあまりの死者の多さに火葬場で棺の“渋滞”が起きた、は『
火葬場の立地 』に書いてありましたっけ。
基本的に鳥インフルエンザは人にはうつりません。細胞表面のレセプターが異なるので、ウイルス表面のHAが働かない……はずなのですが、人の肺の奥や目のレセプターは実は鳥インフルエンザウイルスも結合できるのだそうで…… だから鳥の処理をする人はマスクとゴーグルが必要になるのです。また、濃厚接触で大量のウイルスに触れた人は、鳥インフルエンザに感染してしまいます(これが世界各地で散発している、鳥→人への感染)。そして、かつてスペインかぜで起きたように、鳥インフルエンザウイルスに「人への感染力を持つ方向への突然変異」が生じたら、鳥→人→人の経路が確立してしまいます。
第一次世界大戦時に世界的大流行となったスペインかぜは弱毒型でした。それでも戦争での死者一千万人の数倍の死者を出しています。当時の世界人口は約18億。今は65億以上ですから人口密度は数倍です。さらに交通機関が発達して、世界のどこで新型インフルエンザが発生しても、ジェット機を使えば数日で世界中にウイルスがばらまかれる恐れがあります(実際にSARSはそうなりました)。では、対策は? 鎖国は非現実的です。個人で頑張る……どうやって? 病院にまかせる……大流行が起きたらまず倒れるのは病院の従業員(患者が集中するから簡単にうつされます)と救急隊員です。
厚労省の予測では、日本では25%が感染し、64万人が死亡する、となっています。著者はこれを厳しく批判します。人口密度が低いアメリカでさえ人口の30%が感染する想定なのに、甘すぎるのではないか、と。ウイルスも弱毒型と厚労省は想定していますが、もし強毒型だったらどうなるのでしょう。オーストラリアのロウィー研究所がその予測をしていますが、日本では210万人の死亡、だそうです。別の嫌な予測もあります。若い人ほど死にやすい、というのです。免疫力は若い頃が最高で年を取るとどんどん力が落ちていきますが、それがアダになって、ウイルスに対してサイトカインという免疫物質を過剰に産生してしまいそれで体内蔵機が損傷されるサイトカインストームという現象があるのだそうです。「若くて元気だから大丈夫」ではないのです。(実際にスペインかぜの時には若い人が中心になってばたばた死にました)
新型インフルエンザに対応できる指定病院が日本には337ありますが、準備されているのはたった1700床です。これで十分ですか? 薬や検診キットや人工呼吸器の備蓄は十分ですか? 死体の処理も大変です。東京都の行動計画では、都立公園を臨時の埋葬場所にするそうですが(黒死病の時に、大きな穴を掘って死体を次々放り込んだ、を思い出します)、でも誰がその作業をするのでしょう? 物流も破壊されます。生活そのものが困難になるかもしれません。
それでも個人でできることはあります。その一覧が本書の最後に並んでいますが、これは結局「災害対策」と同じですね。ただし、地震や台風の大災害とは違います。周囲(周辺地域や外国)からの援助は期待できないのです。パニックになる暇があったら、なにか準備を始めた方が良さそうです。天命を待つにしても、人事を尽くしてからです。
車の燃費は普通「ガソリン(あるいはその他の燃料)1リットルで何キロメートル走れるか」ですが、これだけガソリンの値段が動くと、「1キロ走るのに何円かかるか」という燃費もお財布には重要でしょう。
そうそう、人間の燃費も計算できないかしら。車と違って仕事量が簡単に表現できませんが、たとえば一歩歩くのに何カロリー使ってるかとか何円使ってるか、です(一日5000円食べて2500歩だと「1歩2円」)。燃費が異常に高い人は、動いていないか、高いものを食べすぎです。あ、太っても燃費が悪くなるのかな。
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『
ドリトル先生の動物園 』ヒュー・ロフティング 著、 井伏鱒二 訳、 岩波少年文庫1025、1979年(86年10刷)、600円
時系列で言えば『
ドリトル先生航海記 』の続編です。3年間留守にしたバドルビーに、大きな海カタツムリに乗って一行が帰ってくるところから本書は始まります。もちろん語り手はトーマス・スタビンズ。(もう白髪が出ているトミーがドリトル先生の思い出を本に書いている、という体裁です)
ドリトル先生は、かつて敷地内に作っていた動物園を再建することにし、それをトミーにまかせます。外国産の珍しい動物の収容所ではなくて、イギリスの動物たちが仲良く暮らせる動物の町です。その一角に作られたネズミ・クラブでは、夜な夜なドリトル先生とトミーを招待して、いろいろなネズミの冒険譚が語られます。先生たちはその物語を出版するつもりなのです。今夜も面白い話が語られている最中、急が知らされます。バドルビー随一の荘園で火事が出そうになっているのです。そして火元の薪部屋には取り残されたネズミの一家が。ドリトル先生たちはネズミを救う(ついでに火事を消して人間たちも救う)ために駆けつけます。ところが奇妙なことに、荘園の主スログモートンは我が家が救われることを喜びません。それどころかドリトル先生に番犬をけしかけついには自ら襲いかかろうとする始末です。スログモートンの奇妙な行動の裏には、一体何が……? 荘園の屋敷に住むネズミが、奇妙な羊皮紙の切れ端を持ち込みます。どうもそれは、先代の遺言状の一部のようです。スログモートンは、一体何を隠そうとし、何を滅ぼそうとしているのでしょうか。ドリトル先生は世俗には興味がないのでそんなことはさっさと忘れてしまいますが、動物たちとトミーは捜査を始めます。その遺言状がどうも動物保護に関係していそうだから、見過ごすわけにはいかないのです。
動物物語は、大体その動物に「人間」が投影されています。たとえばイソップ物語のように。だとすると本シリーズの動物たちには、一体どんな人間が、あるいは何が投影されているのでしょう? 前作(「サーカス」)では動物たちは「大人」の振る舞いでしたが、今作では(ネズミが功労者を讃えて像を建造したり)妙に“人間”くさいのです。
本書では動物の町は非常にうまく運営され、結局ハーピーエンドを迎えます。これは、ドリトル先生のような「世俗権力に興味がない権力者」をトップに置き、ポリネシアのような有能な参謀(こちらも権力には興味なし)が実権をふるったことと、動物たちも良識的に振る舞ったことによって、「理想の社会」ができたわけです。ここで私は、「理想的なリーダーによって人間社会と共存できる理想社会」として『
だれも知らない小さな国 』(佐藤さとる)を思い出します。それと同時にリーダーの質によっては悲劇が待っているということで『
動物農場 』(ジョージ・オーウェル)も。子供のための物語ですからハッピーエンドになることに不満を言いませんが、この物語の“向こう側”に見える世界に、私はちょっと怖いものを感じます。
昨日息子と出かけようとしたら家内から「ウドを買ってきて」とリクエストがありました。直径3センチ以上と太さの指定もあります。台所でアサリが砂を吐いているのには気がついていましたが、アサリとウド? どんな組み合わせなんでしょう。
出かけた先の隣の区のスーパーには見あたりません。自宅に向かって区境を超えてすぐの店にも無し。隣町のスーパーでも見あたらず……「見つからないんだけど」と電話をしたその瞬間目の前のフキとツワブキの間の狭い空間にウドが3本だけ残っているのを発見しました。やれやれ、一安心。指で測ると約4センチと太さも十分です。
夕食はアサリご飯でした。アサリとソラマメとウドが炊き込んであります。アサリがずいぶんふっくらしているので聞くと、まず酒で煮て、煮汁は米を炊くのに加えて、ご飯が炊けてからアサリを加えるのだそうです。ウドは酢水でさっと煮ると芯が黒くなるからよく煮るのがコツだそうで……たしかに芯まで真っ白に仕上がっています。
私には意外な取り合わせですが、美味い。「出会いのもの」とは良く言ったものです。太陽はもう夏の顔になりかけていますから、春の味というより初夏の味の出会いもの。
【ただいま読書中】
『
文化麺類学ことはじめ 』石毛直道 著、 フーディアム・コミュニケーション、1991年、2330円(税別)
歴史的に見ると手打ち麺は実は“ハイテク”の産物です。真円のめん棒(木工用ろくろが必要)と真っ平らな平面(木製なら、鋸とカンナが必要。石だったら石の表面を平らに削る道具と技術)を準備した上に、できた麺を切るために鋭く大きな刃物も必要です。麺好きの著者(国立民族学博物館に勤務)は各国の麺についてきちんとした研究があまりに少ないのに驚き、しかたなく自分で調べることにしたそうです(前書きでの「わたし食べる人、わたし読む人、でいたいのに」というぼやきが笑えます)。
しかし著者は早速困ります。自分がトレーニングを受けた「土器や石器の分類」に倣って「麺の分類」をしようとしたら、そもそも世界共通の「麺の定義」がなかったのです。形態も様々、原料も添加物も様々、製法も調理法も様々です。……どうします? 四苦八苦しながら著者はとりあえずの定義をでっちあげ……もとい、なんとか作りあげます。
まずは中国から。新石器時代の華北平野では主にアワが食べられていました。やがてそれはコムギに置き換わります。コムギはメソポタミアから世界中に広がったと考えられています、それは同時に石臼(コムギを粉にひくため)も伴っていました(コムギは中国原産、という説もあるそうです)。華北では漢代ころからコムギが広く作られるようになり唐の時代に一般にコムギの粉食が広がります。そして宋の時代に、「麺」は小麦粉のこと(日本の麺は「麺條」……ただし方言で「麺」=日本の「麺」、もある)で、「餅」は月餅などのような小麦粉を材料に作った食品、という意味が確定します。
日本では、東大寺大仏造営の記録「造仏所作帳」の天平六年(734)五月一日に「麦縄六百三十了を買う」とあるのが麺類の初出だそうですが、それ以前については不明です。著者は「むぎなわ」を現在の素麺のルーツと考えています。
麺としてのそばは、室町時代には存在していたようですが、江戸でうどんを凌駕して外食のメインに座ったのは18世紀のことです。本来救荒食物で格の低い食品がここまで“出世”したのは「江戸」の存在によるのではないか、が著者の推定です。
朝鮮の麺は、はじめ緑豆デンプンで作られていたのがそこにソバやコムギを混ぜるようになって現在の麺が作られるようになったそうです。チョウセンカラスウリの根からのデンプンで麺を作るのもあるそうですが、これ、日本では天花粉の原料です。モンゴルにも麺があります。コムギだけではなくて、ハダカエンバクの麺もあります。しかし、遊牧民が麺を食べる? これは元の中国支配以降の文化であろう、と推定されています。
ブータンにもソバの麺があります。日本のソバと同じアマソバと、ダッタンソバが栽培されています。ただし、麺よりはもっと手軽なデンゴ(そばがき)やクレ(ホットケーキタイプ)にして食べる方が多いそうですが。ちなみにブータンではコムギはすべて煎ってむぎこがしにして食べるので、コムギの麺は存在しないそうです。
タイは麺の宝庫でした。バンコクのMBKフードセンター(テナントが107店の巨大食堂)には麺を扱う店が25軒あり、おそらく200種類以上の麺料理を食べることができます。麺の種類・調理法(茹でる炒める揚げる)・汁のありなし・具、によってきわめてロジカルにそれぞれの麺は命名されています(おかめとかたぬきといった謎めいた符丁も面白いのですが)。ただし「麺の総称」を示すことばがありません。
著者は「アジアの麺の存在場所は、中国の文化の影響範囲と一致する」と述べます。確かに私がタイで食べた料理は中華料理の影響が濃厚に感じられましたっけ。逆に、中国文化をみごとに拒絶しているインドでは、伝統料理に麺がないそうです。様々な証拠から、著者は「麺は中国に起源する食品であると断言して良いであろう」と述べます。それがアジアに伝播されていって各地で食べられるようになったわけです。
イタリアのスパゲッティ/マカロニやラザニア/ピザに対して、麺/ぎょうさやわんたんやすいとん/ナンがきれいに対応するのは面白いものです(中国にもナンがあるそうです。漢字は「讓」のごんべんを「食」(の旧字体)に変えたもの)。これが文化交流によるものなのかそれともそれぞれ独立しているのか、どうなんでしょうねえ。俗説では「マルコ・ポーロが中国の麺を持ち帰ってそれがイタリア・パスタになった」とありますが、実際にはそれ以前からパスタはイタリアで食べられていました(ラザニアの祖先は古代ローマまで遡れます)。16世紀にトマトが新大陸からもたらされ、17〜18世紀にトマトソースが普及して、パスタはイタリア全土に広がります。そうそう、蕎麦粉のスパゲッティ(ピッツオケリ)もあるそうです。ソバ8コムギ2……って、二八蕎麦ですがな。
これってすごいことですね。「一事」を見たら残りの「九千九百九十九事」がわかるってことですから。帰納的にやるなら必要なサンプル数は膨大でしょうし、演繹的にやるなら論理構造をよほどしっかり構築しておかないと例外だらけになりそうなんですが、どんな“秘術”を駆使するのでしょう。
論理や統計ではなくて超人的な“名人”を使うにしても、「一を聞いて十を知る」人が千人集まらないと「一事」から「万事」を判断するのは無理ですよね(「一を聞いて十を知る」だけでも相当すごいことだと私は思うのですが……)。それとも「一」を見るだけで「九千九百九十九」は無視できる度胸さえあればいいのかな。
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著者は、元メトロポリタン美術館館長で、贋作は「天敵」であると同時に「飯の種」でもあります。本書では実在する美術館やコレクションの目玉を「あれは贋作」と平気で断言していますが、良いのかなあ。
人類の歴史は「贋作の歴史」とオーバーラップしています。初期ローマ帝国の遺跡から19世紀に発掘された「古代エジプトの鉢」は、フェニキア人がローマに持ち込んだ真っ赤な偽物でした。古代バビロニア王国でもエジプトでもかなりの数の美術品詐欺が行われています。
古代の贋作は、金儲けのためだけではなくて、王の権力の由来を説明するためや宗教的方便(寺院を由緒あるものとみせかけるためのもの)などの目的でも使用されました。(そういえば、漢の時代に「始皇帝の焚書坑儒を生き延びた貴重な文献」との触れ込みの書籍が大量に“発見”されたりしましたっけ) 中世・ルネサンス期・近代、贋作は常に(それも大量に)存在していました。18世紀には過度の“芸術的修復”が好まれました。ポンペイなどから発見された彫刻などを、磨き切断し首や手足(あるいはもともと存在しなかった部品)を付け足す“再生”が行われたのです。古代の断片を趣味の良い室内装飾品に生まれかわらせるという点で、これは当時は正当な行為でした。
19世紀に贋作は急増します。一般への美術教育が普及し(つまりは贋作者候補生も教育され)美術品の複製が広く販売されて贋作者もそれが利用できるようになります。科学が進歩して贋作の鑑定(紙や絵の具の分析、錆の層構造の解析、石の表面の経年変化の鑑定など)ができるようになると、贋作者もまた科学を使って鑑定家の裏をかこうとします。さらに同時代の贋作では「時代の差」が鑑定に使えませんし、もっと困ったことに、原作者自身による贋作です(評判になった作品を自分でコピーする……モネ・ユトリロ・キリコの名が本書では上げられています)。こうなると「本物」の定義からやり直さなければなりません。
しかし、古代の本物の売買は禁止されているので上出来の贋作の方がそうとわかっていてオークションで人気を博する、なんて話を読むと、贋作に関して単純な判断(「贋作は悪!」)ができなくなってしまいます。一番笑えたのは、古代ラテン語を模した文字列の中に「faked」と彫り込んであった贋作です。「我は偽物である」と堂々と宣言してしかもそれが数十年見破られなかったのですから……
モノが良くできていることはもちろん重要ですが、「来歴」も重要です。「空から降ってきました」では誰も信用しません。敵国に潜入するスパイのカバーストーリー(偽の履歴)と同様に贋作にももっともらしい「素性」が必要なのです。できの良さと大きな穴の見えない来歴、そして素晴らしいものを渇望している(そして大きな財布を持っている)顧客、それだけそろえば贋作を売りたい詐欺師に成功は最初から約束されたようなものです。
鑑定家になるためのコツを著者は読者に教えてくれます。大切なのは全身を美術に浸しきること。もっと大事なのは、最高の贋作者と出会って贋作のコツを教えてもらうこと。著者の体験談です。
もちろん科学は鑑定の大きな武器です。しかし贋作者もまた科学を用いることができます。紙や絵の具の分析に対抗して古い本物の紙や絵の具を使う、紫外線ランプを出し抜く手段を駆使する…… ならば鑑定者は自分の感性を用いなければならないのです。第一印象、科学的証拠はそれを裏付けるための手段です。本書には「線や形にみられるおだやかさに、古代への情熱が感じられない」「ドイツ・ゴシックなら、ぎこちなく無情で、少量の罪悪感が影を落としているべきだ」「フェルメールは、ひややかな静けさ、動きと沈黙を完璧にとらえた感覚を持っている」などなど、感性豊かな言葉が並んでいます。
贋作者の“言い訳”もいろいろです。「贋作ではなくて模写である」「金儲けが目的ではない」「権威(鑑定家)に対する挑戦だ」……だったらなぜ贋作を展示するのではなくて売るんでしょうねえ。
日本では「三権分立」がタテマエですが、行政訴訟や違憲訴訟では司法が行政や立法に遠慮して及び腰であることが目立ちます。「大津事件から学べよ」と言いたくなりますが……
「大津事件」(湖南事件とも言います)。1891年(明治24年)5月11日、来日中の帝政ロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィッチ(のちに皇帝となるが革命で殺されたロシアのラストエンペラー)が、大津を巡行中に警備の警察官津田三蔵に切りつけられ、負傷しました。当時南進政策をあきらめて太平洋岸に突破口を求めていたロシアはシベリア鉄道をどんどん東に延ばしており、日本ではロシア警戒論が高まっていたことが事件の背景にあります。「大国ロシアを怒らせてはならない」。天皇自らが東京から御用列車を仕立てて見舞いに駆けつけます。政府は裁判を最初から大審院に回し、「皇室罪」を適用して津田を死刑にすべし、と要求。検事総長は「皇室に対する罪」(大逆罪)によって死刑、と論告します。しかし大審院院長の児島惟謙(こじまこれかた)は、「司法の独立」を宣言して“政府の干渉”を拒否。謀殺で殺人未遂だから無期懲役と判決を下しました。
面子を潰された政府はカンカンですが(“責任”をとって青木外相が辞任して榎本武揚が後任となります)、欧米列強は「日本は意外に近代国家だ」と評価し、のちの不平等条約改正にはプラスとなりました。
こうして児島惟謙はのちに「護法の神」と讃えられますが、翌年、裁判官が花札賭博をした「弄花事件」で裁判官の監督責任を問われ、懲戒・辞職となります。 (どう見ても、政府のしっぺ返しですね)
そうか、今の裁判官たちは「大津事件」からちゃんと学んでいるのかもしれません。「権力に刃向かうとあとでしっぺ返しをされる」と。誰だって我が身が大切ですもんねえ。
【ただいま読書中】
『
古書街を歩く 』紀田順一郎 著、 新潮社(新潮選書)、1979年(87年12刷)、750円
恐るべき読書人です。恐るべき愛書家です。
「岩波文庫三千余点を全部揃えたい客」についての話題では、さらさらさらと岩波文庫について述べるに留まらず、戦前から戦後の「文庫の歴史」についてもいろいろな文庫名を上げて克明に書かれます。語りたいことが次々湧いて出て留まるところを知らず、という雰囲気です。文庫本(特に岩波文庫)は本来古典の普及のために発行されたのが、今では使い捨ての廉価版として扱われていることに、著者は反発を隠しません。「安い方が嬉しい」フツーの読書人である私には耳が痛い。
個人的に残念なことに、さすがにサンリオ文庫については落ちてます。いくら内容がリッチだったとはいえマイナーの極みの文庫だったからしかたないのですが……
しかし、初版本といえばなんでも価値がある(高く売れる)と思いこんで新刊書店から本を持ち込む客に口あんぐりの古書店主とか、逆にものすごく貴重な本(一見粗末なパンフレット)を店頭で発見して掘り出し物だと狂喜乱舞しながら30銭で買う客と掘り出されてしまった(自分が目利きではないことを証明されてしまった)店主との対比とか、終戦直後に知的好奇心を満たすために図書室にこもって百科事典を最初の1ページから読んだ中学生(著者自身のこと)とか、面白いエピソードが次々登場します。(私も暇で読むものがないときに百科事典をぱらぱらめくったりしていたことがありましたっけ。けっこう楽しく時間が潰れるんですよ)
『群書索引』『広文庫』復刊にまつわるエピソードなど、それ自体が感動的なストーリーですが、それを通して「本の価値」「学者のあり方」「人生とは何か」までが照射されるのには、こちらはもうあきれかえるしかありません。マスコミの軽薄さまでもがちょっとしたスパイス扱いです。
しかし、読んだことがない書名が次々楽しそうに紹介されると、こちらは欲求不満になります。やっと読んだことのある書名が出てきたと思うと「これらには様々なエディションがあり」なんてさらっと言われてしまって、やはり欲求不満になります。「プロの読書家」というものがこの世に存在するのかどうかは知りませんが、もしいるとしたらこういった人なんだろうな。
高校の時には「神田の古書街を歩き回る」のが私の夢(の一つ)でした。大学生になって念願の神田歩きはできましたが、結局本を置くスペースと財布と目が利かない関係で古書をたっぷり買う、ということはありませんでした。最近になってインターネットの古本屋で簡単に検索ができるようになり、あろうことかアマゾンでも古本を扱うようになって手軽に古本に手が届くようになりましたが、へそ曲がりの私はかえって古書街を歩きたいと思うようになっています。私自身がもう古本みたいになっているからかな?
目の前で小さな子供が転んで「わーん」と泣き出したとします。この時、そのすぐ後ろでそれを目撃した“私”はどうするのが「正しい」のでしょう?
1)かけよって助け起こす
2)「自分で頑張って立ち上がれ」と手を出さずにはげます
3)なぐさめる
4)黙って見まもる
5)無視して通り過ぎる
6)蹴飛ばして通る
7)誰かなんとかしろよ、と言ってみる
8)その他
転んだ子供が、自分の子の場合と赤の他人の場合ではどうでしょう?
転んだ場所が、歩道や公園の場合と、車道の上だったら。
転んだ子供が単に泣いている場合と、頭からだらだら血を流している場合だったら。
大火災などの大災害で皆が必死に逃げている場合だったら。
大火災などによって逃げている“私”が大怪我をしている状況だったら。
“私”の子供が大怪我をして抱きかかえている状況だったら。
……目の前で小さな子供が転んで「わーん」と泣き出しました。さて、“私”はどうするのが「正しい」のでしょうか?
【ただいま読書中】
ジョン・フラー 著、 工藤政司 訳、 国書刊行会、1994年、1650円(税別)
時代は中世、場所はどこかの荒涼とした孤島、そこは病気を治す奇跡の井戸で知られていました。しかし、井戸を訪ねる巡礼たちが次々と姿を消します。調査のために派遣されたヴェーンは島の修道院を訪れます。
修道院長は解剖室で「仕事」をしています。魂のありかを探る研究です。
ヴェーンは墓地を調査します。もし巡礼たちが島で死んだのなら、そこに埋葬されているはずだから。ある巡礼が最近故郷に出した手紙からは多くの巡礼が苦しみながら井戸の回りに集まって奇跡を待っていた様子がわかります。ところが「姿を消した巡礼」26人のうち、墓地で名前が確認できたのは3人だけ。しかも最新の日付は一年前。符丁が合いません。おっと、一人巡礼が井戸で見つかりました。水に沈んだ死体となって。しかしヴェーンが修道院長を井戸に連れて来たときに死体は姿を消しています。ここで行われる、ヴェーンと修道院長とのスコラ哲学的議論は、なんとも思わせぶりなものです。(私の理解では)スコラ哲学そのものが、信仰と知性のバランスを取るために非常に微妙な知的操作を行うものだから、どうしても思わせぶりな口ぶりになってしまうのですが。
※中世前半のキリスト教は「神の教え」を守ること(教会内部の人間は古いテキストを学ぶことで、字が読めない一般人は教会が語る言葉をただひたすら信じること)で維持されていました。しかし中世中期にイスラム世界を通じて古代ギリシアの文献が大量に流入することでヨーロッパの人々は「知性」がこの世に存在することに気がついてしまいます。「知性の魅力」に人々は夢中になります。しかし異教や異端は御法度の世界です。ところが古代ギリシアは明らかに非キリスト教です。そこで両者を両立させるために知的に苦心惨憺した結果がスコラ哲学です。これによって14〜16世紀のイタリアルネサンスの基盤が準備されました。
本書のカバーには「深さと衝撃度において『
薔薇の名前 』以上と評された問題作」とありますが、それはちょっと“褒め”過ぎ。本書の舞台はおそらく12〜13世紀頃かな、と思いますが、その頃人体解剖に対して人々がどのような感情を持っていたか、の視点から見たら修道院長の行為はたしかに衝撃的ではありますけれどね。もちろん「松果体」と言われたら「おいおい、デカルトかよ」とニヤリとはできます。でも、私にとっては、ページから立ちのぼってくる昔の修道院の臭気や今も昔も共通の人間性に対する著者の冷徹な視線といった点ではやはり『薔薇の名前』に軍配を上げたいと思います。とんでもないものと比較するからいけないので、本書は本書で面白い本だとは思いますが。
どう見ても「釣り合い」が取れていないように思えます。鞭って意外に凶悪な凶器なんですよ。飴くらいでその痛みが和らぐとはとても思えません。
まだ「飴と小言」だったらバランスが良いのに……
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まずは「ゾウムシ」への熱い思いが語られます。そして著者がかつては昆虫少年だったことが。このへんまではまあ普通(?)の虫の本。しかし面白くなるのはここからです。
デジタル技術の進歩は、バーチャルな世界を広げただけではなくてリアルな世界をも広げている、と著者は述べます。人の可視範囲は非常に限られているのですが(人はマクロもミクロも見ることはできません)、デジタル(技術と機器)を使うことで「本来は見ることができなかったリアルな世界」を見ることができるようになったのです。
本書は「マイクロ・プレゼンス(小さな存在)」をキーワードとし、その代表として昆虫を選び、様々な知的冒険をします。
たとえば「マイクロフォトコラージュ」。
昆虫を写真に撮ろうとすると、接写だから焦点(被写界)深度が浅くなり、一ヶ所にだけピントが合ってあとはピンぼけの写真になります(「虫の目レンズ」(超深度接写レンズ)を除く)。思いっきり絞ってシャッター速度を遅くしたら深度は深くなりますが限界がありますし、今度はぶれる。それならとISOを上げたら粒子が粗くなる。(えっと、この段落の記述、文責は私にあります。写真には詳しくないので、嘘を書いていたらごめん)
そこでマイクロフォトコラージュです。一匹の昆虫を何回も撮影して、「ピントが合っている部分」をつなぎ合わせて一枚のデジタル写真を合成するのです(著者は大体数十枚(以上)撮影するそうです)。撮影データをレタッチソフトに取り込み、フォーカスが合った部分だけを切り出して、大きさと形と明るさを合わせて合成していきます。
言葉にすると簡単ですが、実際の作業は「写真の手作り」ですから大変です。
「色」の問題一つ取っても課題山積です。たとえば「その昆虫の正しい色」を写真で出すためにはどのような照明が最適か。そもそも「正しい色」とは? 光沢がある昆虫(甲虫はほとんどがそうです)の場合、周囲の写り込みをどう解消するか。構造色の表現は?
昆虫だけを背景から切り出すときも、微細な「毛」の部分は自動選択ツールにまかせるわけにはいきません。1ピクセル(画素)単位での作業が必要となります。
こうしてできた写真が何枚も本書には収録されていますが、昆虫の隅から隅までピントが合っていて、まるで細密画を見るようです。でも写真なのです。なんだかとっても不自然で、でもリアルです。
著者はさらに「写真の3D化」に挑戦します。実画像を元にした「イメージベース・モデリング/レンダリング」です。各画素に三次元の情報を持たせ、それをもとに三次元モデルを構成するのです。これまた言葉にすると簡単ですが……
著者はさらに、ビデオ画像からモーションキャプチャーして動画を起こすことも研究中だそうです。これはまだ二次元のアニメだそうですが、実像を元にしているから意外に“リアル”だそうで……そのうち家の中でゴキブリが走っているのを発見したら、スリッパや殺虫剤ではなくてカメラを持ち出すようになったりして……それはさすがに無いでしょうね。
「自然」「人工」「リアル」「バーチャル」などについて、いろいろ考え感じることができる良い本です。載っている写真だけでも一見の価値あり(虫嫌いにはお勧めしませんが)。
ネット上のトラブルメーカーの一つの典型行動に、問題発言をして回りから総突っ込みを受けてさんざんもめた後になって「実はあの発言の真意は○○だったんだよ〜。皆引っかかったね」などと“問題”の部分をアトダシでひっくり返すのがあります。証拠隠滅のつもりなのかそれまでの議論をすべて無効にしようとしているのかあるいは形勢不利だから転進のつもりなのかもしれませんが、これって「発言(内容)」だけではなくて「その人自身」に対する信頼感をみごとに破壊する行為なんですよねえ。
だって「実は」の「実」の反対は「虚」です。発端となった自分の発言を「実は」と否定するということは「先の自分の発言は虚言であった」という宣言です。ということは、その“宣言”そのものもまた虚言かもしれません。オオカミ少年の「オオカミが来た〜」(あるいは西周の幽王と褒じ(「じ」は似のにんべんをおんなへんに)の狼煙)と同様の扱いしか受けない発言である、と判断されてしまうのです(少なくとも私はそう判断します……って、どっちもオオカミが含まれていますね。今気がつきました)。
訂正するのなら「発言内容」をきちんと訂正して、以後はその訂正に基づいて新しい行動をしてみせる(「目から鱗が落ち」たら、以後同じ鱗は二度と落とさない)のなら、たとえ間違い発言を何回しても、少なくともその人の人間性に対する疑義は生じないはず。私のように間違いがあまりに多すぎるとそれはそれで問題ですが……
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『
ドリトル先生のキャラバン 』ヒュー・ロフティング 著、 井伏鱒二 訳、 岩波少年文庫1026、1953年(86年18刷)、600円
『ドリトル先生のサーカス』の続編です。興行主が金を持ち逃げした後小さくなったサーカスでロンドンを目指すドリトル先生一行は箱馬車(caravan)で移動していました。その途中、ドリトル先生は鳴き声にひかれてカナリアのピピネラを動物商で購入します。「かごの鳥」ですが、ピピネラの人生(鳥生?)は抱腹絶倒波瀾万丈、しかも彼女はそれを一つの歌にしていたのです。ドリトル先生はピピネラの歌を原作として新しいサーカスの演し物にすることを考えます。「カナリアのオペラ」です。(『サーカス』での動物たちのパントマイムとの対照です) 鳥たちが集まって(この「鳥を集める」過程でまたいつもの冒険があるのです)、大劇場(なんと2000人収容)でピピネラの生涯をなぞります。公演は物議を醸しますが、観客席にいたパガニーニは絶賛します。(劇場の支配人が、悪口でも口喧嘩でもなんでも良いから何らかの評判が立てばとりあえず「成功」、と考えているのが笑えます……いや、笑えません)
動物たちは“スター”になります。そしてその次は、広告出演の依頼状の山。ドリトル先生は怒って断ろうとしますが、今は立派なサーカスのマネージャーになっているマシュー・マグがドリトル先生を説得します。動物たちにとって良い品を広めることは悪い品を広めることよりも難しいが、いまこそそのチャンスだ、と。(それは動物だけではなくて人間にとっての良い品でも同じことですよね)
今回ドリトル先生は「カナリアの伝記を書く」「動物の口座を作って運用をその動物たちにまかせる」という新しいことに挑戦します。動物銀行やその他の“良いこと”にもすべて運営コストが(それもおそろしいほど)かかることは、読者の子どもたちには“良い勉強”になるのではないでしょうか。
そして、サーカスの最後の日が来ます。もの悲しい終わり方ですが別れを惜しんで集まってきた子どもたちの姿に、明日への希望が見えます。
「雌のカナリアは鳴かないことになっている」のに発憤した雌のピピネラが練習して素晴らしい歌声でドリトル先生を魅了する……これはフェミニズム文学なのでしょうか。そうかもしれませんし、違うかもしれません。そもそも「フェミニズム」の意味が今と当時とは全然違っているでしょう。原作が発表された1926年は、イギリスではまだ女性の参政権がなかった時代です。(ウィキペディアによれば、USAで1920年、イギリスは1928年に獲得) そのせいかどうか、ドリトル先生の女装までが本書に登場するのはご愛敬です。
昨日・一昨日は数キロ先がぼうっと霞んで見えませんでしたが、今朝は10キロくらい向こうの山もすっきり見えます。のどのいがいがも少し楽になりました。私はスギ花粉症ものどから始まる(で、目と鼻にも来る)ので、このいがいがは黄砂に付着した化学物質でアレルギー症状を出しているのかもしれませんが、単に物理的に微粒子が粘膜を刺激しているだけなのかもしれません。どちらにしても「黄砂が悪い」「西風が悪い」と西の方向をにらんでも……解決にはなりませんね。
まったく、日本にすっぽりとドームをかぶせたくなりますが、そうしたら今度はスギ花粉が中にこもってえらいことに……まったく、なんとか“解決法”はないものか。
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『
傭兵の生活 』高部正樹 著、 文芸社、2005年、1300円(税別)
著者は、航空自衛隊をやめたあと傭兵になり世界各地(ボスニア・アフガニスタン・ミャンマー……)で戦った(今も戦っている)人です。
著者が繰り返し強調するのは「まず生き残ること」です。どんなに優秀でもどんなに勇敢でも、死んだらそこでお終いなのですから。もっとも著者たち傭兵が一番嫌なことは、「死」ではなくて「苦痛」というのも、なかなか現実的な反応です。著者に「ロケット弾の破片で負傷したときの)その時の激痛と、その後に続く気の狂いそうな鈍痛は一生忘れる事はないだろう」と言われたらあえて“反論”しようとは思いませんが。しかし、傭兵の生活に死と苦痛は“つきもの”なんですよねえ。そして苦痛に関する傭兵たちの議論はヒートアップし、「何を失うのがイヤか」になります。「足だ」「いや、手の方がいやだ」となっていたときイギリス人傭兵が「おれは光を失うのがイヤだ」と。いや、どこを失うのも私はイヤですが。
イラクからのオファーが、湾岸戦争直前が月給70万円(戦争が勃発したら120万円、スイスフラン建て)、それが10年後には40万円に値下げになっていました。世界的なデフレの影響なのか、イラクが「貧すれば鈍する」になっていたのか……ともかく著者はそのオファーは受けていません。「受けなくて良かった」と著者はしみじみ述懐します。
ちょっと不思議なのは「人間は本来攻撃的にできていない」という指摘です。これは様々な戦闘を通じて著者が得た実感なのでしょう。だからこそ軍隊の組織と訓練と指揮官の命令が必要だし、コンバットストレスを乗り越えるためには戦友の存在が大きいのだそうです。……戦争は人間と不可分の存在かもしれないと思っていましたが、もしかして現場の人間がものすごく無理をしなければならない不自然な存在なのかな。
イラクに派遣された自衛隊に関しての発言も、きわめて具体的です。たとえば航空自衛隊に対しては、自分がアフガンゲリラと共に対空兵器を使用した経験から、それを避けるためのアドバイスを述べています。それを自衛隊が採用したかどうかは不明ですが、少なくとも「攻撃する側」の観点を知ることは「攻撃される側」にはとっても重要なことでしょう。
市街地でのゲリラ戦では正規軍が不利です。ゲリラは民間人の恰好をしてあたりに溶け込み、好きなときに攻撃を仕掛けられます。それに対して正規軍は軍服を着用して目立つことこの上ありません。あ、だからSASは北アイルランドで民間人の恰好をしてIRAに対抗したんだな。
イラクではプライベート・オペレーター(民間警備会社)が活躍しています。つまりはサラリーマン傭兵です。私は『
民営化される戦争 ──21世紀の民族紛争と企業 』(mixi日記05年11月1日)を思い出しますが、著者は「傭兵というと評判が悪いのに、民間武装警備員というとそうでもないのはなぜだ」と辛辣です。たとえばフランス正規軍の一部である外人部隊などとは違って、常に組織の中に正式には組み入れてもらえない傭兵である著者にとって、アイデンティティの基盤である「傭兵の誇り」は私のような一般人から見たらやや屈折した形で存在しているようです。本書のあちこちで吐露される「誇り」は、力強く、そして悲しい響きを伴っています。
そうそう、本書の最後に「テロリストは、怪しまれないために周囲の人間に愛想良く振る舞う」とあります。たしかにテロを実行する前に目をつけられたら困りますからね。ということは、これからの都市ゲリラ戦では「アヤシイ奴」ではなくて「あやしくない奴」に目をつけなければならないわけです。見るからにアヤシイ人は、ご安心を。
って、なくてもそれほど不便じゃないと思いません? まあ、湯気でちょっと手は熱いかもしれませんが。
昔、事故か病気かで片手が不自由になった人が、お茶を注ぐとき急須の蓋が落ちるのに困って、とうとう蓋無しで注ぐことにした、というのをどこかで聞くか読むかしたのを、今なぜかふっと思い出したのです。
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本書は、著者が書いた日本古代の医療制度に関する論文集です。「医疾令」(律令で医学制度を扱っている部分)から屠蘇を飲む習慣や律令官人の休日についてまで、バラエティ豊かに論じられています。著者は、文化的な国家はテクノロジーの先端部門を医療につぎ込む傾向があるから医療制度の研究は国そのものの研究に大きな意味がある、と言います。私はその意見に賛成です。
唐の律令は日本の「国」に大きな影響を与えました。隋の前、晋令・梁令にも「医薬疾病令」があります。残念ながら、唐も日本も「医疾令」そのものは失われていますが(というか、本体である大宝律令も養老律令も失われています)、日本の養老医疾令は江戸時代から復元作業が行われています。(本体は失われていても、『令集解』のような律令に関する疑義照会や解釈などの周辺文書(木簡)が大量に残っているから、それを使って元の条文を復元するのです)
八世紀の東大寺写経所から待遇改善要求書が出されていました。机に向かって座りっぱなしの生活のため「胸痛脚痺」となり、粗末な黒飯と浄衣の洗濯もできない不衛生な環境をなんとかしろ、というものです。そこでは、足病・胸痛・下痢は「職業病」でした。それに対する治療は、服薬・灸・洗治(できものを薬汁で洗う)・蛭による瀉血・祈祷……今の医療とは様相が違います……いや、医者だけではなくて民間療法や宗教にも頼る基本的態度は、8世紀も21世紀も似ているのかな。ちなみに私だったら「小手先の治療より職場の環境改善を」と勧告したいところですが。
正倉院には東大寺写経所の支出報告書も保存されています。支出品目はさすがに、墨・筆・紙が目立ちますが、茄子・青瓜・心太など生活感が感じられる項目もあります。その他金額で突出しているのが「薬」です。著者は、「薬」購入が多いときに病人発生報告が多くないこと、そしてその薬が容積で表示されている点に注目します(当時の生薬は重量で取引されていました、ていうか、今でもそうでしょう)。そしてその値段は当時の米価と連動しています。著者は「薬」とは「薬酒」ではないか、いや、「薬」に擬装した「薬酒」という名目の「酒」そのものではないか、と推定します。(般若湯ですね)
「元旦のお屠蘇」は、中国から輸入され、医書を典拠とした公式行事でした。目的は邪気を祓うことです。屠蘇であっても毒味役が必要で、ところが屠蘇の場合「年少者から」という決まりがありますから、毒味は童子が行います。ここは笑うところ、かな? 元日御薬のひとつである白散は、五位以上の官人に典薬寮から支給されました。平安時代には白散・屠蘇が世間に広まりますが、「医者の処方」である白散よりは屠蘇の方が一般に浸透していきました。今でも薬局で屠蘇を売っています。来年のお正月、お屠蘇を口に含んで古を偲んでみるのはいかがでしょう。
奈良時代に天然痘が流行しました。それに対する治療法が太政官符として流行地に出されました。その内容は、それから200年以上後の『医心方』(日本最古の医書、982年)に匹敵するものでした。進歩が遅い時代だったのか、あるいは、奈良時代の医学は“時代の先端”だったのかもしれません。
中国の官吏は、漢以後は「5日働いたら1日休み」が原則でした。学生は「10日ごとに試験。試験翌日は休み」です。唐令では旬暇(10日ごとに休み)で、他に節日休暇(現代の祝日や年末年始休暇のようなもの)があります。日本令では六暇(6日・12日・18日・24日・晦日、が休み)です。節日には年中行事があります。「節日(暦)」と「年中行事」と、どちらが鶏でどちらが卵かはわかりませんが、ともかく律令体制の確立によって暦と年中行事は古代日本に定着し、現代まで伝えられています。
本書の付論にありますが、遣唐使は日本だけではなくて中国にも意味のあるものでした。輸入された文書はさかんに書写され、『難経』など貴重な文献が多く中国で失われた後も(不完全な形であっても)日本で保存されたのです。コンピュータデータに限らず、やっぱり“バックアップ”は必要なんですね。
「本来の受給額」って、誰が把握しているのでしょう。受け取る年金がごまかされていないかどうかのチェックって、今までもできてました?
「俺は国会議員年金があるから、他人事だもんね」の人には、親身な対応は期待できないでしょうね。「実は国会議員年金もいくらか行方不明になっていました」と発表したら、少しは真剣に国会で議論が始まるかな。
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『
神の鉄槌 』原題:THE HAMMER OF GOD アーサー・C・クラーク 著、 小隅黎・岡田靖史 訳、 早川書房、1995年、1700円(税別)
アーサー・C・クラークの小説で感じるのは、“壮大なビジョンの提示”(センス・オブ・ワンダー)と“命名のセンスの良さ”です。今回の“主人公”(地球に異常接近する小惑星)は「カーリー」です。でまあタイトルが「鉄槌」ですからぶつかるんですよね。いやあ、カーリーという名前を見た瞬間ぞっとします(笑)。そしてその地球衝突を阻止するための計画がアトラス(神話では天が地上に崩れ落ちないように支える)。ヒンドゥーにギリシア、神話もグローバルの時代です。
学生の時に月での第1回マラソン大会に優勝したロバート・シンは、50歳を超えてから火星に移住します。60歳を超えてから新しい職業、宇宙船ゴライアスの船長に就任。任務は、木星軌道で太陽から見て木星から60度の点に位置するトロヤ小惑星群での科学観測です。その頃、火星のアマチュア天文学者ミラー医師は、新しい小惑星を発見します。過去に発見した二つの小惑星に妻と娘の名前をつけていた彼は三つ目にはもうすぐ生まれる二人目の娘の名前を、と考えますが、それが地球との衝突軌道にあることを知り、破壊の女神カーリーの名前を選びます。
カーリーの地球への衝突を阻止せよ! ゴライアスはカーリーに接近しマス・ドライバーを設置します。ネズミが象を押すようなものですが、ほんの少しでもカーリーが移動すれば軌道を進むにつれてその“誤差”は大きくなり最終的には地球から少しだけずれる(たとえほんの少しでも、ぶつかるとぶつからないでは大きな違い)というわけです。しかし「地球環境の激変(へたすると人類の滅亡)を防止する」ことを好まない人間もいました。彼らは神の名においてアトラス計画で破壊活動を行います。アトラスが阻止されて一時は呆然としたゴライアスの人々は、もう一つ自分たちが行えることがあることを知ります。ゴライアスそのものをマス・ドライバーとして用いるのです。ゴライアスをカーリーに固定し、自転に合わせて全力噴射です。計画は成功したかに思えたとき、カーリーが“目覚め”ます。内部の氷が太陽に温められて噴きだし始めたのです。ロケット噴射のように。しかもゴライアスが押すのに逆らう方向に。
世界評議会は失われた技術で核弾頭を復活させてカーリーに打ち込むことを考えます。これには利点と欠点があります。カーリーが上手く二つに分裂したら、二つとも(あるいは片方は)地球を逸れるかもしれません。しかし、くだけて散弾のように広範囲に“爆撃”をくわえることになるかもしれません。地球では市民による投票が行われます。命をかけた選択です。
ゴライアスは燃料を失います。もうカーリーから離れることはできないのです。乗組員は自分たちの死を受容します。そこに核ミサイルが高速で接近してきます。
同じテーマの作品だと、映画の「
アルマゲドン 」や「
ディープ・インパクト 」を思い出す人も多いでしょう。私がまず想起するのは『
悪魔のハンマー 』(ニーヴン&パーネル)ですが、著者は映画の「メテオ」をまずあげ、タイトルはブラウン神父シリーズ(チェスタトン)の同名作品から、と述べます。巻末の解説(牧眞司)では『エイロスとカルミオンとの対話』(エドガー・アラン・ポー)、『
毒ガス帯 』(コナン・ドイル)、『妖星』(ウエルズ)、映画「
地球最後の日 」(あるいはその原作)などが先行する作品としてあげられています。(映画「ディープ・インパクト」は、「地球最後の日」のリメイクと『神の鉄槌』(短編版)の映画化との二つの企画が合体した産物です)
しかし、本書は『
恐竜はネメシスを見たか 』に最もインスパイアされて書かれたのかもしれません。アルヴァレス父子の扱いがずいぶん丁重ですから。
「地球最後の日」では、ロケットで無事脱出できたのは白人だけでした。しかし「ディープ・インパクト」では死ぬも助かるも肌の色は無関係、そしてアメリカ大統領が黒人だったのが印象的でした(私が好きな俳優モーガン・フリーマンが演じています)。宇宙からの脅威の確率は昔も今も変わりませんが、人種差別に関しては少し変化があったようです。
透明人間に対して「目まで透明になったらその透明人間は視力を失う(網膜で結像できない)から“完全に見えない透明人間”は“現実的”ではない」という“反論”がされたりします。しかし、そもそも「透明だから見えない」という前提が間違っていませんか? 透明でも見えるものはこの世にいくらでもあります。たとえばビニール袋に入れた水・透明な氷・きれいなグラス……(そもそも「透明で見えないもの」って、何があるでしょう。窓硝子を屋内から見たとき、あとは、えっと……)
光は光速度が異なる物質の境界(たとえば空気と水、空気とガラス)で屈折します(どうして光速度が異なると屈折するのかの原理は誰か知っている人に聞いてください)。反射もします。ということで、透明人間は体内の環境(ほとんどが水)の光速度を空気中と同じにしない限り「見える(存在が視覚的にわかる)」はずなのです。(クリスタルボーイを例に出して、わかる人がどのくらいいるだろうか……)
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『
灰の文化誌 』小泉武夫 著、 リブロポート、1984年、1400円
世間知らずの私が「店で灰を売っている」と聞いて驚いたのは、20年くらい前だったでしょうか。香炉灰のことでしたが、たしかにお香を焚くときに最初に敷き詰める灰がないとちょっと困りますよね。もちろん茶道でも風炉の灰が必要です。灰の用途はそれだけではありません。本書では灰のあれこれについて広く論じています。
そもそも「灰」とは何か。要するに燃えかすですが、基本的に無機成分です。動物由来の灰はカルシウムやリンが多く、植物灰にはカリウムが(ほとんどは炭酸塩の形で)多く含まれています。
日本で灰はいろいろな場面で活用されてきました。たとえば「埋火」。炭や薪の火を一晩保存するために灰に埋めておくことです。そうすれば翌朝「火を熾す」という面倒な作業を省略できます。温灰(ぬくばい)に団子を埋めておく料理法もあります(そういえば、古代ローマでも「熱い灰に転がした卵」はオードブルの代表でしたっけ)。著者は、栗・茄子・芋を熱灰に埋めて調理したものの美味しさを熱い口調で語ります。
日本酒も灰と関係が深いものです。米のデンプンを糖化する麹を製造するのに、室町時代から木灰が使用されていました。木灰が果たすのは種麹に対する殺菌剤・栄養剤などの役割です。さらに、できた酒が酸っぱかったり不快な臭いを持っている場合、「直し灰」と称して木灰(まれに牡蛎灰)が酒に加えられました。化学的には灰のアルカリが酒の酸を中和、物理的には灰が臭いを吸着、が期待されていたようです。なお「江戸時代に、濁り酒に灰を入れたら清酒ができた」という伝説がありますが、平安初期の『延喜式』に「澄酒(すみさけ)」「中汲み」という「清酒」がすでに記載されています。また、色や風味付けのために酒に灰を入れる「灰持酒」(出雲の地伝酒、肥後の赤酒など)もあります。灰の殺菌作用のおかげで火入れ(殺菌目的)をする必要がないそうです。パスツールより早く熱や灰による殺菌をやっていたんですね。
和紙製造では、原料を木灰と煮ます。リグニン・タンニンなどの不溶性不純物をアルカリで可溶性にして離脱させ、植物繊維だけを残すためです。したがって、灰の成分によってできあがりの和紙も性質が異なります。麻や真綿も同様に灰汁で煮て不純物を除去し繊維を取ります。
染色でも補助剤として木灰は重要です。布を漂白すると同時に、灰汁の濃さや種類で色の調節ができます。これは灰に含まれるアルミナやケイ酸が色素と化学結合することによります。
土器でも灰が働きます。歴史の初期、燃料の灰が土器にふりかかって被膜を形成しました。釉薬の始まりです。そういえばボーンチャイナは牛骨灰磁器ですね。
さて、お待ちかね(?)の食い物編です。まずは万葉集でお馴染みの藻塩焼き。ちなみに日本で藻塩焼きが、揚浜式や入浜式の塩田によって滅びた頃、西洋では海草の灰が農業(肥料)・化学工業・医薬で大量に必要とされるようになり、企業の間で奪い合いになりました。ちなみにヨードチンキのヨードは海草灰から製造されたそうです。灰干しワカメは、灰の保存効果と発色効果を巧妙に利用しています。料理でのアク抜きにも灰が用いられます(「あく(灰汁)」で「アク」を抜くわけです。漫画『美味しんぼ』ではトチ餅のアク抜きの所で灰の蘊蓄が語られていましたっけ)。
本書はさらに、火山灰や死の灰にまで話が広がります。健康に悪い灰です。
健康によい灰として、漢方薬に配合される灰もあります。さらに様々な黒焼きも登場します。そして最後は文学の灰。花咲じじい・シンデレラ……(日本の昔話の「灰坊太郎」はシンデレラを男女逆転したようなお話です。人間の発想力は不思議なものです)
人類の歴史が「火」とともにあった以上、「灰」もまた人類とともに存在していました。……ところで最近(タバコの灰以外で)灰を目撃したことがありますか?