mixi日記2007年10月
 
1日(月)標準語
 オリンピックで日本選手のユニフォームに「JAPAN」とあるのが昔から、そう、東京オリンピックの頃から私は不思議だったのですが、「日本が属国だから」で説明できることに今頃(今さらながら)気がつきました。方言に優越する存在として共通語(日本の世間一般で「標準語」と呼ばれていることば)があるように、日本語はただの方言で、真の標準語は英語だったんだ。
 
【ただいま読書中】
スポーツ吹矢入門 ──なぜスポーツ吹矢は健康に良いのか』林督元 著、 ビッグサクセス/ぶんぶん書房、2007年、1300円(税別)
 
 タイトル見ただけで「スポーツ吹矢なんてものがこの世にあるのか」と「たぶん腹式呼吸をするからかな」と、二つの感想を持ちます。さてさて、どんな世界が私の目の前に拡がるのでしょう。
 現在の社団法人日本スポーツ吹矢協会の会長青柳さんは、気功や太極拳を学び腹式呼吸が健康に良いことを実感しましたが、長続きしません。なぜ? つまらないからです。ならば楽しく腹式呼吸をすればよい。ということで(?)吹矢です。それも矢の先を丸めて危険を少なくしたスポーツ吹矢。
 ここで体験談が続々登場するのですが……「吹矢で気管支喘息が改善した」「手術の後遺症の尿失禁が改善した」「骨折後遺症の筋力低下や座骨神経痛が改善した」「糖尿病の数値が改善した」「更年期障害の症状が軽減し、残った症状とも上手くつきあえるようになった」「いびきがなくなった」「姿勢が良くなった」……ほとんど健康食品を売る手口と同じです。ただ違うのは、「治った」と言わないことと、「吹矢で腹式呼吸が身に付く」「腹筋や背筋が鍛えられる」「姿勢を正しくするくせがつく」「的に当てようと集中することで精神面にも良い影響がある」「骨盤底筋を鍛えることができる」といった、なぜ症状が軽快したかの論理的な説明がこちらにも納得できることでしょう。もちろん「万病が治る」なんて無茶も登場しません。単に腹式呼吸をするだけではなくて、矢を吹くために肛門を閉めて丹田に力を入れるから骨盤底筋群が鍛えられるのだ、というのはなかなか説得力があります。内臓のマッサージとか自律神経の調整については、本当かいな、と思いますけれど。
 実際の競技では、内径13mm、長さ1mくらいの筒を用いて約20cmの矢を吹きます。的までの距離は5〜10m。的の大きさは約30cm四方で同心円模様のシールを貼ります。面白いのは、競技が「礼」に始まって「礼」で終わること、段位制で級や段があることです。
 なんだか私の中に残っている子ども心がくすぐられます。ちょっと試してみたいな、と思って協会のページを見たら、あら残念、自宅の近くに支部がありません。東京に行くときにでも銀座にあるという協会を訪ねてみようかしら。予約していたらレッスンも受けられるそうです。
 
 
2日(火)無敵のことば
 何かを準備しているときに、「何かあったらどうする」「何かあったら困る」、これ無敵です。
 もしもそれに対して「具体的に何があると思うんです?」「どうしたいんです?」「誰が困るんです?」などと冷静に論理的に返されたら、わざと激高して「何もないと本当に言えるのか! 誰が責任を取るんだ!!」と返すのです。これで大体の相手は黙らせることができます。強い感情は論理を押し切れますし、“何もない”ことの保証は確率的に誰にもできないのですから。しかも、「心配ない」と言って何か起きた場合には責任問題になりますが、「何かあったらどうする」で何も起きなかった場合には、自分が責任を問われる心配はありません。
 あとは自分に何か仕事が割り振られないように、有能な人にとにかく仕事を押しつけるように画策して逃げ出す算段だけです。まあ、議論の場で無茶なことを感情的に言い立てる人間は基本的に無能ですから、重大な仕事を任される心配(?)は最初からないでしょうけれど。
 
【ただいま読書中】
ケストナーのほらふき男爵』エーリッヒ・ケストナー 著、 ヴァルター・トリヤー/ホルスト・レムケ 絵、池内紀/泉千恵子 訳、 筑摩書房、1993年、3398円(税別)
 
 ナチスによって焚書と執筆禁止処分を受けていたケストナーは、戦争中に「ほらふき男爵」を映画用に書き、戦後には五つの名作を再話しました。本書にはその六つの作品「ほらふき男爵」「ドン・キホーテ」「シルダの町の人びと」「オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ガリバー旅行記」「長靴をはいた猫」が収載されています。
 読んだことがない作品もありますが、少なくとも私が読んだことがあるもので判断すると、ただのリライトではありません。もともとの作品が持っているおかしさが、ケストナーの中で一回(あるいは二回三回)ひねられ枝葉を切られることで、別物に変貌しているようにも見えます。別にケストナーが何か新しいものを無理矢理加味しているわけではないのですが。ひと言で言うなら、元の作品を読んでいてもいなくても、本書は読むに値する、ということです。
 できたら著者には「千一夜物語」なども再話してほしかったなあ。一体どんなものになったやら。
 
 ここから余談。「ほらふき男爵」の主人公ミュンヒハウゼン男爵は、まさか自分の名前が後世病気の名前に使われることになるとは思っていなかったでしょうね。知らない人のために参考までに……「ミュンヒハウゼン症候群」:周囲の注目関心を引くために、ウソ話をしたり自傷行為をしたり病気になったふりをする。もう一つあります。「代理ミュンヒハウゼン症候群」:自分ではなくて他人(多くは自分の子ども、ときには配偶者)を病気にしたり怪我をさせることで目的を果たそうとする。
 おっと、「なんて極悪人だ」と怒ってはいけません。やっていることは許せませんけれど、私の理解では、そういった行為は「SOS」のサインのはずですから。
 
 
3日(水)ぜひ再現実験を
福岡3児死亡「被害者居眠り」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=308230&media_id=2
 
 もし弁護側の主張が正しいのなら、「たとえ素人が不意打ちを食らった場合でも、意識清明状態で時速30kmで運転しているのだったら、橋から突き飛ばされるくらいの勢い(時速何キロ?)で追突されても40mで体勢を立て直して橋から落ちないように回避運動が取れるはずである」となりますね。だったら実験してみれば良いんじゃないです? もちろん追突される側の車はその弁護士が運転して。
 F1でも、自分の運転ミスからのスピンなどからはうまく立ち直り(立ち直れない場合もあり)ますが、他車にぶつけられた場合はあの優秀なF1パイロットでさえなすすべもなく壁に一直線、てなことはいくらでもあるんですけどねえ。
 
 
だるまさんがころんだ
 図書館の前の広場で、10人くらい年齢が様々な子どもたちのグループが遊んでいました。幼稚園の年少かもうちょっと下かな、二人ばかりルールを理解していません。あっさり動いてしまって鬼の元に送られてしまいました。するとこんどは鬼の真似をしています。君たちは鬼と一緒にぱっと振り向いて「あ、○○ ちゃんがうごいた」なんて言ってて良いのかな?
 
【ただいま読書中】
ミスト ──アトラスの書』ランド&ロビン・ミラー/デイヴィッド・ウィングローヴ 著、 塩崎麻彩子 訳、 翔泳社、1996年、1553円(税別)
 
 以前夢中になったゲームの同名小説です。著者のミラー兄弟はゲーム「ミスト」の作者でもあります。なつかしくて検索をかけると、ゲームはいつのまにか4まで出ているんですね。2のRIVENまでしかやっていないので、画面をじっと見ていると焼けぼっくいに火がつきそうです(ことばの誤用ですな)。
 
 砂漠の中、〈裂け目〉に住むアナは、息子の妻が出産で死ぬのを看取ります。息子のゲーンはショックでそのまま出て行ってしまい、あとには嬰児が残されます。この世界は、かつて偉大だったドニが滅びたあとで、断片的な科学の知識と物語だけが残されています。アトラスと名付けられた子どもは祖母に様々な知恵を教わりながら聡明な少年へと成長しますが、アトラスが14歳になったとき、父のゲーンが〈裂け目〉に戻ってきます。失われたはずのドニへアトラスを連れ出すために。巨大な地底空間クヴィーアの図書室で、アトラスはゲーンから教育を受けます。不思議なドニの本、ドニの人間がそのページを通って異世界に行くことができる本を使って。さらに「空白の本」に特殊なインクでドニの文字を書けば、そこに新しい世界を創造することができるのです。ゲーンはアトラスの目の前で「島」と書きます。「第37時代」と名付けられた世界(霧に囲まれた島)に出かけたゲーンとアトラスは、王、いや、神として扱われます。しかしその世界は不安定でした。ドニのことばによる叙述がまだ不充分だったのです。ゲーンはあっさり見捨てようとしますが、アトラスは何か自分にできることがあるのでは、と思います。その努力を見て、ゲーンはアトラスに自分の本(新しい世界)を書くことを許します。しかしそれは、父と息子の深刻な対立を招くのでした。
 ゲーンに幽閉されたアトラスは、自身に許された唯一の出口「第5時代」を救うことに没頭します。そこの村リヴンで出会った少女キャトラン(キャサリン)はその才能をゲーンに見出され、教育と訓練を受けることで「本」を書くことができるようになっていました。彼女は新しい世界を書きます。名前は……ミスト。アトラスはゲーンを止めるために第5時代に向かいます。ミストにキャサリンと自分の日記を残して。
 
 「良い小説を書くには、一つの世界を築いてからそれを描写“しない”ことだ」という言いまわしを思い出しますが、ドニのことばで一つの世界を “書く”ためには、すべてを注意深く描写しておかなければなりません。地中の一つの有機成分が欠けただけでその世界が死んでしまうこともあるのです。これは「ゲームの世界」を築き上げるときの作業と似ているのかな、とも読んでいて思います。
 「MYST」のCD-ROMは我が家のどこかにまだ潜んでいるはずです。今やったら、昔とは違った感想を持つかもしれません。Macを久しぶりに起動してみようかしらん。
 
 
4日(木)医療不信
 今のマスコミ報道を見ていたら不信になるのは無理がないと思えます。まるで世の中にはロクでもない医者ばかりが満ちあふれているみたいです。ただ、不信=「信じない」と公言するのは自由ですが、ではそういった人は自分が怪我したり病気になったらどうするんでしょう。「信じられない」人に自分の大切な身を任せちゃうの? それとも自分で治しちゃうのかな。「医療界には信じられないクズもいるが信じられる人もいる」だったら、まだわかるような気がするんですよ。駄目医者不信は当然としても、「日本の医療」は現在の地球ではけっこう良い線行っているんじゃないかと思うんですけどね。
 
【ただいま読書中】
医療立国論 ──崩壊する医療制度に歯止めをかける!』大村昭人 著、 日刊工業新聞社、2007年、1800円(税別)
 
 1983年厚生省保険局長吉村氏が「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」と題する(後に俗に「医療費亡国論」と呼ばれる)論文を発表しました。要点を簡単にまとめると、医療費増大で国が滅びる・治療より予防に重点を移すべき・将来医師過剰になるから減らせ、で、それが大体そのまま国の政策になり、マスコミもそれを支持しました。しかし実際には賛否両論でした(大方のマスコミでは「否」の論は無視されてます)。本書ではまず医療費亡国論の前提を検討しすべて間違っているとします。たとえば「高すぎる」社会保障負担。実は日本の社会保障負担率も対GDP比率でみた医療費もOECD各国の中で最低レベルです。あるいは「医師過剰」。実は日本は医師不足です(OECD各国比較で、大体2/3。“並の国”になるためにはあと10万人医者が必要)。ところが、最近医師不足が言われるようになっても“過去の判断ミス”を認めたくない人は「総数は足りているが偏在していることが原因だ」と問題(と責任)をすり替えて根本ではないところに対する“対策”を立ててごまかそうとしている、と著者は辛辣です。
 そうそう、医師数に関して厚生労働省のデータは眉に唾をつけた方が良いです。アメリカのは「週20時間以上働いている」医師数ですが、日本のは「労働時間ゼロ」でも数の内ですから。なぜそうするかの理由は明らかですね。「日本に医者はたっぷりいる」の足を引っ張るデータを出すわけにはいかないのです。
 各国で増大する医療費を減らすために様々な改革が行われました。せっかくいろいろ試してくれたのだから先例から学べばいいわけです。そうすれば同じ失敗はせずにすみます(すむはずです)。アメリカの失敗と“悲劇”は有名な話ですからここでは取りあげません(アメリカの「医療」は優秀なんですよ。ダメダメなのは「医療制度」)。映画「シッコ」(日本語だと「病気」ではなくて「ビョーキ」)ではイギリスの医療制度は褒められているらしいのですが、ここもけっこう悲惨です。サッチャーの市場原理導入で医療費は抑制されたけれど医療制度が崩壊して国内で手術ができなくなったため、フランスで手術をしてもらう、なんてことが発生したとか。カナダでも1990年代に政府の急激な医療支出削減で医療崩壊が起きています。この三ヶ国からの“教訓”は「医療制度を崩壊させるには政府が支出をケチればいい」です。で、一度壊してから建て直すためにはケチって儲けた以上のお金を投入しないといけないのですが(実際にそうなっています)。
 病院にきちんと専門家を集めて高度な医療を行い、そこへの紹介はかかりつけ医が行えば、病院の負担は減り、患者の満足度は上がりそうです。でもそのためには、著者は医学教育も根本的に変えないといけないと提言します。厚労省が言う「公的かかりつけ医」の育成には、ただ「看板」を掲げることを許可するのではなくて、専門家として最初から育てられたかかりつけ医を育成しないといけない、と。でも、無理でしょうね。今の日本の風潮では、医療に限らず、「専門家」は尊敬されますが「何でも屋」は下に見られますから、そんなのになりたい奇特な人は少数派です。そもそも医学部は、臨床・教育・研究が3本柱のはずですが、教授になるためには「研究」が最優先なのだそうです。それでは「よい医学者」は育っても「よい医者」は育たないでしょうねえ。
 他にも具体的な提言をいろいろ著者はしていますが、まずは正しい現状認識をしないとこれらの提言はまったく意味を成さないでしょう。たとえば「日本の医療は、世界では高い評価を受けている」ことをみなさんご存知です?(疑う人はWHOのサイトで保健医療制度の国際比較のところを見てください。私は意地悪なのでURLは書きません) アクセスの公正性・コストの安さ・質の高さ、この三者を同時に達成するのはなかなか難事ですが、日本のバランスの良さはピカ一なのです(疑う人は外国で医療を受けてみたら(あるいはその経験者のレポートを読めば)良いでしょう。あ、北欧で受ける人はちゃんと税金を払ってからね)。
 で、しめくくりは「医療市場の拡大は、リスクもあるが、経済効果は大きい」です。一例として、現在輸入品ばかりの医療機器を輸出できるように、とか。著者は医者で、だから「医療は日本の負債ではなくて、日本のために生かすことができる資源」がデフォルトなのかもしれませんが、それでも今の厚労省(やマスコミ)の主張よりはスジが通っているように感じます。
 
 
5日(金)今日は誕生日
 さわやか、というか、ちょっと暑いくらいの晴天です。幸い今日は休日でもあるのでのんびりしています。次男は終業式(今年から二学期制なのです)なので昼からどっかへ……と思ったら、塾が平日モードであるんですと。やれやれ。
 さっき親の所へ電話して「ン十ン年前に産んでくれてありがとう」と言いました。もちろん家内の差し金です。プレゼントの催促をしたら笑ってごまかされました。ちぇっ。
 
 
シャンペンまたはシャンパン
 どちらが正解かは知りません。ただ、私の子ども時代のシャンペンは「クリスマスの時に飲むサイダー様の液体」でした。瓶がサイダーより二回りくらい大きくてもちろん値段はサイダーより高い、でも子どもも飲める清涼飲料水。コルクではなくてプラスチックの栓でしたが、これをぽんと天井めがけて飛ばすのが楽しみでした。
 ところがフランスから文句がつきました。「フランスでシャンペンと名乗って良いのは、法律で産地・材料・製法などが厳しく規定されたものに限定されている。そんな大事なものの名前を勝手に使うんじゃない!」だそうです。「え〜、名前なんかどーでもいいじゃん」と日本の業者が言ったかどうかは知りませんが、しばらく経ったらシャンメリーとかなんとかの名前に変わっていました。三倍に薄めていろいろ足しても「日本酒」の国だったからなあ(過去形ですよね? それとも今でもやってるのかな)。
 今は日本が他の国に「ホンダとかヤマハとか、勝手に使うんじゃない」と言ってるのですから隔世の感がありますが。
 
【ただいま読書中】
シャンパン歴史物語 ──その栄光と受難』ドン&ペティ・クラドストラップ 著、 平田紀之 訳、 白水社、2007年、2600円(税別)
 
 シャンパーニュ地方は歴史的には血塗られています。著者がまず訪れた古戦場は、451年フン族のアッティラと西ローマ帝国・ガリア人・西ゴート人・フランク人との戦い(一日で20万人死亡)のあとです。百年戦争・三十年戦争・一連の宗教戦争・フロンドの乱・ナポレオン戦争・スペイン継承戦争なども当初はシャンパーニュで戦われました。世界中が幸福と友情の証とみなす特別なワインの地は、地上で最も苛烈な戦争の場だったのです。
 シャンパーニュでブドウが栽培されるようになったのは、紀元前古代ローマ時代です。初期のシャンパン(シャンパーニュ地方のワイン)は赤ワインでした。キリスト教に改宗したフランク人クローヴィスがゲルマン人に勝利してランスで戴冠したときに祝宴で飲まれたのがその「シャンパン」でした。以後、ほとんどすべてのフランス国王はランスで戴冠式を行いシャンパンで祝宴を張るようになります。
 1668年ドン・ペリニョンという僧がオーヴィレーヌ修道院の執務長に任命されます。彼は戦乱で荒廃したブドウ畑を再建し、「ワイン作りの黄金律」とも呼ばれる手順書を確立します。それは当時の伝統的なワイン作りには反するやり方でしたが、そのおかげで現在のシャンパンの基礎が築かれました。ただし、当時「泡立つワイン」は不良品でした。ドン・ペリニョンはなんとかその泡を除こうと苦心しますが結局成功しませんでした。また、当時は赤ワインが人気だったので「シャンパン」はつまりはほとんど赤ワインでした。“太陽王”ルイ十四世はその「シャンパン」が大好物で、それによりシャンパーニュの繁栄が約束されます。ただし宮廷内には“ブルゴーニュ派”もいて、王をはさんでの確執は、国全体での論争となります。ところがルイ十五世になって風潮が変化します。ポンとコルクを飛ばす発泡性ワインが人気となったのです。それも各国の宮廷で。シャンパーニュでは、製造の困難さに挑戦して(瓶が破裂する事故が多くありました)発泡性ワインの大量生産にとり組みます。そして次の時代、陸軍幼年学校時代のナポレオンが生涯の友情を結んだのがワイン商ジャン=レミ・モエでした。ナポレオンの出世と共に、革命と恐怖政治で荒廃していたシャンパーニュは復興します。ナポレオン戦争でフランスに侵攻した各国軍はシャンパーニュも掠奪しますが、結局シャンパンの味を覚えて帰ります。
 パストゥールが発酵の秘密を解明し、泡を失わずに澱を除くルミュアージュ(動瓶)が導入されます。1860年代には「シャンパン」が辞書に収録されました。シャンパンを真似て各地でもスパークリングワインが作られるようになりますが、それはかえってシャンパンの名声を高めるだけでした。
 普仏戦争でシャンパーニュ地方はまた荒らされますが、そこに「辛口シャンパン」が登場します。それまでのシャンパンが発酵過程で加糖されて甘口に作られていたのに対し、完熟粒よりのブドウを用い寝かせる時間を長く取ることで加糖せずに発酵させた“新製品”です。1874年、辛口シャンパンの人気は沸騰します(この「ブリュット'74」を作ったルイーズ・ポメリーは、亡くなったとき準国葬扱いでした)。そして偽ブランドのラッシュが始まります。さらにシャンパーニュで他の地方(国)の安いブドウの使用が横行。19世紀末にはブドウの害虫フィロキセラが襲来し、1910年には悪天候もあり収穫はほとんど皆無でした。ブドウ栽培者によるデモ・暴動・内戦状態……軍隊が出動し内閣が二つ潰れます。さらに第一次世界大戦勃発。シャンパーニュは最前線となり、ブドウ畑に独仏両軍の塹壕が掘られ人びとは砲撃を浴びながらブドウを摘み、1051日間毎日砲撃され続けたランスの人びとは石灰岩の洞窟のシャンパン貯蔵庫で生活します。だからこの地方で「大戦」とは第二次ではなくて第一次のことを指すそうです。そして害虫は生き延びていました。「敵」に対しては一致団結するしかない。関係者はそれまでの不和を棚に上げてブドウの木を植え替え、シャンパン製造に関する一連の法律が制定されます。しかし、大恐慌ともう一つの大戦が…… 政治・経済・災害・戦争・害虫、様々なものから生き延びて今のシャンパンがあります。
 
 シャンパントリビア。一本のシャンパンがシャンパーニュで製造されたワイン40種類の精妙なブレンドである場合がある。アメリカ禁酒法時代、アメリカに(密)輸出されたシャンパンはそれ以前より増えた。しかも関税を払わず値段が高くなるというおまけ付き。フランス語でシャンパンは男性名詞、シャンパーニュは女性名詞。
 
 
6日(土)物入りバイク
 最近バイクにやたらとお金がかかるようになってきました。と言っても、タイヤの交換は絶対必要だし、バッテリーの交換も仕方ないっちゃ仕方ない。とはいえ、毎回万札が飛んでいくのは痛いの痛いの飛んでいけ、ってなもんです。で、今回はケーブルが一本切れました。ブレーキとかアクセルのではなくて、トランクを開けるためのケーブルです。私のスクーターは座席がぱかっと開いてその下の空洞にヘルメットをしまえるようになっています。別にそこが開かなくてもヘルメットを持って歩けばそれでとりあえずは良いのですが、問題はオイル給油口もそのトランクの中にあること。分離給油式の2サイクルエンジンは、オイルが切れたらエンジンが焼きつきます。幸いオイルは一杯に入れたばかりなのでたぶん年内は保つとは思いますが、それでもオイルが切れてからあわてるのはいやなのでしぶしぶ修理に出しました。ケーブルは安いのですが、ロックを解くキーがハンドルについているので、ハンドルからボディを全部開ける工賃が高くついて結局また万札が千円札を子分に引きつれて旅立って行かれました。帰ってこーい。まだ6年目なんだけど、修理費だけで中古の原付が買えるくらいお金がかかっているような気がします。だからと言って新品に買い換えるお金は無いし……もう(しばらくは)壊れませんように。なんか良い呪文はないですかね。月3万のお小遣い生活者には、万札が飛んでいくのは痛すぎるのです。富んでいくのだったら良いのになあ。
 
【ただいま読書中】
ペンギンのABC』ペンギン基金、河出書房新社、2007年、1800円(税別)
 
 ペンギン好きがよってたかって作り上げた、という感じのABC本です。造りはオーソドックスで、見開きの左にAからZまで各項目別の本文、右にそれに対応する写真や絵が配置されています。ただし、単にペンギンの写真をながめてうっとり、とはちょっと違います(もちろんそういった写真も多くあるのですが)。例えば「W」の項目は3つあるのですがその一つは「悪(わる)のペンギン」。どんな内容なんだろうって、想像力を刺激されません? 「Q」はクイズが並んでいます。そこに載っている間違い探しクイズの絵が一部改変されて本書のカバーに印刷されているのが笑えます。「B」はバス停です。ペンギンのマークがついたボックス式のバス停ですが、さて、これはどこにあるでしょう? いや、あんな所にバスが走っているとは知りませんでした。
 コレクションも紹介されています。「M」はマッチラベル。ペンギンが印刷された珍しい古いマッチのラベルです。「K」は切手。16種2亜種のペンギンを切手で全制覇しようというコレクションですが、各国のを集めても残念、一つだけ取りこぼしがあります。さて、それはどのペンギンでしょう?(正解はハネジロペンギン。特定の島にしか生息しない固有種のペンギンでもちゃんと切手があるのにはかえってあきれてしまいます)。{R」のレアものとか「T」の宝物では、いかにも「自分は貴重なものを持っているぞ」と自慢したい雰囲気がぷんぷんです。でもほほえましい雰囲気です。ペンギンはここまで熱中できる魅力的な生き物なんですね。
 
 
7日(日)中国語で就職
 この前NHKで「日本で就職できないので、派遣社員として中国で仕事をしながら常勤として就職できるチャンスをつかもうとしている人」の特集をやっていました。慣れない環境で大変だろうけれど頑張っているんだなあと思いながら見ていたのですが、気になったのが「中国語を勉強して、それを武器として中国企業(あるいは中国に進出している日本企業)に常勤として雇われたい」と何人もの人が口にしていたことです。
 ちょっと待って。ことばはたしかにできないよりできた方が良いでしょう。特に中国で生活するのなら中国語は必須のアイテムと言っても良いでしょう。でもそれは就職の絶対的な決め手でしょうか。たとえば視点を逆転させて、私が日本にある企業の採用責任者だとしたら、中国人がやってきて「私は日本語ができます」と主張しても、それだけで無条件に採用はしません。「その日本語で何がしたいのか、何ができるのか」を問うでしょう。逆にその人が日本語ができなくてもこちらが通訳をつけたらものすごく価値のある仕事をする人だと納得したらそのためのコストと手間は支払うでしょう。中国でもそれは同じことだと思うのですが。
 「中国語さえできるようになったら」とレッスンに励む姿を画面で見ていて、手段と目的の混同があるのではないか、と言うのは人として冷たすぎますかね。
 
【ただいま読書中】
キーパー』原題:Keeper マル・ピート 著、 池央耿 訳、 評論社、2006年、1500円(税別)
 
 2日前にサッカーのワールドカップを獲ったばかりの「史上最高のゴールキーパー」エル・ガトーのインタビューが始まります。独占インタビューに喜んだスポーツ記者パウル・ファウスティノは新聞の見出しの構想を考えながら、まず生い立ちを聞きます。
 ガトーは南米のジャングルの奥地で育ちました。サッカー以外に娯楽のない小さな林業の町で彼もサッカーを始めましたが、才能はゼロ。ひょろ長い手足を持て余し、ボールはきちんと扱えず、内気な性格も克服できず、13歳の時サッカーをあきらめます。やることがなくなったガトーはジャングルに分け入ります。毒蛇や野獣や有毒植物や、そして亡霊が徘徊しているという危険な場所へ。ジャングルの奥でガトーが見つけたのは、あるはずのない四角い空き地、いや、サッカーグラウンドでした(あり得ません。トウモロコシ畑の中の野球場ではないのですから)。そしてそこにいたのは明らかにこの世の存在ではない「キーパー」でした。そこでガトーは「キーパー」からサッカーを教わり、いや、厳しい訓練を受けます。毎日毎日2年間。シュートコースの予測・フォワードの心理と体の動きを読むこと・その読みを外れた想定外の出来事にも即座に対応すること・ゴールを攻撃的に支配すること・自分の心を支配すること……ガトーは心身ともにめきめきと成長します。ひょろひょろの体はがっしりとし、キーパーに「お前はジャガーか鹿か」と尋ねられて「ジャガー」と即答できるまでに。
 15歳で学校を卒業したガトーはジャングルの伐採場(父の職場)に就職します。その職場での草サッカー(実態は喧嘩サッカー)でガトーは華々しい“デビュー”をし、それまで「シグェーニャ(コウノトリ)」と嘲られていたのが「ネコのエル・ガトー」と尊敬をこめて呼ばれるようになります。その身のこなしはまさしくジャガーだったのです。
 そして「キーパー」との訣別。何も変わらない死の世界に住む「キーパー」が生の世界に住みこれからも変貌し続けるであろうガトーに与える訣別の辞は、痛切です。亡霊には亡霊の苦しみと悲しみがあるのです。同様に、広い世界に出て行く息子をなすすべもなく見送らなければならない両親の思いや伯父フェリシアーノ(この人が出番は少ないのですが実に魅力的な人物造形です)のガトーに対する思いやりと行動。訳者は「脇役の彫りが深い」と表現していますが、まさにその通りです。
 プロデビュー、成功とイタリアへの移籍、そして、父の死。インタビューは続きます。そして二日前の試合をガトーが解説します。これがまた迫力満点。草サッカーの場面も含めて、本書で語られる試合の臨場感はすべてタダモノではありません。ドイツとの決勝戦、延長も同点で迎えたPK戦。一本一本敵味方のシュートをガトーは嬉々として解説します。特にビデオをコマ送りにして解説するシーンでは「そんなのあり?」と言いたくなります。PK戦も同点でサドンデスの延長。ぎりぎりで追いついて意気上がるドイツに対して意気消沈気味のガトーのチーム。そのときキッカーに名乗り出たのは、ドイツのセンターバックと……
 インタビューの終わりに、ガトーは「今まで話したことは新聞には載せるな」と突然言い出します。ファウスティノは頭を抱えます。しかしガトーは代案を示します。インタビュー内容を『キーパー』という本にまとめることと、新聞用にはもう一つ特ダネを提供することを。
 
 しっとりとしたゴースト・ストーリーであり、わくわくするスポーツ小説であり、泣ける家族愛や友情の物語でもあります。これが著者の第一作だそうですが、次作にも期待。
 
 
8日(月)氏神様の火事見舞い
 以前の居住地近くの神社が火事になって、江戸時代からの本殿が全焼してしまったというニュースが先日報じられました。ショックです。20世紀には節目節目にはお参りに行っていた(元)氏神様なのですから。
 今日一家で火事見舞いに行ってきました。敷地には立ち入り禁止なので、石段の下から参拝しました。山上からかすかに焼け跡のにおいが降りてきます。私の人生は火事にはあまり縁がないのですが、中学校が焼けたときにこのにおいをたっぷり嗅いだ覚えがあります。(余談ですが、この火事は授業中。実はその1週間前に避難訓練をやったばかりだったのですが、非常ベルは鳴らず、天井を煙が這ってくるのに気づいた教師が「皆逃げろ!」と怒鳴って我々生徒はわっと逃げる、というのが“現実”でした。避難訓練なんて“そんなもの”だ、ということを私はあの時学びましたっけ。これは記憶ではなくて、直後に記録を残しているので自信を持ってここにも書けます)
 引き返そうとすると、「受付は氏子会館で」と貼り紙がありました。そちらに向かうと七五三の着飾った親子が歩いています。ご神体はよそに移してそこで拝んでもらっているのでしょう。火事見舞いの記帳をして本当にわずかですが志を包んできました。
 火事直後には不審火だと聞きましたが、大切なものが暴力的に失われていくのにはやりきれない思いです。
 
【ただいま読書中】
築地魚河岸猫の手修行』福地享子 著、 講談社、2002年、1500円(税別)
 
 魚で区別できるのはイワシとアジだけ、「朝9時に」との約束に「そんなに早い時間には起きられない」……そんな人が築地市場の仲卸「濱長」という店で働くことになりました。仕事はチラシ作りですが、市場の魅力に引き込まれ、とうとう魚を実際にさわるようになってしまいます。本書は、そんなフリーランスの編集ライターが、2016年までに豊洲に移転することになった築地市場を、記憶ではなくて記録で残そうと書いた本です。
 とはいっても著者はすんなり市場にとけ込めたわけではありません。はじめはうろうろ邪魔ばかり、魚を触れるようになっても失敗ばかり。トロ箱一杯の小アジをおろす特訓を繰り返し、市場に出入りする様々な専門家のアドバイスを聞き、数年経った頃には著者も「猫の手よりはましになった(手伝いができるようになった)」と言われるようになります。
 
 築地の魚河岸は、正式には東京都中央卸売市場築地市場水産部。一般人も買い物できる「場外」とプロ相手の「場内」に分けられますが、広さは場内だけで約7万坪、東京ドーム6つ分の広さに約900軒の仲卸が営業しています。歴史は古く、江戸時代初期に日本橋に魚河岸が作られたものが大正の大震災で損害を受け、築地に移転して今にいたっています。
 築地市場には蛇口が二種類あります。都の上水道と濾過した東京湾の海水の水道です。普段は海水の方が出しっぱなしになっているそうです。氷も大量に消費されます。夏など一日に100kgくらい。面白いことに、大正時代に日本橋の魚河岸で初めて氷が使われるようになったときには「氷詰めの魚は不味い」と卸した先から突き返されることもあったそうです。氷がない時代には、とにかく早く売るか、生け簀で生かしておいて活魚で売るかですが、この活魚は江戸時代初期から始まっているそうです。日本の伝統? 著者は『江戸名所図絵』を開き、現在の築地にも意外に“江戸”が残っていることを知ります。
 魚河岸の季節は、水の冷たさと、入荷する魚の種類でわかります。たとえば「光りもん」のアジもイワシも秋になったら脂が落ちてきますが、そこに登場するのがサヨリ。その頃にはサンマとサバも交代します。
 単に市場内の魚のおろし商売の話だけではありません。にぎり鮨がかつての塩や酢でしめたり煮物にしたりの一手間かけていたものから、生魚中心になったことによって、生で美味い高級魚が人気の中心になってしまい、本来は手間さえかければ美味しく食べられる安い魚がかえりみられなくなっている風潮を、著者は嘆きます。鮨屋に入るなり「トロトロ大トロ、ウニウニ生アワビ」と連呼するのは、魚を愛しているプロから見たら、実は贅沢なのではなくてただ粗雑な魚の食べ方なのかもしれません。別に「玉子から注文するべき」とまで言う気はありませんが。
 
 
9日(火)音楽コンクール
 連休最後の昼間、ザッピングをしていたらNHK教育で中学合唱コンクールをやってました。そうそう、マイミクさんの息子さんが参加しているんだよな、と見ていたら、ふうむ、お母さんと口許が似ているかな?という風貌です。よく考えたらそのマイミクさんとお会いしたのは十年前なんだからもう記憶はおぼろなんですが。
 私も、中学の合唱ではありませんが、属していたクラブが何の間違いか県大会で金賞を獲ってしまって(関東とか中部とかの)地区大会に進出してしまったことが一度だけあります。明らかに場違いというかレベル違いなのはわかっていましたがめったにない経験だからとみなでお出かけしました。残念ながらその経験は私の人生の糧にはなっていないようですが、それでも何も知らない人には自慢できるネタではあります。私にとっては会場内での記憶よりも、会場近くのロシア料理店で昼飯にビーフ・ストロガノフを食べたことの方が大きな記憶ですが(いや、とっても美味しかったの)。
 
【ただいま読書中】
あらしの前』ドラ・ド・ヨング 著、 吉野源三郎 訳、 岩波少年文庫2127、1951年(95年14刷)、631円(税別)
 
 「十代の おかだ に大きな影響を与えた本百冊」を選ぶとしたら確実にランクインする本です。
 
 オランダ「レヴェル・ランド」に住むオルト一家には、つい最近赤ちゃんが生まれて六人兄弟姉妹になったばかりです。18歳の長女のミープはアムステルダムから出産の手伝いのために戻っています。田舎では誰しも戦争に関しては楽観的ですが(「そこまでドイツ人も間抜けではないだろう」「オランダ軍は強いぞ」)、アムステルダムで得た情報から彼女はドイツが侵攻してくるかもしれないと真剣に心配しています。しかし周囲はそれに対して「戦争ヒステリー」扱いです。次男のヤンはフットボールやホッケーやスケートに夢中で学校は落第寸前ですが、父親の仕事(夜間の急患)の手伝いをしていて「医者になって父親の跡を継ぎたい」という自分の強い思いに気がつきます。もう時間を無駄にすることはできませんが、“勉強をしない”習慣は根強く本人は悩みます。妹のルトはヤンの願いをかなえたいと何か手伝えることを考えます。遠くに暗い影の気配はありますが、でも楽しく平凡な日々が続いています。子どもたちが木靴ではなくてゴム長や革靴を履くようになったことに大人たちは「オランダの伝統が」と真剣に心配したりしています。
 しかし戦争は一家に確実に少しずつ近づいています。はじめはニュースや噂話で。次にドイツから逃げてきた男の子ヴェルネル(ユダヤ人亡命者)の形で。アメリカのビザが出るまでオルト一家のもとに留まることになったヴェルネルに真の居場所はないように見えます。しかし長男ヤップといるときにはヴェルネルの心も安らぐようです。ピアノやオルガンが得意なヤップはヴァイオリンが弾けるヴェルネルと合奏をします。
 クリスマス。オルト家を訪れたサンタクロースは、ミープがアムステルダムから連れてきた“友達”マルテンです。ミープはマルテンとの結婚を考えているのです。一家全員が贈ったり贈られたり意外なところに隠されたプレゼントを探し回ったりの大騒ぎ。そして一家揃ってアムステルダムへのお出かけ。楽しい日々はいつまでも続くように思えます。しかしドイツの侵攻に備えてすべての公務員の休暇は取り消されます。そして……オランダの中立を踏みにじる戦争がついに。ナチスドイツ軍は「こんな田舎だから大丈夫」と防空壕の準備もしていない村にまで爆弾を投下します。全土に落下傘部隊が降下し、ロッテルダムは空襲されて三万人が死亡したとの噂が流れ、ユダヤ人を中心に多くの人がオランダから脱出しようとします。
 
 本書で一番の名役者は、下から2番目、5歳のピーター・ピムでしょう。彼がしでかす様々な悪戯や悪気のない発言やその結果起きる騒動には、こちらは腹を抱えて笑ってしまいます。彼は「平和なオランダ」の象徴でもあります。
 そして本書の最後、政府がドイツに降伏したことを知り「人類と正義に対する信仰」を強く信じることで生き抜いていこうと決意する一家の姿に、平和ぼけしたこちらは心を打たれます。(本書が発表されたのは1943年のことです)
 
 
10日(水)詐欺師の見分け方
 詐欺師は人を騙すためには怪しまれたり嫌われたら困るのですからきっと愛想は良いでしょうね。。だったら逆は真で、愛想の悪い人はきっと詐欺師ではない……かな?
 ただ、今回の円天騒ぎを見ていると、「あんなに胡散臭い話(と風体)に欺されるのか」とは思いますが、話の一部だけを切り出したニュースではわからなくて、あの話に最初からつき合っていたら“洗脳”されてしまうのかもしれません。なにしろ相手は人を欺すプロ。でもこちらは欺されるプロではなくてアマチュアです。アマチュアはプロには勝てませんよね。
 
【ただいま読書中】
あらしのあと』ドラ・ド・ヨング 著、 吉野源三郎 訳、 岩波少年文庫2128、1952年(95年13刷)、631円(税別)
 
 『あらしの前』から6年経ちました。戦争が終わってもう1年、でもオランダの人々の生活は戦争ですべてが変えられてしまっています。もちろんオルト家もそうですが、おかあさんは「何でも戦争のせいにするのはもうやめよう」とキッパリ家族に言い渡します。自分の行動には自分が責任を取るべきだ、と。だけど……それは難しいことです。何をするにしてもどちらを向いても、必ず「戦争」に出くわすのですから。
 一家に居候していてきわどいところでイギリスに脱出できたユダヤ人少年ヴェルネルが帰ってきます。アメリカ軍兵士の姿で。みなの会話の中で、戦争中の一家の生活が見えてきます。飢餓の冬をどうやって生き延びたか、小学生のピムまでがレジスタンスの手助けや食料調達の活動をしていたこと、そしてヤップやヤンも抵抗運動をやっていて、そのためにヤンが死んでしまったこと。ヴェルネルはヤンの死を悲しく受け入れます。同時に、一家があまりに貧乏になっていること、PXで買った10セントのピーナッツバターにルトが大喜びし、戦争直前あるいは戦争中に生まれた子はピーナッツバターの存在さえ知らないことに、愕然とします。戦前にはあんなに豊かで静かで幸せな一家だったのに。
 ヴェルネルがルトと気分転換に出かけたアルネムは廃墟の町となってました。そこでヴェルネルはドイツ時代の旧友クラウスと再会します。クラウスが絵を描く姿を見て、ルトのスケッチを描きたい気持ちに火がつきます。クラウスはルトの才能を認めます。それはルトにとって、かつてルトの才能を認めたヤンの再来でした。そしてオルト一家にとっては、ヤンの音楽とルトの絵が戦争で破壊されてしまった一家の生活の再生と希望の象徴となることを意味していました。それに乗せられるように、弟のピムも“子どもの生活”に戻ろうとします。まずは野原で闇屋に売るためのウサギ獲りからフットボール遊びへの転向ですが……ボールはどこ?
 
 本書には重いテーマがいくつも登場します。
 自分の国土が戦場になった経験があまりないアメリカ国民に戦場になった国の悲惨さが本当に伝わるだろうか、とヴェルテルが考えるシーンは、著者が住むアメリカに対する強いメッセージを感じます。
 あるいは、幼いロビーが、ナチスに反対して強制収容所に入れられて危ういところをアメリカ軍に救出されたドイツ人の前で「ドイツ人はきらいだ。やっつけてやる」と言うシーンでは、こちらの胸が詰まります。(ロビーにとっての)お祖父さんが繰り返し「ドイツ人のすべてが悪いわけではない」と言っているのに、ロビーにとって自分の不幸のすべての元凶は「ドイツ人」なのです。そしてその“確信”を強化するのは、その意見を常に口に出す周囲の大人たち。自分の不幸は他人のせい……それは、戦争の場合簡単に“間違い”扱いできません。だけどその意見に固執する限り、ではどうすれば幸福になれるのか、の解答が見つけにくくなってしまいます。だって幸福はどこかから宅配便で届けられるものではないのですから。
 著者からの重い重い問いかけです。
 
 
11日(木)天下一のクリーナー
 私にとって「天一」と言えばまずは徳川の「天一坊」ですが、二番目は「天下一品のラーメン」です(天ぷら屋の屋号としても各地にありそうですね)。最近マイミクさんの日記で天下一品の話を読んで、ここ1年ばかり食べていないことを思い出したものですから、早速行ってきました(マイミク日記は実に影響力大なのです)。
 ドンブリが小さく見えました。食べ終えて胃袋に聞いてみたら量は変わらない、と言ってましたから、これは最近よく行っている博多ラーメンの店のドンブリが大きいからそう感じるだけでしょう。それと、ちょっとスープの味、というか、舌触りが変わったように感じます。以前はもうちょっとざらざら感が舌に残ったのですが、今回はあまりになめらかでクリーミー。さらに以前はもう少し辛味が効いていたと記憶しているのですが、なんだか上品になったような。天下一品が変わったのか、それとも私の舌が変わったのか、単に記憶が変質しているだけなのか、何はともあれ美味しく頂けたので満足です。
 なんかイベントをやっているそうで、くじを引いたら携帯のクリーナーストラップ(4番)が当たりました。今付けているクリーナーストラップはもう長く使っているので、早速交換。しっかり天下一品の宣伝をしてあげましょう。ただこれ、ちょっとヒモが短いなあ。
 
【ただいま読書中】
北京 ──皇都の歴史と空間』倉沢進/李国慶 著、 中公新書1908、2007年、840円(税別)
 
 中国古代文明の舞台となった中原から見て、北京の位置は辺境でした。ただし交通の要衝ではあります。紀元前12世紀、周の建国に伴い、現在の北京の位置に燕国の都薊城が置かれました。秦の始皇帝による中国統一以後、薊城は東北に対する前線基地となります。ところが、遼や金という北方民族支配が、北京の地位を向上させます。北方王朝は複数の都を君主が巡狩する風習を持ち、遼では北京はその一つ(陪都または副都)、遼と北宋を滅ぼした金では首都(名は中都)となったのです。戸数はなんと二十二万戸。大都市です。金と南宋を滅ぼした元は、中都の名前をまず燕京に戻してから、その東北に統一王朝の首都として大都を建設します。これが現在の北京の起こりです。
 古代中国では北風は嫌われていました。「風」は病気(邪気)を運んでくる、と言われもしました(「風邪」ということばが現在も残っていますね)。したがって、北風を遮ってくれる山が北にあり、しかも南が開けていて日当たりがよい地は「祝福された土地」なのです。さらに人が生きていくためには水も必要です。こうして見ると、風水もけっこう合理的な考え方から作られたように思えます。今の風水はずいぶん“ご先祖様”からは離れてしまっているようではありますが。北京の位置も、風水で見る限り理想的です。『東方見聞録』(マルコ・ポーロ)には「中都の東北1マイルに大都が築かれた。大都は正方形で周囲は24マイル」とあるそうです。土で造られた四周の城壁は高さ30メートル。門は12。門の外には場外街があり、それぞれ繁栄していました。やがて元は衰え明が興隆します。大都を占領した明の軍勢は、元の建物をことごとく破壊してしまいました。明の太祖洪武帝は南京に都を置きますが、その没後の内戦を制した永楽帝は都を大都改め北京城に戻します。元の後宮を取り壊したあとには人工の山が築かれました。現在の景山です。永楽帝は北京城を南に拡張しました。こちらはもともと庶民の人口密集地区で、だから北の計画的な碁盤目状の街路とは違って、南はごみごみしているのだそうです。そして清があっさり北京を占領します。著者は「居抜き」と表現します。清の時代に宮殿のほとんどは火災で失われましたが、清は明の建物の位置や構成を変更しませんでした。ですから現在の故宮は「明の時代からのもの」とそっくりなのです。
 欧米列強や日本による侵略や植民地化、太平天国・義和団などの乱、辛亥革命、共産党革命……長いこと姿を変えなかった北京は近代になって大きく姿を変えました。新中国による天安門広場の構築です。さらに、天安門広場を通って北京を東西に貫く街路、長安街が建築されます。さらに社会主義国家にふさわしい都をと様々な建物が次々建築され、現在の姿に近づいてきます。
 あとは現代の北京について。都市戸籍と農村戸籍の話とか、北京での「単位」(共同体)の話とか、それなりに面白い話が後半に登場しますが、私はあまり興味をかき立てられません。歴史について読んだだけでお腹いっぱいです。
 本書の最後は北京オリンピック。オリンピック会場は、北京を南北に貫く中心軸を北に伸ばした延長線上に設けられます。かつては「天子は南面す」(古代中国では北極星は天子の象徴)でしたが、現代では「オリンピックが南面す」なのですね。
 
 
12日(金)うらはらことば
 「どうかした?」「ううん、なんでもない」……なんでもない? 本当に何でもないときではなくて、何かあるときに限って発せられることばです。
 トラブルになったときにうろたえて言う「どうしようどうしよう」……多くは何かをするためではなくて何もしようとしないときに発せられます。そこからの派生語に回りに向かって漠然と発せられる「ねえ、どうしよう(あるいは「どうしたらいいの?」)」がありますが、それに対してたとえばあなたが何かアドバイスをしても「え〜、それは……」などと何かそれをしないための理由を見つけることに夢中になって、そもそも自分からアドバイスを求めたことは都合良く無視されてしまいます。「だったら最初から聞かなければいい」と言ったら冷たいと言って非難されます。
 
【ただいま読書中】
土佐日記(全)』(ビギナーズ・クラシックス)
紀貫之 著、 西山秀人 編、角川ソフィア文庫、2007年、590円(税別)
 
 むかしむかし、男性官人が公務で旅する日記は漢文で書かれるものでした。ところが、土佐国司の任期を終えた紀貫之は、冒頭で「わたしはおんなよ」と宣言した上で55日の旅日記を全編ひらがな(女手)で書いています。編者はそれを「お笑い芸人のなんちゃって女装(コスプレ)」と言います。……『土佐日記』はお笑い文学だったのか? まあ読んでみましょう。
 初っぱなからダジャレです。「22日:船旅なのに馬のはなむけ(餞別のこと)だぁ」「23日:塩海だから魚はあざる(腐る)はずがないのに、別れの宴で酔った人があざれ(ふざけ)あっている」「24日:漢字の「一」さえ書けない人が(酔って足を組んで)「十」の字を書いている」……何日酔いでしょう? さらにその後、新任国司からの送別の宴が二日間続くのです。船出できたのは27日です。
 京に帰る喜びにはしゃいでいた面々ですが、一転筆調は真面目になります。土佐在任中に死んだ前国司(紀貫之本人)の子を思って家族は皆涙するのです。
 船出しても名残を惜しむ人が追いかけるものだから、船はなかなか進めません。28日にはやっと8キロほど進んで、そこで悪天候のため1月8日まで足止めです(風が吹いたら波が立って危ないし、風がないと漕ぐしかないからろくに進めないのです)。正月の支度もしていないため、押し鮎(鮎の塩漬け)をしゃぶっているのを「鮎の口を吸う(キスをする)」と冗談を言い合う一行です。当時の「女」がそんな日記を書いて良いのかなあ。
 この日記には、無神経な人間に対して一行が徹底的に冷たくするシーンも登場します。送別の宴で一行の前途に白波(悪天候や海賊も意味する)が立つ、という歌を贈った人に対して、一同は口ではその歌を褒めますが当然するべき返歌をしません。みごとに知らんぷりです。日記全体では実にまめに個人名が登場しますが、ここでは「え〜っと、誰だったっけ?」と名前も忘れたふりです。いやあ、京都人ですなあ。
 やっと船が進み始めますが、こんどは船酔いと夜間航海の恐怖が都人を襲います。動いたら動いたで大変な旅です。平気なのは楫取(かじとり)や水夫だけ。彼らはのんきに舟歌などを歌っています。編者が計算すると、船の速度は歩くより遅い。一体どんな船だったんでしょう? 
 下ネタも出てきます。船上での用足しで、陰部をむき出しにすることを「ほや(男根)に取り合わせる貽鮨や鮨鮑(女陰)を海神に見せつける」……まあ、なんて風流な表現だこと。内容は風流ではありませんが。風流な表現だったら、和歌の方ですね。京とは違って海から昇る月を見て、仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の「天の原」を「青海原」に改変して紹介してみせるという粋なことをしています。ちなみにこの日の日記の末尾「都にて山の端に見し月なれど波より出でて波にこそ入れ」は後撰和歌集に「貫之作」で収載されているそうです。「女」偽装は当時から見破られていたんですね。
 一月二十一日にやっと室津(室戸)を出発。一行はこんどは瀬戸内海の海賊を心配しはじめます。当時の瀬戸内海は海賊の巣で、紀貫之帰京の翌年、承平六年に海賊追捕の宣旨を受けた紀淑人が地方豪族藤原純友を海賊退治に用いますが、結局それが純友の乱につながるのです。三十日には、海賊を避けるために阿波の海峡(鳴門海峡)を夜間突破です。危ないです。でも、船に乗ってから39日目、やっと和泉の国に到着。もう歩いてでも帰れます。しかし淀川は渇水。京は目の前なのに、船は行きません。船の行かざる、いかんすべき、ですな。二月十六日にやっと入京。口さがない人目を避けるために夜になるのを待って一行は屋敷に向かいます。南国土佐を出てから五十五日です。荒れ果てた屋敷の庭に、成長し始めたばかりの小松の姿を見つけた著者は、この屋敷に帰って来れなかった亡児の姿を思います。
 あれれ、こんなにしっとり終わっちゃうの?
 
 なお、本書は本来は「土左日記」だそうです。
 
 
13日(土)私捨てない人
 先日町内清掃をやっていて思いました。ゴミのポイ捨てに関して人は四種類に分別できる、と。
1)ポイ捨てをする/ポイ捨てされたゴミを拾う
2)ポイ捨てをする/ゴミを拾わない
3)ポイ捨てをしない/ゴミを拾う
4)ポイ捨てをしない/ゴミを拾わない
 
 1)の人はたぶんあまりいないでしょうね。で、4)の人は自分が「ポイ捨てをしない」ことを以って良しとしているかもしれませんが、3)の人から見たら「ゴミを拾わない」点で2)の人と同類に分別されているかも。
 
【ただいま読書中】
海ゴミ ──拡大する地球環境汚染』小島あずさ/眞淳平 著、 中公新書1906、2007年、820円(税別)
 
 まず紹介されるのは、世界遺産「知床」、その中でも特別に保護されている知床岬です。著者らが見た浜辺は漂着ゴミが堆積し、その上をヒグマが歩いていました。ゴミに埋もれた浜辺の写真は、けっこうショッキングです。目立つのは、漁網・ロープ・フロート・ペットボトル・空き缶・プラスチックの小片……漁業用具(最初の三つ)は、近くの定置網が劣化して切れたものが流れ着いているらしいことがわかりましたが、他のものは北海道内外から広く集まってきています。もちろん人びとは手をこまねいているわけではありません。自治体・NGO・住民ボランティアなどが定期的に清掃活動をしていますが、参加者の安全確保(悪路とヒグマ)も大変ですし、何より、やってもやってもいたちごっこなのです。
 次は対馬です。対馬市北部の越高海岸は一面発泡スチロールに覆われています。ひどいところでは厚さ1メートルくらい。それ以外に、ペットボトル・空き缶・漁網・プラスチック片・コード・サンダル・注射器……冷蔵庫が流れ着いたこともあったそうです。離島でのごみ回収は本土とは別の困難さを持っています。高齢者が多く、行政による回収制度も整備されていません。法律(「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」)に定められた処理施設は遠く、コストも馬鹿になりません。2006年の「第一回日韓学生つしま会議」では、四日間のゴミ回収・運搬だけで600万円かかっています。
 瀬戸内海、淡路島のすぐそばの成ヶ島(なるがしま)は、希少種のアカウミガメの産卵場として知られています。ところが、海流の関係か、瀬戸内海のゴミもその浜辺を目指して集まっているのです。写真を見たらことばを失います。人が歩くのも困難なくらいのごみの量です。これではウミガメは産卵できません。ここで特徴的なのは、各地のゴルフ練習場のボールでしょう。調査すると、兵庫県・大阪府・奈良県などの、ため池に向かってボールを打つ練習場のボール(水に浮くように作ってある)が池から流れ出て成ヶ島に集まっているのです。さらに2006年頃から注射器が目立つようになってきました。回収する人がその針に刺されて病気をうつされる、なんてことも考えられます。
 東京からは江戸川区・中提がエントリーです。荒川河口から1キロほど上流、広々とした干潟やヨシ原に大量のゴミがたまっているのです。ゴミの堆積によってヨシが枯れているところも方々にあります。多いのはペットボトルやペレットなどのプラスチックゴミや粗大ゴミです。特に1990年代後半、小型ペットボトルの流通が始まってからペットボトルの漂着が激増しました。また、容器包装リサイクル法によって家電の包装が発泡スチロールから段ボールに移行してから、発泡スチロールの破片が減り段ボールが増えています。
 軽いゴミは浮きますが、重いゴミは沈みます。海岸がゴミだらけなら当然海底もゴミだらけです。底引き網漁では、魚よりゴミの方が多いこともあるそうです。
 さらに、海外からもゴミは流れ着きます。「ライタープロジェクト」(使い捨てライターが浮きやすく国籍も特定しやすいことから調査対象になりました)によって、沖縄〜鹿児島では5割、日本海沿岸では1〜2割が中国・台湾製であることがわかりました。日本海沿岸では韓国製も多く見られます。こう書くとまるで日本が一方的な“被害者”の様ですが、もちろん日本もせっせとゴミを外国に“輸出”しています。
 ゴミは見た目の問題だけではなくて、海洋生物にも深刻な影響を及ぼしています。体に絡まって外部から殺したり、呑み込むことで内部から殺したり。養殖海苔にも、プラスチック片やタバコのフィルター片が混じり込んでいます。業者はせっせと異物除去をやっていますが、これ以上ゴミが増えたらどうなるかはわかりません。モズク・ワカメ・チリメンジャコなどはどうでしょうか。
 
 著者はせっせと海岸をきれいにする人ですが、ただ単に「漂着ゴミをきれいにしたら気持ちよかった」なんて本ではありません。「集めたゴミをどうするんだ」と著者は問います。処理場に運ぶだけだったら、結局ゴミを右から左(海から陸)に移動させただけです。
 また、拾う人より捨てる人の方が多いことも、社会的には問題でしょう。拾っても拾ってもすぐにゴミが漂着するということは、せっせと捨て続ける人が大量にいるということなのですから。そして、そういった状況に無関心な人が非常に多いことも問題であるように私は感じます。
 
 
14日(日)親子関係
 この世には「育児書通りに子どもが育たない」という悩みがあるそうです。私にはそういった悩みがあること自体が不思議です。だって「自分とまったく同じ人間がこの世には存在しない」ことは、生まれてこれまでの人生(家庭・近所・学校・職場・地域……)で皆さんご承知でしょ? 「他の人とは違う人間」が育つ過程をあらかじめ統一マニュアル(育児書)に記載しておくなんてことは私には不可能事に思えるので「育児書通りに育たない」が当たり前。もし「マニュアル通りにきっちり育つ人間」がいたとしたら、それはそれで奇跡的に例外的な存在なんじゃないかしら。
 「個々の人間」ではなくて「親子関係」だったらまだ一般論が記述可能か、と思いましたが、現実はそう甘くはなさそうです。親子関係は「親がどんな人間か」「子がどんな人間か」「親子がどんな環境にいるか」の3つの変数で表現できます。さらに細かく言えば、「親の数」がゼロか1か2か(親以外の他人がかかわる場合は私は「環境」に入れてしまいます)、「子の数」が1からたくさんのどこか、も変数となり、その組み合わせの数は膨大になりますし、さらに親も子も育って変化します。(ところで育児書で「親がどんな人間か」「親が育つこと」を組み入れたものがどのくらいあります?) 図を描いたらすぐわかりますが、多角形の対角線のように、「関係の数」は「人間の数」をはるかに上回ってしまいます。それを一般化する勇気や素朴さを私は持ちません。
 
【ただいま読書中】
「鬼かあちゃん」のすすめ ──鍛えてこそ子は伸びる』金美齢 著、小学館文庫、2004年、533円(税別)
 
 のっけから「実は私は、子ども嫌いである」で始まり、ついで「子どもが善なる存在である、は大嘘」「子どもの権利は制限されて当然」と続きます。論拠は簡単。現実の子どもを見たら「子どもは善」は間違いであることは一目瞭然だから。また、権利の行使には責任の裏打ちが必要ですが、子どもは自分の行動に責任をきちんと取れないから。ですから子育ては、子どもが自分の行動に責任を取れるように成長させることを目的とし、その過程では子どもの意に反したことを強制することもアリ、と著者は主張します。
 ただし、著者は単に子どもに対して厳しいことを言いたいのではありません。著者は大人に対しても厳しいのです。大人は子どもの目標なのですから、きちんと自分の行動に責任を取れる存在でなければならないのです。その点で今の日本には体だけ大きな“子ども”が満ちあふれている、とばっさり。いやあ、耳が痛い。
 ただ、厳しいだけではありません。「人生なんて、初めてなんだから試行錯誤が当たり前。子育ても人生の一部なんだから、試行錯誤が当たり前」とさっぱり言い切られます。ついでに「マニュアル志向と個性の尊重は両立しない」とも。
 本書には「鬼かあちゃん」のエピソードは様々登場しますが、一つ一つのやり方をここで紹介することには意味がないでしょう。それは「その親」と「その子」が「その状況」にいるときに行われた行為であって、違う人が違う状況で行為の上っ面だけ真似ることには意味がないと思えるからです。学ぶことができるとしたら、著者の姿勢や心構えでしょうか。
 著者の中にはしっかりした芯が感じられますが、その芯は小理屈ではなくて美学と合理的な判断とのバランスで構成されています。さらに、著者はあまり強く書きませんが、子どもに対する深い愛情がその芯を包んでいるように私には見えます。さらにさらに深読みするなら、著者の「自分自身」に対する信頼や自信と懐疑とがちょうど良いバランスでそれを支えているのではないか、とも見えます。
 この「美学」の部分が、私の内部の「古風な日本人(昭和時代の雰囲気)」とみごとに共鳴します。たとえば「いじめは卑怯で醜い」と著者は断言しますが、私もそこで大きく肯きます。これはもう、感覚的なもので、四の五の小理屈をこねている場合ではないのです。
 日本では「子どもを甘やかすこと」が伝統です。江戸時代や文明開化で来日した西洋人が一様に驚いたのが「子どもがのびのびと育っていること」でした。昔の西洋社会では、子どもは「不完全な大人」だから厳しく躾ける、が常識でしたから文化的に衝撃だったことでしょう。封建的な社会道徳でがちがちに縛られていたはずの日本で、子どもたちは世界的に珍しい自由を謳歌していたのです。甘やかされた子どもは甘やかされた大人に育つはずです。しかしそこで“バランス”を取ったのが、おそらくは大人を縛る日本の社会規範や「世間の目」でした。日本の厳しい道徳は“子どもっぽい大人たち”にきちんとした社会生活を送らせるための“装置”だったのかもしれません。しかし「近代化」によってそういった道徳は「時代遅れ」となり、捨てられあるいは忘れられ、残ったのは子ども大人の集団だけ。おやまあ。報道される、あるいは私が実際に見聞する「モンスター親」の言動は、ガキが自分の要求を通そうとして地団駄を踏んでいるのと同じです。おやまあまあ。(西洋では逆に、子ども時代は厳しくして自立できる(自分に責任が取れる)“個人”にしてから、あとはご自由に、というのがタテマエのように見えます)
 本書は、単なる子育てのヒント本ではなくて、「人が人に対する態度」「日本の現状」についての本と言えます。鬼の人にも仏の人にもお勧めです。そうそう、あとがきが泣かせますが、これは順番通り本文のあとに読んだ方が良いです。
 
 
15日(月)宇宙に消えた金
 宇宙開発を批判する人の主張の一つに「宇宙に○億ドル捨てて無駄にするより、それを地上で使えば多くの人が救われる」があります。だけど、よくよく見たらその「○億ドル」のほとんどは地上で使われています。宇宙に飛んでいって帰ってこないのはそのほんの一部のさらに一部じゃないかしら。さらに宇宙に関して開発された新技術で、けっこうな数の人間が幸福になっていません? 決して簡単に「無駄」をは言えない気がするのですが。
 
【ただいま読書中】
ファイアウォール』アンディ・マクナブ 著、 伏見威蕃 訳、 角川文庫、2003年、952円(税別)
 
 元SAS隊員で今は英国秘密情報部員のニックが、フリーランスで請け負った仕事でロシアマフィアの幹部を誘拐しようとするシーンがオープニングです。ところがニックが雇った実行部隊の人間がみごとにドジを踏んで企みは失敗してしまいます。
 ニックには父親がわりになっている幼い娘ケリーがいます。親友の娘ですが、一家は惨殺され彼女だけが生き残ったのです。しかし彼女のPTSD治療のための費用が週に4000ポンド。貯金は底をつき、どうしても金が必要です。そこに、さきほどの失敗が縁で大きな仕事が舞い込んできます。フィンランドの田舎、厳重に警備された家にコンピュータの専門家トムを連れて忍び込み秘密のファイルを一つダウンロードして帰ってくるとなんと170万$の報酬という、ニックにはとても断れない仕事です。しかし「その家がオンライン化された翌日に侵入しなければならない」「トムはファイアウォールを破る必要がある」……あれれ、オンライン化されたのならわざわざその家に侵入しなくてもラインを通じて忍び込めばいいでしょうし、その家に物理的に侵入してコンピュータに直接アクセスするのなら外部との防壁になっているファイアウォールを破る必要はないのでは? などと私が疑問に思っている間に、着々と準備は進み(その過程のディテールは本当に迫真のものです。角材と釘と六角レンチと電動歯ブラシが侵入の小道具ですが、どう使うかわかります?)、闇に乗じて侵入しようとしたニックたちは武装したアメリカ人集団と鉢合わせしあっさり捕まってしまいます。ニックは“繊細”に侵入するつもりでしたが、集団は暴力的に中を制圧します。一体何が起きているのか? 手錠を掛けられ何もできないニックは観察に没頭します。このあたりには、実際に敵軍に捕まった経験を持つ著者ならではのリアリティが詰め込まれています。そこにこんどはロシアマフィアの部隊が襲撃してきて、現場は大混乱。ニックの頭の中も混乱します。自分は一体何に巻き込まれたのか、と。
 実はエシュロン(世界的な通信や電子情報傍受システム)をめぐるアメリカとロシアマフィアとの争いに巻き込まれていたのです。とんでもない事態です。それでもニックは先に進みます。“賭け金”を300万に増やして。目指すはバルト海の向こう側、エストニア。ことばは通じない・援護はほとんど見込めない・現地の情報はほとんど無し・相手は組織・アメリカNSAにも追われている、そんな状況で個人に一体何ができるのでしょうか。でもニックは行くのです。
 
 主人公はジェームズ・ボンドのようにスマートな秘密情報部員ではありません。「M」が最新兵器を用意してくれませんから、DIYで一式を揃えたり、対戦車地雷から自分で爆薬を取りだして目的にかなうように成型します。仕事の動機は金金金。女にはもてずしゃれたカクテルとも縁がなく、ポテトチップスやロールケーキをぼそぼそと囓ってます。やたらと敵にぶん殴られるし……あ、これはボンドも同じですが、ボンドは汚いトイレの中で小便まみれになって殴られたりはしないでしょうし、強盗にホールドアップも食らわないでしょう(ニックは食らいます)。しかし戦闘シーンではきわめて“効率的”(きれいではないが使えるものは何でも使って最短時間で相手の戦闘力を奪うよう)にニックは戦い、相手の肉体(あるいは心)を破壊します。ただ、ニックは単純で下品なだけの暴力男ではありません。独特のユーモア感覚があり、ホームレスやストリートチルドレンに向ける眼差しには温かみがあります。矛盾した言い方ですが「等身大のスーパーヒーロー」です。
 著者のノンフィクションもイけましたが、フィクションもなかなかです。本作は著者のフィクション第三作のようですが、最初から読んでみたくなりました。まずは図書館で捜索だ。
 
 
16日(火)最後の楽しみ
 食事で目の前に並べられたものを食べる順番は、本当に人それぞれです。好物をいの一番に食べる人もいるし最後に取っておく人もいます。計画的に少しずつ平等に片付けていく人も。で、その結果“悲劇”がおきることがあります。「あ゛〜っ、最後に食べようと思って取っておいたのにぃ」の悲鳴です。
 ところで、食事の最後に食べようと取ってある好物を「あ、これ嫌いなの」と言って皿からかっさらっていく人は特徴的な行動をとります。
 1「これは嫌いなのね」と決めつけ 2返事を待たずに 3大急ぎで自分の口に放り込む の順序で行動するのです。1「これは嫌いなの?」と疑問を発し 2好きか嫌いかの返事を確認してから 3箸を出す という順序での行動はしません。
 そそっかしいのか、それとも確認したり返事を聞きたくない理由があるのかな?
 
【ただいま読書中】
宇宙のあいさつ』ちょっと長めのショートショート(1)
星新一 著、 和田誠 絵、理論社、2005年、1200円(税別)
 
 約190ページに10編の作品が収まっていますが……長めのショートショートなのか短めの短編なのか、私には区別がつきません。ただ、星新一です。最初から最後までひたすら星新一です。
 「華やかな三つの願い」……もちろん「三つの願い」の一バージョンなのですが、オチがなんとも……あわわわ、ネタばれせずにこの作品を語るのは無理です。ということで、お口にチャック。
 「宇宙のあいさつ」……地球の探検隊が新しい植民星を発見しました。地球人に有害なものはなく気候は温暖、保養地として最高の環境です。しかし気になるのは、原住民たちです。高い知能と文明を持っているのにあまりに無気力なのです。その理由は……
 「振興策」……過疎の町の町長が、いろいろな地域振興策に失敗した結果、ついに見出した活路は、なんと幽霊。ところがその幽霊が「もうここは飽きた」といなくなってしまいそうに……
 「名判決」……大岡越前守の「三方一両損」の名判決を聞いた二太郎と七五郎は、ならばなれ合いで三両をめぐる争いを起こせば大岡越前が一両を加えてくれる、つまり一両儲かる、と企みます。ところが名奉行はその上手を行きます。結局三人はもっと大きなものを儲けることになるのですが……いやあ、ニヤリ・クスリの作品もありましたが、最後に大笑い。やっぱり星新一は良いなあ。
 
 
17日(水)倫理は世間
 倫理の基準というと小難しい話になりそうですが、倫理学は学者にまかせて、庶民は倫理観で勝負です。
 宗教国家だったら聖典に反しているかどうかが倫理に関して重要な判断基準でしょう。厳密な法治国家だったらまずは法律が倫理の最低基準。では日本では……そうだなあ、「世間に顔向けできるかどうか」が重要なんでしょうね(日本は宗教国家とも言えないし厳密な法治国家とも言えないと私は考えています)。だから「世間」に逆らった人には制裁として村八分やいじめが「そんな行動は倫理に反する」とも思われずに堂々と行われるのです。で、その「世間の基準」はどこにあるかと言えば実は不文律で空気に書いてあるのです。だから最近「空気読め」と良く言われるんだな。
 
【ただいま読書中】
誓いの精神史 ──中世ヨーロッパの〈ことば〉と〈こころ〉』岩波敦子 著、 講談社選書メチエ391、2007年、1500円(税別)
 
 西洋ではことばですべてを明確にしようとするため沈黙は「無」だが、日本語は「ことば」と「沈黙」から成り立っている、と本書は始まります。ただし、西洋でも中世には穏やかさや寛容が理想とされていました。それは無い物ねだりだったのかもしれませんが、「サウンド・オブ・ミュージック」で笑いや歌を制限されていたマリアを私は思い出します。
 中世ヨーロッパ社会で、文書はまず宗教的なものでした。文字を書く行為は神に近づくことで、だから修道院ではせっせと写本が行われていましたが、その際の「読書」は音読が基本です(聖アンブロシウスが黙読するのを見て聖アウグスティヌスが驚嘆したという有名な逸話があります)。中世の高等教育でも、口頭試問や討論等、話し言葉と思考の結びつきは重要視されていました。話し言葉が重要な社会は、流動的な社会と言えます。記憶と慣習の力が大きく、話し合いの経過によっては「正しさ」が変化します。
 「誓い」には、ことばと身振りが必要です。聖性を帯びた象徴的な動作とことばが一致することで誓いは成立します。ことばは、内なる意図と外なる形式に従います。「誓い」が人びとに及ぼす影響力は、現代の我々には想像もつかないものです。たとえば中世ドイツの法律「ザクセンシュピーゲル」では、原告の宣誓によって被告の犯罪を“立証”することが可能でした。裁判の証人も、目撃者などではなくてその「宣誓」の正しさを証明する人、あるいは、裁判の現場に立ち会って裁判が公正に進行していることを保証する人です。誓いは人びとの信頼関係の表明および証明だったのです。
 しかし、12世紀頃から話し言葉に対する無条件の信頼が揺らぎ、文書(証書)に対する需要が増します(おそらく、この頃「聖」と「俗」とのせめぎ合いが激化したことと無関係ではないでしょう)。13世紀には書き言葉がラテン語から俗語にシフトし始めます。また裁判での事実認定が重さを増していきます。それと連動するかのように、証拠としての自白が重要となり、それを得るための拷問が合法化されます。「誓い」は、無実の証しから有罪の証しに変質したのです。また、誓いを破ることも有罪の証拠ですが、これはジャンヌダルクが有名ですね。戦争捕虜のはずが異端審問にかけられ、「もう男装はしない」と誓いを立てて誓約書にサインしたはずなのにまた男装した廉で火刑に処せられています(これは死刑にすることが最初から決まっていてそのための道筋をあとから作っただけでしょうけれど)。
 
 「綸言汗の如し」ということばもありますし、日本には言霊思想がありますが、西洋の誓いはそれとはちょっと違うようです。共同体重視は東西とも同じですが、西洋では人への信頼感を明言することを重視しそのための“小道具”として誓いの時の聖遺物を用いていたように私の浅薄な歴史観からは見えます。しかし神よりも自分の意図を優先させる輩が横行するようになり、結局価値観を固定化する文字の方が重視されるようになって現在の契約社会となった、てなところでしょうか。もともと文字(ラテン語)は神のものだったのですから(十戒も石版に刻まれることで人びとに伝えられました)、その“子孫”である契約書もまた神聖なものなのです、きっと。
 
 
18日イントロクイズ
 「春はあけぼの」
 「月日は百代の過客にして」
 「男もすなる日記といふものを」
 「つれづれなるまゝに日くらし」
 「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」
 「行く川のながれは絶えずしてしかももとの水にあらず」
 「いずれの御時にか女御更衣あまたさぶろひたまひけるなかに」
 
 けっこうわかるもんですね。高校の授業も馬鹿にできません。
 
【ただいま読書中】
王朝生活の基礎知識 ──古典のなかの女性たち』川村裕子 著、 角川選書372、2005年、1500円(税別)
 
 平安美人の定義は、小柄・色白・やや太め・髪は黒くて長い(できたら身長以上)、となっています。シャンプーが大変です。
 下着は、袴(紅色、下半身用)と単衣(上半身用)。単衣の生地は夏には生絹(すずし)であまりに薄くてシースルーです。その上に袿(うちき)を重ねます。袿を十二枚重ねたら十二単です(別に十二にこだわる必要はありません。冬など20枚ということもあったそうです)。袿の一番外側は目立つので特別あつらえとなり、名称も表着(うわぎ)となります。時には表着の下に打衣(うちぎぬ)と呼ばれる一枚(色はおおむね紅)を追加することもあります。その上に羽織るものもあります。カジュアルなら小袿(こうちき)。フォーマルなら唐衣(からぎぬ)(そのとき下半身には裳をつけます)。TPO(どこにいるか、誰の前にいるか(身分関係がどうか))によって衣裳は使い分けられます。男のファッションについても書いてありますが、ここでは省略します。
 カラーコーディネートも重要です。表と裏地の色の取り合わせ・重ね着の色の取り合わせ・生地の縦糸と横糸の色の配合……季節感や場所柄を考えながら選択する必要があります。(さらに細かいことを言うと、天然染料ですからまったく同じ色は出せません。それと生地の組み合わせで同じ呼び名でも「色」は様々となります) 同じ部屋の人に見せるだけではなくて、部屋の御簾や牛車の御簾から袖口や裾だけ見せる習慣もありましたから(出衣(いだしぎぬ)や出車(だしぐるま)と言いました)、ちょっとでも変なものを着ていたらあっという間に世間に悪評が立ちます。何をどう着るかは、貴族には真剣勝負だったのです。
 お化粧は、現代と似ている部分もあります。まずは白粉。怖いことに鉛を含んだ白粉です。それに頬紅(原料は紅花)と口紅。眉は全部抜いて眉墨で描きます(「引眉」といい、10歳くらいから始めました)。お歯黒もつけます。(お歯黒をつけない変わった姫君が『堤中納言物語』の虫(虫と言っても、毛虫)を愛ずる姫です)
 姫君のお勉強は、まず和歌です。貴族生活ではコミュニケーション(特に恋愛)に和歌が必須です。習字・音楽も必須科目です。
 恋の始まりは、大体噂話からです。姫に関する噂の発信源は侍女たち。だから顔も見ずに貴族は恋に落ちます(というか、顔を見る=男が御簾の内側に入る、はすでに特別な関係なのです)。あるいは偶然、牛車から出ている衣や御簾の向こうの影を見てしまうこともあります(垣間見)。「運命の出会い」です。次の手順はラブレターです。女性の側にその気があれば返事を出しますが、最初は侍女の代筆です。女性自筆の手紙は特別な意味があるのです。手紙では歌がやり取りされます(贈答歌)。男は積極的にアプローチし、女は渋ってみせる、がお決まりのパターンです。技術的な障害もあります。メッセンジャー(文使い)が文をなくしたり違う人に手紙を渡してしまったり……
 で、二人の気持ちが寄り添い、さらに娘の親がOKしたら結婚です。結婚できる最低年齢は、男が十五、女が十三でした。淫行条例に引っかかりますね。(有名人の結婚年齢:清少納言は十六歳、和泉式部は十八歳、紫式部は二十代後半でした) 結婚式は三日がかりです。初夜が明けた朝、男はいったん女の家から帰り即座に歌を贈ります(後朝(きぬぎぬ)の歌)。歌が来なかったら破談です。それを繰り返し、三日目にやっと披露宴(露顕(ところあらわし))が開かれます。……ということは、たとえめでたく結婚しても、三日続けて男が現れないと、それは他の女と結婚しようとしていることを意味しているのかもしれないのでした。
 キャリアウーマン(宮仕え)も多くいます。そこで重要なのは「顔」です。自宅だったら男とは遮断されていますが、宮仕えだとどうしても殿上人などに顔を晒すことがあります。たとえば『枕草子』にもそういったことが多く書かれていたように私は記憶していますが、それは「恥」であると同時に、キャリアウーマンの誇りでもあったようです。ただ困るのは化粧落ち。『蜻蛉日記』には化粧が落ちるシーンはないそうですがキャリアウーマンが書いたものには化粧落ちのシーンが登場します。そうそう、清少納言や紫式部が勤めていた女房以外の女性公務員(女官)も多数いました。後宮には役所が十二もあり(後宮十二司)、その一つの内侍司には尚侍二名・典侍四名・掌侍四名・(下働きの)女孺百名がいたそうです。歴史の教科書にはあまり書かれませんが、なんだか面白そうな世界に見えます。著者も「面白いよ〜」と皆さんを古典の世界に誘っていますよ。
 
 
19日(金)TV禁止令
 次男の小学校の宿題(?)で、TVなしで過ごすこと、というのが出たんだそうです。一週間ぶっ続けとか、曜日を決めて一週間に一日だけを二ヶ月とかいろいろコースがあります。で、我が家の次男が選んだのが二週間ぶっ続けスペシャルコース。おかげで今週月曜から我が家のTV(20インチのブラウン管)には「テレビ禁止」と書かれたでかい紙が貼りつけられています。
 まあ良いですけどね、別に連続ドラマにはまっているわけではありませんし、ニュースはラジオとネットと新聞で間に合うし、スポーツではF1最終戦(10月21日のブラジルGP)は見たいけれどビデオに撮っておきましょう。ただ、BGMならぬBGN(バックグラウンドノイズ)としてTVを流しておく習慣があった私にとっては、何か音が流れていないとちょっと静かすぎて落ち着かない思いではあります。
 そうそう、我が家にはPS2はあるけれど予備のDVDプレイヤとして以外には最近全然使われていません。だけどゲーム好きの子どもには、このTV禁止令はこたえるんじゃないかしら。
 
【ただいま読書中】
Present for me』石黒正数短編集
石黒正数 作、少年画報社、2007年、543円(税別)
 
 『それでも町は廻っている』で大ブレイクしたマンガ家の短編集なんだそうです(私は読んでいませんけれど)。たまたまネットをうろうろしてて本書のタイトルを見てなんとなくアマゾンでクリックしてしまいました。自分の好みにあった面白さかどうか、賭けではあったのですが、私は賭に勝ちました。ヴイ。
 
 「サイキック少年団」……ある小さな島の秘密研究所がなくなったところから話は始まります。そこで行われていた研究は超能力。生き残ったのは、透視と念動力と発火の能力者で……島からの脱出どころか、サバイバルにもあまり向いていない面々です。研究所の博士も生き残っていたのですが、これまた何の役にも立ちません。さてさて、一同の運命は……いやあ、スケールの小さなふざけたお話ですが、素直に笑えます。
 「Present for me」……人類滅亡後の地球が舞台のようです。最後の生き残りとおぼしき少女と壊れかけたロボットとの邂逅。少女はロボットの家を訪れます。「何でも欲しいものを言え」と言われて彼女が望んだのは友達。「友達はもらうものじゃなくて自分で作るものなんだがな」とこぼしながら、バッテリーが切れる寸前のロボットが少女にプレゼントしたのは……
 滅びかけの地球。饒舌なロボット。少女のことばは一切表示されません。その効果もあってか、静かな余韻を残す作品です。
 「カウントダウン」……今年のショートフィルム大賞のテーマは「人類滅亡」。賞金1000万円を目指して合宿している○×高校放送部は、まずはネタ出しから始めます。しかしその先にあったのは……
 「バーバラ」……一人前の魔女になるためには人間界で一年間修行しなければならない……よく聞く話だそうです(ん? よく聞きますか?)。そんな彼女が人間界で居候することに決めて押しかけたのは一人暮らしのヨシオ君。ところが彼は、どうも彼女に押しかけられたことが気に入らない様子です。その理由は……くくく、それはここには書けません。
 「ヒーロー」……悪の秘密結社デーモンナイツの野望をくじくため、いざというときには変身しては戦う正義の味方ヒーローゼットの正体は、実は平凡な高校生でした。ところがデーモンナイツは解散。幹部のピエロ怪人は足を洗って正業に就くため就職雑誌を読んでいる始末。困ったのはヒーローゼットです。戦う目標を失い、これまで全く考えていなかった大学受験をするべきか否かの悩みが襲いかかってきたのです。「ずっと正義の味方をやっていればいいと思っていたのに」「誰か俺に助けを求めてくれ」絶望の声を上げるヒーローゼット。敵である悪の集団が消えると同時に自分の人生の意味も消滅してしまったのです。そのとき助けの手を差し伸べたのは……いやあ、クスクス笑いが止まりません。爆笑まではいきませんが佳作です。
 
 それほど色っぽい絵ではありませんが素直な描線で絵にイヤミはないし、20〜30分幸せになるためには良い投資でした。
 
 
20日(土)小説仕立て
 住宅設計で、トイレのドアは引き戸か外びらきにするべきです。もし内開きにしたら、万が一中で人が倒れたとき床に寝そべった体に開けようとしたドアがひっかかってしまって救い出そうにも救い出せなくなります。
 それを上記のようにストレートに記述するか、あるいは小説仕立てにして、倒れたお父さんを一家が救おうとするのにドアが開かず、誰か外に回って窓を破って入って苦労して体を起こしてドアを開けるシーンを描いてから「だからトイレのドアは……」と書くか、どちらが読者の心に響いていつまでも覚えていられるでしょうか。
 と書いてあったのを読んだのはなんだったかなあ。
 
【ただいま読書中】
黄金のおにぎり』高橋朗 著、 ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2005年、1200円(税別)
 
 小説仕立てのブランド戦略本だそうです。ブランド戦略に関するビジネス本を書いていて、あまり面白くないので途中で小説に変更した、というのですが……何でも面白ければOKの私としては、とりあえず読んでみます。
 脱サラした正太が「美味しいおにぎり」と自信を持って始めたおにぎり屋「黄金にぎり」は、開店三ヶ月で総売上が11万円強。このままでは倒産です。教訓「良い製品と良い商品は違う」。良い製品とはモノであり、それに「良いコト」がプラスされることで「良い商品」になるのだそうです。その良いコトとは、たとえばキャッチコピー・キャラクター・テーマソング・ロゴマーク……それらを身に纏うことで、黄金にぎりは急成長します。さらに知り合いになった企画制作会社の社長から正太は「黄金にぎりのコンセプト」を問われます。コンセプトは、コアバリュー(ブランドが顧客に提供する価値の核心)・パーソナリティ(ブランドを象徴する人物の個性)・ベネフィット(ブランドが顧客に提供する具体的な便益)・ファクト(またはスペック。パーソナリティとベネフィットを実現するための仕組み)から成ります。モノはファクトに含まれますが、あとはすべてコトです。そしてコトの中核はコミュニケーションなのです。ブランドといわれて正太は絶句します。おにぎりのブランド? しかし社長は続けます。ブランドとはマーケットに常に同一の価値を提供し続ける「約束」である。しかし、ファクトを常に進化させ続けないと同じ価値を提供し続けることはできない、と。コンセプトを明確にすることはターゲットを絞り込むことを意味します。100%の人間を満足させることはできませんし、それを目指すとコンセプトがぼけます。捨てる勇気も必要なのです。
 黄金にぎりは大発展しました。人も増えます。しかしそこでクレームが。正太はクレームに真面目にとり組み、ブランドを強化します。必要なのは顧客とのコミュニケーションを密にしてクレームが悪評となる前に早めに見つけることです。そのために必要なのは営業回りをする人材です。「リストラ」のために人材をケチっていたら、結局ブランドは打撃を受けるのです。また、コンセプトに反する新商品は、いかにヒットしようとも結果としてブランドを傷つけます。黄金にぎりはそれらの大波に襲われます。しかし「ピンチはチャンス」。ネガティブな局面こそコンセプトをきちんと見直しブランドを強化するチャンスなのです。
 次は販売促進。これは新規顧客開拓ではなくてむしろ常連優遇のために行え、と本書では述べられます。それも「金(モノ)」ではなくて「コト」で。なぜなら常連はそのブランドが好きでついてきているわけですからそれらの人に金や物を配るのは良いサービスではないのです。ブランドは客を平等には扱いません。特別な客には特別な扱いなのです。
 さらに話は社会貢献に。ブランドが社会の中で持続していくためには社会貢献が欠かせない、と著者は考えています。「自分だけ良ければ」の企業は最後には見捨てられる、と。さらに社会貢献は広報にもつながるというメリットがあります。本書でのおにぎりの社会貢献は、ちょっと話がでかすぎますけどね(笑)。
 ブランドはコミュニケーションであり、特に企業と顧客の感情的なつながりが重要、というのは私にとっては新鮮な指摘でした。大切なのはモノではなくてコトなんですね。
 
 
21日(日)祭り
 先週は神社の祭り、そして今週は町内会の祭りです。一応私は町内会のスタッフ(の端っこ)なのでゲームの球拾い係をやることになりました。でかい公園一面に町内会が出した食べ物やゲームのテントが並んで、そこを走り回っているのはこの祭りを楽しみにしている様子の子どもたち。なんだか私が子ども時代にデパートの屋上で過ごしたときに見たような顔をたくさん見せてもらったような気がします。数軒向こうの子がゲームで思うような結果が出せず手放しで悔し泣きを始めたのにはあれあれと思いましたが、遊び仲間たちが「おい、どうやってなぐさめる?」と大っぴらに相談を始めたので様子を見ていたら10分後くらいにはけろっとして笑っていました。やれやれ。
 中央ステージの演し物では、今年はここの学区の公立中学校のブラスバンド部が何曲も演じてくれました。アンコールで演ったのは知らない曲でしたが、私の職場のすぐそばの中学のブラスバンド部もよく練習しています。コンクールの課題曲なのかもしれません。こちらの方がちょっと上手いかな。
 痛ててて、ボール拾いで走り回ってはスクワットを繰り返したせいで、下半身がなにやら変な感じです。年のせい、じゃなくて、日頃の運動不足のせいにしておきます。
 
【ただいま読書中】
日本忍者列伝』縄田一男 編、大陸書房、1992年、524円(税別)
 
 「忍法破倭兵状」(山田風太郎)……豊臣秀吉の朝鮮侵攻で朝鮮は荒れ果てていました。はじめは日本軍の快進撃が続きましたが、明軍との正面衝突や全土でのゲリラ戦などで戦線は膠着。さらに海上では李舜臣が日本の軍船を次々撃破したため海上輸送がうまくいかず兵站が破壊されています。そこで李舜臣暗殺のために日本の忍者が派遣されます。それを迎え撃つのは朝鮮の忍者。そして舞台は日本へ。豊臣秀吉に復讐するために日本と朝鮮の忍者が伏見城に向かうのです。彼らが行う驚くべき“復讐”とは……って、風太郎だからどこを見ても「驚くべき」なんですけどね。
 「浜御殿かくし畑」(南原幹夫)……砂糖生産に対する薩摩の独占を崩そうと、サトウキビの苗と現地の農民が江戸に運ばれてきました。薩摩は権益を守るために畑を襲います。それに対して防御を固めるのはお庭番たち。というお話なんですが、これは別に忍者でなくてもよかったように思います。主人公を普通の侍に変えても、戦闘シーンも含めて十分成立する話ですから。
 「江戸の草笛」(戸部新十郎)……江戸の夜を騒がす夜盗、元相州の乱破、風魔小太郎。その仲間の甚内は、他の者とは違って人を殺めることが嫌いでただの女好きを自称しています。草笛を吹く不思議な少年太郎を拾って風魔と別れた甚内は、商家の護衛との戦い・盗賊同士の暗闘・お上の厳しい探索などから盗賊商売の先行きが明るくないことを知ります。では、どうするか。最後が笑ってしまいます。なるほど、草笛にヨシの葉を使うわけだ。
 「猿飛佐助」(柴田錬三郎)……武田家滅亡の日、老いた忍者白雲斎は武田家の行く末(臨月を迎えた勝頼夫人)を託されます。夫人は自害しますが産まれた子どもは忍者として厳しく育てられます。それが猿飛佐助……なかなか面白い新解釈です。
 その他、「霧隠才蔵」(大坪砂男)「伊賀者大由緒」(五味康すけ)「お庭番状」(村上元三)「三面鬼」(野村胡堂)と並んでいます。私にとって忍者と言えば白土三平なのですが、こちらはこちらで楽しめました。
 
 
22日(月)自動改札
 最近私の住む地方でもJRの駅に自動改札が導入されました。学生時代には、大阪に行ったら自動改札なのに東京では人間が改札をしていて「意外に東京は遅れているのか」などと自分の住む地域は棚に上げて失礼なことを思っていましたが、最近の東京では、私がまごまごとやっている脇を自動改札に券を入れずにタッチアンドゴーでさっさと通り抜ける人がほとんど。それどころか売店でも精算をタッチですませている人がやたらと多くて、私は自分が文明からおいて行かれたような気になっていました。
 まあこれでやっと私も文明人の(端っこに)仲間入り、と思ったら、しばらくJRには用がないのです。ICカードも持つ予定がありません。地域格差は嫌いじゃ。昔「都会に出てとまどったらいけないから」とわざわざ不必要な交通信号を作って子どもに慣れさせるなんてことをした地域もあったそうですが、同様にわざとチャンスを作って子どもに自動改札に慣れてもらおうかな。
 
【ただいま読書中】
自動改札のひみつ』椎橋章夫 著、 成山堂書店、2003年、1500円(税別)
 
 日本で最初の自動改札は、阪急北千里駅などで1967年です(ということは、大阪万博で目撃しているはずなのですが、私は覚えていません)。関東で本格的に導入されたのは10数年前ですから、関西はずいぶん早かったことになります。関東が遅れた原因は、接続の複雑さ(一社だけ導入とはいきません)と国鉄の問題(赤字で金はない・余剰人員が多くて合理化に抵抗が大きい)だったそうです。接続はともかく国鉄の問題は全国共通ではないかと思いますが、なにか大きな声では言えない原因があったのかもしれません。
 自動改札機は、サイズの違う定期券と乗車券に対応する必要があります。どちらをどの向きに入れても一秒足らずで認識・情報の読み取り・書き込みを行い、同時に人の通過も確認して、べーっと券を吐き出すか集札するか扉を閉じて足止めするかを決定します。
 切符への磁気記録には、(古い)NRZ−1と(新しい)FMの二つの方式があります。互換性はありませんが、新しい自動改札機はどちらの方式にも対応できます。また、古い駅(先行して自動改札を始めた駅)に対しては券売機がNRZ−1方式の切符・新しい駅にはFM式を発券して対応しています。(乗車券が定期より小さい理由はコストです。機械が複雑になる分開発・製造・メンテナンスのコストはかかりますが、券が小さくなって紙代が節約できる分でお釣りが来る、という計算)
 ICカードは、接触式/非接触式に分けられ、非接触式は密着型とリモート式に分けられます。リモート式は近接型(約10cm)・近傍型(70cm程度)・マイクロ波型(数m)に分けられます。駅の自動改札で使われるのは非接触式/リモート式/近接型です。近傍型だと隣の改札機が反応するかもしれないので使えません。Suicaは「タッチ」しますが、パスケースの中にあるカード自体は接触していませんから非接触式なのです。(本当はセンサーの近くにかざせば良いのですが、かざし方が人によって千差万別なので確実性重視でタッチしてもらっています)
 そういえば、1990年頃(関東で自動改札が導入され始めた頃)「定期券はケースから出して自動改札を通すこと」と宣伝されてそのためのパスケース(指一本で簡単に定期券が取り出せるもの)も売られていましたっけ。
 機器の開発で問題になるのは、正確性と速度です。日本のラッシュでは改札口一通路につき最大55人/分をさばく必要があります。1971年にサイバネ協議会が「サイバネ規格」を制定しました。乗車券をどの方向で入れても読み取れるようにするなど、以後も規格は改定されています。(たとえば、券の磁力を強くする改訂で、乗車券の裏は茶色(酸化鉄)から黒色(バリウムフェライト)に変わりました)
 
 座席指定の情報が自動改札を通じて車掌に送られたら、車内検札は簡略化できますし希望すれば目的地手前で起こしてもらうというサービスも提供可能です。また、不正乗車が人の目よりは発見しやすくもなります。ただし機械が発見してもその最終処理をするのは人間であるという当然の指摘もあります(実はそれ(駅員の配置や権限や安全の確保)を忘れている人が多いそうで、そんな人に限って「不正乗車を完璧に摘発するソフトとハードを完備しろ」「大人が小児券を使っても機械で見破れ」とか主張するんでしょうね。そういえば高速道路の不正使用も、機械がいくら車を特定しても人間がその最終処理をする必要がありましたね。どこでも機械は万能ではなくてシステムの一部に過ぎないのです)
 しかし「キセル」の説明に本物のキセルの写真を載せているのには笑えます。見たことがない人も多いという著者の判断なのでしょう。
 
 本書の途中に、自動改札が対応するべき券種がずらりと列挙されていますが、そのバラエティの豊富さに頭がクラクラします。鉄道は本当に複雑なシステムの上に成り立っているんですね。
 せっかくここまで情報を集めてあるのですから、索引をもう少し充実させておいて欲しかったと思います。それが残念。
 
 
23日(火)主語は不思議な家じゃなくて私
 郊外に「小さな秋」を撮影しにお出かけしないかと家内に声をかけたら、しぶっています。不審を感じて追及すると「デジカメが壊れて修理中」。さらに追及すると「デジカメが落ちたの」。「落ちた? 主語は?」と私。「デジカメ」と家内。「デジカメが一人で歩いて落ちたって?」「そうなの」「……」「……」(見つめ合う二人)
 翌日食器を洗っていると、コップがぶつかって小さく欠けてしまいました。指が薄く切れたけどかすり傷。早速家内に報告です。「ここは不思議な家だ。デジカメが落ちるし、コップが割れる」「怪我はない? ところで、主語は?」「コップ」「……」「……」
 
 自動詞か他動詞か、と聞いた方が適切だったかしら。
 
【ただいま読書中】
外国語として出会う日本語』小林ミナ 著、 岩波書店、2007年、1600円(税別)
 
 日本語を学ぶ外国人から発せられる素朴な疑問(たとえば、「切る」は「切って」になるのに「着る」は「着って」にならないのはなぜ?)。それに明確に答えようとすることは、日本人にとっては意外に難しいものです。それは日本語のルールが複雑だからですが、本書では日本語を外国語として学ぶ人を通してそういったルールをあぶり出そうとしています。言語を自然に使う能力(言語直感)と、それを論理的に説明できる能力は違う(だから日本人が全員日本語教師になれるわけではない)のだそうです。
 たとえば冒頭の「動詞で『〜て』と『〜って』になるものの区別」ですが、一段活用(着る、寝る、見る など)はすべて「〜て」となります。カ変(来る)は「来て」・サ変(する)は「して」です。ところが五段活用がややこしい。最後の音によって次の四つのグループに分けられます。
1)「く」は「いて」:書く→書いて、聞く→聞いて(例外は、行く→行って)
2)「ぐ」は「いで」:泳ぐ→泳いで、脱ぐ→脱いで
3)「う」「つ」「る」は「って」:会う→会って、待つ→待って、走る→走って(例外は、問う・請う・乞う)
4)「む」「ぶ」「ぬ」は「んで」:読む→読んで、遊ぶ→遊んで、死ぬ→死んで
これが「動詞のテ形のルール」です。日本人(ネイティブの日本語ユーザー)はそれを無意識に理解していて、初めて出会った動詞でもこのルールで処理できます。たとえば「くりこる」という動詞があるとしたらこれは「くいこいで」でも「くりこて」でもなくて「くりこって」が一番しっくりきません? 
 日本人はすでに実際の活用を知っていますから「この動詞は○活用」と判断できますが、それを知らない外国人は動詞の語形だけを見て判断する必要があります。こんどはそのルールの紹介ですが……ややこしいぞぉ。詳しくは本書を読んでください。私には覚えきれません。
 文法的には正しいけれど使う状況に対して不適切な文(容認可能性が低い文章)が日本語学習者からは頻繁に発せられます。たとえば教師に宿題を差し出しながら「先生、私の宿題をチェックしたいですか?」とか(……上司などに失礼な口をきく“日本人”も多いから、日本語学習者と限定はできませんね)。言語直感で「あれ?」とひっかかった場合、それが文法なのか容認可能性なのかのチェックが必要です。さらに「どうしてそのようにことばを使ったのだろう」と背景を追及すると、もっともな理由が裏に縫いつけられている場合があることがいくつも本書では例示されます。単に「その日本語はおかしい」「理由は言えないがとにかく間違っている」と言うのではなくて、なぜそうなったのか、どこがなぜ間違いなのかを話し合ってみるといろいろ面白いものが見えてきそうです。
 学習者の母語の影響もあります。向こうでは普通の言いまわしを日本語に直訳して使ったらちぐはぐになったり、hを発音しない母語(例えばスペイン語)だと日本語のハ行が聞き取れなかったり。日本に対するイメージ(先入観)がことばの誤解を招いた例もあります。韓国語と日本語は文法はほとんど共通ですが、「させてください」は韓国語では懇願のニュアンスが強いため、日本人が「ちょっとここで待たせて」など軽い状況でその韓国語を使うとえらい大げさなことになります。「学ぶ言語の難しさ」だけではなくて「母語の影響」も甚大です。
 さらに文化的な尺度の物差しが共有できるかどうかもことばを使う上で重要です。たとえば「料理はできますか?」「天麩羅も揚げられます」「ほう、それはすごい」で「も」が意味を持つのは「天麩羅は難しい」という“物差し”を両者が共有している場合だけです。これは日本人同士の会話でも似たような事態は起きていないか、と考えてしまいます。
 そして辞書の問題。「私の国にはこめかみがたくさんあります」「大通公園でうおのめを食べました」「今日は本当にネコ暑いですね」……すべて理由のある“間違い”なのですが、読んでいて笑うと同時に、自分が和文英訳や独訳で苦労したことを思い出します。最後のメタ言語についてはもう少し読みたいところですが、入門書ではなくて専門書に当たるべきなのでしょうね。
 
※本書12ページには「五段活用は母音動詞、一段活用は子音動詞」とありますが、これ、逆では? 私は学校でこういう習い方をしていないので、自信はありませんが。
 
 
25日(金)医療費の無駄
 日本で「医療費がかかる」ことと「医療費に無駄遣いがある」ことを混同する間抜けがあちこち(特に政策決定の現場)にいることが日本の悲劇の一因となっているように私には見えます。たとえば「日本の医療費が多すぎるから、とにかく全体を一律に圧縮しよう」など、間抜けな思いつき以外の何? 圧縮するべきは「無駄」の方で必要なものを圧縮したらダメダメでしょ?
 どうせコストを圧縮するのなら、そうだなあ、たとえば(薬害エイズや薬害肝炎で)旧ミドリ十字(その後「三菱ウェルファーマ」→「田辺三菱」)を異常にかばおうとする旧厚生省と現厚労省の特定官僚たちを整理(ついでに天下りも禁止)するのはどうでしょう。あ、「税金の節約」にはなっても「日本の医療費」の直接節減にはならないから、駄目かな。
 
【ただいま読書中】
図表でみる 世界の保健医療 OECDインディケータ(2005年版)』原題:Health at a Glance
OECD 編著、鐘ヶ江葉子 訳、 明石書店、2006年、3000円(税別)
 
 OECD(経済開発協力機構)とは民主主義を原則とする先進諸国30ヶ国が集まる組織で、日本も入っています。OECDが収集した統計や研究成果は広く刊行されており、本書もその一つです。日本の医療について何か偉そうなことを言うのだったら、せめて国際的な「データ」くらいは自分で持っておこうと購入しました。2年に一回の刊行のようですので、2007年版が欲しい人は来年まで待つ必要がありそうです。
 
 ぱらぱらめくると、いやあ面白い面白い。グラフを見るだけで退屈しません。
 医師数については、ここにみごとな国際比較があります。人口千人当たりの医師数が、トップのギリシアは4.4、二位のイタリアは4.1、OECD平均は2.9です。で、厚労省が言うところの「医師は十分いる」日本は2.0。日本より下には韓国・メキシコ・トルコの三ヶ国しかいません。それとも発展途上国と比べてたくさんいる、と自己満足したいのかな。でもそれって、日本は先進国ではない、と主張することになるのですが……あ、実は本当に先進国じゃない? (ついでですが、同じページのグラフによるとその三ヶ国はすべて医師の増加率が日本の2〜3倍ですから、もうすぐ日本は追い抜かれます。日本のすぐ上のカナダは医師の増加がほとんどないからここを抜けば最下位はまぬがれますけれど)(もう一つついでですが、実際に霞ヶ関近辺には医師は過剰なのかもしれません。でも、「日本」を判断するのに「霞ヶ関」だけを使うのはサンプルが偏っていません?)
 ところが急性期の病床数は、日本がダントツの一位です。これは良いことなんですかね。少しの医者でたくさんの病床……イギリスのようにベッドが少なすぎて入院も手術もできないのも困りものではありますが。CTやMRIも、日本は異様に多く持っています。人ではなくてモノに頼りすぎなんじゃない?
 一人あたりの保健医療費支出は、日本は18位。額はOECD平均を(幸いにも)少しだけ下回るところです。先進諸国では「中の下」グループ所属ですな。トップのアメリカはもうダントツで、日本の倍以上、最下位のトルコの10倍以上使っています。アメリカ人はトルコ人の10倍健康なのかしら。
 国民一人当たりのGDPと一人当たりの保健医療支出を関連づけたグラフは、みごとに右肩上がりですが、同じくらいのGDPでも保健医療費がけっこうばらついていることも目立ちます(グラフの「線」が太くなっています)。日本は……やはり中の下(あるいは下の上)に位置しています。
 右肩上がりと言えば、タバコの個人消費量と肺癌発生率の比較が実にみごとな右肩上がりです。禁煙運動が流行するのもわかる気がしますが、ただ、純粋にコストの面で考えたらどうなるんでしょう。生涯保健医療費は、癌になって早く死ぬのと長生きしてだらだら小さな病気や大きな病気をするのと、どちらがたくさんになるんだろう?なんてこともちょっと考えたくなるでしょうね、天の邪鬼は。
 国民一人あたりGDPが大きいほど、一般には国民の健康度が高くなります。同じくらいのGDPだと、所得格差が少ないほど平均余命が長くなるという研究が本書では報告されています。で、所得格差の国際比較は……日本は所得格差の「大きい順」で上から10番。20年前から順調にその格差は増大しています。「日本は格差社会」(現在完了進行形)は国際的にも間違いないようですな。
 本書にはほかにも医療の質につながる数字がたくさん載っています。日本の医療のあら探しばかりする人や市場原理を持ち込みたい人は、このへんの数字(の関係)をちゃんと読み解いて、その上で自分の主張によってその数字がどう変化すると予想するのかも主張に対する添付ファイルとして欲しいなあ。攻撃の威勢の良さや耳に心地よいことばで今あるものを壊すのは簡単ですが、再建するのは大変なんですよ。というか、本書を見ていたら日本は先進国ではなくて発展途上国(まだコスト投入が必要)なのではないか、と私には思えてきました。ただ、お金を投入するにしても、一部の人が画策しているお役所の外郭団体や保険会社の懐にばかり投入したくはありませんが。
 
 
26日(金)水曜の朝、午前3時
 私が初めて音楽に魂を奪われたのは、高校の時、サイモンとガーファンクルと出会ったときでした。シングルではなくてLPを買うことを覚えたのは彼らによってです。特にコンセプトアルバム「ブックエンド」(のA面)には「ははぁ〜」とひれ伏すしかありませんでしたっけ。で、彼らのデビューアルバムが「水曜の朝、午前3時」(1964年)です。今聞き直してみると、実に地味なアルバムです。オリジナル曲のメロディはきれいなのですが、バックはほとんどギター一丁で新人男性デュオが硬い歌詞の歌を歌い続けているだけですから「これは売れないだろう」と今聞いても思います。実際にヒットしませんでした。ただ、発売後1年以上経ってから「A面最後の『サウンド・オブ・サイレンス』をシングルカットしたらどうか」という提案が(たしか地方のディスクジョッキーから)レコード会社のプロデューサーに届き、フォークロックがブームだからとエレキギター・ベース・ドラムを加えてみたらそれが大ヒット、「売れないや、やめたやめた」とばらばらになっていた二人は一挙に有名人。
 でも、アルバムタイトルの曲「水曜の朝、午前3時」は結局埋もれたままでした。静かで心にしみるメロディーなんですが、歌詞の内容は……隣で恋人が静かに眠っているのを眺めている男の独白です。彼は酒屋に押し入って25ドル奪ってて、明日はその罪を償うために恋人とは別れなければならない、というなんとも悲しい歌なんです。単なる物取りではなくて強盗傷害もしかしたら殺人もしたのかもしれません。で、恋人を見つめている時間が、水曜の朝午前3時なんでしょう(歌詞では男の思いだけ語られて、状況について詳しい説明はされません)。でも、地味でもヒットしなくてもこの歌に二人は愛着があったようで、ほぼ同じ歌詞に補作をして別のメロディを付けた「どこにもいないよ」が2枚目のアルバム「サウンド・オブ・サイレンス」に収録され、さらに「水曜の朝、午前3時」そのものはサイモンとガーファンクルの全アルバムからセレクトされたベスト盤「若き緑の日々/ニュー・ベスト」全17曲の中にちゃんと入れられています。
 
 10月19日の日記に書いた事情でTVが沈黙しているものですから、古いCDを引っ張り出してかけまくっています。おかげで上記のようなことも思い出せました。高校の頃覚えた歌は30年以上経っても歌えることや、当時歌詞やメロディを間違えていたところは今でも間違えることもわかりました。
 
【ただいま読書中】
水曜の朝、午前三時』蓮見圭一 著、 新潮社、2001年(02年6刷)、1400円(税別)
 
 増刷のペースから見ると当時よく売れた本ですね。う〜ん、悪いけど全然記憶に残っていません。
 品行方正・成績優秀、夏休みには軽井沢の別荘で過ごす小学生の葉子は、同級生から「葉子は血筋が違うんだよ。なんたってひい祖父ちゃんは偉すぎてA級センパンになったんだから」などと言われています。本書の語り手が思い出す葉子の母直美は、一風変わった女性でした。知的で美しく、でも他人と一線を画した雰囲気を持っているのです。
 時代は一挙に遡ります。1969年、大学を卒業して就職した直美は、ボブ・ディランを聞きながらサルトルを読んでいました。親が決めた許嫁との結婚を先延ばしするために直美は翌年の大阪万博のコンパニオンになり、そこで「臼井さん」と出会います。語学の天才、周囲から注目されるきわめて優秀で魅力的な人間ですが、常に孤独を纏っている男。直美は臼井に焦がれそれを隠し“クールな女”を演じます。しかし臼井が不可解な事故で突然万博を辞めたとき直美は行動を起こします。「真面目な交際」をする二人。しかし、彼の「正体」を振りかざしてやって来る人が。直美は臼井と別れ(というか、逃げだし)、父が勧めた男と結婚します。平穏な結婚生活。しかし臼井のことを完全に思い切れない直美は、京都に向かいます。
 
 本書にはいくつかの小説的な仕掛けがあります。「テープに吹き込まれた遺書」ということで、生々しい語りかけが可能となり(母の娘に対する「あなた」の繰り返しが、ときに読者自身に対する呼びかけに聞こえてきます)、直美は末期の癌患者だから少々辻褄の合わないことを喋っても当然だしそもそも記憶は整理や美化されるものだから矛盾が登場しても問題なし。さらにテープ起こしをしたのが葉子の夫です。世間の常識では「夫」という立場の男には辛い事実も登場しますが、それを意識的あるいは無意識的に身内が“編集”したとしてもおかしくありません。そういった幾つもの仕掛けをくぐり抜けて読者に届けられたのは……
 う〜ん、普通だったら「時を越える痛切な愛の物語」とか言って感動するべきなんでしょうが、私は「人生をドラマとしたら、『自分こそ主役級』という自負を持っている男女が織りなす自我の物語」と読んでいました。いや、「自分は自分の人生の主役」は間違っていないと思うのですが、(臼井の内面描写がないのでそちらはともかく)直美は「他者との比較」でその自負を維持しているところが、弱い、というか、私の好みではない、と見えるのです。
 むしろ“脇役”の直美の母親が魅力的。自分の弱さを自覚し直視し、その上で“強い”行動ができ、他者へのいたわりの行為もできる。「弱さ」がレコードのA面なら「強さ」はそのB面であることを自覚できたときそこに優しさが生まれた人、とでも言えそうなキャラクター造形です(直美には、他者へのいたわりがありません)。「戦争というのも、あれも一つの病気だから」という本書で私にとって一番印象的なセリフを言ってくれたのも直美の母親でした。
 
 ボブ・ディランに続いて本書に次々登場するのは、デヴィッド・ボウイ、CCR、ビーチボーイズ、ジャニス・ジョプリン……「懐かしい」のオンパレードです。1960年代は、私にとっては思春期=自我形成期の始まりの時期で、そのときリアルタイムで聴いた曲の思い出想起は特別な効果を私に及ぼします。著者が狙った効果そのものかどうかはわかりませんけれど。だけどサイモンとガーファンクルは登場しません。なぜタイトルが「水曜の朝、午前三時」なんだろう?
 
 
27日(土)頭を丸める
 ボクシングの亀田さんもやってた「頭を丸める」。あれは本来出家することでしょ。単に散髪することじゃないですよね。
 
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日本の戦時下のジョーク集 ──満州事変・日中戦争篇』早坂隆 著、 中公新書ラクレ249、2007年、740円(税別)
 
 昭和五年にコンビを結成したエンタツ・アチャコは、それまでにないしゃべくり漫才で一世を風靡しました。またエノケンはあまりの人気に「エノケソ」なる偽物も登場したそうです。(ついでですが、ボクシングに熱狂的な女性ファンがついたのもこの時期。今のK1に始まったことではなくて、戦前も日本人は日本人だったんですね) 昭和八年頃にはお笑いは一大ブームでした。吉本興業はそれまでの「萬歳」(伝統芸能)を「漫才」(今につながるお笑い芸)に表記と中身を変更します。ちなみに、満州事変が昭和六年、国際連盟脱退が八年です。昭和九年にはアメリカのレビュー団「マーカス・ショウ」の興行が日本で大当たりし、「ショウ」ということばが定着します。柳家金語楼の人気が出たのもこの頃です。昭和十一年2・26事件。お笑いの観点からは、五代目柳家小さんが入営していたため“反乱軍”の一員として行動していたことを特記するべきでしょう。
 治安維持法やヒトラーをネタにした漫才が紹介されていますが、読んでいて「う〜む」です。きわどい笑いに私には思えるのですが、当時は普通のお笑いだったのでしょうか(ついでですが、当時ヒトラーの『我が闘争』は日本でも広く読まれていましたが、翻訳では「黄禍論」の部分は削除されていたそうです。今から見たらそういった行為自体が苦い笑いのネタですね)。
 昭和十二年日中戦争開始。吉本は急成長しています。十三年には大阪の通天閣を32万円で買収。所属する芸人は300人を越えたそうです。当時の人気漫才師ミス・ワカナの「ミス」はミスミセスのミスではなくて「ミステイク」の方だそうです。
 やがて戦争がお笑いを浸食していきます。ネタに戦争物が多くなり、出征する人が多くなり、寄席や演芸場に臨官席が設けられ、台本の検閲が厳しくなってきます。昭和十五年の興行取締規則(警視庁令)68条には「興行場ニ於ケル演劇興行ハ努メテ国民精神ノ涵養又ハ国民智徳ノ啓培ニ資スル脚本ヲ上演スヘシ」……あああ、笑えない。それでも漫才の人気は保たれていましたが、上方落語は凋落の一途でした。漫才なら新作で対応できますが、落語で「国民精神ノ涵養又ハ国民智徳ノ啓培ニ資スル」ですって? もっとも漫才師たちも「名前に横文字はいけない」という命令で改名させられています。それでも、政府批判などはなくなりましたが、素朴な小咄は健在でした。
 
 ……というところで、『太平洋戦争篇』に続く、だそうです。
 
 
28日(日)ツールバー
 FireFox版mixiツールバーが出たので入れてみました。mixiツールバーにmixiのでかいアイコンがあるから、FireFoxのブックマークツールバーに入れていたmixiのアイコンは削除しました。「検索」「日記を書く」「履歴」のボタンが重宝です。新着を一々教えてくれるのは、嬉しいような煩わしいような……
 しかし、ツールバーで一行ずつ画面の上が削られ、複数画面を開くとタブでさらに一行、下は検索バーでやはり一行……メインの画面が段々小さくなるのは困ったものです。便利になるのは良いんですけどねえ。
 
 何はともあれ、FireFoxを2にしたらなぜかブックマークが全部なくなってしまったショックが少しだけ癒されました。「ブックマークのバックアップ」……それはなんでしたっけ?(笑) クッキーは残っていたから、記憶でたどり着いたらログインはそれぞれ問題なくできたのですが、それなりに苦労して集めて分類していたのがパアというのは辛いものです。
 
【ただいま読書中】
南太平洋発見航海記 バイロン/ロバートソン/カートレット』原田範行 訳、 岩波書店、2007年、3500円(税別)
 
 18世紀後半に南太平洋を探検航海した、ジョン・バイロン、ジョージ・ロバートソン、フィリップ・カートレットの航海日誌です。
 ドルフィン号の船長バイロン提督の航海日誌は1765年3月23日土曜日から始まっています。まずはマゼラン海峡を通過する苦労が毎日日誌に書き込まれます(「船のマストの先端よりも高い波」という信じがたい記述があります)。ついで真水を得る困難(「フレッシュ・ウォーター湾」という地名も登場します)。やっと太平洋に出たら、こんどは貿易風を捕まえるのに苦労し、二ヶ月経つと乗組員がばたばたと壊血病で倒れます。当時壊血病の科学的な原因(ビタミンC欠乏)は知られていなかったのですが、バイロンは(あるいは当時の人たちは)経験的に食材の問題と認識していたようで、上陸できそうな島を見つけると日誌には果実に対する期待が書き込まれます。ところがそこには敵対的な住民がいたりして……
 航海の目的は「南方大陸の発見」です。当時南半球はあまりに陸が少ないので、どこかに大陸を見逃しているのではないか、と探索が行われていたのでした。しかし西部太平洋にはオランダの手が伸びていました。
 
 ジョン・バイロン卿の航海から2年後、同じドルフィン号がまた似た航路を探検航海します。ロバートソンはその航海長で、そのため航海日誌はバイロンとは全くおもむきを異にします。バイロンは船の位置や天候、海底の状況などをきわめて事務的に記載していますが、ロバートソンのは“読み物”になっているのです。たとえばバイロン卿は「南西の弱い風。西からのうねりが強い。午前二時、風は南南東に変わり四時には南東となってかなり強まる。曇天。進路北四度西。航行距離86マイル。緯度47度30分南、経度5度52分西。ピラー岬から214マイル」といった調子ですが、ロバートソンは「東微北ないし東北東のやや強い風。曇天で霞がかかっている。少し協議した後、船を西に進めることにした。投錨して船を安全に停泊させられる場所を見つけるためである」。船内での不協和音(船長を補佐するロバートソンと第一海尉がことごとく意見が食い違う)もけっこうあけすけに書いています(ロバートソンの筆を信じるなら、この海尉は本当に無能で高慢な勤勉野郎なのです)。交易(物々交換)で西洋人が欲しいのは真水と新鮮な食料(肉・野菜・果物)、現地人に最も人気があったのは鉄製の釘でした。あとは装身具や衣裳。
 本書ではタヒティの“発見”にページが割かれています。そこでは現地人との交渉で双方に変化が生じます。たとえば現地人はマスケット銃を向けられたらはじめは平気だったのに後には怯えるようになります。もちろんそれは撃たれた経験からの学習です。航海日誌ではさり気なく書いてありますが、探検隊はけっこう大量に殺しています。ただ、従順な態度だったら“公正”に扱おうともしていますけれど(住民から無理に財産を取ろうとした船員は、むち打ち刑になってます)。そのうち和解が成立し、次にロバートソンが心配するのは、乗組員への性病の感染です。……自分たちが現地に病気を持ち込む心配はしなかったのかな。
 
 3つめの航海日誌は、ロバートソンが乗ったドルフィン号の僚艦を命じられたスワロー号の船長カートレットのものです。ところがこちらはひどい準備不足。円材や索具はおろか釣り糸さえ予備もなく、鉄棒やそれを加工して装具にするための炉もありません。交易用の釘や装身具もなし。帰国したバイロンの報告で、ライバル国に対する焦りから急遽探検隊が編成され、カートレットにはその任務が秘密にされていたため、きちんとした準備ができなかったのです。さらにスワロー号は老朽艦で、あちこち腐ったり虫が食ったりしていて、足は遅いし漏水はする。結局マゼラン海峡を越えたところでドルフィン号とははぐれてしまい、あとは一人でうろうろすることになってしまいます。水も食料も足りず、乗組員も次々倒れ、カートレット自身も腸閉塞になって一時は死を覚悟。なんともひどい扱いです。ほとんど使い捨て? カートレットが海軍本部に不信感を持つのも当然でしょう。
 
 これらの日誌に登場する人びとの内何人もが、後日クックの探検隊に名前が登場するそうです。歴史はつながっているんですね。
 
 
29日(月)紙一重
 ネット上でも実生活でも、オイしい話とオカしい話は、紙一重。そう思いつつ、ついついオイしそうな話に目が引かれるカナしい私は、一体ナニと紙一重なんでしょう?
 
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老人と宇宙』原題 Old Man's War
ジョン・スコルジー 著、 内田昌之 訳、 ハヤカワ文庫SF1600、2007年、840円(税別)
 
 帯には「21世紀版『宇宙の戦士』」とあります。もともとは人気ブロガーが自分のサイトに連載した長編小説だそうです。
 「亜大陸戦争」後の地球(インドは核兵器で吹き飛ばされているそうな)。人類は宇宙あちこちに植民地(コロニー)を作っていましたが、地球を離れてそこに行くにはコロニー連合に所属するコロニー防衛軍に志願するか植民者になるしかありません。そして軍への志願資格は「75歳“以上”」。臓器は簡単に交換できる世の中ですが、老人を兵士にする以上コロニー連合が持つオーバーテクノロジーで若返りが得られるのではないかと期待して、多くの老人が軍に志願をしています。オーバーテクノロジーの例として、たとえば「ビーンストーク」と呼ばれる軌道エレベーター(赤道から静止軌道までワイヤーをかけてエレベーターで移動。ロケットより静かに省エネで宇宙空間に出られる)や宇宙船レベルでの人工重力などが冒頭で紹介されます。
 最愛の妻に先立たれたジョン・ベリーも志願兵の一員でした。志願したことにより地球上では法的に死亡したことになったベリーは同じ船に乗せられた千人の“新兵(全員75歳)”の一員として太陽系を離れます。船上で兵士になるため治療槽に入れられたベリーは、そこで自分がいろいろな意味で理想の兵士として、ある意味で“若返る”ことを知ります。しかも独特のユーモアも備えた兵士です。たとえば、ある章は「すっかり忘れていたが、若い男はいとも簡単に勃起するのだった」で終わり、次の章は「すっかり忘れていたが、若い男はたてつづけに何度も勃起できるのだった」で始まります(そういえば私も若い頃は……いえ、なんでもありまっせんっ)。
 新兵訓練では例によって「新兵訓練の鬼軍曹」が登場しますが、本書の曹長はちょいと変わっています。『愛と青春の旅立ち』はしっかりとコケにされていて、ハートマン軍曹(映画『フルメタルジャケット』(キューブリック監督))より先鋭的。まあいろいろと先入観を持たない方がよいでしょう。ベリーが経験する実戦もそうです。予断や先入観は禁物です。ただ、コンスー族との戦いは『終わりなき戦い』(ホールドマン)、ホエイド族との戦いは『宇宙の戦士』(ハインライン)のオープニングを思い起こさせてくれます。さらに悪夢のような「ガリバー」というか「ゴジラ」というか、コヴァンドゥ族(身長1インチ)とのとんでもない戦いも。本書ラストの戦いでクリアするべき条件設定は『スターウォーズ エピソード6』のようですし(イウォーク族は出てきませんが)、惑星への侵入方法は『機動戦士ガンダム』(ファースト)です(「シャア少佐、助けてください」のシーン)。本書は『宇宙の戦士』だけではなくていろいろな巨人の肩に乗っかっているようです。異例の出世とか、友達が軍事研究部門へとか『宇宙の戦士』の変奏ももちろんたくさん散りばめられています。いやあ、読んでいてげらげらあるいはくすくす笑えます。大怪我をして治療槽に入れられるシーンももちろんあります。しかし「自分ののどちんこを自分のつま先で蹴飛ばす」なんて痛いシーンを著者はよく思いついたなあ。さらにそれに続く「ハイテクこども戦士」の登場。これまた別の意味で痛いものです(ここは『エンダーのゲーム』(オースン・スコット・カード)かな)。
 
 ただし本書は「過去の名作の単なる二番煎じ」にはなっていません。そこが著者の腕の良いところです。
 ベリーは「誰かとつながっているという確信の大切さ」について何度も言及します。それが彼の性格の特徴であり、兵士としてのユニークさ(優秀さ)(と本書の良さ)を形成する根幹となっています。そして物語の終盤の「彼女のことを話して」の連打。これは私の心に一つ一つ小さな衝撃を残し心を震わす波紋を広げます。ベリーが語るかつての妻との人生の思い出は、過去の想起であると同時に現在の自分に関する言及であり、さらにそれを語る(質問をしてきた)相手とのつながりの確認でもあります。こういった時空を越えたプロットの重層性を味わえるのはやはりSFならではの楽しみです。
 
 
30日(火)容器戦争
 かつて、ごく少数の例外を除いて日本のビールの味はほとんど同じでした。麦芽とホップだけではなくて、米やらコーンスターチやらを加えて「日本人向きにマイルドな味」にした「ビール」がスタンダードだったのです。内容で差別化できませんから、コマーシャルと店舗に対する営業で差別化してました。ところが1980年代前半、容器で差別化する戦略が登場します。大体は樽の形でしたが、今一瞬脳裡を「UFO」ということばが横切りました。そんな容器があったっけ? 注ぎ口を工夫してピコピコだかピヨピヨだか音が出るものがあったのは確実です。そんな、味は二の次で「消費者に受ける」容器の開発に血道を上げることがビールのためになったかといえば、ネガティブ。で、やっと味の開発に戻ったビール業界が出してきたのがドライ。わざわざ味を薄くしてどうするんだ、と私は思いましたが、その頃にはアルコールとは縁を切っていたので「もーどーでもいーや」でした。
 
【ただいま読書中】
ニッポンの地ビール ──全国津々浦々、229醸造所を巡る』地ビール完全ガイド制作委員会 著、 アスキー、2007年、2400円(税別)
 
 1994年いわゆる地ビール解禁が行われました。以後各地で様々な「ビール」がつくられるようになっています。
 まずはビールの基本材料。
 麦芽(モルト)は二条大麦が主流ですが、六条大麦や小麦・オート麦・ライ麦などを用いるビールもあります。麦を水につけて発芽させるのは各種酵素を生成させるためです。発芽を止めるために熱風乾燥をしますがその温度によってビールの色や香りが決まります。
 ホップは和名からはなそうの雌株の毬花です。100種類以上あり、さらに投入のタイミングから「ビタリングホップ」と「アロマホップ」に大別されます。
 水ももちろん重要です。硬水か軟水かでビールのできあがりが大きく左右されます。
 ビール酵母は上面発酵酵母(液の表面に浮く)と下面発酵酵母(沈殿しやすい)に大別されます。それぞれ発酵条件や持ち味が異なります。
 さらに日本では50%以下なら副原料として米・トウモロコシ・こうりゃん・馬鈴薯・デンプン(スターチ)・糖類・カラメルの使用が認められています。それ以外を使うと、あるいは50%を越えると法令上は「ビール」ではなくて「発泡酒」です。ここで重要なのは、コスト削減のために麦芽をケチったのも発泡酒ですが、風味付けなどのために法令以外の副原料を添加したものも発泡酒として日本では扱われることです。なんというか、「現物がいかなるものか」よりも「自分が紙に書いたもの」の方を優先させる現実を知らない(あるいは軽視する)机上の空論屋がここにもいたのね、というのが私の感想です。本書は中身重視なので、ベースがまともなものは「ビール」として紹介されています。
 ということで一口にビールと言っても様々。ビールコンテストで用いられる「ビアスタイル・ガイドライン」では85種類ものスタイルのバラエティが紹介されているそうです。
 
 で、北は網走から南は石垣島まで、「こんなに日本には地ビールがあるのか」と見ただけでげっぷが出るほどの地ビールの紹介が続きます。なにしろ造る人がそれぞれ「自分が飲みたい」ビールを造っているわけですから味も見かけも千差万別です。ちょっと目に止まったのでは、千葉の安房ビールの「いちごエール」「ブルーベリーエール」……香りがフルーティどころか、フルーツそのものの味のビール? 岡山県の独歩ビールは、バレンタインシーズンだけ「チョコレート独歩」というカカオの甘味と苦みを活かしたビールを出荷するそうです。かと思うと、副原料を一切使わず、麦芽とホップと水(と酵母)だけで造る醸造所も多数あります。それでも目標とするのがヨーロッパだったりニュージーランドだったり様々で、当然製品の性格も様々。いやあ、面白いものです。
 通信販売で取り寄せるのも良いですが、ビールと旅の両方が好きな人はこの本を片手に地ビールを訪ねて日本あちこちふらふら旅行(ほろ酔い旅行?)なんてのも乙なものかもしれません。イギリスやドイツやベルギーへそんな旅をする人がいますが、日本でもできる(ついでに好みのビールが見つかるかもしれない)ということで。都民だったら東京だけでも地ビールは9種類ありますから、まずはそのへんから始めてみられたらどうでしょう。(本書では、佐賀県以外の全都道府県での地ビールが紹介されています。佐賀県にもネットでは伊万里クラフトビールというのがあるそうなのですが)
 
 もともとビールは歴史の古い飲み物です。古代エジプトでは小麦と大麦のパンを砕いてナツメヤシや干しぶどうを加えて酵母菌を培養し、それを麦汁(これも小麦と大麦)と合わせて発酵させる手順でビールが作られていました。10%くらいのアルコール濃度(炭酸はなく酸味が強い)になったそうです。
http://homepage2.nifty.com/beeroyaji/egypt.htm 当時のビールを再現するプロジェクトですが、昔の小麦を栽培するところから始めたそうです。
 「たかがビール」「とりあえずビール」から脱却して、「自分はこのビールこそが好みなんだ」というのも乙なものではないでしょうか。下戸のお節介でした。
 
 
31日(水)最敬礼
 深々と頭を下げたとき、その人のお尻は可能な限り最大限後ろに突き出ています。
 
【ただいま読書中】
物語 タイの歴史 ──微笑みの国の真実』柿崎一朗 著、 中公新書1913、2007年、920円(税別)
 
 私にとってタイ(シャム)は「山田長政」「王様と私」「象」「ムエタイ(タイ式キックボクシング)」ですが、それ以外にもたっぷりといろいろある国の歴史を通史として物語ったのが本書です。
 2006年9月19日、タイでクーデターが起きました。著者はちょうどそのときバンコクに滞在中でしたが、街はずいぶん穏やかな雰囲気だったそうです。実はタイではクーデターは珍しいことではありません。1932年に立憲君主制に移行してから成功したクーデターは11回。失敗したのを含めたらクーデターの数は半端ではありません。
 タイおよびその周辺に住むタイ族は言語学的にはタイ・カダイ語族に属します。もともとは揚子江の南側に住んでいたのが漢民族の圧迫によって現在の地に移住してきた、が定説です。(ビルマ族やベトナム族も同様の動きをしているそうです) メコン川流域では9世紀にはクメール族によるアンコール朝が創設され、最盛期には現在のタイ東北部からラオス南部、マレー半島北部に及びました。メコン川流域・チャオプラヤー川流域にはタイ族による国家が次々建国され、13世紀にはタイの正史ではタイ王国の始まりとされるスコータイ王国が始まります。
 14世紀にはアユッタヤー王朝が興ります。アユッタヤーはクメールに攻撃を加えます。1431年クメール帝国は崩壊し、アンコールの都は密林に埋もれます。アユッタヤーはクメールの思想や文化を吸収し、他のタイ族とは違う「シャム」的王国となります。ところがビルマに“ライバル”が出現します。1531年のタウングー朝です。タウングー朝はタイに侵攻し、アユッタヤーは一時ビルマの支配下に置かれます。15年後に“独立”が達成され後期アユッタヤー朝が立ちます。アユッタヤーは交易国家で外国人が多数居住し、16世紀後半には日本人町も形成されていました。有能な外国人は官吏として登用されましたが、その一人が山田長政です。
 ビルマの侵略によってアユッタヤー王朝は滅亡します。しかしビルマの拡大を懸念した清が1766年遠征軍をビルマ北方に送り、そのどさくさにタークシンがビルマ軍を追い出しトンブリー朝を興します。1782年にはタークシン王を処刑してラーマ一世が即位。現在に続くラッタナコーシン朝の始まりです。ラーマ一世はタイの勢力を拡大させ、現在のタイ・カンボジア・ラオスを合わせた領域を支配しました。「万世一系」はないようです。
 日本が「開国」したころ、タイも欧米列強と不平等条約を結びました。イギリスは経済的にタイを支配しようとします。ついでベトナムからフランスが圧力をかけ、少しずつ領土をむしり取っていきます(現在のラオスやカンボジア)。シンガポールとビルマを支配していたイギリスは、タイをフランスとの緩衝地帯として利用しようとします。さらにタイ自身は近代化の努力をしました。その結果、1909年には現在のタイの国境がほぼ確定します。第一次世界大戦で、タイは中立宣言をし、情勢を見極めてから1917年ドイツに宣戦布告して“勝ち組”に入ります。不平等条約改正のための賢い戦略でした。
 絶対王制に対する不満が高まり、1932年クーデターによりタイは立憲君主制に移行します。今のタイのような王に対する絶対的な信頼感は当時はなかったんですね。第二次世界大戦、前例通りタイは中立宣言をしますが、以前割譲した領土の回復要求からタイ対フランスの軍事紛争がおきます。日本が調停をしていくらかの領土回復が行われますが、タイは“勝ち組乗り”の姿勢を崩しませんでした。しかし、ドイツの圧倒的優勢・日本軍の仏印進駐・開戦後の日本軍の快進撃を見てタイは連合国に宣戦布告をします。ただし、連合国には「自分たちは日本に巻き込まれただけ」のポーズを示していました。世渡り上手です。留学生を中心に「自由タイ」という抗日運動体が組織され、政府や軍に浸透します。結局終戦直後タイは「宣戦布告はなかった」ことにします。アメリカとイギリスとフランスは対応が割れますが、結局国境線を元に戻すことなどでタイはさっさと国連に加盟できました。その後冷戦やベトナム戦争がタイを揺るがします。さらに、国民の支持を失った政権に対する軍事クーデターを国民が支持する、というちょっと変わった“伝統”ができます。
 
 タイは微笑みの国……たしかにそう見えます。人びとは穏やかで僧侶に対しては敬虔な態度です。だけど、ムエタイの会場に行ったらあの熱狂はすごいですよ。おだやかとか微笑みなんかカケラもありません。どちらも、タイです。