2007年11月
 
1日(木)沈黙の労働者
 キッチンが1Fでレストランのフロアが2Fにもあるような場合、人は乗らずに料理や皿だけ上下させる小型のエレベーターが活躍します。ダムベイターと言っている人がけっこういますが、本当はダムウェイター。文句を言わずに黙ってお仕事をする機械仕掛けの料理運搬人です。ところがこの「ダム」が“政治的な正しさ”に引っかかって、建築基準法施行令(昭和25年政令第338号)の改正(平成12年6月1日施行)により名称が「小荷物専用昇降機」に改められましたが、それで日本社会がどのくらい良くなったのかは知りません(社会を良くするための“正しさ”ですよね?)。
 英語圏だと「dumb」には口語で「のろま、ばか」という意味がありますから禁止する意味はわかります。だけど日本で人を罵るのに「ダム!」と言っている人がいましたっけ? 「damn」と言っている人はいるかもしれませんけどね。
 
 そうそう、この件に関してネット検索をしたら、インドネシアの法的定義が出てきました。「ダムウェイターとは、搬器の床面積が1平方メートルを超えず、その高さが1.2メートルを超えないエレベーターであって、荷物の運搬のみに用いられるものをいう。」なんですが、そこに「労働移住大臣」ということばが登場します。日本だと「厚生労働大臣」ですが、世界をどう切り分けて認識するかは国によって本当に様々なんですね。
 
【ただいま読書中】
崩壊した神話 エレベーター ──安全を守るのは誰か?』宮内明朗 著、 丸善プラネット、2007年、1600円(税別)
 
 まずはクイズです。エレベーターとは何? それを規定する法律は?
 建築基準法第2条「用語の定義」に建築設備の最後、煙突と避雷針にはさまれて「昇降機」が登場します。そして建築基準法施行令に昇降機の定義が「エレベーター、エスカレーター、電動ダムウエーター」と規定されています。
 古代には、人力や畜力のものがあったようですが、13世紀には風車や水車を利用した機械仕掛けのエレベーターが登場します。1835年には蒸気機関を用いた「ティーグル」と呼ばれるエレベーターがイギリスで特許申請されました。1843年にはアームストロング水圧式起重機が登場し、早速エレベーターに応用されます。今の水道圧の1/3(10m水圧)でジャッキを動かす……どんな乗り心地だったんでしょうねえ。はじめは運転士や機関士が下から目見当で操縦していましたが、移動距離が伸びるとカーに乗り込んでの操縦が必要になります。オン・ザ・カー運転です。1870年頃アメリカでウォーター・バランス・エレベーターが登場します。上にくみ上げた水を釣り合い錘の水桶に流し込み、カーとの重量差で上下するシステムです。なんだか気球の上下運動を思い出します。
 ロープは帆船で用いられていた麻縄ですから、切れます。それに対してオーチスが非常止め装置を考案しました。1854年ニューヨークの万博で、釣り上げられたエレベーターの屋根に乗って主索を鯨解体用の大包丁で自らずばっと切ってみせるというパフォーマンスを連日やって見せます。これによって、オーチス社の発展とエレベーターの安全神話が始まりました。
 電気モーターと鋼式ワイヤーロープで近代的なエレベーターの時代が始まります。日本初めてのエレベーターは明治二十三年(1890)浅草十二階のもので、電動です。
 具体的な工事についても詳しく書かれていますが、ばっさり省略。ただ、きわめて精密な工事が要求されることは書いておきましょう。たとえば高速エレベーターの場合ガイドレールの真直度は10m(レール二本分)で2mmです。扉が開いたらそのまま足元を気にせずにさっと乗降できる(床の面がピッタリ合っている)のは、実はすごいことなのです。
 
 エレベーターには様々な安全装置が付けられています。上述の非常止め以外に、ドアが簡単に開かないようにするインターロック装置、最上階・最下階の手前で減速・停止するスローダウンスイッチやリミットスイッチ、目的階にぴたりと停止させる位置検出装置、昇降路の一番下の緩衝器……それでも事故は起きます。扉の隙間(4mm)に赤ちゃんの手が引き込まれたり、カーの中で立ち小便したため故障が起きたり、無理矢理ドアを開けて転落したり、子どもがゆっさゆっさと揺すって緊急停止をさせたり、雨漏りで故障したり……単純なミス・構造的な欠陥・運用のミス・不幸の連鎖・プログラムのバグ……まともに作られまともに運用されていても事故は起きます。ここには「まさか」と言いたくなる“事故”も紹介されていますが、それが事故というものでしょう。
 事故予防のためには起きた事故に関する情報収集が肝要です。そのためには目撃者(つまりは閉じ込め事故の場合には閉じ込められた当事者)から詳しい聞き取りをしたいそうですが、協力してくれない人が多い、と著者は嘆いています。まあ、急いでいるでしょうし怒ってもいるでしょうしトイレにも行きたいでしょうしね。それと同時に「保守」の大事さも著者は力説します。日本では人命と並んで軽視されている部分ですね。
 で、最後にシンドラー社の事故と森ビルでの“事件”。著者は公開情報だけで事故の解明を試みますが、さすがプロ、こんなことは報道されなかったぞ、の内容です。さらには(シンドラー社ではなくてその周囲に対する)いささか剣呑な推測も載っていますが、このへんは実際に読んでください。少なくとも、単にシンドラー社の悪口を言っていればいい、というものではなさそうです。著者は、お役所とマスコミとTVなどに登場してエレベーターに関して利いた風なことを口走る“識者”に対してはけっこう辛辣です。現場を知らずに見当外れの机上の空論を振りかざす頭でっかちに対しては、もっと冷たく振る舞うのもアリと、私には思えますけどね。
 
 本書には貴重な写真や挿絵が満載ですが、安全装置の仕掛けなどは模式図の方が素人にはわかりやすかったのではないかとは感じます。
 
 
2日(金)カラオケ番組
 居間のTV画面で、カラオケ大会がずいぶん盛り上がっています。家族に聞くと、楽譜を見ず歌詞を間違えないで最後まで歌えたら賞金がでるとのこと。
 へ? 暗譜で歌うって、そんなに特別なこと?? 私が合唱をやってた頃には、30分以上かかるような歌でも暗譜するのは当たり前でしたし、自分のパートだけではなくて他のパートも覚えてました(音をハモらせるためと、出だしがパートでずれる場合きちんとずらすためです)。オペラ歌手が本番の舞台で楽譜を持ってうろうろしている姿なんて想像できませんし、オーケストラでも総譜はどうかわかりませんが自分のパート譜は覚えるんじゃないかなあ。
 しかも、ずいぶん下手くそだから素人がやっているのかと思ったら、プロの歌い手も混じっている、とのこと。はぁあぁ……世も末だ、と決まり文句を言っても良いですか?(膨大なデータベースからアトランダムに選曲されて突然「これを歌え」と練習は数分間で本番に向かうのだったら、これはきついゲームですが…… あるいは、「どこかで必ず間違える」お約束になっていて、観客はそれがいつであるかを予測してはらはらどきどき楽しむゲーム?) 何にせよ、チープな番組です。
 
【ただいま読書中】
アンモナイトは“神の石” ──巨大な化石を求めてヒマラヤを行く』三輪一雄 著、 講談社ブルーバックス B1207、1998年、860円(税別)
 
 「何じゃコレ?」は世界に満ちあふれています。ただ、人が“それ”に出会うか出会わないか、出会って「?」を持てるか持てないか、それだけです。著者は子ども時代に大阪の山中でアンモナイトの化石と出会って「何じゃコレ?」と思い、以後その魅力に取りつかれています。著者は友人と「ハンマーズ」を結成し、カンコン岩を叩いてはアンモナイトの化石探しに熱中します。「犬も歩けばアンモナイトにあたるし、棚からアンモナイトが落ち、ヒョウタンからアンモナイトも出る……」のだすです。
 化石は古くから(ネアンデルタール人の時代から)装飾品などとして用いられていましたが、「何じゃコレ?」の対象になったのは少なくとも紀元前6世紀。古代ギリシアのクセノファネスやアナクシマンドロスは遠い過去の生物の痕跡であると考えていました。紀元前5世紀、サルディニアのサンタスは「内陸部で見つかる貝の化石は、そこがかつて海底であったことを示している」と考察しています。化石に関する考察がもう一段進歩するのは、進化論の登場を待たなければなりません。中国では12世紀に朱子がサンタスと同じ考察をしています。日本では化石はもっぱら生薬の一種でした。江戸時代に木内石亭(本名は重暁)が自らコレクションした2000種以上の奇石の中から選りすぐった800種の石を分類した『雲根志』を出版し、その中で化石を「変化類」、石器を「鐫刻類」として独立させました。ただしアンモナイトはここにはいません。日本でのアンモナイトの学術的登場は明治時代です。北海道開拓使の招きで調査をしたライマン(米)は白亜紀のアンモナイトの化石を発見、東京大学のナウマン(独)に鑑定を依頼します。ちなみに白亜紀の日本には250種以上のアンモナイトが棲息していて、日本はアンモナイト化石の“宝庫”だそうです。
 アンモナイトの語源は「アモンの角」で、古代エジプトの太陽神アモン・ラーの巻いた角からだそうです。日本では「菊石」、北海道では「カボチャ石」と呼ばれていたそうです。アンモナイトは頭足類(烏賊や蛸)の仲間で殻を持っている外殻類です。
 ハンマーズはアンモナイトを求めて、群馬県から淡路島、北海道などを「アンモナイトが生きていた地層」という観点から俯瞰・移動・化石採集をします。観点が違うと日本列島が全く違って見えます。面白い面白い。この人たち、ノリが良くて「何じゃコレ?」と「行こう行こう」で行動しているようです(と本書には描写されています)。そしてついにはネパールに「行こう行こう」。ヒマラヤは古生代末のテチス海の地層で、ネパールにはそこに特徴的な真っ黒なアンモナイトがごろごろころがっているというのです。雨期の気まぐれな天気・高山病・無謀なスケジュールを乗り越えた一行を迎えるのは、タイトルに書かれているような感動のエンディング……かどうかは本書をどうぞ。
 
 本書では、アンモナイトに限定せず、アマチュアが発見・同定・報告した様々な貴重な化石についても多く書かれています。天文学もそうですが、古生物学でもアマチュアが大変大きな活動をしていることを見ると、科学のルーツ(19世紀の科学はアマチュアによって支えられていました)を思い起こせて思わず私は感慨にふけってしまいます。別に19世紀に生きていたわけではないのですが。ただ、「ブーム」だからと押しかけて、ゴミの片付けもせずに現地を荒らすだけ荒らす輩は“アマチュア”ではなくて“社会の粗大ごみ”と呼ぶべきだとは思います。本書にもそういった連中のことがちょこっと書いてあって、どうも困ったものです。
 
 
4日(日)エナメル線
 『大人の科学』を買って、なつかしの鉱石ラジオを組み立てることにしました。まずはコイルを巻く作業からですが……「枠にウレタン線を巻きつける」とあるのですが、目の前にあるのはどう見ても「エナメル線」なのです。そもそも私は「ウレタン線」ということばを知りません。「私は、育った世界から異次元世界に知らないうちに移転してしまったのか」と一瞬心配し、次に「『エナメル線』は実は差別用語で、使えなくなったのを私が知らないだけなのか」と思いました。で最後に「エナメルとウレタンは違う物質か」と思いつきました。要は電線(この場合は銅線)が絶縁できればいいのですから、違うものを銅線に塗ってもかまいませんよね。
 私が知らないうちにどんどん進化する世界って、きらいです。
 
【ただいま読書中】
大人の科学 04 ラジオ大特集号』学習研究社、2004年、1600円(税別)
 
 で、肝心の鉱石ラジオですが、老眼を酷使してやっとこさ完成させ、胸を躍らせてバリコンをそっと回してみたら……沈黙です。ぴーともがーとも言ってくれません。くやしい。どこかで配線を間違えたか、接触不良か、石が死んでいるのか。
 そういえば中学の時に鉱石ラジオを作ってみたらやはり全然鳴らなくて、アマチュア無線をやっているクラスメイトに見てもらっても結局原因がわからなかったことを思い出しました。初めてだからと一番単純な回路(使う部品は、ダイオードと抵抗とバリコンとイヤホンだけ)の図を引いて、あれで失敗する方が難しいと思うくらいだったんですけどね。結局部品を電気屋のジャンク(中古)で揃えたのがいけなかったのか、ということになったはずです。そのあと作った真空管ラジオ(三球と四球スーパー)はちゃんとできたのですから、私の腕やセンスが悪いのではない、と信じたい。
 ということで連休のうち半日かけて、配線の再チェックやつなぎ直しや接点磨きをやりました。もう一度バリコンを動かすと……やはりぴーともがーとも言いません。ふと、屋内の電波状況が悪いのか、と思いつきました。我が家は構造体に鉄骨が入っているせいか、場所によっては携帯電話でも感度が落ちることがあるのです。早速外に持ち出してじんわりとバリコンを回したら……地の底から聞こえるようなかすかな話し声がイヤホンから。じわりと感動。いやあ嬉しい。とにかくラジオが生きていることはわかりました。電池を入れて増幅する回路もあるのですが、とりあえず満足です。「ラジオを聞く」ためではなくて「動くものを作る」ためにやっていた作業ですから。
 
 しかし、昔々の、ラジヲが普及する前にラジオ局を始めようと思った人は一体どんな覚悟でその事業を始めたんでしょうねえ。受信する人が誰もいない世界に電波を発信する覚悟? 逆に、もうラジオが普及していたとしたら、その人たちは何を受信するためにラジオを持っていたんだろう?
 
 
5日(月)ハワイ
 日本にもハワイがある(羽合温泉:水辺の気持ちよい小さな温泉街です)、はともかくとして……
 グレープフルーツの輸入自由化が言われるようになった時代(まだ1ドルは360円の固定レートだったかな)。友人のお母さんがハワイ旅行から帰ってきて「ハワイでは、日本語じゃなくて広島弁が通用した」と言ったのが今でも印象に残っています。その頃私がハワイに関して知っていたのは、当時活躍していた大相撲の高見山がハワイ出身だったことくらい。で、なぜ広島弁が通用したかと言えば、広島からの移民がたくさんいたから、なんですね。おそらく移民一世の人は太平洋戦争の時には苦労をされたはずですが、この世界には自分に身近なはずなのになんにも知らないことがたんとあって、困ります。無知を自覚するにはどうすれば良いんでしょう? 無知であることは
改善の余地がありますが、無知であることに無知であったら、そこで満足して止まってしまうんですよねえ。
 
【ただいま読書中】
ハワイの日本人移民』山本英政 著、 明石書店、2005年、2800円(税別)
 
 ハワイへの日本人移民の歴史は、1867年まで遡ります(明治元年だから「元年者」と呼ばれるそうです)。ただしこれはすぐに中断。1884年に官約(日本国とハワイ国の間の3年間の労働契約・平均月給15ドル)が始まり、以後10年間で約29,000人がハワイに渡ります。これはすごい人数です。何しろ当時のハワイの人口は約10万人だったのですから。1890年にはサトウキビ畑の労働者の4割が日本人になったそうです。1894年には官約から民間移民会社による私約に移行し、以後6年で125,000人がハワイに渡りました。移民は(ある種の人にとっては)ぼろい儲けを意味していました。形式的に契約書があっても、実態は脅しまたは欺しによって南方諸島から中南米に“奴隷”として売られる人が大量にあり、その商人がハワイで契約を終えた日本人にも手を伸ばしていました(中南米などに“売”ろうとしたのです)。
 ハワイで“アメリカ人(白人)”は少数派でした。1894年には1,900人です。しかし彼らは1887年にハワイ国の行政の実権を奪い、女王リリウオカラーニ(「アロハ・オエ」の作曲者)がハワイ人に実権を取り返そうとするのに対して1893年革命を起こし王朝を終わらせます。同時にハワイでは「日本(人)脅威論」が高まり始めます。本書ではこれを、USAがハワイを併合するために日本を挑発し、それによってハワイを日本から“守る”ために併合する大義名分とした、と捉えます。革命後のハワイ共和国における欧米人優遇に対して「日本人にも参政権を」と日本は軍艦二隻をハワイに派遣しますが、これもまた「日本によるハワイ侵略の意図」ととられました。もともと中国移民を制限するための日本移民奨励だったのですが、こんどは日本移民を制限して(高賃金の白人労働者は使えないから)また中国移民を導入しようとします。時はあたかも日清戦争の最中、いやあ「政治」ですなあ。それでも日本人の数は増加し、1897年には25,000人、全人口の23%となります。これはたしかに社会問題になりそうです。1897年に日本移民上陸拒否が始まり、それに対して日本は「在留日本人保護」を名目に外務参事官と軍艦「浪速」を派遣、賠償と謝罪を要求します。ところが米・ハワイ合併条約が突然締結されます。アメリカは別に日本と事を構えたいわけではなかったようですが、翌年のスペインとの戦争(その結果、カリブ海とフィリピンのスペイン領土がアメリカが獲得しました)を控えて、いろいろ手を打つ必要があったようです。
 ハワイは様々な疫病に襲われてきました。1804年の消化器系の病気(腸チフスか赤痢と考えられています)で人口は半減、1840年代には麻疹(メキシコから)・赤痢と百日咳(カリフォルニアから)、それに続いて天然痘(またカリフォルニア)が流行。1850年に衛生局が作られ防疫体制を敷きましたが(USAでさえまだそんな組織はなかった時代です)、かつて20〜30万人だった人口は7万人になっていました。移民の増加によって今度は東洋から病気が持ち込まれます。天然痘、そして1895年にはコレラが中国から持ち込まれます。そして1899年ペストが香港で流行します(日本でもこの年76件の罹病が記録されています)。そしてホノルルのチャイナタウンでペストが発生。チャイナタウンに入ったボランティアは街のあまりの不潔さに驚きます。衛生局はチャイナタウンを隔離・中国人と日本人の移動を禁止・ごみの焼却・消毒薬の散布・船の検疫を行いますが流行は収まらず、とうとう汚染地域と指定されたブロックの一部焼却が決定されます(この処置は当時は各国で通常のことでした)。しかし1900年1月20日の焼却は突然の強風に煽られてチャイナタウン全体が灰燼と帰します。日本人もたくさん焼け出されました。金のないハワイ政府は賠償を渋りますが、日本政府はハワイがもうすぐ合併するアメリカ政府と交渉、なんとか妥協策を引き出しました。
 日本人は「少数派」として黙々と働きました。本人たちは差別を受ける被害者と自覚していたはずです。しかし、ハワイの側から見たら、非常に多くの人間が言葉も通じない状態で自分たちの社会に入ってくるわけで、警戒をするのが当然でしょう(私は身近なところで、日本での「在日」への扱いを想起します)。さらに、日本人の行動自体にも問題がないわけではありません。全員が真面目で勤勉なわけではないのです。本書はバランスの取れた書き方がされています。さらに本書では、ハワイが中心ですが太平洋全体が周辺視野に入っています。この視野のままで続編(20世紀)を期待したいところです。
 
 
6日(火)葱
 何年前でしたか、スーパーで「サラダ用野菜」として少量ずつ刻んだ野菜が数種類組み合わされてパックで売られているのを初めて見たときには「便利な時代になったもんだ」「手間とゴミは省けるから、独身時代に欲しかったなあ(レタス一個買ったら、最後まで使いきる前に大体痛んでいましたから)」「でも、高いなあ」という感想を持ちました。そのうちきざみ葱がパックに詰め込まれて売られるようになって、こんなにたくさん誰が買うんだ?と思いましたが、最近その冷凍パックを見つけました。掌に乗るくらいの袋で300円近いけっこうな値段がついています。……これができるのだったら、安いときに自分で刻んで冷凍しておけばいい、と思ったのは、主婦の発想?
 
 写真は、庭に植えた万能葱です。実はこれ、三度目のおつとめ中。最初はスーパーで買ってきて、使ったあとの根っこ部分(4cmくらいだったかな)を夏に植えたらみごとに育ったので先月収穫して美味しく頂きました。採ってすぐだと、色鮮やかでシャキシャキしていて店で売っているのとは歯触りが全然違うの。しかも元は捨てる生ゴミだったと思うとますます美味しい。で、収穫はハサミでやった、のが1枚目の写真です。そのまま放置していたらまた葉が伸びてきた、が2枚目。2週間でここまで育ちました。もう少し成長したらまた収穫します。楽しみです。
 一本と言わずにもっと植えておけば良かったなあ……って、庭を葱畑にするわけにもいきませんね。
 
【ただいま読書中】
ダ・ヴィンチ・コード(上)』ダン・ブラウン 著、 越前敏弥 訳、 角川書店、2004年、1800円(税別)
 
 深夜のルーヴルでソニエール館長が殺されます。たまたまパリに滞在していた宗教象徴学教授ラングドンは、ソニエールの死体が作った“暗号”を解くために警察に呼ばれますが、実は彼は第一容疑者で逮捕される予定だったのです。
 深夜のルーヴルからまんまと脱出したラングドンは、聖杯の謎を解明するために奔走することになります。一晩に二度も銃口を覗き、一度は撃たれ、それでも都合よく現れる協力者の助けを借りて、ラングドンは少しずつ真相に接近していきます。
 
 わかりやすい構図です。悪役はカソリックの世界に巣食う「悪の教団」(もっともこの教団も手下であって、その裏にさらなる悪役(おそらくラスボス)がいることは最初から明示されていますけど)。対するは、「レイダース」のインディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)のような鞭や銃は持ってないけれど一応学識を持ったヒーロー。ヒロインは被害者の孫娘。若くて美人で「家族の謎」を持った暗号解読官です(といって、大した腕ではなさそう。暗号の「O」と「Oh」の違いを「どちらもオー」とあっさり無視しますか? というか、あの「暗号」、ただのことば遊びレベルなんですけれど)。
 展開はもったいをつけすぎ。「……にあったのは、実は」で切って、次の章に行ってしばらくしてから「実は、○○だった」を章のたびに繰り返されると、気の短い私はだんだん苛々して早送りボタンを押したくなります。これは長編小説であって、少年漫画雑誌の連載じゃないんですから。ヒロインがトラウマとして抱えている「おぞましい儀式」もどうせ性にまつわるものでしょ、と言いたくなるけど、この「謎」は上巻では明かされません。引っ張りすぎです。
 なんでこんな作品が国際的なベストセラーになったのか、読んでいて不思議です。いや、教義や秘儀の「正しさ」がどうのこうのとか、世界に知られた「秘密」結社がどうのこうの、とかの真正性は私にとってはある意味どうでもいいことです(本書でのグノーシスに関する解釈はとってもアヤシく感じましたが、私はグノーシスに関しては本を一冊『グノーシス ──古代キリスト教の〈異端思想〉』を読んだ程度の知識しか持ってないので大きなことは言わないことにします)。まあ、別に「正し」くなくても、それがフィクションの中で有機的に結合して一つの素晴らしい世界を形成しているのなら大いに楽しむことができます。虚構と現実の区別ができる人間には。でも、本書はそれ以前、「ダ・ヴィンチ」「ルーヴル」「教会」「宗教象徴学」といった“ビッグ・ネーム”にもたれかかってしまっていて「文学作品」「エンターテインメント作品」としての作り(ストーリー展開とか登場人物の行動の整合性とか悪役の憎々しさとか)が大変甘いように私は感じます。キャラも薄くて、誰に感情移入したらいいのかわかりません。甘くて薄い……う〜ん、炭酸煎餅?
 「キリスト教」「薔薇」「蘊蓄」「謎解き」ときたらたとえば『薔薇の名前』ですが、これと比べるのはやはり酷かなあ?
 
 
7日(水)時間限定一方通行
 私の通勤路の途中に中学校があります。先週の出勤時、その前の道の私から見て対向車線に車がずらりと並んでいて警察官がたくさんうろうろしていました。「おやあ、事故かな」と思いましたがそのまま通過。ところが翌日も。「おやあ、また事故かな」。
 ところが今週もまた。いくらなんでも変です。車列を通り過ぎたところで、向こうから来たバイクが急にUターンをしました。警察官が走って追いかけています。ここで鈍い私もやっと気がつきました。この道は、通勤・通学時間帯は向こうからは進入禁止になっているのです。普段は向こうからばんばん車が来るものですからそれが普通だと思っていましたが、あまりの多さについに警察が取り締まりを始めたのでしょう。
 しかし、校門の前で切符を切られるのって、もし自分の子どもや近所の子どもが通学していたら、見られたくない姿でしょうねえ。
 そして昨日。校門の前に警察官の姿は見えません。そして対向車線にはまたこちらに向かって走ってくる車の姿が次々と……
 
【ただいま読書中】
ダ・ヴィンチ・コード(下)』ダン・ブラウン 著、 越前敏弥 訳、 角川書店、2004年、1800円(税別)
 
 ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を読み解くところは楽しめました(というか、私は基本的に絵の読み解き(を他人がやってくれるの)は好きなのです)。ただ、ここで述べられているのはあくまで「ダ・ヴィンチによる最後の晩餐の解釈(だろうと著者が解釈していること)」であって、「最後の晩餐の真実」ではありません。これでなんでタイトルが「ダ・ヴィンチ・コード」なんでしょう?
 そして、イエスの子孫……それほど衝撃的な新事実? 私にとってはこの20年で3回目の“新事実”なんですが。日本の漫画でイエスの生涯を描くのにマグダラのマリアと同衾している姿を描いたのは……誰だったかなあ、たしか安彦義和さんだったと思うのですが、タイトルは失念しました。それから、現代アメリカが舞台で、地上をさ迷う神とはぐれ天使二人とイエスの末裔の人間とがどたばた珍道中、というコメディ映画も観た覚えがあります(これまたタイトルは失念)。私にとっては「何を今さら」の話題です。
 というか、生母もとい聖母マリアが「ヴァージン」であることが重要なのは中世期以降の教会にとってであって(三位一体とのからみで、イエスが神の領域に属するのか人の領域に属するのかが(自らの正当性と命を賭けての)大問題だったから)、古代のイエスが生まれた地域ではシングル・マザーは「ヴァージン・マザー」と言われるのが普通だったそうだし、さらに「イエスがヴァージン(童貞)かどうか」なんて枝葉末節でしょ。大切なのは教え(の実践)であって、教えた人の子孫がいるかどうか・その人が子孫を残したかどうか、にこだわるのは、仏教で嫌うところの「こだわり」「とらわれ」じゃないかなあ……あ、仏教の話じゃなかった。
 
 そしてラスボス登場……うわあ、やめてくれ。完全な竜頭蛇尾です。ここまで引っ張って引っ張って、それでこのラスボスですか。いや、たしかに伏線と整合性はありますが、これはないでしょう。私は本を放り出したくなりました。やりませんけれど。
 
 
8日(木)まぶた
 まぶたは不思議な臓器です。皮一枚のくせに妙に素早い。厳密に測定したらおそらく人体では運動速度が一番早いのではないでしょうか。しかもそれを何回でも繰り返すことができます。
 さらに不思議なのは、皮一枚のくせにそれを目の前に下ろしたら目の前が暗くなること。あんな薄い皮が暗幕になるわけありません。光はじゃんじゃん透過しているはずです。それで暗くなったと感じるとしたら、もしかしたら「まぶたをおろしたぞ」と脳みそが安心して光を感受する努力を放棄しているんじゃないかしら。
 
【ただいま読書中】
ヒラメは、なぜ立って泳がないか』佐藤魚水 著、 新人物往来社、1995年、2718円(税別)
 
 「左ヒラメ、右カレイ」は有名なことばですが、例外もあります。ヌマガレイ(またの名をカワガレイ)はカレイ科なのに二つの目が左側にあるのです(ただし、カリフォルニア沖では、右と左が半々、アラスカ沖では左側が70%、そして日本産では100%左側)。
 ヒラメの稚魚は、ごく普通の魚の形に見えます。ところが体が段々平べったく幅広になると同時に、右目が頭のてっぺんに向かって移動を始め数日後には左目の近くに落ち着いてしまいます(カレイはその逆)。これは甲状腺ホルモン(サイロキシン)の影響だそうです(ついでですが、オタマジャクシがカエルに変態するのも同じホルモンによるのだそうです)。
 そしてそこから魚の蘊蓄展開が始まります。鯛が赤いわけ、海の魚が塩辛くないわけ、魚は眠るときに目を閉じるか、タナゴは生きた貝にどうやって産卵しどうやって受精するか、カジキマグロという魚はどこにいるか、サケは赤身魚か(答え:マグロ・カツオなどの「赤」はヘモグロビンとミオグロビンですが、サケの「赤」はカロチノイドなので白身魚です)、タコやイカに生えているのは腕か足か(頭の下に生えるのは腕、と著者は明快です)、イカの口はどこにある、スルメイカのセックスは数秒・マダコのセックスは3日間、フグ毒一匹分で何人殺せるか(計算上はマフグ一匹で32.5人。0.5人殺すのは難しいと思いますが……という問題ではないですね)、フグをテッポウというのはなぜか(「当たると死ぬ」と「なかなか当たらない」の両説あるそうです)、魚の縞模様の縦横は(体軸(頭から尾びれ)に平行なら縦、直角なら横縞です)、海藻と海草の違い、江戸っ子が愛した初鰹はどこで獲れたものか……
 
 しかし、魚屋に「赤身魚下さい」「白身魚下さい」とやって来る客がいる(そして魚屋が「そんな魚はないよ」と答える」)のは本当なんでしょうか。薬屋に「湯冷ましください」と来る客がいるというご時世だから、いてもおかしくはないでしょうけれど。
 
 
9日(金)お好み
 「広島焼き」ということばがあるそうです。「九谷焼」や「有田焼」は知っているけれど、広島のそんな焼き物は知らないぞ、と思ったら、「広島風お好み焼き」を省略してそう呼んでいる人がけっこう多いんだそうです。だったら「大阪風お好み焼き」は「大阪焼き」で「東京のもんじゃ焼き」は「東京焼き」? ちがうでしょ。
 日本中が焼け野原になるようなそんな雑なことばの省略は、あんまり好きになれません。この語で大切なのは「お好み」ですから、略すとしたら、広島では「お好み」と「大阪(関西)風お好み焼き」でしょうし、それ以外の地域ではあまり短くはなりませんが「広島風お好み」かな。
 
【ただいま読書中】
『国会等の移転 オンライン講演集 平成19年3月 第4集』国土交通省国土計画局首都機能移転企画課 編集、2007年
 
 平成18年から19年にかけて、国土交通省のサイトに掲載された講演12本をまとめた小冊子です。値段がついていませんが、お役所が図書館に配ったようです。タイトルは耳慣れないことばですが、世間で広く使われている「首都移転」は間違いで「首都機能移転」の方が正解に近く、法律上は「国会等の移転」なんだそうです。(国会で「国会等の移転」決議が行われたのは1990年です。あれれ、この17年間は一体何に消費されたのでしょう?)
 
 大地震が起きたら、東京では何が起きるでしょう。交通機関は寸断されるでしょうから東京で働いている人(で、無事生き残った人)は歩いて帰らなければなりません。「徒歩帰宅マップ」がありますが、超高層ビルの上層にいる人は、まず地上まで階段で下りなければなりません。やりたいと思います? それもビルの住人が一斉に避難しようと殺到する状況で。そうそう、大地震だと東京の超高層ビルは下手すると1時間くらい揺れている可能性があるそうです。うう、考えただけで船酔い、いや、ビル酔いしそうです。
 では今何ができるか。まずは重要なデータの二重化です。ではどこに? 東海地方は、東海地震・東南海地震・南海地震が待ちかまえていますから、東京より北の方が良さそう、と本書トップバッターの著者は述べます。
 ノースリッジ地震の時ロサンジェルス市長は「今日は市役所は休み、企業もなるべく休んでくれ」と記者会見で言いました。停電・断水で(緊急要員以外は)出勤してもろくな仕事はできません。出勤するよりも近所の救助活動をしてもらい、さらに不要不急の人と車の動きを抑制して人命救助のための緊急車両を最優先とする措置だったのです。日本でそれを宣言したらどんなことになるか、と3つめの講演では皮肉っぽい思考実験が行われています(「この非常時に役人が休むとはけしからん」が蔓延するのではないか、と)。たしかに真の公共の利益とは何か、を語れる成熟した日本人がどのくらいいるかは疑問ですね。
 首都機能移転の目的は「一極集中の是正」「国政改革」「災害対策」の三つがあるそうです(他の講師は「対テロ対策」もあげています)。これまでの議論では、最初の二つが同時にからまっていたため、結局議論がちゃんと盛り上がらなかった、と第四講の講師は述べます。政治機能を移転させてせいぜい数十万人を動かしてもそれだけでは一極集中の是正にはならないし、国政改革(たとえば国会開催で一日一億円かかるそうです)をするのに首都機能を移転しなければならないという理由もありません。だけど三番目、防災はどうでしょう。この講師は、まずは臨時国会を各地で開くことを勧めます。いざというときのシミュレーションになるからです。
 第五講では逆に東京への集中を勧めます。ただしそれは衰退する地方を切り捨てるのではなくて浮上させる政策とセットにして、だそうです。そんなに上手くいけばいいんですけどね。下手すると「東京」の中に新たな格差(過密の中での経済的な地域格差)が生まれるだけかもしれません。
 第十講では「江戸」が語られます。江戸時代の日本は一種の連邦国家ですから、江戸は東京とではなくてワシントンと並べて論じられるべきだと私は思うんですけどねえ。現代のニューヨークに当たるのが江戸時代の大阪で、だから江戸幕府は「小さい政府」を実現できたんでしょ?
 第十一講では商業のあり方が論じられます。もし「お互いにすぐ会えることが重要だから東京に会社が集中する」のなら、なぜ電子メールがあんなに使われるでしょう。広い国土に企業が散らばっているアメリカでどうして商業が盛んなのでしょう。「本社が東京にあること」は、心理的な意味はあるでしょうが。さらに、出生率が低い東京に若者が集中することで日本の少子化はますます進む懸念があります。「女性の就職が多くなったから、出生が減った」という間違った説は信じないように。実際には若い女性の専業主婦率が高い都道府県ほど出生率は低く、首都圏の専業主婦率は全国トップなのです。首都圏はこれまで、人口の自然減を社会増で補ってきましたが、地方はもうこれ以上人(若者)を搾り取れない状態になってきています。さて、このままで日本は本当に良いのかな?
 
 
10日(土)平仄
 先日新聞に「新聞は『平仄』なんて難解なことばを使うな」という読者からの投書が載っていました。小学生かなと思ったら戦前生まれの人からです。
 う〜みゅ、「わからないことばがあったら辞書を引きなさい」と私は躾けられて育ったのですが、この投書子は国語辞典がそばにないのかなあ。一応念のために一番手近に転がっていた辞書を引いてみました。ひょうそくひょうそく……あらありません。おっと、これは「小学国語辞典」だった。
 私がこのことばに出くわしたのはたぶん中学の時、意味を詳しく知ったのは高校の漢文の授業でした。漢字および漢文の奥深さを知って、ある意味感動ものでしたけれどね。
 わからないことばがあったら辞書を引きましょう。親切で詳しい人に話を聞きましょう。「俺の知らないことばを偉ぶって使うな」なんて新聞に投書するよりちょっと辞書を引いたり本を読んだら、人生が豊かになる可能性大です。もちろん偉ぶったエセインテリを批判するのを止めようとは思いませんけどね、「平仄」はインテリのことばじゃないでしょう?
 
【ただいま読書中】
桃尻語訳 枕草子(上)』清少納言 著、 橋本治 訳、 河出書房新社、1987年、1200円
 
 「春って曙よ! だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!」で第一段が始まります。こんなのアリ?と思いますが、ありなのです。前書きで著者はその“正当性”を主張します。日本の古典で見られる句読点を欠き息継ぎの間だけでだらだらと続いていく文章は、すなわち話し言葉であり、さらに清少納言は1000年前のインテリのキャリア・ウーマン。彼女を現代に置き、さらに原文に足したり引いたりの作業をせずに“直訳”したらどうなるか。するとあーら不思議、「はるはあけぼの」は冒頭の文章になるのです。納得? 
納得。
 ただ単に“直訳”するだけではありません。古文の直訳だけだと現代人にはわけがわかりません(たとえば「硯の蓋を差し入れる」って何のこっちゃ、でしょ?)。そこで清少納言御自らの「註」による蘊蓄の嵐が読者を襲います。平安時代の貴族の生活がどんなものだったか、行事の意味は、殿上人は実はどんな連中だったか……学校の古典の授業で習ったのとは全然違う人間くさい「世界」が読者の前に広げられます。(さっきの「硯の蓋」はお盆の役目を果たしていて、それに差し入れの食べ物などをのせて女房たちが立てこもっている御簾の中に男(中宮と清少納言たちが出かけた家の主人)が文字通り差し入れたのです)
 註の一例を。「ファッションの話しますね。分かんないでしょ? ナウいんだから。フフフ。“直衣(のうし)”っていうのは貴族の普段着ね。衣冠束帯がタキシードのフォーマル・ウェアだとするとさ、直衣っていうのは“お父さんの背広”ね。」「あのさ、話は飛躍して悪いんだけど、結局あたし達は“イスラムの女”だったのね。なにかっていうと、直接男の目に触れないようにして生活しているっていう点でね。」「翁丸がね、こっそりと帰って来てさ、それでみんなが「生きててよかったねェ……」って涙を流すのはさ、大きな声じゃ言えないけど、あたしとしては流罪になった伊周様のことが頭にあるからなのね。第五段の初めの註を見てもらえば分かると思うけどさ、ね?」 ……あ〜あ、一例のつもりが三例もあげてしまった。おまけです。藤原伊周(これちか)ってのは、清少納言が仕える中宮の兄で道長の甥。道長によって権力の座から追われた人です。
 そうそう、「権力」と言ったら、「この時代の権力者は誰か?」と問いを立てたらその答の選択肢から真っ先に排除されるのが天皇です(と本書の解説に書いてありますし、私もそれに賛成です)。天皇の父はすでに死んでいるか出家しているので、これも排除です(まだ院政の時代ではありません)。結局第一位は天皇の外祖父、第二位が天皇の母ということになります。おやおや、結局天皇の意味は何? だからこそ後日院政が登場するんですね。その場合でも結局天皇の意味は何?になっちゃうんですけど。
 本書には男も多数登場しますが、清少納言が評価するのは「家柄」と「ファッション」“だけ”です。男ってそれだけの価値しかないの?
 男と言えば、男女の仲についてもあちこちに書かれています。朝、男が帰ったあと床に使ったティッシュ(陸奥紙)が散らばっている、なんて生々しい描写も。こんなの授業では習わなかったなあ。
 
 清少納言自身を自著の解説者として起用して現代語で喋らせる、しかもこの清少納言が平安時代と現代と両方に通じているというなんとも驚きの設定です。まるで清少納言の一人芝居ライブ。これはもう楽しむしかありません。受験生も、変な参考書読むより本書を読む方がよほど『枕草子』(とその背景となった平安時代という「世界」)について深く広く知ることが出来まっせ。ということで巻頭の献辞が「とりあえずは、受験勉強に頭に来ていた諸氏諸嬢、ならびに受験勉強に頭に来ている諸君へ──」になっているんですね。
 
 
11日(日)授業参観
 最近授業参観は土曜が続いていて「土曜が仕事の親だっているんだぞ」とぶつぶついっていたのが聞こえたのか、今日は日曜日の授業参観でした。
 10年くらい前には親のおしゃべりがうるさいくらいでしたが、「最近の親はおしゃべりよりもメールに夢中で静かになった」なんて噂をネットで聞いてその真偽も確かめられる、と勇躍(?)出かけました。若いお母さん方を眺めることが楽し……げふんげふん、何でもありません。隣りに家内がいることを忘れてはいけません、はい。
 たしかに親のおしゃべりはほとんどなくて静かでしたがメールを打っている人もいませんでした。単に時代の違いなのか、それとも地域の違いなのか、何はともあれ親も子も教師も授業に静かに集中できるのは良いことです。
 今日の授業は「広さ」です。塾で習っている子がさっさと「縦かける横」と言いますが、黒板に不定形を出されてあえなく沈没。いろんな教材を使って例を示し、自分で考えさせ手を動かさせ、いろんな考え方を発表、その上で“正解”を教えるという手順です。自分が教わった記憶では「面積は縦かける横」と最初に丸暗記して、だから四角形から三角形や台形の面積にいくところで多くのクラスメイトが脱落しかけました。今は40年以上前とはずいぶんやり方が違いますが、今の方が好ましいな。
 そうそう、我が子の行動は……どうも異様に静かでしたが、たまに手を上げるとばしっと当てられていました。まあでも、どうでもいいです。だって「我が子参観」ではなくて「授業参観」なんですもの。
 
【ただいま読書中】
トヨタ流改善力の鍛え方』若松義人 著、 成美文庫、2004年、524円(税別)
 
 カンバン方式、カイゼン運動、などでトヨタは有名で、自動車製造以外の分野でも広く世界に知られています(私でも知っているくらいですからね)。本書は「トヨタの方式は有名」を前提として書かれたビジネス書(文庫本)です。
 
 「すぐにやればラクにやれる」「悲観的に見て楽観的に動け」「不満を我慢するな」「達成点を出発点とせよ」「最強者と競え」など、タイトルで「え?」と思わせて数ページそのことについて具体例を挙げ解説をするという構成です。時間がない(と思っている)人には読みやすいスタイルでしょう。ただし、突っ込みは浅くなります。詳しくはもっと大部の解説書を読め、ということかもしれません。NHKの「プロジェクトX」の一本の番組を20秒にダイジェストしてそれをつぎつぎ流す、といったイメージかな。これだと、予備知識がない人にはちょっとつらいし、予備知識がある人はわざわざそれを見る必要もありません。
 さらに本書では、紹介されている事例が(有名人の講演やエッセー以外は)ほとんど匿名です。名前を出せない事情があったのかもしれませんが、事例の具体性を欠く分インパクトにも欠けます。「世の中にはけっこういい話もあるんですよ」レベル。
 もう一つ私が気になったのは、本書のターゲットが誰なのか、です。あとがきには「若いビジネスマンに」とあります。しかし、その若いビジネスマンが「良いことを言っている本があったから、我が社でもカイゼンをしましょう」と自分の社で提案して、それがすんなり通るでしょうか。すんなり通る会社なら、最初からもうカイゼンは進行中でしょうし、通らない会社だったら頑固だったり独善的な経営者や管理職がはびこっていて提案者が叩かれるだけじゃないかと私には思えます。企業の改革には実行者が権限と責任を持たなければなりません。権限とは、人事・予算・時間・業務内容に関しての自由であり、責任とはその権限を行使した結果に対して問われるものです。「若いビジネスマン」がそんなものを持っていましたっけ? むしろ“お偉いさん”が職場の朝礼でする訓話のネタ本に使うのに本書は向いているかもしれません。
 
 良い項目もあります。「仕事は一気通貫」と、自分の仕事だけを見るのではなくて、その前後の工程にまで目を配ってカイゼンをするべき、は実に良いアドバイスだと思います。人はついつい自分の領域だけにこもりがちですから。ただしこれは、私自身が現在4つの異分野が関係する業務工程をカイゼンしようと動いている最中だから特にこの項目に目が止まっただけかもしれません。
 
 
12日(月)においの塊
 今年は少し遅いように思いますが、キンモクセイの甘い香りがあちこちに漂っています。……今「甘い香り」と無造作に書きましたが、バニラだって「甘い香り」ですよね。でもキンモクセイとバニラは違う香りです。う〜む、これはことばの限界、もとい、ことばを使う私の能力の限界を露呈してしまいました。
 それはともかく、バイクで走ると、車とは違って風と空気の香りをダイレクトに感じることができます。特に暗闇の中では、視界が制限される分だけ鼻が敏感になるようです。今の季節だったら、朝はあまり気がつかないのですが帰りの夕闇の中、通勤路のあちこちの街角で私はキンモクセイの香りに包まれたのを感じることができます。だけど、ある街角では、キンモクセイの香りに数秒間包まれた直後、魚を焼くにおいに数秒間包まれてしまいました。あれは、サンマかな?
 
【ただいま読書中】
おとぎの国の科学』瀬名秀明 著、 晶文社、2006年、1800円(税別)
 
 著者の初のエッセイ集です。
 「ミュージアムの躍動とサイエンスライティング」……科学を書くのに小説はストーリーやプロット、文体をいくらでも工夫できる自由度を持っていますが、科学ノンフィクションとなるとむずかしい、と著者は言います。そこで著者は海外のミュージアムに出かけます。そこでの「いかに見せるか」の展示の工夫はすなわち一般読者に「いかに語るか」に通じる、と。作家もなかなか大変です。自分が語りたいことを主体に置けばいい論文とは違って、一般人が何を求めているかを意識しなければならないのですから。
 「教養 ──リンクする底力」……なぜ教養教育が必要なのだろう、と始まります。私にとっては簡単で、世界を広く知った方が楽しいから、です(深く知るには、趣味に没頭するか専門教育)。本当は一人で好きほうだいして教養を身につける方が楽しいでしょうが、最初はわけが分かんないから“教育”を受けてベースを作って、その上に何を構築するかは本人が頑張ればいい。土を積んで山を築くには、裾野が広い方が高い山が作りやすいから、最初から専門家を目指すにしても教養は身につけて置いた方が“お得”です。
 プラネタリウムについても複数のエッセイで書かれていますが、そういえば私が最後にプラネタリウムに行ったのは……出張先の大阪でふらりと入った科学館だったかな。もう3年くらい前のことになると思います。なぜか南半球の星空をやってましたっけ。
 
 エッセイを読んでいると、著者のような「理系の小説家」であることは、その世界ではある種の居心地の悪さを感じることのように感じられます。小説家はやはり文系の集団なのでしょう。私自身も著者とは方向や分野は全く違いますがある意味似た境遇(文系/理系を“越境”した人間)と言えるので少しその居心地の悪さが分かる気がします。だけどある分野でメインストリームと外れた“異種”であることは、弱さであると同時に強みでもあります。その分野で多くの人が当然としているものが自分にとっては新鮮であり、多くの人に見えないものが自分には最初から見えているのですから。それがその人の作品や言動の魅力になるのなら、異種もまた楽し、かな。
 
 
13日(火)似てる?
 ある種の司法の住人は、現実世界よりは法律の条文や判例の文面の方をありがたがります。
 ある種のアキバオタクは、現実の少女性よりは二次元世界の美少女を愛します。
 
【ただいま読書中】
バリアフリーと地下空間』後藤恵之輔・森正 著、 電気書院、2007年、3200円(税別)
 
 「すべての人に利用しやすい地下空間(地下鉄・地下街・地下歩道など)」とはどんなものでしょう。「バリアフリー」ということばがありますが、では「バリア」とは何でしょう。著者はそういった疑問からスタートします。
 障害者白書(1995年)には「バリア(障壁)」として、物理的・制度的(試験などで障害が欠格事由になる)・文化情報面(点字図書や字幕付きテレビ放送が足りない)・意識(無知・無関心・差別・偏見)の4つを挙げていますが、著者はさらに「認識のバリア」を追加します。個人と個人あるいは集団の間での「これがバリアだ」とか「こんなことに困っているに違いない」という認識(思いこみ)のずれが新たなバリアになることです。(そういえば、駅などで点字の表示が目立ちますが、では視覚障害者はどうやってその表示板を見つけるのかの手がかりが全くないものは、どうやって利用してもらうつもりなんでしょう?)
 アメリカでは、第二次世界大戦の傷病兵やポリオの流行で全人口の20%が身体障害者と言われ、1960年代からバリアフリーデザインの動きが始まりました。初めは車椅子用のデザインでしたがやがてそれは他の障害者や老人や小児も視野に入れたユニバーサルデザインに変化します。
 世界最初の地下鉄はロンドンですが、世界最初の地下街は現東京メトロ銀座線神田駅の須田駅地下鉄ストア(1932年)です。以後日本中に地下街は多く造られています。(障害の有無に関係なく)移動困難者にとって地下街は一つの試練でした(全然知らない地下街で道に迷った健常者も、移動困難者です)。さらに心理的な圧迫感やランドマークの欠如による位置や方向情報の乏しさが、移動の困難さを増加させます。
 本書ではいくつかの地下街・地下鉄駅・大規模店舗の地下売り場や地下歩道を実際に取りあげて、バリアフリー・ノーマライゼーション・防災の観点から検討を加えています。掲載された写真を眺めるだけで、何が問題とされているかわかってきます。本書で“トレーニング”してから現場に出たら、これまで見えなかった様々な問題点がしっかり見えるようになるかもしれません。通路の幅(たとえば車椅子同士がすれ違えるか)・舗装の材質(滑りにくいか、見やすいか)・照明・カーブミラー・サイン・トイレ・休憩場所……見るところはたくさんあります。
 健常者には「認識のバリア」があって、障害者や移動困難者が何に困っているかなかなか想像ができません。自分が妊娠したり怪我したり障害を持ったところを想像するのも良いですが、一番簡単で具体的なのは、自分の親あるいは祖父母と一緒に楽に歩けるかどうか・一緒に歩いていてもし火事が起きたら安全に避難できるかどうか想像してみることかな。ちょっと(相当)ぞっとする空間がたくさんあるかもしれません。
 なお「バリアフリーにしたからもう安心」ではないことも本書では述べられます。使用する人の身になって設置・運用しないと、どんなに優れた設備も無意味あるいは有害になってしまう事例が挙げられます。ハコモノ作ってはいおしまい、ではないのです。
 
 
14日(水)自由な天使の歌声
 職場の同僚(私と長男の中間くらいの年齢の女性)と昼休みにクラシック談義をすることが最近時々あります(と言っても、彼女は正統派のクラシックファン。私は……日記を読んでいる人にはわかりますね、雑種です)。先日その人から「このCDはとっても良いから」と半強制貸し付け(笑)を受けたのですが、これが本当に良いのです。LP育ちだから「針を落とした瞬間」と言いたくなるのですが、とにかくアルバムが始まった瞬間スコーンとボーイソプラノが心にまっすぐ飛び込んできました。
 借りたのはliberaというグループの「ルミノーサ ──聖なる光」です。イギリスの教会の少年聖歌隊がシンセサイザーをバックに様々な曲を歌っているのですが、少年聖歌隊と言っても、たとえばウィーン少年合唱隊とは別種の、そうだなあ、ジーンズをはいた天使達、と言ったらいいかな。公式ホームページで試聴もできますので、よろしかったらどうぞ。http://www.emimusic.jp/libera/
(NHKのドラマ「氷壁」、「ICO」というゲーム、映画では「ハンニバル」などで歌っているそうです。そうと知らずにリベラに触れている人は多いかもしれません)
 私より家内の方が夢中になってしまいました。二人して下手すると涙ぐみながら聞いています。心が洗われるのです。それも力いっぱいごしごしと。
 ふむ、もうすぐ家内の誕生日。アマゾンで注文だだっ(内緒だよ)。
 
【ただいま読書中】
モーターボーイズ! ──クルマづくりに懸けた、中学2年間の汗と感動の物語』箕田大輔 著、 日本実業出版社、2005年、1400円(税別)
 
 偏屈ものとしては「感動の物語」にはあまり手を出したくないのですが、中学生が車を作る話と聞いては素通りはできません。
 子ども時代にリヤカーを改造して遊んだ経験を持つ著者は、鈴鹿のF1レースで直接見たセナのドライブに衝撃を受け、エコカーでだったら同じ鈴鹿で(いかにガソリンを消費せずに走るかを競う)「レース」ができることを知ります。著者は仲間たちとエコカーの手作りを始めます。アルミの脚立をフレームにしてそこに中古のオートバイのエンジンや自転車の車輪をくっつけた、見た目は無骨な“エコカー”です。鈴鹿のコースはタフです。アップダウンは厳しく、坂を登れずリタイアする車が続出。その中を著者らの車は予選を走りきります。しかし決勝は、一周2.2kmの東コースを八周(時間制限42分以内=平均時速25km以上)、それで180mlのガソリンをいかに多く残したかで勝者が決まるのです。結果は、決勝参加551チーム(完走318台)中1リットル128.5kmの燃費で270位でした。初参加で完走するだけで立派です。1993年のことでした。
 大学を卒業した著者は、中学の技術の教師になります。著者は2年生の選択授業に「エコカー作り」を導入します。2年間通しての“授業”です。集まった生徒は16人。著者は「予算はないから、知恵を絞ること/頭を下げて部品をもらってくること」を生徒たちに告げます。どちらも「頭を使う」ことですね。
 中古バイク(エンジン)の購入は著者が行いましたが、あとは自由放任(ただし、きちんとした監視付き)です。生徒たちはトライアンドエラーで実地に金属や工具の扱い方を覚えていきます。最後には溶接技術までマスターしてしまうんですから、中学生、おそるべし。
 初年度の9月、大会の雰囲気を生徒たちに体験させるために、著者はかつて自分が作った中古のマシンを栃木のツインリンクもてぎで開催されるホンダエコノパワー燃料競技に持ち込みました。参加者たちの暖かい雰囲気や“勝負”の厳しさを生徒たちは身をもって体験します。この時には「中学生の部」はなかったため、著者がドライバーでした(運転者は15歳以上の年齢制限があったのです)。翌年のレースでは15歳になった生徒がドライバーを務めました。中学生の部が作られたのはさらにその翌年、2005年のことです。
 変化が現れます。生徒たちは、技術を身につけると同時に性格に積極性と明るさとチームプレイが加わります。応援する人たちも現れ使える資金も増えました。そこで“高嶺の花”ホンダスーパーカブの購入です。タイヤはミシュランのエコカー専用タイヤ(そんなものがこの世にはあるのです。転がりが良くて燃費が向上するそうな)。
 2004年6月の鈴鹿大会で生徒たちのマシン「チャレンジャー」はデビューします。大会1週間前にハンドルが折れるアクシデントがありましたが、大会当日、中学生たちはF1でも使われるピットにマシンを下ろします。彼らのマシンはみごと完走します。燃費は156.07kmで完走21台中19位(リタイア14台)。しかし著者にとっては成績なんかどうでも良いことです。生徒たちの「ものづくり」がみごとに結実したのですから。しかし生徒たちは落胆します。目標は250kmだったのですから。9月のもてぎの大会目指し、生徒たちは活発に動き始めます。一から新マシンを設計製作するというのです。無茶です。でも、もてぎの大会にこの中学からはなんと3台もエントリーし、周囲の注目を集めます。
 
 エコレースで大切なのはマシンだけではありません。走り方も重要です。コーナーのライン取り、惰性走行(下りや平地ではなるべくエンジンを切ります。もちろん燃費向上のため)、ペース配分(制限時間に一秒でも遅れたら失格です)……頭も使わなければならないのです。そしてレースはドライバーだけのものではありません。クルマを作った・整備した・協力した全員のものなのです。中学校の回りの地区で様々な協力をした人びともレースに一緒に参加しているのです。「ものを作る」魅力が本書からはたっぷり伝わってきます。
 
 
15日(木)古き良き食品偽装
 今から40年くらい前、牛乳がパックではなくて一合入りのガラス瓶で売られていた頃(ついでですが、卵もパックではなくておが屑を詰めた箱から一つ一つ取り出されていました。醤油は空き瓶を店に持って行って詰めてもらうのです)、牛乳瓶の紙の蓋には賞味期限や消費期限ではなくて製造日が印刷されていましたが、その朝一番の入荷のものにはほとんど“その日”の日付が入っていました。工場が真夜中過ぎてから操業していたのでしょうか(でもそれはいつ搾った牛乳?)。ときには“翌日”の日付が入っていたこともあります(たしか夕方だったと記憶しています)。タイム風呂敷でもかぶせられたのでしょう。
 そういえばその頃、観光地のお土産もひどいものでした。私が覚えているので「額縁」(箱がやたらと分厚くて、中身のスペースが狭い)、「眼鏡」(箱の蓋に穴が開いていてそこにセロハンが張られて中のお菓子が見えるようになっているのですが、お菓子はその穴の下にしか存在しない)、底上げ(と言ったと思いますが、箱を開けたら表面だけお菓子が並んでいてその下は詰め物だけ)……いかに少量のお菓子をいかに大きな箱に詰めて豪華に見せて観光客に売りつけるか、皆さん盛んに知恵を絞っていました。
 
 結局日本の商道徳の根本の所は、昔とあまり変わっていないということなのかな。
 
【ただいま読書中】
「震度6強」が原発を襲った』朝日新聞取材班 著、 朝日新聞、2007年、1200円(税別)
 
 新潟県の東京電力柏崎刈羽原子力発電所には原子炉が7基、総出力820万キロワットは単独の発電所としては世界最大です。2007年7月16日9時13分地震発生。稼働中だった3・4・7号機と起動中だった2号機は緊急停止しました。職員がほっとする間もなく3号機の変圧器から出火。緊急時対策室はドアが変形して開かないため、駐車場に仮の災害対策本部が置かれました。しかしホットラインが使えないため消防になかなか連絡できません。やっと連絡できたら「すぐには対応できない。職場の自衛消防隊でなんとかして」。ところが祝日なので職員の数は不充分です。配水管の損傷で消火栓から水が出ません。かくして延々と黒煙が立ちのぼる光景がTVで流されることになりました。化学消防車が到着したのは11時30分、消火できたのは12時10分でした。
 発電所内の地震計97台できちんと記録が残ったのは33台だけでした。1台は故障。63台は最大加速度値のみ残って波形は失われていました(うち9台は、最大加速度値が上限1000ガルで振り切れていました)。地下での最大加速度値は、1号機の680ガル(設計時の想定値は273ガル)。地上では3号機のタービン台の地震計が2058ガル(想定値は834)でした。データが消えた理由は、東京へ送信する電話回線がつながらず、その間に余震が続いてデータがどんどん記憶保存装置に貯まって上書きされたことによります。(07年3月能登半島地震、北陸電力志賀原発でも同じ理由でデータが失われています) 「放射能漏れ」も問題となります。漏れたのはごく微量で、問題は「想定外の所から水が漏れた」ことですが、風評は(大げさではなくて)世界を駆けめぐりました。イタリアのサッカーセリエAのカターニアは訪日を中止します。住民は不安と風評に苦しめられます。
 壊れたすべての変圧器から漏れた絶縁油は160トン(燃えた3号機の変圧器の油は10トン)。一般家屋の1.8倍の耐震性がある6号機の天井クレーンはモーターと車輪の継ぎ手が壊れていました。水は密閉されているはずの壁のケーブル孔を伝いました。想定外の事態です。結局東電調べで2758件の被害が数えられました。ついでですが、地震後最初の雨での雨漏りで30トンの水がタービン建屋に侵入しています。
 余震分布図から、原発地下に断層があることが分かりました。しかし工事の前の東電の地質調査では活断層は“過小評価”されているように私には見えます。
 
 原発の耐震指針の改定を巡る議論はなかなか面白い。安全係数をかける必要性は認めるものの過剰品質を嫌う産業界のホンネが透けて見えます。ガクモンの世界はまとまらないし、政治は逃げ腰だし、日本の原発は災害に対して本当に大丈夫なのか? ただ、この審議の過程で「原発は絶対安全」が「確率的に安全」に変わったのは正しく評価したいと思います。
 考慮するべき要素はいくつもあります。調査:真下に活断層があるかどうかで話は大きく違ってきます。基準:現実的で充分な基準が定められていなければなりません。設計:きちんとした耐震設計の偽装は駄目です。施工:設計通り造られていないと。運用:保守点検が規定通り行われて初期の性能が維持されているか。
 静岡の浜岡原発は、必ず起きるとされている東海地震のど真ん中に位置します。1970年代に建設された1・2号炉は設計想定は450ガル。もし地震で破壊されたら放射性物質は風にのって走ります。東京まではわずか190キロ。原発震災です。本書では最悪のシナリオで東京で100万人死亡とありますが、対策は十分なのでしょうか。それともそんなのは“被害妄想”で最悪のシナリオは起きない(原発の真下が震源になることはない、万一なっても原発は壊れない)と“想定”しますか?
 本書は“分厚い新聞”といった様相で、記事の厚みは十分ですが、主張が足りません。もうちょっと原発と地震の関係について、賛成とか反対とか強く主張しても良かったのではないかと思います。
 
 
16日(金)皆々見
 足あと37,373は しつじ さんでした。おめでとうございます。数字の並びが気に入ったので特別にご報告。
 語呂合わせをしてみると、南波、皆南、三波並、実並々、皆実名美、皆さん南美……いろんなことばがでてくるものです。
 
【ただいま読書中】
『一冊の本 2007年11月号』朝日新聞社、95円(税別)(年間1000円(税込み))
 
 出版社は自社の出版物の宣伝のために小冊子を発行しています。私がその手の雑誌でこれまでに読んだことがあるのは『図書』(岩波書店)と『波』(新潮社)くらいですが、小ぶりだけど「この本を読んでくれ〜」というオススメの熱意や社のカラーを感じられて、暇つぶしには良いものでした。親が買っていた影響で、大学進学で親元から離れてからは自分で『図書』はしばらく買っていました。暇が無くなったり、暇があるのなら「本についての本」よりも本そのものを読みたい、と思うようになってそういったものとは縁がなくなっていたのですが。
 今回たまたまブックモニターに当たって送られてきた『「震度6強」が原発を襲った』(昨日の読書日記に書きました)に同封されていた本書を見てまず思ったのが「朝日新聞社って、新聞以外にも本をたくさん出しているんだ」。そういや新聞社やNHKの本も私はいろいろ読んでましたっけ。
 表紙を見ると、1996年に第三種郵便物の認可が下りているので、まだ12年目の歴史の冊子です。さて、内容は……
 『図書』と比較したら(と言っても、30年くらい前の『図書』ですが)エッセーのキレが悪いものが目立つ印象です。なんとなく書き流している印象。「この本は面白い」を伝えたいと熱のこもったものももちろんあるのですが……
 そうですねえ……「ヴィジュアル本を楽しむ」という連載では上野昴志という評論家が『背景ビジュアル史料1 工場地帯&コンビナート』を取りあげています。これは要するに(おそらくは著作権フリーの)写真の素材集で、買った人間がレタッチソフトを使っていじり倒すためのものです。読んでいて、四半世紀くらい前、ワープロの普及期に「機械にこんな誤変換をされた、ひゃはは」というエッセイを何人もの作家があちこちに書いていたのを思い出しました。あれは単に目の前で起きた現象をそのまま“報告”しているだけで「自分は驚いたぞ。どうだ、お前も面白いだろう」でした。だけどそれは自分と同じ立場(機械を使うレベルや使い方が同じ人)にしかわからない“面白さ”なんですよねえ。ここでもそれと同様の「自分には新しかったぞ」は書いてあるけれど、誰にそれを伝えたいのかが不明確です。さらにこちらでは、「本ではこんなことができると主張している」ことの紹介はあっても「自分で実際にやってみたらどうなったか」が一言も書いてありません。著者は「今後の問題」と逃げていますが、現物は目の前にあるんです。なぜ実際にやってみないんでしょう。その本で勧められているPhotoshopなんて高いソフトを持っていなくても、安いあるいは無料の画像処理ソフトを使えば良いことです。結局、パソコンを日常的に使っている人間にはかったるい/パソコンに疎い人間にはわけが分からないであろう“解説”(本の「使い方」の項に対する素朴な感想)になってしまっています。たとえパソコンが苦手でも、素材集なんだから、著作権の話とかあるいは『北斎漫画』にまで話を広げるとか、この本をプロとして活用するのはどんな人か想像してみるとか(ゲーム作家とかこれからどんどん登場するであろうビジュアル付きの小説をネットで書く人とか)、エッセーで料理する工夫の余地はいくらでもある“素材”だと思うんですけどね、もったいないもったいない。
 
 ちなみに本書で一番目を引いたのは、裏表紙の広告です。1945年から今日までの記事がすべて検索可能な朝日新聞オンライン記事データベースのサービス。これ、欲しい欲しい欲しい。なになに……公共図書館・大学向け特別価格が月額27,300円……近くの図書館が契約してくれないかなあ。
 
 
17日(土)みなしあわせ
 好評(?)につき、語呂合わせ足あとシリーズ連発です。
 足あと37,442(44を「し合わせ」と読んで「みなしあわせに」)は ぷとり さんでした。お幸せに〜〜!(そういえばぷとりさんは キリ番22,222もゲットされてましたね)
 足あと37,443(みなしあわせさ)は 破レ傘(横浜駅取材班) さん。そして足あと37,444(みなしあわせよ)は ばるた3 さんでした(ばるた3 さんは8,888もゲットされてます)。これからもみな幸せだと感じながら生きていきたいですね。
 昨夕日記をアップした直後にこの数字が次々達成されたので、取り急ぎご報告。
 
【ただいま読書中】
いいわけ劇場』群ようこ 著、 講談社、2002年、1500円(税別)
 
 「120分の女 ──目立ちたいから」……お化粧に毎日120分かけるマユミ。彼女の短大生から45歳の現在までのお化粧の歴史、および、そのお化粧の手順を読むだけで、私は頭がぐらんぐらんします。細部へのこだわりは尋常ではありません。
 「止まらない男 ──したいから」……トシオは39歳独身、それなりに人望もあり女性にももてるのに、趣味は出張ヘルス。身を固めようと30年ローンで豪華マンションを購入したけれど、趣味がやめられず……あああ、なんと“もったいない”生活。
 「満腹家族 ──幸せだから」……大トドと中トドと小トドの一家三人。他のすべてを削って食欲につぎ込んでいます。読んでいると、口の中が甘くなります。甘く甘〜く。げふっ。
 「老婆の幸福 ──もったいないから」……ものを捨てられない76歳女性。粗大ごみの日には“掘り出し物”があるゴミ集積場をパトロールしてはお宝を回収してきます。使っていたものが壊れても捨てません。その結果家の中は……
 「無添加青年 ──あぶないから」……つぎつぎ彼女に(というか、彼女になる前の段階で)逃げられる大学生。彼は「食品添加物=体に悪いもの」を一切食べない生活をしていました。そしてそれをつき合っている相手にも強制しようとするのです。さて、今交際を始めた子とはどうなるか。
 「欲望の女 ──恰好いいと言われたいから」……ファッションにすべてをつぎ込むルミ。スタイルもセンスも良いけれど、無いのはお金。そうそう友達も。服を買うためにお金を借りて返さずにすませようとするとなぜかどんどんいなくなったのです。そこで彼女が思いついた名案は……
 「餌やり爺さん ──かわいいから」……家に集まる猫たちを孫のかわりに猫かわいがりする老夫婦。ところが悪い病気が流行ったのか、猫の数ががっくりと減ります。夫婦の元気もがっくりと減ります。そのとき新しい愛情の対象が……
 「癒されない女(ひと) ──疲れているから」……定年まであと10年のタミコ、仕事仕事で頭に大きな石がつまっているような気がします。癒しを求める彼女に様々な情報が寄せられます。日本社会に「癒し」を謳う場所は本当に多いのです。でも……
 「パパの憂い ──狂おしいほど愛しているから」……子どもの頃から子ども好きだったイチロウ。「子ども」を絶対条件に交際・結婚をし、やっと我が子が誕生して狂喜乱舞するイチロウですが……
 「妄想中年 ──かまってほしいから」……離婚調停中で独居しているシゲジロウに三十数年ぶりの小学校のクラス会の報せが届きます。隣りに座ったのは初恋の人。妄想が爆発したシゲジロウは……
 「ぷりぷりママ ──生きていかなきゃいけないから」……中華料理店で明るく接客するタカコ。その明るさから店で評判が良くなるにつれて、彼女の家での声と機嫌は低くなっていきます。
 「炎の勝負師 ──金が欲しいから」……麻雀にのめり込んだミズエは、結婚資金も全部使い切ってしまいます。“授業料”でやっと強くなった彼女は、それまでの負けを取り返そうとします。
 
 これ、ユーモア小説集ですよね。読んでいるうちにだんだんホラーを読んでいるんじゃないかと思えてきました。本書に登場する人びとは、みな何かの「こだわり」に取り憑かれていてそれが不気味なのです。でも、それぞれの短編の主人公が取り憑かれているものは、実は私たちの中にひそんでいる様々な欲望の中から一つだけ取りだしてデフォルメしたものでもあります。なんだ、この世で一番コワイのは、自分自身だったのか。
 
 
18日(日)介護
 「手厚い介護がいらない」というのは、その人が健康である場合と、それどころではない場合(たとえば救急車で搬送中)とがあります。金がないなどの理由でできないのを「その人には不必要」と政策的に強弁している場合もあるでしょう。
 
 しかし、金がないあるいは介護が必要な高齢者にとって理想的な状態ってどんなものでしょう。自分がそうなったときに「こうされたい」と望むものと、自分が提供する側になったときに「これならできる」と言えるものとの間に大きなギャップがないのが現実的でかつ理想的な状況なんでしょうけれど。
 
【ただいま読書中】
改革進むオーストラリアの高齢者ケア』木下康仁 著、 東信堂、2007年、2400円(税別)
 
 「よそはよそ、うちはうち」ではありますが、“舶来品”を無条件にありがたがるのではなくて、何か「うち」の役に立つものはないかと“和魂洋才”を発揮するのは良いことだと思います。本書もそういった発想で、オーストラリアの特性はふまえた上で、日本に何か良いヒントがないか見つけようという目論見で書かれています。
 オーストラリアは6州と1準州からなる連邦国家で、州によって制度がずいぶん違います。著者が調査したのはビクトリア州(州都はメルボルン)です。オーストラリアでは「要介護」は、セルフケア(入浴、食事、トイレなど)・移動・コミュニケーションの項目で判定され65〜74歳では男性の8%女性の9%が介護が必要ですが年齢が上がればその率は高まり85歳以上では男女とも過半数が要介護と判定されています。高齢者全体で平均すれば五人に一人です。(日本は「少子高齢化」が問題になっていますが、要介護率が現在どのくらいで将来どう推移すると予測されているか、分かりやすいところに発表されていましたっけ?)
 1950年代まで高齢者は「家族の責任」でした。1963年に連邦政府は長期療養が必要な人に対して公的なナーシングホームの利用を認めます。民間企業も続々“新しい産業”に参入します。政府は民間非営利団体への支援を強化します。1985年に高齢者ケア改革戦略がスタートします。
 1997年には高齢者ケア構造改革が始まりました。政府の経済逼迫が原動力で、施設ケアの自己負担増、介護者支援強化が目立ちます。ナーシングホームとホステルは施設ケアとして一元化され、入所判定手続きも一元化されました。
 現在の制度の三本柱は、施設ケア・コミュニティケア・介護者用レスパイトケアです。施設は、ホステル(低ケア)とナーシングホーム(高ケア)、コミュニティはケアの程度でいくつかのプログラムに分けられています。最後のは介護者を支援するための介護者一時休息用ケアです。「70歳以上の人口 1,000に対して施設ベッド数100」という全国基準が1985年に定められ、今も使われていますがこれはちょっと少ないように感じます。お財布の問題かな。
 在宅ケアも、判定機構が利用者のニーズ・希望・人種などを勘案して事業者まで決定する責任を持ちます。日本の介護保険の「判定はするけど、事業者は利用者が自分で探せ」とは違います。どちらがニーズに合ったサービスを得られやすいんでしょうかねえ。
 介護者への支援もあります。日本でだと「家庭で面倒をみるべきだ」が先にあってそのための手段としてこれが使われそうですが、オーストラリアでは介護される人だけではなくて介護する人も援助が必要な人で、社会がその援助をするという発想のようです。統計では15歳以下の介護者が0.7%いることが示されていますが、そもそもこういった項目が公的統計にあること自体、すごいことです(日本と比較して)。さらにこの「介護」には、高齢者だけではなくて障害児も含まれます。日本の「障害者自立支援法」が実は「財政自立支援法」であって障害者(と家族)には「自己負担増加法」であったのを思うと、私は暗い顔をしたくなります。また、介護経験者を登録しておくボランティア組織も公的に設けられています。このボランティアは質が高いだろうと想像できます。
 
 連邦政府は、制度全体と施設ケアに責任を持ち、州政府がその他に責任を持つ、日本の介護保険よりすっきりした責任分担になっています。政府が逃げていません。その一点だけでも高く評価できるなあ。日本の介護保険はまだ中途半端で、特に政府の覚悟が足りないのが目立ちますからねえ。家庭に押しつけたい・政府は金を出したくない・責任も取りたくない、のホンネがミエミエですから。日本政府は足りないのは金、と思っているかもしれませんが、私から見たら足りないのはポリシーと覚悟です。
 最初によそはよそ、と言いましたが、高齢者で介護が必要な人にとっては、オーストラリアは日本よりはるかに住みやすそうで、日本もそれを目指して欲しいと感じます。できたら私が年老いる前に。
 
 
19日(月)湧き水
 昨日は木枯らし一号が吹いたそうですね。まったくぴゅうぴゅうと寒風が吹きすさんで、たしかに冬の日でした。もちろん暦の上ではもう冬なのですが、9月は完全に夏、10月も残暑といった趣でしたから、これでこのまま冬になってしまったらなんだか今年は秋がなかったような気が、そういえば秋空のきれいな雲を見たかなあ、と思いながらバイクを走らせていたら前方の道路がひどく濡れているのに気がつきました。おやおや、マンホールの蓋の穴からもこもこと勢いよく水が湧きだしています。温泉でも湧いたかな、てなわけはありませんね。水道管でしょう。それも太い奴。
 ちょうど水道局からアンケートが来ていたのを思い出して、まっすぐ帰宅してすぐ封筒からとりだしてみました。案の定、連絡先の電話番号が載っています。電話すると受付のおじさんが、そこの隣の隣り町から通報があったのでパトロールが行っている、と言います。もしかしたら同時多発? あるいはそちらの通報者が町名を間違えたのかもしれません。ともかく、私が見つけた方の地点も教えておいてあげました。もし私が町名を間違えていてもランドマークをきっちり言っておいたから大丈夫でしょう。
 ……数時間後、気になったので見に行きました。水道局の車が何台も集まって工事をやっているのを見て、安心すると同時に「休日なのに、ご苦労様」と頭を下げて通過しました。
 
【ただいま読書中】
落語娘』永田俊也 著、 講談社、2005年、1600円(税別)
 
 中学生のときに寄席で聞いた落語に感動しそれが思慕にかわり、とうとう落語家になってしまった香須美。“困ったちゃん(語るのは漫談まがいの新作だけの“異端”、舌禍で寄席には出入り禁止をくらい、飲んだくれで弟子から金をせびる)”の師匠と“男の世界”の因習とに押しつぶされそうになりながら前座で頑張っています。しかし「師匠が異端」「女」「前座」という“三重苦”は想像以上に重いものでした。
 落語の魅力は、ネタそのものによって決まるのではありません。落語は話芸であり、つまりは噺家のことばによって一つの世界がその場に構築されそこに聞く者があっさり連れ込まれてしまうかどうかが問題なのです。ただし、実力は実力。前座から二つ目、真打ちへと“昇進”するのは、実力だけがものを言うのではありません。
 落語会から干されていた師匠の平佐は一発逆転をねらい、語る者をつぎつぎとり殺す“禁断の呪われた噺”に取り組むことにします。この噺は、落語家が噺に生命を吹き込むのではなくて、噺そのものに魂が(それも悪い怨霊が)宿ってしまったようなのです。オカルト趣味のTV局がその企画にとびつきます。番組の構成は、噺が生まれた不気味な経緯、噺によって“とり殺された”落語家たちの話、そして最後が、平佐による高座です。平佐たちはドキュメンタリー部分の収録のためその噺が発見された地に向かいます。そこにはまた別の怨念話がありました。
 そしてついに高座が始まります。目の前で人が死ぬかもしれない「もしかしたら」を期待する1200の観客とTVカメラ。「もしかしたら」を心配する香須美。そして噺は佳境に入り、以前落語家が落命したところで平佐の体ががっくりと……
 
 不出来な父と健気な娘、のパターンですが、落語に対する愛が感じられる人情噺です。そういえば今やっているNHKの朝ドラ「ちりとてちん」もそんな感じのバリエーションですね。ドラマ「タイガー&ドラゴン」も落語がテーマでしたし、何かの素材としても落語は魅力的なもののようです。TVではなかなか聞けない大ネタをじっくり聞きたいなあ。
 
 ちなみに本書には、著者がオール読物新人賞を受賞した『ええから加減』も併録されています。こちらには女性漫才師のコンビが登場しますが……人物像やストーリー展開にやや生硬な感じ(スルメでいったらもうちょっと乾しが足りない感じ)がありますが、それでもけっこう良い味が出ています。烏賊自体は良いものを使ってますね。
 
 
20日(火)食べてはいけない?
 食品添加物で小児の多動性が上昇した、という報告がランセットのオンライン版に上がってます。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez?Db=pubmed&Cmd=ShowDetailView&TermToSearch=17825405&ordinalpos=3&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum
 ランセットも無謬の存在ではありませんから、絶対確かとはまだ言えませんが、私の英語力の限界内での解釈では「人工着色料や保存料で3歳児と8〜9歳児の多動性が上昇した」ということのようです。
 私が子どもの頃には、毒々しい色の、そうだなあ、渡辺ジュースの素とかメーカーもよくわからない色鮮やかな駄菓子が氾濫していたし、魚肉ソーセージもタラコも真っ赤っかで何が入っていたのやら。……そんなにあの時代、多動児が多かったかな? まあみんなやたらと外を走り回ってはいましたけれどね。
 今回の試験では、ミックスの中にえらいいろいろ混じっているので、犯人がいるとしてもどれが主犯かどれが従犯か分かりません。これから一つ一つ動物実験かな。あ、動物愛護団体が反対したら人体実験しかありませんか。
 そうそう、有吉佐和子の『複合汚染』も思い出しました。複合的な原因だったら、どうやって“真犯人”をつきとめたらいいんだろう。
 まあ、色素はやめてもよいでしょうが、保存料をやめて食中毒が増えるのも困るだろうし、さてどうしたものか。
 
【ただいま読書中】
スギ林はじゃまものか』(中学生ライブラリー) 山岡寛人 著、 旬報社、2007年、1400円(税別)
 
 「総合的な学習の時間」を使って、著者は中学生を連れて東京大学千葉演習林で宿泊体験学習をしました。生徒たちは身をもってヤマビルと鹿の関係を学び、苗木植え・下草刈り・枝打ち・間伐を体験します。ついにはブリ縄に挑戦です。ブリ縄とは、足場用の棒を取り付けたロープを使って木に登る術およびその道具を指します。慣れるとするすると登っていけるそうです。
 日本の森林率は約67%です。だいたい北から南へ、針葉樹林・落葉広葉樹林・照葉樹林・亜熱帯林と並んでいます。東京の植生は照葉樹林です。では東京明治神宮の森は照葉樹林でしょうか? 中学生たちは調べはじめます。明治神宮は1912年(大正元年)の建議をもとに1920年に完成しました。全国から96,000本の献木を受けて人工的に照葉樹林(鎮守の森)が作られました。遷移と極相により最終的には150年後に完成形になるように設計された森だそうです。スギなどの針葉樹は、大気汚染に弱いという理由であまり選ばれませんでした。……当時すでに大気汚染が問題になっていたんですね。
 東京都の森林率は約36%の78,000ha、そのうち22,600haがスギの人工林です。そのほとんどは多摩から奥多摩に拡がっています。大火によく見舞われた江戸の町を即座に復興させるためには、川で木材を運び出しやすい地にスギ林があることが望ましかったのです。奥多摩は多摩川で江戸まで運びやすいのですが、他に、荒川上流の秩父、相模川上流の丹沢もスギの植林が行われていました。
 太平洋戦争によって焼け野原になった日本を復興させるためには、大量の木材が必要でした。しかし戦争によって山の木は過剰に切り出されていました。そこで国によってはげ山にスギが大量に植林されます。さらに1957年、国は拡大造林計画を打ち出します。“生産性の低い”雑木林や広葉樹林を伐採してかわりにスギを植えようというのです。スギは本来、土が肥え水分が多くさらに水はけがよい土地を好みますが、拡大造林計画ではそんなことはお構いなしで「とにかく植えろ」でした。スギに向かない山(標高の高い山岳地帯や乾燥する尾根すじなど)やあまりに奥地で木材の切り出しが困難なところにまでどしどし植えていったのです。かくして日本あちこちに手入れが行き届かない「不成績造林地」が大量に発生しました。明治神宮の150年後を見据えた計画的な造林をしたのと同じ国民がやることとは思えません。さらに、そうやって植えたスギがそろそろ伐採できる頃、住宅工法の変化などでスギの需要は激減しました。かくして放置されたスギ林ばかりが……
 人工的な植生は人の手が入らないと本来の自然植生に向かって遷移します。それが目立つのは雪国の不成績造林地で、スギ林に落葉広葉樹が入り込んで針葉樹と広葉樹が混じり合った針広混交林になってきているそうです。この針広混交林は豊かな生態系が特徴です。
 で、本題の「スギ林はじゃまものか」。スギ林は林業の面からはもうあまり高価値ではありません。しかし、手入れをちゃんとすれば、生態系やレクリエーションの面では価値が生まれます。著者は、スギをもっと実生活で活用することと、伐採を少し強く行って「ギャップ」を形成しそこに広葉樹を植樹することを提案します。人工林の中にさらに人工的に針広混交林を形成するわけですが、それによって餌が豊富になれば、熊や猪などが人里に現れる頻度が少しは減るという“御利益”があるかもしれません。
 あと三ヵ月もすれば“春の季語”であるスギ花粉が飛び始めます。速効性のある“治療”はないでしょうが、スギ林に対して何かしないと、日本はますますおかしくなっていきそうな木がして、もとい、気がしてならない毎日です。
 
 
21日(水)悪書追放運動
 1950年代、「文化人」やPTAが俗悪まんが・悪書追放運動を全国的に行いました。内容が残虐で荒唐無稽で、安易に読めるから児童の想像力思考力の成長を阻害する、だからこの世から追放するべきだ、がその主張です。なんだか今の「ゲーム悪者論」と似ていますね。論理的生物学的科学的、あるいはせめて統計的な根拠があるのならともかく、それら一切を欠いて自分の“好み”を押しつけたいだけの態度もよく似ています。松平定信だったら大喜びで賛成しそうですけど。ついには校庭にまんがを積み上げて焼くという焚書騒ぎまであったそうです。
 ……彼らは一体何に怯えていたんでしょう?
 
【ただいま読書中】
まんがのカンヅメ ──手塚治虫とトキワ荘の仲間たち』丸山昭 著、 ほるぷ出版、1993年、1262円(税別)
 
 1954年(昭和29年)大学を卒業して講談社に勤めはじめたばかりの著者は「手塚番」を命じられます。その頃売れっ子の手塚治虫はトキワ荘を出て鬼子母神の並木ハウスというアパートの六畳一間に住んでいました。どのくらい売れっ子かというと、月に10本以上の連載を持つくらい。10本? 10本! その上手塚は「神没鬼没」と言われる存在です。編集者たちは「順番会議」を開いて、原稿を完成させる順番(と手塚を仕事させるように見張る当番)を談合します。手塚も参加しますが発言権はありません。引き受けたのは手塚本人なのだから、“あぶれる”雑誌を作らないためには黙って仕事をしろ、というわけ。かくしてスケジュールが決定し酒食の席となりますが(手塚のおごり)、一番くじに当たった者はその場で手塚を拉致して仕事を始めさせます。一分一秒が惜しいのです。「会議」で談合しても、それが守られるとは限りません。自分の所が間に合いそうになかったら「カンヅメ」(どこかに閉じ込めて描かせる)が発生します。当然次の番の者はそのしわ寄せを食うのです。そこでカンヅメ攻防戦が始まります。どの会社がどこにカンヅメにしているか、どうやってその“現場”に飛び込むか。攻める者と守る者、知恵の絞りあいです。とうとう「全社に平等に」(つまりはどこも未完成品)となってしまい、もらった原稿を完成させるためにトキワ荘に持っていって石森章太郎・赤塚不二夫に手を入れてもらう、なんてことまで著者は経験しています。
 月に10本(プラス臨時の仕事)だけでもすごいのに、もっと忙しくなると二つを同時進行なんてことまで出てきます。一つの原稿にペンを入れながら、口述筆記で他の作品のセリフを手塚が言うのです。編集者がそれを書き取って原稿に入れていきます(当時はまだアシスタントは「定職」ではありませんでした)。しかし手塚は、アシスタントを“システム”で使うようにします。また、作品に登場する主要登場人物もまた“スターシステム”で動いていました。ヒゲオヤジとかアセチレン・ランプなどは手塚が中学生のとき描いた漫画からすでに登場しているそうです。
 手塚が医学博士でその博士論文がタニシの精虫の研究というのは良く知られていますが、医師免許を取ったのが1953年、論文が審査に通って博士号を取ったのが1961年、というのは知りませんでした。奈良医大の電子顕微鏡の割り当て時間が厳しいため、奈良へとんぼ返り、その道中でも漫画を描き続けていたそうで……人間業ですか? 漫画だけでも時間が厳しいのに。医師国家試験の時も、大阪で仕事をして東京にとんぼ返り、そこで別冊附録を一つ描き上げたらそのまま夜行列車で大阪へ、そのまま試験、という日程だったそうです。……もう、絶句です。
 1981年1月、トキワ荘が解体されるためその前に“同窓会”が開かれました。集まったのは、手塚治虫・藤子不二雄(二人とも)・鈴木伸一・森安なおや・石森章太郎・赤塚不二夫・よこたとくお・水野英子の元住人と入り浸りだったつのだじろう・長谷邦夫・横山孝雄、そして編集の著者。
 “偉大な漫画家手塚治虫”の住まう“聖地”は漫画家志望少年少女をひきつけ、次々と新しい才能を世に放ったのでした。著者も、トキワ荘を訪ねた石森章太郎を「少女クラブ」でデビューさせたりしています。少女まんがを描いたことがない石森と、少女まんがのことはまるで知らない(と自称する)著者との組み合わせから「これまでにない新しい少女まんが」が生まれます。瓢箪から駒とは、このことでしょうか。
 石森・赤塚番となった著者はトキワ荘に通い詰めますが、こちらでもカンヅメ騒動が。なんともはやです。「編集者は体力勝負」がよくわかります。そして、著者に見出され育てられた漫画家たちのことばからは、編集者がいかに漫画家にとって重要な存在かがよくわかります。マネージャとアシスタントと脚本家と応援団と叱咤激励する鬼コーチと……まだまだありそうですが、いろんな役割を果たしているんですね。
 やがてまんがは月刊誌から週刊誌の時代になりますが、本書はそこで終わります。描きたいエピソードは山ほどあるが、関係者の多くが存命だから、だそうですが、読みたいなあ。
 なお、タイトルは「まんが家のカンヅメ」が正解でしょう。それと、本書で「先生」と呼ばれるのは手塚治虫ただ一人です。著者にとって、自分を育ててくれた“恩師”は手塚なのでしょうね。
 
 
22日(木)忠誠心
 人の忠誠心には方向性があります。上司や雇用主に絶対の忠誠心を抱く人間は顧客に対する忠誠心が不足します。その逆もまた真です。企業内部が気持ちよく維持されるためには顧客よりは上司や雇用主に対する忠誠心を抱く人間ばかりで構成されていた方が良いでしょう。企業が栄えるためには逆の方がよいでしょう。
 もちろん“二者択一”ではなくて、配分をどうするかの問題にすることも可能ではあるのですが、「自分に対する忠誠」を求める人は大体「絶対忠誠」を求めたがるからなあ。
 
【ただいま読書中】
私は、スターリンの通訳だった。 ──第二次世界大戦秘話』AT STALIN'S SIDE ワレンチン・M・ベレズホフ 著、 栗山洋児 訳、 同朋社出版、1995年、2800円(税別)
 
 10月革命後の内戦、4歳の著者は家族とロシアをさ迷います。本書では、著者の人生と第二次世界大戦でのスターリンとヒトラーの奇妙な関係とがカットバックで描かれます。
 両親の方針で小学校で外国語(ドイツ語)を学びはじめた著者は、ウクライナのドイツ語学校でベルリンなまりのドイツ語がぺらぺらになります。人生の途中で出会った人びとが次々強制収容所やシベリア送りになることも淡々と語られ、当時のソ連がどんな国だったのかも分かってきます(父親まで逮捕されてます)。ただ、ほっとするエピソードもあります。著者が恋をしたのは上級生だったため、彼女と同じクラスになるために猛勉強をして飛び級をした、とか。卒業が一年早くなったことが、実は著者の運命に大きな影響を与えるのですが。
 しかし、スターリンの気まぐれで追放されたり流刑になった人たちが「自分たちは、四方を敵に囲まれた世界で唯一の共産主義体制を守るための“犠牲”なのだ」と自分を納得させるシーンでは、私はことばを失います。単語さえ入れ替えれば、歴史上地球上どこでも同じことが繰り返されてきているのですから。
 ヒトラーは「共産主義の脅威」を口実に英仏に対して自分の存在価値を高く売り、その上で英仏に侵攻しようと考えていました。そのとき背後を脅かされないようにソ連とは不可侵条約を締結しておく必要があります。与える餌はポーランド。ソ連はドイツを恐れると同時に日本を押さえるためにドイツと手を結ぶことが重要だと考えていました。もちろんポーランドを獲得できるのは嬉しいことです。かくして二人の独裁者は、お互いの腹を読み合いながら人びとを不幸にしようと努力しはじめます。著者はそれを「スターリンとヒトラーの残酷なロマンス」と呼びます。
 スターリンとヒトラーは、お互いによく似ていて、お互いを礼賛していました。特に、政敵を抹殺するやり口や独裁者として国民を扱う手口において。スターリンは大ロシアの復活を夢見ており、ヒトラーが自分の所に攻め込んでくるとは信じていませんでした。もしその恐れを直視したら都合が悪かったからです。1940年も二人は、お互いに援助を与え合い危険なダンスを踊っていました。
 1940年5月、ドイツは「中立を強化するため」オランダとベルギーを侵略し、ついでフランスに手を伸ばします。すぐに独ソ戦です。その時期に著者は外国貿易人民委員の補佐(通訳)として採用され、さらにそこから人民委員会議長モロトフにヘッドハントされます。著者は「粛清で人材が払底していたから」とさらりと言います。さらに、ソ連を訪れた英米代表団とスターリンの会談通訳が能力不足だとスターリンは国家ナンバー2のモロトフに「君がヒトラーとの話し合いで使ったあのドイツ語が堪能な通訳を呼べ。自分が命じれば彼は英語も訳するだろう」ということで著者が抜擢されます。(前通訳がどうなったかは書かれませんが、想像はできます。ついでに、幸い著者は英語もできたそうです)
 武器が足りずライフルが五人に一挺となったため(映画「スターリングラード」では二人に一挺でしたね)「銃がないなら瓶で戦え」というモロトフのことばからモロトフ・カクテル(火炎瓶)が生まれた……そうです。戦術はタコツボから義勇兵が通り過ぎる戦車の排気筒に瓶を投げる……どこかで聞いた話です。
 著者が目撃したスターリンの“独裁”は、危ういものでした。独裁者の下にいる者もそれぞれ孤立して一致団結できないようにしておけば、恐怖と猜疑心から体制を覆す行動には出られない、つまり、独裁者も孤独ですがその他の人間もまた孤独、この「独」の集合が独裁体制のようです。大切なのは政策の整合性や効果ではなくてスターリンの署名があるかどうか。そしてスターリンの意思を実行する原動力は恐怖と罰と報酬(時には「罰せられない(殺されない)」ことが報酬でした)。不健康に見えますが、一度動き始めたらなかなか止められないのが「体制」というものなのでしょう。
 フィンランドとの和平交渉・実力者(ライバル)の粛清・ルーズベルトとの会談・アメリカとの腹の探り合い(ゾルゲの情報・対日参戦)・チャーチルとの会談……こう言うと不謹慎かもしれませんが、ゾクゾクする話題が目白押しです。なにしろ“その目で見た”人の記述なのですから。
 「ソ連」と著者の人生はほぼ重なっています。本書は、著者の数奇な運命の伝記であると同時に、ソ連という国家、あるいはロシアの人びとの運命を記述したものでもあります。
 
 
23日(金)花の額縁
 植物公園に行ったら、温室が花盛りでした。とてもきれいだったので記念に撮影してきました。本当はこの直前、この真ん中に家内がいる写真も撮っているのですが、そちらは非公開です。携帯電話のアドレス帳で、本人の画像の所に入れておきました。これから彼女から電話がかかるたびにベゴニアに囲まれた女(ひと)の写真を見ることができます。
 
【ただいま読書中】
桃尻語訳 枕草子(中)』清少納言 著、 橋本治 訳、 河出書房新社、1988年、1200円
 
 衆人の前での男と女の歌のやり取りの機微がまずは詳しく語られます。男の詠む歌で「氷が溶ける」=「氷(ひ)も解ける」は実は「紐解ける」=「袴の紐が解ける」=「男女のつき合いをする」にかかっていて、それに対して女性から、男の言うことがわからないのはおばか・わかったとストレートに言うのはダサイ・簡単に「OKよ」は安く見られる、ということで「解ける前に結ぶ」(紐を結ぶ、氷がむすぶ(氷が張る))を使って「解けてはいませんよ、むすんだものがせいぜい緩んだだけ」とかけことばで歌のお返しをすればいいのよ、と得意満面に語られます。紫式部が、才気煥発でしかも平気で自慢する清少納言を嫌うわけです(笑)。
 庚申待ちのところで、註には「夜寝ると三尸虫が体にはいって病気になる」とありますが、これはちょっと待った、ですね。
 帝が宮を訪ねてきてそのまま二人でベッドルームにこもってしまったので、ぞろぞろ付いてきた殿上人と宮付きの女房たちがすることもないからその外側で酔っぱらって盛り上がる、なんてのを読むと、なんとも大らかな時代と思えます。そういえばずっと前の朝日新聞の連載日記で「○○と会って、交。」と書かれているのを「おいおい、良いのか?」と思いながら読んだのを思い出しました。
 百人一首にある清少納言の歌「夜をこめて鶏のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ」の製作秘話(?)も読ませます。頭弁とのやり取りで猛嘗君の鶏の話(函谷関)が出てきたのに対して逢坂の関をぶつけた和歌ですが、そのエスプリはなかなか、と著者は自画自賛をしっかりしております(と訳者は言っています)。
 でまあ、ずいぶん長い註がついているのが、かつての亭主則光のこと。十七で結婚して子供も作って、でも別れた“元”亭主ですが、十年以上経って清少納言が宮中に上がったら(当然ですが)すぐそばに則光がいるわけです。「ビミョー」ですよねえ。ということで、当時の結婚事情とか男女の機微についての註がぞろぞろぞろぞろ付くわけです。面白いですよ。
 そうそう、本書に出てくる「すごろく」は実はバックギャモンのことだって、皆さん、ご存知? バックギャモンを知らない? あらま。
 
 
24日(土)キレる大人
 公共の場ですぐにキレて暴力をふるう大人が増えているのだそうです。先日の朝日の記事に載せられた「暴行事件検挙者の世代別推移」を見ると、8年前には十代が検挙者トップだったのに、今では他のすべての年齢層に抜かれてしまって最下位になっています。つまり今はキレるのは大人。この8年でほとんどの十代は二十代に、二十代は三十代に、と移行していますが、キレる十代が成長してそのまま二十代三十代を押し上げているわけではありません。三十代と五十代は5倍、六十歳以上はなんと10倍の増加なのです。
 
 分析は社会心理学者なんかにまかせますが、たしかにこの前は図書館の受付でキレている人がいましたし、美術館や病院の受け付け、銀行や農協のロビー、駐車場の出入り口……様々な公共の場で私も見てきています。ふだん公共交通機関を使わないのでそちらの経験は薄いのですがそっちだともっと多いことでしょう。(不特定多数の人間がいる「公共の場」からは外れるかもしれませんが)学校でのモンスター親も「キレる大人」ですね。
 
 そうそう、小児虐待をしている人は外では「良い人」をやってる場合が多いように聞きますが、それが確かだとすると、内でキレる人は外ではキレにくい、ということ?
 
【ただいま読書中】
ロック・デイズ』原題ROCK DAYS 1964→1974  マイケル・ライドン 著、 秦隆司 訳、 バジリコ株式会社、2007年、2000円(税別)
 
 著者は元ニューズウィークの記者で「ローリングストーン」誌の創刊編集長。自身がギタリストで作詞作曲も手がけるそうです。
 本書では、著者がニューズウィークなどに書いた記事(掲載されたもの、あるいは、編集者がずたずたにして掲載する前の状態のもの)がどんとまとめられています。
 ロックとは何か? その前にブルースについて語らなければなりません。ブルースはアメリカ黒人の音楽です。その根底には「ホームから切り離されて異邦に暮らす疎外感」があります。使うのは西洋、つまり“異邦”の楽器。ブルース奏者はそれらの楽器を“正統”とは言えない奏法で用います。ただ、その疎外感は黒人だけのものではなく、普遍性を持っています。それがブルースの魅力です。それに参ってしまったアメリカの白人たちは、いくら努力しても黒人にはなれないことから、ブルースをただ真似るのではなくて新しい“自分たちの音楽”を生み出しました。それがロックです。私は黒人でも白人でもないので「オフビートで感情(主に怒り)を歌うのがロック」としか定義できません。血液に私とは違う歌成分が溶けている人はまた違った定義をするでしょう。
 
 著者が大学生の時に米国を訪れたビートルズについて、大学新聞に書いたビートルズに否定的な記事から本書は始まります。もっとも、その「否定」は実はビートルズがあまりに巨大すぎることに対する否定であって、ビートルズそのものを否定するものでないことはすぐにわかるのですが。
 初のロックフェスティバルであるモンタレー・フェスについては、会場の熱気に負けない筆致で記事を書いています。かと思うと、B・B・キングのディープサウス巡業に同行したときの記事には、悲しみが湛えられています。彼らが出会うのは、熱気のない観客、相手が黒人なら殴って良いと思っている粗暴な白人、「迫害されることはどんなことか」「真のブルースとは何か」をB・B・キングに教えてやろうとする生意気な(キングの生い立ちに比べたらはるかに恵まれた)黒人学生たち……
 数少ない女性ロックスターだったジャニス・ジョプリン(本書ではジョップリン)。私にとって彼女は、あの迫力ある歌声と映画「ローズ」です。しかし本書ではまた違った姿が見えます。素朴でナイーブで孤独に傷つきやすい姿が。
 ローリングストーンのアメリカツアーに記者として同行して、著者は「スター」とは幻影であることを知ります。彼らも実は人間なのです。ツアー後著者は音楽をはじめます。それはきっと、ミュージシャンが自分の仕事に自分自身を捧げているように、著者も自分の仕事(音楽について書くこと)に自分自身を捧げる決心をした現れなのでしょう。
 
 1960年代の音楽は、ビートルズだけではありません。私がポピュラー音楽の魅力を知ったのは1970年前後ですが、その頃好きになったミュージシャンが好きなあるいは自分が影響を受けた音楽として1950年代または60年代のものを上げることから、そちらにも興味は持っていました。ただ、自分にとって魅力的なのはやはり70年代のものでしたけれど。その頃すでにロックはハードロック・フォークロック・パンクロック・グラムロック……なんだかわけわかんなかったですね。これはロックの成長や成熟だったのか、それともロックがジャンルとしてまだ未成熟だった証拠だったのかは知りません。そういえば80年代にはAORなんてのもありましたっけ。
 本書には「60年代の音楽で人生が変わった人は多いはず」とありますが、間接的な影響を含めれば広義には私もその一人になるのかな。直接の影響を受けられなかったのがちょっと残念ではありますが。
 
 
25日(日)備忘録2007
 防衛省:“越後屋”に接待される
 厚生労働省:薬害肝炎の記録を“なかったもの”にしようと努力する
 国土交通省:道路財源にしがみついて、福祉や医療に回そうとしない。で、高速道路で鉄板の偽装をされる。
 
 偽装と言えば食品偽装:不二家、ミートホープ、学校給食の牛肉、白い恋人、赤福餅、比内鶏、船場吉兆……
 
【ただいま読書中】
憂い顔の「星の王子さま」』加藤晴久 著、 書肆心水、2007年、2200円(税別)
 
 半世紀にわたって日本人に愛されてきた『星の王子さま』(内藤濯訳)は最近独占出版権が切れ様々な新訳(本書出版時点で13種類)が登場しました。本書では最初の内藤訳を含めて“誤訳”を指摘した本です。「なんでこんな単純なミスをするんだ」と。著者が指摘するのはミスの有無だけではありません。指摘されたのに開き直って改善しない態度も容赦なく指弾されます。
 ところが著者の味方は数少なそうです。それはそうでしょう。内藤訳で育った人間が大半で(もちろん私自身もそうです)その“権威”にイチャモンをつけられたら面白くはありません。ことの正否よりもまず不愉快が先に立ちます。だからといって「面白くない」で個人を集団で叩くのなら某所で暴れている厨房と同じですから、私はまずは本書を読んでみることにします。
 最初は倉橋由美子訳。けちょんけちょんです。倉橋さんの「本書は子どもには分からない大人のための小説」という主張を、「小説」の定義からはじめて子どもの視点をサン・テグジュペリが導入していることの解説、トラヴァース(『メアリー・ポピンズ』の作者)の『星の王子さま』初版への書評(こんなのどこから探してきたんだ?)まで動員して“粉砕”しています。あ、トラヴァースの書評が少し長い引用で読めたのはお得でした。良いこと言っています。
 「飼いならす」についても著者は饒舌です。キツネと王子さまの出会いでこのことばが登場しますが、内藤訳では以後いろいろな日本語がそこに当てられていますし、新訳でも訳者はいろいろ苦労しているようです。しかし、著者にかかると話は簡単。新聞の見出しやシャンソンや子ども向けの宗教の本、さらにはサン=テグジュペリの他の本などからいくつも実例を引いて「apprivoiser」とは絆を作り出すという意味がある、と主張します。う〜む、ここで私はいったん本を閉じます。たしかにフランス語の日常用法やサン=テグジュペリの個人的経験から「飼いならす」が人間関係に用いられることも分かりますが、その意味で使われる場合人間関係では「自分が飼いならす」は「自分が飼いならされる」とセットです。しかし日本語で「飼いならす」としてしまうとそれは双方向ではなくて一方向の話になってしまいます。双方向性を持ったことば、たとえば「強い絆」とか「深い理解」の方がまだいいんじゃないかしら。
 著者の主張はシンプルで、まず原文を正確に理解する・原文の内容と味わいをそれにふさわしい日本語で表現する、この二つをきちんとやれ、です。わかりやすいですね。したがって原文に当たらずに翻訳を評論する人は本書ではけちょんけちょんです。原文の内容を曲げる誤訳・意訳やいらないものを付け加える超訳もばっさり切って捨てられます。(本書には「演奏の基本姿勢」が紹介されています。楽譜をちゃんと読み、その内容を解釈し、自分の中で熟成させ、聴衆の心に届くように表現する……翻訳と同じですね)
 で、具体的に内藤訳の問題点とそれに対応する新訳群の列挙ですが……最初はおだやかに指摘していたのが途中から著者は訳文に○×をつけはじめます。
 
 もうずいぶん前になりますが『羊たちの沈黙』の訳のあまりのひどさに頭に来て、特にひどい部分だけ書き出してみたらA4で2枚以上になったので新潮社の編集部に送りつけてみごとに黙殺されたのを思い出しました。菊池光さんの調子が悪かったのか下訳者がダメダメだったのか。ただし、著者が言うように「翻訳家は皆傷つきやすくて過ちを認められない」人種であるとも思いません。誤訳の指摘に対して反応が早い人(たとえば矢野徹さん)もいましたから。
 著者も「アホはアホ」「無神経」「無自覚・無責任」「欠陥商品」なんてことばをむきつけに使わずに、もうちょっと“翻訳”したことばで本書を書いたなら、もっと読者と翻訳者の心に主張が届いたかもしれません。たとえば「欠陥翻訳はことばと著者の心を偽装しているだけ」とか。……あまり変わらないかな?
 
 
26日(月)お肉
 私が子どもの時「肉屋さんにお使いに行ってきて」と言われたら「わーい、今晩はお肉だ」でした(高度成長期前の貧乏サラリーマンの家庭では「お肉が食べられる」だけで一大イベントだったのです)。で「牛のグラム○円のを○グラム」とか言づかって肉屋さんに行ったら竹の皮に包んで手渡されます。決して「ロースを」とか「ももを」とかの注文はしません。せいぜい「すき焼きかい?」「うん♪」といった会話がある程度。鶏の場合はももとかささみとかがあるのは知っていましたが牛や豚で部位によって使い分けがあることを知ったのは……高校より後のことだったかな。肉屋でも部位はあまり前面に出して売ってはいませんでした。まして今のような牛の産地表示なんかありません。というか、今の産地表示、どこまで確かなのかなあ。私が田舎に暮らしている頃、牛を飼っている人からはいろいろきなくさい話も聞かされましたからねえ(有名ブランドの日本酒メーカーが地方で桶買いをするように、牛の有名ブランドのブローカーが田舎に若牛を買いに来て“最後の仕上げ”だけやって○○牛として売る、とか)。本当に○○牛かどうかは、「その牛がその農家から出荷された」ことだけではなくて、その牛の親の親くらいまで遡って血統を追えるようにしないと確実な確認は無理なんじゃないかしら。農林水産省がそこまでやる根性を持っているとは思えませんけれど。
 そういえばあの頃の「とり」はほとんどが地鶏でしたね(「かしわ」と呼んでいた覚えがあります)。ブロイラーが出てきた頃には「淡泊で柔らかくて美味しい」と評判でしたっけ。料理によって使い分ける、じゃダメなのかなあ。
 
【ただいま読書中】
微分積分はわかるとおもしろい』野口哲典 著、 インデックス・コミュニケーションズ、2004年、1300円(税別)
 
 なぜか会社の業務命令で微分・積分を学ばなければならなくなった田中さんが、数学に詳しい喫茶店「恒河沙」のマスターに14日にわたって連続講義を受けるという本です。田中さんは高校で一応微分積分は学んでいますが、もうすっかり忘れているレベル(つまりは私と同じ)です。そこでまずは「自動車の速度計が微分、積算距離計が積分」というあたりから学習が始まります。
 
 積分の考え方は3000年前の古代エジプトまで遡ります。ナイルの氾濫でわけが分からなくなった耕作地(不整形)の面積を決定するために素朴な積分が用いられました。紀元前三世紀のアルキメデスによって「取りつくし法(きわめて細かい四角形の集合体として不整形を表現する)」として積分は少し洗練されます。それに対して微分は17世紀、ニュートンとライプニッツまで待たなければなりません。学校で習うのと順序が逆だったんですね。本書ではその理由を、微分は概念が難しいが計算が楽、積分は概念は楽だが計算がややこしいから、と述べています。
 関数・グラフの傾きなど懐かしいことばが登場します。そして極限。「ゼロに極限まで近づける」と「ゼロそのもの」は違うものです。それを同じとみなすとゼノンのパラドックス(飛ぶ矢は止まっている、とか、アキレスは亀に追いつけない)が成立してしまいます。
 極限と言えば、「1」と「0.999999……」は違うか等しいか。私が中学の時には質問した教生は「1から0.9999……を引いたらいくつになる?」という答え方をしてくれましたが、本書にはもう少しエレガントな回答が載っています。
(1)x=0.9999……とする。
(2)式の両方に10をかける(10x=9.9999……)。
(3)(2)から(1)を引き算する(9x=9)。
(1)と(3)より、「x」すなわち「0.9999……」は「1」に等しい。
 
 次は積分です。インテグラ、原始関数、不定積分……数学が苦手な人には聞いただけで逃げ出したくなる名詞が列挙されます。だけど、それがどんな意味を持つのかをきちんと教われば、それほど拒絶反応を示す必要はなさそうです。
 距離を時間で微分したら速度、それをもう一度時間で微分したら加速度。その逆もまた成り立ちます。立体の体積は断面積の積分で求めることができます。ああ、なんだか思い出してきました。本書では羊羹やバームクーヘンの体積を定積分を用いて導き出します。バームクーヘンはともかく、羊羹の体積を縦かける横かける高さではなくて積分で求めるとは意外でしたが面白く頭に入ります。
 
 学校では、まるで呪文を覚えるように微積分の公式を覚えさせられた記憶があります。魔法の呪文はちょっとでも間違えたら魔法はかかりません。それと同じように公式の呪文をちょっとでも間違えたらテストはアウトです。だけど呪文を覚えたり唱えたりすることが教育、ではないですよね(九九のような基礎は別ですが)。呪文ではなくて呪文の元となった「考え方」を覚えていればそこから公式を導き出すことができるはず。それが算数と数学の違いですし、中等教育以上では呪文ではなくて学の教育をおこなって欲しいというのが私のささやかな希望です。
 
 
27日(火)医療崩壊のキーワード
 ネット検索で「トンデモ医療裁判」とか「ブログ マスゴミ 医者」といった検索語で出てきたものを読むと、世の中の「医療不信」の裏返しのように医療の世界には「司法とマスコミに対する不信」がはびこってきているように私には見えます。ブログの影響力がどの程度のものかは実感できませんが、日々少しずつブログで発信されているものはどこかに影響を与えているはずです。
 つい最近の、ある弁護士からの又聞きですが、ベテランの裁判官が「最近の若い裁判官は、世間知らずのくせに妙に自信だけはあって、文面だけはスジが通っているが現実とは乖離した判決文を平気で書く」と嘆いていたそうな。その一部がつまりはトンデモ判決になっているんでしょうね。だけどこれって、社会のためには不幸なことのように思うんですよ。トンデモ判決によって少なくとも社会は良くならずにダメージだけ食らっているんだもの。
 黙っていじめられていた人間がある日突然いじめていた相手に復讐する、なんて事件があります。なんだか今の医療崩壊は、そんな状態に近づきつつあるんじゃないだろうか、マスコミはバッシングだけすれば自分の仕事は済んだと思わない方が良いんじゃないだろうか……私は心配です。医療を崩壊させたい人以外には医療が崩壊して得する人はいないんだもの。まだそんな心配はないよ、と思う人は「立ち去り型サボタージュ」でネット検索をかけてみてください。
 
【ただいま読書中】
荒野の呼び声』ジャック・ロンドン 著、 阿部友二 訳、 偕成社文庫4021、1977年(83年4刷)、480円
 
 判事の家に住む犬のボスであるバック(父親はセントバーナード、母親はシェパード)は誘拐され売り飛ばされます。アラスカがゴールドラッシュに見舞われた時期で、犬ぞりに使うための丈夫な犬が大量に求められていたのです。それまで人間と暖かい信頼の絆で結ばれていたバックは、暴力的で不公平で野蛮な世界に放り込まれます。
 バックはソリ引きの仕事と雪の中でのサバイバル技術を覚えます。そして、つらい生活の中で、それまで眠っていた野生の本能が少しずつ呼び覚まされていきます。温厚で賢明だった大型(体重が140〜150ポンド)の犬が、ずるがしこく立ち回り無慈悲に自分の体と牙にものを言わせるようになるのです。
 しかし、悲惨な道中で出会ったジョン・ソーントンに命を救われたことからバックの中にさらに新しいものが生まれます。特定の人間に対する絶対的な尊敬と愛情です。ソーントンは金を探して荒野に分け入りますが、そこでバックは“呼び声”を聞くようになります。やがてそれは狼の形となってバックの目の前に現れます。キャンプから出て狼とつき合う内にバックは野獣へと変化します。バックが「犬」に戻るのはソーントンの姿を見たときだけ。しかしキャンプが襲われ、バックと人間の世界をつないでいた絆が断ち切られてしまいます。
 
 ドラマチックな話ですが、細部まで著者の目が行き届いています。たとえば、人間だけではなくて、犬たちにもそれぞれ個性があります。そしてその中でバックの性格が少しずつ変わっていくのが印象的です。そして、厳しい自然と労働の中でばたばたと倒れていく犬たち。これは著者が実際に見た犬と人間たちの姿そのものだったのではないでしょうか。当時(もしかしたら今も)アラスカは「荒野」だったのですね。
 
 
28日(水)人情の勘定
 ラジオで「昔のスキー場には人情があった」と話していました。はて?と耳を傾けると……リフトの回数券をちぎったりパンチを入れるのを、常連になると時々見逃してタダでリフトに乗せてくれることがあったんだそうです。「それが今では世知辛くなっちゃって、機械的にきっちり料金を取られてしまう。ああ、昔は良かった」
 ……あのう、それって「人情」ではなくて「自分は得した(でも今は得していない)」の「損得」じゃないですか? 「(自分だけが)金を得すること」と「人情」とは、基本的には別の問題でしょう。人情じゃなくて損得勘定、いや、損得感情ね。
 
【ただいま読書中】
日本の風俗起源がよくわかる本』樋口清之 著、 大和書房、2007年、1200円(税別)
 
 「日本の礼儀作法の原点は神話にある」で本書は始まります。たしかに古事記はイザナギとイザナミの“挨拶”から国造りが始まります。礼儀作法は表面的には“技術”です。しかしその技術に道徳性を付与して「道」にしたいという願望が常に日本では働きます。
 挨拶は「無抵抗」という観点から考察されます。おじぎは魏志倭人伝に登場しますが、相手に対して頭を下げるのはすなわち無抵抗のしるしです。その時、攻撃に使う右手を左手で押さえるとさらに無抵抗性が増します。つまり挨拶としては上級になるわけです。西洋の握手も「自分の右手には武器がない」ことの証明ですが、無抵抗ではありませんね。日本にも握手はあります。「手を取り合う」です。この後にたいてい「喜ぶ」が付くのが特徴的です。あるいは両手をぎゅっと握りしめ合う。これは大体男女の愛情表現です。そうそう、拍手も挨拶です。これは音によって神に挨拶する意味があります(神社での二礼二拍手一礼はすべて神に対する挨拶で、その途中で長々と願い事をするのはよけいでしょう。もっともこの二礼二拍手一礼は明治に形式が定められたものだそうですから、保守主義者だったらそれにこだわらずに好きなようにやって良いのかもしれません)。もう一つ、無抵抗の観点からは拍手は「武器を持っていない」証明とも言えるでしょう。
 上座・下座は、その人から見て右が下座左が上座と決まっていて、人にものを勧めるのは下座からです。そういえばお酒を注ぐ場合、自分の左には注ぎやすいけれど右には注ぎにくいですね。
 正座が日本で広まったのは300年くらい前。それまではあぐらがポピュラーな座り方でした。しかし狭い茶室に詰め込まれるには膝を屈するしかありません。そこで正座が正式な場で採用され、さらにお茶が世間に広まるにつれて正座も広まっていきます。ついでですが、正座は立ち上がって攻撃するのにあぐらより時間がかかります。それもまた礼儀正しさの点から是とされました。……ということは、千利休はあぐらでお茶を点てていたんですね。
 呼称の「お前」は「御前」、「あなた」は「貴方」からですが、では「おれ」は? これはもともと一人称代名詞の「あれ」で本来は女言葉です。西鶴の作品では女性は皆「おれ」と自称しているそうです。それがいつの間にか男ことばになりかつ卑語化したのです。今は「ボク」と自称する女性もいますから、男女間のことばのやり取りは面白いものです。
 結婚式での白無垢の「どんな色にも染まります」は俗説として本書では退けられます。女性は結婚式という儀式で神を祀るために白装束を着(だから男は何色でもかまわない)、ついで神に仕える立場から人に戻るためにお色直しをするのです。だからどんちゃん騒ぎはお色直しの後です。「結婚式で男は添え物」は、着るものからも明らかだったのですね。
 除夜の鐘は、由来は仏教ですから、中国やインドでも行われていました。日本では奈良時代から始まりましたが、盛んになったのは江戸時代です。昭和で一事廃れましたが(戦争で鐘を供出したから)最近はまた盛んです。そういえば子ども時代には、紅白歌合戦を見たら行く年来る年で各地の除夜の鐘を聞くのが恒例行事でしたっけ。今年の大晦日はどうしようかな。
 
 
29日(木)廻るお鮨
 たまには廻らない鮨屋に行きたいものだと思いながらも、鮨屋に行くことはめったにないし行くにしても我が家の車が停まるのは回転鮨屋の駐車場です。近所の気に入りの店が次々潰れたので、最近新しいところを開拓しようと思っているのですが……この前入ったところでの感想は「ま、こんなもんだろう」でした。100円の皿は100円の、200円の皿は200円の味がして、それ以上ではないんです。まあ、それ以下でもないのですから“損”をしたわけではありませんが、やはり何か“得”をしたいと思うのですよ。その次に行ったところは「100円均一」(厳密には税込みで105円)でしたが、ここの方が気に入りました。皿によっては明らかに100円以上の仕事をしているものが次々廻ってくるんだもの。いつもは食の細い家内も珍しくぱくぱく食べていました。こんどは子どもも連れて行こう。
 
【ただいま読書中】
食に神が宿る街』ブライアン・フリーマントル 著、 新庄哲夫 訳、 TBSブリタニカ、1991年、1456円(税別)
 
 調査報道のライターでありスパイ小説作家でもある著者が、世界中を旅して経験した「食」についてまとめた本です。
 まずは「至上のドライ・マティーニ」です。最初からとんでもないテーマです。著者は「作り方だけで3冊の本が書かれている」と言いますが、実際にはそれ以上でしょう。著者はニューヨークのあちこちのバーでグラスを空けます。ここではグラスが冷えていない、ここではベルモットが多すぎる、オレンジ・ビターズが多すぎる、レモン・ピールが古い、オレンジのかわりにオリーブを使う、バーテンダーが時々手を抜く、角氷が砕けてはならない……いやあ、細かいことに気をつけないと「至上のトライ・マティーニ」には出会えないのですね。
 次はワシントン。料理は肉料理です。ガラガラ蛇やラム、そしてサーロイン。これのどこがワシントンなのかよくわかりませんが、どれも美味しそうです。
 ロサンゼルスで登場するのは、クイーン・メリー号、そしてスプルース・グース(大富豪ヒューズが作った木製の大型(全重量200トン)の飛行艇)です。食べ物は?と思っていたら、ハリウッドのスターたちがひいきにするレストランが続々紹介されます。
 家内の両親がアメリカ旅行をしたとき、食事の量の多さに辟易したという話を聞かされました。日本人は胃が小さいのかと思うと、実はイギリス人もけっこう持て余しているようです。著者も「このレストランでは食べ切れたことがない」とか「妻が中くらいの大きさのステーキを注文したら、届けられたのはなんと980グラムのTボーンステーキだった」とか驚きをこめて書いています。実はアメリカ人も持て余しているのかな、と思われる記述もあります。食べ残したものを“犬のために”持ち帰る「ドギー・バッグ」なんてものがちゃんとあるのですから。
 そして舞台はUSAから飛び出します。
 コカイン・カルテルの本を出すために訪れたコロンビアのメデジンで、著者はカルテルのボスと遭遇し、そして「殺しの契約」をかけられます。レストランで著者が行ったことがボスの面子を潰したのだそうです。著者を殺す報酬は5000ドル。そのレストランでは、どんな御馳走でも美味くはなかったでしょうね。
 ベトナム戦争時代のサイゴン(現ホーチミン市)に特派員として滞在した著者は、怪しげなレストランの常連となります。スープの中に蜘蛛が泳ぎ、衝立の上では大きな鼠が運動会をしているレストラン。しかし、サイゴン陥落後に語られるその思い出は、まるで美しい幻想のようです。
 ウィーンでは、私が(名前だけは)知っているデーメルやザッハホテルも登場します。コーヒーを愛好するトルコ軍の包囲に耐えた後、戦利品として得たコーヒー豆から今の“ウインナ・コーヒー”が生まれたエピソードも紹介されます。
 ロンドンでも美味しそうな料理とレストランが次々紹介されます。ただ、著者の地元だからでしょうか、レストランに集う人びとについても著者の暖かい視線が注がれています。
 ベルリンで登場するのは、スパイが集合するレストランです。スパイは著者の得意分野らしく、筆は流れ流れて止まるところを知りません。東西ベルリンの間の秘密トンネルの話など、これまでいろいろなフィクションやノンフィクションで読んできましたが、本書の書き方もまたみごとです。
 パリでの話題はミシュランです。そういえば最近東京でのミシュランガイドも出版されましたが、パリと同じ基準が採用されたのかどうかちょっと気にはなります(どうせそういったお店には「廻らないお鮨」なんて言っている私は縁がないでしょうから、どうでも良いことではあるのですが)。そしてここで紹介されるピカソの挿話。そう、食には神が宿ることがあるのです。ピカソの場合は美のミューズだったのかもしれませんが。
 ローマを経て舞台は日本へ。
 「このレストランが美味い」という、ただのグルメ本ではありません。もちろんそれに類した記述はありますが、「自分が好きなものについて語りたい」という欲望が満ちあふれた本と言えます。だけどこの「欲望」、ちっとも不愉快ではないんだな。
 
 
30日(金)楽
 対決と協調だったら、対決の方が楽です。協調するためには自分と相手両方の良い面と悪い面を知らなければなりませんが、対決するためには自分の良い面と相手の悪い面だけ知ればいいのですから、知的にずいぶん楽なのです(やろうと思えば、自分のことは一切知らなくて相手の悪い面だけ指摘することも可能です)。
 ただし、対決なり協調なりをした“後”のことについては、また別のお話になります。一方的に攻撃されたらほとんどの人は、反撃・釈明・逃走などを選択しますが、「協調して何か良いものを構築する」はふつうその選択肢に入っていません。
 
【ただいま読書中】
どの民族が戦争に強いのか? ──戦争・兵器・民族の徹底解剖』三野正洋 著、 光人社、2001年、2000円(税別)
 
 第二次世界大戦中、イギリス空軍の代表はスピットファイアです。大戦初期には世界でトップレベルの戦闘機でしたが、大戦中改良が加えられ、末期にはエンジン出力だけでも約2倍に増強されています。ところが、布貼りの複葉機ソードフィッシュもイギリス空軍は“主力機”として用いていました。最高時速は230キロ。スポットファイアがスーパーマンならソードフィッシュはパーマンです。ところがこのソードフィッシュ、25機でイタリア戦艦部隊を襲って戦艦三隻を沈めたり(ソードフィッシュの損害は2機)、ドイツの戦艦ビスマルク撃沈にも一役買ったり、大活躍だったのです。戦争の強さは、兵器の優秀性だけではないということ?(シャアのせりふを思い出します。と同時に、優秀な兵器を持っていても勝てなかった軍隊のことも)
 フランスはどうも弱いようです。ドイツの電撃戦でもろくも総崩れ、ベトナムでもアルジェリアでも負けました。その“汚名”を雪ごうというのか、現在のフランスは核兵器に異常なこだわりを見せています。ヨーロッパ(つまりは自分の国土とその周辺)ではきわめて使いにくいと思うんですけどねえ。
 著者は「強さ」の点でドイツを高く評価します。それも“負け戦”であるイタリア半島攻防戦で。上陸してきた連合軍によって制空権も制海権も奪われ、友軍のイタリア軍も当てにできず、人数で5倍の敵に立ち向かったドイツ軍はイタリア半島を連合軍が占領するのに1年半もかけさせ、30万人の死者を強いました(独軍の死者は31万人)。日本軍でそれに匹敵するのは硫黄島くらいでしょうか。
 「弱い」と評判(?)のイタリア軍ですが、例外もあります。人間魚雷は日本の回天が有名で、独にあったことも最近知りましたが、イタリアにも似たものがありました。潜水艦から発進するマイアーレ(豚)と呼ばれる3トンの小型潜水艇で港に忍び込んで敵戦艦に爆薬を仕掛けて帰ってくるもので、自軍の損害は無しでイギリス軍艦三隻を沈めています(もっとも港で水深が浅いから、すぐに修理されてしまいましたけれど)。
 アメリカ軍は現在地上最強だそうですが、ただ、力でごり押しするときは強いけれど小回りが利かない難点があるそうです。ロシア(ソ連)は、攻めるときには弱いけれど守るときには強い。軍隊の強さには、政治・経済・国内情勢・国際情勢などが複雑に関係してして単純に論じることはできないようです。と仮の結論を出したところで話は日本へ。日本軍は強いか、自衛隊はどうか、著者は歯切れ悪く論じます。ま、気持ちはわかりますけれどね。
 本書は「9.11」の前の出版ですが、21世紀の戦争に関して、イスラムと西との戦い・非正規軍との戦いについて考察がちゃんとされています。
 
 『猛獣もし戦わば』という、架空戦記のような本が昔ありました。虎とライオンが戦ったらどちらが勝つか、といったたわいない設定が次々登場したと記憶しています。本書はそれとはちょっと違ってひねってあります。世界の主要な民族を取りあげてその戦争についての考察を行っていますが、その作業を通して、実はどの民族も戦争と深く関係していること、したがって「戦争反対」は実は大変な作業であることが浮き彫りになるのです。さらに「戦争はたしかに悪だが、絶対悪か?」という哲学的な命題さえも。
 本書で私は難しい宿題をもらった気分です。