mixi日記09年2月


1日(日)日本人は単一民族

 もし本当に単一民族なのだとしたら、飛鳥時代には渡来人は全員上陸拒否、昭和の時代のサッカーや相撲での日本帰化も全員拒絶、ですか? なんだかそんな 頑なな「単一」は、日本の活力をかえって削ぐような気がするのですが。世界中から優れた人が「日本で過ごしたい。入れてちょうだい」とやって来たくなる 国、の方が良い国じゃない? 優れた人に集まってこられたら困る理由がありましたっけ? それとも、優れていない人の人気の的になるのがよろしい?  それともそれとも、世界中の人に嫌われる国が理想?


【ただいま読書中】

図表でみる教育 OECDインディケータ2008年版』OECD、明石出版、2008年、7600円(税別)


 これは「読む本」というより「参照するデータ集」ですが、ぱらぱらめくるだけで面白く読めます。教育に関する各種パラメーターを一枚の表で国際比較していて、制度や国情の違いがあるから単純比較はできないにしても、いろいろなものが見えてくるような気がします。


 たとえば、初等・中等教育に関しては、日本の教育支出はOECD平均程度ですが、対GDP比で見たら他の国と比較してどんじりに近い位置です。つまり、収入に見合うほどにはあまり教育にたくさんお金をかけない国。

  高等教育に対しての私的支出の割合は、日本はとても高い位置(上から3番目)です。つまり、国は高等教育に金をケチっていて、それを個人が補っている国で す。だから日本の高等教育での中途退学者が他の国に比較して非常に少ないのかな。銭をかけた以上元は取らなきゃ、ということで。

 教師一人あたりの生徒数は、日本はとっても多い国です。教師の負担は大変です。ここでも日本の「金をかけない」方針が貫かれているようです。


  医療でもそうですが、日本は大切なもの(教育や医療)にはどうしてあんなに金を惜しむんでしょう?(医療に関してもOECDの比較本が出ています) ラン クで言えば中の下くらいの金の出し方です。これでは国の力が落ちていくのも無理はないでしょう。今までは(医療も教育も)国がケチった分を個人が頑張るこ とでなんとか中の上かさらにそれ以上に位置するようにしていましたが、そろそろ国が願っている「中の下」におちぶれつつあるのかな。



3日(火)クラウド

 クラウド・コンピュータというのが最近はやっているそうですね。

 私は情報はお金と同等あるいはそれ以上に大切なものだと思っています。で、情報を預けるクラウドは、たとえば銀行以上に安定していて信用・信頼できる企業なのでしょうね。


【ただいま読書中】

ヨーロッパ各国・国名の起源』飯島英一 著、 創造社、1986年、2000


 ドイツ・フランス・イギリス・オランダ・ロシアの国名の起源とその歴史的背景(「国の成立」と「国名の成立」)についてまとめた本です。

   ドイツは様々な民族によってできた国です。3世紀はじめにライン・ドナウの上流にいた人々はアレマンネンと呼ばれました。彼らはガリア北部にたびたび侵 入し、ガリア人(後のフランス人)に強烈な印象を残しました。そのためかフランス語でドイツはAllemagneです。英語でドイツをGermanyと呼 ぶのはもちろん古代ローマ時代のゲルマンからでしょう。ではドイツ人の自称Deutschは? これは古ゲルマン語の「テオド」(種族とか国民という意 味)が語源だそうです。フランク帝国が分割された時には、東西両フランク国王はロマンス語とテオディスク語で宣誓したそうです。この、東フランク国で用い られたテオディスク語が後世の「ドイツ語」です。11世紀に、国土と人民を包括的に示す「diutsch」が登場します。ドイツはローマ帝国の皇帝権を受 け継ぎ1486年には「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」と呼ばれましたが、オランダ・スイス・イタリア・ベルギーなどが次々「ローマ帝国」から分離し、 1801年には名称から「神聖ローマ」が脱落して「ドイツ帝国」となっています。

 フランスの語源は「フランク」です。843年フランク帝国が3 分して生まれた西フランク国がもとで、ラテン語のFrancia(フランク人の国)がフランスになっています。ちなみにフランクの語源はゲルマン人が使っ ていた短い槍のことで、それをローマ人が種族名として使ったのでした。

 イギリスはもとはAlbion(白い土地)と呼ばれました。大陸から見た ら白い崖が見えたからでしょう。島そのものはブリトン島と呼ばれ、大陸から移住して先住ガリア人を征服して定住した人々はブリトン人と呼ばれました。では 「イングランド」は? ローマの撤退後対rくから進行したアングロ・サクソン族は自らをアングル(Angle,Engle)人、自らの言葉を Engliscと呼びました。アングル人の国だからアングランド=Englandです。

 オランダはかつて世界を股にかけていました。その名残は 地名に残っています。Holland(国名そのもの)、Zeeland(オランダ南西部河口地帯の地名)が世界中にあるのです。ニュージーランドはそのも のずばりですし、ニューヨークもかつてはニウ・アムステルダムでした。建国の父はホラント伯爵。16世紀に大貴族たちによるスペインからの独立運動が起 き、さらにカトリックと新教が対立して話を複雑にします。1581年にネーデルラント連邦共和国ができますが、フェリペの甥アレッサンドロが南部(と旧 教)をまとめてスペイン領ネーデルラントとします(これがのちのベルギー)。スペイン無敵艦隊の敗北、英仏蘭三国同盟成立で「オランダ」が国として成立し ます。


 読んでいる内に「国」とは一体何だ、と思います。ヨーロッパでは基本的に群雄割拠がスタートです。そこで領封制ができたがそのま ま近代に移行したのがドイツ、王政になったのが英仏ですが、英仏の「王」は相当性格が違って同等に論じるわけにはいきません。オランダは「経済」によって 「国」になっています。そして最後のロシアもまた異質です。というか「すべてのが異質」が正解でしょう。になるためのスタンダードなんて ないのですから。



4日(水)ウイルス作者

 コンピュータウイルスの製作者たちも、自分のパソコンにはワクチンソフトを入れているのでしょうか。で、自分が作ったウイルスに対するワクチンは、お手製? それとも既製品?


【ただいま読書中】

医学のたまご』海堂尊 著、 理論社、2008年、1300円(税別)


 「医者で作家」のポジションでは、現在日本で一番ブイブイいわせているだろう作家のジュブナイルです。

  父親は世界的に有名なゲーム理論学者ですが、曾根崎薫(中学1年、男子)は、頭は悪くなさそうですが学校の成績は(歴史以外は)悪く、父母は離婚して一緒 に暮らすはずの父親は現在アメリカ住まいで(父親はずいぶんユニークな人のようですが、結局メールでしか本書には登場しません)シッターさんと二人暮らし をしています。そんな薫君が、本当にひょんなことで文科省の特別プログラムに選ばれてしまって中学生でありながら大学医学部解剖学教室で研究をすることに なってしまいます。劣等生の中学生が分子生物学の最先端の研究をすることになり「そ、そんなご無体な」状況ですが、彼には秘密兵器があります。理系な ら何でもこいの秀才や芸術系なのにとんでもなく頭がよいクラスメイトで構成される「チーム曾根崎」です。

 戸惑いながら二重生活(中学と大学、劣 等生とスーパー中学生)をおくる薫ですが、さらにとんでもないことが。どうも研究で世界を揺るがす大成果があったようなのです。ようなのです、というの は、本人が研究内容を把握していないからなのですが、舞い上がる教授に対して慎重派の研究員は追試を待つように求めます。しかし教授は勝手に発表。それで 二重の大騒動が起きてしまいます。中学生として、医学研究者として、窮地に追い詰められた薫に、どんな選択肢があるのか。薫は「楽ではない道」をまず選択 します。倒すべきボスキャラは悪徳教授。仲間とパーティーを組んで戦い始めるのです。


 全12章、すべての章は「『……』と○○は言っ た」と章立てされていますが、特に印象的なのは、第3章「扉を開けたときには、勝負がついている」と、パパは言った/第5章「ムダにはムダの意味がある」 と、パパは言った/第6章「閉じた世界は必ず腐っていく」と、パパは言った/第8章「悪意と無能は区別がつかないし、つける必要もない」と、パパは言った /第12章「道は自分の目の前に広がっている」と、僕は言った。

 『チーム・バチスタ』の白鳥さんのようなロジカルモンスターはいませんが、そのお仲間は登場します。「アクティブ・フェーズ」とか「パッシヴ・フェーズ」なんてことばも登場します(ただし「バチスタ」とは違ったニュアンスですが)。

 

  本書を、ジュブナイル版の「白い巨塔」(薄汚い医学部教授の物語)と読むことも可能でしょう。しかし、世界は自分の思うように動くべきだと強く思ってい て、その思いが裏切られた時には「責任者は誰だ」ととにかくワルモノを見つけようとする人って、別に医学部教授でなくてもそのへんの会社や商店や家庭 にもごろごろいそうな気がします。それと、著者が本当に訴えたいことは、クズのような人間はいるが、それでも科学や医学には本気で身を献げるだけの価値が ある、ということではないかな。



5日(木)わたり

 公務員の『わたり」を禁止する、と麻生総理は声を張り上げています。たしかに「わたり」は問題が多い。限られた税金の使途の一部を限られた公務員が独占するわけで、税金の私物化と言って良いからです。

 ところで、それを言っている政治家の世襲はどうでしょう。これまた、限られた役職(と税金)を限られた一族が独占するわけで、つまりは公務員のわたりと同様の「公」の私物化ではありません?


【ただいま読書中】

ちょっとピンぼけ』ロバート・キャパ 著、 川添浩史・井上清壹 訳、 ちくま少年文庫141978年(864刷)、1200


  1942年夏、ユダヤ系ハンガリー人でナチスの手からアメリカに逃げ出していたキャパは、ポケットに5セントしか持っていない状況で、司法省移民局から敵 国人と認定されたと通知を受けます。それと同時に週刊誌コリヤーズの編集部からイギリスに戦争カメラマンとして派遣する、という通知も。船が出るまで48 時間。キャパにあるのは「敵国人」のラベル。ないのは、国務省と移民局の出入国許可証とイギリスへのパスポート。それでもキャパはうまく渡英してしまいま す。アメリカ軍基地ではうっかり軍事機密を撮影してしまって軍法会議にかけられますが、そこも無事クリア。ちゃっかり軍属の身分も入手してしまいます。

  イチゴのような味のキスの後、北アフリカ戦線。南京虫とトイレを探して迷い込んだ地雷原の後、最前線。コリヤーズを首になって強制送還ぎりぎりのところで シシリア降下作戦に報道写真家として一番乗り。それどころかキャパは、増援部隊と一緒にパラシュート降下までしてしまいます。ライフの専属となったキャパ はイタリア戦線で消耗し、Dデイの直前にイギリスに戻ります。そこでヘミングウェイとの意外な出会い。キャパはスペイン内乱に参加した時にヘミングウェイ と知り合い、彼の養子となっていたのです。

 そしてDデイ。キャパは、第一派の歩兵部隊を選択し、上陸用舟艇に乗り込みます。高価なバーバリのレ インコートを腕に掛けた「もっともおしゃれな侵攻者」として。そして有名な「キャパの手はふるえていた」。命をかけて上陸した海岸で撮影した106枚の写 真は、暗室助手のミスで駄目にされ、救われたのは熱気でぼけた(だから手がふるえているように見える)8枚だけだったのです。

 そしてパリ解放。 キャパは最初の戦車に同乗して入城します。そしてドイツへの空挺部隊の侵攻。キャパは先頭機に乗ってパラシュートで降下します。そしてベルリン陥落。キャ パは「最後の戦死者」の写真を撮ります。つねに最前線に位置し後世に残る写真を撮り、そのかわりに犠牲も払っています。


 高校の図書室で読んだ本の中では、印象の強さでトップ20に入る本です。再読してその面白さを再確認しました。軽妙洒脱で、でも苦さを感じさせる文章は、彼の写真と同様に、様々なものを読者に伝えてくれます。再読できて良かった。



6日(金)名誉毀損

 個人ブログを炎上させた人が、名誉毀損などで書類送検された、というニュースが報じられました。「そんなのどこにでもあるじゃん」と思った私はきっと魂がもう汚れてしまっているのでしょうね。

 で、朝日新聞の社説にも取り上げられています。(2月6日付)

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

  読むと微笑ましい文章が書き連ねられていますが、これを読んでわかるのは、新聞人がネットを嫌っていることと、書かれていることをちょっと単語を入れ替え るだけで全部自分たちに当てはまることを言っていることに無自覚であること、です。「自分だけは姿の見えにくい場所に立って、一方的に悪口を浴びせたり事 実に反する書き込みをしたりするのは、あまりにも卑劣ではないか。 」なんて書いてありますが、たとえば「日刊スポーツ 恥を知れ」で検索したら出てくるコラムなんか「一方的悪口」そのものではありません? しかも立って いるのが「見えにくい場所」ではなくて「第4の権力」だからさらに始末が悪い(日刊スポーツが権力か、には異論があるかもしれませんが、少なくともマ スコミが言論の暴力を駆使している点に注目しています)。


 ふっと思ったのですが「死刑にするかどうか」の事件よりも、この手の裁判こそが、裁判員制度になじむんじゃないか、と感じます。「ここまで言ったら誹謗中傷だろう」とかは専門家よりも市民感覚の方が判断が確かじゃないかしら。


【ただいま読書中】

10ドルだって大金だ』ジャック・リッチー 著、 藤村裕美 訳、 河出書房新社、2006年、2000円(税別)


 ミステリー短編集ですが……

 「妻を殺さば」は「結婚して三ヶ月、そろそろ、妻を殺す頃合だ」と始まります。借金苦の男が金持ちで世間知らずの女と結婚。遺産目当てに妻殺しを企む話ですが、いや、これがまあなんというか、次々予想外の展開をしてくれて、そして最後のショック。

  ネタバレになったらミステリー短編は読めなくなりますから詳しくは触れませんが、とにかく「読者の予想を(良い意味で)裏切る展開」の短編が続きます。こ れはもう職人芸です。そして最後のあたりで「シェリー酒をダブルで」が登場する短編がいくつか連続して、まあこちらはツボにはまっていまいます。


  解説では、大ネタではなくて短めの小話で脚を爆笑の渦に巻き込む落語家が例に挙げられていますが、ジャック・リッチーはたしかにそういった感じで捉えるこ とができるでしょう。決して世界一とか前人未到の記録とかには関係がありませんが、ずっとレギュラーでスタメンに名を連ねて試合に連続出場を続けて気がつ くと名球会入りした選手、といった趣です。



7日(土)頭の体操

 『頭の体操』(多湖輝)を初めて見たのは、小学生の時に同級生経由だったと記憶しています。面白くて面白くて、夢中で次々解きました(あるいは解けませ んでした)。時々あの頃のことを懐かしく思い出しますが、なんと多湖輝さんはまだお元気なんですね。DSのゲーム「レイトン教授」シリーズでクイズ監修を されているではありませんか。はい、買いましたよ。息子も夢中になってやっています。なんか、似たもの親子です。良いことなんだか悪いことなんだか……


【ただいまゲーム中】

レイトン教授と不思議な町 フレンドリー版』クイズ監修多湖輝、レベルファイブ、プラットフォーム:任天堂DS、2008年、アマゾンで3,792


  「英国紳士としてはね」が口癖のレイトン教授とその助手ルーク少年は、不思議な町に招待されます。そこの大金持ちが亡くなったのですが、その莫大な遺産は 謎を解かないと見つからない、ということで謎解きの依頼です。ところがその町、住人が次々クイズやパズルを出してきます。それを解いていくことでストー リーは進行……と言いたいのですが、正直言ってこのストーリーは単なる添え物。この町の根幹にかかわるアイデアのラフスケッチでしかありません。クイズを 並べるためのページの紙、といった感じです。ストーリーの整合性なんかを求めると失望するでしょう。

 で、とにかくクイズをさくさく解いていくの ですが、DSのタッチペンを用いたメカニズムを実に良く活かしてあって、楽しめます。ひさしぶりに熱中してクイズをやってしまいました。おかげで読書用の 時間が壊滅状態。このシリーズは3部作で最新作ももう発売されていますが、不思議な町は一応最後までいったしストーリー中のなぞは全部解いたのでそこで一 封印します。他に何もできなくなったら困りますので。

 『頭の体操』が大好きだった人にはお勧めします。楽しい時間が数時間は過ごせますよ。



8日(日)京大式カード

 『知的生産の技術』を読んだのは高校の時。興奮しました。「情報は自分で整理して、効率的に再利用できる」という概念を会得したものですから。さっそく京大式カードを購入し、いろいろな分類を試してみました。

  たしかに分類したり並べ替えたりするのは楽しい作業です。「何かをやっているぞ」という満足感も得られます。ただ、記入の手間がやたらとかかるのが難点。 そこでいつしかカードはつかわなくなって、パソコンでのカード式データベースを使うようになりました。ところがけっこうこれも使いにくい点があります。 で、今はどうしているかというと、カード式データベースで管理しているのは住所録だけ。あとは自由記述でだらだら書いて、検索を活用して情報を管理、とし ています。Macの検索システムがとても使いやすいのでしばらくはこの方式で行くでしょうが、はたしてこれは、情報管理の点では、進歩したのかそれとも退 歩したのかな。


【ただいま読書中】

現場主義の知的生産法』関満博 著、 ちくま新書3402002年、700円(税別)


 著者は中小企業論が専門で、「現場」を最重要視しています。それも「現場と共に育つ」ことを。さらにそのやり口は、とてもアクティブです。たぶん私はついて行けないだろう、アクティブさ。

  例として2001年のモンゴル調査が載っているのですが、読んでいてその迫力に驚きます。まずは荷物の少なさ。選択されたものについて一つ一つ解説がつい ていますが、その思い切りの良さと合理性には「恐れ入りました」と言うしかありません。そしてその実際の活動。まったく初めての異国で、政府や商工会議所 も巻き込んで、2週間で40ヶ所の調査をきちんとしてしまう、そして「こことは一生付き合うぞ」という覚悟を述べられる(そして、相手もそれを受け入れ る)のには、感服します。 

 著者が現場を重視するのは、本当に問題を解決したいからのようです。一般論を述べるのはわりと簡単です。フォーマッ トに則って「問題」を抽出し、それに対する対策を言えばいい。だけど、本当に現場が困っている問題は、現場に行って一緒に話をし見なければ、わかりませ ん。現場はそれぞれ違うのですから、解決法も一般論ではなくてオーダーメイドでなければいけないはずなのです。

 執筆活動も相当されていますが、「生産性を上げるには、時間を何とかひねり出すしかない」とのことです。人が休んだり遊んでいる時間にキーボードを叩く、と。1日は24時間で、フルタイムの仕事を持っていたら、基本はそうするしかないだろう、と納得です。


  「自分」(方法論、専門家としての腕)があり「現場」があり、現場で調査して書斎に戻ってその情報を整理して書籍にする……著者の方法は文化人類学の手法 によく似ています。似ているというか、構造はまったく同じ、と言って良いでしょう。ただ、著者は「観察」だけではなくて、積極的に働きかけを行います。そ こに登場するのが「熱気」「志」「愛情」「希望」といった、あまり学問的ではないことばです。温かくて熱い学者の行動録です。



9日(月)勤勉な図書館員

 どこぞの知事が図書館に隠しカメラを仕掛けて「職員が暇そうだからそんな施設は要らない」と宣いましたが、まさかこの知事さん、そのへんの商店街の呼び 込みのように威勢良く図書館員が動き回っていたら大満足、というわけじゃないでしょうね。私としてはそんなうるさい図書館には行きたくありません。あくま で静かに待機していて、用がある時だけ最小限の動きでこちらの用を知的に片付けてくれればそれでいいです。ただしそれはあくまででの仕事。大切なの バックステージでの仕事でしょう。図書館職員が本来するべき仕事がどんなものか、図書館が果たす文化的・社会的な機能がどんなものか、あの知事は ゆっくり想像したことがあるのかしら。(というか、そのときの記者会見で、記者は「知事が理想とする図書館員の勤務ぶりは具体的にどんなものですか?」と 聞かなかったんだろうか?)


【ただいま読書中】

図書館長の仕事』ちばおさむ 著、 日本図書館協会、2008年、1900円(税別)


  本書では、職員が十数人程度の小さめの地域に根ざした図書館が想定されています。著者が重視するのはカウンター業務です。相撲取りにとって「土俵に宝が埋 まっている」のと同様、図書館員にとっては「カウンターに宝が埋まっている」のだ、と。一昨日読書報告を上げた『現場主義の知的生産法』で「現場を重 視しろ」と繰り返し述べられていたのを私は思い出します。著者は、佐賀市立図書館長時代にもカウンターに交代で立っていたそうです。

 その上で図 書館長が果たすべき職責は……の前に、関連法規。図書館関係の法規はどのくらいあると思います? 本書には列挙されていますが……「図書館法」「国立国会 図書館法」「学校図書館法」「子どもの読書活動の推進に関する法律」「文字・活字文化振興法」「社会教育法」「博物館法」「地方教育行政の組織及び運営に 関する法律」「教育基本法」「著作権法」「公文書館法」「身体障害者福祉法」「児童福祉法」「地方自治法」「日本国憲法」……ふう。さらに「宣言」では 「図書館の自由に関する宣言」「図書館員の倫理綱領」「ユネスコ公共図書館宣言」「ユネスコ学習権宣言(学習権は人間の生存にとって不可欠の権利であ る)」「児童憲章」「子どもの権利条約」「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」……またまた、ふう。

 面白いのは、図書館に囲碁や将棋が できるコーナーがあっても良いじゃないか、という提言です。本で囲碁や将棋を知ったらそれを試してみたくなる、そのためのコーナーです。著者はスウェーデ ンの図書館にチェスのコーナーがあり、そこで「このコーナーは様々な国の人が使う。チェスは国際語です」という言葉を聞いて触発されたそうです。さらに、 地域の人の交流の場としての機能を持つ図書館もあります。

 図書館の三要素とその重要度は、人75資料20施設5だそうです。専門資格として司書 がありますが、その主な業務は、選書と相談。条件として「本も人も好き」が求められるそうです。そして図書館長は、そういった職員だけではなくて利用者や 行政にも向き合い交渉をしなければなりません。図書館は本のための施設ではなくて、利用者と利用しない人も含めた地域の住民のためのものなのです。


  本書で紹介されているデンマークの図書館の実践例には驚きました。その自治体では住民の87%が図書館を利用しているのですが、2歳になったときに図書館 から招待状が送られそれを持って来館すると本が一冊プレゼントされるのだそうです。こんな自治体に住みたい、と思います。図書館なんて金食い虫は要らな い、といった野蛮な首長の自治体には魅力を感じません。



10日(火)希望

 「希望と共に暮らす」は考え物です。だって、そのためには、希望がかなえられてはならないのですから。


【ただいま読書中】

野球の神様がいた球場』衣笠祥雄 著、 ベースボール・マガジン社、2008年、1500円(税別)


 1957年に建造された広島市民球場は、広島市の中央部、原爆ドームの向かいにありましたが、今年取り壊されて広島駅の近くに移転します。本書で、この球場の歴史に重ねて、著者は自分の野球人生について語ります。

  著者の名前を見たら「連続試合出場記録」とか「鉄人」がすぐに浮かびますが、その連続出場記録が始まったのは1970年。讀賣ジャイアンツがV9街道を驀 進中(その年はV6の年)でした。甲子園出場をした平安高校から万年Bクラスの広島カープに入団したらすぐにキャッチャーのレギュラーポジションが取れる だろうという目論見で意気揚々とキャンプに参加した著者は、プロのレベルの高さに愕然とします。あわてて猛練習をして肩を壊し2年間を棒に振り自動車事故 のトラブルもあり、このままではクビというところで、後の監督(当時はコーチ)根本さんと出会います。そこでの連夜のお説教が野球人生を決定した、と著者 は述べます。さらにすごいのは、よそのチームの監督までもが著者に具体的にアドバイスをしていることです。「当時の二軍の指導者には自チームの選手だけで はなく、球界を上げて若手選手を育てていこうという雰囲気があったように思う」と著者は書いていますが、考えてみたらすごいことです。

 根本さん の問いかけで著者が最重要視しているのが「試合に出たければ、おまえはどうするんだ」と「衣笠という選手はどんな選手なんだ」です。「自分がいかなる選手 であるか」の自己認識と「どのような選手が現在必要とされているのか」の自分を取り巻く世界の認識、その二つがあいまいなままでは一流のプロにはなれませ ん。さらに、その回答を自分でつかむことも要求されています。人生の芯になる部分は、安易に他人に教わるのではなくて自分で見つけなければならない、 ということでしょう。著者はそれを「長打力」と思い、その追求を始めます。それが著者の「原点」となり、その延長線上に連続試合出場記録がありました。

  面白いのは、日本記録達成直前に著者は恐怖感を抱き(交通事故や急病で記録が途絶えるかもしれない)、記録を達成して前人未踏の領域に足を踏み入れたらこ んどは責任感を感じるようになったことです。それまでは「飯田選手」という名選手を目標にしていれば良かったのが、こんどは他の選手の目標となる存在であ らねばならない、と。その責任感が、こんどはゲーリックの世界記録への挑戦の原動力となったのだそうです。

 日本記録達成直前、著者は大スランプ に見舞われます。(おそらく「記録」の重圧があったのでしょう) そのとき古葉監督の前で弱音を吐いた時言われた一言が「おまえひとりでやってきたん か!」。著者はに恵まれている、と感じます。同時に人の言葉に傾ける耳(と心)を持っている、と。(逆かな? 「聞く耳を持っている人」と わかるからこそ、人は著者に有用なアドバイスをしたくなるのかもしれません)

 著者の記録はのちにカル・リプケン・ジュニアに更新されますが、二 人が対談した時に共通点がとても多かったそうです。とにかく野球が好きなこと・とにかく毎日試合に出たいこと・不振の時に監督に使ってもらえるか不安だっ たこと・怪我を恐れないこと……プレーの内容を問われない記録だから、だからこそプレーで結果を残さなければならない、と考えること。

 キャッ チャーからファーストにコンバートされた時には「ワンバウンドをいかに上手く捕球するか」をテーマに守備練習をします。75年にはサードにコンバート。そ こでのテーマは肩を痛めない送球です。そしてその年に初優勝。背番号は28から3になります。(著者はずっと「3」に憧れていましたが、それは長嶋茂 雄ではなくて、ベーブ・ルースの背番号だったから。ついでに、「鉄人」というニックネームは「28」からです(鉄人28号)) 経験した打順も8番と9番 以外はすべて。つねに新しいテーマに挑戦し続けた野球人生でした。「自分が長く野球ができたのは、市民球場のおかげもある」と著者は述べます。球場と そこに集う人々のおかげだ、と。野球場はただの野球のためのフィールドではなくて、人生の舞台でもあるようです。

 私は昨年は1回しか野球場に行きませんでしたが、今年はもう少し多く、家族で出かけることができたらいいな、と思いました。あの熱気は、テレビでは味わえませんもの。



11日(水)汽水か?

 ノアの箱船が浮かんでいたのは、真水だったのでしょうか、それとも塩水? いや、魚がどうなったのかが気になりまして。


【ただいま読書中】

箱舟の航海日誌』ケネス・ウォーカー 著、 安達まみ 訳、 光文社古典新訳文庫、2007年、552円(税別)


  「退屈なので、読むべからず」と本書は始まります。ついで語られるのは洪水以前の無垢な世界。天候は穏やかで雨など降ったことがなく、果物がたわわに 実り、現在は見られない種を含む動物たちがすべて仲良く暮らしていた世界です。(現在の肉食動物も当時は果物を食って生きていたそうです。『ジャングル大 帝』での動物レストランへの究極の回答ですね)

 ところがそこに騒動の種が。白髭のおじいさんが、林を丸ごと切り倒して大きなを作 り始めたのです。「雨」というものが襲ってくる、と言いながら。誰もそんなことは信じません。ノアとその末息子ヤフェト以外には。しかし、やがて空は不思 議なものに覆われます。はじめは鳥の群れ。次に、鳥を追った雲。そして大雨が降り始めます。驚天動地の出来事にショックを受けた動物たちは2匹ずつ1列に なって、丘の上の箱船を目指します。

 動物たちはそれぞれ特徴的なキャラクターですが、私のお気に入りは、陽気に笑い転げるカバかな。ナルシスト のトラとか賢しらに勘違い発言を連発するサルとか小心者のナナジュナナとか転がりだしたら止まらないフワコロ=ドンとか、とにかく様々な動物が集まってて んやわんやの大騒ぎです。そして、暗い隅っこに、醜いスカブが紛れ込んでいます。世界でただ一匹、肉の味を知っている動物です。

 お風呂でのどた ばたとか音楽会などのイベントはありましたが、長い漂流生活の退屈さと毎回毎回食べさせられるオートミールに飽きたのか、あるいは一見礼儀正しいが陰 でこそこそと囁き続けるスカブの影響か、一部の動物たちに不穏な空気が流れ始めます。たとえば、虎・豹・狼・イタチなどに。鹿などは彼らの目つきにおびえ を感じるようになり、箱舟の雰囲気は悪化します。脱走者(動物)も出ます。

 そしてついに陸地が顔を出し、箱舟はその使命を終えます。それは新しい時代の始まりでした。弱肉強食の。


 なんともショッキングな幕切れです。箱舟の中という閉鎖社会の中で熟成されたものが、「原罪」の動物版であったとは。著者は第一次世界大戦に軍医として従軍した後に本書を子ども向けに書きましたが、戦場と戦後の世界で一体何を見て何を考えていたのでしょう。



12日(木)対価

 かつて「静けさ」はそのへんに普通にあるものでした。でも今では特に求めないと得られません。『日本人とユダヤ人』では無料だった「水と安全」が有料になったのに続いて静けさも、とは、日本はどんどん進歩しているんですね。あっぱれ。


【ただいま読書中】

神輿(NHK美の壺)』NHK「美の壺」制作斑 編、日本放送出版協会、2008年、950円(税別)


 御神輿は神社で、その証拠に鳥居がついています。町内会の御神輿にもついていました。

 そういえばわが家の神棚もよくよくみると棚板の前面にまるで鳥居のような板のセットがついています。しめ縄はそこに固定していますが、その部分を雲板と言い、結界を示すものだそうです。ということは、鳥居と同じ機能を果たしているのかな。


 昔僧兵が強訴するときには、ご神体やご神木を担いで都に押しかけましたが、あれもまた一種の御神輿ですね。今のお祭りとは違って、剣呑な行事ですが。


 本書では、普段それほど注目されることがない御神輿の中で、特に江戸神輿をじっくりと観察してその「美の壺(鑑賞のツボ)」を示そうとしています。

 江戸神輿のは、屋根です。大きく華麗で「いなせ」とか「粋」を表現するのだそうです。ただ、やたらと大きくしたら担ぎにくくなります。そこで、屋根の下の胴を細く絞ることで屋根を相対的に強調するテクニックが用いられました。

  錺(かざり)も重要です。特に目立つのが屋根から飛び立とうとしている鳳凰。これも「よその神輿には負けたくない」という気持ちから、どんどん進化(変 化)しているそうです。さらに、目立たないところにも木彫りの彫刻が多数配されています。彫り師は、木目に従って木の中から造型を彫ります。いや、彫る のではなくて掘りだすのかもしれません。木目に従えばどんなに細くしても、祭りでいくら激しく揺すっても、そう簡単には折れないそうです。

 江戸神輿は、錺金具ではなくて大量の木彫刻で装飾される彫刻神輿が主流です。それも、見えないところまで職人が様々な彫刻を彫り込んでいます。

 ふだんあまり注目する物ではありませんが、実に身近なところに「美」があって、躍動しているんですね。こんなことを知ったときには、日本人で良かった、と思います。



13日(金)食卓の垂訓

 「親の言うことはきかなければならない」と「呼ばれたらすぐ返事をしろ」と「口にものを入れたまましゃべってはならない」と「ゆっくり噛んで食べろ」と をすべて満足しなければならない子どもは、食卓で口にものを入れた瞬間に呼ばれたら、どうすればいいでしょう? 一度吐き出して返事してまた食べる、か な。


【ただいま読書中】

エアボーン』ケネス・オッペル 著、 原田勝 訳、 小学館、2006年、1900円(税別)


  大空を悠々と飛行する飛行船オーロラ号。空で生まれたマットはそこでキャビンボーイとして働きながら、少しずつ昇進して最後には飛行船の船長になる夢 を持っています。マットが暮らすのは不思議な世界です。ヨーロッパからアメリカに移民が大量に移住した時代から1世代あとの時代ですが、水素より軽くマン ゴーのような香りのするハイドリウムガスを詰めた飛行船や熱気球やオーニソプター(羽ばたき飛行機)が空を飛び交い、エッフェル塔には飛行船用の係留マス トが取り付けられています。アメリカとヨーロッパの間の海はアトランティカス海と呼ばれ、オーストラリアへはパシフィカス海を渡らなければなりません。映 画の創始者リュミエール兄弟は、こちらの世界では三兄弟です。

 一日キャビンボーイとして忙しく働き、当直の夜はそのまま見張り所に上がって夜空 の見張りという激務ですが、マットは生き生きと働いています。そんな夜、マットは遭難した熱気球を発見します。はらはらどきどきの救出劇。しかしそれは、 ただのオープニングエピソードでした。

 1年後、マットは特別室に客として乗り込んだ少女ケイトと出会います。同時に、自分の昇進の機会を不当に 奪ったブルースとも。ケイトとは気が合いそうですが、口うるさいお世話係がいつも彼女のそばにくっついています。空を飛ぶ銀白色の毛皮とコウモリのような 翼を持つ不思議な哺乳類の話や空賊の襲撃。私の脳内には宮崎アニメの世界が広がります。

 空賊船のプロペラに気嚢を切り裂かれ、浮力を失ったオー ロラ号は不時着水を決意します。しかしその寸前、地図に載っていない島が。そこは、ケイトが探していた島でした。発見したいものを探し続けるケイト(と、 それに巻き込まれたマット)は、見つけてはならないものも見つけてしまいます。


 新しい地球を丸ごと一つ作ってしまい、でもそのことを自 慢たらたら書き込むのではなくて単なる舞台として、その上でまことに面白いストーリーを展開する。著者の力量はたいしたものです。本書のキーワード ……「空で生きる」かな。本書に登場する雲猫という不思議な生き物は、空で生まれ一生空で過ごします。それが彼らの種としての生き方です。マットも同じ ように空で生まれ、地上に降りると落ち着きません。だけどそれには理由があります。その真の理由を知った時、読者はもうこの物語世界に生きています。 そして、いつも空を飛んでいたマットが落ちたとき、そこに待っていた新しい運命は……


 人にとって「飛ぶ」ということが一体何であるのか、「飛べない」ということが何であるか、読み終えてじっくり考えることができます。そして、幸せは自分が飛んで見つけるものか、あるいは、飛んでいる幸せを自分が見つけるものか、なんてことも。

  見逃してはいけないのは、マットもケイトも「誰か他人に自分の問題を解決してもらおう」なんてことは最初から思っていないことです。この社会の価値観(今 から百年前の我々の世界と同様の、階級とか男女の問題とかの縛り)の下では、それはとてもしんどい決断ですが、それでも彼らはその線を譲りません。

 さて、マットが次に飛び立つ時には、どんな冒険が待っているのか、期待にこちらの胸は膨らみ、心は空に飛んでいってしまいそうです。



14日(土)緊急車両

 交差点で列の先頭で信号待ちをしていると、サイレンの音が近づいてきました。「う〜う〜う〜」だから消防車かパトカーか、と思っていると、ぎっしり詰 まった2車線の対向車線の車が少しずつ左右に割れてそこからパトカーが姿を見せました。「赤信号を直進します、赤信号を直進します」と大きな声で言ってい ます。当然私から見て左右の青信号の車線の車も停止しました。

 ところが、クラクション。停止した車列の前から2〜3台目に位置する、自分の前の 車が青信号なのに停止したのが気に入らない車が、ぷっぷかぷーと騒いでいます。これって自分の前の車に対して「自分の邪魔だからパトカーの前に飛び出せ」 と要求しているわけですが、まさか「自分は緊急車両よりエライ」と主張する車がいるとは思いませんでした。クラクション鳴らされた方も困りますよね。もし あなただったら、「後ろからクラクション鳴らされたし、青信号だったから」と、回転灯を点けサイレンを鳴らしているパトカーの進路妨害をしますか?

 「自分はパトカーよりエライ」と主張する人は、無辜の車じゃなくてパトカー相手にそれを主張してみて欲しいものです。


【ただいま読書中】

スカイブレイカー』ケネス・オッペル 著、 原田勝 訳、 小学館、2007年、1900円(税別)


 『エアボーン』の続きです。

 マットはパリで飛行船アカデミーに通っています。貧乏なのと学業が難しすぎるのが悩みの種です。

  前作のオーロラ号で料理長をやっていたヴラッドとの思わぬ再会。またもや(笑)遅刻してオーニソプターで登場するケイト。このへんまで懐かしさ爆発です が、さっそく新しい話題が登場します。変人の発明家で大金持ちのグルーネルが生涯最後に作った飛行船ハイペリオン号が幽霊船となって高度6000メートル を漂流しているのですが、そこに満載されているはずのお宝を探そうというのです。使うのは、世界に十機もない高々度飛行船スカイブレイカー。名前はサガル マータ号(ネパール語でエベレスト)。名前通りエベレストだって飛び越えることができる飛行船です。しかし、ライバルがいます。それもよりによって空賊た ち(なぜか権力者と組んでいる、という噂があります)。マットとケイトに同行するのは、一癖ありそうな船長スレイター、謎を秘めたロマの美少女ナディラ、 そしてまたもや騒々しいお世話係のシンプキンズさん。目指すのは極地の高々度帯(スカイベリア(スカイ+シベリア))です。

 そうそう、ライバルと言えば、恋のライバルも登場していろいろ話がややこしくなります。ケイトはスレイターに惹かれている様子を見せますし、マットはマットで二人の美少女の間で心が引き裂かれそうです。

 高空は不思議な世界でした。またまた新生物が登場し、飛行船から犠牲者が出ます。しかし本当の敵は「空」そのものでした。薄い酸素、低温、そして乾燥。さらに、前作で死んだはずの空賊スピアグラスの亡霊が意外な形で登場します。さらにそこに空賊の襲撃が。

  いやもうはらはらどきどきの活劇の連続で、前作とはずいぶん味わいが違いますが、「面白い!」のは一緒。そして最後に、マットはまたもや空に墜ちてしまい ます。前回は飛行船の上から尾翼に向かってでしたが、今回は高度6000メートルの墜落していく飛行船からのダイブです。マットの運命は。お宝は見つかる のか。恋の行方はどうなるのか。


 いやあ、伏線の張り方が、本当に心憎い作家です。読んでいて「あれ? 変だな」と感じますから、明らか に伏線なのですが、そうとわかっていてもついつい気持ちよくはめられてしまいます。いやもうこの面白さと言ったら、とても私の筆力では伝えきれません。 「空」と「冒険」が好きな人は、『エアボーン』と合わせてお楽しみ下さい。



15日(日)数字

 数字は世界を単純化します。たとえば「1の次」は「2」です。ふつうは誰もそれを疑問に思わないでしょう。しかし、指折り数えた「1」と「2」の間には無数の実数が実は存在しています。あ、それから、指の股も。


【ただいま読書中】

素粒子の宴』南部陽一郎 + H・D・ポリツァー 対談、工作舎、1979年(2008年新装版)、1200円(税別)


 ノーベル賞のおかげで新装版が出版されました。ありがたいことです。

 中身は、1978年に東京で開催された高エネルギー物理学国際会議に参加した当時ベテランの南部さん(対称性の自発的破れ)と新鋭ポリツァーさん(漸近的自由)の対談です。

  クォーク理論は1974年ころ市民権を得、この対談の時点では、1年前に発見された「ボトム・クォーク」(5番目のクォーク)に続いて6番目の「トッ プ・クォーク」が発見を待たれている状況でした(トップ・クォークが実際に観測されるのにはそれから約20年かかりましたが)。

 「自然」と「人 間が作る自然のモデル」の関係を論じているところが、私には刺激的です。数字は単位を付けられることによって抽象化される、とか(ここの部分はもっとつっ こんで議論して欲しかった)、あるいは人はついつい「対称」を求める、とか。そういえば「自然は真空を嫌う」はアリストテレスでしたっけ。「自然はこう なっているに違いない」という人の強い思いは、自然を見る目にある種の偏向フィルターをはめ込んでしまうのでしょう。

 しかし「数」で重要なのは 「1」ではなくて「2」というのは鋭い指摘です。「一つの○○」は別に数える必要がありません。二つあるから数えなければならなくなるのです。しかも同じ ものが複数あればそこに「対称」の概念が芽生えます。また、理論についてはシンプルさ、方程式では式の美しさが重要視されます。物理学は実は非常に人間く さい学問だ、と南部さんは言います。

 戦後の日本は金がなかったため加速器が作れませんでした。そのため素粒子の研究者は宇宙線を研究しました。 宇宙線は加速器より高エネルギーですが、確実性に欠けます。だからアメリカの研究者は、宇宙線は「宇宙線の研究」のために研究していました。日本は余分な ハンディキャップを背負わされていたと言えます。そういった環境でも地道に研究を続けていった人々のことはもうちょっと知られても良いと私は感じます。 ノーベル賞のときだけ瞬間沸騰して騒ぐのではなくて。



16日(月)買い物上手

 「安くて良いもの」を求める人と、「良くて安いもの」を求める人とでは、どちらが結果として「賢い買い物」ができるでしょう?


【ただいま読書中】

あしながおじさん』J・ウェブスター 著、 谷川俊太郎 訳、 長新太 画、理論社(フォア文庫)、1988年、485円(税別)


 孤児院で育った少女ジルーシャ・アボットはその文才を認められ、大学進学を許されます。条件は二つ。作家になること。スポンサーを名乗り出た孤児院の理事の金持ち(仮名ジョン・スミス)に月に1回手紙を書くこと。

  ジルーシャ(愛称ジュディ)は大喜びで大学の寮に入り、ちらりとみた後ろ姿の特徴から理事に「あしながおじさん」と愛称をつけてせっせと(月1回でいいの にはじめは3日ごとに)手紙を書き始めます。本書はその手紙だけで構成されていますが、手紙にたっぷり含まれているユーモアと文章に潜む孤独の影に、読者 は少しずつジュディの虜になっていきます。(手紙の文体が少しずつ成長していくところ、そしてそこに意図的に混ぜられる孤児院などのエピソードの暗さ、著 者は本当に手練れです)

 ジュディがするべきことは多岐にわたります。友達づきあい(ハイスクールでは孤児院育ちということで孤立していまし た。大学ではそのことは秘密になっています)、大学の勉強、あしながおじさんへの手紙、そして環境のせいでなおざりになっていた当時の女の子として当然 知っておくべきだったこと(たとえば「若草物語」を読む)をこっそり大急ぎで獲得すること。ジュディはさらにプレゼントをもらうことにも慣れなければなり ません。たとえば入学祝いやクリスマスプレゼント、そして病気のお見舞い。

 孤児院生活では、生き抜くことといたずらに向けられていたジュディの 才能は、勉学と教養に向けられアクセル全開状態となります。この大学生活の生き生きとしたことと言ったら、彼女にかかっては試験に落ちることさえなんだか 楽しそうなことに見えてしまいます。もちろん勉強は大変なんですけどね。さらに、体もめきめきと成長します。これまで押さえつけられていた圧迫が取れて、 ジュディの心身はともに成長を始めたのでしょう。

 家柄を鼻にかける同級生ジュリアの叔父ジャービス・ベンドルトン(ただし一門の鼻つまみ)とジュディは偶然知り合い、ジュディはジャービスの方には好感を抱きます。また、ボーイフレンドもできます。

  私は男ですからついつい「あしながおじさん」の立場に身を置いて読んでしまいますが、身の危険を感じます。ジュディはあまりに魅力的すぎます。こりゃ られちゃうのも無理ありませんわ。ところが、自分が定めた「匿名」というルールが自分を縛ります。これは「紳士はルールを守るからこそ紳士」という社会 の縛りもあるでしょうが、「慈善で公私混同をしたらよろしくない」ということもあるでしょう。しかもあしながおじさんが使える武器はお金。お金でジュ ディの歓心を買うしかないとなると、これは面白くはありません。しかもそこにお似合いのライバル出現となったら……

 本書のハッピーエンドは、ジュディにとっても良いことでしたが、あしながおじさんにとってもまことにハッピーで「御同慶の至りに存じます」の言い回しがぴったりです。


鏡ではりつめられた中空の大球に入ったらどんなものが見えるか、という問題が本書にありますが、同じアイデアが江戸川乱歩の短編にも登場していましたね。どちらも正解が書いてないのが気になります。



17日(火)謝罪広告

 勘違いや思いこみや偏った正義感で間違いを犯すことは、誰にでもあります。で、間違ったと思ったら、あるいは間違ったと思っていなくてもたとえば裁判で 「謝れ」と判決が出たら、きちんと謝る、これは当然のことです。で、新聞だったら隅っこに小さく謝罪広告ですが、これって変じゃないです? 新聞が記事を 訂正するあるいは謝罪するのなら、その「報道した事実」だけを訂正したのでは不十分です。もとの記事がどのくらいの「影響」を社会に与えたのかを考えて、 それをできるだけ打ち消すように行動しないと自分の行動と責任にバランスが取れません。最低、もとの記事と同じ場所に同じ大きさで訂正記事または謝罪広告 を載せるべきでしょう。それだったら以前そこを読んだ人が「あ、あれは間違いだったんだ」と自分の印象を訂正できます。誰も読まないところで謝るのは、 謝ったとは言えません。


【ただいま読書中】

なぜ無実の人が自白するのか ──DNA鑑定は告発する』スティーヴン・A・ドリズィン、リチャード・A・レオ 著、 伊藤和子 訳、 日本評論社、2008年、2000円(税別)


 DNA鑑定によって証明された「虚偽自白」に関する本です。

  かつてアメリカでは、司法手続きで無実の人が有罪判決を受けることは絶対無いとされていました。ところが「無辜の有罪判決」(エドウィン・ボーチャード、 1932年、65例の誤判事例を紹介)によってその常識は覆され、問題の焦点は「冤罪があるかどうか」ではなくて「その理由と予防」に移動しました。 「虚偽自白」はそういった誤判原因の一つとされていましたが、最近では主要原因に出世しています(最近の冤罪研究で、事例の1425%が虚偽自白に よる冤罪だそうです)。

 警察には、真犯人を自白させるためのテクニック(心理的な影響力の行使、説得、トリック、心理的強制)があります。とこ ろがこれを上手く使うと、無実の人間も自白してしまうのです。かつては拷問で白状させていましたが、それはあまりに野蛮ということで近代化した警 察では心理テクニックを使うわけです。そしてこの心理的取り調べの目的は「被疑者が真犯人かどうか」を決めることではなくて、「自白を引き出すこと」なの です。

 現代警察の取り調べは2段階の心理的操作から成ります。第1段階は「逮捕の正当性」をつきつけ、警察に協力(自白)した方が自分に有利に 働く、と信じさせます。被疑者が無力感を感じると第2段階。自白あるいは事件について説明して警察に協力した方が利益が得られ、非協力的だと不利益を被る という誘導が行われます。

 被疑者が本当に有罪の人だったら問題はありませんが、被疑者が無辜の民だった場合が大問題です。心理的テクニック は無辜の民の心も上手に操作し、自白をさせてしまうくらい強力なのです。さらに問題は、「自白」が陪審員に強い影響を与えることです。さらに、裁判で 自白を否認した場合「反省していない」として通常より厳罰が与えられる傾向があります。

 本書には、1971年から2002年までに発生した、明 らかに虚偽自白であると証明された125の事例が集められています。その内55%は最後の10年、31%は最後の5年に発生しており、虚偽自白が増加傾向 にあることを伺わせます。虚偽自白をするのは、若年・精神障害・知的障害の男性が主で州によってずいぶん偏りがあります。犯罪は謀殺や強姦がほとんどで 「重罪になるのがわかっていて虚偽自白をするわけがない」が根拠のない思いこみであることが示されます。さらに驚くのが、取り調べ時間がわかっている44 例では、そのうち89%で取り調べ時間が24時間以内に虚偽自白が得られていることです。裁判にかけられたのは51例ですが、そのうち44例(86%)で 有罪が確定しています。

 繰り返しますが、以上はすべて「虚偽自白」であることが確定した事例です。一度虚偽自白が得られると、それは「事実」と して扱われます。したがって、訴追されなくても、自白者は名誉を失い職を失い友人や家族を失います。刑務所で22年過ごした人もいます。司法関係者は「自 白」にしがみつき、それが虚偽であることがわかると、潔く謝罪する人もいますが、なかには虚偽自白をしたことを罪に問う人もいます。罪名は「捜査妨害」。

  真の自白なら、そこには真犯人しか知り得ない事実・捜査を進展させるものが含まれているはずです。それが虚偽自白との大きな違いです。本書の主張は明快で す。裁判は自白に頼らず、証拠に物を言わせろ(特にDNA鑑定が役立つ)。取り調べは可視化(ビデオ、録音テープ)すること。それが結局捜査の質を上げ、 冤罪を防ぎ、「正義」の実現に役立つ、と。

 さて、日本では、どうなんでしょう。「日本の司法は無謬だ」と信じる人が多くて、こんな研究は最初からする必要がない、と思われていたりして。



18日(水)声調

 オバマ大統領は相変わらずよくテレビに出てきますが、選挙前あるいは直後の演説と最近の会見を比較すると、半オクターブくらい音程が下がっているし話のスピードもゆっくりになっているように感じます。きっといろいろ難しいことに直面させられているんでしょうねえ。


【ただいま読書中】

血と涙と』チャーチル、中野忠夫 訳、 新潮社、1958年、定価400円・地方定価410


 ウィンストン・チャーチルの演説集です。書誌情報を書こうとして奥付をみて私はびっくりします。定価が二つあるではありませんか。これは初めての体験です。この10円の差は、輸送費かな?


 第二次世界大戦中にチャーチルは500以上の演説を行っているそうですが、その中から本書には52の演説が採録されています。

 一読、驚くのは、その簡明さと率直さです。国民に語りかけるのですから「わかることば」を使うのは当然でしょうが、戦況が悪い時には「悪い」と言っているのには驚きます。それから、「正統派の演説」だそうですが、口調はけっこうざっくばらんです。

 歴史感覚も特筆するべきでしょう。「非常時である」を言い訳に「現在」だけを見つめるのではなくて、チャーチルは常に過去と未来を忘れません。彼の演説は「知性」と「希望」に訴えかける、と言えます。(ヒトラーのは私が感じる限り「痴性」と「激情」かな)

  さらに、ときどき「詩」や他人の言葉が引用されます。これがまた演説にぴったりで印象的です。本書の初っぱな、組閣をすませて最初の演説ではイタリアのガ リバルディのことばの借用と言われる「I have nothing to offer, but blood, toil, tears, and sweat.」(私の提供しうるものはただ血と労苦と涙と汗だけである)が高らかに響きます。


 戦争内閣の構成でも私は驚きます。チャー チルはチェンバリンから引き継いで組閣をしますが、そのときそれまでの保守党単独の12人から絞って超党派の5人で戦争内閣を作りました(他の閣僚は省務 に専念)。決定を早くするために人数を絞ったわけで、戦争中メンバーは次々変わりましたがチャーチルだけは常にそこにいました。で、海相・陸相・空相が常 にそこにはいません。「戦うのは軍隊だが、戦争は、軍ではなくて国がするもの」というチャーチルの意思の表れでしょうし、チャーチル自身が軍事について非 常に詳しいから軍人が戦争内閣にいなくても的確な決定が素早くできたということなのでしょう。

 この戦争は「ヒトラーの戦争」と呼ばれ、ヒトラーは「チャーチルの戦争」と呼んでいたそうですが、たしかに「ヒトラーとチャーチルの間で行われた言葉の戦争」でもあったようです。


 それにつけても日本では……と言うのは虚しいからやめます。



19日(木)きょうの料理

NHK「きょうの料理」…2人前レシピに(讀賣新聞)


初は5人分が「目安」だったが、核家族化の進行に伴い、65年4月から4人分に減らした。だが、2005年の国勢調査によると、1世帯の平均人数は2・ 55人に落ち込み、今後も減少が予想されること、番組テキストの読者アンケートで2人分を望む声が多かったことから、44年ぶりの変更に踏み切ったとい う。


 ──引用、ここまで──


 感じたのは2点。

1)核家族化は進行しているんですね。

2)割り算が苦痛な人が増えたんですね。


  わが家は全員小食なので、レシピに「4人前」とあってもそこから量を減らします。さらに薄味好きなので調味料の量もさらに加減(ほとんどは減)されます。 家によってそういった工夫をするのが当然と思っていましたが、アンケートで「2人分を望む声が多かった」ということは「4人分を2で割る」ことさえしたく ない人が多くなった、ということなんでしょうか。料理は事前の計画と計算と作業のダンドリと現状把握と突発事への対応が必要な非常に知的な手作業だと思っ ていたのですが、そこまで頭を使いたくない人が増えたのだったら、日本の将来を憂えた方が良いのかなあ。



20日(金)フライデー

 ロビンソン・クルーソーが原住民に出会って名付けたのが、会ったのが金曜日だから「フライデー」。「お前は誰だ?」とも聞かずに一方的に命名です。

 ちびくろサンボを差別用語だと狩った人は、むしろこちらのフライデーこそ狩るべきだと思います。「フライデー」そのものは差別用語ではありませんが、すくなくともロビンソン・クルーソーの(命名という)行為は明らかに「差別の文脈」に乗っているのですから。


【ただいま読書中】

完訳 ロビンソン・クルーソー』ダニエル・デフォー 著、 増田義郎 訳、 中央公論新社、2007年、2800円(税別)


  1632年ヨークの裕福な家に三男として生まれたロビンソンは、定職に就くことを嫌い家出して船乗りになります。まずは難破したり小さな商売に成功したり 海賊に囚われたりのはらはらどきどきの冒険が語られます。ブラジルで農園経営に小さな成功を収めたロビンソンは、一攫千金の船旅に出かけます。奴隷の密貿 易をしようとギニアを目指しますが、帆船はギアナ沖で遭難します。

 さて、孤島でのサバイバル生活の始まりです。といっても、帆船一隻分の資材が ほとんど丸々使えます。武器とか大工道具、食料、帆布、木材、鉄、鉛……さらに難破した場所もわかっています。ギアナのオリノコ川河口です。無人島に単独 で漂着した者としては、まだ恵まれた出発点と言えるでしょう。

 面白いのは当時のヨーロッパの価値観です。非白人には人権はありません。ただ、キリスト教徒になったら奴隷から解放されることもあり得ます。島はロビンソンが発見したものだから、所有権はロビンソンにあります。先人がいたかどうかは問題にされません。

 不思議なことに、島の高地から40マイルくらい向こうにアメリカ大陸が見えたのに、ロビンソンはなぜかそちらに向かおうとはしません。そこはスペイン領だろうし野蛮人が一杯いるに違いないから、と。

  住宅建設、野生の山羊の家畜化、農耕、島の探険、陶芸、炭焼き、料理……ロビンソンがするべきことは山ほどあります。丸木船を造りますが、最初は大きすぎ て海まで運べず、二隻目は「これは小さすぎる」と大陸には渡らず島の探険に使います。孤独な生活を始めて18年、大陸からの来訪者が島にあることを知り、 ロビンソンは家畜を島の奥地に匿い住処を要塞化します。

 そして、殺されて食べられるために島に連れられてきて脱走した蛮人を救います。ロビンソ ンが最初に彼に教えたのは、会った日にちなんで彼の名前が「フライデー」であること、そして自分は「マスター」と呼ばれることでした。ロビンソンは蛮人の 中にも善良な能力があることを知ります。それは野蛮な生活の中に埋もれていますが、文明人と触れ合うことでその能力は開花するのです。この辺は当時の なのでしょう。ロビンソン・クルーソーはフライデーにキリスト教を教え、そのことで自身も学びます。

 フライデーと出会って3年後(島に来て から27年後)、蛮人のカヌーが3隻島を訪れます。ロビンソンとフライデーは銃で蛮人たちを襲い、食べられる寸前のスペイン人とフライデーの父親を救いま す。スペイン人は大陸にさらに14人の同胞がいることをロビンソンに伝え、彼らを連れて島に渡ることに同意します。ロビンソン・クルーソーは島の王様に出世します。イギリス船が漂着し、またまた立ち回りがあって、そしてついに「金持ち」として帰国。


 当時のイギリスは私掠船によって富 を得、カリブ海を制圧して新大陸南部(南米)のスペインとポルトガルの支配を崩そうとしていました。デフォーの『ロビンソン・クルーソー』はその国家戦略 の広告塔としての役割を持っていました(そのへんの詳しいことは、本書の解説や以前読書日記を書いた『黄金郷(エル・ドラド)伝説』に書いてあります)。 本書は、単にまじめにこつこつ働いたら豊かになりました、の物語ではありません。


 子どもの時には、サバイバル技術とともに干しぶどうの話がとても印象的でしたが、今回読んでもやはり干しぶどうが印象的です。マラリア発作をたばことラム酒で治してしまったロビンソンですから、何か特別な効能を干しぶどうに認めていたのかもしれません。



21日(土)ずるさ

 生きるためには「計算高さ」や「ずるさ」が必要ですが、するさが発達したら、同時にそれを抑制するために倫理観も発達します。もしそういった抑止力がなければその人は平気で人をだます人になってしまいます。だけど、そういった犯罪者(またはそれすれすれの人)にならずにすむ人は、ずるさと倫理観のバ ランスが取れた人です。社会に住むほとんどの人は、このタイプでしょう。「自分は倫理観を持っている」と安心していて、でもその倫理観が必要なのは自分に ずるさがあるからだということには目を瞑ることができる幸福な人です。

 ずるさが発達しない人は、それを抑制するための倫理観を発達させる必要は ありません。するとその人は「無邪気な人」になります。それはそれで良いことなのでしょうが、ただ、そういった人は詐欺師の好餌となってしまいます。 好餌はやっぱり良いことではないですよねえ(詐欺師は嬉しいでしょうが)。


【ただいま読書中】

SAS セイバースカッド』キャメロン・スペンス 著、 長井亮祐 訳、 原書房、1998年、1800円(税別)


 著者がエベレストに登山している最中に、サダム・フセインがクエートに侵入しました。ちょっと変わったオープニングですが、これで著者がSASの山岳部隊に所属していることが紹介されます。

  湾岸戦争のとき、イギリスの特殊部隊SASはイラク領内に、車両パトロール隊4個と徒歩パトロール隊1個を送り込んで破壊活動をしました(主目標はスカッ ドミサイルの発射基地を発見して破壊すること)。イラク軍に発見された徒歩パトロール隊の悲劇的な結末は『ブラヴォー・ツー・ゼロ』(アンディ・マクナ ブ)に書いてあります。車両パトロール隊も2個はイラク軍に発見されて損害を受けました。著者もそういった部隊の一つに軍曹として参加しイラク領内で隠密 活動をしました。

 著者が属したのは30人の部隊(中隊を半分に割った半個中隊)で、6台の戦闘車両、1台の支援車両(非武装)、オートバイ4台 で構成されていました。しかし、無能な指揮官や隊員のミスで、侵入早々戦闘車両一台を失い、敵に発見されて戦闘になり、と散々な始まりで指揮官はさっさと 更迭されてしまいます。

 厳しい生活です。砂漠地帯で人が少ないとはいえ、敵地のど真ん中。日中は偽装ネットを被ってひたすら発見されないように 息を殺し、夜になって移動。敵の陣地の間をこっそりとすり抜けます。そしてついにでっかい標的を発見。ところが、守備兵はせいぜい30人のはずでこっそり 忍び入って爆弾をしかければ良いだけの割と楽な任務のはずが、何百人も敵兵がわらわらと次々出てきて壮絶な撃ち合いとなってしまいます。


  不正確な情報をもたらす情報部、多国籍軍で作戦の連携が取れていないこと、手練れの兵隊をうんざりさせるお利口な将校……SASはエリート部隊のはず ですが、必ずしもナイス・ガイばかりで構成されているようではありません。そのへんのリアルな話もどんどん登場します。さらに、強力な武器をいい 加減に使う政治家に対する感情も著者は隠しません。退役軍人でも守秘義務はあるはずですから、どこまでが真実でどのくらい脚色されているのかは簡単にはわ かりませんが、それでも軍隊の雰囲気は伝わってきます。そして、その臭いも(潔癖症の人は読まない方が吉かもしれません)。



22日(日)大もうけ

 比較的楽をして大もうけをしようと思えば略奪が良い選択肢です。海賊がその典型ですね。リスクはもちろんありますが、少なくとも毎日毎日地道に働くという労苦はせずにすみます。大航海時代のイギリスなら、私掠船の船長になれればお上のお墨付きの合法的な略奪者です。

 資本主義の世界でも、地道に働くのでは一攫千金は望めません。でも合法的な略奪者になれば大もうけができて、六本木ヒルズあたりに住めそうです。

 毎日こつこつと「この世の富」を作り出している生産者は六本木ヒルズに住めなくて、それを動かしている人が大金持ちになるのを見ると、せめて「略奪者」という悪口くらいは言いたくなりました。


【ただいま読書中】

中世の借金事情』井原今朝男 著、 吉川弘文館、2009年、1700円(税別)


  イスラム銀行やマイクロ・クレジットといった例外はありますが、近代債権論では利子は無限に増殖し返済義務は免除されないことになっています。(ただ し、大企業の場合は、公的資金の注入や債務放棄が公的に行われることはあります。これも例外ですが) この自由市場原理は、中世からの普遍の原理であ り、借りたものに利息を付けて返すのは弥生時代にまで遡ることができる、とされていました。

 でもそれは本当なのでしょうか? 著者は「債務史」という新しい研究分野を作り、中世を新しい切り口から眺めています。

  稲作の収量は種籾の良否に左右されます。そこで「出挙(すいこ)」と呼ばれる、農民が領主などから良い籾を借りて田植えをし収穫期に利子を付けて返す制度 が古代からありました。飢饉の時にはこの出挙米の貸し借りで飢民は生き延び、領主はその貸し借りを帳消しにする「徳政」で慈悲を示しました。ただし日蓮は それを「飢饉や疫病を撃退する社会的効果がないうわべだけの行為」と厳しく否定しています。不況の時のなんちゃら給付金も同じかな。

 平安時代に は、徴税業務を委任された人が公の業務を執行していましたが、もし滞納があった場合には私財で弁済していました。公私混交システムです。そのため、破産状 態になった請負人は寄進をすることで財産整理をしました。著者は、院政時代に寄進地系荘園が激増した原因は、公私の債務整理のため、としています。

  鎌倉時代に、無尽や頼母子講といった庶民レベルの「借金システム」が普及しましたが、14世紀には「合銭(あいせん)」「合力銭」といった利殖目的の貸し 出し業(今の質屋のようなもの)が始まります。本書には下京という町組が出資した「下京合力銭」が紹介されています。今だったらたとえば村上ファンドみた いなものでしょうか。それは共同体の絆を深めました。荘園などの年貢を請け負う代官や地頭も、まず借金をして代納していました。寺社・公家は年貢を担保に 借金して生活し、勘合貿易は借金を元手に出航していました。中世では借金することはごく普通のことだったようです。

 気になる利息ですが、そ れは自由です。ただし「契約は1年以内」「元利合計が2倍まで」の縛りが公的にありました。それ以上の利息設定をしていて裁判で貸し主が負けた記録が紹介 されています。質草も債権者の元に置くとは限りませんし、質流れも慣習法があって簡単には流れないようになっています。本書には正中二年(1325)の借 用状が載っていますが、月利6%という高金利ですが2貫文の借金に対して利息は800文までの定額制で、たとえ期日に返済が間に合わず質(畑2反)が流れ ても、何年後でも金を返せば畑は返す、という約束になってます。現代とはちょっと違って日本の中世では債務者の権利保護、というか、債務者と債権者の共存 が優先しているようです。

 さらに「借物(しゃくもつ)」と呼ばれる無利子の借金制度がありました。年貢の未進分や売掛代金も無利子です。で、こ れらの無利子の借金には徳政令は適用されません。さらに、借用書の時効が、武家法では10年、公家法では20年と定められていました。中世の経済は、我々 のとは全く違う常識で動いていたようです。そもそも所有権の概念が全然違う(たとえば債権者が取り上げた抵当を自由に処理できない)様子なのがちょっ とショックでした。

 著者は「健全な債務者が存在してこそ、債権者が権利行使できる」と述べます。対立ではなくて共存すれば、限られた資源の中で の循環型再生産経済社会ができるのではないか、と。現在禿鷹ファンドなどへの非難の声が上がっていますが、もしかしたら中世に学ぶことで21世紀の資本主 義はちょっとは良い姿になれるのかもしれません。



23日(月)させていただく

 ちょっと前ですが、NHKが、受信料を人が集めるのをやめて、振り替えやクレジットカードにする、と自己宣伝していました。ところがそこで使われていた のが例の「〜させていただきます」。別にそんな許可を出した覚えはありませんし、逆に「だめよ」と言っても無意味ですよね。つまり、無用の謙譲です。「自 分はこう決めてこう行動する。民はそれに従え」という通知なのですから、事務的に言えばそれですむと思うんですけどね。


【ただいま読書中】

血と砂 ──愛と死のアラビア(上)』ローズマリ・サトクリフ 著、 山本史郎 訳、 原書房、2007年、1800円(税別)


  ナポレオンとの戦争の中、スコットランド第78高地連隊はオスマン・トルコと戦うためにエジプトに派遣されました。数倍の敵に連隊は敗れ、腕の良い狙撃兵 トマス・キースは負傷し捕虜となります。アスワンでベドウィン族の騎馬隊に入れられ、兵士として頭角を現しますが、トマスが悩むのは自分がこれからどこで 生きるのか、です。砂漠での生活がしばらく続いた後彼は決心します。イスラムに改宗することを。

 このシーンはまるで悟りのような回心の情景とし て描かれます(東洋人の私にはそう読めます)。トマスが故郷を喪失していること・敗戦と捕虜体験のショック・真面目なキリスト教徒ではなかったこと・騎兵 隊の仲間とのつながり・真面目で誠実な性格、などが改宗の要因でしょうが、彼がスコットランド人であることも、英国や国王や教会への忠誠の点で影響を 与えていたのかな、と私は感じます(イングランド人だったら、彼の心の中で国王の存在がもうちょっと大きかったかもしれません)。

 複雑なイ スラムの世界でトマスは貴重な友情を得ます。フランス人の軍事顧問、ベドウィンの隊長、太守の次男トゥスン。しかし同時に敵も。当時オスマン・トルコの圧 制下のエジプトはトルコからの離脱を願い、その中にもさらに内紛を抱えているという複雑な状況下でした。いくらイスラムに改宗していてもしょせんは異邦 人、ちょっとでも選択を間違えたらすぐに死が口を開けて待っているところにトマスはいます。実際に上巻では、命をかけた決闘が1回、死刑宣告が1回、闇に 紛れての暗殺の試みが1回あります。剣呑な人生です。ただし、彼の命を狙う試みが少しずつ複雑化・巨大化していくのは、逆に彼が地歩を固めていることを意 味しているのでしょう。


 200年前の「アラビアのロレンス」か、と最初思いました。ところが本書も実話を元にしているのだそうです。表 面をなぞるだけでもはらはらどきどきのドラマですが、さすがサトクリフ、心の中の小さな疑惑や古傷、もろいものを内包した友情などを丹念に描写するこ とでドラマに厚みと深みを与えます。キリスト教圏の人間にとって、イスラムに改宗した人の人生を描くことにためらいはなかったのかな、とは思いますが、そ れは異教徒の余計なお節介なんでしょうね。





24日(火)先入観

 もし相手が「2」の先入観を持っていることがわかれば、相手に「10」をそのまま伝えると「8」になって届くことが予想できます。ということは、どうしても相手に「10」を届けたければ「12」にしておく必要があります。「+2」だったら、その逆です。

 問題は、聞く人がいろいろ混じっている場合です。「私は先入観でこれだけの補正をします」と一人一人顔に書いてあればいいんですけどね。


【ただいま読書中】

血と砂 ──愛と死のアラビア(下)』ローズマリ・サトクリフ 著、 山本史郎 訳、 原書房、2007年、1800円(税別)


  ワッハーブ派によって占拠されている聖地奪還を旗印にアラビア半島にエジプトは軍を進めます。トマスは太守の息子トゥスンに従い騎兵隊隊長として出陣しま す。エジプト軍は一度は苦汁をなめますがついに聖地メディナを落とします。洋の東西も古今も問わず、陥落した都市が見舞われる略奪と強姦の夜、トマスは一 人の女性を救います。一家を殺され家を焼かれ輪姦される寸前だったアノウドです。

 トマスは振り返ることをしない人です。戦場でも人生でも、行動 としても心の持ちようとしても。そして、常に砂漠に「美」を探しています。小さな花、まばらな木に萌える若葉、雨上がりの砂漠特有のすばらしい香り、そし て妻を迎える家を飾る砂漠のダマスクローズ……同時に彼は自分を見つめる視線に敏感です。そして、かすかな不安の予兆にも。


 「イスラム の民」といっても、本当にいろいろです。部族や宗派や国によって、共通点もありますが相違点も目立ちます。その中に放り込まれたスコットランド人が、独り の敬虔なイスラム教徒として、コーランと自分自身のプライドと友人に対して忠実であることだけを拠り所にして生きた物語には、異様な迫力があります。味方 だけではなくて敵にも尊敬された異邦人。スコットランドの貧しい武具職人の徒弟が、とうとうメディナ総督の地位を得ます。彼が砂漠に来てからたった8年の 濃密で凝縮した人生でした。

 最後の戦いで、私は同じ著者の『落日の剣』を思います。圧倒的な敵軍に対してアルトスの少数の騎兵隊が突入していく シーンを思い出したのです。ただ、こちらのトマスはそのちょっと前に部下に向かって「諸君、この世は不公平なのだ」と言ってのけます。さらに命令ではなく て友人としてのお願いもします。ユーモアを持ち温かく勇猛で高潔……なんだか魅力的すぎる人物造型です。これはトマスの魅力であると同時にサトクリフの魅 力でもあるのでしょうね。





25日(水)駆け込み乗車

 この前上京した時のことをふっと思い出しました。山手線の内回りに乗ると、絶妙のタイミングだったのでしょうか、駅で停車するたびにホームの反対側に外 回りの電車が停車していました。つまり外回りはぴったり「二駅一台」で運行中に見えたわけです。さすがに東京は便利だなあ、と思いました。一電車のがして も、数分待てばすぐ次の電車がやって来るわけですから。

 そこで気になったのが、それでも駆け込み乗車をしている人がいることです。個人にはそれぞれ急ぎの事情があるでしょうが、暇だったのでちょっと時間の損得に関する暗算をしてみました。

得:駆け込むことでその人が次の電車を待たずにすむ時間を3分とします。

損:電車に乗っている人(500人としましょう)が駆け込み乗車をする人によって閉じかけたドアが開いて遅れる時間を5秒とします。

 さて、この損得勘定はどうなるでしょう? 「得」は1×180秒=180人秒。「損」は500×5=2500人秒。おやおや、駆け込み乗車は、電車一編成に乗っている人間が36人以下の場合に限定しないと、計算上は「社会的損失」の方が大きな行為、と言えそうです。


【ただいま読書中】

爆発する太陽電池産業 ──25兆円市場の現状と未来』和田木哲哉 著、 東洋経済新報社、2008年、1600円(税別)


 著者は野村證券の金融経済研究所のアナリストで、どちらかというと「エコ」の立場よりは経済に偏した立場から太陽電池産業を論じています。文章も薄味で繰り返しが多く、そのへんによくあるビジネス書のようにさくさく読めます。

 ……しかし素直に読んだらすごいタイトルですね。まるで爆発する太陽電池で商売するみたい。


 太陽電池には大きな誤解がある、と著者は始めます。

1)シリコン精錬に大きな電力が必要で、発電でその電力を回収できない。

2)生み出された電力は高コストで、商業ベースに乗らない。


 1)については「それは20世紀のお話」だそうです。2001年NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の調査報告書では、結晶法では1.5年・薄膜法では1.1年で製造に要した電力を発電できるとのことです。

  2)については1)ほど明快には言えません。1キロワット・アワーあたりの発電コストは、原子力発電6円、火力発電10円、太陽光発電3546円とされ ています。たしかにこれでは太刀打ちできません。ただし、消費者が電力会社から買っているコストは昼間で23円です。すると太陽光発電が12にコストダ ウンできれば、電力会社に売ることが商業的にペイすることになります。

 さらに国の政策が絡みます。ドイツでは、フィード・イン・タリフという電 力買い取り制度があり、電力会社には販売価格の4〜5倍で太陽光発電の電力を買い取る義務があります。日本の買い取り制度はネットメタリング制度と呼ば れ、販売価格で買い取るものです。EUではフィード・イン・タリフを梃子に太陽光発電の拡充が政策的に進められています。韓国でも07年度にフィード・イ ン・タリフが始まりました(現在世界一高い買い取り価格です)。その他、補助金制度やクリーンエネルギーの使用を義務づけるなど、太陽光発電を普及させよ うと(熱意に差はありますが)各国は取り組んでいます。


 太陽光発電は、ハイテクの塊ですが、半導体や液晶に比べると生産ライン一式を一 括導入するターンキー・システムがあり、企業の参入の敷居が低くなっています。そのため製造装置市場が急成長しています。太陽電池メーカーは現在200 社。ただしこれはこれからどんどん淘汰が進むだろうと著者は予想しています。

 2004年には世界の太陽光発電の50%を絞めていた日本は、 2007年にはドイツの半分で米国とスペインに猛追されるポジションに落ちぶれました。政府が「もういいや」と政策を転換したからですが、クリーンエネル ギーよりも電力会社の既得権の方が重要、という判断だったのかな?



26日(木)大臣の横車

 そういえばちょっと前に、総務相の行動に対して「かんぽの宿売却への大臣の横車は許されない」と社説を書いた朝○新聞は、今も大臣の行動を許していないんでしょうね。


【ただいま読書中】

破滅の種子(上)』(信ぜざる者コブナント 第1部)ステファン・ドナルドソン 著、 小野章 訳、 評論社、1983年、1200


  癩病にかかったコブナントは、妻には離婚され社会で差別されながら生きていました。末梢神経が麻痺しているため触覚に頼らない生活を強いられ、痛覚が無く なったため傷に気づかなかったらすぐに致命傷になってしまいます。性的不能にもなり、生き続けるために想像力を殺し、常に自分の肉体の状態を監視しながら の孤独な生活です。自分の未来を失った喪失体験と感覚喪失と社会からの差別と、三重の鎧に彼は閉じこめられています。しかし、交通事故にあった瞬間、コブ ナントは異世界に召還されます。召還した「魔王」は、コブナントに健康を約束し不思議な使命を与えます。「隻手のベレック」として。

 明らかに異 世界に来ているのに、コブナントはそれを信じません。目の前で自分の傷が薬用の泥によってみるみる治っても「あり得ないことだ」。絶望の世界に生きる時に は希望を拒絶していたように、自分が正気を失ったと思わないためには目の前のすべての異様さを拒絶するしかなく、彼は自分が夢を見ているのだ、と主張 します。

 その世界では「隻手のベレック」は、英雄でした。ではなぜ魔王はベレックを召還したのでしょう。「この世界(あるいは自分が狂気に陥ろ うとしていること)を信じない」ことと「魔王の真の狙いが何かわからない」ことからコブナントは「何もしないこと」を選択しようとします。本書でコブナン トは一つの大陸をほとんど丸々横断しますが(直線距離で約1000マイルの旅です)、ほとんど(たとえ自分の足で歩いていても)誰かに運ばれているだ で、能動的に何かをしようとはしません。たまに反射的に自分で決断をしますが、あとはほとんどおまかせです。


 この本は図書館の 児童書の所に並んでいましたが、なんとも風変わりなファンタジーです。主人公はみごとなアンチヒーローです。本の最初からずっと去った妻と自分の失われた 肉欲についてぶつぶつ言っているし、それで貯まったものを解放するために異世界に転移した最初の夜にやったことは強姦です。おい。置くとしたらせめて ヤングアダルトのコーナーじゃないかなあ。まあ、やたらと漢字が多いので普通の小学生は敬遠するでしょうが(といいつつ、「魑魅魍魎」はひらがなになって て、かえってわかりにくかったのですが)。

 だけど、木の伝説の人々や石の伝説の人々や巨人族、そして血の衛兵……魅力的な存在が次々登場します。主人公が活躍しなくても、十分魅力的な一冊です。




27日(金)差別病名

 昨日からの【ただいま読書中】の主人公は癩病患者ですが、この病名はハンセン氏病と言いかえられ現在はハンセン病とかレプラと言われています。社会の偏見が原因、とのことですが、病名を言いかえたら差別や偏見が無くなるものかには、私は疑問を持っています。

  あ、『信ぜざる者コブナント』ではまさにその偏見と差別が中心テーマ(の一つ)ですし、私は原典を勝手にいじるのは好みでないので、このシリーズを取り上 げる中では原典のまま「癩病」と書きます。「癩病」という文字列を使うことで社会的な偏見が助長される、と非難したい人はどうぞお好きに。


【ただいま読書中】

破滅の種子(下)』(信ぜざる者コブナント 第1部)ステファン・ドナルドソン 著、 小野章 訳、 評論社、1983年、1200


  トーマス・コブナントは旅の途中で何人もの人(存在)を不幸にした後、やっとこさレベルストンにたどり着き、諸侯会議の席で魔王からの伝言を披露します。 王たちは魔王の企みが罠であることを知りつつ、「掟の杖」を「岩の虫ドルール」から取り返す軍旅を起します。「白金を司るもの」「古王」の名前でも呼ばれ るようになった「信ぜざる者コブナント」は、その旅に同行します。「お、やっと話が動き出したか」と思いますが、そうは問屋が……前書では船旅の間はほと んど寝ていましたが、こんどは馬上でほとんど茫然自失です。彼は自分自身がまるで釣り針に付けられた餌であるかのように感じているのです。

 戦い があり、森の民が大量殺戮され、コブナントは自らの手でも殺戮を行います。本来してはならなかった行為を。さらに、飢えているのに食事を絶ち、気が短い人 をわざわざ冒瀆して怒らせます。コブナントはまるで死を急いでいるかのようです。さらに結婚指輪が呪いの影響で負担となります(このへんは『指輪物語』を 思い出します。ただし指輪の役割は違うようですが……「ようですが」というのは、なかなかその辺が明らかにされないからです。コブナントと同じく、読者も 謎の闇の中をよろよろとさ迷い続けることを強いられのです)。

 月は汚されて真っ赤になり、指輪も毎夜月の光を浴びて赤く染まります。そしてつい に一行29人は、雷山の地下に侵入します。魔王とそれに操られているドルールから掟の杖を奪還するために。しかし、多勢に無勢、状況は悲惨です。探索隊の メンバーは次々倒れ、そしてついに断崖に追い詰められます。

 ……だが……


 私は、五行の「木火土金水」の思想の、土を石に交換 したらなんとなくこの異世界を説明できるのではないか、と直感します。ただ、あまり深くそこを追求しようとは思いません。ファンタジー世界を「説明」する ことにどのくらいの意味があるのか、と半分投げやりに思うからです。ただ、思いっきり暗いファンタジーではありますが、でも不思議な魅力があります。不信 と不安と優柔不断と不満……と思いっきり「不」に満ちたヒーローって、ある意味とても人間くさいからかもしれません。





28日(土)折れた口

 哲学者は、ふだん使う言葉の重みで口が折れた学者なのです。


【ただいま読書中】

レモネードを作ろう』ヴァージニア・ユウワー・ウルフ 著、 こだまともこ 訳、 徳間書店、1999年、1600円(税別)


 なんとも特徴のある本です。本書を適当に開いたところから引用してみます。


父さんが死んだことって、おしゃべりの種にするようなこととはちがう。

それは、いつもわたしが背負っているもの。

うちの学校に「蒸気教室」というのがあって、

わたしも出席している。

自分の背負っている荷物が自分のせいだと責めてはいけない……そういうことを教えてくれる。

自分のせいでそうなったんじゃない、自分が悪いんじゃない、

その荷物をおろすことはできなくても、自分を責めてはいけない、と。

友達のアニーが背負っている荷物は、親が二回も離婚したこと。

マートルのは、家庭にドラッグの問題が多すぎること。

そしてわたしのは、父さんがひどい死に方をしたってこと。


 引用はここまで。

 ごらんの通り、まるで散文詩のような文章がならんでいます。ただ、一文一文が妙に味が濃い。

 貧乏から脱出するためには大学に行かなきゃ。でもうちにはお金がない。そこで14歳のラヴォーンはベビーシッターのアルバイトを始めます。尋ねた家には 17歳のシングルマザー、ジョリーがシッターを待っていました。2人の子ども(2歳のジェレミーと赤ん坊のジリー)を抱えては仕事ができません。だからシッターが必要なのです。家の中はめちゃくちゃ。子どもたちはどろどろ。友達も母親も、ラヴォーンのバイトに賛成しません。ラヴォーンは、ジョリーのような境遇の人からお金をもらって大学に行くことにためらいを感じつつバイトを始めます。

 ジョリーは妊娠で学校を中退したため文字もろくに読めず家事能力はゼロ、仕事はすぐに首になります。付き合っている仲間は暴力やドラッグにとっぷりつかった連中です。仕事を失ったジョリーからはバイト代が払ってもらえませんが、ラヴォーンは一家のために何かしたいと思うようになります。ジョリーのために、ジョリーの子どもたちのために、そして、自分のために。

 ラヴォーンはいやがるジョリーを、同じ高校の「立ち上がる母親計画」クラス(妊婦または子持ちで高校を卒業したい人のためのクラス)に放り込みます。そして大学進学に必要な(でも取りたくない)授業に自分自身を放り込みます。

  14歳にしてはちょっとできすぎた少女ではありますが、悲惨な境遇の人に対して、口先だけ同情したり(「まあ、なんてお可哀想」)あるいはお気軽に批判したりする(「なんでもっときちんとしないの」)人とは違って、彼女は覚悟を決めて関わりを持っていきます。そしてその行動が周りの人間にも影響を与えていきます。最後の「レモネードを作ろう」。胸にしみる希望のことばです。明るいかどうかはわかりませんが、とにかく「未来」について一緒に語ろう、と言うことばなのですから。「自分の未来」ではなくて「自分たちの未来」を。