「白い杖 SOSシグナル運動」をひろめようと思ったきっかけ
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私がこの運動を始めようと思ったきっかけは、2014年10月に宇都宮で深夜、視覚障がい者(44歳)が車道で車にはねられ死亡!というニュースをテープで知りました。
タクシー運転手が場所を間違えて、違うマンションの前で降ろしたのです。マンションの玄関先で気づいて、タクシー会社に電話をしました。
「すぐに車を廻しますのでそこで待っていて下さい」と言われて、玄関先から元の場所まで歩いて行かれたのだと思います。 しかし、点字ブロックを見失い車道に入って、車にはねられて亡くなられたそうです。
白い杖を垂直に頭上50センチにかかげて、「すみません、お手伝いをお願いします」とさけんでいたら、車を運転している人か誰かが助けに来てくれたかも知れません。 (もしかしたら助かっていたかも知れませんね。)

視覚障がい者と関わりの深い点訳ボランティアの方から、「白い杖 SOSシグナル」がある事をはじめて知りました。
私たちが知らなかったと言うことは、一般の人は知らない人がほとんどではないでしょうか。

私たち視覚障がい者が「白い杖 SOSシグナル」の意味を、皆さんにPRしなければいけないと思いました。

私は、55歳まで車を運転していました。いつも注意をして運転していましたが、車道に人が立ってはいないだろうかと考えて運転はしていませんでした。
亡くなられた方は、おそらく自分の居場所が分からなくなって慌てたのではないでしょうか。
このような時は慌てず、安全を確保して「白い杖 SOSシグナル」の合図をしてから「すみません、お手伝いをお願いします」と声を出して、救助を求めたほうがいいと思います。
夜間は車を運転される方も見えにくいと思います。昼間でも、慌ててやみくもに移動して車道に入ってしまうと危険です。 声が聞えなくても、遠くにおられる方、車を運転されている方がその姿から何かを感じてもらって、救助に来てもらえると思います。 このような不幸な事故が起こらないようにと、私が所属しております「中途視覚障がい者の集い」で、会員さんとガイドヘルパーの方、またその家族の方や知人の方へ、お話しをして頂くことから始めました。

私は、手帳を取得したときは両目とも0.03の弱視でしたので、一人で外出をしていました。60歳を過ぎたころ、床も壁も真っ白なデパートの中を一人で歩いているとき、白い服を着たちっちゃな子供に気づかず、ぶっつかってしまいました。
その時から白い杖を持つ決断をしました。
白い杖を使っての歩行をはじめたころは、信号のない交差点でも声をかけられることはありませんでした。しかし、最近では「車は来ていませんよ」とか、「大丈夫ですよ」、「一緒に行きましょう」と言っていただけるようになりました。
去年ごろから左目が0.01、右目は0.01以下になったのではないかと思っています。この運動をしていると「白い杖 SOSシグナルの合図をしなければお手伝いをしてもらえないのではないか」と言われる方がおられます。 「お手伝いをお願いします」と言わなくても、危ないなと思われたら声をかけて助けてくださいますので、ご心配はいらないと思います。
助けていただいたときは、百万ドルの笑顔で「ありがとうございます」と、お礼を言いましょう。

「白い杖 SOSシグナル」を視覚障害者の人も、健常者の人も分っていることが、必要です。
全国の皆さま、ご理解とご支援をよろしくお願いします。

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