杜少陵壱百選詩詳註 
     飲中八仙歌 
天宝中作。一説、天宝三年(杜甫三三歳)。古詩。

    知章騎馬似乗船。     知章が馬に騎るは 船に乗るに似たり
    眼花落井水底眠。     眼花さき井に落ちて 水底に眠る
    汝陽三斗始朝天。     汝陽は三斗 始めて天に朝す
    道逢麯車口流涎。     道 麯車に逢うて口 涎を流す
    恨不移封向酒泉。     恨むらくは 封を移して 酒泉に向はず
    左相日興費萬銭。     左相は日興に 萬銭を費やす
    飲如長鯨吸百川。     飲むことは長鯨の百川を吸うが如し
    銜杯楽聖称避賢。     杯を銜え聖を楽み称避賢をみ避けると証す
    宗之瀟洒美少年。     宗之は瀟洒たる美少年
    挙嘱白眼望晴天。     觴を挙げ白眼 晴天を望む
    皎如玉樹臨風前。     皎として玉樹の風前に臨むが如し
    酔中往往愛逃禅。     酔中 往往 逃禅を愛す
    李白一斗詩百篇。     李白一斗 詩百篇
    長安市上酒家眠。     長安の市上 酒に家眠
    天子呼来不上船。     天子呼び来れども船に上らず
    自称臣是酒中仙。     自ら称す臣は是れ酒中の仙
    張旭三杯草聖伝。     張旭 三杯 草聖伝う
    脱帽露頂王公前。     帽を脱し頂きを露はす王公の前
    揮毫落紙如雲煙。     毫を揮い紙に落せば雲煙の如し
    焦逐五斗方卓然。     焦逐五斗 方に卓然
    高談雄弁驚四筵。     高談雄弁 四筵を驚かす


○逢=(一・見るに作)。(一・避に作)。(一・世に作)。
[知章]賀知章。天宝三年、八六歳で没す。自から四明狂客と号す。
[汝陽]汝陽郡王の李璡。玄宗の兄の長子。天宝九年没。
[左相]左丞相李適之。天宝五年、李林甫に排斥され、翌年、毒を飲んで自殺した。李適之、左丞相を罷められた時、「避賢初罷相、楽聖且御杯」。「賢を避け初めて相を罷め、聖を楽しみ且つ杯を御す」の詩を賦した。此の聖・賢の文字には両義が帯用されている。則ち、魏の時、酒を禁じたときに酔客の間に「酔客を聖人と言い」。「獨酒を賢人と言う」。逸話が残っている。前詩は表には通常の聖人賢人の義を、裏には清酒獨酒の義をもたせている。
杜甫・此の詩は、李適之の此の詩語は清酒獨酒だけの義が通用とされる。
[宗之]崔宗之。宗之は崔日用の子。斉國公に継ぎ封ぜられる。また侍御史となる。李白の酒友。
[白眼]秦、阮籍の故事を用いている。
[蘇晋]大子左庶子となって、開元二十二年没。

賀知章が酔うと馬に乗っているが船に乗っているようにゆらゆらしている。或る時、酔うて目先がちらついて誤って井戸の中に落ちて水底で眠ったりする」汝陽王李璡は酒を三斗ばかり飲んでやっと朝廷へ出る。途中でかうじ車に出会うものなら、口から涎をながす。汝陽などに封ぜられ酒泉にでも場所替えしてもらったらよかったろうに。そうでもないののは恨むべきことだ。」

左丞相李適之は日日の酒興に萬銭を費やす、酒を飲む様は大鯨が百筋の川水を吸うが如しでガブガブ飲む、彼は杯を口に銜ええながら清酒を楽しみながら味わい、獨酒は嫌いだと言う、」
崔宗之はさっぱりち垢抜けのした美少年で、盃を持ち上げてチョット青空を白眼で睨む様子をする。その様子が月の光かと間違うように玉樹が風前に立つているかと思うように見える。」
蘇晋は仏教信者で、縫いとりした仏像を掲げて、その前で年中ものいみをしているが、酔の中でも、時々禅定に入ることを好む。
李白は酒を一斗飲むうちに詩百篇も作る豪の者で、長安へ出かけて酒屋で眠る。天子から呼びよせられても酔ぱらって船に乗りきれず、。自分は酒中の仙人だなどと気楽なことを言うている。
張旭は三杯くらい酒を飲むと草書がうまく書けると、世間では草書の聖人と言うほど伝言している。彼は王公の前でも無頓着に帽子を脱ぎ、頂を露わし,筆を奮い紙上落とすと、出来上がった文字が雲や煙の沸き起こったように見える。」

焦遂は五斗の酒を傾けて、やっと意気が上がってきて、高談雄弁は、辺りを驚かすのである。
八人の酒友のことについて述べている詩である。製作時期は天宝五年とも、13年とも言う。然し定め難いと言う。