阮 籍(210~263)              石 九鼎漢詩館   2008/06/18

阮籍。竹林の七賢の一人。(山涛、阮籍、稽康、向秀、劉伶、阮咸、王戎)魏晋以後の思想界は儒教主義を棄て老荘主義に転向したが、西晋の五十年の世は最も此の色彩を鮮明にしている。後漢が儒教の礼文の縄墨を以て人間を極端に窮屈な範囲に束縛しようとした。因って反動的に魏晋に於いては、無為自然を主とする老荘の思想が歓迎される素因をなした。

更に西方より仏教の輸入は次第に多くの人々に儒教の慊らないような感じを抱かせ、皆な仏教と共通点を有する老荘に親しませて、終に老荘の哲学思潮は概して当時の思想家、学者、詩人、文人を動かした。阮籍、稽康の二人は七賢中の領袖に属し最も異彩を放ち文学的に傑出した人物である。稽康の辞は清峻、阮籍、は遙深である。

裴楷は阮籍を評して方外の士と言い、鍾会は稽康を評して臥龍だと言っている。蓋し正論であろう。二人は同じく奇行に富み脱線的な行為が多い、之は寧ろ嫉俗睥睨、世の余りに出た結果と言うのが通説である。阮籍は韜晦術に巧妙であったが為に禍を免れ魏の景元四年に五十四歳の天寿を全うした。稽康は一寸した事で頴川の鍾会の感情を損ねた。鍾会の為に讒せられ甘露三年に司馬昭に殺された。

  
  大人先生歌
天地解兮六合開。     天地 解けて 六合開き
星辰隕兮日月頽。     星辰 隕ちて 日月頽れる
我騰而上将何懐。     我騰りて 上る 将に何をか懐はんとする

「解釈」:天地破壊して上、下、東、西、南、北の六合が開通して覆うところが無くなり、星も墜ちさり、日月も崩れ果てて、目を遮るものも無くなった時、我々はせのぼって、宇宙と冥合すれば、その時は最早なんの懐思する処もなく、全く自由の境地に達し得るであろう。

  詠 懐 
阮籍の詠懐詩は五言語82首の外に四言詩三首と言う大きな連作である。全部が同時代の作でなない。然し同じ基調のもとに、広い視野から人生の矛盾、孤独の悲哀を読んでいる。李善は作者が晋文(司馬昭)の革命に際し、常に禍の及ぶことを慮って此の詩を作った説く。二十首のうち、数首を記載する。

  詠 懐  其の一。
夜中不能寐。    夜中寐ぬる 能たわず
起坐弾鳴琴。    起坐して 琴を弾じ鳴す
薄帷鑒名月。    薄帷に名月を鑒る
清風吹我襟。    清風 我が襟を吹く
孤鴻号外野。    孤鴻 外野に号ぶ
翔鳥鳴北林。    翔鳥 北林に鳴く
徘徊将何見。    徘徊して将に何かを見る
憂国独傷心。    憂国 独り心を傷ましむべし

「解釈」:夜中まで眠ることが出来ず、起きて座し琴を弾いた。薄い帳に名月が照り、涼風が我が襟を吹く、静寂な晩である、折しも一羽の鴻が、城外遥かの野辺で叫ぶ、空を翔る鳥が、北の林に鳴き騒ぐのが聞こえてくる。私は、この夜半に独り歩き周り何を見ようとするのか、唯、思い悩み心を痛める。
憂いは一身の為ではない、乱世の常として権力におもねり、名利に走る、人情を無視する時勢への鬱憤を詠じる。

   詠 懐  其の十
昔年十四五。     昔年 十四五のとき
志尚好詩書。     志尚 詩書を好む
被褐懐珠玉。     褐を被りて 珠玉を懐う
顔閔相与期。     顔・閔 相与に期せり
開軒臨四野。     軒を開き 四野に臨む
登高望所思。     登高 思う所を望む
丘墓蔽山岡。     丘墓は 山岡を蔽う
萬代同一時。     萬代も 一時に同じ
千秋万歳後。     千秋 万歳の後
栄名安所之。     栄名 安くにか之く所ぞ
乃悟羨門子。     乃ち 羨門子に悟り
噭噭今自嗤。     噭噭として今 自ら嗤う

「解説」:人生に対する悲痛な感慨を述べて自嘲の鬱憤を発している。


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