藤森弘庵
藤森弘庵(1799~ 1826)。名は大雅。字は淳風。通称を恭助という。弘庵また天山と号す。江戸末期の儒者。その祖は信濃諏訪神社の神官から出た。はじめは柴野碧海に学び、長野豊山・古賀穀堂・古賀侗庵・に師事した。     

詩を善くし、書にすぐれ、文章家をもって自ら任じていた。安政戊午の変に捕われたが、江戸を追放された。梁川星巌・玉池吟社・志士からの仲間から尊敬され常に気節を重んじ人物もすぐれていた。その詩は古賀侗庵の指導の影響から宋詩の詩風がある。詠史・古詩が多いのも特徴である。詩集に「春雨楼詩鈔」3巻は小野湖山が編輯した。

   移竹
今日乗君酔。   今日 君が酔に乗じて
移来與結鄰。   移し来って 與に鄰を結ぶ
明日君醒処。   明日 君 醒める処
只須恕酔人。   只だ須らく酔人を恕すべし
  ◆恕酔人:酔っ払いを許す。「陶淵明詩:但恨多謬誤。君当恕酔人」とある。
  ◆此の詩の面白さは、非常に理屈っぽさがある。此れが宋詩の影響を受けている由縁と言える。

   側金盞
造物洪炉裏。   造物 洪炉の裏
黄金鋳此花。   黄金もて 此の花を鋳る
燦燦春顔色。   燦燦たり 春の顔色
富貴自成家。   富貴 自ら家を成す         ●●○○●
  ◆此の詩。転句は○○・○●●となるべきところ、燦燦春顔色は、平仄を失粘している。

   山中訪友
欲訪山中友。   山中の友を 訪はんと欲して
偶然拾澗菲。   偶然 澗菲を拾う
白雲不相待。   白雲 相い待たず
先已到柴扉。   先づ已に 柴扉に到る
  ◆澗菲:渓の中に咲く芳しき花。蘭など。
  ◇非常に詩情の豊かな詩。
       ●○●●○
  ◆承句「偶然拾澗菲」は孤平になっている。「五言絶句の二字目の孤平と、七言絶句の四字目の孤平は絶対に避けるべきである。日本の詩壇で孤平を避けるべき法則が厳しく唱えられ出したのは明治以後。江戸時代までは、「孤平を避ける」と言う法則に気付いていなかった。『研究が為されていなかった』と思われる。

    縦筆
菜根咬已久。   菜根 咬むこと已に久し
百事苦無成。   百事 成る無きに苦しむ
願種湘纍菊。   願くば 湘纍の菊を種え
自今餐落英。   今より 落英を餐さん
  ◆縦筆:偶成というに等しい。
  ◆菜根:粗末な食事。「小学」に”汪信民言、人咬得菜根、則百事可做” 此の詩・起承は此の語を翻用している。
    書名 「菜根譚」処世訓もこの語に基づくものでる。
  ◆湘纍菊:屈原の愛でた菊。湘纍の湘は湘水。纍は因人。湘水の因人の義で屈原を言う。
  ◆餐落英:楚辞に「餐秋菊之落英」とある。

   桃源図
流水桃源別一村。   流水 桃源 別に一村
外人動羨逸書存。   外人 動もすれば羨む 逸書の存するを
当年眼看焚坑惨。   当年 眼に看る 焚坑の惨
敢載陳篇貽子孫。   敢えて 陳篇を載せて 子孫に貽さんや
  ◆桃源図:陶淵明に「桃花源詩并記」がある。
  ◆焚坑惨:焚書坑儒の惨政。秦の始皇帝の悪政。四百六十人を首都咸陽で坑にした。
  ◆陳篇:陳編が正しい。
此の詩:着想、着筆とも、性霊派というべき宋詩の流れを受けた江戸末期の詩風を看ることが出来る。

   東方朔偸桃源図
蟠桃偸去下崑崙。   蟠桃 偸み去って 崑崙より下り
避世逍遥金馬門。   世を避けて 逍遥す 金馬門
目下有仙知不得。   目下 仙有れども 知り得ず
漢皇求道是徒言。   漢皇 道を求めるとは 是れ徒言
  ◆東方朔:中国前漢の文人。字は曼倩。山東省厭沢に人。武帝の側近となったが、単なる茶坊主でなく武帝の豪侈を直言。切諫するなど骨っぽい一面をもっていた。滑稽の雄、数々の逸話があるが、政治。文章家としても一流。
  ◆武帝の行情を比喩した詩である。

   静姫歌舞図
蹙損翆蛾歌未調。    翆蛾を蹙損して 歌 未だ調はず
水干衣冷涙難消。    水干 衣冷やかに 涙 消し難し
誰言嬌態柔於柳。    誰か言う 嬌態 柳よりも柔かなりと
不許東風弄舞腰。    許さず 東風の 舞腰を弄するを
  ◆静姫:静御前のこと。
  ◆蹙損:しかめそこなう。
  ◆蹙損翆蛾:静御前が頼朝の命令を眉を、しかめて受け入れなかったこと。
  ◆水干: ”和語” 糊を用いず水張りにした絹。
  ◆東風:東胡:頼朝らをさして言う。