一休宗純
室町末期の臨済宗の僧。諡は宗純(1394~ 1481)。号は一休。狂雲と号した。大歳で京都の安国寺で待童となった。17歳の時に西金寺の謙翁の徳風を聞き、その教を受け、のち弟子の教育の峻烈なこおで有名な堅田の華僧禅師の弟子となった。廿七歳の時、或る夜、の琵琶湖の湖岸の舟の中で座禅していたとき、闇の中でカラスの鳴き声を聞き大悟したと言う。

初名は周建と言う、一休と言う字は師の華僧が与えたと言われる。その後、定住すること無く、諸国を雲遊していたが、文明六年、後花園天皇の勅命を奉じて京都大徳寺の住持となる。大徳寺第四十八世である。権力に反抗し、孤高の人であぅた。天性洒落で詩と狂歌に巧みにその風刺は辛辣である。書画を能くし、諸国を漫遊して奇行が多かった。

後小松天皇の落胤ともいわれている。一休自身は虚堂七世の孫と名のり、当時の堕落した臨済の宗風に反抗して、真実の臨済禅を追求をした。著書に『狂雲集』明治末期、森大狂が編纂校訂して徳富蘇峰が発行している。『狂雲集』は五山文学
(鎌倉・室町時代の五山の禅僧による漢詩文)を離れた林下の禅僧の作品と言える。


      山 居
淫房十載興無窮。      淫房 十載 興 窮わり無し
強住空山幽谷中。      強いて住す 空山 幽谷の中
好境雲遮三万里。      好境 雲は遮る 三万里   
長風逆耳尾頭顔。      松風 逆風尾 頭顔


    
奪境不奪人       境を奪つて一人も奪わず
臨済児孫誰的伝。      臨済児孫誰的伝
宗風滅却活路辺。      宗風滅却する活路辺
 逢竹杖風流供。        逢竹杖 風流の供
曲祿木床名利禅。      曲祿木床 名利の禅


   
粘華微笑   
鷲峰会上現前辰。     鷲峰会上 現前の辰
鶏足室中来劫春。     鶏足室中 来劫の春
中毒人応知毒用。     毒に中る人は応に毒の用を知るべし
西大此土野狐身。     西大 此土 野狐の身


   羅漢菊
茶褐黄花秋色深。     茶褐の黄花 秋色深し
東蘺風露出塵心。    東蘺の風露 出塵の心
天台五百神通力。    天台 五百 神通力
未入淵明一片吟。    未だ入らず 淵明一片の吟に

    尺 八
一枝尺八恨難任。    一枝の尺八 恨み任え難し
吹入胡茄塞上吟。    吹いて入る 胡茄 塞上の吟に
十字街頭誰氏曲。    十字街頭 誰が氏の曲ぞ
少林門下絶知音。    少林門下 知音を絶す


   偶 作
昨日俗人今日僧。     昨日は俗人 今日は僧
生涯胡乱是我能。     生涯胡乱 是れ我が能 
黄衣之下多名利。     黄衣の下に 名利多し
我要児孫滅大燈。     我は要す児孫の大燈を滅せんことを


   風 鈴
静時無響動時鳴。     静の時は響き無く動の時は鳴る
鈴有声耶風有声。     鈴に声ある耶 風に声あるか
驚起老僧白昼睡。     老僧が白昼の睡を驚起す
何須日午打三更。     何ぞ須ひん日午に三更を打することを


   自 賛
大燈佛法没光輝。     大燈の佛法 光輝を没す
龍宝山中今有誰。     龍宝山中に今誰か有る
東海児孫千歳後。     東海の児孫 千歳の後
吟魂猶苦許渾詩。     吟魂猶苦しむ許渾が詩
   

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                                   石 九鼎・ 書す 08/11/03