陸 機
          赴洛道中作二首之一 (洛陽への道中の作・二首の一)

遠遊越山川。      遠く遊びて山川を越えれば
山川脩且廣。      山川は脩く且つ廣し
振策陟崇丘。      策を振げて崇丘に陟り
案轡遵平莽。      轡を案えて平莽に遵う
夕息抱影寐。      夕に息いて影を抱いて寐ね
朝徂銜思往。      朝に徂きては思を銜みて往く
頓轡倚嵩巌。      轡を頓めて嵩巌に倚り
側聴悲風響。      側てて悲風の響を聴く
清露墜素輝。      清露には素輝の墜ち
明月一何朗。      明月は一に何ぞ朗かなる
撫枕不能寐。      枕を撫して寐ぬる能はず
振衣獨長想。      衣を振るいて獨り長く想う

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遠い旅に出て山や河を越えて行く
その山河は長く且つ廣い
馬に鞭を打ちながら高い丘に登り
また、たずなを緩めながら草深い平原を徐行する
夕べにはわが影を抱いて独り寂しく寝て休む
朝には悲しみを胸に抱きつつ進み行く
時には馬を留めて高い巌に寄りかかり
耳をそばだてて悲しげに吹く風の音に、じっと聞き入る
清らかな露には白い光が宿り
明月は何と明るいことだ
眠られぬままに枕をうち
又、衣を整えて独り何時までも故郷への想いに耽る
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陸機(261-303)  字は士衡。江蘇省の人、若い時から異才があり、文章は世に冠絶した。呉の滅亡後は洛陽に入り、太傅楊駿が召して祭酒とした。成都王穎等が兵を起こして長沙王を討った時に関係して、敗戦後、寺人孟玖に讒言されて殺された。太安二年、四十三歳。

その詩賦は華やかで才に秀れたもの多いが、質実さが乏しいと言われ、曹植以来の才子であるとも言われる。弟陸雲と並び文名を得て二陸と称せられる。

※この詩、幾山河を越えて、江南から漸く中原に近ずいて行く旅の愁いが、清く美しい風景と 共に、極めて繊細な感覚美をもって描かれている。才華に富んだ詩人としての陸機の特徴 がよく表われている。魏晉の詩が漸く描写の美を尚ぶ傾向を物語るものと評されている。

 「轡を頓めて嵩巌に倚り 側てて悲風の響を聴く」の表現に至り、感覚に訴える力が強く、律 動感と情緒が溢れている。陸機の詩中で最も善い作の一つとされている。


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