陶 潜
         擬古九首之一。     東方有一士

東方有一士。       東方に一士あり
被服常不完。       被服 常に完からず
三旬九遇食。       三旬に九たび食に遇い
十年著一冠。       十年に一冠を著く
辛勤無此比。       辛勤 此の比無けれども
常有好容顔。       常に好容顔あり
我欲觀其人。       我れ其の人を觀んと欲して
晨去越河関。       晨に去きて河関を越え
青松夾路生。       青松 路を夾んで生じ
白雲宿簷端。       白雲 簷端に宿る
知我故来意。       我が故さら来る意を知りて 
取琴為我弾。       琴を取りて我が為に弾ず
上絃驚別鶴。       上絃は驚別鶴を驚かし
下絃操孤鸞。       下絃は孤鸞を操る
願留就君住。       願はくは留まりて就君に就きて住み
従今至歳寒。       今より至歳寒に至らん

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東方に一人の人物がいる
その衣服は破れて完全ではない
三十日に九度、食に遇い、十年も一つの冠を着ける程の貧乏な生活をしている
その苦労と努力は他に比べものが無いくらい
しかも常に機嫌がよい
私はこの人を觀たいと思い
晨はやく出発して河の付近の関所を越えて行くと
青い松が路を挟んで生え
白雲はその軒端に懸かり留まると言う奥深い山の住居で人里離れた清浄な処であった
士は私がわざわざ来た趣を知って
琴を取って私の為に弾いてくれた
高い調子で突然、心を驚かし弾き出したのは”別鶴操”と言う曲であり
沈んだ低い調子では”孤鸞の曲”を操でるのであった。これは共に節燥固く心の変らぬことを歌った曲であり、この人の志操を表わすものであった。
私はこれに感動して、どうにか、此処に留まって、この人について
今から晩年まで共に住みたいと願うのであった

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陶潜(365-427) 字は淵明、或いは、元亮。江西省の人。晉の大将軍陶侃の曾孫。博学能文、親を養う為に州の祭酒(学官)となる、後に彭沢の県令となった。八十日ほどで、郡の督郵が来県した時、束帯をつけて、まみえなければならないと言われ、「吾れ豈に五斗米の為に腰を屈して郷里の少児にまみえんや」と歎き即日印綬を解いて帰郷したと伝えられる。

「帰去来辞」はこの時の作『余が家貧、畊植以って自給するに足らず、幼稚室に盈ち、甑に儲粟無し、生来の資とする處、未だその術を見ず、親故多く余に勧めて長吏と為らしむ、・・・・・・・乙巳歳十一月なり』生まれつき淡泊で、営利を求めず、田園の自然を楽しんだ、門前に五本の柳を植えて、五柳先生といい、「五柳先生伝」を作って自己の心懐を述べている。

少壮の頃から抱いていた儒家的な道義節操を、晩年まで忘れず、自から世に貢献の無かったことを常に悔いて嘆いた詩が多い。



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