石九鼎の漢詩館 顔延之 五君詠五首之一 (阮歩兵。名は籍。歩兵校尉) 阮 公 雖 淪 迹。 阮公 迹を淪むと雖ども 識 密 鑒 亦 洞。 識密に鑒も亦た洞し 沈 酔 似 埋 照。 沈酔は照を埋むるに似たり 寓 辞 類 託 諷。 寓辞は諷を託するに類す 長 嘯 若 懐 人。 長嘯は人を若懐うが若く 越 禮 自 驚 衆。 越禮は自ら衆を驚かす 物 故 不 可 論。 物故 論ず可からず 途 窮 能 無 慟。 途窮まりて能く慟すること無からんや ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 阮籍は身の行動を世間から隠して逃れていたが 物事を見分けることは緻密で観察も深かった 酒に深く酔って、その才智の輝きを埋み蔽っていたようであるが 裏に深い意味を託した言辞は遠まわしに人を諌めるに似ていた 長く嘯く声は、曽て蘇門山に尋ねて、相嘯きながら別れた隠者を懐っているかのようだ 俗世の禮を越えた彼の日常の行いは俗衆を驚かす結果となったが 彼の明識をもってすれば、世の事物は論ずる事も出来ない状態であった 彼がよく車を馳って、小道によらず車道の行き止りまで行き、世の中のことも正道には窮するところがある事を知り、慟哭して引き返したと言う。世の有様に道も窮して、心を動かし、声を上げて泣くより他には、どうにも仕方が無かったであろう。 彼が隠遁して世を逃れて暮らしたのも当然である。 ・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 顔延之 (384〜 456)字は延年。山東省臨し県の人。性質は淡白、小事にこだわらず、文章は当時第一であったと言う。晉の滅亡後宋に仕えた。 酒を好み放縦に振る舞い、または野外で独酌するようなこともあった。劉ェが権勢の位にあるのを不平に思って衝突することがあった。為に永嘉の太守に出されたので、恨み憤って『五君詠』を作り竹林七賢人のことを述べてその心懐を表わしたと言う。 陶淵明と好く、その死を悼み、「陶徴士誄」を作りその徳を讃えた。詩では「秋胡詩」「北使洛」などが有名。謝霊運と並んで「謝顔」と称される。「五君詠」はその最も勝れた詩である、とされる。 01/11/2001 |