漢魏六朝詩選  21                      石九鼎の漢詩館

   謝宣城 (謝 月+兆) しゃちょう

    玉階怨

夕殿下珠簾。  夕殿 珠簾を下し
流蛍飛復息。  流蛍 飛んで復た息(や)む
長夜縫羅衣。  長夜 羅衣を縫いて
思君此何極。  君を思いて此に何ぞ極まらん

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「玉階怨」は情詩のひとつ。樂府の題、玉の階のある宮殿に棲む女性が愛人に離れていることを怨むと言う「宮怨」。

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夕暮れの御殿には、珠の簾が垂れて静かである
流れ飛ぶ蛍が、ときどき飛んでは又消える
その宮室の中では、秋の夜長を寝られぬままに、起きて、何時までも薄絹の衣を縫っているが
君を思う心は、どうして極ることがあろう。思いは限り無く、ただ君のことばかりである。

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(謝 月+兆) しゃちょう。 「遊東田」が彼の最も有名なものの一つであろう。
  遊東田
戚戚苦無聊。      戚戚として聊しみ無きに苦しみ 
携手共行楽。      手を携えて共に行楽す
尋雲陟累(木+射)   雲を尋ねて累(木+射)に陟り
随山望菌閣。      山に随い菌閣を望む
遠樹曖阡阡。      遠樹曖として阡阡たり
生煙紛漠漠。      生煙紛として漠漠たり
魚戯新荷動。      魚戯れて新荷動き
鳥散餘花落。      鳥散じて餘花落つ
不対芳春酒。      芳春の酒に対せず
還望青山郭。      還って青山の郭を望む

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【謝 月+兆】(464〜499)。字を(玄 目+軍)げんき。河南省の人。陳郡陽夏(河南省)の謝氏といえば東晋の名宰相と知られる謝安。以来、南朝の名門一族。豫章王太尉行参軍を経る。

後に権力闘争の中、謝 月+兆の岳父王敬則は高帝の右腕となり地位を得たために、明帝から、うとまれていた。明帝を倒そうと謀り、岳父は謝ちょうに相談を持ちかけたが、謝ちょうは、それを明帝に告発、王敬則は誅殺される。謝ちょうはその功績によって尚書吏部郎となる。

岳父を告発することによって栄達したが、謝ちょうの妻は報復に機をうかがい、常に刀を懐に忍ばせていた。事により獄に下された。謝ちょうが死に際して『我は王敬則を殺さざるも、王敬則は我によって死す』と歎いた。年36歳。

宣城(安徽省)の太守となったところから、その集を「謝宣城集」(5巻)という。その詩は五言に秀で、清麗な作が多い。