漢魏六朝詩選  26                   石九鼎の漢詩館

  沈 約

 昭君辞
朝発披香殿。   朝に披香殿を発し
夕済汾陰河。   夕に汾陰の河を済る
於茲懐九逝。   茲に於て九逝を懐い
自此歛双蛾。   此れより双蛾を歛める
沾妝疑湛露。   妝を沾すは湛露かと疑う
繞臆状流波。   臆を繞るは流波に状たり
日見奔沙起。   日に奔沙の起るを見て
稍覚轉蓬多。   稍く轉蓬の多きを覚え
胡風犯肌骨。   胡風 肌骨を犯し 
非直傷綺羅。   直に綺羅を傷うのみ非ず
銜涕試南望。   涕を銜んで試みに南望すれば
関山欝嵯峨。   関山 欝として嵯峨たり
始作陽春曲。   始めは陽春の曲を作し
終成苦寒歌。   終りは苦寒の歌を成す
唯有三五夜。   唯だ三五の夜に
明月暫経過。   明月の暫らく経過するのみ有り


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王昭君は朝、披香殿から出発し
夕べには汾陰のほとり黄河を渡った
そこで魂が九回も君の処へ行くような思慕の情をいだき
双の眉根を寄せる悲しみにとざされ
落涙は露に譬えたかのように疑うばかり
胸をめぐって流れる波に似ていた
日に日に、沙けむりの立ち起こるのを見
転々と飛来する蓬の散るよう多くなるのに気ずき
胡地の風は肌や骨まで犯されるほど冷たく
綺羅を損なうのみでは無い
涙ながらに、もと来た南の方を望むと
関所や山が険しく側だっている
曽つては陽春の曲を奏して楽しんだ
今は遂に苦寒の歌を歌わねばならない
心を慰めるのは唯だ十五夜の
明月のみが遙彼方の都の空からおとずれて来るのみ。

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沈約。(441〜512)字は休文、淅江省武康県の人。宋・齋・梁間三朝に歴任した屈指の詩人学者。
詩の音韻について『四声譜』を作り、作詩上で『八病』という、避けるべき条件を定めた。後代詩韻の標準を定め、唐詩近体平仄の基礎を作った。唐代律詩の先鞭を成し、後進の誘導に勤めた。
著書四百巻、蔵書二万巻、儒学、佛教、道教三家に出入した大文豪家。所作五言体に長じ、清怨の情詩を特長としていると称される。