曹植
        雑詩六首之一

高臺多悲風。      高臺悲風多し
朝日照北林。      朝日北林を照らす
之子在萬里。      之の子萬里に在り
江湖迥且深。      江湖迥に且つ深し
方舟安可極。      舟に方ぶるも安んぞ極る可き
離思故難任。      離思故より任へ難し
孤雁飛南遊。      孤雁飛んで南に遊ぶ
過庭長哀吟。      庭を過ぎりて長く哀吟す
翹思慕遠人。      思を翹げて遠人を慕う
願欲託遺音。      願はくは遺音を託せんと欲す
形影忽不見。      形影忽ち見えず
翩翩傷我心。      翩翩として我が心を傷ましむ

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高い臺には悲しい風が吹きよせる
朝日は欝欝たる北林を照らしている
この身は萬里のはてにある
君との間には広々として且つ深い長江湖沼が横たわっている
舟を並べて渡ろうとしても、とても行けるものでもない
そうとは思いながらも、離ればなれに住むことは、堪え難い思いである
連れを離れた一羽の雁が南をめざし
庭を飛び過ぎて、声長く哀しげに鳴く
それを耳にして心中急に思いがつのり、遠方の人を慕う情を起こした
せめては、この意を雁に託して伝言をしたいと思ったが
雁の形も影も忽ち我が視界から、消えてしまった
心は急に悲しみにおそわれた
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曹植(129-232) 字は子建。武帝の第三子、文帝の同母弟。十歳余りでよく詩賦の類を読誦し文を作った。その簡易な性格、明敏な頭脳は父曹操の寵愛を受け、初め平原侯に封ぜられる、やがて父の寵愛が太子に立てたいと思うほどになって、兄曹丕との間に相続を争う感情のへだたりを生じ、やがて側近者相互の権力争そいに発展し、文帝即位後はしきりに悪意の冷遇を受ける。世に陳思王と言う。「七歩詩」を作る。詩文の才は文帝にまさり、気骨あり、行為も放縦不羈、天才的な詩人であった。



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