正岡 子規

正岡子規。(1867~ 1902)。名は常規。幼名は処之助.,のちに升と改めた。明治時代を代表する文学者の一人。多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。歌人でもあり俳人でもある。
死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。.辞世の句。「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」。  「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」
「をととひのへちまの水も取らざりき」より。
子規の忌日9月19日を「糸瓜忌」という、書斎を「獺祭庵」と言う。享年34


    題山水図
江山渺渺水悠悠。    江山 渺渺 水 悠悠
前岸如煙売酒楼。    前岸 煙の如し 売酒の楼
不識漁郎何処去。    識らず 漁郎の 何処にか去る
垂楊影裏繋虚舟。    垂楊 影裏 虚舟を繋ぐ

   三井寺僑居
幾度夢魂此処飛。    幾度か夢魂 此の処に飛ぶ
僦居十日鎖柴扉。    居を僦(か)りて十日 柴扉を鎖す
重重青嶂来濃越。    重重たる青嶂 濃越より来る
漠漠白雲鄰甸畿。    漠漠たる白雲 甸畿に鄰す
驟雨欄前双燕舞。    驟雨 欄前 双燕 舞う
断虹湖角一帆帰。    断虹 湖角 一帆 帰る
山僧薄暮鳴鐘去。    山僧 薄暮に鐘を鳴らして去る
渡水余音聞漸微。    水を渡る余音 漸く微なるを聞く


   送夏目漱石之伊予
去矣三千里。    去けよ矣 三千里
送君生暮寒。    君を送れば 暮寒生ずる
空中懸大嶽。    空中 大嶽懸かり
海末起長瀾。    海末 長瀾起こる
僻地交遊少。    僻地 交遊 少なく
猊兒教化難。    猊兒 教化 難し
清明期再会。    清明 再会を期す
莫後晩花残。    後るること莫れ 晩花の残(つ)きるに

    春晨
春晨清如濯。    春晨 清きこと濯うが如く
晴日照自東。    晴日 東自り照らす
爨炊煙細細。    爨炊 煙 細細として
出窓散微風。    窓を出でて 微風に散ず
黄鳥鳴古木。    黄鳥 古木に鳴く
飛入荊棘叢。    飛んで荊棘の叢に入る
淡雲翳残月。    淡雲 残月を翳い
影落空庭中。    影は落つ 空庭の中
萬物得自然。    萬物 自然を得る
吾生明日終。    吾が生 明日終らん
苟不為利縛。    苟も利の為に縛られずんば
便能與天道。    便ち能く天と道ぜん
在世豈不勤。    世に在りて 豈に勤めざらんや
読書味無窮。    書を読みて 味 窮わまり無し

     08/12/10    石  九鼎  著す