李夢陽

明代の詩人。李夢陽(りぼうよう)(1475~1529) 字は獻吉、号は空同。慶陽の人。弘治六年(1493)、進士に及第した。戸部主事を経て、江西提学副使にまで上った。「文は秦漢・詩は盛唐。唐以後の書を読まず」「古文辞」の主張者・実践者であり、理論家。宋詩否定の理由として「宋人は理を主とし、調を主とせず」母親が日輪を夢みて「陽を夢む」彼を懐胎したという。性剛直で免官や下獄を繰り返した。

     憤りを述ぶ 十七首之一
湫宇夕陰陰。   湫き宇は夕に陰陰として
寒灯焰不長。   寒灯 焰は長からず
気棲逓薇明。   気棲は逓いに薇明
飄忽如清霜。   飄忽として 清き霜も如し
人方網恢恢。   人は方に網の恢恢なるに
我胡寓茲房。   我れは胡んぞ 茲の房に寓るや
墉蝠穿空梁。   墉蝠は空なしく梁を穿つ
驚風震南牖。   驚風 南牖を震かす
徂夜倏已往。   徂夜 倏ちに已に往く
於邑不成寝。   於邑して 寝りを成さず
輾転情内傷。   輾転して情は内に傷む


    登 臨
屏迹良吾性。   迹を屏むること 良に吾が性なる
逢辰每壯心。   辰に逢いて 每に壯心なり
花含向日霧。   花は日に向い霧を含み
柳変隔年陰。   柳は年を隔てて陰を変ず
行坐自芳草。   行き坐するは 自のずと芳草
依棲還旧林。   依りて棲むは 還た旧林
高楼出逈絶。   高楼の出でしこと逈絶なり
無日不登臨。   日として登臨せざるは無し


   夏に汴城の東楼に登る
身世吾垂老。    身世 吾れ垂老たり
中原此登楼。    中原 此に楼に登る
陰陽真去馬。    陰陽 真に去馬
天地本虛舟。    天地 本と虛舟
王屋千峰伏。    王屋 千峰 伏す
黄河一線流。    黄河 一線 流る
晴沙暮浩浩。    晴沙 暮れに浩浩たり
羨爾自行鴎。    羨む爾 自から行く鴎