題玄武禅師屋壁

何年顧虎頭。    何れの年か顧虎頭
満壁画滄州。    満壁 滄州を画く
赤日石林気。    赤日 石林の気
青天江海流。    青天 江海の流れ
錫飛常近鶴。    錫飛んで常に鶴に近づき
杯渡不驚鴎。    杯渡って鴎を驚かさず
似得廬山路。    廬山の路を得て
真随恵遠遊。    真に恵遠に随って遊ぶに似たり

詩語
顧虎頭] 晉の顧ト之,字は長康,小字は虎頭と言う,有名な画家
滄州] 水のあおあおとした州浜で,神仙の居す所。
錫飛常近鶴] 梁の武帝の時,高僧寶誌が白鶴道人と,舒州の潜山の風景を愛し,共に之に居せんとして武帝に申し出た,帝はその一人が,此処に居すことを許した。道人は鶴の止まる所を其の印とし,誌公は錫を卓る所を其の印とし住所を定めようとした。ところが,白鶴道人の鶴が先ず飛び去って潜山の麓に到り止まろうとした,忽ち空中に飛錫の声が聞こえ,誌公の錫は遂に鶴に先立ち山の麓に卓った。其処で寶誌が其の處に室を築いた(高僧伝。)此の句はこの故事を用いたもの
杯渡不驚鴎] 杯渡と言う人物は其の姓も名も解せず。嘗て木杯を浮かべて水を渡ったというので,杯渡と名を付けられた
廬山] 山は江州の潯陽郡に在り
恵遠] 晉の恵遠法師のこと,恵遠法師は常に陶淵明,陸修静の二人と世を捨てて遊び暮らした。東林寺に住んで居たとき,客を送っても虎渓まで見送る事に定めていた。或る日,陶淵明,陸修静と相携え共に語り,覚えず此の虎渓を越えてしまった。そこで三人相顧みて大笑した,「虎渓三笑図」が後世の画家に依って描かれるのが此の故事。

詩意
玄武禅師の居られる寺の壁に山水が描かいている。然も仙境の滄州の景で,常人が描いたものとは見えない。恐らく顧ト之の作であろう。赤日の石林に映る気色は実物のように思われ,江海に青天が映って流れているようである。禅師が錫杖を振るって鶴に近づき木杯を取って鴎の傍を通っても,両方とも絵画げあるから驚くことは無い。私は此の山水を看ると廬山の様に思われ,全く恵遠法師に随って遊んだような浮世離れをしたような気がした。
鹵莽解説
玄武は一名三陽山とも言う,蜀の梓州(ししゅう)にある山である。之は蜀の梓州に少陵が漂泊していた時代に作ったもので,恐らく玄武山中に高僧玄武禅師を尋ねた時に,僧房の壁上に景色を看て,之を題したものであろうと言はれている。「何年顧虎頭。満壁画滄州。」と起筆で画師の姓字を点じ,此の画は古来,傑作の類に出で晉の顧ト之のような名手でなければ出来ない筆致であると。

顧ト之は六朝の人物でその小字は虎頭と称した,と言って「何年」の二字を着け、称歎の意味を含み,流動飛舞の文勢が有る。の評有り。
古来,壁上に滄州を描いているのは,恐らく海山平遠の美景なのであろうと言う,「赤日石林気。青天江海流。」の二句の対句は絵画の心理を現す名句と称されている。「錫飛常近鶴。杯渡不驚鴎。」珍しい典故を用いて「常近鶴」「不驚鴎」之は実物で無く絵画であるという感じを鈎醒している。
禅師が平素この僧房に起臥し,壁上滄州の画に対し,錫を鶴辺に飛ばし,杯を鴎外に浮かべるの興有る言葉は,宗少文の臥遊の趣きに似たり,との意味を込めて写している。高僧寶誌の故事と,仙人杯渡の故事を巧みに用いて,点化の妙,神に入る。とは此の事を言う。
『仇兆鰲』曰く:「不驚鴎」も亦,滄州描法の景に適うもので,兼ねて『列子』が海客・随鴎・の語を参用したもので尤も奇なりと称している,と。


                  Copyrightc 1999-2011"(IshikyuteiKanshikan)"All rights reserved.
                                  IE6 / Homepage Builder vol.4                   
                              http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/index