李商隠詩選

(812~ 858)字は義山。河南省懐慶の人、黄河の北縁で黄徳と言う位置、唐時代は懐州と呼んだ。李商隠は此処で生まれた。唐の宗室と関係の家柄であることは確かである。が果たして何の王族から出たのかは不明。彼の生まれたのは唐の憲宗元和八年。彼bの一生の経歴は大体45.6年間であるが、時代の年号を挙げると、穆宗の長慶、敬宗の宝暦、文宗の大和、開成、武宗の会昌、宣宗の大中、である。

太和開成の時代には廟堂上に『甘露の変』という歴史上著名な事件が突発し、義山は丁度、壮年期、この事件に出逢っている。義山自身も此処の政治上の為、社会の風浪に篏揚された、其の事実が詩にも現れ、自然にその詩が怪譎に流されたことは止むをえない。

その間には宦官が跋扈し屡ば天子が変わり、朝廷には種々異変が起こった時代である。開成(837)此のころ、「牛李の党」と称して朝廷が李李の二派に分かれて、唐代にあって党争の最も激烈な時にいたので、彼も保護者の浮沈と共に中央の浮か共に沈と官吏となる。又た地方官に転出し遂に河南省榮陽で客死した。
李商隠は作詩の際、非常に刻苦し参考書を多く用いて好んで故事を用いた。『獺祭魚』と称した。かわうそが、魚を陳列して祭るさまをを例えて言う。温庭筠の二人もって、「西崑体」と称した。故事を多く用いて表現が曖昧朦朧とし美しい字句であるが温庭筠ほどではないが、内容を理解し難い一面がある。


    楽遊原
向晩意不適。    晩に向かって意 適せず
驅車登古原。    車を驅りて 登る古原
夕陽無限好。    夕陽 無限に好し
只是近黄昏。    只だ是れ黄昏に近し

晩唐次期には長安は屡々戦火によって焼きはらわれ楽遊原一帯も焼け野原と化していたと言う。一説には唐朝崩壊を既に予想していた李商隠は意味深長に詠じたものであろう。「意不適」「「近黄昏」に深遠な意を感じる。猶、楽遊原の位置は近年その所在が判明している。


    龍 池
龍池賜酒蔽雲屏。    龍池 酒を賜りて 雲屏を蔽う
羯鼓声高衆楽停。    羯鼓 声高くして 衆楽停まる
夜半宴帰宮漏永。    夜半 宴帰 宮漏 永し
薛王沈酔寿王醒。    薛王は沈酔し寿王は醒める


    夜雨寄北
君問帰期未有期。    君は帰期を問うも 未だ期有らず茫然
巴山夜雨漲秋池。    巴山の夜雨 秋池に漲る
何当共剪西窗燭。    何か当に共に西窗の燭を剪って
却話巴山夜雨時。    却って巴山夜雨を話する時なるべき


    錦 瑟
錦瑟無端五十絃。    錦瑟 端無くも 五十絃
一絃一柱思華年。    一絃一柱 華年を思う
荘生暁夢迷胡蝶。    荘生の暁夢 胡蝶に迷う
望帝春心託杜鵑。    望帝の春心 杜鵑に託す
滄海月明珠有涙。    滄海月明らかに珠に涙有り
藍田日暖玉生煙。    藍田日暖かに玉は煙を生ず
只是当時已惘然。    只だ是れ当時より已に惘然