遼寧師範大学散見  2005/09〜
9/3
土曜日にも関わらず乗客は少ない。国内航空機会社が中国行きを撤退した理由がわかる。中国乗り入れは総て中国国内航空会社。

知人の経営する旅行社でチケットを購入した。中国人が34000円。日本人は46000円。中国人優遇政策は不満であるが中国乗り入れ飛行場となれば仕方の無いと一応は納得せざるを得ない。

出発前、知人の中国人T女史からからノートパソコン運搬を依頼され、南方航空会社に電話で問い合わせOKの了承を得る。飛行場に出迎え取りに着る約束で降りたった。約束通り母親と、13歳の息子が出迎えていた。早速渡す。母親から日曜日に家で食事を招待すると言う。

然し、大学からの出向かえのプラカードを持った係員が見当たらない。同乗のMH氏共々見渡しても居ない。MH氏は別の学校で日本語科の教師として、私にも、そちらの学校の日本語教師の申し出があったが、紹介者の手前一応断った。様子を見て復た電話すると答えた。

彼とは旧知の間柄。数学専門の教師で退職後は毎年外国で日本語教師の招聘を受けて今回も私に資料を頂いていた。彼の行き先の学校関係者は既に出迎えの車が来ていた。MH氏から再三、日本教師が足らないと誘われたが、朋友の紹介済みの手前断っていた。

彼の同僚が既に飛行場で待機中、自己紹介を済ませ、更に出迎えの人達を探したが居ない。止むを得ず、タクシー呼び込み者.。を振り切り、ガードマンにタクシー乗り場を聞く。
30メートル位さきで更にタクシー呼び込み者が40元で行くと言う。40元なら良かろうと乗車した。

40元が曲者と後でわかる。大学に到着、40元の用意をする。重い荷物を階段を登り運搬してくれる。40元を渡すと「零銭!零銭!」と催促する。5元を渡すと、更に「零銭!」。結局50元の乗車賃支払い。

事務所で「何故、出迎えに来ないのか?約束済みではないか」憤懣遣るかたない私の言葉に付近に居た、上品な一人の中年の女性が日本語で担当者の教授の名前を聞く。問答中にその教授が現れた。傍に長身の人物が「迎えに行ったが、あなたが見当たらなかった」とポケットから氏名を書いた用紙を取り出して説明する。

後で解かったが、この上品な女性は中国の日本語教師だと知る。宿舎に一先ず一服。事前にインターネット回線設備の部屋を依頼していた。パソコンカメラで自宅と中国の通信を用意して来た。漢語学院中心の宿舎。今までの遊学中で最高の部屋。最も一日10ドルの宿泊。

9/4

早朝、Tさんの母親から「今日、昼食の用意をしている。今から大学まで迎えに行く」と言う。有り難く承諾する。暫くしてTさんの妹と母親が迎えに来た。家に到着、父親は78歳。母親は75歳。暫し歓談、何故か父親は別の部屋で食事をしている。客人が来るのが解かっているのに一人で食事中とは理解できなかった。が中国では男性が食事作りが中心。料理の味見中とあとで解かる。

15品の海鮮料理。満腹する。母親の口音が重い。聞き難い。妹さんが食事中、昨年、重慶外国語学院で遊学した時に購入した中国の携帯電話の話題になり、機種に関係ない。カードを埋め込めば問題ない。今から電話会社に行こうと言う、電話会社は人海人山で中国の繁栄ぶりが伺い知れる。妹さんの証明書で一年間有効の契約をして頂いた。彼女は3時から歯医者に予約中だ言う。タクシーで途中下車。

9/5
L教授と待ち合わせ、PC回線設備の部屋を見に行く予定。夫婦と息子が現れた。5Fと聞いたその部屋を下見せず。日本の朋友を信じていたのが、後の大きな災いを起こす。息子(25,6歳)日本に留学中、日本語が堪能な彼が私の旅行カバンを持って5Fまで運んでくれた。エレベーターは無い。両親と息子が得々として部屋を案内する。

PC回線の話題になると,未だ回線は接続されていないと言う。2,3日中後には設備完了と言う。快適で展望も好い。思わず契約金8000元(押金含み)これが曲者と後で解かる、L教授他と食事をして、帰路今日借りた部屋が解からない。路に迷う。派出所で聞く。
派出所の職員(50歳代、)は親切に大家さんに連絡を取ってくれる。聞けば派出所員の奥さんが日本人だと言う。(何処でどういう縁で日本人を妻にしたのだろう?)

話題の最中にバイクタクシーで息子が来た。夕闇迫る頃、階段は真っ暗。電灯が着いていない。部屋に入る。一瞬、部屋がなんとも言い難し匂う。男の油っこい体臭。外に出る。こんな場所にはとても住めない。

中国人は四足の動物(椅子を除く空を飛ぶ動物(飛行機)以外、何でも食らう。中国人の体臭は独特のものがある。当の中国人は解からない。隣に座れば即、中国人と解かる。食生活の関係。部屋中に中国人特有の臭がする。我慢出来ない。

さっきまで住んで居たと感じられる。掃除はしているが日本のように脱臭剤で臭いを消していない。階段が真っ暗。足を踏みはずしスッテン4,5段転倒して。ひざがガクガク打撲症、眼鏡が壊れ、足を引きずりながら、宿舎に辿り着く。

宿舎は既に他の人が入居済みと言う。他の部屋を申し込む、「この宿舎に戻るの」と服務員が聞く。3ヶ月は住む心算だと言う。折り返し今日、借りた5Fの部屋に荷物を取りに行く。階段が真っ暗。やっとの思いで急な階段を登る。暗闇で鍵穴が解からない。ご丁寧にドアは立て、横のキー。2箇所。一時間しても開ける事が出来ない。汗びっしょり。

日本の携帯をグローバル設定が幸いした。L教授にドアの鍵が開かないとTER.。暫くして夫婦2人がローソクを持参してドアを開ける。ローソクとは念が入っている。ローソクの灯火の元でやっとドアが開く。「こうして、こうする」と得意げに話して帰る。こんな場所にはとともじゃなが住めない。決断した。真っ暗な階段を注意深く降りて、宿舎に戻りねむる。

9/6

早朝荷物を取りに行く。昼食を日本語科○○部長。L教授。日本留学研究院生7年経験の一女性。4人で中国料理店で食する。午後4時から第1回目の授業がある。L教授は私の教授ぶり拝見と言う。4時定刻通りL教授と教室に入る。

自己紹介の後、授業開始、前もって「日本の文化。日本の伝統行事。他」を生徒に教授してほしいと伝達されていた。50分。50分。の二つ。

日本語の水準が2年級にしては低い。質疑応答にしても反応がない。使用中の教科書は良いが、理解していない。私は生徒に一人ひとり質問形式に切り替えて質問したが、会話力が全然出来ていない事に気がついた。

語学はコミニュケーションの大事さを解いて聞かせた。今後この程度の水準の生徒指導には不安である。上空からボーイングジェット爆撃機編隊の爆音が耳を劈く。夜る日本から電話があり、母の病気が突然宜しくない、何時急変するか解からないと言う。一時帰国を勧める。不安材料が又増えた。

9/7
日本語科部長室に行き、一時帰国する旨を報告する。例の5Fの部屋の鍵をL教授に渡す。L教授曰く:すでに理事長以下教授会で、授業割り当てが決定している。と言う。

明日5Fの件は三者で話し合おうと言う。T女史の妹さんと南方航空会社に帰国のチケットの手通きに行く。脚の腫れがひどい。浮腫んで歩き難い。かなりの重症ときずく。持参の清涼油を塗りたくる。

ロビーで「大連晩報」を読んでいると郭君が日本に留学する事について、聞いてくる某外国語学院からこの師範大に日本語を勉強している。彼の教科書を見せてもらう。驚くより、呆れた。「何んじゃこりゃ。」

聖武天皇(701〜756)奈良時代中期の天皇云々・・・・。文武天皇の皇子。藤原不比等のむすめ光明子(のちの光明皇后)をきさきとした。即位してまもなく,貴族どうしの勢力争いや疫病の流行など,不安定な時代がつづいた。」

赤ペンで教科書に講義の走り書きで活字も読めない。これこそ徒労のみ。聖武天皇など日本の大学でも専門家以外関係ない。

日本語も満足にコミニュケーションが取れない。こんな難しい教科書は捨てろ!先ず日本語会話無くして、どうして生活する。明日、私が持参した教科書を見せる。午後4時このロビーで待ちなさい。日本で教えている教科書をみせる。それをコピーして覚えること。

書いて書いて覚える。アドバイスする。中国の教科書は一流。一流だが間が抜けている。

9/8
早朝5,30分にキャンパスと公園をゆっくりと足を引き摺りながら散歩する。英語、日本語の教科書を開き大きな声で朗読する学生の姿を多く見る。

皆な真面目な生徒が多い。その中に日本語を必死に朗読、暗誦する学生する生徒に話し掛けてみた。一年級。教科書は中国で一般的な教科書。

少々旧い。私も家にあるこの教科書、今は使用していない。内容が現代風でない。毎朝聞き慣れていた彼女の発音は非常に良い部類に入る。第一癖がない。大連の人達は「が」と「か」。「で」と「て」。「だ」と「た」の聞き取りに難解さがある。これは日本在住の大連留学生の共通した問題でもある。

明朝、私が持参している教科書で教えると言うと、嬉しそうに謝謝!。と答える。L教授から電話があり明朝8,00電話してほしいと言う。部屋の一件で三者で話したい。とのこと。中国には中国の家賃契約の習慣が有るだろうから、それに従う。兎に角、部屋の賃貸は破棄したい。と伝えていた。

9/9
宿舎からロビーに降りて電話をする為に8,00にロビーに降りた。既に両親とL教授が待っていた。

6000元の返金でどうか?と言う。中国には中国の習慣があるのだろうから、それに従う。と答えた。実際には2000元の損失で決着。私の側の主張は言うべきは言う「階段が真っ暗、足元も見えない。スッテンころり、脚が腫れて満足にあるけない状態。第一ローソク携帯の生活は日本では考えられない。

「部屋を貸す以上は住める状態でなければ住めない。」「階段は停電中であり、東京でも停電はあるだろう」と言う。「PC回線の設備も完成していない。約束が違う」日本では考えられない。然し此処は中国。

夜、8時過ぎ部屋に電話。誰とも言わず「日本人ですか?」二年級の女学生から「問題を教えてほしい、2,3日後テストがあるんです」虫が良すぎる。面識も無い人に教えを請う。

9/10
一時帰国まで、荷物はどうして置くか?。朝8,30分、相変わらず上空をジエット機が編隊をくみ凄い爆音で通過。耳を劈く音に驚く。さながら緊急事態かと戸惑う。校庭では新入生の軍事教練が連日続く。男子学生、女子学生全員は迷彩色の服装。聞けば一ヶ月間続くのだと言う。

元気な掛け声、ヤー。エイッ。ワアー。夜の8,30分まで続く。若者のストレス発散に良いのかもしれないが、日本の大学生に見せたい。若い乙女が一変して軍服姿。此処は中国、臨時体制か?と錯覚する。

夜,どこで調べたのか部屋の電話が鳴る。30分後電話してほしいロビーで会いたいと女性が電話番号を言う。無視すると30分過ぎ又、電話が鳴る。「現在有客人」と言い「電話機を置く。発音が良い。ハルピン出身と言う。

同乗して中国に来たM氏が理事長が如何してもこちらの学校に来てほしいと言う。

MH氏が明日にも逢いたいので外出せずに待っていてほしいと言う。事情を話しても理解しない。今朝もMH氏から電話がある。毎日のようにMH氏に理事長が是非こちらに来てほしいと言う。

事故の一部始終を話し断る。日本人教師の絶対数が不足している。先般の『中国人の日本に対してのデモ事件』と多くの日本語習得希望者。理解に苦しむ。

9/11
朝、M氏から電話。「理事長がどうしてもあなたに直接、逢いたいと言う」私はキッパリ断る。昨日の今日!どうなっているのか!MH氏は本当に断ってくれたのか、理解に苦しむ。

確実に日本語教師不足の現象が起きている。本科生以外に社会人教育の日本語習得したい人の多いのには此処以外ずいぶん沢山看てきた。日本企業、中国日本の合弁会社は年々増加して日本語ブームは解かる。

早朝の散歩の継いでに約30分、日本語会話練習している女子学生から「花束」を頂く。宿舎のサービスカウンターの女子事務員に、ロビーにでも活けて下さいと渡す。「学生からの贈り物?」「そうです、私の部屋には花瓶もありませんから」「花瓶を持ってきましょうか?」「いいえ必要ありません」

夕方6,00。劉君と郭君にロビーで出会う。彼等は来年、日本に留学すると言う。行く先の○○大学は三流大学ですか?と言う。「二流も三流も無い。」此処にいる日本人教師に聞いたらしい。

夜。先日、教えた二年級の李小梅から電話。「今日は先生の日ですよ」しかし意味が分からない。「一生懸命勉強すれば、キット日本語が上手になりますよ」「先生のような優しい人になりたい」吉林省から昨年来たと言う彼女の中国語は素晴らしい。

9/12
完全な睡眠不足。5時はまだ暗い。5,15分キャンパスを散歩する6,30時、小仁に日本語の開始。彼女は頭脳明晰、覚えが早い、礼儀正しい。朝早く一人で教科書を暗記中だ。残念なことに、私が持参した「新編日語」が此処には無い。

昨日、新華書店に行ったが無かったと言う。「新編日語」は上海外国語学院出版。対抗意識でもあるまいが此処,の東北三省には大連外国語出版は多い。北門外に露天の書籍店がある。問い合わせると、ニベモなく上海の書籍は「没有」の一言。

コピーも不便極まりない。実感として日本は総てに於いて恵まれ過ぎている。例の5Fの階段の真っ暗は中国人には日常茶飯事。我々は、ローソクの灯火生活は過去の物。借りた家をキャンセルしたいと言うと、日本留学経験の息子曰く:東京でも停電はあるでしょう。散歩中に看たが未だ階段は電灯無し。

7,00時、朝食、スピーカーからヒステリックな大音声が校内全体に響く。誰に向かって言っているのか?生徒全体の引き締か?共産党特有の演説調子だ。

今朝は下痢気味。早速「梅エキス」で治る。北門傍の店で「卵入り油条」を買う。老板が「あなたは、香港人?台湾人?」「猜猜?」すると店員5,6名が一斉に笑う「台湾人?」」。中国に来ると必ず言う。「あなたは南方人?」

午後、ロビーで内蒙古人の王哈斯に合う。内蒙古も日本語フイーバーは凄いと言う。帰国したら補習学校の資料を送ってほしいと言う。ナップサックから食事券が出てきた、日本で張洪波に貰ったもの。見ると期限が今日の12日まで。

すぐ王哈斯と一緒にタクシーで早い夕食。店員のサービスが悪い、日本留学4年経験の彼は言う。「日本ではすぐ首ですね」タクシー代、8元。寄宿舎で風呂に入る、此処の寮設備は良い。外では相変わらず、軍事教練中、女学生のカン高い声が響く。夜8,00。本科生に入ると1ヶ月続くと経験者の王哈斯は言う。

龍波から電話。「明日、ギョウザを街に食べに行こう、母がタクシーで正門前迄迎えに行く」「あなたは行かないのですか?」母親の口音は重い。方言訛りに苦労する。帰りに日本の姉に「月餅」を持って帰ってほしい。これだから困る。

テレビでは”日本の選挙で自由党勝利”を伝える。こんなはずでは!と中国政府の戸惑う様子が伺える。もしも、敗北なら”鬼の首でも取った”論調だろう。

9/13
早朝ロビーに降りた、雨が降った形跡がある。小仁に教え帰りに、”傘をどうぞ”と言う。小雨模様だ”大丈夫”帰路、露天で例の”卵入り油条”を2枚買う。中年のガードマンが”下雨”ではない”小雨”だと教えてくれた。

もう一人のガードマンが”日本の治安は良いか”と言う”非常に良い”と言うと”中国の治安は良くない”と嘆く。今朝は、がなり立てる共産党教条が無い。至って平和。不気味さを感じる。

ロビーで王哈斯が独習中、劉暁輝が来たので紹介する。劉暁輝にこの付近の食べ物屋を紹介してもらう。役1時間、校内外を歩く、彼は授業があるからと途中で別れる。付近にこんな店までと感心する。

王哈斯がシャブシャブを食べに行かないかと言う。きょうは予約があるので復の機会にと断り、今日は私のおごりで昼食をしようと下の食堂で食する。

午後、劉暁輝の同僚、郭君が来た、持参した日本の教科書をコピーしたいと言う、途中彼の友人と帰って来た。何と何と”大連理工大学”の日語教科書と全く内容が同じだ。驚いた!どちらがが盗作か。

5,30時、龍波から15分後大学のロビーに母が行くと言う電話、母親一人が手作りのギョウーザ持参。ロビーのソフアーで食するが気が引ける。私の部屋でと案内する。

半分くらいで満腹、残りは明日の朝食にする、と立ち上がって大慌て!彼女の財布入り小荷物が無い。直ぐロビーに降りる。ソフアーには無い。私はカウンターで事情を話すと。有った!。誰かがカウンターまで届けてくれたなだった。母親は大喜び。

大きな道路まで出て、無理やりタクシーに乗せて、運転手に20元手渡す、バイバイ。たして無事帰宅出来たか一抹の不安もあった。

帰宿すると妻からの電話、重慶の知人の電話番号問い合わせの件。小涛に電話するが電源を切っている。中国の携帯電話カードを使いきり帰国の予定。

9/14


宿舎の下の丘に与謝野晶子の”1904年9月、『君死にたまうことなかれ』の名文の碑がある『明星』に発表。

1911年には史上初の女性文芸誌『青鞜』創刊号に「山の動く日きたる」で始まる詩を寄稿。

文学を愛好する者に日本文学。中国古典文学。ジャンルは違っても与謝野晶子の遺稿はいつも心を引かれる。



 旅順攻略軍の兵士として参加した弟に思いを走せて作った名文である。



ああ弟よ君を泣く  君死にたまふことなかれ  末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも 親はやいばをにぎらせて
人を殺せと教えしや  人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや

堺の街のあきびと の旧家をほこるあるじにて 親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ、旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事か
君知るべきやあきびとの 家におきてに無かりけり


早朝ゴミ袋を持って散策。小仁が「私がゴミ収集上に持って行きます」 彼女の心ずかいが、うれしい。一時帰国の用意で不必要な物はゴミとしてすてる。

脚の治療にどの位の日数が掛かるか解からない。老母の状態も良くないと電話があり、一時帰国を決意。復の機会もある、と自分で納得。

小仁に会話練習中、日本水泳連盟に招待したいと主催者の方が、例の資料を連盟に渡してほしいと持って来た。

正門を出て左側50メートルに薬局がある。此処で”清涼油”小型20個。を購入する。毎晩、脚全体に塗る、経過も順調に回復に向かう。

午後の空き時間を利用して公園の日陰で小仁に個人レッスン。持参の「新編日語」も5課、6課と勤む。教科書も無いコピーも無い。一冊の教科書で小仁の努力に”帰国後コピーして送る”と言うと。彼女の宿舎の信箱のNOを書いて寄こした。

足の甲の腫れ具合で靴下がきつい。早速、夏用の靴下を買う。然し、夜は足の冷え具合で寝つきが悪い。寝床に就く時は冬用の靴下を履き眠る。

9/15
相当冷え込む。5,30時散歩。既に学生、老人たちが思い思いの体操をしている。小仁は長袖を着用。彼女は午後、時間が空くので是非レッスンをしてほしいと言う。

昨年「四川外国語学院」に行くと決まり、「K教授に「新編日語:上海外国語出版」を使用しているかを確認したら「そんな教科書は使っていない」。現地に着いたら2年生の「日本語科」で使用している。今まで、このような「日本語科の良書」に出会う機会が無かった。「そんな教科書は使っていない」の教授の言葉がわすられない。

大連には上海に対するライバル意識が見え見え。「新編日語:上海外国語出版」は発売されていない。日本語科でありながら、周に一日の日本語と言う。考えられない。コピーの無いのを嘆く。

9/16
朝から小雨、まさかの雨で雨具も無い。雨傘を買うべきか迷う。劉、郭両人がロビーで日本人留学生と個人レッスン。彼らの一人郭君に傘を借りて北門の前の店で傘を買う。35元。

部屋のカバンから雨衣用のジァンバーを取り出す。夕方から雨は上がり公園から大通りに出て薬局店に向かう。途中小仁から携帯に電話。

大通りに面しているので声が聞き難い。いつもの公園にいるからと言うので5分後には出向くと連絡。一時帰国する前に日本から持参した中国人垂唾の「三色ボールペン」をプレゼントする。

今夜も部屋に電話が何度も鳴るが出ないことにしているが気には成る。然し用事があれば日本の携帯電話を中国と日本に通じるグローバル設置。中国の携帯電話の両用で不都合も無かった。

9/17
遼寧師範大学国際交流文化中心の短い期間も一時帰国で今朝出発。カーテンから外を望むと晴れ模様。早速。雨用のジャンバーをナップサックにしまいこむ。部屋のカードをカウンターに返す。ガードマンが重いトランクを下の階段まで運んでくれた。

小仁が見送りに来てくれた、6時15分未だ小龍親子は来ない。北門前にタクシーがいた。携帯電話で先に空港に行くと小龍に連絡した、国際便は2時間前までに空港到着を知らないわけでもないだろうが、小仁が空港まで見送ると言う。

空港まで15元。来るときは50元。ボラレタものである。小仁とタクシーから下車。15元。行きは白タク40元+10元。迂闊だった。何度も中国では苦い経験が生かされていない。タクシーの運転手の「国内か」「国外か」の問いに小仁は戸惑いを隠せない。

初めて飛行場に来たらしい。小仁が封筒に入った物をくれた。トランクとナップサックを彼女が持って、私の脚を気ずかってくれる。謝謝!小仁。

昨日、内モンゴル自治区の学生、郭君が私の教科書をコピーさせてほしいとコピーいに行く。かれの友人と帰って来た。曰く:大連理工学院の日本語科の教本と瑞文も違わない。

全く同一の内容の教科書である。どちらが真偽の程は今は解からない。私は盗本を見て怒りを感じた。大連理工学院と言えば名門中の名門校。帰国して調査する必要がある。

出国手続に以外に手間取った。先ず飛行場使用量金が廃止され。出国手続きは全文、英語で記入。パスポートNOの書き込み,等々。

免税店で品物を見て回る途中。日本のT女史から「母親と妹が空港に着いた”月餅”を持って来ている。何故由に中国の携帯を切っているのか」「携帯は切っていない」。親子がT女史に”月餅”を日本のT女史に持ち返らそうとの考えであった。

小仁に帰国したら「教科書のコピーは必ず送るヨ」 何時までも私の姿に手を振ってくれていた。

9/18
自宅のコピー機で複写をして早速、小仁に航空便で送付した

9/19
YMCAに行く書類をそろえて、航空便で送付した。