(2001①) (2001②) (2002①) (2002②) (2002③)                        

 中国遊学日記 (西安)   ( 9/1.2001~ ) ☆10月はココから
                  無断転載・COPYを禁止します
   2001年9月

  (1) 西安交通大学遊学日記。
  (2) クラス別けテスト。日本語のワンペアー指導
  (3) 留学生楼。初日の印象。
  (4) クラス変更願いをする
  (5)  再会
  (6) 好感度の学生食堂
  (7) 食事と費用、他。   
  (8) 休日を利用して遠出。
  (9) 「保姆」の一カ月の給料
  (10) バス乗車後、席を譲ってもらい感激
  (11) 中国の若者は自信を持っている
  (12) 会話練習
  (13) 授業料及び部屋代の支払い
  (14) ラジオカセットの買い物
  (15)  這个男子漢!不可靠!
  (16) 携帯電話をスリに盗まれたと言う
  (17) 日本から来た留学生は「日本語練習臺」
  (18) カセット・テープのダビング
  (19) 舞い上がった天子
  (20) 頑張る学生たち
  (21) 学生証
  (22) 『タクシーのナンバーを控える』⇒公安局通報
  (23)  手荷物の保管制度
  (24) 交大医院処置単
  (25) ズボンの後バネの汚れ
  (26) 日本食店「理恵」
  (27) 国慶節には、母が家い来るように言っています
  (28) 運転手、盛んに同胞!同胞!
  (29)  迷路了 
  (30) 今度来た時には窰洞に連れて行ってあげる!
   





 中国西安交通大学遊学日記          石九鼎の漢詩館

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 (1)
  遊学日記の序



昨年、シルクロード旅行の帰路、西安シャンデリアホテルにチェツクインして、ふと、見覚えのある女性がロビー柱の傍に目につき、中国語で「どこかで、お逢いしましたね」「私もそう思います」ホテルカウンターの呼び声でその場が終った。

翌日、帰路の飛行機搭乗中、私に昨夜、人から渡された、とある、企業団体のかたから名刺を受け取った。七年前まで日本に留学していた”周華”だった。彼女の「元彼」とはオレ、オマエの朋友。帰国後、早速,電話で連絡する。

冗談で西安に留学の機会があれば、と話したら、10日後、大学入学案内、当大学教授の名刺などが送付されて来た。これを機会に本格的な中国留学を本気に考えるようになった。

中国語メールで西安交通大学と計4回の問い合わせの往来をして、書類一切整ったのが01年8月。 夏休暇を利用して”成都”に一週間、遊び、西安シャングリアホテルで”周華”さんと再会し9月からの留学での手配などのお礼を述べる。帰国後。トンボ帰りで中国へ

9月1日、午後3時35分離陸、一路中国へ上海経由で西安へ。上海から中国の商社マンが隣に坐した。中国の話題で時間を過ごし、暫らくして、、「君なら上級クラスで充分だ!」この言葉で第一の失敗が始まる。

夜9時西安着。大学から差し向けの車が待っていた。同じ大学に行く人が3名。約1時間の乗車後、留学生1楼に到着。 担任らしき人が日本の住居地を聞く。その中の1人が”三重県です”と答える。この先生、三重県が解からないらしい、そこで悪い癖がでる。”名古屋の隣の県です”と中国語で言うと、”ならば名古屋と書いとけ”隣の人に指図をする。

部屋が割り当てられた。○階〇〇室、入った瞬間、一週間もつかナー。不安になった。部屋が極端に暗い。天上備え付けの電灯が一つ無い。部屋で本など読める状態ではない。

日本では四階自分専用20畳の書斎。椅子は特上級。日当たりは抜群。言うこと無しの贅沢な生活をしてきた, だんだん不安になる。今迄の贅沢な生活から一転奈落の底へ。寝るに限るとベットに入る.が多少の興奮気味で寝付かれない。


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                                               9/01/2001

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  (2)
  クラス別けのテスト。日本語のワンペアー指導。                  

授業は4日から始る。本科の中国学生も続々と帰宿する。又、新一年級の生徒も学生寮に入る。新一年級生は二年級のトレレーナーとし色別がハッキリ別のトレーナで識別できる。留学生のクラス別けのテストも行われた。

テストは同一のもを30分。内容は(1)ピンインで書かれたものを「中国語」に書く。
(2)「中国語」をピンインに書き直す。 
(3)造詞。出された一つの「単語」で短文を書く。全体的には真面目に中国語を勉強(1~2年)をしていれば全文回答出来る。特に気が付くことは、ピンインから中国。中国語からピンイン。は日本で学習していた時、以上に重要視されている、と感じた。

テスト事前に伝えられたことは、テストの内容に関らず、級別けをする。年齢、事前の本人の経歴、も級別はされると判断した。テストは10分で提出した。30分もかかる程のものでない「交大」では1班が初級、5班が上級向き。上級クラス以外の各班にクラスが2,3有る。

1から5に別けられて授業を毎日、月曜日から金曜日まで、午前8時から12時まで3科目。学習するシステムになっていた。理由は判然としないが私は2班に指名されていた。明日からの授業が楽しみになった。

到着以前、この大学で日本語をワンペアーで教えることにしていた。夜、1人の日本語科3年級の女の子がドアを敲く。部屋に招き入れ自己紹介をすませる。黒龍江省出身。名前を李華と言う。顔が引きしまっている。大学の紹介状では3年級日本語科のトップクラスと言う。

毎週水曜日午後3時から4時まで。会話を主体に進めることで両者了解する。時間の都合がつかない時は事前に電話連絡すること。
                                              9/02/2001

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   (3)
  留学生楼。 初日の印象。
留学生楼1人部屋の設備。テレビ・クーラー付き・専用トイレ・シャワーベット・ベット用品・机・椅子2・電気スタンド・本棚・洋服タンス・カード電話。各楼内に共同炊事場・洗濯機・冷蔵庫 湯沸し器。(洗濯機の使用は無料。冷蔵庫の使用も無料。湯沸し機は24時間使用可)

1F⇒監視員及び守衛(24時間体制)。事務所職員室・10部屋。
2F⇒留学生事務室。4部屋。朝8時と午後2時半に執務。(日本語が解かる人が1人)

   授業室(初級クラス 2) 留学生1人部屋20.
3F⇒授業室。中級・初級クラス4.留学生1人部屋30.
4F⇒授業室。4部屋。留学生1人部屋。20.留学生用食堂。
5F⇒授業室。2.

留学生約120名。日本人留学生25,6名。
常時出入りがあり正確には人数は不明。
授業のクラス選別は個人に任せる。一週間位の間に自身で決めること、と通達がある。教科書の書き込みに注意。あとでクラス変更を希望する際、変換に問題が生じるので。

年齢的には20代が圧倒的に多く、50代~70代の人もかなりいる。
授業内容は充実し、かなりのハイペースで進む。予習・復習は必要不可欠。
一日一課から二課進むことが多い。
2班に出席した、クラスのレベルが低い。心地よい居眠り状態。

夜、王教授(保証人とも言える人)から、明日夕刻6時ころ面会したい旨の電話がある。(クラス変更は自由にしなさい、自分の好きなクラスを選びなさい。との伝言がある)

本科で中国の学生と一緒に学習することの可能性を聞くと、連絡して措きます、の返事。

1Fカウンターに行き、電話カードを購入、と使用方法を聞く。
1Fカウンターから小周に西安交通大学到着の電話を入れる。姚君にも西安到着の知らせを入れる。
                                                 9.3.01
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   (4)
  クラス変更願い。                                       

電話カード(中国電信300電話カード)を留学生学生楼1Fで購入する。50元+2。のちに此れが不便なシロモノになる。

授業2日目、漢語口語、元この大学の教授、李先生。先生の自己紹介が始まる 、ロシア・フランスの留学経験談に始まる。そして授業開始。

どうも変だ!「美術」の術が2声だ、昨日も少し気になっていた。
このクラスから”消えよう!”最後の5分に。「有没有、問題」 先生がおっしゃる。「我有問題!」手を挙げて質問。眼鏡を少し垂らした目が異様に感じた。ムッした顔だ、生徒が中国語で質問するとは思っていなかった気配だ。

「第2頁倒数第3行的・・・・・没有、和・・・・・没有・・・・。」有・・・・什么不同?

先生から懇切丁寧な、お答えを頂いた。

教室を出る時、先生に向って「謝謝!老師」 最後の挨拶をして別れた。
事務室にクラスの変更を、願い出た。「3班に行きなさい」 キッパリと断つた。「最上の5班に、お願いします、私は日本で10年勉強してきました」 「10年も・・・・」教科書の変更をして個室に帰る。日本語の解かる事務室の教師は未だ解からない。

留学の必要最低条件は、簡単な会話が出きて留学することが上達の近道だと思う。勿論、全然中国語の経験が無くても努力次第で上達している人もいる。しかし、貴重な時間と金銭を使い海外に来て学習するには、或る程度の会話ができる,ピンインは理解出来る方が得策である。

夕方、6時過ぎ、私の部屋に王教授が尋ねて来る、一応の挨拶が終る。雑談後、実は・・・と王教授 「張〇〇先生が、以前、日本の北海道大学に3年留学していた、36歳、日本語を忘れたので会話をしたい言う、遇って見てほしい」 「解かりました、電話を入れてください」

小周から電話がある。「明日夕食を一緒にしましょう、6時に「交大」の北門で落ち遇いましょう」 了解の返事をする。
                                                  9.4.01
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   (5)                                      
    再会

7時50分、上級5班の課本を持って、教室に入る。多少、緊張する。(漢語高級教程。高級漢語口語。漢語高級聴力教程。)の三種教本が一週、3~4教科の授業となる。

授業内容は01年1月から7月まで、日本で学習していた「中国語クラス」と略々、同じ程度と感じた。生徒は日本人3名、韓国人2名、会話力は相当の力量と感じた。

日本から持参した中国語辞書は小学館の「中日辞書」「日中辞書」と両者を組み込んだsonyの「電子ブックTMプレイヤー」「中国語発音字典」「現代中国語用法辞典」(呂叔湘編)

夕刻、周華がタクシーで「交大」北門(興慶公園前)に迎にきてくれた。
市内の或る飯店に入り食事をする。彼女は日本企業を中国に紹介する形式の、日本人経営者の会社に勤務(上場一部)。開口一番、周華曰く、「日本語のレベルが落ちている、勤務中は全て中国語であり、日本語の会話練習をしたい」

日本留学中、彼女は「中国語教室」で日本人に中国語を教えていた。彼女の日本語は不自然だ。確実に日本語のレベルは落ちている。外国語の継続学習の難しさを知った。

私自身、PC購入後3年間、中文から離れ以前より中国語の実力は確実に三分の二に減少したと自分で感じている。

彼女の元彼(小劉)は日本留学中、何時も私の所に遊びに来ていた。劉君は周華を連れて家にも連れて来ていた。思いきって彼の所在を訊ねた。カナダに在住、既に中国女性と結婚していると言う。周華の目が少し潤んでいた、悪いことを訊ねた。

食事の「残りものはパックに入れて」周華はウエイターに言う。「保姆」に食べさせるのだ、と言う。「保姆は日本語でなんと言うの」と聴く、「お手伝いさん。又は、メイド、かな」

「保姆の一ヶ月の給料は、いくら?」興味があることはなんでも聴く。「300元よ」一児の母親である周華、35歳。食事の後、「交大」までタクシーで送ってもらう。今後の再会を期して。

午後10時過ぎ、姚君から電話。彼は西安外国語学院を卒業後、旅行会社に勤務している。土曜日(休日)に、後輩を連れて遇いたいと言う。目的は中国語会話の練習と後輩に日本語で会話をしてやってほしい。と言う。当日、午前9.30「交大」北門で落ち合う約束をする。

洗濯物を洗う用意をしてドアを開けると、一見、老紳士が挨拶、「今、着きました。」元銀行マン。停年退職後、中国語を学んでいたが、中国語の為に留学したと言う。75歳だと言う。この老紳士が今後の私の留学生活に多大な影響を及ぼすことは予想しなかった
                                                  9.5.01
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   (6)
  食事は良好、安心して暮らせる                           

学生食堂は4F。朝、7時30分開店、昼食が12時開店。夜は6時30分から。米飯は日本人向きに炊飯して美味しい、又安いのが嬉しい。
4Fの食堂以外にも留学生楼の附近に大食堂がある。此処は一般の学生いつもゴッタ返しで一斉に何百の学生が集る。メニューは豊富であり、朝早く出向いて調達可能。

5班はかなり、遣り甲斐のあるクラスで、特に韓国留学生(金さん)の陽気な雰囲気と、松阪慶子を若くしたような徐霞。第一、真面目な学習の態度は好感がもてた。只、学習のスピードは早い。予習・復習にかなりの時間が必要になってきた。

老紳士に陪して午後「西門」に行く。日本人観光客専門の販売店で、お土産屋さん。今日、午後には日本人旅行が6団体も来た。この販売店の中国従業員に日本語を教えると言う仕組みであった。老紳士の昔からの馴染み、と言うことらしい。

実践的な中国語会話の練習になる。日本語会話を通して中国語の学習にもなる 従業員総数15,6名。「日本語会話」という教科書で皆な真剣に学習していた。早速、彼等から質問がでる。
 
留学生個人部屋から外部への電話が旨く通じない。外部から個人部屋には問題が無い。ここ一週間、家族への連絡が出来ない。全て1楼の事務室兼守衛室に行き電話を掛けている人も多い。電話の掛け方に問題があるのだと言う。

夜、10時ころ、ドアをノックする音、開けて見ると中国の男子学生だ、日本語を一寸教えてほしいと言う。中に入れて事情を聞くと、日本語科3年級、教科書に赤線で書き込み、準備が万全だ。中仲の好青年と甘く見たのが間違いだった。以後、夜、チャンスを狙って来る。

夜、知人に手紙を4通 書く。ノドの乾きが異常で少々、咳が出る。一番心配していたことが実現になって現われてきた。
                                                 9.06.01
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   (7)
  食事と費用。  

語学雑誌関係「A」の招聘?・今年は7名が日本語教師として9月1日から2週間「交大」で教授方法、日本語を講義する。「日本語教師として」とは教師の経験皆無のものもいる。

昨年は24,5名参加したと言う。昨日から教壇に立ったと言う。今朝、彼等が朝食の時、皆な「雁クビを垂れている」相当こっ酷く注意されたらしい。理由は「教授方法が良くない、○○の處が良くない」等と細かく指摘されたと。僕と同郷出身のMさん「教案」で頭を痛めている。

受け入れの「交大」関係者から、話し方が早すぎる、内容に具体性がない、等々、Mさんが、この間の事情を語る。その中の1人が曰く、「あなたのように、語学を習う自由の身で来たほうがよかった」と。しかし 食事の際、我われ留学者と、彼等の扱い方が格段違う。

一日の食費は一般的(朝食、3元。昼食、4元。夕食 6元)。平均して15元(日本\230)程度。寮の前の学生スーパーで「ビール」大ビン一本が、2元(日本\30-)但し、時々外食で或る程度の栄養と贅沢はしたくなる。

朝、授業に出る前に自室前にポリのゴミ箱を出す。空ビール瓶。即席ラーメンの碗。お菓子類の袋。ミネラルウォーターの空ビン。其々その人の生活リズムが解かる。

朝は(6,00)寮前のグランドで一般学生のバスケットボールを地面に叩き撞ける音と、掃除夫さんが道路清掃する箒の音で目覚める。一般学生は朝が早い。スポーツに余念がない。

7時になると、何百人の学生がゾロゾロ食堂を目指す。壮観だ。此処の学生の真面目さ、に驚く。約70%が眼鏡を掛けている。男女の比率が7対3で男子学生が多い。

キャンパスが広い。留学生寮から北門に出るまで、12,3分。ゆっくりと歩いて15分。学生達の歩くスピードは早い。脚力は確実につく。とにかく歩く、歩くしか方法がない(留学生)

広大なキャンパスの中に数多くのの公園がある。公園で一日中、学生たちは暗記に、学習に余念がない 中には、学生カップルが仲睦まじく語り合う姿は見ていても気持ちが良い。

                                                9/07/2001
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   (8)
  休日を利用して遠出。                                  9.08.01
姚君から昨夜電話がある。「不見不散!」と言って電話を切る。北門前(興慶公園前)でMさんと三人で落ち合う「咸陵博物館、茂陵博物館、楊貴妃墓」に行く。小姚は、外国語日本語科卒業後、(光大)旅行会社に勤務。9,30分、西安駅前の郊外長距離バスに乗り込んだ。

カメラを持って来るのを忘れた事に気づく。我ながら不甲斐なさ。仕方がない、見たもの、感じたものを、頭にタタキ込むしかない。留学日数もまだ有る今後機会作り一人で来ることにいた

咸陵博物館。黒色の兵馬傭は初めて見た、又、”秦磚漢瓦”には感動した。
茂陵博物館。館内の池に鯉が無数泳いでいる。小姚は黒龍江省出身、鯉が珍しく離れ難い楊貴妃墓。にはマイクロバスで行く。路上で待つこと暫し、手を挙げてマイクロバスを止める

 中国は便利が良い!何処でも手を挙げれば停車してくれる。高速道路でも同じ様子を見た 乗客者は我われを物珍しそうに見る。乗客全員が農民らしき服装だ、休みを利用して実家に帰る者達と感じた。マイクロバスは悪路をガタガタ揺れながら猛々と砂煙を巻上げて走る

 車内ではタバコの煙で咽返る、大声で隣同士の者と語る、と言うより、怒鳴り語らう感じだ。 {瓜子}を食う者、瓜子の殻を座席の下に吐き散らかす者、乗客の一人が突然、乗車窓を開け「ペッー」と痰を吐く。まさに壮観だ。

道路両サイドは高粱畑が延々と続く。高粱は砂ぼこりで砂を冠っている。
 楊貴妃墓が如何に辺鄙な場所に在るかが想像できる。走ること約40分”楊妃鎮”の大きな標識板が現われた。暫らくして停車。下車する。
”何故こんな所に外人が来るのか?”乗客の注視を後に、楊貴妃墓のある階段を登る。

小姚の微に入り細に入りの説明を聴く、彼は何度もここに来てガイドをしたと言う。見学を終えて路上に出る。丁度折り良く”面包車”が来た、手を挙げる。停車した。車掌が怒鳴るような声で「上車!上車!去西安!去西安!」

夕刻、西安西郊外バス発着場に着く。相変わらず煤煙でムッとする。ノドの調子が悪い。ここからタクシーで「交大」へ帰着。キャンパスの中は樹木で覆われ爽快そのもの。
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   (9)
  「保姆」の一カ月の給料                                  9.9.01

朝食の時、留学生食堂に韓国留学生「李さん」が「キムチ」をポリ袋から取り出す。独特の臭いだ、私にも食べるように勧める。少々中国の食事にマンネリが出始めた頃でもあり、新鮮さを感じて戴いた。国の奥さんの手料理だと言う。李さん韓国の商社から派遣留学、48歳。

「口語教科」の授業。教科書から離れた話題に移る。老師から、なんでも良い、最近感じたこと、を語るようにと提議された。私は「保姆」の制度に付いて話題として話す。又「保姆」の1ケ月の給料に就いて質問してみた。1ケ月、300元は西安市では良い方だと言う。

夫婦の労働が一般的な中国では、出産以後、労働条件として家庭内を安全にまかせて、労働できる女性は「保姆」の制度次第。一番の問題は良い保姆を採用出来るか否かと言う。

午後から「西門」に行く。大学北門前、7号車、2元の空調設備車を待つこと暫し。1元の無人車との差は、2元の空調設備車は椅子にカバーが掛けている。多少空いている。1元の車掌の無ない車は中国人にとって重要な意味をもつ。2元と1元は生活上で重要なのである。

「鐘楼」を通過して3つ目の終点で下車。近くのスーパーに行き、「ビール瓶の栓抜き」と「爪め切り」を買う。 西安城墻管理所(西門瓮城)では皆な気持ち好く迎えてくれる。先ず、お茶とブドウを差し出された。一服し日本語の会話練習を始める。

日本の修学旅行の一団体が入って来た。みんな一斉に店員に早変わり自分のエリアに着き観光客の対応に忙しい。観光客が去る。西門には今日は日本語の程度が高い人が来て論文の修改を求められた。5時過ぎ、西門を後にした。鐘楼附近のラッシュは凄い、この時間帯を避ける為に早めに寄宿舎に帰る。

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  (10)
  バス乗車後、席を譲ってもらい感激                          9.10.2001

2F・事務室横の壁に「留学生向け」の掲示板がある。朝・授業に出る時、何時もこの表示を見て、其々教室に入る。13日午後1時から「授業費・部屋代など」支払うようとの伝達事項。(前払い)。 2年~1年。半年~2・3ケ月の短期留学者、さまざまだ。

1班~5班のクラスも未だ流動的。1~2班へ。2~3班へ。4~5班へ。又その逆の人もいる その為、教科書への書き込みは注意を要する。変換出来ないと、前もって通達がある。

自分の実力に似合ったクラスを選べるシステムは不公平がなく、別のクラスを見学出来て好評だった。僕はこの期に中国人との会話を実践的にする方法を考えていた。西門を中心とすることにした。

「読写」の授業、雑誌のコピーを渡された。教材の内容は「北京オリンピック開催」について。上級者クラスと雖も読解の際、スラスラとゆかない。今朝・渡された資料を1人1人輪番に「朗読」させる。実力の程度が一番、判る。質問に入る

私の番になった。「人が集合する場所には必ずゴミ問題は深刻です、北京には一日3百万人、外部から出入りがあると聞きますが・・・・」この点を提起し、自分の感想を語った。

 女教師R先生は一瞬緊張した顔つきで 「それは間違いです! そんなことはありません」(上海~西安・に搭乗した際・中国人との会話が裏目に出た)

休憩時間・何かと気が合っていた朝鮮族美人の徐霞に「明日から4班に移動する」ことを伝えた 一瞬、彼女は翳りのある寂しそうな表情を見せた。毎日の宿題が重荷になり出した。少し樂をしたかった。授業終了後、授業と教科書の変更を願い出た。

午後一呼吸して学生スーパーで、インスタントラーメン。パン。トイレット・ペーパーなどを買う。今、西安での日常生活では無いものが無い。(日本酒、醤油、梅干など以外)  全て揃う。何時も行く学生食堂は、前ぶれも無く「休日」する。これには正直言って、マイッタ! 

西門に向う。7路車に乗車(2元)、乗車後、席を譲ってくれる若者に出会い感激した。此処に来て2度目の経験。中国には未だ「儒教の教え」が残っている。これは私一人の経験では無いらしい。

日本在住の時は、「坐11号車」。では無い。何時も”愛車ホンダ・アコードスポーツ・”で走り周る。バス・電車など利用したことが無い。 バスに乗車すればふらつく、足元もおぼつか無い ポット出の田舎者に見えるらしい。

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  (11)
  中国の若者は自信をもっている

世界情勢の動きが解からない。朝、起床するとテレビのスイッチON。学生部屋の全チャンネルは、7つ。現在中国では30余りの頻道”が有る。

学生寮にはテレビの放映が限られている。週に1度は 「過去、日本の軍隊がどのような侵略をしたか類のドラマ等」何処かのチャンネルで放映されている。部屋にいる時は必ずテレビのスイッチON。見ても、見なくてもテレビのスイッチON。”聴力をつける”日本在住には”CCTB”(パーフェクト・テレビ)暇さえ有ればONしていた。

中国のテレビを観て感じることは、中国の顔は「アメリカ」に向いている。「日本」には尻を向けている。李鵬は1年前「日本は今や2・3流国である学ぶものは無い」とジャーナリスト語った

中国の若者は自信をもっている。昨夜、平平(日本語科・3年級)が来た、彼は能弁に語った 「中国も日本も人口が多い。人口の割合では両国共、人口が多すぎる。中国が日本と違う点は制度である。頭脳は中国が勝れている」この過剰自信!経済成長の著しい進歩。行け行け!である。現在、中国は消費ブームで国民が沸き返っている。世界で1人勝ちである

今夜、中国学生寮で大歓声が起こった。テロの発生!アメリカがテロによってビルが破壊された、このニュースの放映を見ての出来事である。何故、歓声が起きたか?中国学生に聞いてみた。アメリカの『自豪』『擺架子』が気に入らない。全部の学生が歓声を起こしたのでは無い。「事件に同情」した学生もかなりいた。『吃酢』の凄さ!『吃酢』の意味の深さを未だに理解出来ない。日本人には理解出来ない「紅眼病」の深さだ。

香港経由のテレビで放映された、この事件、我われ留学生は翌日の新聞紙上で知る。日本からの国際電話で仔細な情報を知るが。どの程度なものかも全然解からない。
日本の情報過多も問題。この国の情報通達も問題。やはり『日本好!』

姚君から電話。土曜日に”華山”に行こうとの誘いだ。「西安に来て華山を見なければ、西安を語る資格無し」西門のマネージャ劉徳意の言葉に発憤した。小姚が計画を語る、「夜出発。日中は足が震えて、とてもじゃないが登れない。夜る中腹のホテルに宿泊し御来光を拝す」 随分、危険な登山になりそうだ。

張敏君から電話。明日夜る、一緒に飯を食いに行こう、との誘いだ。未だ自分の部屋から外への電話が掛けらない。掛け方が解からない。午後ACカードを買った。未だ試していない

  ※全ての馬が平等に生まれるとは限らない。
       二、三頭の馬だけが勝つために生まれるのだ
           -M.トウェイン[1835-1910](米:小説家)-
                                                  9.11.01
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   (12)
 会話練習

午後3時すぎ、李華がノートを小脇に抱えて部屋に入ってきた。日本語スピーチコンテストの原稿を見せる。不自然な個所があえば修改(添削)してほしいと言う。

「自分自身どの個所を直したいのか?・・・・・・先ず朗読して見なさい」
3年級ならまずまずの基準だと思った。只、1段落の文章と最終段落の語句に重複部分があるのが気になる。それを指摘すると、彼女も同じ意見だ。

「君が一番主張したい部分は何処か?・・・・・・・ではここの個所は必要が無い。」

問答が続く、バッサリ切り落とす。
「帰って指導主任に聞きなさい。」

頭は良さそうだが、理屈が多いのは閉口した。
「意味が解かりません」 彼女の口癖。

暫らく休憩に入る。
僕の持ち物に異常に興味をもつ。「これいくらですか?フーン」
学習に来たのか、人の持ち物を点検しに来たのか。
「今日はここまで、来週また・・・・」

1Fへ彼女を送りに降りた。
ここで見知らぬ中国学生が「○○先生ですか?」「そうです、私に何か用ですか?」

ここで私を待ち構えていたらしい。聞けば日本人と会話の練習がしたい。中国の学生は積極的だ。それにしても名前まで調べて来る!管理室前で待っていたのだ。

張敏君が北門に7時に車で来た。ナンバーを教えてくれていたので、すぐ判った。自家用車とは中国も随分と変わったものだ。彼が開口一番、なにが食いたいかと聞く。

「なんでも好いよ、少数民族の街が見たい。料理は口に合うかナ」
「じゃあ、回族の街へ行こう」

南門近くの路上駐車に車を停車。すかさず、駐車係りの”おばさん”が料金を徴収しに来た。鼓楼の下の細い小路を入って行く、回族の露店が珍しい。凄い!の一言。数百㍍縦横回族の露店がならぶ。礼拝堂は男女、違うことを教えてくれる。回族料理店に入る。シシカバブとビールで先ずは乾杯!

この店で彼とボーイの注文の遣り取りを聞く。張敏が「会話が聞いて解かるか?」と聞く。「西安の方言が入って解からない。」張敏との付き合いは長い、彼は旅行会社に勤務。良いポストに配置されている。西安生まれ、西安育ち。西安に来たら必ず彼に連絡し交遊する。

 ”水盆羊肉専門店”がズラーッと並ぶ。一軒の店に入る”水盆羊肉”は直径20cm厚さ3cm位の小麦粉で作った「ナン」風の面物。これを、手でちぎって「盪」(タン)に入れて一緒に食う味は日本人向けだ。漬物と一緒に食べる、この漬物が旨い。持ち帰りたいと余分に注文した

コーヒーを飲みに行こう、彼が案内してくれたのは「徳福巷」の(老樹コーヒー店)その数30軒ずらっと並んだ、コーヒー専門街。客席ほぼ満員、この種の喫茶店は、滞在時間が徹底して長い。みな雑談、トランプに夢中の連中が多い、携帯電話で友人を呼び出す。ウエイターは見て見ぬ態度。いちいち注意しない。ビールとコーヒーを交互に飲む連中が多い。オドロキ!

張之敏はデジタルカメラを出し今日の傑作だ、佛閣写真を見せる。将来のことも考え、スチール撮影の夜間専門学校に入ったと言う。専門雑誌が無いのを嘆く、帰国したら日本から雑誌を送ることを約束し11時過ぎコーヒー店を出る。寮まで送ってもらう。 
                                                  9.12.09
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   (13)
    
    授業料及び部屋代の支払い

◇ここでは、万国共通語は、「中国語」。米国・欧州・アジア・アフリカ人・全て留学生生活は中国語で会話する。当然、中国語が出来ないものは「さみしい」思いをする。

仲良くなると中国語で先ず、自己紹介から始る。職業・年齢・現役か否か、等々。

◇私は極力『日本人ムラ』から離れる。意識的に離れた。「ムラ」では、否応なしに日本語生活になる。食事の時間帯は注意を要す。年齢の多い人ほど日本人の連帯関係を持ちたがる

◇新しいクラスの授業が始った。二日目、驚いた!徐霞が同じクラスに編入して来た。担当教授は、上級で人気 no,1の姚先生が「読写教程」の担任だ。姚先生は私と徐霞に「五班は難しいですか?」と問う。

返答に困った。「少々難しいです」。徐霞はクスッと笑った。姚先生がこのクラスで講義をするとは思わなかった。以後、姚先生の聴講を受ける生徒が多くなって来た。

◇授業は当然ながら、全て中国語で進められる。入門、初級から上級まで中国語で進む。各教科の後に「生詞」の説明は、日本語。又は英語で付してある。日本人は断然有利である。気の毒なのは「韓国留学生」である。然し、日本人以外の留学生の「会話力」は抜群だった。

◇この時期から、日本、韓国以外の留学生が一日一日と多くなってきた。 (欧州・アフリカ)特に、1~3班の初級クラスに多くなってきた。食事の時間になると、食堂は賑やかになった

ベトナムから来た20歳前後の2名の男子留学生は食事に来るのが早い。最初頃の彼等は悲惨だった。中国語で食事の注文が出来ない。老板(女)の言葉が解からない。

◇授業料の支払い。言語進修生。(年間1500ドル・毎学期750ドル)
◇個人部屋の支払い。(この時期、ほとんどの人が単人房間。一日70弗)

 これで、大金を持たずに生活できると思うとホッする。大金が身辺にあると何時も緊張する

◇正門近くの「交大」書店で(現代漢語詞典・修訂本・商務印書館)。40元(日本円・\600ー) 購入。15年前、購入した現代漢語詞典は装丁が悪く、引き破り状態なので、一冊欲しかっ た書籍。これで、予習さえすれば教師との応答にも充分対応できる。

◇午後からMさんと大学差し向けの四年級の女の学生と(興慶公園・青龍寺)を見学に行く

◇6,30分から、南門前、中国料理店に於て日本人8名の合同飲み会。
9月以前から留学している3名の呼びかけで、新米留学生の歓迎会。
世話人はOさん、元M銀行重要ポストを歴任。67歳。孔子の研究をされている。何時も両サイドに男女の中国語達者を従えて、威風堂々といている兵庫県出身の中国歴史愛好家。
                                                  9.13,01
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   (14)
   ラジオカセットの買い物

風邪に似た症状で「咳」は一進一退の状態。朝食時、見るに忍んだのか、同郷の女子大  学生W嬢が自分の部屋に戻り「ルル」3錠を渡してくれる。人の情け・ありがたさを知る。

朝食時、老紳士に「漬物」を差し出した。この「漬物」回民族の料理(水盆羊肉)を食した時に出された物。味つけが、日本の味と全く同じ。ワンパック別注文して寮に持ち帰った。老紳士も喜んで食する。この老紳士ことのほか情報通だ、何処には何々を売っている・・・

「聴力教程」の予習でラジカセを利用をする必要がある。と思い「鐘楼」附近のデパートに 買い物に出かけた。手ごろなラジカセを買う。40元(日本¥600-)老紳士が同行してくれた 後、一緒に「西門」に行く。

専用の「蓋つき茶瓶」を用意してくれていた。少し感激した。これで自分専用の茶瓶で飲め ると思うと嬉しい。

今日、この売店少々暇だ。一同12,3人雑談する。その内の女服務員がクスクスと笑っている。老紳士がコクリコクリと居眠り、2,3分してパッチリ目を開ける。同じことを2度3度。

最初に親しくなった黄嘉が飯を食いに行こうと言う。老紳士と3人、近所の食堂で食事をする

 量が多すぎる、3分の1が残る。黄嘉は私たちの食うのをじっと見ている。精算は黄嘉がすると言う。中国ではワリカンの習慣がない。「悪いナ」と思いながら小黄に任せた。彼には、彼なりの考があったのだ。後で気が付く。

西門に戻ると、日本人旅行の一団体が来た、服務員たちはサッと各自分のエリアに戻る。邯改茹(32歳・女児3歳の母親)が「片ことの日本語」で日本人男性客に薦める。

 『バイアグラ・入りませんか、日本より安いヨ、3000円ヨ』 日本人旅行客は照れくさそうに 『相手がいねえじゃ、どうしょうもない』 お得意の日本株式会社農協団体ご一行様だ。

『じゃー、この掛け軸どォー?』
日本人の団体が来るごとに邯改茹は売り込む。日本人客が買ったのを見たことが無い。

  ※大文字ばかりで印刷された書物は読みにくい。
       日曜日ばかりの人生もそれと同じだ
             J.パウル[1763-1825](独:作家)
                                                 9.14.01
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   (15)
   不可靠!這个男子漢!                                

9,00時正門の前で小姚と彼の後輩、西安外語学院日本語科3年級の小姐と遇う。名前は韓と言う。ポニーテールのよく似合う女の子。宝鶏市の出身、中国語の練習になる。

西安バスセンターに行き、高速バスに乗車する。先ず『釣魚台』を目指す、途中の田舎道からタクシーで釣魚台へ。「来たなー」と言う実感がある、既に12時はとっくに過ぎている。

昼食後、釣魚台を見学。 { 烏亀胆子里挿鶏毛・・・・・・・亀心似箭  }
石画面の図。 『歇后語』が興味をかき立てる。上に登ると僧侶の住居があり、一人の僧が①南極仙翁。②土神豺。③姜子牙。の故事を説明してくれた。

ホロ付き三輪車。一人、2元。15分で元の道路まで出る、マイクロバスに乗車し高速バス集約所へ、途中このバス2回も故障。小韓がいて随分助かる。蔡家坡客運站着、地図を見ると「五丈原」までは以外と近い。渭水河大橋(840m)を4度も行きつ戻りつした。

諸葛孔明廟」を見学して元の道路に出た。小姚は運転席の隣り、私と小韓は後部席。運転手は小姚に言う、「俺の言うことが解かっていないじゃないか」小姚は「君の言葉は理解できるョ」中国人と雖も姚澤は黒龍江省出身、この地方の方言は理解し難い。

タクシーの運転手は最初から、小姚を”ナメ”きっていた。精算でひと悶着が起きた。黙って、おとなしくて可愛い小韓が急に出て行った。啖呵を斬った。一件落着。中国の女性は強い男は弱い。

「交大」の留学生寮を見たいと言う小韓。正門から徒歩、途中「まだァッー」を3回。15分してやっと到着。Mさんを部屋に呼ぶ、、Mさん一週間帰国を延期して「敦煌一人旅」のことは小姚に伝えていた。小姚は連絡が無いからそのままにしていたと言う。

「不可靠!這个男子漢!」 口から吐き出した私の言葉に、
小韓は私の「電子ブックTMプレ-ヤー」を止めてニコッと笑う。

Mさんと小姚の会話中、電話のことで小韓にアドバイスを求めた。「300カードはキャンパス向けです、201カードでなきゃダメです」と自分のカードを見せてくれた。

Mさんの飛行機搭乗券は明日、買うことで落ち着いた。
                                                 9.15.01
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   (16)
   携帯電話をスリに盗まれたと言う

9.00時の約束が9.40分。北門(興慶公園前)に小姚が見知らぬ人のバイクの後ろ座席に乗って来た バイク運転手も、バイト稼ぎだ。いろんなバイト稼業があるものだと感心した。

小姚どうも元気がない。携帯電話をスリに盗まれたと言う。窓際に置いていたら、朝なくなっていた。自分に関する資料が全部なくなってたと青い顔をしている。 ドジな奴だ!とは思ったが、可哀相だ。会社からの連絡も取れないと言う。

「どうする!」
「友人に相談してみる、できればお金を借りて中古の携帯電話を買う」と言う。」 とMさんが、「盗難届けを出したら、どうなんだ」 「・・・・・・・・・・」  反応ナシは解かるが。

西北航空支社へ3人で行き小姚が手続づきを終えて来た。敦煌往復切符3470元。高い!Mさんも考えた。私が小姚を紹介した手前、困惑した。「こんなに高いとは思はなかった。」Mさんは然し、最初から敦煌に行く積りでいるいた。切符の手配をした。

小姚が「朝食をしていない」と言う。タクシーで全日空ホテルに行く。小姚にはパンを別注文して、残りは持ち帰る。コーヒー代共、3人 165元。高いコーヒーだ!と思った。しかもここのウェイトレスの勤務態度が好くない。昔の中国の服務員を思い出し不愉快だった。

2時半、西安外語学院へ小韓を迎えにタクシーを走らせた。西安外語学院南門で小韓を乗せ趙賢林・中国美術学院教授宅に向う。大学の住宅21F最上階の立派な家に住んでいた。

一通りの挨拶が終り、奥様がテラスに案内してくれた。花壇に花が咲き乱れている。ご夫婦の日課が花壇の手入れと聞き、趙頴さんの生い立ちが窺えた。
21Fからの眺望も素晴らしく、大雁塔も悠然と靄の中に立ち尽くしていた。

趙頴さんは日本在住。京都の大学留学後、デザイナーの仕事で子供(2歳の男児)を中国に残し、今は四国・香川県。夫は東京ー北京。と家族が離ればなれの生活をしている。

「十月一日の国慶節には是非一緒に食事をしましょう。娘婿も西安に帰ります」と、ご夫婦の言葉を、聞きながら小韓と二人で別れを告げた。
                                                  9.16.01
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   (17)
    日本からの留学生は「日本語練習臺」 
                                               9.17.01
咽喉の調子が好くない。咳が出だした、日本から持って来た薬も少なくなってきた。授業中、咳き込む、すぐ喉アメを口に入れてその場をしのぐ。

今日は正門西の「西安交通大学郵便局」に行き、手紙を出す。日本まで1通が5,4元。 ここでの食事1回分。かなりの高値に少々驚きである。「西門」行き、は体調不良で中止。

Mさんは明日早朝 「敦煌の旅」に行く、早朝の起飛のため空港の近くに宿泊する、と言い、リムジンバス発着場に出かける、時間まで回民族街を散策すると言い出かけた。

午後、部屋で明日の「聴力教程」の予習をする。と、ドアをノックする。2人の学生が立っている、「お願いがあるんです、」中にいれて事情を聞く、案の定、「日本語会話」のことだった。

1人は浙江省出身、1人は陜西省咸陽市出身の日本語科2年生女子学生だ。私は現在、時間的に無理だから誰かを紹介することで「ご帰還願った」。あとで解かったことは、ここの日本留学生名簿を調べ、留学生全員のところに行っていた。

日本からの留学生は「日本語練習臺」の標的だったわけだ。
今年に限らず新学期に入ると恒例になっていたらしい。

その例が、李華だった。クラスno1の成績の持ち主だけあり頭はよく切れる。「昨年1年間、ある日本人女子留学生との交流1年でその日本人留学生は中国語が中国人と同じようなレベルにった。」彼女は自分の「能干」であることをアピールすることも忘れない。
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                                               9/17/2001
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  (18)
  カセット・テープのダビング

留学生執務室で「聴力教程・4班」用のカセットテープ(6本)の購入を申し出ると、「みなさんダビングをしていますョ」 図書館側の売店でダビングをしてくれる、と言う。早速、原版のテープを借りる。但し、12.00~2.30分は休館。

授業終了間際に”徐霞”が留学生執務室でテープの件を聞きつけ 「一緒に図書室に行きダビングをお願いしたい」 と言う。2.30分、留学生寮前で落ち合う約束をする。

2.30分、ジャスト、徐霞が来た。「テープは図書室で用意してくれる」、と徐霞は下調べ済みだった。2人分申し込みをして、明日、又2.30分に落ち合い取りに行く約束をして分かれる。

久しぶりに7路で老紳士と西門城楼工芸品商店に行く。驚いた、街行く人々の様相が一変している。服装が冬支度だ中には上衣を着ている。西安は夏から秋がアッと言う間に過ぎる。体が冷えて寒気がする。小劉がジャンバーを取り出して来た。一週間も借りる結果となった。

「西門城楼工芸品商店」で絵画の教材にと、小さな「俑」をマネージャー劉徳意の奥さん姜怡玲に撰んでもらう。「彼女へプレゼント?」女性の感性の鋭さは中国でも同じだ。四個買った。「仕入れ価格よ」と包装紙に包む。45元。姜怡玲の接客態度は日本人と変わらない。

日本人の旅行団体は相変わらず多い。然し、買い物客は少ないと服務員たちは嘆いていた小邯は相も変わらず、日本人観光客に、しつこく例の品物を勧めている。

寮で2人の中国学生に日本語会話を教えていると言うと、目のクリッした”呉碧華”が、「明日、寮に行っても好い?」と言う 寮生活を見たいらしい。来る時は電話をするようにと伝え、老紳士とバス停に向う。

寮に帰り何時ものように、テレビのスイッチON。「侵華日軍罪行」9・18。細菌などで旧日本軍が侵略と堂々と放映している。今日は9・18。呪うべき記念日だと言う。一瞬目を疑う。

特に東北三省(南開大学を中心)を放送している。旧日軍残虐行為に目を向けさせる。お決まりは「法輪功」が無慈悲で終る。

※道はよいこともあり、悪いこともあり、上りもあれば下りもあります。
安らかなことは滅多にありません。風はいつも後から吹くわけじゃなし、
道で会うのがすべて友人であるわけでもない。
今までにも名だたる難儀に出会ったし、今後どんな目にあうか、
分ったものじゃない。
けれど要するに、善人は悩まねばならぬと昔から言われていることは、
本当だと悟りましたわい。
        J.バニヤン[1628-88](英:作家):天路歴程-
                                                9/18/2001
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   (19)
   舞い上がった天子 (1)

朝からシトシトと雨が降る。今日は授業を休んだ。咳が出るので欠席した。昼食時、食堂で老紳士と出会う。風邪薬を頂く。この老紳士と暫し会話する。僕とふた周り違う年齢。健康だ!

老紳士曰く・1年前、お決まりの中国旅行ツアーで西安に来た。西安賓館ホテルに宿泊して観光コースを回る。西安賓館ホテルに帰り夜る食後、ロビーの売店でショッピング。ある売店でカタコトの日本語で通話した。その中国女性に一目惚れ、以後日本語を教えた。

今年3月、この老紳士は又、中国旅行にやって来た。興慶公園を参觀後ガイドが、”ここが有名な西安交通大学です。高齢の方も留学されています。”老紳士は見学を希望したい旨を伝え、留学生楼に出向き、O氏を紹介された。

O氏、元M銀行定年後、この大学に語学留学して優雅な生活を送っている。O氏が老紳士にこの大学に留学を勧めた。老紳士は宿泊先で彼女と再会し求婚したと言う。舞い上がっている老紳士に”奥さんとちゃんと別れて、いらっしゃい。”この一言が彼をさらに舞い上がらせた 世の中、冗談を理解する人間、理解出来ない人間がいる。

     ・・・・  ・・・・  ◇    ・・・・  ◇   ・・・・  ◇     ・・・・
私は杜甫より李白がすきだ。詩の良否は解からない。真面目すぎる杜甫より、李白がすきだ李白には人間味を感じる。青年時代の李白の漢詩に垣間見る。八方破れの人生が好きだ。
      …・・・  ・・・・       ・・・     ・・・・・     ・・・・

老紳士は言う。『家内は男になったんだ。性格が変わったんだ。 』

(家族の人達はどうなんですか?)
『息子夫婦も家内の面倒を見ようともしない』
(女性は一時期、肉体と共に精神的な病に罹ると言います。専門家の医者に見てもらうとか)『勧めてみたが、ダメなんだ。』

1.00李華が来る。2.00会話練習を終る。
3.30呉碧華から電話、「友達を連れて今から行きます。同業です支社に勤務しています」

正門で待つ。5分後、バスから降りて来た。管理所兼守衛所で身分証明書を預ける。サインをする。呉碧華の友人は17歳。身分証明書が無いと言う。40歳位の女服務員が言う。

”今日はいい、今度から持って来なさい!”
女服務員、眼鏡を鼻の下までずらし、小声で私に”街で知り合ったの?” 
「バカッー」と叫びたかった。中年の女はすぐ変な勘ぐりをする。

小呉は、お土産だと言って ”月餅”を持参して来た。
 「10月1日の”賞月”をこの寮の庭でしましょう、沢山の学生を集めて下さい。おしゃべりしながら、月見をしましょう」と言う。

小呉と一緒にきた17歳の劉敏はママに餃子を作ってもらって来る。と言う。劉敏が自分の日本語ノートを見せる。「あ」が「阿」。「い」が「衣」。「う」が「宇」。日本語の勉強経験が無い彼女は自分なりの言葉を考え必死で日本語を学習している。

日本には、「あ」「い」「う」「え」「お」と言う、平仮名があることを教え、ノートに「ひらがな」付き中国語発音を書いて渡した。小呉は私と小劉の遣り取りをチラッ・チラッと見ながら「電子ブックTMプレーヤー」日本語探索で学習しながら、中国の女性歌手で誰が好き?と言う。

    ※夫婦というものは、どこか親子だよ。
        時には亭主が父親のつもりになったり、
            時には細君が母親のつもりになったり、
                 それでないとうまくゆかない。
                              -川端康成[1899-1972](小説家):
                                              9/19/2001
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  (20)
   頑張る学生たち

2.3日まえから、テレビで薬害が大きく報道されている。「×××KO」なる投薬で、死亡者が出た。国家機関が許可している薬だ。病院での被害者の姿は悲惨だ。

漢方薬大国と言えども「西葯」は要注意。今日、薬局に行き「風邪薬」購入は中止と決めた。

西安は秋の訪れが早い。「朝起きたら冬だった」の表現がピタッとする。今、上着を着ている人。セーターを着ている人。コートを着ている人で溢れている。一日にして変わる。一週間前までは「汗」で着替えが激しかった。今、街行く人々は申し合わせたように一斉に冬着だ。

今朝はジャンバーを着て授業に出た。後席の徐霞嬢が「風邪は好くなった?」と尋ねて来た。 犬を食う習慣がある朝鮮族は好きではないが、偏見は徐々に払拭されてきた、不思議だ。 クジラを食う日本人はドウなんだ!と言われれば二の句もつけないが。世界は広い。

午後、3.00~4.00。杜娟が口語練習で来た。誰に紹介しても面倒を見る人がいない。結局私が教えることになった。彼女に電話カード201を聞いて、カードの学内販売所に一緒に行き買う、30元。電話は解決した。然しなぜ留学生管理室で販売しないのか不思議な一件だ。

子供っぽさが残る杜娟が、夜になると「胃」が痛む、「吐き気」がするので大学内の病院に通院している、薬を取りに行くと言う。後日参考にと一緒に大学病院に行く、学生寮と段違い清楚にして完備、完璧。一般病院顔負けの清潔さには驚いた。

小杜は成績が好くないことを気にしている。成績はクラス17人中、下の方だと言う。(精神的ストレス)と見た。なぜこの大学を選んだのか聞いてみた。この大学は理工系で色々勉強が出来る。将来、政府・企業に就職するのに有利である、自分も納得して撰んだ大学だと言う

中国には日本の学校ようにクラブ活動が無い。小韓。小杜。小李、みな中高時代「おしゃべり」以外する物が無いから勉強をしていたと言う。本人にとって幸せ?日本人には理解し難い。日本以上に学歴社会が存在する。中国は今、リストラ社会だ。50歳にして解雇もザラにある大学教授が夜るアルバイトに精を出すのも日常茶飯事のこの国。日本だけではない。

この日記を整理している現在帰国後、在日中国留学生に口語練習をしている。 閑話休題。メールを開いてみた。重慶師範大学卒業後日本に留学に来ている一人。中国留学生はみなケイタイをもっている。8.00~15.00まで大学で授業。5.00~24.00まで毎日バイトで頑張っている。
   「先生。こんにちは、何をしているの?私は今授業中、面白くない、眠たい。趙佳です。」   私はRe・・・・で返した。
   「昼 眠るとバカになる
   寝るのは夜にしなさい今週は急用で、授業は休みます」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  返信
   「分かりました。また、来週!ちょうか」

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                                              9.20.01

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  (21)
  学生証ができた

朝食に行く、7.30’開店既にベトナムの若者が来ている。彼等は何時も遠慮がちに片隅で食事をする。朝食は食事のメニューが決まっている。カウンターの大鍋に”朝粥”。”野菜を中心とした簡単な品”が大皿に2品。”マントウ”。”目だま焼き”。 〆て3~4元。

ベトナムの彼等にとって朝食は”メニュー”出来上がり。一番樂に食事ができる時だ。早い!韓国の李さんは何時も陽気だ、顔を合わすと、”飯を食ったか?””どこへ行く”が定番の質問 今朝、私の”箸箱”を見て気になるらしい。漆塗りの箸箱を手に取り暫らくながめている。

”箸箱”持参は苦い経験からだ。中国に来る時は私の必要品。
十数年前、中国旅行の際だった。当時は不衛生極まりない”屋台”で食べ歩くのが楽しみだった。帰国後即、約1ヶ月病院に入院。”急性B型肝炎”。 以後”箸”には異常に気を使う。

「李」さん、「この箸箱の余分は無いか?」と言う。
「残念ながら一つしか持って来ていない」韓国にはこの種の物は無いと言う。以来、李さん食事で顔を合わすと、この漆塗り箸箱をシゲシゲとながめている。

今日、”学生証”が出来た。執務室に出向き受け取る。
久しぶりに学生に戻った気分である。博物館など入館の際は半額料金になると言う。長期国内旅行には”学生割引”もある。

「西門」に行く。例によって7路車、2元の”空調設備”車を待つが中仲来ない。1元の7路車に乗車、1元車は”ワンマンカー”。中国のバス乗車法は前から、降りる時は後から、が基本1元車には運転席の側に料金箱が供えられて、そこに料金1元を入れて乗車する。

何時も1元、2元の小銭をポケットに持参と言うことになる。1元のバス乗客と2元バスの乗客には違いがある。1元のバスは何時も”混み合っている” 当然”スリ”には気をつける。

中国朋友が何時も注意して言う。[ズボンの後ろポケットに財布を入れるな。ズボンの後ろポケットに財布を入れるのは日本人ぐらのものだ。]

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           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  (22)
  『タクシーのナンバーを書き控える』⇒公安局通報。

朝食に留学生食堂4Fに行くと休業。前もっての、知らせも無く休業、宿舎前の一般学生食堂に出向く。この時間帯、多くの生徒でゴッタ返す。「マントウ」と「湯でタマゴ」3個。 3元5角。「敦煌の旅」から帰って来たMさんと西門城楼工芸品店に行く。明日、帰国のMさんは45元で記念品を購入。12.00’近く、劉さんに昼食を誘われ、5名で「徳福巷」までタクシーに乗車。

昼食後、回民族集約地をMさんと散策、筆墨セット「200元」を「55元」で買う。実態価格はどうなのか?頭を傾げる。品物の購入は自分の価値判断で購入を判断するしかない。

徒歩で鐘楼~地下道を通り大開百貨店へ、冬物持参せず中国に来たのでジャンバーを買うMさん滞在最後の日というので一緒に夕食しながら、敦煌の旅話。「西北航空公司リムジン発着場に到着した時、既に発車した後、タクシー運転手の呼び込みに乗じて乗車。

これが 『運が悪く』2.3百㍍走ると、この運転手、別の中型タクシーに乗り代えてくれと言う。中国語がまだ充分話せないMさん、言われるまま乗車して空港着。お決まりの高額請求。」

このような場面に遭遇した時は『タクシーのナンバーを書き控える』⇒公安局通報。自分で通報出来なければ留学生なら、学校当局へ、又は日本領事館へ申し出る。(後述)

Mさんは元英語の教師。その後の敦煌一人旅は得意の英語会話で順調。一週間後、西安ご帰還となった。Mさんは退職後、自由気ままな世界旅行を満喫していらっしゃる。

来年は「生まれ故郷の北京で語学留学を目指して」中国語の学習に余念がない。

 ※共産主義は、人間は自分で自分を律することができないほど、
   弱くて無能だという心情に基づいている。
   それゆえ、強い管理者の統制を必要としているのだ
   -H.S.トルーマン[1884-1972](米:33代大統
                                                  9.22.01
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   (23)
    手荷物の保管制度

待てども、待てども、小韓から電話がかかって来ない。乾陵行きはダメだと思い、西門に行く 「鐘楼」で下車して「世紀金花商店」で日本製・牒屋の「ウメッシュ」を見つけ買う。148元。

西安のスーパーで買い物をする時、何時も感心する事は、大小を問わず、店内に入ると必ず手荷物を保管させる。店内カウンターに保管して「キー」を預かる。店内は手荷物で入店禁止が徹底している。理由はいろいろあると思うが、好い方法だと思う。

「西門」で口語指導の前、何時もの例で、「自分が解明できない」問題を提起してもらう。

一般的に中国人に難しいのは、初歩の段階では、自動詞、他動詞の類だろう。今日もかなりの時間を割く。「開ける」「開けた」。「消す」「消した」。中国語で説明するのに時間がかかる。

面白い男がいる。いつも威張った態度だ。
◇「君の給料と奥さんの給料と、どちらが多い?」と私が尋ねると
◆「女房の方が多い」
◇「尻に敷かれて、いるんだろう?」 意味が解からないらしい。
◇「家庭では奥さんが強いのだろう?」
◆「そうでもない!日本では男が強いと聞きますが、中国語で何と言いますか?」
◇「亭主関白」 
◆「中国語で”なんと言いますか?”」 こちらのペースに引き込み話題を進める。
◇「大男子主義。と言う」 すると傍から日本留学5年の盧が口を挿む。
◆「さだまさし、今もいますか?♪♪オレより早く起きろ。♪♪オレより早く寝るな・・・・・・・」 中国では日本男児が羨ましいらしい。みんな日本人は強いと思っている。

帰りは”老紳士”と、バスに乗車。乗車するや否や「コクリ、コクリ」2つ目のバス停で目を醒ます。又同じことの繰り返し。この老紳士、一人で乗車しても「コクリ、コクリ」 乗り越ししては、乗り換えて、ご帰還。無事で帰って来るのが不思議だ。

”興慶公園バス停”と車内のアナウンスで初めて気が付き。ご下車!と相成る。宿舎まで歩きながらの会話。

”小姜に保険証書を預けたんだ、何か「在った」時は此れで解決するようにとネ”

◇お金も、ですか?
 ”ウン”少々だ!明日、小姜と一緒に銀行に行く”
老紳士。かなりの重症だ。
 
 ※ 人生では何にでも値段が付いている。
       それだけの価値があるものなのかどうか、
           判断できるようにならなくてはいけない
                サム・ナン(米:ジョージア州出身上院議員)
                                                  9.23.01
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  (24)
  交大医院処置単

授業を休むことにした。咳がひどい、朝食後「西安交通大学医院」に行き診断した「交大医院処置単」には 「胸透」 午後再度来診するようにと言う、日本と勝手が違い、まごついた。

”冗談じゃない、レントゲン透視なんか必要ない”唯の風邪だ。咳クスリさえ有れば!止めた

ベットに横になる。安静が一番。眠りについて大分樂になる。王教授から電話。「明日、日本語の件で打ち合わせをしたい」、とのこと。時間を決める。

夕食前、学生超市場(スーパー)へ行き、長袖の着替えを、50元。途中、食事売り場で”ザーツァイ”を3袋買う。学生食堂で老紳士と会う。タクアンとザーツァイを持って来ていた。”ご飯”を飯盒に入れて貰っている、朝、豆腐を買って食べると言う。老紳士と一緒に食事をする。

日本から来ている女子大生が「海苔」と「フリカケ」の差し入れ。彼女達も結構、食事には、気を使っている。ヨーロッパの留学生が一団となって入って来た。最近は留学生も各国から多種多勢になった

小周から ”国慶節には何処か旅に出かけませんか”と電話。有給休暇を取り約20日間位は休める、と言う。彼女の希望は ”雲南省でリフレッシュしたい。” 早速、張敏に電話する折り返し,「今、日本の旅行団体を四川省九寨溝に行く途中だ、本社に連絡を執る”旨の電話

電話番号を小周に知らせ、後は小周と張敏で計画を進める。国慶節の終盤(10月6~)なら割安の”雲南省方面のツアー”があると言う。

                                                 9.24.01
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  (25)
   ズボンの後バネの汚れ

王教授から時間変更の知らせ。やむを得ず、2.30''正門前の交大郵便局へ手紙を出しに行く以前は無愛想だった中年女服務員も顔見知りとなり、「好了!」然し、日本のようでは無い。校外前の中国銀行へ人民元の交換。3万円の両替が2.059.47ー。

部屋で予習中、突然、黒龍省出身の李華が来る。来る日時が違う!慌てて、口語練習。彼女、最近は些か、おとなしく人の言うことを聞く態度が好い。こちらも、気合が入る。  来週は「国慶節」に入るので10.10から開始にすると伝え、4,30で終る。

ズボンの後バネの汚れがスゴイ!一本だけ洗う。こちらの人は一般。学生。女性を問わず、ズボンの後バネの汚れは平気で歩く。大様と言うか、神経が太い、と言うのか。豪快でもある

夕食時、韓国留学生の金さんに会う。相変わらず陽気だ、彼の中国語も聞くに堪える状態だが、「着」が「ジヨウゥ」は、うっかりすると????となる。真面目な彼は何時も”英語新聞”を読みながら食事をする。

金さん国慶節には「三峡下り」の旅行に出かける計画を話す。30人の団体。6日間の旅。すでに”報名”したと楽しそうに言う。

                                                  9.25.01
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  (26)
   日本食店「理恵」に行く

夕べ、小周から旅行の事で昼食を一緒に食べようと誘いがあり、第2時限目を休講(聴力教程)。聴講に些か不満材料があり、即OK。11.30''去全日空飯店動身。

”日本食が食べたい!”、と言うと、西安市南新街10号2Fの「恵理」に行こうと言う。久しぶりの寿司・天婦羅・刺身・日本酒・自分が留学の身を忘れて食する。一共\300元余り 東大街を散歩後、”世紀金花商店”で小周は今夜の食事用にと生活用品を買う。

地下1Fのコーヒーショップで”昆明旅行”に就いて打ち合わせをして 6.30''学生寮到着。

夕食で老紳士と会う。曰く、「ボクは思うんだ、こんな好い人生が送れるなんて、夢のようだ」さらに続けて 「姜さんが居るから、西安に来んだ。彼女が居なかったら、こんなところなんかにゃ来やぁしないよ」 とノタマウ。 かなりの重症は続いているようだ。

最後に 「最近、君が西門に姿を見せないので皆なが待っているよ」。

 ※人生には二つの悲劇がある。
        欲するものが得られないことと、それが得られること
                     -O.ワイルド[1854-1900](英:劇作家)-

                                                  9.26.01
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  (27)
  国慶節には、母が家い来るように言っています

「聴力教程」日本でもお馴染み・LLでの聴講。教師の操作方法に問題アリ。頭出し、がスムースに行かない。ガチャン!ガチャン!テープが前に行ったり後に行ったり。精神的によくない。何故 リピート方式を採用しないのか? 遅れてる!と言いようが無い。

問答の時。先生は言う。「好いです。好いです。」 (どうでも好いです、に感じとってしまう)

一声~4声がバラバラの生徒には、それなりの指導があって然るべき。然し、お構い無し。一般的に、日本人留学生の発音はNO1の部類に入る。然し、発言しない。答えが判っていても発言しない。教師は嘆く 「日本人は答えが判っていても、黙っている」

上級クラスで 「知」など多くの簡単な「漢字」を中国語で読めない外国人に出会ってオドロキを通り越して「何ジャ? コリャー?」。然し、おしゃべりタイムはバッチリ。会話能力は抜群!特に、米国人、ヨーロッパ人の中国語の発音は要注意が多かった。

昼食後、小韓から電話。国慶節には「宝鶏市」に帰る。家にいるから電話してほしいと言う。 「家の電話は手帳に書いたでしょ」と言う。解からん。(後で心配事が起きる)

小杜が4.00''に口語練習に来る。明日、1.00''ごろ、風邪薬を少し分けてもらう。部屋に持って来ると言う。小杜も国慶節には里帰りをすると言う。「先生、咸陽に来てください」うれしいが行けない。

 周華から電話。6-12日予約が取れた。2.780元。一人部屋500元のプラス。と連絡がある。明日、換金して全日空ホテルに持って行く予定。

夕方、散歩に出る。売店で封筒とシャンプーを買う。久しぶりに頭を洗う。
夜、小周から電話。「国慶節には、母が家い来るように言っています」。
                                                  9.26.01
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             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  (28)
   運転手、盛んに同胞!同胞!と言う

執務室の隣に「留学生の掲示板」を見て一日のスケジュールが立てられる。29日、30日。補習授業がある、と通達してある。出席の予定。1日、2日と国慶節の休日の繰り上げ日と予想される。

小杜が風邪薬を持って来る。感謝して受け取る。後、ネットカフェに行く。日本の自分宛ての メールを確認する。小杜が自分のメールアドレスを手帳に記す。日本に帰ったらメールで日本語の添削をしてほしいと言う。

銀行に行き、5万円、人民元に替えて西安長堡大酒店で小周に会い、2800元、旅費代として渡す。詳しい旅行内容は後日連絡で別れる。学校から西安長堡大酒店、タクシー10元。

タクシーで西門へ10元。工事中で裏道路をガタゴトガタゴト、今日も運転手が話し掛けてくる

基本的には事実を言う。然し、時と場合には適当にアシラウ。「寒窰」では日本の華僑。襄王の墓地では広東人。で通用した。何故か?日本人と聞けば、うるさく、何時も定番の質問攻めに会う。今日は台湾から来た。運転手盛んに同胞!同胞!と言う。今日も人間が変る。

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中国の西安での留学、お疲れさまです。
埃っぽいの西安ですが、名所旧跡が多いことで、中国文化好きな石先生にとっては、一大満足ではないかと思います。
もしそのような余裕があれば、ご希望の中国の各地へ一ヶ月くらいずつ留学されたていかがでしょうか。
必要と思われるならば、こちらの四川外大の留学資料をお送りします。いつでもいいから、その時、お教えください。
最近、重慶市の通訳として円借款の打ち合わせに出ました。総額3500万ドルの借款を重慶の十箇所の大学にまわされる予定です。うちの大学は300万ドルの借款を得て、それをすべて教育設備の購入に決まり、日本の国際協力銀行の審査を通しました。それは実現できるなら、学校の教育設備が質的な飛躍が期待できると思います。今のLL教室はまだ前世紀80年代の設備を使われていますが。学生にそのことを伝えたら、皆が大喜びでした。納税人の一人として石先生にも感謝しなければなりません。
今度はこの辺で失礼します。また書きます。
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重慶の朋友からのメール。LL聴講は西安交通大学に限らず厳しいらしい。
                                                  9.28.01
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  (29)
   迷路了   

『国慶節・”11黄金周”』とテレビは大々的に報道している。
今日は補習授業と聞いて教室に出向く、生徒の真面目不真面目さが分かる。途中欠場、部屋に帰りベットの中でウツラウツラとしていた。

やっと風邪も快方に向う、風邪は後で解かったことは、原因は大気汚染による気管支炎。

老紳士に風邪薬を頂いた、この風邪薬、咳止めがピタリと効き目があった。老紳士に感謝!昼食後、近所の学生スーパーに出かけスポーツシャツとジャンバーを120元で買う。雲南旅行と小周の家庭訪問もあるので一枚買い増した。

夕方、南門に集合。 6.30分から近所の飯店で 「国慶節留学生パーティー」が開催される。王教授と趙先生の隣席を給わり会話も弾み、出席して良かった。アジア系と米・ヨーロッパ系が分かれた席順。趙先生の説明では留学生120名位。

王教授の元へ日本人留学生が挨拶に来た。本科生の留学生男女2名、さすが聡明そうだ。顔つきが全然違う。王教授が言うには 「彼等の中国語は中国人並だ!」

 老紳士は学校から「居住の件」で230元、余分に請求され、明日からの休日前に支払いが必要との事で、劉・姜夫妻のアルバイト先の西安賓館に銭を借りに行った。

帰りは王教授と台湾からの留学生と飯店を後にした。
王教授は途中から分かれ、台湾の女子留学生(朱華)さんと宿舎へ、朱華・台湾女子留学生は一見、天海祐希に似た感じの女の子。道中、彼女の携帯に再三電話が掛り忙しい。

普通話も綺麗だ、父親の仕事の関係で西安に留学と言う、本科生2年級。行きは20分。帰りは徒歩30分、中国語に夢中で、お陰で”迷路了”ひたすら朱華に詫びた。 寮が同じ○○階。部屋が斜め前とは・・・・・。 一時間余の外国語での会話は ツカレタ!。                                                                      9.29.01
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  (30)
   今度来た時には『窰洞』に連れて行ってあげる!

11.00に「金花」で小周と、落ち合う約束。その前に地下1Fの果物店で「リンゴ・化粧箱入り」を35元で買う。地下路を通り抜け鐘楼前、日本企業三菱系のビル4Fの事務所に伺う。

知的で清楚な雰囲気が漂う40歳代の女性。私は日常生活に垣間見る知的感覚を持つ中国の女性が好きだ。①肌が小麦色②化粧品の臭いがしない③スッピン。等、中国女性好感度に入る。周華のお姉さんに初対面の挨拶を終え3人でタクシーに乗車し周家に向う。

 今朝・青島の出張から帰西した。このキャリアウーマンは少し早口の標準語で妹の小周に青島の状況を話す。西安の街は国慶節の初日から人が溢れている。”おのぼりさん”も多い

年代が係った古い中国式の住宅ビル6Fに、ご両親・家族は私を迎えてくれた。明日は家族全員が集る。その前日に私を歓迎する段取りだったらしい。小周のご主人は、一人で料理作りに忙しい。ご両親は中国語が話せる日本人が来たと言い機嫌が良い。

小周が私に囁いた 『外国人を始めて見る。と「保姆」が待っていたのょ』 カーテンの陰から保姆が顔を出した。 キョトンとした表情で 『中国人と同じ顔している!』

純朴で田舎のおねえちゃん「保姆」は16歳。山西省の出身。彼女曰く、「田舎の実家附近には『窰洞』がある。今度来た時にはヤオトンに連れて行ってあげる!」ウレシク拝聴した。

ご両親は1歳半ばかりの孫が可愛くて、可愛くて、孫の一挙手一動に目を細めて、 私に聞く「誰に似ていると思う?」
「おじいちゃんに似ていると思います」 おじいちゃん。又、私にビールを進める。小周のご主人は私たちの料理作りのため、一緒に食事をしなかったのが心残りだった。

小周は私に言う。”母親の「女は35歳までに子供を産みなさい」 両親の薦めもあり・・・・・。 「三高」でない人。何時別れもいい人。”
私は心の中でつぶやいた。それでは主人が可哀相だよ周華!

 ※一生涯一人の男なりを愛するということ、
   それは一本のローソクが生涯燃えるということと同じです
       -L.N.トルストイ[1828-1910](露:小説家.思想家)-                                                     9.30.01
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