中国歴史紀行 
     三星堆遺跡 ★

三星堆は中国四川省成都市から30q広漢市にある。成都市と30キロ離れた広漢市に発掘された三星堆遺跡。最初発見したのは1931年だったが、学者たちの数十年の努力によって、今遺跡の面積は12km2、そのうち古城城址の面積は3km2と判断された。1986年には大量の金器、青銅器、玉器、陶器、象牙など文物が発掘され、世界的な話題となった。この「三星堆遺跡」の出土品を公開するために、博物館を建てられ、出土品の一部は海外にも巡回展示されている.

汽車では重慶・成都・徳陽・綿陽・広元・宝鶏・西安と続く。私は交通費,食費,,入場料は私が負担する条件を提示し最終的男女2名は四川外国語学院日本語科の生徒。成都出身の学生二人に決めた。方言も理解できる,宿泊,交通手段に便宜を図って戴く。この3点を尤も重視した。


成都〜三星堆まで1,30時。三星堆博物館に到着。入場料は30元,但し我々は学割を利用し入場券C巻。副巻@副巻Aの三カ所参観した。正式には「古蜀文化三星堆」と銘打っていた。簡介に曰く;三星は天下の謎!“沈睡すること数千年,一たび眠りから醒め天下を驚かす,神奇な三星堆,数千年前の古蜀の国は燦爛として文化と芸術珍品が緊密に相連る。青銅は遠望する面具,青銅は天に通ずる神樹,青銅は大なる立人,玉璋,神壇,金杖等に及んで,一件一件三千年より幾多年前の精妙絶倫の青銅器を出す,世人をして驚嘆させ,世界にセンセーションを巻き起こす・・・・・・・・」”。

                         
                                                   
展示場面積は4,000m2もあり、千点以上の展示物がある。中でも注目されるのは、目の飛び出したような独特な造形の仮面「青銅縦目面具」や、高さ3.95mもある「青銅神樹」、2.62mの「青銅立人像」など。その他高度な技術によって製作されたものが多数展示されている。これらは黄河文明とは明らかに異なっており、殷末ごろに長江上流域で発達した文明の遺産とも推定されている。館内の売店で写真集、絵葉書、青銅器像のミニチュアのレプリカが買える。

日本語説明員。通訳100元,中国語通訳50元。三星堆遺跡分布面積は,約12平方km。遺跡の東,西,南三面に長さ1800m,高さ2〜10mの土壌壁があり,城内の面積は約3〜4平方q。三星堆遺跡の土出物は,少数は中原地区の文化要素を持っている,大多数の器物は本地の特長を持ち,地方土着文化の風格を備えている

1929年,広漢市西方約7qn南興鎮真武村月亮湾の燕道誠は住宅近くに道誠の長男,青保,弟の青順,青龍を連れて,貯水池を発掘していた。夕方,兄弟3人が貯水池の底部に玉璋,玉j,玉壁,玉斧,玉珪,等の玉石器,総数3400件もあることに気ずいた。燕道誠は一部は鎮家の家宝として残した。1,2年後,広漢月亮湾燕道誠一家が珍宝を掘り出したというニュースが広く伝わり,骨董商たちが群がって「広漢玉機」を購入していた。

1920年代以来,繰り返し大量の玉器や土器が出土し,1986年,土取り作業中に偶然2つの竪穴土坑が発見された。土坑から1トンを超える大量の青銅器が出土して,世界的な話題となった。青銅器の年代は黄河流域の殷王朝後期と同時期と推察されるが,殆どは,殷王朝の青銅器と全く異質の文化的器物であった。

三星堆で最も特長な器物は三個ある。
<1>青銅器で,高さ2,6m,台座付き立人像。祭祀を取り仕切る蜀王や神官の姿と推察される。
<2>長大な耳と双眼鏡のように突き出た両眼。幅が約1,4メートルの奇怪な仮面。この巨大な仮面は「縦目」(遠くを望む)は蜀王『蚕叢』の表現と推察される。
<3>神樹は青銅でできている。『山海経』に出る,若木か扶桑の樹を表現し,太陽信仰の象徴とされている。

青銅立人像
商代末期と推測される。人像の高さ172cm。底座高さ90cm。全体の高さ261cm。1986年四川省広漢市三星堆遺跡二号祭祀坑から土出された。漢代司馬遷は<史記・西南夷列伝>の中で言う,“西南夷”の中の髪を,お下げにする者と髪を上げる者は,その民族は“氏”に帰属,これが巴蜀西南の外蛮夷である。


巫祝又は国王兼祭司の上層人物は冠帽子を被る。これが蜀族の形象である。髪を上げる,髪を下げる者は蜀族以外の夷人である

中原の華夏族から見ると蜀族は西南辺境地帯に居住していた早くから夏,商の時期から蜀と中原王朝は交流があった甲古文の記載によれば商王朝が蜀に射手を3000人派遣して,武丁時期に商王は軍隊を征調して蜀を討伐したとある

        
           
。三星堆から土出した青銅製人像は三種類に分けられて,一種類は全身人像。これは2つに分けられる,跪く姿と,立つ姿の二種類。二種類は人頭像。三種類は半人間半動物の結合の人像。

中国の古代では仮面を『魁頭』と呼び,死亡者の魂気を保存でき,鬼と病疫を追い払うことができる,と考えられていた。三星堆の土出した仮面は人間の仮面と,蜀人の始祖神の獣の仮面との二種類ある。獣の仮面は方形面で,広い額,両頬が引き締まり,口が大きくて深い,口の中の舌を外に出し,大きい獣の耳,長い刀のような眉,

稜柱形の眼球は10数センチも前に飛び出し,目の肌が眼球に付着している。人間に似ているようで,人間でない,獣に似ているようで,獣でもない。人間と動物が一体となった神霊の形象である。人間の仮面は大,中,小,に分けられる。1種類の中には大小似ているものが数あり,造型と仮面をかぶった青銅製人頭像に似た四角い顔,粗い眉,大きな目,大きな口,唇をグッと閉じて,鼻は高くてまっすぐ,力のある表情は緊張感があり,みな迫力を感じさせる。

神樹は1号神樹と2号神樹に分けられる。1号神樹は樹幹,樹の底辺と樹の側の飛龍の3つの部分からなり,高さは最大で3,96m,樹幹の長さは3,84m,中国の上古神話では,最も影響のある神木は建木,扶桑と若木とされている。《淮南子・地形訓》都広は天地の中にあり,建木が都広にあり,天梯子の作用を持つ,西方の宇宙樹に似ている。“若木の端に十の陽があり,形は蓮華のようで,華は光で,光は天地を照らす”


                 

又,神樹について《山海経・海内南経》で建木の形状を“その形は牛のようで,引くと皮あり,纓のようで,黄蛇”。その葉は大きく果実は硬く,名を建木と言う,《山海経・海外東経》には,“湯谷の上に扶桑あり,10個の日に浴び,黒歯の北にあり,水中に居,大木あり,九個の日が下枝にあり,一個の日が上の枝にある”と描述している。

長江文明と黄河文明は中華文明の二つの重要部分として対比される,三星堆青銅文明中にある夏商文明は三星堆文化が外部と接触した結果だとされている。商,王朝が滅亡後,楚が商文明の南方の発展を受け継ぎ,周は商文明の北方の発展を受け継ぎ,蜀は引き続きこれらの地区と文化,経済の交流を保ち,蜀文明の中に色濃く楚の文化要素がある由縁である。


交通: 成都北駅から広漢までミニバスで約1時間30分
広漢バスターミナルから6路バスで約15分で着く
9〜17:30(5〜9月) 9〜17時(10〜4月) 休なし
料金 30元


◇参考文献◇
古蜀王国的誕地。三星堆。四川人民出版社。
三星堆遺跡,甲古文学説明員口述。


             
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