山陽遺稿集 ★ (下)             石九鼎の漢詩館

  題介石翁絶筆画松竹。遺言嘱題於余。
石翁描石還描竹。   石翁 石を描き 還た竹を描く
竹石相親太有情。   竹石相い親んで太だ情あり
記得留吾竹深処。   記し得たり吾を留めて竹深き処
烹茶石上聴秋声。   茶を石上に烹て秋声を聴く

(介石翁が石と竹を描いている、その描く石と竹は好く調和して情がある。此の画を見て思い出すのは先年翁を尋ねた時のことだ。私を留めて竹深き処でその風音を聴きながら、石上茶を烹た楽しいことを。)

  十五夜草堂小集
雨湿秋香簷際飛。   雨は秋香を湿して簷際に飛ぶ
病躯怯冷下書幃。   病躯 冷を怯えて書幃を下す
去年兵庫駅南夜。   去年 兵庫 駅南の夜
月隠檣竿猶未帰。   月は檣竿に隠れて猶を未だ帰らず

(十五夜である今夜は生憎の雨だ、その雨は庭の木蓮を湿し簷際に飛ぶ。病気がちな身体は冷さに怯え、書斎の幃を下す。去年は兵庫駅南経ガ島の月夜だったが、その月は檣竿に隠れて夜露に打たれて
愛でたが、今年一年で寒さを怖れる病躯になり、衰えたものだ。)

  細川頼之
養成弱主身宮戍。   弱主身宮の戍を養い成し
抜得強臣眼裏丁。   強臣眼裏の丁を抜き得たり
旗幟精明君莫怪。   旗幟精明 君怪しむ莫かれ
清風禅榻喚翁醒。   清風禅榻 翁を喚び醒す

(頼之は義満の身の守りとなるよう,教え導き、強臣の邪魔者は平らげ、足利十余世の基礎を固めた。頼之の軍は精鋭であった。それは、禅を修め清風に心機を醒まし来たからである。)

  或獲方広寺瓦用為燈篭索詩 (或る方広寺の瓦を獲て用いて燈篭と為す。詩を索む)
髣髴桐花記阿籐。  髣髴たる桐花 阿籐を記し
参差翠縫想觚稜。  参差たる翠縫 觚稜を想う
憐無功徳庇孫子。  憐む功徳の孫子を庇う無く
一片残鱗籠夜灯。  一片の残鱗 夜灯を籠むを

(豊臣秀吉の紋である桐花がぼんやりしている、参差たる翠色は堂々たる觚稜の建物の屋根を想いださせる。このような立派な寺を建立しても、功徳は子孫を守るなく、僅かに一片の瓦が夜灯を守っている)

  嵐山
奉母嵐山第四回。   母を嵐山に奉ずる第四回
板與未到已花開。   板與未だ到らざるに已に花開く
春風畢竟旧相識。   春風 畢竟 旧相識
留取残紅待我來。   残紅を留取して我れ來るを待つ

  絶句二首 (一)
京城迎母半年留。   京城 母を迎えて半年留む
月白風清何処遊。   月白く風清し何れの処にか遊ばん
侍我板與三十里。   我が板與に侍す三十里
借君湖閣作中秋。   君が湖閣を借りて中秋と作す

(京の母を迎えて半年留まらせた、月白く風清い中秋になった。何処で中秋の観月をしようかと、思っていたが、ご案内を受けて、母の板與に侍して30里、琵琶湖畔の君が高閣で観月ができた)(岩崎鶴雨宅)


  上隴 (隴に上る) 
蕭然旅服始離船。   蕭然たる旅服 始めて船を離れ
來拝墳瑩松柏間。   來って墳瑩を拝す松柏の間
飄蕩天涯已衰鬢。   飄蕩 天涯 已に衰鬢
未知埋骨向何山。   未だ知らず骨を埋めて何れの山に向うを
隴は墓地のこと。

  除日
紛紛帳簿婦当家。   紛紛たる帳簿 婦 家に当る
残歳真如赴壑蛇。   残歳 真に壑に赴く蛇の如し
不問計余余幾許。   不問はず計余の幾許をか余るかと
眼前有酒有梅花。   眼前 酒有り 梅花有り
(数々の帳簿の整理・家計は妻に任せきり、今年も残す処あと一日。逝く年の止めるに由なし。家計のことは一切感知しないが、眼前に酒があり、花瓶には梅花がある、それで充分なのだ)
如赴壑蛇は蘇軾の詩(守歳詩)にあり。逝く年の止めるに由なしの意。

  発広島
児送崖岸返。  児は送って崖より返り
爺舟猶未発。  爺の舟 猶を未だ発せず
返至橋頭望。  返って橋頭に至って望めば
舟灯応明滅。  舟灯 応に明滅なるべし

(児は私を送り、名残惜しんで崖から返って行ったが、私の舟はまだ出帆しない。児が帰り橋の端に至り、願望したなら、多分私の舟の灯火が涙で潤んで明滅するのを見るであろう。)

  翌暁作
別母猶夢母。  母と別れて猶を母を夢む
分明侍膝前。  分明なり膝前に侍すを
醒來知那処。  醒め來たって知る那れの処ぞ
蓬底獨為眠。  蓬底 獨り眠りを為す

  銀閣
大樹蕭蕭秋帯風。    大樹 蕭蕭 秋 風を帯び
無如猿犬各称雄。    如ともする無し猿犬 各々雄と称す
獨有玲瓏数拳石。    獨り玲瓏たる数拳の石あり
従君建置小園中。    君が小園中に建て置くに従う

(足利将軍の権勢は地に落ちて、秋風蕭蕭たる様,山名細川。猿と犬がいがみ合う中、義政は何をしたか、玲瓏たる石のみが当時のまま、義政に随ったのはこの数個の石だけ。)

  奉母遊巌島聞余生甫二歳二親挈之省大父遂詣此
抱我爺娘下海船。   抱我を抱いて爺娘 海船を下る
当時襁負拝龕前。   当時 襁負 龕前に拝すと
白頭母子重來詣。   白頭 母子 重ねて來りて詣でる
存没茫々五十年。   存没 茫々 五十年。
(父母は私を抱いて船を下りたと言う。その時分、私は背負われて社前で礼拝したと言う。往時茫々、五十年の歳月。白頭となった自分は、父親を喪って今日、母子だけで重ねて來て詣でる。)

  別母
強舎行杯拝訣還。   強いて行杯をすてて拝訣して還える
寧能仰視阿娘顔。   寧に能く仰ぎ視ん阿娘の顔
満端心緒憑誰語。   満端の心緒 誰に憑って語らん
付与潮声櫓響間。   付与す潮声 櫓響の間
(此れが母子今生の別であった。蟲の知らせでもあったか、余程別が辛かった。11月3日の事)

  路上所懐
牽裾叩馬姓名馨。   裾を牽き馬を叩いて姓名馨し
肉食誰傳旧典型。   肉食 誰か傳へん旧典型
奕葉東風胡蝶夢。   奕葉 東風 胡蝶の夢
山河如此付螟蛤。   山河 此の如く螟蛤に付す

(伯夷・叔斉は武王の馬を引きとめ、臣にして君を討つ非を諌め後世に芳名を傳えたが、我が国の在位者
なは、このような高義、模範とした者が無かった。主家を討った直家は、子々孫々此の国を保つ様に願ったのであろうが、それは東風に眠る胡蝶の夢となり、山河は此の如く異姓池田氏の所領となった。

  重陽
山妻買菊対牀斜。   山妻 菊を買うて牀に対して斜なり
知是重陽到我家。   知る是れ重陽 我家にいたるを
一病因循猶不死。   一病 因循 猶を死せず
今年又及看黄花。   今年又 黄花を看るに及ぶ

  與星巌話別    (星巌と別を話す)
燈在黄花夜欲分。   燈は黄花に在り夜 分けんと欲す
明朝去踏信州雲。   明朝去って踏む信州の雲
一壺酒竭姑休起。   一壺酒竭くとも姑らく起つ休かれ
垂死病中還別君。   死に垂んとする病中 還た君に別れる

  雨窓與細香話別  (雨窓 細香と別を話す)
離堂短燭且留歓。   離堂の短燭 且く留歓
帰路新泥当待乾。   帰路の新泥 当に乾くを待つべし
隔岸峰巒雲纔斂。   岸を隔てる峰巒 雲纔に斂まり
隣楼絲肉夜将闌。   隣楼の絲肉 夜る将に闌ならんとす
今春有閏客猶滞。   今春 閏あり 客 猶を滞り
宿雨無情花已残。   宿雨 情なし 花 已に残す
此去濃州非遠道。   此を去る濃州 遠道に非らざるに
老來転覚数逢難。   老來 転に覚える 数しば逢うこと難きを

   咏史絶句。十五之一
横槊英風独此公。   槊を横たえる英風 独り此の公
肉生髀裏歛軍鋒。   肉 髀裏に生じて軍鋒を歛む
中原若未収雲南。   中原 若し未だ雲南収まらずんば
河北渾帰独眼龍。   河北 渾て帰せん独眼龍
(伊達正宗)

   咏史絶句。十五之二
曾捐大鎮圧群雄。   曾て大鎮を捐てて群雄を圧せしめ
自壊長城誰誤公。   自から長城を壊つ誰か公を誤る
当日花根占豊土。   当日 花根 豊土を占めば
休将作悪罵春風。   作悪を将って春風を罵しるを休めん
(毛利輝元)痛烈で皮肉な論鋒が読む人を引きつける

   咏史絶句。十五之三
隔離児女死生関。   隔離の児女 死生関し
際会風雲向背間。   際会す風雲 向背の間
一條笠繋八行字。   一條笠に繋ぐ八行字
傳得海南千里山。   傳え得たり海南 千里の山
(山内一豊)

   咏史絶句。十五之四
一擲乾坤孤注難。   一擲乾坤孤注の難。   
誰知老手咲傍看。   誰か知らん老手 咲って傍看
臣門如市心如水。   臣が門 市の如きも 心 水の如し
此脚寧堪跨馬鞍。   此の脚 寧くんぞ馬鞍に跨るに堪えん
(黒田如水)

   重陽
山妻買菊対牀斜。   山妻 菊を買い 牀に対して斜なり
知是重陽到我家。   知る是れ重陽 我が家に到るを
一病因循猶不死。   一病 因循 猶を死せず
今年又及看黄花。   今年 又 黄花を看るに及ぶ

   喜小竹來問疾
喜聞吾友声。   喜び聞く吾が友の声
力疾咲相迎。   疾を力めて咲って相迎う
筐裏出新著。   筐裏 新著を出す
病來成課程。   病來 課程を成す
丈夫知己在。   丈夫 知己在り
生死向前行。   生死 前に向かって行く
有酒君姑住。   酒あり君 姑らく住まれ
休嫌不共觴。   嫌う休かれ觴を共にせざるを

 望彦根懐舜卿 
認得江城似画図。   認め得たり江城画図に似るを
促搖双櫓度長湖。   双櫓を促し搖して長湖を度る
洋洋什倍黄河水。   洋洋たり什倍す黄河の水
竢我舜華好在無。   我を竢って舜華 好在するや無きや

彦根の町を遥に望めば画の様に美しい。一刻も早く到着したい,ニ艇櫓を忙しく搖かせ大湖を
渡った。洋々たる琵琶湖,黄河の水に什倍する程もあろう,昔,孔子は舜華が死んだと聞き,
黄河を渡らなかったが,吾が舜卿は健在で私を待っているだろう。

  用茶翁旧題詩韻 
柔櫓遥追倦鳥飛。   柔櫓遥に倦鳥を追うて飛び
外湖遊罷裏湖帰。   外湖遊を罷めて裏湖に帰る
題詩輸與茶翁好。   詩を題し輸與す茶翁の好きに
空看江城帯落暉。   空しく看る江城 落暉を帯ぶるを

 寛政六年菅茶山佐和山に到り,大洞山に登り次ぎの作が有る。
暮帆遥映女牆飛。  暮帆遥に映じて女牆飛び
大洞山頭雲未帰。  大洞山頭 雲 未だ帰らず 
真個江城如畫裏。  真個江城畫裏の如し
臨風誰憶謝玄暉。  風に臨み誰が謝玄暉を憶わん
此の詩は李白の,「秋登宜謝玄眺北楼」から来ている。


小舟遥に塒に帰る鳥を追うて,外湖の遊を罷めて裏湖に帰った。彦根の町が夕陽に照らされいる,
空ろ心で眺めつつ一詩賦したが,茶翁の詩の好さにはかなわない。

  到家 
薄遊十日到吾盧。   薄遊十日吾が盧に到れば
新笋成竹荷葉舒。   新笋竹を成し荷葉舒びたり
命酒緑陰呼婦子。   酒を命じて緑陰 婦子を呼び
箟包半脱出湖魚。   箟包半ば脱して湖魚を出す 

  與敬所翁話別 ニ首 (一) 
病遇重陽意不堪。   病んで重陽に遇う意 堪えず
羨君側帽向天南。   羨む君が帽を側けて天南に向かうを
黄花老日当帰到。   黄花老ゆる日 当に帰り到るべし
未死猶能抵掌談。   未だ死せずんば猶ほ能く掌を抵って談らん

 與敬所翁話別 ニ首 (ニ) 
暮年逾覚知音重。   暮年 逾よ覚ゆ知音の重きを
篤疾殊知分手難。   篤疾 殊に知る分手の難きを
獨有精神永不死。   獨り精神の永く死せざる有り
時於書巻数相観。   時に書巻に於て数ば相い観ん

  堅田
麦畝漁荘隔岸呼。  麦畝 漁荘 岸を隔てて呼ぶ
晴波一束似葫蘆。  晴波 一束 葫蘆に似て
平生漫読天正記。  平生 漫に読む天正記 
始信濃軍飛渡湖。  始めて信じる濃軍 飛んで湖 を渡りしを
◇濃軍⇒織田信長の軍。◇飛渡湖⇒天正元年,信長京都から帰途守山に到る。密に丹波長秀に命じて
兵船十余双を建造させる,七月,足利義昭再び兵を京都に挙げ信長を除かんとする。信長直ちに岐阜を
発し近江に入り,建造した兵船に乗り夜朝妻渡を渡り坂本に達し,直ちに京都に入る。(日本外史)。

  舟中作
平湖萬頃是琵琶。  平湖萬頃 是れ琵琶
一幅蒲帆剪鵠g。  一幅の蒲帆 鵠gを剪る
他日匙頭幾経渉。  他日匙頭 幾たびか経渉する
如今槽腹闊辺過。  如今槽腹 闊き辺を過ぎる

  瑞香
瑞香花発対前除。  瑞香花発いて前除に対す 
置酒清宵意有余。  酒を置いて清宵 意 余り有り
微酔唯聞香満地。  微酔 唯聞く香 地に満つるを
花和月影両模糊。  花は月影に和して両ながら模糊たり

   読王荊公傅
輸著韓王記魯論。  輸著す韓王が魯論を記すを
半生誤読偽周官。  半生 誤り読む偽周官
中書十歳曾騎虎。  中書 十歳 曾て虎に騎る
如若鍾山驢背安。  如ぞ若かん鍾山 驢背の安きに

王安石が半生偽周官を誤読して,新法の根拠としたもは,韓王趙普が論語を憶えて大本としたのに劣っている。彼は十年間中書省に蟠居し,虎に騎り遮二無二,新法を押し通したが,それは早く鍾山に隠棲し,驢背にでも跨り悠悠自適した方が好かったのだ。

  詠山中鹿介
存孤杵臼何忘趙。  孤を存する杵臼 何ぞ趙を忘れん
乞救包胥暫託秦。  救を乞う包胥 暫く秦に託す
嶽嶽驍名誰呼鹿。  嶽嶽たる驍名 誰か鹿を呼ぶ
虎狼世界見麒麟。  虎狼の世界 麒麟を見る

幸盛が尼子勝久を擁立して其の祀を存ぜんとしたのは杵臼の所属に酷似し,尼子家再興の為,暫く織田家に身を寄せて居たのは楚の申包胥に比べられる。驍名高き鹿介であるが,虎狼の如き者ばかりの戦国時代に於ける麒麟である。

  松
幾年養就老龍鱗。  幾年 養い就す老龍鱗
深壑時為龍一吟。  深壑 時に為す龍の一吟
免得庸工加刻削。  免れ得たり庸工の刻削を加うるを
萬層雲底歳寒心。  萬層の雲底 歳寒の心 

山陽自から老松に比しているようだ,龍吟は新策,通義,其の他諸論策。庸工は則ち権門勢家。歳寒の心は則ち故君の徳に答え,先人の嘱を虚しくせざる心である。

 過廉塾。先生嘗寄余詩,徴次韻。余未果而先生逝矣。今而次之。
瓣香將意如何。  將に瓣香して意如何
五歳流年不暫居。  五歳 流年 暫らくも居らず
垂老未能酬厚誼。  老に垂んとして未だ厚誼に酬いるに能はず
微労纔得校遺書。  微労 纔に遺書を校するを得たり
在心旧雨緑尊處。  心に在り旧雨 緑尊の處
回首斜陽黄葉廬。  首を回らせば斜陽 黄葉の廬
帰省従今知幾度。  帰省 今より知る幾度
祗応沿例駐征車。  祗応に例に沿って征車を駐むべし

佛龕の前で菅茶山先生の冥福を祈り礼拝したが,千萬無量の感懐に閉ざされた。あれから,もう5年歳月は流れる如く,暫くも止まらない。老境に入らんとして未だ先生の厚誼に酬いることも出来ず僅かに依嘱せられた遺書を校するを得ただけ,相済まぬ次第である。忘れもしない,雨のそぼ降る日,此処でお酒の相手をした事がある。回顧すれば,此の塾の見る物が悉く懐かしい思い出だ。今後幾度帰省し得るか解らないが,その度に例として征車を此の塾に止めるであろう。(然し此れが最後の訪問となった)

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