清明上河図 >11

              清明上河図  11
              独断・清明上河図を旅する。


日常の買い物は ”振り売り”に頼っていた人々は近所にできた店で買い物が楽しめるようになった。それは防壁の消滅が意味をもつ。人々は開放的になっていくことが開封の生活の上で物語る。

道には露店が並び、街には振り売りが行く。街角では大道芸を披露する者、それを冷やかして行く者 早朝出勤や朝帰りの人のために屋台を出す者もいれば、夜おそく帰る者の為に屋台をだすもの。大きな荷物を引いて車を走らせるもの。路上に賑やかな光景が克明に描き出されている。

『清明上河図』には ”井戸”が描かれている。開封の街の人の水の補給に井戸が利用されていたことが解かる。水の便の悪い開封、庶民が貴重に使用したことが窺える。井戸は都市の発展によって次第に増してゆく。


              


工事に携わったのが僧侶と言うのが興味深い。絵の中にには僧侶が比較的に多く描かれている。わが国でも旅をしていた僧侶の手によって掘削、或いは改良された、水源地が多くあると言う。僧侶が技術の継承者であり普及者であった。興味深い事実として伺える。

宋代の中国に旅立つた我が国の僧侶 「成尋」は記録に残した日記「参天台五臺山」のなかで、特に詳しいのは「道」であり、運河の様子には多くの記述を残している。成尋は開封の近くの黄河でも浮梁を見ている。


            


川幅が広大で技術的に架橋が難かしかった。又冬期になると上流から巨大な氷魂が降りてきて、橋を破壊してしまう。船の通行にも問題もある。そこで浮梁を架けることになる。

清明上河図の白眉は≪紅橋≫であろう。紅橋周辺で繰り広げられる人間模様を『東京夢華録』で伝える。この橋には橋脚が無い、総て巨大な材木を使いアーチ式に架け橋は朱の塗料で飾っている。空に懸ったようであると言う。数ある橋で興味を引くのは、念佛橋。馬軍衛橋。

念佛橋は宮城内の諸官庁の人々が通行する。夜明けに出勤して行くと、ゴゼ(瞽者)が、この橋の上で読経して物乞いをするので、この橋の名が付けられた。

馬軍衛橋とは、蔡太師と通称し『宋史』では宰相の地位を利用し、国を滅亡に追いやった極悪人。「姦臣伝」に入れる。



           

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