清明上河図>22

           清明上河図・22
           独断・清明上河図を旅す

路上の上邊には薬局がみえる。看板も大きく『趙太丞家』と仰視できる、店内では主人がお客に何かを進めている。道路を挟んで下辺には『質屋』がある。かなりの賑わいである。当時の開封の人々の生活が活気に満ち溢れていたことが大いに興味を注がれる。

(質屋・上の左の図)の人達のざわめきが聞こえそうだ。思い思いで集って皆が雑談している様子に興味がわく。100万餘りの開封の市井の人々の生活ぶりに興味は尽きない。質屋で働く番頭は黒い上着に牛角を張った革帯をしめ帽子は被らない、帽子を被る人が多い中、左奥の男が、それらしい。

此の絵巻き『清明上河図』には一体どの位の人物が登場するか、ざっと数えて見た、総計773人の人物が描かれている。男が659人、女性が43人、子供が35人、不明が36人、概して言うなら、男社会であろう。特に気付くのが、働く女性が少ない、その中で運河の船上で働く女性22人と最も多い。子供たちが路上で遊び歓声の声は聞こえそうもない。


            質屋


孟元老は言う。士農工商から服装には、それぞれの格式があり、式に外れたものを着ることはない。香料屋で働き香を包む番頭は帽子をかぶり背子を羽織る、乞食に至るまで決まりがあって、少しでもずぼらな格好をしていると、皆なから相手にされない、また、よそから新しく都に来て隣近所に棲む人がいると、道具を貸してやったり、いろいろ世話をする。


           薬屋


宋代の詩人「梅尭臣」が開封東郊外のベン陽坊に住居していた。ベン河は、陽の川の北を示すから、この地名が始る、1060年に開封に疫病が流行した、彼も此の時、病の倒れた。見舞いに政府高官が続々と訪れたので、近所の人々は「どんな大物が住んでいるのか」と驚いた。欧陽脩の「居士集」≪梅聖兪墓詩銘≫は傳える。

宋代の大詩人・陸遊は傳る。『ベン京の溝渠は非常に深くて広いものであった。お尋ね者の恰好の隠れ場所にもなっていた。なかには女を攫って来て此処に囲うものもある。平安無事な世でも無かった』。「水滸伝」にも開封をもとにした武勇伝が出て来る。徽宋と李師師と宋江のなど物語である。

                

                   『正店』酒老の本店前の賑わい

梅尭臣に≪溝渠≫と題する、≪溝をさらう≫どぶさらい、の詩がある。 

淘渠・・・・・・渠を淘う  (開春溝。)
開春の溝(田+犬)春泥。    春泥をうがつ
五歩掘一塹。        五歩 一塹を掘る    
当塗如壊堤。        塗に当りて壊れる堤の如し<
車無行轍馬無谿。     車は行轍なく馬は谿なし 
遮截門戸鶏犬迷。     門戸を遮截して鶏犬も迷う
屈曲惜足高復低。     屈曲して足を惜けば高く復た低く
芒鞋苔滑雨凄凄。     芒鞋は苔に滑べり雨は凄凄たり
老翁夜行無子携。     老翁の夜る行くに子の携え無く
眼昏失脚非有陥。     眼は昏み脚を失するに陥す有るに非らず
明日尋者爾痩妻。     明日 尋ねる者は爾の痩せた
手携幼女哭嘶嘶。     手に幼女を携え哭して嘶嘶たり
金吾司街務欲齋。     金吾 街を司どり務めて齋しからんと欲す
不管人死獣顛啼。     人は死し獣は顛れ啼くに管せず
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春、溝を開いて、
泥さらい五歩に一個の溝を掘り起こす、
道は塞がり崩れ落ち堤防のようだ車の轍が通る所もない、
馬の行く道も無い、門の前は遮断され鶏も犬も迷うよろけながら、
足を踏み出す、草履は苔に滑り、
しかも雨は冷えびえと降る年寄りは手を取ってくれる子供も無く、
誰も落とした訳でも無い眼がくらみ足を滑らしてしまった明日、探しにやって来たのは、
痩せた妻だ、泣く子供の手を引きながら。
警察は町を管理し、道路を勤務するだけだ、人が死に動物がひっクリ転んでも知らぬ顔をしている。


  2002/07/08

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