先哲者の漢詩>木蘇岐山


木蘇岐山
名は牧、字は自牧、美濃の人。東本願寺派の僧大夢の子。少壮にして詩に志す。大夢はのち 大垣藩侍読となった。幼時庭訓を受け、長じて儒学を野村藤陰・佐藤牧山に学ぶ。典故・攷證 に精通した。維新後、京都に出て、詩を梁川星巌門の遺老、宇田栗園・江馬天江に学ぶ、弱冠にして大沼枕山を驚嘆させる程の詩才を示した。

のち森槐南、本田種竹、野口寧斎、等国分青崖と徴遂する、しかし杜甫を宗とするその詩風は、乾嘉清脆の調子を愛する槐南一派の詩風とは相容れず、自ら東都詩壇と袂別し越中高岡に帷を下ろす。一時「大阪毎日新聞」の詩欄を担当し、関西詩壇を指導した。

槐南の没後は、高野竹隠と共に詩壇の双璧と目された。漢詩に対する情熱と意気は晩年に至るも衰えず、浪華風雅の振作に尽した。
大正五年没、年六十一。著書に五千巻堂集十七巻六冊。星巌詩註。などがある。参考文献。明治漢詩文集。明治漢詩集。日本漢詩。

           山代温泉雑詩
櫻花照映薬王城。   櫻花 照映す薬王城
道是法皇曽所営。   道う是れ 法皇 曽て営む所と
翻憶朝元秋草合。   翻つて憶う 朝元 秋草合し
繞垣欹側野棠生。   繞垣 欹側 野棠生ずるを

         出 門
與客朝来談老荘。   客と朝來 老荘を談ず
出門一笑上横塘。   門を出でて 一笑 横塘に上る
暮山凝紫澄江練。   暮山 紫を凝らし 澄江は練
莫怪詩人愛夕陽。   怪む莫れ 詩人 夕陽を愛するを

         移 居
賃屋三間寛有餘。   賃屋 三間 寛く餘有り
琴書家具小於車。   琴書 家具 車よりも小なり
先生骨冷無由俗。   先生 骨冷やかにして俗に由なし
恰称梅花樹下居。   恰も称う 梅花 樹下の居

      過熊谷萬堂高池今夜楼僑居話旧
南紀共為客。   南紀 共に客と為り
相看情転親。   相看て 情 転た親しむ
江湖今夜酒。   江湖 今夜の酒
風雨十年人。   風雨 十年の人
薄俗難容傲    薄俗 傲を容れ難く
高歌覚有神。   高歌 神有るを覚ゆ
多君飛動意。   多とす君が飛動の意
説剣口津津。   剣を説いて 口津津

      洲崎抵宇気舟中 
湖上無三里。   湖上 三里無く

軽帆一掌風。   軽帆 一掌の風
幾年阻乗興。   幾年か 興に乗ずるを阻み
清景待搴蓬。   清景 蓬を搴ぐるを待つ
布浦煙浮水。   布浦 煙 水に浮び
商山雪映空。   商山 雪 空に映ず
白鴎非有素。   白鴎 素 有るに非ず
似亦惜怱怱。   亦 怱々を惜しむに似たり

         東山看花 
東風紅事惟三日。   東風 紅事 惟 三日
長楽知恩花萬株。   長楽知恩 花 万株
春色酔人濃似酒。   春色人を酔はしめて濃酒に似たり
不須啼鳥勧提壷。   須いず 啼鳥 提壷を勧むるを

         重 陽
重来洛下値重陽。   重ねて洛下に来て 重陽に値う
無復当年落帽狂。   復た当年 落帽の狂 無し
剰得黄花看晩節。   黄色を剰し得て 晩節を看る
白頭新照一籬霜。   白頭 新に照らす 一籬の霜

              悼 亡
皇州北去越之州。   皇州 北に去る 越の州
対泣牛衣八歴秋。   牛衣に対泣して 八たび秋を歴す
顧我無家帰不得。   顧る我が家無く 帰り得ざるを
那辺為起土饅頭。   那辺か 為に起こさん 土饅頭


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