先哲者の漢詩>36>内藤湖南


内藤湖南 (1866-1934)
  秋田県の人。名は虎次郎。字を炳卿。別号を憶人居主。湖南鴎侶。彫蟲生悶悶先生。など。青雲の志し止み難く明治20年、家に無断で上京、大内青巒の「明教新誌」の編輯者として従事し続いて三宅雪嶺の「日本人」の編輯陣に加わる。さらに「大阪朝日新聞」に入社。日清戦争に際しては記事に独自の工夫を凝らし、他紙を圧この間、名著「近世文学史論」を刊行し文名を馳せた。

40年京大文科大学講師として迎えられ、42年京大文科大学教授に進み 43年文学博士。同年7月ペリオの蒐集敦煌文書の調査に狩野君山、小川琢治、  浜田青陵と共に北京に赴き、我が国「敦煌学」の基礎を造った。又、41年には「金石文」に精しい羅振玉、王国維らが辛亥革命の動乱を避け日本に来て京都に僑居する に際し湖南はその中核として後進を指導することになった。

湖南、人となり、気宇豁大・博学にして見識に富む、詩書共に巧みで、殊に後進の誘液に努めたので門下に多くの偉材が輩出した。
著書・内藤湖南全集。(14巻に漢詩文が収録されている) 
    参考文献:日本漢詩文集。明治大正名詩選。日本漢詩。内藤湖南全集(14巻漢詩文)

           維納聞楽
涙堕南朝汪水雲。    涙は堕つ 南朝の 汪水雲
希音清切不堪聞。    希音 清切 聞くに堪えず
家亡空剰鈞天楽。    家亡んで 空く剰す 鈞天の楽
礼廃誰存孝父文。    礼廃して 誰か存せん 孝父の文
上苑煙霞秋後淡。    上苑の煙霞 秋後淡く
美泉草木眼中分。    美泉の草木 眼中に分る
繁華東国渾為夢。    繁華 東国 渾て夢と為る
白髪宮奴説王君。    白髪の宮奴 王君を説く

         過江北古戦場
玄黄龍血已依稀。    玄黄の龍血 已に依稀  
成敗英雄両見機。    成敗 英雄 両つながら機を見る
日暮余吾湖畔過。    日暮 余吾 湖畔を過ぐ
蕭蕭蘆萩水禽飛。    蕭蕭たある蘆萩 水禽飛ぶ
         
☆(玄黄龍血)群雄が劇しく闘い天下乱れるを言う
         
☆(余吾湖)余呉湖「よごのうみ」賤ヶ岳の北麓

      将赴漢口再歩前韻
夙志酬弧矢。   夙志 弧矢に酬い
悲歓紛若麻。   悲歓 紛として麻の若し
崑崙空入夢。   崑崙 空しく夢に入り
江漢聊浮槎。   江漢 聊か槎を浮かぶ
秋老郷音少。   秋老いて 郷音まれに
天高雁字斜。   天高く 雁字斜めなり
何時乗八駿。   何れの時にか 八駿に乗り
萬里度流沙。   萬里 流沙を度らん

         芳山廿絶  其之一
廿年游跡夢迢迢。    廿年の游跡 夢 迢迢たり
毎到花時魂欲銷。    花時に到るごとに魂 銷ぜんと欲す
記取霏微煙月夜。    記取す 霏微たる 煙月の夜
酒醒燈炮賦南朝。    酒醒 燈炮 南朝を賦す

         題伊藤鴛城江南游艸
乗査先後費幽探。    乗査 先後 幽探を費やし
形勝三呉我亦諳。    形勝 三呉 我も亦 諳ず
虎踞龍蟠千載跡。    虎踞 龍蟠 千載の跡
何當抵掌與君談。    何か當に 掌を抵って 君と談ずべき

         題伊藤鴛城江南游艸
烏衣巷口暮煙含。    烏衣 巷口 暮煙含み
燕子磯辺春色酣。    燕子 磯辺 春色 酣なり
六代繁華弾指頃。    六代の繁華 弾指の頃
空従画裏憶江南。    空しく画裏より 江南を憶う

         恭仁山荘雑詠  其之一
買得林園諧素襟。    林園を買い得て 素襟に諧う
繞簷山水有清音。    簷を繞る 山水 清音あり
蕭然環堵無長物。    蕭然たる環堵 長物なく
萬架奇書一古琴。    萬架の奇書 一古琴

         蘇戡和詩由滬上到、再用元韻賦送
目送帰鴻一起哀。   帰鴻を目送し 一たび哀を起こす
傷時心緒付深杯。   傷時の心緒 深杯に付す
豈将鳥獣同群食。   豈に鳥獣と群を同じゅうして食らわんや
願為生霊吹死灰。   願はくは生霊の為に 死灰を吹かん
遺老文章鬼応哭。   遺老の文章 鬼も応に哭すなるべし
迂儒述作客相催。   迂儒の述作 客 相い催す
竹林玉海名山業。   竹林 玉海 名山の業
欲待裁刪愧不才。   裁刪を待たんと欲するも不才を愧ず



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