先哲者の漢詩>40>吉川幸次郎


吉川幸次郎(1904〜1980)
   兵庫県神戸市の人。名は善之。父・久七、母・幾の次男として神戸市花隈町に生まれる。1920年、第三高等学校分科甲類入学。同級生に・中野好夫・掘正人・等。1923年京都大学文学部入学。狩野直喜・鈴木虎雄・教授の指導を受ける。

東洋史学講座には、内藤虎次郎・桑原隲蔵・教授の指導を受ける。1926年・卒業論文は『倚声通論』京都大学卒業。この年八月・内藤虎次郎教授停年退官。1928年、狩野直喜教授退官。四月狩野氏に随行し、留学のため中国・北京に赴く。

38年・京都大学文学部教授。47年・同大学文学博士の学位を得る。48年〜59年の間、著作最も多い。尚書正義。唐宋伝奇集。元曲金銭記。杜甫私記。杜甫ノート。陶淵明伝。人間詩話。中国詩人選集。枚挙にいとまが無い。 吉川幸次郎全集24巻。1967年2月1日。文学部最終講義(杜甫の詩論と詩)。3月停年退官。1980年没、77歳。

杜甫の研究では昭和期の第一人者。1981年没後1年・詩集『箋杜室集』(知非集。詩補遺)☆参考文献:箋杜室集。興膳宏編纂、吉川幸次郎先生年譜。

       学院聴京劇唱片四首之一
学算平生蔑里堂。   算を学びて平生 里堂を蔑す
那知餘事亦相将。   那んぞ知らん餘事も亦た相い将にするを
農談花部續能否。   能談 花部 續ぐこと能くするや否や
點到放牛情欲狂。   點じて放牛に到れば情狂せんと欲す

         学院読漢書
丹黄一握便怡然。    丹黄 一たび握れば便ち怡然
日課炎劉史半篇。    日に課す炎劉の史半篇
莫怪先生著書懶。    怪しむ莫かれ先生書を著わすに懶きを
窮愁暫学地行仙。    窮愁 暫らく学ぶ地行の仙

         四月鄭子瑜東京築地招飲次韻四首之一
裙屐何妨各有天。    裙屐 何ぞ妨げん 各おの天有るを
旗亭買酔足因縁。    旗亭 酔を買う 因縁に足る
嘆君海外文章富。    嘆ず 君が海外の 文章富み
刻意挑燈已廿年。    刻意 燈を挑げて 已に廿年

     六十初度二首之一
六十今朝過。    六十 今朝 過ぐ
臥聴春雨飛。    臥して春雨の飛ぶを聴く
小楼聊極目。    小楼 聊か目を極むれば
遥碧淡蔵暉。    遥碧 淡として暉を蔵す
書巻味長在。    書巻 味わい長しえに在り
交朋未尽非。    交朋 未だ尽くは非ならず
吾生如寄否。    吾が生は寄する如きや否や
呼酒意依依。    酒を呼びて 意 依依たり

       漢唐鏡鑑
楼台重畳俯平沙。    楼台 重畳 として平沙に俯す
谷口風清新緑奢。    谷口 風清くして新緑奢る
唯剰瀑布飛寂歴。    唯だ剰す瀑布の飛ぶこと寂歴
斎聴博士説菱華。    斎しく聴く博士の菱華を説くを

        漱石詩注
孰云多事技難窮。   孰か云う多事にして技は窮まり難しと
亦復箋詩及此翁。   亦た復た詩を箋して此の翁に及ぶ
国学当年携手客。   国学 当年 手を携えし客
風神綽約怪相同。   風神 綽約 怪しくも相い同じ

      唐招提寺梵網會題扇
欲聞微妙法。    微妙の法を聞かんと欲して
黒白繞香臺。    黒白 香臺を繞る
戒殺及蚊蚋。    殺を戒めて 蚊蚋に及ぶ
清風自可來。    清風 自のずと来たる可し

    西安陜西賓館在丈八溝呈西北大学諸公
丈八溝頭花満樹。   丈八溝頭 花は樹に満つ
当年子美納涼處。   当年 子美 納涼の處
書生何福得班荊。   書生 何の福ぞ荊を班つを得たる
況復談論傾蓋故。   況や復た談論 傾蓋も故なるを

    成都少陵草堂呈四川大学諸公
春雨発生時。    春雨 発生の時
置身幽興地。    身を幽興の地に置く
今朝始得酬。    今朝始めて酬ゆるを得たり
五十年来意。    五十年来の意

      杜甫詩注第三冊刊成
刊成杜注第三篇。    刊成す杜注 第三篇
雲日蒼茫大暑天。    雲日 蒼茫たり 大暑の天
嘆息良朋多鬼籍。    嘆息す良朋 多くは鬼籍
夜臺無計問為箋。    夜臺 計無し 箋を為すを問むるに


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