司馬 相如 (前179~前117)
四川省成都の人.姓は司馬 名が相如 字は長卿 司馬相如の伝記は史記列伝巻57・漢書の巻27上下に見える.若くして読書と剣劇に励む,戦国時代の趙国・宰相藺相如を慕って相如と名乗った.武帝の時,孝文園令となったので,司馬文園ともいう.辞賦に長じ,子虚賦・上林賦なの名作がある.長安に出て武帝の父景帝に仕えた,「辞賦」の製作に臨んだが景帝には興味を示さなかった,梁の孝王が長安に来た,孝王は文学を愛好した皇族の一人である,

相如は職を辞し開封に行き,孝王の賓客となった.臨卭の知事が相如を卓王孫の家に招いた宴酣の頃知事は相如に琴を差し出し一曲を奏するよう請うた.卓王孫には文君と言う寡婦となったばかりの娘がいた.美男子の相如と琴の上手さに,文君は心を動かされた.その夜,文君は相如のもとにそのくうん 奔り,逢い携えて成都に赴いた,成都での生活は困難を極め「家は只,四つの壁の立つのみ」であった.金策の為に臨卭の卓王孫に援助を願ったが,激怒した卓王孫は一文も援助しない.

止む無く,相如と文君は臨卭市中に居酒屋を開いた.文君が酒客の接待,相如はフンドシ(褌)姿で皿あらい,これには卓王孫は閉口し勘当を許し,相如に財産を分け与えた.夫婦は成都に赴き「富人」となった.史記に『司馬相如伝』として代表的な作品を載せている.

魯迅は『漢文学史網要』の中で漢賦を刷新した彼の功績を高く評価している。『子虚賦』『上林賦』などが知られ,『長門賦』では武帝の愛を失った陳皇后の女性心理を巧みに表現している,と言う。司馬相如は武術にも長じて,景帝の時武騎常侍になっている。「武騎常侍」とは,常に帝のそばにいる騎士のことである。」
    琴歌 二首
相如が臨卭(四川省成都の南)へ遊びに行った時、文君がいた。彼女は当時やもめになったばかり、壁の隙間から相如を覘いた。相如は琴を弾いて、歌で以て彼女を挑んだという。その歌が琴歌二首。

   其の一  鳳兮鳳兮(ほうやほうや)
鳳兮鳳兮帰故郷。      鳳や鳳や故郷に帰る
遨遊四海求其鳳。      四海に遨遊して其の鳳を求める
時未通遇兮無所将。     時 未だ通遇せず 将いる所 無し
何悟今夕升斯堂。      何ぞ悟らん今夕 斯の堂に升り
有艶淑女在此房。      艶たる淑女あり 此の房に在らんとは
室邇人遐毒我腸。      室は邇く人遐く 我が腸を毒す
  ◇雄鳳が故郷へ戻って来た。彼は四海に遊んで雌凰を求めたのだ。しかし これまでは時節にも遭わず、動機にも恵まれなかったのに、思いがけなうも今宵は、このお座敷に上ることができ、ここに艶やかな淑女が居られる。室は近いのだが、その人ははれかなる思い。私の腸をひどく傷ませる。どうしたなら、あの人と頸を交えかわす鴛鴦のようになれるだろう。

   其の二  鳳兮鳳兮(ほうやほうや)
皇兮皇兮従我棲。      皇や皇や 我に従って棲まん
得託孳尾永為妃。      孳尾を託するを得て永く妃と為らん
交情通体心和諧。      情交え体を通じ 心和 諧せん
中夜相従知者誰。      中夜 相い従はん 知る者は誰ぞ
双与倶起翻高飛。      双び与き倶に起ちて 翻って高く飛ばん
無感我心使予悲。      我が心に感ずる無くば 予をして悲しましむ

 ★ 封禅頌 ★
自我天覆  雲之油油    我が天の覆いしより  雲は油油たり
甘露時羽  厥壌可遊    甘露時羽  厥の壌 遊ぶべし
滋液滲摝  何生不育    滋液滲摝して  何の生か育せざらん
嘉穀六穂  我穡曷蓄    嘉穀六穂あり  我穡して曷かを蓄えん
非惟雨之  又潤澤之    惟之に雨ふらすのみに非ず  又之を潤澤する
非惟徧之我           惟だ之を徧くするのみに非ず
氾布濩之            氾く之を布濩す
万物熙熙  懐而慕思    万物熙熙として  懐うて慕思し
名山顕位  臨君之来    名山顕位  君の来るを臨む
君乎君乎  侯不邁哉    君や君や  侯ぞ邁かざる哉
般般之獣  楽我君囿    般般たる獣 我が君の囿を楽む
白質黒章  其儀可嘉    白質黒章  其の儀 嘉しすべし
皎皎穆穆  君子之態    皎皎穆穆ちして  君子の態あり
蓋聞其声  今観其来    蓋し其の声を聞く 今其の来るを観る
厥塗靡蹤  天瑞之微    厥の塗蹤に靡く  天瑞の微なり
茲亦于舜  虞氏以興    茲亦 舜に于いて  虞氏以て興れり
濯濯之麟  遊彼霊畤    濯濯たる麟  彼の霊畤に遊ぶ
孟多十月  君徂郊祀    孟多十月  君徂いて郊祀する
馳我君與  帝用享祀    我が君の與に馳せ  帝用って享け祀す
三代之前  蓋未嘗有    三代の前  蓋し未だ嘗って有らず
宛宛黄龍  興徳而升    宛宛たる黄龍  徳に興りて升る
采色炫燿  熿炳煇煌    采色炫燿し  熿炳煇煌たり
正陽顕見  覚悟黎蒸    正陽顕見し  黎蒸を覚悟する 
於伝載之  云受命所乗   伝に於いて之を載せる  云う受命の乗る所と
厥之有章  不必諄諄    厥の章有るを  必ずしも諄諄たらず

依類託寓  諭以封巒    類に依り託寓し  諭すに封巒を以ってする

(詩語)
  ★封禅頌:相如が病で茂陵に家居していた時,武帝が使いをゆかわして書を求めさし,使 いの至らぬ中に卒した.
    その妻が遺言によって奏した書が「封禅文」
  ★天覆:天が地上の万物を覆うこと,天は武帝に例える,
  ★油油:雲の盛んに起こるさま,
  ★甘露・時雨:甘露は天下泰平のときに降ると言う,時雨は良き折に降る雨と言う.
  ★滋液滲摝:上句の甘露時雨を言う,
  ★我穡曷蓄:史記.集解に「何をか蓄える所ぞ.嘉穀を蓄えん」に従う
  ★布濩:散被のこと
  ★熙熙:和楽のさま
  ★名山顕位:名山は泰山,顕位は封禅を言う
  ★般般:文彩のさま
  ★皎皎は和,穆穆は敬のこと
  ★濯濯:嬉遊の意
  ★霊畤:畤は天地五帝を祭る祭地
  ★宛宛:屈伸のこと
  ★正陽顕見:正陽は龍を言う


   2007/12/08    石 九鼎
参考文献:史記(明治書院)
       古詩選(中国古典書)朝日新聞社
       初学記:
       古詩源(漢詩大系)集英社
       中国詩史:筑摩叢書(吉川幸次郎)
       中国文学の愉しき世界:岩波書店(井波律子)


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