千秋詩話 11
李白・ 静夜思
李白の「静夜思」について先般「中国史ML」で話題となった。
起句の 「牀前 看月光」と「牀前 明月光」 月光を看る。と月光 明らかなり。発端は台湾か香港に留学中の方がこちらでは「月光を看る」と学校でも学習している。
「明月光」と どちらが正解だろうか?と言う問題が提起された。ちなみに、我が国の教本は奈何。
月光を看る を採用が
○ 簡野道明 唐詩選詳説 明治書院
○ 前野直彬 唐詩選辞典 東京堂で版
○ 目加田誠 唐詩選(新訳漢文大系) 明治書院
○ 星川清孝 歴代中国詩精講 学燈社
○ 武部利男 中国詩人選集(8) 李白 岩波書店
○ 久保天随 李白全詩集 日本図書
○ 萬首唐人絶句 南宋の洪邁の編。明代嘉靖本を採用
一方、「明月の光」はどうだろうか以下
○ 森槐南 李詩講義
○ 野口寧斎(序文)
宮崎來城著 作詩術
○ 沈徳潜 唐詩別栽集 中華書局
○ 唐詩三百首
○ 中国旧詩佳句韻書。岳麓書社。王芸孫編。1984年
○ 御定佩文斎詠物詩選・康熙45年6月。一帙5巻。全64冊
尚、吉川幸次郎、三好達治、著 新唐詩選 (岩波新書)には(床前に月光を看る)を採用。 解説が面白い。
”中国では床は部屋の中央に位置し、人は夜るそこで寝るばかりではない。
昼間の何くれとない時間も、その上でくつろぐ。・・・・・・・
・・・・もはや床の上に横たわって好い時間である。しかし静かな夜の、
もの思いにふける人は、じっと立っている。あるいは、その辺を徘徊
している。そうして「頭を挙げては山月を望み、・・・・・・・”
☆ 森槐南の李詩講義の内容を簡単に書き留めると
「静夜思と言うのは簡単な楽府で六朝の頃に起こった題である。
牀前の処に ”名月が照らして来た。初めは月とは思はなかった、霜が降ったのかと思った”ところが、頭を挙げて見れば、山の端に月が出ているから、地上の霜だと疑ったのは、間違いであった。此の床前に照る月は、故郷に居て見た月と・・・・・・・」
兪えつ。(「清の学者。字は蔭甫。曲園と号した」1821-1906年。)の随筆に詩の解説が出ていて様様に説いて・・・・・」私は 兪えつの随筆なるもの未だ検分していない。然し私しは後者を採りたい。
本場、中国ではどうか?現在の学校現場の教学では、ほとんど、
「牀前名月光 疑是地上霜 挙頭望山月 低頭思故郷」 だと言うことである。
土岐善磨に次のような有名な訳詩がある。 「静けき夜の思い」
とこにさす月影
疑ひぬ霜かと
仰ぎては山の月を見
うなだれては思うふるさと
井伏鱒二には以下のようなこれも有名訳詩がある。
ネヤノウチカラフト気ガツケバ
霜カトオモウイイ月アカリ
ノキバノ月ヲミルニツケ
ザイショノコトガ気ニカカル
訳詩がいい!サスガ ニッポンジンだ。
意味はどちらも通じることだから、取り立てて言うこともない。のではないだろうか。
☆ 「佩文韻府」
☆ 「詩淵」書目文献出版社 全六巻 (拠北京図書館蔵明稿本影印原書版)で帰納できる。
5・25・00
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