千秋詩話 12  
   賈 島(779〜843)

「苦吟詩人」と言われる。句を練りに練って寝食を忘れるタイプであった。”推敲”の故事で有名。ある日、ある時、良い対句が浮かんだが

        鳥は宿る池中の樹。僧は推す月下の門。

賈島は驢馬に乗って「推す」でなく「敲く」にした方が良いか? いや!やはり「推す」の方が良かろうか、夢中になって考えているいちに貴人の行列の中に迷い込んでしまった。それは”詩人”としても令名でもあった韓愈の行列であった。韓愈の前に引きだされた賈島は訳を話し無礼を詫びると、韓愈は暫らく考えていたが、『君、それは敲くの方が良いよ』と言ったと言う。『推敲』の故事は此から始じまったと言う。

復た、ある年の秋、賈島が痩せたロバにまたがり、都・長安の大通りを歩いていると秋風に吹かれて枯れ葉がいっせいに降り注いで来た。詩興のわいた彼は、思わず、【落葉 長安に満つ】と口ずさんだ。ところが、これに対応する句がどうも浮かばない。

一年経ち・二年経った。いろいろ考えたがどうも良い句が續かない・・・・・・。
とうとう復た秋がやって来た。彼は秋風に吹かれて散る葉を見ながら苦吟して、歩いている内に、劉栖楚と言う高官の乗っている馬にぶっかってしまい不遜な奴だ!と、牢屋に入れられてしまった。

牢屋の中でも苦吟していると、水の流れる音が耳に入ってきた。おや!と思って賈島は格子窓から覗いて見た。牢屋の外は渭河(長安の北を東に流れ、黄河に合流する)で、秋風にあおられて波頭を立てながら、とうとうと流れているのだった。それを見ているうちに、口をついて句が出てきた。

          秋風 渭水に吹き
          落葉 長安に満つ

のちに、此の詩は人々の絶賛を博した。だが、誉められた賈島は答えた。『私の詩が”三年両句を得、一吟双涙流る”だと言うことは、みなさん、お解かりかな』推敲と言う言葉から、派生した逸話とも言う。

9・20・00

賈島は貧窮の中に死んだ。(843年)「唐才子伝・五」に言う。『死に臨む日、家に一銭無し、惟だ病躯と古琴とのみ』

2/20/2003


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