千秋詩話  14
   字法

語にも、章を改めるには篇を代えるより難しい、字を変えるには句を代えるより難しいと有るように、字を置くのは容易なことではない。古人の中には、「一個の字を吟安し、撫断す数莖の鬚」とまで叫ぶ。一般に篇と言い、章と言うには、句を積んで成ったものである。

しかも、其の句は字を積んで成ったものであり、いはば一字は一篇一章の元である、その元が悪ければ、妙詩佳句の出来ようがない。漫然とし字を下すようなことをすると、失態を生じる。

昔、中国のある青年が朝庭士を取るのに科目に応じて、一篇の詩を作った。處が其の詩が、声律といい、立意といい、誠に獲がた作であった。試験官は、いずれも驚嘆し一時優等で合格することに定まっていたが、或る儒官は其の詩を読んで、「此れは悪い、中に「照破す満家寒」の句があり、破家の二字を折用している。此れは不吉だと言った」

為に、この青年は落第になった。一字の使いかたで絶妙の詩、また悪詩となる
晩唐に王貞伯と言う詩人がいた。御溝という題で五言律詩を作り、自から絶調とし疵なしとし、得意になって時の詩僧、貫休に示した、其の詩

一派御溝水。     一派 御溝の水
緑槐相蔭清。     緑槐 相蔭清し
此波涵帝澤。     此の波 帝澤を涵す
無處濯塵纓。     處として塵纓を濯う無し
鳥道来雖険。     鳥道 来たりて険と雖も
龍地到自平。     龍地 到り自ら平らかなり
朝宗心本切。     朝宗 心 本と切なり
願向急流傾。     願はくば急流に向かい傾かん

詩僧貫休は此の詩を一読し、「誠に傑作だ、然し、中にまだ冗字が一字ある。」と言う。貞白は憮然として帰った。貫休は思うに、王貞白は、英敏な人であるから、やがて、立ち戻って来るだろうと、掌に一字を書いて待っていた。處が果たして来た、然も欣然たり、此波の波の字を改めて、此中涵帝澤としたが、如何だろうと言はれて、貫休も笑いながら、掌を開いた、處がやはり、中の字を書いていた。

詩は、古詩よりか律詩、律詩よりか絶句、近体になるだけ、僅か二三十内外の文字の中に、千万無量の意味を含ませる。一字たりとも浮いた字があってはならない例を述べている。


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