千秋詩話  23
                          

    李商隠                       

李商隠(812〜858年) 字を義山。憲宗皇帝の元和78年。河南省懐州河内の人。懐州は現在、河南省に属し黄河の北辺で黄徳という所。ここが唐代の懐州。彼はここで生まれた。「甘露の変」という歴史上著名な事件が突発し、義山は壮年時に此の事件に出遭った。
                    
義山自身この政治上の激変のため、社会の風波に篏揚された。この事実が詩にも現れ、自然にその詩が怪譎に流されたのは止むを得ない。後に宰相になった令狐楚の知遇を受けた。狐楚の勧告で当時流行の文字を綺麗にし、なるべく句造を綿密にする詩体をめざした。

          錦 瑟
錦 瑟 無 端 五 十 弦。     錦瑟 端無くも 五十弦
一 絃 一 柱 思 年 華。     一絃 一柱 年華を思う
荘 生 曉 夢 迷 胡 蝶。     荘生の曉夢 胡蝶迷い
望 帝 春 心 托 杜 鵑。     望帝の春心 杜鵑に托す
滄 海 月 明 珠 有 涙。     滄海 月明らかにして 珠 涙有り
藍 田 日 暖 玉 生 烟。     藍田 日暖かにして 玉 烟を生ず
此 情 可 待 成 追 憶。     此の情 追憶を成すを待つ可けんや
只 是 当 時 已 惘 然。     只だ是れ 当時 已に惘然

唐代で朋党の軋轢が最も甚だしい時代【牛僧孺と李徳裕】の二党に彼はこの党争の渦中に巻き込こまれた結果となる。義山の知己は長きは三年、短きでは一年位で皆物故するので、彼は全く途方にくれ復た都に戻るしか道がない。

     楽游原
 向 晩 意 不 適。    晩に向かい 適なわず
 駆 車 登 古 原。    車を駆りて 古原に登る
 夕 陽 無 限 好。    夕陽 無限に好し
 只 是 近 黄 昏。    只だ是れ 黄昏に近し

陸亀蒙は詩人の窮厄は多く天物を暴して、造化の秘を発くことの報である。李長吉の夭折、孟東野の窮し、李商隠の官、朝籍に掛けづして死去したのは、皆な此処が為だと言う。蓋し然からん。李商隠は詩文を作る際は非常に刻苦した。色々な資料を集めて、部屋一杯に並べた。まるで、獺が魚を捕り食いするように、直ぐに食はないで、十数尾を排列して祭りの供え物のようにし、その上で片ッ端から口に入れていく。称して【獺祭魚】と言った。正岡子規は自分の書斎を「獺祭書屋」と号した。

     夜雨寄北       夜雨北に寄せる
君 問 帰 期 未 有 期。     君は帰期を問うも 未だ期有らず
巴 山 夜 雨 漲 秋 池。     巴山の夜雨 秋池に漲る
何 当 更 剪 西 窓 燭。     何か当に 更に西窓の燭を剪り
却 話 巴 山 夜 雨 時。     却つて話らん 巴山 夜雨の時なるべし

何時お帰りですの、とお前はたずねて来たが、まだ何時と、いうあてはない。
今ここ巴山の山中では、夜の雨が秋の池を漲らせて降りつづく。
あの西向きの窓べで、お前と二人夜更けまで灯心を切りつつ語りあうことが出来るのは、何時のことか。
その時こそ巴山に雨が降る今の私の心を語りあえるのだが 

この詩、一首全体が妻に語りかける手紙のように構成されて、夫のやさしい愛の囁きと言った詩であり中国詩としては珍しい内容のものである。

義山についての逸話:真宗が宮中で内宴を張り観劇の催しがあった時、揚憶を初め当時の館閣の詞臣、即ち西崑唱酬集中の人たちが列席していた。俳優で滑稽に長じている者が一人、海藻のようなボロボロの衣裳を着て舞台に現れ
 「俺は李義山だぞー」
と言って威張っている。すると、相手がたの一人が「何、お前が李義山と言うのかそのボロボロの着物は一体どうしたのじゃ」と問うと「是は他でもない、最近、館閣の先生方に私の着ている者は、すっかりむしり取られて、このような乞食のような浅ましい姿となってしまった」

この滑稽的風刺は当時、李義山の詩が如何に、流行していたかと言う事を証明している、と言う。義山の詩は専ら修辞を以ってその生命としていた。しかもその中に寄託するとこが多く、時事を風諭して、文字に深い意味を含ませることを貴び、好んで故事古典を巧みに運用したので、時に晦渋に流れて彼の真意が果たして何処にあるのか解らないことが多い。

然し、義山は単に艶麗綺縟な晦渋の詩ばかりを作ってはいない。堂々と雄健な筆を揮って『韓碑』のような長篇を作っている。晩唐の他の詩人の中で、杜甫、韓愈、の文字の正脈を系統だてて継承している。李商隠の詩は凡そ五百数十篇ある。   (858年・鄭州で47歳を以って病没)


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